複雑・ファジー小説

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守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
日時: 2022/05/19 21:16
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。

___

本編の完結とエピローグについて >>173





目次です。

▽メインストーリー
 File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
 File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
 File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
 File4:セイラ   >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
 File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
 File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
 File7:交差する軌跡  >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
 File8:例えこの身が朽ちようと    >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
 File9:それは僕が生まれた理由(前編)    >>59 >>60-61 >>63-64
 File0:ネロルキウス  >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
 File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
 File10:共に歩むという事   >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
 FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
 Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172

 Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177

-▽寄り道
 春が訪れて >>23
 白銀の鳥  >>70-71
 クリスマス >>120

▽用語集
 >>8 File1分
 >>15 File2分
 >>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも

▽ゲスト
 日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
 友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)




気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)

Re: 守護神アクセス ( No.113 )
日時: 2018/10/15 20:45
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

「悪い、助けられた」
「気にしないで。あれの相手は私がやるから」
「大きく出たなぁ、兄さんは嬉しいもんだ」
「その代わり、他はよろしくね」

 そいつは流石に無茶だと嘆く。最近だとこうして軽口叩くように話すようになってくれて、普通の兄弟らしさが出てきたものだなと妙な感慨がやって来る。今まではむしろ、教師と教え子のような関係で、どことなく壁を感じていたものだが、それはいつしかなくなった。いい兆候であると信じて疑っていないが、遅れてやってきた反抗期のような態度が散見されるように映るのだけはいただけない。
 龍よりましそうに見えるが、それでも三対一は厳しいだろうとは容易に想像がつく。そもそも、身体能力などのカタログスペックはこれまで数百以上蹴散らしてきた雑兵たちと変わらないことだろう。しかし、特別に与えられた能力、正確には能力を持った道具というのが厄介そうだ。
 まず第一に、能力が推察できない。これまでの白雪姫の毒りんごや、赤ずきんの狼は、まだ予測の範囲内だ。物語の中にも登場し、脅威として描かれている。だが、この竹取物語の五つの道具は、名前こそ出てくるものの存在しない代物だ。実際出てくるのは偽物ばかり。だからこそ、本物の効力が何一つ分からない。
 貝殻の首飾りを下げた、楽し気にほくそ笑む男。彼の与えられたものが子安貝だと分かっていても、それの特性など分かってなるものか。文字通り、本文中に現れるその貝は『燕が生んだものである』から特別なだけだ。何か特異な性質を有している訳では無い。火鼠や龍のような幻獣がまつわる、先ほどの龍の珠によって体を巨大な龍に変容させるようなものとは根本的に性質を異にしている。
 強いて言うなら存在そのものがあり得ない。そのはずなのに、月面にはそれがあると主張するかのように、神秘の首飾りを付けている。後方に控えた、真紅の衣を羽織った者も、光輝く御鉢を抱えた者も同様だ。
 こちらの能力は先ほどの龍化した兵の言葉からも分かる通り割れている。というのに、こちらは何も情報を得ていない。一対一ならばまだ警戒しつつも注視できるというのに、現状は三と一。それら全てに気を回すなど到底不可能。誰を見定めたものか見当もつかない。
 まともな判断ができるならば、あるいは他の従者達のように合理的な判断を下せるならば、奏白の懸念通りに三人がかりで彼を仕留めればよい話だった。しかし、彼らには感情が付与されていた。特に、奏白が気が合いそうだと本能的に嗅ぎ取った、楽の個体。彼こそが奏白にとって不利な状況を一変させた。

「皆すまない、一対一でやらせてくれないか」
「どうしてでしょう、それは私が足手まといになってしまうとのことでしょうか」

 もしそうならば嘆かわしいことだと、御鉢に慰めを求めるように頬を擦りつけた。これはまた感情表現が派手なものだと、哀の兵士にやや白んだ視線を向ける。みっともないからそんな真似は止せと、他の者も同じような目つきで窘めていた。

「我らに楽をさしてくれるというなら喜ばしいことだが、そうではないのだろう、きっと」
「そうとも、悪いね。僕はそんな高尚な気配りができるタイプじゃないんだ」

 ただ、自分が楽しみたいだけ。身体の芯から打ち震えるような期待をこめて、口角をニッと持ち上げた。唇の隙間からは真っ白な歯が覗き、弧を描くような隙間から光を受ける様子は三日月を想起させる。
 戦闘狂、バトルマニア、スリルに溺れた哀れな男。何とでも呼ばれても構わないのだろう、気にしないのだろう。ただ彼が目にしているのはこれから享受できる悦楽だけだ。他者の評価も嘲笑も、全ては塵芥程の価値も無い。
 彼はただ、目の前に現れた極上の馳走、音に聞くアマデウスの契約者と手合わせねがいたいだけなのだろう。水を差されぬ、二者しか存在し得ない舞台にて。
 身震いをしたのは奏白とて変わらない。それは恐怖や緊張に依るものでは、当然ない。眼前に相対したフェアリーテイルの尖兵と同じだ。寒気など何一つ感じず、ただ丹田より漏れ出た闘志が、抑えきれないと体躯を震わす。昔から言われている言葉を用いるならば、武者震い。彼もまたやはり戦う地にて生きる者、それゆえ高揚が隠し切れない。
 だからこそだ。哀と喜、他の者も含めて、自分が足止めするのがベターな選択肢だとは痛いほどに理解していた。しかし、その甘露のごとき誘惑には逆らえない。在りし日に桃太郎と手合わせした時と変わらないような胸の昂り。

「というよりも我らは地上に行くべきだろう。雑兵共が消耗させたところを一挙に叩いた方が良い。特にお前にはその力がある」
「ああ、痛ましい痛ましい。どれほどのはらから達が散ったことでしょうか。その無念を無碍にすることこそ、やはり最も憂慮すべき事態。ええ、降りましょう降りましょう。あの汚らしい地上をまっさらにするには、御仏の力こそ望ましい」

 やけに芝居がかった語り口。それはほぼ全ての側近に共通していた。だが、それも仕方の無いことなのだろう。そもそもフェアリーテイル達は言うなれば、台本の中から飛び出してきた守護神なのだから。

「ごめんね、僕以外皆話し方が古臭くてさ」
「気にすんな、桃太郎とかで慣れてっからよ」
「そりゃ頼もしいや。それで……邪魔の入らない一騎打ち、受けてくれるかな?」
「いいぜ。逆にたった二人で地上侵攻って、心もとなくないんならよ」

 おつりが出るくらいさ。不敵な笑みを押し殺し、冗談の混じらない声音で彼はそう告げる。彼にとって自分は足止めすべき懸念材料であり、その他の捜査官はただの蹴散らすための烏合の衆と見ているようだ。澄ました顔が気に食わない。ドロシーが従えていた三つの仲間達と同じだ。自分の尊敬する者たちを馬鹿にされた。それだけで、あの澄まし顔の鼻を明かしてやりたくなる。
 あの人たちは決して弱くないのだと。今度は彼らに、身をもって証明してもらわなくてはならない。故に足止めなどせず、残る二人は送り出そう。太陽であれば、そうでなくとも他の者であれば、手を取り合って押し返し、ねじ伏せられるだろう。強大と言っても流石に赤ずきんなどの強大な守護神には劣る。理由は明白で、所詮従者は従者、フェアリーテイル本体の力を分けられた分体に過ぎない。であれば、これまで灰被りや赤ずきんをも乗り越えてきた人々ならば、決して勝てぬ相手ではない。

「と、来れば俺がやるべきは……何しでかすかわかんねえお前をぶっ飛ばすだけだ」
「そうだね、僕は楽しそうなら何でもやるからね」

 最も行動が読めない男、自軍からもそう評されるほどだ。あるいは、貶されると表現した方が妥当だろうか。自虐的に彼は自負している。そんな言葉、奏白は興味ないというのに。詰まらなさそうにしている男の顔を見て、子安貝の首飾りをした従者も、ようやく長話が過ぎると悟ったらしい。そもそも、自分が望んだのは舌戦ではない。
 血沸き肉躍る、言葉の要らぬコミュニケーション。それこそが至上ではないか。乾いた唇を一舐めし、視界の中心に奏白を見定める。もう、言葉なんて交わす必要は無い。ただし、一つだけ。

「一つだけ忠告してあげる。戦いをフェアにするために」
「随分余裕だな。……で?」
「僕らは見ての通り一人につき一つだけ、気持ちを貰ってるんだ、姫様から」

 そして自分は喜怒哀楽の最後の一文字を貰っていると告げる。そんな事は言われなくても分かっていると奏白は吐き捨てた。そうだよねとあっけらかんと、また応答。ばれてることぐらいはすぐに察せられる。月の民は人類の極致。故に、他人の様子ぐらい一目見ればあらかた察しくらいつけられるのだと。

「僕は他の皆が作業と割り切っている戦闘を、楽しむことができる。命のやり取りを、あるいは一方的に奪い取ることも」
「随分趣味悪いな」
「悪食は君も同じだろう?」
「最後の一つは楽しくねえよ」
「ははっ、確かに。警察だもんね」

 乾いた笑みだった。アイスブレイクのつもりなのだろうか、張り詰めた局面で語り続けるためだけにあげた笑い声。殺戮さえも笑いながら愉しむ、そんな様子に奏白の神経はちりちりと削られるようで、熱を上げ始める。

「そう、僕は戦闘を楽しんでる。だから、強くなる努力をも厭わない」
「進化した人間気取っといて結局は努力するのかよ」
「当然さ。与えられたギフトを磨く手間は惜しまないものなのさ」

 だからこそ、自分は他の者と比べてそもそも『個』としても強い。それが忠告らしかった。先刻まで易々と蹴散らしてきた連中と自分とでは完成度が天と地ほどの差がある。もし舐めてかかってくるようならば折角の主菜が台無しだという魂胆が透けて見えた。なるほど、これはあくまでも彼自身のための配慮かと納得した。
 その様子は、どこか自分と重なるところがあった。だからこそ、許せなかった。認められなかった。自分とは違う残虐的な思考回路が、如何に多くの人生を狂わせたのか、理解のしようも無い。きっとそれは、殺人鬼の嗜好に他ならないからだ。護る身の奏白には、理解できない、したくもない。

