複雑・ファジー小説

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守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
日時: 2022/05/19 21:16
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。

___

本編の完結とエピローグについて >>173





目次です。

▽メインストーリー
 File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
 File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
 File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
 File4:セイラ   >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
 File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
 File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
 File7:交差する軌跡  >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
 File8:例えこの身が朽ちようと    >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
 File9:それは僕が生まれた理由(前編)    >>59 >>60-61 >>63-64
 File0:ネロルキウス  >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
 File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
 File10:共に歩むという事   >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
 FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
 Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172

 Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177

-▽寄り道
 春が訪れて >>23
 白銀の鳥  >>70-71
 クリスマス >>120

▽用語集
 >>8 File1分
 >>15 File2分
 >>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも

▽ゲスト
 日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
 友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)




気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)

Re: 守護神アクセス ( No.143 )
日時: 2019/08/19 17:24
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: eW1jwX0m)

 暴走したお伽噺の住人、人はそれをフェアリーテイルと呼んだ。元来は妖精の庭園とも呼ばれる、美しい花園で優雅な時を過ごすだけの守護神達。シンデレラに赤ずきん、白雪姫に人魚姫。桃太郎と鬼の頭領さえ、物語の外、幕間の世界でもあるその楽園では、作中でのいざこざも忘れて長閑に過ごしていた。
 彼らは根本的に、人が夢を見て生まれた幻想の住人という点で等しく同列ではある。だが、彼らの中には幾人か、それでもなおとびぬけて特別だと言える存在が存在していた。七つの海をまたにかけた覇王、その世界における最高位の男性守護神、シンドバッド。一夜限りの魔法で人生を変えた、最上の女性守護神であるシンデレラ。
 他にも、特別強力、あるいは高位な守護神はまだ存在する。不思議の国のアリス、赤ずきんなどがその例だ。ここまで挙げた者たちはその知名度、及び見知った読者が抱く憧れの度合いがとても大きく、より多くの人の、より正の感情を浴びただけ偉大な守護神となる。それゆえ、誰しも何処かで聞いたような名の傾城の乙女に勇士たちが名を連ねるという訳だ。
 ただそんな理屈を差し置き、さらには他の追随を許さぬ、突出した女傑が二人存在していた。そしてその内の一人こそが、かぐや姫であったというのに。
 今、そのかぐや姫はたった一組の悲恋の姫君と報われない少年とに、圧倒されていた。
 こんな事どうして起こり得ようか。未だELEVENに非ず、それゆえ超耐性こそ獲得していないが、それでも人魚姫などには劣りようがないと自負していた筈なのに、彼女はいつしか追い詰められていた。それも当然だ。彼女はこの瞬間に至るまで、己の勝利を疑っていなかった。
 どれだけの犠牲を払おうとも、奏白という一部の捜査官さえ封じてしまえばよい。さすればろくな兵を有さない捜査官などという有象無象は己自身の月光を介した精神干渉のみで全て掌握できる。そう判断して全ての宝物、および他の雑兵を凌駕した五つの特別な兵士までも犠牲にしたというのに。
 それらの兵士は、彼女が期待していた程の成果を誰一人として挙げなかった。妹も兄も、奏白と名乗る者はまだ健在であり、致命傷も負っていない。圧倒的質量の暴力で蹂躙するはずだった、仏の御鉢の能力でさえ、人数の差で押し切られてしまった。王子光葉さえ始末で切ればそれでいいと思っていた火鼠の衣まとう歓喜の従者は裏切り者の桃太郎に両断され、影武者の足止めは成功したものの、自分がこの体たらくでは大した意味を為していない。
 人魚姫たちが守護神アクセスを行うと同時に、戦場に癒しの聖歌が響き渡った。かぐや姫の能力による催眠、精神汚染を僅か数秒で癒してみせた。
 仕方の無いことだ。血霞にも似たドルフコーストの赤い毒ガスは、身体と精神双方を蝕み、癒着するようにまとわりつく。それゆえ、浄化するにも時間がかかり、セイラの能力でさえ困難だ。しかし、かぐや姫の洗脳は違う。あまりに強力、単調な分、対照的に夢から覚めるのも容易だ。それゆえ何らかの回復手段を持たれれば、途端に効果の一切が無効化される。
 そしてかぐや姫を劣勢に貶めたのはそれだけではなかった。何よりも大きな要因として、これ以上の精神干渉が許されない環境に変えられたというものが大きい。先刻まで雲一つない空に、あんなにも鮮明に満月が昇っていたと言うのに。今や、分厚い鈍色の雲が空に蓋をしていた。濃紺の帳が、灰の海に沈んでいる。
 人魚姫は水を操る。漠然とした説明であるが、応用すると彼女は雨雲さえも操れた。雲自体さえ水でできている、地上へ落ちる雨露を孕んでいる。さらには涙というものは時折雨に例えられる。号哭は土砂降り、嗚咽は時雨。にわか雨も時としてある。であれば、涙と共に溶けて消えた彼女が、自分の未来と同じ暗雲を立ち込めさせても違和感は無いだろう。
 月の光さえもう、とっくに見えなくなっていた。予め傀儡として支配していた者たちも、人魚姫に近いところに立つ者から順に解放されている。彼女が持ち駒として使える兵隊など、もう一人も残っていない。
 そんな馬鹿なと何度も喚けど、一度投げられた賽を、投げる前の状態に戻すことはできない。丁か半か、その答えを誤ったのだ。彼女に残されているとしたら、敗北を受け入れ破産する未来だけだ。これまで高めてきた栄華、人の世を混乱に陥れたフェアリーテイル、その幕を下ろす時だ。
 捨て駒のように切り捨て続けた。故にもう、彼女に寄り添う誰かは存在しなかった。主従関係を基にした淡白な関係も、恋慕の鎖に絡めとられた一方的な感情も、彼女の幸せを真に願う、育ての親たちから受け、過日の己が返していた無償の愛も。
 味方であったフェアリーテイルさえ含め、彼女は全て失った。壊れかけの、罅が入った自尊心くらいしかもう残ってはいなかった。私ともあろうものが。ガーデンの中ではそれほど位階の高くない人魚姫程度に屈するだなんて。
 あっていいはずがない。唾棄すべき屈辱と怒りだけが湧きあがる。これまではそれで良かった。自分こそが天に立つべき者だったのだから。だが今はどうだ。宙より引きずり降ろされ、むしろ天へ唾を吐く身だ。
 文字通り彼女は空を見上げて、口惜しさに嘆いた。先ほどまで雲一つない空が広がっていたというのに、今となっては雨雲が押し寄せていた。次から次へと降りしきる雨に、十二単は濡れそぼるのみ。秒を追うごとに重みを増していき、寒気が纏わりついてくる。
 雨雲は間違いなく、人魚姫の能力によるものだった。おそらくは幻覚の世界に捕らえる前から、能力を使っていたのだろう。水を操る彼女にとって、天に救う液滴の集合体である雲を生み出し、持ってくることさえ可能だった。当然、最大限己の能力を発揮できるコンディション、すなわち守護神アクセスの条件下に限られはするのだが。そのため、王子と人魚姫とが守護神アクセスをした際、即座に月に蓋をすることができた。
 かぐや姫は直接戦うための術を持たない。配下を全て無力化され、頼みの綱である月の光さえ封じられてしまえば、抗う事などできそうにない。人魚姫の武器足り得る水は、とめどなく降りしきるばかりだ。
 従者が討ち倒されたことで、彼女が彼らに譲渡していた喜怒哀楽の感情も回帰していた。それゆえに、ままならない現状への怒りが沸き立つ。今も昔も願いが叶わない現実が悲しくて仕方ない。それなのに、楽しさも喜びも、一片として湧きあがらない。
 雨の雫が重いのは、何もその質量のせいだけではない。その水分さえもセイラの手足に他ならない。雨粒の一滴一滴が、意志を持ってかぐや姫の四肢を押さえつける。

