複雑・ファジー小説

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守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
日時: 2022/05/19 21:16
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。

___

本編の完結とエピローグについて >>173





目次です。

▽メインストーリー
 File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
 File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
 File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
 File4:セイラ   >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
 File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
 File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
 File7:交差する軌跡  >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
 File8:例えこの身が朽ちようと    >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
 File9:それは僕が生まれた理由(前編)    >>59 >>60-61 >>63-64
 File0:ネロルキウス  >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
 File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
 File10:共に歩むという事   >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
 FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
 Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172

 Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177

-▽寄り道
 春が訪れて >>23
 白銀の鳥  >>70-71
 クリスマス >>120

▽用語集
 >>8 File1分
 >>15 File2分
 >>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも

▽ゲスト
 日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
 友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)




気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)

Re: 守護神アクセス ( No.43 )
日時: 2018/09/18 15:52
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

「ごめん! ちょっと油断してた」
「気を付けてくださいね。……彼女は、今まで貴方がまともにやりあってきた中で一番強いんですよ」

 少し語調の強くなった彼女に、彼も少々肩を落とした。勿論、自分の思慮の無さに対する後悔故である。これでは、彼女と交わした約束すらも果たせそうにない。呆れさせてしまったかなと、知らずに慢心していた自分のことを情けなく思った。目の前にその顔が現れたら殴りつけてやりたい。
 反省の意を込めて、握りこぶしで太ももを打った。今できる反省はここまでだ。ここから先は行動で示して見せろ。今ここで足を止めたら、それこそ慢心を払拭できていないだけだ。
 だからまた、迫る何本もの太い茎の連撃を躱し続ける。右へ、左へ、飛んで、避けて。時に体が動かない時には水流で無理やり自分の身体を押し、鏡がすぐ傍にあるならその世界へと一時避難する。干渉できぬ世界に入り込み、反撃のためすぐさま元の世界へと戻る。
 消火栓から噴き出る水は、地面に衝突して四方八方へと飛び散っている。大きな水溜まりが、そこを中心に輪を広げていた。どうせ正攻法ではその深淵へと辿り着く気配はない、それなら。
 先ほど、呪いの針を撃ち出した際に見えた真紅の瞳は、王子の目線よりもやや低いところにあった。あの森の中心に、眠り姫は特に足場など無く、地面にそのまま立っていると予測できる。つまり、ある程度高い位置をいくら切り裂いても、眠り姫の身体ごと両断してしまうことは無い。
 だったら一気に全部伐採してやる。水刃が通る軌道を予め掌で指示するように、掌を相手の方に向けた王子は、右から左へと目いっぱい薙ぎ払った。音もなく、鋭い刃が一気に立ち並んだ茨が鬱蒼と生い茂ったその林を一瞬で引き裂いた。ばらばらと、居合道で両断された人形のように、足と切り離された棘だらけの茎がばらばらと地に散らばった。
 中には糸車を引く、可憐な少女の姿。手にした紡錘を王子に向かって何本も投擲。宙を駆ける内に糸が周囲に散らばった。中から剥き出しの針が迫る。もう油断はしない。王子はその視界中に、真っ白な泡を張り巡らせた。その泡を貫いた針だが、貫かれただけでその強靭な泡は弾けようとしない。こんもりとした柔らかな泡が針を包み込んで、勢いを殺されたその針は全て重力に引かれて地を這うばかり。
 からんころんと音を立てて。散らばった針。もう決して、その毒牙が彼の首筋に突き立てられることは無いだろう。チャンスがあるとすれば今しかない。張り巡らせたその泡を、眠り姫の下に集める。もがけばもがくほどに絡まりつく真っ白で丈夫な泡。元が非力なのは眠り姫もよくあるフェアリーテイルの例に漏れないようで、身動きなどもう、自由に取れそうも無い。
 一気に決めて見せる。赤い瘴気を打ち払う。浄化の聖唱。響き渡る歌声が、宥めるように、包んで抱くように、頭を撫でるように眠り姫の耳から、肌から浸透していく。

「きゃあああああぁあああぁぁあああぁあっ!」

 眠たそうに半分閉じていた目が、苦悶に耐えかねて最大まで見開かれる。気だるげで、口数などゼロに等しいような彼女が、その喉すら壊れてしまうのではないかと思えるほどの大声を張り上げる。これでもう、六度目だ。苦しくて泣いて、痛くて喚いて、逃げ出したくて暴れる守護神を無理やりに押さえつけてでも救済するのは。
 その尖った金切り声が、王子の心に突き刺さる。止めてくれ。そんな声をぶつけないでくれと。その目で俺を見ないでくれ。全部、君らを救うためにしていることなのだから。
 そんな彼の想いなど、実際に届くかどうかなど、この瞬間の彼女らには関係ない。ただただ苦しいだけだ。全て終わってしまえば、王子にひどく誤って、正気に戻してくれたことに深い感謝の言葉を送ってくれる。けれど今、この瞬間。破壊への熱狂的な願望に理性を全て奪われたこの状態において、それを無理に取り去ろうとし、体に、精神に大きな負担を強いるこの処置は彼らにとってこれ以上の無い冒涜であり、暴威でしかない。
 だが、今この一瞬、恨まれることになろうとも、絶対に助け出さなくてはならぬのだ。王子の喉からその歌声は確かに放たれているのだが、その声音は間違いなくセイラのものだった。美しく、透き通るような女性の声が響き渡る。薄氷なんて、簡単に打ち砕いてしまいそうな鋭い金切り声がこだまする。近いうちに避難しないと、捜査官に自分たちも見つかってしまうなと焦り始める。

「あ、ああぁあぁあぁぁ……」

 その身から、オーラのように垂れ流していた真っ赤な煙が透明になって空中に消えていく。人魚姫の能力による泡のクッションに包まれたまま、すやすやと安らかな吐息を上げて、指先一つ動かさなくなった。漏れ出る吐息と、上下する胸の動きとが、大事無い事を知らせていた。

「良かった……」

 ほっとセイラも胸をなでおろす。彼女が救われたこともそうであるが、王子が大けが負うことも無く、今回も無事に済ませることができたからだ。一時はどうなることかと思ったものだが、何事も無く終わってしまえばもうこれ以上望むことなど無かった。
 守護神アクセスを解き、その安全を確かめるようにセイラは全身で王子を包み込むようにハグした。魔女の薬を飲んだ人間の状態でなく、人魚姫の状態に戻っているため、ほとんど水着や下着姿と変わらない。見慣れはしたのだが、触れ合うのは一切慣れていない王子にとって、少し刺激が強すぎた。顔を赤らめて、もう大丈夫だから離してほしいと、恥ずかしそうに目を逸らして。
 その照れくさそうな、女々しい姿に人魚姫も嘆息する。最近少しは男らしくなってきたかと思ったのに、と。だが、そんな本心を彼女は口に出さない。不老不死の守護神と人間で恋に落ちたとして、待っているのは死別だけだ。だから、彼が自分を特別に思うことが無いように、あるいは自分を保護者に近い者と見てくれるように彼女は振る舞う。

「さあ王子くん、私たちが追われる前にここを去りますよ」

 眠り姫は最悪このままでも問題ないだろう。討伐した守護神を管理するための施設があるとは、王子からセイラも聞いていた。そのため、このまま置いておいてもそういった施設に運び込まれて、事件の収束までは平和に暮らせるだろう、と。
 だからこの場においては自分たちの撤収が何よりも大事。それは決して間違っていなかった。その判断が遅すぎたと言うだけで。眠り姫に手こずりすぎたと言うだけで。

「久方ぶりだのう、お前たち」

 路地裏に、新参者の声響く。まさかこんなところに人が来るなんて。予想だにしなかった来訪者に二人は慌てふためく。しかもこの声、できることなら会いたくも無い声だと言うのに。冷たい汗が衣纏わぬセイラの背中を滑りおりた。
 目と目の中心、その奥にツンと来るような絶望感。こんな時に、彼が来るなんて。あまりの格の違いに、セイラの脳裏に最悪の結末が思い浮かんでしまった。王子は確かに強くなった。しかし、それでも勝ち目の薄い相手と言うのは存在するし、何体かは絶対に勝てない相手も存在している。例えその相手が、守護神アクセスでなくジャックであるというハンデを背負っていても、だ。実際に一度戦った時、その戦績はどうだったか。撃退に成功した。しかしそれは、完全勝利と言って差し支えないものだったか。
 答えは勿論ノーだ。あんなもの勝利と呼べない。守護神ジャックすらしていない、相手の純粋な体術だけで自分たちは十分に翻弄された。何とか撃退できたと言っても、運に助けられた側面もあの日は大きかった。そして何より、あの時彼が身の安全を顧みずに王子を殺すことだけに注力していれば、確実に王子は殺されていた。
 自分たちのことを知った上での自信ありげな襲来。それは要するに、彼自身以前と同じ轍は踏まないというだけの自信があってきたのではないか。
 目の前の、小柄な少年のような武士を見る。のぼりを背負った、白と桃とを基調とした着物を羽織り、刀を引っ提げ、キビ団子を備えた男の子。日本一の三文字が誰よりも似合う男。

