複雑・ファジー小説

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守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
日時: 2022/05/19 21:16
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。

___

本編の完結とエピローグについて >>173





目次です。

▽メインストーリー
 File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
 File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
 File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
 File4:セイラ   >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
 File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
 File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
 File7:交差する軌跡  >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
 File8:例えこの身が朽ちようと    >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
 File9:それは僕が生まれた理由(前編)    >>59 >>60-61 >>63-64
 File0:ネロルキウス  >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
 File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
 File10:共に歩むという事   >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
 FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
 Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172

 Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177

-▽寄り道
 春が訪れて >>23
 白銀の鳥  >>70-71
 クリスマス >>120

▽用語集
 >>8 File1分
 >>15 File2分
 >>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも

▽ゲスト
 日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
 友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)




気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)

Re: 守護神アクセス【File5・開幕】 ( No.33 )
日時: 2018/04/09 16:32
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

「ふああ……おはようございます。……今は何日の何時でしょうか」

 療養室のベッドの上で、間抜けな声がした。寝ぼけた知君であったが、すぐ傍に奏白の背中があるのを確認し、声をかける。またしても能力を用いた反動で、負荷がかかりすぎた脳を休眠させるために意識を失ったのだが、果たしてどれだけの時間を棒に振ったのであろうか。
 一刻程前に手渡された自分自身の診断結果に目を通しながら、奏白は声がした方へ向き直る。目やにでひっついた目が開くよう、目をこする知君は、ベッドの上でまた眠たそうに欠伸をした。こうしてると本当に、ただの子供にしか見えないなと、奏白は苦笑する。

「あれから三時間ぐらいしか経ってねえよ、つってももう夜結構遅くなっちまってるけどな」

 奏白が浦島太郎を捕縛して後、すぐさま知君は招集された。守護神アクセスを行い、ネロルキウスの能力により、浦島太郎を蝕む赤い瘴気を奪い取るためである。以前のような人格の変容が改善されることは無かったが、知君曰くそれは別に意識を乗っ取られている訳では無いようであった。
 普段周囲に気を配っているのが、ネロルキウスの影響下に自分も置かれてしまうせいでできなくなり、言動を穏やかに律せなくなるのが大きいらしい。それともう一つ、知君は恥ずかしそうにしていたが、強い意志を持つネロルキウスに精神で対抗するためには、強い自分を演じる必要があるためネロルキウス本人の性格を真似して同様に振る舞っているのだとか。
 それでも気休め程度にしか変わらないらしく、結局は精神力だけで抗っていることになる。本人もいつ自分の意識が沈み、その守護神の人格に乗っ取られるか分かったものでは無いと怯えていた。怯えるその様子を見ると、アクセスさせること自体が申し訳なくなる。
 しかし、それでも知君の守護神アクセスをしなくてもいいと言う訳にはいかなかった。というのも、明確なフェアリーテイルの治療法が他に見つかっていないためである。アリスはまだ意識が安定していなかったため、面談できていない。そのため、瘴気に憑かれていた彼女自身の話を聞けていないのだ。話を伺えたからと言って、対処法を得られるとは限らないが、現状フェアリーテイルを元の穏やかな守護神に戻す方法は、ネロルキウスの能力以外には無かった。
 毒や病気とは違う扱いなようで、病気を治癒するような守護神の能力を受けても治ることは無かったらしい。現場でそう言った能力者が桃太郎にその能力をかけてみても、特に瘴気の影響が取り除かれるような作用は視られなかった。
 要するに、フェアリーテイルを捉えるたびに知君には守護神アクセスが強いられるのである。せめて瘴気に侵されていた守護神たちから話を聞ければ、もう少し対策が打てるのかもしれない。しかし、あの瘴気は破壊衝動で心を食いつぶすだけあって、相当な負担と後遺症を強いるようである。
 自分がどうなっていたかを思い返し、何とか力になろうとしても、力になれない。そんな風にアリスが憔悴しきった様子を見るに、知君が「フェアリーテイル達も被害者である」と言っていたのはあながち間違いではないなと奏白も思った。実際浦島太郎は今日、ネロルキウスによる処置を受けてから三時間ほど経った今になっても、悪夢にうなされている。
 そして知君の能力は、強力無比な代物ではあるが本人に降りかかるデメリットが並みの守護神とは一線を画している。というより、基本守護神アクセスにデメリットなど無い。知君のように、アクセスし、解除すると途端に眠りこけてしまうような守護神など、早々いない。ましてや、契約者の意識を、体を乗っ取ろうとする存在など、奏白は二十七年の人生において一度も耳にしたことが無かった。

「そうでしたか、学校を無断欠席せずに済んで良かったです」
「今回もお疲れ様だな」
「そうですね。でも今後はこういった役目がどんどん増えてくると思います」

 フェアリーテイルも、日を追うごとに観測事例が増え始めていた。アリス検挙から一週間が経過したと言う頃だが、あの頃はまだ17しか観測されていなかったが、今となってはフェアリーテイルの観測事例が30を超えた。それも、今までは選りすぐりの精鋭のみであったところが、舌切り雀やセレンディップの三王子など、マイナーで力の弱い者も増え始めたのだ。
 そのため、今までは複数人で挑んでも返り討ちに合っていたところが、一対一でも勝利するような事が増えるだろう。現に、桃太郎を取り逃がしてしまった奏白も浦島太郎は余力を残して制圧できた。
 それゆえ、できることなら複数の守護神を捕らえてからまとめて瘴気の呪縛から解き放つべきなのだろう。一人フェアリーテイルを押さえる毎に知君に任せることになる。たかだか、ほんの一分程度、取り押さえた守護神から正体不明の赤い瘴気を奪い取るだけのことに、その後数時間の昏睡を知君は必要とする。少年の人生を食いつぶしているようで、奏白としてもやりきれない。せめて他にもっと、簡単な解決策があればと思ってしまう。
 それこそ、歌や音楽を聞けば癒されるような、そんな力があればと思う。そんな力があれば、奏白の能力により、その歌声を遠いところまで届けてやれる。超広範囲の内側に居る、フェアリーテイルをまとめて正気に戻せる。
 しかし、それができる能力が署内に存在しない以上夢物語である。民間まで探し始めたら見つかるかもしれないが、見つけるまでにどれだけの労力を要するのだろうか。その間にも被害が拡大する以上、そんな余裕はない。

「知君、気分はどうだ?」
「そうですね……。今回はすぐにcalling(コーリング:守護神アクセスと同義)を終えたので、もう大丈夫そうですね」

 足にもちゃんと力は入りますしと言って、立ち上がる。その様子にはやせ我慢や無理をするような雰囲気は感じられなかった。

「ただ、放課後が無くなっちゃいましたね」
「悪いな。多分、しばらく続くと思う」
「構いません」

 こうして役に立たなければ、僕が琴割さんに連れてこられた意味はありませんから。心底嬉しそうに知君は笑う。親がいないらしく、今まで誰かから求められたことも無ければ、自ら何かを求めたようなことも無いのだとか。だから、体よくこき使われているだけにしても、こうして自分たちと捜査ができていることが嬉しいという知君の姿が、奏白にはいじらしい。
 どうせなら、同年代の友人として出会いたかったなと思う。そうしたら、親友として、もっと歳の近い先輩後輩として、可愛がってやることもできたろう。十歳も離れてしまっていたら、もう自分は半分保護者としてしか彼と接することができない。

「なあ知君」
「どうしました?」
「俺は一応、お前が何者なのか、少しだけ聞かされている」
「えっと……どこまででしょうか?」
「ネロルキウスの正体まで」
「そうですか、なら僕の両親については聞いていますか?」

 問いかけに、奏白は首を横へ振った。

「生い立ちまでは聞いていないんですね」
「ああ。訊いても教えてはもらえなかった」

 案外琴割さんも義理堅いですねと、知君は笑みをこぼした。その声には、傍若無人気味な、あの警視総監も少しは自分を気遣ってくれるのかという嬉しさに満ちていた。奏白が自身の生い立ちをまだ知らないでいてくれる安堵とは異なる。
 ただ、知君の生まれた素性を知っている者がまだ琴割を始めとするごくごく一部の人間に限られることに安堵しているのは嘘ではない。自分が此処に居る理由も、生まれた理由も、まだ誰かに知られるだけの準備はできていない。いつかは話す必要が出てくると思う。しかし、自分から伝えたいと思う日が来ることを知君は待っていた。
 己が生み出された理由を、自分の口から説明すればその事実を受け入れてしまいそうだったから。戦場にしか、自分には居場所が無いと言うことを。宝石を磨くみたいにして育てられた、知君の純真な道徳心には、あまりに深々と突き刺さってしまう。
 真っ白で、とても脆い。豆腐みたいだなと思う。もしくは雪の方がいいだろうか。ネロルキウスという暴力に、踏み荒らされて汚れてしまう。靴底の土に塗れて、人々に踏み固められた灰色の雪原が、彼の脳裏に思い浮かんだ。