「ふざけるでない、斯様なことがあって良い筈がない。弁えぬかセイラとその契約者よ。その方らが童に歯向かうなど……」
「いつまでもセイラのことを見くびんなよ」

 セイラの能力による拘束に抗う最中、いつの間にかかぐや姫は王子の姿を見失っていた。呼びかけられ、声のした方へ振り返っても、その姿は無い。どこへ消えたのか。慌てふためき、王子の姿を探そうと四方を見渡したものの、前後左右、果てには上方にもその影は見当たらない。
 気配と不遜な言葉のみを残して消えた。そのようなこと、あるはずがない。身を潜めているのか、透明化しているのか。焦燥に囚われた頭では理解が追いつかない。セイラの能力も思い出せない。そこに思考が行きつけば、状況を看破できたというものを。
 セイラはあくまで、おしとやかな人魚姫をモチーフとしており、原点においても体を動かすようなシーンはそう無い。せいぜい泳ぐことが得意な程度だろう。桃太郎のように目で追うことも追いつかない俊敏さを示すことが無い以上、隠れていると判断するべきだ。水を壁としてその裏にでも隠れているとでも言うのか。いや、そんな事あり得ない。大粒の雨が降り注いではいるものの、視界を遮るほどのものではない。多少視界は陰れども、その後方に位置する憔悴しきった他の捜査官達の姿は目にできる。
 ならば一体どこに。無い筋力を振り絞り、今にも縄のように体を押さえつけ、締め付けようとする雨粒の一滴一滴に抵抗する。体勢を崩し、一歩を踏み出す。足元で水が大げさに音を立てて飛び散った。無風ではあるが嵐のように降り注ぐ土砂降りに、アスファルトの大地は全面水に覆われていた。月明かりだけが照らす水溜まり、波紋の浮かぶ水面に映った、自分自身の顔と目が合った。
 鏡のようだ。そう考えてようやく思い出した。人魚姫の能力を。水を操る、歌声により支援と回復を行う、それに留まらない第三の能力。遊泳能力が高いという事実から、どうしてすぐにその答えに到達できなかったのか。己の不甲斐なさに、腸が煮えくり返る想いであった。
 そしてそれに気が付くには、ちょっとばかり遅すぎたらしい。
 水面が唸りを上げる。機は熟したのだと、少し逸った凱歌を響き渡らすように、さざ波がこだまする。地面に広がった全ての水が、一つの大きな荒波へと集約していく。日本らしく例えるとするなら、海坊主のようだとでも言うべきだろうか。単純な戦闘能力など持ち合わせていないかぐや姫にとって、最早回避も撃退も不可能な水の城。
 まだ自分が乙姫であったならば、まだ抵抗できただろうか。そんな事自分にも分からない。
 水面は鏡のようになっていた。水鏡という言葉が古来から存在するほどだ、魚が自由に泳ぐ清水というのは、時として真理を映す鏡であるように振る舞う。そして逆に、鏡の世界に入り込む能力こそが、人魚姫の持つ第三の能力。当時全力で戦うこともできなかったとはいえ、桃太郎さえも翻弄した人魚姫の退避能力。
 ガラス、水面、鏡、それらを入り口として不干渉の世界に入り込む。まるでそこが、セイラにとっての故郷である湖であると見立て、雅に泳いでいられる。その能力を初めて聞いた時から王子は、上手く使えば敵の隙を突く、あるいは作り出せそうなものだと考えたものだ。実践したのは、今が初めてだったけれども。
 かぐや姫のすぐ傍に、敢えて残したマンホール程の水溜まり。そこを出口として王子は元の次元へと飛び出した。作り出した水の塊と自分の身体とでかぐや姫を挟撃するように、退路を塞いで手を伸ばす。
 膂力でなら押し負けるはずもない。着物の袖に掴みかかり、一息に水中へと押し込んだ。守護神に死の概念は無い。呼吸ができず苦しむことはあれど、溺死を恐れることなく水の牢獄の中に縛り付けられる。
 重すぎる水圧は、容易く押し込められた彼女の身体の自由を奪った。口から、体内に蓄えていた空気の塊が漏れ出る。苦悶も、嗚咽も、負け惜しみさえも、激流に呑まれるかの如く誰にも拾われずに押し流されていく。
 強い怒りだろうか、屈辱だろうか。ドルフコーストの能力により理性を失った状態では、悲しく沈むような思いよりもむしろ、激情ばかりが爆破する。認めるものか認めるものか認めるものか。這ってでも、手足が捥げようとも、肉体を失い怨霊となろうとも、憎きこの世界にどうにかして復讐を。そればかり考えている。
 その瞬間だった。彼女の身体に、息苦しさをかき消す程の激痛が走ったのは。この痛みはどこからやって来る。悲鳴さえ水圧に押しつぶされるせいで、その叫び声は聞こえない。しかし体がバラバラになる程の痛みが、次から次へと押し寄せる。頭が割れそうだ。それなのに。
 どうしてこんなにも、晴れ晴れとしているのだろうか。
 少しずつ、真紅に染められた脳裏が澄み渡っていく。喜びも、怒りも、悲しみも、何もかも溶けて事実だけが見えてくる。従者が討たれたことにより彼女の中に回帰した感情ではあるが、その所在がおぼつかなくなる。まるでかつて、月からやってきた月上の民の霊薬を一舐めした時のように。ただ、己が使命と現実だけが浮き彫りになる。
 指先一つとて、ちいとも動かない。身体の自由は完全に奪われていた。自分の声は輪郭を持たないというのに、人魚姫の歌声は明瞭に飛び込んでくる。成程、これがさんざんフェアリーテイルを解除してきたセイラの癒しの凱歌という訳だ。
 身体は確かに耐えがたい苦痛の中にある。死ぬことも無く溺れ続け、浄化に際して激しい痛みに苛まされている。しかし、精神はもはや苦しいと感じることはなかった。視線を泳がせ、王子 光葉……セイラの契約者を目にした。
 迷いの無い瞳だ。あの瞳は見覚えがあった。軍隊を派遣してでもかぐや姫の期間を阻もうとした帝と同じ瞳。いつか迎えに来て欲しいとの思いをこめて託した不死の薬を、泣きながら燃やした彼と、同じ。
 バッドエンドの物語も、バッドエンドのまま終わりはしないのか。
 復讐、復讐とそればかり口にしていた。初めて知った愛を忘れさせられ、退屈なまま千年も生き永らえた理不尽を、きっと無感情の奥底で呪っていたのだろう。かつて愛した人はとっくに死んだと言うのに、未練がましく一月に一度、満月の夜に日本を眺めつづけていた。
 何度も戦乱を繰り返した。ようやく落ち着いたと思ったら、平和は二百年で終わりを告げた。その後はまた、海を越えて争いを繰り返し、再び束の間の休息が訪れた。平成から始まる穏やかな日々が、いつまで続くのか分からない。歴史は何度も繰り返していた。今でさえそうだ、一人の人間の企てにより、日本は守護神と人間との戦場と化した。一体、幾人が死んだと言うのだろうか。
 これも全て、自分の弱さのせいだったろうか。違いない。次期ELEVENだとシェヘラザードから何度も口を酸っぱく告げられていたというのに、一守護神の干渉を受けてしまった。そうだ、自分が真に受け入れられていなかった理不尽は、自分が生まれた理由であり、その使命だった。そのせいで、人間らしく育てられたというのに、人間らしく死ぬこともできなかったまま、人間ならざる存在であることを余儀なくされた。
 確かに権力者の立場にいたのかもしれない。平民ではなかっただろう。しかし、それでも、自分は、『人間らしい感情を持って、人間らしく死にたかった』などと、願ってしまったのだろう。
 他人のシナリオに乗せられただけとは分かっている。それでも、道を踏み外した自分の不甲斐なさが恥ずかしい。
 争いなど下らないと吐き捨てていた自分こそが、次元を超えた戦争という未曽有の事件を引き起こしてしまった。きっと償っても償いきれることではなく、喪ったものは返ってこない。失った者も、帰ってはこない。
 それでも持ち前の図太さと、貪欲さとで、人は乗り越えるのだろうなと思う。幾度かも分からない戦争を経験し、破壊を受けた後に復興した歴史を見て、断言する。
 この少年のような者こそが、困難を乗り越えるための推進力に違いない。童の完敗だと、凡人だった少年に彼女は、祝杯を贈った。
 全身の痛みは、欠片も残さず綺麗に消えていた。心には静けさが、身体には倦怠感だけがある。不要になった水の牢獄は弾け、ようやくかぐや姫の肺は新鮮な空気を吸い込んだ。死に面していたからこそ、取り込んだ空気はやけに美味かった。膝をつき、崩れ落ちる。もはや月光を遮断する雨雲も用済みとなり、その隙間からは月光が覗いていた。
 満月の月を見て、初めて思った。月明かりがこんなに綺麗だなんて。
 原初のフェアリーテイル、すなわち理性を失った守護神達のマスターピースである、かぐや姫はたった一人の少年に賛辞を贈った。

