複雑・ファジー小説
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- 守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
- 日時: 2022/05/19 21:16
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)
2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。
___
本編の完結とエピローグについて >>173
目次です。
▽メインストーリー
File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
File4:セイラ >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
File7:交差する軌跡 >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
File8:例えこの身が朽ちようと >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
File9:それは僕が生まれた理由(前編) >>59 >>60-61 >>63-64
File0:ネロルキウス >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
File10:共に歩むという事 >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172
Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177
-▽寄り道
春が訪れて >>23
白銀の鳥 >>70-71
クリスマス >>120
▽用語集
>>8 File1分
>>15 File2分
>>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも
▽ゲスト
日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)
気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)
- Re: 守護神アクセス【File8・開幕】 ( No.53 )
- 日時: 2018/05/07 15:46
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
彼にとって、最も過酷な時間が、始まろうとしていた。身に纏う黒色のオーラと共に、脳内へ流れ込む情報の洪水。求めてもいない星の数ほどの英知に、ニューロンが焼き切れてしまいそうになる。頭の中がバチバチと弾けて、視野の狭まる感覚。何度この接続を行っても、慣れることはないなと、いつものように顔を険しくした。
もう見るのは大体五度目ほどになるだろうか、その変容に王子はまだ慣れることはなかった。柔和な笑みなど消し飛んで、立ち塞がる壁全てをねじ伏せんと振る舞う姿は、まさしく暴君と言って差し支えがない。あの、優しい彼がこのように変わるのかと思えば、空恐ろしくて堪らなくなる。
途端に彼の背後に、見慣れぬ兵隊が現れた。その数を逐一確かめるつもりはないが、ゆうに三十は超しているだろう。四体ほど、趣の違った特別な兵隊がいるようではあるが、残る大勢はその身体がトランプでできていた。その上に、兵であることを自称するように、西洋風の甲冑が。
これが例の、アリスによるトランプの兵隊なのだろうなと王子はすぐに理解した。
残念な報せがあると、粗野な言動に切り替わった知君がセイラ達にトランプ兵の性能と、本来は無かったデメリットを説いた。主に前線に出るのはスペードとクラブの兵隊であることから、ハートには回復能力が備わっている事。そして今現在、ネロルキウスの兵と化しているために、ハートの兵隊、ジャックまで含めて、彼らの能力では白雪姫の毒の能力を無効化できないのだと。
「擦り傷、切り傷程度ならば治癒できるが、能力による影響はやわらげられない。その時はお前たちが何とかする番だ」
俺自身が毒に侵される心配は無いから安心しろと彼は言う。頷いた少年と、その後ろで同様に理解した人魚姫は、彼の背に追随するようにフェアリーテイルとの交戦地へと走る。彼が言うからにはおそらく間違ってはいないのだろうと思ったが、それでも王子には不可解でならなかった。不利な相手と言う割には、どうして相手の攻撃が知君には通らないのであろうか、と。
琴割のお気に入りだからかと彼なりに推測してみる。ジャンヌダルクは別段傾城に不利という訳でないから、秘蔵の知君が他の能力者の影響を受けないように、様々な能力を拒絶している。
おそらくそうに違いないと判断した。辻褄が合うため、もやもやが晴れていく。雑念に意識を奪われていたら、厳しい戦いはより一層困難な道になることだろうから。
いつもいつも、一部の例外を除いてフェアリーテイルというものは、その方が効率がいいからか都会の中心で暴れている。だからこそ巻き添えになる市民も膨大で、全体的な被害者の数はとうの昔に数え切れない。破壊されたライフラインに、道路、建築物。そういった損失の被害総額は一体どれほどまでに登るのだろうか。それらの修理費にも、莫大なお金がかかる。近頃ニュースで、また莫大な国債の借り入れを行ったと聞いた。
他所の国の回し者が、日本の転覆でも謀っているのではなかろうかと主張している者もいた。しかし、そんな強力な能力者が果たしているものかとも、話題に。腕利き揃いの、フェアリーガーデンの守護神達を、まとめて操ることができる者などごく一部に限られている。
ELEVENでもなければ、不可能ではないか。そう言われている。しかし、洗脳、あるいはそれに近い能力を持ったELEVENは二人しかいないというに、両者ともそのphoneが、不正なものも含めて使用された形跡は無かった。流石、人類最大の兵器のような扱いで、厳密にアクセスが管理されているだけはある。
それゆえ本当に、この騒動の全ての元凶というものは未だ謎に包まれている。自然発生した災害という説を強く感じるのもそれが原因であろう。知君にも今一この原因が掴めていないことから、知君を認めている者から認めていない人間まで、その理由を突き止めるのを諦めてしまっていた。
「もうすぐそこだ。気を引き締めろ」
「分かってるよ」
言われるまでも無く、嫌な気配はもうすぐ傍に感じていた。もう、赤い瘴気を目にするのも近くで感じ取るのも慣れっこになってしまった王子にも、これまでとは一風違った禍々しい気配を感じ取った。ビル群を抜けて、視界が開ける。菫やブドウのような、美しいバイオレットではなく、毒虫の警戒色のような汚れた紫色が視界に入る。
白雪姫が白日の下、天に向けて毒々しい林檎を掲げていた。誰が口にした訳でもないだろうに、齧った痕が一か所だけあった。見える果肉は表皮とはアンバランスなことに、瑞々しく新鮮な林檎の果肉が覗いていた。
白雪と言う名がよく似合う、白銀に輝く髪が肩まで伸びた、若い女性の姿。眠っているだけでも王子に一目惚れさせるというだけあって、シンデレラ同様に、この世の者とは思えないほどに美しい。流石に、絶世の美女と言うだけはあるなと、名前の通り王子らしく、その美貌に見惚れてしまいそうになる。
一人だったらそれこそ釘付けになっていただろうな、などと考えながら、横目で隣に浮いている半透明の彼女の姿を見た。
