複雑・ファジー小説

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守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
日時: 2022/05/19 21:16
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。

___

本編の完結とエピローグについて >>173





目次です。

▽メインストーリー
 File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
 File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
 File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
 File4:セイラ   >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
 File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
 File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
 File7:交差する軌跡  >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
 File8:例えこの身が朽ちようと    >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
 File9:それは僕が生まれた理由(前編)    >>59 >>60-61 >>63-64
 File0:ネロルキウス  >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
 File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
 File10:共に歩むという事   >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
 FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
 Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172

 Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177

-▽寄り道
 春が訪れて >>23
 白銀の鳥  >>70-71
 クリスマス >>120

▽用語集
 >>8 File1分
 >>15 File2分
 >>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも

▽ゲスト
 日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
 友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)




気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)

Re: 守護神アクセス ( No.73 )
日時: 2018/05/25 22:23
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 ひったくりの騒動の後、二人とも示し合わせた訳でもないのにまた、エレベーターの前で出会うこととなった。知君は会計を済まし、来る途中に買ったコンビニのパンを休憩所の空いた座席で食べた後、奏白は目当ての甘味を堪能した後のことだ。どうせここまで来たのなら地上800メートル地点の展望台まで登ってみようと、人の流れに従って直通のエレベーターの方へと向かった。
 当然のごとく大混雑だ。何せその展望台がこの電波塔を訪れる最大の目的と言って過言ではない。百メートルごとに見晴らしのいいテラスが存在し、階層に応じて値段が異なる。そのようにして、往復に時間がかかってしまう上部への来場者を減らし気味にしており、700メートル地点以上には直通の専用昇降機を用意していた。
 社会人であるというのも大きな理由ではあるが、普段稼いだ給料を使う暇も無いので、別段小遣いには困っていない。それゆえ何の気なしに最上階までのチケットを購入した。その時だ、すぐ隣で先ほどの子供が同じ切符を買っていた。一人で来るにしては珍しい奴だなと違和感を覚えた。高校生にとってこのチケットは高いだろうに。
 研究施設からの仕送りは、不自由しないようにと少々多めに送られていた。元々研究費用が莫大にあったため、小食で倹約家の彼には少し多すぎるほどだった。それをここで派手に使っても、預金の残高にはさしたる痛手にならない。
 祝日だというのに少年は、学校の制服を身に着けていた。彼はそれ以外に服を持っていないためである。しかしそんな事知る由も無い奏白は、午前授業でもあったのかと想像し、それならなおさら同級生と来ようとしなかったのかと訝しんだ。

 少年の方も隣がさっきの騒動でひったくりを取り押さえてくれた男と気が付いたようで、はにかみながら会釈した。他の客はほとんどが一番人気の500や600メートル地点の切符を買っているため、最上階まで向かうのは二人きりであった。何せ客足と、ついでにスペースの都合上最上階には売店の類が一つも無い。しかし600メートル地点はと言うと、そこでしか売っていない商品なども並んでおり、人気のフロアとなっている。
 元々はその高度が最も人気だからそれ相応に施設を充実させようとしていたはずなのに、今や目的がすり替わってしまった。近頃はそこで売られる商品に釣られ、ロクマルと称されるフロアに押し寄せる人が増えたのだとか。
 このタワーのマスコットキャラの着ぐるみもその階層にいるのだとか。様々な理由があり、そこがポピュラーなスポットになるというのは納得だった。それに、最上階へのチケットは驚くほどに高い。エレベーターの点検にメンテ、高ければ高いほど要所にお金がかかるせいか、景色を見るくらいしか楽しみは無いのに、片道3000円程する。ロクマルにいたってはその半額の1500円だというのに。家族連れも多いため、全員で最上階へ向かおうとするとそれだけで一家には痛すぎる出費だ。

「君もファンなのか?」

 自分の好きなバンドの名前を挙げて、少年へと問う。しかしそうではないと彼は首を横に振る。彼はと言うと、高ければ高いほど自分が鳥になったように思えそうだったから。そんな理由を口にしていた。少しメルヘンチックな言葉に、奏白も可笑しそうに微笑んだ。

「でも、どうしてその音楽グループのファンだなんて思ったんですか?」
「知らねえ? こないだそこのベーシストとボーカルがそこで撮った写真SNSに載っけててさ」
「なるほど、だからお兄さんは最上階に行こうとしてたんですね」
「そうそう。りっさんも言ったっていう展望台。ぜひとも行かないとな、って」
「他のファンたちはゴールデンウィークにもう行っちゃってそうですけどね」

 そうなんだよなあと、がっかりしながらため息を吐き出す青年。俺もどうせならりっさんのオーラが残ってる内に行きたかったもんだよと大げさな態度で悔しがる。そのせいか、さほど残念がっているようには見えなかった。

「ま、警官だからな。仕方ねえよ」
「そう言えばさっき警察手帳持ってらっしゃいましたね」
「そうそう、今日はこんな風だけど、普段はかっちりスーツ着てんだ」

 ヘッドフォンを首に下げ、涼し気な青のTシャツを着、キーホルダーをぶら下げたスマートフォンを掲げた彼が、普段は生真面目にスーツを着ているのだとは到底想像し辛かった。話すうちに年齢も二十七だと分かったが、それが信じられないくらいに肌も顔色もずっと若かった。大学生と言われればそのまま信じてしまいそうだ。目鼻立ちもよく整っており、どこかのアイドルだと言われても納得してしまうかもしれない。

「おっ、来たなエレベーター」

 守護神による建築技術の向上、それによって当然、こういった昇降機のグレードも以前より格段に上がっていた。今いる階層から700メートル以上高い位置にまで向かうというのに、ものの三十秒と少々で到着してしまうのだという。
 二人だけの乗せたエレベーターの扉が閉まる。箱の内側には、危険だから喋らないようにしろとの注意書き。仕方ないからと揃って口を閉じ、代わりにガラス張りの景色のその向こうを見た。
 動き始めたそのエレベーターは、すぐさま最高速度に到達した。目の前の景色が見ていられない。残像を残してあっと言う間に眼下へと消えていく。遠くの街並みを眺めると、ジオラマのような大きさだった街並みが途端に米粒のようになってしまった。かと思った頃にはもう、家屋の屋根などただの灰色のドットにしか見えないほどに、高く。
 気づけばもう、スカイツリーなど追い抜いていた。段々と上昇のスピードを落とし始める。二人きりの天国へ走る列車がついに止まった。開いたそこにはまばらな人影。やはりここまで登ってくる人は少ないのだろう。トイレくらいしか設備は無く、あまりに高すぎて逆に何も見えそうにない景色。さらには床さえもガラス張りになっており恐怖は足元からも這い寄ってくる。目の前で他の客が歩いているというに、自分が一歩踏み出せばそのまま虚空に投げ出されるのではないかという焦燥。

 ただ二人は、むしろその解放感に圧倒されていた。雲さえもすぐそこ、手を伸ばせば届くような距離にある高みに息を呑んだ。エレベーターから降りて真下を確認してみても、そこから見える景色はただひたすらに空と呼ぶにふさわしかった。下の様子なんて、何の意味もなさない点描にしか見えない。
 スカイリンクという名前を何より強く表していた。空と体とが直接つながったような一体感。決して怖くは無い、武者震いに似た衝動が体の芯から湧き上がる。身震いを一つすると共に、二人は旧知の仲でもないのに顔を見合わせた。その感動を共有するのに、800メートルの旅路は充分すぎる代物だった。

「凄かったですね!」
「やっべーな、これ! マジで爽快だわ」

 子供みたいにはしゃぐ二人、背後ではエレベーターがまた下へと向かっていた。何度も写真の撮影を重ねるシャッター音。それは奏白だけでなく、周囲の他の観光客も同様に自撮り並びに空の様子、あるいは見降ろした街並みをフィルムに収めていた。
 この時の二人はまだ気が付いていなかった。中心に近い階層、400メートル地点において大きな騒動が起こっている事実に。フェアリーテイルの事件が起こる少し前、ある守護神のその契約者一人によって引き起こされた未曽有の出来事、HSLジャックと呼ばれることとなる大惨事が起こったのである。


