複雑・ファジー小説

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守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
日時: 2022/05/19 21:16
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。

___

本編の完結とエピローグについて >>173





目次です。

▽メインストーリー
 File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
 File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
 File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
 File4:セイラ   >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
 File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
 File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
 File7:交差する軌跡  >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
 File8:例えこの身が朽ちようと    >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
 File9:それは僕が生まれた理由(前編)    >>59 >>60-61 >>63-64
 File0:ネロルキウス  >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
 File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
 File10:共に歩むという事   >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
 FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
 Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172

 Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177

-▽寄り道
 春が訪れて >>23
 白銀の鳥  >>70-71
 クリスマス >>120

▽用語集
 >>8 File1分
 >>15 File2分
 >>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも

▽ゲスト
 日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
 友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)




気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)

Re: 守護神アクセス【File9後編・完】 ( No.83 )
日時: 2018/06/20 08:05
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 血の匂いがする。
 倒壊する灰色の瓦礫、空間を劈く悲鳴の重奏。煙で黒く淀んだ炎が舐めとるように半壊した建造物を飲み込んで、蜘蛛の子を散らすように人々は逃げ惑う。もうこの光景を何度となく目にしてきたが、未だに飽きることは無い。
 胸の内に渦巻く高揚。いけない事だと分かっていながら、いけない事にどっぷりと手を染めた自分が愉快でならない。口角が意識の外で自然と持ち上がる。踏み歩いたその背後には町だった残骸と、誰かが大切にしていた何かが横たわっていた。
 初めから、彼女の頭巾は真っ赤に染まっていたと言うのに。返り血がより鮮紅に染め上げていた。銃を構える機械的な音、照準を定めるように銃口が右を向き、左を見る。その先には、逃げ惑う人ごみに紛れることもできない、走り遅れた老婆の姿があった。裕福とも貧相ともとれない、無難な身なりをしている。
 おばあちゃんのためにパンとワインを届けに行く。そんなけなげな少女であったはずなのに。猟師に命令してその銃身を老いた女性に向けた彼女は、自嘲気味に乾いた笑みを漏らした。
 その砲身が自分に向いているとは、一心不乱に走る女性は気が付いていないだろう。むしろ、見ないようにしているというべきだろうか。狙われていてもいなくても、危険には変わりない。その気になりさえすれば周囲一帯蜂の巣の焼け野原にできる、そんな彼女の前では警戒なんて意味を為さない。
 その気まぐれな好奇心が、向かないように、あるいは向いてしまう前に、遠くへ進むしかない。運がいいか悪いか、それだけの差異。

「あのお婆さんも災難っすね」

 こんな所であたしに会っちゃったのが運の尽きだなんて。背後に聳え立つ、上半身のみの霊体の猟師に赤ずきんは問いかけた。猟師の身体は実体化しておらず、何人たりとも彼を傷つけることはできない。逆に猟師が触れることができるのもまた、己が握りしめる銃くらいのものであった。
 その銃だけが、猟師の虚像と人間たちとをつなぎとめている。防ぐことのできぬ狙撃手、回避するだけの敏捷性の無い一般人にとって、その照準を定められた時にはもう、死を覚悟するほかない。
 照星の先に老婆を置いて、狩人は指先に力を込める。そのまま、赤ずきんの掛け声と共に。

「猟師さーん、発射(ファイア)!」

 力ない民の背中を、撃ち抜く。

◆◇◆


 心配してくれる誰かが居る。今度こそ任せろと言ってくれる仲間がいる。その安堵と幸福をただ享受している訳にはいかない。知君は、緩んでしまった頬を再び緊張させた。赤ずきんが現れた、ならば一刻も早く誰かが現場に向かわなければならない。
 真っ赤な布で頭を覆っているのがトレードマークの彼女は、フェアリーテイル屈指の殲滅能力を有している。かつて何千という兵と共に、数十分かけて渋谷を焼き払った壊死谷がいたが、赤ずきんの影響力はその比ではない。およそ数分、使役する駒はたったの三つ、それだけで渋谷くらいなら破壊しつくす。勿論、警察の妨害が入らない前提はあるが。
 誰もが奏白の顔を見た。最も早く現着できるのはお前だと。だが、奏白は力なく首を横に振った。行きたくないのではなく、行くことができなかった。この感覚は一度経験したことがある。今にも駆け出そうとしているのに、脚が床と溶けて混ざり合ったみたいに、離れようとしない。
 第三者に、ここに踏みとどまれと、この部屋を離れることを『拒まれて』いた。

「こんな芸当、あんたにしかできないよな?」
「えらい生意気な口聞くようになったなあ、一応上司やぞ、こちとら。……まあええわ、あんま敬われんのも好きちゃうからのう」
「それで、今回は何の用だよ」
「ああ、今知君が話しとったやろ、その事についてや」

 昔そいつに施した教育の話しとった頃には着いとってんけどなあ。わざわざ部屋の外で黙っといたんやから感謝せえよと、入室してきた彼は言う。
 蛇のように真っ赤な舌を口の隙間から覗かせる、人を化かす狐のような糸目。顔は若々しいと言うのに、その頭髪だけは歴戦の猛者として真っ白になっていた。世の中では英雄とされている、現存する中で最古の守護神アクセス成功者、琴割 月光。知君を作り出したその人である。
 元々、知君筆頭に第7班の三人には話が合ったから、二人が揃って見舞いに来るタイミングで自分も向かおうとしたらしい。王子がいるとより一層都合が良かったようだが、癇癪を起こして席を外していると聞き、難儀な話だと肩を落とした。
 唐突に現れたその様子に酷く驚いた知君は、声を焦りで揺らしながら白髪の男に問いかけた。

「話して……よかったん、ですか?」
「こんな事にまで巻き込んだしのう。特に洋介からは守護神まで奪い取ってもうたし、しゃあないやろ」

 これまでずっと、この話は他人にするなと言い含められてきた彼だ。むしろ、言ったら殺すと言外に伝えられているような絶対的な命令と受け止めてきた。世界的に、守護神の能力を戦争やテロに悪用しないようにと平和の代行者を担っている琴割である。試験管の中で人間を作り上げたこと、その遺伝子を意図的に改変したこと。それだけでも倫理的に問題があると言うのに、秘密裏にELEVENの契約者を作り出し、私兵としてフェアリーテイルとの戦いに投じてきたのだ。それを知られる訳には行かない。
 自分で制定させた、ELEVENは自分の判断で能力を多用してはならないとの国際条約。知君に戸籍も無く、そのナンバーが世間的に割れていないからとその力を好き勝手使ってきたと知られたら、その信用は地に落ちる。情報の漏洩をジャンヌダルクの力で防いでいても、アメリカの大統領がELEVENである以上、いつまでも出し抜いてはいられない。彼が本気で調べようと、部下のサクセスストーリーを紡いでしまえば、分の悪い情報は知君や琴割のあずかり知らぬところから漏れていくだろう。

「それに、ほんまに聞かせる気が無かったら、こいつらが聞くのを拒むように働きかけとるからな、必要以上にびくびくすんな」

 はらはらとしながら、気が気じゃないと言わんがばかりに部屋中の人の顔色を慮る少年に嘆息混じりに琴割は苦笑を浮かべた。彼の心の中には、わずかばかり自責の念が渦巻いていた。彼がこう思うようになってしまったのも、全て自分の伝えてきたこと、教えてきたことが原因になっているのは火を見るよりも明らかなのだから。

「それより総監、私達は赤ずきんの元へ向かわなくてもよいのですか?」
「ああ、えーっと……お前は奏白の妹か」
「はい。それより、早くお答えください」

 赤ずきんは放置する訳にはいかない。もう既に、守護神ジャックをされてしまった数名の人間が生命力の枯渇による衰弱死を引き起こしている。そしてその膨大な力は全て、街の破壊と殺戮とに用いられていた。
 被害総額は億を超え、犠牲者は死者だけで千を上回った。一刻も早く駆け付けねば、また秒針が進むごとに被害は増えるだろう。それゆえ神経を憔悴でくすぶらせ、線香花火のようにゆっくりとすり減らした彼女から、火花が弾けるようにして質問が口を付いて出たらしい。

「勿論最終的には向かってもらう。じゃあ太陽、お前弟連れて先行しとる1班や2班に追いついてくれ。多分奏白の方が先に着くやろけど、奏白には少し話がある」
「分かりました。……しかしお言葉ですが、奏白だけでも先に向かわせた方が良いかと」

 話ならば、妹の側に伝えておけば後から奏白にも伝わる。それならば先に、すぐに現地に駆けつけられる音也だけでも向かわせるべきだと太陽は主張した。
 当然、彼の中には打算的な思い、後輩ながらも自分以上の実力者である彼に縋ろうとする思いは間違いなく存在していた。かつて自分は、能力をほとんど用いていない桃太郎にさえ軽くあしらわれてしまった。今ならあのような失態は二度と起こさない自信はあるがそれでも、赤ずきんから王子を守り切るだけの自信が、兄である太陽には無かった。
 自分は最悪、戦場で死ぬ覚悟はできている。しかし、弟を失う覚悟はまだできていなかった。そのため、大切な末弟を失わないようにと太陽は、先に奏白にも駆け付けてもらえないかと、藁をも掴む思いで請願した。

「というより、今はまだ誰も着いてないんだろ? やっぱり俺が行くべきだと思います」
「いや、一人既に向かっとるし、もうそろそろ着く頃やろ。……ただ、そいつが足止めしてるとはいえ増援は必要じゃろうな」
「一人って……赤ずきん相手にそんなの無謀です、早くその人だけでも、引き返させてあげて下さい!」
「安心せい知君。勝つまではいかへんやろけどそう簡単に殺されるようなタマちゃうぞ、あいつらは」
「あいつ、“ら”……? もしかして」

