複雑・ファジー小説

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守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
日時: 2022/05/19 21:16
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。

___

本編の完結とエピローグについて >>173





目次です。

▽メインストーリー
 File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
 File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
 File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
 File4:セイラ   >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
 File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
 File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
 File7:交差する軌跡  >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
 File8:例えこの身が朽ちようと    >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
 File9:それは僕が生まれた理由(前編)    >>59 >>60-61 >>63-64
 File0:ネロルキウス  >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
 File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
 File10:共に歩むという事   >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
 FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
 Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172

 Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177

-▽寄り道
 春が訪れて >>23
 白銀の鳥  >>70-71
 クリスマス >>120

▽用語集
 >>8 File1分
 >>15 File2分
 >>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも

▽ゲスト
 日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
 友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)




気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)

Re: 守護神アクセス【File4・開幕】 ( No.28 )
日時: 2018/03/27 16:50
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 週末は瞬く間にやってきた。正直、遠足に待ち焦がれる小学生のように、この一週間はひどく長く感じられるものだろうと王子は予想していたが、あっさりとそれは裏切られる。というのも、やはり部活動と勉学とで日常生活は忙しく、週末会うからと言って放課後の逢瀬は欠かさず行われたからだ。
 朝早く家を出て、軽く朝練。友達と休み時間に駄弁りながら三時過ぎまでの授業を乗り越えて、そこから六時前まで部活。河川敷により、返れば夕食を取って明日の身支度をして就寝。その生活サイクルは充実しているだけあって、あっという間に通り過ぎて行った。
 約束の週末、目覚まし時計は六時にかけていたが、五時過ぎに目が覚めた。時節柄、もう既に日はその姿を見せている。真っ白な球体が東の空に浮かんでいるが、青い空には雲なんて一つも浮かんでいない。絶好の行楽日和、昨日携帯で今日の天気を調べていたが、東京全体が快晴だと予報されていた。それを裏付けるように、遠くの空を見渡しても、曇る気配など欠片も無かった。
 折角早起きしたし、いつもよりも丁寧に髪でも整えるか。どうせ親も起きておらず、ご飯も準備されていないだろうからと、王子は机の上の小さな鏡と向き合った。男のくせにそんなものいるのかと兄は苦笑していたが、彼にとっては重要な代物だ。他に格好つけられるものなんて一つも無い。そもそも容姿とてそれほど恵まれている訳ではなのだから、せめて少しでも印象を好い方へと嵩増ししておかねばなるまい。
 あまり人気が多すぎないところがいい。それがセイラの提案だった。というのも、当然休日であろうと警察のフェアリーテイル対策課は勤務中である。それは、父親と兄の太陽を見ていたらよく分かった。太陽は先日桃太郎と交戦し、あっさりと敗北を喫したため最近はリベンジに燃えている。休みなど返上し、捜査に貢献しようとしているし、出勤を止められても家での鍛錬は欠かさない。
 そして対策課がその状況である以上、あまり人が多すぎる場所に赴くのは危険だった。フェアリーテイル自体、人通りが多い場所で暴れやすい性質がある。それは、赤ずきんやシンデレラといった者たちの傾向に謙虚に表れている。
 そういう所は重点的に警察も監視している。そのため、魔女の薬によって髪の色なども変えられるとはいえ、人魚姫が出歩くのは避けた方がいいと思われた。電車に乗るのも避けた方がいいだろうと思える。先日、壊死谷という名のアレクサンダーの契約者がテロリストとして逮捕された。現在起訴の途中のようだが、彼によって渋谷は壊滅、新宿も手痛い被害を受けた。そのため、鉄道網に関しても厳戒態勢が必要以上に敷かれている。
 それなら、河川敷の公園でも歩いて回ろうかと王子は提案した。河川敷の南の方に、王子や知君の通う高校があり、そこから少し北上した、人通りの少ない辺りでいつも二人は会っていた。北の方には大きな高架があり、その上には広い車道だけでなく、露店が出せそうなくらいに幅のある歩道も走っている。そこに本当に露店が出ているため、そこの人通りが最も多い。
その辺りまでは二人で訪れたことは無い。そこそこ賑わっているとはいえ、人が満ちているわけでは無い。そこらの公園と同じような雰囲気だ。そのため、他の者の目をあまり気にせず、のびのびと楽しむには丁度いいと思えた。
 そして対照的に、もう一つ南側、高校に一つ分近い橋の辺りの人通りは驚くほど少なかった。人通りが多い方が安全なため、多くの人が広い方の高架を選ぶからだ。それゆえ、二人が出会っているのはもっぱらこの橋の付近だった。
 それにもう一つ、その人通りが少ない橋を、より過疎にさせている要因があった。すぐ近くに墓地があるのだ。別に、墓地と言うのは忌むべきものではない。それでも、笑顔で迎え入れられるものでもないだろう。
 それゆえ、その付近を通る人間など、早々いないというのが常識だった。それに、そこにどんな人が出たものか分からないため、通るなと教師も口を酸っぱくして言っている。わざわざ薄気味悪く、面白みも無い場所に立ち寄るほど暇な学生もいないため、同級生は来ない。十八時を過ぎた時間帯にわざわざ墓参りに来るような人も多くないため、セイラと出会って約二週間、王子が見かけたのと言えば例の緑ジャージの女ぐらいであった。
 結局あれは何者だったのだろうか。わざわざあの辺りに現れたということは、墓参りでもしていたのだろうか。そう考えても、ぼんやり見えた彼女の目元は日本人離れしていた。ハーフなのかもしれないが、あの墓地に彼女の親族が眠っているとは少し考えにくい、そう思ってしまう。
 考え事をしながら、着替えも髪のセットも終わらせる。いつもは右の方に前髪を流すようにしているが、今日はいつもと違うワックスをつけて、ふわふわと波打たせてみせる。丁度先日テレビで見、知君のお見舞いの際に目にした奏白 音也のように。
 まあ、俺がやっても劣化版になるだけだけど。そう思う。それが事実なのが少し悔しい。
 アリスを検挙して以来、当の奏白兄弟は順調に成果を挙げていた。妹の真凜はというと、シブヤを焼け野原にした壊死谷を単独で検挙した上、兄の方は桃太郎を撃退し、あと少しのところまで追いつめ、さらに後日浦島太郎を検挙したという話だ。
 桃太郎。それは王子の記憶にもまだ新しい。初めてセイラと出会ったあの日、セイラを追い詰め、同時に王子の秘めた本心に気づかせてくれた。気づかせてくれたと言っても、偶々であるが。彼は、守護神ジャックすらしていなかったのに、王子の兄をいとも容易く討ち倒した。しかし、あの時太陽は王子の存在に動揺しており、彼を護るために戦っていたということもあり、全くの本調子ではなかった。
 あの時、俺がいなければ。そう思いはするが、その時は太陽が死んでいたのかもしれない。あの時桃太郎を何とか追い返すことができたのは、偶々人魚姫の契約者たり得る彼があの場にやって来たからだ。そうでなければ人魚姫は捕まり、太陽も死ぬ、そうなっていた可能性も高い。
 あの後、太陽が目を覚ましてから警察の取り調べを王子も受けることになった。その際、色々と細かに尋ねられた。フェアリーテイルの反応が二つあり、片方が消失した事実の確認。それを見ていないかどうか。どうして無事に済んだのか、なぜ桃太郎は帰ったのか、というものだった。
 とりあえず王子は、フェアリーテイル同士が仲間割れをして戦い、片方が敗れたと告げた。その正体はよく分からなかったが、もう一人もフェアリーテイルのようだった、そう告げる。正直に話さなかったのは、そうしてしまうとセイラまで警察の管理下に置かれる可能性があったためだ。場合によっては二度と会わせてもらえなくなってしまう可能性がある。
 折角繋がった己の守護神。そう言った側面も確かにあるのだが、その時には王子が彼女と離れたくない理由は変わっていた。自分とよく似た境遇の彼女に寄り添って、幸せにしたいと思っていた。しかしその理由は彼女に惚れたから、では間違いだった。彼は、自分と重ねて見える彼女が幸せになれば、自分も幸せになれると自信が持てるのではないかと思った。夢破れて泣くしかない者が、報われる姿が見たい。そう思ったから彼は、彼女の隣にいることを選んだ。
 ただし、それと下心が本当に無いかは別の問題である。

「あら光葉、起きてるの?」

 ノックの音がして、扉の向こうから母親の声がした。眠たそうな声、先ほど目覚まし時計の音がしたからには本当に起きたばかりなのだろう。適当におはようと答えて、王子は扉を開けた。外出の準備万端の息子の姿を見て、母親は驚く。