「行こうぜ、セイラ」
「ええ……よろしくお願いします」
これ以上、人々を泣かせる彼女の姿を見たくない。抵抗し、毒気をまき散らす白雪姫の様子を見て、泣きそうになるのをぐっと堪えて立ち向かうその決心を固めた。自分たちだけでは敵わないかもしれない強敵でも、今は心強い仲間が沢山いる。
その場にいたのは、王子一家属する第4班、および知君属する第7班の二つであった。戦力的にはそれだけでも上々。むしろ解決の見込みがある最低限の数と言っても差し支えないだろう。他の対策課員はというと、シンデレラの討伐に当てられていた。久方ぶりに現れたシンデレラは、クーニャンが守護神アクセスした時の桃太郎のように、爆発的に観測数値が上がっていた。それゆえ、同時に出現した白雪姫には最低限、残る全勢力をシンデレラの側に当てている訳だ。
かざした毒林檎、齧りついて欠けた部位から、透明な果汁が溢れ出した、と思った途端。急にその果汁は、果皮の色同様に、毒色に染まる。その液量すらも、果汁と表現するにはふさわしくなかった。とめどなく洪水のように溢れ出るその姿は、その凶暴性も含めれば氾濫と呼ぶに値するものだ。
押し寄せる毒の波。だがしかしそれは、奇しくも水を主とする水溶液であった。こちらへ襲い掛かるように思えた壁のような波がピタリと動きを止める。何事かと思えば、第4班の王子 洋介、その守護神ウンディーネの能力によるものだった。水が主で、それに毒素が溶けているというのならばお手の物だと、自由自在に操る。
一本の水柱、それが一直線に白雪姫へと向かう。術者本人に対して、この毒の効果があるのかなど分からない。だが、原典における彼女こそが林檎の呪いに中てられた故、効果はあるだろうとの判断だった。
だがしかし、その発想は不発に終わる。涼し気な瞳で、その反逆の水流を一睨み。同時に林檎を手にしていない方の手で指を鳴らす。泡の割れるような軽快な音。同時に、あれほど邪気に満ちているように見えた毒林檎のジュースは途端に透明な清水と変化した。
清らかな泉の飛沫を浴びたようで、彼女を打つ水流は陽光に照らされて煌きながら宙を舞い遊んだ。急速にそれらは、まるで元々存在していなかったかのように存在を失っていく。ウンディーネによる力でも手ごたえを失ってしまったその感覚から洋介も感じ取った。
別次元の存在へと昇華するように、虹を残して毒だった清水は消え去った。毒はおそらく、効かないだろうと彼女自身この瞬間に悟った。ウンディーネだけではなく、後方に現れた王子から、古い友の力の残滓たるものを感じ取ったからだ。例え一人処理しようとも、もう一人が居れば水流を操る能力により、また毒瘴酸全てが自分へと襲い掛かってくる。
だが、相棒を見つけ凛々しくも立ち向かってくる、今は姿を消してしまったセイラの事が、彼女にも微笑ましく思った。彼女は、報われない物語のお姫様だから。自分やシンデレラとは異なる存在だから。大好きな友人ではあったが、それでも気まずくて堪らなかった。だが、今はもう違うようだ。自分のための男の子を見つけられているみたいだった。事実少年は、後ろでセイラが見守っているからか、自分には目を奪われていない。
この傾城を前にして少しも気を取られないとは、優秀な王子様だと彼女も残された理性で太鼓判を押す。と、同時に真紅の瘴気が彼女に囁いた。だからこそ、壊し甲斐があるだろう、と。狂ってしまった思考回路が、即座に応じた。その通りだ。
「小人さん、来てちょうだい」
呼ぶと同時に地面に七つの穴が開く。それは急にモグラが飛び出したようなトンネルではなく、異空間に繋がる出入口のようであった。真っ暗闇の中から、飛び出した影。穴一つにつき一人、白い髭を蓄えた二等身の小人。全員が短刀を腰に、手には矢を握りしめていた。
真凜としては、その様子にどこか壊死谷を思い出す。しかしこれはフェアリーテイル。数もあの時より圧倒的に少ない。だとすると、一人一人の警戒度はずっと高めるべきである。
メルリヌスの真価を発揮する。一足先に、数秒先の未来。一人当たり、何十本と言う矢を同時につがえていた。どういった技術で撃ち出しているのかなど分からない。次の光景に息を呑み、すぐさま対処する。原理など気にしている場合ではない、何せこれらは、人知を超えた何かなのだから。
七人の小人が、丁度弓を構えているその位置に向けて、即座に魔力の砲弾を撃ち出した。急いで撃ったため、少々精度に不安が残る。思った通り、そのほとんどの砲撃の軌道は僅かにずれていた。しかし、七人のうち二人には見事に命中する。矢をつがえようとしていたもう一方の腕を弾き飛ばした。
残った連中も、好き勝手させるものかと、隣を素通りしてしまいそうな魔法弾を次々爆発させる。強烈な爆風に煽られて、小さな手いっぱいに握りしめられた矢がばらばらと地面の上にだらしなく広がった。
だが、それさえも耐えきった二人の小人、もう二人は、弦を引き絞って、今すぐにでも何十と言う矢を放とうとしていた。
それをみすみす見逃す奏白ではない。させないと言わんがばかりに、その内の一人に飛び掛かる。あまりの高速に、その姿が消えたように見える。突然に現れたのは、小人の頭上であった。
不意を打とうと後ろから襲撃すれば、その反動で矢が飛び出すかもしれぬ。それなら、上部から叩きつけて押さえつけるべきだ。
下方へと押し付けるような空気の鳴動を、真上から。衝撃に、押しつぶされる様な感覚を小人は味わう。急に強い重力がかかったかのように、べたりとカエルのような格好で這いつくばった。弦から飛び出していきそうになった矢の数々も、強い勢いで地面に叩きつけられる。
もう一体も、同様に片づけねば。そう思い、また駆け出そうとするも、それより先に真凜によって狙撃を中断させられた五人の小人が襲い掛かっていた。今度の彼らは、自陣深くに無謀にも踏み入った奏白を仕留めようと、全方位から。
しゃらくせえ。音速で移動する彼から見て、その動きはあまりに緩慢だった。正面、後方、右、左、右斜め。近い者から順に処理する。腹部を蹴り抜き、頭上から肘を落とし、逆の手で顔面を薙ぐように払い、残る二人は順に音撃で吹き飛ばした。
目にも止まらぬ早業、痰が絡んだ鈍い悲鳴と共に奏白を中心に吹き飛ぶ。だが、もう一人の小人を取り押さえるのは、もう間に合わない。
手から放たれた数々の鏃が、弾幕となって次々と宙を飛び交う。その様子まで見えていた真凜は、すぐさま反射板と青い光線とを駆使し、格子状のレーザー光により打ち落とす。次々と、羽やら軸やらを撃ち抜かれ、翼をもがれた鳥のように地へと堕つ。だが、あまりに数が多い。処理しきれなかった数本の矢は、メルリヌスの包囲網を抜けた。
その討ち漏らした矢は全て、王子に向かって一直線に。
「王子くん! 避けなさい」
するだけの余裕も無かったが予知するまでもなく、それらが彼を貫こうとしていることは彼女も分かった。それゆえ、避けろと指示するも、王子は反応が間に合っていない。死を感じるスローモーションの世界に、嚆矢を筆頭として、眼前へ迫る三角形の刃。ひゅるひゅると矢が叫ぶ大げさな音も、次第に大きくなる。
だが、そんな王子の盾となるように、スペードの兵士と知君とが立ち塞がった。何本かの矢はトランプの兵隊の掲げた盾により防ぐことができたが、残る一本はその防壁の隙間を縫って突き抜ける。
代わりにその矢が捉えるのは知君の額だった。その鏃が彼の肌に触れるのを見た時、急に世界が止まったように真凜は感じた。視界が急にズームアップする、知君から、目が離せない。他の様子なんて気にかけることすらもできなかった。息を吸うことも、吐くことも、瞬きすらも忘れてその様子を見る。瞬きしてしまえばその隙に深々と矢が脆弱な少年の頭蓋を貫いてしまいそうで。