 一人しか向かっていないと言っていたのに、今度はあいつらと、複数人を示唆するような言葉を用いた。確かに彼女たちならば、赤ずきんの足止めくらいならば容易だろう。もしかするとそのまま赤ずきんにまで打ち勝ってしまうかもしれない。
 何せ契約している彼は、日本一の剣士なのだから。


◇◆◇

 逃げる細い胴に向かって、弾丸を撃ち放したはずだった。炸裂する火薬、焦げ臭い硝煙がまた頭巾に染み込んだかと思うと、鼓膜を殴りつけるような銃声が轟く。瞬きするほどの刹那の後に、背を向けて遠ざかろうとする白髪交じりの通行人の身体を貫通する、そのはずだったのに。
 銃声を後から追うように、金属同士が高速で擦れる甲高い悲鳴。名残惜しそうな残響と共に消えてゆく、火花と同時にチュンと鳴く鉛の弾丸。金属製の小鳥が囀ったのかと、耳を疑った。しかし、狙撃したはずの一般人が無傷で走り続けている様子から、猟銃による発砲が防がれたのは幻でなく、目の前で起こった現実だと赤ずきんも受け入れた。
 それ以外の者は全て此方から遠ざかろうと躍起になっているというのに、突如飛来した『彼女』にはその様子はなく、むしろ立ち向かうために来たのだと言わんがばかりに堂々としている。その手に握りしめているのは、一本の刀。白銀の刃を支える峰は黒光りし、直線のようで僅かに弧を描いたシルエット。この国で古くから用いられ、一時は権力の象徴とも言えた一振りの剣。日本刀である。
 袖の無いシャツにホットパンツという、涼し気で開放的な服装に似つかわしくない長物。その製鉄技術は切腹や打ち首に用いる刀と同じ製法で作られているため、かしこまった空気を醸し出すのもそれは当然のことと言えた。
 身に纏う面積の小さな衣類からは、彼女の肢体が隠れることなくほぼ全てが顔を見せていた。黄色人種らしい顔立ちだと言うのに、その肌は焼き立てのパンのような小麦色に染まっている。虎が獲物を見つけた時のような鋭い眼光が、赤ずきんを射抜いた。
 整った顔立ちに、冷静な瞳。銃をも切り捨てたその反応に速度、精密性。たった一つの動作だけで只者では無いのだと雄弁に物語っていた。刀を見るに、銃弾と衝突したであろう刃の腹一点から小さく煙が上がっている。これで宙を高速で走る、小さな弾丸を両断したのはもはや疑う余地も無いだろう。
 有象無象、大して強くも無い捜査官に取り囲まれたことは何度もあるが、その度に蹴散らして逃げおおせてきた。時として、相手を殲滅することもあった。しかし一度、音の能力を用いる能力者とぶつかったことがある。地上に現れてから、数日と言った時期だった。
 何とか隙を突くことができたものの、あの時がこれまでの最大の窮地であった。最初にジャックした人間の生命力を奪い過ぎて、能力が使えなくなりかけていたためだ。そんな時に、それまでで最も強い捜査官などと対峙したため、あの時ばかりは負けるものだと自分でも恐れてしまった。
 その者と同じだけのオーラが、目の前の女からは感じられた。よく日に焼けた褐色の肌からは、それだけ彼女が太陽の下で活動していることを示している。群れの力で襲う他の捜査官とも、圧倒的な実力だけで押しつぶしてくる実力者とも異なる。
 赤ずきんは、先日シンデレラと出会った際にある剣士に関することを聞かされていた。一人敵陣営についたフェアリーテイルがいる、と。人魚姫が向こうにいるとは以前から聞いていたが、それ以外で敵対するのは初めてだった。
 誰であるのか聞き出してみると、本来はこちら側の駒であり、敵を討つために向かっていたはずだったと言うではないか。裏切り者の存在に、舌打ちをしたのは覚えている。まさかよりによって自分が、その背信者と相対する日がこようとは思っていなかったが。
 そんな事などつゆほども知らない女性。細くしなやかな手足をリラックスさせるその様子から、彼女が修羅場をいくつも越えていると判断できた。体は幾分も硬直していそうにない。獣のような虎視眈々と、付け入る油断を窺う様な眼光が冷たく光っていた、ばかりだというのに。


 不意にその張り詰めた表情が緩んだ。


 険しかったはずの表情はどこへやら、気が付けばその頬は緩み切っていた。破顔し、少女のようなあどけない笑みを浮かべた彼女が満面の笑みを浮かべて見せたのは、まるで大輪の花火が弾けたようであった。
 リラックスしていなるのではなく、緊張感がまるでないだけ。虎のようだと思っていた瞳は、実のところ移り気な猫のようなものである。そう判断し、認識を改めるのにそう多くの時間を要しなかった。呆気にとられた直後、もはや呆れかえったフェアリーテイルを尻目に、空気の読めない褐色の少女は明るい声を轟かせた。

「ちぃーーーーっす! どうもぉ! クーニャンでぇーーーーっす!」

 一瞬でも、この女がかなりの切れ者なのではないかと考えた自分が馬鹿だったと、赤ずきんはクーニャンと名乗った彼女に向ける目を白くした。図体だけやけに大人びているが、頭の中身は自分よりもずっと子供臭い。
 乳臭い、十歳にも満たない男の子とよく似た腕白度合いだ。

「いやぁ、今日これからはヤバい奴と戦っていくんですけどもぉ、増援は誰一人来ませんでした。なぁにがいけなかったんでしょうねえー!」
「急に何なんすか、あんた」
「ありゃま知らなんだか、何かな、昔動画サイトで広告収入得るのが流行ったらしくてな、当時の面白そーな動画見てたらその内の一人が、んな事言ってたんだよなー」
「いや、知らねっすよ。人間の趣味なんて」
「そっすね、あんた守護神だもんなっすね。しゃあねーわっすね」
「……茶化さないで欲しいっす」

 あんま自分の真似されるの好きじゃないんすよね。そう言いつつ、立ち塞がるクーニャンを手で指し示した。その指示を理解したのか、首肯することも無く背後の猟師は、その照準を今度は少女の方に合わせて見せた。

「おっ、やる気かい、イカガール?」
「目ぇ腐ってんすか、どっからどう見てもあたしはイカじゃなくてアカっすよ」
「つれねーなー、流行りのゲームのキャラなのに」
「だから人間の趣味なんて」
「知らねっすよー、ってか?」

 天真爛漫に振る舞うクーニャンの姿に、次第にフラストレーションが溜まっていく。眉を吊り上げ、眉間には皺を寄せた。への字にした口からは、明確な不機嫌が溢れ出ている。

「もういいっす」
「どしたよ、怖い顔して」
「とっととぶち殺してその口永遠に閉ざしてやるっす」
「短気だけど嫌いじゃねーぜ、そう言うの。オラ、わくわくすっぞ?」
「ワクワクするのはあんたの勝手。ただ、減らず口はしまいっす。……猟師さん」

 声をかけると同時に、後ろの髭面の男が照星越しにクーニャンを見つめた。銃口を彼女の身体のど真ん中に向けて、指先に力を込めていく。先ほどと比べて、威力を高めた強力な一射。刀ごと撃ち砕いてみせるという強い意志と共に、険のある声で少女は発砲の合図を下した。

「発射(ファイア)!」

Re: 守護神アクセス【File10・開幕】 ( No.84 )
日時: 2018/06/26 17:53
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

「発射(ファイア)!」

 炸裂する銃声。肉眼で捉えられない速度の弾丸の軌跡が赤ずきんとクーニャンとを繋いだ。だが、その弾頭はクーニャンの頭蓋には届かない。人ならざる速度で反応した彼女はというと、手に持った日本刀を振り抜き、再び銃弾を空中にて両断した。文字通り金切り声が小さく上がる。二つに斬られた弾丸が、悲鳴を上げながら地を転がった。
 カランコロンと転がる金属片。それを悠長に聞く二人では無かった。もう既にドーピングアイテムであるキビ団子を二つ摂取していたクーニャンは、続く発砲より先にと駆け出した。猟師はというと次の弾を用意している。
 チャンスは今。赤ずきん本体が攻撃してきた報告は無い。しかしそれが、できない事実に直結する訳ではない。真正面からの特攻は危険、そう判断したクーニャンは一度陽動をかけることにした。
 剣気を纏わせた刀を地面に突き刺した。頑強な刃はアスファルトに立てたところで刃毀れ一つしない。そのまま刀身の内側に圧縮した剣気を衝撃へと転換、振り上げると同時に一息に解き放った。黄色い閃光が爆風を巻き込みながら赤ずきんへと襲い掛かる。赤ずきんが市街地を焼き払い生まれた瓦礫を巻き込み、礫の雨霰が横殴りに襲い掛かる。

「おばあさん!」

 誰もいない虚空へと呼びかける。次の瞬間、どこからともなく二本の腕が現れた。まるで巨人の腕と思えるような、巨大な腕。それが愛しい我が子を抱えるように赤ずきんを抱擁し、壁のように取り囲んだ。爆風も瓦礫も、その障壁を貫くことはできなかった。