「あんた、顔洗ってから色々整えなさいよ……」
「あっ」

 目元をこすると目やにが指に引っかかる。やっぱり浮かれていることには違いないのかと、自分を情けなく思うような乾いた笑みを浮かべた。

 顔を洗って髪を再度調整した後、リビングに入って。用意された朝食を口に入れる。この後の事ばかり考えてしまい、何も頭が動かない。朝ごはんの味も匂いも分からなければ、パンを口にしているか米を口にしているのかも分からなかった。
 テレビを流れるニュースにもさしたる興味は無い。浮かれた頭でぼんやりと、目に入ってくる情報を処理するけれども、どうにもすりガラスの向こうの景色のようによく見えない。
 にも関わらず、七時になって始まったニュースに、王子の視界はクリアにさせられた。その目が画面の上に釘付けになる。ギリシャの歌姫、行方不明というものだった。日本でのイベントが本日催されていたが、先週失踪してしまったというものだ。一年間、母の死を理由にシンガーとしての活動、その一切を休止していたのだが、この度活動を再開することになったらしい。その手始めに選んだのが母の故郷でもあるこの日本だったという。
 明るいブラウンの髪と、金色の瞳。どことなくセイラを思い起こさせる彼女の顔立ち。この姿、どこかで。
 変に騒ぎにならないようにと、これまで情報を規制して捜索していたらしい。そんなことせずに探しておけば、もっと早く見つかったと思うのだが。王子はおう想えども、今となっては後の祭りなのだろう。滞在費は、空港にいるうちに現金で確保していたようでそれで過ごしているのだろうとのこと。カードの履歴で見つからないらしく、そうとしか思えない。
 今晩予定されているコンサートに影響はないだろうかと、アナウンサーたちが心配していた。大変そうだなと、そう思う。
 テロップが、切り替わる。ギリシャの歌姫でなく、彼女の本来の名前が表示された。姓は星羅(せいら)、名をソフィア。
 彼女も、セイラと言うのか。不思議な偶然を目の当たりにして、冷や汗がシャツの下を伝う。何となく彼女は、河川敷で会ったことと言い、他人に思えなくてならなかった。

Re: 守護神アクセス ( No.29 )
日時: 2018/04/03 09:16
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: AbL0epsw)

 その正体に気が付いたのは、河川敷に着いて人魚姫と合流した後すぐの事だった。会ってすぐに他の女の事を考えるのは流石に失礼だよなと、王子はその胸の内がばれない内に己を叱咤した。幸い、そんな彼の余所見のような思考など彼女は気が付いていないようで、陸に上がることを楽しみにしているようであった。浮かれているのは彼女も同じなのかと気が付くと、何となく王子自身照れくさくて、天にも舞い上がりそうな心持だった。
 だが、そんな彼に冷静さを取り戻させていたのは、やはり今朝の報道で見た歌姫のことだった。ギリシャ人の父と日本人の母を持つ彼女の父親は親日家で、住む土地こそ欧米の地であったが、和名のファミリーネームを欲しがった。それゆえ苗字は日本人らしいものになっているものの国籍はギリシャであった。母親がそちらで勤務している頃に結婚、その後出産までした後に渡米。引っ越した先の地元の祭り、そのカラオケ大会で優勝したソフィアにスカウトが目を留めたのが歌姫としての伝説の始まりだったらしい。
 そしておそらく、今日の約束を交わしたその日に王子たちが見た女性こそがその本人なのだろうと確信する。ニュースで見た時もそうであったが、あの時サングラスを外して見えたその目元は、セイラに少し似ているように思えた。失踪した時期としても合っている。その上あの時、彼女は周囲を気にしている風であった。
 一体何があって彼女がそう踏み切ったのか王子に分かる由も無い。だが、すぐ傍に墓地があることと、彼女の母が日本人でなおかつ亡くなっていること。その事から、本当に彼女は墓参りでもしていたのではないかと思えてならない。
 黙り込む王子の顔を、まだ薬を飲んでいない彼女が覗き込んでいた。

「どうしました?」
「あ、いや何でもない。ちょっと眠たくて……」

 あの女の事を考えていただなんて言えば、機嫌を損ねることは間違いない。心苦しさを感じつつも王子は嘘を吐く。しかし、その返答にもセイラはムッとしたようである。

「眠たいんですか? 予定は前から決まっていたのに、寝ていなかったのですか?」

 八の字をひっくり返したような眉をして、王子に詰め寄る。その顔が触れそうなほどに王子の眼前に近づいて、慌てふためいた王子は一歩下がりながら言い訳する。

「違う違う違う、楽しみだったから、寝付けなかったんだ」

 嘘である。この男、そうなることを事前に見越して前日は必要以上に筋トレで体を痛めつけていた。ぐったりした体を九時にはベッドの上に投げ出して、爆睡。五時過ぎに目を覚ましたところ前日の疲れも綺麗に抜けていた。

「そうでしたか、ごめんなさい。私も楽しみでしたよ?」
「ありがとう。いや、それにしても……」

 セイラとデートできるだなんて、幸せだ。そのように王子は続けようとした。だが、王子が前日から期待でそわそわしていた様子を想像し、その事に顔を明るくした彼女の笑顔に言葉が詰まった。鈍色の空みたいな表情だったが、今度はお天道様のように輝いている。
 その、抑えきれず飛び出した上品なほほ笑みに赤面した王子は意識さえ奪われてしまう。全身の毛細血管が開いて、肌の色が赤みを帯びる。

「それにしても?」
「ああ、いや……すっごい天気よくてよかったなと思ってさ」
「そうですね! 本当に綺麗に澄んでいて、何だか祝ってもらえている気分です」

 結局彼は、初め言おうとしていた事など伝えることもできず、無難な方へと逃げてしまった。仕方ない事だと、彼は自分を責めようとするもう一つの意識を説き伏せるように言い訳した。
 仕方ないじゃん、今までこんな風に女子と接したこととかねえし。これまで女子と話すことなど、クラスで目立つ、グループの中心にいるような連中だった。そういう奴らは既に彼氏がいたし、そういう目で見ようとしたことも無かった。結局のところ、自分にとって一番大切なのは自分……そしてその夢であったため、女性にうつつを抜かすようなことは無かった。
 セイラと出会い、その世界観が一変した。それは彼も認めるところだ。彼女が王子の夢をかなえた。今度は自分が彼女の未来を幸せの色で染めてみたい。恩返しがしたいと思う気持ちと、彼女を大事にしようという気持ちが密接に結びつく。穢れなんて何一つない、美しい彼女の姿を見つめて胸が高鳴るのも彼にとっては蜜のように思えた。
 結局のところ彼は、簡単に恋に落ちてしまったという訳だ。自らが契約する守護神、人魚姫に。一目惚れに近いことから、単純な男だと自分が嫌になりそうであったが、それでもやはりその恋情は抑えがたかった。

「じゃあすみません、早いところ薬飲んじゃいますね」

 褐色の陶器のような瓶を取り出して、黒い栓を抜いた。紫色の煙がたなびいており、薬と言うよりもむしろ毒ではないかと疑う程であった。

「え、それ大丈夫なのか……?」
「ええ。美味しいですよ。ただ声だけ出なくなっちゃうんですけどね」

 地上に出てきて後に、誰かが来る前にと彼女は一息にそれを飲み干した。そう言えば服はどうなるのだろうかと、今更ながら王子は焦る。何も用意していないが、普段彼女が身にまとっているのは胸部を隠す貝殻だけ。
 彼女自身が心配しないということは、何とかなるものなのだろうか。純朴な少年らしく、王子は自分の不安を振り払うようにその疑念を打ち消した。白い霧が彼女を包む。小さな試着室を作り出すように、彼女の周りだけをコンパクトに包んで、その姿が見えなくなる。煙の向こうの影が、ほんの少し背丈を縮めて。その後煙を切るように中から女性が現れた。
 顔を見れば、セイラだとは一目で理解できた。顔立ちそのものは何一つ変わっていなかったからだ。しかしその出で立ちは数秒前までとはあまりにかけ離れており、別人ではないかと王子はその目を疑う程だった。
 結論から言うと、無事に彼女は服を纏っていた。その事実に王子はホッとする。彼女の髪が体にまとわりついたような、緑のワンピースだった。肩の辺りが淡い翡翠色で、下の裾の方が濃い緑色になるよう、濃淡のグラデーション。腰の辺りには白い線で、三匹の魚が仲良さそうに並んで泳ぐような刺繍。下心などよりも、困惑が上回っていたために、裸体でない事実に彼は安堵していた。
 髪の毛も、日本人らしい黒髪になっていた。まるでその色を身に纏うワンピースに託したように。金色の瞳はそのままに、美しく輝いたまま。ただ、赤い線でバツ印が書かれた真っ白なマスクで顔の下半分を隠していた。まるで話せないとアピールするような柄で、目立たないだろうかと少しひやりとする。マスクの模様なんてそんなに気にされないか、とりあえず自分にそう言い聞かせる。
 半袖から覗いている腕もそうだが、それよりも裾から見せた脚が新鮮だった。長いワンピースはほんの少ししかその足元を見えさせていないというに、白磁のように美しいその脛が王子の目には眩しい。水色でヒールの低い靴を履いており、背筋を伸ばした彼女の前髪が王子の鼻をくすぐった。俺は男子でもそれなりに背が高い方なのだけれど、そう思うが彼女と背丈はそう変わらない。王子の目と、彼女の眉が大体同じ高さだろうか。大体二センチくらい違うとすると、彼女の背丈は百七十四センチくらいだろうか。
 細められた目が弧を描く。無言で王子と目を合わせたセイラ、彼女が何と尋ねようとしているのか、何となく分かったような気がして王子は口を開く。今度は、ちゃんと言葉にできた。