全身凍り付いてしまったようだ。スーツの下に、嫌な汗が。悪寒、寒気、何と形容したものだろうか。彼が死ぬやもしれぬという恐怖が、冷知覚となって足元から這い上ってくる。
しかし次の瞬間、壁に当たったボールのように、暴君を襲った不敬な矢は跳ね返った。鋭い歯が勢いよく衝突したはずなのに、かすり傷一つ負っている様子は無い。
ネロルキウスならば当然だ。そう言わんがばかりの不遜なる態度。無事であることなどとっくに分かっている。それなのに真凜は、駆けよらずにはいられなかった。
何事も無かったかのように仁王立ちする彼の両肩を彼女は掴んだ。体を前後に揺らし抗議するも、知君はというと、眉を少しひそめただけだった。
「何を考えているの!」
「別に、受けても問題無いと思ったから立ち塞がっただけだ。それより王子を失う方がこの場においては痛手だ。俺が死ぬよりもそれは避けるべき事態だ」
「友達が目の前で死んで、王子くんがどう思うか考えなかったの?」
「別に、死ぬわけがない。俺を誰だと思っている?」
「そうじゃなくて!」
「はあ……。王子は、悲しむだろうな」
詰問はそれだけかと、険のある目を彼女に向ける。
「おい奏白妹、内輪もめは後だ。あと、知君……今だけは礼を言う」
二人の間に割って入ったのは先ほど知君に救われた王子の兄、太陽だった。後輩の奏白が自分より優秀であることに、強く嫉妬するほどの男だ、当然知君の事など普段好く思っているはずもなかった。だがそれでも、弟の恩人だからと彼は頭を下げた。
別段、知君にとって嬉しくも無かった。救ったのは、己の意思からだ。感謝される謂れはない。それに、今の言葉には感謝以上に妬みが詰まっていた。どうしてそんな言葉を素直に受け止めたものだろうか。
とどのつまり、真凜もこうやって、前線に立つ知君が次の瞬間には死ぬかもしれないと、侮っていると感じた。見くびるなと、強い怒りを持って彼女の横顔を睨みつけた。もっと信用して見せろよと、ぴったりくっつけた奥歯の向こうに愚痴を飲み込む。今言うことでもなければ、後で言う言葉でもない。別に、認めてくれなくて構わない、慣れっこだろう、君は。
強がりの性格の裏に潜んだ、弱い心が顔を出す。途端に、ネロルキウスに呑まれてしまいそうになる。これじゃ駄目だと、苦悶を顔に浮かべては顔を一心に振る。その様子に、やはり限界なのかと真凜は呼びかけた。
「問題ない……。次は俺が前線に立つ」
「無理よ、いつもよりしんどそうにしてるじゃない!」
「うるさい! お前らは居なくなると悲しむ奴がいるだろう! だから俺が出ると言っている!」
「勝手なこと言わないで……。民間人を立たせる訳に行かないの」
聞こえていた、彼女の制止の声が。それでも、止まりたくなかった。止まれなかった。意地だった。意地など張るなと教育されてきた彼だったが、これ以上の我慢なんてできなかった。『民間人』という、彼女らと自分たちを隔てるために用意した言葉に、何度涙を飲み込んだと思っているのかと、また強く拳を握る。
知っている、もう聞いたぞ。恨みがましく、心の中にこぼす。王子には、共に戦おうと言ったそうじゃないか。俺と彼の何が違う、彼が良くてなぜ僕はいけないんですか。我儘など言うな、隠せと育てられた。だからこそ、尋ねる訳にいかなかった。
それ以外の手段なんて知らなかった。だから彼は、しがらみを振り切るように、誰よりも前線に立ったのだ。
- Re: 守護神アクセス ( No.54 )
- 日時: 2018/05/07 15:53
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
それ以外の手段なんて知らなかった。だから彼は、しがらみを振り切るように、誰よりも前線に立ったのだ。誰より多くの敵を倒せば認めてもらえるに違いない、誰よりも強くあれば、役に立つ人間であれば、愛してもらえるに違いないと。
そこからの時間は、正直なところ見ていられなかった。アリスから借り受けた能力を用いて敵陣へと攻め込む知君。奏白もサポートに入るように奥で戦っているようだが、無謀な突き進み方をする知君の様子にひやひやしているのは見て取れた。明らかに、普段ならば追撃を仕掛けるようなタイミングであっても、知君の無事を確認する影響で攻めきれない。
だが、奏白は少し様子がおかしく、知君が怪我をすることよりも、もっと別のことに気を配っているように見えた。そもそも、ネロルキウスの加護を受けた彼が怪我などそうはしないと分かっているのがある。だとすれば彼は一体、何を恐れていると言うのだろうか。
小人を蹴散らし、白雪姫を取り押さえようと、知君は単騎で攻め入り続ける。トランプの兵士こそいれど、物言わぬ彼ら等ただの力に過ぎず、孤独であることに変わりは無かった。近くで奏白が戦っている様子はあるが、彼の場合白雪姫に近づく訳に行かなかった。白雪姫の周囲を立ち込めるように、毒ガスが立ち込めていた。さっきのような毒の津波だと無効化されるが、水さえ関与しなければ何も問題無いと判断して、だ。彼女の能力は無尽蔵に有害な物質を生み出すことはできるが、その対流を操作することはできない。溢れっぱなしにさせることはできるが、意志を持った空気や水の流れを以て、特定の人物を狙い撃ちなどはできない。
それゆえ、他の人がいる方まで毒霧が流れてくるようなことは無く、ただただ彼女と現世とを隔てる御簾のように、赤いもやが戦場を覆う。万が一にもこの外の地域に漏れ出ないようにと、次々王子とセイラにより、無毒化されている。しかし、新たに生み出されたガスが、白雪姫に近づけさせまいとやはり強力な壁を形成している。
あそこに踏み入れるのは知君だけ。知君が取り押さえて、その隙に王子が癒しの聖歌で瘴気を取り除くしか、対処法は存在しない。
立ち塞がる小人をかき分けるように突き進む、カードの身体を得た兵団。しかし、各マークのジャック達はともかく、雑兵たちは小人を前に易々と倒される。ハートの兵士たちは全員揃って後方の捜査官の治癒のために置いてきたため、こちらの回復は望めなかった。
段々と配下が倒れていくその様子に、まるで知君が裸の王様のように思えた。一人で無理して突き進まないでよと、前線の二人が捌ききれなかった小人の矢を撃ち落としながら、その背中を真凜は見守っていた。王子に矢が届いてしまえばゲームオーバー。それゆえ自分もここを離れる訳にはいかない。
今一攻め切れていない様子の彼に、太陽や洋介は首を傾げていた。今まで、この白雪姫よりもずっと強大な守護神をも鎮圧してきた彼が、どうしてこれほど手こずっているのか、理解できていないといった風だった。
それは、真凜も同じだ。いつもなら、相手に指一本触れさせずに圧倒、傲岸不遜なままにねじ伏せると言うのに。今日の彼にはその覇気がまるで感じられなかった。一体どうしてだ、分かっていない様子の彼らに、護られながら王子は、先刻聞いたばかりの情報を伝えた。
「ネロルキウスの能力が、白雪姫に聞かない? 何だ、あいつにも弱点らしいものあったのかよ」
「何だよ兄貴、その嬉しそうな言い方はよ」
「そんなの呆れるしかないだろ。そんな立場で踏み込むとか、馬鹿かよ」
「そんな言い方ねえだろ、あいつがどんだけ……」
頑なに知君へ心を閉ざす太陽。それを咎めるように王子は、知君を庇おうとするのだが、その声はまた別の声でかき消された。太陽の言葉に激昂した、第7班のメンバーによって。
「分からないの? それが彼の強さだからよ。優しさだからよ。誰かの傷つくところなんて見たくないから、例え自分が傷ついてでも前に出るんじゃない」