「例を言うぞ。よく、よくここで止めてくれた」
「当たり前だろ。で、どうだ? 見直したか」
「ああ」
「言っとくけど俺のことじゃねえぞ」
「分かっておる」

 二人まとめてに決まっている。
 きっと王子 光葉一人では未熟者だ。半人前に過ぎない。いやきっと、この戦場における人間たちは揃いも揃って半人前だ。守護神達と心を通じ合わせてようやく一人前。そしてその中でも特に未熟なのがこの少年だったことだろう。
 それでも自分は、その未熟者にこそ敗れたのだ。それは間違いない。それどころか、むしろ強く肯定したいと、そう思えた。セイラの潜在能力を十二分以上に退き出したのは、この少年がいたからに違いないのだから。




 でも、だからこそ歯痒かった。

「王子といったな。誰が否定しようとも胸を張れ。これから先の不幸も乗り越えろ」

 自分が、ELEVENでないその事実が、歯痒かった。
 さすれば、他人の能力の影響を受けることもなかったというのに。口封じをされていなかったはずだというのに。
 空は晴れ渡っていく。だが、しかし。間違いなく暗雲は立ち込め始めたところだった。

Re: 守護神アクセス ( No.144 )
日時: 2019/08/23 18:00
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: eW1jwX0m)


「終わったん、か……?」
「そんな訳ありませんよ」

 徒歩で追っていた知君と琴割であったが、道中に言葉は無かった。言葉にせずとも優先事項や懸念事項はお互いに共有できていたためだ。琴割による育成を受けた知君である、有事の際における思考回路は彼とよく似たものとなっていた。さらには前日までに作戦を共有しており、忌避すべき事態も考慮済み。であれば、この場において言葉を交わす必要も無い。
 しかし両者にとって予想外だったのは、二人の到着以前に王子がかぐや姫との決着をつけていたことだった。報告をまとめる限り、かぐや姫の従える兵隊たちはもうほとんどが無力化されていたため、おかしなことではない。しかしそれを差し引いても、王子一人に何とかできるような甘い相手ではないと想定していた。

「どう処理したんか聞くんは後回しやな、今大事なんは」
「ええ、残る最大の敵、シンデレラをこの疲弊しきった状況でどのように対処するべきか、ですね」

 上空高く押しかけて、その身を龍と化す怒りの従者や変幻自在の武器を操る楽の従者を討ち倒した奏白たちはまだ帰っていない。おそらくはまだ回復しきっていないのだろう。それ以外の捜査官も、巨大な仏の姿をした石の塊に苦戦したせいか、もうほとんど体が動きそうにない。
 やはり兵力という意味であれば、かぐや姫というのは最上位の力を持っていたに違いない。単純な戦闘力でなら上回る者が少なからずいようとも、彼女にしかできない搦め手も多数存在していたせいだ。洗脳能力に、要素がまるで異なる複数の能力を任意の配下に付与できる点。柔軟にあらゆる相手に対応するという点では、他に比肩できるフェアリーテイルはいなかったはずだ。

「ただ朗報は一つある。かぐや姫を解放した以上、これ以上敵が増えることはまああらへん」
「……問題は何人敵が残っているか、ですね」

 それと気がかりなことが一つあると知君は言う。何事かと問いただすと、彼は星羅ソフィアが今日本にいない可能性を示唆した。

「知っていますか琴割さん、今ソフィアさんは海外公演の真っ最中なんですよ」
「何が言いたい」
「つい数分前まで、ソフィアさんは中国でコンサートをしていたはずなんです」

 試しにSNSを使って確認してみたところ、歌姫の公演の感想を発信している中国人および遠征した日本人が多数見つかった。当然英語で感想を述べている人も居る。間違いなくその公演は星羅 ソフィア本人が執り行ったものであり、今世紀最高峰と謳われるその美声を、他人が肩代わりしている事など考えられない。

「ですので、今夜ここに来ると言っていたはずの星羅さんが、何故だか海を挟んだ大陸の側にいる可能性が高いんです」
「儂らが、口約束をわざわざ信じたのが阿保やったって事か」
「どう、でしょうか……」
「そうとしか思えん。なんせどう足掻いても今夜のうちにここまで辿り着くなんざ無理じゃ。シンデレラに奏白ほどの移動手段は無い。来るとしたら交通手段が何かしら必須や」
「……それは間違いありません。でも、何だか腑に落ちないんです」

 わざわざ自分の正体を明かしてまで宣戦布告したソフィアが悠長にイベントを予定通り行っているのが気持ち悪いと感じた。悠長過ぎると。そもそも途中まで素性を明かそうともしていなかったのに、最後の最後になって自分から身分を明かしたことも当然、不愉快な動きだ。
 琴割 月光は秩序を重んじる。すなわち余計な混乱を好まない、その性格が看破されている可能性は高い。何せすぐに「あり得ない」と吐き捨てたとはいえ、世界一の歌手として直々に彼女は琴割に、ELEVENの能力の利用許可を得ようとした。その際の琴割との、ごく短い話し合いだけでもそれを把握されていたとしても可笑しくなかった。

「何かあるんじゃないですか、短時間でここまで移動する手段が」

 それも、この捜査官が監視している包囲網を突破して、瞬時に到着する手段が。空を飛ぶなり、魔法の乗り物を使うなど。守護神、それもフェアリーテイル達は特に魔法のような力を使う。知君の胸でざわめく不安は、そう言った死角からの不意打ちへの警戒に集約されていた。

「かぼちゃの馬車くらいやろ、シンデレラが使えるもんは。じゃが、あれを使ったところで日を跨ぐ前に東京に着くんは無理や」

 トップスピードはこれまでに観測しているが、そこから計算する限り十二時以前に辿り着くのは不可能だ。そしてシンデレラはその強大な能力とは裏腹にデメリットも携えている。陽が昇ってから、十二時になるまでの間のみ、能力が使える。逆に言えば、日を跨いでから朝日が見えるまでは何も能力が使えなくなる。そして能力がピークに達するのは大体二十一時を過ぎて以降。それまでの明るい時間、及び夕暮れ時以降は、弱体化を受けた状態から徐々に精度を高めていく。

「わざわざ夜を指定してきたんは、何もかぐや姫が月を利用したいだけやった言う事やろ。初めは自分のためも含まれとるんちゃうか思ててんけどな」
「そう、なのですが……」

 やはり納得できない。移動は不可能。それは分かっているつもりだ。これだけ琴割に否定されたのだ、シンデレラの能力を用いたところでも不可能なのだと。
 残っているフェアリーテイルはシンデレラ一人。きっとそれは間違いではない。それ自体はとうに肯定されていた。新たな反応も無く、かぐや姫も王子が救った以上、これ以上被害者が増えることはない、はずなのに。

「琴割さん、調べたいことがあります」
「何や」
「他に協力者がいないかどうか、です」

 移動手段を賄うことでサポートするような能力者。その存在があるか否かで現時点での安堵はたちまち水泡に帰する。万全を期すためには、かぐや姫を倒した今こそ、隙の無い警戒を敷く必要がある。だが、他の捜査官達は疲れ切っている。ともすれば、知君自身が厳戒態勢を敷くしかないのだ。
 だがしかし琴割は、徒労に終わるだけだと首を振る。言い切るだけの根拠が、彼の方にもあった。というのも、琴割と知君の二人は、もう一人の共犯者の可能性を検討していた。これだけ大規模な企てを、自らの手を一切汚すことなく達成できる唯一の守護神。洗脳など一切必要なく、他人の運命を好きなように捻じ曲げられる、神のような存在。だが、その守護神を持つ男もまた、日本から遥か遠い地に駆けつけざるを得なかった。
 今、ロンドンでは次のオリンピックに関する重要な話し合いが、一国の代表込みで行われている。そのため、彼らが今回の騒動の真の首魁と考えている男は、ロンドンに拘束されている。琴割は前日の内に自国の首相に、件の人物が本人か否かを確認しているため間違いは無い。
 シンデレラも、ラックハッカーも海外である。とすれば今夜に決着をつけるという口約束に踊らされただけという結論に至るほか無かった。