「桃太郎……!」

 一月前に戦った、最初の敵。彼との再会に王子も目を丸くする。だが、警戒など緩められるはずもない。彼はまだ、フェアリーテイルのままだからだ。血みたいに真っ赤な瞳が、満月みたいに爛々と輝いている。空に浮かべれば月だって本当に信じられそうだった。
 セイラの動揺を彼自身感じ取っていた。おそらくこの男と真っ向からぶつかれば敗色は濃厚。むしろ、死んでしまう危険性すらある。というのも、彼が最後に現れた際、つまりは奏白と戦った時には守護神ジャックを行っていたという話は太陽や洋介から聞いている。かつて戦っていた時と、比べ物にならないほどの力を有していることくらい、容易に想像がつく。
 それでも王子に退くと言う発想は無かった。ヒーローの辞書に逃げるだなんて言葉があってたまるか。怖くて震える足を押さえつけて、強張りそうな顔の筋肉を無理に動かして笑顔を作る。そんなやせ我慢を見抜けないセイラではない。

「駄目です王子くん! ここは逃げなくちゃ!」
「いや、退けない。ここで退いてちゃ男じゃない」
「何言ってるんですか? 勇気と無謀は違うんですよ!」
「大丈夫だって! 今まで六人倒してきたんだ。こいつも、その延長線の上だ」

 違う。人魚姫は首を大きく横に振る。これまで私が選別してきた者たちとは、その格が段違いだと。桃太郎は、数多の捜査官を返り討ちにし、時に屠ってきた。そんな彼が今までの敵と同格だなんてあり得ない。
 戦意に溢れた桃太郎、勇気を勘違いした王子、そしてそんな王子の無事を願う人魚姫。かみ合わない三つの意志がぶつかり合い、その中心に訪れたのは静けさ。誰も、何も発しない。ただ相手の出方を待ち、己の望む最善手を選ぼうとする。
 そんな静寂が支配する中だった。暗がりを裂くようにして、靴が地面を打ち付ける音。その音に、王子もセイラも酷く驚いた。こんなところに、これ以上別の人間が来るだなんて。
 来るのは守護神ではない。その気配から人魚姫は直感した。とするとここに来るのは人間である。ただでさえ劣勢であると言うのに、人質でも取られようものなら、巻き返しなど到底不可能になる。なんとかして遠ざけなばなるまい。そう思っても、刻一刻とその足音はこちらへと向かっていた。すぐ傍の角にその主が辿り着く、方向を転換して、王子たちのいる方へと迷いなく足を向けた。と言っても、その方角に進むか引き返すかしか道は無いのだが。
 現れたのは、しっかり小麦色に焼かれた肌に身を包んだ女性であった。自分よりかは幾分か低いが。その女性を王子はじろじろと観察する。それでも知君よりは少し高い程度であろうか。豊満なバスト、それに対し細く引き締まった胴。艶めかしく覗く肢体はまるで豹のようであった。その眼光は、狡猾で気まぐれな猫のそれを想起させる。特徴的な目鼻立ちから、日本人では無さそうだと察せられた。

「何してんの、ちびっこ」

 なれなれしく、彼女は桃太郎にそう呼びかけた。あからさまに不機嫌そうにして、彼は青筋を額に浮かべた。それと同時に、戦慄する王子とセイラ。

「馬鹿野郎逃げろ! 死にてえのかよ!」

 先ほどセイラに言われたのと同じようなことを彼はその女性に告げた。それが分かっているならどうしてあなたは逃げてくれないのかと彼女の目が曇る。貴方がそうやって他者を思いやる分だけ、私は貴方を心配していると言うのに。そんな彼女の葛藤も、配慮も、王子には届いていない。とはいえ、王子の想いも彼女に届いていないため、お互いさまではあったが。
 王子たちが代わりに慌てても、褐色肌の女性は一切の動揺を見せなかった。むしろ、心配の言葉に当惑しているように見えた。そして次の瞬間、彼女はそのアーモンド形の目をしばたかせて、ホットパンツのポケットから写真を二枚取り出した。その内片方をじっと見つめて、王子と見比べる。称号が完了した、そう言わんばかりに不敵に口角を持ち上げた。

「なるほど。じゃ私が探してたのと、ちびっこが探してたの、同じ奴か」

 流暢に話せてはいるが、ところどころ発音に詰まっているようである。やはり外国人と見て間違いはない。それにしても、王子を探していたとはどういうことなのだろうか。そして桃太郎に対してあれだけ気さくに打ち解けられているのはどういった理由があるのだろうか。
 日の本一、そう呼ばれていたせいで驕りがちな桃太郎が、あんな態度を取られても気にもかけていない。彼にとって彼女は、特別な存在なのだろうか。思っても見なかった未知の来訪者の分別をどうつけたものか分からない。
 桃太郎にあれだけなれなれしくできる者。対等に話ができる者。必要な、仲間が、相棒がいるとしたら。この時ようやく、セイラは答えに思い至った。つまりあれは、彼らは私達と全く同じなのだ、と。

「王子くん! 絶対に逃げなきゃダメです!」

 セイラがひっ迫した表情で王子に呼びかける。その必死の表情に、先ほど強気で笑おうとしていた王子も、ただならぬ気配を感じ取った。しかし、桃太郎たちはそんな二人を嘲笑うように、肩を一直線に並べるように真横に並ぶ。その高さはかなり違っていたが、左に立った桃太郎が右手の平を、右に立った女性が左手の平を相手に突き付けて、ぴたりと合わせるように重ねた。
 手と手を重ねたその様子に、王子は既視感を感じた。あれはまるで、自分たちのようではないか、と。

「特別なの、自分だけだなんて信じちゃってたか?」

 純粋に拙いだけのその発音が、王子を煽っているように聞こえた。というのも、桃太郎と重なった次の言葉が、あまりに美しく発音できていたためでもある。
 現代の社会で生きる王子にとって、何度も聞いた馴染みある言葉。それは、彼自身長い事憧れていた特別な言葉で。だけど世の中にありふれた、至って普通の言葉だった。
 桃太郎とその女性、クーニャンとの声がズレ無く重なる。それはまるで、鏡に映した自分自身を見ているように思えてしまった。

「守護神アクセス」


File6・クーニャン hanged up

Re: 守護神アクセス【File6・完】 ( No.44 )
日時: 2018/09/18 15:53
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

 その顔が、頭から離れなかった。彼女は目を覚まして、洗面所へと向かった。何だか目やにが張り付いて右目が開けづらい。視界が半分閉ざされて、何だか真っすぐ歩きにくい。
 昨日の食事会は、楽しかった。仕事の外で知君と会うのが初めてだったからか、何も思うところなく彼と接することができたのは、彼女にとって新鮮な体験だった。本当にいい子だなと、その人柄を見直して改めて感心する。
 それゆえ、罪悪感を覚えているのだろうかと彼女は己を問いただした。彼の事を遠ざけようとしていること? いや、そうではないと首を横に。それ自体はきっと、悪い事ではないはずだ。遠ざけようとする、その言葉は何だか冷たく聞こえていたとしても、本質は彼の幸せを願っている。
 だとしたら、何がいけないのだろうか。伝え方だろうか。そういう訳でもないなと、真凜は鏡の前に立って、鏡に映った自分の姿でなく彼の事を想起した。きっと彼は、必要だと言われたいんだ。誰かに求められて、誰かを助けていたいのだ。例えどれだけ自分の身を犠牲にしたとしても。二人の思想は、信念は相反するものだから。だから互いに意固地になる度、傷つけあってしまう。ハリネズミのジレンマみたいだ。自嘲気味に彼女は笑う。
 私も充分、傷ついているのだろうか。真凜は思う。彼にも……知君にも幸せになって欲しいと、傷ついてほしくないと、戦うたびに倒れて欲しくないと常々願っている。だから彼女は、自分の実力不足故に知君に助けられる度に、悔しくて仕方がない。苦悶の表情で彼の事を乗っ取ろうとするネロルキウスに抗う姿を見るたび、胸が締め付けられる。全て終わって、安らかな眠りに落ちる彼を見ればホッとするし、そのせいで彼がまた時間が無くなっちゃったと嘆いているのを見れば、自分とて気分が沈んだ。
 いつになれば私は、その高すぎる理想を達成できるのだろうか。顔を洗い、目脂で糊付けされていた右目を開いた。調子を確かめるように、ぱちぱちと数回瞬き。もう特に問題は無いようだ。視界が開けると、頭頂の髪の毛がぴょこんと軽く跳ねているのに気が付いた。寝癖が付くだなんて珍しいなと、ブラシを手に取る。昨日ドライヤーで乾かしたと思っていたが甘かったのだろうか。
 彼女は元の髪質がいいため、数回ブラシの歯を通すとすぐに真っすぐに戻った。さっきの跳ね方は知君くんのアホ毛みたいで面白かったのだけれど。そう思ってクスリとほほ笑むと、自分が思いの外彼を受け入れていることを、彼女も自覚した。
 嫌いになれる訳ないじゃないか。言い訳がましく彼女はこぼす。別に誰が聞いている訳でもないから、声には出さなかった。あんなに可愛らしい少年を。人の強さに気づいてあげられる子を。悲しくたって笑って見せる強い子を。誰かを思いやれる、思慮深い男の子を。
 そして何より、どんな高い壁だって乗り越える、とても凛々しい彼の事を。どうして、どうして嫌うことができようか。
 だからこそ大切なのだ。だからこそ隣に置いておきたくない。彼はもっと、後ろにいて構わない。友達と、新しく出た漫画が面白いだとか言って、来月出るゲームが面白そうだとか笑って、戦場からかけ離れた所に、ずっと居てくれればいい。彼と一緒にいて救われるべきなのは、自分のような強い人間ではない。もっと、支えが必要で、脆くて儚げで今にも崩れてしまいそうな子に寄り添ってあげて欲しい。そしてそんな姿が似合うのは当然、捜査官である真凜のすぐ隣などではなく、彼女が戦うその背中を見つめることしかできないような後方遥か彼方だ。

