複雑・ファジー小説
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- 守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
- 日時: 2022/05/19 21:16
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)
2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。
___
本編の完結とエピローグについて >>173
目次です。
▽メインストーリー
File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
File4:セイラ >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
File7:交差する軌跡 >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
File8:例えこの身が朽ちようと >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
File9:それは僕が生まれた理由(前編) >>59 >>60-61 >>63-64
File0:ネロルキウス >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
File10:共に歩むという事 >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172
Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177
-▽寄り道
春が訪れて >>23
白銀の鳥 >>70-71
クリスマス >>120
▽用語集
>>8 File1分
>>15 File2分
>>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも
▽ゲスト
日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)
気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)
- Re: 守護神アクセス ( No.103 )
- 日時: 2018/08/29 16:14
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
カレット、というのが赤ずきんを指すのだとは以前から聞いていた。かつての日々を、楽しそうに語ってくれていたからだ。白雪姫のノイト、シンデレラのアシュリー、赤ずきんのカレットに、人魚姫のセイラ。本来の成り立ちに、強い関連性があったかどうかは些事だ。ELEVENに例えるなら、アーサーとネロルキウスが良好な関係を気づいているぐらいなのだから。
彼女らが守護神として自我を持ち始めて以来、四人で時間を共にするようになった。それがあまりにも長いため、人間を倣い親友だと呼んでいる。
中に入ってみれば、印象がやや違っていた。どちらかというと、病院のような雰囲気だった。一人一人、重たい病人と同じように厳重に隔離されているのが大きいのだろうか。それとも、どことなく生気が感じられない空間だからだろうか。職員が白衣を着ているのも、祖父の病院ですれ違う医者たちのシルエットと重なった。
受け付けは無い。なぜなら、そもそも来客を想定していないからだ。そのため事務に立ち寄り、名前を告げた。同時に、琴割の秘書官から受け取った紹介状も提示した。それさえ確認すると事務員たちは一様に頷き、面会室への順路のみを教えてくれた。
おそらく、ここに属する守護神の数があまりに増えてきてしまったのだろう。勤めている全員が、あまりの多忙さにかりかりしているようであった。しかし、ここにいる者が請け負っているのは紛れも無い業務であるため、それはできるだけ押し込めようとしている。最前線で戦う捜査官達は、より忙しいのだから、と。
面会室は地下にあった。というのも、元フェアリーテイル達が万一再暴走した際に簡単に出られぬよう、地面より下数十メートルにいるからだ。
面会室に辿り着き、待たされること三十分。少々待つだろうからと手渡された僅かな間食を人魚姫と折半しながら食べていたところだ。短い電子音が部屋の中に響いた。何かと思えば、ノックの代わりらしい。ノブが回る音がしたかと思うと、硝子に隔てられた奥のスペースに繋がる扉が開いた。ゆっくりと開いたドアの隙間から初めに除いたのは可愛らしい顔、などではなく真っ赤な頭巾であった。
だからこそむしろ、彼女だと確信するに至った訳だが。
「お邪魔するっすよ」
これまで持っていた彼女のイメージとは似つかわしくない、か細い声だった。殊勝な態度、と表現した方が適切だろうか。フェアリーテイルは、理性を失っていた時の、自分の行いを覚えている。彼女が最も多くの人間を殺したフェアリーテイルであるため、罪の意識は人一倍強いのだろう。
てっきり彼女一人だけだと思っていたために、もう一つ姿が見えたのには驚いた。ゲレンデのような白銀の髪を纏った、絶世の美女。流石は傾城というだけはある、白雪姫に違いなかった。
「私も、ご一緒させてもらってよろしくて?」
「いいよ。その方がきっと、セイラも喜ぶ」
「ええ」
すぐさま肯定した彼女の言葉に、嘘は無かった。けれども、どうにかこうにか笑おうとした人魚姫の笑顔は、くすんでいた。鉛色の空のように。あるいは、筆洗のバケツに入った濁水のように。
少しの間、沈黙が訪れる。何を切り出されるか、分かっていると言うのに、王子は自分から語り掛けるような無粋はしなかった。目の前で、目を伏せながら静かに深呼吸をしている赤ずきんの覚悟が定まるのをただ待つ。きっと、その願望を口にするだけの準備がまだできていないのだろう。
守護神であろうとも緊張はするんだなと改めて思う。これまでずっと人魚姫と共に時間を過ごしこそしたものの、それ以外の守護神の性格など知ろうともしてこなかった。そもそも、フェアリーテイルが例外なだけで基本的に契約者以外はその守護神と語らうことなどできはしない。その上他に出会った者など、理性を失った状態のフェアリーテイルのみ。
セイラを例外的だと思ってしまうのも無理は無かった。
それ以上に、これまで映像で見てきた姿や、実際に敵として対峙した印象とのずれが大きい。セイラから話を聞く限り、彼女の性格は元気な女の子、といったものらしいのだが、しおらしく項垂れている表情は、事前に知らされた人柄と裏腹に翳っている。
急かしてはいけない。ただでさえ追い詰められた心境の彼女を、より一層追い立てる訳にもいかなかった。何より、自分が感情的になってしまう可能性もゼロではない。それなら、互いに心の準備を終えてから、話し合いの支度をした後で構わないのではないだろうか。
今日ばかりは逃げのつもりも言い訳のつもりも無い。口も開かずにその時を待っていたのは、自分のためなどでなく、彼女たちのためだった。
その意志が伝わったのだろう。じっと、離すことなく見つめる王子の視線を浴びた赤ずきんは、胸に手を当てて何とか呼吸を整える。
引き攣りつつある頬を何とか動かすようにして、ぎこちない笑みを作った。幼い姿をしていても、やはりフェアリーテイル。笑った姿は、固い表情ながらも、絵に描いた美少女のような、文句のつけようのない整った容姿をしていた。
「あはは、あたしがこんなおどおどしてるなんて、似合わないっすよね?」
「ほんとにね。……いいよ、カレット。遠慮しないで言いたいことを教えて」
知君ほどではないが、常日頃から丁寧な口調のセイラが、くだけた調子で応じた。それを当然のことだとし、「はっきり言ってくれるもんすね」とはにかむ赤ずきんの様子から、やはり二人が旧知の仲だと突き付けられた心地になる。
いや、彼女ら二人だけでない。その様子を見て、僅かに瞳を潤ませて目を細めている白雪姫も同じだろう。何となく、爪弾きにされた居心地の悪さを王子は感じ取る。しかし、今日呼びだされたのはきっと、他ならぬ自分なのだから。どれだけ居辛さを感じたとしても、目を背ける訳にはいかない。踵を返す訳にもいかないのだ。
「まず初めに……いや、あんた一人に謝っても意味ないとは分かってるんすけど……あたしは、色んな人に迷惑かけた。あんたの事だってあと一歩で殺しかけた。本当に、面目ないっす」
「それは私も同じね。聞いたわ。私との戦いで、貴方の父君は……」
「……それは俺が許すか決めることじゃないから、もう言わなくていい」