 一しきり上空からの眺めを味わった後、そろそろ帰ろうかと二人はエレベーターの方へと戻った。正直なところ、高いという一点以外に特徴的なものなどない。むしろよく、こんなにずっと居られたものだと呆れるほどにだ。気づけばさっきまで同じフロアにいた人の多くも降りて行ってしまった。特にその後昇ってきた人も居ない。
 新しくやってくる人がいなかった理由が、とある匿名の声明が原因であったとはこの二人は知らなかった。知君は琴割が生みだした者とはいえ、警察とのつながりは皆無。奏白もphoneを家に置き去りにしている。それゆえ、警察内部の情報は二人に届かない。
 下の方ではハイエストスカイリンクが急遽関係者以外立ち入り禁止となっていた。と言うのも、犯行予告が届いたからだ。今の世の中そんな事しようものなら今後逃げ切ることなどできないというのに。しかし元凶たる人間はそんな常識を打ち破ってこの電波塔全体を人質にしようと目論んだ。
 それゆえだ、それ以上被害を増やさないために、舌では人払いが行われたのは。では、肝心の電波塔内部に何も通知がいかないのはなぜか。単純だ。警察が動いていると、電波塔にこもっている元凶たる者に知られないようにだ。犯行声明によると、犯人はこの電波塔のどこかに立てこもっているとのことだった。それゆえ、警察も迂闊に手を出す訳には行かなかった。
 少しずつ、人々は帰って来ていた。しかし、一向に観光客が帰ってこようとしないフロアがいくつか見受けられた。それが、400メートル地点、500メートル地点、そして最後に最も人の多いはずのロクマル。むしろ最上階やその手前、高度700メートル展望台からは帰る者がいるというのに。
 おそらく犯人はその三つのフロアのいずれかにいること。そして最上部にいる者たちは無事だと警視庁は見切りを付けた。この時歩瀬という男が現場を指揮していたが、むやみに突入してはならないと躊躇っていた。守護神の能力が用いられる犯罪においては、何が起こるのか分かったものでは無い。そのため、下手に強硬手段に踏み切ると、上空にとどまっている多くの人質の命が一斉に損なわれてしまうかもしれない。それゆえの躊躇、断腸の思いで下した待機命令。
 実際、待っていたからこそ増えてしまう犠牲もあるだろう。しかし、犯人の能力も不明、人質に取られた人数も不明、そんな状況で踏み入る訳には行かなかった。相手からの要求もまだ聞いていない。
 愉快犯、そうに違いないという声が大多数だった。自身が逃げ切ることすら考えていない予告状、さらには要求を訊いても答えようとしないところ、以上二点からテロ、あるいは騒動を楽しんでいるに違いないと上層部は判断した。
 それゆえ、相手の能力が割れ次第早いところ中に警官を送り込めと言っていたが、頑として歩瀬警部補は聞き入れない。上には多くの人々が残されており、ただ腕力が強いだけの守護神が窓を突き破り、そこから人質を放られるだけで警察側の敗北なのだからと。
 そしてその判断は正しかったと言えるだろう。夜に至るまで誰も突入せず、中の様子を待ち続けようとする判断は何も間違っていなかった。

 何も要求など告げてこない立てこもり犯。しかしその者は着々と、己の目的に向かって邁進していた。その者と、守護神、両者が待ち望んでいたのは夜が更けること。その日の陽が沈んで後の天気は晴れ、そして欠けることの無い満月が昇ると。

Re: 守護神アクセス ( No.74 )
日時: 2018/05/26 13:08
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

「ん? エレベーター動いてねえのか?」
「おかしいですねえ……まだ明るいのに」

 この電波塔のエレベーターは夜七時までは運航しているはずだ。それなのに、まだ陽も高いのに止まっているようであった。間違いなく先ほどまで動いていた、それなのにこれから下へと降りようとする二人の目の前で階層を示すオレンジ色したデジタルの数字がふっとこと切れるように消えてしまった。

「んー、定期メンテナンスとかか?」
「いや、するにしても営業時間にはしないと思います」
「だよなあ。何だろ? 下でトラブったかな」
「軽いものだといいんですけどね……。人身事故じゃないことを祈ります」
「怖い事言うなよ」

 でも怪我人がいないのが一番だなと、奏白も頷く。出会って半日も経っていないというのに、もう二人はとっくに打ち解けていた。知君から見た奏白はというと、自分の思う正義を貫く警察の鑑であった。それゆえ容易に心を開き、十という歳の差を意に介することも無くすんなりと受け入れていた。逆から見ても、礼儀正しい可愛らしい学生だ。拒む理由などどこにも無い。
 おそらく今日が終われば二度と会うことは無いだろうなどと考えていたためだろうか。今この瞬間だけは、一期一会の精神で楽しく過ごそうとお互いに考えていたのは。しかし、その短いはずだった交流の時は、予期せずして延長戦に突入することとなる。それも、随分と過酷な延長戦に。
 二人がエレベーター前で問答している様子を怪訝に思い、残された数人の客もエレベーター前に寄ってきた。動いていない、などという不穏な言葉が聞こえてきたためである。帰ることができないのではないか、そう恐れた人々は群がるように二人の元へやってきた。

「動かないって本当ですか?」
「あー、おう。何かボタン押しても昇ってくる様子が無くてな」

 かれこれ、一度目に押してから数分が経過している。ここに来たときはたかだか三十秒程度でやってきたというのにこれは異常だ。最高速度に至っては時速九十キロに達する超高速エレベーター、だというのに。
 やって来たのは小学生らしい男の子とその父親、他地方から観光に訪れたらしい三人組の若い女性、それと一人でここに来たのであろう大学生らしいバックパッカーだ。初めに不安そうに尋ねたのは、三人組の女性の中でも最も背が低いリスのような女性だった。小動物らしく怯えている。
 エレベーターが止まってしまった非常事態。しかし、伝える手段はどこにも無かった。何せ別にここは昇降機の内部という訳でもない。この電波塔自体が倒れない限り安全は保障されている。
 何となく、理屈など何も無いが虫の報せが働いた。これは事件の臭いがすると、四年と少々の捜査官としての警官が告げている。携帯電話を開いてみると、サイレントゆえに気が付かなかったが、真凜から一件の着信。その後メールが送られていたようで、開いてみる。
 文面は以下の通りだった。

『兄さん
 つい先ほど、ハイエストスカイリンクで立てこもり事件が起きたようです。
 犯人は歩瀬さんの見立てだと四階から六階のいずれかに潜伏中のようで、只今HSLは立ち入り禁止となっています。
 兄さんも今はphoneを持っていないので、いつものように首を突っ込まずに家にお帰り下さい』
「悪いな真凜、首を突っ込む気は無かったんだ」

 むしろただの被害者なんだよなと、奏白は項垂れた。項垂れると同時に、押し寄せる焦燥と不安。不安と言っても自分の身を案じる不安ではない。下では一体何が起こっているのだろうかと言った不安だった。それと同時に、ここにいる者を何とかして安全な地上へと送り届けなければならないという焦り。
 しかしどうしたものかと頭を抱える。どうして急にエレベーターが止まったのか。おそらく管制が奪われたと考えるのが最も妥当だろう。仕事柄耳にしたことがある。最も電力供給が行き届いているのは五百メートル地点。そこでは自家発電までも行われているのだとか。その理由は一つ、この電波塔自体の管制室が存在しているためだ。
 そのおフロアが乗っ取られたとなるとその部屋まで奪われたと考えるのが妥当だろう。いや、奪われている必要も無い。人質ならばいくらでも取れる。脅してしまえば容易いだろう。それにより、これ以上逃げる者が現れないようにとエレベーターを停止させた。
 不味い事になった。職員用の階段通路は確かに外壁に存在しているだろう。しかし、ここにいる人間が歩いておりられるとは到底思えない。辛うじて可能性があるとしたらバックパッカーの彼くらいだろうかと推測する。知君はきっと怯えてしまうだろう、あれだけ気弱なのだから。同様に、女性三人にも期待はできない。父親の方は可能性があるが、子供を置いてはいけないだろう。あの小さな男の子は見る限り、あまりの高さに怯え始めている。そんな子を外に放り出す訳にもいかない。