「いいから始めようぜ。後がつかえてんだ」
「……そっか、僕一人屠ればいいって訳でも無いもんね、奏白 音也は」

 早いところ地上の援軍に向かわなければならない。あるいは、真凜の補助としてもう一度あの龍と相対せねばならない。きっとどこもじり貧になっているだろうし、自分とてここで大いに足止めを喰らう可能性も高い。
 それにまだ、星羅ソフィアは現れてすらいない。
 それでも、安易に自分から仕掛けるのは得策ではないとは分かっていた。相手をする従者は、多少なりとも緊張感を携えたままの自分とは異なり、純粋な享楽に溺れている。いや、きっと緊張感などという感情は与えられていないのだろう。
 だからこそだ、彼らが歪だと感じるのは。全く感情を発しない人間はそれほど珍しくない。極度に心が摩耗すれば、感情の機微を外部に発するだけの余裕がなくなるためだ。しかし、たった一つのみ感情を露わにしているとなれば、奇妙でならない。あれほど楽しそうにしているのに、つまらないと感じていそうな瞬間さえ見かけられないのは、気味が悪くて仕方ない。
 生物としてねじが抜けている。感情というのは行動を制御するために必要な因子であるのに、それが不均一に欠けていたりしたならば、途端に行動様式が常識の枠を超える。だからこそ、想像ができない。なればこそ、薄気味悪く得体のしれない何かに見えてしまう。
 警戒という概念が存在しているならば、ここは互いににらみ合いが続いても可笑しくは無い。しかし、恐れも何も持ち合わせていない、ただ悦楽を求める兵士は、目の前の宝物に手を伸ばせずにはいられない。
 うずうずして、今にも飛び出したくなりそうなのを堪えているのが、奏白には手に取るように理解できた。息遣いと、目の光から、容易に想像できる。本来ならまだ待っておくに超したことは無いというのに、己の欲望に従うまま、奏白と向き合った月の民は空を蹴り、宙を翔けだした。
 確かに自分から強者であると自負しているだけある。その動きは、逸る気持ちとは裏腹に、あまりに精密であった。綺麗な動きというだけで、機能性としておろそかだった雑兵たちの挙動とは違う、美しさを僅かに欠きながらも効率を追い求めた所作。極限まで無駄を削ぎ落すのみならず、無理に壁を砕いて越え、最速を目指した動作。先刻までの大した実力を持ち合わせていない従者の軍隊に慣れた目では見逃しかけてしまうほどに洗練された速度、だが、それでも奏白には及ばない。
 跳びかかるその矛の刃を、身を捩って避けた後に、得意げな顔面に掌を打ち付ける。迫る掌底がその鼻先を潰そうとしたその瞬間、ゆらりと陽炎が揺れるように、残像が消えた。顔面に減り込ませようとした手が、何も貫くことなく虚空をそのまま突いた。手ごたえの無さに強い衝撃と動揺を覚え、奏白は目を見開く。
 どこに行ったのか、強張った脳と一瞬凝り固まる肉体。その動揺が『楽』の側近には容易に把握できた。これだから止められないと、満面の笑みを浮かべたまま、その矛先を左胸に向ける。
 こっちだよ、などとは声をかけない。それで気づかれて避けられてはたまったものではない。それゆえ、閉口したままに大気を貫きその心臓を穿つ。そのまま高らかに勝鬨を主君へと献上する、その予定だったというのに。


 気が付けば、背中から衝撃が走り抜けていた。


「おっせーよ、寝坊してんのかと思ったぜ」

 物音一つ立てることなく、眼前にあったはずの奏白の身体は忽然と消えていた。消えた男の膝が、矛を突き出した自分の背中に打ち付けられている。そのまま背骨が折れてくの字に反れてしまいそうな体を何とか抑える。身体を動かすに必要な酸素が足りない。意識を保つに必要なだけの空気が足りず、肺が切ないと悲鳴をあげている。背中を強打されたその衝撃を近くした瞬間には、胸の中に蓄えていた空気はいずこへか逃げていた。
 前に吹き飛んだ勢いを利用し、距離を取りながら振り返る。自分が失念していた事実をようやくその従者は自覚した。矛先が空を切るその音でさえ、あの男は所在を知り得るという事実を。そして身体ごと奏白に向き直ったつもりだった。しかし、次の瞬間にはまた、その姿はまた視界の外へ消え去っていた。
 後ろかと、先ほどの反省を活かし、手にした武器をそのまま背後に向かって突き出した。しかし、反省したというのは彼の思い過ごしだ。ただ、学習したと思い込んで、同じものばかり仕掛けてくると無為な判断を下したに過ぎない。言い換えるならば、それ以外の思考の余儀を奪い取られた。
 頭頂に掌を押し当てられる。上方にいると理解した瞬間には、腕から放たれた空気の振動が、その身を引き裂かんと彼の体躯を捉えていた。全身の骨格が、筋繊維が軋みながらもばらばらになりそうなのを堪えている。
 武器を操る腕の挙動さえ安定しない。力ずくでその音撃を押しのけることは不可能に思えた。己の実力を過信していたか、奏白を過小評価していたか。そんなことは些事に過ぎない。何が過ちだったかを嘆くより今は、状況を打開するべきだ。出し惜しみなど、してる暇など存在しない。
 首元から放たれる、玉虫色の閃光。主君より賜りし、燕の生んだ子安貝の首飾り、そこに秘められた能力を解放する。光に当てられ、握りしめていた矛が途端にその姿を変容していく。波打ち、その表面を波紋が走るようにして色合いすらも変化する。黄金に輝く一振りの得物であったはずなのに、今やそれは黒鉄の鉄球に姿を変えていた。その鉄球表面には、海の中に転がる雲丹を想起させるような無数の鋭い棘がびっしりと。
 矛で突くほど精密に努める必要は無い。何とか腕に込められた筋力を以てして鉄の球から伸びた鎖を握りしめ、振り回した。さしもの奏白も、当たってなるものかと跳び退く。

「武器の形状変化……そいつがお前の能力かよ」
「ははっ、厄介でしょう?」
「これ以上無くな! ったく、楽しそうに笑いやがって」
「当然さ、負けそうだなんて初めての経験なんだ。楽しくって楽しくって、もうこの情動を抑える手段なんて持ち合わせられないくらいに!」

 ちらりと真凜の方を目にした。灼熱の吐息が、青白い閃光が互いの身体を焼き払い、貫こうと飛び交っている。乱舞する蛇のような体躯を打ち付ける鞭打ちさえも、器用に隙間を縫うように泳いでいる。
 下の様子は観測しようも無い。だが、聞こえている声から察するに絶望的な局面には至っていないはずだ。

「駆け付けたいかい? ざぁんねん、僕を無視しないでよね」
「はっ、とっとと片付けて忘れ去ってやんよ」

 月は次第に昇っていく。正午を目指して、刻一刻と。
 未だ姿を見せようともしないシンデレラ、その大遅刻がむしろ、嵐の前の静けさのようで。逸る奏白の精神を一秒、また一秒と憔悴が焦がしていた。

Re: 守護神アクセス ( No.114 )
日時: 2018/10/16 00:55
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 同刻、先ほど地上を炎の鱗で焼き払おうと試みた大蛇の如き化生はと言えば、憤怒に燃えるその瞳を真凜にだけ向けていた。コバエのようにその周囲をうろちょろと跳び回るその姿に、身体を波打たせて空を泳ぐたびに苛立ちを募らせる。
 言うまでも無く、彼が授かっている感情は怒りであった。彼がその感情を受け取って直後に行った行為は主であるかぐや姫に対する恨み言であった。他の者へはもっとまともな感情を寄越したというのに、どうして自分にだけこんな迷惑な感情を授けたものかと、煮えくり返る怒りを制御できないまま仕えるべき主にぶつけてしまった。それも仕方ない、なぜなら初めての経験だ。その抑制しきれぬ激情のはけ口を用意する手段も、彼は知らなかったのだから。
 そんな従者の不敬を、かぐや姫は笑うことも怒ることも悲しむことも無く、受け容れた。申し訳ないことではあるが、避けることはできなかったのだと。自分を守るには四人の従者が必要。そして、特別な道具を扱うには、それらを使おうとする強い意志、心があるべきだと判断したためだ。特別な個体にならない限り、五人の貴族に求めた夢幻の道具を扱いきれない。
 全てが同一の性能を有するかぐや姫の御付きの者たちは、自我らしい自我が無い。彼らの意識は共にリンクしており、彼らという個体がそれぞれ一つの細胞であり、軍隊そのものが動物一個体のように振る舞っている。それゆえ、我こそが特別な賜り物を用いようとする発想が出てこない。すると結果として、誰もその道具を活用しようとしないのだ。
 かつてかぐやは地表から月へと帰る際に、地上の生活において必要不可欠だった心を取り上げられた。千年の月日が流れた後、フェアリーテイルと化したその時に、幻獣に管理していた心を五つに砕いて、大部分を己に還し、そして残る四つを側近の内四人に分け与えた。
 その内、龍の珠を扱う者は、強すぎる炎を御しきれるほどに、燃え盛る何かを胸に秘めていなければならない。愛だろうか、そうとも最初は考えたがすぐさま否定した。地表を焼き払うために必要なのは、憎悪と怒りだ。それゆえに、人が持ちうる中で最も汚い想いのうちの一つ、怒の情を分け与えた。
 どうせ与えられるなら、悦楽の内にただ溺れていられる楽の方がよほど良かったろう。何があっても楽観的に喜んでいられた方が良かっただろう。ただ殻の内にこもって悲しさに涙する方がよほどマシだったろう。それなのに、彼に与えられたのは、敵だけでなく見方さえも焼き払う、そして時として己の意識さえ灰燼と化すような強すぎる激怒。
 当然、怒るのも無理は無い。しかしかぐや姫はただ、彼に受け入れろと指図するのみ。その身により強い激情を焚きつけさせるため。その身をも焦がしかねない邪念にまみれた怒りの炎を持って、かつて愛した日の本の国を焼き払うため。
 童を怨むのは構わないと、かぐや姫は言った。しかしその恨みつらみは全て地上に向けろ。濁り切った世の中を、より色濃く汚れた業火で焼き尽くすことこそ使命だと、言い聞かせるように。そう、どれだけ強大な感情に呑まれようと所詮は従者。逆らう事など決して許されず、彼女の命令を聞く以外に取れる道は無い。
 いつかそんな日が来る。故に、感情を御するどころか逆にその情動に弄ばれるだけの日々を耐え忍んできた。長かった。無感情の千年よりも、逆鱗に触れられたかのような強い憤怒に身を焦がしたこの数か月の方がよほど。
 そしてやっとだ、悠久にも思えるような忍耐の日々を乗り越え、溜め込んだこの鬱憤を、抑圧を、全て解き放つ日が訪れたというのに。どうして世界はそれを祝福してはくれないのか。憎い、口の中全部苦々しくて、心臓は早鐘を打ち続けて、頭の中にはカンカンに熱された赤銅色の鉄があるようだ。理性などとうに無くなり、脳からの電気信号よりも心の底から溢れる熱量が体を動かしているような錯覚に陥る。
 この耐えかねる汚物のような想いをようやくぶちまけられる日が来たというのに、どうして。