無事に事態が収束したというのもあって、王子はその事でわざわざ怒りを発散しようだなどと考えていなかった。自分の家族の中に、赤ずきんの被害者は居ない。であれば、遺族でもない自分が文句など言えるはずも無い。
そして洋介が守護神アクセスできなくなってしまったことについて、これ以上言及したくなかった。それを理由に、知君に酷い言葉を叩きつけたばかりだ。誰も悪くない。あの日あの時あの瞬間、白雪姫とて被害者だった。あのままだと、洋介はそれこそ命さえ奪われていたかもしれない。
あの場に居た全ての、窮地に陥った者、誰かの悪辣に晒されていた者、全員を救うにはあの結果しかなかった。これ以上、『何もできなかった自分』が、とやかく言うつもりはない。
「それより今日は、もっと別な話があるんだろ?」
「……やっぱ、察しちゃってるもんすよね」
ちらと横目で、セイラの様子を窺う。王子の斜向かい、人魚姫の正面に位置する白雪姫も視線を王子から彼女の方に移した。赤ずきんはと言えば、真っすぐセイラの方を見つめながら王子に返答する。
「その通りっす」
視線を集められたセイラは、戸惑いながら六つの目をかわるがわる見て肩を竦める。威圧的に感じたのだろうか。実際、横目に見ただけのはずの王子も含めて、彼女に突き刺さるどの視線も、スポットライトのように強烈なものであった。
みんなして一体どうかしたのかと、セイラは首を傾げた。そして、待ち続けただけの甲斐はあった。踏ん切りのついた赤ずきんが、ようやく『その事』を切り出した。
この場にいる者にとって、避けてはならない苦渋の選択。数日後には全てを決していなければならない。
そしてその選択を為さねばならないのは、彼女に他ならなかった。
「セイラは……この一連の騒動が終わった時、あたしらとその男の、どっちを取るんすか?」
赤ずきんの選んだ言葉は、最悪に程近い代物であった。あまりに強すぎる言葉の選び方に、セイラは銃弾で撃ち抜かれたような衝撃を覚える。
だが、赤ずきんは全てを理解した上で、あえてそんな言葉を選んでいた。この葛藤は、決して甘くはないのだと、強く、より強く、人魚姫に再認識させるために。
「それ、は……」
誰しもの予想通り。彼女は、咄嗟に応えることなどできそうになかった。
- Re: 守護神アクセス ( No.104 )
- 日時: 2018/09/03 00:54
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
誰しもの予想通り。彼女は、咄嗟に応えることなどできそうになかった。
「カレット、流石にそれは酷でしてよ」
「駄目っすよ、ノイト」
見るに見かねた白雪姫が赤ずきんを諫める。しかし、刺された釘に怖気づくことなく、むしろ彼女は白雪姫に食ってかかった。
「後回しにしても、何もいいことないっす。それに、優しい言葉で導く訳にもいかないじゃないすか。今のうちにはっきり決めておかないと、全部終わってから後悔するんすよ」
「分かっています。それでも、先ほどの物言いでは品性が欠けていましてよ」
「だから、それは全部セイラのためを……」
「例えそうであっても先ほどの言葉はただセイラを傷つけただけ。それは私達の本意では無いですよね?」
意地でも退こうともしない赤ずきんに向ける視線を、彼女は鋭く尖らせた。同時に、叱責の意を込めた眼光は、氷柱のように冷たく輝いた。突き刺さる眼差しは、まさに彼女の名を指すがごとく、白雪のように冷たいものであった。びくりと、肩を竦ませた赤ずきんはあまりに冷え切った眼光に体が凍てつき、かじかんだ手のようにぎこちない動きになってしまった。
分かってくれて嬉しいわと、白雪姫がようやっと顔を綻ばせた。よくある作り笑いと違って、目も温かみを取り戻している。きっと、いつも赤ずきんが場をかき乱しては彼女が何とか御しているのだろう。白雪姫が彼女の手綱を握る様子は、あまりに手慣れたものであった。
しかし今気にかけるべきは。ガラスの仕切りで隔てた二人から、視線をセイラの方へと向ける。その目元に、いつもの笑みは浮かんでいない。何となく、青ざめているように見えた。鱗の形をした耳飾りが落ち着きなく動いているのは、当然場を楽しんでいる訳では無く、所在なさげに不安を表現しているのだろう。
「セイラ、大丈夫か」
幾何かの、沈黙。というのも人魚姫は、自分が声をかけられているだなどと気が付いていなかった。赤ずきんの厳しい問いかけに視線を逸らした後、直視できないまま何もない空間を見つめることしかできないでいる。
肩を叩き、もう一度声をかける。ようやく気が付いた彼女ははっとした様子で、大げさな動きと共に王子の姿を目にした。動転したせいで広がった瞳孔が、眉尻を下げて彼女を案じている王子を捉えた。
「ごめ、なさ……」
「別に誰も怒ってないよ。落ち着いて。どうせ誰が急かす訳でもないんだ、ゆっくり考えようぜ」
そんな悠長なと口を挟もうとする、赤い頭巾を纏った少女。しかしそれを先に読んでか、隣に座る氷雪のごとく真っ白な姫がカレット、と名を読み上げた。目を合わせるまでも無く、その眼光の温度など察せられた赤ずきんは、その場で言葉を詰まらせる。あまりに抑揚のない、平坦な声音は、吹雪よりよほど恐ろしい、じわじわと押し寄せる寒波のように感じられた。
それがこちらに向いていなくて助かったと、少年は身震いを一つした。そんな様子がどことなく可笑しくて、小さく笑い声をこぼしたセイラの表情に血の気が戻って来る。ありがとうと小さく呟いた彼女は、そのまま王子の手を軽く握った。
「でも、カレットの言いたい事も分かるわ。確かにこれは、ぐずぐずと先延ばしにしちゃいけないことよね」
「そ、そうっすよね」
「うん。でもね、カレット、一つだけちゃんと知っていて欲しい事があるの」
私はどっちも捨てたくない。きっぱりとセイラは、まずその意志を述べてみせた。どちらかを選ばなければならないにせよ、自分はその双方を大切に想っているのだと、伝えなくてはならない。
友であるカレットが、何を意図していたかに関わらず、捨てるだなんて言葉を使ったことだけは、そのままにしてはならないからだ。
「私は、要らない方を切り捨てる訳じゃないの。誰か、じゃなくて、どちら、を捨てるんじゃなくて選ぶべき」
自分が居たいと願う場所は、運命の相手の隣なのか。それとも、幾星霜の月日を共に過ごした友と共に囲む円卓であるのか。より自分がいるべき場所を考えた上で、自分の立つ瀬を決めなくてはならない。
「でもこれは、きっと私一人だけで考えちゃ駄目だと思うの」
「と、言いますと? 他人の意見に身を委ねるということ?」
「いいえ、違うわ。私の独断だけで決めても、それが一番いいのかなんて分からない。だから、私は皆の意見が聞きたい」
「勿論カレット、貴女がどう思ってくれているかも、ありのまま教えて欲しいわ」
あくまで誰かのためかと、白雪姫は何とか溜め息を飲み込んだ。何、昔から分かり切っていたことではないか。セイラには優しすぎるきらいがある。自分のための決断でも、誰かほかの者の最大幸福を考えずにはいられない。
それは確かに強さと言えるべきものだ。ここぞという場面で、他人を優先できる。しかし、それは裏を返せば自我が弱い証明にしかならない。
このまま話を進めていくと、セイラの選択肢は彼女自身を不幸にさせかねない。だというのに、白雪姫、ノイトは彼女の決め方を律しようとはできなかった。彼女自身、そんな風に思慮深くいられる彼女に惹かれて、付き合い続けてきたのだから。
自分の好む彼女を裏切り、その行く手を阻む訳にはいかない。ただでさえ自分は、フェアリーテイルとなって彼女の心を傷つけた身だ。今ぐらい、セイラのために黙っていても罰は当たらないだろう。
そして人魚姫の問いかけに、初めに応えたのは赤ずきんであった。
「私は当然、セイラはフェアリーガーデンの方に帰るべきだと思ってるっす。……いや、分かってる。あたしがどんだけ他人様に迷惑をかけたのかも、あんたにとってセイラがどんだけ大切かも理解してるつもりっす」
その瞳は、王子を捉えていた。彼女の瞳は、口よりも雄弁に物語っている。「でもそれは、自分たちにとっても変わらない。同じなのだ」と。
「無遠慮なのも不躾なのも、思いやりにかけてることも無神経なことも分かってる。でも、それでもあたしはセイラと一緒に居たい。大体分かってるんすか。あたしら守護神は不老不死っすよ。これから先何千年何万年と生き続ける。でも! そこの兄さんはどんだけ長くてもたかだか百年ぽっちで死んじまうんすよ。……確かに、その間だけはセイラは幸せかもしんない、でも、その後いつ終わるとも分からない時間をこっちの世界でどう過ごすつもりなんすか!」
