複雑・ファジー小説
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- 守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
- 日時: 2022/05/19 21:16
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)
2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。
___
本編の完結とエピローグについて >>173
目次です。
▽メインストーリー
File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
File4:セイラ >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
File7:交差する軌跡 >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
File8:例えこの身が朽ちようと >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
File9:それは僕が生まれた理由(前編) >>59 >>60-61 >>63-64
File0:ネロルキウス >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
File10:共に歩むという事 >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172
Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177
-▽寄り道
春が訪れて >>23
白銀の鳥 >>70-71
クリスマス >>120
▽用語集
>>8 File1分
>>15 File2分
>>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも
▽ゲスト
日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)
気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)
- Re: 守護神アクセス【File9前編・開幕】 ( No.63 )
- 日時: 2018/05/11 23:23
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「どういうことだよ知君ぃっ!」
真っ白な壁に覆いつくされた病室。その部屋がある建物は他の棟から隔離されていた。王子 光葉の祖父が経営している病院、その祖父の知人の琴割 月光の私的な理由から、訳アリの患者を入れられることの多い場所だ。ほぼほぼ、琴割の関係者専門の病棟となっているといっても過言ではない。
私営の医院だからできている事で、毎度知君が倒れた際に点滴などの処理をしてくれるのもこの病院だけだ。と言うのも、それは倒れた彼に理由があるためだが。その部屋はかなり大きな部屋であったが、そこに入院しているのは少年ただ一人だけだった。見舞いに来るのも多くて三人程度だけ。今まではそのはずだった。
しかし今は違った。確かにそこに入院しているのは知君一人だけなのだが、今回ばかりは心配して見舞いに来る人であふれていた。彼らが白雪姫を鎮圧して一週間後、ようやく少年は目を覚ました。学校はもう長期休暇が明けて残暑の中授業が始まっているような日、彼が目を覚ましたとの報告を受け、捜査官達が入れ替わり立ち代わり彼のもとへと駆け付けた。
その中には、今まで一度も口をきいたことの無い警官達が沢山いた。しかし全ての貌に見覚えがあった。フェアリーテイルの対策課に属している面々である。これまで、少年のことを疎ましそうに見ていた顔ぶれ。不意にそんな面々が現れたものだから、最初は彼も気が気では無かった。
だが、その後彼らがとった行動はと言うと、知君にとってあまりに想定外のものだった。急に腰から体を折り、彼に頭を下げ始めたのだ。次々現れる警官達が、それぞれ思い思いに謝辞と感謝とを述べていく。その顔に、一切の嘘偽りは無かった。
彼が床に伏している間に、白雪姫戦でその場に居合わせた奏白に真凜、王子 太陽に洋介が対策課全体に呼びかけたのだ。今までの自分たちが間違っていたことを。どんな仕打ちをしてきたかを。
初めは聞く耳を持つ者があまりに少なかったが、彼らが根気よく説得を続けたところ、何人かの賛同者が現れた。それからは、すぐだった。誰かが先陣を切って頭を下げに向かったとなると、自分たちがどれだけ大人げない事をしてきたのか、理解していく輪が広がった。
彼がどれだけ今まで耐え忍んできたのか、彼自身の言葉をできる限り再現しながら呼びかけた。ずっと辛いと思っていた。ずっと認めて欲しいと思っていた。弱音を吐いたら嘲笑われてしまいだと信じ込んで、本心なんて一度も口にできなかった。
決定的だったのはおそらく、王子の父の説得が最も大きかったのだろう。今日と言う日まで王子には伝えられていない『ある被害』を受けた張本人だというのに、一番熱心に周囲に呼びかけたのは彼だった。
今まで彼も、真凜と同じ側だった。王子の同級生である知君、平和に過ごして欲しい民間人が捜査に立ち入って欲しくないと言う立場だった。それゆえ見て見ぬふりをしていたつもりだったが、そんなもの何も虐めと変わらないと気が付いたのだ。自分がしていたのはただ高校生を傷つけていただけ。もしその矛先が光葉に向いていたらと思えば、腸が煮えくり返ってくる。
そんな事を我々はしていたのだ。どの面を下げて正義を背負って戦えると言うのか。心優しい一人の少年を泣かせてまで胸を張る大義なんて、知君を嫌う捜査官は誰一人として持ち合わせていなかった。
彼の活躍により救われた命も少なくは無い。結局全部自分の嫉妬が原因だと気が付いた一同は、こぞって彼のもとへ訪れた訳だ。改心して、意見を改めた同僚の姿を見て、このまま嫉んで嫌い続けた方がよほど子供でみっともないと察したのだろう。もしかしたら、体裁を考えて謝ったポーズだけとったのかもしれない。しかし、それでも今まで認めてもらえなかった知君の欲求を満たすには十分すぎる代物だった。
しかし、だ。彼にはそれと同時に、もう一つ大きな問題が立ちはだかった。王子 洋介、歴戦の捜査官にある影響をもたらしてしまった彼はと言うと、その息子、つまり知君本人にとって数少ない友人にあたる王子光葉との衝突は免れ得ぬものだった。
「何とか言ってみろよ……」
「ごめんなさい、あの時は、僕にも彼が律せなくて」
「謝ってんのは何度も聞いてんだよ。何をしでかしたのか、ちゃんと理解してんのかって話だよ!」
「王子くん、気持ちは分かりますが落ち着きましょう? まだ彼は目を覚ましたばかりで体調も……」
「放せセイラ! こいつは……こいつはぁっ!」
「光葉、いい加減にしろ。なぜ俺じゃなくてお前が怒っている」
周囲にいる色んな人が、荒れ狂い激昂する王子を止めようと躍起になっていた。後ろから人魚姫は肩を掴んで引きはがそうとしており、兄の太陽は二人の間に割って入ろうとする。後ろの方から厳しい声音で洋介も次男を窘めた。
しかし、光葉の激情は留まるところを知らない。病院服の真っ白な布を皺が寄るまで掴み、青白い病人の身体を前後に揺する。唾が飛び交うほどに大きな口を開け、怒鳴り声で喚き散らし、今にも泣きだしそうな少年へ詰問する。
これは罰だと洋介は言い張っていた。今まで、少年のことを蔑ろにして傷つけ続けてきたその報いを受けたのだと。だがそんな言葉で納得できるほど、王子は素直では無かった。それは彼にとって仕方の無いものだと言えた。ずっと、力を追い求めてやまなかった彼だからこそ、この怒りが消えないのは仕方ない。
「何で親父が、今後一切守護神アクセスできないなんて事になってんだよ……全部お前のせいだろうがぁっ!」
「だから落ち着けと言っているだろう光葉。あの時彼は意識を乗っ取られた状態だったんだろう?」
「知らねえよ……。だからって親父が割食う必要あんのかよ……。どう理屈が通るってんだよこの事に」
「守護神アクセスというものは、概念的に能力の行使権を契約者の人間に渡すようなものです。……だから、ネロルキウスがその行使権を無理やり奪い取った後には、行使権は元の守護神の側に戻ります」
「は? 急に何言ってんだよお前はよ」
