複雑・ファジー小説

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守護神アクセス【Last File・完】
日時: 2020/05/27 15:15
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

___

本編の完結とエピローグについて >>173





目次です。

▽メインストーリー
 File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
 File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
 File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
 File4:セイラ   >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
 File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
 File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
 File7:交差する軌跡  >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
 File8:例えこの身が朽ちようと    >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
 File9:それは僕が生まれた理由(前編)    >>59 >>60-61 >>63-64
 File0:ネロルキウス  >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
 File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
 File10:共に歩むという事   >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
 FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
 Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172

 Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174

-▽寄り道
 春が訪れて >>23
 白銀の鳥  >>70-71
 クリスマス >>120

▽用語集
 >>8 File1分
 >>15 File2分
 >>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも

▽ゲスト
 日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
 友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)




気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)

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Re: 守護神アクセス ( No.165 )
日時: 2020/04/25 23:14
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

◇  ◆  ◇


「知君、時間もないし一度しか言わないから聞き逃すなよ」

 周りに自分達二人以外誰もいないのに、突然男の声がした。幻聴、あるいは空耳の類だろうか。どうしたらソフィアを救えるか考えてばかりだったせいか、知君の判断能力は鈍っていた。誰の声かと聞き分けようとしても、しわがれて潰れてしまった声ではその主も誰か判然としない。
 悠長に考え事などしているからそんなものが聞こえるのだと、ソフィアへと向き直る。先ほどから、焦りばかりで頭も体もから回っており、押され気味の彼だった。これ以上気を散らす訳にはいかない。そう思っていたのだが、再び声は聞こえてきた。聞き馴染みのないガラガラ声ではあるが、耳や脳の異常ではないと理解した。これは何処からか交信しているものだ。
 鋭い三連の蹴りが見舞われる。上段中段下段と、新選組の隊士がごとく神速の三連撃を放つ。常人の眼にも止まらぬ早業であったが、知君にとってただいなすだけなら造作もない。顔を逸らして避け、二発目は腕で軌道を逸らし、三発目は足を突き出されるより先に懐に潜り込んだ。
 その胴体に突進し、正面から羽交い絞めにする。次の瞬間、周囲の人間から脚力を借り受ける形で足腰の身体能力を活性化させた知君は、電車道を作ってソフィアを無理やり押し戻していく。なすすべなくタックルの勢いで、ソフィアは一層琴割から遠ざけられた。

「離し……なさい!」

 何とか足を体に引き付けるようにして自分の身体と知君の身体の間に割って入らせ、屈伸する力で知君を蹴り飛ばした。お互いに後方へと突き飛ばされて距離を取る。その攻防の間にも王子からの交信が届いていた。

「声は枯れてるけど王子だ。今、音也さんの力で伝えて貰ってる」

 成程、視界の隅で淡い光ではあるが、アマデウスのエメラルドグリーンのオーラが観測できた。その能力で、声のほとんどを奪われた王子の声を戦場の中心まで届けているらしい。一体、この切迫した状況で王子は何を伝えるつもりなのか、理解に悩む。
 それに耳を傾けようにも、ソフィアが止まらなければその余裕は生まれない。どうしたものかと手をこまねいていた時のことだった。おあつらえ向きにソフィアの脚が止まったのは。

「うっ……」

 唐突に、頭を抱えて蹲る。それも当然だ、あそこまで意識を保てている事の方が異常だとは、もう何度も感じていることだった。守護神の思考さえも染め上げ、壊してしまうほどの強力な精神毒だ。生身の人間であるソフィアはその瘴気に晒されて死ぬ間際のところまで来ている。それでなおあれだけはっきりとした思考と意識とが成立しているというのがおかしな話だ。それほどまでに強い、覚悟と良しとを秘めているということだろう。
 しかしそれも気合や根性だけでは限界がくるというもの。一旦知君と距離を置いたからこそ、張り詰めた緊張の糸が緩んでしまった。その檻に、これまで溜め込んできたダメージがどっと来たのだ。喘鳴を上げながら、膝をつき、何とか自分を保とうとしている。
 そんなになってまで、どうして。問いかけたくもあるが、今は王子の方が先決だった。

「説明する余裕はないから、直接俺の心の中で、考えていることを情報として奪い取れ。それが、そこにいるお前の姉ちゃんを正気に戻す方法だ」

 心情というのは、誰もが胸の内に秘めている情報だと言い換えられる。その機密を奪うという形で、ネロルキウスは他人の心を読むことも可能だ。それを実行しろということなのだろう。だが、それは他人の考えていること、隠し事をも全て筒抜けにするという行為だ。不可抗力でならまだしも、自発的に行うには抵抗がある。
 その葛藤を元から見抜いていたのだろう、王子の方からはいいからしろとの指示がさらに飛んでくる。

「もうすぐアマデウスも限界らしいんだ。どうせ同じ男子同士だろ、何知られても困るもんはねーから、早く」

 それを最後に、連絡は途絶えた。言いたいことは全部伝えたという意味なのだろうか。それとも単純に奏白の方に限界が来たのだろうか。それはこの場からは分からない。ただ、この絶好の隙に王子の心を盗み見るしかないことは明らかだった。
 自分にはもはや、ソフィアを救う手立ては思いつきそうにない。守護神の相性の概念のせいで、八方塞がりもいいところだった。ネロルキウスの能力を応用しても、今の王子から喉の負傷を奪い取ることはできない。彼は、ELEVENとして超耐性を有していた時のシェヘラザードから、明日の朝まで怪我が治らないと運命づけられた。そのため、絶対に今夜のうちに王子を治療することは叶わない。
 何か自分に思いついていない案があるのだったら、それに縋るしかない。最後の、一片だけ残った希望をつかみ取るため、言われた通りに知君は王子の心を覗いた。一体、王子はどのような手法を考えたのだろうか。あまり期待を抱かないまま、彼の考えとやらを詮索する。
 頭が理解するのと、叫んだのは同時だった。ふざけるなと怒鳴りつけるような勢いで、少し離れた位置にいる王子の方へと身体ごと向き直り、知君は叫んだ。先ほどまでソフィアと向き合う緊迫感に身を晒していたというのに、その表情は王子の策を見たその瞬間に、泣き出しそうに歪んでしまった。

「それだけは駄目です! 自分が何を言っているか分かってるんですか!」

 全力で拒絶するとは、王子も分かっていた。だからこそ、言葉だけではなく最初から自分の感情ごと読み取らせようとしたつもりだった。あまりに反応が速かった。それはつまり、たった一瞬で知君は、打開策を噛み砕いて理解できたという訳だ。
 策を知り、それを理解するまでのタイムラグが無かったというのはきっと、知君自身もこの考えに既に居たってはいたのだろう。間違いないと、王子は溜め息を漏らした。自分などが思いつくような手段だ、より知恵の回る知君が思いついていないはずがない。そして、その方法があると分かっていながら、それは不可能だと決めつけていた訳だ。
 だから、説得の言葉を胸の中に投じ続ける。そうすることでしか会話ができないと分かり切っているため、知君は王子の声を拾い続けた。

『問題ないさ、この方法なら誰も死なない』

 だとしてもだ。たとえ誰かを殺すようなことはしないと言っても、それは一人の人生を踏み躙ることに他ならない。他の誰が許したところで、知君本人がそのやり方を認められなかった。殺すことと死に至ることは、必ずしもイコールで結ぶことはできない。
 時として、生きながらに人は死んでしまうことがあるのだ。