「どうして俺の邪魔をする、何故一層に俺の神経を擦りきらせる。お前がそうならお前が死ぬのも仕方ないな、そうだろうな!」

 図体が大きいだけで、動きは呆れるほどに単調だ。フェイントも何も無く、反射的に目の前の羽虫に向かって掌を振り下ろしているようなもの。吸い込んだ空気を吐き出す際に、体表の炎を巻き込む。それにより、灼熱の息吹が長い髪を束ねた捜査官に襲い掛かる。
 迫りくる途中でさえ、肌が燃えてしまいそうな炎に、眉を顰めようともせずに防御壁を生成する。真正面からメルリヌスの魔力のバリアに衝突した炎の吐息は力なく霧散する。もう一度と、息を吸い込もうとするその瞬間が隙だ。空を駆けるスノーボードの走る後に、紺碧の閃光が収束する。点のように凝縮されたかと思うと、途端に弾け、夜空のキャンパスを蒼い光が彩った。無数の光線が龍へと襲い掛かる。

「いい加減にしろと言っているだろう!」

 身体を捻り、尾を空中で一薙ぎ。凄まじい熱風が放たれ、炎の障壁が龍の身体を覆うように立ちふさがった。熱風自体は漏出した魔力をヴェールのように纏うことで無力化した。双方共に一進一退の攻防、消耗こそあれど無傷のまま両者は向かい合う。
 この女は未来を視ることができる。その話は聞いていた。それゆえ、単純な力押しではどうしようもないというのに、怒りで狭まった視界と脳ではそんなこと思いつきもしない。炎も尻尾による重打も聞かぬというなら、喰らい尽くすのみ。とぐろを巻いてその場に座るようにしていた龍がとうとう重い腰を上げた。挙げると同時に、トップスピードで走りだす。
 その顎を大きく開き、喉奥に飲み込んでやろうと真凜へと飛び掛かる。しかし、そんな突進さえも真凜は未来視により織り込み済み。サーフボードの舵を垂直に上方に切り、死角を取った。上顎と下顎の牙が力強く打ち付けられる。しかしそんな不快な演奏など耳にしてやろうともせず、後頭部に向かい魔力の弾丸を一射、大砲の弾ほどもある大きな砲弾が勢いよく着弾、光と熱を帯びて炸裂した。
 走る衝撃はあまりに強いが、強靭な肉体を持つ龍には、その一撃だけで勝負は決しない。脳震盪を感じるようなことさえない。しかしそれでも、野球の軟球を強めに投げつけられたに等しい痛みが怒りの従者の頭蓋を駆けた。
 しかし、戦闘中の興奮状態、激痛に顔を顰めるも、泣き出すことも気を失おうともしない。あまりの痛みに、よりその胸の内の炎を大きく燃え広げさせるのみ。
 鬱陶しい。彼としては、そのように叫んだつもりであった。しかし、その言葉はもはや人間の言語の形をしていなかった。まるで奏白の音による一撃と同じような強い衝撃が戦場にて響き渡る。両耳を手で覆っていないと、耳が引き千切れてしまいそうなほどだ。距離を取りながら、耳を押さえる。しかし、目だけは閉じずに龍の動向から意識を離さない。
 これはまさに、フェアリーテイルに最もふさわしい。真凜は強くそう感じていた。強い破壊衝動に衝き動かされ、目の前に立ち塞がる障害全てを、全霊を賭して薙ぎ払う。その様子はこれまで見てきたあらゆるフェアリーテイル達に重なった。欲しいものを手に入れようと企むアリスに始まり、強者とただ切り結ぶためにも止まることのできなくなった桃太郎、先日まで殺戮を繰り返した赤ずきん。
 それらと変わらないと思えば、まだこの炎の龍は可愛いものだ。赤ずきんの方がずっと手強い、桃太郎の方がずっと速い。いくら未来を予知しようとも勝てるビジョンの見えない絶望など存在しない。堅実に相手どればいつか倒せる。そう思えるだけまだ可愛らしい。
 問題は、自分が離れてしまった拠点付近だ。ここで時間をかけ過ぎればその分下が手薄になってしまう。しかし、焦れば結果は奮わない。どころか、この龍がさらに降り立って攻め手が激しくなるだろう。
 その選択は、真凜にとっても不甲斐ないものだった。如何に時間がかかろうと目の前に立ち塞がるこの化け物を確実に仕留める。最悪を回避することが、この場で最も重要。すぐに決着をつけ、下へと戻れな自分を叱責するのは、油断に他ならない。敬意を抱くほどに高い壁であるからこそ、最大の警戒を抱えたまま相対せねばならない。

「勇気と無謀は違うから。背伸びしても転ぶだけだから。だから……今私にできることをしないと、だよね」

 問うた相手はこの場に居ない。しかし、この場にいないからこそ安堵できた。彼がいれば、たとえ自分が地上から離れていようとも安心だ。いざとなれば、彼が何とかしてくれる。だから、焦らずにいられる。自分のすべきことを、見失わずにいられる。
 灼熱の吐息に、真っ向から青白いレーザーがぶつかる。衝突と同時に、火の粉も魔力の青白い粒子も舞い散っていく。綺羅星のように、光の粒が二人が挟む空間を待っていた。星のように思えたかと思えば、舞い落ちる雪のようにも思えた。あるいは光子のシャワーだろうか。赤と青の細かな光の残滓は空を埋め尽くす程の物量を示しているのに、溶け合い、混ざり合うことなく己の怒りを、心の沈着さを主張している。
 紫色に混濁することの無いその様子は、まさしく対照的な二人を退治しているようであった。
 光のカーテンを目眩ましとして、またしても一本の剣のように、強靭な尾を薙いだ。燃え盛る炎を纏うそれは、橙色の光子に紛れて視覚では捉えづらい。しかしそれはあくまで、真凜以外が相手の場合だ。未来を予め知っている彼女に、そんな不意打ちなど通用しない。
 真凜を捉えることなく、その手前で虹色の反射板に打ち付けられた尾は、そのままあらぬ方向へと弾き飛ばされた。勢いそのまま、鏡に当てた光のようにエネルギーのベクトルを反射させる魔力の板。これも、紛れも無いメルリヌスの能力だ。
 誰もいない上空へと勢いよくいなされた下半身、それに引きずられて僅かに体勢が崩れた。よろめくその巨躯に次々と、その鱗を纏った胴体に風穴を開ける光線が駆け抜ける。しかしこれでも歴戦の兵、そう容易く突破されてなるものかと鎌首をもたげ、再び大口を開ける。力任せに咆哮でかき消してやろうとその喉を震わせた。
 だが、怒りに囚われたままの頭脳では、未だに学習できない。そんな咄嗟の挙動さえも、予め把握されている事実に。吠えるべき、その瞬間の出来事だ。レーザーの進路の上に、虹色の反射板が現れた。このままでは怒号に全て打ち消されてしまう魔術の閃光が、反射板の能力で進路が逸れる。折れ曲がったレーザーは一度龍から遠ざかったかと思えばまたもや宙でその向きを変え、迂回し四方からその肉体に降りかかる。

「小賢しいと言っているんだ!」

 瞬時に龍は、わざわざその龍化を解いた。元の小さな人間の姿に戻ることで、巨大な炎に包まれた体を射止めたかと思った魔光は、空撃ちに終わる。その後に再び、炎の鱗に覆われた龍へと再び変化する。本来龍の胴体を穿つはずであった蒼光の矢はというと、雲の上にまで昇り見えなくなってしまった。

「ああ、小賢しや小賢しや小賢しや! そんな事しか出来ないというなら、疾くこの業火に呑まれ果ててしまえばよいものを!」
「そうカリカリしないでくれるかしら? 余裕のない人は嫌われるらしいわよ」

 また正面から向かい合う。燃ゆる龍の息吹とエネルギーをこめた閃光が衝突し、爆風を生む。赤い雫が、蒼い雪が、真昼のごとく明るく照らし出された夜空を滑り降りる。異常気象と呼んでしかるべきであるのに、殺伐とした空間であるというのに、両者が描くこの景色はあまりにも美しい。
 そしてこれはあくまで、天才の奮闘である。持つべきものを与えられたまま立ち向かい続けてきた、恵まれた者の活劇だ。しかし世間はいつの時代も残酷で、恵まれない人間も同様に存在している。宙に立つ彼らは知っているだろうが、望む力を、才覚を、十全に与えられないまま生まれ落ちるやるせなさを。
 地上でもがく仲間たちは、強く、誰より強くその至らなさを感じているということを。

「ああ、可哀想に可哀想に。蟻の抵抗を見ると私は心を痛めてしまいまする。あな悲しい悲しい、巨象のごとき御仏の力を借り受けて、無罪の人々の幸福を踏み散らす現実が」

 当然、奏白兄弟が足止めできていない二人の従者は地上へと到着していた。一人は、燃えるような真紅の衣を身に纏い、もう一人は涙を流しながら御鉢をその両手で抱えている。その御鉢の放つ光はとても淡いものであった。しかし、絢爛豪華、煌びやかではないからこそ、その朧げなオーラと呼ぶべきそれは、神々しさを纏っていた。西洋の神々の、眩い後光を放つほどの強烈な存在感ではない。しかし、朧気ながらも見つめてくれる、寺院の荘厳な空気と同じだ。そこに、何かがあると信じてならない得体の知れぬ気配を内包している。