「やっべえな、こりゃ……」
「どうかしましたか?」
「いや、それが、ちょっとなあ……」

 この場で、今何が起きているのかを伝えたものかと奏白は思案する。自分の身分を知っているのは知君だけ、それゆえ他の者はまだ奏白が警官と知らない。彼が捜査官だと割れてしまえば、その彼が悩んでいるとはすなわち、ここで事件が起きたのではないかと結びつける者が現れてもおかしくない。
 後から真凜に怒られる覚悟だけ決める。メールへの返事を打ち込む。正直に、元々訪れる予定だったことを含めて運悪く現場に居合わせていると伝えた。最上階にいるが、ここではそもそも下の階層で何が起こっているのか誰も知らないということも。
 苦言や叱責が飛んでくるかと思えたが、流石に予期せぬ事件との邂逅だとは理解してくれたようで、その返事には驚きの言葉こそあれど、怒りの声など微塵も感じられなかった。むしろこちらの様子、特に居合わせた他の被害者たちを慮っているようである。

「何とかしてここの管制ハッキングしてくんねーか?」

 そんな内容のメールを送信する。そして昇降機を動かしてくれなければここに居る者たちを逃がすだなんてできない。サイバー犯罪対策課には、ナカバヒョウエと呼ばれる守護神がついている。かつて、城を乗っ取るという大挙を成し遂げた軍師の魂が、ハンニバルというELEVENの統治する異世界にて転生した姿。居城などを乗っ取る能力を持っているのだが、コンピューターを乗っ取る使い方もできる。それにより、ここの指令塔を取り戻してもう一度昇降機を動かしてもらおうと。
 返事は想像以上に早く来た。了解の旨が送られ、同時に上にいる人間には伝えておくべきだとの言葉。まだ時間はあるため、今のうちに真実を話して逃げることに集中させた方がいいだろうという考えのようだ。
 確かに、下に降りてから逃げろというのも難しい話だろうし、万が一降りたところに危ない人間がいたりしたらたまったものではない。それゆえ、その場にいる者を改めて集めてから彼は今何が起こっているのかを手短に告げた。




「つまり今、ここは危険だということですか?」
「そうなるな」

 男の子がどこかへ歩いていこうとするのを抱きかかえて引き留めながら、その父親は驚愕の色を露わにした。その会話の隙間を縫って、三人組の女性が割って入る。すっかり怯え切った様子で、縋るように一人堂々としている奏白の所に押し寄せた。

「えっ……ここは安全、なんですよね?」
「まあ、今のところはな」

 犯人がいると思われるのは、ここよりも下の階層だ。もしかしたら既にこの場に犯人がいるのかもしれないが、その可能性は薄いと踏んでいた。守護神アクセスが行われている波長の観測によると、下の方で守護神が呼び出されている痕跡。この場にいる人間には、守護神特有のあのオーラを纏う者が居ない。

「なら、解決するまでここに居た方が……」
「駄目だ、ここに誰も来ない保証が無い」
「でも、エレベーターは動いてませんよ」
「管制が向こうにある以上、向こうからはいくらでも稼働させられる。そうなれば、誰とも分からぬテロリストの準備が終わってから、俺たちは下りるしかなくなる。飛んで火にいる夏の虫だ」
「それは……」
「なら、相手の意図していないタイミングで先に逃げるしかない」

 まだ誰も動こうとする気配は無いらしい。犯人も自分が居るフロアの鎮圧に忙しいのだろうか、上の方まで気にかけている余裕はないのか。あるいは、別段ここの十名にも満たない人間に逃げられても問題は無いという事か。既に数百人は人質に取られている以上、それは十分にあり得る話だ。
 ともすれば、別段何も問題なく逃がしてもらえるのではないか。少なくとも、ここにいる人々を無傷に逃がせそうな光明が見えてくる。いかに守護神の能力を持っているからと言って、警察への要求と、大暴動の人質の鎮圧、さらには元々勤務している作業員への脅迫など、ストレスも負担も半端では無いはずだ。
 そう言った情報を、怯え切った者たちに一つ一つ説明する。大丈夫だ、むしろ今しか無いと。一番幼い子供は、今の状況を今一理解していないようであった。しかし、無理に怖がらせる必要も無いのでそのまま話を続ける。

「……絶対大丈夫、なんですよね」
「ああ。何かあったらできるだけ俺が皆を護るんで」

 といっても今日はphoneを持って来ていない。犯人と鉢合わせたら、それこそ壁になる以外の用途が無い。だからこそ急がねばならない。まだ入り口が閉ざされてはいない。さらには、出入り口のある一階の様子を見る限り、そこには被害者は当然として立てこもり犯と思われる人影すらない。
 今乗ろうとしているエレベーターは、一応一階までも行く事が出来る。チケットを購入するフロアは四階であるが、非常用の連絡通路として一階までつながっている。
 全員が納得すると同時に、警視庁側のハッキングも成功したようだ。死んだように動きを止めていたエレベーターのパネルに再び光が灯る。モーターの駆動音、少し待つだけで、下からすさまじい勢いで鉄の箱がやってくる。ゆっくりとブレーキをかけながら目の前で停止、口を開き、乗り込めと指示しているようだった。
 最大で三十人まで乗ることができるため、その場の人間は全員一斉に飛び乗った。下りる途中で700メートル地点に止まり、そこでも待ちぼうけをくらっていた十数名を回収した。もうそこでは説明するだけ手間だと判断したのか、ハイエストスカイリンクに凶悪犯が立てこもっているから早いところ入り口から逃げ出せとだけ指示した。狂言だと思われぬよう警察手帳だけ見せる。
 途端に青ざめた人々が我先に扉の前に立とうとするが、慌てたら余計に逃げ遅れるぞと、鋭い声で一喝。静まり返った所に、今はまだ下は安全だと諭すように説く。警察である身分の証明、そしてその奏白の鬼気迫る表情に、大人しく人々は従った。
 押したりせずに一人ずつ確実に降りろ。扉が開くと同時に奏白はそう指示した。その代わり、扉を出たらその後は一心不乱に外へ走れと言い添えて。
 一人一人、その言いつけを護って通路へと出る。出ると同時に全力疾走。これ以上ない速さで入り口まで。とりあえず初めに、子供がいるならその親子と、走りにくいヒールの女性を降ろした。その後ろから追い抜くことができるような男たちが続く。
 ただ、意外なことに最後まで残ったのは、さっきまでずっと仲良く談笑していた知君だった。

「おい、君もそこまで脚速くないだろ! 早く行け!」
「貴方も最後ですよ、急いでください」
「分かってるよ!」

 無人のエレベーターを背中で見送り、先に出した人々の背中を追って走り出す。しかし、知君より前に立つ訳にもいかない奏白は、時折後ろを振り返りながら追っ手が居ないかを確かめていた。
 前方では最初に飛び出した女性たちが塔の外へと脱出することに成功していた。その後を追うように、次々と生還者が。自分たちも早いところ行かないとなと、礼儀正しい少年の背中を押して急かした。
 その時だ、今まで息を潜めていたテロリスト、その息遣いが二人にも聞こえてきたのは。機械の駆動する、ゴウンと鳴り響く低い音。何かと思えば、防火用のシャッターが下り始めていた。それも、この電波塔内部と外とを隔てるところで。