今まで、苦戦などしたことなかった。そんな知君が小人たちの猛攻に押されていた。完全に不利といった様子はなく、充分に抵抗はできている。疲れも痛みも傷も知らないような小人たちを、何度も何度も薙ぎ払い、投げ飛ばす。突き出されたナイフを掴む腕を叩き、飛び交う矢の雨に打たれても、けろりとしていた。
ナイフや矢では傷を負わないようだがそれでも、彼の様子はボロボロだった。彼自身に傷はつかないと言っても、身に纏う制服は色んな所に穴が開いていた。小さな子供が無邪気に飛び掛かるようにして、四方八方から押し寄せる小人。髪を引っ張られたりもしていたせいで、その髪はぼさぼさになって色んな方向に向かってはねていた。
何度か実際に殴られたり蹴られたりはしたのだろう、頬には青あざができていたし、引っかかれたのか顎の辺りには三本の赤い線が。どうしてそんなになってまで、貴方は戦い続けると言うのか。彼女の心に、黒い問いかけがまた、次々と。
そんな時間がずっと続いた。どちらが優勢とも言えない膠着状態。その膠着が、警察側の不利に傾いたのは、王子とセイラの守護神アクセスが解けた時だった。急な脱力と同時に、人魚姫の身体が現れる。その目はどこか、やりきれない想いに燃えていた。
生身の状態の人間が戦線に立つのは危険、それゆえすぐに再接続するべきなのだが、セイラは少し待ってくれと契約者の彼に懇願した。伝えなくてはならぬ事があると。
味方に向けるというよりも、敵に向けるような瞳を彼女は真凜の方に投げかけた。どうしてそんな感情を込めて睨まれねばならないのか理解できず、肩を竦める。その顔は、激しい苛立ちに突き動かされているように見えた。
「真凜さん。知君くんって、何で戦っていると思いますか?」
「それは、彼自身誰かのために戦える人だからよ」
何を分かり切ったことを、と。呆れかえった彼女は意義の分からない問いかけをした人魚姫に叱責をぶつける。今はそんな事より早く王子くんとアクセスしなさい、と。だが、人魚姫は頑固にも首を横に振る。今はまだ、駄目だと。
「確かにそうです。じゃあ何で、今無理して前線に立っていると思いますか」
「セイラ、何に怒ってるか知らないけど落ち着けって。それが知君の強さなんだよ」
「違いますよ!」
割って入ろうとした彼の言葉を、強い語調で否定する。本当に分かりませんかと、彼女は問う。けれども彼には、自分が何を理解していないのか察することができなかった。
「王子くんは、私と出会って、戦う力を得ました。私は、王子くんと出会って初めて報われました。お互い、古くからの望みが叶ってしまったから、もう気づけないのも無理は無いかもしれません」
もう一度、彼の目をよく見てみろと彼女は言う。倒れてもすぐに起き上がる、達磨みたいな小人と戦いながら、白雪姫の方へ一歩、また一歩と歩を進める彼。その目を見る。とても苦しそうだと感じてしまった。
けれどもなぜだろうか、その目は普段と、何も変わらないように思えてしまった。今、力になりきることができず、悔しく感じているだろうとは察せられても、平時は一体どういったことに苦悩しているのだろうかと、王子は首を傾げた。
「それでも私は見れば分かりました。あの目は、欲しくて欲しくてたまらないものを、ずっと待ち望んでいる瞳だと」
「知君くんが何を望んでいると言うのよ」
「ずっと一緒に見てきて、真凜さんはまだそんな事も分かっていないんですか?」
その、静かな怒りに気おされる。自分自身が、兄同様荒々しく激情をぶつけるような人間なので、そうやって爆発してしまいそうな激しい感情をぶつけられるのには慣れていない。だから、その怒りに晒されたくなくて、逃げるようにと口を開く。
「誰かが笑っている事? 世界が平和である事? 王子くんや私達といった人の無事?」
矢継ぎ早に、彼女が思いつく限りの発想を、推敲することも無く口にする。しかし、言えば言うほどにセイラの表情は一層固くなっていく。
「やっぱり貴方は、彼の事を知ったかぶりして子供だと突き放す割に、何も見てませんよね」
「じゃあ、彼は一体何を欲しがってるって……」
「とても簡単な言葉ですよ。『ありがとう』と『一緒に頑張ろうね』って、とても簡単な言葉」
「そんな簡単な言葉、彼が欲しがるとでも……」
「欲しがりますよ! だって……」
「そんな言葉、何処かで誰でも言ってくれるじゃない!」
「今まで言ってこなかった貴女達が! 何様のつもりでそんな事口にできるんですか!」
その声は、雷鳴のようだった。暗雲が黒く立ち込める中、空間を割って突き進むようにして、誰の耳にも轟いた。直接言葉をぶつけられたのは、真凜一人だ。しかし、その言葉は彼女以上に、第4班に所属している人間に突き刺さった。
「皆さん全員勘違いしてますが、彼は子供ですよ。未成熟な人間です。貴方達が彼にぶつけた感情は何でした? 「疎ましい」「邪魔だ」「嫌いだ」「どこかへ行って欲しい」「認めてやるものか」……全部、嫌悪の感情じゃないですか。ねえ、ちゃんと理解しているんですか? 彼が自分の人生を犠牲にしてまでも戦ってくれるその事実を。助けたはずの人々に受け入れてもらえない彼が、今度こそ認めてもらおうって前向きに涙を隠して笑っていることを。辛いって、苦しいって、言っても貴方達が誰も心配しないから、どうせ見下されてしまうからって。弱みを見せたらまた認めてもらえないからって……迷惑かけちゃいけないから、ってずっと無理して笑ってるんですよ、あの子。立ち向かっていくのは彼の強さなんかじゃなくて、立ち向かわなければならないっていう、弱い心なんですよ」
知君は確かに平和を愛しているし、誰かの笑顔を護りたいと強く願っている。けれども、それだけで戦えるほど大人ではない。いいじゃないか、少しくらい。誰かのために戦う自分が、報われたいと願ったって。けれども、それを口に出せるほど彼は我儘では無かった。
「ねえ、知ってますか真凜さん」
「……何を」
「友人である王子くんや、その守護神の私はさておき、彼の事を仲間って呼んでいるの、真凜さんのお兄さんしかいないんですよ?」
「それは……」
言葉を失う真凜に、またしてもセイラは問う。これが最後だから安心しろと、予め王子の手を取った。
「あの子が、音也さんと同じか……それ以上に、尊敬している人が誰か知っていますか? 同じ志を持っていると、信じている人。ずっと傍で過ごしてきて、誰よりもその人から、仲間だと認めて欲しい人」
「…………」
やはり、答えられない。今度の答えは分かっていた。分かっていたからこそ、口に出せなかった。そこで名乗る資格が、今の自分には無いからだ。
「貴女のことですよ、真凜さん」
手が震える。そんな訳ないと自分に言い聞かせる。こんな弱虫が、あんなに強い子から尊敬されてなるものかと。そんな立派な人間な訳が無いのだと。今の話を信じるも信じないも自由だとセイラは言う。そしてその言葉に続いて、ずっと黙っていた王子も口を開いた。
「正直……知君が辛いのは、ネロルキウスを呼ぶことより、その後倒れることより、泣いている誰かがいることより……兄貴達みたいな、認めてくれない人の視線と、奏白さんが頑なにあいつを認めてやらない事だと思う……じゃない、思います」
今彼女がした叱咤は、自分に対しては向けられていなかったと信じるほど、彼も鈍くは無かった。気づいていながらも見て見ぬふりをしてきたのは、自分も同じだったろうから。きっと、セイラも同じだったのだろうなと彼は感じた。そもそも人間ですらない自分が口を挟んでよいものか決めあぐねていたのだろう。
けれども彼女は、お節介だと思われようとも伝えようと決めたのだ。優しいのに、独りぼっちの少年が、あまりに可哀想だったから。自分や王子と重なってしまったから。手を伸ばすことができる人は、ちゃんと隣にいるのだから。