「何だよ、偉そうなこと言いやがって」
「分かります、分かりますとも。私達は貴方のことを何も知らない。奏白音也も奏白真凜も知っているのに、貴方の事は何も知らない。即ち貴方達は雑兵に過ぎないと。ああ、胸が痛い胸が痛い。皆まで言うな、分かりますとも」

 所詮貴方達は、居ても居なくても変わらない。
 泣いていた。同情のあまりに、御鉢を抱えてその中に雫を溜めるようにして泣いていた。本来の用途とはかけ離れているだろうに、哀情の雨が落ちていく。ひたひたと、御鉢の底に打ち付けられる。
 むくりと、地面が隆起した。

「仏よ、私をお許しください。そして祈って下さい哀れで罪の無い彼らが、悲しむことしかできない私の足の裏で、蛙のように踏みつぶされた後の冥福を」

 居ても居なくても変わらない。その言葉に、ぴくりと人々は反応した。不快感が故に、その耳が僅かに熱を帯びる。その言葉を否定せんがために。己の誇りや矜持を守るべく。
 居なくても構わないような人間では無いと、天下に轟かせねばならぬ。そしてそれは自分を信じてくれる誰かのためにもだ。

「悪いけどよ、俺たちゃ家族にとってはかけがえのないヒーローなんでな」
「ああ、強がる雄姿も痛々しい。そんなに胸を無理に張らずともよいものを」
「言ってやがれ。俺たちはそんな言葉じゃへこたれねえよ。魔王みたいに強い坊ちゃんが、俺らがいるおかげで戦えるとか言ってくれてんだから」
「ああ、そんな強がりさえも無様に映る、こんな傲慢な私をお許しください」
「ったくうるせえな……知らない知らないって嘆くんならここで覚えて帰りやがれ」

 幾人かが臆して後退する中、臆することなく一人の男は身を乗り出した。彼はきっと、まだ若い捜査官に区分される人間であろう。奏白とは歳が二つしか変わらない。彼はかつて、妬みやすい人間であった。それこそ、慕ってくれる後輩にさえ嫉妬してしまう程に。
 しかし彼もいい大人だ。変わり切ることはできずとも、変わろうと努力することはできる。未だに、劣等感は拭えない。それでも、かっこいい男がそうやって誇れる自分であろうとする姿を見て、学んだのだ。目指すべき強さとは、どういったものであるのか。
 脳裏に、妻の姿を思い浮かべる。身重で、今か今かとその時を待ち構えるその姿を。そして来るべき、我が子を抱き上げているであろう姿を。護るべき者を忘れない限り、人は立ち上がれるのだと、目の前で知君は示してくれた。もう二度と守護神を呼べぬのではないかと絶望しても可笑しくない程、一度は途方に暮れていた。唯一の友にも絶縁を宣告された。それでも彼は、再起した。
 一回り以上歳の離れている、自分の弟と同い年の少年に、精神でも負ける訳にもいかない。最後の決戦くらい、いいところを見せずしてどうするのか。でなければ、今後生まれてくる娘にも顔向けできない。

「耳かっぽじってよく聞きやがれ。あの天才、奏白に捜査官のいろはを叩きこんだ、王子 太陽って名前をな」

 今日ぐらい報われてもいいだろうとは、声に出さないでおいた。

Re: 守護神アクセス ( No.115 )
日時: 2018/10/18 23:49
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


 所詮はただ武器を変形させる程度の能力。その程度に侮っていた。形状を変えるというだけで、これ程までに手数が増えるとは思っていなかったためだ。迫る鎌の刃を避け、途端に姿を変えた鉄槌を横から蹴りつける。流石に隙が出来たかと殴りかかれば、鼻先にはレイピアの先端が触れていた。
 何とか首ごと頭を大きくずらして貫通を避ける。鼻の頭を引っかかれ、そのまま鮮血が踊った。武器を掴んだ腕を突き出している今こそ好機、とはならない。武器の変形に乗じて、アメーバのようにぐじゃぐじゃと輪郭を失ったレイピアはもう片方の手の中に納まった。今度の形状は無骨な大刀。鉈のように押しつぶし、鈍重に斬り裂こうと振り下ろされる。
 いつまでも防戦一方でいられない。剣を握りしめた手首を思い切り奏白は蹴りつけた。衝撃に押し負け、掌から大剣が離れる。しめたとばかりに近づこうとしたものの、次の瞬間にはもう一方の腕の中に槍が潜んでいた。弾き飛ばしたと思った剣はというと、もうとうに姿を消していた。
 子安貝の放つ虹色の光をあの武器が受けると、その能力が発動するらしい。暫定的な奏白の仮定では『ある物質の構成成分を原子ごと変化させ、構造や形状をも自由自在に変形させる』ものだ。自分自身の肉体にかけていなかったり、敵対する奏白の肉体を直接変化させていないことから、何らかの能力発動の制限があると見て間違いは無い。
 ただ武器が変わるだけならば、どのみち回避を続けるだけで済む話であるためさしたる問題ではなかった。この能力で真に恐ろしいのは、武器が手元から離れないという点だ。さらには任意のタイミングで武器を握る手をスイッチさせられる。右手で槍を突けば、本来引き戻さねばならず、嫌が応にも隙が生じるというのにそれが無い。今度は左手に持ち替えて刀で斬りかかるだけだ。
 そもそも変形を生かして、その瞬間に奏白を貫けばいいものをと考えたものだが、それはできないらしい。変形途中の液状化した金属を殴りつけようとしても、実体が無いのか拳が突き抜けた。変形中は質量を持っていないということなのだろう。
 音も無く変形するため、その形状変化を利用した斬撃や刺突などが可能ならば奏白はとうに肉片となっていたことだろう。その制限がかかっている事実は有難い事だ。しかし、それにしても攻めあぐねてしまう。迂闊に踏み込めば首筋に刃が触れていることもある。後一瞬の判断を誤っていれば死んでいた、そういった局面も少なくなかった。
 自分で言うだけあるじゃねえかと、奏白は徐々に目の前の従者の実力を認めていた。炎を吐き出す龍のような派手さは無い。しかし、先ほど面と向かって実感したが、あの龍であれば素直に正面から殴り倒せそうだったのに対し、変幻自在のこの兵士はそうそう手早く片付けられそうにない。
 いつしか戦闘服はところどころ血に濡れていた。それは相手の鼻先を殴った鼻血の返り血であったり、自分のかすり傷から垂れた血潮とが入り混じっていた。一進一退の攻防。徐々に奏白は変幻自在の能力に対応し始めているため、油断しない限り形勢は傾けられるだろうが、それがいつになるかはとんと見当がつかない。
 またしても、拳と刃とがぶつかり合う。ぶつかると言っても側面を弾き飛ばしたり、大気の振動をぶつけて逸らしたりしている程度なのだが。身を捻っては槍の突きを避け、後ろに跳んでは振り下ろされる斧から逃げる。
距離を取れば一塊の鉄球を放り投げてきた。新幹線程度の速度は出ているだろうか。しかし、音速にはまだほど遠い。あっさりと屈みこんでその鉄球を頭上に見送る。そのまま刹那の後に音速に到達、もう幾度目か分からないがかぐや姫の側近、その背後を取った。しかし、おそらくその動きは読まれている。
 奏白が金属弾の投擲を避けた時には既に、子安貝からは光が放たれていた。そして彼の次なる手を見るより早く、従者はというと防御に転じている。虹色の極光を受けた漆黒の砲弾はというと、勢いも全て殺して再びどろどろのアメーバ状になっていた。意志を持って生きているかのように瞬時に楽の兵士の手元に戻り、羽衣と筋肉の隙間に潜り込む。
 そのまま、背中全部を覆い尽くしたかと思えば、その場で剣山を形成した。白銀の棘が無数に羽衣を突き破り、奏白の眼前に迫る。またこれか、ここまでの多岐に渡る攻防の中で幾度となく攻め手を遮った防御手段に舌打ちをする。
 これ以上踏み込めば全身串刺しになってしまう。何とか停止し、舵を切って死角に潜りなおす。しかし隙を与えてしまったに変わりない。ハリネズミのように背中だけ覆っていただけだったのに、いつしか男は毬栗のように全身を棘で覆い尽くしていた。
 このままでは触れられそうにも無い。音の衝撃で吹き飛ばそうにも、密着しきれない以上大した痛手は与えられないだろう。こうなると向こうからも攻められないため、一度仕切り直さねばならない。

「何べんも殻にこもりやがって、びびってちゃ俺には勝てねえぞ」
「ふふ、一度目にそれで腕を傷つけた君が言ってもただの負け惜しみだよ」

 その言葉に苦々し気に顔を歪める。彼のスーツ、その右腕のあたりは鋭利な刃物で引き裂かれたような痕跡が残っていた。覗いている肌には細長い裂傷が見られ、勢いは大したことが無いものの血が流れている。
 スピードで翻弄し、死角から一息に叩きのめそうとした時のことだった、唐突に、一瞬手前の瞬間まで剣の形を取っていた黄金の武器は、瞬く間に身を護る鎧となっていた。それ以降は二度と同じ仕掛けで手傷を負うようなことは無かったものの、こちらからもろくにダメージを与えられていない。
 何分経過したものだろうか、分からない。下でもきっと戦闘は始まっている。先ほどどの従者に対してかは判別できなかったが、太陽が名乗りを上げていたのは感知していた。すなわち、地上でも同様の化け物が暴れているという事になる。民間人は決戦の舞台が東京になると決まった時に避難勧告を出しておいた。事情があって逃げられない人々も居るだろうから、強制はできない。あくまで勧告止まりだ。
 しかし流石に、現実に攻め入って来たかぐや姫たちを見てからという者の、近隣住民だけはもっと遠いところに逃げ出してくれたようだった。そのため、多少下で暴れていても、警官達が足止めをしている内は一般人の被害は出ない。何とか戦場を抜け出している兵士は誰一人いないようで。今のところは治安維持組織としての矜持を保ってはいる。

「あれあれ、こんなもの? あんなに警戒してた奏白音也って、こんな程度?」
「うるせえよ」
「いやいや、確かにすっごく楽しいよ。僕の攻撃も全部防ぐし、避けるし。でもさあ、なーんか期待外れなんだよね。初めの勢いが無いっていうかさ、気を抜けば死んじゃいそうなあのヒリヒリした緊張感が無いっていうか」