「やっべ! おい皆、閉まる前にさっさと飛び出せ!」

 焦って足がもつれている者もいた。しかし、扉が閉まり切るまでにまだ猶予はある。普通に進めばまず逃げ切れるだろう。もう大丈夫だと、ホッと一息ついた所で、耳慣れぬ小さな金属音がこだました。
 それは、小さな男の子のポケットから転がり落ちていた。このハイエストスカイリンクにしか売っていない、国民的アニメの人気キャラクターのイラストが描かれたキーホルダー。あっ、と小さな声を上げて立ち上がる男の子。しかし、その父親はその様子に気が付いていない。走りっぱなしの人々は皆、そのキーホルダーなぞ置き去りにしてしまった。当然、奏白とて同じだ。
 そのキーホルダーを取りに少年が戻ったのは仕方の無い事だった。未だに、父を含むその場の者が急いでいる理由など完璧には呑み込めていなかった。しかもそこに描かれているキャラクターは彼にとって、大好きな登場人物。年端もいかない子供なら、引き返す理由になる。
 もうすぐ出口、防火扉はもうすぐそこまで降りている。その時だ、Uターンして戻ってきた少年が、奏白の脇をすり抜けていったのは。

「ばっ……」

 立ち止まろうと急ブレーキをかける奏白。キーホルダーはもう、かなりの後方だ。今からまた出口に走れば間に合うだろうが、あの位置まで戻るとそれは不可能だ。
 何とかして引き留めないと。急いでその子を追いかけ、後ろから持ち上げる。暴れられてしまうが、それでも仕方ない。脇に抱えてそのまま入口へと走る。

「放してよ! あれ、ここでしか売ってないんだよ!」
「悪いな、今俺はもっと大事なもん抱えてんだよ」
「僕しか抱えてないじゃん!」
「それが大事だっつってんだよ」

 ようやく気が付いたのか、出口の外で父親は顔を真っ青にしていた。シャッターはもう、額の辺りまで降りてきている。不味い、これ以上暴れられては間に合わない。そう思っていたその時だ、横から知君が手を出してきたのは。未開封の、自分で買っていた同じキーホルダーを少年に手渡す。
 これでいい? そう尋ねる彼の顔は、この状況に似つかわしくなく、柔和な笑みを浮かべていた。どうして一般人だというのに、この現状にこれだけ落ち着いていられるのだろうか。

「じゃあもう、外に向かって自力で走れますか?」
「うん! ありがとうお兄ちゃん」

 抱えていた少年を自分で立たせてやる。三人が出口にたどり着いた時、もう既に扉は奏白の膝の辺りまで降りていた。まだ小さい男の子はひょいと屈んで通り抜けていったが、知君と奏白には無理な相談だった。閉め切られてしまった電波塔に、二人だけが取り残される。

「てかさ君、何で引き返してんだよ。あんな事してなかったら外出られたろ」
「その……あのままだとあの子が間に合わない気がして……」
「とんだお人好しだな、お前」
「そうですね。……でも、仕方ないですよ僕たちは」
「僕たち?」
「警察の方ですよね?」
「俺はな。でも君は違うだろ? その制服、どっかの高校生だろ」
「それに間違いはありません、でも……」

 僕は、『この国で警察になるために』生まれてきましたから。そう、力強い声で彼はそう言った。

Re: 守護神アクセス ( No.75 )
日時: 2018/05/26 15:45
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 僕は、『この国で警察になるために』生まれてきましたから。そう、力強い声で彼はそう言った。

「警察になるために生まれた、って随分大げさだな君」
「僕にも色々あるんですよ」

 胸を締め付けるようなポーチの紐をぎゅっと握りしめた。背中に潜む小さな黒い箱が、意思を持って自分のことを締め上げようとしているよう思えたからだ。自分で吐き出した言葉に囚われてしまいそうになる。僕は本当にそんな未来を望んでいるのかと。さらには、そんな未来が来てくれるとも限らない。
 何となく息苦しいけれど、無理に笑顔を作ってみる。痛みに、苦しみに耐えるのは慣れている。我慢なんてお手の物だ。どれだけ電流を流されても涙一つ流さずに済むように育てられた。努力しているのに誰も認めてくれない圧迫感も。
 目の前の捜査官はというと、得心のいかぬ様子で、穏やかにほほ笑む少年をじっと見つめていた。と言っても、それは疑念に近い感情からのものであった。
 こんな状況に至って、一介の高校生が平常心を保っているのが不可解だった。思えば、最上階に居た時も、エレベーターにいた時も、自分よりも他の者を優先させており、取り乱した様子は見られなかった。
 もしやこいつ、犯人と何かしらの繋がりがあるのではないか。それも疑ってしまうくらいに。そもそも制服を着たまま一人で来ているというのも変な話だと初対面の際に感じたではないかと振り返る。
 しかし奏白は、その疑念を強く否定した。そんな事があるはずがないだろうと。そもそもこの少年は、行きずりのひったくりに財布を奪われ駆けるほどには隙が多い。それが既にシナリオだったというなら大したものだが、今日奏白がここに訪れるとは誰も知らなかったろうし、知っていたところでアマデウスを呼べない今の彼を欺く必要性など無い。
 疑念の余地を全て捨てた奏白は、意識を切り替えるために、短く強く、息を吐き出した。閉じ込められた事実の方へと目を向ける。どうにかして脱出できはしないだろうかと。

「あの……」
「お、どした?」
「名前を訊いてもいいですか? 僕は知君っていうんですけど」

 いつまでも君、とお兄さん、ではやりにくいとのことだった。知君、全知の「知」と暴君の「君」、そう彼は教えた。どういう言葉の取り合わせだよと、奏白は破顔する。そのまま自分の名前は楽器を奏でる「奏」に、真っ白の「白」と書くことを教えた。警察手帳を開いて、名前を確認させる。

「これで、かなしろ、って読むんだ」
「へえ、綺麗な名前ですね」
「ありがとな、音也兄さんって呼んでもいいぜ」
「流石にそれは慣れ慣れしいですね……奏白さんでいいですか?」
「いいぜ、じゃあ知君はこれからどうする?」

 どうするもこうするも、知君はもう一度周囲の様子をぐるりと見まわして、頭を抱えた。出口らしい出口は粗方閉ざされている。非常口もあるらしいが、非常口を開けるのは電子ロックによって制御されている。わざわざ防火用シャッターを下ろしたことを考えれば、非常口は閉ざされているに違いない。

「うーん、参りましたね」
「もう逃げるって手段は取れないよなこれじゃ」
「外の警官達が突入してくるのを待つしかないでしょうね」
「でも、そうなると上の階の人質がどうなるか分かったものじゃないしなあ」

 確かにここに捕らえられているのは自分たちだけでは無いと知君は思い出す。上の階から逃げそびれた人はそれこそ、山ほどいるのだろう。

「でも……防火扉が下りたということは不味くないですか?」
「あー……やっぱ気づく?」
「ええ。エレベーターを動かした際には奪っていた管制が、また向こうに取り返されたんですよね」
「そうみたいだな。真凜からメール来てる」

 電波塔にハッキングするためのアクセス通路が閉ざされたせいで、この電波塔内部を支配している電子指令系統は、内部にいる者に完全に掌握されてしまった。外からの操作はもう受け付けていないのだとか。となるともう、この建物の壁を壊すくらいしか考えられないが、生身の人間二人にそんなことはできない。窓ガラスに至るまで全てのガラスは強化ガラス、鉄の骨組みなども折れる訳が無い。

「真凜さん……? 恋人ですか?」
「いや、妹だ」

 あいつも警察で働いているからと補足して、追加でやってきた情報に目を走らせる。犯人からの要求は未だとして無いようだったが、通信中の会話から分かったことがいくつかある。まず初めに、相手は犯罪グループなどではなく、たった一人の契約者であることだ。我々、という言い方を一度も使わず。私は、私は、と口にする様子から犯人へ尋ねてみたら自分一人の単独犯だと答えたらしい。
 動機を尋ねてもみたらしいが、それに関しては結局分からなかったらしい。

「理由など無い。私はせねばならないことがある。そのように運命づけられている。私の物語を推し進めるのは私だ、お前たちにページをめくる手を止める権利は無い」

 と、本人にしか理解できない使命感にかられた言葉が、やけに奇妙に胸に引っかかるくらいだったという。ただ、その犯人を突き動かす動機こそ分からなかったものの、犯人が主張している、たった一つの要求は明らかになったという。夜が更けるまで自由にさせろとのことだった。まるで夜この場にいることが何よりも大切だと言わんかの如く。