守護神アクセスした人間が行使した能力は、時として行使者の死によって途切れることがある。ドルフコーストの洗脳能力と同じく、途切れないものも中には存在するが、それでも多くの能力は行使した人間の死と同時に解除される。ジャンヌダルクも一応はこの例に漏れない。
だが、琴割は死なない。それゆえ、彼が守護神のガーデンと現世の間の出入りを拒んでしまえば、半永久的にセイラは二度と故郷へ帰れなくなる。目の前にいる二人を含む、親友とは今生の別れを告げることになる。そしてその今生は終わりがない。悠久であり、永遠。たとえ宇宙滅びようとも彼女だけはこの世に留まり続ける。
何の娯楽も無く、血も沸騰するような異常地帯、息も出来なくなるような苦行の空間に成り果てたとしても、それでも生き続けなくてはならない。その頃には琴割も死ぬかもしれない。だが、死んでいないかもしれない。
人間社会が終わってしまうことを琴割が拒み、永遠に栄え続ける可能性もあるだろう。だとしても彼女は帰れない。ジャンヌダルクに期間を拒絶され続ける限り。
「たかだか百年ぽっちのためにセイラが全部投げ捨てるのはあたしには我慢ならないんすよ。だったら……だったらあたしは離れたくない。絶対誰にも渡さない。渡したくない、たとえセイラがそいつの事好いてても嫌っていても関係ない。人間なんかに渡せない、だってそいつら、最後まで添い遂げちゃくんないじゃないすか」
救ってくれた相手にこんな事を主張するのは間違いだとは分かっている。むしろ王子こそ、人魚姫に懇願する権利があるのだということも。言われないと分からないほど、彼女は愚かではない。
それでもなお、彼女が親友の幸せを願う気持ちは偽りでもなく、セイラにとっての王子様が抱く感情に引けをとるものでもなかった。
それだけではなく、自分も共に過ごしていたいという強く明確な意思をも告げた。セイラではなく、王子の様子を窺う。今、語り掛けている相手は初めに尋ねたセイラではなく彼の方だった。お前には果たして、今言ったことを理解できているのか。理解できているならその上で、どちらを選ぶつもりなのか。
彼女が口にしたのは正論だと、赤ずきん自身が誰よりも強く感じていた。だからこそ、少しは王子の顔色は動揺に染まると思っていたのに、それにも関わらず彼の表情は陰らない。反論もできない正しさと、王子が拒みたくなるだろうほどに強い断言。
それでも少年の顔色は、微動だにしなかった。以前までの彼であればきっと、多少は戸惑ったことだろう。俺だって、そんな事を口にして強く反発し、泥沼の口論を引き起こしたはずだ。
かといって、かつての彼とも違っていた。人魚姫と出会う前、自暴自棄になってへらへらと周囲に迎合していた彼ならば、きっとここは薄っぺらい笑みを浮かべて賛同したことだろう。その方が、きっと敵も傷も少なくて済む。
しかし彼は、媚び諂いさえしなかった。その態度に不可解さを覚えたカレット。しかし、王子が答えるよりも早く別の声が彼女の意見と真正面から衝突した。
「……私はむしろ、セイラはこちらに残る方がいいと思います」
「ノイト、何言って」
「悪いわね、カレット。けれど、何も可笑しくなくってよ。貴女は知らなくて仕方の無い事。私達だから分かること。こうと決めた殿方の傍に添い遂げることが、どれだけ本望である事か」
「そりゃ確かに、あたしにそれは分かんないっすよ」
見つけてもらえたのか悲恋のまま水底に沈んだのか。即ち、報われたか否かに関わらず、白雪姫も人魚姫も、恋の物語だ。かたや田舎の美しい少女、かたや海に住む亜人の美女。二人の共通点はただ一点、王子に恋焦がれた、それだけだ。
しかしその唯一が、何よりも大きい。シンデレラを加えても、赤ずきんの立場は変わらない。彼女だけが、恋知らぬあどけない少女のままだ。運命の相手と言えば、己を喰らう狼程度。良縁とは、口が裂けても言えはしない。
「そう、だから。私はその喜びを知っているから。だからこそセイラに言ってあげられる。幾星霜、億の朝焼けに兆の日暮れ、那由他の夜が訪れるとしても。それでもこの先貴女の送る数十年は、かけがえのない宝物になるはずよ。この地で、その子と共に居続ければ、ね」
「でも、向こうに戻っても本来の……いや、何でもないっす」
それ以上、続ける訳にはいかない。セイラの事情をすんでのところで思い出した赤ずきんは、そのままその場で黙り込んだ。灰被り、眠り姫、白雪姫。全員、必ず誰かと結ばれている。しかし、しかしだ。悲しいことに人魚姫は、王子から見向きもされなかった。存在を認知さえされなかった。スタートラインに立つまでも無く、勝負は決していた。
「これまで知ることのできなかった幸福を、今享受できる。それなら、私が止める理由はありません」
「ノイト、でも私はね、そんな簡単に決めていいとも思って」
「簡単なものですか」
自分には貴女の事情は完璧には把握できない。そう、白銀の髪を振り乱すように首を左右へ。容易な結論だとの声を否定した。
「私は何より強く覚えてましてよ。老獪な魔女の毒に苛まれ、そのまま意識も闇に落ちるばかりと思っていた時。一条の光が私を奈落から救い出してくれたことを。開いた視界に飛び込んできたあの人のご尊顔のことを」
とこしえの眠りという、視界としての暗闇だけではない。もう目覚めることも出来ず死を待つのみという、絶望。その心理的な闇からも引き上げてくれた彼の光輝くほどに眩い姿は、この網膜に焼き付いて、幾つもの日を跨いでも消えはしない。
「セイラと彼とがどう出会ったのかは知りません。もしかしたら私が見ていないだけで、最悪な出会いだったのかもしれませんわね。それでもきっと貴女は忘れられないと思う。畢竟、初めてもらった言葉を、見つけてくれた喜びを噛み締めてしまう。そんな子よ、貴女は」
その言葉は、痛い程胸に沁みた。何せ事実だ。人魚姫は、あの日の事を片時たりとも忘れられた事など無い。
『俺がお前を、ハッピーエンドにしたいんだ』
『物足りないかもしれないけど、俺をあんたの王子にしてくれ』
そんな事、伝えられたのは初めてだった。そんな事言ってくれる男性なんて、いないと運命づけられていたから。
悲劇の世界を描いた、作者(かみさま)のせいで。
「納得してくれたみたいね」
「それはもう」
「でも、そんなのあたしは嫌っすよ」
「ごめんなさいね、カレット。貴女には難しい事かもしれないけれど」
「関係ないっすよ! じゃあ、じゃああんたの方はどう思ってんすか?」
ぎろり、眼光が怒りに燃ゆる。炎のように揺らめきながら、鈍い瞬きを持って紅玉のような二つの瞳が、王子に焦点を合わせていた。名前に即して、赤を基調とした容姿なのだろう。フェアリーテイル化はもう解けていると言うに関わらず、いや、だからこそ彼女は澄んだ紅の目をしていた。
「人間、あんたはセイラに残って欲しいって本当に思えるんすか。今あたしが言ってのけた、こっちにセイラが残るデメリット全部踏まえた上でっすよ」
これまで己の意見は言わず、場を収めようとしていた彼に視線が集まる。と言っても、不安げに震える隣の女性の手を握っている程度のことしかしていないが。
平時であれば彼自身緊張して、気が気でなかっただろうに。ひとたびその相手が苦悩しているとなると、そんな緊張など全て吹き飛んだ。
誰を見て学んだ訳でもない。握りしめた指先から次第に熱を帯びていく。一時は青ざめていた頬さえも、いつしか血色がよいと言えるところまで戻っていた。
「俺は……」
勿体ぶって時間を取ろうともせず、かと言って考え込む訳でもなく。彼は自分の大事にしたいものを口にした。それだけは、譲りたくないと思った最終防衛ライン。最低限、護らなければならないと思ったある基準。
しかしそれを語る上で、初めに言わねばならぬもの。それが赤ずきんの琴線に触れて、それを告げるや否や。
「俺は……正直、どっちを選んでも構わないと思ってる」
爆発した。
- Re: 守護神アクセス ( No.105 )
- 日時: 2018/09/05 01:30
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「どっちでもいいってあんた、何適当なこと……」
「待ってくれ。そこで終わったら確かにろくでもねえ答えだけどまだ続きがあるんだ」
「は? ろくでなしって分かっててよく言えたもんすねあんた!」
額を硝子の板に押し付け、犬歯をぎらつかせながら、赤ずきんは吠えた。王子の言葉にこれ以上耳を傾けようともせず、眉間に強く力をこめて、二本の眉で谷を形成するようにして。厚い透明な隔壁越しでも、その声の圧が届く。びりびりと、手先が痺れるような感覚を覚えるほどに。
流石は最恐とまで言わしめたフェアリーテイル。個人での実力はシンデレラに譲れども、彼女もまた立ちはだかれば強大な壁。いざ立ちはだかれば多くの命を簡単に薙ぎ払う、その印象が植え付けた恐怖の種が、腹の奥の方で呼応しているようだった。もう、恐れるような悪人でもないというのに、以前殺されかけた記憶が蘇り、ひゅっと背筋が冷たくなる。