「それだけはできません。すみません、折角考えてくれたのに」

 この期に及んで何を言っているのか。その躊躇の時間こそが、無駄であると同時に失策だとどうして分からないのか。起死回生の、唯一残された手立てを受け入れようとしない知君に、王子は拳を震わせた。今は我儘を言っている場合ではないことは、知君が一番分かっているだろうに。
 今の自分の本心を余すところなく伝えたはずだ。きっと、王子がどれだけ強い意志でその決断を下したか、知君も見聞きしたはずだ。しかし、その上で知君はどうしてもそれはできないと首を横に振り続ける。
 王子には知る由もないことだが、知君が王子の心を読む際、知り得た情報は何も今現在、この瞬間の彼の覚悟だけではない。これまで王子が積み重ねてきた日々、後ろ向きに歩いてきた数年間、それさえも見ている。極めつけには、王子が知君に対し罪悪感を覚えていることや、決断の裏に秘めた寂しさも、全て含めて。そんなものまで見てしまったら、知君は王子が提案する最後の策を実行することなど到底できそうになかった。
 いつまでもうじうじと、二の足を踏みやがって。このままでは埒が明かない。もどかしさが体の中でふつふつと沸き立ち、どうにも身体が衝き動かされる。もし割って入れるものなら、あの分からず屋の横っ面を引っ叩いているところだ。
 もう我慢ならない。現状、知君は王子の声などもはや聴いていないかもしれない。その身勝手な優しさに腹が立った。慇懃無礼という言葉もあるが、気遣いは度が過ぎるとむしろ毒なのだ。
 もうとっくに、現実は割り切った後なんだよ。王子は、そうしようと判断するよりも早く、まともな声など出せもしないのに既に口を開いていた。

「ふざげんな!」

Re: 守護神アクセス ( No.166 )
日時: 2020/05/14 00:55
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

「ふざげんな!」

 言葉こそ荒々しいものだが、そこに怒気はなかった。知君の背中を押すための言葉だった。無理だと決めつけて、下ばかり向いている彼を焚きつけるためには、強い言葉を意図して使わなければならない。
 今晩を限りに、喋れなくなっても構わない。喉がそのまま失われても知ったことか。今この場で、彼に伝えなくてはならないことがある。自分の覚悟を言語化する必要がある。
 寂しいかと問われれば、確かに王子も寂しいと答えるだろう。だが、辛いかと問われてもそれだけは否定できる自信があった。辛抱ばかりの人生だった。でも、その甲斐あって既に夢は叶ったのだ。
 だから次は、約束を果たさなくてはならない。セイラと交わした約束を守るためには、知君の力を頼りにするしかない。何故なら自分一人の力では、できないこともあるのだから。

「勝手に俺のごと決めづけて、躊躇してんじゃねえ! お前どうせ胸んながで、俺のごとを可哀想だとか思ってんだろ!」
「まさか……そんな訳ないだろ!」

 可哀想だなどと、侮辱するようなこと、当然知君は考えていない。ただ、それに等しい振舞いをしているという自覚がないだけだ。知君が躊躇している理由は、同情などではない。言うなれば甘さで、優しさだった。今後の王子のことを考えて、視野と選択肢を狭めているだけのことだ。
 王子の立場なら本来は彼に感謝こそすれども、憤る必要はない。だが、その優しさが今は不要なものであり、むしろ彼のことを傷つけるナイフに他ならない。自分の存在が足かせになっていることが耐えられない。今までずっと周りに心配をかけてきた。こんな時にまで、自分を慮る誰かの重荷になりたくなかった。

「今まで散々言ってきたから、もう知っでんだろ! 俺が小さい頃夢見てたのは、ヒーローになることだっで!」
「そうだよ、だからできないんじゃないか!」
「そうじゃない!」

 そうじゃないんだよと、弱弱しく嗚咽を漏らす。知君だけではない、同じ答えに辿り着いた人間は誰しも『王子のために避けてきた』一つの答えに気が付いている。だが、それは間違っていた。王子の夢、その本意に沿うためにはむしろ、避けてきたはずの手段であっても非情に実行しなくてはならない。
 不用意な優しさと、気遣いこそが、彼を真に傷つける心無い態度となるのだから。途端に王子の声が弱くなったため、再び知君は王子の心の声を聞くことにした。王子の傍では、ぽつりぽつりと漏らす言葉を、セイラたちが噛み締めている。
 恵まれた人生とはいえ、彼の人生が順風満帆ではなかったことは確かだ。その痛みはセイラの存在でずっと見ないふりをし続けられたが、助けられてばかりの現実と理想とのギャップで、別の苦しさも感じていた。
 周りの人にずっと心配と迷惑ばかりかけたせいで、嬉しかった思い出と同じくらい、後悔の多い日々だった。そう、彼は続ける。

「助けたいって言っておきながら、俺はずっと自分が救世主になりたいって思っていたんだ。助けた人に感謝してもらいたかったんだよ、俺は。でも、色んな人と知り合うことができて、そんな価値観が変わったんだ。お前とセイラと出会えて、変われたんだよ」

 知君が捜査官に混じって活動していると聞いた時から、王子の中で理想のヒーロー像に知君が重なっていた。自分と真凜の二人をまとめて屈服させたクーニャンに、颯爽と現れて完勝したあの日も。自分が一番傷ついているのに、身の上話をしていた時も。ネロルキウスと対峙し、赤ずきんを難なく倒した時も。そしてさっき、ELEVENさえ倒して見せた時も。

「ずっとずっと、眩しくて仕方なかった。最初はさ、知君がずば抜けて強いからだと思ってたんだよ。俺、馬鹿だからさ、本当のところに気が付けてなかったんだ」

 知君がヒーローらしく映っていたのは、もっと別な理由があったというのに。幼稚な考えに囚われていたせいで、自分も強くなりたいと焦り、がむしゃらになっていた。その焦りに何度も付け込まれた。それでも、知君のような出鱈目な強さを追い求めてしまった。
 だが、一度喧嘩して、和解したあの日から、少しずつ王子は理解した。知君が誰よりも強いのは、能力故ではない。きっと立場が逆だったら、知君のようにネロルキウスと心を通わすことなどできなかった。自分ならば、欲に飲み込まれてそのまま体を明け渡していたことだろう。
 知君の背中がいつだって大きく見えるのは、その考え方に依るものだ。彼は、助けた後の利益ではなく、人助けそのものを目的としている。ありがとうの言葉どころか、助かったという一言でさえ幸福を感じられる。感謝してくれる人間が、その内一割もいれば充分だろう。
 誰かのために戦うというのはそういうことだ。博愛主義とも言えるだろうか。周囲にいる人を等しく愛し、護るために戦う。正義感という無償の愛が余程強くなければできないことだ。
 王子が夢に描いていたのは、あくまでも自分の姿だ。だからこそ誰かに認めて欲しかったし、救う人間は誰彼かまわずという訳でもない。その極端なバイアスを、セイラと出会うことで自覚できた。自分という人間は、人々のためなんて大それた野望なんて持てない。唯一持つことができるとしたら、手が届く範囲の大切な人だけだ。

「俺は、セイラと契約する時約束したんだ。ハッピーエンドを迎えさせたいって。そのためには、シンデレラを取り戻さなきゃダメなんだよ。赤ずきんたちと一緒で、セイラには大事な奴なんだ。取り戻せるのはもう、お前だけなんだ、頼むよ……」

 セイラと出会って王子は、自分を差し置いてでも幸せにしたい誰かができた。もちろん、セイラの幸福の先には王子の幸福も存在している。境遇が近い自分と彼女を重ねて、セイラを幸せにすることで、自分の幸福の証明としたいと最初に考えた。
 とはいえ、自分が不利益を受けてでも先に助けてやりたい、笑顔にさせたいと願える人ができたのは大きな変化だった。この感情と同じものを知君は沢山の人に適用させている。だから、ちょっとだけでもいい、僅かな共通点だけで構わないから、その背中を負いたいと思うのなら、王子にできることと言えば彼女のために戦うことだけだった。

「俺の夢ってのはそういうことなんだよ。何も、俺が颯爽と敵を倒すことでも、沢山の人の期待を受けることでもないんだ。セイラと、お前の二人だけでいい。俺は、俺の持ってる全部で、大事な人だけでも助けたいんだ」

 嘘はない。それほどまでにぶれない答えを王子は手にしていた。虚飾ではない、彼がなりたいと信じる、真の英雄像に近づくための答えを。

「………………分かった」

 喉からひねり出すような返答をした。きっと、言葉では聞き届けられなかっただろう。だから、王子にも見えるように、大きく一度だけ頷いた。きっとそれが通じたのだろう、柔らかく、王子の笑っている様子が目にできた。

「お友達と通話だなんて、随分と余裕ね……」

 尋常ではない痛みを堪え、何とかソフィアは自我を取り戻したようだ。脳みそが散り散りになり、人間性ごと霧散しそうな激痛の狭間で、復讐への執着だけが原動力として残っている。その姿があまりに痛ましく、一刻も早く終わらせなくてはならないと再確認する。
 いいんだってさ。それで、僕の用意はもういいかい。知君は小さく首を横に振る。その間も、ソフィアが紡ぐ言葉は止まらない。

