複雑・ファジー小説
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- 守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
- 日時: 2022/05/19 21:16
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)
2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。
___
本編の完結とエピローグについて >>173
目次です。
▽メインストーリー
File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
File4:セイラ >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
File7:交差する軌跡 >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
File8:例えこの身が朽ちようと >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
File9:それは僕が生まれた理由(前編) >>59 >>60-61 >>63-64
File0:ネロルキウス >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
File10:共に歩むという事 >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172
Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177
-▽寄り道
春が訪れて >>23
白銀の鳥 >>70-71
クリスマス >>120
▽用語集
>>8 File1分
>>15 File2分
>>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも
▽ゲスト
日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)
気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)
- Re: 守護神アクセス ( No.123 )
- 日時: 2019/01/08 00:30
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
もう、幾度となく繰り返された地響き。瓦礫の打ち付ける喝采は、捜査官一同の死を今か今かと待ち構えていた。それは豪華な晩餐を前にした囚人がごとく、節操も礼儀も知らないまま、あんぐりと大口を開けて唾を呑んでいる。
御仏の慈悲だと宣いながらも、そんな優しさに準ずる感情を持たない従者は、ただ無心に御鉢を抱きかかえていた。その胸にあるはただ、主命を果たさねばならぬという機械的な意思のみ。当然、そこには一分として感情の介入している余地は無い。
磨けば磨くほど、その青銅の巨腕は猛威を奮う。石の表面につやが出る程に、その拳を振り上げる勢いは増していく。動き始めは機体が温まっていなかったと言わんかの如く、徐々にその挙動が鋭さを増していく。
ある意味では、この仏というのは人間と同じなのだろう。そんなことを太陽はふと考えた。人間も寝起きざまはすぐに動けない。恒温動物と言えども、馴らし運転は欠かせない。寝ぼけた状態から、徐々に覚醒し、ベストのコンディションまで持っていく。徐々に熱を帯びていく体は、その拍動に呼応するように、より早く、より強く駆動する。
ただ、最大限発揮される力はえらく違うようだと、立ち聳える障壁の高さに毒づく。人間が如何に努力しようが、これ程までの力は扱いきれない。これはもはや、天災と呼ぶに相応しい。荒れ狂う嵐の方がよほど近い。
地形があっという間に変わっていく。紙粘土をくりぬくように、またアスファルトが吹き飛んだ。吹き飛んで、粉々になり、地面の上を平らにしては、また抉り取られる。目まぐるしく変化する地盤に、いつしか足が取られそうになる。しかし、立ち止まったらその瞬間に終わりだ。飛んでいる蚊を叩くのと同じぐらい簡単に、その大きすぎる手は、足は、この身を打ち砕く事だろう。
「逃げる事だけはお得意のようですね!」
煽っている。その実感はおそらく無いのだろう。おそらく、心の底からそう思っているのだろう。もっと短く終わると思っていたものを、予想に反して誰一人倒れていないため、驚嘆しているのだろう。今度こそ、次こそは、そろそろ一人くらい。そんな事を想っているのだろうか。
ふざけやがって。目の端が不快感に吊り上がる。戦闘前に口にしていた。戦闘中も口にしていた。注意を払っているのは、所詮姓が奏白の二人だけだと。それ以外の人間は等しく、気を揉む必要のない烏合の衆だと言ってのけたのだ。
それを根拠に侮っておいて、いざ自分が使命を果たせないとなれば、逃げの一手だけは得意、と来たものだ。頭に来ずしてどうしたものか。
自分達とて、ここまでフェアリーテイルとの戦いを生き延びてきた、一人の人間だというのに。
かぐや姫の従者、月の住民の価値観など太陽にとって知った事ではない。名前持ち、特別な道具を持たせられた一部の精鋭、そう言った数少ない戦士にのみ、個として存在する意味があるとでも言うのか。有象無象に成り果てるしかない自分たちは、名前も無い雑兵に成り下がるしかないというのだろうか。
「んな訳ねえだろうが」
白雪姫戦において、彼の父は己が契約している守護神、ウンディーネとの契約を断たれた。彼自身その戦局においては充分な活躍などできていなかった。しかし、それでも、その人生は無彩色で無価値なものだったと言えるはずがない。
かぐや姫たちの理屈で言えば、意味がある人生というのは、奏白のような人間が歩む道程を指すのだろう。あるいは、知君が過ごしてきた日々だろうか。圧倒的強者が、その強さゆえに歩んだ痛快な勧善懲悪、あるいはそれ故に嫉まれた悲劇。
しかし、それを彩っていたのはどこの誰だ。本当に、彼らだけで世界は回っていたのだろうか。
いいや、否だ。それを否定したのは太陽では無かった。どこかのお偉いさんが言った訳でも、彼が尊敬し、敬愛している先人の言葉でも無かった。
弱いだけの人間など居ないという事を教えてくれた。
『これは、皆と一緒に戦うためのものだ』
強い人間が、常に強く在る訳ではないということも。
『僕の事を後ろで支えてくれるみんなと繋がっていられるから、勇気を分けてくれるから、自分はもう一度立ち上がれる』
失敗しても、人は立ち直れるということを。誰にだって手を伸ばせるということを。
『来てください、じゃないですね、もう。……行きましょう、ネロルキウス』
そして何よりも。
『ともに歩むということを』
それは王子 太陽という人間が、数か月に及んで妬み、疎んで、遠ざけていた少年の言葉だった。
初めて現れた瞬間から、彼はずっと知君のことを意識していた。弟と同じ制服を着る彼の姿が、まさにその弟と重なってしまったためだ。光葉は、自分が戦えない現実をあれほど苦しんでいるというのに、この芯の弱そうな細身の少年は、弱弱しい笑みを浮かべて戦場に立っていた。
弟が不憫でならなかった。そして、その弟が羨望を向ける自分よりも優れている事実さえ、疎ましかった。これじゃ、まるで光葉が報われない。三年前、彼は守護神と契約できないと事実上の不合格烙印を押された際、どれほどの絶望に呑まれたのか、家族である太陽は知っていた。級友には気丈に振る舞って、自室で泣く姿は、人魚姫と出会えた今でも胸の中に残っている。