「カレット、話を聞いてあげて」
「セイラも何言ってんすか。今の言葉ちゃんと聞いてたんすか、こいつあろうことかどうでもいいって言ったんすよ」
「そんな事言ってない。どちらでも構わないって事よ」
「つまりどっちでもいいんじゃないすか、適当過ぎっすよこの男」
「王子くんはそんな人じゃない」
「ほだされないで欲しいもんすね、ちったぁセイラも現実を見て」
「現実を見るのは貴女の方よ」
息を巻く少女であったが、不意の尖り声に喉を詰まらせた。あっ、と声になるかならないか、その狭間の吐息を漏らして、同時に怒りの朱色が頬から引いていく。虎の尾を踏んでしまった。それに気が付くには些か遅すぎた。
目にするのはあまりに珍しい。黄金の瞳が鈍く瞬いていた。いつも優しく包み込んでくれる、春の日差しのような眼光だと言うに。真夏の日差しのようにぎらぎらと照り付けてくるのに、秋の終わり、木枯らしのような寒気を覚えた。
「話を聞きなさい。まだ続きがあると言われたでしょう」
「けど……」
「返事は?」
「分かりました」
「他に言うことは?」
言い訳がましく主張しようとも、すぐさま続く言葉を遮られる。しゅんとして、小さく背を丸めた彼女は引き下がり、親友である人魚の様子を窺った。まだ、金色の双眸は、淀んだ怒気を孕んでいる。
他に言う事、と促されてもすぐには思いつかなかった。当惑しながら首を傾げるも、より一層セイラの表情は強張っていく。怒るとしたら自分云々というよりも、他人への振る舞いに関しての事だろう。彼女の性格上、怒るとしたらそこ以外に考えられない。
とすれば今は、彼女の隣に座る少年に対してのものだろう。仕方が無いから、渋々、誰が見てもそれが伝わる態度で彼女は謝辞を述べた。むくれ面が見えないようにそっぽを向いて。少女が不満げに頬を膨らます表情は、真っ赤な頭巾に隠れて見えなかった。
「話遮って悪かったっすよ。続けてください」
「よくできました」
辛うじて、柔らかくなった鈴の音に、ホッと胸を撫でおろした。セイラが怒るようなことはめったに無い。それでも、彼女を一度怒らせたとなると厄介だ。何せ大概の場合、セイラは間違った者と対立するようにしてその激情を露わにするのだから。
もう大丈夫かな。そう判断した少年は、ほとんど目にしないパートナーの怒り姿を新鮮に想いつつも、一旦閉じていた口を再び開いた。
「俺は、セイラがどっちを選んでも構わないと思ってる。ちゃんと自分で考えて、悔いのない決断ができたんだとしたら」
何よりも大切なことは、後から悔やまないことだ。あの時、ああしていれば。そう思う余地も無い程悩んで、考え抜いて、あれだけ考えてこちらがいいと決めた結論であれば、将来辛く苦しく感じた時にも納得できるだろうから。
「赤ずきんの言ってることは分かる。俺が死んだら、ずっとこっちで一人ぼっちだって。白雪姫が言う通り、それでもこちらに残るべきなのかもしれない。けどそれは多分、俺らがごちゃごちゃ押し付けていいものじゃないんだ。例えそのいずれかが、明らかに不幸な道だったとしても」
セイラの意志は誰の者でもない、強いてあげるならば彼女自身のものだ。であれば、こちらの方が良いだとか、あちらの道の方がより幸福だなどと指示するのは間違っている。誰かが命令した通り従っても、後になってきっと不満は出てくるだろう。そんな時、今自分が歩いているレールを敷いたのが他人であれば、ふと思ってしまうことだろう。
『ああ、やっぱりあの時、ああしていれば良かったんじゃないか』と。
そう思ってしまわないように。未来の彼女がかつての選択を後悔しないために。最も大切にするべきなのは、誰と一緒に過ごすかを決めることではない。
「俺は今までさ、選択肢がない人生だったんだよ。なりたい未来へ続く橋が無かったんだ。だからこそ思うんだよ、どっちに進むか悩むことが何より大切なんじゃないかって」
思えば、これは自分の経験だけではない。生まれながらにして、最前線での戦闘を宿命づけられた友人の姿を思い浮かべる。本人は、野蛮で物騒なことなど何も望んでいないと言うのに、敵対した者のみならず、万人からあらゆるものを奪い取るよう操られていた少年。
彼もまた、選択肢の無い、他人に引かれたレールばかり歩まされていた。そしてどうなった事だろう。不調や故障に気が付かないまま、いつしか脱線してしまった。真凜という優秀な整備士が居なければ、廃車になってしまっていた程派手に。
「どちらの道が幸福なのか、どっちを選ぶべきかなんてそんなに大事なことじゃないってのはそういう事なんだ。一番護るべき意志は、セイラ自身が自分の選択は幸せだったと、ずっと信じていられるかどうか。あの日選んだ答えは間違いじゃないって言えるよう、“どんな風に選ぶか”なんだよ」
だから自分は何も言わない。その選択に、他者の願望が入り混じってしまわないように。その期待は、願いは、きっといつかノイズになってしまう。
「俺も、今後セイラがそっちとこっちを行き来できなくなるってさっき知ったばかりだ。まだ困惑してる。何て声をかけていいのかよく分かってないし、焦らなくていいよ、って問題を先延ばしにしてるようなことしか伝えられてない」
そんな折に思い出したのは、何よりもまず自分の家族たちの事だった。人魚姫という守護神といつしか契約していた彼に、家族は揃って目を丸くした。勝手な事をしてと怒ろうとした父と兄の怒りも、見ることができた。それでも、二人とも怒ろうとしなかった。能天気な母親だけがよかったわねと手放しで喜んでくれて。
そしてそのまま、自分で選ばせてくれた。危ないから下がっていろと喉仏まで押し寄せてきた言葉を取り下げた。心配で、不安で、できることなら危険な場所に来てほしくないというのは、眉尻の微妙な皺で簡単に察せられた。それを伝えようにも、伝えられないもどかしさも含めて。
なぜなら全員、知っていたからだ。残酷な現実に、幾度となく声を殺し彼が涙した現実を。
それを暴露した日までに王子は、とっくに何度も死地を越えていた。特に最大の死地は、その日直面していた桃太郎との対面であったが。一度目と違い、契約者を得た桃太郎相手に、二度も殺されかけて、その度に助けられた。まずは真凜、二度目は知君。
それを乗り越えてなおも、立ち上がると決めた王子に、否定的な声をかける家族は一人としていなかった。
「だから俺は黙って待つよ。確かにこれはセイラにとっては少し酷かもしれない。この辛い悩みを、誰の意見を聞くことも無く、死ぬほど悩んで。悩んで苦しんで悩み抜いた上で、自分一人で決めろって言ってるんだから。でも、自分で決めなくちゃ駄目なんだよ」
惚れた腫れたではない。自分が誰かの役に立って悦に浸りたいだけではない。彼が彼女のために努力する理由は、初めからずっと自分のためだった。自己満足であって、自己陶酔ではない。彼はずっと証明したかった。不幸の星の下に生まれたような自分達でも、幸せになれると。哀れで可哀想でも無く、望みや夢を叶えられると。
人魚姫をハッピーエンドにする。それを通じて、自分の願いだって叶えられると、証明したかったからだ。
彼女に幸福な結末を迎えさせてあげたい。迎えさせる。してみせる。あの日の欲求は、いつしか願掛けのようになり、自分独りの中で誓いとなって、今となっては約束となっていた。
「俺は、そう言いたかったんだ。納得してもらえたか?」
「ふん、ま、及第点ぐらいじゃないすかね」
頭巾を目深に被りなおす。適当なこと言いやがってと早とちりした自分が、ひどく幼稚だったからだ。羞恥で顔がやけに熱い。それを認めるのも見られるのも屈辱的で、咄嗟に顔をより一層隠してしまった。僅かでもその敗北感にも似た劣情を隠すように、ふんぞり返った言葉で一先ずは王子を認めることとした。
その強がりが可愛らしくて、隣に座す白雪姫はくつくつと声を漏らしながら肩を震わせていた。
「では、私がセイラに残るよう勧めたのも、お節介だったようですね」
「そういう訳じゃ……とは言いたいけど、まあそうなるか」
「ほんと、セイラはいい人を見つけましたこと」
そこからほんの少し談笑を続けたあたりでのことだった。面会時間の終わりを告げるアナウンスがスピーカーから流され、席を立つよう促される。そのままの姿では歩きにくいだろうと、王子はセイラの手を取った。その意を汲んだ彼女も、すぐに呼吸を彼と合わせる。
守護神アクセス、そう揃って口にすると、セイラの姿はたちまち空に溶けるように消えてしまった。目にできるのは今や、契約者の王子只一人。
「じゃあな、二人とも。今日はわざわざ有難うな」
「いいえ。むしろ急な呼びかけに応じていただき、礼を述べるならこちらでしてよ」
ほらカレットと、また少しいじけた様子の少女を急き立てる。
「分かってるっすよ」
そんな風にぶっきらぼうな口ぶりで、王子をまたじろりと弱く睨んだ。