「すっごいな! ちょう似合ってる、綺麗だ!」

 それはおそらく、彼自身が目の前の変化に対して驚きを隠せなかったというのも大きい。足が生えるだけ、としか思っていなかった彼女が、そのイメージを大幅に変えた姿で現れた。ファッションショーのモデルでも、こんな一瞬でがらりと変わることはないだろう。
 おとぎの国の住人らしい、幻想的な緑色の長髪が、大和撫子らしい大人しい黒い髪に。風が吹き、揺れた髪が顔にかかって。それを掻き上げるその仕草は、日本画に描かれる女性のように儚くて。彼女が泡となって消えゆく姿を何となく思い浮かべてしまった。
 裏切るものか、手放すものか、他の人によそ見してなるものか、そんな風に考えた。
 そんな王子の反射的な言葉を聞いたセイラはというと、途端に顔を赤らめ、目を伏せた。陽気にはしゃぐ、子供のような王子の姿が何だかとても眩しくて。綺麗だって、似合ってるって言われたその事実が、耐えようもなく嬉しくて。
 耳の先まで真っ赤になった彼女の様子を見て、王子もまた己の言葉を振り返り、恥ずかしさに頬を赤らめる。顔の中に暖炉があるみたいで、じんわりと芯の方から熱い熱いと伝播する。すぐ傍に並んだ二つの赤い顔は、季節外れの桜桃を想起させた。
 そろそろいいかな、などと考えてセイラが視線を上げると、王子とついつい目が合って。照れ臭くなった王子の方が目を逸らした。ちょっとムッとして、無視しないでって、彼女は少年の手の甲を抓った。

「いたた」

 腕を組んで、不貞腐れる。視線を王子の方から九十度逸らして、マスクの下では唇を尖らせる。ごめんって、そう話しかける王子の必死な様子に、かたくなになりかけたその態度を軟化させた。手を差し出す。ポカンとした王子だったが、次の瞬間には意味を察したようで。
 初めて守護神アクセスしたその日のように、迷いなく彼女の手を取った。満足した様子のセイラが彼の隣に並ぶ。

「じゃあ行こうか」

 そう言って王子は彼女の手を引いて歩き出す。目標は、少し北上した先の広い高架。

 近づくにつれて段々人影は増えたが、それでも道中は数十人程度とすれ違ったぐらいだ。やはり休日だけあって、少し目立つ広場のような場所よりも、もっと目立つ歓楽街のような所に人々は行きたがるのだろう。どうせなら自分ももう少しにぎやかな場所を見せてあげたかったけれど。王子はそう悔しがる。だが、セイラを遠出させると言うのも難しい話なので仕方ない。むしろ、近場にここがあっただけでも儲けものだろう。
 同じ年代の若者こそ少ないものの、露店が立つ橋の上にまで行ってみると、そこには小さな子供を連れた家族や、近所に住んでいる老夫婦など、様々な人々が行きかっていた。ランニングをしているだけの人、わたあめを子供と分け合っている母親、孫と二人で川の写真を撮るおじいさん。微笑ましい彼らの様子に、平和な時間を覚える。
 大地を踏みしめる新鮮な感覚と、耐えることのない人肌の温もり、どちらも普段得難い感覚であるため、セイラの心は絶えず満たされていた。地面を蹴って反発するその力を膝に受けるのが心地よくて、じんわりと掌に広がる、王子の手の温もりに心まで温かくなる。
 自分が守護神であることなんて、忘れてしまう。こうやって誰かと共に歩いていると、恋人と遊ぶ人間と何も変わらないように思える。それでも、彼女は言葉を発することができないその喉に、自分が人間でないとまた自覚する。
 仕方ないか。普段はこうやって歩くことすら叶わないのだ。その望みを叶えるためには相応の代価を払わねばならない。それが彼女にとっては声だった。人を惑わせるほどに美しいと言われる人魚の歌声。その姫ともなれば、あまりに美しくなるのもそれは当然のことで。人と接するために求めてやまぬ肢体を完全に得ようとするならば彼女が最も自信を持つその美声を捧げねばならない。
 それでも彼女は伝えたかった。王子に。楽しいって。幸せだって。こんな日が来るだなんて思ってもみなかったって。後から、元の姿に戻ってから伝えればいい、そんな単純な話ではない。彼女は紛れもなく、今この瞬間に伝えたかったのだ。ありがとうという、感謝の言葉を添えて。
きっと王子は自分も助けられた人間だから、幸せにしてもらった人間だからと謙遜するだろう。まだこの恩は返しきれていないと言うだろう。だからこそ、その恩を返してもらった時には感謝を伝えなければならないと言うのに。彼女がこんなにも、王子に救われていると伝えるために。

「あのさ……ちょっと照れる」

 バツが悪そうな顔をして、王子はそう言った。嬉しいけれども、それを口にするのは憚られるけれども、その恥じらいに耐え切れなくて。熱い視線を片時も王子から離さない彼女に、王子は呼びかけた。

「折角景色もいいし、周りも見てみな」

 普段は視れない景色だろう? そう念押しされて、思い出したように彼女は橋の上から見る眺めに意識を向けた。いつもなら川の中から見ている景色なのに、今はその景色の上に立って普段泳ぐ川を見つめていた。空高く上った太陽の白い光が水面に跳ね返って煌く。川の流れが所々水面から飛び出した岩に割られて白い泡を上げていた。水のきれいな河川だとは、常日頃過ごしているために知っている。川の中から一匹の魚が飛び出した。直後にまた水中へと戻り、飛沫を上げる。
 これが、憧れるべき王子様が見る景色。美しくも、暗い水底の景色とは違う。太陽の照らすどこまでも明るい世界。本来王子さまは人魚姫に振り向きなどしない。けれども彼女をここに連れ出した王子 光葉、彼を自分にとってのヒーローだって、王子様だって呼ぶのはいけないことなのだろうか。
 ふと、自分も王子も足を止めていることを彼女は忘れてしまった。王子が手を離したことも気が付いていないようだ。胸元で己の両手を組んで、目の前の景色を堪能する。その時漸く、繋いだ手が離れていたことに気が付いた。
 けれども、別に焦ることなど無かった。振り返ったところに王子の顔がある。彼は一本の棒を手にして、人魚姫にそれを渡そうと突き出していた。竹串の先にはピンポン玉程度のリンゴが付いていて、それを包むように、真っ赤な糖の衣。透き通る水あめに化粧したそのリンゴが、まるでルビーのようだった。
 何ですか、これ? そう尋ねるように小首を傾げる。

「りんご飴。甘くて結構美味しいんだ。ただ固いから気を付けて」

 飴、キャンディの仲間かと人魚姫は理解する。なら食べ方は分かる。マスクをずらし、桃色の唇を割って、舌がちろりと現れる。撫でるようにその舌が宝石みたいな球体の上を走って。強い甘みが舌先に広がった。蜜に溺れてふやけたみたいに、彼女の顔はほころんだ。
 喜んでくれた、それが分かっただけでも王子の心も弾む。買った甲斐があるものだと、自分が食べた訳でもないのに破顔する。
 自分だけ貰って申し訳ないと、人魚姫は貰ったその飴を王子の鼻先に差し出した。小首を傾げて、食べませんかと問うように。意味を理解したものの、そこに口をつけてしまっていいものかと王子はまたその顔を林檎みたいにして。
 困惑する王子にすぐ傍の屋台の店主が声をかけた。