才能という言葉が嫌いだった。それを持たない人間は、同じステージに立つことも叶わないと突き付けられているようで。ギフトを貰ったというただそれだけのことで、努力が不要になっているように見えて。自分に才能がほとんどないということは熟知していた。生まれつき自分は、彼らと同じ景色など見れはしないのだと、自分で決めつけていた。
しかし、それは才能が無いと自分を評した太陽自身が決めつけていたことだった。本当に愚かだったと言う外無い。直属の先輩だったのだから、後輩の奏白がいかに努力してあれだけの強さを得たのか、ずっと見ていたはずなのに。いつも苦悶の表情を浮かべて、涙を堪えながら戦場に立つ知君の姿から目を背けていた。
その思い込みと偏見を一息に打ち砕いたのは、天才だとみなしてずっと目を背けてきた知君と真凜だった。恵まれていると信じ込んでいた知君は、力以外何も満たされていなかった。今になってようやく、彼は沢山の人に認められた。しかし、かつて彼のことを真に認めていたのは、きっと二人かそこらだったろう。主人公みたいに颯爽と現れて、人々を救っていく英雄も、助けを求めるのだという事実を教えてくれたのは、人魚姫に叱咤されていたとはいえ、同じく知君の力を嫉んでいた真凜だった。
その真凜も、他の大多数から見れば天才に部類するのだろう。しかし彼女も、初夏の頃はまだ頭角を現しきれていなかった。天才と言っても将来有望なだけで、現時点ではまだ経験のある自分たちの方が優れていると。
そう、天才も、凡人も、あるいはたとえ出来損ないであったとしても、同じ壇上に上がることはできたというのに。その可能性を、彼は自ら否定してしまっていた。努力が届かなかったら怖いから。自分が無価値だと思いたくなかったから。
この歳になって気づいたとすれば、ひどく遅いのかもしれない。でもそれは、あまりに当然すぎる事実だった。当たり前の事だからこそ、直視できなかった。舞台というのは主役だけで作っている訳では無くて、脇役だけでもない、表に立たないまでも活躍する全ての人間によって支えられているということを。
役者が演じる人間を作るのは誰だ、脚本家だ。その役者を最大限見せられるよう試行錯誤するのは演出家だ。フィッターでさえも彼らが僅かでも美しく、格好よく見えるように努めることだろう。
それと同じだ。世の中首相と大臣だけで回っている訳では無い。会社に社員が居なければすぐに倒れるだろうし、天才バッテリーだけでは九回裏まで戦えない。エースストライカー一人ではゴールを守れず、phoneが無ければ捜査官は戦えない。
英雄はたった一人で完結している訳では無い。後ろに誰かがいるから。その涙に曇った瞳を晴らすため。共に並び立つ者と明日も笑い合うため。そんな些細とも見える理由があって、ようやく正義の味方になれる。
そのちっぽけな想いこそが、何よりもかけがえのないピースなのだ。だから自分の存在だって、不要ではない。それを告げたのが誰よりもヒーローに近しい少年だったから。これまで目を背けてきた、眩しすぎる背中だから。ちっぽけな体から、精一杯捻りだした偽りの無い叫びだからこそ、ひねくれ者の太陽でさえ信じるに値した。
「俺は正直よ、その輪の中に入ろうなんて考えちゃいねえよ」
呟きは、喧騒に紛れて誰にも知られず地に落ちた。
入る資格が無い。そのように彼は思っている。かつての過ちを悔いているがゆえだ。知君が暴走した時、『それ』が彼の望みだからと、彼は奏白が予め知君に伝えられていた通りに知君を殺そうとする側に付いた。しかし、ただ一人彼の心の弱音を聞き届けた真凜にばっさりと切り捨てられ、否定された。それはただ言い訳をして逃げているだけだと。自分可愛さしか見えてこない自己満足だと。
彼が多くの人との関りを望んでいる。ならば、彼の親友である光葉の兄として接する、ではなくて。これまでずっと疎外してしまった現実を受け止めて、彼の傍に寄り添うでなく陰からその道を舗装する。それこそが一番の罪滅ぼしになるのだと。
許されたつもりになって近づきすぎてしまうのはきっと、そうしてあげていると自分で自分を承認してやりたいだけだ。傷つけた事実が変わらないからこそ、これ以上傷つけないようにと努力する。
そのためにできることは何か。そんなものは至ってシンプルだ。この戦いで、王子 光葉だけは護り抜く。その笑顔を守るために、自分の命さえ取りこぼさずに抱えたまま前に進んで見せる。死んでも守るだなんて言葉は、使えなかった。それを口にすると、むしろ悲しむ人ばかりなのだから。
だが、決心ばかり大人ぶって、結局目の前の問題は解消できる気配は無い。じり貧になって守り続けているだけで、突破の目途など何一つ立っていない。
振りかぶった青銅の塊が、また太陽へと振り下ろされる。率先して言葉を交わしているだけあって、悲哀の従者は執拗に太陽を狙っている節があった。何とか目の前の空間にかかる重力を強め、拳の前進を減衰させる。急に錘を掴んだかのように、がくりとその鉄拳の進路は下に落ちた。しかし、超人的な反応速度で軌道が修正される。これも、人知の及ばない仏の力だとでもいうのだろうか。
何とか一瞬体勢を崩していた瞬間に跳び退いていたため、すんでのところで轢き潰されるのは免れた。眼前でまた、拳の跡が残る。小学生が雨上がりのグラウンドに、手形を残しているようであったが、それとは規模も脅威も段違いだ。
パワーでは、何一つ勝てない。スピードも、重力制御で不意を突いて誤魔化しているだけで、大きく劣っている。確かに相手にできる事と言えば、その巨大質量兵器である大仏を意のままに動かすだけとも言える。摩訶不思議な念動力も、魔法のように風や火を統べるでもない。だが、純然たる重量と速度のみであるからこそ、根源的な脅威となっていた。
自分にできるのはただ相手を重く、あるいは軽くするのみ。負荷をかけたところで、十倍程度ではほとんど効果が無かった。しかし、これ以上重力を強めようと思えば、効果範囲が嫌が応にも狭くなる。自分から遠く離れたところには作用させ辛く、手と手が触れる程に密着する必要がある。
臨機応変に対応する能力も無ければ、万人が目を見開くような際も無い。華々しい戦歴なども背後には刻まれておらず、凡庸な一人の戦士として、可もなく不可も無い足跡だけを残している。後ろから追い抜いて行った後輩は、一体何人いることだろうか。追いつきたいと思っていた先輩と差が開いたことさえも、両手では数え切れない。
そう言った、置いてけぼりにされた現実と向き合う度、自分の平凡さに挫けてしまいそうになる。実家の門扉をくぐれば、最愛の弟が敬愛を示すというのに、不甲斐ない自分が情けなくなる。あいつらが恵まれているからと、逃げに走った回数なんて、星の数を数えるより難しいぐらいだ。
守護神の能力だけはそこそこ。ただし、自分が誇れるものと言えば何だ。
速い敵には中々対応できない。重量級の相手だと、重力負荷を強めても通用しない可能性がある。負荷を強めれば射程は落ち、効果範囲も狭くなる。相手を嵌める策を模索すればするほど、足りないものばっかりが浮き彫りになる。
あれもダメ、これもダメ。何もかも否定される。自分に何ができるのかと自問する度、何もできないのではないかと自答するしかない。凡人の意地を見せてやれと息巻いたものの、どうすればよいものか宛てさえ無い。
所詮自分は、英雄に守られるだけの凡夫に過ぎないのか。そうやって、肩を落とそうとした時の事だった。鬨の声が響き渡ったのは。
「かぐや姫の付き人について! 報告すべきことがある!」
「この声……」