 口に手を当てて嘲笑の笑みを浮かべる。なるほど今度は、挑発を楽しんでいる訳だ。思いの外大したことがないものだと嘲って、奏白が地団太を踏み、不快で表情を捻じ曲げるのを期待している。そんな風に己を叱咤し、無力さに嘆く人を眺める事さえ、彼には楽しくて仕方が無いのだろう。
 本当に悪趣味だ。おたまじゃくしは悪食で有名だ。泥を食う、虫の死骸を食う、魚の死骸を食う。そんなものしか食べられないから、生きるために仕方なく。だが目の前のこいつはどうだろうか。楽しむために悪行をしている、ならばまだ理解できる。残虐で、人でなしの行いを楽しい事だと判断して率先して行っているのであれば、憎らしく思うもまだ理解ができる。
 しかし実態は違う。この側近は、万物万象を娯楽だと思っている。とりあえず煽ってみた、楽しい。とりあえず殺してみた、愉快だ。意義も目的も無く残虐な行為を、人でなしの振る舞いを為して、それら全てに享楽を見出すことができる。

「やっぱり人間なんて大したことないね。警戒するべき君がこれなら、地上に残ってる彼らなんて、豚の餌の方が上等なんじゃない?」

 怒るだけの価値も無い。途端に怒りの熱が抜けていく。凶暴化していたドロシーの仲間たちは、太陽たちを嘲ることを、他者を見下す事に快楽を見出していた。それゆえに、その性根を叩き直そうと思えた。だが、こいつはどうだ。怒りも哀しみも持っていないからこそ、あらゆる善行も悪行も、苦しいだなんて思えない。だからこそ、何をしでかすか分かったものでは無い。
 道化という言葉がいやに似合う。何となく、雨に打たれた体から熱が抜けるように、怒りが零れ落ちていった理由が理解できた。哀れなピエロにしか見えないこの男が、同情するべきだと思えたからだ。
 楽しくないはずのものまで楽しんでしまう、こんな悲しい生物は、分身は、早く始末してやるべきだと信じたからだ。楽しいという、本来人間を幸せにするための感情に囚われて、真逆の方向へ進路をとった哀れな人形を、解放してやらねばならないのだと。

「お前さ……多分、楽しくねえだろ」
「何言ってるの、とても楽しいよ」

 そもそもそれ以外の気持ちなんて分からないしね。あっけらかんと、言い放つ。そっかと、小さく、泣き出しそうな声で奏白は返した。別段本気で涙するつもりなど無い、こんな奴のために流す涙などないと割り切っているからだ。
 ただ、それでも、彼の感じる悦楽に愉悦は、否定せねばならない。説教じみていて、独りよがりに思えても、そんな事認めてはならないのだ。
 それは別に聖職者としてだとか、正義に生きているとか、そんな大層な理由ではない。彼が、彼として生まれているその大前提として持つ事実こそが、目の前の男の娯楽を否定するべき根拠となる。

「人生、楽しいことばっかだったら、って誰もが思うんだよ。でもな、結局辛い事苦しい事の方が多いんだ、嫌んなっちまうよな」
「ごめんね、そう言うの分からなくて」
「ああ、その方が幸せだろうなって思うかもしれねえさ。でもよ、それじゃ多分味気ないし、飽きちまうんだよ」

 そう、彼の言葉は、人間として、否定せねばならない。

「辛いことが沢山あるからさ、楽しい思い出が輝いて見えるんだよ。お前さ、楽しい楽しいって言ってるけど、楽しいって気持ちを喜べてないだろ」
「そりゃ、喜ぶ感情は火鼠の奴が持って行ってるからね」
「うん、そっか。そうだよな……。だからそんな可哀想なんだ」

 終わらせよう。救ってやるべき男にすら聞こえないほど小さな声で、一人の男はそう呟いた。

「アマデウス! 一旦全力で行くぞ」
「体にかかる負荷はどうする? シンデレラの相手ができなくなる可能性も……」
「大丈夫だ」

 すぐに片付けてやる。身体にガタが来る前に。彼はそう宣言した。そうかと、短い相槌だけを残す。

「大きく出たね、全然勝てる見込みも無いってのに」

 侮辱という行為に味をしめたのだろうか。目の前の男はひたすらに奏白を煽り続ける。おそらく彼の中に警戒や不安は無い。だからこそ、今の奏白は温存などしていないし、その言葉も強がりに過ぎないと思い込んでいる。
 そんな姿が、契約者だけではなく、力を貸しているアマデウスにとっても憐れに思えた。もしも自分の言葉が届くというなら、彼に伝えてやろうものを、と。嘆息混じりに口にする。我が契約者は、有言実行を為し遂げる男なのだと。

「俺からお前への言葉は、これが最後だよ。『天才』って二文字はな」

 また、消える。否、消えたように映るだけだ、目で追い切れぬだけだ。常人どころか人間離れした動体視力を持つ者にも、音速など捉えられない。
 消えたと思い、従者は息を呑む。また後ろかと警戒するも、奏白は今度は真正面に現れた。わざわざ目に見えるところに現れた事実に面食らうも、それも当然かとようやく頭が追いついた。どうせ目にも止まらぬ早業であれば、直接目の前に現れても変わらない。

「そんな甘くねえんだよ」

 突然、視界が揺れた。防御に意識を向けるのがあまりに手遅れで、気が付けば奏白の脚が首元に減り込んでいた。そのまま筋が千切れて、頭と体が離れてしまうのではないかと感じる程の衝撃が走る。しかし首は千切れることも折れることも無く、踏ん張る大地も無い空中でその身体は半回転した。強すぎる圧迫感に、気道がひしゃげて息が吸えなくなる。何とかかぐや姫から供給されるエネルギーで修復するも、息苦しさは晴れない。
 しかし愚直に攻め込んでくるだけならば、これまでと同じだ。自棄を起こしたのだろうか、それとも速度についてこれないと思ったのだろうか。甘いと奏白に知らしめるために、全身を針で覆い尽くす。これで再び、奏白からは手が出せなくなると判断して。
 しかしその認識こそが甘かったのだと、刹那の後に思い知らされることとなる。
 奏白の手の甲がその剣山の先端に触れると同時に、尖りきったその針は接触した部位から次第に吹き飛んでいった。掘削され、塵となって大気中に消えていく。その様子に目を見開いていただけの須臾の時間に、その拳は腹部を穿っていた。内臓がそのまま勢いで口から飛び出しそうな嘔吐感を必死にこらえる。その吐き気を飲み込めても、痛みだけは呑み込みきれそうにない。
 ただ殴られただけではない感覚が腹部に広がっていた。あらゆる方向への衝撃が、肚の中の臓腑の中心で荒ぶっていた。彼が触れた部位だけ引き千切れ、剥がれ落ちてしまいそうな異物感。見れば内出血のように紫色にうっ血していた。
 その正体に辿り着いたのは、偏に音の鎧と言われる能力が由来であろう。身の回りの空気を音波により強い勢いで振動させ、近づく攻撃を弾き飛ばす空気の鎧。彼はそれを防御ではなく、攻撃に転じさせた。ただ転じさせたのではない。身の回りの大気を振動させるのではなく、己の身体を音波により強く振動させることで、その振動の勢いであらゆるものを破砕する。
 出し渋っていた理由は簡単に察せられた。言うなればこれは、自分自身に音の能力で攻撃している状態に他ならない。身体にかかる負荷が尋常ではないのだろう。音速戦闘を可能にさせる程の肉体を以てしてもだ。
 時間を稼げばいつかは勝手に相手がガス欠になる。ならば逃げるが得策か、そう思った矢先にその発想が絶望に塗れていると知る。何処へ、ではない、どうやって逃げろというのだろうか。音の速さで空をも走るこの男から、どうやって逃げればいいのだろうか。
 ならば守り切ればいい。それさえも絶望だ。たった今、頼り切っていた防衛手段を無効化されたところではないか。
 ここで幸運だったのは、その絶望すら感じ得ぬことだったろうか。逃げも隠れもできないのであれば、迎え撃つしか無いと、脳裏を真っ白に燃え尽きさせることなく切り替えられたのは、彼が逃げ腰の感情を授かっていなかったためだ。
 迎え撃つ、そう決めた後に彼が過ごした十秒に満たないような時間は、これまで過ごしてきた数百年全てと比較しても遜色のない程の量、興奮と、熱狂全てを凝集させた、永遠にも思えるような最期の時であった。
 眼前に迫る拳を避ける。破壊力は充分にもう先ほどまでに学んだ。手で払って受け止める事さえしてはならない。掠めた髪がはじけ飛ぶ。はらはらと舞い散る黒の残滓が、その後の自分を暗示しているようであった。
 もし僕に、悔やむ心を持っていたならば、感謝をできぬことを悔やんだだろう。彼はそう考察した。このあまりにも楽しすぎる今際の時間を、僅かにしか堪能できない事実を悔やんだだろう。もし喜びの感情を持っていたならば、模造品の作られた人生に過ぎない生者としての終わり際に、こんな至上の時間を賜ったことを、主のみならず存在の是非も分からぬ神にさえ感謝しただろう。
 しかし、自分にできることと言えば、一時の快楽に溺れることのみ。命を散らし、身体中を駆け巡る痛みに楽しみを見出すことだけ。ならばせめて目の前の捜査官に対してできる最大限の賛辞を送ろう。この時間を、一秒でも長引かせて見せる。輝かしい笑みを、最期の最後まで彼に贈って見せよう。
 防戦一方ではきっと詰まらない。もしかしたら音という概念を体現した化身の彼には、武器さえも砕け散ってしまうのかもしれない。しかし、無抵抗というのは全霊で挑んでくる者への侮辱に思えた。侮辱も楽しいものだと先ほどは感じたものだ。しかし、しかしだ。全力を尽くす事こそ、さらに楽しいものではないだろうか。
 ならば、手を止めてなどいられない。立ち止まってなど居られない。痛みに意識が溶けていく、衝撃で思考が吹き飛んでいく。舞い散る血霞は、もう自分の血液ばかりだ。秒を追うごとに自由に動かせる体の範囲が狭くなっていく。手にした武器は擦り切れていく。

 それでいい。
 それでいい。
 それだけで、きっと僕は満足だ。
 そうして、心など何一つ持たないまま生き続けた従者は、最後にたった一つの感情だけ与えられ、満たされたまま、甘い蜜の中に溶けゆくようにして、散っていったという話だ。