「狼さん、あんたも出番っすよ」

 抱きしめる腕の防壁の中で、指笛を高らかに吹き鳴らす。開放的な空間を軽やかな音色が突き抜けたかと思うと、次の瞬間には真っ黒な毛皮に身を包む大柄な狼が降り立った。その体躯は人間一人くらいなら丸呑みしてしまいそうな程だ。フェアリーテイル同様の血走った目を輝かせて、牙を剥き出しにして喉を鳴らしている。
 おばあさんの加護を無理やりこじ開けようとしていた桃太郎達であったが、現れた狼が地を踏みしめたのを確認すると、標的を赤ずきんからそちらの獣へと移した。あれが獰猛な眷属であることは充分に理解している。右へ、左へ。狩りになれているのであろう狼は、翻弄するように地を踊り、クーニャン目掛けて飛び掛かった。
 迫る前足の爪を何とか刀で受け止める。もう一方の前足が振り上げられたのは確認したため、迅速に刀を突きあげて狼の身体を押し戻した。後ろ側へと重心を崩した獣だったが、すぐさま後ろ足で大地を蹴り、体勢を立て直した。
 狼が今にも飛び掛かろうと、低い姿勢を取りはしたが、後方で猟銃を構えた猟師の姿も当然見逃してはいなかった。

「ファイア!」

 叫ぶ銃声、同時に走る斬撃。三度目の金属音と共に、また弾頭は真っ二つに。だがその剣を振るった隙を突いてか、大地を蹴った狼が今度は一直線にクーニャンの眼前へ。首もろともその頭を噛み千切ってやろうと大きな口を開いてその鋭利な牙を覗かせた。
 咄嗟に屈みこみ、跳びかかる狼の懐へと下からクーニャンは潜り込んだ。駆け抜ける狼の血濡れた牙を上空に見送り腹の真下へと潜り込む。そのまま片足で地面を踏みしめ、もう片足で上空めがけて射抜いた。猛スピードで疾走していた大狼の身体が、腹部を蹴られ真上に突き上げられる。
 太陽の下、無防備に宙に放り出された一匹の四足動物。空中ではもがいても上手く動けないようだが、それでも猫のように体を捻って着地のための姿勢だけ整えている。そう上手くいかせてなるものかと、クーニャンは薄い肌色の球体を空へと投げた。
 狼の黒い毛並みを追い越して、その代価は青空の下へ。その瞬間、突如現れた影が狼を覆った。現れたのは、ゴリラのように屈強な家来の姿。

「カモン、モンキー。叩き落しちまえ!」

 丸太のように太い両腕。手を組み合わせ、両腕を一本の太いハンマーのようにして振り下ろした。空気を捻じ曲げる鈍い音。ブンと勢いよく叩きつけられた剛腕が四つ足の獣の背中に打ち付けられた。打撃と同時に地面へと加速する体。衝撃が、狼の身体を突き抜ける。受け身を取り切れぬまま、重力に負けて大の字になって地面に広がった。
 これで眷属一人は封じたため、猟師の弾丸にのみ気を向けていればよい。そう思っていたのだが、クーニャンは瞬時に、宙に浮かんでいたショットガンがいつの間にかマシンガンに変わっている事に気が付いた。途切れることも無さそうな一連の弾倉が垂れ下がっている。果たして何百発、何千発連射されることになるのだろうか。

「あんたが避けりゃあ後ろは壊滅。あんたが立ち止まればあんたが蜂の巣。どっちに転んでもあたしの思惑っすよ!」
「はっ、やってみなきゃ分かんねえだろ」
「威勢はまだいいみたいっすね。でもこのエンドレス・ワルツは、あんたが死ぬまで終わらない」
「技名なんかつけてんのかよお前……」
「その方がアガるってだけっすよ! 黙って死ぬまで踊りくるいな、発射(ファイア)!」

 次から次へと弾ける火薬。炸裂する銃声が、戦場一帯を覆いつくした。反響し、重なり合い、その場全てを塗りつぶしてしまうような軽快な炸裂音が、一秒に何発と、ほんの数秒間で何十発と積み重なる。瞬きするだけで人一人穿ち抉り取ってしまいそうな物量の弾丸が襲い来る。
 赤ずきんの言う通り、背後にはまだ逃げる人々がいる。この銃弾が減速、地面に落ちるとは到底考えにくかった。だとすると、ここで退く訳にはいかない。自分が琴割から与えられた役目は、桃太郎の力を使ってこう言った凶事から人々を守ること。凶事が何を指すのかは、彼女はよく理解していなかったが、それでも怪我人を出してはいけないとは理解していた。
 これまで生きてきた道とは正反対の指針。その羅針盤の指す方へ進むのは酷く困難ではある。困難ではあるが、彼女には『退くことのできない理由』がしっかと存在していた。そして、シンプルな結論にしかたどり着けない彼女は、その唯一の解答を愚直に体現する外に取れる道なんて無かった。
 目を見開く、決して離さない。進む道を曲げなければ、その意志を折ろうともしない。ただ剣を振るう。飛び交う弾丸の雨を、次から次へと切り伏せる。瞬きが惜しい、呼吸をしている暇など無い。ただ、剣を振り下ろしてはまた切り上げ、薙ぎ、受け、弾き、また斬る。
 一つだけ救いがあるとしたら、クーニャンを殺すことを念頭に置く赤ずきんが、全ての弾丸を彼女の身体に照準を合わせていることだ。これが滅多打ちで後ろの連中にもランダムに飛ばされていたとしたら、とてもではないが守り切れない。
 迫る弾丸を斬る。今度は腰の辺りに迫っているし、次の弾丸は心臓目掛けて迫っている。弾き、打ち上げ、眉間を射抜かんとする一射を両断する。また斬っては構え、構えては斬る。そこに思考など必要なく、ただ本能と反射のみで刃を振るい続ける。
 振り抜いた斬撃の太刀筋が幾重にも重なり合い、彼女を守る防壁を形成しているようだった。実質のところ、全ての弾丸を超人的な集中力と身体能力とを駆使し、細い一本の線だけでさばいているだけだというのに。何千と重なる斬撃の剣閃は、鋼の防壁のごとく弾丸を余すことなく殺していく。

 斬って、斬って、斬って、斬って。斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って。

 もう、何度振るったのかなど数えてなどいない。疲労もスタミナ不足も全て置き去りにして、目の前にだけ集中する。焼き千切れそうな筋繊維も、途切れそうな集中力も。シャットダウンしてしまいそうなニューロンも、全部構わずその身をかなぐり捨てる。
 知君とはまた違った、戦うこそが存在意義の彼女にとって、その程度の苦痛は屁でもない。生きていると実感する。亜音速の弾丸の衝撃を受け止める手が、腕が、次第に痺れてくる。だがそれと同時に湧きあがる、生きているという、戦っているという幸福感。これこそが生き甲斐、生の実感。ならばどうしてここで、命を燃やせずにいられようか。
 考えるよりも体を動かせ。桃太郎の能力の中核、キビ団子さえあれば多少の疲労は吹き飛ぶのだから。死なないことだけ考えろ。またその意識を、精神を、残された体力を、全て一刀に注ぎ込む。
 猟師の手元では薬莢がいくつも飛んでいる。何百もの薬莢がそれはもう、山のように積み重なっている。弾み、転び、飛び交うその甲高い声すらも、早くクーニャンが地に伏さないものかと急かしているようであった。
 だが、斃れない。撃って撃って撃ちまくるその機関銃の乱射にもめげず、引けを取らず、数え切れないほどの斬撃を振るう。もう痛みも疲労も意識の地平線のそのまた向こうに投げ捨ててきた。まだ彼女の握る日本刀は、一発たりとも討ち漏らしておらず、クーニャン自身にも、後方の人々にも傷一つつけることを許していない。
 足りない頭は技術で補え。育て上げてくれた傭兵の師の言葉だ。幸い体を使うことと、それに関する物覚えは良かった。だからこそ、考えるより先に行動しろという言葉に強く従ってきた。今だってそうだ。よりよい手段を考えるよりも、こうして全部断ち切った方がよほど早い。
 それこそが、彼女の生きる術、その全てだった。
 何分経ったであろうか。あまりに意識を奪われてしまった彼女には、その猛攻は一瞬で終わったようにも、三日三晩続いたようにも感じられた。積み重なるは、無力化された弾丸の死屍累々。あるいは、ただ無駄撃ちに終わった薬莢達が仕事を終えて、怠惰に転がる姿だった。
 訪れる静寂。両者ともに、口を開こうとしなかった。険しい顔つきで息を荒げるクーニャンに、息も切らしていないというのに目を丸くする赤ずきん。目の前の光景が信じられないという風に、間抜けた表情で口を開けている。満身創痍なのは褐色の肌の少女の方だと言うに、これではどちらが優勢か分からなかった。見せつけるようにクーニャンは、たちまち涼しい顔を作って赤ずきんに語り掛けた。

「私が死ぬまで終わらない、じゃなかったか?」
「冗談すよね……こんなの、人間業じゃないっすよ」
「なぁに言ってんだよ。私だって立派な人間だ」
「次々弾丸打ち落とすだなんて、非常識にも程があるっすよ」
「へっ、こんなのチャラ男ニキと比べたら屁でもねえよ」

 大見得切った割に、少女一人仕留めることができない。先ほどの宣言が失敗に終わったことは認めざるを得なかった。得意げにする少女に対し、赤ずきんは苦々しく歯を食いしばる。紙の束を噛み締めたような歯がゆさが、一気に襲い掛かってきた。

「何なんすかあんた、ご丁寧に後ろの人間まで守って。あんたには全然関係ない人達なのに」
「しゃあねーだろがよ、それが私の仕事なんだ」
「仕事って……それこそあんたの意志なんてまるでないじゃないすか。そんなんで命賭けるだなんて、やっぱり向こう見ずな阿保なんじゃないすか、あんた」
「分かってねーなー、これだからがきんちょは」

 肩を竦め、やれやれと首を横に振る。その様子が赤ずきんの勘に障った。自分の何が分かっていないというのかと、棘のある口調で詰問する。侮られたという実感が、そして怒りが使命感を超えて彼女の心を埋め尽くしていた。