「……不幸にさせたりなんかしたら、絶対許さないっすよ。よく覚えてろよおたんこなす、ばーかばーか」
「はあ……また貴女はそうやって子供のような事を……」
名残惜しく親友の消えた空間を見つめなおし、俯いた。きっとその表情を見られたくなど無かったのだろう。足元ばかり穴が開くほど凝視しているかのような彼女の背を、白雪姫の真っ白な手がそっと撫でた。
そのまま王子が部屋を出て、扉を閉めるその時まで、ついぞ彼女が顔を上げることは無かった。新しい建物だけあって、軋むようなことも無く。ただ閉じるときにドアのラッチが首をすぼめては、また飛び出す音だけがカチャリと一言漏らす。
残る二人も早いところ自室へと戻るように、係員から促される。赤ずきんが落ち着くまで待ってもらえないかと白雪姫はカメラに向かって尋ねた。万一自分たちが暴れたりしないよう、ここでの会話は聞かれているし、様子も見られている。
なるべく急ぐようにと、寛容な答えが返ってきた。謝意を口にするようなことは無く、代わりにただ浅く腰を折ってお辞儀をした。姿勢を戻すと、そのまま赤ずきんの傍に再度寄り添って、頭巾ごしに頭を撫でてやる。
よく堪えたわねと、口には出さずにただ優しくその輪郭をなぞる。力のこもらない小さな掌が、ノイトのドレスの袖口を掴んだ。子供っぽくて、暖かそうな、赤い掌はまるで秋口の紅葉のように映った。
「何であんな事言ったんすかノイトは」
「セイラは残るべき、という事かしら」
「それ以外に何があるんすか」
雫が一つ、二つ。床に滲むように広がった。落ちて放射状に広がった雫の跡は、何かが潰れたシルエットとよく似ていた。
「貴女と同じ。私は私なりに、彼女の幸福を考えたつもりでしてよ」
「でも……それでも何で、何でノイトは……」
上手く言葉が紡げない。嗚咽に塗りつぶされてしまい、想いは上手く伝達できそうになかったというのに。言うまでも無く、その意思は元来白雪姫の胸中にも根付いているものであった。
心にぽっかりと穴が空いてしまいそうなのは、何もカレット一人だけではなかった。その空白を埋めるように、ノイトも小柄な乙女を抱き留めた。純白のドレスに顔をうずめて、真紅の瞳からは水晶の雨のように寂寥が滴り落ちた。
瞼から零れることなく、眼球の傍に涙液が溜まっている様子は、虹彩の色が透けているせいか血涙によく似ていた。
「私だって、セイラと離れたくないと思っていますわ」
涙を見せるのは、一人でいいだろう。脆い彼女を支える自分ぐらい、気丈に笑っていなければならない。
取っておこう、この喪失感は。いずれ、本当に別れが来たその時のために。
できる事ならば、そんな日が来ないことを願って。
- Re: 守護神アクセス ( No.106 )
- 日時: 2018/09/12 17:21
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
王子が彼女らに呼びだしを受けたのと同刻、知君達も琴割に招集を受けていた。初めは知君一人で構わないと考えていたのだが、奏白達は信頼するに値する。既に、知君がELEVENという機密さえ知ってしまっているのだから、これ以上隠し事を重ねる必要性も無い。無闇に人に語るどころか、信頼できる相手にも沈黙を守ってもらえることだろう。
琴割の部屋に呼びだしを受けたのは、奏白にとっては三か月近く前に一度のみ。真凜にとっては初めての体験だ。元々あまり上の人間に呼び出されてもあまり緊張しない奏白だが、彼とは違って妹の方はというと、少し体が固くなっていた。
たまに忘れてしまいそうにもなるが、無理も無い。奏白は真凜の、ぎこちない態度を見ても別段驚きはしなかった。もはや戦力として無くてはならない彼女ではあるが、それでもまだ警察内部に入ってまだ半年弱。社会に出たばかりの新人もいいところだ。
大企業の平社員が、伝手とはいえそれほど面識がある訳でない社長に呼び出されるとすると、かなり異例の状況だと言えるだろう。
呼びだされた理由は分かるやろ。モニターの電源をオンにしつつ、白髪の男は問いかけた。わざわざ映写するものを用意しているのだから、録画された映像を見るに違いない。となれば、先ほど名の上がった、シンデレラの契約者からのメッセージと考えて間違いないだろう。
シンデレラの契約者の名は、世間的に開示されていない。というのも理由があった。ただでさえ混乱した世の中において、これ以上不安要素を加えてやる訳にいかなかったためだ。此度の騒動を表に立って主導する者が、世界的に著名な人物であったなら、その衝撃はさらに大きい。
所詮は見知らぬ誰かだからこそ、一般的な殺人鬼には純粋な嫌悪が募る。第一印象が咎人で固定されるためだ。そのフィルターを通して人物を眺めるために、時に憎悪を純真に込められる。この者は、罪を犯した人間だから、否定しても構わないと。
奏白にはまだ伝えられていない。伝える暇が無かったためだ。しかし、真凜と知君は病室において予め知らされていた。シンデレラの契約者は、星羅 ソフィア。世界的に活躍している歌手の一人。いや、その程度の言葉では物足りない。つい先日復帰したばかりの、現代において最も待ち望まれている、歌姫だ。
彼女は一年前に活動を停止するまで、母親が日本人ということもあり、親日派のシンガーとして名をはせていた。他国と比べれば、他の歌手と比べれば日本公演の数も多く、本人の言語も堪能だ。災害が起きればチャリティイベントも行い、プライベートで家族旅行にも訪れる程。
そんな人間が、日本を隅々まで磨り潰そうとしている、実際に東京を半壊させた一連の事件の主犯であると発表するのはあまりに恐ろしかった。行き過ぎたファンさえ通り越し、信者と呼ぶに値する人間が暴動を起こす可能性もある。警察の情報は出鱈目だ、マスコミが偽の情報を流していると。
世間についたイメージも、さらには悪い方向に働く可能性もある。これまであれだけ日本を愛してくれた彼女がそんな事するだなんて、彼女が憎む人間がいるに違いない。その人間こそが真に今回事件を引き起こした人間であると。そういった風評が流れないとも限らない。
事実彼女は、男が正義か悪かはさておいて、琴割への憎しみで動いている事は届いた映像からして明白であった。この部屋の中で唯一先に目を通していた琴割は、それを見越して外部に一切の情報を漏らさなかったのである。
「あの歌姫が、シンデレラの契約者? おい知君、それってマジなのかよ」
「本当です。……ですが、彼女が契約したのはフェアリーテイル事件が起きて以降の話だと思われます」
「ま、確かに前から似てるって言われてたけどよ……。それなら、いつ契約したって言うんだ?」
「それは分かりません。あくまで僕はその事を、ネロルキウスの能力で推察しているだけですので」
ネロルキウスの能力は、形勢の特質を有しているシンデレラの通用しない。その延長で、傾城であるシンデレラにまつわる情報を仕入れることもできない。故に、彼女がいつ頃契約したのか、契約したとしたらその相手が誰であるのか、調べることなど不可能、という訳である。
ならばなぜ、彼女が契約者となったのが事件が起こって以降と断言できたのか、それは王子達の影響に他ならない。人魚姫に関する情報は仕入れられる。そのため、人魚姫が『世界で初めて守護神アクセスを行ったフェアリーガーデンの守護神である』という情報を知っている以上、シンデレラ達が契約したのはそれ以降ということになる。
「そして、アリスと戦った際に、僕の脳裏にちゃんとソフィアさんの情報は入ってきました。例の歌姫が一年ぶりに活動を再開するという情報です。当時日本に入国したばかりの日付で、何人かの対策課外の人間が警備に当たっていると聞いていたせいか、その情報は強く頭に残っています」
もしあの瞬間、既に契約を結んでいたとすれば、そんな情報は飛び込んでこない。そもそもアリスとの交戦時においては、王子達すら契約していないため、それよりさらに後になるだろう。すなわち、現世にシンデレラが姿を見せてから一か月以上の後に、契約したと言う事実だけは間違いない。
「一時シンデレラが一か月以上、全く姿を見せていない時期がありました。あれはおそらく」
「まず、間違いなく契約者が海外におったからやろうな」
「同行していた可能性も高いですね。守護神アクセスを重ねていないと、接続許容時間は伸びにくいので」
「星羅がこないだ日本公演した日、日付が変わる直前にシンデレラの襲撃があったはずや。そん時もしかしたら既に契約しとった可能性もあるか」
むしろそのタイミングを逃せば、他には無いのだろう。あの日確かに、普段よりもシンデレラの撤退はずっと早かった。十一時を超えてから現れたと言うのに、いつものように十二時直前ではなく、十分以上も余裕を残して去っていった。