「何だ、さっきのお兄さん彼女連れだったのかい」

 デリカシーもなく、あけすけに店主のおばさんはそう言った。慌てふためいた二人が、否定するような、否定したくないような、曖昧糢糊に受け応えて。恋人と言うか、戦友というか。二人の事情を知らぬその相手にとっては意味の分からぬことを口走り、逃げるように早足でその場を去った。

Re: 守護神アクセス ( No.30 )
日時: 2018/04/03 09:12
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: Zf1WUFx6)

 その一日も、あっという間に過ぎてしまった。南天へと上り詰めたお日様は、西の方へと傾いていって。オレンジ色の光が透明だった川の水を染め上げた。最後まで綺麗な空で、曇ることも一度として無かった。
 ご飯を食べて、冷たい川の流れに足をさらして。そんなことをしながら半日を過ごした。日差しと緊張とで火照る体にひんやりとした水が押し寄せるのはひどく心地が良かった。そちらの方が本来の居場所であると言うように、水を蹴りながら元気よく歩くセイラの様子はとても楽しそうなもので。
 願わくば今日と言う一日が続いてほしかったが、それももう終わり。つま先を地平線の向こうに落とした太陽が、もう別れの時間だと囁いていた。そろそろ、南の方へと進んで、人気のないところで元の姿に戻るべきだろう。
 河川敷の上に戻って、靴下と靴とを履こうとした時、視界の端に一つの影を捉えた。その異様な姿には見覚えがあり、機敏に反応した王子はその姿を視界の中心に捉えた。
 全身ジャージを着ており、サングラスとマスクとを着用。茶色い髪がたなびいていた。あの時の女だとすぐに察した。そしてその女は、誰かから逃げるようにして後ろの様子を伺いながら走っている。女性の視線の先に目を向けると、一人の外国人男性が声を荒げるように口を開いたり閉じたりして追っている姿が見えた。英語で叫んでいるので、何を口走っているのかはよく分からない。
 それでも、彼がソフィアと呼びかけたのは聞き逃さなかった。今朝のニュースでも、彼女はそのような名前で報道されていた。やはり、間違いない。時計を見る。もう既にかなり遅い時間だ。予定されているコンサート、その開演のほんの少し前。タクシーに乗れば間に合うか。少し厳しい。おそらくは少々の遅延は生じるだろう。
 それでも、逃げようとする彼女は止めなければならない。王子自身はほとんど聞いたことも無いが、彼女の声にはファンが多くついていること。そのファンが彼女の復帰を待ち焦がれていた事。そして簡単に予想できる。彼女が現れなかったらファンたちが悲しむであろう事。
 逃げている彼女にも何か事情があるのかもしれない。それでも、王子には耐えられなかった。誰かを助けるだけの素質がある彼女が、逃げ出すように姿を眩ませたことに。その人にしかできないことがあるというのなら、その力を正しくふるうべきだ。
 セイラに呼びかける。あの人だけは止めなければならないと。王子の目に、ただの好奇心でない何かを察知したセイラは、一拍置いて頷いた。この目は、自分を救ってくれると言い放った時の目だと。
 距離は開いており、歌姫と思しき人物も走っている。普通に走っていればおそらく先に王子のスタミナが尽きる。人魚姫の手を臆することなく取る。その意味を悟った人魚姫はうなずいた。ほとんど人影は残っておらず、それらもわざわざ川の中の王子たちを見ていない。それに、見ていたとしても守護神の能力が普通に存在する世界だ。何か好意的に解釈されることだろう。
 自分のために握るのは苦手なのに。セイラは、あまりにスムーズに自分の手を取ってきた王子の様子に苦笑する。誰かのためとなったら易々とできるんですね。
 声が出せぬ人魚姫、彼女の代わりに王子は一人呟いた。

「守護神アクセス」

 そして二人は、川の水面へと姿を消して。鏡面から平面世界に潜り込む能力を行使する。水面上に王子たちの姿は、ゲームの中のキャラのように入り込む。しかし、地に足つけて立っていた二人の姿はもう、どこにもない。
 どこまでも透明な澄み切った世界。その中を王子は泳ぐように進む。泳ぐと言うよりも海流に乗っているというべきだろうか。体を動かすことも無く、その世界を吹き抜ける一陣の風に身を任せるように、前へ前へと押し進む。ある程度下流まで進んだところで、顔を上げる。大体追いついただろうか。
 水面から飛び出し、地面を蹴る。一応水中がホームグラウンドである人魚姫だが、充分地上でも身体能力は上がっている。河川敷から斜めに上り坂を駆け上り、堤防へと昇る。変装したその女性、真正面に立ちはだかるように王子は道を塞いだ。

「Keep out of my way!」

 英語で怒鳴られたが、それほど成績のよくない王子には意味が分からない。というよりもまず、何と言ったのか正確に聞き取れなかった。どうせ道を開けろって言ってんだろ、お断りだ。彼が勝手に決めつけたその内容は、奇しくも当たっていた。
 止まる様子は無い。仕方ないなと、指を軽やかに打ち鳴らす。パチンと響き渡ると同時に、周囲の空間は色とりどりの泡にまみれて埋め尽くされた。こんなもの、そう思って腕で払おうとした彼女だったが、その腕に泡は絡みつく。直後、あまりの重みに耐えきれなくなった彼女は体勢を崩す。転びそうになる彼女、しかしまた別の泡が、今度はクッションのように倒れる体を受け止める。斜めになった体は、半分不安定そうにその場に静止した。
 傾いた体を起こそうとする。しかし、彼女の下敷きとなっているその大きな泡のクッションは、鳥もちのように彼女をその場に縫い付ける。綺麗な声で悪態のようなものを彼女は吐き続けているが、王子はそんなこと気にもせずに動けぬ彼女のマスクとサングラスを奪い取った。
 露わになる双眸と鼻立ち、鼻の頭と、そして目元とが赤くなっており、潤んだ瞳など見ずとも泣きはらした姿が容易に想像できた。そしてその顔立ちは紛れもなく今朝の報道で取り上げられていた、行方不明の歌姫そのもので。
 後ろの方から、ずっと走っていた中年の男性が追いつく。スーツ姿で走り続けていたからか、汗で下のシャツが半分透けており、部活後のような酸っぱい臭いが鼻を突いた。走りつかれて苦しそうにしているのは、二人そろって同じのようで。無事に怪我無く行く手を阻んだ王子に、マネージャーらしきその人物は深々と頭を下げた。
 諭すような口調で男性が彼女に囁きかけた。突き放すような金切り声。畳みかけるように言い返して、今度は王子の方をキッと睨んだ。
 その口からは、欧米系の顔立ちからは想像しにくい、流暢な日本語が飛び出した。

「大体あなたもお節介ね! 勝手に守護神アクセスなんかして!」
「自分の立場考えてない人に言われたくありません。それにどうせ大事になりませんし」

 許可なく守護神の能力を使うと厳罰を処されることもある。しかし、そうはならないだろうと王子は踏んでいた。許可されていない守護神アクセスは、phoneの波長を感知しているため、phoneを媒介とせずに守護神アクセスする場合、機械で観測することはできない。
 すなわち、現行犯以外でこの状況を咎める人間はいないのだ。

「大した自信ね……アー、that's right」

 突如何かに納得した歌姫、星羅 ソフィアは頷いた。

「何ですか、急に頷いて」
「何か、特別な方法で守護神アクセスしているのかな、って」

 特別な方法。自分たちの正体を言い当てられたような気がして王子は冷やりとした。だが、表情に出ないように何とか取り繕う。今大事なことはこの人を留めることであり、コンサートホールへ向かわせること。
 だが、王子の発する緊張の糸、その雰囲気が変わった様子を見逃さない。

「図星みたいね」
「ソフィア、いい加減にしなさい」

 急に、少したどたどしい日本語でマネージャーらしき男が割って入った。王子に伝わるような言葉で自分も割って入るべきだと思ったのだろう。だが、ソフィアはその、父と呼びつけた相手の言葉を遮った。

「ダディは黙ってて。会場へはちゃんと行く。ダディの能力ならすぐでしょ」
「じゃあ、なぜ逃げていたんだソフィア」
「あなたが見捨てた女と会うためよ」

 ここのすぐ近くでしょう。そう問われて、父親は黙り込む。
 なるほど、本当に近くの墓地の庭園に墓参りに行っていたのか。あながち自分の勘も当たるものだと王子は少し緊張を緩めた。
 彼女の母は、昨年亡くなったはずだ。近くの墓地と言えば一つしかない。