「そして行使権が還るというのは、本来ならば契約者の死を意味しています。……それゆえ、契約は破棄されたものとして、金輪際その人間は守護神アクセスができなくなり」
「煽ってんのかよてめえは! そういう理屈を聞いてんじゃねえよ!」
「別に、煽ってる訳じゃ」
「だったら言い訳か! それとも論点ずらしてんのか! 理由つけたらなるほどなって俺が納得するとでも思ったのかよ、ぶっ飛ばすぞてめえ!」
語る知君の言葉を重ね重ね遮って、より強く締め上げる。形状がバスローブのようになっているため、胸倉を掴んだだけではどうやっても息は詰まらないが、それでも今の知君を乱暴に扱うのは体に悪い。いい加減にしろと、目の前の太陽も怒鳴りつけた。
父親の守護神が取り上げられ、太陽に思うところが無いと言ってもそれは嘘だ。けれども彼はもう三十近い大人であるため、理解していた。それは知君のせいでなく、ネロルキウスと、それを呼び寄せるほどに精神を摩耗させてしまった自分たちのせいだと。
知君が認められるよう努めてきた王子だからこそ、その彼に裏切られてしまったように感じているのだとは太陽も重々理解していた。
「兄さん、私達ほんとに後ろで見てるだけでいいのかな」
「本人がそうしてくれって言ってたしな。王子がほんとにぶん殴るまでは静観だな」
あまりに不安定な目の前の情景を目にして、王子一家より一足先にたどり着いていた奏白兄弟はというと、窓際でその様子を眺めていた。王子達が来るより先に、これから王子にあの事を伝えなくてはならないと知君は言っていた。
ネロルキウスによって強制的に守護神を奪い取った際、本来の契約者と守護神の間における契約は破棄される。その後、二度と契約が結びなされることはない。これは理屈がどうという訳ではない、燃えれば酸化するのと同じ、最初から世界に定められている絶対の摂理だ。
それを伝えれば、性格と信念とを加味する限り、王子は確実に怒りを露わにする。最初から知君は確信していた。自分がネロルキウスを制御しきれなかったせいで招いた事態、真凜の制止を押し切ってまでも無理やり彼を呼んだのは自分だからと、王子の怒りは真っすぐに受け止めると彼は決めたのだ。
だが、それにしても今日の彼の様子はおかしかった。目覚めてからまだ半日程度しか経っていないということが大きいのか、今の彼は議論ができないほど論理が一貫していない。ネロルキウスを呼ぶと脳に負担がかかると言うのは、自分たちが想像しているよりさらに厳しいものなのだろう。
あの日、倒れてしまう前に、泣き出してしまう前に説得していた時も、ひたすら同じことばかり繰り返し訴えかけていた。あれもやはり、思考が追いついていなかったのだろう。よく、私の声を聞いてくれたものだと、その幸運に真凜は感謝した。
それにしても、わざわざ起こった事象の理屈を説明しだすのは流石に普段の彼とかけ離れすぎている。あんな事、それこそ煽りと変わりないし、普段の彼であればあのような事口にすれば相手を不快にさせると簡単に分かるだろうに。
動揺が隠しきれないのだろうな。当たり前の事に納得する。つい先日確認したばかりではないか。彼の心は成熟していることを義務付けられているだけで、脆くて儚い子供の心でしか無いという事を。
「光葉、悪気あって言ったことじゃないんだ、落ち着きなさい」
「何で親父は落ち着いてられんだよ! もう二度と、捜査官やってけねえんだぞ」
「……歳だしな、丁度いい頃合いさ」
「嘘つくなよ、五十になった誕生日に、まだまだ現役で走り続けるって言ってたじゃんかよ……」
もっと多くの人を助けて見せる。それが、戦えるだけの力を持って生まれてきた者としての使命だと、誇り高く言っていたのに。照れ臭そうに蝋燭五本吹き消したくせに。
当然だが、彼が生まれた時から洋介は捜査官だった。凶悪な殺人犯を捉えたことも、強盗を取り押さえたことも数多い。家にろくに帰って来てやくれなかった事もあった。けれどもそんな父親の広い背中にずっと憧れていた。強きを挫いて弱きを助けるその背中は、テレビの特撮と負けず劣らずの正義のヒーローだった。
そんな男になりたいと、何年も、十余年と憧れ続けてきたんだ。それなのに、自分にとっての英雄が奪い取られてしまった。誰より頑強で大きなヒーロー像が、悪鬼羅刹と変わらない。傲岸不遜な暴君に全て奪い取られて踏み荒らされてしまった。そんな事しでかしやがった張本人が、自分よりずっと小柄な器に収まっていたことも許せない。長い事見続けた甘い夢から急に現実に引き戻されたような気分だ。
「本当に、申し訳ありませんでした。僕が……」
「気に病む必要は無い。おかげで我々に死人は出なかったのだから」
「何で庇う様な事言うんだよ……。何でそんな簡単に受け入れられんだよ……。おかしいだろ」
「でも王子くん、彼がいたからこそ私達もこうやって、無事に帰れたんですよ」
「そんなの分かってる! でも、知ってるんだから仕方ないだろ!」
彼もまた、涙を堪えていた。悲しさを寂しさを、どう噛み締めたものか分からずに、他人にぶつけるために怒りに変えていた。悲しい感情は、誰にも受け渡す方法など無いから、怒りだったら誰かに投げつけることができるから。知君の事なんて、何一つ憎くなんてないのに、ただただ抑えきれぬ憤怒に体を任せるしかなかった。
「知ってるんだよ、俺は……。ここにいる誰より。誰かの事を救いたいだなんて思うのに、それが叶わない不甲斐なさを。戦う力が無いって歯ぁ食いしばる時のやるせなさも」
人魚姫と出会うまで、何年も彼は一人でそのみじめな気持ちを押し殺していた。作り物の仮面で他人に晒さないようにと怯えていた。悔しいという本心を見て見ぬふりして、へらへら笑って過ごしていた。
そんな日々がどれだけ無味乾燥しているかなど、痛いほどに分かる。想像するまでも無い。目を閉じて、セイラが視界に入らないようにして、数か月前を思い出すだけ、それでいい。それだけで、思い返す視界は全て、灰色に見えた。
「昔から願ってたんだよ……でも、中学の頃から無理だって、思ってたんだよ。でもやっと夢が叶ったんだ、親父の横で自分もヒーローみたいに戦えるって。兄貴も一緒に三人で誰かを護れるって、でも……」
何ですぐに、こうなっちまうんだよ。知君に掴みかかる手に込めた力が緩む。項垂れた彼の表情は見えない。しかし、光筋が一本、彼の顔を走ったのは見えた。急いでその跡を拭って、王子は顔を上げる。その目は充血して赤みを帯びていた。
縋るような瞳が知君の目を真っすぐに捉えた。教えてくれよと、声に出さずにその小柄な彼に懇願する。何でも知ってるっていうなら、もう一度親父が戦えるようになる方法を教えてくれよと。
けれども、見つめられた彼はと言うと、ただただ力なく首を横に振った。自分に分かるのは、「どう足掻いてもそれが不可能な事」だけだ。
「光葉、我儘言うなよ。俺だって辛いさ。でもよ、親父がいいって言ってんだよ。見てやれよ、こいつの顔。今まで俺は見てこなかったけど、お前はちゃんと見てきただろ? そんな事やりたくてやるような子じゃないんだろ? この子だって辛そうにしてるだろ?」
分かってるよ。喉からようやく、とぼとぼと歩くような言葉。分かってるよ、って言えば皆ホッとするんだろう? それが分かり切っている彼だからこそ、反射的に応じた声。けれども、彼は受け入れることなどまだできそうになかった。
「畜生……」
その言葉は、紛れもなく本音だった。先ほどのようにふらふらと宛ても無く彷徨うような代物でなくて、不条理な運命を定めた神への恨み言だ。何でそんなルールを定めた。どうして俺たちにだけ過酷なレールを敷くんだ。
どうして、どうして俺の夢なんて何一つ叶えようとはしてくれないんだ。悪い事なんて、何もする気ないってのに。
- Re: 守護神アクセス【File9前編・開幕】 ( No.64 )
- 日時: 2018/05/11 22:33
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「なあ……じゃあ、教えてくれよ。ネロルキウスって何なんだよ」
「それは……」
「俺らが大事にしてたもの全部奪い去ってぐちゃぐちゃにしやがったあいつは、何なんだって聞いてんだよ。そんぐらい教えてくれよ」
「……教えてはならないと、琴割さんから命令されています」
どうしたものかと、本気で悩んだ。一秒にも満たない、ほんの少しの静寂。その、秒針が一歩進むに満たない沈黙の間に、言うべきか言わざるべきか、悩み抜いた。沢山傷つけてしまった、その罪滅ぼしに教えるべきではないだろうか。
しかし、それはできなかった。言ってはならないと強く脅されていたから。琴割にだけは、知君は逆らうことができないから。大昔の教育が、躾が、トラウマが、彼の心を律している。