「あのな、私はちゃんと、私がふざけてるように見えるってのはちゃんと知ってる。でもこれでもな、れっきとしたプロなんだよ。訓練受けた、一人のよーへいなんだ」
「立派な言い訳してるつもりみたいっすけど、あんた結局はただの裏切り者じゃないすか」
「ちっげーよ。私はいつだって私なりに戦ってる。雇い主がお前らのボスだったから私はぷりんすやネロみんと戦ったさ。でもな、今の雇い主はうさんくせー狐男なんだよ。そいつが金出して人々守れって命令してきてんだよ。そしたら私はそれに従うしかないんよ、プロだかんな」

 いつだって、自分の仕事と真摯に向き合っている。殺せと言われれば殺す。倒せと言われれば倒す。死ねと言われたら死ぬかもしれないけれど、護り抜けと言われたら身を粉にしてでも護り抜く。それこそが、仕事として、傭兵として、戦うことを生業としている者として戦場に立つ、彼女なりの矜持だった。

「私は提示された目的を、私情全部取っ払って達成することに関しちゃ、ネロみんにだって負けねえよ」

 険しい顔つきでも無ければ、神経を逆なでるような場違いな笑顔でもない。ただ彼女は、当たり前のことを当たり前のように行う、至って真面目な顔でそう述べた。食っていくために戦っている以上、クライアントの意向には必ず報いる。それこそが、彼女なりのプライド。それを理解しようともせず、まるで『仕事なんか』と言わんがばかりに、それに命を賭けようとすることを否定する赤ずきんのことを彼女は子供だと言っていた。

「さて、そうこう言ってる内にみーんな逃げちまったぞ? 私は充分仕事遂行したけど、お前はどうだ?」
「うるさいなあ……」
「んー、私一人殺せねえちびっこに、これ以上悪いことなんてさせねーよ。それとも、さっきのを防がれてまだ打つ手があるっての?」
「当たり前っすよ。……この私を、カレットを舐めたら痛い目見るっすよ」
「じゃあ、どうするってんだ?」
「全力の一撃、お見舞いするだけっすよ」

 右手の親指と人差し指とで輪を作り、それを口に含んだ。そのまま大きく息を吹き出すと、汽笛のような号令が鳴り響く。これは確か、狼を呼んだ時にも聞いたものだと、クーニャンは肩で息をする体を引きずる思いで身構えた。片手を、腰に現れた巾着の中に突っ込んで予め次の展開に備える。
 予想はしていたため驚きこそしなかった。桃太郎の家来が一人、猿に叩きつけられて地面に突っ伏していた狼が、ようやくその片足を突いて立ち上がろうとする。あの素早さは油断できないと、視線をそちらの方に向ける。すると今度こそ彼女は、驚愕を隠し切れない光景を目にした。
 よろめきながらも立ち上がる狼はというと、その姿を異形に変貌させていた。首から上、要するに顔だけが異常に肥大化して膨れ上がっていた。ぶくぶくと肥えた訳ではない。細長く引き締まっていることに変わりなく、そのまま縦にも横にも大きく広げられていた。その口を大きく開くだけで、周りの地面ごと人一人丸ごと飲み込んでしまうぐらいに、引き伸ばされた顎。
 アンバランスで今にも崩れ倒れてしまいそうな体躯となったというのに、細くしなやかな四本の足はふらつきながらも支えていた。そして、口だけ肥大化しただけあると言うべきか、予想通りにその獣は、そのまま顔が裂けてしまいそうな程に、巨大な口を最大まで開いて見せた。
 そこにはどす黒い闇が広がっていた。血濡れたナイフのような尖った牙も、獰猛に瞬くその瞳も、喉の奥に繋がっている底なしの闇と比較してしまえば、何とも思わない。それほどまでに底知れぬ絶望を突き付ける、黒狼の喉笛。踏み入れば二度と光差す外界に出られそうにない。
 足を踏み入れたくない空間、それが自ら跳びかかってきたならば、どうしたものか。大きくなった体に受ける抵抗も大きくなっているだろうにそれもものともせず、野を駆ける狩人らしく狼は一瞬でトップスピードに達した。
 散らばるコンクリート片も、剥き出しになった土の大地も全て巻き込んで、無明の闇に飲み込む一匹の獣。それはまさしく、宮殿ヴァルハラに住まう隻眼の神を飲み込んだ神に仇なす狼のごとく。
 天まで届きそうな上顎に、大地まで掘削し抉り抜く下顎。天地の狭間に属する万物を喰らい尽くさんとする、己が眷属のその様子に彼女は、以下のような名を付けていた。

「これがあたし達の全身全霊っすよ、グランフェンリル!」

 終末の日の黄昏が訪れる。真っ赤な瘴気に侵された、血に薄汚れた牙の葬列が、クーニャンの身体を捉えた。

Re: 守護神アクセス【File10・開幕】 ( No.85 )
日時: 2018/06/27 16:00
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

 終末の日の黄昏が訪れる。真っ赤な瘴気に侵された、血に薄汚れた牙の葬列が、クーニャンの身体を捉えた。
 目に見える傷こそ無いものの、ずっと剣を振るい続けた筋肉の細かい傷は体内に蓄積されている。その場から跳び退くエネルギーさえ中々生み出せない。ただしそれは、あくまで現状においての話だ。
 予め準備をしておいて正解だった。手に握りしめた三つ目の団子を一息に飲み込んだ。もう既に、ここにたどり着くまでに二つ接触していたため、これがリミッターを外すための最後の一口。あの状態に移行すれば理性が飛びかけるため、周囲に人がいる状態ではろくに使えないのだが、人民の避難が完了した今となっては問題ない。どうせ援軍が来るにもまだ時間がかかるだろう。
 それならば、悩む必要は無い。胃袋に極上の団子が落ち、全身には力が漲った。しかしその力はというと、決して正義の力などではない。物語の中で人々を恐怖と絶望とのどん底に陥れた、鬼の血統。どす黒い血を解放するための三度目のドーピング。体から真っ黒な蒸気が迸る。それはまるで、蒸気機関車のようであった。身体中に赤い痣が浮かび上がり、肌も十代の女子のしなやかで柔らかいものから、まるで岩のように固い膜へと変容する。

「傷も疲労もたちまち元通り。これってば、仙豆みたいだって思わねーか?」
「だから、せんずなんてもん知らねっすよ!」

 決着はついたと思い込んでいた。自分はフェアリーテイルの中でも最上位に位置する一人。流石にシンデレラには敵わないだろうが、それでも日本くらいでしかもてはやされていない桃太郎などには負けるはずもないと高をくくっていた。それなのに、現実はどうだ。鬼の血統を解放したクーニャンはというと、刀の柄で殴りつけるだけでグランフェンリル……と彼女が呼んでいる形態の狼、その上顎を吹き飛ばした。
 実際のところ、桃太郎と赤ずきんとでは赤ずきんの方がよほど強力な能力を有した守護神である。しかしお互いの能力の出力は今や拮抗していた。その理由が分からないほど馬鹿ではない。守護神アクセスと守護神ジャックの違い。あくまで紛い物の顕現に過ぎぬ彼女が、正規の手順を踏んだ桃太郎を圧倒できると思っていたのが間違いであった。
 しかも、クーニャンは桃太郎の相方となるに際して、これ以上相応しい者が居ないと言わしめるほどの人材であった。強化された脚力に腕力を使いこなすだけの運動センスに、唯一桃太郎に欠如していた柔軟性も天性の代物として予め持っていた。これにより、近接肉弾戦闘においては、これまで奏白が最強だと信じていた警察の面々に舌を巻かせるの傑物となった。
 パズルのピースのようにぴたりとかみ合うパートナー、それを得た桃太郎が孤独に抗う赤ずきんと逼迫している現状は、むしろ当然と言えた。大きく仰け反った狼は、むしろ的が大きい方がよほど不利だと判断してか元の大きさに戻った。元々充分に脅威だったその身体能力がさらに底上げされた事実を本能が察したのだろう。
 これ以上思い通りにさせてなるものかと、赤ずきんへと跳びかかろうとする進路を遮るように立ちふさがる。
 しかし、先ほどまでの状態の桃太郎達に既に手玉に取られていた狼など、今の二人にとっては小型犬に過ぎない。大地を蹴って、跳び上がって、縦横無尽に走り回ろうとする。そんな姿さえ酷くのろまに見えてならなかった。
 跳び上がり、着地。また跳躍、着陸。前へ、後ろへ、右へ左へ。赤ずきんまでたどり着く道を見出そうと俊敏に跳び回るクーニャンに置いて行かれないようにと、巧みに最短距離を移動する。だが、そのにらみ合いの時間は瞬く間に終わりを迎えることとなる。
 狼が前足で着地をした、その瞬間だった。その狭い視野の死角に潜り込んだ彼女はというと、気が付いた時には狼の真上を取っていた。見失った影、突如遮られた陽光。落ち着いていれば上空にいるとは察せられただろう。しかし、激戦に余裕を失っているのは人間も獣も、守護神も相違ない。
 むしろこの場において一番平然としていたのは、ただの人間に過ぎない中国からやってきた少女だった。齢十六に過ぎない少女は、これまで数え切れない死線を超えている。それこそ、知君や王子など、足元に並び立つ事さえ敵わないくらいに。何せ彼女は生まれながらにして、生き抜くことが戦いの連続だったのだから。

「狼さん! 上っす!」
「もう、おっせーよ!」

 振り上げた右足を、鉄槌のごとく振り下ろす。真っ黒なスニーカーが黒い毛皮さえ貫いて後頭部に叩きこまれた。守護神、およびその眷属に怪我や死の概念は無い。しかし一定のダメージを負えば人間同様に意識を失うとはこれまでのフェアリーテイルとの戦いで幾度も報告されていた。なぜそこだけ不便な生物の仕組みが流用されているのかは分からないが、それでも守護神の暴走に対して人間側が反逆できる、唯一付け入られる隙だった。