「それはもういいの、代わりに貴方達に質問よ」

 そう言ってソフィアは、視線を少年へと向けなおし、指をその鼻先に突き付けた。迷いなく突き付けられたその人差し指に、まるで刃物を向けられたかのような殺意を覚える。桃太郎が刀を向けた、あの瞬間が思い浮かんだ。

「どうして貴方達は、自分にとって縁も所縁も無い私に接しようとしたの。答えなさい」

 関わるだけ無駄でしょう。そう、彼女は続けた。自分とは関係の無い事なんだから、ふらふら追っかけるダディなんて見捨てて、放っておいたらよかったのに。そう主張する。

「他人の事なんて道に転がる石ころくらいにしか興味の無い。不幸になろうが凶事が起きようが」

 だったら私たちの事も放っておけばよかったのに。きっと、そういうことなのだろう。
 けれども、王子にとってはそうではない。脳裏を過るクラスメイトの顔、知君だってきっと自分と同じであろう。困っていたら助けたくなる。
 それに、このままだと沢山の人が悲しむと思ったからだ。そこが自分の信条に最も反した。ならば、自ら行方をくらませた歌姫を、捕らえなければならない。

「あんたを待ってる人がいるんだ、だったらもう、我儘は聞けない」
「待ってる? 別に彼らは張りぼての人形を並べて音源と録音した声を流すだけでも満足するわ」
「馬鹿にしてんのかよ」
「別にそうでもないわ。その程度の事にお金を使えることは尊敬に値するしね」
「その程度って……今してるのはあんたの話だぞ」

 段々とヒートアップした王子は、さっきまで使っていた丁寧な言葉遣いなどとっくに忘れていた。やめなさいと父親が彼女の肩に手を置くが、彼女はそれを払いのける。

「別に、自分だって大した人間じゃない。母の死に目にも立ち会えないどころか、具合が悪くなったことも知らされてなかった。誰より愛していたのによ」

 忙しさにかまけて、母との対話は全てメールで済ませていた。空き時間にちまちまと打ち込んで、書き上がったら送信。電話なんてする余裕は無くて。実際に合う時間なんて、もっと無かった。
 病気になったことなど知らなかった。容態が悪化したことも当然知ることも無く。亡くなって初めて事実を知った。

「恨んだわね、琴割 月光を」

 ELEVENの一人に、ナイチンゲールという守護神がいる。ありとあらゆる病気や怪我を完治させる能力。死者こそ治すことができないが、守護神アクセス中は、能力行使の対象者が体に傷を負ってから死ぬまでに一瞬でもタイムラグがあれば死ぬ前に体が修復される。
 すなわち、ほぼ完全な不死化ができる。だから母親が死ぬ前にその能力者が診てくれていれば、助かっていたはずなのだ。しかし当然そんなことはできない。ELEVENは許可なく守護神アクセスを行えない。未だ未発見の最後の一人はさておき、残る十人の契約者はそのように取り決められていた。

「そして恨んだわ、何も教えてくれなかった人々を」
「それは違うだろ。忙しいあんたに迷惑かけたくないって思ってたんだろ」
「だとしても、母を愛する娘の気持ちが貴方たちに分かるの?」
「その母さんからの思いやりを汲んでないあんたには言われたくない」

 口論が中断する。相対した二人の視線が、どちらも退かずにぶつかり合った。互いに険のある顔で。だが、王子としては時間との戦いでもあった。守護神アクセスが不意に途切れれば人魚姫の姿がこの親子の前に晒される。その前に、何とか終わらせなければならない。

「あんたが辛かったことはもう分かった。けどその個人の我儘と、あんたのファンに応えないことは別の問題だろう」
「そうね。職業にしている以上は」
「だったらこんな事してる場合じゃないだろ」
「そういう場合だったのよ、今夜中に決めないといけないこともあって、ね」

 今夜中に考えておかねばならないことがある。そのため、この国を見て回ることから始めた。一週間かけてずっと見回った感想こそ彼女は言わなかったが、疲れているであろうことは、黙って漏れ出た吐息の弱弱しさからうかがい知れた。

「それにしてもいやに突っかかってくるわね貴方。何か気に食わないことでもあるの?」
「……ありまくりだよ」

 俺が今日まで、どれだけ辛酸を舐めてきたと思っている。王子は一拍置いて、一息に文句を吐き出した。

「俺は、ずっと誰かのことを助けたいって思い続けてた。でもできなかったんだよ、誰に嫌われた訳でもねえのに。それに見合った力なんて持ってなかったんだ。何かを為すだけの力がある癖に何もしないやつが、羨ましくて妬ましくて仕方ねえ。あんたにしたってそうだ、あんたの歌だって人から好かれて、望まれて、沢山の人が待ってるってのに、こんなところで油売って道草食ってる場合なのかよって思ったら、体が動くのが止められなかった」
「何よ、あなたの八つ当たりじゃない」
「それの何が悪いんだ。あんただってただの八つ当たりだろ。何も教えてくれなかったからって臍曲げて。沢山の人を不安にさせて。まだ、あんたを待ち望む人から感謝されるだけ、俺の八つ当たりの方が道徳的だろ」

 ソフィアは何も言い返さない。目線をほんの少し伏せる。自分の行いが褒められたものではないとようやく察した。この姿をいざ母が目にしたら、どう思うだろうか。そう自問自答すると、絶対にその顔は喜んでいやしないとすぐに分かった。
 自問でさえそうならば、他者から問いかけられれば脳裏の母は必ず怒るか悲しむだろう。だが王子にとって、大切なのは彼女との口論に勝つことではない。必要以上に追い詰めることなく、彼は最後に何よりも強く言葉を告げた。

「あんたには人を楽しませる才能があるんだろう。だったらとっとと正しく使ってこい」

 沈黙が、三人と人魚姫との間に訪れた。

Re: 守護神アクセス ( No.31 )
日時: 2018/04/03 20:08
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: .HplywZJ)

 沈黙が、三人と人魚姫との中に訪れた。ソフィアは納得したとはいいがたい表情で王子の顔つきをじっと観察しているように思えた。この女は本当に、自分の言った言葉を理解してくれているのだろうか。疑わしくも思えるが、正直に思うところを伝えた彼は目を逸らさない。
 とても長く感じる数秒間、それが過ぎた後にソフィアはさも興味深そうな笑みを浮かべた。実際に彼女は、君も面白いね、そんな風に王子に呼びかけた。

「いいわ。どのみち会場には向かうつもりだったし」
「やけにあっさりだな。一週間近く行方くらませた割には」
「まあね。人探しもしてたから」

 誰を探していたかは教えるつもりはない。そう言外に告げるように、拘束を解かれた途端に王子には背を向けた。不安そうに見つめていた父親の方を振り返る。東京ドームまで一気に送って欲しいと彼女は英語で呼びかけた。
 罰金を支払うのが面倒だとも感じたが、スケジュールに支障が出るほうが問題だ。ソフィアの父はphoneを取り出す。旧式の、折り畳み式のものだ。かなり年季が入っており、水色の塗装がはげかけている。彼の妻、要するにソフィアの妻との思い出が詰まっているためまだそれを手放せないというだけだが、王子がその訳を知る所以も無い。

「Come on、フーディーニ」

 その守護神は、かつて伝説のマジシャン、脱出王と呼ばれた男の名前だった。それゆえ、現代的な脱出劇で見せるマジックの一つ、瞬間移動を行う能力を持っている。マントのような大きな布にくるんだ己の身体や任意の物体を、別の地点へと転送する能力。
 今一ソフィアが時間に関して慌てていないのが気がかりな王子だったが、巻き込んだ詫びとしてその能力を耳にして、ようやく納得した。守護神に関して人一倍興味の強い彼に対して特異的に機能する詫びだったが、当然てきめんと言えた。
 ソフィアの父がスーツの下から取り出した薄い布、それをマントのように扱って。ぐるりと、密着した娘の身体ごと自分を包み込む。真っ黒な布地の内に二人の身体は消えた。人影のシルエットのようなものが浮き出ていたと言うのに、まるでそれは地面に吸い込まれるように下へと落ちていった。
 ぱさり、小さな音を立てて残された布をめくっても、もうその下には誰も残っていない。

「一件落着か」

 能力を解除し、誰ももう周りにいないことを確認する。念のため、川のすぐ傍へと近寄って、より一層周囲が閑散としていることを確認してから守護神アクセスを解除した。時間ギリギリだったようで、慌てるように接続が中断、足を生やした姿も限界だったようで、音を立ててセイラは元の姿で水中に飛び込んだ。
 しかし彼女は、やけに訝し気な表情を浮かべていた。というのも、ソフィアと父とが何事も無く和解して、会場へと向かった辺りからだ。
 どうかしたのかと王子が呼びかける。薬の効果が切れているため、セイラも流暢に言葉を発することができた。