「何でだよ、そんぐらい良いだろうがよ」
「あの人なら、聞いた人全員始末するかもしれませんよ」
「知るかよ。多少のリスクなんて百も承知で聞いてやるっつってんだよ」
「駄目です。……この事は、僕の生まれとも関係がありますので」
「だったら何だってんだよ」
「あまり、思い出したくないという事と……他人様に聞かせるような話では」
「ざっけんなよ!」
一度は太陽の説得によって収まったように見えた彼の怒りが再燃する。一度抑えようとしただけあって、先ほど以上の勢いで激しく噴火した。今度こそもう、誰が止めようとも抑えきれそうになかった。手こそあげなかったものの、感情の刃が次々と、知君に向かって牙を向く。言葉さえ、もう王子に選んでいられる余裕は無かった。
「他人様に聞かせる話じゃない? その前にお前が言った思い出したくないってだけだろうが! どうしようもないってのは呑み込もうとしてんだよ、だったら代わりに何が起こったかちゃんと教えろっつってんだよ。いつも何でも見透かしてる癖してんな事も分かってねえのかお前は!」
「王子くん、落ち着いて。知君くんも疲れ切ってるんですよ」
「うるさいうるさい! あいつの肩なんて持ってんじゃねえよ!」
歪んだ目で、セイラの方を振り返り、半分睨むように懇願する。頼むからあいつの味方になんてならないでくれと。今や支える人はもう少なくないのだから君だけは自分の側についてくれと。
どう考えても知君は悪くない。けれども、同時に王子も悪くない。この怒りは充分ただの八つ当たりと呼ぶに値するが、それでもセイラには、彼が一方的に悪いと断言することはできなかった。
「お前はただ、琴割怖さに何も言えないだけだろ……」
「そうですね。でも、それで危害が加えられるのは僕よりもむしろ……」
「うるっせえよ! こっちは別にそんなもんちょっとくらい背負ってやるっつってんだよ」
「でも、君は、やっとできた友達なんです。だから、危険な目になんて」
「だったらお前の友達なんて今から願い下げだ!」
吸い込んだ空気全部吐き出すように、身の内で燃え盛り続ける思いの丈を吐き出した。ちょっとも信じてくれないなら、何にも教えてくれないなら、そんな奴大切だなんて思えるものかと。
その言葉をぶつけられ、知君の顔は固まった。時間が凍ってしまったように、瞬きすら忘れてピクリとも動かない。問い返す暇さえも、王子は与えてなんてくれなかった。
「誰からドン引きされようが知るかよ! 隠し事ばっかで自分の事何にも教えようとしないから、今まで誰にも認められてこなかったんだろうが! 今なら全員お前の事認めてんだろうが、だったらお前も腹割って話しやがれ!」
そんな事も分からないで、自分一人嫌な事から逃げる奴、俺は友人だなんて呼ぶつもりは無い。そう言って、彼はそのまま病室を出ていこうとする。その腕をセイラが捕まえて引き留める。
「待ってください王子くん、撤回するなら今しかないですよ」
「しない、撤回なんて」
「今の言葉だけは、ちゃんと撤回しないと、貴方が悔やみますよ絶対」
「……無理だよ。後になって悔やむことくらい分かってるよ。分かってて言ってんだよ。しゃあねえだろ……こうでも言わない限り、気が収まってくれないんだよ。俺は、怖いんだよ」
怖い。そう彼が口にした時、ようやく王子があることを酷く恐れていることにセイラは気が付いた。そうか、この人は。同じように奪われるのを恐れているんだ、ようやくその手に掴んだ未来への道しるべを。
「いつか、俺も奪われるかもって思ったら、怖くて仕方ないんだよ。……こんな事言ったら傷つくのなんて百も承知してる。でもよ、そうだとしたら俺は、自分の抱えたこの気持ちを、どうやって割り切ればいいんだよ……」
部屋を離れようとする。黙っていた知君もようやく口を開く。
「待ってください! ちゃんと、ちゃんと話しますから!」
「いいよ今更。聞きたくもねえ」
「待って王子くん。今貴方を一人にはさせません。守護神アクセスして連れて行ってください」
「……分かったよ」
ここに来るときもそうやって同行していたが、セイラはあまり人目に付かない方がいい。何せ彼女は世間一般から見るとただのフェアリーテイルと相違ない。人型の姿になってもいいのだが、そうなると今度は話すことができなくなり、不便だ。それゆえ普段、外を出歩く際は守護神アクセスした状態で、他人の目に触れないようにしている。
王子が退出し、残された者たちは揃って押し黙っていた。重苦しい沈黙が流れる。
「やっぱり僕は、駄目駄目ですね」
口を開いたのは知君だった。この事態を招いたのは自分だからと、語り始めた。
「彼の言う通りです。僕はずっと、隠し事をしてきたから。琴割さんが言ったら駄目だって言ったからって、逃げるために口にして。結局のところ、周りの事一番信じていなかったのは、僕だったんですね」
「あー、あんま真に受けなくていいぞ。光葉は俺たち全員から甘やかされて育ってるからな。むしゃくしゃしてるとすぐ我儘言うんだ」
「いえ、我儘言っていたのは僕も同じです」
だから、今度は自分が周囲へ伝えねばなるまい。仲間だと認めてくれた人たちに、伝えなければならない。僕と言う人間はどこから来て、なぜ生まれたのか。ネロルキウスというのは誰なのか。
そっと奏白は、phoneを手に取り、守護神アクセスした。端末だけを取り巻くように、アマデウスの発現を示す緑色のオーラ。極力最低限となるよう能力を調整し、彼の言葉を伝えるべき人たちに向かって届ける。
知君の、長い長い話が始まった。他の者は、相槌を打つ事すら忘れて、彼の話に聞き入る。ただ、一心に彼を見つめるその視線だけが、彼らがその話にずっと耳を傾けているのだと伝えていた。
「琴割さんが、きな臭い研究を行っているという噂を聞いたことくらいありますよね? やっぱり、流石にご存知でしたか。あれって実はデマでも何でもなくて、黒い実験をしているというのは本当の事なんですよ。あの人がやっている研究は、DNA配列と契約する守護神に関するものでした」
ガーディアン配列と呼ばれるDNAの領域がある。イントロンと呼ばれる、体細胞の構成には関与しない部分だ。その中のごく一部、特定の染色体の末端の方にガーディアン配列は存在する。塩基配列の特徴や並びにより、その人間がどの世界の、アクセスナンバーが何番の守護神であるのか調べることができる。
「琴割さんは、この配列が人間に及ぼす影響を調べていました。この配列は、精子と卵子が受精したその瞬間、異世界からの干渉を受けて非科学的に変異します。本当にそれは、異世界の干渉という他なく、酵素も他の触媒もタンパク質も、何一つ関与することなく勝手にDNAが変異します。彼らが契約する守護神、生まれる前から予め決まっているはずの契約相手、その座標を示すコードとなるように書き換えられるのです」
あくまで、既に決まっている自分の守護神に合わせるようにその末端の配列は変異するのだと彼は言う。
「ですが」、そう強く口にして。続く言葉を紡ぎ始める。そこから先の話こそが、彼が今語るべき本題だった。
「琴割さんが研究していたのは、その決まった配列を人為的に変異させた場合、契約する守護神はどのように変異するのか、といったものでした」
受精卵が成立したその瞬間、体細胞分裂を行う前に、ガーディアン配列に手を加える。つまりは、本来契約する守護神とは違う守護神のコードを書き込んだ場合、人は予め決まっていた守護神と、後から変更された識別番号の守護神とどちらに契約するのかという研究を琴割はしていたのである。
「琴割さんの目論見は成功しました。今はただの孤児院出身の大学生として、普通の生活を送っている方が成功例です」
前提として、多くの場合人は両者のアクセスナンバーが混ざったような数字、そして母親の契約相手と同じ異世界の守護神と契約するように生まれてくるのである。
その初めての実験例は、幻獣界の守護神と契約している女の卵子と、アクセスナンバーが100番台の琴割の精子とを用いて作られた。受精させた後に、幻獣界の守護神ではあるが、アクセスナンバーが105674といった風になった。琴割自身が105のアクセスナンバーを持っていたため、異世界からの干渉により674の部位が付け足されたのだ。しかしそれを無理やりDNAをいじることで、何とか三桁で、100番台に調整した。その後は自動的な軌道修正能により、該当する最も近いアクセスナンバー、174番のユニコーンがその検体の守護神として固定されたのだとか。
「それから、琴割さんの実験は本番に入りました。欲しくてやまない守護神を手に入れるための、子育てが」
「待って、知君くん」