Re: 守護神アクセス ( No.116 )
日時: 2018/10/27 00:36
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


 一時はとんだ下衆野郎だと思ったもんだけどな。互いに鎬を削り、捨て身の攻防を繰り返しながら奏白は、彼と過ごしたこの幾何かの短い時間のことを振り返っていた。終わってみれば案外、そう悪く思えないものだ。この心身の削られるやり取りを、心底楽しみ続ける眩い笑顔を見ていれば、嫌悪感も吹き飛んでしまう。
 そうかい、俺との手合わせはそんなにも素敵なもんか。声に出して確認する必要など無かった。明確な答えをわざわざ引き出す必要なんて無かった。訊かずとも、答えずとも、もう知っている。彼を悦ばせることができるのは、彼という存在そのものをすり減らすような殺し合いの中にしかないのだと。そして自分が、その期待に、期待以上に応えられているだろうことも。
 剣、槍、斧、槌。降り注がれ、突き出され、振り上げられては叩きつけられて。またしてもその姿が変わる。鈍器かと思えば鈍器に代わり、黄金色に瞬いたかと思えば黒塗りの鋼へとまた変遷する。流れる水のように、二度として同じ姿をした武器にはならなかった。剣という括りで見れば同じかもしれない、しかし新たな形を得る度にその詳細な造形は見たこともないものとなっていた。
 なるほど、手を変え品を変え。その方が楽しいということだろうか。こんな時までそんな事ばっかり、そう想えども今度ばかりは、叱責する訳にいかない。そういった思考回路を無理に埋め込まれているのだから、その程度の些細な振舞いには目を瞑ろう。
 ほとんど勝負は決したと断じて相違ない。全力の奏白の動きに、もはや相手はついてこれそうにもなかった。先ほどからして、何とか全方位に棘を突き出して壁にしていただけだ。それが通用しなくなった今、防御などできないのだろう。
 ならばできることこそするべき。打たれながらも、蹴りつけられながらも、次々と殺意を飛ばしてくる。悪意という刃で切り付けてくる。光輝き、そのまま燃え朽ちてしまいそうな眼光を爛々と煌かせて。屈託の無い笑顔だった。実際にしているものなど、ただの殺し合いだ。快楽など本来あるはずもない。鈍痛と負傷に淀んだ澱の中へ沈んでいるだけに過ぎない。
 鼻先に迫る短刀を避ける。避けずとも今の状態の彼であれば、触れるだけでその刀を砕けた可能性はある。しかし、油断は禁物。命を奪いかねない刃物なのだから、警戒に超したことはない。
 悪あがき、時間稼ぎ。そんな発想が現れてはすぐさま立ち消える。そうきっと、この男はそんなことなど微塵も考えていないのだろう。ただ自分が、一秒でも長くその極楽の秘湯に浸かっていたいだけだ。奏白と相対した強者のみに理解できる、この男と渡り合えているという高揚感に、刹那の誤差に過ぎない一瞬であろうと、それでも長いこと満たされていたいだけだ。
 拳を交えて理解できる。この男には勝てないと。こと闘争において反則じみた能力を持つこの男を、認めずにはいられない。だからだ、仕方が無い。英雄を名乗る星の下に生まれたような男に、自分が立ち向かっている事実を誇ってしまうというのは。
 これまでずっと一振りの大得物を操って来た従者であるが、最後に彼は手にしたたった一つの武器を何十というナイフに変化させた。子安貝の首飾り、それの持つ能力は言うなれば錬金だ。原子レベルどころではない、中性子や陽子レベルで物質の再構成を行う。能力の対象となる物体には、非生物であることや重量制限など、様々な縛りこそ設けられているが、それを守っている限りは原材料の変化から形状の転換まで全てが術者の思うまま。燕が貝など生むはずはない。それと同様に、鉄の板切れが金貨に変わるはずはない。それと同じ、あり得ないはずの因(おや)と果(こ)の間に縁を結ぶ。
 腕に、足に、首筋に。鉛色の切っ先がぴとりと触れた。だがその瞬間、またしても空気は竦み上がり、怯えたように強く震えた。アマデウスの能力により、強力な音波が奏白の全身から放たれた。もはや音と呼ぶにはあまりにも暴力的過ぎる、単なる大気の振動。一時は奏白の肌に触れたはずのナイフも、その皮を切り裂く事も出来ずに砕け散り、はじけ飛ぶ。
 小刻みに震え続ける削岩機のような拳が、とうとう従者の鳩尾に再びねじ込まれた。皮膚が破れ、筋肉が露出する。だが、そこまでだ。グッと歯を食いしばり、腹に力を込めてそれ以上抉らせない。腹を貫かれかけてもなお、その目に映る最後の灯火は死せず、より強く輝きを増して。
 武器は失ったか。その問いの答えは決して否だ。戦とは、槌で将の頭をかち割るに非ず。槍でその心臓を刺し貫くに非ず。己の胆力を以て敵の矜持を打ち砕き、踏み躙り。たとえ牙が折れようと爪が剥がれようともその命を引き裂くものだ。
 外聞も、恥じらいも、歯牙にかける余裕は無い。躊躇いなど、月面にでも捨て置いてきてしまった。己が与えられた命令は何か、腕も足も動かぬ現状でできることは何か。思い至った従者はと言えば、目の前の捜査官の首筋めがけて大きく口を開け、尖った犬歯でその肉を食い破ろうとする。
 その意気や良し。だが、辛くも、その牙はかの天才に届くことは無かった。腹に叩きつけられていた衝撃が消える。目の前にいた男の実像すら消える。目の前の情報の処理さえ追いつかず、虚像に縋り、むしゃぶりつく思いで強靭な顎を打ち鳴らせども、手ごたえさえもそこには無い。
 背後か、上空か。それとも、眼下か。それらのあらゆる可能性は打ち消される。この期に及んで不意など討たない。奏白は目の前にいた。僅かに身を退き、歯の打ち付けられる範囲外に逃れただけだ。瞬きを一つする間に、いつしか再び眼前へ。肩で切られた空気が乱れる。風が吹き、満身創痍の従者の羽衣を揺らした。その熱量はアマデウスのオーラ故か、体温故か、はたまたその男が胸に灯した情熱に由来するのだろうか、あまりの熱さに焦げ付いてしまいそうになる。
 まだ自分とて、灰となって消えてしまう訳にいかない。ひりひりとするやけどのような刺激は全て錯覚だ。炎症も起きていない、水膨れもできそうにない。日中のように明るいとはいえ、晩夏の夜風は冷たいままだ。音の衝撃で弾き飛ばされた刃の残骸を再びかき集めようと、意識を子安貝のネックレスに向ける。しかし、それよりも速く伸びた手が、主君より与えられた宝を掴み、繋ぎ止める意図を引きちぎった。
 一繋ぎの神秘が、ばらばらに崩れていく。七色の宝石たちが、一つ、また一つと孤立していく。モザイクの群体が、赤は赤、青は青へと、散り散りに。統制の無い虹色の集合体が、ただ一色の個体となっていく。その方が、一個体として統一された、規則的で美しいものであるはずなのに、何故だかずっと醜く見えた。闇鍋のようにただ豪華に、統率も取れないままに連続した首飾りになっていた方がよほど美しい。
 どこかで見覚えがあった。これは一体何と同じなのだろう。散り散りに零れ落ちていく、自分が身に纏っていたはずのタカラガイを見つめながら、薄れゆく意識の中で、ひたすらに走馬灯を見ていた。千年生きたこの自我が、終わり際に余韻を噛み締めるように、無感情に過ごした日々を振り返っている。
 その今際の、己が生きた記録の再生の終わり。最後の最後に、彼が気持ち悪いと思い至った、モザイクの群体が個々の要素に切り分けられる様子を目にした。かぐや姫が、わざわざ心を分断し、感情を自分たちに分け与えたあの日のことだ。
 奏白の言葉が蘇った。楽しいことを喜べていない。だから自分は奏白から醜く見えてしまったのだろう。これならばいっそ、何も持っていなかった頃の方がよかったのだろうか。常人であればそのように後悔するのだろう。しかし、悔やむ心さえ彼は持ち合わせていなかった。
 ともすれば、彼にできるのは一つだけ。もう、肩から先は動かせない。足とてただの鉄棒のようで、膝を曲げる事さえも叶わない。動かせるのは表情のみ、完膚無きまでの敗北だ。あれだけ大見得切っておいて、小悪党のように散っていく自分の最期は、ちっとも面白くなどなかったけれど。
 彼は自身の終幕に、目の前の男に対して見せつけるように、破顔してみせた。
 口にせずとも、楽しかったよと伝えられるように。
 目にした茶髪の男はというと、眉尻を僅かに下げ、馬鹿野郎がと小さく呟くことしかできなかった。
 靴のつま先から、あるいは右手の中指の先端から、世界に溶け行くように消えていく。黄金に輝く星屑のみをたなびかせ、散り際に一際大きな光を見せて、蝋燭のように消えていった。
 感傷に浸る暇は無い。けれども、数秒の間だけ奏白はただ茫然としていた。楽しかったのは自分も同じだ。だからこそ、相対していたあの側近の男のように、自分もいつしか変容してしまうのではないかと危惧してしまう。
 誰かを助けるふりをして、ただ自分が戦場に溺れていたいだけなのを誤魔化してはいないだろうか。強く否定できるだけの自信は、さらさら無かった。
 しかし、そうずっとくよくよと立ち悩むこともなく、意識を切り替える。本当に、そんな人間になりたくないのならば、ここで動かずしてどうする。早いところ下に降りて加勢に向かうべきだろうか。
 その躊躇を吹き飛ばすように、熱風が背後に吹き荒れた。何事かと振り返れば、黄金ではなく紅蓮の業火。夜だというのに真昼のような光景が広がっているが、とぐろを巻いて全身を炎で覆った龍の姿はまさしく太陽の化身に他ならない。
 真凜もまだ戦っている。加勢するとすればそちらを優先するべきだ。即座に討ち倒してしまえば、真凜も無事なまま二人そろって下の面々のサポートに駆けつけられる。
 彼の妹がメルリヌスの魔力を用いて解き放つ光線と、龍の顎から溢れ出る熱線とがぶつかっている。先ほど対峙している姿を確認した時と比べ、さらに熱量が上昇していた。流石はここまでその余波が届くまではある。
 近づこうにも、融け落ち、燃え尽きてしまいそうな空気に足が止まる。自分の能力ではこれ以上近づくことができないと察した。真凜はというとメルリヌスのヴェールを身に纏い、熱気を遮断しているようだ。濃紺のオーラがスノーボードごと、彼女の身体を中心としてぐるりと取り囲むよう展開されている。
 次第にその火力を増す龍の怒号は、まさしく発散されない憤怒が募り募っていく様子と同じだ。より強く、より熱く、より赤く。次第にぶつかり合う二色の砲撃、その均衡が崩れ始める。空色の光線が、次第に押し返されていく。蛇の舌のように、真紅の炎がメルリヌスに絡みつき、呑み込んでいく。
 押し負け気味なのは重々承知だ。意地を張り合うつもりは真凜には無い。押し返せないならば別の手段で弾くだけのこと。虹色の天板を多量に展開する。衝突した熱線はそれぞれ明後日の方向に勢いを削がれ、弱体する。何とか威力は減衰させたものの、それ以上のペースでまたも火力は上がっていく。小賢しい手段でしぶとく抗う姿に、より一層ご立腹のようだ。
 だが、この灼熱の息吹は吐息の延長。肺の中身全てを吐き出せば限界は来るはずである。その推測も未来視により確定しており、予定通りの時刻に灼炎の嵐は収まった。
 しかし、奏白にはそれ以上近づく手段が無かった。オーブンの中と同じように、人の身を焦がすほどに熱された大気の中に踏み込む手段を彼は持っていない。メルリヌスは膨大な魔力を身から放つことで術者が安全な空間を作り出せるが、アマデウスにその能力は無い。周囲の大気を押しのければ呼吸ができず、息を吸えば体の芯から焼け焦げていく。そんな空間に踏み入るだけの能力を、奏白は有していなかった。
 胸に蓄えた空気こそ吐き尽くした。されど、その身体の中に燻り続ける憎悪にも似た激情は、未だ燃え盛り続けている。むしろ吹けば吹くほどに、終わらない抵抗へと苛立ちを募らせる。鱗の下に隠した筋には力が込められ、頭には血が昇っていく。腸を煮えくり返らせるほどの衝動は止まることなく体の芯から湧いてきて、それを持て余した天に座す大蛇はと言えば、その怒号を一つ南天に轟かせた。
 もはやそれは声ではなかった。意味のある言葉の羅列であるとは誰にも肯定できなかった。死ね、と、許さない、と、さらに汚く聞くに堪えない言葉とが、磨り潰されてどろどろになって捏ね混ぜられていた。
 そして尾が打ち付けられたかと思えば、その長細い体が踊る。一直線の軌跡を残し、真凜のいる側へと襲い掛かる。その勢いは真凜が飛ぶよりもずっと速く、予め察知していなければおそらくは回避などできようもない。
 その予見があるからこそ、奏白も安心していた。しかし、迫る龍を前にして微動だにしない真凜に違和感を覚える。よくよく確認してみようものなら、彼女はもう、とうに肩で息をするまでに至っていた。呼吸さえも苦しくなってきたか、肺の辺りを手で押さえ、喘ぐように空気を取り込んでいる。
 そこまで追い込まれていると気が付けなかった失態に、今更ながら焦燥する。自分も充分に消耗していたのだろう。何せ刻一刻と移り変わる武器の形状に追いつき、受け流し、回避せねばならなかったのだから。その困難は熾烈極まる。変形自体の速度が音速を超えていた以上、常に音也自身も気を配りっぱなしだったのだから。
 そもそもその熱気の中に割って入る訳にもいかない。そこに辿り着く頃には間違いなく消し炭だ。そのせいだ、彼には傍観しか許されていないのは。