「お前にも言いたくないことってあんだな」
「ええ。奏白さんにはそういうことはあまり無さそうですが」
「案外いっぱいあるぜ? 大学時代の元カノとの大破局とか」
「モテる自慢ですか。羨ましいですね」

 可笑しそうにまた笑っている。自慢なもんかと奏白は抗議した。

「それ以来誰とも付き合ったことねえよ。仕事が恋人みたいだって言われてる」
「事実そうじゃないですか。アリスの時も休日出勤してましたし」

 そのおかげでアリスによる人的被害は出なかったともいえるので、奏白のその休日出勤は咎められるものではない。尤も、知君ありきでの結果ではあるため、その後数日寝たきりで高校を欠席させられた彼だけは多少の愚痴は許されるが。しかし、知君はそんな事では不平不満など口にしない。なぜなら彼にとっては、被害者が出ずに済んだという事こそが何にも勝る報酬であるのだから。

「まあな。でもあれだよ、仕事に打ち込む俺、かっけーってのがしたいだけさ」
「またそんな事言っちゃってますけど。知ってますよ? 照れ隠しだって」
「そんな訳ないだろ。ぱっと見こんな軟派な男が仕事ばっかやってるのなんざ、俺は有能だってアピールしてるだけだっての」

 ほんとにそうだったら自分からそんな事言い出しませんよと知君は言い訳を受け入れない。実際に他人の目だけ気にして仕事をしている風に見せているのだったら、もっと大変そうに見えるよう振る舞うだろうし、言葉でももっと自己顕示するであろう。
 けれども奏白は違う。いつだって飄々としているし、大変そうなところだって誰にも見せない。現に今も、浦島太郎戦で疲れているだろうに、彼は自分よりも仲間の知君の体調とストレスとを慮っている。優しいお兄さんみたいだと、知君は奏白と話してよく感じる。彼の実の妹である、真凜のことがほんの少し羨ましく感じた。
 そんな風に弱みを見せようともせず、また、真凜のように思いつめていることも悟らせないような彼だからこそ、知君も心配になる。一応、奏白の今の症状についてはかつて相談を受けた。時折、戦闘中に睡眠剤をかがされた時のことがフラッシュバックして、戦闘中に意識が飛びかけるのだと。
 アリス交戦時におけるネロルキウスとのcallingの際に、その能力によりアリスのあの能力には後遺症が無いことも確認している。ネロルキウスの能力、その副次的な産物である全知の力。それは大きな負担でもあるのだが、このように知りたい情報も知ることができると言うのは有難かった。
 医師による診断からしても体にはもう異常が残っていないはずだ。とするともう、原因があるとしたら奏白の精神的なところにあるとしか思えなかった。警官となり、捜査官となり、数々の功績を積み上げて『天才』『次期エース』などと呼ばれ期待の若手として見られ続けてきた彼にとって、初めての敗北らしい敗北を得たのが件のアリスであった。今まで敗北を知らなかった分、脆いプライドに似たものがぽっきりと折れてしまったようで。苦い記憶として時折思い返してしまうのも仕方のない事だと思われる。

「奏白さん」
「どうした、改まって」

 あくまでも、自分はよくできた人間でないと言い張る奏白と、改めて目を合わせる。小首を傾げこそしたが、その目は臆するということも知らず、真っすぐな知君の視線と真正面から重なった。自信に満ちた彼らしいと知君はその様子を評する。

「実は僕と奏白さんが同じ班員になったのは、僕が望んだからなんですよね」
「……そりゃ初耳だ。でも何で急にそんな事?」
「知っていて欲しかったからです」

 僕が貴方を選んだ理由を。そう言われて奏白は照れ臭くなる。鼻の頭を掻いて、少しだけ視線が泳いだ。嫉まれること、そして女性から持ち上げられることはよくあっても、素直に褒められる経験は少ないらしい。

「まあ、分かってるぜ。歳が近い中じゃ一番強ぇからな、俺は」
「違いますよ」

 自分に釣り合う班員が欲しかったのだろうと尋ねようとした奏白だったが、その出鼻をあっさりとくじかれる。またしても、本音を隠そうとしたことを指摘されたみたいで、ばつの悪くなった奏白は目線を完全に知君から背けた。

「奏白さんの志は、僕が望むものとよく似ていたからです。貴方になら、背中を預けられる。頼りにできる。信じられるし、尊敬できる。誰かを助けようって力を尽くす、そんな奏白さんに憧れて僕は、奏白さんと一緒に戦いたいなと思いました」

 まさか妹さんまで同じ信念を持っているとは思いませんでしたけどねと付け加え、破顔する。無邪気に笑う知君の顔は幼く、あどけなくて、中性的で女子のようにも見えた。男子用の学生服が無ければ、本当に見間違えそうなほどに。
 その昔、純粋に自分に憧れてその背を追おうとしてくれた真凜の笑顔が重なった。あの頃の真凜は自分への過信も無く、己の信念も見失っていなかった。いつの頃からか承認欲求のようなものに憑りつかれて、辿るべき道筋を見失っていたが、直近の壊死谷検挙の頃からまた、昔のように笑い始めた。それはきっと、知君の助言が効いたこともあるのだろう。
 こいつはきっと、俺と戦えて喜んでくれているんだろうな。そう思う。だがむしろ、肩を並べるまでは行かずとも、共に仕事に当たっている事実に救われているのは、知君よりも自分の方だとも感じていた。

「それがきっと、奏白さん自身が目指す、格好いい奏白さんですから……」

 いつまでも、格好いい奏白さんでいて下さいね。その言葉がじんわりと、奏白の肌から染み入る。コンサートホールをチェロの重低音がゆっくりと手を伸ばすように、感じ取りにくいながらも確かな実感を持って、失いかけた自信を補強してくれた。

「おいおいやめろよ、惚れちまうだろ」
「口説くなら女性だけにしてくださいよ……」
「待てコラ、冷めた目で見てんじゃねえよ冗談だ冗談」

 ベッドに座る知君の頭を軽く拳骨で打つ。全く痛くなんてなさそうな声で、痛いですと抗議するその声が何だか心地いい。
 おそらくきっと、俺自身知君を弟みたいに見ているのだろうな。冷静に自分を観察している奏白は、ポツリと胸の内に、自分にしか聞こえぬように呟いた。
 また、護るべき者が増えた。また、かっこつけたい相手が増えた。背負う重荷がまた一つ増えて、流す汗や涙は途方もないほどにその数を増しただろう。抱え込むストレスだって尋常ではなくその嵩を増し、こんなに重たくなるなんてなと嘆く未来の姿が見えるようだった。
 けれども、奏白は挫けない。めげないし、折れない。涙も流さずに、笑ってみせる。苦難に塗れて血反吐を吐いて、汗水垂らして鼻水すすりそうになって、どんな重荷に潰されそうになっても、必死に歯ぁ食いしばって笑ってやる。
 そんな男が、誰よりもかっこいいと思えるからだ。

Re: 守護神アクセス ( No.34 )
日時: 2018/04/11 08:10
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 三日が経ち、土曜日がやってきた。珍しく奏白が一日中非番となる日が知君の休みと重なった。最近知君も疲れていることだろうと、以前アリスを検挙した日に叶わなかった雑貨選びについていくことにした。真凜にも声をかけてみたが、今週は用事があると言っていた。
 中学校以来の友人が結婚するらしく、その式に出るために大阪へ向かうと言っていた。休みである今日の夜中には戻ってくるため、業務に支障は出ないだろうと、上司も許可してくれたようだ。普段勤勉で、成果を挙げていること、先日壊死谷を検挙した功績が大きいのだろう。
 浦島太郎の後には、これといった進展など無かった。そもそもフェアリーテイルが見かけられなかったと言うのは大きい。多い日は一日に六体も出て来たりしたものだが、ここ数日は平和と言えた。
 王子がセイラとデートをしているのと同日、二人は全く違う土地で買い物に興じていた。