流石に、口を挟まざるを得なかった。上ずった声で、真凜は問いかける。
「今って、琴割さんについて話してる訳じゃ、ないんだよね?」
「はい。紛れもなく、これは僕を語るうえで、大切な前提に過ぎません」
「君は、両親がいないって言ってたわよね?」
「ええ、僕の両親は『生まれつき』いません。生物学的にはいるんですけどね。でも、お腹を痛めて僕の生んだ母もいなければ、その人を愛した男性なんて、なおさら。僕は、愛なんて百年も前に捨て去った一人の男性の血を引いて生まれてきていますけど、あの人は僕の事を、息子だと思っていません」
知君 泰良という人間は、羊水でなく、培養液の中で生まれたんです。子宮じゃなくて、試験管の中で育ったんです。あっけらかんと、彼は言う。
「最上人の界に住まう、アマテラスと契約している星羅 朱鷺子の卵子、そして、100番台のアクセスナンバーを有する、ELEVENジャンヌダルクの契約者である、琴割 月光の精子を用いて、大げさな機械で遺伝子をいじくって、ようやくネロルキウスの器は完成しました」
それが僕ですと彼は言う。彼が言ったことは、何も間違っていなかった。戦うための兵器として産み落とされたことも、戦わなければ存在意義を失ってしまうという事も、所詮ネロルキウスの器として生まれたという事も。
わざわざそんな事をしてまで手に入れようと願う守護神とは何だ。そう考えた真凜は、ふと白雪姫との戦いを思い返した。白雪姫に対し、ネロルキウスは相性が悪いと言っておきながら、知君はその毒も酸も瘴気も、何一つ効いていなかった。肉体そのものを使った小人の蹴りや爪で引っかいたり等で痛手を負っていた知君だが、能力により、何十本と一斉掃射された矢ではかすり傷一つ負わなかった。クーニャンとの戦いにしてもそうだ。能力で虚空から取り出した刀を彼は易々と手で掴み、握りつぶしてしまった。
数多の守護神の能力を打ち消すような超耐性。これを獲得しているのは、限られた十一人の守護神だけだ。そしてこの憶測が正しければ、わざわざ道徳に反するような実験の結果産み落とされたのにも納得がいく。
その答え合わせは、頼むまでも無く彼自らがしてくれた。
「僕と言う人間は、未だ契約した者が現れたことの無い、最上人の界を統べる守護神……最後のELEVEN、ネロルキウスと契約するために生まれてきました」
- Re: 守護神アクセス【File9前編・完】 ( No.65 )
- 日時: 2018/05/12 15:25
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
埼玉県にあるとある生物学の研究施設、その地下に琴割が私的に財産を投じて運営している設備があった。働いている研究員は琴割本人を含めて七人程度。機械こそは最新鋭の巨大なものを使っているものの、全国から集めた選りすぐりの研究者のみで秘密裏に行われていた。
当然、そこで働く者には、プロジェクトから降りることと、このプロジェクトを口外することは琴割が隠れて能力を用いることで拒絶していた。あくまで働くのは人間だと理解しているので、休暇こそ適切に与えていたものの、この研究が明るみに出るのは何としても避けねばならなかった。
初めは出来上がった胚を発生させるだけの培養液の器さえあれば良かった。しかし、目的の受精卵を確保してから二か月ほど経つ頃、ちゃんと人間を育てるだけの物資も必要だと、彼らはそのための物資をもそろえ始めた。
最初に生まれた実験体の男児は、生まれてすぐに孤児院に明け渡した。その孤児院も琴割が運営している物だ。何十年も前、まだ彼に良心が残っていた頃設立された孤児院、そこの運営も琴割の資材を投じて行われている。その孤児院は教育こそ厳しいものの、そこを出た者は将来的に成功する人間が多い。親がいないという不幸を上回るだけの成功を与えてやりたいと言う設立時の理念が残っているためだ。
そう、かつてはそんな青臭い理想を掲げるほどには、琴割 月光という男は正義の使徒であった。それなのに、何が彼を歪めてしまったというのだろうか。それは間違いなく月日と言う残酷な代物だった。悲しい事に汚い大人と言うのはいくらでも世の中にあふれている。自分の地位が警視総監になったばかりにより一層そういった人間と出会う機会が増えた。
他人の幸福を食いつぶし、必要かもわからぬ私腹を肥やす富裕層。それゆえより一層貧困に喘ぐ下層の民。そういった搾取を見届け疲れた琴割は、次第に世の中に絶望してしまった。この世の中は自分が管理してやるべきだと、傲慢にも思い込み始めた。どうせ世の中、守護神はいようともそれ以上の神などいない。それなら、ELEVENと契約した自分こそが神となってみせると。
この頃見つかっていたELEVENは彼を含めてたったの三人だった。米国の政治家であるシェヘラザードの契約者と、上海に住む至って平凡な学生に過ぎなかったナイチンゲールの契約者。
しかし、やはりELEVENの能力というのはあまりに強大で、恐ろしい。互いにその事を理解していたため、世界である条例が承認された。ELEVENは厳密に管理された特殊なphoneしか持つ事が出来ず、国際連合の許可が下りなければそのphoneを使うことはできない。
また、民間的に製造されるphoneにも、ELEVENのアクセスナンバーは入力することができないようにすることと規格に定められた。最初に提言したのは琴割だ。そもそも彼はphone無しでジャンヌダルクを呼びだせるため、影響を受けないのだが。
それでも彼は、基本的に律義にこの約束を守り続けた。彼自身の目的は、争いの無い世界を作ること。そして、自分がそのルールを管理することだ。そのためには、自らが定めたルールはできる限り順守する必要があるだろう。時折彼はプライベートで能力を用いることもあるが、軍事的に使用している訳ではなく、どの国も不利益を被った訳では無いので訴えてはこなかった。
ジャンヌダルクは琴割がしようとしている事に興味など無かった。興味があるとしたら、自分が死した後の世界がどのように変わったのか、くらいのものだ。それゆえ、常時守護神アクセスしている琴割は彼女にとって最良の契約相手だったと言えるだろう。
彼女は出来得る限り自分の知っている情報の中で琴割が知りたいであろう情報は差し出すようにした。異世界に関する問いかけは、琴割の頭からざくざくと湧いて出た。
ただ、この頃数年間の彼の疑問はと言うと、もっぱらELEVENにまつわることだった。いつ、残る八人のELEVENが現れるか分からない。もしかすると、契約者はまだ生まれていないのかもしれない。そうとも考えられた。それゆえ、人為的にELEVENの契約者を生み出すだけの研究が進められたのだ。
試験管の中で着々と育つ赤子。もうそろそろ、試験管などでなくもっと大きな入れ物で発生させなければならなくなってきていた。その赤子が着実に人間に近づいているのを満足そうに眺めながら、琴割は二年ほど前に己の守護神、ジャンヌダルクと交わした会話について思い出していた。
「残るELEVENって誰がおるんや」
「今現在契約していない者は、キングアーサー、バアルゼブル、ルシフェル、フェンリル、トーマス、ハンニバル、パブロルイス。それと……」
「何や、急に言葉濁して」
「一人厄介なのがいてね、ネロルキウスと言うのよ」
先ほど挙げたネロルキウス以外の七人は、契約がまだ行われていないだけで、契約者たる人間は産み落とされている。しかし、ネロルキウスだけは事情が違っていた。彼の契約者となることができる人間は未だかつて生まれたことが無い。彼が守護神となったのは、もう千数百年以上前の事だと言うに。
「何か理由でもあんのか?」
「ネロルキウスは我儘でね。生前が暴君だったのだけれど、守護神となりELEVENとなり、より一層その色合いが強くなったみたいね。私の方が後から守護神となり、ELEVENとなったから元の彼を知らないけれど」
人間なんぞにこの俺の能力は使わせない、という独占欲から来ているらしい。そりゃまたえらくけったいな奴じゃのうと琴割ですら呆れかえる。
「トーマスがエジソン、パブロルイスがピカソ由来やとすると、確かに比較的古参みたいじゃのう、ネロルキウスは。ナイチンゲールにしたって近代やろうしな」
「ええ。彼の事を古くから知っているのはアーサーやハンニバルね。特にアーサーは王として共通点があるからか、比較的心を許しているみたい」
お互いが住む異世界こそ別の次元にあるが、ELEVENだけが立ち入ることができる次元の狭間に存在する空間がある。ただ椅子に座して直近の様子を報告することできないが、議長に適しているからという理由でアーサーがたまに招集をかけて様子を聞くのだとか。それゆえ、その会合はキングアーサーをモチーフに円卓会議と呼ばれている。