「あの人、絶対に変です」

 開口一番、セイラは断言した。何が、などと王子が尋ね返す必要もなく、自ら不可解だと思ったことをつらつらと挙げ始める。

「父親からあの人は、どうして逃げていたんですか」
「お母さんと会いたいからって言ってただろ?」
「会って無いじゃないですか」
「だって一週間も行方不明らしいぞ。その間に会ったんだろ」
「じゃあ、逃げる必要なんてどこにも無かったじゃないですか、今」

 あっ、という間抜けな声を上げて、王子は沈黙した。確かに、もう目的を達成したと言うなら、さっきみたいに易々と引き下がると言うのならば、初めから逃げる必要などどこにも無い。むしろ、自分からその迎えを受け入れるべきだったはずだ。実際に、王子が諭した後に彼女は、何も自分の望みを達成することなくあっさりと引き下がった。

「それに彼女、王子くんの反応を窺っていました。あれは絶対、王子くんの事を調べるために来たと見て間違いありません」
「そんな訳ないだろ。俺はただの高校生だぞ。世界的に有名な歌姫が注目する訳……」
「ただの高校生ではありません」

 これは冗談でも、根拠のまるでない憶測でもないと伝えるように、セイラは王子に呼びかける。震える声で、どこか覚悟を決めるようにして。
 初めは私も気にはしていませんでした。けれども、彼女たちが怪しいと思ってから、気づいたんです。そんな風に切り出され、王子の心臓も荒れ始める。一体、何があったと言うのだろう。
 そして直後に飛び出したセイラの声、今度こそ彼は目を見開いたまま、言葉を失ってしまった。

「あの人は王子くんを見て、貴方達と呼びかけていました。私の姿なんて、見える訳が無いのに」


 これはその夕方の邂逅より、四時間以上経過した頃の話である。無事に開演直前に舞台へ到着したソフィアは、スタッフに多大な迷惑をかけた上で何とか予定通りに公演を始めることができた。彼女のコンディション自体はばっちりで、復活祭としては予想以上の成功をおさめることができた。
 公演が終わり、楽屋で一休み。待ち望んだ歌姫の復帰を満喫したファンがほぼ全て帰ったであろう頃合い。スタッフも片付けが終わったため、明日の準備だけをして会場を後にした。残されたのはそれこそ、ソフィアとその父との二人だけ。
 向かい合った二人の間には、我儘な娘とそれを咎める父と言う空気は無かった。むしろ、二人とも共通の目的を以てして計画に参加する共犯者、そんな風に殺伐とした無表情を顔に張り付けて。
 お互いに、この一週間における調査の成果を交換している。その様子には、人々に愛される歌姫らしき姿は無く、世を恨む一人の人間としか思えなかった。

「ダディ、彼はどうだった?」
「ほぼ常に、ブラウンの髪の警官と共に歩いていた。こちらの事を察知しているのかもしれない。気が付けば巻かれていることが数え切れぬほどあった」
「厄介ね」
「まあな。彼も被害者のような者だから救わなくてはと思うが、まだ厳しい。……日本はどうだった?」
「最低、に程近い気分ね」

 フェアリーテイル騒動が始まり、完全に鎮静化できた守護神はまだ二体のみ。その事を煽るような報道に、不甲斐ないと統治組織を叩くマスコミ。不安がっているように見えてのうのうと生活する民衆。
 どれもこれも、自分がよければ他の人などどうでもいいと思っているような人々ばかりで。そんな事だから自分の母も死んでしまったというのだ。琴割、この国で警視総監を担う男、彼が自分勝手にELEVENの能力の行使を禁止さえしなければ、母の病気は治ったはずだ。

「一つ救いがあったとしたらあの少年かしら」
「お前が話してみたいと言った子か」
「ええ。彼は私と同じようなものだからね」

 二人が会話する楽屋の近くを歩く足音。それが廊下に反響しているのが聞こえた。警備の人に頼んで、女の人が一人現れたらその人だけ通すようにと言いつけている。
 楽屋の前で足音がぴたりと止まる。ここで合っているのかと少し考えているようだった。
 入って欲しいとソフィアはドアの向こうの彼女に告げた。了承したという返事の代わりに、ドアノブを回す音が響く。

「彼は何となく、正義のヒーローという感じがしたわ」
「割と自分勝手なヒーローだがな」
「そんなものでしょ、ヒーローなんて。自分にとっての悪を討つなんて、我儘じゃないとできやしない」
「あら、誰の話をしているの」

 入ってきた女性が、二人の会話に割って入る。薄暗い廊下の中で、赤く濁った両目だけが光っていた。その他の様子は暗がりの中ではまるで目立たず、明るい楽屋の中からは見えなかった。
 父親との会話をそこで止めて、ソフィアは立ち上がる。お姫様は迎えに行かなくちゃねと、自らの通り名も忘れて出入口へと向かった。

「あなたの友人、その契約者よ」
「へえ、契約者と出会えた守護神が、私以外にもいるのね」
「そうね。彼の心は強そうだったわ。いい子を見つけられたみたいよ」
「そんな事はどうでもいいの。ソフィア、私は貴女の返事を聞きに来たつもりなのだけれど」

 私と共に、戦うか否か。それを決める期日がこの公演の初日だった。正確にはそれまでに日本を見て回りたい、その後に決めたいというソフィアの意思を、暗がりの向こうの彼女は受け入れた。
 能力の行使は強い心を以てしての方がよほど強固に施行される。そのためには、契約書となり得るソフィア本人の意志が何より不可欠。彼女にとって、ソフィアは絶対に断らないであろうと言う確信があった。それゆえ、数日の猶予を与えたのだ。この国にあだなすために力を借りる、その了承を得るための。
 そして、待った結果はと言うと彼女の望むままに進んだ。

「ええ、受け入れるわ。私はやっぱり、復讐したい」
「嬉しい返事ね」

 これで契約は成立したと、闇の中から彼女は手を伸ばす。ソフィアはその手をとって握りしめる。まるでじぶんのものと瓜二つな、細く透き通った白磁のような腕。

「これからは、貴方もこちらへ来るの」

 明かりの消えた暗い廊下に、彼女はソフィアのことを引きずり込んだ。世界が暗くなり、何も見えなくなる。しかしすぐにその暗闇の中に目は慣れていった。そうして目の前に立つ守護神をよく見る。ガラスの靴を履き、純白のドレスを身に纏い、自分と同じ茶色の髪が真っすぐ地面に向かって伸びている。
 そしてその顔は、まるで鏡を見ているかのようにソフィアとよく似ていた。そう言えば人魚姫もこのような顔立ちだったかしらと、ソフィアは考える。自分と瓜二つの彼女が、人魚姫と少し似ているということは、自分も人魚姫と似ているのだろうな、そんな事を考えたりして。

「さてと……準備はいい?」
「ええ」
「十二時の鐘が鳴るまで、もう後一時間も無いわね」

 自分が能力を使うことができるのは、日が昇り、深夜十二時までの間であると彼女は言う。どちらかと言えば日をまたいでから、太陽が昇るまでの間は能力を使えないと言うべきであろうか。
 だが、あまり猶予が無いとはいえ、今日と言う日を記念すべき日とするために、そうせざるを得ない心持だった。自分にもまだこんな感傷的な心が残っていたのかと、真っ白なドレスに身を包んだ彼女は微笑んで。

「準備はいいかしら、ソフィア」
「ええ、遅くなったけれども舞踏会を始めましょう、灰被り」
「その名は好きじゃないの、やめてくれる?」
「分かってる。冗談よシンデレラ」

 フェアリーテイルとして、初めて地上に降り立った守護神。彼ら彼女らの首領にして、最も強いと言われる、お伽噺を率いる姫君。全世界で愛される、ハッピーエンドの幸せな女の子、それは世界中の誰もが羨むような、サクセスストーリーの主で。
 あまりに近似した二人の声が、暗がりの中で重なった。それはまるで、たった一人の女性が口にしたように聞こえるほど、ぴたりと同じ声色が重なった。

「守護神アクセス」

 シンデレラから力が抜けて、純白のオーラとなってソフィアの全身を覆う。それと同時に、さっきまでシンデレラの来ていた真っ白なドレスを同じようにソフィアも身に纏った。凍えるような冷たい空気を身に纏う。
 これが、人魚姫の能力か。ガラスの靴を履いた足、それを容赦なく宙を切るように振り抜く。守護神と接続している間は、強固な肉体を一時的に得る。その話は本当だったのかと確認した。