「この建物、特別大事なものなんて無いはずなんだよな」
「国最大の電波塔が奪われたというのは沽券に関わりそうですが」
「ああ、でも。それだけなんだよ」

 昼でも夜でもこの建物の重要性は変わらない。それなのに犯人は、夜半に何か目的を達成するつもりなのだろう。

「わり、電話来た」

 どうした真凜、通話を始めた奏白はまず初めにそう口にした。大事な情報源、それゆえ知君は二人の会話を黙って見守った。初めから真剣そうにしていた奏白だったが、段々と眉間に皺を寄せて神妙な面持ちになっていく。
 三分ほど経ち、親指を爪を噛みながら電話を切った彼に、知君は尋ねた。一体どうなっているのか教えて欲しいと。

「そうだな、君に教えない理由は無い」

 今聞いた話を、どうオブラートに包んだものだろうかと頭を抱える。しかし、目の前の自分よりも動じていない少年の姿から、別段隠し立てする必要などないと判断した。

「とりあえず今、外部から内部に干渉する方法は無い」
「厳しいですね……。中には誰も、何とかできそうな人なんて」
「そして犯人は人質をどう取り扱うかとかは教える気は無いみたいだ」

 けれども一応、死者は出ていないようではある。それだけは犯人が保証していた。一人でも死んでしまえばそれだけで警察が強硬手段に出てくる可能性を危惧しての事らしい。君らが大人しくしている間は誰も死人はでやしないからと、安心させているようだ。

「じゃあもう、やっぱり待つしか無いんですかね」
「駄目だ、夜になって目的を達成されてしまうと、人質がいる意味を失う。そうなれば何人が死んで何人が帰れたものか分からない。そもそも立てこもり犯の要求を飲んでしまったと知れたら、面目丸つぶれだしな。何とかしなくちゃいけない」
「じゃあ、どうやって……」
「俺がやる」
「そんな、phoneも無いのに!」
「しゃあねえよ、他に居合わせた警官もいねえし」
「此方と違って向こうは守護神がいるんですよ」

 大丈夫だと、確信を持った瞳で彼は目の前で初めて動揺した少年へと告げた。

「立てこもり犯の従えている守護神が分かった」

 Phoneが異世界と交信するために発する波長、それを解析すればアクセスナンバーは少なくとも知ることが出来る。それを元に署内の捜査官の守護神に心当たりが無いかを尋ねたところ、クラレッタという守護神を持つ者が知っていたという。

「今回現れた守護神、アクセスナンバーは666。ドルフコーストって名前らしい」

 能力の詳細を得ることはできなかったが、守護神としての肉体の器はそれほど強固な代物ではないとのことだった。

「多分取り押さえられる。てか最悪、アクセスが途絶えた瞬間に押さえちまえば生身での戦いだろ、余裕余裕」
「でも、どうやって近づくつもりなんですか?」
「あー、それに関しては知君には申し訳ないんだけどよ」

 続く言葉をわざわざ奏白が言う必要はあまりなかった。静まり返った広間に、チンと鐘の鳴る音。来ちまったかと頭を抱え、エレベーターのある方に目を向ける。

「奏白さん、あれって……」
「そうなんだよな、不味い事に」

 連中がついに動き始めやがった。エレベーターの上限いっぱい、三十人の追っ手が降り立った。老若男女様々で、本来人質だった面々が適当に選抜されたような具合だ。

「知君、逃げる準備はできてるか?」
「鬼ごっこは苦手なんですけどね」
「かくれんぼだったら得意なんじゃね?」
「割と人目を避けるのは得意ですよ」

 もう逃げることなどできそうにも無い。それゆえ二人は顔を見合わせてニッと笑った。そう、どうせ逃げられない。こちらの存在も監視カメラを通じてバレてしまった。とすればもう、立ち向かうしか残されていないではないか。

「高いところ苦手とかあるか?」
「いえ、別段問題ありません」
「オーケー、まずは四階から屋内階段を上って、十階の外に繋がる非常階段に出る、その後は……」
「一気に上まで駆け上がる! ……ですよね?」
「ああ。真凜伝いに上司からめっちゃくちゃな指示飛んで来やがった」
「警察官も大変ですね」
「お前も、そうなるために生まれてきたんだろ?」
「なりたいとは言ってないんですけどね」
「じゃあ何であんな事言ったんだよ」

 苦笑する奏白、しかし呑気にはしていられない。もうすぐ近くまで、我を失ったような人々が迫っていた。何となくその様子には、操られているような雰囲気は無かった。何らかの条件をつけて脅されているのだろうか。

「行くぜ知君、はぐれんなよ!」
「善処します」

 目指すは上空400メートル。誰が鳴らした訳でもない、スタートを告げる号砲。弾丸のように真っすぐ、奥へ奥へ、上へ上へと二人は全速力で駆け出した。

Re: 守護神アクセス ( No.76 )
日時: 2018/05/27 23:37
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 統率がとられている訳でもなく、思い思いに近寄ってくる人影。どの顔ぶれも、その表情はやけに硬かった。緊張や恐怖で強張っているというより、文字通り何も感じていないような。言われた通りに忠実に行動する人形のようだ。
 出口が閉まっているのは向こうから見ても分かるだろうに、二人の姿を確認したと同時にそちらへ向かって一目散。躊躇も思考も感じられず、ただ下された命令にそのまま従っただけ。ラジコンやロボットを見ている心地だった。
 二人がその群れから逸れるように走り出すと、追随して背中を追うように連中も進路を変える。やっぱり狙いは自分たちかと奏白は悪態の代わりに道の脇に唾を吐いた。

「汚いですよ奏白さん」
「言ってる場合かよ」
「いや、今のをする意味も無かったかと」
「だりい、死ねとかいうのは警官的に不味いじゃん?」
「ああ、その代わりだったんですか」

 呆れた声音の知君。走る速度は遅いようだが、体力はあるのかと奏白は感心した。実のところ、疲労を苦しいと思っておらず、酸欠で頭が白みそうになっても走り続けられるだけなのだが。
 看板や、売店で商品が並んでいるラックなどを盾にして並べる。ちょっと引っ張って雑にバリケードにするだけで、後続はそれを丁寧にどかす必要が出る。エレベーターに乗ってしまえば上空400メートルもすぐなんだけどな。楽をしたいのを堪えて、中央の方にある階段へと向かう。取り残された来場者がいるとしたらかなり上の方ぐらいだろうから、階段の真正面から鉢合わせて挟み撃ちになるとは考えにくい。

「あんまりおじいさんとかはいないんですね」
「やっぱ観光地だし、人ごみってだけでも疲れるだろうし避けんじゃね?」
「確かに、わざわざご老人が来るような所では無いですね」
「そうそう、何とかと煙ぐれえだよ、高い所に登んのは」
「自虐は構いませんけど、他の人を巻き込むのはどうかと思います」
「礼儀正しいお坊ちゃんかと思ってたけど、意外と冗談いけるクチか?」
「いえ、普段はあまり。何だか奏白さんに引きずられちゃって」
「へへ、目指してくれてもいいぜ」
「辞退しますね」

 否定するの早すぎねえかと、ジトリと恨みがましい目を向ける。ついでに後方を確認してみると、追っ手の足取りは割と離れているようだった。さっきから知君の方がバリケードづくりをしているが、適当にやっているように見えて効率的に塞いでいるようである。
 重そうな棚であれば押し倒している辺り、抜けているようで案外窮地でも頭が回るのだろうか。Phoneがないというハンデは確かにあまりにも痛すぎるが、思いの外有難い助っ人がやけに心強かった。ようやく階段にたどり着いた。一段飛ばしで駆けあがり、四階へ。それだけで息が上がりそうになる。