と言っても、行くも行かないも自由なのだけれどと彼女は言う。ジャンヌダルクは、男だらけのむさくるしい円卓会議には基本出ないらしい。毎回律義に参加するのは主宰のアーサー、そして性格のいいルシフェルに、ナイチンゲールくらいのもの。ネロルキウスは気まぐれに参加し、バアルに至っては一度も来たことがない。
まああの蠅に来られるよりはいいけれどと、ジャンヌダルクは嘆息した。
「とりあえず、貴方が行っている研究で作り出せるのはネロルキウスの器くらいよ」
「一応一人は作れんのか。上出来やな」
「……一応言っておくとお勧めはしないわよ」
「何でや」
「あれは、世界の抑止力だから」
この世界には守護神にまつわるルールが厳密に設定されている。それがどうしてか分かるかと彼女は琴割に尋ねた。当然琴割とてそんな事知る由も無い。科学の理論と同じだ。目の前にある事象に関連性、法則を見つけているだけ。その法則が存在する理由など分からない。強いて言うなら、神様の設計図に従っているだけだ。
だが、世界の理には、それが存在しているだけの理由があるのだとジャンヌダルクは言う。
「ホメオスタシスという言葉を知っているかしら」
「生体内の恒常性を維持しようとする生物の体の特性やろ。こんな研究しとるんやから知っとるわ」
「その言葉が最も適しているわ、世界のルールの存在意義は」
世界と言うのは巨大な一つの生き物のようなものだ。そこに暮らしている人間は、守護神は、全て一つ一つの分子。言うなれば酵素や他の機能を持つタンパク質、あるいはもっと大きく考えるなら細胞のようなものだ。そして世界のルールと言うのは、その体内の状態がめちゃくちゃになってしまわないように定められている。
人間の身体にしたってそうだが、癌の発生を避けることはできない。人であれば癌細胞ができそうなら、変異した遺伝子を修復し、あるいは癌となった細胞を自発的に殺すことで自力で治癒する。では世界にとっての癌とは、免疫細胞とは何だろうか。
世界にとっての癌は醜い争いと言えた。日本人なら二十世紀中ごろに経験した爆弾があるだろうと彼女は言う。あんな風に、戦争のついでに、世界そのものにも影響を与えるような代物が世界にとっての癌なのだと。そしてそれを鎮圧するための免疫細胞こそが、ELEVENだ。
「守護神同士が争って、その世界の大地などが汚染されてしまわないように、私達ELEVENがいる。私達ELEVENが一般の守護神に打ち負かされてはいけない、だからこそ」
「儂らが超耐性って呼んどるものが存在する」
「そうよ。私達が野良の守護神に負けることはあってはならない。だからこそ、ELEVENは他の守護神による干渉を受けないの」
「そして能力同士がぶつかって矛盾が生まれないためにも、ELEVEN同士も能力が効かへんし、争っても無駄なんか」
「ええ、基本的にね」
「例外があんのか?」
「さっきも言ったでしょ、ネロルキウスは、世界の抑止力」
ネロルキウスは唯一、他のELEVENに打ち勝つだけの能力を持っている。彼女が言うにはそういう事らしい。
「超耐性は能力の範囲外に関しては無力よ。貴方は自分の負傷や死を拒絶しているからそんなことは無いけれど、例えばシェヘラザードの契約者は、不意に銃で撃たれればあっさりと死ぬし、首を絞められただけで死ぬわ」
「ただの肉弾戦には負けるってことか」
「そう。だからELEVEN同士の戦いでは最も身体能力と剣技の才能に溢れたアーサーが勝つ、と考えるのがセオリーなんだけれど」
ネロルキウスが立ちはだかるのだ。ネロルキウスは例えば、そびえる岩盤から頑強さを、吹き荒ぶ風から素早さを、鳴動する大地から力強さを奪い取れば、いくらでもその肉体を強化することができる。実際にそんなことすれば地盤沈下や異常気象などに繋がるため、滅多なことではしてはならないが、略奪の能力を駆使すれば誰よりも強い肉体を得ることができる。
「それと、ネロルキウスは世界そのものが、ELEVENを殺すために作ったと言っても過言では無いから、彼が本気で牙を向いたら例え死を貴方が拒もうと、それさえ無効化してしまうから気をつけなさい」
「超耐性があってもか」
「ええ、そうよ。ただ、それが適応されるのは殺されるべき守護神の契約者が世界に仇を為した時だけ。今のところ貴方は該当しないわ」
理屈ではなく、摂理。世界という概念が、ネロルキウスを通じて死ねと命じたELEVENは死ぬ。それだけだ。もっとも、今までそのような事は起きたことが無いが。
そして勿論、ネロルキウスが最も上の立場にある訳では無い。それも当然だ、ネロルキウスの気まぐれを止めることができなければ、その場合もやはり世界は崩壊する。彼の暴走を止めるべき存在も同様にこの世には存在している。
「一つ目はおまけみたいなものなのだけれど、傾城の能力者ね。単純に王に対して有利な連中。もう一つの弱点はガルバという守護神よ」
生前の皇帝、ネロの後釜となった次期皇帝ガルバ。彼が皇帝でいた頃にネロは追い詰められ、自殺した。その後強い憎しみと未練を抱えたままELEVENとして生まれ変わったのだが、生前の関係性が強く影響するルールにおいて、ネロルキウスの超耐性を無視してガルバの能力でのみネロルキウスを傷つけることができる。
ガルバの能力は、相手の心が傲慢であるほどその血を奪い取る能力。ネロルキウスには有効だと言えるだろう。ネロルキウスの能力を持った人間は、当然驕り高ぶる。それゆえ、ガルバの能力はネロルキウスやその契約者にとって何より強く効果を示す。
「アクセスナンバーが小さくなる方が守護神のカーストは高い。その頂点に君臨する私達が、100や200番台の連中すらも管理している」
「だがそんなお前たちも、ネロルキウスに監視されとって」
「ネロルキウスもガルバのせいで迂闊には悪事は働けない」
「そしてそんな風にパワーバランスが複雑に制御されとるんは全部……」
「世界が、恒常的に平和に回り続けるためよ」
どこかが歪めば別のところから横やりが入るようになっている。独裁者は許さないと言う世界の意志、それこそが平穏に世界を回している。
「随分スケールのでかい話やなぁ」
「そうね。こうやってELEVENになった今でも、理解が追いつかないし、都合のいい話だって思うわ」
「まあ、決まっとるもんはしゃあないな。とりあえずは、一つラッキーなことがあるとしたら」
儂が生み出すこいつは、相手がELEVENであろうと有利に戦うための武器になる。試験管の中、次第に人間へと形を近づける胚を見ながら、糸目をより一層細めてほくそ笑んだ。狐みたいな胡散臭い笑み、そして舌なめずりする様子は蛇のような狡猾さが窺えた。
ネロルキウスは全てを奪い去る暴君であり、その能力によりほぼ全知の力を持っている。
全「知」の暴「君」の力以てして、この天下を「泰」平に、より「良」い世の中に変えて見せる。
そんな意思を込めて、ネロルキウスの器には名前が与えられた。知君 泰良という、名前を。
- Re: 守護神アクセス【File0・開幕】 ( No.66 )
- 日時: 2018/05/14 22:47
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
どこまでも清潔で、どこまでも汚れの介入しない、そしてあまりにも冷たすぎる白塗りの部屋にて少年は泣いていた。あまりの苦悶に耐えかねて、声とも思えないただの嗚咽を垂れ流している。体が荒ぶるままに任せるその呻き声は悲鳴と呼んで差し支えなかった。まだ五歳だというにその少年は、首を起点に走る電流は、細胞が死なない臨界間際のものであった。
身体こそ耐えられる痛み、しかし幼い精神はその痛みに耐えられない。何とか大声を上げることで意識を保っているものの、理性は電流にショートして焼き切れていきそうになる。僅かばかりの気力を振り絞り、音だけが声帯から放たれるだけに、苦し紛れの懇願を織り交ぜる。
助けて、もう止めて。そんな言葉ばかりだ。悲痛に喚き、表情筋を歪ませる。しかし相対する研究員はというとあろうことか、その申し出を聞き入れない。それどころか厚手のゴム手袋を着けたうえで、男児の柔らかそうな頬を勢いよく引っ叩いた。
元々立っているのがやっとなくらいにふらふらであったのに、頬を張られた勢いそのままに彼は肩から転んだ。そのまま、絶え間ない電流のせいで海老のように仰け反ってしまう。
「その口の利き方は何だい?」
分厚いレンズのその向こう、低く窘めるような重たい声音で、研究員は少年に問うた。君は自分が何と口にしたのか分かっているのかと。途切れることの無い責め苦に、もはや痛覚が麻痺しつつある少年は、ただ涙腺から零れ落ちる雫が床を濡らすのを眺めながらひたすらにごめんなさいと許しを請うていた。