「ですが、油断しきってしまうと取り返しのつかないことに……」
「じゃあどんな手段があるんか言うてみろ。正直なところ、お前を無駄に消耗させんのが一番の悪手なんじゃ。堪えろ」
「だから、何事もないと確かめるために、ネロルキウスを使うしか……」

 交渉が、未だ決裂したままだったというのに。当然悲劇の幕開けというのは、当事者の立ち上がりを待ってはくれない。琴割の視界の中、知君は目を見開いた。何事かと想い、知君から目線を逸らして、少年の見つめる方角を見る。
 一枚の大きな布切れが、途端に宙に現れた。ばさりと産声を上げ、何も無かったはずの空間に、異次元から現れたのだ。そして包まれたシルエットを隠したまま、ひらひらと風に舞いながら地に落ちる。それはまるで、夜空を千切った濃紺が地に伏すように。
 現れたのは、舞踏会に招かれざる、されど殿方を虜にする、二人の傾城。その二人の顔立ちは、何故だかセイラと似た面影があって。そして手を繋いだ二人同士、瓜二つな顔と背格好をしていて。

「あんたあの時の……」
「久しぶりね、人魚姫の王子様。でもごめんなさい、貴方の英雄譚はもう幕引き」

 舞踏会の幕開けよ。そう宣言すると同時に、鏡映しのような佳人が一人、守護神であるシンデレラは光の粒子と化して、その形を喪った。

「守護神アクセス」




File11・Hanged up

Re: 守護神アクセス【File11・完】 ( No.145 )
日時: 2019/08/27 12:26
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: eW1jwX0m)


 余計な混乱を避けるため。それが、世界的な著名人である歌姫、星羅ソフィアがこの事件に関与している事実を、琴割月光が隠そうとした理由だった。手段を選ばないという悪癖はあるが、彼の理念はあくまで、平和で穏やかな社会。争い、諍い、紛争に事件といった、不幸を断ち切る世界の基盤づくり。であれば、無為にソフィアの関与を公表して、彼女のファンの暴動を予め懸念しておく必要があった。
 かつて琴割月光は、難病に侵される星羅 朱鷺子、すなわちソフィアの母をELEVENの能力で治癒することを断固として拒否した。ELEVENの力は、琴割という例外を除いて私欲で用いない。前例を作ってしまえば、歯止めが利かなくなってしまう。ナイチンゲールの力ならば確かに彼女の病さえ治療できただろう。しかしそれを許すと、その契約者は医者より優れた医神として、絶えず能力を行使しつづけなくてはならなくなる。世界には未だ難病は限りなく残っているのだから。
 そしてナイチンゲールにだけ、その特権を許可する訳にいかない。他のELEVENにも同様に能力行使の権限を与えてはどうなるか。シェヘラザードならば、気に食わない国が壊滅するまで星の雨を降らし、大地を引き裂き、火山を働かせられる。万物を両断するキングアーサーであれば、文字通り気に食わない者、物、ものを細切れにできる。国でさえお手の物だ。ネロルキウスであれば、この世全ての掌握さえ謀りかねない。
 だからこそ、朱鷺子の治療を是とする訳にはいかなかった。それは朱鷺子自身納得していた。あの一家で、最も聡い者がいたとすれば、朱鷺子だったろう。わざわざ知君の母として、その精神性から正義に相応しいと選んだ人間だ。思慮も当然持ち合わせていた。自分一人の延命のために、混乱を招く訳にはいかないと。
 だからこそ彼女は昨年没した。そしてソフィアは、いや、ソフィアと父親は復讐に囚われた。お門違いな復讐であると、客観的に見ていれば二人は理解できただろう。しかし張本人となってしまっては受け入れられない。助けられたはずの最愛の人を、琴割が定めたルールのせいで、無碍に切り捨てられた。そう歪んだ思い込みをしても、仕方の無い事だった。
 朱鷺子はかつて琴割に協力した。彼女を永らえさせるデメリットはどこにもない。それなのに、どうして彼女が生きることは許されなかったのか。社会を抑制する装置としてではあるが、自分一人だけが実質的に不死を獲得した琴割 月光の傲慢が許せなかった。
 どうして、どうしてお前だけが。悲しみが憎悪に変わったその瞬間だった。彼らの復讐が次第に輪郭を持ち、明確な形を得始めたのは。
 琴割という男の人間性について研究とも呼ぶべき考察が始まったのもこの時だ。装置として生きているとはいえ、彼なりの人間性、あるいは行動の意思決定のパターンは存在する。望ましいと思う結果、情勢へ繋がる通路を選ぶ、あるいは作ろうとする。それは凡人も琴割 月光も変わらない。であれば、自分がすべきことは。琴割にとって都合の良い道筋を、自分達にとっての最適解となるような計画を作ること。
 そのために必要なのは当然、琴割からの拒絶を受けないための後ろ盾だった。しかし琴割に従う守護神ジャンヌダルクはELEVEN。ELEVENから身を守るにはELEVENが必要。それゆえに彼らは、フェアリーテイル事件の全貌を察知されないがために、一人の男と手を組むことに決めた。
 だからこそ、二人の関与は直前に送られた映像まで確信を持てなかった。その上、彼女らの能力を予め知ることもできなかった。シンデレラは傾城であるため、ネロルキウスでその力の全貌を調べるのは元来不可能ではあったが、メルリヌスならば可能だ。しかしその未来予知でさえ、ELEVENの能力で無効化されてしまえば未来視の観測などできるはずも無い。
 元々星羅 朱鷺子はともかくとして、その夫の守護神など琴割は興味一つ示していなかった。さらには余計な騒ぎを避けるため、ソフィアのことを知らせていなかったのが仇となった。守護神アクセスしている状態で現れる、あるいは即座にそうするであろうソフィアとシンデレラは瓜二つなため、戦場においてそれがソフィアだとは気づかれない。あるいは気づくだけの余裕など無い。だから、困惑などはないと思われた。事実疲弊しきった今、目の前の誰かがシンデレラと守護神アクセスした事実を問題視している捜査官はいない。
 何よりも問題なのは今、この戦力が削がれた局面において、シンデレラが来てしまったことなのだから。
 もしも、王子がこの二人の関与を知らされていたら、こうはなっていなかっただろう。しかし王子は知りもしなかった。なぜなら知君や奏白が、彼女が最強のフェアリーテイルと思われる、シンデレラの契約者であると伝えられたその時、赤ずきんや白雪姫に会いに行っていたのだから。

「あんた、あの時会った……。ていうか守護神アクセスって……」
「あら、ちゃんと聞こえていなかったのかしら。貴方のための物語は終わったの。今度は私の番。もう、君の居場所は観客席よ」

 整った双眸が細められる。一級品のナイフのように、その眼光を首筋に突き付けられたような寒気が、王子の背筋を駆け抜けた。

「待てよ、そもそもあんた今日本にいないはずじゃ……」

 はためくマントが地面に落ちる。星羅 ソフィアと、マント。どこかで目にしたようなデジャヴが胸の内に現れる。王子は確信する。その二つの取り合わせはどこかで必ず見たはずだと。
 多くの捜査官が、そして知君が、何としてでも彼には危害を加えさせまいと慌てて守護神アクセスしようとする。しかし、距離と言い残された体力と言い、相性も然り、誰もその凶行に間に合うことは無いだろう。
 そう、きっと。彼が、王子 光葉がソフィアの父親が此度の最後の戦いに一枚噛んでいると知っていたならば、誰もがその能力を警戒したであろう。
 あの日、偶然にもこの親子二人と出会った王子はようやくハッとした様子で、何が起こったのか思い至った。ここに居るはずの無い、在る筈のないものが現れる、それを可能とする守護神に。
 ばさりと、暗幕が地に伏す。それはまるでソフィアの言葉を裏付けるように。王子の物語の幕が下りてしまったことを示すように。
 それは脱出劇を得意とするマジシャンが守護神として転生したものだった。とある歌姫のマネージャーである男が持っている守護神だった。その瞬間の光景を、彼も鮮明に覚えている。自分の身体ごと、ソフィアをその日のコンサート会場へと輸送した父親。