「案外面白いインテリアとかってあるんだな」
「奏白さんがそういうものに興味が無いと言うのが少々意外ですね」
「まあ、部屋に置くものとかこだわり無いからな。俗にいうミニマリスト?」

 的確に自分を表現した言葉に、知君もすぐに納得したようだ。確かに、部屋に何を置いたところで本人が格好良くなるわけでは無い。奏白が興味を持たないのも当たり前と思えた。実際、一度奏白たちの家に上がったが、奏白の部屋は殺風景であった。気難しそうにしていた真凜の部屋は見ることができなかったが、大体似たようなものらしい。男物か女物か程度の違いだろう。

「にしても久々に食うと何か美味しく感じるな」

 駅前の小洒落た店なんかはどれも満員だったため、手近なファーストフード店で二人は遅めの昼食を取っていた。カフェなんかにはカップルが溢れ返っている分、こちらには買い物に来た家族連れが多いような印象であった。子供向けの商品が多いこともあり、そういった客層が増えるのも納得できる。部活帰りの高校生らしい、ジャージの一団もいるだろうか。
 仕事の虫も悪くないが、たまにはこういうのもいいもんだなと奏白は少し感傷的に街並みを見ていた。普段ならゆっくりと眺めることも無い、護るべき景色。けれどもいざこうして、その中の一員としてゆったりと日々を過ごしてみたところ、平和な日常の尊さを再確認する。

「そう言えば知君、ほんとに行くのか?」
「行きますよ。約束しましたからね」

 二週間前の日曜日、つまりは13日前の事になる。アリスの検挙からはもうそんなに日が経ってしまったのかと奏白は時間の流れの速さを実感する。七月の上旬だと思っていたら、いつしか半ばになってしまった。照りつける日差しは、西に沈み、東から昇るごとに強くなっていた。
 三日前に捕らえた浦島太郎にしてもそうだが、アリスの検挙後、すぐに彼女は眠ってしまった。目を覚ましたのは、その時疲れ切って倒れた知君が完全に回復して、退院したよりも後だった。救い出した守護神を保養する施設に、翌日の内に搬送されたアリスであったが、その間ずっと、柔らかなベッドの上で眠っていたらしい。
 初めて目を覚ましたのは、五日前の月曜日。奏白と浦島太郎とがぶつかった二日前の出来事である。報せを受けた知君はと言うと、部活に入っていないこともあり、放課後話を聞き出そうと例の施設に向かったようである。
 知君からの話を聞く限り、アリスも相当に病んでいるとのことらしかった。自分が当時どのような事をしでかしたのか、鮮明に記憶しているようである。あの赤い瘴気に呑まれた際、彼女は心から楽しんで奏白と真凜とをいたぶっていたらしい。これが一般市民相手だったら、大量殺戮を為していただろう。赤ずきんが良い例だ。可愛らしい姿で、心底楽しそうに、人々を噛み千切り、撃ち殺した。
 最終的に人的被害を出さなかったアリスでさえ、それほど当時の自分を嫌悪し、怯え恐れているのだ。ごめんなさいと大粒の涙をこぼす彼女には、誰も文句を言えなかったとのことだ。そもそも被害らしい被害を受けたのが奏白ぐらいしかいない訳ではあるが。
 もしこれが、赤ずきんだったならば、人々は許すことができるのだろうか。当然、家族を失った民衆は沢山いることだろう。そんな大衆は、正気に戻った赤ずきんが、何てことをしてしまったのかと泣いて詫びたとして、水に流すことはできるのだろうか。
 難しいだろうな、そう思う。これが人間であるならば裁判はできなくもない。守護神には時間の概念も無く、不死の存在であるし、人間の力や兵器では危害を加えられない。そもそもが不干渉であるべき存在だからだ。死という概念も無いため、死刑すらままならない。
 唯一赤ずきんのような守護神を救える道があるとすれば、彼女らを狂わせた毒のような物質が、誰か別人の悪意によって引き起こされたものである場合だ。だとしたら、彼女らもその黒幕にいいように操られた被害者の一員となるだろう。実際に、彼女らが実行犯として人々を虐殺した事実こそ消えはしない。けれども、その方がまだ無関係な人々からは受け入れられやすいものだと思えた。

「ちょっとでも、支えになってあげたらなって思うんです」

 底抜けに優しい彼の想いに、奏白はいつもと変わらぬ安堵を覚える。こうやって、いつでも誰かを思いやることのできる彼だって、奏白から見たら立派に思えてならない。
こいつの期待に応えるだなんて、ほんとに俺ができんのか? 自問する。けれども、揺るぎない答えなど出てこなかった。無理だなんて言えるはずもなく、かと言って無責任に応えて見せるさとも言えない。だから彼は、日頃自分があまり好かない言葉を以てして、何とか返事を捻りだす。いつかは、そんな日が来るさ、と。

「そうそう、奏白さんにも会いたがっていましたよ」
「アリスがか?」

 想定もしていなかった事を伝えられ、胸の内の思考に囚われかけていた彼の意識が再び浮き上がる。奏白の聞く耳が自分に向けられたと分かって、知君は話を続けた。

「ええ。一度会って謝りたいと言っていました」
「ったく、気にしなくていいのにな」

 可愛い女の子に心配させるだなんて、俺もまだまだ男がなってないなと、茶化すような口調で首を横に振る。大げさな演技にしか見えないそのリアクションに半分呆れながら知君は苦笑した。その様子を見て、笑いさえ取れれば俺の勝ちだと、根拠もろくにつけられない勝鬨を奏白はあげた。

「もう……あと三年で三十路になるというのに変な事言わないでくださいよ」
「うるせ、歳の話してんじゃねえぞ、自分がピチピチの男子高校生だからって」

 丁度一回り年下の彼に窘められて、奏白は不貞腐れるように眉をひそめた。

「いつかは僕だって歳を取るんです。いいじゃないですか、今ぐらい若くたって」

 『いつか』。忘れようとしていたその三文字が、反芻されるようにまた、ストンと奏白の中に落ちてきた。いつか、こうなりたい。そう誤魔化したいつかとは、一体いつを指すのだろうか。
 このバンドお勧めだよ、と言われて応えるいつか聞くね。一緒にご飯行こうよ、と誘われて返すいつか行こうね。そのいつかと、俺が口にしたいつかは何が変わらない? 興味が無いと、行きたくないと、答えられない人々が何とか苦し紛れに否定の空間に問いかけを葬るための手段。それが、いつかだとかその内だとか、そんな曖昧な言葉。明確な期限なんてどこにも無くて、拒絶して悲しまれることを恐れるが故に選ぶ言葉。
 こんな調子で俺は、目の前の少年に目指す理想の姿なんて見せられるのかよ。また、自問する。答えなんて、まだまだ出せないと言うのに。



 そんな燻る問いかけを頭の片隅に残したまま、二人はアリスを管理している施設へと辿り着いた。管理とは言ってもそんなに無機質な訳でもなく、むしろ好待遇であると言えた。やはり、アリスがまだ誰も殺めていないと言うのが大きかったのだろう。その上、いつも眠りこけているし、時折悪夢にうなされている。そのような姿を見れば、誰しもが可哀想に思うはずだ。おそらくは、彼女が可憐な女児の姿をしているため、男女問わず大人たちが構ってしまったというのも大きいのだが。
 知君は以前に顔を覚えられており、奏白も捜査官である証明書と警察手帳とを両方見せたら通して貰えた。むしろ、これがあの有名な捜査官かと門番から驚かれたくらいである。テレビで見るよりもかっこよく見えるなと、大柄な警備に笑われた奏白は、少し照れくさくてむず痒かった。
 もう今日は快調みたいですよと、かかりつけの若い女医が奏白達に教えてくれた。一応、何が起こるか分からないため、強化ガラス一枚を挟んでの対面となる。けれども、ガラス越しに見た金色の髪の可憐な少女は、碧眼をきらきら輝かせて明るい笑顔を作っていた。

「知君さん! 来てくれたんですね!」

 何だか記憶にある彼女の言葉遣いと雰囲気が違うなと、奏白は首を傾げた。確かに子供っぽい抑揚は変わっていないのだが、こんなに丁寧な言葉遣いだっただろうか。もっと、あざとく我儘な、幼い女の子らしいものではなかったかと記憶をなぞる。
 だが、次の瞬間にはその記憶が間違っていなかったことを奏白は悟った。