返事が無いのが怖くて、自分の謝罪など届いていないのかと不安になって、白衣纏ったその男の顔色が変わるまで何度も何度もごめんなさいの六文字を繰り返す。
「助けてください、『じひ』を下さい。僕が全部悪かったんです」
意味も分からず無理に覚えさせられたその言葉、それが許しを求める言葉だとは分かっていた。慈悲の意味も知らないまま、無機質な男にひたすらに懇願し続けた彼は、ようやく満足した様子の彼から解放された。
勿論この男に嗜虐的な趣味は無い。単純に、この個体はそのように躾けなければならぬと決められているだけだ。「助けてくれ」「許して」「謝るから」そんな言葉づかいは彼には許されていなかった。助けて下さい、許してください、僕が悪かったです。そんな風に、相手を敬う様な言葉遣いをしない限り、反省の色無しと攻め続けなければならない。
これらは全て琴割が決めたことだった。ネロルキウスの能力はまさしく、世界をその手中に収めるような力。だとすれば、一般的な道徳感を持った人間に持たせるわけにはならなかった。どんな人間よりも清く、正しく、優しく、そして自分等に支配者たる価値は無いと思い込ませなければならなかった。
あまりに強固すぎる、子供向けアニメのヒーローのような道徳心。ぶれることなく他者のためだけに力を振るえる、自殺にも似た自己犠牲の精神。それを養うには、多少人道に反する方法を用いねばならぬと琴割は判断した。それゆえの、教育。自分の利益のために他者の損害を考えないような人間にせぬよう、彼が道を違えた際には容赦なく電流を流した。
少年がその焼けてしまいそうな電気の痛みに慣れることは決してなかった。毎日のように浴びているというに、毎度彼はその拷問を初めて受けたかのように大きな拒絶を示した。当然だ、琴割が痛みに慣れることを拒絶してしまったのだから。
如何にネロルキウスの器とはいえ、契約前の状態では超耐性を得ることはできない。契約されてしまえば琴割の能力も効かなくなってしまうが、それより以前ならば超耐性も関係ない。
まずは自分の価値があまりに低いと思わせる教育を優先した。敬語という概念を覚え込ませ、敬語でしか話してはならないと教育した。世の中の全ての人間はお前よりもずっと優れているのだと、ずっと世界に貢献しているのだと。お前が一番世界でも最下層に位置する人間なのだと。だから例え相手がどのような人間であっても、彼らを敬う言葉で話し、彼らの幸福のために努めろと言われ育てられた。
それがこの頃の彼だ。教育が始まって大体一か月程度。痛みで無理やりいう事を聞かせるこの方法は、少年にとっては皮肉にも、大人たちの望むとおりに進んでいた。初日なんて起きているほぼ全ての時間において通電しており、食事すらまともに取れなかったというに、今や一時間の内ほんの一分ほどの通電で済んでいた。最初は年頃の子供らしく、やめてだの何だの一しきり叫んだ後に、やめろ、何でこんな事するのだの口にしていた彼も、この頃は自分から率先して止めて下さいと口にするようになっていた。
それどころか、教えてもいないというのに研究者達を労う言葉すら言い始めた。「いつもご苦労様です」「僕なんかのために毎日ありがとうございます」「みなさんのおかげで今日も僕は生きていられます」なんて。ただ嬲っているだけにしか思えない彼らにとって、少年の無垢な笑顔は毒だった。この教育が非人道的な事だという認識から目を背けるため、大人たちはいつしか無表情の仮面を貼り付けて少年と接するようになった。
少年がすんなりと初めの教育を思い通りに修めたため、担当官の面々はホッと息を撫でおろした。大体半年程度のことであった。合格条件は、一週間の間、不条理な目に合わされ続けても、抵抗も反抗も無く、世の中への敬意を忘れない事。要するにこちらから何をしようと電流を流されないよう彼が振る舞い続ければ次へ進む、というものだった。
急に殴ろうと、夕食を奪おうと、暴言を突きつけようと、何をされても五歳から六歳になろうという知君にはもう、顔色一つ変えず笑顔のまま耐えられる代物となっていた。
ただその頃には先に、職員の方の心が壊れていた。彼を人間と扱ってしまったら自らの行いに本心から悔い、すぐにでも手を差し伸べてやりたくなってしまうから。だから彼らは一様に、幼い知君のことを人間として見るのをやめた。これはマウスと何も変わりない、検体に過ぎないのだ。
かくして大人たちは、知君が望み通り成長しても、夏休みの宿題で育てるべき朝顔が毎日すくすく背を伸ばしている程度の感慨しか持たなくなった。そうして、躾という名の、都合いい人格形成が進んでいった。
次に教え込んだのは、他者を労わる優しさであった。これは座学の要領で教えた。まずテストを行い、その場その場の行動が本当に他者のためのものであるのか、自分の事をちょっとでも優先したりはしていないだろうかと、人類の行動を研究している学者と意見を交換する形で毎日議論し、成長した。電車では席を譲るべき、だが誰に優先して譲るべきであろうか。身重の女性だろうか、足腰もまだ達者なご老人だろうか。はたまた松葉杖のお兄さんだろうか。様々なケースを想定し、簡単に表面上の情報だけで判断してしまわないようにと、知君は学習した。彼自身充分に心優しく聡いところもあるようで、子供らしいが、大人には気が付けなかった意見に学者の方が学ぶこともあったのだという。
優しさも身に着けた彼、次に修めたのは正しさであった。正義とは何か、悪とは何か。相手が悪ならばどうすればいいのか。そういった事柄を、今度は琴割と一対一で議論した。世の中で最も低い価値を持つのは自分だと教育された彼だったが、この教育と共にそれは違うと否定された。真に価値の無いものは他者に迷惑をかけたものだと。
世間に逆らい、正義に反逆の牙を突き立てた者。犯罪者や極悪人といった連中には文字通り価値など存在してなるものかと伝えた。しかし少年はというと頑なに、犯罪者たちにも尊重せねばならぬ分野もあるはずだと主張した。最初の教育を過激にし過ぎたかと琴割は頭を抱えたこともあったが、逆によい兆候だと捉えることにした。この調子ならば、知君の人格はネロルキウスの能力を悪用することは無いだろう。
価値観の側から善悪を教育するのを避けた琴割は、逆に優しさの側から善悪を飲み込ませることにした。優しくて、悪いことをしていない人間が酷い目に合っていればどうするか。そう尋ねれば、少年は助けますと迷わず一息に応じて見せた。
多くの人が困るような悪事を為す者がいれば、価値のあるなしに関わらず止めなければならない。そして間違った道を進んだ人間を元の道に戻してやらねばならない。それこそが、真に平和で穏やかな世界に直結するのだと琴割は語った。
元来彼自身も正義を愛する人間だったのが大きかったのだろう。その本心からの言葉は作り出した器たる少年の心に響き、彼が望む通りの精神的な成熟を促された彼の人格は完成したのだ。
そして計画は最終段階に突入した。知君には、この時代における最新型のphoneが手渡された。真っ黒な、二十一世紀初頭、スマートフォンが流行する前に人々が利用していたガラパゴス携帯の形を参考にしていた。というのもこの頃のphoneは嫌が応にも、基盤の大きさを大きくせねばならず、スマートフォンのように薄型にすることはまだ不可能だった。
それゆえせめて折り畳み式にしようという技術職の者と、当時守護神アクセスをcallingと呼んでいた洒落っ気から携帯電話の形を模した代物となった。現代における、スマートフォン型のphoneに関しても、機能を追加したうえで、その端末の正統進化を表現するためにその形になったと言っても過言ではない。
現代の話はさておき、琴割や他の職員が厳重に監視するその中で知君初めてのcallingが行われようとしていた。それから起こる悲劇など、誰も知るはずもなく。当然ネロルキウスがどのような人格をしているのかなど、契約者となる知君すら分からなかった。守護神を略奪できるなどという能力、ジャンヌダルクさえ知らなかった。
何せ守護神を奪うというのは、ネロルキウスが他の契約者と出会って初めて奪うという発想が出てくるのだから。現世に現れたことの無いネロルキウス、それゆえ赤の他人の契約者から守護神の能力、その行使権を奪い取る力など、誰も知る由なんてない。
衆人環視のもと、弱い十の知君は、初めてphoneを開いた。傷一つない、ピカピカの画面と目が合った。今みたいに0や1だけすり減ったものでなく、まっさらなボタンが規則正しく並んでいる。