「お、真凜じゃん早いな」

 昨日代わりに出勤した分、彼女の兄は休みを今日貰っていた。その分久々に遠出しようと彼も早起きしたようである。兄が率先して休もうとするなど珍しいなと彼女は感じたが、最近は皆頼り甲斐があるから任せられると、保護者のようなことを奏白は口にした。充分自分も若手のくせに、大きなことは言わない方がよくないかと彼女も窘めた。

「まあそうだけどさ。ほら、何だかんだ俺が一番強いじゃん?」
「二番手よ、兄さんは」

 最近はマリンから奏白に対する敬語も抜けつつあった。あくまでも彼は目標で合って、お手本では無いと壊死谷の一件を乗り越えて再確認したためである。無理にこうあろうとしなくていい。彼の正義と私の正義は、血が繋がっていたとしても微妙に違う。だから、崇拝するようにその足跡を寸分違わず追いかける必要などない。

「聞き捨てならねえな、誰だよ一番は」
「知君くんよ。何、勝てる気なの?」
「お手上げ」

 あくまで捜査官だけに限って自分が頂点だと言い張っていた彼だったが、同じ班員である一介の高校生の名前を上げられて即座に試合を投げ出した。全くこれじゃ警察もいい笑いものよねと、全然悔しくなさそうにして真凜は溜め息を吐き出した。

「そこらへんにいるやわな高校生の方が強いだなんて」
「いや、だってしゃあねえだろ。ネロルキウスってのはな」
「ん? ちょっと待って」

 奏白が抗議し、反論しようとしたその時である。真凜の耳に、微かなphoneの通知音が聞こえてきた。部屋に置きっぱなしにしてはいるが、その通知音は最大にしてあるのでここまで聞こえてきていてもおかしくは無い。何か言葉を続けようとしていた兄を遮り、急いでその場を飛び出した。
 そう言えば。真凜の背中を見送った彼は、ふと忘れていたことを思い出した。彼女にまだ、何一つネロルキウスについて教えていないという事に。あまり多くの人には語るなと口止めされてはいるが、せめて彼女には伝えておくべきだろう。何せ真凜を含めて第7班なのだから。
 知君について、全てを理解しているのは、彼自身と琴割くらいのものだった。奏白は単に、その身に宿す守護神について教えられているだけ。
 琴割 月光は、裏で何やらきな臭い研究を行っているとはよく耳にする。それとは関係ないといいのだけれど。妹の寝室の方からは了解しましたという固い声。何かあったのだろうかとは簡単に分かる。これは、込み入った話は後だなと判断する。その部屋の扉をノックして中に入る。スーツをベッドの上に広げて今まさに着替えようとしているところだった。

「何か起きたのか?」
「アンノウンが出たというだけね。最近だとそれほど珍しい事では無いわね」

 未確認のフェアリーテイル、もう既に40を超える守護神達を観測してはいるが、まだ増えるのかと奏白は目を細める。それだけ不安も、負担も、危険も増える。今度の相手がまた、桃太郎や赤ずきん、さらにはアリスのように凶悪な性能をしてはいないだろうか。そう思うと、気が気じゃなくなる。
 そんな彼のよくない予想を察知した真凜は、彼に呼びかけた。

「大丈夫よ、兄さん」

 今日くらい楽しみなさいと、自分も現場に出ようかと焦る彼を諭す。昨日は自分が休んだのだから、今日こそはちゃんと休んで欲しいと。ガス抜きは大事だと添えて。

「何かあっても大丈夫よ。私を、誰の妹だと思ってるの?」
「いや、だけどよ……」
「危なくなったら連絡するわ。兄さんならすぐでしょ?」

 嘘だった。守護神アクセス中は通話できないため、それが彼女の優しさから出た方弁だとあっさりと看破できた。けれども、揺るぎないその目を見ていると、どうしてだか任せられると、頼りにできると思った。
 そうだよな、いつまでも子供じゃあるまいし。それなら自分も今日くらい、ゆっくりと羽を伸ばそうかと決めた。

「分かった。……ただ、流石にシンデレラみたいなのが出てきたら絶対連絡しろよ」
「分かってるわ。勇気と無謀は」
「違うからな」

 もう驕る時間は終わった。これからは前だけを見て一歩一歩昇りつめて見せる。自分の過大評価はしない。隣の誰かの過小評価もしない。背伸びはしないし、下ばっかり見ない。一段飛ばしや二段飛ばしなんてもってのほかだ。
 ただしその数時間後、王子はその両者を履き違えることとなる。それはきっと彼が、既に階段を数えきれない程の数、一足飛びに進んでしまったから。これ以下など無いほどの下層、守護神アクセスできなかった過去から、誰かのヒーロー足り得るところまで。地獄に垂れた蜘蛛の糸、それを掴んだ王子は、自分がスタートラインに立ったばかりだとは分かっていた。それが分かっていたからこそ彼は、誰よりも焦っていた。人生の周回遅れをしたような気分だった。
 近場に知君がいたというのも彼にとって、その背中を無理に押す追い風のように働いていた。その背中は、奏白達捜査官にとってもずっと前方をひた走っていると言うのに、これまで戦おうとも思えなかった王子が目指すにはあまりにも遠く、高すぎた。
 八時半ごろに署へと到着した真凜だったが、慌てて駆け付けた割には、ずっと待つことしかできなかった。というのも、現れたと思った守護神が活動しようともせず、力をあまり使おうともしていないようだったからだ。その近傍に何人かの捜査官を派遣しているけれども、目立った被害などどこにも無い。本当にアンノウンなフェアリーテイルがいるのか疑わしいほどに静まり返っていた。
 そもそも戦うつもりなど無いのか、漏れ出た瘴気を観測するその数値はやけに低い。数々の交戦時のデータにより、彼らを感知している数値は、戦闘時に上昇すると分かっている。逆に活動していないときは、あまりに数値が低く時として一切感知できない。こちらの世界に顕現してから長い時間が経てば経つほどそのコントロールが上達するようで、シンデレラも赤ずきんも、暴れ出すその瞬間まで出現位置など分かりそうにも無かった。
 そのまま待ちぼうけで、数時間。これでは休日とそれほど変わらない。ブラックのコーヒーを啜りながら、未だ消失せぬアンノウンの反応を真凜は見守っていた。同室の知君は子供らしくココアを啜っている。できるだけ彼に目線を向けないように、彼女はモニターばかり注視していた。
 ある瞬間、モニターに変化が訪れた。それまで動く様子など無かったアンノウンの気配、それがたちまち動き始める。正確な位置情報を特定できるほど情報は集まっていない。それゆえ大雑把な所在地しかつかめていないのだが、アンノウンが存在しうる範囲を示した赤い円形が、次第に移動し始めたのだ。
 どこに向かっているのかとよく観察する。知君はその進行方向が自分たちの学校を目指しているように見えた。何となく、嫌な予感がする。動きがあったため、出ても構わないかと確認するも、陽動かもしれないからまだ出るなとの声。待機の命令は、渦中のフェアリーテイルが能力を解放してからもずっと続いていた。
 きっと自分が出動するとなると後回しだろうなと彼にも分かっていた。常に琴割から、自分の身の回りの世話をしてくれる人たちから、絶対に許可が下りない限り人前で守護神アクセスを行うなと言われている。
 そして当然、今も許可が下りていない。基本的にフェアリーテイルが捕らえられた際にしか守護神アクセスなど許可されていない。この一か月、それ以外の事態で許可されたのなどそれこそアリスと戦った以外にはほとんど無い。誰かを助けるにはあまりにフットワークが重すぎる。これでは誰かの役に立つなんて、真凜から認めてもらうだなんて、近い未来には決してできはしないじゃないか。奥歯を軋ませる。
 僕には、人の役に立つ以外に、ここに居る理由なんてないと言うのに。
 倒れた守護神の毒気を抜き取るだけの作業。そんなもの、保健室の非常勤の先生と大して変わらない。居ない訳にはいかないけれど、傍目には居なくても構わないように見える。こんな宙ぶらりんな僕の存在理由は何なのだろう。
 おそらく破壊活動でも始めたのであろう、観測値の上昇した正体不明のフェアリーテイル。逸る気持ちを何度も隣の真凜から抑えられる。彼女も、周囲からまだ出るなと温存されている側の人間だ。何か被害が出てからでは遅いと言うのに。握った拳に力を込めて何とか耐え忍ぶ。
 だが幸いな事に、その反応はものの数分で消失した。急に霞のように消えてしまった新規のフェアリーテイルの反応消失。これでこの事例が起こるのは7例目かと同室の人々は皆神妙な面持ちである。流石に同じことが起こるにしても数が多すぎやしないかと怪訝に思っている風でもある。