すぐにその正体が分かる。何度も聞いた、多くの者を牽引するだけの力を持った声だ。奏白 音也、多くの捜査官にとって希望の星であり、目の前に聳える大仏を操る人物にとって、その存在を脅かすほどの男。姿が見えないことから、おそらくアマデウスの能力で上空から直接声だけを届けているのだろう。
「付き人の持っている特別な道具……こっちじゃ龍の珠と子安貝はぶっ壊したから多分仏様の鉢とか火鼠の衣とかその辺だ! そいつの能力は確かにとんでもねえけど、道具そのものをぶっ壊したり奪い取れば無効化できる! 強ぇからって諦めんじゃねえぞ! 倒せなくても、勝てる道はどっかに転がってんだからよ!」
最悪知君に全部奪い取らせろと告げて、その一方的な伝達事項は強制的に終えられた。随分声が荒かったことから、あの奏白でさえ相当苦戦したのだろうと分かる。
従者の様子を見る。見るからに、その顔を歪めていた。仲間の敗北を悲しんでいるのだろうか。それとも付け入る隙があると看破されたことが苦々しいのだろうか。太陽にそれは断じることはできないが、奏白が嘘を吐くとも思えなかった。
突破口は見えた。しかし状況が好転したかと言えばそれは否だ。臍を噛むような思いでより荒々しく暴れ続ける、仏らしさなど全てかなぐり捨てた大仏の姿を注視する。飛び交う鉄拳も、重機のような脚も、その軌道を見極め、逃げ続ける。
奏白の伝言以降、明らかに動きに精彩を欠いた。おそらく、感情が無いとはいえ焦る部分は多少存在しているのだろう。それだけ、先ほどの言葉の信ぴょう性が増したというものだ。
それでも、自分にできることといえば、僅かに動きに違和感を与えること程度。ほんの数秒に全ての出力を集中させれば、動きを完璧に止められるだろう。しかし、おそらく、その次の瞬間には守護神アクセスは解除される。解放された大仏が、再度アイザックを呼び出す前に踏みつぶしてくるに違いない。
「どうしろってんだよ……」
考え事をしていたせいか、隣に立つ他の捜査官と、太陽の肩がぶつかった。お互いに、悪いと謝りながら視線だけは敵から離さない。だが、肩が触れ合ったその瞬間、彼の脳裏に光明が差した。
目を見開き、その考えに至った事、それ自体に驚愕する。どことなく、そんな答えが出てくるのは何だか自分には似つかわしくないように思えたためだ。こんな状況なのに何だか可笑しく思える程に。
そうか、そうだよな。彼は力強く拳を握って、固く、何よりも強く覚悟を決めた。それは、彼が弱者であるからこそより一層、眩しく、鮮やかなものとなる。勝利という者は、日頃それに飢えている者にこそ、芳しく感じるものであるからだ。
「俺だけの特別なもんなんて何も無くても……誰だって持ってるものはそりゃ、俺だって持ってるよな」
策の周知など必要ない。後ろを見て歩く訳にはいかない。隣を眺めて余所見をする訳にもいかない。
ただ、前だけを見つめて。後ろ向きだった彼は、ただ真っすぐに、わき目も降らずに未来だけを見つめていた。
- Re: 守護神アクセス ( No.124 )
- 日時: 2019/01/09 00:08
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
大きく息を吐き出した。胸の中の酸素が無くなり、息苦しさに肺がズキズキと痛んだ。これ以上、吐き出すものなど幾何も無い、胸板が紙のように薄くなったような錯覚を覚えたその瞬間、大きく息を吸い込んだ。枯渇しようとしていた新鮮な空気が満たされていく。取り込まれたその酸素は、身体中に巡っていく。目の前の景色があまりにクリアになり、色鮮やかに輝き出した。
これまでずっと、適度な距離を保ったまま期を窺っているばかりだった彼だが。不意にその均衡を崩した。怖気づいてしまいそうになるのをどうにか飲み込む。初めの一歩を踏み出す瞬間のみ、恐怖を忘れるために下を向いた。自分の脚が地を蹴っているのが見える。砕かれ、砂塵と化した灰色の石畳が舞い上がる。身体が前方へと加速していく。きっと、もう、引き返すことなど自分にもできそうになかった。
ぐんと、身体が前に押し出されると同時に、太陽はその顔を上げた。飛び込んできた視界には背を向けた大仏の姿。縦横無尽に暴れているのだ、当然太陽の方を見ていない瞬間もある。
流石に、それを完璧に見逃してくれるほど甘い相手ではない。回避に徹している同僚たちの中で、とうとう痺れを切らして特攻したように見える太陽の姿が浮いていたというのもまた事実なのだが。一目散に、逃走でなく闘争を選び、接近を試みた太陽は、その局面においてあまりにも異質と評する外無かった。強いて挙げるならば、無謀と呼ぶべきだろうか。
無理に振り向かせたためか、ヒトと同じ骨格を持った仏の像も、ぐらりと大きく姿勢を崩した。しかし、それも瞬きをした刹那の内に消えてしまう。端から、そんな僅かな隙など当てにしてはいない。
無機質で、機械のような操り人形の仏は、操縦桿である御石の鉢を持った従者の指示に従うように、他の捜査官には見向きもせず太陽だけを捉え始めた。痺れを切らしたのはむしろ、敵方の方だったという訳だ。それでいい。背筋が凍りそうな、恐怖にも似た緊張感の中太陽は、無理に笑みを作って見せた。不敵に、余裕そうに、陽気に笑って見せろ。辛い時ほど余裕そうに振る舞うものだと、奏白や桃太郎の契約者を初めとしたさまざまな強者は口にする。
ちょっとぐらい、その強かさを分けて貰ってもいいよな。
今までは後退するなりして免れていたが、今度ばかりはそうもいかない。目的が近づくところにある以上、ここで尻尾を巻いて引き下がる訳にはいかなかった。しかし全力で走っている以上、そう急には曲がれない、僅かに左右に逸れるのが精いっぱいだ。
地面に転がる埃に手を伸ばすように、正面から掌が迫って来る。せめて腕関節の反対側、人体構造的に容易に曲げられない方向へと舵を切る。だが、その程度の進路変更は誤差程度に過ぎない。視認してから反応したとしても、すぐさま間に合う。
そう簡単にはいかない。それぐらいは承知の上だった。太陽は己に向かって伸びてくる指先から目を離さず、じっと観察し続けた。瞬きさえ忘れ、睨むように。その石造りの手掌に穴が空いてしまうのではないかと思う程に。
軌道を予測する。自分が前に進んでいる。それに対応するためには、その腕はどのような軌道を描き、自分を追い詰めるのだろうかと。博打をするとすれば、この瞬間以外にあり得ない。ただ、賞賛の無い博打はただの蛮勇に過ぎない。僅かで構わない、虚空でも清浄でもいい。たったそれだけであっても、確率が高い方を選び取る。そのためには最後の一瞬までも、観察の目を緩めてはならない。
そこだ。観察と、予測と、最後に直感を添えて。ある小さな空間を座標指定し、アイザックの能力を行使した。アイザックの能力は、効果範囲を狭くすればするほど最大出力が上がっていく。これまで防戦一方だった時には、安全策として広範囲に渡ってその空間を展開していたが、周りに庇うべき仲間がいない現状において、そうする必要は無い。自分を守るのに最小限の範囲に留めておけばよい。
「無駄ですよ!」
おそらくあの従者は、太陽の最高出力は、先ほど打開した程度のものだと勘違いしている。多少仏様の体勢を崩し、所作をぎこちなくさせる程度の能力。そう思っていることだろう。
そしてそれはきっと、必ずしも間違ってはいなかった。臆病なまま、プライドだけを大切にしていたままの彼ならば、せいぜいそれで限界。だが、迷いも振り切り、弟に感化され、後輩たちから伝播し、知君 泰良の正義に中てられた今の彼は、以前の彼とは同じ人間にして、赤の他人と呼ぶほか無かった。