「そうか、フーディーニの能力か!」
「おやおや、物覚えの良い少年だね。思い至るには少々遅すぎたようではあるが」

 もう一つ、聞き覚えのある声。それも当然のことだった。あの時と同じならば本人も来ていなければならない。

「ちょっと待て、マントの中……もう一人いるぞ」
「それを君が知る必要は無いわ」

 お色直しといこうかしら。純白のドレスを纏った傾城、シンデレラと化したソフィアは指を鳴らした。軽快な音が鳴り響くと同時に、裾の方からそのドレスは染まっていく。穢れの無い雪のような白から、艶やかなヴァイオレットへと。

「紫毒の姫は蝶のように舞う。その鱗粉に侵された君は、果たして無事で居られるかしらね」
「王子くん、早く逃げて下さい!」

 知君の声が遠い。phoneを取り出しているものの、ネロルキウスでは止めようがない。それでも守護神アクセスをしようとしているが、たかだか三桁のアクセスナンバーを入力することさえ、間に合いそうにない。
 彼女がその場で流麗なターンを決めると同時に、紫の粉塵が立ち昇った。王子の四方を取り囲み、周囲の空気から断絶する。目が、喉が、王子の全身の粘膜が苦痛を訴え叫んだ。悲鳴を上げれば上げるだけ、その喉の痛みが体を引き裂くほどにこだましていた。声にもならなくなった息も絶え絶えな喘ぎ声だけが、目を閉じ、鼻と口とを両手で押さえた彼の唇から漏れ出ている。

「王子くん!」

 幽体化し、王子にしか見聞きできない状態の人魚姫が血相を変えて呼びかけるも、応じるだけの余裕が彼には残されていなかった。慌ててアクセスを解除して、蹲った王子を抱きかかえてみるも、苦悶の表情で呻るばかりで、まともに返事などできそうにもない。

「何をしたのか、答えなさい。返答しだいじゃ、例えアシュリーと言っても……」
「安心して、死にはしないわ。ちょっと、喉を潰しただけ。仕方ないでしょ?」

 もう既にソフィアは王子への興味を失っていた。何故なら彼はもはや、シンデレラにとって脅威とはなり得ない。当然人魚姫への関心も薄れている。ここから先、相手どらねばならないのはむしろ、同じ母の血を共有する弟と、その父である琴割なのだから。
 だからこそ彼女は、視界に入れている瞬間、その最後の最後に、人魚姫へ静かな勝鬨の声を投げた。

「同じステージに、歌姫は二人も要らないの」

 人魚姫の癒しの能力は、あくまで契約者と守護神アクセスしている時しかいまとなっては使えない。しかしその契約者が喉を潰されたとあれば、物理的にその能力を行使するのは不可能と言っていい状態だった。
 そう、この場で王子を殺しきってしまうと、契約者のいなくなった人魚姫が守護神ジャックにより能力を行使できるようになる可能性がある。そのため、セイラの能力によりシンデレラがフェアリーテイル化を解除されない状態にするには、王子を殺さず、能力だけ使えないようにする必要があった。
 ようやく理解が追いついた。ようやく何が目的だったのか理解できた。王子 光葉と人魚姫というのは、シンデレラの唯一の抑止力であり、特効薬のような存在だった。何故なら彼女は傾城、ネロルキウスでは赤い瘴気を取り除くことができないためだ。
 かぐや姫は最初から捨て石にする心づもりだったということだ。全ての捜査官を疲弊させ、王子を炙り出し、不意打ちで無力化するために。
 もう、星羅 ソフィアは止められない。月明かりに照らされた、人間界における絶世の美女の横顔は、おぞましい程に美しかった。

Re: 守護神アクセス【Last File・開幕】 ( No.146 )
日時: 2019/09/02 18:02
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: eW1jwX0m)

 疲弊でここまで動けなかったのは初めての経験だ。守護神アクセスの活動限界に達し、桃太郎と分断されてからずっと、身体の力を奪う青い月光に晒されていたクーニャンはようやく手足に力が入ることを確認した。時間が経つにつれて徐々に麻酔が抜けていく感覚と似ている。シンデレラが現れたその瞬間、咄嗟に桃太郎に向け伸ばそうとした腕が上がらなかった己の不甲斐なさへの苛立ちが爆発しそうだった。
 僅かばかりの王子への友情が、その激情の原因では無かった。王子を知君と琴割から託されたというのに守り切れなかった。プロとしての矜持を叩き折られた自分の無力さこそを、彼女は許せなかった。
 セイラとアクセスした王子が途端に動けるようになった事から、自分もそうしてしまえば体が動くと本能で察知していた。彼女の直感はよく働く部類で、その推測に間違いはなかった。もつれそうになる四肢で這うようにして桃太郎の傍に辿り着く。行けるかと尋ねることもない、その無言を咎めることもない。剣士と傭兵崩れとは、瞳の奥の戦意に満ちた炎を通じて、意思を通じ合わせた。

「消化不良じゃろ、儂の力で存分に暴れてこい、女ぁ!」
「たりめえだ、いくぜちびっこ」

 瞬時に換装。桃太郎の姿が消え、霧散した光の粒子が彼女に纏わるよりも早く、そのエネルギーの光子に満ちた空間を突き破るように、その足で地面を蹴った。光を突き破る際にそのまま、桃太郎の能力はオーラとなってクーニャンを包み込む。身体に錘が圧し掛かるような不自由は瞬時に消え去り、全身の動作回路が開いていく。血管も同様に開き、この身が息づいていくのを全身で自覚した。
 駆け抜ける最中、キビ団子を取り出し二つ口に含む。まだ三つ口にするには早い。あの状態に陥ってしまうと、敵味方の分別がつきにくくなる。混戦乱戦が必至となる現状においてそれは不向きと言えた。
 胃に甘い団子が落ちると同時に、本来以上の活力が身の内から溢れ出す。燃え盛る炎の熱量が、彼女の身体を本来以上の馬力で衝き動かす。これ以上、好きにさせてなるものか。

「あら、そう言えばもう一人、お伽噺を従えた子もいたんだっけ」
「余裕ぶっこいてんなよ、温室育ちの女の子風情が」

 両腕で振りかぶった刀をそのまま、走りながら地面に突き立てる。音を立て、地面を抉りながら突き進むも、日本一の銘刀には傷一つ付こうともしない。桃太郎の発する闘気、あるいは剣気が迸り、斬るよりも早く地面のアスファルトは砕けていく。何の意味がある行為なのか、突進するクーニャンを見ながらその様子を淡々と見ていたソフィアだったが、次の瞬間には目を見開いた。
 大地を鞘と見立てるように、神速の居合を少女は振り抜いた。引き上がる腕は目にも止まらず、ただ、一瞬の閃光と一陣の風だけが駆け抜ける。瓦礫を巻き上げ、剣圧がソフィアに襲い掛かる。もうその刀は大地に突き刺さっていないというのに、巻き上がる斬撃と礫混じりの衝撃波は、嵐のごとくソフィアを追い立てる。
 だが、目に見えて驚いたのは一瞬の出来事。すぐに理解を示したソフィアはというと、手を口に添えてクスリと笑みを漏らした。

「悪いけれど、灰や砂に塗れるのは勘弁して下さるかしら」

 再びのお色直し。パチン、と音が一つ。軽快に指を打ち鳴らし、大地を抉る咆哮を上書きするよう響き渡る。同時に、彼女の妖艶な紫色のドレスは瞬時に、咲き誇る薔薇のような情熱的な紅のドレスへと一変する。ステップを踏む彼女に合わせて、翻るドレスはまるで風に揺らめく炎のごとく。
 強いて表現するならそれは焚火だ。つま先や踵で小刻みに大地を踏み鳴らすその様子は、些細な風で右へ左へと揺れる焚火によく似ていた。であれば、ふわりふわりと宙を舞う真紅の布は、火の粉のようであった。歌姫は一人で充分、そう豪語するだけはある。深く身体を震わせるような、魂さえも鷲掴むようなアルトが、その他全ての音をかき消した。歌手として、スターとして、現代最高峰と言われるだけはある星羅 ソフィアだ。誰もが、命のやり取りをしている事実も忘れて、聞きほれてしまった。
 だが、敵軍が聴衆に成り下がろうと彼女はお構いなしだ。何せ今果敢にも向かってくる一人の少女だけは、眼光鋭いまま立ち向かう意思を萎えさせてはいないのだから。
 ソフィアを守るように、夕日よりもずっと赤い炎が、彼女の前に立ち塞がった。それは盾として彼女を守るように、クーニャンの放った剣気斬撃礫の嵐を一身に受け、呑み込む。剣戟も、突き進む嵐の如き勢いも、巻き込んだ礫さえも、その火柱の壁に入ったら二度と、出てくることは能わなかった。