だから、伝えなければ。同じ年頃の自分だからこそ、ずっと我慢し続ける友のために自分が代わりに教えてあげなければいけない。己の不甲斐なさまで全て、憎悪に変えて知君にぶつける、子供みたいな大人たちに。
「なあ兄貴。俺さ、今だけ感謝してやるなんて言われたら悲しいよ。だって普段は嫌いだってことだろ? 誰かから嫌われて、何も感じない訳ないんだ。だって俺たち、まだガキなんだから」
お互いを信頼しきった声、王子とセイラ、二人の「守護神アクセス」が重なる。その声は、悩みと、苦悩と、葛藤と、苦痛とに塗れた、「来てください、ネロルキウス」の言葉とは、悲しいほどにかけ離れていた。
- Re: 守護神アクセス ( No.55 )
- 日時: 2018/05/03 15:45
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
王子が前線を離れた途端に、戦局は大きく傾いていた。父が手を血まみれにしているかと思えば、その掌を貫いた勢いそのまま、一本の矢がphoneを貫通していた。当然、守護神との接続は途絶えている。不味い。そう思う間もなく、フェアリーテイルは林檎を掲げる。濁流と評するのが何より似合っていた。洪水のような量も、あまりに強い毒気に濁り切ったその様子も、全てが相応しい。
間一髪間に合ったかと思った王子だった。すぐさま父と同様に、毒液の川の流れを操り、逆流させる。本人にぶつけても結局は無意味だとは分かっているが、それでも他にぶつけるあてはない。それなら術者本人に無害な水に戻させた方がよほどいい。
矢張りと言うべきか、指を鳴らすと同時に、腐りきった果汁は無臭の透明な液体へと変わる。ただの水となって王子が武器として使うこともできず、初めから存在しなかったように、また消える。
だが、それさえも陽動だと気づくのがあまりに遅すぎた。初めに『それ』に気が付いたのは、一分後の景色を見た真凜だった。付近一帯にどす黒い雨が降り注ぐイメージを彼女は見届けた。
そんな馬鹿な景色があってたまるかと、上空遥か彼方を見上げる。初めはその影を、誰もが小さな雲だと思っていたことだろう。しかし、違ったそこに浮かび上がっていたのは、果物と言うにはあまりにも巨大で、禍々しく、芯まで腐りきってしまったように真っ黒だった。かなり高い位置にあるため、詳細な大きさはつかめない。しかし、それでも半径数十メートルはあろうことがすぐに分かった。
顔のすぐ脇で白雪姫は、左手の指の腹を右手の平に叩きつけるように拍手を二度。同時に、熟した果実は妨害もできないほどの高みにおいて弾けた。中心から、中身が暴れるようにして皮の途中に亀裂が入る。あの中に入っているものが、これから飛散するものは、何であるのかなど、愚問と言わずして何と言おう。
小人の一人が、天高くに向かって、一射。光陰が一本、真上に向かって走る。尾を引いて天へと向かうその様子は彗星のようだった。腐ってぐずぐずになったような真っ黒な林檎の果皮を食い破り、貫通する。それを合図として、内部に溜まっていた腐蝕液は一気に爆散した。
晴天が破られ、一気に空が黒いドットで埋め尽くされる。次の瞬間を予知するまでも無く、周囲一帯……大勢の人を巻き込んで毒液が飛び散る様子が真凜にも、それ以外の者にも想像できた。
こんな広範囲の攻撃、一体どうすればいいものか。誰もが思考を止めたその時、甲高い少年の声が響き渡った。
「王子くん! 歌の力で浄化してください!」
いつの間にか前線を退いていた級友の指示。彼の指示ならば信頼するに値すると、条件反射のように王子は、体を蝕む病気や瘴気を浄化する歌を響かせる。毎度のことながら、自分の喉から女性の声が出るのは違和感がある。それももう、慣れつつあるが。
いつの間にか前線から撤退していたのは彼一人だけでなく、奏白も同じだった。おそらくは知君の策を聞いて即座に退避してきたのだろう。あの漆黒の雨をやり過ごすには王子の能力だけでなく、奏白の能力も必要なのだから。
王子が行使する人魚姫の能力が効果を及ぼすのは、その歌声を聞いた者だけだ。それゆえ、普通に能力を使用しただけだと届く範囲など限られている。だが、要するに声が届けばいい。声とは音なのだから、広範囲まで届くよう、奏白が、つまりはアマデウスがスピーカーになればよい。
あの能力がどの程度広い範囲に影響を及ぼすのかなど分からない。しかし、自分の能力圏の方がよほど広いだろうと奏白は判断した。半径2キロ、アマデウスであれば十二秒かけて行き帰りできる距離だ。摩天楼ひしめく大都会、それを包み込むように人魚姫の鈴のような歌声が鳴り響いた。どれだけ小さな物音でも、その音が掻き消えてしまわないように、維持し拡散させることができる。黒い雨に打たれるものの、体に変調を来たすより早く、その癒しの効力によりむしろ人々の身体には活気が満ちるほどだ。
「一か八かだったけど間に合ったな。さんきゅ、知君、王子」
「ええ……ギリギリでしたね」
「にしても、よく俺たちの能力で無効化できるって分かったな」
冷静に判断を下した知君の隣に並び、様子を確認する。またすぐにどこかに行ってしまわないように、声をかけた。
「ええ……。白雪姫から情報は取れませんでしたが、『人魚姫の能力であれを無毒化できるか』という情報を検索すれば、問題ないとの事でしたので」
事も無げにそう言うが、よくあの緊迫した場面、それも自分自身も小人と戦っていたであろうに思いついたものだ。流石だなと肩を叩くと、ふらりと少しその身体が傾いた。何事かと、背筋に走る恐怖。このまま倒れてしまうのではないか、吹き飛んでしまうのではないか、そう思うほどに軽くて、弱弱しい手ごたえだった。
ふらつく足で何とか知君は踏ん張る。呼吸が荒い、マラソンの後のように苦しさに喘いでいるかと思えば、高熱を出したように頭を押さえている。
大丈夫か、そんな短い言葉が胸の奥でつっかえた。明らかにおかしい彼の様子に、もはやいつ死んでもおかしくないとまで思えてくる。大丈夫かと尋ねて、否定されるのがあまりに怖かった。この場における希望など、誰から嫌われていようとも誰より強い知君くらいしかない。どれほど周りの捜査官が嫌っていようと、それは変わらない。
現状はどうなっているかともう一度王子は周囲を確認した。父は、phoneが壊れて戦線を離脱している。兄を含め様々な警官が交互に守護神アクセスを解き、即座に再接続。長期戦になっていた。誰の貌にも疲労が浮かんでいれば、このまま終わるのではないかと言う不安が隠しきれなくなっている。
まだ余力がある者といえば、奏白、真凜、王子くらいのものだろうか。そこに知君を含めてよいものだろうかと、横目で様子を窺う。周りの様子を気にかけていたのは知君も同じなようで、その瞳と目が合った。視線がぶつかると同時に、辛いだなんてすぐに隠して、また柔和に笑って見せた。
「大丈夫ですよ、僕ももう一度出れます」
「ほんとに出れるのかよ……って、お前口調……」
元の性格に戻っていないか。その問いが口に出せなかった。ただ、自分が閉口したその先の問いを彼も簡単に察したようで、「ばれちゃいましたか」と笑って頬を掻く。脳に全力で血液を送っているからか、彼は体全体の血行が悪くなっているようだった。カッターシャツから覗く腕はいつもよりも青白く、目元の血流が悪くなって隈が出来上がっている。
「いつもは完勝でしたから、こんなこと無かったんですけどね。……ネロルキウスの接続の許容時間、超えちゃったみたいです」
「おい、大丈夫なのかよ」
「ええ、こうしてピンピンしてますよ」
ただでさえ腕に筋肉なんて無いのに、力こぶを作ろうとする。そんな無理してんじゃねえよと、口に出したくて仕方なかった。けれども、彼がここで退けない理由が痛いほどに理解できた。一緒だ、こいつも。俺と同じで、後ろで見ている事なんてできないんだ。それを理解してしまったから、止めることなどできるはずもない。