能力の効果範囲は、これまで散々見せつけられた拳がすっぽり丁度収まるぐらいの広さだった。読み通りに、彼が狙っていたポイントにその拳が侵入する。その瞬間、今までになく唐突に、ビルのような石の身体が大きくよろめいた。
想定外の重量が手首にかかった仏はというと、右手の自由を奪われ、そのまま右半身を打ち付けるように転んでしまった。その勢いに吹き飛ばされるように、肩に乗っていた従者の身体も宙に踊る。投げ出された従者はというと、猫のように器用に体勢を立て直したかと思えば、危なげなく地面に降り立った。膝こそつかせられたものの、その身体に一切のかすり傷は無い。
だが、精神はそうとも限らない。誤算と呼ぶには、あまりにも愚かすぎた。これは自分の侮りが招いた、明確な過ちであった。計算を誤ったのではなく、そもそも懸念すらしていなかった。あまりに愚かな思考の放棄。当然、己を責める外無い。主君の望みへ満足に応えられない己の不甲斐なさへの悲しみが、またとめどなく押し寄せようとするも何とか瞼の奥に押し込めた。
反省は、この場を沈黙させてからでも遅くは無い。ここで涙に溺れて主命を棄ててしまうことこそ、最も忌避せねばならない事態。ならばと、仏の御石の鉢を再び磨き上げる。念じた想いに呼応するように、傀儡のように自在に動かせる仏はと言えば、空いている方の手を太陽へと伸ばした。
その足取りは、もう後少しと言ったところで悲哀の従者のもとへ辿り着こうとしていた。間に合うか、それを恐れている暇は無い。失態を悲しむことさえ忘れ、無心に命令を思念で飛ばし続ける。その男をひっ捕らえ、捻りつぶしてしまえと。
太陽とてその歩みを止めない。この世に生を受け、三十年弱。絶えず鍛え続けてきたのはこういった時に手を伸ばすためではないかと。奏白の言葉を信じる。あの腕の中に抱き抱えている仏の御石の鉢さえ奪ってしまえば、この男も他の月の兵隊、その雑兵と何も変わらないのだと。
特攻をしかけただけの甲斐はあった。今や、あれほど強大に映っていたはずのお伽噺の住人は、矮小で、より強い光に塗りつぶされてしまいそうな自分の目の前で横たわっている。
届けと、ひたすらに強く願い続けた。先ほど気合を入れるために息を吐き出した時とは違う、肉体の限界を超える程の疾走に、骨身さえも悲鳴を上げていた。筋肉は今も千切れているようで、痛いというよりも燃えるような熱さが四肢を支配していた。肺の細胞一つ一つも、まさに炎を上げているようで、まるで息を吸っている気がしなかった。
血液さえも沸騰してしまいそうな疲弊と焦燥の狭間で、ただがむしゃらに全身を動かす。追いつかれるなと、討ち倒せと。吠えているのは内なる自分だけではない。遠くから同僚の声も聞こえてくる。今まで、声援を受け取る立場になど、なったことはなかった。いつも声援を送る人間の傍で、贈られた人間を羨むばかりで。
そうか、あの時も、あの時も、横目で睨んでいた勇気ある誰かは、才能ある誰かはこのような感慨を抱いていたのか。きっついなあと、くだけた口調で愚痴を言う。誇らしげに見えていたあいつらも、そいつらも、実際のところはしんどいだとか、早く休みたいとか、そんな事ばかり考えていたのだろう。
後、数センチ。重たい鉢を抱えたままの従者は逃げるために立つ事も出来ずに、座り込んでいる。伸ばした手が、その従者の横っ面を叩いてやろうとしたその瞬間。
先に手が届いたのは、従者の操る仏の御手の方であった。
「よくも……手こずらせてくれたな、王子 太陽といったか……」
後僅か、心臓が一度鳴るほどの短い猶予さえあれば、その手は届いていたことだろう。だが、太陽の歩みは止められてしまっていた。指一本一本が大きな樽のように太い仏の左手が、後ろから太陽の全身を手の平で覆うように捕まえてしまった。
「不思議な感覚です。精神に怒りなど介在する余地も無いというに、身体は煮え滾るような衝動で今にも破裂してしまいそうだ。もしも私が怒りを知っていたのでしたら、今すぐにでもこの顔を燃え盛る憤怒でどす黒く塗り潰していた事でしょう」
目と鼻の先で、じたばたと暴れて仏の指先から逃れようとしている太陽をぎろりと睨みつける。やはり、人間というのは、死を恐れる者というのは驚嘆に値する。死を恐れ、何よりも遠ざけているからこそ、決死になったその瞬間の爆発的な底力には目を見張るものがある。
「認めましょう、貴方は充分に脅威と呼ぶに値する。ですが、それもここまで。この距離では貴方自身が貴方の能力の巻き添えになってしまう。さあせめて、苦しみなく逝かせて差し上げましょう」
「何勝手に……」
一思いに、苦痛を与えることも無く握りつぶして黄泉へと送ってしまおう。そう、考えていた。矮小な人間など、御仏の掌の中で自己を失うのみ。もう虫の息で、体力など何一つ残っていないであろう男は、まだ何一つ諦めてなどいなかった。
全身にかかる重圧が勢いを増す。不意に、全身が水銀に変わってしまったかのように自由を奪われる。後、僅かに鉢の側面を撫でてやれば指示が伝えられてその男は捻りつぶされるだろうに、それさえ敵わない程に両腕の中に納まる石の鉢さえも重みを増す。
両の脚だけでは自重さえも支えられず、かぐや姫の従者はその場に蹲った。ただでさえ密度の大きな特別な道具である、仏を操作するための調度品など、手放さないようにするだけで精いっぱいだ。両手で抱えてはいるつもりだが、傍目にはもはや両手が鉢の下敷きになっているようにしか見えなかった。釘のように、鉢がその両腕を地面に打ち付けて固定してしまっている。
「終わったつもりになってやがる!」
「この……本当に往生際が悪いですね貴方は!」
- Re: 守護神アクセス ( No.125 )
- 日時: 2019/01/09 00:09
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
アイザックの能力を行使している太陽さえも、苦悶に顔を歪めている。今仏様は握力を加えていないというのに、だ。導き出される結論は当然、過剰な重力がかかっている空間に太陽自身が身を投じているせいだろう。その影響で、太陽の身体を捕えている腕さえも、だらしなく地面に寝そべっている。
先ほど十倍の重力下においては容易く体を動かせたはずだ。
「貴方は今……どれだけの過重を……!」
「あ? 三十倍ってところだ。お前らから見たら普段の百八十倍ってところだな」
「馬鹿げた数値ですね……しかし、貴方もただでは済まないでしょうに」
「はっ、それがどうしたよ。苦しかったら投げ出すのか? 届かないからって手ぇ伸ばすの止めんのか? お前らがそうでも、俺たちは馬鹿だから、そうじゃねえって胸張って言うんだよ」
そんな事ばかりだった。自分より優れた人間など、上げれば枚挙に暇が無い。羨んでしまうのは、そう言った人間をも追い越したいという欲求の表われだ。仮に憧れてしまったとしたら、もう二度と追いつけないだろう。
たとえ醜かろうと、妬んで、やきもち焼いて、苦しい中でもがいて、ちょっとでも近づこうと思う。その繰り返しが成長なのだろう。努力とて、いつだって綺麗ごとの範疇に収まらない。同じだけの努力でより高みへ昇る人間もいれば、努力を放棄し安易な逃げ道に走る者もいる。
「俺には何もねえよ、冴える頭も天性の肉体も。多少守護神に恵まれた、そんだけだ。捜査官ってのはそれが最低条件で、俺と同等以上の奴なんてごろごろいる。上を見ても、下を見ても、自分が出来損ないだって痛感するばっかりだ。どこにでもいる、替えの利く雑兵。お前が名前を知らなかったのも無理ない。でもな……」
ずっと、汚い自分の心さえ嫌ってきた。誰かを貶す言葉を吐く自分の意地汚さに絶望して、それを誤魔化すためにまた別の粗を他人の中に探した。そうし続けても、自分自身は何も変わらないというのに。