「もう、後十分といったところかしら。時間が無いの」
「そうだね、早く、助けなくちゃ」

 これは冷徹な決断では断じてない。事態を収束させるために、小を切り捨てている訳では断じてない。あくまでも、『彼』が望んだことだ。これは今できる最大の努力をするだけのことだ。自分が選ぶことのできる最良の一手というのは、必ずしも自分を満足させられる訳ではない。そういう現実は分かっていても受け入れがたい。特に、己の矜持に反する時は。
 ただ、そのための強さがどうにも湧いてこない。王子は覚悟を決めたというのに、自分の覚悟が足りていない。どうすれば、強くなれるのだろう。どうすれば、非情な決断を、他人の想いを背負う覚悟を以て下せるのだろう。

「まだそんな事言っているの、タイラ。お友達と何か話していたみたいだけど、無理よ。貴方に選べるのは、道を開けるか、意地悪を続けるか。お願いよ、タイラ。ネロルキウスじゃどうにもならないの」


 ねえネロルキウス、お願いがあるんだ。知君は脳裏で相棒の守護神へ問いかける。
 僕はかつて、君に対抗するために君の真似事をした。君という過激な個性に対抗するためには、自分もそれに相応しい高慢な態度で接することで、何とか張り合っていた。自分にとって、誰よりも強い意志を持った存在は、ネロルキウスそのものだったから、自分も同じように強くなりたいと思って、その振舞いをなぞることにした。
 だがそれは、和解すると同時にする必要がなくなった。ネロルキウスが契約相手の人間を認め、力を貸すと決めたからだ。そのため、肉体を巡る意識の綱引きが無くなり、知君らしい人格のまま能力を行使できるようになった。
 だが、その成長を一度ここで手放したい。昔のように、『強い自分』を作り出して演じる必要がある。自分にはまだ、何かを切り捨てられる強さを持っていないから。


「お願いします、ネロルキウス。誰かの夢を踏み躙ってでも、前に進むだけの強さを、今だけでいいから僕にください」

 どんな冷徹な決断も己の裁量として認めた。だからこそ暴君として彼は当世にも伝えられている。たとえ詰られても、ぶれることのない確固たる決意。
 鎧をまとうように、知君はその人間性の皮を被った。あの頃の感覚を取り戻す。我こそが、傍若無人の皇帝になったような、あまりに強すぎる語気を携え、声高々に能力を解放した。

「ネロルキウスの能力を行使する!」

 その力強い宣誓に、見つめていた全ての者が面食らう。今更何を。動揺が伝播していく。ネロルキウスの詳細をよく知らない捜査官にも、知君の能力がシンデレラに通じないことは伝えられていた。だからこそ、彼女を相手どることを知君は苦手としていた上に、もう充分長い時間向き合っているのに、決着はついていない。
 凡百の守護神ならば、瞬時に鎮圧できるネロルキウスとはいえ、相性の不利は覆せない。それは世界が定めたルールだからだ。

「焦りで気でもふれたのかしら? 無理よ。王をたぶらかす傾城に、暴君の力は通じない!」

 白雪姫の時と同じだ。どれだけ知君が粘ろうと、略奪の能力を直接白雪姫に行使することはできなかった。だからこそ苦戦し、知君の意識が乗っ取られるところまで事態が悪化したのだ。それを忘れる彼ではあるまい、何をするつもりなのかとソフィアは軽蔑したように弟を見つめていた。
 だが、その軽蔑をも嘲笑うように、高圧的な様相を呈した知君は、その浅はかな考えを否定した。

「お前じゃない」
「何ですって」

 この能力の対象は、あくまでもソフィアではない。仕方がない、たった一晩の逢瀬でお城の王子様の心を射止めるような守護神に、能力は使えない。
 知君の判断は自棄でも何でもない。ソフィアに能力が通じないなら、通じる者に対して能力を使えばいい。ネロルキウスの能力が通じないのは、あくまで傾城に対してのみの話だ。


 そして奇しくも、“彼女”は傾城でも何でもなかった。
 王子様に、見つけてさえ貰えなかった。


 シンデレラに能力が通じないならば、通じる形を用意してやればいい。知君では白雪姫を鎮圧できなかった。しかし、ネロルキウスが現れると瞬時に白雪姫を圧倒してみせた。
 世界のルールがネロルキウスの能力を規制するというのならば、別の守護神の能力を使えばいい。知君は、毒に侵された彼女を癒すことのできる、たった一人の守護神を指し示した。戦場の片隅を目掛けて、一直線に指を向ける。
 ソフィアの視線が誘導され、その先にあるものを捉えた。その先に居る者を目にした。たちまち、何かに気が付いたように目を見張った。まさか、あり得ないと、最も大きな動揺を浮かべる。それも当然だ。
 その決断だけは、彼という優しい少年だけには、実行できないものだと断定していたからだ。事実、それは正しかった。彼はその手法に気が付いていながら目を背けていた。気を配りすぎる彼の性格では、決して選ぶことのできなかった手段。それは、王子 光葉(こうよう)本人が背中を押すことで、ようやく大きな一歩を踏み出すことができた。
 そう、彼が指し示した先にいた人間というのは、他ならぬ王子 光葉その人だった。

「対象は、王子 光葉。奪い取るのは……」



 この世界には、絶対に損なわれないルールがいくつも存在している。それは守護神の存在を証明し、円滑にシステムを回すために重要な自然法則であり、何人たりとも反することはできない。法律などとは違う、化学的な定義と等しいと言ってもいい。死んだ人を生き返らせることができないのと同じ、手を加えることのできない絶対の摂理。
 ELEVENに逆らうことはできない。制御装置として守護神同士に相性を設けることとする。出生時に契約相手の守護神は決まっており、ガーディアン配列という特定の遺伝子配列で暗号化されている、などのものだ。
 その絶対の摂理の中の一つに、ひどく状況が限定されているものがある。人が死ぬとき、守護神はその契約から解放される。基本的には契約破棄は、死によってのみ行われる。死した後に生き返ることはないため、契約が絶対に無効となるのは自明の理だ。
 その結果破棄された契約の取り扱いについても、厳格なルールが存在している。そのルールは、例えELEVENのジャンヌダルクであったとしても拒む事のできない不変のもの。何故なら世界そのものは、守護神の更に上に立つ概念だからだ。







「奪い取るのは、その守護神の人魚姫!」



 ネロルキウスは、他人の守護神アクセスの契約に介入し、能力の行使権を無理やり略奪することを可能にしている。そのため、死以外の方法で唯一、契約破棄を行うことができる存在である。そんな彼であっても、この摂理だけは覆すことができない。
 その摂理こそが『一度破棄された契約は、いかなる理由があろうとも、二度と結ぶことはできない』というものである。『契約者の人間は死んだに違いないため、もう永遠に、死ぬまで守護神アクセスを行えない』、と。
 ヒーローを夢見ていた。いつか格好よく誰かを助けたいと願っていた。けれども、最早、この瞬間から、王子 光葉は守護神アクセスができない身となった。




 それは当然、永遠に。

Re: 守護神アクセス ( No.167 )
日時: 2020/05/04 22:45
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