「狼突破ぁ!」

 意気揚々と、今度こそ赤ずきん本体へと向かおうとするクーニャン。もうちょろちょろ跳び回る邪魔な犬はいない。そう思って前を向いたのと、それは同時だった。
 チャキ。あえて擬音語として表現するなら、そう言ったものだろうか。部品同士が噛み合う金属音がしたかと思うと、眼前に拳銃の大口径があった。宙に浮かぶ猟師の腕が、もう目の前まで迫っていた。その手が厳かに握りしめている銃は機関銃から今度は拳銃に変わっている。

「弾丸沢山錬成するとあたしも疲れるんすよね」

 その銃口から伸びる、弾丸を忍ばせた穴はというと先ほど見た狼の喉奥の様子によく似ていた。死を想起させるような深い暗闇の奥底は、見ることもできない。まるで、恐怖という概念がヒトの形を成している人形と目を合わせているようだった。背筋に悪寒が走り抜ける。
 親指で後ろに下げられた撃鉄は、打ち鳴らす瞬間を今か今かと待ち構えている。もうとっくに、クーニャンの両足は踏み切っており、宙に浮いていた。ここから方向転換をするのは不可能であろう。真っ黒な砲身に、ごつんと額をぶつけた。その口径は流石人知を超えた守護神の代物というだけあって、クーニャンの顔ほどもある、もはや大砲と言って差し支えない大口径。
 ただ、完全に先ほどの狼の胃袋の先と同じかと言えば、それとは異なっていた。よくよく目を凝らすと、奥にはぎらりと尖った弾頭が、舌なめずりして少女の脳天を粉々に砕くその瞬間を待ち構えている。
 得意げにしている赤ずきんと、背後霊のごとく控える仏頂面の猟師と、それぞれ目が合った。両者とも、嬉々としていたり淡々としていたりと差はあれど、間違えようのない勝利を確信していた。もうここからクーニャンが回避する手段は無い。

「案外手こずっちゃったけど、今度こそしまいっすね」

 これでこの女も、今まで殺してきた何百人、あるいは千を超える屍の仲間入りだ。今これだけ苦戦したといっても、骸となった後はその他大勢と何も変わらない。結局のところ赤ずきんにとっては、自分より弱かった誰かに成り下がる。
 拳銃を握りしめる猟師の指に、少しずつ力が込められていく。重力に負けて落下する自分の速度があまりに遅かった。着地さえできれば、すぐにでも回避に踏み切れると言うのに。しかし、どう足掻いても自分が駆けだしてその銃弾を回避するよりも、その銃弾が自分の頭蓋を木っ端みじんにする方がよほど早いと、クーニャンは察してしまった。

「あー、ここまでか……」

 引き金が完全に引かれ、撃鉄が打ち付けられる。火薬が炸裂し、その発破に乗じて、弾丸が銃身の中のレールを駆け抜けた。

 激しい音が、周囲一帯に鳴り響いた。そして同時に、何かがバラバラに砕け散る暴力的な悲鳴。
 死骸が、辺り一面に散らばった。






 ただしその死体とは、決して人間のものではなかった。

「って、諦めてやると思ったか?」
「あんた……どんだけ常識欠けてんすか……!」

 激しい音が鳴り響いていた。というのも、クーニャンの振り抜いた刀が、赤ずきん達の拳銃を一刀両断し、粉々に打ち砕いたからだ。精密に作り上げられた銃がほころび、はじけ飛びながら悲鳴を上げている。金属片があたり一面に飛び散って奏でる音が重なり合い、やけに五月蠅い悲鳴が辺りに充満した。
 拳銃だったはずの、金属質の死骸が、霰のように地面に降り注ぎ、転がった。

「いやー、反射だったぜ。頭がぶつかったからよ、ワンチャンこれ斬れんじゃねー? ってぶった切ったら案の定何とかなったわー」
「……くっそ、野生の勘働きすぎじゃないすかね」

 幾度となく繰り返したが、またしても苦虫を噛み潰す赤ずきん。
 この直後、彼女はさらにその表情を歪ませることとなる。足音をも置き去りに、どこからともなく駆け付けたもう一人の尖兵に。
 穏やかな風ばかりだった空間に、飛来する一つの影。同時に、衝撃波に近い突風が吹き荒れた。嵐を纏って現れたのは、王子 太陽の請願により下された、琴割 月光の指示を受けた、クーニャンと肩を並べるほどの実力者。

「おっ、いいところに来たじゃんチャラ男ニキ」
「誰がチャラ男ニキだ、ぶっ飛ばすぞ」

 その顔には、赤ずきんにも見覚えがあった。かつて一度、この男に追い詰められた経験があるからだ。撃ち放した弾丸と同じ程度の速度で駆け抜け、狼をもやすやすと退けるだけの能力者。宿した守護神は、偉大なる音楽家アマデウス。
 そう、男の名前は。

「あんた確か、ドロシー倒した男っすよね。奏白とかいう」
「おっ、可愛い子に知られてるのは光栄だな。でもどっかで会った事なかったっけ俺たち?」
「ナンパの常套句みたいに言ってんじゃないすよ。……一回手合わせしてるっす」
「じゃ、今度こそお縄にかかってもらおうか」
「ご冗談。今度こそ、冥土の砂でも味わうといいっす」
 赤ずきんの強がった声とは裏腹に、不利な状況になったとは痛いほどに彼女自身、理解していた。

Re: 守護神アクセス ( No.86 )
日時: 2018/06/27 22:42
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 同刻、奏白も太陽も出ていった病室では四人だけが残されていた。極秘裏に話さねばならぬ内容であるため、院長に人払いを頼んでいる。残っているのはもう戦えなくなってしまった洋介に、戦線に出てはならない琴割、満身創痍の知君にそのお目付け役の真凜だ。真凜の場合は、この後語られる話を兄に届けるという役割も担っている。
 何から話したものかと琴割は頭を掻いた。話さねばならないことがあると、赤ずきんを差し置いてこの集会を開いた割に、いたく歯切れの悪い物言いだった。何らかの言葉を言おうとするも、躊躇しているようである。いつも堂々としていた彼がそのように悩んでいるのを目にするのは、知君からしても初めての事だった。

「……まずは、シンデレラの事から話しとくか」
「シンデレラが、どうかしたんですか?」
「前置きは後回しで本題をまず言うなら、シンデレラは契約者を見つけとった」

 話題を絞ってからは、いつもの覇気ある口調に戻る。その様子から、複数ある話題の内都合の悪い方から逃げているような雰囲気を感じ取った。おそらく、こちらの話も充分に重要なセンテンスなのだろうが、それでももう一方と比べると口にするのは軽いのだろう。
 それよりも重大なのは、話題そのものだ。しばらくの間なりを潜めていたと思っていたシンデレラが、白雪姫と同じ時刻にまた姿を現した。むしろ今まで消えていたのが不可解であったため、ようやく戻って来たかと納得したほどのものである。

「そんな……いつからですか?」
「おそらく、最後に観測した日からや」

 最後にシンデレラが現れたのは、王子と人魚姫がそれぞれ出会って間もないような頃であった。その頃世間では、世界の歌姫と呼ばれている星羅ソフィアが行方不明になったと騒がれていたと琴割は言い添えた。

「あの夜、ほんの少しだけ姿見せとったシンデレラの観測値は、メーターを振り切っとった」

 警察は、フェアリーテイルの行動を赤い瘴気の強さで観測している。そしてシンデレラはというと、その他のフェアリーテイルと比較し、一、二を争う程度の観測値を有していた。そのため、シンデレラが示している値をメーターの上限近くに設定していたのだが、ある日一度だけそれを大きく上回り、計器が故障するほどに振り切っていた。
 当時としては事故や故障、エラーとしか思えなかった。何せその頃は警視庁が「守護神アクセスしたフェアリーガーデンの守護神」を見たことが無かったためだ。人魚姫はまだその存在を知君以外に知られておらず、桃太郎もその頃はまだ単独で行動していた。
 それゆえ、気が付く事が出来なかった。観測値の上昇は、赤い瘴気に侵されたままの守護神が契約者と結ばれたが故に起こる現象だとは。気づこうと思えば二か月早く理解できていただろうに、白雪姫を解放したつい先日まで、シンデレラが契約者を見つけた事実を知ることができなかった。

「シンデレラがしばらくの間活動してへんかったんは簡単な話やった。契約者が日本におらんかったからや」
「海外にいた、ということですか」
「せや。それも公演のためにな」
「公演? 劇団にでも所属していたということですか?」
「ちゃうちゃう。傾城絡むとほんまにお前は察し悪くなるのう。さっき言うたばっかりじゃろが。シンデレラが丁度いなくなったんは、ある人物が日本にいた頃や、って」
「先ほど総監が申し上げた、と言いますともしや……」
「気づいたか、奏白妹」
「星羅……世界の歌姫、星羅ソフィアですね」
「そん通りや。元々顔立ちがシンデレラとよお似とるって言われてたしのう」

 星羅、その名を耳にするや不意に、知君は表情を曇らせた。気分でも悪くなったのかと、屈みこんで真凜は目線を彼に合わせた。しかし、顔色自体は悪くなっていない。しかし、その瞳の光だけは何かを憂い、嘆くように翳っていた。