それらは全て、諦めたくなかったのが一番の理由だった。自分だって、やる時はやれる人間だ。自分だって機会さえあれば。俺だって、俺だって。そんな時も機会も招こうとしないまま、ただ口先だけで誤魔化してきた。
しかし、それでもだ。
「何も恵まれてなくてもだ。だからこそだ、それでも諦めてたまるもんかって根性だけは恵まれた天才共に負けてやるもんかよ!」
もう、どこに残っているのかも分からない気迫を、最期の一滴に及ぶまで振り絞る。ただでさえ普段行使しない程の負荷に、太陽の身体も限界だった。日頃能力を用いてもその効果範囲に自分自身が身を投じるようなことなど無い。にも関わらず、今まで誰にも使ってこなかった程の出力の真っただ中に、他ならぬ己を投じている。
だが、まだ折れない。さらにその能力の出力が上がる。太陽自身、どの程度アイザックに力を使わせているのか分かっていない。受けている従者さえ、今やどれほど倍加された重量を支えているのか分からない。次第に、従者よりも太陽よりも先に、仏の掌の方が根負けし、ずるりと握っていた太陽の身体を取りこぼした。地面に太陽が滑り落ち、それと同時に従者の掌から、ころりと仏の御石の鉢が転がり落ちた。
地面を僅かに転がった鉢は、かぐや姫の付き人の支配から離れてしまった。それと同時に大仏の巨躯は霞のように消えてしまう。能力が解除されてしまった影響だろう。不味い。焦る従者の目の前が真っ白になる。重力をある程度弱められ、主君より授けられた道具を奪い取られてしまったら。最悪の想像がその脳裏を過る。
何としてもそれだけは避けねばならない。こんなところで終わる訳には。先ほど、奏白と思しき声の伝達を鵜呑みにするなら、上空に残った『三人の』従者の内二人までが破れたという事。ここで自分も伏してしまえば残るは二人になってしまう。過半数が撃破されるなど、そんなことあってはなるものか。
それは、仏様を能力として利用していた彼だったからであろうか。その願いがまるで天に届いたかのように、身に降り注ぐ荷重の全てが不意に消え去る。一瞬、茫然としてしまった事実に気が付く。
馬鹿者めと、叱咤すると同時に違和感を覚える。どうして目の前に立つ太陽の方が余程顔を顰めているのだろうかと。その理由を察すると同時に、地面を蹴った。それはおそらく、高揚に体が突き動かされたからに違いない。
理解した真実は、至ってシンプルなものだった。『太陽の守護神アクセスが途絶えた』、それだけだ。
何という僥倖、天の御導き。
「やはり天上の姫たるかぐや様の付き人なれば、この想いも天に届くというものなのですね」
仏に感謝を、そして仇為す者には誅罰を。それこそが天子より至上の命を下された自分が果たすべき義務なのだと。
かぐや姫の従者は、一度は取りこぼしたその御石の鉢を再び手に取る。
筈だった。
「これは……氷?」
拾い上げようとしたその鉢に指先が触れることは無かった。ガラスのショーケースの中に閉じ込められてしまったように、従者の指先とかぐや姫より賜った道具の間は、透明な壁一枚で隔てられていた。
「どういう……ことです?」
「簡単な話だろうが」
守護神アクセス、そう小さく呟いて、再び太陽はアイザックを呼びだした。目を見開き、振り返る。視野が狭まっていたために気が付いていなかったが、その背後には幾人もの警官が駆け付けていた。
その内の二人は強力な氷雪系の能力者であることは、当然月上人の頭脳で把握していた。とすれば間違いなく、今こうして道具を封じてみせたのは、その能力者の影響だと断じるしかない。
「俺は、俺だけしか持ってないもんはろくに持ってないけどよ」
一対一であれば、このような事態など起こり得なかった。その事実が歯痒い。奥歯を互いに押し付け合い、軋ませる。ギリギリと唸りを上げて、そのまま砕けてしまいそうな程だ。
こんな無様な負け筋などあってなるものか。せめて一人くらい道連れにせずしてどうする。もはや言語とも取れぬ号哭だけを高らかに上げ、自らの腕で掴みかかる。遮二無二、誇りも何もかも捨て去って拳を振りかぶった。
「でもよ、誰だって持ってるもんはちゃんと俺も手にしてんだよ」
手を伸ばせば届く距離、拳打が届く間合いに太陽を入れた。浮き出た指の骨が、刻一刻と太陽の鼻先に迫る。しかし、何気ない所作で太陽は頭を僅かにずらし、突きの軌道上から逸れた。空ぶった腕が空のみを裂く。虚空だけを捉え、何物も掴めなかった手は、ただ虚しく伸ばされていた。
「信頼できる同僚ってのはな」
それは、どれほど長い間取り組んできたのだろうか。初動の瞬間さえ把握できぬほど、何気ない所作だった。気が付けば、目の前に握りこぶしが迫っていた。頬骨を軋ませながら、無骨な拳骨が、従者の顔面にめり込んでいく。
ズンと、重たい足音が響いた。太陽が正拳突きを突き出す際に足元を踏みしめた、地響きにも似た踏み込みの声だった。その勢いさえも全て腕に乗せ、太陽は物心ついて以来、二十余年繰り返してきた通りに、目の前の的を殴り飛ばした。
背に風を受けたかと思えば、地盤に叩きつけられる。その勢いのままもはや意識も無い従者の身体は転がりながら、何度も地面に打ち付けられる。数メートル転がり続けて、もはやぼろ雑巾のように横たわる一人の兵士は、もう動こうともしなかった。
数秒の間、誰もがその口を噤んでいた。目の前で起きたことが信じられず、夢でも見ているのではないかと茫然としてしまっていた。
しかし、一人の男が勝鬨を上げた。その主は、太陽にも分からなかった。疲労のせいか、ストレスからか、歓喜からか、その声はしわがれ、裏返っていた。何とか「勝ったんだ」と高らかに叫んだことだけ把握できた。
後はもう、堰の壊れてしまったように、次々と歓声が上がった。もはや、声に声が重なって何と口にしているものか分かったものではない。しかし、それでも、声にならないような喧騒であっても、そこに込められた感情だけは察しが付く。
この胸の内にあるのは、間違いなく歓喜であると。いつの間にか太陽も、同じように大声で叫んでいた。もう、身体は悲鳴を上げているのに。まだ戦いが完全に終わった訳でもないのに。
しかし、彼はその喜びを抑えることはどうしてもできなかった。
勝利の凱歌は、高らかに、ただ凡人達の功績を讃えていた。
- Re: 守護神アクセス ( No.126 )
- 日時: 2019/01/10 00:55
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
喜怒哀楽の従者の内、三人までは滞りなく撃退できた。太陽たちの目の前では、先立った怒りの感情を得た従者や、享楽に衝き動かされる付き人の後を追うように、哀しみの傀儡である彼も、その姿を消そうとしている。
屈辱に塗れているのだろうか。それとも、唯一譲渡された哀しみの中にただ浸っているのだろうか。もはや、口を開こうともしない。身体の末梢から次第に黄金の砂のように崩れ落ち、夜の涼しい風に舞い上がっていく。その行動理念こそ凶悪で、思想こそ危険なものの、散り際だけはどうしても美しい。
彼らも、赤ずきんと同じような犠牲者なのだろうか。高慢に振る舞い高説を述べる様子は、破壊衝動に満たされているとは思えなかった。しかし、そもそも月の民と呼んでいる兵隊たちは怒りや喜びさえも知らないような、機械的な思考回路をしている。そういった破壊衝動さえもきっと、芽生えたところで自覚することがないのだろう。その胸の中にあるのは、自分たちの能力全てを支配し、統括しているかぐや姫への絶対の忠誠のみであろう。
かぐや姫は確かに、原点である竹取物語のクライマックスにおいて感情を失ってしまう。しかし、それまでは地上の人間と遜色ない感情を抱えていたはずだ。なればこそ、ドルフコーストの能力によって支配され、憎しみと怨嗟の情動に囚われてしまったのだろう。そして主君が誤っていたところで、正義感などあったものではない配下の月上人達は、止めようとも思わない。ただその意に添うように、剣となり、盾となるのみだ。