「行こう、私たちの初夜を迎えに」

 半透明の姿になって、背後に漂うようにして見ている、シンデレラに呼びかけた。よろしく頼んだわよと、期待を込めて彼女は呟いて。

「ええ、急ぎましょう。十二時の鐘が鳴る前に」

 世界に誇るギリシャの歌姫、その金色の瞳が真っ赤に染まる。復讐の炎に焦がされるよう、彼女の理性も破壊衝動に食い荒らされる。
 惨劇の夜が、更けていく。


File4 hanged up

Re: 守護神アクセス【File4・完】 ( No.32 )
日時: 2018/04/06 18:57
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 焼け野原となった渋谷、それは人為的な事件によって破壊しつくされた。昼夜を問わず急速に復旧が続けられているが、その進捗は未だに芳しくない。地下こそほとんど被害を受けていなかったが、地上はほぼ全ての建物が倒壊、戦火に包まれがらくたと成り果てた。そのため、たかだか一週間程度経ったところで復旧の目途などさらさら立つ訳もなく。
 物資の搬入に、建築物のデザイナーの登用。この建築工程で進めて問題ないか設計図とにらみ合う人々に、実際に現場を復旧する大工の人々に多量の重機。何もない復興待ちの渋谷ではあるが、それゆえに多くの人々が集っていた。汗水とそして時には血を流し、出来得る限り急いでその修復作業を進めていく。
 近日世間を騒がせていたのは人間でなかったと言うのに、今回この惨状を作り出したのは他ならぬ人間であった。せめて人間だけでも手を取り合う必要があるってのに。セットされたブラウンの髪をくしゃりと握りしめて、奏白 音也は溜め息を吐いた。そう、この場所は多くの人間が集まる場所となっているのである。
 そして、巷を騒がせる、フェアリーテイルと呼ばれる暴走した守護神。彼らはより大きな被害をもたらそうとして、人が多く集う場所に現れる特徴がある。そして、復興途中の大都市と言うのは、そういった連中が狙うにはうってつけの場所だった。
 だからこうやって、警備で見張ってるんだよな。奏白は、目の前に現れた初対面の守護神に溜め息を吐いた。これは、星羅 ソフィアがシンデレラと契約をかわす、三日前の出来事である。
 現れたのはかつて一度だけ観測されたフェアリーテイル。Case14、浦島太郎。おんぼろの布を身に纏い、貧相な竿を肩にかけている。アリスと同じタイプで、本体はそれほど頑強でないタイプ。ただその代わり、強力な兵を従えている。
 人間と同じ骨格を以てして、各々が銛のような武器や刀を手にしている。どちらかというと、銛のような三叉の槍を握りしめている兵が多いだろうか。そしてその兵たちは一様に、頬の辺りと脇腹と、肘から先の腕を鱗で覆っていた。身に着けている者と言えば、海草で編んだようなパンツのような履物ぐらい。
 人魚のような鰭は持たず、二足歩行でしっかりと地に足をつけていた。

「狼藉者を薙ぎ払え、魚人兵共!」
「狼藉者はどっちだよ」

 ただ、トランプの兵隊と比べて、この浦島太郎は弱いと言えた。正確には魚人兵と呼ばれる軍隊が、トランプの兵隊よりも弱いのだが。妹からの話を思い返す限り、おそらくはアレキサンダーの呼び出す兵よりも一体一体は強いのであろう。しかし、それに比べると数は大したこと無い。
 なるほど、真凜に引き続き俺もリベンジの機会がもらえるって訳か。得意げに、その端正な顔に笑みを浮かべる。後ろには、建設工事中の沢山の民間人。一応、危険な場所で作業しているということは彼らも理解しているだろう、だがだからこそ、自分の職務を全うし、彼らを護るべく浦島太郎を討たねばならない。

「来いよアマデウス」

 Phoneにより、守護神をその身に宿し、能力を行使する。オーラが彼の身体にまとわれ、全身から力が漲ってきた。鯛に鮃、鮫に鰈、さまざまな魚を模した魚人の兵隊が、舞い踊るように襲い掛かる。破壊衝動に理性を食いつぶされているだけあって、本当にこちらの陣営を崩壊させた玖波数にものを言わせて工事現場を叩けばいいものを、全て奏白に向けて敵意を向けていた。
 そうこなくっちゃあ楽しくねえ。前方あらゆる方向から三叉の槍や日本刀やらを振りかざす兵隊共を見据える。全く、ノロ過ぎて嫌になっちまう。降りかかる雨のような刃物の総攻撃。だが、それが奏白に届くことは無く弾き返される。桜色の鱗に覆われた鯛の兵隊が、やすりのような肌を持つ鮫の兵隊が、一様に突風を受けたように真後ろへと吹き飛んだ。と同時に、耳から突き抜けて脳まで劈くような、衝撃にも似た音波が周囲に反響した。爆発音にも似たとてつもない空気の振動。それは音と呼ぶにはあまりにも暴力的過ぎた。
 まるで全身の細胞がばらばらに引きはがされても可笑しくないような強い振動。受けた兵隊たちはもんどりうって地面の上を転がるも、初めに受けた音撃があまりに強力でその痛みになど気づけない。
 奏白が地面を蹴る、その音が届いた時にはもう、魚人の兵の目と鼻の先に奏白の姿が現れた。音速での移動を可能にするアマデウス、むしろ脳が音の刺激を感知するまでのラグのせいで、足音が聞こえたと思った時には腹に奏白の蹴りが突き刺さるように入った。
 桜色の鱗に覆われていない鳩尾、そこを奏白の膝が射抜く。無理やり肺の空気が吐き出される感覚に、息苦しさを覚える。鯛をモチーフにした兵隊は、その顔を苦痛に歪ませて後方へと吹き飛んだ。息を吸っても吸っても酸素を取り入れていると思えないほどに息苦しい。腹部の痛みに喘ぐせいで、吸った傍から息を吐き出してしまう。
 その様子を見て自分も同様にならぬよう構える他の兵、しかし。

「おっせーよ」

 眼前に現れる男の微笑。気が付き、武器を振りかざそうとした時にはもう、その拳が顔面を捉えていた。顎をかすめ脳を揺らされた、細長い体躯の鰻みたいな髭を伸ばした兵隊が地に伏す。
 次、次、次。目の前に積み重なるタスクを淡々と消化する、そんな風にして奏白は目の前一帯に広がる、浦島太郎が従える、本来乙姫の配下であろう魚人達を無力化して回る。
 地面を蹴り、次の標的の正面に迫る音、そしてその肉を叩く鈍い音。それらが交互にアスファルトの上を彩る。彩る、と言っては少し血なまぐさいなと奏白は自分の脳裏における実況を指摘した。どちらかと言えば、赤と黒とで塗りつぶしている。
 でも俺たちにも、護るべきものはあるんでな。
 声に出さずに主張して、それを体で表すように、波のように次々と襲い掛かる兵隊共を、討って、蹴散らして、殴り飛ばす。他の者よりかは手強そうな魚人が立ち塞がる。やすりのような肌に、ナイフのような犬歯。鼻をひくひくと動かしている様子は獰猛な犬とよく似ていた。血に飢えているようなぎらぎらとした目。なるほど、この男はおそらく鮫だなと理解して。
 殴ればその粗い肌に手が削がれそうだと判断し、咄嗟に体術で撃退しようとするのを律した。何が起きるか分かったものでは無い。殴って手の甲が血まみれになるような事があっては一大事、そう思った奏白は、代わりに掌をその兵士へと向けた。
 念じると、強い音波の衝撃が掌を向けたその先に放たれた。進行方向を絞り、衝撃が分散しないような指向性の音波が立ち塞がる鮫男の体内を突き抜ける。目の前の空気に弾かれるような感覚、自覚したその力を裏付けるように、強い力に押された魚人の身体は後方へと押しやられた。
 体内を突き抜けた鋭い一撃は、内臓や筋肉に強いダメージを与える。思わず喉の奥から、入ってもない胃の中身が逆流する。黄色い液体のみが口から溢れて地面の上に広がった。
 身体の調子を揺さぶるような音波による重たすぎる一手。見た目には派手ではないが、臨戦態勢を取り続けるのは不可能に近かった。膝を付き、その場で動きを止める。もう彼が立ち上がるのは、浦島太郎を倒したその後しかありえないであろう。
 浦島太郎はと言うと愕然としていた。自分の生み出した兵隊たちがこうも容易く無力化されている光景に。あまりにも、目の前の男が強すぎた。まだ彼の進撃が足を止めることは無い。次々と、秒を追うごとに兵は失われていく。