あれが、気まぐれではなく守護神アクセスの許容時間限界に関係していたとすれば、そうとしか考えられない。
「……でしたら総監。わざわざ私達をここに呼んだとなると、その映像を見ればよいのでしょうか」
「せや。そうでも無かったら呼んどらんわ」
届いた映像を公開できない理由は他にもまだある。映る彼女が発する言葉のせいだ。彼女は、一年越しの怨恨を、腐ることなくより濃く煮詰めて、琴割にぶつけていた。目にすれば、彼女の怒りに共感する人間も少なくは無いだろう。むしろ琴割が悪だと断じる者もいない。
警察という正義がフェアリーテイルという暴漢達を諫める構図が、武力で弾圧する琴割に対する、一人の少女の復讐劇に変わりかねない。被害者である自分達日本人であれば、そのような感傷に囚われることは無いだろうが、決して自国の出来事でない面々にとっては、琴割という男がたちまち弾圧者に早変わりしてしまう懸念がある。
しかし、星羅ソフィアというのは強い意志を持っていた。目的を違えることなど無かった。あくまでも彼女は、琴割を貶めるのではなく、琴割への復讐を果たすことを目的としている。彼の信じる正義の破壊。平穏の落日。それは、彼を権力者の立場から引きずり落とす事とは異なる。
むしろ、そのまま天に居続けてくれた方が好都合だ。彼を引きずり下ろすだけでは、また昇りつめてしまう可能性が高い。多くの人々と違い、琴割の生は無限に等しい。ここで彼一人どん底へと叩き落しても、ソフィアの死後に再び覇権を取りかねない。
彼女の復讐は、琴割が最高権力者であるまま、作り上げた平和の概念を叩き壊すところにあるのだから。その失態は、終わり無い琴割の生に穿つ楔だ。完璧でなくてはならない、ELEVENの契約者としての軌跡。その中に拭い去ることのできない汚点を刻み付ける。
彼は、一度自分の家族を取りこぼしてしまった、それゆえに完璧主義者だ。自身の失敗など到底許せない、認めようともしない。それは知君に対して取り続けてきた態度も裏付けていることだ。その態度が間違っていたと諭すのに、一体幾人の労力を割いたことだろうか。
「知君の身の上話を聞いた時にも、儂への不信は募ったじゃろうが、今回もまた募るかもしれん。けどな、儂を怨むんは一旦後回しや。この事件の主犯の理屈を知る。目的、そして手段を。そして日の本を護るんがまずは最優先や」
当然ですと、真凜は頷いた。かつて、アレキサンダーの契約者、壊死谷を検挙するまで見当違いに囚われていた彼女だからこそ、強くその言葉に同意した。面子に囚われて目的を履き違えてしまうのは愚者の行い。そのように過日の己を恥じ、戒めていた。
彼女の知君への認識が大きく変化したあの日まで、彼女は自分の在り方というものが不安定だった。心の奥底では護りたい誰かの平穏を願っていたのに、それを叶えられているか否かという、自分の見栄ばかり尊重していた。その後も、取るべき態度のずれは付きまとった。警察の外部、一般人の延長の知君に無理をさせたくないと願い、遠ざけ続けた。
認めて褒めてあげることが、一番喜ばせられる選択であったのに。無理にでも休ませてあげようと、負担を減らしてやろうと奮起したのが、余計に彼を傷つけていた。意地を張って、声をかけずにい続けたせいで。
だからこそ、もうこれからは、見据えるべき一番の目標を定め間違える訳にはいかないのだ。もし何か、悲しい理由があったとして、同情も憐憫も後回しだ。琴割への場違いな憤慨も当然脇に避けるべきだ。たとえ彼自身が、初めからそのメッセージを理由に、琴割 月光という男への敵意を煽られる可能性があると宣告するほどであろうが、今考えることはそうではない。
この大規模なテロ行為を、まずは終わらせる。市民にとっての安全こそ、何より優先して然るべき、最も尊いものであるのだ。
モニターのスイッチが入れられる。音も無く、暗かった液晶が無数の色に彩られた。映し出されたのは、東洋人に近い顔立ちながらも、色白の肌に彫りの深い顔を持つ麗人。明るいブラウンのヘアと人魚姫に程近い黄金の瞳を持つ女。星羅 ソフィア、世界の歌姫と呼ばれ、その名を知らぬ者の方が少ないだろうと言わしめる程の人物。真凜よりもなお年下だというのに、歌唱界においては現代世界一と讃えられる。
ホテルの一室、高級そうな椅子に座っている姿を見ていると、ライブDVDの特典映像か何かを思い起こさせる。そう言った女性なのだ、このソフィアという者は。何気なく、敵意を剥き出しにしてカメラと向き合っていると言うのに、人を虜にするような魅力を備えている。
彼女と同じ血を引いているとは、知君には到底思えなかった。ネロルキウスを呼びだした時であればこれだけの覇気を自分も帯びているのかもしれない。しかし、自分一人だけでこれだけの凄みとも呼べる威圧感を纏えるかと問われても、不可能に思えた。
これはきっと、聴衆の前で威風堂々と歌い続けてきた彼女の気迫。誰に対しても臆せず、怯むことの無い凛とした佇まい。きっと、各国の著名人と顔を合わせるような機会も多かったのだろう。音楽の世界、その頂点を走る一人として、若いながらもその態度を示さねばならなかった彼女は、貫禄にも似た沈着さを得ているように見えた。
母親が同じというのであれば、これは父親の違いからくるものだろうか。そう考えども、すぐに自分で否定する。これはきっと、信念の違いだ。教育環境の違いに他ならない。彼女はその類稀なる才能から、自分の存在価値というものを評価され続けてきた。
しかし知君はそれと正反対だ。才能を無理やり持たされた。その上でしたくもない努力を強要された。結果として失敗してしまい、それゆえに努力も生きる意味も否定されてしまった。彼は、自他共に価値を認められない道化に過ぎなかった。
その自信が、眼光に宿っているだけだ。ラメの目立つ薄桃色のルージュの隙間から、言葉が漏れた。初めまして、そう述べただけのはずなのに。声だけで意識を鷲掴みにされたような心地だった。誰かの声によく似ている。そう思った時、ふと思い浮かんだのはソフィアと同じ黄金の瞳を持った、幻想の国の緑髪の乙女の後ろ姿。級友である彼と、手を繋ぐ後ろ姿。
「初めまして、名前も知らない弟君。そして久しぶりね、月光」
関心を奪われた。だからこそ、続く言葉が重く染み入った。久しぶり、そう語る彼女の声音には、強い憎悪が灯っていた。掴まれた心の中に、あまりに強く燃え盛るどす黒い負の感情を直接注ぎ込まれる。目を耳を、意識の全てを画面に映し出された彼女に向けていたせいで、隠すことの無い憎しみが、音も無く蔓のように絡みつく。
決してこれは守護神の能力でも何でもない。だからこそ知君にも強く響いた。気づけば、その激しすぎる情動に中てられ、視線を逸らす事さえもできなくなっていた。
執念というものはいつの時代も、ただでさえ強い想いをより濃縮させて取り返しのつかないものへ変えてしまう。もはや収集も、引っ込みもつかない。昂り続けた熱を捨てる場所がないために。溶かし続けた時間を思うとやりきれなくなるために。
初めは怒りのみが彼女を突き動かしていた。必ずや母の仇に復讐してやると、泣き崩れるのをやめて立ち上がった。しかし今となっては、点し続けてきた復讐の業火を、絶やさない事だけを義務のように感じていた。薪のようにくべ続けてきたこれまでの時を、悲しみを無為にしてしまわないための責任だけで今や立っている。
妄執が、琴割を殺せと呻いていた。
「貴方が頑なに首を縦に振らなかったせいで母は死んだわ。必要な時には利用しておいて、私の弟をも監禁して。貴方は、この私から家族を奪い取って、変わらない澄まし顔で平和の象徴然としている。許せない。貴方の勝手な取り決めを護ったせいで、母は死んでしまったのに。貴方だけ堂々と例外的に生き延び続けているだなんて」
琴割のせいで彼女の母親、ひいては知君を産んだ際の卵子の提供者が死んだ。ソフィアの告げた事実にその場に居合わせた面々が目を丸くした。世間的には、彼女の母は病魔に冒されて死んだとされている。その認識と、彼女の告白から受ける印象があまりにかけ離れていた。
しかし、脈絡の無さそうな二つの事実は、共に真実であった。真実はいつも一つしか無いと、多くの名探偵は語るだろう。今回においても当然真実など一つしか無い。ただそれは、見方を変えるだけで複数の解釈が生まれるというだけの話だ。
彼女の母、朱鷺子は不治の病を患っていた。科学的な治療は不可能。唯一治せる可能性があるとすれば、ELEVEN、ナイチンゲールの能力のみだ。
しかしそれは、琴割の定めた条例に反する。ELEVENの力は、私的に、個人規模で行使してはならない。大規模なテロ活動において、数万人規模の負傷者が出た時ならば、おそらくナイチンゲールの能力行使権は認められる。しかし、例え一国の統率者であったとしても、一人の病人だけを治癒する目的で許可を降ろすことはできない。