「知君、体力大丈夫か?」
「問題ないです」
「オッケー、ここ抜けたら監視カメラのほとんどない所に着く。目的の階段はその先だから俺らの行き先も掴みにくくなるだろ。そこで一旦休憩するぞ」

 問題無いと口にする知君、しかしその額に、首筋に、大粒の汗が滴っているのを目にすれば、それが気休めだとはすぐに分かる。声は落ち着いているようでいて、喘ぎがちだ。涼し気な顔で走り続けているのが不思議なくらいに。
 真凜から送られたメールに添付されたスカイリンクの見取り図。後十メートルほど進めばカメラの撮影圏外。その地点へと踏み入ったものの、流石にすぐには立ち止まれない。一気に階段までたどり着き、一度立ち止まる。耳を澄ましても足音が聞こえてくる様子は無い。それは背後からにしても同じようだった。ここに至る過程で、まく事ができたのだろう。
 潜めた声でお互いに耳打ちするように会話する。ここから先の段取りについて、詳細な確認のためだ。

「ここから十階まで上がる」
「十階には何があるんですか?」
「外に繋がる連絡通路がある。いつもは従業員が監視しているから通れないけど、今なら大丈夫だ」
「ロックの方は?」
「今言った通り、普段は人間が見張ってるからな。特に電子ロックはねえよ。むしろ作業員が中から出ていくだけあって、普通にシリンダー捻ったら鍵は開く」
「なるほど、そこ以外に使えそうな出入口は……」
「無い」
「分かりました」

 話すうちに両者の呼吸が落ち着いてくる。奏白は少々体が火照る程度にしか疲労してなかったため、すぐに息は整った。知君の方は、まだ少し肩が上下している様子があるが、これ以上悠長にはしていられない。遠くから足音が近づく気配が気取られる。
 こちらの足音が聞こえてしまう前に進もうと奏白は言う。ただし、できるだけスタミナは温存しておきたいし、発見のリスクも避けたい。関係者以外立ち入り禁止の階段を、足音を殺しながら一歩一歩着実に上へと進む。

「まだこちらに来てはいないみたいですね」
「何となくだけど、あいつらもしかしたらこっち来れないのかもな」
「と、言いますと?」
「うーんと、一階にいる時さ、俺たち色んな商品とか棚とかぐちゃぐちゃにして足止めしたじゃん?」
「ええ」
「あいつらそれを乱暴に押しのけたり、突き飛ばして倒した上でその上踏んでいけばいいのに、わざわざ道の脇に丁寧に避けてたじゃん?」
「すみません、振り返っているそれを見る余裕はありませんでした……」
「そういや疲れ切ってたもんな」
「すみません……」

 謝らなくていいよと、少年を宥めるために彼は笑顔を作った。邪気の無いその柔和な表情に、知君も心安らぐ。それなら良かったと、言葉には出さないものの、安堵のため息が漏れたのは、常日頃様々な声を耳にしている奏白には充分に察せられた。

「とりあえず、あいつら暴走してるように見えて、常識を持ったまま行動してるみたいなんだよ」
「それがどうかしましたか?」
「ここ、一般の来場者立ち入り禁止なんだ」

 そこまで言われれば、すぐに理解できた。関係者以外立ち入り禁止のこのエリアに、入ろうという発想がまず出てこないのではないかという意見を。確かにそれもあり得なくは無い話だなと思われる。
 そもそも、逃げる自分たちを追うという非日常的な指令を受けた最中、一々散らばったものを丁寧に除けるような駒だ。一般的な人間の行動パターンに、得物を追うというプログラムが新規で加えられただけのもの。本人の意識こそ失っているようであったが、理性や常識といったものは持ち続けているのではないかという仮説。
 今二人がいる地点は、関係者専用の裏道に入り、扉を二枚くぐって少し歩いた先にある。その場所に足音が一定以上近づいてくる様子が無いという事は、この場に立ち入られる危険性が少ないことを裏付けているようであった。
 まだ陽は高くなっているが、時刻はもう四時。どの程度、上まで駆け上るのに時間を要するかは分からないが、できることならば五時までにはたどり着きたい。夜の定義が果たして何時なのかはこのタワージャックを為した張本人しか知らないだろうが、早いに越したことは無い。

「さてと……十階の様子は……」
「誰もいませんね」
「従業員までいないってなると変だけどな……」

 本来働いていた職員も逃げ遅れていてしかるべきだ。それなのに、一階から四階までそういった人間に一人も出会わなかった。売店の売り子もいなくなっていたはずだ。非難が成功していたのなら何も問題は無いが、実はこの中に敵として潜んでいる、その可能性を考えれば警戒せざるを得ない。
 実際のところは、急にこの塔全体のシステムを統括している本部、言い換えるならば奏白が度々管制と呼んでいた部屋の人との連絡が途絶えたのが原因だった。本部の人間が応答しなくなり、これは危険だと判断した作業員が次々と上の方の様子を見に行き、次々と被害が増えたためだ。
 それゆえ、犯人の影響を受けずにいる電波塔本来の作業員はもう居なかった。一部の作業員は、有事の際に自らが警備員となれるよう、強力な守護神を宿している者が配備されているが、そういった者すらも返り討ちにされたのだ。
 フェアリーテイルほどでもない、真凜や知君と比べるとそのナンバーはあまり大したことなく思える。しかし、奏白 音也のアマデウスと、ドルフコーストのナンバーは、たかだか17しか変わらない。捜査官の次期エースと言わしめるような男にそれだけ差し迫る能力者が、一介の作業員程度に鎮圧される可能性は無いに等しい。

「こっから外に出るぞ」
「はい」
「多分上に辿り着くまでは安心だ。お前はここで待っててくれても大丈夫だぞ」

 これ以上、民間人巻き込むのもしのびないからなと奏白は口にする。知君自身、自分は琴割に作られた、正義の使徒としての器だという思い込みが先行していたが、冷静に考え直せば自分はただの高校生にしか見えない。そう言われてしまうのも仕方ないかと納得する。
 しかし、知君の中にはもう退くという選択肢は無かった。

「一人だと心細いんで付いて行きます」
「それもそうか。安全って保証ないもんな」
「ええ、最悪自分の身は自分で守りますから」
「ほんとにできんのかぁ?」

 その細い体で。不安そうに見つめる奏白。しかし大丈夫だと知君は言い張る。最悪callingなど行う必要も無い。元凶の人物がどんな能力を使ってきたところで、その能力は知君に影響を及ぼさない。
 それを自覚した途端に、背中に寄り添うショルダーポーチがずしりと重みを増したような錯覚が押し寄せる。また、胸の紐が締め付けられるあの感覚。早いとこ余に縋れば解決してしまうぞと、あの男が囁いてくる声が今にも聞こえてきそうだった。
 疲労で熱くなった顔が青ざめていくのを自覚した。不味いと、意識のスイッチ一つでそれを抑制する。心臓は確かに、ずっと前から荒ぶっていた。しかし今この瞬間において、不規則にバクバク大きな音を立てて暴れる拍動は、激しい運動の結果引き起こされたとは考えにくかった。

「もう少し休むか?」
「いえ、大丈夫です。ただ……」

 できれば300メートルに着いた辺りで一度休憩が欲しいですと、リラックスさせるためにおどけたように奏白に告げる。

「確かに、本拠地に踏み入る前に一度休んどいた方が良いだろうしな」

 知君はお世辞にも演技が上手い方ではない。けれども彼にはたった一つ、誰にも看破できない嘘を吐くことができる。辛いのをひたすらに押し殺して、平気だと欺くための嘘だ。
 上層へと足を運ぶ二つの影。二人の姿は幸いにも、その足取りを追っていた立てこもり犯には捉えられていなかった。だが、絶対の自信を持つドルフコーストとその契約者は、物語が進む頁をひたすらにめくり続ける。

 迫る影を、待ち構えるように。

Re: 守護神アクセス ( No.77 )
日時: 2022/05/26 21:12
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