ならせめて、調子を整えてから出て来られるようにと、退いた彼の代わりに前に立つと決めた。それは、以前桃太郎に対し慢心していた時のような無謀ではない。少しでも、友の負担を軽くしようという意志からだった。そんな時、王子くんはいつもより強くなりますからねと、信頼した眼差しでセイラはその後に従う。せめてここからは、私達が彼を護る番だと。今まで助けてくれた、その恩に報いるために。
けれどもやはり、庇われた彼は無理をするタイプの人間だ。休憩など必要ない。すぐさま二度目のcallingを始めようと、再び黒塗りの旧型端末を手に取る。指先に力が入らず、落としてしまいそうになる。両手で何とか握りしめて、取りこぼしたりはしなかった。
ただ、開こうとする手を誰かが阻んだ。ほんの少し手を添えるようにして上から押さえているだけなのに、それだけで知君の腕は御された。伸ばした手の持ち主を見る。霞んで、中心しか鮮明に見えなくなった視界に、真凜の顔が飛び込んだ。
- Re: 守護神アクセス ( No.56 )
- 日時: 2018/05/05 09:23
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「止めなさい。そんなことしないで後ろに下がっていて」
「何で……止めるんですか」
「こんなに長時間守護神アクセスしていたの、初めてでしょう? 普段でさえあれだけの反動よ、どうなることか分かったものじゃないわ」
「問題ありません……。僕はまだ、出られます」
強がり、制止を振り切ろうとする彼に現実を突きつけるため、彼の額をほんの少しの力で押してやった。ふらりと体が傾く。恐ろしい勢いで地面が背後から迫ってくるような錯覚を覚える知君。歯を食いしばり、咄嗟に一歩退く。何とか転ばずには済んだようだ。それでも、得体のしれぬ浮遊感が押し寄せ、今度は悪心がやって来た。
「そんな体で?」
「……そうですよ、こんな体でも、です」
ここで退いてしまえば僕は僕じゃいられない。強い意志を込めて真凜の険しい眼光に真っ向から向き合う。今まで、どちらかが一方的に気圧されることこそあれど、二人がこうやって正面からにらみ合う事など無かった。どちらも退かず、譲ろうとしない、真っ向からの衝突。意見を主張したのは、小さな男の子の方だった。
「僕は……ネロルキウスの器になるために生まれてきたんだ。戦うために生まれてきたんだ、だからここで退く訳に行かない」
「そんな訳ないでしょう。そんな理由で生まれてくる子なんていないわ。そんなもの、ただの兵器よ」
貴方だって別の理由を持って生まれてきているのだと伝えようとした。しかし、その本心とは裏腹に知君はより一層眉尻を下げる。何でそんなこと言うんですかと、またどす黒い感情が、胸の内に。やっぱり僕は、人間だなんて認めてもらえないんですか、心の奥底、厳重に保管された真っ黒な箱。それは外から見えぬよう、中から外に飛び出さぬよう、無間の闇に包まれていた。しかし、度重なる心の傷のせいで、いつしか亀裂が入っていた。
亀裂から見えたその箱の中には、ずっと泣いている自分自身の姿。その姿は、今の自分よりもさらにずっと小さい、十年も前の姿をしていた。生まれたての赤ん坊と変わらないような、無菌で真っ白の、ローブみたいな服しか着せてもらえなかった、あの頃の自分。
泣くなという指示、そして全身に流れる電流の感触。トラウマじみた躾が蘇る。何も刺激なんて加わっていないのに、体が強張る。
「ねえ、この場は絶対に私達が食い止めるから。必ず誰も死なずに白雪姫を救ってみせるから。次、知君くんが目を覚ましたら、話をしましょう」
「……もう二度と、戦うなって話ですか?」
「違うの、もっと大切な」
「何でそんなことばっかり言うんだよ!」
彼女の声など、もう彼の耳に届いていなかった。ただでさえ消えそうな意識の中、ほとんど彼に残された知覚は、触覚とわずかばかりの視覚だけだった。
ずっと隠していた。
ずっと話せなかった。
ずっと一人で耐えていた。
言ったら嫌われると思って。
言ったら一人前になれないと感じて。
言ったら認めてもらえないような気がして。
だからどれだけ辛くて寂しくても一人で耐え忍んできた、のに。
結局、何をしても認めてなんてくれないんだったら、こんなの耐える意味が無いじゃないか。
真凜の目が怯えているのが分かった。けれども彼には、彼女が何を恐れているのか、何を忌み嫌っているのか真に理解することはできなかった。
砂漠の中で擦り切れてしまった彼の心はもう、雨を待つサボテンよりずっと棘に覆われていた。だってもう彼は、雨を待つ事なんて、とっくに諦めてしまったのだから。
「戦えない僕なんて、生きてる意味が無いんだ」
「ねえ、何言っているの? お願い、私の話を聞いて」
その声は、やはり届かない。目の前の女性が、悲痛に呼びかけている様子は見える。けれどももう、その声は彼にとって聞く必要などまるで無くて、むしろ聞きたくないだなんて感覚を閉ざしてしまっていた。
彼の脳の中における精神世界は、今度は洪水に見舞われていた。痩せこけた砂漠の大地を、一番深いところに居た自身の本音の人形が流した涙に洗わせる。
何も残っていやしない、ただただ虚無だけが訪れる。おそらくこれこそが、ネロルキウスという唯一の生き甲斐、生きている理由を奪われた自分の姿なのだと把握した。
今までずっと知ろうとしてこなかった、発信しようとしてこなかった本心が、次々と溢れ出る。この、本当の姿を、弱い心を晒してしまえば、今度こそ本当に自分は空っぽになってしまえるだろうか。
空っぽになってしまえば、もう寂しいとは思わなくて済むのだろうか。
ねえ、教えてくれよネロルキウス。肝心な時に限って、彼は何も教えてはくれない。
次々と、決壊した心のダムから彼の押し殺した言葉が漏れ出す。呼びかけ続けていた真凜もいつしか、彼のその言葉に黙って耳を傾けていた。
僕は、ネロルキウスの器となるためだけに生まれてきたから。
いざという時の武器として作られた命だから。
だから取り得なんて、戦うところにしか無いのだから。
戦場に立って初めて存在価値を示すことができるのだから。
そうでないと僕は、生まれてきた意味を見失ってしまう。
そんなのただのごく潰しに過ぎない。
僕がただ幸せに生きているだけで喜んでくれる父は居ないから。
惜しみない愛を注いでくれる母なんていないから。
僕の手を引いてくれるお兄さんはいないし。
優しく頭を撫でてくれる姉もいない。
慕ってくれる弟妹なんて、なおさら。
友達だけは、ようやくできたのかな。
だからそれだけで、満足しないといけないのかな。
仲間だって認めて欲しいだなんて、そんなこと思うのは……。
「そんなこと思うのは……兵器の……化け物の僕には、あまりに贅沢すぎるんですかね」
目の前の少年が、今までよりも一際明るく笑って見せたその姿を見て、ようやく真凜は先ほどの言葉が失言だったと悟った。
違う、そうじゃない。君が化け物だと突き付けるつもりで言った訳じゃないのに。そう言おうとしたけれど、次々湧き出る彼の言葉に、どれから否定したものなのか分からず、押し流される。
ただ、それよりも先に押さえるべくは、彼の手だった。ふと気を抜いた途端にいつの間にかphoneを開いていたようで、三度のコール音がすると共に彼女は我に返った。もうあと少しで、親指が発信ボタンにかかろうとしている。
彼の身体は、心は、もうこれ以上なくボロボロだ。今この場において、一番だと言って相違ない。怪我こそ何一つ負っていないものの。もっとずっと深刻だった。