 それは、知君にとって酷な決断だった。王子は覚悟を決めた。自分がそうするべきだと納得しているからこそ、その結果も受け入れられる。金輪際、自分に守護神アクセスは叶わない。それまで抱いていた絶望感とは違う、晴れやかな諦めがそこにはあった。
 だが、知君は違う。彼は王子の軌跡を知っている。それどころか今、王子の心を盗み見た際にもまざまざと目にし、耳にすることとなった。そうするべきではないと分かっていても、いなくても、セイラとの決別を告げる時だから、想起せずにはいられない。
 ずっとずっと、ヒーローになりたいと描いた夢。それを追った日々、心を折った瞬間。無残にも帆の折れた夢の船が、難破しないように走り続けた日々。念願かなって、とうとう自分の守護神と出会えた日のこと。二人で歩んできた日々、積み重ねてきた絆。
 それを断ち切る仕事を、一介の友人に過ぎない彼に託したのだ。たとえ当人が割り切っていたとしても、それを踏み躙る役目を与えられた人間の呵責はなくならない。
 ネロルキウスの力で王子の思考を読み取った際に得た想い出たち。そこから想像せずにはいられない、あったかもしれない未来の日々。この先も何十年と、セイラと二人で多くの人を救えたかもしれないのに、その可能性を自ら王子は手放した。
 その決断はどれだけ重たいものだったろうか。潔く諦めるためには、どれだけ強い精神を必要とするのだろうか。知君のような、自己犠牲の精神が強い性質の人間ならまだしも、英雄願望の強い王子にとっては、この決断は苦渋の決断となる筈だ。それなのに、躊躇なく手放すことに決めた。どうやら、人魚姫も同じ心持らしい。
 二人の思い切りがいいからこそ、心が痛むというものだ。それに甘んじて、輝かしい未来の芽を摘み取ってしまう自分自身が。その状況を作り出したソフィアも、その目標を達成させてしまった自分たちの甘さも、全てが度し難い。
 だがそれでも、迷う訳にはいかなかった。王子が考えていることが分かるからこそ、拒めなかった。ここで、我が身可愛さにその選択ができなかった時、二度と彼は自分に自信が持てなくなる。其処に守護神の有無は関係ない。たとえ隣にセイラがいたとしても、王子がヒーローを名乗ることは永遠にできなくなる。
 一組の戦士として、そこに居続けることよりも優先して、王子は選択したのだ。ここで友人のために、相棒である人魚姫のために、シンデレラとソフィアを助けるという選択を。
 だから一先ず、迷いと甘さと、弱さは置いていく。自分だって、いつもの気弱な自分のままではいられない。歯を食いしばって、正面を睨みつける。


 運命の相手との邂逅時、うれし涙でぐしゃぐしゃに破顔した王子の姿を振り切れ。

 無我夢中で、必死になって英雄街道を盲目的に突き進もうとした焦る日々も踏み躙れ。

 かぐや姫を倒して再確認した、二人の間にある確かで強固な絆さえも断ち切れ。

 それらに、痛む事のない強靭な胆力を持て、傷つくのは決して自分ではないのだから。



「お前は許さない。王子にこの選択を強いたお前だけは、決して死という安易な逃げ道を選ばせてはやらない。俺は俺の弱さも許すつもりはないが、それ以上に罪深きはお前だ」
「あらタイラ、強がってるの? 似合ってないわよ」
「その余裕は、もう続かない」

 その綽綽とした態度も今この瞬間に磨り潰す。強化した肉体で、すぐ足元に転がっていた人の頭ほどある瓦礫を蹴り上げた。まるでサッカー選手が球を蹴り上げるように軽やかに、膝の辺りまで浮かせた岩の塊を、そのまま足の甲で撃ち放った。
 砲撃のように高速で迫る瓦礫に面食らったソフィアは、慌てて目の前に炎の壁を展開する。ネックレスの中央のルビーが輝いたかと思えば、放射売る光がそのまま紅蓮の業火へと変わり、行く手を阻んだのだ。劫火の壁に呑まれた礫は勢いを失い、ソフィアの蹴りで充分砕けるものとなった。ガラスの靴で小突いて撃ち砕き、何とかやり過ごす。
 だが、その炎の壁は知君には通用しない。人影が、焔の向こうから迫っていることに気づく猶予はなかった。紅蓮の障壁を突き破り、少年の姿が現れる。息を呑み、咄嗟に動いた体が知君の拳を何とか受け止めた。不意打ちをやり過ごし、得意げな笑みを口元に浮かべた時のことだった。

「何を笑っているんだ」

 ふと、両手で押さえこんでいた知君の腕が消えたように感じた。急に支えを失ったような感覚で、よろめき姿勢が崩れた。地を蹴る音は聞こえても、姿が目で追えない。

「傾城、だったか。たかが優男一人落とした経験だけで何を得意げに」

 まだしばし、人魚姫が知君の下へ来るまで時間がある。その間に、予めソフィアの心を折ることに決めた。完膚なきまでに打ち負かし、自分に復讐を為し遂げるだけの力量などなかったと分からせる。例えネロルキウスに対する抑止力となろうとも、覆せない差があると知らしめてやらねばならない。
 復讐の実行力の全否定。それこそが、彼女に対してできる一番の罰だと言えた。徹底的に打ち負かす。もはや、先ほどまでの悩みは無い。悩みで精彩を欠いていた先ほどでさえほとんど五分だった対峙だ。
 今の知君に、遅れを取る理由など一つもない。

「誰の御前だと思っている!」

 声の方向に気が付くも、防御など間に合わない。左肩を蹴り抜かれ、その衝撃で体が宙に浮いた。突き抜ける衝撃に痛みはない。興奮して脳内の麻薬が過剰に分泌しているせいで痛みに鈍くなっていた。
 受け身を取らなければ。接地前にそう判断したソフィアだが、その判断は無為に終わる。地面を転がるより先に、落ちるべき地点に知君が現れた。目を見張り、何とか軌道をずらそうと能力を起動しようとするも、知君はその一歩先を行く。
 今度は上空へ打ち上げる。追いかけ、空中に投げ出されたソフィアをさらに蹴り上げ、自分もまた上空へ跳躍する。空気から流動性を奪うことで空中に足場を作ることのできる知君にとって宙で跳躍することなど造作もない。

「高みから落ちる気分はどうだ、灰被りの鼠めが」

 ソフィアを打ち上げたよりも少し高い位置に空気の天井を作る。天井を蹴り、上空から勢いをつけて連撃の最後を飾った。隕石のごとく、シンデレラを纏ったソフィアの身体は、今度は下方へ向かって加速する。重力と二人分の体重が上乗せされた一打である。致命傷にも重傷にも至らないだろうが、ノーダメージとは決していかない。
 落下した衝撃で、砂煙が舞い上がる。流石の耐久力とはいっても、ソフィアからは苦しそうな喘ぎ声が上がる。自慢のドレスも、とうとう砂利に塗れて汚れてしまった。

「汚れたドレスの方が名前に似合うんじゃないか」
「……そう、簡単に……。調子に、乗るんじゃなっ……うぅ……」

 震える脚で何とか立ち上がったソフィアだったが、減らず口を叩く間に不意に崩れ落ちる。後は到着した人魚姫の能力で片付くだろう。しかし、そう決めつけたのは油断のたまものだった。

「ああああぁあああぁああぁあ!」

 何も驚くことはない。ソフィアの精神に限界が来た。それだけのことだ。胆力だけで毒ガスによって催されていた破壊衝動を押さえ込めていたことが異常なことで、少しの意志の揺らぎだけで紅の情動に支配される。
 前後も見境もなくなった彼女は、最早復讐も冷静な理性も全て無くして、一つの災厄と化していた。ただ、それはむしろ良かったかもしれない。今この場に彼女の道を阻んでいるのは知君しかいない。
 すなわち、獣のように目の前の獲物だけに集中していられる今、ソフィアが他人に危害を加えることはない。後はその行き場のない感情を全て、自分が受け止めればいいだけの話だ。

「パウロのような死を許すつもりはない。お前の信じている道は、絶対に否定しなくてはならない」

 故に、生きている内に考えを改めさせる必要がある。殉教した者の意志は、生きている者へと引き継がれる。過ちを過ちと認めるためには、生き続けなくてはならない。これだけ大きな間違いを犯した以上、それ以上の貢献をもたらさない限り彼女の魂を楽にはさせられない。
 人魚姫と王子との別れが終わったようだった。少し時間を要したが、それについて彼が苦言を呈することはない。むしろ、僅かな時間しか与えられなかったことが心苦しいほどだ。
 だが既に実行してしまった以上、後戻りはできない。隣に降り立った人魚姫はその決心が一分としてぶれている様子はない。きっと、パートナーの少年もそれは同じだろう。ならばもう、しつこく確認することも、誤る必要も無いだろう。
 その想いに応えたいと思うなら、すべきことはたった一つだ。この犠牲を無駄にしないこと。何が何でもシンデレラもソフィアも取り戻すこと。そうしなくては、二人のきずなも浮かばれないというものだ。
 彼女に向かって、知君は拳を突き出した。それは、手を繋ぐ意志が存在しないという主張だった。その手を取るに相応しい人間は、一人しかいないと言外に物語る仕草であり、その意図を容易にくみ取った人魚姫も、突き合わせるように拳を当てた。フェアリーガーデンの守護神との守護神アクセス時には、身体の一部を触れ合わせる必要がある。
 強い信頼こそあるものの、単なる共闘仲間としてはこれで充分。むしろどの面を下げて、彼女の手を握ろうと言うのだろうか。