「さてと、ここらで一度休憩挟んでおくか」
「そうですね。それにしても……随分登って来ましたね」
「まあな。東京タワーはもうすぐ追い抜くってとこだろうな」

 脚は大丈夫かと、まだ余裕のありそうな奏白は、隣に立つ彼に尋ねた。問題ありませんと笑う彼だが、実際の所足取りは段々重くなっていた。正直に答えろと厳しい声音でもう一度問う。微笑みが苦笑いに変化して、乾いた声が口から漏れた。

「ちょっと脚が棒みたいになってきましたね」
「ったく、端からそう言えよ」
「すみません、我慢しがちなんですよね」
「いいよ、迷惑かけたくなかったんだろ」
「はい」
「でもな、俺から見たら君も護るべき市民なんだよ。しんどい時にはしんどいって言え」
「前向きに検討しますね」
「そこもはいの一言で答えろよ……」

 意地でもやせ我慢を続けようとするその様子に、とうとう奏白の方が折れた。どうしてこうも俺の周りには無茶しがちな若造が多いのかねと嘆息を一つ。脳裏を過るのは、ポニーテールを揺らす妹の姿だった。そう言えば連絡が途絶えているがどうなっているのだろうかと、スマホを開いた。
 特に連絡は入っていない。おそらく、彼女は彼女で自分の管轄の仕事をしているのだろうと推測し、代わりに何か情報を得られないかとワンセグを繋いでみた。日曜の夕方に報道されているニュース番組が画面に現れる。見慣れた顔のアナウンサーが、今日も報道を促していた。夕刻のニュース、二つ目のトピックには今まさに自分たちがまきこまれているハイエストスカイリンクの立てこもり事件が挙がっていた。

「このままこの番組見て状況把握するか」
「そうですね」

 二人は黙って、画面中の男の話に耳を傾ける。渦中の話題の一つ手前のトピックは、パブロルイスと呼ばれる守護神の契約者がついに見つかったことに関してであった。ピカソが転生した姿である、十人目のELEVENである。
 まだパブロルイスに関しては取材が進んでいないのか、ニュースで取り上げられるELEVENが切り替わった。それは、数年前に見つかった、九人目のELEVENだ。名をキングアーサーと言い、ELEVEN屈指の身体能力と剣の技巧を有する。
 キングアーサー、アクセスナンバーは102、伝承界に住まう守護神を統べる王。神話や各地の古い伝え話に出てくるような、実在とフィクションの狭間にいるような人物が住む世界。日本で言うと、真田十雄姿などが該当するだろうか。奏白の身近な人間で言うと、まさしくアーサー王伝説に出てくる予言の魔法使い、マーリンことメルリヌスもここの住人である。
 その異世界の統率者であるELEVEN、キングアーサー。その存在こそ既に知られていたが、契約者が見つかっていなかった。しかし日本時刻で言う昨日の十九時。ロンドンに住む当時十八の少女がその契約者だと発覚した。それゆえ、地上に存在するELEVENがとうとう十名となったのだと、鼻の穴を大きくしながらアナウンサーは主張していた。残すところは最上人の界に住まうELEVENのみだと。
 その最後のELEVENが、ひどく傲慢なことだけは以前から存在していた残るELEVEN達から聞いていた。そのアクセスナンバーも割れている。ただし、その契約者は地上にはいないと彼らはそれぞれ口にしていた。あの強欲な王が、自分の力を人間なんぞに貸す訳が無いと。
 それゆえ、ELEVENと言いながらも実際のところ、人間界から見れば十人しかいないも同然だった。

「能力は万物を両断する、か。ELEVENにありがちなどうとでも取れる能力だな」
「多分、他人の絆や物事の因果関係まで断ち切りますね、これ」
「こっわ」
「それでもジャンヌダルクやシェヘラザードよりましですよ」

 彼女らは自分にとって辛い道を拒み、楽な道を自分勝手に作り上げることができる。嫌いなものからは簡単に逃げられる、そんな力を秘めた連中よりかはよほど真っすぐで潔い能力だと知君は語る。
 それもそうかと納得した奏白だったが、知君がやけに詳しいのが腑に落ちなかった。もしかしたら、こいつも守護神に憧れているタイプの学生なのかと、奏白は尊敬している先輩、その弟に関する噂話を思い出した。
 と同時に、トピックが次のものに切り替わった。雑談をしていた口を互いに閉ざし、画面に集中し直す。アナウンサーはキャスターにバトンタッチし、映像はスタジオから電波塔の足元に切り替わった。
 中々、おぞましい光景が広がっていた。下層の外壁は全面ガラス張りで中の様子が見えるようになっているのだが、一階から四階まで、これまでずっとロクマル付近で幽閉されていた人質で溢れかえっていた。うじゃうじゃと多数の人影が、顔色一つ変えることも無く、ロボットのように規則正しく徘徊している。等間隔で並び歩いているその様子は、コンベアで運ばれる工場のパーツのようだ。
 おそらくは自分たちを探しているのだろうなと想像はつく。カメラは次に周壁をぐるりと見まわすように、東西南北に設置された撮影車からの映像を、順々に切り替えて放映した。電波塔全身の様子が明らかになる。その内の一台、外部に設置された職員用の階段を捉えたカメラがズームになった。遠くの視界に焦点を当てて、グッと近づいていく。大体200メートル地点。そこには、淡々と階段を駆け上がり続ける何十人もの姿。
 それを目にした二人は目を丸くする。まだ100メートルほど離れているようだが、それでも着実に追っ手が迫っている現実に。慌てる必要はまだない。歩きながらでも上を目指そうと、どちらから言うでもなく再び登り始める。時刻は五時を少し回っていた。段々と、太陽は西の地平線に近寄っている。

「時間も無いってのに下から追っても来てんのかよ……」
「ただ、これを見る限り上はあまり人がいなさそうですね」
「そこが唯一の救いだな。とりあえず真下十メートルぐらいはこっからでも見える。ある程度近づいてくるまでは体力を温存できるペースで進もう」

 アマデウスさえ呼ぶことができれば、奏白はその言葉を飲み込んだ。それさえできればすぐにでも犯人の所まで駆け付けて、人垣押しのけて検挙できるというのに。だが、phoneを置いてきてしまっていたので、それも不可能だ。
 ただこの時、それを口にしていればその後の運命は大きく変わっていた事だろう。何せ知君が背負う鞄の中には、誰にでも使えるphoneが眠っていたのだから。

「警察は動いていないって報道されてますけど、奏白さんの事は情報開示しないことになってるんですか?」
「ああ。だってそのせいで犯人に勘付かれたらどうなったものか分からねえしな」
「確かにそうですね」

 映像は奏白達を映さないように巧みに撮られていた。上の様子と下の様子を、丁度奏白に伝えようとするように。上から寄せる人波は無い。おそらく、本当にこの階段伝いに二人が迫っているとは思っていないのだろう。あるいは、主犯の考えでなく、駒が自分で考えて階段を上り始めたか、だ。

「400メートル地点、とりあえずそこで……」
「仕掛けるんですね」

 そのつもりだと頷く奏白。呼応するように知君も、黙ったまま深く息を吸い、思い切り吐き出す。顔を両手で叩いて喝を入れる。疲労でぼやけていた頭も急に冴え渡った。
 少しずつ、足裏が鉄の板を踏み叩く音が重なる斉唱が下方から聞こえてきた。ついにうかうかしていられない距離にまで近づいてきた足音から、遠ざかるように二人は歩みを速める。まだそれほど近くは無い。しかし、この後上に着いてから扉を開けるのにも時間を要すると思えば急がなくてはならない。
 早足で段差を登り続ける。またしても疲労で足が痛くて熱く、さらには重苦しくなってきたが、泣き言は言ってられない。そうこうしているうちにも、陽は沈みつつある。五時半も回れば、東の空からは満月がほんの少しだけ顔を見せていた。まだ明るい夕空に、薄く、存在感すら朧げな弧が、覗き見しているようであった。
 そしてようやく、二人は目的の場所に辿り着いた。後方から迫っていた軍勢の気配は、今は感じ取れない。途中から速度を上げたためだろうか、さっきよりは距離が開いたようだった。もう太陽は下方三分の一程度が大地の下に隠れてしまい、月はというともうほとんどその姿を露わにしていた。