だから、守護神を呼ばせる訳にはいかないと、彼のphoneに手をかける。一応アクセスさせないように間に合ったようで一度その手ごと自分の方に引き寄せようとする。けれどもその瞬間、彼が腕に力を込める。力がより一層強まった。力任せに引っ張るその腕力は、小柄で足取りもおぼつかない少年のそれとは思えない程だった。
鋭く、焼けそうな痛みが伸ばしていた手に走った。親指の皮が彼の手に引っかかったようで、めくれて血が出ていた。
もう一度、端末を持つ彼の手を握る。待ってほしいと懇願するように。
再び手を握りしめられた彼はと言うと、今度は硬直して動かなくなってしまっていた。ただ、その眼光は先ほどよりも力強くなったようで、興味深そうにじっと、繋いだ二人の手を見つめていた。
そのまま、何秒経ったのだろうか。伝わってくれたのだろうかと、安堵しかけた彼女の耳に、無感情で、冷たくて、効いたことのない知君の声が届いた。
「何でこんなに、冷たいんだろうなぁ……」
あんなに、暖かそうに見えたのに。王子達の様子を思い返す。あの二人の姿を見て、ずっと誰かと手を握ることは、暖かくて、心安らぐ優しい行為だと信じていた。冷え切った心を溶かしてくれるような、そんな暖かさがあるんだって信じていた。
けれども、怯えた瞳で彼を見つめる彼女のその手は、今の彼にとって驚くほどに冷たかった。
「やっぱり僕は、真凜さんの仲間には相応しくないんですね。ほら、こんなにも怯えさせてる」
熱い何かが頬を走るのを彼は感じた。一滴だけだった。けれども、その一滴に、自分の中の熱を奪い取られたみたいだった。頬に一本の線が入り、そこだけ火傷してしまいそうなほどに、涙と言うものは、熱くて苦しくて仕方なかった。
同時に、大事な何かが零れ落ちてしまったことを感じた。もうどうなっても構わない。本能のまま、力に身を任せて突き進んでみよう、と。
その方がずっと化け物らしいじゃないか。
「真凜さん、上から目線で心配するの止めてください、目障りです」
「目ざわりって、心配するのの何がいけないの」
判ってる。この退けない議論は、自分が敗北せざるを得ないことは。それでも彼女は抗う。目の前の少年にこれ以上負担をかけさせてなるものかと。
けれども、彼女の決意の僅かな残痕、それさえ全部拭い取るように知君は牙を向き、噛み付くばかりの勢いで吠えたてた。
「五月蠅い煩いうるさい! だって心配するのなんてお門違いじゃないか! 僕のこと、大切だなんて思ってないくせに!」
「えっ……」
そんな事ない。大切だとは思っている。君だって、自分にとって護りたい者の一人だと。いつかは君すらも助けられる人になりたいのだから、と。けれどもそんな事告げる暇もなく、知君は畳みかけた。
「仲間だなんて認めてくれないくせに!」
一体私はこの三か月、何をしていたのだろう。
私はこの三か月で、一体何を見ていたのだろう。
何を伝えられていたのだろうか。
初めの一か月、彼女はずっと彼にいら立ちを全てぶつけていた。自分の不甲斐なさも、周りの者への嫌悪感も、無実の彼に全部押し付けて、辛い思いをさせ続けてきた。けれどもずっと笑っているこの子は、無神経なのかなんて思ったりもしていた。
転機が訪れたとしたら、アリスを検挙したあの日だ。あの日彼は、自分を救ってくれた。守ってくれた。誰より強い力を初めて示してくれた。今思えば、あの日が彼の事を認める、最初の機会だったように思う。けれども真凜は、そのチャンスをあっさりと棒に振っていた。ネロルキウスに支配されたような彼の姿が、恐ろしくて仕方なかったから。
助けてくれてありがとう、なんて結局伝えられていなかった。絶対、言い損ねてはいけない言葉だったのに。
二度目のチャンスがあるとしたら、壊死谷の一件だろうか。彼の言葉で、彼女は以前よりずっと強くなれた。壁を打ち破れた。でも、彼のおかげだなんて認めるより先に、結局成長の優越感が来た。壁を一枚乗り越えたことに、満足してしまった。いつかは彼より先に進めるだなんて、傲慢にも考えて、より一層彼を後ろに置こうとした。
彼に突き付けられた、怯えた目をしているのは事実である。だが、彼女が怯えているのは知君本人でなくて「優しくて、護りたいと願う、誰より強い彼が失われてしまう事」だったのに。伝えるのを怠っていた。
そんな事ばかりだった。内心では、彼の事を忌むべき邪魔者ではなく、大切な者の一人だと見始めたというのに、何も彼に伝えていなかった。
だって、何でも知っている彼なら、それぐらい察してくれていると思っていた。
それだけではない、いつだって明るく振る舞う彼は、傷ついていないと思っていた。どんな態度を取られても、前向きに取り掛かるその姿勢から、辛さなんて感じていないと思っていた。子供だったら、辛かったら吐き出すだろう、って。
けれども忘れていた。彼が誰よりも優しくて、誰よりも強い心を持っていることを。子供だからこそ、大人に弱みなんて見せられないのだということを。そして何より、自分たちは彼が心を開くには、あまりに冷酷な人間だったことを。
分かってくれていると思っていたのも、彼ならどれだけ辛くても、精神が成熟しているから大丈夫だなんて思い込んでいたのも、全部自分の怠慢だ。そんな訳ないのに、まだ子供に過ぎないのに。
伝えなくちゃ、今度はちゃんと。誤魔化さずに。彼が本当に望んでいる言葉を。
君は、私にとって。
だが、伝える間もなく、知君は真凜の手を振りほどいた。俯いてしまったせいで、もうその目を見ることなんてできやしなかった。
「待っ……」
もう、止められなかった。彼女を絶望させる、たった一音の電子音が鳴り響く。
すぐ近くで聞こえているはずの、白雪姫たちと戦う喧騒があまりに遠かった。目の前にいるのは本当に知君なのかと疑うほどに、冷たく、感情のこもっていない声。
どうして、こうなってしまったのだろう。私は、彼にこれ以上傷ついて欲しくなんてなかったのに。そうやって後悔せども、もう遅い。戦場に立つなんて、あの獰猛な性格を強いらせるなんて、絶対に嫌だったのに。
彼の事を一番に傷つけていたのは、他ならぬ私だったんじゃないか。
「もう一度だ! 来てください、ネロルキウス……!」
- Re: 守護神アクセス ( No.57 )
- 日時: 2018/05/04 16:19
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「もう一度だ! 来てください、ネロルキウス」
例えこの身が朽ちようと、退く訳に行かない。この身一つで、大切な人たちが護れるというなら、いくらでも差し出そうじゃないか。腕がもげようが足が引き千切れようが、脳が焼き切れようが、厭わない。そんなものよりもずっと、背後に立つ人々の方が大切なのだから。
平時であれば、呼びだした途端に押し寄せる情報の渦に、顔をしかめる知君。にも関わらず、今回の様子はそれとは異なっていた。まるでそのまま眼球が飛び出していっても不自然ではないほどに、大きく目を見開いた。目元の筋肉があまりに収縮して張り裂けてしまいそうなほど、強く見開かれる。それなのに、その一点さえ除いてしまえば、彼の表情は彫刻のように動きさえしなかった。
瞬きさえ忘れてしまったようで、数秒の時間が過ぎ去る。目が乾燥したりはしないのだろうか。不安になったその時、首の骨を鳴らしながら彼は頭を傾けた。乾いた心地よい音が響く。腕を持ち上げ、まるで操縦する際の感覚を確認し、微調整するように、拳を握ったり開いたりを繰り返す。全身の様子を見回す様子は、新車に傷がついていないかチェックしているようだった。
一体何をしているのだろうか。得体の知れぬ恐怖。先ほどまでのものとは違う、何故だか今は彼がそこにいるという事実だけで、身震いが止まらない。今まで何度も彼がネロルキウスを宿す姿は見てきたのに、こんなに身の毛もよだつような経験は記憶に無い。