「おい真凜!」

 呼びかける声が虚しい。龍の牙はその声よりも速く、彼女の身体にまで届いてその肉体を突き破ろうとしている。食いちぎり、引き千切り、糧とすることも無く吐き捨てようとしている。
 彼の悲痛な叫び声も虚しいまま、彼の目の前で対峙する二人の決着は、無情にもついてしまった。

Re: 守護神アクセス ( No.117 )
日時: 2018/11/02 12:30
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

 時は少し遡り、真凜は怒り狂う蛇の姿をした異形の使徒と対峙していた。相手の吐き出す熱線に怯むことなく、そして浴びることも無く、その包囲を、掃射を、かいくぐり、中天を駆け抜ける。空の上を意のままに泳ぐその蛇のような胴体は、今にも絡まってしまいそうなのに、器用にも檻のように真凜の逃げ場を塞ごうとするのみで、自分に不利には働かないようだ。
 しかし、複雑怪奇に絡まり合っているとはいえ、大柄な体躯故にどこかしら逃げ場はある。開けた空間は一秒、また一秒と移り変わっていくせいか、予め逃げ道を確保しておかねばすぐさま捉えられ、体表の炎鱗に焼かれてしまうだろうが、真凜にとって回避など造作も無い。
 次はそこ、今度はそちらの門が開く。駆け抜けた先には行き止まりが現れるため急下降。単純な速度だけで言えばその龍の方がよほど優れている。しかし、先見の能力がある真凜に、絶対的な速度だけでは追い越せていても捉えられない。追い抜き、その進路を断ったかと思えば、その瞬間には切り返している。
 それこそ、捕えるためには兄である奏白程の速度が無ければ不可能だ。それに加えて、適切な瞬間にカウンターのレーザーや砲撃に反応できるだけの反射神経も要求される。どの瞬間にどの位置にその姿があるのか真凜は理解した上で魔力の砲弾を射出できる以上、攻めているからといって相手は気を抜けない。
 メルリヌスの機嫌次第ではあるが、近頃では砲弾、爆弾以外にも鋭利な槍や矢のような形に錬成した魔力を飛ばせるようにもなった。気分屋なところが余りにも大きい上に、己の能力に絶対的な自負を持っているせいか、メルリヌスは曲芸じみた魔法の使い道を是とすることは少ない。適切に未来視を行い、それらを鑑みて最適な迎撃を為せばそれだけで如何様な者をも屠れると信じている。
 今日はいやに上機嫌な日だった。六月以降、こき使われることが多かったせいだろうか。フェアリーテイルという未曽有の災禍が漸く今日終結するとなれば、その華々しい千秋楽は派手に暴れたくなるものなのだろう。気分屋であることは最早否定のしようが無いが、それと同じぐらいにメルリヌスは目立ちたがり屋で自尊心も強い。その技量を誇示するためには、今日ばかりは曲芸も辞さない所存のようだ。
 飛び交い、避け続ける真凜の背後を追いかけ、一対の真紅に燃ゆる眼光は迫り続ける。振り切るために幾度となく宙で旋回を繰り返しているが、それでも執念深く追い続けてくる。おそらくは、許せないという、言葉にすればいたく短い激しい想いに駆られているだけだ。只管に、その怒りの矛先を向けた真凜を、考えなしに追い続けている。
 本能と感情だけで動く、単細胞な獣に過ぎないというのに。振り切れない現実が、彼が強者たることを明確に示していた。魔力のヴェールを鎧のように纏っているおかげで、その龍の身体から漏れ出た熱気に燃やされずに済んでいる。おそらくこれが無ければ太陽に近づきすぎたイカロスのように、無様に地に落ちていたことだろう。

「確かに貴方は強いけれど……」

 単純な実力を値として換算した、数値の大小を比較する戦であれば真凜の敗北だ。しかし、こと戦闘の勝敗において、その結果を左右するのは何もそれだけではない。心の持ちよう、環境、周囲の援助、最後に天命。様々な条件やバイアスが複雑怪奇に混ざり合った中で、勝利へと繋がる細い糸を手繰り寄せた人間にこそ、女神はほほ笑む。
 メルリヌスの未来視は、さながらその糸を大海の中から見分けられるようなものだ。徹底的に間違いを潰す。最適、あるいは最上に極限まで近づいた答えを探し出すことができる。死なないための道を、負けないための道を。そして待つのだ、その時まで。敵がおのずと敗着へ繋がるダミーの綱を手にして、思い切り引き込んでしまうまで。
 そうやって、彼女は戦ってきた。これまでの戦闘を、何度も。同じように、明らかに自分よりも格が上の者とも対峙して。