正義も悪も何も無く、正誤さえも歯牙にかけない。冷徹とも思える程に、命令を冷静にこなしていく彼らだからこど、逆境に立っても奮い立たない彼らだからこそ何とかこうして勝利を掴めた。
目の前の荒事が片付き、ひとしきり感極まった喜びの声も鳴り止んだその時、胸に訪れたのは安堵だった。守護神アクセスを解くと同時に、緊張の糸が切れたせいか膝から崩れる。そもそも、体力も気力も既に限界が近い。まだ、かぐや姫本体すら見てもいないというのに。
元々、かぐや姫というのがフェアリーガーデンという異世界において最古の守護神であるらしい。作者という、作中人物を支配する立場を得たシェヘラザードが王、ELEVENとして君臨しているものの、持ちうる能力は非常に幅広く、どれも侮れない。
何人もいる側近の一人だけでこれだけの力かと、呆れずにはいられない。確かに、先ほどまで戦っていた男の能力は、多人数を相手どるのに向いていたことだろう。それにしても、十数人がかりで漸く辛うじて鎮圧できたというのに、それが未だ残っている。
あまり丁寧に竹取物語を知ってはいないが、貴族に求めた道具が五つであるとは太陽も知っていた。別格の能力を与えられた付き人が果たして何人いたものかは知らないが、それを超えることはおそらく無い。もしかぐや姫本体がその内の一つを持っているとしたら上限は四人。喜怒哀楽の感情も四つであるためそれが最も妥当だと思われた。
「一旦呼吸を整えよう。慌ててもむざむざやられに行くようなもんだ」
「ああ、そうだな」
近くにいた、日頃対策課の四班として行動を共にしていた仲間と段取りを決めて、一度体を休ませようとする。しかし、そうさせてはならないのだと、血相を変えた様子で、一人の捜査官が太陽の下へ駆け寄った。
「休んじゃ駄目だ、王子さん」
詰め寄って来たその男が、どうしてそれほど青ざめているのか理解できなかった。目下、脅威は取り除き、周囲には誰も居はしないというのに、何をこんなに焦っているのだろうかと。怯え、竦んでいるのではない。逸る心を抑えようとしながらも、急がなくてはならないと冷静さを失いかけている。
一度落ち着いて息を吸い込めと言ってみるも、それどころではないの一点張り。これまであまり口を聞いた記憶は無いが、自分の一年後輩で奏白の一つ上の世代だとは分かる。名前は思い出せないが、この男はどちらかというと奏白よりむしろ自分寄りの人間だったように思う。
「一人、兵士を取り逃した……。服装がかなり変で、他の従者達と様子が違っていた」
「変ってのはどういう風にだ?」
「……多くの兵隊共は、裸体に羽衣を纏っているだけだけど、そいつだけ真っ赤な装束を着ていた」
真っ赤な装束、というところでピンと来た者もいた。実際、それが赤いかどうかの記述は原典にはおそらく無い。何せ、本来存在しない代物であるためだ。しかし、火という言葉から連想する色が赤であり、先刻まで対峙していた男のことを思い返すに、導き出される答えは一つだけだ。
「火鼠の衣、それを着た上位兵か」
「おそらく」
大げさに頷き、太陽の肩越しに推察を口にした男に向け、青ざめたままの表情はその言葉を肯定した。
「だけど、取り逃したってのはどういう事だ? 逃げたのか?」
今この場にいないのであれば恐れる必要も警戒の義務も無い。どうしてこんなに慌てふためいているのか、縋りつかれている太陽には理解できなかった。
「違う! そいつの目的は初めからここに無かった。もっと別のところなんだよ王子さん!」
「それはどういう……」
未だに腑に落ちない太陽の肩に、手が置かれる。振り返れば同僚の一人も、緊迫した面持ちのまま静かに、行こうとだけ端的に告げてきた。
「そいつは後方の……総監達が控えている本部に向かっているんだ! 王子さん……あんたの弟さんの所にだよ!」
何にもぶつかっていないのに、脳髄をおもいきりぶん殴られたような気がした。ひゅっと内臓は縮こまり、沸騰していたはずの血液が途端にその熱を失っていく。身体の芯から凍っていくような錯覚、それに囚われるよりも先に、その足は動こうとしていた。
「待て、今からじゃ間に合わん」
「でも、ここで待ってる訳にもいかないだろ」
「その姿に気づいた連中がそいつを追ってる。一先ずは任せたけど、嫌な報告だ。あちらさんの能力は」
「どうせ防御系の能力だろ」
「ええ。高速で駆け抜けるその背に、ひたすら能力や銃火器で攻撃しているらしい。でも、どれも効いている素振りは無い」
おそらくこれまでの例からして体術の練度は他の兵士たちと同等かそれ以上に優れていることだろう。
確かに自分たちからしてみれば、大したことの無い練度。とはいえ、守護神アクセスもせずに後方で待機している王子にとってそれは、ナイフを持った傭兵に襲われるに等しい脅威だ。中学の半ばごろから、長い事鍛錬をしてこなかった上、そもそもあの年齢が故に圧倒的に経験が足りていない。同時に待機している、ELEVENである残り二人に問題は無くても、王子 光葉だけはその不意打ちで充分に死に至る可能性がある。
「なら本部に連絡取れないのかよ! そいつらから連絡は来てんだろ!」
「もうやっている! だけど、誰かが妨害してるみたいで、一向に繋がらない。多分本部じゃ、そんな状態になってることも気が付いていない」
「何でだよ、相手はあの総監だぞ。今回敵対してるのは、シンデレラとかぐやとは言え、所詮は一介の守護神。……あの人を欺ける訳……」
「でも、現実に気づかれていない」
何が起こっているというのか。どのような隠ぺいであったとしても、今の厳戒態勢の本部への電波障害など隠せるはずも無い。とすればこの偽装は守護神の能力によるものだ。だとしても、ELEVENが二人も待機しているその場所へ能力干渉をただ行ったところで、易々と打ち払われる。
後出しになったとしても、ジャンヌダルクなら全ての事象を拒絶できるはず。それなのに、既に起こっている電波障害に対応できない、あるいは気づけないままでいる。
これは果たして、本当にかぐや姫の仕業であろうか。
「やっぱり、間に合わなかったとしても俺に行かせてくれ。間に合わない事より、誰かに任せて見過ごした方がよっぽど、俺は……」
「落ち着け、太陽」
「落ち着ける訳が無いだろう!」
進路を遮る男に彼は、鼻息荒く掴みかかった。もう精魂尽き果てたはずなのに、剥き出しの感情が暴れている。
「いえ、間に合う可能性はあるわ」
見ていられないとばかりに、諍いにようやく仲裁らしい仲裁が入った。その声は、うら若い女性のものであろうに、芯の通った凛と澄んだものだった。奏白 真凜がもう少し成長すればこのようになるだろうか、そう重なるほどに居住まいは似通っていた。雪女の守護神を呼びだし、髪まで真っ白に染めた彼女は、捜査官とはまた別、ライダースと呼ばれる部隊において、奏白のようにエースと称される存在だ。
女帝のごとく、大事にさえ揺らがない精神を持つその姿への憧憬からか、クイーンと呼ばれることもある。
「輸送車が到着したわ。とすれば、足止めを誰かがしていても可笑しくは無いはず」
何の輸送車か、それを確認する必要は無い。今作戦において、この地に後から訪れるはずの車両は一台しか無い。前日の会議室での詳細説明に際して聞かされた、この戦争における最後の切り札。
その切り札は、本来倫理的には切ってはいけないカードであったろう。しかし、それを可能にしたのは、他ならぬ王子家に降り注いだ悲劇故であった。その許可を求められた洋介はと言うと、鼻の頭を掻いて恥ずかしそうに「塞翁が馬とはよく言ったもんだ」と前置き、二つ返事に了承した。