「だから、灰も残らない程燃やし尽くしてあげなきゃね」

 たった二度、ではある。だがこうも鮮明に見せつけられては確信も持てるというものだ。クーニャンも、傍から見守っている他の人間も、これまでの交戦時のデータから得た情報を再確認していた。お色直し、またはドレスコードに従うと灰被りが宣言し、指を鳴らすと同時にその衣装が変わる。そしてその衣装の色に応じた様々な能力を発揮することができる。これまでに確認できたものだと、氷雪を操る花嫁のような純白のドレスやエメラルドグリーンが目に美しい風を操る装束などだ。おそらくは発動条件なのであろう、その場でダンスを踊ることでようやくその能力は行使できる。
 しかしその発動条件もデメリットと言い切ることもできない。何しろ舞踊に造詣が深くない限り、次の動作を推測できない。単純に洗練された戦闘技能であれば、直感や筋肉のこわばりによる推測などで、いくらでもクーニャンは次の相手の一手を予測できる。しかし芸術とはてんで縁の無い彼女にとって、シンデレラの戦い方は相性が悪かった。
 しかも舞踊とは言っても、大きく四肢を動かして髪を振り乱すほどに激しく踊ることも多い。その拍子に合わせて相手を足蹴にするのもシンデレラの戦闘様式の一部だった。事実今、フラメンコのような舞いを歌と共に魅せているソフィアでもあるが、隙さえあればヒールで貫かんとする睨みを利かせている。

「絶対原作のシンデレラ関係ねえだろがよ、こんな能力!」
「負け惜しみはよして頂戴、未だ幼い別嬪さん。このドレスは魔法のドレス、心優しい魔法使いの力が込められているの」
「負けてねーんだよな、まだ。こっからだから見てろって」

 啖呵を切ると同時に、またしても剣閃が瞬いた。白刃の側面にて反射する月明かりが弾けたかと思えば、斬撃は刹那の後に炎の壁を引き裂いた。紅蓮の城壁が抉られると同時に、シンデレラに鋭い刃は肉薄していた。

「お前がそのまんま魔法使いになった訳でもないだろがよ」
「ええ、その通りよ。そんな事一度として口にしたかしら?」
「あん?」

 指を鳴らす、のではなく、今度の彼女は両手の平を各々打ち合わせ、二度の拍手を打ち鳴らした。柏手のように小気味よく、天にも届く程よく響く。気が付けば、情熱的だったドレスはいつの間にやら、ざわめく胸をも落ち着かせるような翡翠色へと変容していた。胸元のブローチが瞬くと同時に、小さくつむじ風が産声を上げた。
 折角己の間合いに入れたと言うのに弾き飛ばされては溜まったものでは無い。舞うと同時に風が荒ぶと言うのなら、その足を踏むより早く斬り捨てるまで。容易に飛ばされぬよう、脚を針として地に縫い付けるよう、深く軸足を踏み込ませた。収束する大気のうねる空間丸ごと、およびその直線上にあるソフィアの身体を一太刀で斬り伏せるべく雨雲の割けた夜空に向けて切っ先を向け、大きく刀を構えた。
 しかし瞬時にそれが陽動だとクーニャンは理解した。獲物が罠にかかったのを見届けた狩人がごとく、得意げにソフィアが口角を持ち上げたのだから。真っすぐ振り下ろすこともできず、刀を握り振り上げた両腕を咄嗟に胸の前まで下ろした。下ろすと同時に、橈骨尺骨に響くような鈍い衝撃。仰け反ると同時に、ガラスの靴のつま先が視界に映った。竜巻に弾き飛ばされることばかり警戒し、がら空きになった胴を槍のごとく貫こうとしたトゥキック。蹴り飛ばされるポイントは予測でしかなかったが、野生の本能とも呼ぶべき自分の勘の良さに彼女は手前味噌で賞賛した。痛みの感覚的に怪我には至っていないが、衝撃のせいで少し刀を握る力が弱まるのを感じた。
 再度踏み込むのを躊躇したのが悪手だ。即座に再び間合いに入ればよかったものの、ソフィアが能力に溺れているだけの素人では無いと認識したクーニャンは考え無しに突っ込むのを良しとせず、二の足を踏んだ。そう、今度はバレリーナになったかのように、つま先立ちになってその場で回転する。一周だけでは飽き足らず、何度も、何度も。
 回転する彼女の背を追うように、大気は荒れ狂い風となって旋回する。巨大な掃除機がまるで自分の身を引き寄せているようだと、髪が引き寄せられる様子から察知したクーニャンは折角踏み込んだ間合いを犠牲にしてでも跳び退いた。ただの風ではない。あれはシンデレラの意のままに動作する竜巻の姿をした化け物だ。
 それは魔法使いが彼女に与えたドレスの魔法ゆえだろうか、つむじ風には翡翠に煌く魔力の残滓が巻き付いていた。大地に転がる塵と礫は、ソフィアを中心として起こった竜巻に絡めとられ、そのまま天高くへと昇っていた。上に向かえば向かう程、礫同士はぶつかり合い、粉々にすり減り、最後には砂塵となって四方へと放散されていた。舞い落ちてきた砂埃を吸い込まないように刀を振り払い、剣戟の圧で周りの塵芥を消し飛ばしたクーニャンは、踏み込まずに退いた英断を肯定した。

「あのまんま突っ込んでたら私がジュースになってたとこだ」
「軽口で縁起でもないこと言っとる場合か、女」
「口だけでも余裕見せなきゃ舐められんだろ?」
「……好きにせい」

 心の方が先に折れる訳にいかない。そのため彼女が口にした理屈は否定のできないものだ。嘘でいい、虚勢でいい。舌先三寸で構わない。まだ自分は敗北を認めていないという声明を、他ならぬ自分であげなくてはならない。

「鬼化する外無かろう? 早いところもう一つキビ団子を口にせんか」
「駄目だ、まだぷりんすがそこで転がってる。あの状態になったら私の手で殺しかねねえ」

 断じて彼女が仲間想いの甘い人間だという事実はない。彼女が王子を気にかけているのは、あくまで彼女が承った任務が彼を護ることだからだ。その約定を果たせなかったことには変わらない。しかしその命だけはどうしても救わねばならない。最低限の仕事人としての矜持程度守れずして、何がプロだというのだろうか。
 エメラルドのように煌いていた突風の渦が晴れると、その中からは烏の翼がごとく漆黒に染まったドレスを纏った傾城の乙女が顔を見せていた。大人びた顔立ちに、色気に満ちた黒のドレスはよく映える。お色直しというだけはある、人類最高の美貌と謳われるだけはある。美に関心などなく、同性に過ぎないクーニャンにとっても、ドレスを変える度に見せるソフィアの異なった表情には呼吸を忘れる程に心を奪われざるを得なかった。それはまるで別人のように映るも、瞳の奥で燃え盛る復讐の業火だけが同一人物であると保証していた。
 黒の衣装は何だったか。戦闘様式の特徴を思い返すも、記憶力が取り立てて優れているという程でもないクーニャンの頭からは一瞬、事前情報が飛んでしまっていた。だが、瞬きの直後に、記憶を無理に引きずり出される様な、あるいは知識を直接叩き込まれたような衝撃が眼前に現れた。
 数字で表現するのも無粋に思える須臾刹那、音速のアマデウスには流石に一歩劣るとはいえ鬼化した状態の桃太郎に匹敵する速度で星羅 ソフィアは接近し終えたところだった。単純な肉体強化。そう断じたクーニャンは咄嗟に対応する。視界に迫るはヒールの先端。顔面に風穴を開ける勢いで迫っている。
 剣の腹で受け止めたのは反射に過ぎなかった。意図してそう受け止めた訳では無い。危険を察知した身体が生きるために動いたにほかならず、瞬間己の敗走を悟ったレベルだ。先ほど蹴りを真正面から受け止めた時以上の衝撃が刀を通じて両腕に走る。握力を維持できず、掌からすっぽ抜けた日本刀は蹴りつけられた勢いで、相手もいないまま虚空を踊った。