「イボガイの! あいつを撃ち殺せ!」

 焦る浦島太郎。後方に控えていた、薄い殻をぐるりと巻きつけたような出で立ちの兵士に命令する。イボガイをモチーフにしたその魚人の特徴は、強い毒による高速の吹き矢。不意さえ突けば一息に殺せる代物だ。
 しかし、あまりに男の動きが速すぎて狙いを定めることもままならない。イボガイは動き回る警官に照準を合わせようと吹き矢を撃ちだす筒をあちらこちらへ向けるが、向けた時には標的となる男の姿は消えていた。
 あっちに向けても、こっちに向けても、誰もいない空間が広がっているのみ。しかしその戦局を動かす大きな一手があった。
 全身の肌が赤く染まった、魚人の中でも異形の姿をした兵が男の腕を掴んだ。その兵士は魚や貝をモチーフにした兵士たちとは異なり、普通の人間によく似た顔ではなく、首から上がタコのような形をしていた。そしてその首元をかくすように、八本の蛸の足が、前後それぞれ胸元や肩甲骨の辺りまで伸びている。肌は全身、茹でられたように真っ赤に染まっていた。
 そしてその蛸のような男が奏白の拳を顔面で受け止めた。しかし、軟体動物としてよく知られているため、ぶにゅりと不気味な感触だけを奏白の手に知覚させ、クッションのように受け止めた。次の瞬間その顔面の筋肉を強張らせて、拳が簡単に引き抜けないようにする。
 長すぎる髭や髪のように垂れた八本の吸盤付きの触手も、奏白を離すまいと絡みつく。これで身動きはほぼ封じることができた。

「今じゃ、イボガイの」

 浦島太郎が静かに指示を出す。言われなくとも承知していたその兵も、プッと小さく息を吐き出して、筒から吹き矢の小さな鏃を放った。その先端には、大きな動物をも易々と殺してしまうような、劇毒。
 その吹き矢はまるで銃弾のようだった。撃ち出したその瞬間に勝利を確信した、はずだった。
 鈍い音を立て、真っすぐ飛んでいくはずの毒矢が地面に叩き落される。急に折れ曲がるような不自然な軌道を描き、地面に三角形の刃が突き刺さる。
 浦島太郎の指示は、奏白の耳にも聞こえていた。周囲一帯の音であれば手に取るように把握できる彼にとって、目の前で命令する彼の声を聞き分けることなど容易である。矢を撃つ際の音も聞こえていた。本物の銃弾であれば間に合わないかもしれないが、吹き矢程度の速度であれば矢が放たれたその音を耳にしてから対応するので十分だった。
 音、その能力は振動に通じており、自身を取り巻くよう、強力な音波の壁を形成。それにより空を駆ける一筋の矢を叩き落とした訳である。周囲の空気の流れを捻じ曲げるような強い波動の壁に阻まれ、窓ガラスに衝突した鳥のように鏃はその進路を大地へと向けた訳である。
 紫色に染まった白銀の刃は、悲しそうに声を上げた。必殺の狙撃、それが防がれたことにイボガイの射手は驚きを隠せない。そして次の瞬間。

「辛気臭いやり方は好かねえぞ、俺は」

 またしても奏白の姿は消え、眼前に現れる。高速で駆け抜けるが故に生じた一陣の風が正面からその戦士を襲う。なるほど、他の兵隊たちはこのように処理されたのかと瞬時に理解して。固い貝殻に掌を押し付けられ、鎧のようにぐるりと纏ったその貝殻を打ち抜くような衝撃が走る。全身に強い衝撃波が走り、平衡感覚を失い、体が言うことを聞かなくなった。
 あまりの威力に貝殻の防具にも罅が入る。脆くなった防壁を砕き、貫いてそのまま奏白の拳が貝を模した兵隊の腹部にねじ込まれる。息が漏れ出るような悲鳴一つ、それと共に蹲る。

「そいつで最後だ」

 見れば、未だなお立って戦意を向ける兵士は一人として残っていなかった。浦島太郎の指示を受けた魚人の兵士たちは、短時間にして全て鎮静化されてしまった。やけに、荒っぽい方法ではあったが。奏白に可能な、最大限効率的な手法により。

「さて……変なことされちまう前に」

 玉手箱でも開けられて、爺にさせられたら堪ったものでは無い。貧相な出で立ちの浦島太郎、その背後を取ろうとまた駆け出そうとしたその時である。視界が唐突に歪んだ。眠気に近い倦怠感が彼の身体を襲う。またかと舌打ちを一つして、眉間に皺を寄せてボウっとしてしまいそうなのを何とか堪えた。
 先日、復帰早々に桃太郎と交戦する機会があったために戦ったのだが、その際もこの眩暈のような睡魔に襲われた。近日中に経験した、あの睡眠ガスを吸った時とよく似ていた。アリスの能力で眠らされた後遺症なのだろうか。しかし、知君はそうでないと言う。
 知君にこの感覚について相談したところ、イップスのようなものだろうと推測された。今まで敗北をあまり知らないまま警察を、捜査官を続けてきたせいで、アリス戦のような、引き分けですらない敗北は初めての経験であった。それゆえその経験が体と心に刻まれているのでないかと言う予想である。
 確かに、アリスと戦うまではこんな症状に襲われたことなど無かった。医者ももう完全に症状は治ったと念押ししてくれていた上、知君が言うことに間違いなど早々無い。とするとやはり、この症状のどこかに原因があるとすれば、それは自分の精神のどこかにあるということなのだろう。
 目の前で狼狽していた浦島太郎がいつの間にか冷静さを取り戻そうとしている。逃走でも図ろうとしているのだろうか、奏白が本当に具合が悪いのか確かめているようである。逃がして堪るもんかよと、足の指を握りしめるように力を籠める。さっきまで弛緩していたところに力を加え、ほんの少しだけ脳が動き始めた。
 これだけあれば十分だ。心音などを感知してみたところ、戦意の無い、怯えた人間の代物と相違なかった。何かこちらに仕掛けてくるようなことは無い。ならばと判断し、奏白はそのまま、今度こそ浦島太郎本体を仕留めるべく駆け出した。
 猛スピードの奏白に、浦島太郎の目は追いつかない。スーツが移動して残る残像が黒い軌跡を残したのだけ目にして、その主の姿など見失う。そんな彼を取り巻くように、吹き荒れる風が、ぼろぼろの衣装を振り乱し、長く伸びたその髪を巻き上げた。

「ひょろがりを思いっきり殴るのは気がひけるからな」

 これで勘弁してやるよ。手刀を首筋に当てるその瞬間、弱めの振動を能力で与えた。頭が揺らされ、浦島太郎は脳震盪を引き起こされる。一応守護神にも脳震盪なんてあるんだなと納得して、奏白は気を失う彼の姿を見届けた。これにより、浦島太郎は検挙完了である。
 やはりアリスは化け物クラスのフェアリーテイルであったのだなと納得する。あの後、桃太郎とも一対一で戦ってみたが、何とか押し返すことに成功した。守護神ジャックにより、能力も使える状態であったというに。
 その桃太郎でさえ強力だと言うのに、アリスのトランプ兵は自分と真凜二人でかかっても倒しきることはできなかった。知君も「世界中で愛される児童書だけあってアリスは別格の地位に立っているようです」と言うほどに。
 浦島太郎は所詮日本の中だけで知られた存在。それも、日本国内でいうとよほど桃太郎の方が知られており、人気であろう。それらを踏まえると実力の差は納得できる。だが逆に、それ故に恐ろしくて堪らなくなる。
 あの、誰もが羨むサクセスストーリーの主は、どれほどまでに高い壁として立ち塞がるのだろうか。どん底から一転、その美貌から王子と婚約までする少女。その劇的な飛躍と進展ぶりから、短い期間で時として受動的に成功した者のことを、彼女の名を用いて評するほどに有名なお伽噺の主人公。
 世界中で愛される童話。意地悪な姉と継母とに虐められ、魔女に助けられて最後は幸せを手にする、女の子達の憧れ。灰被り、またの名をシンデレラ。地上に現れた最初で最強のフェアリーテイル。彼女は未だ捕まっていない。しかし、最近その動きを潜めている。
 しかしこれは、何かより一層悪い事が起こる予兆のように思えてならなかった。そしてその、奏白の虫の報せは悲しいことに当たっていた。この日というのは、シンデレラがソフィアと契約を交わす、三日前のことであった。


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