「その方って、もしかして……」
「お前の想像通りや」

 彼の握りしめたシーツに皺が寄る。それと同様に、眉間にも細かな皺が寄っていた。どうしたのと尋ねながら彼の肩に手を置いた真凜は、不安げにその顔を覗き込んだ。

「さっきの話の、初めの方に出てきたんですけれど……僕を作る時の卵子の提供者は、星羅 朱鷺子と言うんですよ」
「同じ苗字……血縁者、ってこと?」
「せや。そいつの母親……と言っても別に腹痛めて産んだ訳ちゃうけど、その女は星羅ソフィアの母親や」
「でも、待ってください。娘のソフィアの守護神がシンデレラなんですよね? でもその母親の守護神って確か、天上人の界に居たはずじゃ……」
「別に、親子間での守護神の相関なんざ的中率は七割強ってところや残りの三割弱は両親と全然関係あらへんところから生まれる。王子一家見てみろや」

 ウンディーネは幻獣界、アイザックは科学史に名を残す者が集う世界、そして光葉に至ってはフェアリーガーデンと、それぞれ契約相手の属する異世界はてんでバラバラである。多少の偏りはあれども、基本的にはその契約相手はランダムでしかない。

「しかも妻の契約相手はジャンヌダルク率いる女傑の巣窟に住んでいるからな。俺の一家は全員誰とも被ってないよ」
「そう……なんですね」
「話を戻していいですか。つまり、シンデレラの契約相手は僕の姉だってことなんですね」
「まあ、そうなるなあ」

 頭を掻き、白髪を揺らしながら琴割は問いに応じた。知君の顔を覗き込んでいた真凜は、その目が潤む瞬間を捉えた。

「どうしたの、大丈夫?」
「いえ……大丈夫です。その……不謹慎なのは重々理解しているんですけど、ほんの少しだけ嬉しくて」
「嬉しい?」
「ええ」

 鼻水を啜り、虹彩を僅かに滲ませたまま知君は、真凜と目を合わせた。隈はまだ消えていないが、それでも穏やかに瞳孔はぶれずに座っている。落ち着いてはいるようだと、真凜も僅かに胸を撫でおろした。

「これまで僕は、血の繋がった人と会えるだなんて思ってもいなかったから……」
「琴割総監とも繋がってるんじゃないの?」
「悪いが、儂はそいつのことを今一息子とは思ってへんからな」

 冷酷にもそのような事を告げる月光を、鋭い目つきで睨みつけんがために真凜は振り返る。憎悪に似た怒りが込められた眼光が、真っすぐに男の瞳を見ていた。しかし同時に、狼狽を得る。睨み返されたのであれば、それを受けて立つだけの覚悟はしていた。しかし振り返って目にした警視総監の糸目はというと、知君と同じく今にも涙をこぼしそうであった。目じりの辺りに力をこめて、何とか堪えているようである。

「……別に道具やと思ってるからちゃう。儂にとっての家族はな、ジャンヌダルクと会うた日に死に別れた、あいつらしかおらんから、認められへんってだけや」

 もっとずっと若かりし日。力など何一つ持っていなかった時分。今では人外のように思われがちな琴割とは言え、一般人に過ぎない時代は確かに存在した。愛する妻も確かにいれば、わが身より大切な娘も生きていた。
 だからこそ、実験的に生み出した愛の無い個体とはいえ、別の女性との間に生まれている彼の事を、紛れもない自分の家族であると認めたくは無かった。胸の内に生き続けている、未だに唯一愛している女性の残り香が、掻き消えてしまいそうだったから。

「すみません。今の態度は……出過ぎた真似でした」
「いや、さっきの話聞いてすぐの話や。お前が感じたように受け取られてもしゃあない。それだけの事をしてきた自覚は、ちゃんと儂の中にもある。……あると言うよりかは、芽生えたの方が正しいかもしれんがのう」

 男は何十年と、幻聴と幻想とに突き動かされるように、彼なりの正義を求めていた。その結果として、自分が矛盾を押し通し、人道を外れていることから目を背けていた。これは人々のためだからと、自分は力を間違った方法で用いないと言い聞かせて、いくつも不正を重ねてきた。
 それが過ちだと気が付けたのはおそらく、ELEVENでも何でもないただの人間に過ぎない奏白の正義感に焼かれてしまったのが原因なのだろうなと理解していた。ドロシーが出現した時、何とか貴重な戦力である奏白を失わぬようにと努めた。しかし奏白はそんな制止など振り切って、それまで陥っていたスランプもものともせずに仲間を救い出して見せた。
 そうして、己の行いが正しい事が揺らいでいた。けれども、意地だけが彼の意志を変えないまま突き動かしていた。芽生えた疑念も罪悪感も見ないふりして、今まで通りに振る舞う。知君が暴走したら即座に殺処分する。そう、元々決めていたから先日も暴れるやすぐさまその首を刎ねようと現場に赴いたはずだった。
 そう決めていたはずなのに、現実には知君の、正しくはネロルキウスの反旗はあっさりと静まった。それは当然、琴割が手を打ったという訳では無い。大切な同僚、班員、認めて欲しいと願っていた仲間の真凜が彼のことを大切な存在だと認める言葉だけで、事態を鎮圧した。
 まるで駄々っ子みたい、人間みたいじゃないかとようやくそこで思い至った。初めから、生み出した命は人間であったはずなのに、道具としてしか見ていなかったと気が付いたのはこの瞬間だった。

「儂自身の幸せは、とっくの昔に捨ててしもうたからな。それを知君にまで強いとった。ELEVENなんざ所詮は人知を超えたバケモン。儂もそうやからこいつもそうやなんて一方的に思い込んどった。自分で、手ひどい教育施して、誰より思慮深い人格形成までしてもうたのに、そいつのことを人間やのうてよく出来たアンドロイドみたいに信じとった」

 その幻想を、奏白を姓に持つ二人が打ち砕いた。さらには知君の友である王子の躊躇が、人魚姫の優しさが、彼を憎んでいたはずの太陽の後悔が。必死にネロルキウスを押さえ込もうと抗い続ける知君を前にして、率先して殺そうだなんて考えていたのは琴割くらいのものだった。奏白も手にかけて楽にしてやろうとは考えていたものの、それはあくまで知君の幸せを願って。私利私欲のために、少年の人生を無かったことにしようだなどと考えたのは、年老いた彼一人だけだった。

「儂としちゃあな……こっちの方が本題のつもりなんやけどな」

 もしかしたらお前らにとっちゃ、こんな言葉どうでもええ代物かもしれへん。頼りなさげに、消え入りそうな声で彼はそう続けた。
 どうしてそんなに落ち込んでいるのか、自己嫌悪しているのか当の本人以外は分かっていなかった。何せ彼が知君に施した非人道的な所業の数々は、理解の上で意図的にしていたものだと思っていたのだから。
 だからこそ、少年も、その細い肩を支える女性も、見守っている中年の男も、白髪に塗れた老兵の後悔を、首を傾げながら見守っていた。

「……んかったな」
「はい?」

 ぼそぼそと囁いたその言葉が、にわかに知君には信じられなかった。弱弱しく細められていた目が丸く見開かれ、顔ごと目を伏せた男の頭頂部を眺めた。もしかするとこれは彼なりに、頭を下げていると言えるのだろうかと、そんな事を考える。
 付き合いの長い知君でも、そんな姿を見たことは無い。付き合うの長い彼だからこそ、目の前の光景が全くもって信じられなかった。こんな姿、夢に見たことだって一度として無い。

「琴割さん、今なんて仰いました?」

 おそらく自分の勘違いだろう。そう思った彼は、本当は何と言っていたのだろうかと琴割に問い返してみた。疲労のせいか上手く聞き取れなくて、そんな風に言い訳がましく付け足しながら。
 しかし、再び琴割が口を開いて発した言葉はというと、たった今聞き間違えたかと判断したその言葉と何一つ変わらなかった。何度聞き返したところで、その文言は決して間違いではないのだろう。

「今まで長い事、すまんかったな」
「…………琴割さん、謝れたんですね」

 煽りでもなく、心底感嘆していた。己の思想こそが正しいと信じて疑わないこの男が、その非を認めるだなんて思ってもみなかった。

「儂を何やとおもとんねんお前は」
「いえ、総監はそれこそ生きるネロルキウスみたいなものかと……」
「奏白妹ぉ……お前も結構生意気言うようになったなあ」
「琴割さん! お願いです、僕はどうでもいいですから他の人には」
「真に受けんなや、今は儂が悪い言うたばっかやんけ」

 今更何を、そう詰られると覚悟して頭を垂れ、詫びたつもりだった。であるのに、実際こうして謝辞を述べてみても、素っ頓狂な返事が返って来るばかり。冗談だと受け止められているのかと思えばそうではなく、ただ純粋にその言葉が嘘だと思い込まれているようである。
 そう受け取られても仕方ないかと、琴割は苦笑した。ジャンヌダルクと契約してから、これほど真っ当に誰かに謝ったことなど無かったはずだ。それほどまでに、盲目的だった。大規模な犯罪に巻き込まれて、妻と娘は死んでしまった。銃弾が心臓を射抜き、自分ももうすぐにでもこと切れようとしたその瞬間、強く死を『拒んだ』が故に生死の狭間で契約を結ぶ事が出来た。
 それ以来は、やりたい放題だった。今でさえ思う、あの日自分が破壊活動でなく権力者としての支配による世界平和に踏み切っただけ、まだましだったと。もう既に死んでしまった者の死は、ジャンヌダルクにも拒絶できなかった。故に、愛した家族を失ったまま、強すぎる力を抱えて彼は生きていかねばならなくなった。
 ジャンヌダルクの能力で、自分がまきこまれた事件の被害者の抵抗を拒み、すぐさま自首、投降させた。バックに控えていた大きな組織さえも一人で壊滅させた。あらゆる事象を拒絶する彼女の能力さえついていれば、琴割に怖いものなど無かったからだ。
 かたき討ちが終わり、生きる理由を失った琴割は家の整理を始めた。そんな時だった。HDDの録画装置に残っていた、娘が毎週見ていたアニメの保存された映像を見たのは。その一話の中で、主人公の少年は愚直なまでに正義を訴え、平和を願っていた。
 娘がそんな物語に心酔していた。ならば、そんな世界を作り上げれば、彼女の意志がこの世界に生きているような気がして、琴割は能力を濫用してこの国の頂点に立つと決めたのだ。実際に立つ事になったのは治安維持の組織の頂点だったが、平和を実現するのはその方が都合がよかった。
 だが、ようやく気が付く事が出来た。今の自分は、その唯一愛し続けた家族に顔向けできるような人間でないことに。自分勝手に作り出した命を、教育という名前で洗脳を施し、ただの武器として都合よく使役する。
 そんなもの、悪役と言わずして何と呼ぶのか。
 もうとっくに、手遅れなのかもしれない。しかしそれでも、知君の今後の幸せのために、彼を解放してやる必要があった。そして今は、労わってやらねばならなかった。
 誰かから認めてもらいたい、そう願い続けたもう一人の我が子にかける言葉は、道中で予め決めていた。