「貴女もそろそろクランクアップといったところかしら?」

 突き出した脚を整え、再び踊り出そうとしたその時だった。得意げなその目を驚愕で見開かされたのが、ソフィアになったのは。
 勝利宣言のつもりだったのだろう。強気な言葉を発し、勝利を確信したその瞬間を目ざとい剣士は見逃さなかった。緊張も気も緩んだその一瞬の甘さを裂く一振りの刀。先ほど蹴り飛ばしたはずの刀の切っ先が、首筋に突き付けられたところだった。
 首筋に走る冷感と、その冷感が皮膚を裂く確かな熱。その斬撃を受け流すように華麗なターンを決めたつもりのソフィアだが、既に捉えられていたため避けきれない。首筋に赤い線を僅かに走らせ、滲むように血が滴り落ちる。大事には至らなかったとはいえ、後油断が一瞬でも長引いていたならば、喉仏は穿たれていたことだろう。
 宙を舞い、手元を離れていたはずの刀はどこにも無かった。何故か、どうしてか。困惑するソフィアは冷静さを欠くところだったが、背後で見ていた灰被りの守護神は全てを見通していた。

「落ち着いて、ソフィア。実践不足の貴女にこう言うのも酷だけれど、動揺は獅子をも弱者に仕立てるのだから」

 あくまで力関係としては自分たちの方が上。能力をフルに活用すれば圧倒できる相手に油断は愚か警戒をすることも悪手だと彼女は言う。己の技能を信頼し、最善の手を務めていれば栄光は勝手に舞い込んでくる。

「それこそが、シンデレラストーリーというものでしょう?」
「……落ち着いたわ、ありがとう」

 原理は簡単だ。シンデレラが瞬時にドレスを着替えられるのと同じ。あの刀は、桃太郎の能力の一部として顕現させているものだ。かつてあの刀の刀身を握りしめた知君が一切手に傷を負う事なく刀を砕いたのは、その刀身自体が超耐性の適応の内側、すなわち能力により作り出されたものである証拠となる。
 手元を離れた刀の実体を解除し、再び手元に桃太郎の刀を生み出す。その二本目の刀で咄嗟に隙を突いて斬りかかったのが真相だった。

「クランクアップが何かは知らねえけどよ、私が終えたのはウォーミングアップなんだな、これが」
「いいじゃない、名脇役はこうでなくっちゃ」
「魔王様が何言ってやがる」
「失礼ね。私は……私達は、ただのか細いお姫様のつもりだけれど」
「はっ、抜かしてろ」

 舞踏会は、まだまだ始まったばかり。そう言いたげに、夜は更けていく。

Re: 守護神アクセス【Last File・開幕】 ( No.147 )
日時: 2019/09/09 18:03
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: eW1jwX0m)

 白熱する桃太郎とシンデレラとの直接対決。にも関わらず知君はその渦中へと参戦することは叶わなかった。目の前で友が傷ついた、癒せるものならば癒しに向かわねばならない。
 ただし、知君にとれる手段と言えば、怪我の状態を奪うという手法だけだった。実際にシンデレラの能力で負った負傷にしても、そのダメージは既にあるものと捉えられるはず。とすると王子が受ける痛みを肩代わりすることになり、今度は知君の戦闘に支障が出かねない。
 しかしそれを気にかけるような人間でないのは誰もが承知であろう。自分であれば多少の痛みや苦しみに対する耐性はある。それゆえ、一切の躊躇なく知君は王子がソフィアから受けた毒による汚染をその身に引き受けようとしていた。
 琴割が制止しようとしたものの、引き留めることはかなわなかった。ジャンヌダルクの能力であっても、知君の足取りだけは遮れない。王子は確かにシンデレラを取り戻すための要石だ。しかしそれを別とし、自分にもまだ大きな役割が残っていると分かっているだろうにと、舌打ちする。知君がネロルキウスを以てシンデレラを制圧してから王子を万全に戻せばいい。理屈の上ではそれが最善だ。
 しかし今の知君は、理屈よりむしろ感情で動く。それに関しては歯痒くも思うも、これまでの操り人形を脱し、一人の人間と成長した事実は琴割自身も歓待した事実がある。だからこそ苛立ちよりもむしろ歯痒さが湧く。ただのお人好しだったところに、彼の感情が干渉するようになった。その人間らしさこそが今は足を引っ張りかねない。

「大丈夫ですか、王子くん」

 彼と同じように、すぐ傍で王子を抱きかかえている人魚姫に並び、顔や喉を押さえたままの王子に問いかける。答えられない、つまり無事でないことは返答が無い事から明らかだ。王子がこの状態であるため、人魚姫も現状無力と言うしかない。
 やはりネロルキウスしか。そう思い、phoneを取り出した。
 ただし、最低限の冷静さは欠かない。ボタンの隙間から、ワイシャツの中に腕ごとphoneを入れ、外から見えないようにアクセスナンバーを入力する。そのままネロルキウスへ接続、黒色のオーラが彼を覆った。

「僕が何とかします。王子くんに能力をかけることを許してください」
「でも、できるんですか? この毒はアシュリー、シンデレラの能力です。当然ですが王子様を一目惚れさせる、傾城の特質を持っています」
「でも、やってみないと分かりません」
「駄目です。怪我だけを奪い取っても、王子くんの体内に毒は残留したまま。おそらく怪我人が増えるだけです、落ち着いてください」
「なら、その毒ごと奪い取れば……」
「ですから! この能力はアシュリーのものだと言っているんです!」

 これまでずっと、『自分以外の人間』に関しては、助けられないことなどなかった知君だ。不意の失態、それも可能性があると予見していた事態を引き起こし、親しい友を傷つけた事実に動揺していた。結果を見るにその動揺の大きさは分かることだろう。ネロルキウスならばどうにかできるだろうと決めつけ、早く守護神アクセスをせねばと逸り、そのための冷静さは欠かなかったものの、結局ネロルキウスの力でしようとしている対処そのものがおざなりになっている。本来彼の知恵ならば、人魚姫同様に自分が王子を癒すのは不可能だと理解したはずだ。思考が空回りする、それを体験したのは初めてのことだった。次善の策さえ出て来ず、ただ地に座ったまま膝を握りしめることしかできない。
 遠巻きに、クーニャンが元凶となったソフィアの足止めをしてくれている姿を見る。比較的防戦一方ではあるが、時折返す鋭い刀はソフィアを脅かしている。必ずしも負けるとは限らない。人生経験の差が、守護神のランクの差を埋めていた。

「でも、ダンスをするだけで炎や風を操るだなんて、どういう理屈で成り立っているんですか……」
「あれは操っているのではありません。風も、炎も、皆が須らくシンデレラという女性に恋をして、彼女が有利になるように働いているだけです。黒いドレスだけは、魔法使いの最高傑作。あれは着た者にとって理想の体裁きを実現する魔法にかかっています。彼女が王子様を射止めたのは容姿だけではなく、未経験な身でも完璧に舞踊をこなせるだけの魔法にかけられていたからです」

 だからこそ、舞わねばならない。謳わねばならない。片時たりとも、掴んだ心を手放さないように。絶えず森羅万象に愛されるために。本当に、窮屈な人生だろう。誰かに元気を、生きる楽しみを与える歌姫という立場に居たソフィアも同じだったのだろうか。自分の名声よりむしろ、自分を求めてくれる人間にとっての理想像を映し続けるために努力をしていたのだろうか。
 そしてその結果、最愛の母を失った。本当はまだ生きることができた。それを拒んだのは琴割 月光だと決めつけて。そして今度は彼から、理想を奪おうとしている。
 ソフィアの理屈は間違っているように思えた。けれども、その思い込みは仕方のないことのようにも感じられた。受け入れられないことを認めるには、歪んだ形で受け止めるしかない。だから彼女は、認識を歪めたのだろう。病の不幸で母は没したのではない。琴割 月光が、母である朱鷺子の生を拒んだのだと。