「今日はあの時のかっこいいお兄さんも来てくれたの? ありがとう!」

 そうだこっちの口調だと、自分の勘違いでは無かったことに納得しつつも、どうして言葉遣いが変わっているのかと訝しむ。よくよく観察してみると、知君にはやけに丁寧な言葉で、それ以外の人間、この場における奏白と、ついさっき去っていった女医さんには記憶の通りの口調のようだ。

「あの時はごめんね、お兄さん」
「気にすんなよ、怪我は治ったしな」
「知君さんが私のハートのジャックで治癒させてましたからね! 流石知君さんです」

 少年の顔をうっとりと眺めるその目の焦点が、わずかに揺らいでいるのを奏白は見逃さなかった。守護神にも誰かに固執する心があるものなのかと奏白は初めて知る事実に驚いた。ネロルキウスと言い、守護神とはまだまだ分からないことだらけである。
 とりあえずアリスは、自分を救い出してくれた知君に随分とほれ込んでいるようであった。おそらくはネロルキウスとアクセスしている時の圧倒的な力に憧れているのも大きいのだろう。それに対して自分はと言うと、兄弟二人がかりで挑んだにも関わらずあえなく敗北。それは舐められても仕方ないなと溜め息を一つ。

「今日はアリスさんからお話を聞けると嬉しいのですが」
「はい、何でも聞いてください! あ、そっちのお兄さんもかっこいいから知りたい事あったら聞いてね、私が答えてあげるから」

 そりゃどうもと礼を述べるが、奏白は内心呆れかえっていた。知君も少し冷や汗を浮かべ気味だったが、本題に入る。

「暴走していた時のことは覚えているんですよね?」
「はい……鮮明に。お兄さんとお姉さんには、悪いことしたなって……」

 話題が自分のことに切り替わった途端、アリスは殊勝な態度に変わった。さっきまで屈託無く笑っていたというに、その顔には陰りが見える。彼女の中でまだその一件は消化しきれていないのかと思うと、先刻までの姿は強がって笑って見せた偽りの仮面なのかと、奏白も納得した。

「もう全部治ったみたいなもんだし、気にすんなよ」
「ありがとう、お兄さん」
「それでは次に聞きたいのですが、あの瘴気には、一体どこで感染しましたか?」
「フェアリーガーデンに浮かぶ月は、いつもは青いんですけど、ある日急に赤くなったんです。それを見ていたら、段々頭の中に怒りとか、殺意とか、そんな想いばかりが溢れてきて……」
「急に月が赤くなった原因に関しましては?」
「分かりません。こんな事、初めて起きましたので」

 誰か犯人のようなものがいるのだろうかと思うも、この情報では分からない。むしろ、自然災害のような突発的な変異ではないかと思えてきた。

「そう言えば知君、ネロルキウスの力で知ることはできないのか?」

 ネロルキウスは略奪の能力を持つ。それゆえ、全世界から知識を奪うことで、世の中の出来事全て、極秘裏に隠蔽された情報まで知ることができる。ただ、それ自体はネロルキウスが勝手に行ってしまっている。地上の全てを理解したいと言う彼の強欲のせいで、守護神アクセス中の知君の脳は情報の洪水で埋め尽くされる。
 あまりに多すぎる知識のオーバーフロー、それこそが知君が、ネロルキウスの能力を振るうたびに脳を焼き焦がし、疲れ切って昏睡してしまう理由である。
 その中から必要な情報だけに焦点を当てて取り出すことは酷く困難ではあるらしいが、知君がこうして、わざわざ他人に話しを窺うくらいなら自分で情報を精査した方がよいように思える。

「いえ、それはできませんでした……」
「どうしてだ? ネロルキウスにできないことなんて」
「あるんです」

 守護神には単純な位階だけでなく、ごく一部に相性が存在しているのだと彼は言う。もし黒幕めいた人物が、ネロルキウスに対して優位に立てる存在であるならば、その正体を知ろうとしても知ることはできない。この世界で最も偉いのは、守護神でも、それを束ねる特別な十一人でもなく、厳密に決定された世界の摂理なのだと知君は言った。

「ごめんなさい……知君さん達が知りたい事、何も教えることができなくて」
「気にしないでください、アリスさん。まず貴女はゆっくり休んでください」

 今一知君達は成果を得られなかっただろうことを悟ってか、また少女は悲しそうに目を伏せた。確かに、何か新しく知ることができれば操作が良い方に進んだのかもしれないが、無くても咎めることなどできない。何しろ今日は仕事目的でなく、知君がアリスとの個人的な約束を果たしに来ただけなのだから。

「そう言えばさ」
「どうしたの、かっこいいお兄さん」
「あの時俺が使われたのって、どんな薬なんだ?」
「あ、あれはクラブのジャックさんとっておきの、すぐに効くけど寝覚めはすっきりなすいみんどーにゅーざい? だよ?」

 睡眠導入剤が耳慣れない言葉なのか、アリスはきょとんとした顔つきのまま答えた。寝覚めはすっきり、という事は知君達の言うように後遺症などは怒らないのだろう。
 やはり、俺の心的内因が原因なのかと納得したところ、途端に警報が鳴り響いた。署内で勤務している時に何度も聞いた、覚えあるアラート。これは確か、新しいフェアリーテイルが現れた時のものだと、すぐさま感づいた。ここも警察管理下の組織であり、警官が出入りするために同じものを採用しているのだろう。
 初めに、この部屋に奏白と知君を招き入れた白衣の女医が現れた。慌てて走って来たのか、息は上がっているし、額には汗が浮かんでいる。

「フェアリーテイル、case31が現れました。今、何人かの対策課員が交戦しているようです」

 モニター室があるから一応そっちまで来て欲しいと彼女は言う。知君と奏白は、駆け足で施設内を進むその女性の後を追いながら、続く彼女の言葉に耳を傾けた。

「まだ確証は持てませんが、かかし、きこり、ライオン。その三体を従えていることから、対象はドロシーだと推測されました」

 それは俺も知っているなと奏白は大昔に呼んだ書物の記憶を掘り返す。世界的に愛される、児童書文学の最高峰、『オズの魔法使い』、その主人公。

Re: 守護神アクセス ( No.35 )
日時: 2018/04/11 16:56
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

「まだ確証は持てませんが、かかし、きこり、ライオン。その三体を従えていることから、対象はドロシーだと推測されました」
 それは俺も知っているなと奏白は大昔に呼んだ書物の記憶を掘り返す。世界的に愛される、児童書文学の最高峰、『オズの魔法使い』、その主人公だ。急に家が竜巻に巻き込まれたところから始まる、ドロシーという女の子がエムおばさんのもとへ帰るために繰り広げる冒険譚。
 三人の仲間と共に敵を討つのは桃太郎とよく似ているなと思ったことがあるが、桃太郎以上に細部まで作られ、三人の仲間にも焦点が当てられている。総じて、児童向けと言うには少し難しく思えるかもしれないが、その中身は紛れもなく小さな子供に夢を与えられる代物だ。
 フェアリーテイルは、作品内における自身の持つ力だけでなく、他のキャラクターの能力も使える傾向にある。その上、多くのお伽噺では主人公自身はか弱い一人の人間であることが多い。その傾向が理由になるとしても、自分以外に使役する別キャラクターに戦闘を委ねるタイプが多すぎやしないかと奏白は呆れる。その分本体は弱いのだが。
 今目の前にいるアリスもそうだが、先日交戦した桃太郎も犬や雉達と共に手合わせすることとなった。ドロシーにだって仲間はいるし、三日前の浦島太郎も乙姫の配下と思われる魚人の兵隊を引き連れていた。赤ずきんは本来天敵と言って間違いない狼をも能力の一部として使っている。
 この施設自体も最低限の設備を整えてあるようで、地下の部屋には普段の署と同じような、モニターが壁面を埋め尽くすような場所があった。街の様々な設置式カメラから映像を受信し、映し出すこともできれば、フェアリーテイル達の波長を感じ取って座標を特定する装置も置いてある。とはいえ、署よりは少し小さめのようではあるが。
 中には予想外の人物が一人。白髪に頭皮を覆われているが、その顔立ちはもっと若々しく、時が止まってしまったようなアンバランスなものだった。元から細い糸目をニッと細めた様子に、笑っているのかと奏白は理解した。それにしても、どうしてこんな所に警視総監が。