「やっぱな、息子とは認められへんけどな」
「ええ、僕もあまり、貴方がお父さんとは思えませんので」
「そうか」

 おそらくその言葉は、自分の旨の内を汲んでくれたものなのだろうなとは考えずとも分かる。それだけ、泣き我が子への愛情が深いのだろうとは、短いやり取りだけでも察してしまったのだろう。それに生まれて以来ずっと、彼と自分とは家族などでは無いと何でも言い聞かせてきていた。むしろ今更、父親ぶる方が互いにとって奇妙な話だ。

「せやけどな」

 代わりに、とっておきの言葉をくれてやろうと、いつも通りの胡散臭い口調で、彼は目に見えない贈り物を差し出した。それは、賛辞という名をしていた。

「お前は儂が見てきた中で、一番よう出来た部下じゃ。これ以上なく信用しとる」

 何せ今となっちゃあのネロルキウスの手綱もどうにかこうにか握れとったしな。こないだはたまたま失敗したけど。そんなフォローは、知君の謙遜を予め断ち切るための言葉だった。退くための言葉を失った知君は、どれだけ照れ臭かろうと日の本最強の称号を持つ男からの、賞賛から逃れる術は無い。

「後な、『人間として』尊敬しとる」

 ずっと我慢させて悪かったなと、彼の頭に手を伸ばした。そのままくしゃくしゃと頭を撫でる。
 もっと蛇の肌みたいにひんやりとしていると思ったのだけれど。案外、太陽みたいに暖かい掌をしているのだな。口には出せないけれど、恥ずかしそうに目を伏せながら、そんな事を少年は考えた。

Re: 守護神アクセス ( No.87 )
日時: 2018/07/05 15:59
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

「さてクーニャン、二人がかりならいけそうか?」
「一応私一人でも何とか耐えれてたからなー。いけるんでね?」

 あ、でも私あんまスタミナ残ってねーわと、あっけらかんと彼女は言う。言ってることの割に緊張感が欠けているなと奏白は苦笑した。

「緊張しすぎると体固くなるからな。口じゃふざけてるくれーが丁度いい」
「百戦錬磨の暗殺者は違うなあ」
「流石にチャラ男ニキは私と同じくらいキャリアあんだろがよ」

 知君や王子とは違う、彼はもう警察に捜査官として勤め始めて五年経っている。しかもアマデウスの契約者として、新米の頃から最前線に引っ張りだこだ。何度も何度も、死にそうな局面を乗り越えてきたのだろう。この男の肝の座り方も、自分と同じくらいにぶっ飛んでいるとクーニャンは認めていた。
 実際、鬼の血統さえ解放してしまえば僅かに膂力を上回れども、元フェアリーテイルの力を以てしてもその程度の差異。むしろキビ団子二つまでなら奏白のスピードには反応もできず、易々と敗北する。それほどまでに、アマデウスの戦闘能力は著しい。

「にしてもお前らのボス、焦ってんのか? お前の事投入するの雑すぎんだろがよ」
「はっ、あたしゃ勝手に動いてんすよ。忘れてんすか。あたし達はただ、この破壊衝動に衝き動かされてるだけ、って」
「あん? むしろお前こそ忘れてんのかよ。そっちのボスはいくらでもてめーのことコントロールできんだろ」
「アシュリーはそんな事しないっすよ」
「誰だよアシュリーって」
「シンデレラっす」

 そうじゃねえよとかぶりを振るクーニャン。どういう事かと赤ずきんは首を傾げた。その様子にクーニャンも、違和感を覚えた。

「もしかしてお前……未だそいつがトップだと思ってんのか?」
「あんた、何が言いたいんすか……」

 彼女の言葉を上手く呑み込めない赤ずきんは、不愉快そうに眉間に皺寄せる。
 ただ、そんな二人の会話を隣で聞いていた奏白が険のある眼光で味方の娘を射抜いた。知君や王子とはもうとうに打ち解けた彼女ではある。琴割の私兵として雇われている、ビジネス上の仲間だとは理解している。ビジネスゆえに、裏切ることは無いだろうことも。
 しかしそれでも、奏白はまだ大人の部類だ。疎外するつもりこそ確かに無いが、王子のように仲睦まじくするつもりも、手放しで受け入れるつもりもない。むしろ、自分の命を狙われたと言うのに、あっさりと友好関係を結んだ王子の方が異質と言えた。

「おいお前、何か隠し事してんのかよ」
「まーな、しゃあねえだろそこんところはよ」
「……お前、フェアリーテイルのボス知ってんだろ」
「んあー、確かにシンデレラとは一回会ってるぜ? 契約者ごと」
「そっちは良い。お前が今、あいつに呼びかけてた人間の方だ」
「そいつぁ言えない。何だっけな、秘書義務?」
「守秘義務だろ」
「そうそう、それそれ。そうとも言う」
「そうとしか言わん」

 茶化し、うやむやにしようという気配が感じ取れた。教えるつもりは無い、あるいは教える訳にはいかないという、ふざけているように見えて頑なな意志。やはりこいつは危険だと奏白は認めなおす。裏の世界で生きる訓練を積まれただけある。気を許せば、いつか喉元に噛み付かれるかもしれない。
 そんな警戒を察してか、クーニャンはふてぶてしく、ニッと口角を持ち上げた。安心しろって、などと言うが、安心してやるだけの理由が彼の中には無かった。

「お前ら裏切るつもりはねーよ、ただ、私にも言えねーことがあるだけだ」
「仲間にも、言えないと」
「仲間っちゃ仲間なんだけどさ。やっぱり私はプロだからさ、仕事頼んできた奴らは売れないんだなこれが」

 あくまで、金だけが信用できる世界。それゆえ、金銭と口約束とで琴割に譲られたクーニャンも、護るべき義務くらいはしっかりと果たしていた。琴割と、元々の飼い主である中国の大富豪、両者の交わした密約。これまでクーニャンにかけた費用と、今まで彼女が請け負った仕事に関して何一つ聞き出さない約束、それらと引き換えに彼女は日本にやって来た。だからこそ、琴割とてその約束を守っている。その、破ってはならない暗黙の了解を、自分が情に絆されたせいで破綻させてはならない。
 だからこそ、この事件の元凶をも、知っているのに答えられない。桃太郎と自分とを引き合わせた人間のことを、知君の調査と始末、さらには王子の始末まで任せてきたあの男のことを、語る訳に行かなかった。
 語ってしまえば、それだけで世界は混乱するだろうから。

「言いたいことは分かるよ。今こっちに付いてるんだったら、お前らのために何でもしろってのは。でもな、できないんだよ私には」
「その道の、プロだから」
「そういう事。でもな、これだけは信じろ。今の私はな、日本の歪んだ平和主義者の飼い犬なんだ」
「雇われている以上、絶対に裏切らない、ってか」
「そゆこと。この命捨ててでも、王子と知君は守ってやるよ」

 それが琴割から貰った仕事だから。平坦な口調だったけれども、だからこそそこには真実味が宿っていた。深い溜め息を、奏白は一つだけ。それだけ漏らして、向き直る。

「分かった。もうその事は何も言わなくていい」
「うっす、了解了解」
「代わりに一つ、頼みがある」
「何だよ、言ってみな。あ、でも仕事だったら金はくれ」
「金はやらん。……知君の友達にでも、なってやってくれよ」

 王子とも喧嘩をしたばかり。それも彼からは、友達など辞めてやるとつきつけられてすぐの事だ。また同年代の気を許した人間などいなくなってしまう。けれども、気に書けようとしても、十歳も年の離れた自分では力になりきれない。保護者でも無ければ兄でもない。知君の学校に行って誰かに頼み込むわけにもいかない。
 だから、頼めるとしたら彼女しかいなかった。幸い知君自身は彼女に心を開いている。どのみち、最悪のケースとしてクーニャンが知君を殺そうとしたところで彼ならばどうにかして返り討ちにできるだろう。
 帰ってきた答えは、思いの外優しいものであった。

「何言ってんだよ。仕事抜きで私らはもうとっくにダチだっての」
「そりゃ、ありがてえ話だ」

 仕事抜きで、という事はきっと、彼女は雇われさえすればいくらでも自分たちと敵対できるのだろう。私情はビジネスに持ち込まない。きっとそれは、自分にとってできないことだと彼は認めた。自分は胸の内に燃える正義感を、決して無視できないから。
 だからこそ、この女性は芯から強い人物なのだと理解した。できることなら、彼女には引退するその時まで、琴割 月光に雇われていて欲しいものだ。