普段の彼と、一体何が違うと言うのだろうか。すぐにでも背けたくなる目、それを逸らさないようにして、彼の様子を注視し続ける。
もうこれからは、絶対に目を逸らしてはならないと決めたのだから。見届けなくてはならない。またきっと、笑顔を見せてくれると信じて。
迸る黒色のオーラは、普段よりもずっと強いように思えた。いつものが種火に過ぎないとするなら、目の前で天を衝くその様子は、業火と呼ぶに値する。手で触れれば、そのまま呑み込まれてしまいそうな、底知れぬ絶望のような闇。
振り向いた知君、その表情はいつもの、激しい怒りにも似た驕り、それに満ちたものとなっていた。初め少し不安だったが、何とかいつも通りかと真凜は安堵する。しかし、彼の目と彼女の目とが合った時、その安堵は瞬く間に吹き飛んだ。その瞳は、身に纏う闘気と同じで、底が見えないほど暗い絶望を見る者に知らしめていた。
「問おう、『僕』は誰だ」
「ちきみ、くん……?」
呆気にとられた彼女に、眉一つ動かさないまま少年は問いかけた。何を言っているのか、察し始めたが、理解したくない彼女は、疑念を振り払うように彼の名前を呼んだ。それ以外の者がそこに立っていると、認めたくなかった。
「そうか……では、『俺』は誰だ」
「だから、知君くんなんでしょう?」
違う違う違う、そんな事あってはならない。だってずっと、抗っていたじゃない。今までずっと大丈夫だったじゃない。だから今度も大丈夫、この子はいつもの、誰より優しく温かい子。そんな真凜の自己暗示は、妄信に過ぎない。
「なるほど、やはりこの体は知君 泰良のもので間違いないみたいだな」
「ねえ、知君くんなんだって、言ってよ……」
十年ぶりだなと言い、体を動かす感触を彼は確かめ続ける。足の動かし方は、一歩の広さは、様々模索している。さすがに十年あればそれなりに大きくなるものだなと、感心するように彼は一言。目の前の真凜のことなど、見えていないよう振る舞う。しかし当然のように声も姿も認知している。犬が鳴いて喚いているように感じた彼は、疲れ切った表情で、彼女の言葉を制した。
「少々五月蠅いぞ。ここは御前だと思い黙れ、気づいているだろう」
「違う、そんなの駄目……。認めてよ……」
「最後の問いだ。今話している、『余』は誰だ?」
「知君くん……だって認めてよ」
「不正解だ」
初めて彼を見た時から、こんな日が来てしまうことは予測していた。むしろ初めは、常にこの状態なのだと信じていた。けれども、いつも知君が戦っている時のあの姿は、自分に鞭打って強がっているだけの姿なのだと聞いた。それ以来、こんな事が起きてはならないようにと、思ってきたのに。だからこそ彼に、callingなんてして欲しくなかったのに。
目の前に立つ体の持ち主、それは知君で間違いないだろう。しかし、今体を動かしているのは、知君では無かった。言葉を交わしている相手はもう、あの優しい少年では無かった。
打ちひしがれる真凜を他所に、王は自ら名乗りを上げる。天下にその再臨を轟かせるがごとく。そう、彼の名は。
「聞いたことぐらいあるだろう? 余はネロルキウスを名乗る者」
疑念は確信へ。不安は畏怖へ。この後何が起こったものか分からない恐怖に脂汗が出てくる。その名を耳にした際に、全身が脱力して動けなくなった。この感触は一体何だと、自問自答する前に膝を付く。全く体に力が入らない。これは一体、何だ。
そしてもう、気づいた時には古の暴君は、真凜の手の届かない所にまで進んでしまっていた。自分と同じように、地べたに這いつくばる幾人もの捜査官。それはまるで、王の前でひざまずいているかのようだった。立っている者と言えば、王子くらいのものだ。
「お前はまだ仕事がある。そこで立っていろ」
王子の肩に手を置き、呼びかける声が聞こえてきた。後からまだ役目がある、とは一体。分からないことがあまりに多すぎた。ネロルキウスを名乗るだけあって、この場の状況に関しては誰よりも精通しているのだろう。
「おい知君、何やったんだよ。皆して倒れちまってんぞ」
「ああ、致し方ない。残る体力と膂力のほぼ全てを奪った。余があの上玉と戯れるためにな」
「は? 待てよ、お前誰だよ……。知君、じゃねえだろ」
「ほう、鋭いな。安心しろ、今お前たちに手を出すことは無い」
その意味を理解するより先に、今までずっと王子が庇っていたその父、洋介を見下すように立ちふさがる。お前の能力が相応しいと見定め、ニィと笑みをこぼす。
「おい! やめろ!」
これから彼が何をしようとしているのかは、奏白だけが知っていた。すぐに駆け付けようとするも、足のみならず全身の身体能力の大半を奪い取られた現状では、指一本動かす程度が限界であった。声を届けられたのもアマデウスの能力ありきだ。だが、今の危機的な状況を知っているのは自分だけ。ならば、止められるのも自分だけ。
そう思っていたのが何よりも傲慢だった。所詮彼には、暴王の悪辣など止めることはできない。ただ、圧政を強いて蹂躙するその様を見届けることしかできない。
「やめろ知君、それだけは……それだけはやっちゃ駄目だって、言ってただろうが!」
「それを言ったのは知君であり、余ではない」
五月蠅いから黙っていろと、彼は奏白から声を奪い取った。口を動かそうと、息を吐きだそうと、音声は少しも漏れ出ない。畜生、そう呟くことすら、もうできなかった。
「余の能力を行使する」
白雪姫には、その能力は効かないと言うのに、何をしているのかと訝しげに王子はその守護神を自称する男を眺める。だが、その見つめる瞳は、続く言葉のせいですぐさま驚愕に染まった。
「対象は王子 洋介。奪うものは……その守護神のウンディーネ!」
知君の身体を操って、虚空を掴むようにネロルキウスは手を伸ばした。何も無い空間に手をかざし、その目的とはどこにあるのかと思っていたところに、王は略奪の能力を行使した。たちまち、その空間に変異が現れる。今、瞬きをするまではそこに何も存在していなかったというに、気づけばそこには、首根っこを掴まれた水の精霊の姿があった。女性の姿をしており、身に纏う衣も、肌さえも波打ち際の泡のように真っ白に染まっている。
他人の守護神が実体化しているところなど、見るのは誰もが初めてだった。強いて挙げるならセイラを筆頭とする一連の騒動の守護神達だが、それはあくまで例外。幻獣界に住むウンディーネがこうやって、現世に実体を持って現れることなど本来あり得ることではない。これがネロルキウスの力なのかと、血のような味がする唾を飲み込んで、誰しもが顔を強張らせた。
「傾城に余自身の能力が効かぬと言うなら」
やめろよ、知君……。守護神を奪われた人間は。そんな言葉も声に出ない。今の奏白には悔しさに地面を叩くこともできない。
「余が別の者と、守護神アクセスすれば済む話だ!」
守護神を奪われた人間は、もう二度と、守護神アクセスできなくなるって言ってたじゃねえか。それだけは、やっちゃいけないことだって、言ってたじゃねえか。その、知君の覚悟を踏み躙るネロルキウスが、許せなかった。止めることのできなかった、不甲斐ない自分も当然、許せなかった。
強い光が放たれて、ウンディーネの姿が薄れていく。それと同時に、真っ黒な闘気のそのまた一つ外側を覆うように、ウンディーネの青白いオーラがまとわりつく。奏白の抗議など何一つ届かないまま、手遅れとなってしまった。
「さあ、教えてやろう。真に王たる余には、世界の理さえもひれ伏すと言う事を」
どこぞの王族であろうと容赦はしない。暴君による、断罪の時迫る。
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