琴割から使い方の説明を受け、それをなぞるように手順を追う。まずはネロルキウスの番号を入れる。ゆっくり、一つずつ、確認するように入力する。ピッ……ピッ……ポッ、無機質な電子音が響いた。ついにこの日が来たかと他の研究者も息を呑んだ。あの頃はまだ髪も真っ黒だったのに、今や白髪交じり、顔には皺が浮かんでいる。
こうして、報われる日がようやっと来たのか。そう思えばこの二十年近い月日が無駄では無かったのだと、充足感が胸を満たす。早く、早くその成果を見せてくれ。固唾を呑んで見守る中、最後に琴割が彼と言葉を交わす。
「ええか知君、お前は将来警察になるために生まれてきてんぞ」
「はい」
「警察って何のことかわかっとるか」
「琴割さんが統括している、日本の治安を維持する組織です」
「つまり何や」
「揺るぎない正義に他ありません」
「そこに属するために生まれたお前はどうや」
「紛れもなく、正義の遣いです」
「上出来や」
最後に左上のあたりの通話ボタンを押せば『奴』が現れる。そう言い残し、踵を返した。研究者たち同様に、少し離れた位置へと戻り、もう一度振り返って知君の方へ向き直る。
まだ幼かった少年は、今一ピンと来ていなかった。この小さな機械を使うだけで、特別な誰かと出会うことができるなんて。その人から力が借りられるだなんて。そして自分はそのために生まれ、あの教育を受けてきたのだと。
という事は、この困難な教育を大人たちが授けてきたのも、ここに収束するのか。それは理解できた。ここで自分が言われた通りにやり遂げることができれば、彼らは喜んでくれるのか。そうと決まれば彼は、最後の扉を開けるがごとく、発信した。
不運なことに彼は、生まれつき最低の環境にいた。自分が壊されていると、気づかせてすらくれない環境に。彼はもう、とっくに人間として壊れていた。自分の幸せを求める技能を失ってしまっていた。
彼の倫理観は、完成しているようで、何よりも最初に粉々に磨り潰されていたのだ。この日を迎えるまでの十年間、彼が受けてきたのは間違いなくただの虐待と洗脳であったというのに。彼にとっては、躾と教育と信じて疑っていなかった。
優しくて、思いやりがあって、誰かのために戦うことができる。自分よりも他者のために力を尽くせる、心の強い少年。そんなもの、ただの詭弁に過ぎない。
言い換えるなら、意志が弱く、他人の顔色を窺い、自分のことを何一つ気にかけない。他者にどれだけ己の利益を脅かされようと、へらへら見届けていることしかできない、ただの自己犠牲家の死にたがり。
そんな彼が、ネロルキウスに対抗などできる訳が無かった。当然だ、ネロルキウスが欲するのは知君の身体、それは知君にとって、護るべき大切な存在の中に入っていないのだから。
科学者達はいくつも過ちを犯していた。自分たちの検体は、実験動物ではなく同じ言語を用いる人間だという事を失念していた。ネロルキウスの器にするならば、己をも労われる強靭な意志を優先して作り上げるべきだったのに、それを怠った。
そして何より、最上人の界を統べる王を侮りすぎていた。そこに住まう守護神は、アマテラスにゼウス、オーディーン、アレクサンドロスにヤマトタケル、あらゆる名声を得たそれぞれ当時当地、あるいは神話の最高権力者であるというのに。彼らを統べている王こそがネロルキウスだというに。一介の島国、そこに住む『支配される側』の猿に過ぎないというのに、どうして御することができたつもりでいたのだろうか。
だから、仕方なかったのだ。初めて呼びだした彼が、そのまま暴走したのは。
- Re: 守護神アクセス【File0・開幕】 ( No.67 )
- 日時: 2018/05/15 21:36
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
だから、仕方なかったのだ。初めて呼びだした彼が、そのまま暴走したのは。
溢れ出す黒色のオーラが少年の身体を包み込んだ。これまで清廉潔白にと育ててきた彼が纏うにしては、あまりに似合わない闇。ただ、彼の心に刻まれた闇かと思えば納得できなくも無いだろう。しかし、教育が成功していると信じていた研究者にとっては、知君は表面から深層まで全て純白まで信じ切っていたため、その漆黒が場違いに思えた。
どこかの言語で、ネロとは黒を指すのだっけ。そんな事を想いながら、貪欲にも全てを飲み込みそうな常闇が己の身体を包み込んでいくのをただただ少年は眺めていた。calling時にはこういったエネルギーが契約者を包み込む。そういった話は琴割から聞いていた。自分は黒色なのかと、ダークヒーローを演じているみたいな高揚が訪れた。
あくまでも、自分は、正義の使徒だと疑っていない。事実彼が正義ではないと述べる者もいなかったろう。しかし、だからといってその守護神まで平穏と安寧を願っているかと言えばそうではない。何も戦争と殺戮を好んでいる訳では無いが、それでもやはり彼は暴君だ。自分が望み通りにならない世の中になんて興味は無い。
そしてその望みを叶えるためならば、どんな事にだって手を染める。他人の守護神を奪い取ることも、寿命全てを吸い取ることも、足りない膂力を略奪した筋力で補うことも厭わない。そして当然、契約者にもその牙を突き立てる。
ネロルキウスを呼びだした知君は、いつまでも姿を見せない彼を訝しみ、きょろきょろと辺りを見回した。しかし、見当たらない。まだ見ていない背後ならばどうだろうか。そう思って振り返っても、その姿を目にすることは叶わなかった。
振り返った彼が目にしたのは、悪魔のような掌だった。生命線などが走っているのは人間と変わらないが、革の手袋でもしているのだろうかと一見して思う様な黒い表皮。爪と肌との境界など内容で、指の先端は鉤のように尖っていた。
その親指と小指の爪が少年の小さな頭、そのこめかみの辺りに突き刺さった。突き刺さったと言っても、守護神には実態が無いのだからただ虚像が少年の体内に隠れただけだ。ただ、視界を覆うようにしたその掌に視界が埋め尽くされる。目を閉じた時のような、一面の黒。取り巻くオーラも合わせ、何だか闇の中に取り込まれてしまったように思えた。
守護神とは、自分を守ってくれる存在だと盲目的に信じ込んでいた。琴割とジャンヌダルクのように、仲睦まじく日々を過ごす存在に違いないと。だからこそ、怖いだなんて思いもしなかった。
「小僧」
視界を隠す腕の向こう、初めて聞く声がした。過去には確かに耳にしたことがない、はずなのに、何故だかどうしてその声は、耳に馴染んで仕方ない。遺伝子の一番深くに生まれながらにして刻まれているような不思議な懐かしさ。これが、契約者である証明なのだろうか。
「貴方が僕の守護神ですか?」
「そうだ。名を、ネロルキウスと言う」
「……ようやく、ようやく会えましたね!」
弾んだ声で知君は呼びかけた。君と出会えたのが嬉しくて仕方ないと、声音で、言葉で、態度で、全身を使って示す。その尊顔を拝見こそできないものの、彼は自分の力になってくれるのだと信じて疑わない。
「そうだな、十年というのはお前にとって長かったろうな」
「貴方には短いのですか」
「もう、生きた年数も二千に近づいているのでな」
何せ古代ローマの皇帝だ。正確には千数百年といったところだろうが、それでも千より二千に近い。
「だが余にとっても、この憤懣に満ちた十年は酷く長かった」
憤懣、それが怒りや苛立ちを指す言葉とは幼い彼はまだ知らない。どうしてその声が震えているのかなど、思い至らない。
何せ彼はネロルキウスの事など何も知らない。Callingの事も概念程度にしか理解していない。他の守護神にとってこの契約がどのような印象を持って認知されているかは様々だが、ことネロルキウスにおいては、自分の力をどこの誰とも分からぬ青二才に勝手に使われる、すなわち奪われるようにしか見えていない。
あらゆる者から欲したもの全てを奪い取ってきた彼にとって、自分のものを勝手に利用されるのは何より耐えがたい侮辱だった。それゆえに、決めていた。自分をこの世に呼びだした愚か者だけは絶対に殺してやると。
「ここの主と話がしたい」
「でも、貴方は僕にしか見えないんじゃ」
「何、問題ない」
ネロルキウスは知君の意志など無視して能力を行使した。無理やり、世界中からあらゆる情報をかき集め、契約者である知君の脳内に注ぎ込む。発達しきっていない子供の脳に、学者でさえ頭を抱えるような様々な情報が次々と流れ込んだ。
「お前の身体を貰い受けるからな。……光栄に思え、余の器となれるその大義を」
「ああああぁっぁあああっぁあああぁぁあああああ!」