「人魚姫、俺は決してお前の名前を呼ばない」

 その名前も同じだ。王子以外の人間が『セイラ』と呼びかけることなど許されはしない。そう呼びかけるのは、彼にだけ許された特権だ。他の誰にも侵すことのできない、唯一無二の信頼関係だ。
 実際、今日という日まで、実際に彼女をセイラと呼んだのは王子だけだった。

「行くぞ、これが俺たちの総力戦だ」
「もう、同じこと言って……。貴方達も大概仲良しですよ、知君くん」

 これから先も、ずっと王子の隣にいられる知君に、人魚姫も嫉妬する。だが、この別れは元々決めていたことだった。
 戦うより先に、琴割から刺されていた釘。このフェアリーテイル事件が終わった暁には、フェアリーガーデンから人間界への出入りを永遠に拒絶する。セイラがもしこの世界に留まる場合、永遠にガーデンへ帰れなくなる。
 王子との日々はとても貴重で、簡単には捨てられない日々だった。しかし、それでも、別れというものはいつか訪れる。今別れても、百年先に別れてもそれは同じで、守護神として悠久の時を生きるセイラにとって、王子亡きあとこの世界に留まり続けるのは不可能なことだった。
 もし王子が許してくれるのであれば、取り戻した赤ずきん……カレットや、白雪姫のノイト、およびシンデレラのアシュリーと共に、故郷へ帰りたいと思っていた。
 だから受け入れられた、この別れも。永遠に守護神アクセスさえ許されない関係になることも。そしてきっと、その未来を自分が選ぶと王子も薄々察していたのだろう。だから彼も、ようやくつかんだ夢を手放すことができた。
 いや、そうではない。王子は既に夢を叶えたのだ。王子の傍から離れる際に、奏白が少年へと告げていた言葉。それこそが、彼が長年求めて止まなかったものだ。
 あの時の誓いを、ようやく果たすことができた。初めて彼が手を取ってくれた時に、自分が告げた言葉を。


「今度は、貴女の夢が叶う番ですよ」


 一つだけ悔しいとすれば、その事だろう。彼の夢が叶った瞬間、その隣に私はいなかった。私との別れが、彼の積年の願いを叶えたのだ。たった一人、孤独に、後ろから背中を見守ってくれる人たちから喝采を受けて、彼はようやくヒーローになった。
 そしてもう一つ、寂しいことがある。生まれてから、私という概念が忘れられるまで、長すぎる歳月が流れることだろう。そんな中でふと生まれた、瞬きのような日々。契約者のいる日々、寄り添う人間がいた閃光のような時間。
 その締めくくりを、王子と共有できなかったことが、悔しくて仕方ない。けれど、悔やむことはなかった。
 もう、背中は押してもらったから。後はまっすぐ、前を見るだけだ。

「もう時間はない。……行くぞ」
「ええ、絶対に取り返しましょうね。私達にとって大切な人を」

 合図は要らない。言うべき言葉は決まっているのだから。
 きっと、彼女がその言葉を口にするのは最後だろう。今後彼女に契約者ができたとしても、もう人間の前に姿を現すことはないのだから。
 十二時の迫る夜更けの空に、二人の声が染み入っていく。この一夜の間に限り、両者の間に契約が交わされる。守護神の能力、その行使権を人間へと譲渡し、守護神は実体を失った状態で憑依する。
 異世界とこの世とを繋ぐバイパスであり、世界を隔てた壁を通貫する唯一の方法。人は、守護神は、その契約をこう呼んでいる。


「守護神アクセス」

Re: 守護神アクセス ( No.168 )
日時: 2020/05/05 13:48
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


 時は少し遡り、知君が王子から守護神の奪取を宣言したその瞬間。セイラと自分の間にある、目に見えない繋がりが薄れていくことを王子は実感していた。
 これまでの日々が走馬灯のように思い出される。決して死の淵にいる訳ではない。しかし、それでも、これまでの王子 光葉は居なくなったことは確かだ。誰かを守れる人になりたいと思っていた。人々から感謝される、テレビの中のヒーローみたいに。
 その夢は叶ったのだろうか。決して華々しくなどなかった。知君のように、沢山の人を護れるだけの強さを持つこともなかった。それでも今、自分が知君とセイラのためにできる最善の手を打てた自信はある。手の届く範囲は人それぞれ違っていて、知君は広すぎる範囲を、自分は等身大の腕の長さを持っている。
 自分に許可された最大限の力を発揮できた。それは自信を持って断言できた。人知れないところで沢山のフェアリーテイルを助けてきた。ネロルキウスの力では処理することのできない、傾城のお伽噺の姫を助けてきたのはずっと自分だった。
 がむしゃらに、何のためかも忘れて、ただ『頑張るために頑張った』時期があった。いつだってセイラは、契約者である自分のためを想ってくれていたのに、セイラのためと嘯いて、生き急いでいた時期。桃太郎と再会し、今度こそ捕まえてみせると息巻いて、後一手で殺されるところだったあの時。
 ハッピーエンドを見せたいと願った、彼女を泣かしたのは間違いなく自分だった。幼稚で、我儘な自分は、セイラが優れている証明をする名目で、報われなかった自分が優れていると証明したがっていた。ガキ大将じみた、馬鹿な優越感に浸りたかった。
 その後も、全然大人らしく振る舞えなかった。それは確かに、彼も高校生だ。まだ自分勝手なところがあって然るべき年頃だ。それなのに、同い年の知君はいつだって大人びていた。身体こそ小柄で、中学生と見紛うような童顔なのに。いつだって、誰かのためを考える知君に、劣等感を抱えていた。
 そのコンプレックスが爆発したのが、病室で彼を罵った一件だった。ずっと誤解していた、知君が恵まれた人生だったと。華々しい強力な能力を得た裏側に、凄絶な人生があったことなど、知る筈も無かったのだ。
 そんな時もセイラは寄り添ってくれた。肯定することも否定することも無く、ただ味方として王子と、その心の傷に寄り添ってくれていた。思えばいつもそうだった。正しいことを選択する時も、間違っている時も、傍にいてくれた。けれど、そんな日々ももうこれで終わりだ。
 高校を卒業して、知君と一緒に大学も出て。太陽たちの後を追って捜査官になって、奏白みたいな本物のヒーローとなる。何時の頃からかその夢が現実味を帯びていたし、その人生設計を夢ではなく現実的な計画としてみなすようになった。一度諦めた夢が叶うものとなってから、忘れていた。人の夢はいつ潰えるか分からない儚い泡のようなものだということを。
 知君には酷な事をしただろうか。今セイラが傍にいる事、これから先もセイラと歩もうとしていた事、そして何よりもセイラと出会った事。それらを脳裏に浮かべていたせいで、余計にセイラを奪わせることを躊躇させてしまったことだろう。
 この選択は果たして正しかったのだろうか。ソフィアを救う。ただそれだけの観点で見るならばこれは唯一それが可能な方法だ。ただ、その代償があまりに大きすぎた。自分とセイラの間に交わされた契約の破棄、そしてその実行犯となる知君の心の傷。
 ただでさえ知君は他人の守護神を奪うことを恐れていた。幼い頃に彼を育成させていた女性研究者と、王子 洋介。二人の人生を捻じ曲げたと彼は己の行いを、正しくはネロルキウスを御しきれなかったことを悔いている。ラックハッカーからシェヘラザードを奪ったことは当然のことだと割り切れていたようだが、今回ばかりは勝手が違うのだろう。
 ようやくできた一人目の友人。その友人が大切に育ててきた大きな将来の夢ごと、略奪しなくてはならなかった。望まぬ形で、他人の道を踏み躙った。そんな傷を負わせてしまった自覚はある。