「でも駄目だろう。あれは、かぐや姫を討伐しない限りあまりにリスクが高いと……」
「たった一人を除いて、ね」
いえ、二人かしらとその場の空気を覚ましてやるように、彼女は微笑を浮かべていた。
- Re: 守護神アクセス ( No.127 )
- 日時: 2019/01/10 10:55
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
一方、その頃。議題に乗せられた歓喜の従者はと言えば、下卑た笑みを高らかに響かせていた。
「ああ、嬉しいなあ。喜ばしいなあ。可笑しくって仕方ないなあ。寄って集っても蟻は蟻。この皮衣を前になぁんにもできないんだもんなあ」
夜の市街地に反響する高笑いに、思わず彼は口を噤む。いけないいけない、流石に下品も極まれりであると、先日主からも指摘されたばかりであった。それ以来、一応人前、特に御前ではできるだけ上品にと努めているのだが、どうにもその目が無ければ気が緩んでしまう。
残る側近の兵士が捜査官の多くを足止めしている間に、彼一人だけは王子のもとへと向かっていた。わき目も振らず、一心に。飛び交う炎に礫の雨霰さえものともせず。それはひとえに、彼が身に纏っていた火鼠の皮衣に由来するものだった。
火鼠の皮衣の能力、それは火の中に投じても燃えることが無いと言われる逸話に由来する。そこから発展した恩寵として、その皮衣は強靭な耐久力を誇る。ちんけな炎では燃え尽きぬ程に、銃弾であろうとも貫けぬほどに。それだけではない、冷気も、熱気も、衝撃さえも全て打ち消す。空間全体に干渉する重力の強化能力などは流石に遮断できないが、皮衣に当たったエネルギーはその全てが遮られる。
一部の能力者はこの防護を看破できるようではある。しかし、そういった者の多くは目に見えて暴れている大仏の暴走にかかずらっている。目に見えて巨大で、危機感を煽るその異形の存在に人はくぎ付けになる。勝とうが、負けようが、そこに多くの人間を繋ぎ止めることができる。
追っ手の数はどうだろうか。振り返れども、たった二人しかいない。その奥から近寄ってくるような息遣いも無い。この二人を処理してしまえばもうどうしようもないだろう。先ほど、味方に連絡を取ろうとしていたようだが、無駄だ。協力者の手により、自分の目的地への通信は妨げられている。後方、つまりは大仏の暴れていた方には連絡を取られてしまったようだが、今や追いつかれることも無かろう。
ならば、少し遊んででもここで追っ手を沈黙させてしまうべき。理性的に彼はそう判断した。決して、勝利の余韻にいち早く浸り、歓喜の沼に身を投じようとした訳では無い。王子暗殺のために詰め寄った際に、その本部の近くで騒がれては気づかれるというもの。どのみち、ここいらで始末しておくべきというもの。
いや、始末は不味い。断末魔などが響いてはならない。不意を打ち、締め落とすのが一番だ。気を失わせるだけで充分。入念に殺してしまっては後続に追いつかれる。確かに弱者をいたぶるというのも月上には無い余興ではあるが、主の命令を果たす事こそこの身最大の幸福。なれば、その最短距離を行くべく最善の妙手を打つのが最も優れた民の在り方というもの。
足裏と地面との間で摩擦が起こる。砂の擦れる音が静けさの中に染み入り、一目散に走り続けていた男の脚が止まる。地上を滑るようにして減速しながら、身体を反転させて追っ手を確認する。一人は炎の能力者、もう一人はよく把握できたものではないが、その手に身の丈程の大刀を携えている。守護神のオーラを纏い、自ら光を放つその大太刀は、本物の武器ではなく守護神アクセスの付随品であると察せられた。
おそらくは日本の剣士の守護神であろう。たとえ火鼠の毛で編んだとはいえ、布は布。容易く裂けると思ったのだろうか。その甘すぎる認識が不憫であると同時に、既に確定されたような勝利が嬉しくて仕方が無い。思わず、我を忘れてしまいそうなほどに。だが、今はまだ己が為すべき使命の只中にいる以上、理性を飛ばす訳にはいかない。
炎が踊る。回避するとでも思っているのだろうか、右からも左からも、追い立てるように襲い掛かる。狼が狩りをしているようだなと思うも、火力が軟弱すぎて子犬の戯れにしか思えない。惰弱、惰弱。ニッと笑って従者は、腕の辺りで余っている布を翻らせる。血濡れたような色合いの、真紅の衣が宵闇を舞う。かぐや姫の牛車の直下から離れた位置に来ているため、この辺りは夜の暗闇に包まれていた。
宙でひらひらとその身を漂わせる布が、真正面から炎を飲み込んだ。炎が衣を飲み込むのでなく、薄い布が、炎熱をだ。あるまじき光景に目を丸くするも、そう言った宝なのだろうとすぐに把握する。
そこに現れた捜査官は謙虚であると同時に、聡明だった。真正面から燃やそうとしても不可能と即座に理解し、ならばとさらに距離を詰める。今だけは、向こうから距離を詰めさせてくれようとしている。ならば懐まで潜り込み、衣の下から直接焦がせば、自分の物足りない火力でも痛手を負わせられるはずだ。
「そう、考えているな?」
だが、甘い。うぬぼれでもなく、侮りでもない。純然たる事実として、従者のみが理解していた。そもそもの地力がまるで異なるという現実を。
そもそも、皮衣の大きさはこの従者が纏うにしても少し大きく、布が余るようになっていた。外套のように頭を覆うように被ることもできる。一度全身に纏ってしまうと、露出している部分など手先や口元程度しかない。
そしてそこをピンポイントで狙いながら、紅の衣を纏った従者の反撃をいなすだけの器量が、その捜査官にはまるで足りていなかった。後方を、炎の壁が埋め尽くす。退避させない、つもりなのだろう。暗闇を、炎の温かな光が照らし出した。従者の顔が照らし出されるもあまり意味が無い。というのも、他の月の民と寸分変わらぬ相貌であるためだ。強いて挙げるならば、表情だけは大きく異なっているだろうか。初めて、その顔で笑む姿を確認した。これまで相手にしていた、心知らぬ傀儡とは明確に違う。
実際、これまでは詰め寄ってしまえば、楽に従者は倒せていた。それはあくまで敵兵を倒すに十分なだけの力があったためだ。
しかし今はその前提が覆されている。ごく狭い領域を的確に狙撃しない限り有効打を与えられず、向こうはその皮衣越しに膝蹴りや肘打ちをしてくる以上、これまでの槍や剣のように、炎で燃やすこともできない。
顎の辺りを肘がかすめ、僅かに揺さぶれる。脳震盪が起こりかけたのか、少々足元がぐらついた。その隙を見逃す甘い相手でもない。すぐさま後頭部に肘を落とされる。反射的に紅蓮の業火をぶつけようとするも、ちんけな火力では火傷一つ負わせられなかった。
呻き声一つ上げ、炎を操る捜査官は沈黙する。立ち上がり、追ってくる可能性を完全に断つには、一思いに手にかけるべきであろう。しかし、まだ敵は残っている。大太刀を携えた男は、それまでも剣閃を瞬かせ後ろから斬撃で支援していたものの、どれもこれも皮衣を裂くことも出来ず、肌が見えている位置を斬ろうともしていなかった。
どんな剣士が転生した守護神なのかは知った事ではない。独眼竜のような武将なのか、より過去の義経や武蔵坊であるのか。佐々木小次郎の線も捨てがたい、何せあの身の丈程の大刀だ。
しかし、使い手がお粗末すぎる。これまで自身が刀を振るう鍛錬をろくに積んでこなかったのだろう。斬撃そのものは恐れるべき鋭利さを持ち、そのリーチも腕の長さを含めれば非常に長い。接近されてしまうと確かに回避は困難である。しかし、防ぐ手立てのある者にとって、それはあまりに無力だ。