「琴割さん、何でこんな所に……」
「お前が来るって聞いとったからや。音也もお疲れさん」

 琴割だけでなく、知君も多忙な生活を送っているため、二人が会うのは久々のことであった。以前であればもう少し話す機会があったが、今こうして言葉を交わすのは実に三週間ほどのブランクがある。
 調子が悪くないか確認できさえすればそれでよかったとの旨を琴割は告げた。ネロルキウスとアクセスを行ったのは、この二週間で二度。他の捜査官であれば少ない頻度に思えるが、こと知君に関していうとそれはあり得ないほどに多すぎた。

「お前が壊れたら元も子もあらへんからな。メンテナンスは必要やろ?」
「そんな物みたいに言わなくても」

 その言い草に、仲間を侮辱された気がして奏白は眉を吊り上げた。敬語こそ崩れてはいないが、語調が荒くなる。これは悪いと一言詫びるが、その態度は全く悪びれていなかった。
 真凜と言い、他の対策課員と言い、どうしてこうも知君への風当たりが強いのか。溜め息を一つ溢して、奏白は今まさにドロシーと戦っている姿を映し出したモニターの方へと目を向けた。畑にいそうなかかしが、全身がブリキに挿げ替えられた木こりが、爪と牙を剥き出しに吠えるライオンが、狂気の紅に瞳を染めて、暴れる姿が鮮明に映っている。
 交戦しているのは対策課の第4班の面々だ。警察に入った当初、先輩として慕っていた王子 太陽の姿がある。いつの頃からか疎遠になってしまったが、今でも太陽は奏白にとって、尊敬する先輩のままだ。第4班の班長は、その太陽の父である洋介。黒髪の中に白髪がところどころ混じっており、何となく灰色に見えてしまう頭髪。それでも、鍛え上げられた肉体は太陽以上に屈強そうで、顔立ちもどことなくよく似ていた。
 名前こそ聞いていないが、かつて写真で見せてもらったことのある太陽の弟はあまり似ていなかったことを思い出す。『こうよう』は母親似だからな、と言っていただろうか。

「俺も現場に向かいます」
「あかん。今日は下がっとれ。非番じゃろうが」
「ですが」
「でもでもだってなんざ聞く気無いからな。お前のイップスに関しては報告受けとるわ。言うちゃあなんじゃが、現状第7班は三人しかおらんとはいえ、その三人は対策課屈指の実力者三人なんじゃ」

 一番戦績が安定する奏白を、しょうもないイップスの影響で失う訳には行かない。それが琴割の理屈だった。もうしばらく様子を見ながら、完全に後遺症を乗り越えない限り、危険な戦場に出すつもりは無いと言う。実際のところ、浦島太郎戦でも最後の最後でふらついてしまっていた。それも偽りなく報告せねばならなかったため、その事実は知られているのだろう。
 理屈は納得できる。ここで自分が失われれば、今後の損失が計り知れないと思われているだろうことも。だが、彼がここで手をこまねいてじっと見ているだけで留まるのをよしと思えるかはまた別の問題である。
 大丈夫だ、先輩たちなら何とかなる。総勢五名と、奏白達第7班よりもずっと構成人数は多い。敵も一人ではあるし、信頼して任せるしかない。下手に自分があそこに赴いて、本当に助力できるかなど今の彼には分からない。着いた途端に足元がおぼつかなくなるかもしれない。そうなっては、足を引っ張るだけだろう。

「天才、なんじゃろ。若いうちにいっぺん負けといたのは正解やと思うで」

 世の中全部が全部思い通りになる訳ちゃうしなと、あっけらかんと琴割は言う。きっとこの人が言うのならばそれは確かなのだろうとは理解できた。誰より長く生きてきた、この人の言う言葉なら。
 ずっと自分の心は強いと思ってきた彼だったが、その認識自体は何も間違いなかった。あまりに強く固められてしまったため、想定外の衝撃にあっさりと砕けてしまっただけだ。
 そしてそれは、敗北という、誰もが経験する至ってシンプルな衝撃。敗北の苦渋なんぞ、生きてたら感じて当たり前だと理性は理解している。けれども心はと言うと、期待され、応え続けてきた彼は幾ばくか音を上げそうになっていた。
 乗り越えてくれよ。握りしめたその拳、爪をおもいきり掌に突き立てて、唇を噛み締めてその光景を見守った。




「帰してよ」

 赤ずきんやアリスを彷彿させるような幼い女の子が、凄むようにぎょろりと目を見開いた。狂ったように焦点の定まらぬその眼光、それはまるで汚れた血に染まったように赤黒く瞬いていた。黄色みがかった茶髪が、顔の両脇で三つ編みになっている。そばかすを浮かべた頬に、どことなく田舎の娘のような印象を覚える。

「私はお家に帰りたいの。エムおばさんのほほ笑むあのあったかいところに。知らないお姉ちゃん達が言ってたわ、琴割 月光っていう悪い人を倒せば家に帰してあげるって」

 だから私は貴方達に足止めされる訳にいかないの。そうやって言い訳して、彼女は己の仲間であるライオンに指示を出した。あいつらをまとめて引き裂いてしまえ、と。目が真っ赤に染まってしまうまでは、野良猫みたいに、半分怯えるようにこちらを警戒していた獅子であったが、フェアリーテイルらしく破壊衝動に飲み込まれた途端に、獰猛な肉食の獣へと変容した。グルグルと、喉から呻くような泣き声、感触を確かめるべく地面を切り裂いた鋭利な爪。
 それが俺たちに向けられるのかよと、太陽は背筋に冷たいものが走り抜けたのを感じ取った。全く、守護神達はどいつもこいつも化け物ぞろいだなと嘆きたくなる。強靭な百獣の王、その体を支えるしなやかな肢体が音もなく踊った。狩人らしい、静かな疾駆。フェイントをかけるように、真っすぐでなく戦場を踊るように、焦らしながらも俊敏に距離を詰める。
 元から退く気などさらさら無い。太陽はその守護神、アイザックの能力を解放した。自分たちとドロシー達とを隔てるように、真っ黒な帯が地面の上を走る。距離を詰めようと跳びかかるライオンではあったが、その領域に足を踏み入れたところ、急激に降り注ぐ重力に歩みを阻まれた。
 急に体が重くなり、対応しきれなかったライオンは強く体を地面に打ち付けた。筋肉の塊が勢いよく地面を打ち、細い亀裂が入る。だが、ライオン自身はというと、少し痛そうに顔を歪めたような仕草の後、怒りに我を忘れ、その瞳孔をカッと見開いた。龍をも思い起こすような、獰猛な遠吠えを一つ。
 生態系の頂点に立つ動物、それをモチーフにしているだけある。押し寄せるその緊迫感は怒る以前の比では無かった。咆哮が震わせた空気に、骨肉までカタカタと震わされるような戦慄を覚える。全身の肌がそばだってざらつく。気づけば気おされて、その足を一歩後ろに引いていた。立ち向かわなければならないと言うに。
 荷重はおよそ十倍の重力。通常時の十倍の体重になっている状態にも関わらず、ゆっくりとその獅子は右足を上げた。苦しそうに、一歩、また一歩とのそのそアイザックの能力行使範囲を闊歩する。

「進ませる訳にはいかんなあ。頼むぞウンディーネ」

 父、王子 洋介が守護神の能力を行使する。幻界、そう呼ばれる異世界に住む守護神。古来より伝わる神話上の生物などが住まう世界。水を操る妖精こそが、洋介の契約する守護神だった。空気中の水蒸気を集約させて、大量の水を生み出した。常温範囲内で水分子を自由自在に操る能力、長年の検証により、どの程度能力の応用が利くのか調べた洋介いわく、そういう事らしかった。常温の定義は今の気温プラスマイナス摂氏十度。冬場は氷をも操れるとのことだ。
 空中に現れた大量の水が、濁流となってライオンに真正面から襲い掛かる。その巨躯すらも呑み込み、押し流しそうなまでの莫大な水。しかし、その水流がドロシーの友人たる獅子を押し流すことは無かった。
 助太刀するよう、咄嗟にブリキの木こりがアイザックの能力圏内に入る。だが、全身金属で出来ているその木こりは、臆することも無ければ、その重みに怯むことも無かった。思い切り、大きな伐採用の斧を振り上げて。無骨な得物を真っすぐに振り下ろした。
 重力を強めている影響で、振り下ろす力がより一層強くなっている。圧がかかり、密度の上がった空気を巻き込む鈍い音を立て、真っすぐに地面へと駆け抜けた大きな音が、地面に叩きつけられた。その拍子に、暴れ狂う氾濫をも真っ二つに引き裂いた。斧が大地を砕き、舞い上がった破片や塵を巻き込むも、両断された水流は獅子たちを飲み込むことなく地面の上に広がった。