「でもきっと、大丈夫だよお前なら」

 これまでも、辛いことは何度も乗り越えてきた。孤独に、誰からも認められない日々の中で。だが今は違う。真凜がいる、奏白がいる。そして何より、俺もいるだろうと、王子は安堵の微笑を浮かべた。泣いてたって、落ち込んでたって、俺が知君の傍にいて、話し相手にでもなってやろう。
 それが無能力者になった俺にもできる、普遍的な唯一の能力だ。
 決して特別な力ではない。それでも、自分でもそんな事ができるというのは誇りだった。守護神なんていなくても、何もできないなんてことはないんだ。目指していたヒーローというのは誰かを助けられる人であって、決して巨悪を打ち倒す人ではなかった。
 そうだろ、とは尋ねない。もう隣にも、背後にも、人魚姫はいないから。その決断を、意志を、正しいと認めてくれる誰かは、間違っていると諭してくれる誰かは居なくなったのだから。これから先は、自分の頭で進む道を決めなければならない。
 それは過去の自分にとってとても難しいことだっただろう。けれど、もう大丈夫だ。道しるべなんてなくても、正しい方へ歩むことができるだろう。
 目の前で、翡翠色の髪が揺れていた。鱗の形をした耳飾りも、もう後数日で見納めだろう。ただ契約が切れるだけではない。この戦いが終わればきっと、セイラはシンデレラたちと共に異世界に帰るのだろう。彼女がそう決めるような気は薄々していた。だからこそ、自分も守護神アクセスを放棄できた。
 もう契約は途切れてしまったが、未だ声は届くだろうか。その鈴のような声を、まだ俺は耳にすることができるのだろうか。手を取って触れ合うことはできるだろうか。
 放心していたところ、振り返ったセイラと目が合った。同じようなことを考えてくれていたのだろうかと、痛む胸が少し弾んだような気がした。

「頑張りましたね、王子くん」

 その意思決定が彼にとってどれだけ大きな意味を持つのか理解できないセイラではない。それが正しいと分かっているからこそできた決断とはいえ、王子にとっては大切なものをごみ箱に自ら捨てたことに等しい。そしてそのごみ箱をあさることは、誰にもできないのだ。

「別に。俺にできることをしただけだ」

 むしろ頑張るのはお前の方だろうと釘を刺す。王子の戦いはもう終わった。けれども、セイラの戦いはこれからまた始まるのだ。大切な、姉のような存在。異世界でずっと仲良くしてきた親友のシンデレラを取り返す必要がある。

「忘れ物はちゃんと取り返してこいよな」

 彼なりの激励の言葉を彼女はただ頷いて受け取った。これ以上言葉を交わしては、王子のいる場所に縫い付けられてしまいそうだったから。時間は限られているのに、この別れが惜しい。
 私は彼に感謝を伝えきれただろうかと、不安になる。誰にも見つけてもらえなかった人魚姫を見つけてくれた、お伽噺の外にいる王子様、運命の相手。等身大で、人間臭くて、不完全な人だった。だが、そんなどこにでもいるような人でありながら、背伸びを忘れない彼のことが、ずっと愛しいと思っていた。これから先も、彼が没する時まで寄り添い続けたいと願っていた。
 けれどもう、それは叶わない。白雪姫の継母、魔法の鏡の力で王子の行く末を見守ることはできても、傍にはいられないし声も届けられない。
 行動や態度で伝えることはもうできない。だから、言葉で伝えよう。どんな言葉なら王子は喜んでくれるだろうか。そう自問して、初めに思い浮かんだ言葉は、これまで伝えたことのないものだった。
 守護神が人間に、そんなことを伝えるのは身分違いだと思えてならなかった。拒絶されたらどうしようかと恐れていた。あくまでも王子が望んでいたのは守護神であり、セイラそのものではないのではないか、と。
 だがその躊躇は全部、自分の気恥ずかしさを塗りつぶすための言い訳だった。王子はきっと、その言葉を拒んだりはしない。受け入れてくれるに違いない。だから、逸る鼓動を抑えてでも、熱くなった頬に気が付かないふりをしながらも、思いの丈を伝えることに決めた。

「ねえ、王子くん」

 ついぞ、白馬に跨った王子様には伝える機会さえなかった言葉。かぐや姫の見せた幻覚の中でも、口にすることができなかった言葉。
 特別な想いを飲み込み続けたのは、きっと今日この時のためだったのだろう。月明かりの照らす彼女の笑顔は、十五夜の月よりも、ずっと美しかった。



「私を見つけてくれて、手を取ってくれた、君のことがずっと大好きだったよ」



 その言葉を真正面から受けて、王子は目を伏せた。嫌がっている素振りがないとは分かった。意味を理解した瞬間から、面白いように彼の顔が耳まで赤らんだことをセイラは目にしたのだから。
 すぐ傍にいた奏白は、気の緩んだ笑みを浮かべ、真凜は呆れた態度で誤魔化しながらも、気まずそうに目を背けていた。
 存外喜んでくれたようで、セイラも満足だった。僅かばかりの満足感を胸に、戦地へ赴こうとしたその時のことだった。王子が引き留めるようにその腕を掴んだのは。


 その後の光景は、見ている側が照れ臭くなるようなものだった。奏白はもはやあまりの度胸に吹き出し、免疫のない真凜はというと、気まずさどころか王子以上に顔を真っ赤にしていた。
 片手は驚いて振り返ったセイラの頭を包み込むように、もう一方の手は背中に添えて。自分のもとへと王子は人魚姫の身体を引き寄せた。次第に王子が近づいてきて、人魚姫の視界には愛しい人しか映らなくなる。
 ほんの一瞬、刹那の一時。月光が伸ばす二人の影は重なっていた。契約など無くとも、交わせる心があるのだと、王子は証明した。言葉で伝えたセイラとは対照的に、行動で。

「ちょっと……ずっと前にクーニャンにも言われたでしょう……! せ、戦場でこのようなは、はしたな……」
「許してくれよ、緊張感が欠けてる訳じゃないんだから」

 最後かもしれないだろ。
 泣きそうに揺れている瞳のまま、そう問いかけられては否定できない。
 できるだけ笑顔でいようと努めてはいるが、押し込めた感情のダムは決壊寸前だった。
 それもそうだ。彼女にとってもそれは同じだったのだから。
 別れの覚悟を決めたとしても、胸の中にある寂寥感は決して消えはしない。覚悟だけではどうにもならないこともある。

「ほら、急げって。シンデレラが待ってる」
「うん、行ってくるね」

 背中に回していた方の手だけは離さないまま、彼女の背中を押して、戦場へと送り出す。
 初めて会ったあの時、少年は人魚姫の手を取った。もう彼に、その手を取ることはできない。だから今度は、その背中を押してやろう。手を引いてくれる誰かが居なくても、誰かに見つけてもらえなくても、魔女の薬なんて無くても彼女が一人で歩いていけるように。
 少年が、最後の最後に施したおまじないが、僅かな満足感しかなかったセイラの胸の内に広がっていく。温かな安心感と、彼からの信頼に裏打ちされた自信が、心臓さえ持たない守護神の肉体の内側で脈打っている。
 きっと、本人は気が付いていないけれども、王子は何度もセイラの夢を叶えていた。だから、ここから先は彼の願いを自分が叶える番だと彼女も決めた。
 自分が幸せになること。そのためにアシュリーを取り返すこと。彼の親友、知君のためにソフィアも救い出すこと。彼の決断で救われた人間を一人でも増やすために、戦うのだ。
 セイラが知君のもとへ向かい、去っていく背中を見つめる中、緊張の糸が切れた王子はその場にへたりこんだ。元々身体は無理を言っていた。声も本当ならば出せないのに、無理に言葉を紡いだ。知君に檄を飛ばし、セイラを最後まで励ました。もう、身体も、心も限界なのだろう。
 戦局的にも見守ることしかできない。残された王子にかける言葉もないまま、真凜は知君を応援することしかできなかった。ここで自分にかけられる言葉は無いだろう。多分に、この少年は兄の音也から伝えられた方が、喜んでくれることだろう。