天高く向けて振り上げた白刃を、宙を引き裂くような気迫で一息に振り下ろす。刀身に跳ね返る月の光が、ぎらりと瞬くも、悲しいかな、その刃は容易く布切れ一枚に防がれてしまった。
「残念至極。この衣引き裂きたくば、日の本一の剣士でも連れてきたまえ」
もしそれがその守護神だったとしたならば、興ざめもいいところだ。誰であろうと止められない。イージスの盾のような能力だ。特定の、ELEVENのような強大無比の守護神でなくては抑止力にもならないのだから。
腹部に、重たい蹴りを一つ。それだけで剣豪の能力者は、その場に蹲って動けなくなった。連絡が取れない程度に痛めつける必要はある。そう判断した従者はもう一つ蹴りを放ち、地面の上を転がした。肺の空気が衝撃で吐き出される喘鳴だけを残し、その場でもう一人の捜査官も意識を手放した。
「急ぐか」
追っ手も消えた任務の続きは、驚くほどに容易だった。溜め息や欠伸を漏らしてしまいたくなるほどに。ものの一、二分。足音を殺して走り抜けるだけで、王子達が控えている本陣へと辿り着いた。
大げさな設備を搭載した、トラックのような大型車両。そこにはレーダーなど様々な機械が設置され、戦場の状況が即時報告されるようになっている。成程、ここが琴割の居所で間違いないらしい。
琴割本人を殺すことはできない。それはジャンヌダルクの能力により防がれているため、絶対の真理だ。しかし、彼の信用に泥を塗ることはできる。その失脚の前がかりとして必要なことが、この決戦において、決着をつけぬ内に、あるいはこちら陣営の勝利という形で、十二時を迎える事だ。
見せしめの形で、ある女が死することで、琴割 月光の正義に墨を垂らす。彼の経歴は真っ白な布のようなもので、悪評という悪評の多くを、ジャンヌダルクの能力により、露呈を拒み隠し続けてきた。そこに、たった一つの汚点を植え付ける。広がるのはあっという間だ。そして、一度ついた染みを落とすことはなかなかできない。
しかし、この度の失策の機密は守られない。その機密を目に収める男の凶行を、ジャンヌダルクでは防げない。
「王子 光葉。そのたった一人を殺してしまえば詰みだ。もう一人の、戸籍すらない少年に関しては詳細が掴めていないが、傾城にだけは能力が働かないことは白雪姫との戦いで理解している」
おそらくはネロルキウスだろうと察しはついている。しかし、その証拠だけはどう足掻いても得ることはできない。そのため、それを理由に琴割 月光を法的に追い込むことはできないようだ。
だからと言って、これは少々回りくどいような気もするがなと、ボスに対して彼は毒づいた。ボスというのは当然かぐや姫でない、黒幕と思われた彼女の、さらに後方に位置する純粋無垢な自己中心主義者。
歪んだ正義を掲げ続ける永遠の支配者に、自分が主役の物語を紡ぎたくて仕方ないストーリーテラー。全く、ELEVENというのはどいつもこいつも救いようがない。
「キングアーサーの契約者は欧米に住むおどおどした学士と言っていたろうか。ふん、その方が余程生かし甲斐がある」
とはいえ、油を売るのももう終いだ。
もう、邪魔立ては無い。この辺りに戦闘員は配置されていない。琴割一人で最悪事足りると断じているためだ。もしかすれば、もう一人の異分子である小柄な少年の存在故、その可能性もある。ただ、どちらにせよ、今この瞬間は油断しているはずだ。
気配が忍び寄って来る気配も無い。そしてこの自分からも気配を隠し通す程優れた暗殺者など、警察という平和を守る組織に存在する由も無い。
そもそも自分の存在に気が付いた上で、追いつけるだけの速度を持っている人間が何人いるか。奏白はおそらくガス欠を引きずっている。如何に彼と言えど、上空に残った従者の相手は骨が折れる。
そもそも、目の前に元凶のかぐや姫が無防備に座していると思い込んでいる彼らが、地上に戻って来る筈が無いのだ。
人間は、万策尽きた。今度こそそう断定した。もう、予定外など何一つ起こることも無いだろう。
音も無く、陰に潜むようにして近づく。後数歩もすれば明るい場所に出てしまうが、監視の目もほとんど無い。一息に、理解させる暇を与えることも無く、トラックそのものを大破し、燃料に引火させて爆発させる。王子一人だけなら、それで終わりだ。
息を呑む。
これで、三か月続いた、一人の男の我儘に終止符が打たれる。
自分たちは心をほとんど持っていないが故、破壊衝動に苦痛を感じていなかったものの、他のフェアリーガーデンの守護神の様子は痛ましいものだった。
しかし、それもここで終わり。人間にもたくさんの死者が出た。そしてまた、自分の目の前で、人魚姫の契約者だからという理由だけで王子 光葉は殺されようとしている。本来ならば慈悲をかけるところだろう。しかし、そんな感情を持ち合わせてはいない。ただ彼の胸の内にあるのは、使命を達した己を躍らせる、一足早い歓喜のみ。
さあ、これで全てを終わらせよう。勢いよく、彼は闇の中から飛び出した。
甲高い音が夜空に響き渡る。静寂な夜空に、鍔鳴りが一つ、星の光と同じように、瞬くように走り抜けた。
鞘に納められた刀の鍔が、鯉口と打ち合う小さな音。静謐の最中、余韻を残すように、暗がりに溶けていく。
身体に違和感を覚えると同時に、不意に世界が回りだした。前に進もうとしているのに、全く前進している感覚が無い。それどころか、世界が右回りに転がり始めた。段々、見える視界が下向きに落ちていく。
何事だ、一体何が起きている。頭をしかと打ち付け、何とか起き上がろうとするも、右腕はともかく左腕の感覚が無い。息を吸ってもまるで胸の中に満たされず、首を動かして辺りを見回すこともままならない。
眼球だけをぎょろりと動かし、周囲の様子を見まわす。そこには、一つの肉塊と、見知らぬ人物の脚が見えた。日本刀を鞘に納めたまま、浅黒い肢体を見せつけている。
そこに倒れている肉の塊が、己の半身だと気づくのは容易だった。その半身は、火鼠の皮衣を纏っていた。その事実に、戦慄する。今、己の頭が付いたままの上半身にも赤い衣がまとわりついている。この皮衣は一点もの、しかし今や二分されている。
そう、目の前のこの人物は、火鼠の皮衣を両断してみせたという事だ。
一体、誰がそんな事を。
不可能に決まっているというのに。
今自分に迫っている者はいないはずでは。
いたとして、誰が追いつけるというのか。
追いついたとて、どうやって今の今まで気配を殺していたのか。
生粋の暗殺者が、この国にどうして存在しているのか。
肺から空気を吐き出せない以上、ろくに声も出ない。情けない音を立て、笛のような音だけ喉から漏らしながら、四人目の従者は見上げ、その顔を拝んでみせた。
東洋人の女性だった。一体貴様は誰だとの問いを、口にはできない。それゆえ、視線だけでその疑念をぶつける。
その女は、お世辞にも賢いとは言えなかった。しかし、妙に聡く、直感だけはやけに強い。その視線の意図を瞬時に読み取った彼女は、それを確認するべく、問いを言葉で返す。
「んあ? あたしか?」
その惚けたような声音に、ようやく合点がいった。
存在をすっかり忘れていた。初めに戦場に現れていなかった事実から、今日は現れないものだとばかり思い込んでいた。
奏白音也に匹敵するだけの脚力、気配を完璧に殺せるだけの経歴、そして何よりも、火鼠の皮衣を裂くだけの激烈な暴威。
皮肉だろうか、奇しくも彼女は先ほど彼自身が連れてこいと言ってみせた、腕の立つ剣士に他ならなかった。
そう、彼女は彼らにとっては裏切り者の。
「冥土の土産に教えてやるよ。日本一の桃太郎、ってなぁ」
息絶える間際、その従者が目にしたのは、闇に紛れるような純黒のパーカーに身を包んだ傭兵、クーニャンの得意げな表情だった。
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