「いや、反則だろこんなの」

 同じ班の一員である先輩の捜査官が、その圧倒的な力を目にして嘆く。最近はあまり強くないフェアリーテイル、例示するならばカチカチ山の狸のような連中を相手どっていた。ひょんな所に現れた、世界的に有名なオズの魔法使いの主人公、彼女が弱いはずもなく、まるで桃太郎と戦っている時のような緊迫感があった。
 歩瀬、奏白にとっての太陽、あるいはそれ以上に太陽自信が尊敬していた捜査官は桃太郎に殺された。強力な守護神を目にすると、その日の事が思い出される。あまりに強力な桃太郎から、若輩を逃がそうと殿として孤軍奮闘する歩瀬は、ギリギリまで桃太郎を追い詰めながらも、紙一重の差で押し負けて、敗れてしまった。
 だからこそ、あまりにも強い相手と向き合うと、その苦い記憶が蘇ってしまう。もう、同じ失態を犯してなるものかと、身が奮い立つ。怖くても関係ない、もっと強い武者震いが体の芯から湧き上がってくる。
 それに、逃げる訳にはいかなかった。直属の後輩だった奏白だけではない、彼の妹である真凜も、過日の一件以降明らかに力をつけていた。若手が台頭してくる中で、自分が埋もれる訳にもいかない。
 そして何より、最近目立つその二人こそが言っていたではないか。自分たちは、困っている人々のために戦っているからこそ強いのだ、と。警官になったのは漠然と父と同じ仕事を目指したからではない。自分自身の正義こそが、人を救う道に進みたいと叫んだからだ。
 この志は、奏白達と比べたら、弱っちいかもしれない。けれども、程度は違っても、同じ理想を掲げてはいるのだと、胸を張って言いたかった。俺はあの、奏白 音也の先輩なんだと、堂々としていられるように。
 力だって足りないかもしれない。横に並んで立つのではなく、後ろで守られている側なのかもしれない。けれども、自分だって同じように、人々のために戦う捜査官である。力なんて足りなくとも、ここに立つ以上誰もが、誰かのヒーローであって然るべきなのだから。弟の、光葉の顔を思い出す。あいつの中で俺は、今もまだヒーローでいられるのだろうか、と。
 だがそれでも、現実は無情に迫る。届かない、と。
 気づけば、自分が張り巡らせた、超重力の防壁ラインは突破されていた。能力を使って抵抗する同僚たちだが、あまりにじり貧すぎる。臆病なはずの獅子が吠える。一陣の風のようにその体躯が戦場を駆け抜ける。迫る爪牙、追うように振り下ろされる木こりの斧。避ける、躱す、身をひるがえし、跳び退く。だがそれでも迫る猛攻、咄嗟にライオンの体重を増幅させ、再び地面に叩きつけた。

「今だ!」

 畳みかけろと指示したが、答えられる者はいなかった。皆、まだ倒れてはいない。大体かすり傷で済んでいるが、それでも残るブリキの木こりを抑え込もうと必死なようだ。敵はまだ二体、こちらは五人の総力戦。それでなお押されているというのが悔しい。
 そう言えば、かかしはどこだ。そう怪訝に思っていると、足で柔らかいものを思い切り踏みつけた。アスファルトの固い地盤で戦っていたというのに、急な感触の変化にバランスを崩す。
 何事かと思い見れば、それはかかしの足だった。かかしは、木や藁を編んで出来たようなものではなく、ぬいぐるみみたいに布でできていて、中に土が詰まっているようであった。
 当然中に骨などは無い。そのため、その腕を鞭のようにしならせて、人体ではありえない軌道を描いて振り抜いた。がら空きの太陽のどてっ腹に叩きこまれる。声にならない悲鳴を漏らして、その体は無様に大地を転がった。
 衝撃に、体は酸素を求める。それなのに咳が出るばかりで息が吸えない。ようやっと落ち着いて呼吸できたかと思うと、オズ達はそんな太陽たちを嘲笑っていた。

「情けないね」
「ほんと情けない」
「こんなのが正義の味方なの」
「おっかしー」
「クビだよ、クビクビ」

 朦朧とする意識では、誰がどう喋っているのかなど理解できなかった。しかし、人語を解するかかしが、獅子が、木こりが、ドロシーと共に蔑んだ目で見ていることは分かった。
 またしてもかかしが、ライオンが、ブリキの男が、矢継ぎ早に捜査官たちに侮蔑の言葉を投げつけた。

「考えなしに数で押せば勝てると思っちゃって、ほんとに脳みそついてるのー?」
「冷静さも欠いて真正面から当たるだなんて、逃げる勇気もないただの無謀なんじゃないの?」
「あまりに混乱して怖いとも思えないんじゃなーい? 人間だってのに何も感じないなんて可哀想」

 その言葉が、突き刺さる。全身を打ち付けた痛みが、未だ体の中に走る衝撃が、口の中に広がる血の味が、己の無力さを実感させる。眼前に突き付けてくる。登ることも敵わないような、あまりにも高い断崖絶壁。
 戦意など、どう奮い起こせばいいのだろうか。もう、生きると言う本能に従うしか、太陽が戦闘を続行する理由など思いつけなかった。集中力も注意力も切れて、ただただ虚しく抵抗する以外に何もできなくなる。

「そんなに弱っちいなら、早く道を開けてよ」
「今なら見過ごしてあげる」
「僕らの狙いは琴割 月光」
「早く私を、カンザスまで帰らせて」

 そんな言葉も、もう聞こえないくらいに。

Re: 守護神アクセス ( No.36 )
日時: 2018/04/12 00:41
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

「こんなになってても、まだ俺に出るなってのかよ!」
「当たり前や。先に知君は送り出したしそれでええやろ」
「間に合うかよ!」

 彼らの応援に駆け付けるため、知君は数分前にここを出た。現地に着くまでは車でも後数十分かかるだろう。それだけの間、彼らが持ち堪えられるとは到底思えなかった。

「俺ならすぐだ! 早く行かせてくれ!」

 知君が出ていく前から、出動しようとする奏白と、それを拒む琴割との間で言い争いが繰り広げられていた。あくまでも、琴割としてはここで奏白を失う訳にはいかない。敵があまりにも強大である以上、最悪替えのきく第4班の幾人かを見殺しにして、奏白を温存するべきだと踏んだのだ。
 しかし当然、奏白がそれに納得できる由も無い。これだけ、大画面のモニターで、音声もそのまま伝えられて、じっとなどしていられなかった。同じ警察、捜査官、対策課の面々が、ただ生傷を増やしているだけの様子に、自分の心まで抉られた気分になる。
 はやる心を押さえつけながら、またモニターの方へ視線を戻す。かかしに殴り飛ばされる太陽の姿が見えた。吹き飛び、苦しそうにむせる。ずっと敬意を以て接している先輩が、ただ痛めつけられているのを見て、またすぐにでも飛び出してしまいそうになる。
 だがその意志は、琴割によって強制的に拒絶され続けていた。彼の守護神ジャンヌダルクの能力は、自分にとって気に入らない全ての事物を否定できる。死も、老いすらも拒絶する。その能力を利用して、奏白がすぐにでも飛び出そうとする意志を拒絶し、その場に縫い付ける。しかし彼本人の性格に依るところから、またすぐにでも駆け出していきそうになる。
 ほんまに、生粋の正義漢やなあと、琴割は彼のことが羨ましくなった。困っている人を見つけたら頭より先に体が動くタイプ。青臭くて見てられへん。そう思う。けれども、そんな正義の心が欲しくて欲しくてたまらない。自分が大昔に失ってしまった大切なものを、この男は未だに持っている。

「俺はまだ、あっこにいる先輩たちに、いろんなこと教わった恩義を返せてねえんだよ! 行かせてくれよ……こんなところで、死なせてたまるか!」

 それに、ドロシーだって可哀想だ。あの子自身は悪人でもない者を殺すだなんてきっとしたくないだろうに。アリスの憔悴し、今にも泣きだしてしまいそうな表情を思い出す。被害者となる人間もそうだが、加害者となってしまった守護神だって悲しんでる。一生消えない深い心の傷を、背負わなきゃいけない大きな十字架を、彼女らに負わせたくなどない。