「なあ、光葉。ちゃんと胸張って見守ってやれよ」

 地面に蹲って、突っ伏したまま、声なきまま彼は感情を吐露していた。ぽつりぽつりと、晴れた夜空の下、通り雨が落ちる。膝をついたまま、身体を丸めて、誰にも見られないように顔を伏せたまま、人魚姫から見られなくなったところで彼はついに我慢の限界を迎えていた。
 奏白の言葉にも頷いたものの、ものの数秒では分別などつかないのだろう。縮めた全身を震わせて、何とか立ち直るべく嗚咽を飲み込もうとする喘鳴のようなものが聞こえてきた。

「お前は多分自分の事を、満身創痍で、何もできなかった奴だって思ってるかもしれねえけど、そんなことねえよ。……落ち着いたらちゃんと、あいつらのこと見守ってやろうぜ。あの二人にとって、お前の言葉以上のエールは無かった。強いとか弱いとか、そんなの関係ない」

 奏白も、もうとっくに王子のことを仲間だと認めていた。画面の向こうで活躍する、華々しい英雄の一人、捜査官の若きエース戦闘員。王子がフェアリーテイル対策課に合流した後も、その鮮烈な戦いぶりを何度も目にしてきた。知君と同じかそれ以上に敬意を寄せている、立ち振る舞い含めて誰よりヒーローらしい男だと奏白を尊敬していた。

「俺……ずっと前に約束じてたんです……。バッドエンドで終わる人魚姫の、セイラを、ハッピーエンドにしたい、って……」
「ああ、とっくの昔に叶ってたよ。気づいてなかったか? お前と一緒にいる人魚姫、いつだって幸せそうにしてたぜ」

 返事はない。身体は縮めたまま、何とか自分の感情と折り合いをつけようとしているのだろう。出会った頃と比較して、彼は大きく変わった。奏白は彼の肩を叩いて、少年が歩んできたそれまでの長い道筋を称えた。

「別に、強い訳じゃなかったかもしれない。今までのお前は子供っぽいところもあったかもしれない。けどな、光葉。お前は間違いなく、今日一番かっこいいヒーローだったよ。この天才、奏白 音也が保証する」

 だから、ヒーローが下ばっかり向いてちゃ駄目だろうと、顔を上げろと、最後まで見届けるように示唆する。
 だが、未だに少年は微動だにしようとしない。どうしたものかなと首を傾げた奏白を、隣に立つ真凜が笑った。

「馬鹿ね、兄さん。兄さんにそう言われたら、嬉しすぎて泣いちゃうでしょ」

 これは決してリップサービスでも何でもない。親友である知君が肉親を取り戻すために、愛したセイラが親友のシンデレラを取り戻すために、自分の宝物を秤にかけて、それでもなお代償として差し出すと決めたのだ。その勇気ある決断を下した王子が、英雄でなくて何と呼ぶというのだろうか。
 戦争の中心では、今まさに人魚姫と知君とが守護神アクセスを行っていた。月夜の晩に、人魚姫の影が溶け込んでいく。
 そして、彼ら勇気ある少年たちの、総力戦が幕を開ける。残された時間は、もう十分と存在していなかった。

Re: 守護神アクセス ( No.169 )
日時: 2020/05/08 03:15
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 ネロルキウスの力で奪った守護神というのは、言うなれば二つ目の特殊能力であり、ネロルキウスとは全くの別個体である。そのため、知君と契約した人魚姫の能力であれば、傾城の性質を得たシンデレラに対して能力が有効となる。知君にネロルキウスから王の特質が受け継がれていたとしても、そこから人魚姫に二重に移ることはない。
 そのため、人魚姫の癒しの能力を用いることができるようになる。歌、つまりは声を媒介とする彼女の能力を、本来の契約者である王子は使えなくなってしまった。ならば、能力の行使権の譲渡先を変えてしまえばいい。王子から知君へその所有権を一時的に譲り渡す。その代償こそが、王子の契約だった。
 だから、この千載一遇の好機だけはどうしても逃す訳にいかない。ただでさえ圧倒していた知君の手数はさらに増えていく。水を得た魚のごとく、助けられる手段を得た彼を止めることなどもう誰にもできない。
 最後の数分だとばかりに、知君の集中力は頂点まで高まっていた。それに対してソフィアはというと、とうとう正気を失って破壊衝動に飲み込まれてしまった。血涙を流しているのかと見間違うほど、毒の瘴気の紅色が瞳を侵食していた。獰猛な肉食獣のように、犬歯を剥き出しにして目の前の障害に襲い掛かる様子は、麗しい歌姫に似つかわしくない形相だった。
 そこらに散らばる飛沫たちを、空気中の水蒸気を集める。渦巻く水の触腕をいくつも生成した知君は、四方からソフィアを攻め立てた。宙を駆け巡る意思を持った水流は、さながら船を沈めるクラーケンの触腕のごとく。隙間を器用に潜り抜けるソフィアを的確に追い詰めていく。
 ただし油断をする訳にはいかない。人魚姫の能力が通じるということは、シンデレラの能力で人魚姫の能力を打ち消せるということになる。ティアラの中央でルビーが瞬いた。紅蓮の炎がソフィアの手を覆い、真正面から迫る水の触手を薙ぎ払った。音を立て、瞬時に蒸発して触手は焼き払われたように見えた。
 だが、人魚姫の能力は蒸発させても止まらない。再び凝結させ、シンデレラの右腕を掴んだ。一つの腕が掴んだと同時に、次々と別の触腕が襲い掛かる。両手両足を絡めとるように掴み、するすると全身に巻き付いていく。
 完全に彼女の身体は水没し、空中で水の牢獄が完成した。動きは完全に止めた。そう思った瞬間にガラスの靴が純白に煌いた。白い光は氷雪を従えたことの証。瞬きの瞬間に、彼女を捉えたはずの水は一瞬にして凍てついた。水の状態だともがいても逃げ出せない。だから一度固めて、砕くことにした。
 真っ白に凍てついた水の牢獄は、瞬時に内部から打ち砕かれた。黒薔薇のドレス、シンデレラが唯一自分自身に働きかける、肉体活性の装束。その身体能力は、奏白にさえひけを取らない。
 氷の礫を目くらましに利用し、死角から回り込んで知君の背後へと到達した。無防備な胴体を今、シンデレラの凶槍が貫こうとしていた。ガラスの靴の先端は、アリスのトランプ兵の武器にも劣らない、絶命の凶器となる。
 パチンと、軽やかな合図が響いた。発信源はソフィアの真正面、すなわち知君だった。刹那、ソフィアの身体を衝撃が襲う。二重、三重、否、数え切れないほどの痛みが彼女を襲った。先ほど砕いた氷の残骸が、次々と弾丸となって彼女の身体を打ち付けていたのだ。
 腹を撃たれたと思ったら次は脚、足かと思えば次は肩。一瞬前の衝撃を、次々と迫りくる砲撃が上書きしていく。氷の砲弾は、完全に知君の視界にあるはずのソフィアを的確に撃ち抜いている。

「ガァッ!」

 それは悲鳴ではなく、威嚇だった。身体が痛みを訴えても、もはやその刺激を理解する理性は失われている。己の身体さえ省みずに、筋肉が引き千切れてでも動き続けるキリングマシーン。
 彼女を傷つけないようになどとは言っていられない。このままではソフィアの身体は自己崩壊する。だからこそ、出し惜しみなく容赦もなく、知君は攻め立てるしかなかった。
 見えていないはずのソフィアを正確に撃ち抜いたのは、当然のことながら理由がある。遠目に見守っている数々の捜査官達から視界を奪い取ることで、自分の死角というものを完全に潰していた。
 確かに、複数のカメラの内容を理解するには、必要な脳の処理能力が膨大となる。しかし、知君にとってそれは難なくできることだった。彼は己の守護神と打ち解ける以前、何十、何百回と、焼ききれそうな程の情報の洪水を乗り越えてきたのだ。たかだか十程度のカメラの視覚情報など、朝飯前だ。
 ただし、やられっぱなしの姫君でもない。シンデレラはあくまで最強のフェアリーテイルであり、契約者と守護神アクセスした状態だ。そう簡単に力尽きることはない。あくまでも今彼女に攻撃しているのは人魚姫の能力だ。ならば反撃も不可能ではない。
 今度瞬いたのは、ネックレスのエメラルドだった。翡翠色の閃光は薫風を表している。かまいたちのごとく、万物を切り裂く鋭利な風刃が、彼女を中心として巻き起こった。氷の礫を、たちまち無害な粒子レベルに砕き、裂き、分解していく。
 エメラルドグリーンの刃の竜巻。それが止んだ後に姿を見せるのは、風に愛された王女一人。