「あら、そういえば」

 ここって、初めてフェアリーテイルの消失現象が起きた場所の近辺ね。そう、真凜が告げた瞬間に知君の表情が大きく変わった。目を見開き、何かに怯えるようにその瞳孔を揺らしている。それは決して、真凜が放った言葉が原因となっていた訳では無かった。何せそんな事など、言われるまでも無く知君は覚えていたのだから。
 ならばなぜ彼はそれほどに衝撃の色を露わにしたのか、真凜も彼の視線の先、大きなモニターの方に視線を移す。と同時に、「桃太郎」の三文字に目を丸くした。ここ一か月目立った動きなど何一つ見せていなかった初期に現れたフェアリーテイル。返り討ちにあった警察の数知れず、数人の死者まで出してしまった、赤ずきんと肩を並べる最悪のフェアリーテイルの一人。
 だが、そこまでもまだ驚愕の範囲で我慢できた。しかし、鳴り響くアラートが、その桃太郎が示す観測数値があまりに強い衝撃をこちらに与えてきた。
 その数値は別段戦闘能力と強い関連性がある訳では無い。シンデレラよりもその瘴気の観測値が大きな守護神は沢山いた。そのため、その数字がただ大きいだけならそれほど警戒する必要も無い。
 しかし、この観測値の大小に関して、別な特徴が既に割れていた。ある守護神一個体に対しては、その測定データが低い時よりも大きい時の方がより一層力を高めている状態であると。
 実測値が1000のシンデレラよりも、実測値2000のアリスの方が強いとは限らない。しかし、測定したデータが1000の状態のアリスよりも2000の状態のアリスの方がより凶悪に、強大な力を以てして暴れ回る。
 そして今回桃太郎が発していると思われるその数値は、これまで彼が一人で暴れてきた時と比べ、数倍にまで膨れ上がっている。
 一体、どうやってこんな強化を。そんなところに気を取られている真凜に知君は呼びかける。

「真凜さん! 早く……早く行かないと!」
「どうしたのよ、そんなに血相を変えて」

 慌てているのは真凜もそうであるし、その他の捜査官も全員だった。にも関わらず一番焦っているのは知君だった。と言うよりむしろ、他の警官はその桃太郎の反応が人通りなど無さそうな裏路地の辺りに出たことに少し安堵しているようだった。
 だが違う、知君は覚えている。あの場所には特別な意味が持たれることを。その出現値を見直した真凜も、目を丸くした。

「ちょっと待って……あそこって」
「一か月前……王子くんが、桃太郎と会った所です」
「と言うより、さっきフェアリーテイルの反応があの辺りで消えたわよね? それって……」
「だから急いでいるんじゃないですか!」

 血相を変えた知君が叫ぶ。その声に、多くの捜査官の目が惹きつけられた。ただ、その目は冷ややかだ。自分だけが何でも知っているような風に、慌てふためき、自分たちを置いてけぼりにしているように映る。一部の捜査官は、そんな知君に舌打ちを隠そうともしない。嫌悪を表すその仕草が、直接に知君の心を抉った。しかし今は、そんな事よりもあの現場に急行しなくてはならない。
 王子のことを周囲に漏らさぬよう、真凜は声を潜めて彼に問う。あそこに王子がいるのかと。

「ええ。でないと反応なんて、消える訳……」
「そしてそこに、桃太郎が現れた。でもどうしてこんなに数値が高くなっているの?」

 考えたくはないですがと言い置き、知君はその予想を口にした。彼の推測は、あまりに信じがたく思えたが、彼が言うからには本当のことのようにも思えた。

「桃太郎が……守護神アクセスを行っているからです」

 もしそうだとして私たちは、そんな強敵に勝てるのだろうか。背中を冷や汗が滑り落ちていく。けれども、あの場にはきっと、逃げられない一人の高校生が桃太郎と対峙していることだろう。
 行かなくちゃ、そう判断した真凜は、数秒後に出撃要請が下りるとはいえ、許可が下りるよりも早くに地面を蹴ったのであった。

Re: 守護神アクセス【File7・開幕】 ( No.45 )
日時: 2018/04/21 11:53
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 守護神アクセスを行った二人を見て、王子はただ愕然としていた。自分たちだけだと思っていた。守護神アクセスをできる、お伽噺の世界の守護神なんて。それなのに関わらず、その思い上がった幻想を打ち砕くように、目の前で桃太郎は守護神アクセスを行った。名前が桃なのとは裏腹に、どす黒い闘気が褐色肌の少女を覆った。彼女の目は桃太郎と同じように、真紅に汚れている。まるで彼女自身がフェアリーテイルとなったように。

「よーし、いつまでも突っ立ってないでさ。お前ら、早くアクセスしな」

 桃太郎が実力で倒さなければ意味が無いと主張しているのだと彼女は言う。その主張は暗に、対等な条件ならば自分が負けるはずがないと言う自信を表していた。舐めやがってと王子は歯ぎしりをして。そんな様子を見たセイラはと言うと、血相を変えたまま彼に撤退を提案し続けた。

「駄目です! 彼らには絶対に敵いません! 王子くんのせいじゃなくて、桃太郎と私とでは、守護神としての力が……」
「そんな事ない! やってやろうぜセイラ。それに、あいつらより弱かったらどうせ後ろから殺されるだけだ」
「そんな事ありません、彼の性格なら私達が逃げれば興が冷めるとでも言って追ってきませんから、だから安心して」
「おめおめ引き下がれってのかよ! 馬鹿にされたまんまで」
「そうじゃありません! 今は生き延びることを優先しようと」
「もういいよ!」

 王子は彼女の腕を掴む。急に勢いよく掴まれて、セイラは顔をしかめた。小さな悲鳴と共に痛いと伝えても、その事に王子は耳を傾けていないようである。

「俺が証明するんだ……セイラは、セイラは強いんだって」
「だから、そんなのどうでも……」

 そんな制止など振り切って王子は吠える。相棒である彼女の言葉も意志も全て目にも留めず、欲求の赴くままに、戦場へと踏み切った。

「守護神アクセス!」

 セイラの姿が半透明に透ける。眠り姫との交戦時に一度目、そして今二回目の守護神アクセスを行った。
 普段であれば、彼女が見てくれていると言うだけで充分力が湧き上がってくると言うのに、今は何となく、ちっとも力が出てこなかった。確かに腕にも脚にも力を入れやすく、身体能力は著しく上がっている。能力だって使えることだろう。念じてみれば、衝撃を吸収するための泡は確かに出現した。
 守護神アクセスは成功している。だというのにどうしてこんなにも満たされないのだろうか。彼は振り返り、セイラの様子を確かめた。そっぽを向いて、顔は背けられていた。ズキリと、胸の奥が痛む。目元を押さえるその手で、泣いていると告げているようで。
 どうしてそんなに嫌そうにするんだよ。眼球の奥の方が何だか痛い。目をしばたかせる。別に涙は湧いてこなかった。寂しいのかな、などと考えてみる。セイラはまだ何も答えなかった。正確には、彼女は嗚咽を漏らさぬように何とか押し殺しているせいだが、彼にとっては何となく、自分が拒まれているように思えてならなかった。
 だったら、だからこそ、証明しなくちゃ。彼は目の前の女性に視線を向けた。女だからと言って、桃太郎と力を合わせている以上容赦はしない。容赦と言うより、油断はできないと言う方が正しいだろうか。