これを決めたのは琴割だ。たとえ彼以外の各国首脳が星羅朱鷺子の病巣を取り除くのに許可を降ろして欲しいとの要請に、頑として首を縦に振らなかったとしても。琴割が定めたこの規約さえなければ、そんな事ばかり考えてしまう。
彼一人だけが、自分の能力で老いと死を拒んでいることも原因に他ならない。他全ての者が、守護神にさえ縋ってしまえば大半の望みを叶えられるというのに、禁じられている。そんな中、規則を整備した男だけが我が物顔で力を振りかざしていたら。それはまさしく憎悪の対象となって然るべきだ。
「七十二億人が認めたとして、私だけは許してあげない。ねえ、弟君。君もそう思ってくれたりはしないかしら」
画面の中、まだ見ぬ肉親に想いを馳せて、彼女は寂し気に目を細めてみせた。
- Re: 守護神アクセス ( No.107 )
- 日時: 2018/09/17 21:56
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「貴方の名前は知らないけれど、私と同じ母を持つ子供が日本にいることはダディから聞いてるわ」
ソフィアが二歳の頃、とある訳あって星羅朱鷺子は卵子を提供するように琴割から依頼された。彼女が選ばれた理由は大きく挙げて二つ、一つは遺伝子の都合上、もう一つは人柄の都合上だ。前者は確実に必要な条件であり、後者は迷信めいたもの。最上人の界に住む守護神と契約する運命にある人間の中で、心根の優しい人間を選んだのだ。
ネロルキウスの契約者を生み出す以上、求められる遺伝子は最上人の界をコードしていること。そして、あくまで性格は遺伝しないと分かっていながらも、できるだけ広い心を持った人間の遺伝子が欲しかった。琴割の性格は、当然それほど褒められたものでもない。ならばせめて母親ぐらい誇りに思える人間を選ぶべきだと思った、それだけだ。
そして白羽の矢が立てられたのは、今更言うまでも無くソフィアの母。ソフィアだけではなく、母親からして才能ある人間であった。彼女は表舞台に立つ側ではない、むしろ裏方寄りの人間であった。若くして多くの賞を受けた、才能ある一人の映画監督だった。娘が生まれた時には、いつかこの子にも出演して欲しいと述べたエピソードが有名だ。結局それは叶わないまま終わってしまったのだが。
彼女は戦争をモチーフにした重たい作品を取り扱ったこともあった。それはただスプラッタに走るのではなく、戦火で懸命に生きる農民たちの家族愛の話だった。彼女の作る作品には愛に満ちており、ハッピーエンドで終わることが共通していた。反戦を訴えたその作品が世界中で反響を呼んだこともあり、ノーベル平和賞にノミネートされた経験とてある。
ただ、琴割が卵子提供を頼んだのはそれよりも昔の話。丁度彼女が新進気鋭の演出家として、才能という巨大な宝物、その氷山の一角を表した頃だ。己の守護神が誰であるのかを検索するシステムというのは完成しており、その機械の性能調査の実験の協力者の中に彼女が居た。そしてその実験を受けた人間の中で、唯一琴割が求めていた条件を満たしていた女性でもあった。当時の朱鷺子は経済的に余裕が無かったため、実験協力のアルバイトに協力していただけなのだが、それが縁となった。
会ってみれば、人柄の良さもあって、ネロルキウスの手綱を握る人間の親に相応しいように思えた。元々体外受精、子宮外培養を前提にしていたため、彼女が既婚者である事実は問題では無かった。
「それにしても、よく断られなかったものですね」
「いやいや、んなもん断れる訳ねえだろ」
その申し出をすんなりと相手が受け入れた口ぶりに、いささか怪訝そうにしていた真凜であるが、その様子に奏白は嘆息した。ここまで琴割を見てきて、よくもそんな発想に至ったものだと呆れかえる。間抜けた吐息を一つ漏らして、真凜は何を琴割が施したのかを納得した。
「ジャンヌダルクの能力ですね」
「せや。そら今まで儂の部下やってたら分かるやろ。自分の正義に反さない範囲やったら能力ぐらい使うわ」
「自分で、他のELEVENには守護神アクセスするなと言っておきながら……」
今度は真凜の側が呆れかえる番だった。これなら確かに、あのソフィアが憤るのも無理は無いかとも思える。話を聞く限り、ナイチンゲールの能力さえ使ってもらえれば、彼女の母は今も存命で、こんな騒動も起こっていなかった。しかし、彼は自分の定めた規約に反するからと、例外を認めなかった。その琴割が自分では能力を私用していると知れば、憎悪は募るのもなるべくして起こったことと思えてくる。
「いや、一応正確には反してないんですよ……。琴割さんが定めたのは、『ELEVENの私的なphoneの使用を禁ずる』という内容ですので……。琴割さんは端末無しでジャンヌダルクを呼べますから」
「ガキ大将の理屈じゃねえか」
「条約なんてそんなもんや。大体吹っ掛けた方が有利に立つように出来上がっとる」
それでも、あまり他国から厳しい目を使われないよう、彼自身ジャンヌダルクの能力行使は最低限かそれ以下に抑えていた。本来であれば、白雪姫や赤ずきん自身、彼が対応すべき大厄災であったように思える。彼がこの条約を定めてから、いくつもの地震や竜巻という、災害さえも受け入れてきた。
そうやって己を律してこそ、他人への無茶が押し通ると言うもの。事実彼が己の力を濫用しないだけあって、他のELEVENのほとんど全員も、自分の持つ能力とは軽はずみに使用してはいけないものだと理解していた。
「しかもこれを結んだ当時、各国首脳にELEVENは一人としていなかったからな」
「せやな。あの頃裏で好き勝手シェヘラザードを酷使してたロバートも、当時はまだ有力議員止まり。途中からはその身一つで票数稼ぎをせなあかんかったろうに、実際大統領選挙を勝ち抜いたんは本人にもそんな悪うないカリスマ性があったからじゃろうな」
今となっては、先進国の大統領に、たった一人だけELEVENが紛れ込んでいる。今回のフェアリーテイル事件の関連者を統率する女王。その契約者であるロバートは、ELEVENであり一国の顔である。そこまで登り詰めたのは、ほぼほぼその守護神の力と見て間違えようがない。ある年までは無名な秘書止まりだった彼だが、守護神と契約をしてからは異例の速さで議員となり、次期大統領候補という地位にまで手をかけた。
このような輩が野心だけで国を動かせる立場についてはならない。そう判断したのも、琴割がELEVENの能力の使用に制限をかけた理由の一つだ。悲しいかな、皮肉にもラックハッカーの能力行使を拒む一番の理由とは、際限なく欲望に忠実に守護神の能力を行使し続けたせいであった。
とはいえ、最終的に当選したのは彼自身の実力である。おそらくは、せっかくここまで登り詰めたのだからという執念が背中を押したのであろう。実際、ひいき目無しに見ても彼の最終演説は、かつての人望ある大統領に匹敵するほどに堂々とした姿で映っていた。
「ロバートはそのまま何期も大統領を続けとる。最近じゃその地位に満足したからかあんま言うてはこんけど、それまでは能力を自由に使わせろと、まあ五月蠅く吹っ掛けてきたもんじゃ」
特に、今俎上にあがっているソフィアの母に関する要請の時もそうだ。ナイチンゲールの能力を使ってやるべきだと彼は主張していた。しかし、頑として、他の国のトップはその声に賛同しようとはしなかった。簡単だ、前例を作ってしまえばすぐにこの条約は形だけのものになってしまう。有名人の親だからと特別扱いしては、実質的に国を動かしている大衆の側が不公平だと暴動を起こすことだろう。
一度ナイチンゲールの能力を、重病人一人を治療するために使ってしまえば、今度は自分も直してくれと言い出す人間が世界中で現れる。医学が発達したとは言っても、それはまだ全ての病気の機序を解明するに至っていない。治せない病も数多く残っている。そんな中、守護神の能力に頼ってしまえば、問題が珠積みになるのは明らかだ。
まず第一に、その力で治癒される人間をどう篩い分けるかについて。第二に、契約者である人間が、寝る間も惜しまず守護神アクセスし続けなくてはならず、病人のためとはいえその契約者の人権を確保できなくなる可能性について。そして第三に、そんな事をし始めればこれ以上医学が進展しなくなると言う由々しき事態を引き起こさないためだ。
ある特定の守護神に頼りきりの社会ができあがってしまえば、今の契約者が死に、次代の契約者が現れなかった際に不都合が生じる。現れたとしても、向こう十年以上はその者に情操教育を施すための時間が必要だろう。それだけではない、生まれてきた該当者が悪人だった時、簡単に世の中の平衡が傾いてしまう。
今の世の中は守護神によって支えられ、発展し、回っている。それは否定のしようの事実であるが、同時にそのまま受け入れていい事実でもない。人間はあくまで、人間の力でこの世の中をより洗練された姿へと研鑽していく必要があるのだ。