「知らんわ。信じて待っとりゃええじゃろうが」
「信じるとかそんなレベルの話かよ! 俺たち何人失ってんだよ……。これ以上奪われていいものがあってたまるもんかよ」

 信じたい、彼らならば大丈夫だと。しかし、奏白は子供ではない。現実を知っている。あそこにいる者たちでは、おそらくドロシーには敵わない。一人一人の実力があまり変わらない前提であれば、多人数同士の争いは数が多い方が有利だろう。しかし、個々の実力に差があればあるほど、誰かを思いやる気持ちが強ければ強いほど、その優しさが足枷になる。かばい合う、なんて言葉を使いながらお互いに足を引っ張り合う。このままだと、いつかあっさり全滅してしまうことだろう。
 画面の向こうでケタケタとかかし達が笑っている。嗤っているというべきだろうか。その顔は、例の赤い瘴気に取り込まれて、歪んでいた。お前たちは馬鹿なのかと、臆病者なのかと、何も感じてないロボットなのかと、彼らは揃ってあの場に居る第4班の捜査官たちを罵倒した。
 ふざけるな。近くの扉をおもいきり殴りつけた。開けたいのに、開けられない。振り返ってその扉に向き合いたいのに、足はピクリとも動かなかった。これが琴割 月光の、ELEVENの力。
 行かなきゃダメだ。我慢はもう、限界をとっくに超えていた。決定打は当然、彼らを罵倒したかかしの、ライオンの、木こりの言葉だった。
 全身が熱かった。馬鹿にされたのは自分ではないのに、涙さえ流れてしまいそうだった。だが、辛いのは俺では無いと必死にその涙だけは堪える。震えた拳、握りしめたその指先が、掌を貫いてしまいそうだった。それでもなお溢れそうになる力に、肘から先がわなわなと震える。
 普段はへらへら笑って、端正に見せられるよう表情すら管理しようとしている彼も、そんな事忘れてしまっていた。奥歯を強く噛み締め、歯茎が剥き出そうなほどにその激情を磨り潰そうとギリギリ呻らせる。しかし、それでも全くこの焼けた鉄のような強い想いは、落ち着きそうにも無かった。

「もっかい言うぞ、今はあかん、奏白。『いつか』そのイップスが治ったら、その怒り発散してこい」
「…………………………いつか、か」

 諭すような琴割の言葉、それを受けた奏白との間に、とても長い沈黙が訪れた。静まり返ったその時間に、琴割の主張と、己の激情とをもう一度奏白は見直した。組織のトップとして、彼が下した結論は十分に理解できた。
 それだけ期待されているということが誇らしくて仕方ない。イップスが治るまで待っていてくれると言うのもきっと、優しさに近いところからきているのだろう。
 それなのに奏白には、知君と二人で食事をとった時から燻っていた、『いつか』の三文字が突き刺さった。
 いつか、って。
 言ってしまえばもう、来ないような気がしてならないから、怖いんだよな。

「なあ、教えてくれよ」

 そのいつか、ってのはいつ来てくれるんだよ。奏白はそう尋ねた。小さく、静かな声だったけれども、大声で出させろと主張するだけのさっきまでの声よりも、ずっと力強い。

「西暦何年の、何月何日何曜日の、何時何分何十何秒だ?」

 その声に、どうしてだか警視総監のその男は気おされた。百有余年生きてきたというのに、二十七歳の若造に、どうして反論できないのか、琴割には不思議でならなかった。それは彼の中にもまだ、青臭い正義感が根付いていた故、同じ青さの奏白を止めたくないと願ってしまったということを、彼すらまだ知らない。

「答えらんねえだろ。多分知君にも分かんねえよ。だってな、その『いつか』ってのは来ねえんだよ、絶対にな」

 いいや、違う。すぐさま首を横に振って、言ったばかりの言葉を自ら奏白は否定した。その『いつか』の答えを、俺はもう知っているぞと彼は言う。琴割には分からなかった。長い事人の世を見てきたが、この議題だけはどうしても、まだまだ若くて乳飲み子と変わりないように見える奏白の方が、よほどよく理解しているような気がした。
 反論もせず、茶々も入れず、その言葉を止めようともせず。彼の答えを聞き届けようと耳を貸す。

「その『いつか』っていうのは今なんだよ。今この瞬間を試されてんだよ。今できないことが、近い未来になんてできる訳ないんだ」

 今ここで、例えば王子 太陽を亡くしてしまったらどうする? 行けなかった無力を恥じるか? いつか必ず敵を討つか? それで俺は本当に満足できるのか?

「そうだよ! 俺は『今この瞬間に』行けるか行けないか試されてんだよ! 今日この瞬間行けないから、明日出向きゃそれでいいって、満足できる訳がねえんだよ! 今日の代わりなんてどこにもねえんだよ、だから行くんだ、だから立ち向かうんだ!」
「せやけどなお前、イップスどないするつもりなんや」

 戦闘の最中、突如眠気が押し寄せるあの症状。確かに、もう数回あれには苦しめられてきた。だがしかしそのイップスは、体が原因なのではない。弱い心が、あの時の自分を恥じるように、何度も何度も苦い経験をリフレインしているだけだ。乗り越えようと思えれば、きっと越えられる。しかし、そう思わなければ絶対に越えられない。
 いつかだなんて言い訳してたら、一生引きずったままなんだよ。
 知君の言葉が蘇った。
 いつまでも、格好いい奏白さんで居て下さいね。
 そうだ、だから俺はその期待に応えるんだ。誰より優しくて誰より強い、ちっちゃい体に責任って重たいもん乗っけて、俺よりずっと笑っているあの男の期待と羨望に応えるために。
 だからこそ奏白は、吠えた。静かに説き伏せるその力強い声のまま、腹の底から魂を震わせるような雄たけびを。部屋どころか、そのフロア、建物全体に響き渡りそうな声で、奏白の覚悟を込めた叫びが響き渡った。

「イップス一つ乗り越えられず、いつかなんて言い訳してる奴はなぁ……カッケー手前ぇになんて、一生かかっても絶対になれやしないんだよ!」

 目の前の男が、拒絶の能力を持っていようが、誰より強い守護神、ELEVENの力を持っていようが、関係ない。

「俺の進むこの道は、琴割 月光! あんたにだって拒ませやしねえよ!」

 誰もが恐れるような、人類最強と言って間違いないその一角、琴割。その男に対し、こうも真っすぐに思いをぶつけて反抗する男が今まで現れただろうか。強いてあげるとするならば、付き合いの長い知君だろうが、彼と奏白では事情が異なる。上司でもあり、歯向かうことはどう転んでも自分にはよくない方面に傾くと言うだろうに。それでも、彼は立ち向かった。
 現実的に考えると、奏白が琴割の能力に逆らって出動するなど不可能である。しかし、彼の言葉は、その人類最強の男、彼の胸中に響いた。男の中にわずかに残されていた、人間臭い部分が、大きな若い火によって、再び灯りを点す。とっくに捨て去ったと思っていた正義、それがまたしても己の中で、大切なものとして鎮座していることを琴割は実感した。
 こいつはほんまに生意気やなぁと、悪態を吐きながらも彼のその覚悟を認める。今の彼ならば、イップスなど簡単に乗り越えてしまえそうに思えた。だからこそ彼は、奏白の行く道を阻んでいた、ジャンヌダルクの能力を解除した。確かに儂には、お前の歩みを妨げられへん。そんな言葉はどことなく悔しくて、声に出さずにしまっておいた。
 そして奏白は、胸ポケットから端末を取り出した。守護神アクセスに必要な媒体、phone。それがこんなに軽く感じるのは、今日が初めてのように思えた。

「じゃあ行こうぜ、音より速くぶっちぎって。誰より早く駆け付けてやる。とっとと来いよ、アマデウス!」

Re: 守護神アクセス ( No.37 )
日時: 2018/09/11 12:22
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