「さて、オウジだったけか?」
「そうだけど?」
「私さ、お前殺せって頼まれてんの。だからさっき、逃げても殺される言ってたな、あれ正解」

 そうかよと王子は吐き捨てる。こちらこそ、端から退く気など微塵も無かったため関係ない。如何に桃太郎の力を持っているといっても、女。流石に昔から、かじった程度とはいえ鍛えてきた自分が遅れを取るはずは無いと踏んでいた。

「そうかよ、できるもんならやってみろよ」
「オーケー承った? んあ、合ってんのかな? 日本語難しいな」
「ごちゃごちゃ言ってんなよ! そっちの名前は?」
「名前は無いけど、呼びたかったらクーニャンって呼んどけ!」

 それが合図だった。開戦の狼煙が上がり、二人が同時に地面を蹴って。初めて桃太郎を目にした時と同じように、地面に壁に、縦横無尽にクーニャンが駆け回った。右へ左へ上へ下へと跳んで跳ねてを繰り返し、近づいては遠ざかりそのリズムを掴ませない。いつ来るかそう思っていたところ、とうとう動いた。正面に大きく片足を振り上げた彼女の姿。思い切り振り上げた踵を王子の脳天目掛けて振り下ろした。
 させるかよ。腕中を泡で覆う。クッションのように衝撃を吸収したり、相手を捕らえてそのまま閉じ込めるように用いることもできる。かつて歌姫を捕まえて、マネージャーに引き渡した時にも使った能力だ。真っ向からクーニャンの足を受け止める。泡のクッションによりある程度和らげてはみたものの、それでもまだ腕が痺れるような衝撃。これが桃太郎の力なのかと王子は呆れる。そう言えばあの時も桃太郎の力は大したものだったなと思い返す。
 あの時と比べると、クーニャンの動きは精彩を欠いているように思えた。やはり女性ともなると、桃太郎ほど体を動かすのに精通していないのかと侮った。侮るなとセイラから言われているというに。だからこそ、彼女から退けと告げられたと言うに。
 鋭い一撃を受け止め、そのまま迎撃態勢に入る。退路をそのまま大量の泡で塞ぎ、正面から体術で攻める。正拳、上段蹴り、その後体勢を立て直す間隙を縫うように水の刃で仕掛ける。しかしクーニャンもそれらを見切り、紙一重で全て躱す。顔を傾け、上体を逸らし、身を翻して跳び退いた。しかし、その背中が立ち込める水泡の壁に触れてしまう。捕らえた、そう思って油断してしまう。
 一気に決めてやるよと、浄化の歌声による能力を行使する。彼女の端正な顔が、これまで見てきたフェアリーテイル同様に苦悶に歪む。だが、だからといってその場で苦痛にさいなまれるだけで終わるはずはない。眉間に皺を寄せたまま、舌打ちを一つ。壁にまだ飲み込まれていない両手を空中に添える。瞬時に放たれた極光、王子が瞬きを数度したらいつしか、彼女の手には日本刀が握られていた。鞘から刀身を引き抜き、彼女は自らその身を掴んで離さない膨れ上がった雲のような壁の中に飛び込んだ。完全に、彼女の身体が隠れてしまう。自暴自棄かと王子は思ったが、そんなことも無い。
 刹那、走る一閃。地表から上空までを一直線に貫く斬撃。今まで一度も破られなかった能力だというに、クーニャンはあっさりと一刀両断。高く積み上がった泡の壁は真っ二つに分かれた。割れたこともない無数の泡が同時に弾けて飛沫を上げ、宙に消える。
 あっ、と口にする暇もないほど小さな隙。たったそれだけの短い時間しか経っていなかったというに、もう喉元にその切っ先が付きつけられていた。頭で理解するより早くに体が反応した。ぐるりとその場で回転し、何とかその剣を回避する。何とか突きの軌道から首筋を逸らしたと思っても、回避しきれなかった刃が薄皮一枚を裂いた。首元を撫でる冷たい金属。後一瞬の遅れで喉元を貫いたかと思うと、急に背筋が冷たくなった。
 実際のところ、神経まで届いていないため痛みを感じることなど無いはずだ。ただ、彼の精神がその首元の怪我を痛いと叫んでいた。痛くなんて無いのに、刃の触れたその質感だけで、大怪我を負った錯覚に陥る。
 噴き出る脂汗、一気に恐怖が肚の底からせり上がってくる。このままじゃ不味いと、眠り姫との戦いの際に用いた水を再び自分の周囲に引き寄せる。出しっぱなしにしているだけあって、かなりの量に達していた。この狭い範囲なら軽く洪水でも起こせそうだなと思いながら、純粋な力で押し込むように、氾濫する水をクーニャンに向けて全力で押し付けた。
 あまりの勢いに後方へと押し戻されるクーニャン、そのまま壁に叩きつけてやろうとしたその時、彼女はどこからか取り出した、薄い黄色の柔らかそうな一口大の球体を手にしていた。
まさか、とは思った。それ自体は実際に一度目にしたことがあった。しかし、もう既に使用済みだと思っていた。あくまでも今の桃太郎たちは、それを使ったうえで以前より精彩を欠いた動きなのであろう、と。
 しかしこの様子だと、そのドーピングは未だに用いていない様子である。そんな馬鹿なと、団子を彼女が嚥下する様子を見届けることしかできなかった。

「これ食べたら元気十倍、だったか?」

 以前の、キビ団子を食べた後の桃太郎と比べて、クーニャンの身体能力は劣ったものだと感じていた。しかしその認識は逆だったと気づく。まだ能力を使っていない、純粋な体術のみで戦っているというに、以前の桃太郎に迫る戦闘能力を見せた。
 すなわちこの桃太郎の契約者の女は、推定していたよりもずっとずっと、くせ者だったのではないかと思い至る。おそらく契約したのは最近だろうに、その膂力を活かしての大立ち回り、さっきの王子の攻撃を避けたのも、ギリギリだったのではなく最低限の動きだっただけ。今更ながら、彼女の異常なまでの体捌きに気が付く。
 それよりも強く、速くなる。もう、息を呑む間もないように思われた。

「こういう時、何て言うんだっけか、お前ら。ガンガン行こうぜ?」

 クーニャンの姿が消えた。不意に後ろから気配が現れる。首を回しながら視線もそちらへ向ける。白銀の刀身が煌いたように映った。足元に万が一のために作っておいた水溜まり、その鏡面の中に王子は潜り込んだ。
 何とか頭上にて剣閃が空ぶる気配。またしても死と隣り合わせ。ようやっと、顔を背けていたセイラと目が合った。充血した目が潤んでいる。だから、どうしてそんな顔をしているんだよ。臍を噛む。うっすらと血の味が口の中に広がった気がした。そんな顔、させたくないから戦っていると言うのに。
 二人がそうやって、鏡の世界の中で閉じこもっている間に、外の二人は次なる一手を打っていた。全霊の力で振り下ろした刃、真下の地面ごと水面を引き裂いた。水しぶきが飛び、水溜まりが消え去る。出入口が消失すると同時に、行き場を無くした王子の身体が飛び出した。

「避けきれるかな、オウジ?」

 日に焼けたその肢体が踊る。クーニャンの足の甲が王子の眼前まで突き付けられた。しゃがみ、回避する。ホッと安堵、などする暇など無く。急に勢いを殺し空中で静止した脚が、ピンと伸びたまま王子に振り下ろされた。肩の辺りに直撃、激痛が走る。踏まれていない側の腕を患部に押し当てて苦悶の声を上げた。
 走る斬撃、目の前に陽の光を受けた刀身が煌く。自分の身体が左右に真っ二つになるイメージが浮かんでくる。認めてたまるかと、地面を蹴る。しかし刀を掠めてしまった右腕から血が溢れる。だらだらと流れる血に、身体中の熱が奪われるように感じる。あまりに寒く、冷たい、足元から這い寄ってくる身が凍てつくような嫌悪感に似た硬直。