頭蓋骨の中が燃えているようだった。世界中のありとあらゆる論文、小説、各国首脳の思惑に、この場にいない人間の人生そのもの。どれだけ重要なものも難解なものも、どうでもいい情報さえ、一挙になだれ込む。
次から次へと文字列が脳裏を駆け抜ける。駆け抜けては、また次の羅列。英語が流れ、日本語を読み、ドイツ語がやってきたかと思えば、中国語の声が響く。脳の中にデータが一挙に入り込んできたせいで、他の感覚野を担当しているところまでもが異常をきたす。視界の中には論文のグラフが、フラッシュ暗算さながらに現れては消え、また次の図解が。
未発表の小説を朗読するような声もした。今まさに死にかけている人間が嗅ぐ、鉄血と硝煙の匂い。全身には北国の寒波が押し寄せる。
電流のせいで、苦痛には慣れっこだったはずなのに。それをも超える数々の責め苦に少年は数秒で壊れかけた。口からはただ同じ言葉のみを叫び続けている。息すらろくに吸い込めない。酸欠で視界が白んできた。
意識が飛びかける。案外耐えた方だなと、ネロルキウスはその強靭な精神を評価した。
「おいジャンヌ、あれ何とかできひんか」
「無理よ。もう知君 泰良は、超耐性を手に入れてしまった……」
自分たちの能力でももう対処できない。彼が壊れたとしても、ネロルキウスに人格を乗っ取られることになったとしても、ジャンヌの能力で拒絶することはできない。
当然、初めてのcallingゆえ知君はその洪水のような脳内の以上に抵抗するだけの何かを持っていなかった。こんな事が起こるとは、琴割とて想定していなかった。科学者たちも慌てふためいている。
高校生となった彼こそようやく抵抗できていたものの、この頃の彼はあっさりと暴君に意識を手渡していた。
「貴様が、余をここに呼びだした張本人か?」
とうとう、暴君は知君の声で語り始める。当然少年の身体を使って出した声なので、他者の守護神の発した声だというにそれは、研究者一同に届いた。
「せや。琴割 月光。ジャンヌダルクの契約者、って言えばええか」
「あの男まさりの阿婆擦れの契約者か、厄介な男よの」
「なぁに、お前ほどじゃああらへんやろ」
「ふん。余が厄介者? 口の利き方に気をつけろよ。余に尽くすことこそが下々にとっての栄誉である。こうやって体を差し出した小童同様にな」
「そのガキの身体でイキんなや。みっともなくてしゃあないわ」
挑発に次ぐ挑発。それは互いに、能力による影響を受けないことから来る余裕ゆえのものだ。だからこそ、その超耐性を持っていない他の研究者たちは、恐ろしくて仕方が無かった。この直後に何が起こるかなど、その目にするまで分かったものではない。
「で、お前の能力を早速見せてはくれんか」
「教えてやると思うたか。と問うてやろうと思ったが、余は寛大である。むしろ知るべきだ。余を畏怖するべきだという事実を」
「大層なこと言うてもどうせ儂には効かへんやろ」
「面白い事を言うな」
「月光! 気をつけろと先日言ったでしょう!」
ジャンヌがそう咎めたのを理解する暇もありはしない。背後で白衣の職員たちが一斉に膝を付いた。何が起きたのか、当人たちでさえ理解していないようだ。一体何事か、そう思った途端にネロルキウスの姿が消えた。
痛みを感じることの無い琴割の身体が、真っすぐに宙を飛んだ。視界が動くのだけを感じていた。頑丈な壁に彼の身体が叩きつけられる。ダメージこそ無いものの、突然の出来事に精神的な衝撃は隠しきれない。
「余の能力は、他者からあらゆる者を奪い取る能力だ。今はここで虫けらのように座す哀れな猿たちから脚力と腕力とを奪い取った」
「月光、以前言ったわよね、私」
ジャンヌが琴割を叱責する。悪い、忘れ取ったと琴割は本心から油断を認めた。
「そしてもう一つ、面白いものを見せてやろう」
全身の力を奪い取られた研究者の一員、最も若い、とは言っても四十の半ばを超えた女の頭上に手をかざす。四つん這いで何とか立ち上がろうとする彼女を嘲笑う声。今までモルモットと思ってきた少年に馬鹿にされたようで、堪え切れぬ苛立ちを浮かべた女はまるで修羅のようだった。
「余は他者から守護神を奪い取り……」
「何しとるんやお前……」
「守護神アクセスを行うことができる唯一の守護神だ!」
守護神アクセス、耳慣れぬ言葉に琴割は眉を片方から持ち上げた。背後からジャンヌダルクが、callingの事だと言い添えた。守護神の界隈ではそのように言うのだと。Callingとはあくまで、人間が勝手につけた呼び名なのだからと。
その女が契約していた守護神はピタゴラス由来の守護神であった。脳の演算能力を上げるという、およそ戦闘に向かず序列も著しく低い守護神ではあったが、研究者としてはこれ以上なく上等な守護神。生まれつきそれ程頭の回らない彼女が今のポジションを手に入れたのはこのピタゴラスの加護あってのことだと言えるだろう。
だが、その後ろ盾をこの日失うこととなった。スーツを着た体の首に、正三角形を規則正しく並べた正多面体の頭が乗っかっている。そしてその守護神はというと、首根っこをあどけない少年に掴まれて苦しそうに呻いていた。
守護神が目に見える姿を持って現世に現れた。その事実に人々は目を丸くする。このような光景など、見たことが無かった。フェアリーガーデンの守護神でもないのに。
「知るが良い、哀れな愚民ども」
「返して……返してよ……。その子がいないと、私は」
「面白い事を。お前たちもこの器となった幼子の懇願など聞きもしなかったものを」
「それは、仕方なく」
「言い訳は結構だ。それにそんな些事に怒っている訳では無い。余はただ、己が権威を示すために愚かな貴様を粛正するだけのこと」
そのままネロルキウスは守護神アクセスを行った。あまりに分厚い黒色の闘気のそのまた表面を薄く覆うように、ピタゴラス由来の黄色いオーラが二重構造を作る。ただその揺らめくエネルギーの奥の黒があまりに強すぎて、下位の守護神たるピタゴラスが霞んでしまう。
慌ててphoneを取り出す女性、ピンク色の携帯に八桁のアクセスナンバーを入力、発信する。しかし通じない。アクセスナンバーをもう一度確かめてくださいとの画面上の通知。慌てる手先が、多すぎる桁数を打ち間違えたのだろうと、もう一度女は番号を入力する。それでも目的の守護神に通じることは無かった。
あり得ないと、何度も挑戦する。何度も呼びだそうとする。しかし、どれだけ丁寧にその番号を確認したつもりでも、ピタゴラスはうんともすんとも答えてくれる様子は無い。
「無駄だ、足掻こうと奴が貴様のもとに戻ることは無い」
「そんな、そんな……彼がいなければ私はこの先、どうすれば……」
お世辞にも、能力貫きの彼女は研究者として優秀とはいいがたかった。今後は資料の整理などがメインになるだろうなと、遠回しなリストラがこの瞬間に琴割の脳裏で決定した。流石にクビにしてしまうのは、自分の不注意が招いた結果でもあるため憚られた。
己の力を遺憾なく見せつけた暴虐の王。しかし彼は難色を示した。phoneの方を目にして、厄介なものだと舌打ちを一つ。初めての守護神アクセスゆえ、この端末の方が限界だとは分かっていた。この端末は回数を重ねるごとに電子回路がブラッシュアップされていき、持ち主とその守護神の波長に合うように最適化されていくのだと。
「今日のところは、余は帰らざるを得んようだな」
「そうか。気ぃつけて帰るこっちゃな」
「本当に、不遜なガキだ」
「誉め言葉じゃって思っとくわ」
勝手にしろと吐き捨てて、未だ諦めずにcallingを行う女を尻目に、ネロルキウスは最上人の界へと帰っていった。知君の憔悴しきった意識が返ってくる。未成熟な彼の脳にはあまりに過酷すぎる情報の荒波に呑まれて、その精神はとっくに擦り切れてしまっていた。
何よりもまず睡眠が必要なようで、瞼は重たく目は半開きになっていた。焦点は合わず、泳いでいる。今にも倒れてしまいそうな彼に詰め寄ったピタゴラスの契約者。涙を流しながら、それでも顔は鬼神のような激怒で皺を寄せて、恨みがましさのこもったどすの利いた声で知君を詰る。胸倉を掴み体を前後に揺らせども、それで知君の意識が覚醒するようなこともなかった。深い眠りの淵に今すぐにでも落ちていきたい、そうとしか考えられない。
「お前のせいで……お前のせいでぇえええっ! 私の、私の人生はっ……」
今にも首まで絞めて殺してしまいそうな剣幕に、流石に見かねた琴割が動いた。それ以上の危害を拒絶し、女が少年を殺してしまいそうになるのを何とかとどめた。
こうして未曽有の大事故は、人知れず地下にて、ひっそりと幕を閉じたのであった。
これがネロルキウスと知君との、出会い。その邂逅は初めから、支配と略奪とに満ちていた。
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