 もう、何分抵抗を続けただろうか。戦力差に絶望し、覇気も無く逃げ惑うようにドロシーと戦いながら、太陽はそんな事を考えた。幸いにも、こちらに死者は出ていない。ただ不幸にも、敵方には戦闘不能者どころか、負傷者すら出せていなかった。多少疲れが見えるとはいえ、傷などほとんど負っていないドロシーの三人の仲間が自分たち五人と対等以上に渡り合っていた。
 親父がいねえととっくの昔に終わってただろうな。既に三度ほどウンディーネの能力に助けられている彼は、そんな事を思った。自分が守護神アクセスを継続できる時間も、もうそろそろ限界が近づいてきている。
 何とかして相手の動きを鈍らせようと、ドロシー達の立つ領域に過重力空間を発生させる。ガス欠気味で、彼らに降りかかるその圧は、初めよりもずっと弱くなっている。今よりずっと強力な重力をかけていた、戦闘開始時でさえ自在に動いていた三人の護衛達が、その程度で屈することは無い。少々動きが鈍くなれども、それ以上に疲弊した自分の体が重い。
 これが最後だと、自分の中の気力のようなもの全てを振り絞る。狙いを定めた、狭範囲の過重力空間、そこには今まで奴らに浴びせてきたものよりも、ずっと強い重圧が、ほんの数秒だけ降りかかった。
 この隙に決めてくれと、大げさな身振りで周囲の班員たちに太陽は伝える。声を出すだけの空気が勿体なかった。その意図を汲んでか、すぐさま全員が総攻撃に移る。父の能力による、全てを飲み込む濁流に、他班員による攻撃が乗る。守護神ジュゼッペによる電撃と、アムンセンの能力により生成された氷の刃が乗る。
 これで決めきる、そのつもりで放った攻撃。かかし達は指一本動くことすらままならない様子であった。この全霊の総攻撃に踏み入るのが、あと一歩早ければ結果はどう変わっていただろうか。あと少し、彼らの眼前にまで、体を引き裂く透明な刃と、身を焦がすほどの電流を乗せた洪水の大反乱が全て呑み込もうとしたその時、太陽の守護神アクセスが切断された。活動の許容限界を超えたのが原因とみて間違いない。
 彼らを押しつぶす勢いでその身体に降り注いでいた、過剰な重力は途端に消えた。普段通りの質量へと戻り、体が自在に動くようになる。能力発動を示していた、地面を塗りつぶす黒も消えて、灰色のアスファルトに戻っていた。
 調子が元通りになった途端に、彼らはすぐさま動いた。かかしはその身体を目いっぱい振り絞り、両手を振るって水流を弾き飛ばした。木こりはと言うと巨大な斧の一振りで薙ぎ払い、吹き飛ばす。ライオンも腹の底から振り絞るような怒号一つの勢いで、迫りくる水流を消し飛ばした。まるで奏白だな、満身創痍の太陽が笑う。
 すぐさま、彼らは一斉に太陽の元へと跳びかかった。それも当然かと、スローモーションみたいに流れるその光景に、彼も納得する。体は、ピクリとも動かない。能力も使えなくなった俺をまず始末するのは容易く、今後障壁となることも無くなるからな。
 もっと強く、なりたかったなあ。そう嘆いた彼はと言うと、音より速く駆け付けた影に、すぐに気が付くことはできなかった。
 地平線の彼方まで響き渡りそうな爆音が轟く。振り下ろされた獅子の爪が、ブリキの男の斧が、かかしの鞭のような鈍い殴打が、己を襲ったのだろうと、そう思った。それなのに痛みは無い。これが死というものだろうか。
 だがしかし、それは間違いだとすぐに悟った。急に、壁に阻まれたようにしてこちらに迫っていたはずの三つの影は、後方へとはじけ飛んだ。悲鳴のようなものを短く上げて、地面に打ち付けられた後、すぐさま体勢を立て直す。

「てめえら好き放題言ってくれやがって」

 現れたその男に、太陽は目を丸くした。救援など来ないと思い込んでいたせいでもある。

「奏白?」
「王子先輩、大丈夫っすか?」

 声をかける奏白の声はひどく落ち着いていた。最近あまり調子がよくないと噂で聞いたが、本当に大丈夫なのだろうかと疑問に思う。

「後は任せて下さい、俺がやるんで」

 第4班の五人全員を制して、前に出る。まだ四人残っているとはいえ、疲弊している彼らでは庇うべき者として足手まといになってしまう。それを直接言わない辺り、奏白らしいと言えるだろう。
 天才だっていうのに、それを開けっぴろげにして人を蔑まない。たまに自慢げにしているが、それは道化じみている時だけだ。

「俺はお前らの言葉を聞いてここまですっ飛んで来たんだよ。耳かっぽじってよく聞きやがれ」

 ドロシーを指さして、奏白は鋭く糾弾するように言い放つ。その声は珍しく、怒りに揺れていた。いつだってその激情は露わにせずに、自分が馬鹿にされようと後ろ指さされようと笑みを絶やさぬその男の昂る姿に、太陽は感慨を覚えた。

「まずはてめえだよ、かかし野郎」

 向き直り、さっきまでドロシーに指していた指をそのかかしの方へと向けた。かかしはというと、動かない表情で、何を考えているかも理解させてはくれなかったが、奏白の言葉に耳を傾けているようだった。

「先輩たちは馬鹿じゃねえ。てめえと一緒で脳みそがある。物事考えることぐらいできんだよ。ただ、逃げらんねえ理由があっただけだ」

 淡々と告げ、次なる獅子へと視線を移す。奏白を遠くから威嚇して、その爪と牙とを研いでいる。確実に、仕留められるようにと。

「先輩たちは無謀でもねえ。臆病者なんかでも断じてねえ。逃げらんねえから、立ち向かうって決めたんだ。どんだけお前らが強くても、後ろにいる奴護るって決めたんだよ。そのために戦ったんだ。誰より勇気に悩んだお前が、他人の決意を馬鹿にすんじゃねえよ」

 段々と語調が荒くなる。彼らの発した、侮蔑の言葉が許せない。最後の一人、ブリキでできた体を軋ませて、木こりは再び斧を手にした。

「最後にてめえだ、ブリキ男。俺たちが何も感じてない? ふざけんな」

 自分より強大な何かに立ち向かうなんて、怖いに決まっているだろう、誰かを失えば悲しいに決まっているだろう。誇りを冒とくされて悔しいに決まっているし、悲しいに決まっている。憎らしくて怒りをまき散らしたくてたまらなくなる。
 それでも、そんな感情全部押し殺して、脅威に向き合うと決めたのだ。

「俺たちはな、護りたいって心が何より熱くここで滾ってんだよ! そのためなら何だって乗り越えられるんだよ、怖くても、苦しくてもな。自分の頭振り絞って、考え抜いて決めたんだ、勇気出して自分の逃げ出したい気持ちを乗り越えたんだよ」

 胸元を親指で示し、炎はここにあると奏白は言う。目も眩むほどに眩しい、誰かを救いたい、助けたいと願う優しい心。
 そして再び、奏白は思い返した。ガラス張りの部屋の中で、かつてしてしまった行いを悔いる、一人の少女の姿を。目の前のドロシー達を、決して同じ目に合わせてなるものかと決める。敵であろうと助けてやる。
 なぜならきっと、彼女らの本心は助けを求めているだろうから。

「さっさとこんな茶番終わらしてやるよ! 全員まとめてかかって来やがれ」

 挑発。理性を失っているフェアリーテイル達は、その挑発に容易く乗った。目の色が変わり、先ほどまで相手をしていた第4班の面々などもう、歯牙にもかけていないようである。その視線は真っすぐに奏白に向けられている。

「おい、ほんとに一人で大丈夫なのか?」

 洋介が、奏白が一人で逸ってはいやしないかと気にかける。だが、その心配は無いと、その目を見て、声を聞いて、太陽は悟っていた。昔からそうだった、どことなく、肝が据わったように落ち着いて話している時の奏白は……どれだけ高い壁だって越えてきた。
 だからきっと、今回も。
 問題ないっすと、奏白は振り返り、太陽の父洋介に告げた。もう充分ここまで時間を稼いだだけで、第4班の五人が限界に達しているのは奏白が一目見ただけでも明らかだった。事実、太陽はもうアクセスが終了してしまっている。
 おそらく他の面々も、まだ辛うじて持ち堪えているだけで同じような状況であろう。それぐらいは知君でなくても分かる。彼らの心音や呼吸音を見るに体はとっくに限界だろう。
 だから今度は俺の番だ。首だけ後ろに向けた奏白は、その場にいる者を安心させるために、屈託無く相好を崩した。ウインクを一つするその姿は、まるでどこかのアイドルのように思えた。流石、この男は絵になるなと、気が抜けたような溜め息を太陽は一つして。
 後は全部、俺に任せて下さいと奏白は引き受ける。やはりこの男には爽やかな笑みが似合う。その笑顔にどれほど多くの者が、安堵を覚えることだろうか。

「何たって俺は、『天才』、奏白 音也っすから」


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