Re: 守護神アクセス【File7・開幕】 ( No.46 )
日時: 2018/04/21 11:55
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 これが、死の絶望というものか。力量差に王子は、心が折れそうになっていた。
 そんな彼の心を辛うじて繋ぎ止めていた者など、一つしかない。けれども、何よりも強いと思っていたその糸は、何だか今日は頼りなく思えた。自分がここでこうして戦っていることに、何の意味があるのだろうと愕然とする。彼女の目を見ようとするも、叱咤と恨みがましさが籠っているような気がして、視線がそこまでたどり着かなかった。
 だが、退けない。退く訳に行かない。桃太郎を野放しにできないから、といった理由ではなくあくまでも自分に弱虫の烙印を押したくないため。憧れた英雄からまた遠ざかりたくないため。そして、相棒が頼りないだなんてレッテルを、セイラに貼らせないため。
 胴斬り、袈裟斬り、鳩尾への中段蹴りに喉元を穿つような貫き手。跳び、転がって腕を押さえ込む。掴んだ腕からそのまま背負って投げようとするも、そんな暇など彼女は与えない。柄頭で王子の鼻先を殴打した。彼の視界に、ちかちかと火花散る。鼻の奥がじんと熱くなり、血の匂いが香る。拭えども幸い鼻血らしいものは流れていない。
 刀を持っていない方の腕で矢継ぎ早に拳を飛ばされる。兄貴のジャブみてえだと、王子はそれを次々上体を逸らして回避し、ボディへの牽制は腕で防ぐ。太陽との特訓と速さこそ変わらない者の、一打一打の重みが違った。受け止めた前腕に、上腕に、ずしりと響く衝撃。これが桃太郎の契約者と、生身の人間との違い。
 だが、気は抜けない。いつ、動きを止めた刀を持っている側の腕が動いたものか分かったものでは無い。目の前に迫る拳打の雨を避けつつも、意識は日本刀から離さない。
 しかし、そんな散漫な注意力を見逃すほど、クーニャンと名乗った彼女は甘くなく。

「警戒、バレバレだぞ」

 まず初めに自覚したのは、肺の空気が無理やりに吐き出されたことだった。その後、前方から押し飛ばされるような、または後方に引っ張られるようなどちらとも言えない感覚。くの字に曲がった体から、何かが腹部に叩きこまれたことを自覚した。
 最後にようやく、全身を駆け抜けるたった一つの重すぎる衝撃。全身の筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋む。内臓は潰れそうになりながらも辛うじて歯を食いしばって耐えきっているようだった。後方の壁がすぐそこに迫る。薄れる意識の中、咄嗟に大量の泡で全身を包んでクッションのようにした。それでも殺しきれぬ威力、錆びの目立つ壁に叩きつけられた。視界の奥には、左足で体を支え、右膝を突き出したクーニャンの影。視線を両手にだけ向けたところでの膝蹴り、やはりこの女、戦いなれているのかと理解した。
 誰かの呻き声が聞こえた気がした。しかしそれを発した主は、間違いなく自分だった。遅れて痛みを脳が自覚し、思考回路が焼かれそうな程の刺激伝達。痛い以外の感情が無くなる、脳内麻薬がどんどん分泌されても、それより早いペースで、それより強い勢いで腹部が痛いと叫んでいた。
 その勢いに、王子たちの接続が中断される。王子が纏っていたエネルギーが立ち消え、代わりに人魚姫が虚空から現れた。すぐ隣に降り立った人魚姫は王子に寄り添い、地面に転がる王子に寄り添う。

「王子くん! しっかりして下さい」

 その声に、王子は覚醒する。歯を食いしばれば、その激痛などいくらでも耐えしのげた。全身はその苦痛にさいなまれていたが、骨も筋も内臓もまだ無事だ。戦える、だからこそ彼はその手をまた、セイラへと伸ばす。
 そんな様子を桃太郎たちは、興ざめだと言わんがばかりに見ていた。

「もう、一回だ……今度こそ、今度こそっ!」
「やめてください王子くん、もう限界ですから!」
「限界なんてあって堪るかよ! 約束っ……したんだ」

 胸に苦悶と痛みとが詰まっているかのように思えた王子は、咳ばらいをして全て吐き出す。吐血も無い。折れかけた心はセイラの声で補強できた。体に重篤な被害は出ていない。まだ、まだ戦える。

「誰と何を約束したっていうんですか、命を捨てるほどの事じゃないでしょう?」
「捨ててもいいよそんなもん!」

 掠れそうな声、喉から振り絞るように悲痛な声を王子は上げた。その声は、体の痛みと言うよりむしろ、心の痛みに泣いているようだった。涙こそ流していないものの、慙愧に、絶望に、敵への嫉妬に、ままならない己への憤怒に、その声が揺れていた。

「最初から俺は、死んでたみたいなもんだった。だからここで死んだって、何も変わんねえよ」
「馬鹿なこと言わないでください」
「馬鹿じゃない! 俺は……セイラのおかげで生きていられるんだ。だったらセイラのために命くらい捨ててやるって決めてんだよ」
「何、言ってるん……ですか?」

 ずっと、夢を見ていた。誰かの泣いている顔を笑顔に変えられるような、そんな英雄になりたいと。人を助けられる人に、救える人になりたいと。無理だと突き付けてきた厳しい現実は、人魚姫と出会って一変した。
 だから、だから彼は彼女のために立ち向かわねばならない。自分の夢を叶えるために、と同時に、自分の夢を叶えるだけの力をくれたのだから。だから自分は、彼女のための力とならなければならない。

「何千年、何万年生きても死なない守護神にとって、俺は瞬きする程度の短い時間の記憶にしか残らない、替えの利く契約者の一人だって分かってるよ。けど、俺にとっては……かけがえのない恩人だから。代わりなんていないから。ここで屈してどうなんだよ、お前の親友帰ってくるのかよ。そうじゃないだろ……。初めて会った時、言ったろ? 他の誰かじゃなくて、俺がお前を、ハッピーエンドにしてぇんだ」

 もう、ここで命散らしても構わない。おそらくはここで桃太郎さえ討ってしまえば、後は兄や父、知君がどうにかしてくれるだろう。だけどせめて、目の前の彼だけは討っておきたい。彼女に自信を持ってほしい。自分が知君から、優しいと、強いと言われた時のように。人魚姫は可哀想などではないと、誰より彼女に伝えたい。刺し違えてでも、必ずここであいつ一人くらい。
 そうやって、覚悟を決めていた。喜んでくれるだろうと、勝手に一人で思い込んでいた。それなのに、彼が目にした彼女の表情はどうだ。怒って等いなかった、決してだ。それでも当然、喜んで等いなかった。ただただ、その目は真っすぐに王子を見据えて、ボロボロと大粒の涙を次々に溢れさせていた。言葉になんてならないような嗚咽を漏らして、王子の胸を何度も叩く。全然力のこもっていない手は、まるで綿で叩かれているみたいだった。それくらいに、彼女は空虚に包まれていた、握った手の中には何も存在しなかった。
 彼女には、王子を叱咤することなんてできなかった。焦っていたことも全て、自分のための事だと知って、ではない。確かに嬉しくは思う、きっと駆け足で階段を、飛ばしながら駆け上がろうと躍起になっていたのは自分を想っての事と知れば。けれども、それ以上に悲しかった、王子が「セイラにとって自分はどうでもいいもの」だと思い込んでいることが。
 どうでもいい、そんな訳ないのに。誰より大切なのに、契約者と出会うだなんて初めてなのに、替えが効くだなんて言われたくなかった。それがとても、寂しかった。自分の想いが伝わってなかったことが。
 ただ、セイラの胸に何よりも強く突き刺さったのはそれではない。何よりも深々と突き刺さったのは、同じことを自分も考えていた事実だ。自分は王子に対してどう思われていると考えていたか、見直してみる。彼にとっては守護神がいるかどうかが肝心で、それが自分である必要など決して無かっただろうけど、とは考えていなかっただろうか。
 それが、どれだけ言われて悲しいことかなんて、考えもせずに。自分にとって王子の代わりがいないように、彼にとっての自分の代わりなんて居なかったというのに。無神経な自分も、契約者の彼も、どちらも大馬鹿野郎だった。
 怒ることも、何もできずにただセイラは泣いてばかりのその顔を王子の胸にうずめた。弱いなあと自らの事を叱咤する。この期に及んで、王子が軽率に命を捨てようとしたことを窘めることもできなければ、言っていることが見当違いだと叱りつけることもできない。何か言わなければと理解しているのに、ただ彼女には、胸の奥の深い悲しみを、そのまま言葉にすることしかできなかった。