「それで、何で黙って見てるだけだったんだ、お嬢ちゃん?」
「別に舐めプでも手心加えた訳でも無いっすよ。今手ぇ出さなかったのは、ただのスタミナ回復っす」

 クーニャンの体力が限界近いことを見越し、畳みかけるよりかは己の回復を優先した。体力の限界には当然、奏白も気が付いていた。何せ鬼の力を用いた際には、理性が飛ぶほどの力に呑まれるはずなのに、今のクーニャンは平時と変わらない声で話せていた。破壊衝動にも呑まれていない。すなわち、我を忘れるほどの力など、湧いていないということだ。

「実質一対一みたいなもんすよね。前は遅れを取ったとはいえ……今度こそ負けないすよ?」
「おいおい、お転婆なのは似合わねえぞ」
「そいつぁ、あんたが決めることじゃないっす」

 後方にて、猟師の霊がショットガンを構えていた。その銃口は奏白の銅を見据えている。
 赤ずきんとの第二ラウンドが幕を開ける。翳した手の指先は、二人を指し示していた。

「発射(ファイア)!」

 弾丸が、掛け声に合わせて撃ち放された。




 少し時を遡り、病院の屋上にて。項垂れる王子のもとに、その兄の太陽が現れる。どこから説明したものかと頭を掻いたものの、光葉はただ一言、もう知ってるとだけ呟いた。

「音也さんが、アマデウスで中継してくれた」
「あー……守護神アクセスしてると思ったら、そんな事してくれてたのか」
「だから、全部聞いた。赤ずきんが来てるところまで、全部」
「お前の、友達の過去もか?」

 王子は頷こうとして、首を上下させかけた。しかし、反射的に動いてしまった体に戦慄する。駄目だと気が付き、無理やりにその動きを止めた。ぴくりと小さな揺れが、強張った全身に走る。
 どうかしたのかと太陽が呼びかけると、王子は意を決したようにその首を左右に振って見せた。

「さっき、やめたばっかりだから」
「お前、まだ意固地になってんのかよ。……確かに、あいつの能力で親父はウンディーネ取られたのかもしれないけど、それでもあの子が怒られる義務なんてないだろ」
「そうじゃ、ないんだ」

 震える声で、太陽の思い違いを指摘する。何も、怒っているから受け入れられない訳では無い。むしろ逆だった、あんな話を聞かされてなお、逆上できるほど彼も愚かじゃない。打ち解けてから大して日が経った訳でもない。同じ中学にこそいたものの、これまでの四年と少しの時間で、あまり接点を持ってこなかった。
 にも関わらず、この短い一夏の共同戦線で、いつの間にか知君が、大切な戦友になっていた。これまで誰もそんな風に認めてくれなかったのに、「王子くんは優しい人です」「王子くんは凄い人ですね」などと伝えてくれた、あの級友に、いつの頃からか憧れていた。その片鱗はきっと、人魚姫と出会う直前、アリスを検挙したと耳にした時にはあったのだろう。
 ただ、明確な憧れを抱いたのは、桃太郎の力を纏うクーニャンと渡り合い、易々と圧倒してみせたあの日。自分と、そして奏白妹とが束になっても敵わなかったあの尖兵を、たった一人で完勝した姿。
 強くなったつもりだった自分に、助け舟を出してくれた真凜。その真凜ごと窮地を救ってみせた知君の姿が、幼い頃の夢と重なった。誰も死なせない、護り抜く、優しい心を持った、『誰かを救えるかっこいいヒーロー』だ。セイラの前で、そうなりたいと誓った存在だ。
 かつて王子は知君に見抜かれた。目の前の人が求めている言葉を、態度を、察してその人が喜ぶように行動してはいないかと。その通りだった。人の顔色を窺うのは、我ながら得意だと自負していた。
 だがそれは裏返してしまえば、その人が最も嫌がること、恐れている事を見抜くこともできる。彼は自身でも気が付いていた。不意に守護神アクセスが解かれる。単純に、ただの接続時間の臨界到達だった。するりとセイラの姿は再び現れ、それと同時に漲っていた力が彼の身体から消えていく。
 それと同時に、心の支えも消えてしまったようであった。

「分かってたんだ……さっきも」

 震えた指先で、ズボンの布を強く握りしめる。皺の寄った布地の様子は、彼の胸の内と同じ姿をしていた。

「ああ言えばきっと、あいつが一番傷つくだろうな、って理解してた。分かってて言ったんだ。今までずっと傷ついてきても、それでも誰かのために何かができるあいつが、あんなにかっこいいのが羨ましかった。あんな細いのに、あいつが居なかったら、この先戦っていけるのかよ、って思ったら、狡いなとか思っちゃったんだ。別に、俺が居なかろうとフェアリーテイルの事件は片付くよ。知君が全部倒して、俺が居ないまでもセイラが浄化して、終わり。でも、あいつが居なかったら? それこそ絶望だよな。世間的には一切公表されていない人間なのにそれでもあいつは、平和の象徴で……自分を犠牲にしても努力するその姿が、夢見てたヒーローそのものだったんだ」

 何で自分はこんな風になれないのかと、あの時自問した。生まれつきの才能が違う、というのもそうだろう。才能を持つべくして造られた彼と比べてはいけないと今なら分かる。ただ、何より彼と王子とでは圧倒的に隔たっているものがあった。

「俺は、自分が傷つかない所でだけ人のために努力できる人間だったんだ」

 けれども知君は違った。そういう風に躾けられたという影響もあるだろう。しかしそれ以上に知君は、呆れるほどのお人好しで、自己犠牲に盲目的で、そして最後は、誰かの幸福を見つめて笑っていた。彼が自分と、人魚姫を結び付けた。仲睦まじく戦う二人を見て、自分のことのように幸せそうにしていた。
『悲しい人に同情するのは、簡単だ。一番優しい人間は、誰かの幸福を祝福できる者だ』
 かつて耳にしたそんな言葉の意味を今更ながら理解した。知君はネロルキウスと、手を取り合うべき自分の守護神と、戦う度に殺し合いのように競り合っていた。他の誰かから、大切に扱ってもらえもしないのに、その人たちを護ろうと。
 その知君の前で自分は、どうしていた。父が、兄が、知君には目もくれない中構ってくれて、愛してくれて。そして守護神のセイラとも良好に歩んでいて、幼い頃からの夢も叶って、幸福の絶頂に居たはずだ。それを見て知君はいつも、祝うように微笑んでくれていた。
 裏で彼は、どれほど苦悩していたのだろうか。想像できるはずもない、何せ王子はずっと、恵まれた環境にいたのだから。ずっと我慢してそれでも強がっていた知君が初めてパンクして壊れたのが、先日の一件だ。彼がネロルキウスを止められなかったのは当然だ。
 だって誰も、知君を支えてやろうだなんて考えていなかったのだから。

「なのに、俺は、言っちゃいけない言葉ぶつけたんだ。憧れも嫉妬も羨望も全部ぐちゃぐちゃにして、心の中の汚い部分全部ぶつけたんだ。八つ当たりだよあんなもん」

 だから、こんな自分が彼の友人であるだなんて、もう名乗れない。おそらくは、自分でも意図していない形で何度も彼のことを傷つけていただろうとは、王子自身理解していた。彼が真凜から認めて貰えていなかった時分に伝えた、真凜から味方として認識されていたとの旨の一言。ずっと一緒にいた知君が、戦うことを否定されていたのに王子だけが許されたような事実に、きっと悲しんだはずだ。顔に出さなかっただけで。
 それだけじゃない。自分は、身内が警察にいるからと、何とか知君の待遇が変わる様にと努力『してやった』つもりになっていた。友人が、どれだけ頑張っても認めさせられなかったことを、自分は上司あるいは先輩の息子という立場だけで認めさせてしまった。
 どれだけもがいても無駄だった知君を、思い付きの偽善だけで王子は飛び越えてしまった。結局、心底打ち解けたとは言わず、ただ腫物のように扱われるようになっただけ。結局真の意味で彼を受け入れさせたのは、これまでの知君自身の積み重ねと、奏白 真凜の功績だったように思う。それと、彼女を奮い立たせたセイラの力だろうか。
 それなのに、自分がしたことと言えば、ただ傷つけただけだった。

「みっともなくて涙もでてこねえよ。こんなんじゃ俺、ただの小物じゃんかよ。子供ですらねえ」

 ここで泣くのは、より一層の知君への冒涜だ。一番苦しいのは彼だと言うのに加害者の自分が被害者面する訳にいかない。知君がどう思っているのかは分からない。けれどもその想いに、今度は毅然と対面する必要がある。

「謝るだけじゃ物足りない。行かなきゃダメなんだ。……セイラ」

 情けない姿をいくつも見せてきた。これから成長できるかどうかも分からない。けれども、黙って見ていちゃいけない。これまで支えてくれた戦友のために、今度こそ何か為し遂げたい。それが今日になるか、明日になるかは分からないけれど。

「力、貸してくれるか」
「ええ」

 正直、足手まといにしかならない気はしている。しかし知君が出れない以上、フェアリーテイルのデトックスには自分たちの力が必要だ。

「王子くん」

 塞ぎこむ彼に、人魚姫は呼びかける。上っ面だけの笑顔、もう長い事つけていなかった仮面を王子は顔の上に張り付けた。

「例え世界全てが貴方を嫌おうと、私だけは支えますからね」

 自分が自分勝手だと落ち込む彼に、人魚姫はそう述べた。
 初めて出会ったあの日、壊れかけた彼女の心を救ったのは、間違いなく王子の言葉だったのだから。

 俺がお前を、ハッピーエンドにしたいんだ。

 そんな考えができる人が、心の底から自分勝手であってなるものか。
 だからこそ彼女は、ささくれた心を扱うように、両の掌で彼の掌を、握りしめてみせたのだった。


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