なればこそだ、琴割の定めた条約を今更覆そうとする者が少ないのは。者によっては琴割の主張を否定しようと知識を蓄えるが、有識者となった途端に察してしまう。実際、この取り決めが無くなった際、最悪に加速しつづければどのような結末を辿るのか。
そしてその最期の歯止めとなる人間として、琴割という男が必要なのだ。老いることも朽ちることも死ぬことも消えることもない象徴が。彼がいなくてはならないと、誰もが認めているのだから。
「厳しい話やとは思う。非人道的と後ろ指指す奴の気持ちも理解できる。けどな、理解できてもほだされたらあかんかってん。ほだされへんからこそここに儂がい続けられる訳やけどな」
「そうですね……昨年、学生に過ぎなかった私も、ひどい話だと思っていましたが……今となっては、認められなかった理屈も分かります」
「まあな。こうやって守護神の恐ろしさを理解してへんとそんな事思えへんしなあ」
日々、異能力を用いた犯罪に対応する捜査官となったからこそ真凜は理解できるようになった。馬鹿と鋏は使いよう。武器にもなる守護神の能力というのはまさに鋏に他ならない。適切な運用を心がければ、誰もが幸福になるものだと信じて疑っていなかった。しかし、今の世の中で、それが如何ほどに難しいことか。
強すぎる力を持って、驕らない人間の方がよほど少ない。自分とて、これまでの人生で何か一つでも道を踏み外していれば、このメルリヌスの能力を賭博に用いようとしたものだろう。
その、使いようを、適切に用いない者はごまんといる。最大利益を生む使い方ではあるのだが、道理に反する使い道。それを取る者があまりにも多いものだから、規制だらけの現代社会においても、真凜達捜査官の仕事は絶えない。
むしろ、規制をより固め、抜け道を塞ごうとする度に増えているのではないかと錯覚するほどだ。それほどまでに、人の欲は尽きないものだ。琴割や知君が、道を踏み外していないことが、これ以上のない奇跡としか言いようがない。
むしろ知君であれば、苛烈な教育のせいかと納得できる。しかし琴割という男は、自らの背景について語ろうとしない。それゆえ、なぜ彼がこうして正義の使徒として君臨するに至ったのかは本人しか知りようがない。何せかつての知人は皆、寿命でその命を失ってしまったのだから。
彼らはそうやって、幸せな結末を辿れた事だろうから、琴割が思い出すことは少ない。失った者たちの中で、彼がわざわざ思い返そうとするような人間は、やはり事故で失ってしまった際し以外にはあり得ないのだから。
あの時既に、ジャンヌダルクの能力を持っていればと、琴割すら願ってしまう。もしそうならば、ジャンヌダルクの能力で無理に延命して平和などという大それた理想を追い求めようとはしなかっただろう。
そして、もしあの時救えたならば、彼は私利私欲でその力を用いたはずだ。誰から糾弾されようと、家族を優先したはずだ。しかし手遅れだった。ジャンヌダルクは過去において既に確定された事実は拒絶できない。歴史の改変ができる守護神は存在せず、居てはならないのだと言う。いかなる能力を以てしても、死と過去だけは絶対だ。
話が長引きそうになったところで一時停止していた、ソフィアからのメッセージの視聴を再開した。
「貴方はそうやって、ずっと利用されたままでいいの? 貴方の母を見殺しにしたその男が憎くないの?」
当時二歳だった彼女は琴割が何を目的に朱鷺子の遺伝子を欲しがったのかは知り得ない。唯一知っているとすれば父親ぐらいのものだ。そして彼には研究内容を他言する事は許されていない。そのため、知君が生み出された理由を知っているのは、彼女の父の身にとどまっていた。
「私は貴方が何を目的に生み出されたのかは知らない。それでも、琴割という人間がわざわざ作ったのなら、それは何か目的があるはず。いいえ、こういうべきかしら。何かしらの『用途』があるから作ったのよ」
あの男は君を物としか見ていないわ。鼻を慣らし、吐き捨てるように彼女は告げた。それを耳にした奏白兄弟はどんな表情を作ったものか分からず顔を伏せ、当の知君はと言えば曖昧な苦笑を浮かべるばかり。琴割はと言えば笑うようなことも無く、真剣な表情のまま液晶の中の彼女の一投足に集中していた。
「そして貴方は利用されているだけ。いや、それだけならまだいいの。もし虐待されていたらと考えたら、気が気じゃなくなりそう」
「あはは……耳が痛くなっちゃいますね」
もしも幼少期の躾がどのようなものであったか、彼女が聞けば卒倒するに違いない。これは伝えるに伝えられないなと冷や汗を浮かべた。
「ただ、私のしている事は単なる復讐よ。それはとうに理解しているわ。でも、それでも泣き寝入りなんてできない。私にこれ以上ない悲しみをくれたあの琴割に、何か復讐しなきゃ我慢できないの。もしかしたら、そもそもこの映像自体、隠蔽されて貴方に届けられていないのかもしれないわね。それならそれで構わない。琴割月光、お前の底の浅さが知れるだけ」
もしこの言葉が貴方に届いているならば、どうか目を覚まして欲しい。それが彼女の望みだった。討つべき仇が誰であるのか、自分の声に耳を傾けて欲しい。君もきっと、あの男に憎むところがあるだろうから。だから、だから、だから。
確かにそれは、冷静に言い含められれば頷いてしまいたくなる理屈だった。感情を語っているはずなのに、全ては自分の正当性を何とかして確保したいと主張する、言い訳に似た理論だ。因果が整然としており、琴割がまず悪くて、そして私達の復讐が正義であるべきだと。
誰に言い訳しているのであろうか。言い訳の相手は、きっと自分ではない。それだけは簡単に理解できた。だとすれば、ソフィアが言い訳をしたい相手は誰なのだろうか。
それはきっと、一人しかいない。彼女の行いを、どこかで見ているかもしれない人。彼女の歌声を、いつしか聴いているかもしれない人。その人の姿は目には見えず、触れることも出来ず、居ないかもしれなくて、居るかもしれない。会いたくても、会えず、もしかしたら見てくれているんじゃ、などと期待してしまう。この世界で彼女が最も、嫌われたくなくて仕方の無い大切な人だ。
もしかしたらその人は、僕のことも見てくれていたりはしないだろうか。会ったことさえない、『その人』の姿を想起する。本当に彼女が映画監督だと言うのならば、ウェブページで検索をかければその顔も出てくることだろう。娘があれだけ美人なのだから、きっと美しい人なのだろうな。そんな気がしてならなかった。
もう少し映像は続いたけれども、それ以上の情報と言えば、シンデレラが今月の十五日に攻め入ってくること、そしてそれが最後の戦いになろうということぐらいだった。
「……ソフィアさんには申し訳ありませんが、僕はもうこちらに立つと決めているんですよね」
再生が終わった途端に、うずうずしていたとでも言いたげに、知君は我先にと口を開いた。沈黙が訪れるようなことも無く、ずっと話題に上がっていた彼のもとへ皆が視線を寄越すより先に、黙っていられないといった具合に、想いが口から溢れ出した。
「少し前までなら、揺らいでいたのかもしれません。揺らいで揺らいで、結果として琴割さんに逆らえないと言う理由だけでこちらに残っていたことでしょう。けれど今の僕は違います。いつも励ましてくれる奏白さんの事が、やっと友達になれた王子君の事が、色々ありましたけど僕の事をこの世界に作り出してくれた琴割さんの事が、それと……」
ある人物に対して向き直り、僅かに目線を上げた。何分、彼女の方が目線が高いのだから仕方ない。時折冷淡ともとられかねない、切れ長の瞳を真っすぐ見据える。どうかしたのかしらと首を傾げた彼女の首の動きに合わせて、頭の後ろで束ねた髪も揺れていた。
「それと、初めて僕を認めてくれた真凜さんの事が、僕は大好きです。こっちの方が居心地がいいんですよね」
ソフィアと真凜の語り方は少し似ていた。貴方と言うようにしているけれど、昂った時には君と呼びかけたり、そう言ったところも含めて。二人とも我の強そうな女性なのもあるのだろうかと推察する。
ソフィアという人間は何度かテレビで見たからどういった人柄なのか知っている。中学校時代の王子の笑顔から受ける印象の変化にも気が付いた知君だ。そう言ったソフィアの態度が、有名人としての皮ではなく本心としての振る舞いであるとは分かっていた。
本来であればとても優しくて、日本を愛している人。そんな人が憎悪にかられ、復讐に囚われて、大切なものを見失っているのはどうにも耐えがたい。
だからこそ、彼女の側に立つ訳には行かなかった。何としてでも止める。それこそが生まれ変わった彼が、己の意志のみで自分の意見として下した、初めての決断だった。
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