「……じゃったら……いですか」
「えっ?」
「自分のために王子くんが死んじゃったら、幸せになんてなれないに決まってるじゃないですか!」

 その言葉に、王子の全身が強張る。その言葉だけで、自分のしようとしていた事が、全部ただの自己満足だったと、死のうとしていたのがただのカッコつけだったことを知らしめられる。彼女は最初から、自分が本当に望むことを懇願していたのに。逃げてくれと、自分に生きていて欲しいと。
 彼女のためだって偽って、自分の事ばかり考えてもがいていた。ようやっと理解して、突き付けられたその真実が、先ほどまでの圧倒的な実力差から来る絶望など簡単に塗りつぶした。彼女を泣かせたのは桃太郎でも、友人が洗脳されたことでもなくて、ただの自分の軽率なふるまいだと言う事実は、クーニャンに蹴られたそんな痛みなど忘れさせるほどに、彼の精神を引き裂いた。
「はー、こんなとこでいちゃついてんなよ。まー、姫さんとオウジなら仕方ないか」
 だけど、ここで終わり。ここで彼を殺すことが彼女の使命の一つだった。もう桃太郎の復讐は達成できたことだろう。相手が守護神アクセスするところなど、待つ必要も無い。
 剣を構え、二人の方を見据える。切っ先を王子の胸元へと向けて走り出す。人魚姫に死を与えることはできないものの、同じ痛みを与えてやることくらいが、今彼女にできる唯一の手向けだった。

「ごめん、ごめんな……」

 背後から自分を貫くための凶刃が駆けている事には気づいていた。気づいていながらも、反応などできない。もう、立ち上がる力が湧いてきそうにも無かった。
 最後にせめて、自分が犯した間違いを認めて、謝れる限り彼女に謝ろうと、王子に縋る彼女を両腕で包み込む。その間にも、黒いオーラをまとったクーニャンは矢のように駆け抜ける。
 戦場を横切る白銀の閃光、もう後一歩のところまで泣き塞ぐ二人へと接していた。振り上げた刃がより一層強い日の光を受けて眩しいほどに輝く。こうしてみると、いたいけな少年少女に手をかけているようで、クーニャンにとっても少々寝覚めが悪かった。普段は私欲に溺れたじじいどもばかり相手しているからかと、彼女は一人納得する。
 それでも、金を渡され、プロとして仕事を請け負ったからには彼は殺してしまわねばなるまい。ぬくぬく育ってきた子供の割には強かったよと、心の中でだけ最大限に二人を賛辞して彼女は、王子の背後からその心臓を貫く。

















「反省は後にしなさい、まだ終わってないわ」

 王子の背後から、その心臓を貫くより一瞬早く、クーニャンは上空から降り注ぐ無数の光の矢に気が付いた。矢と言うよりも光線だろうか、王子達が蹲っている地点のみを避けるように、次々と降り注ぐ閃光。彼女の本能じみた直感が、当たってはならないと叫んでいた。王子を殺すための刺突など止め、すぐさま後方に跳び退いて退避した。
 天空から飛来した何十本と言う光線がコンクリートの地盤を貫いた。針の巣みたいな穴があっさり穿孔された様子を見て、気づいていなければ自分がこうなっていたのかと、緊張の糸が張り詰めたような感覚を体の芯に感じた。
 児戯にもよく似た王子達との争いに、刺激的なスパイスが加えられる。降り立った影こそ見知らぬものだったが、クーニャンに憑くように控えている桃太郎はその顔に、かつて自分を完膚なきまでに打ち負かした捜査官の男、彼の面影を重ねた。
 いつまで待っても襲わぬ斬撃、それと耳に飛び込んだ耳慣れない声とに、王子達は顔を上げた。スポーツショップで見かけるような鮮やかなデザインのスノーボードに乗った女性が一人、そこにたたずんでいる。

「王子くんね、君が」
「そうですけど……えっ」
「お説教、と言いたいところだけど、説教も自己紹介も後よ。悔しいけど、私一人じゃこいつに勝てそうにないから」

 振り返った彼女が、私に力を貸してくれるかしらと問う。もう一度、立ち上がれるかという意味だろうか。目が覚めるほどに整った顔立ちの佳人、頭の後ろで束ねられた髪が揺れている。スーツを纏ったその捜査官の女性を、彼は何度も近日の報道番組で目にしていた。
 奏白 真凜、クラスメイトである知君のチームメイトである女性。それはかつての王子が憧れていたような、強力な守護神をその身に宿した、多くの人を救うかっこいいヒーロー。

Re: 守護神アクセス【File7・開幕】 ( No.47 )
日時: 2018/09/11 16:48
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

 奏白 真凜、クラスメイトである知君のチームメイトである女性。それはかつての王子が憧れていたような、強力な守護神をその身に宿した、多くの人を救うかっこいいヒーロー。
 どうして彼女が現れたのか、そんな事彼には知る由もない。ただ、彼女が駆け付けたことにより助かったこと、助けてくれたこと、そしてその彼女が助力を求めていることはすぐに察した。セイラも顔を上げ、何が起きたのかを把握した。跳び退き、警戒を露わにしているクーニャンの様子から、見知らぬ女性が敵ではないと悟る。
 戦局が一変、それを感じてはいたのだが、二人とも茫然として動くことなどできなかった。そんな彼らを叱りつけるような鋭い一声。

「ぐずぐずしないで! すぐに来るから!」

 またしてもクーニャンが仕掛けようと、前傾姿勢に。守護神アクセスも行っていない状態、王子の目には完全に彼女の影が跡形もなく消えたように思った。思うと同時に光の柱が眼前を塞ぐように天へと昇った。行く手を阻まれたのだろうか、天を衝く光の槍の向こう側、地面が擦れた音を上げた。地面を這うように広がっている水溜まりから飛沫が跳ねる。咄嗟にブレーキをかけてバックステップしたクーニャンが、苦々しく舌打ちをした。

「早くしなさい!」
「はいっ」

 真凜の勢いに気おされた二人は、すぐにお互いの手をとった。合言葉を口にして、臨戦態勢に入る。真凜の目からは人魚姫の姿が見えなくなり、代わりにその身体から発されたエネルギーが王子を包む。なるほど、フェアリーテイル達の守護神アクセスはこのように行うのかと真凜は納得した。厳密にはセイラは、フェアリーテイルではないが。

「説明している暇も、あっちに能力をばらす義理も無いわ。一つだけ貴方達に指示よ。私の言葉にできるだけ従って」

 生き延びたいならね。そう告げ真凜は未来視の能力を行使し始めた。二人が肯定する返事など待っている暇はない。だが、二人は断らないだろうなと察してはいた。互いを想って泣くような二人であれば、絶対に生きて帰ると言う強い意志だけで充分に戦ってくれるであろうと。その上両者とも、この短い時間で充分桃太郎に力の差を見せつけられたばかりだ。それならば十分に協力してくれるだろうと。
 青白いエネルギーを収束、砲弾を生成。焼き焦がす光線でなく、穿ち貫く弾丸を次々と掃射する。目の前一帯を焼き払うような砲撃、からの爆撃。その弾と同じ青白い爆炎が炸裂した。大気を揺るがす鳴動、しかしものともせずに青い炎を切り裂いて、飛び出した少女の影。
 この程度では物足りないか。眼前に踏み込んできたその身体、押し戻すように腹部に一際大きな大砲の一撃。どのタイミングで、どの位置に踏み込んでくるかなど、数秒前に確認済み。後はそのタイミングに合わせて、攻撃を置くだけ。
 だが、その反応速度も並大抵では無かった。刀を振り抜いては自分がその砲撃に押し戻されると察した彼女は、すぐさま斬撃を中断、刃の腹でその砲撃を受け止めた。先ほどよりよほど威力の高い一撃、勢いに押され、後方へと追いやられる。真っ向からは撃ち返せない、切り裂いてまた爆発したら今度は正面から熱量を受け止めることになる。
 ならばと彼女は、日本刀の刃の上を沿ってレールのように走らせることで、真凜の弾丸を上空へと打ち上げた。撃ちあがると同時に、発破。頭上で大きな花火が上がる。もう一度と、また踏み込む。だが、それは叶わない。
 一歩進んだと同時に跳ね上がる体。何事かと彼女が足元を見れば、虹色の板。正体の判別こそつかないものの、これを踏み抜いたせいで足から体が跳ね飛んだのは明確だった。不格好に彼女の身体が宙に浮く。その隙を逃すなと真凜は王子達に指示を出した。

「今! 水操れるでしょ? 叩きつけて!」

 指示通りに王子は散らばった水を集合、上空から滝のように流れ落とさせてクーニャンの身体を地面に叩きつけた。その身体が自分より遥かに強靭になっていることなど確認するまでも無い。容赦と言う名の油断はしないと、全力で地盤へと叩きつけた。苦しそうな吐息一つこそ吐き出せど、その眼光の好戦的な色は何一つ消えていない。
 握りしめた刀の一振り、水流がぱっくりと二つに割れる。その様子はまるで竹が裂けるようだった。だが、その対応すらも読んでいた真凜が、細く収束させたレーザーを、真っすぐにクーニャンへと放つ。またしても水流に呑まれぬよう、一度後方へと逃げる彼女の姿。しかし、そんな彼女を嘲笑うように真凜の撃ち放った光線はその軌道を変える。ぐるりとクーニャンの居所を迂回して、後方から二本の光線が交差するように襲い掛かった。
 猫のように、褐色の胴体を宙に浮きあがったまま捻らせて、何とか回避を試みる。しかし躱しきれなかった熱線は容易に彼女の身体を捉えた。脇腹と右肩の辺りを掠る。王子達の事など易々と手玉にとっていた彼女が血飛沫を上げる。だが、痛みになれているのか彼女はその程度では顔色一つ変えない。