「私、番狂わせは得意なの」

 気は抜くな、緊張の糸を緩めるな。しかし視界を狭めるな。自分には見える景色が他人より広大に広がっている。自分にしか見えない不明瞭な領域さえも。未だ確定し得ない事象さえも思うまま、大魔法使いの能力にて察知することができる。
 熱くならず、意固地にならず。冷静に、勝利への方程式を解くほかない。近道など無く、石橋を叩いてでもその安全性を確認しろ。無事な姿を待ってくれる人がいる。自分が乗り越えられると信じてくれる人がいる。沈着に分析するべきだ。この敵と比べたら、アレキサンダーの軍隊の方がよほど把握が困難だ。桃太郎の方が、よほど迅い。さらには、赤ずきんの方が、ずっとずっと一打が重たい。
 バランスよく全ての基礎値が高水準かと問われれば、そうだとも言えない。特に状況判断能力など、理性と共に憤怒の業火に焼け朽ちている。ただただ腹の奥から煮え滾り、溶岩のように吹き出す衝動に衝き動かされ、殺すべき対象を追っているのみ。そのような深謀遠慮のまるきり駆けた、剥き出しの敵意になど、負けてやるつもりは毛頭ない。
 再び、スノーボードを滑空させる向きを直角に折り曲げる。一瞬後には眼前に、赤い炎を纏った胴体が出現するのが視えたためだ。代わりに障害の無くなった上方へと駆け抜ける。炎の格子から脱した真凜は、その龍の頭上から全貌を見下ろしていた。醜い炎に身を包む、怒りと復讐の化身。あまりにも醜い感情のみを与えられた、悲しい怪物だ。
 彼自身は悲しいだなどと感じられないのだろう。涙を流す能も与えられていないのだろう。しかし真凜の目には血の涙が見えるようであった。強大な能力を持つ誰かを妬み、苛立ちの形でぶつけるしかなかった自分が、不甲斐ない自分の無能ぶりを許せず、路を誤ったあの日の己が、怒り狂う化生の姿に重なって離れない。癒着したまま、醜い感情を剥き出しにさせていた自分を悔い、そこから脱せていない怒れる従者を憐れまずにはいられなかった。
 絡めとるはずの彼女が、いつしか鳥かごから脱出していたことに、より一層の苛立ちを募らせる。もうとっくに、深く思考するだけの余地はその頭に残されていないというのに、より一層に、熱を帯び。さらには、よりどす黒く染まっていく。煤混じりの黒煙が上がるというよりも、その憎悪の篝火はそれそのものが、どす黒く淀んでいた。
 その、胸の内の感情をあるがまま投影しているかのように。
 知っている。彼女はそんな様子を眺めるに、誰に言うともなく頷いた。周りのものが、何一つ見えなくなってしまう程、自分さえも見失ってしまう程、怒りはその人を呑んでしまう。自力では絶対に脱出できない。できたとしても、引き裂かれそうな心痛に耐えねばならない。こんなにも赤熱した想いを抱えているというのに、誰にぶつけることもできず、ただ一人その身体の芯を焦がし続けたまま、向き合い続けねばならない。孤独のまま乗り越えられる者など、一体どれほどいたものだろうか。
 だから誰かにぶつけてしまう。ぶつけられた誰かも、また別の人に。そうして連鎖して、繋がって、ぶつけ合って押し付け合って、最後の最後に、誰にもそれを渡せない人が抱えてしまう。心配かけないようにと笑って、その裏で、涙を隠す人間に、押し付けてしまう。
 そんなのはもう御免だ。優しい人が壊れてしまう姿など、もう彼女は見たくなかった。だが、それだけではなく、願ってしまう。志してしまう。どうせなら自分も、そう言う人になりたいものだと。
 そっぽを向けたくなるような、汚い自分の反面と、向き合えるだけの人間に。実のところ、『彼』もかつては、そんなことできてはいなかった。けれども、為し遂げてみせたのだ。真凜の目の前で、さらには他の仲間の目の前で。無二の親友の、目の前で。
 ずっと受け入れることを拒絶し続けてきた、己の映し身を、自分の一部だと、必要な欠片の一つだと受け入れた。認めていた。だからこそ今の彼は、以前の彼よりもずっと大きく見える。以前の彼でさえ、彼女よりもずっと大きな存在だというのに。

「仲間なんだって、言ってあげたからにはちゃんとそれらしい事見せてあげなきゃね」

 だって私は、大人なんだから。

 何もない空間から、次第に蒼い粒子が立ち昇る。収束し、幾千の槍を展開する。指すは龍の眉間、あるいはその首にて輝く橙色の玉石。穿ち、引き裂くのは均衡。互いに消耗を重ねるのみの不毛な時間はもう終わらねばならぬ。真凜は当然体力の摩耗、そして相対する化け物はと言えば、神経がすり減っている。疲れ知らずの肉体は羨ましく想えども、自分でさえ自覚できないまま怒りに自我を溶かしていくその姿は、見ていられない。
 おそらく自分では、あの度し難い感情を発散させてはやれない。それ以上の正の感情に、転換させてはあげられない。ならばできることは何だろう。考えても、一つしか結論は見当たらない。そこに至るしか無いのかと、思慮の足りない己が嫌になる。
 仕方の無い事だと割り切る。情けをかけていいのは、同情した上で圧倒できるだけの強者の特権だ。今や彼女は自覚していた。私は、才能だけの弱者に他ならないのだと。より強い才能を持つ人を見てきた、同じだけの才を自分以上の努力で磨いた肉親を見てきた。私は弱いから、だから、非常に徹することだけが、最も人道的な選択だと断定した。
 あれは敵だ。その理屈を後押しする。あれは所詮傀儡に過ぎない。立ち塞がる人影を、人間では無いと言い聞かせる。これから自分は人間を手にかけるのではない。哀れなかぐや姫の人形を、処分するだけだ。見た目が人間と同じだけ、血も通っていなければ人間らしい感情も、ただ一つを除きその他一切を欠落している。
 青空の遥か高みよりもよく澄んだ、透き通る蒼の槍。指揮者のごとく腕で指示を出す。真凜のイメージに寄り添って、思い思いに刃の葬列は天を駆けた。真正面から鼻先へ眼へと降りかかる先駆けを、灼炎一つで従者は消し飛ばす。真凜の放った槍を焼き尽くしたまま、その紅蓮の業火は彼女のもとまで迫りくる。虹色の反射板を用いて跳ね返したところで、全身が炎に包まれた怒りの化身は、怪我一つ負おうともしない。
 天に唾を吐く愚か者とは違うという訳ねと、攻撃の反射に意味は無いと再確認する。事前に周囲へと迂回させておいた残る槍の群れが、四方から次々と蛇の如き体躯に降り注いだ。ここまで戦闘が長引いて、いくつか気づいていることはある。体表に纏った炎は、あくまで鎧。人間が直に触れられないようにという程度のものでしかない。口から吐き出す、触れた者を全て一瞬で消し炭へと変容させる類の猛火ではない。
 だからこそ、先ほどからこちらの攻撃も通用してきた。砲撃をぶつければ顔を顰め、光線を浴びせれば苦悶に喘ぐ。ならば鋭利な斬撃でも斬り裂ける可能性がある。宙を踊るように、あるいは這うようにしてまた、南天の空を大蛇が泳ぐ。槍の間隙を縫うようにしているようだが、それさえも全て真凜の掌の上だ。未来予知の結果によって導き出される進路に向けて、予め矛先を向けておく。
 またもや鼻先を掠める切っ先にも、もはや反応しているだけの余裕が従者には無かった。それは別段、それ程までに焦っているためではない。確かに余裕が無いというのは事実ではあるが、忙しないせいで平静を失っているのとは程遠い。耐えられないほどの狂気が湧いてくるためだ。全て壊せと、我が身さえも顧みるなと。
 南の天に高く昇る、神聖な光放つ炎の化身。それが今の俺の姿なのだから。であれば、気に食わぬもの全て、万象一切灰燼と帰すべし。短絡的な衝動のみが、またしても理性を押しつぶす。端からそんなもの存在していなかったと己に錯覚させるように。真っ当な判断能力も冷静な状況把握も何一つできないまま、それで構わないと雄たけびを上げる。
 もはやわざわざ回避に転じる暇さえも惜しい。腹が貫かれようが、鱗が剥がれ落ちようが、殺せぬ屈辱と比較してしまえば全てが些事だ。破壊の追いつかぬ自身の不出来を呪うことと並べてみれば、全てが矮小な事実だ。腹の奥底が熱い。燃え盛る血が滴っているせいだ。煮え滾る体液が零れているせいだ。血と呼ぶには似つかわしくない、水銀のごとき雫ではある。彼らの身体の蘇生は人間とは違う。あくまでも、虚構の存在。
 それでも、負傷した事実に間違いは無い。ぼたぼたと命が漏れ出ているというのに、それさえも気が付けない。腸(はらわた)が煮え滾っているのは何も今に始まった事ではないのだから。この我が身をも燃やし尽くそうとする、精神をも蝕む感情は、常に五感を鈍らせていた。気を抜けば、仕えるべき主君にも、この激情をそのままぶつけてしまいそうな程だ。
 どうして、どうして、どうして。その四文字までが頭の中を埋め尽くしている。そこから先は思い浮かばない。果たして自分は、主君に何を抗議しようとしているのだろうか。感謝の感情を与えられていないとはいえ、それでも特別な道具を賜った事実に敬服せざるを得ないはずなのに、何を訴えようとしているのだろうか。
 分からない。分からない事実が、加えて、分からないのに主に牙を向けようとしている自分のことが、より一層に許せない。護るべき者に反駁しようだなどと、存在意義に反してしまう。しかし、持てあますこの怒りというものはそれ程までに見境が無い。理不尽にも、手当たり次第に隣に立つ者に降り注ぐ。
 それはさながら、見たままの己の姿と何も変わらなかった。炎の化身である自分にはもはや、常人であれば近寄ることも叶わない。降りかかる火の粉を浴びるだけで、そのまま不幸を嘆いて死んでしまう。寄り添うことも能わない。なぜなら、近づこうとするだけでその肌を突くような痛みに、拒まれてしまうから。
 何人をも拒む孤独な業火。熱いはずだ。肌はヒリヒリと灼けるだろう。喉もからからに乾くだろう。下の上は罅割れて、汗ももう一滴も落とせぬほどの乾物となるだろう。それなのに、龍の胸の奥は嫌に冷たかった。腹の方はそのまま焼け落ちてしまいそうなのに、凍てつくほどの吹雪が、肺の中を渦巻いているようだ。
 極北の突風のようだと思っているのに、口から吐き出せばそれは途端に劫火となって宙を飛び交う。触れた物質にその熱を映し、形を歪めて黒く塗りつぶす姿に、違和感を覚える。これが炎であるならば、この絶対零度の胸の内は、一体何だと言うのであろうか。
 それは当然、彼には分からない。判る由も無い。失ってしまった訳では無い、初めから与えられていなかったせいだ。心ある者が、その精神を砕いてしまわぬため、定められている筈の機構が、彼には与えられていなかった。ストレスだけは、怒りのせいで溜まってしまうというのに。
 身体の中頃の部分を、数百の刃に貫かれたまま、またしても獰猛な獣のごとく、咆哮が打ち鳴らされる。強い振動が臓腑を揺らし、弱い嘔吐感が真凜を襲った。胃の内容物が逆流しそうになるが、何とかその催吐をもねじ伏せ、呑み込む。
 己が傷ついた事にも、気が付かず、ただその血潮をだらしなく垂らしながら、それでも涙は一つも流すことができない。

「可哀想ね、本当に」

 見ていられなかった。怒りに囚われ、他人にその苛立ちをぶつけることしかできない獣が。その行動に、振舞いに、きっとあの従者は本能的に、違和感を抱えている。それが『悲しいこと』であると、悲哀の感情を知らないままに勘付いている。
 されども、彼は悲しむことができなかった。だからこそ、その違和感の正体が分からない。それゆえ、氷のような異物と、身を焦がす衝動の狭間で、常に心の安寧は失われている。人間であれば、悲しければ泣けばいいというのに。かぐや姫の従者には、それさえ許されていなかった。

 だから。


「……荒療治で申し訳ないけれど」

 助けてあげるんだから、文句言わないでよねと、最早聞く耳さえ持たぬ龍に、真凜は呼びかけた。


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