「うっし、着いたな」
「それで、どうやって中に入るんですか」
「ドアぶち破る」
「流石に厳しくないですか?」

 目の前の扉は、特別頑丈という程ではなさそうだが、それでも人力で無理やり突破するにはあまりに強固に映る。ちょっとやそっと体当たりしたところで、別段筋肉の達磨でもないこの二人では破れるとは思えない。
 実際、彼らが二人そろって無理やり押してもびくともしない。最悪ダクトがあるためそこから入れなくも無いのだが、ダクトだと次何処に出るか分かったものではない。敵陣ど真ん中以外に出口が無いと言った状況にも陥りかねない。
 ずしんずしんと、肉体がガラス張りのドアに打ち付けられる。その扉のガラスは強化ガラスでは無いようだが、それでも守護神アクセスしていない肉体には充分すぎる障壁だ。段々と、下からまた行進の声。薄い鉄板が何重にも打ち鳴らされて、田んぼ脇の蛙のコーラスのように五月蠅い。かつて己を管理していた埼玉の研究所、その周囲の田んぼの梅雨明けの景色を思い出した。
 このままじゃ本当に、ダクト以外選択肢が無いかもな。そんな風に、汗を浮かべ決死の形相で堅牢な扉と向き合っていた時の事だった。シリンダーの回る小さな音。それと同時に、薄く扉が開いた。
 小さく驚嘆の息を漏らし、二人は揃って一歩退いた。何事かと思っても、目の前に誰もいない。そう思っていたのだが、か細い声が足元の方から聞こえてきた。

「入っていいよ」

 膝の高さ辺りに、怯えた小さな顔。さくらんぼのヘアゴムが特徴的な幼い女の子が、真っ赤になった目と嗄れた声で二人を招き入れた。その顔色に、彼女はまだ操られていないと判断し、心を許した即座は電波塔内部に飛び込んだ。すぐにまた鍵を閉めて、外から誰も入ってこられないようにする。
 こっちだと、手を引かれるままに通路の脇の薄暗い備品置き場に案内される。そこでは、誰の息遣いも感じられなかった。そこに着くや否や、ホッとした知君達は尻餅を着いた。もう腿も脛も尻の筋肉も限界だった。軽くストレッチをしながら、ぐるりと見まわしてみる。整備用品にパーテーション、消火器に応急手当の道具と、様々なものが並んでいる。
 従業員用の一室。すぐにそれは悟られた。疲れ切った知君の隣では、奏白が少女にいくつか質問を投げかけていた。

「お嬢ちゃん一人?」
「うん」

 たどたどしく、幼子らしく足りない語彙で必死に彼女は状況を教えてくれた。彼女の話を、所々推測で補いながらまとめなおしたところ、以下のような具合らしい。
 そもそも彼女は、中々に腕白な女の子らしく、この400メートルの展望台まで家族と一緒に上がって来たのに、かくれんぼ感覚で関係者用通路に勝手に入り込んだらしい。親も気が付いていなかったらしく、一通り散策がてらぐるりと見て回ったらしかった。
 満足した。そして今度は自分が置いて行かれたりしないか心配になったようだ。それゆえ逸りながら大きなホールに戻ろうとした時の事だった。あんなに観光客でにぎわっていたのに、シンと静まり返っていたことに気が付いたのは。

「あんなに皆わぁあーって言ってたのに、全然話さなくなっちゃったの」

 それが、幼いながらも変だと感じたようだ。子供の直感も中々馬鹿にできないもんだなと、尋ねながら奏白は舌を巻いた。両親が怒った時と同じように、誰もが無表情で眉一つ動かさなくなった様子に酷く竦み上がった彼女はまた来た道を引き返してこちらで震えていた、そうして二時間弱ほど待ったところで、何かが揺れる鈍い音。
 様子を窺いに行ってみたら、丁度この二人が外からタックルしているところだったようだ。ドアが軋む様子に、初めは怯えていた彼女だったが、二人が決死の表情であったことに逆に落ち着いたようだ。この二人は、広間で顔色一つ変えず整列する人々と違って、生き生きとしているそんな風に思ったらしい。
 それゆえ、恐怖に痺れをきらした彼女は、藁にもすがる思いで二人を招き入れた、という顛末であった。

「何か、一人だけ様子違う奴とかいなかったか?」
「いなかったよ……。皆ね、アンドロイド? みたいだった」
「ふーん、やっぱこの階じゃないのか」

 とするとさらに上に向かう必要があるのかと奏白は溜め息を一つ。守護神アクセスも使えないのに、どうやって強行突破したものかと肩を落とす。

「奏白さんはどういう守護神と契約しているんですか?」
「ん? あー、アマデウスって言ってな、結構強いんだよあいつ」

 その言葉を聞いた知君は、頭を抱えた。こんな事ならばもっと早いところ聞いておけばよかったと。

「どうしたんだよ、急に」
「あるんですよ、この場にphoneが」
「はあ?」

 呆気にとられた彼の口からは、思いの外大きな簡単が漏れた。慌てた知君が、静かにしてくださいとその口を押えた。悪い悪いと謝る奏白を、じとりと鋭い目つきで眺める。

「悪かったって。気ぃ付けるよ。……で、何でこんな所にphoneがあるんだ?」
「僕が持ってるんですよ」

 そう言って知君は背中からポーチを腹側に持って来てチャックを開ける。がさごそと、奥底を探る。出かける際に奥底に強く押し込んだため、中々探し当てられない。

「何だ、随分奥底に詰め込んだのか?」
「そうなんですよね……。勢い任せに」
「頼むぜぇ、この場においてはそれが、最後に残された希望みたいなもんなんだからよ」
「分かってますよ」

 最後の最後に、詰め込まれた希望が、たった一つ出てくる、か。出がけに自分でパンドラの匣などと例えたことを何となく思い返した。あのphoneはこれまで彼にとって、災厄しかもたらさなかったというのに、こんな場面で一転、希望の後光差す救世主となろうとは。

「でもよ、最近のphoneって、他人のやつ使えなくね?」
「問題ありません。僕のphoneは十年近く前の型ですので」
「古っ! てかお前何歳からphone使ってたんだよ!」
「ごめんなさい、ちょっとサバ読んでます。十歳の頃ですね」
「とすると六、七年前とかか。いやサバとかどうでもいいけどよ」

 七年前、phoneが未だに恐ろしく高価だった時代だ。車よりもずっと高い。警察や一部の高所得者ぐらいしか持ち合わせていない代物。それを知君は、幼い時分から手にしていたという。こいつは一体何者なのか。随分傷つきボロボロになった真っ黒なガラパゴス携帯型の端末。確かにこれは年季を感じるなと、冷や汗を浮かべる。

「ですので、所有者に対する特異性は無いです。ちなみに、callingしてもセンサーに感知されません。何分型が古すぎますので」
「お前、これ普段悪用してないだろうな……」
「それは絶対に無いです。もう僕四年間は一度も彼を呼んでいませんので」
「ふーん。ならいいけどよ」

 今はとりあえず感謝するぜと、手首のスナップを効かせてワンモーションで端末を開いた。暗い画面に時刻だけが表示される。少女から話を聞き出したこと、そして休憩していたのも相まって、いつしか六時半になっていた。もう大分空は橙と紺とのグラデーションを見せつけている。
 タイムリミットはもうすぐそこ。

「これは普段奏白さんが使っているものとは別端末ですので、普段よりも接続時間が短くなることに気を付けて下さい」
「わーってるよ、任しとけ」

 素早く649、自分のアクセスナンバーを入力する。想像していたよりもさらに小さなナンバーに、ほんの少しだけ知君は心揺らした。と言っても、彼と比べてしまうとその数字も形無しだが。
 守護神アクセス、奏白は小さくそう呟いて、相棒の名を呼んでみせた。

「さあ! 来いよ、アマデウス」


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