「スリかと思っていたけれど」

 真凜も周囲の水を操ることができる。それほど自在に動かせる訳では無いが、スケートボードを浮遊させるその応用で、水の牢獄を作り出してクーニャンを閉じ込める。殺してしまわないよう、話を聞き出せるよう口元だけ覆わないようにして全身を水で包み込んだ。

「貴方、正体は何なの?」
「教えると思うか?」
「その道のプロって事ね」

 ここで口を割らないと言うのなら、それ相応のプロ意識を持った人間に間違いない。名前がクーニャンであるという事だけが割れている。
 彼女の生まれは、中国のスラム街だった。その日食べるものすらも日によっては手に入らないような退廃した街。着る服などもそう容易には手に入らない。それゆえ、彼女は年中夏服で過ごしていた。上の服も下の服も、一着ずつしか替えが無い。日に一度井戸で体を洗う際にその日纏っていた服を洗い着替えるような生活。毎日のように日差しを浴びて暮らしているが故、黄色人種の彼女の肌は年中小麦色に、それ以上に黒く焼かれていた。父も知らなければ、母も知らない。自分の名前すらも知らなかった。
 毎日を生き抜くためにできることならば大体全てしてみせた。コソ泥も、万引きも、強盗も傷害も殺人も。売春だけはできなかった。彼女がグレーゾーンあるいは犯罪の領域に踏み入る理由はあくまで、自分が生き延び、あるいは金を手に入れるためである。己の身体を金に換えようとしても、買おうとする人間はあまりいない。金を払えない人間とまぐわう気がなければ、金を払える人間はというと白人がお好みのようだった。美人ではあったのだが、求められる条件を達成できなかったため、彼女は己の身体を切り売りするようなことはまだしていない。
 その代わりと言っては何だが、違う意味でその身をかなぐり捨てるように日々を送った。大男相手の殺し合いに、拳銃を持った相手からの窃盗など、命を投げ打つような生き方は送っていた。天性の柔軟性に、バランス感覚、動体視力などまるで野生の獣、とりわけ猫や豹のような体は、その過酷な生活でさらに磨かれた。
 転機が訪れたとすれば、そんな彼女の身体能力を買って、私兵にしたいと言う道楽が現れたところである。その頃から彼女には専属のコーチが付けられてより一層の戦闘技術や、諜報能力を授けられた。コードネームを貰ったのもこの頃である。クーニャン、それは未婚の若い女性を指す。
 名を貰ったのが十五の頃。そしてあれから一年、あと何年はこの名前を使い続けるものだろうなと、彼女は考える。成長期だから丁度いいと数々の肉体改造を重ねた。元々恵まれた体をしていたため、その過程はいたく簡単だった。無駄な脂肪を落とし、しなやかな筋肉を身に着ける。必要に応じて肩を外すなどすれば、閉所へも潜り込めるように。一応色仕掛けをできるようにと、胸や尻には少し余分に脂肪をつけた。現状邪魔になることの方が多いが、パーティー会場のようなところに忍び込む際は豊満なバストは人目を誘導して、不自然な手の運びから目を逸らさせるのに有用だった。

「さてと、王子くん。彼女のこと……桃太郎を早いところ無力化してくれるかしら」

 いつまでも抑えていられる確証はない。また別の手を打たれる前に一気に決めておくべきだ。知君の負担を減らすためにも、王子にその役目を担ってもらいたかった。話を聞く限り、王子による浄化能力には体の調子を崩すようなデメリットは無い。
 いつまでも彼に負担をかけてたまるものかと、せめて今日くらいは彼の力を借りずに事件を終えたかった。それゆえ王子に指示するも、それが結局は手遅れだと知る。手遅れと言うより、力不足というべきだろうか。
 突如むくりと、クーニャンの影の中から生まれるように、大柄な猿が現れた。ニホンザルなどではなく、むしろゴリラのように逞しい霊長類であった。鍛え抜かれた軍人よりよほど膨れ上がった胸の筋肉はまるで山のようで、石のように固そうなその腕は丸太と見まがうほどに太く。声は小柄な猿のように甲高いものではなく、低く呻るようなものであった。
 プールの水面を小学生がはたいて遊ぶように、その太い腕を、クーニャンの身体を捕らえた水の牢へと打ち付けた。貫いた衝撃が、念動力でそこに留まらせていただけの水を飛び散らす。四方へと追いやられた飛沫、拘束がほどけた彼女が地上に降り立つ。仲間を労うように猿へとキビ団子を差し出した。それを口にした彼は、ただでさえ強靭なその肉体をさらに固めたように思えた。
 上等じゃないか。強い援護もやって来て、吹っ切れた王子は目の前の困難と対面し、笑う。彼の中にはもう、自分の命を投げ捨てるような無謀は無い。生き延びるために戦い抜くのだという強い意志と共に、高圧高速の水の槍を四方からその大猿へと注がせる。
 その肉体では返り討ちにできず貫かれるからだろうか、猿を庇うように立ちふさがるクーニャン、剣閃がいくつも瞬いて、鋭く針のように尖った水流が液滴となりはじけ飛んだ。

「王子くん、泡の力! あの猿の足元!」

 指示と同時に解き放つ一筋の閃光、そのまま二射、三射、積み重ねる。総計五本の光線が宙を彩るように走る。真っすぐ桃太郎たちを襲い掛かるかと思えば、真凜の生み出した反射板の能力に衝突し、空中で軌道を変えて折れ曲がる。先ほど自分が踏み抜き、宙に跳ね上がったのはこの鏡のような魔法の板が原因かとクーニャンは理解した。同時に、先刻も光線の軌道が折れ曲がり、生きているかのように変化していたのも合点がいった。
 あれに当たっては、致命傷まで及ばずとも無傷には済まない。実体も掴みにくい熱線、剣でしのぎ切れるとも限らない。いつしか忍び寄ってきた人魚姫による泡の能力。身動きとれなくするつもりかと眉をひそめる。負けてなるものかと足裏でコンクリートを思い切り叩いた。反動は充分、灰色の石を微に砕きながら、彼女の身体が踊る。勢い余ったが、猫のように四つ足でバランスを取り直す。しかし、真凜達の目的は自分でなかったと、背後を見て気づいた。膝まで全て真っ白な泡に包まれた猿は身動きなどできずに、降りかかる光の雨に四肢を穿たれる。痛みに吠えるも、体が崩れる。尻餅をついたその側頭部を殴打するような青い砲弾。着弾と同時に弱い爆発。しかし、音はやけに五月蠅いし、閃光弾のように眩しい。
 頭を揺らす衝撃に、耳を劈く大きな音、目を焼くような強い光、それらが呼び寄せた仲間の大猿の意識を奪った。起き上がることも容易にはできないような状態にさせられていたが、大柄なその体躯は完全に沈黙した。

「こうなれば」

 もう一人の家来、犬を呼び寄せる。そのつもりだった。

「王子くん! 彼女の右斜め後方三歩分のところ! 水柱を作って!」

 突然何も無い地点への攻撃指示。しかし王子は迷わなかった。何か意味のあること、そう信じて王子は渦潮のように回転しながら立ち昇る水柱を指定された地点に生み出す。
 そんな馬鹿なと、クーニャンは目を丸くする。仲間を呼び寄せる代価としてのキビ団子は、左手で彼女から見て左後方へと、すなわち彼が狙撃した地点へと投げていた。食べ物につられたように、狼のような一匹の野犬が現れる。しかし、それと同時に犬の身体が水の中に飲み込まれた。急な環境変化にもがき、喘ぐ。水中ではろくに息もできそうにない。
 その苦しみを長引かせないよう、無防備などてっ腹目掛けて真凜の狙撃。水中からその胴体を押し出す。ようやっと呼吸ができるようになった犬の身体を青白い閃光が喰らった。先ほどと同じ、閃光と爆音による威嚇のための爆発に呑まれる。だが、意識を奪うには十分な威力。その細く引き締まった体が地へと落ちる。あっという間に二人目の仲間まで失ってしまった。

「うっそだろおい」
「観念してくれるかしら?」

 降伏を提案するスーツ姿の女性に、クーニャンは急いで状況と戦力差を計算する。座学は苦手だが、こういった現場における勘定は得意な部類だ。こちらの能力の大体が通用しなかったうえに、三人しかおらぬ家来の内二者が倒れた。残るは雉による飛行能力だが、空を飛ぶ能力ならば逃走のために用いたい。


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