「……止めなきゃ」

 彼女が何を目的としてこんなテロに参加しているのかは分からない。復讐を目的にするとしても、このような手段では決して、単なる復讐は成就しない。なぜなら琴割はELEVENを従えており、どのように交戦しようとも、死ぬことは決してないせいだ。
 考えられるとしたら、琴割が間違っていたのだと過ちを指摘すること。それが精いっぱい。それを武力行使の形でどう実現するつもりなのか。分からないが、できると信じているのだろう。
 しかしここで、世界から琴割を失う訳にはいかない。まだ、守護神の利用に関する道徳や制限は完璧には確立されていない。それなのに、これまで守護神を登用した大規模な戦争が起きていないのは、一部過剰とも思えるような琴割による先導があった結果だ。これから先、まだ数十年は琴割の存在が不可欠。
 正義など、どこにもない。この復讐だけは止めなくてはならない。直に会ったことなどない、見たことさえない。親であると教えられてはいたものの、終ぞ声を聞くこともなく死別してしまった。しかし今、自分の心が嫌だと叫んでいることが、首筋がぞわりとするような拒絶感に満ちている事実が、ふと思い浮かんだ彼の意思を肯定しているような気がした。
 星羅 朱鷺子は、ソフィアと知君の遺伝的な母親は、決してこの世界に仇をなすようなことを望んではいないと。
 だからこそ止めなくてはならない。彼にとってはこの世界に唯一遺された、一人の個人として今もなお生きている肉親を。

「まずはソフィアさんを取り押さえます。お互いに能力が効果的でない状況なら、ネロルキウスの方ができることの幅が多い分有利なはずです」

 だが、それは未だ叶わない。なぜなら、知君にしか相手することのできない人間がまだ存在しているのだから。冷静になった知君は今度こそ理解していた。自分が今するべきは、王子の看病でもなければ、姉の下に駆けつける事でもないと。
 世界に反旗を翻したELEVENへの断罪。傲岸不遜、己を最良の人間と信じて疑わず、暴政を強いたネロは何の抑止力として選ばれたか。その役目を忠実に全うすべき時がきたのだから。
 星羅家の大黒柱、要するにソフィアの父親がこの場につれてきたのは、自身と娘だけではない。もう一人、黒づくめのマントにくるまれた人間がいたはずだ。そしてその姿は、マントの落ちた今ではとうに見えている。

「シェヘラザード、やはり元凶はその運命操作だったんですね」
「そちらを指名するのはこの私を軽視しているように思えて不愉快だな。だが許そう、礼儀も知らない子供なのだろうから」
「貴方に示す礼節を持ち合わせていないだけです。この人殺し」
「面白いことを言う」

 同じELEVENのよしみで許してやろうと、現れた男は快活に笑う。随分と着機嫌な様子だったが、知君がゆっくりと首を左右に振る態度に首を傾げる。

「どうした? 無礼を許されないままでいいと?」
「いえ、そうではありませんよ。僕がELEVENとは面白い冗談ですね。僕のアクセスナンバーでも見たんですか?」
「……実直そうな少年かと思えば、流石はあの琴割の犬だな」

 言質をとられる訳にはいかなかった。知君がELEVENだと認めてしまうと、それを濫用していた知君自身のみならず、開発した琴割までも罰されるに違いない。彼の失っていない最低限の冷静な警戒はそれだった。琴割が基本的に『知君が守護神アクセスする瞬間』を捉えられないように配慮してはくれている。しかしそれも、相手がELEVENとなると話は別だ。その口に戸を立てるのは琴割にすら不可能。社会的な立場としてもラックハッカーの方が上に位置するため、一度弱みを見せてしまえば手が付けられない。
 ロバートと、流暢な英語でソフィアの父は呼びかけた。自分はどこかに向かうというような旨が何とか聞き取れる。あまり英会話に通じていない知君も、目の前のラックハッカーが二つ返事で「Okay」と応じたのだけは理解できた。

「行かせな……」
「駄目だよ少年。少年がELEVENを使役していないと言い張るならなおさらだ。私の紡ぐあらすじは、何人たりとも穢すことは許さない」

 ソフィアの父を止めることもできず、ただマントに包まれまたどこかに瞬間移動する様子を見逃すことしかできなかった。フーディーニの能力を妨げることはできないのだと予めシェヘラザードが運命を紡いでいたのだろう。

「さて、まずは手始めにだ。共犯者たっての頼みは断れなくてな、蹲っている少年は命までは取られないその幸運に感謝したまえよ」

 シェヘラザードの能力の使用権を行使する。母国語で高らかに宣言するラックハッカーに、途端に知君は血相を変え、王子を一瞥する。未だ変化は特に見えない。それは当然と言えば当然だ。何かが異を為そうとしている訳では無いのだから。しかし、だとすれば何を目的としているのか。

「人魚姫の契約者は次の朝を迎えるまで喉は癒えず、守護神アクセスをしたところで能力は使うことができない」

 人魚姫に能力を使わせない。それを徹底するための後詰。それはこの夜において王子の快復を許さない事だった。人魚姫の能力とはいえ、媒介は歌であり、それは王子の声帯を通じて発される。それゆえ、たった今ラックハッカーが定めた運命に従う限り、シンデレラが一方的に取りつけたこの決戦の夜においては、シンデレラを赤い瘴気から解放することが不可能になったことを意味する。十二時を超えたところでシンデレラはこれまでの交戦記録からして撤退するのみ。満月の夜、精鋭らしい精鋭全てを結集したまさに格好の機会に、最強のフェアリーテイルである彼女を苦しみから解放することができなくなったことを示している。
 引き分け、あるいは痛み分けには持ち込めるだろう。しかしELEVENの能力を用いて、王子の快復不可能な状況、未来を定められた瞬間に、捜査官側の勝利の芽は摘み取られたと言って過言では無かった。

「後は私の目的と言えば、琴割を戦場に引きずり出すことくらいだね。何せ彼にしか私は止められないのだから、それはもはや必至と言える訳だが」

 残る戦力を全て掃討してしまえばよい話だと、事も無げに彼は言う。それも当然だ。彼の持つ守護神の地位、能力であれば、何気ない一言で大都市どころか一国が一つ壊滅しかねない。十一の各異世界の王、ELEVENとはそういう類のものだ。統治のため、圧倒的な規模の変化を世界にもたらす力を有する。
 ELEVENを妨げられるのは同じだけの権限を持つ別の王のみ。あれだけ、申請無しに能力を濫用してはならないのだという規約を全世界に強いている琴割だ。それを自身が破ることは許されない。それは彼だけでなく彼が作り出した技術や体制の信用までも失ってしまう。彼の延命化以外に、ジャンヌダルクの能力を使えない、時折人知れず、社会的に影響のない範囲で破っているものの、それが世界的に露呈することだけは認めてはいけない。

「……では、ロバートさんが先にその約定を破る、と」
「そうなるね。何、シェヘラザードがいる以上誰も私は裁けないさ。私は私だけに許されたこの力を、より活用したいと思っているんだ。琴割ともども失脚しようとも彼女が憑いている限り、全ては意のままだ」

 自分が罪人となったところでいくらでも誤魔化せる。それこそがラックハッカーがこの計画に乗った前提だった。そもそもラックハッカーの要望は、自分専用の脱法phoneが手に入った時点で叶っていると言っても過言ではない。ただ彼は、話を持ちかけた星羅親子の次なる目的、琴割月光の権威失墜という野望を共にする者として力を貸している。
 試しに王子以外の捜査官チームを皆殺しにでもしてしまおうか。そう企んだところだった。知君 泰良が能力を行使したのは。

「僕の守護神の能力を行使します。この場の人間全ての、生殺与奪の権利を全て奪い取ります」

 先手を打ってきたかと、ラックハッカーは迅速な対応を心の中で賞賛した。自らの守護神の名も明かさないまま、疲弊した捜査官達が不意にシェヘラザードの力で死ぬことを回避した。言質を取れていないだけで、少年がELEVENであることはとうに推測済み。何せ知君は一度、ラックハッカーが桃太郎のために紡いだ筋書きを破り捨てた過去があるのだから。
「やはり君は面白い。果たして暴君でシェヘラザードに勝てるとでも」
「別に僕の守護神が暴君だという保証はありませんが?」

 それはきっと、今世紀のみならず、人類と守護神が生まれて以降初めての出来事だろう。
 死後の国、異世界を統べる王、ELEVEN同士の能力が直接衝突することとなるのは。


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