 その筈だった、本来は。


 翠嵐の消えた其処には、シンデレラに屈することのない一人の少年の姿があった。たとえ人魚姫と新しく、二つ目の契約をしようとも、彼がネロルキウスの契約者であることに変わりない。
 ELEVENである以上、彼にシンデレラの能力は通用しないのだ。裂刃に身を晒そうとも、彼にとってそれはそよ風と相違ない。粉々になった氷をもう一度水へと転換し、一つの塊に凝縮していく。
 その能力の間隙を埋めるべく、知君は己の身体一つでソフィアを攻め立てる。空を蹴り、三次元的な動きでソフィアを追い詰める。ソフィアの頭上から、脳天を砕くような踵落とし、何とかソフィアはそれを両腕で受け止めるも、腕に痺れるダメージが残っている内にもう、知君の姿は無くなっている。
 次は側方から肘打ちが飛んでくる。これは受けることができず、そのまま胴体に直撃した。ただ、ドレスの下にあるコルセットが上手く防具として働いた。ぐしゃりと嫌な音がしたため、もう二度目は無いだろうが、一度は何とか受け切れた。
 だが再び、足音だけ残して少年の影は消える。消えたと思った、はずだった。それなのに認識したその瞬間にはもう、反対側から衝撃は走り、そのダメージを知覚した時には彼が地を蹴る足音だけが残されている。
 回避もできず、防御もろくに間に合わず。何とか氷を従えることで、物理的な盾の役割だけ持たせているが、人魚姫が憑いている以上それは無駄だ。知君の前に現れた氷の壁は人魚姫の力で簡単に操作され、彼の身体が通る穴を開けられる。
 炎の壁、風の刃の障壁、それらも無駄だ。形が存在しない以上、それそのものが攻撃力を持たない限りバリアの役割は果たさない。そして知君には能力による負傷は与えられない。抜け出せない牢獄という意味でも、打つ手が無いと言う意味でも、彼女は今、八方塞がりに陥っていた。
 先ほどは氷の砲弾をいくつも利用していた。だが今度は、水の弾丸を全方位から無数に展開していた。既に、触腕から逃げ惑い、全身を礫で撃ち、能力を濫用し、肉弾戦闘でも疲弊している。
 能力が及ぶ全域から、利用可能な水源全てを知君は利用していた。何にでも応用が利くネロルキウスの力を使いこなしてきた彼だからこそ、制限がある守護神の能力であっても十二分に引き出せる。ELEVENの超耐性も相まって、人魚姫さえ自分が自分でなくなったかと錯覚したほどだった。
 人魚姫の弱点である肉体活性が不十分という部分もネロルキウスがカバーしている。そしてネロルキウスにできない、シンデレラの浄化は彼女の能力で担当できる。
 理性を失っていた彼女以外、全ての人間が一様に理解した。今の知君に、弱みは何一つない。ただしそれは決して、彼が他の追随を許さない存在だったことに由来している訳では無かった。当然、彼にできないことはこれまでいくつもあった。彼は自分にできないことを、他者の協力を得ることで乗り越えただけだ。
 全ての人は不自由で、完璧な人間など存在しない。ただし、それでも、本当にできないことなど何一つ存在しはしない。
 腕を振り、準備していた大質量の水全てを一斉に解き放った。ソフィア一人を攻め立てるように、逃げ場全てを塗りつぶすように洪水が襲い掛かる。捕らえられてなるものか。本能的に、身体を燃え焦がすような衝動に任せて、彼女は一点突破に賭けた。
 翡翠の光、紅蓮の一閃、同時に瞬いて彼女を黒薔薇の装束ごと包み込んでいく。光は凝縮し、次第にその煌めきは高まる。紅も翠も、融けるように色を失い、黄金色のオーラだけが小さく等身大に圧縮されていた。
 次の瞬間、耳を劈くような轟音を響かせ、一点に集中したエネルギーは解き放たれた。ハリケーンを思い起こす突風の勢いで体を加速し、目の前の大瀑布を紅蓮の業火で薙ぎ払う。
 さしもの彼女とて、何トンもの水全てを消し飛ばすことはできない。だから、自分に触れる部分のみに焦点を合わせる。最低限の水だけ蒸発させ、行く手を阻む知君の懐へ、最大速度で潜り込む。そのための一点突破。


 だが、それでも届かない。


 超高速で撃ち出された筈の彼女の身体を知君は完璧にとらえた。腰の辺りを抱きかかえるように体当たりで突撃し、そのまま自分の勢いに乗せて彼女の身体を今来た道へと押し戻す。
 僅かな一瞬で構わない、彼女の身体を水面に付けてしまえば構わない。シンデレラの能力は『万物を魅了し、隷属させる能力』。全能ではない、しかし万能である彼女の能力を封じて癒しの聖歌を押し付けるためには、『空間と意思の疎通のみが存在する世界』へ案内せねばならない。
 ソフィアの背後へ、全ての流水を収束させる。即座に蒸発させられるせいで、水面は次第に遠ざかっていくが、それ以上の速度で距離を詰めるべく、足取りを速めた。
 まだ足りない。暴れる姉の身体を押さえつけ、奥歯を食いしばる。炎と激流の狭間、水分が揮発していく騒音の中で、気付けの咆哮を轟かせた。小さな体に似つかわしくない、強い感情のこもった怒号。
 もはや時刻を確認する余裕もない。今が何時かも分からない。だが目の前でソフィアはまだ生きている。だったら、まだ手遅れなんかじゃないに決まっている。
 勢いを増した二人の身体は、じりじりと水面に近づいていた。其処が入口だ。地道にその入口へと足を踏み入れようとする時間が余りに永く感じた。頭の中で時計の針が音を鳴らして動いている。その音がやけに五月蠅い。はち切れて壊れてしまいそうな心臓の悲鳴も五月蠅い。
 永遠にも思えるような、はたまた須臾とも思えるような数秒の後、とうとうソフィアと知君とは、水面に辿り着いた。
 彼女の背が水の塊、その表面に触れた。それこそが潜り込む条件であり、其処こそが入り口だった。
 歌の能力で回復などの支援をする。水を自由自在に操る。その裏に隠れた、第三の人魚姫の能力。
 窓ガラスや水の表面など、鏡面を入り口としてもう一つの世界に潜り込む力。その世界には、風が吹くこともなく、炎が立つこともない。
 踏み入った者と、彼らを繋ぐ意思の疎通だけが存在する世界。風は吹かねど歌声響く。彼女の人柄を表したような、人を傷つけることを許さない、優しい世界だ。

「ねえ、姉さん……」

 ずっと気を張り続けていた。王子から守護神を奪い取る決断をするその前から。唯一血の繋がった彼女と向き合う瞬間よりも前から。ラックハッカーと向き合う前から。
 かぐや姫たちとの最終決戦を控えて、今日こそ大切な人を失うかもしれないと思った時から、強靭な知君 泰良という人間の中の、弱い部分は常に張り裂けそうな危うさを持っていた。
 とうとう二人きりとなった瞬間に、ついに緊張の糸は切れた。感情のダムは決壊した。

「姉さんは、お母さんがいなくて悲しかったんだよね。僕も……会ったばかりだけど姉さんが死んだら悲しいよ。だから、この先姉さんがどんなレッテルを張られることになっても、十字架を背負うことになっても大切な家族になるって約束するから」

 今にも涙しそうなか細い声を必死に張って、震えて詰まってしまいそうな自分を叱咤して、何とか絞り切るように彼は懇願した。それは依頼でも命令でもない。歳の若い家族が、年上の家族にねだるような、駄々のようなお願いだった。

「僕じゃダメですか? 僕と生きてはくれませんか?」

 この先の幸せな人生を、家族として見守ってくれる姉が欲しいと願った。そんな彼の、細やかながらも、何より優先しなくてはならない、我儘だった。


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