白雪姫はりんご嫌い  はるた ◆On3a/2Di9o /作



【80】ラムネ瓶の中の世界



 そのとき俺は確か小学校五年生で、宿題なんて存在を忘れて夏休みを満喫していた。毎日六時に起きて近くの公園に行きラジオ体操をするのが日課。そしてそれが終わったあと、家で兄とゲームをやりながら昼になるのを待つ。そして昼になると外へ出て蝉取りをしてみたり、近所の友達を集めてキックベースやハンドベースをしてみたり色々することはたくさんあった。思えばあの頃が一番楽しくて、何と言うか、夏らしさを感じてたんだろうな。
 その日も俺は時計の針が一時を指した頃、家を飛び出して公園へと向かった。公園に行けば大抵友達の一人や二人はそこに居るはずなのだ。だけど公園の入り口の門を通ったところで、公園内に知ってる友達の姿は見受けられなかった。何だ、皆いないのか……つまらないやと溜息をつき、仕方が無いので誰かを待ってようとベンチに座ったときだった。

 一言でいうなら、線の細い美少女。同じ年くらいだと思うけど、少し大人びた表情で物憂げな大きな瞳が目立つ。小さな頭にかぶった麦藁帽子が凄く似合っていて、そして日に焼けていない肌が眩しいほど白い。肩甲骨あたりまで伸ばした色素の薄い髪は風に靡いて、サラサラと音が聞こえてきそうだ。そんな女の子がいつの間に、俺の隣に座っていた。「うわっ!」驚きのあまり、失礼極まりない声をあげてしまったが、女の子は大して気にしてない様子で俺を見る。それは無表情で、少しも感情が感じ取れなかった。
「ご、ごめん」
 慌てて謝ると女の子は少し首を傾げ「別に気にしてないわ」と細く、だけど美しい声で呟いた。実はこの女の子は俺と同じくらいに見えるだけで、大人なんじゃないか? と思わせるような声調だった。それにしても自慢じゃないが俺はこの公園にかなり入り浸っているけど、こんな女の子見たことが無い。夏休みということもあり、親戚の家に遊びに来ているのだろうか? 不思議に思い、
「家とかってどこらへん?」
 と訊ねると、女の子は
「あたしの家はこの町には無いわ。今は従兄弟の家に遊びに来てるの。従兄弟の家も、ここからはかなり遠いのよ」
 と変わらない表情のまま、淡々と言った。
「へ、へー……そうなんだ」
 と馬鹿みたいな相槌をうつと「そうよ」と女の子は遠くを見るような目をして言った。

 昼時ということもあり、日差しが痛いほどささる。滑り台やブランコのもち手など、金属の部分は火傷するんじゃないかというくらい熱くなるのだ。

 そんな中、俺と女の子の夏休みが始まった。


***


 ジージーと蝉が何かを主張するみたく鳴いている。俺は気まずさのあまり、視線をあちらこちらへと動かしてその場を凌いでいた。この女の子と話が続く気がしない……早く誰か来いよ、皆何やってんだよ……と心の中でぶつぶつと文句をたれる。当時の俺は気づいてなかったが、その日は学校でプール課外があり、友達は皆そっちへ行ってしまったのだった。俺は夏休み前の先生の話なんてちっとも聞かなかったため、こんなことになってしまっていたのだ。そんなことは露知らず、誰か来ないかなと願ってると「ねぇ」と隣の女の子が声をあげた。
「何?」
 慌てて聞き返すとその女の子はじいっと俺を見て
「今日一日しかこの町に来られないから、思い出が作りたいの」
 と呟くように言った。その声は感情が含まれてない淡々としたものだったんだろうけど、俺には凄く寂しそうに聞こえて、
「分かった」
 と言ってしまったのだった。

 公園にたってる時計はもう一時半を過ぎていて、家を出てからもう三十分もたったんだと実感した。
じゃあ蝉取りしようぜ! とか女の子にさせる遊びじゃないだろって突っ込まれそうな馬鹿な発言に、その女の子は「うん、楽しそうね」と呟いた。多分真意じゃないと思う。
「あ……っと、ところで名前は?」
 忘れていたことを女の子に聞くと、首を傾げて俺を見つめながら、
「ひいらぎ、みちる。木に冬でひいらぎ、みちるはカタカナ」
 と言った。柊ミチル。何か不思議な雰囲気のする名前だった。
「俺は白井翼。俺はミチルって呼ぶから、翼って呼んでくれて構わないから」
 当時俺はかなり男女関係なく仲良くできるタイプで、女子のことを下の名前で呼ぶことなんて普通に出来ていた。中学に入り、思春期に差し掛かってからはなんとなく恥ずかしくなり出来なくなったのだが。
「つ、ばさ」
 片言なミチルの呼び方に、思わず笑ってしまう。そしてその細い手をつかみ、
「公園のアスレチックの下に虫取り網とカゴ隠してあるんだ! 取りに行こうぜ!」
 そう言うとミチルは何も言わず、俺に手を引かれながら駆け出した。色素の薄い髪がゆらゆらと揺れる。あ、綺麗だなとか幼いながら思っていた。

 アスレチックの下に隠しておいた虫取り網とカゴを二個ずつとり、ミチルに渡す。小柄でいかにも大切に育てられましたという雰囲気を醸し出しているミチルには不釣合いなそれを、珍しいものでも見るような目で見ている。
「蝉なんて結構そこらにいるから! ジージー鳴いてるだろ?」
 そう言うとミチルは「うん」と頷いてぎゅっと虫取り網のもち手を握る。本当白いな、とか思いながら俺はミチルの細い腕に目を奪われた。


***



 木にとまっている蝉目掛けて虫取り網を振る。パンッという音をたてて網が蝉を捕らえる。「よっし! ミチル、蝉取れた!」そうミチルに言うと、無表情に少し驚愕の色を塗ったような顔をして「凄い……蝉ってそんな姿をしてるのね」と呟いた。
「ミチルは蝉、見たことなかったの?」
 そう聞くとミチルは自身の麦藁帽子に触れながら
「そうね、あたしあまり外で遊ぶってことをしたことないから」
 と言い、少し寂しそうな顔をした……気がした。「そっか」と言い、ミチルの頭に触れる。麦藁帽子のざらざらが少し掌が痛いなと思った。何となく気まずく感じ、大きな木に止まっている蝉を指差し「ミチル! 蝉! 捕まえてみろよ!」
 ミチルは「うん」と少しだけ声を大きくさせ、虫取り網を握り締める。そして細くて白い足で駆け出し、大きな木へと向かう。ゆらゆらとミチルの髪が揺れて何かカーテンみたいだなと思った。そしてミチルは細い腕で少し危なっかしげに網を振り、蝉を捕らえる。
「あっ……! やった……!」
 ミチルが細い声で歓喜の声をあげる。そして続くように、
「翼、あたし、捕まえられた」
 と確かめるように言う。その表情は綺麗な笑顔だった。「凄いよミチル!」そう言って駆け寄るとミチルは笑顔で「うん!」と俺の手を握った。真っ白なミチルの手は、俺の予想に反して少し温かかった。

 喜びの余韻に浸ってしばらくして、時計の針が四時半を過ぎていることに気がついた。え? さっきまで一時半だったのに……と改めて時が経つのは早いんだなと実感する。ミチルも時計を見て、
「あ、あたしもう帰らなきゃ」
 と言う。さっきまでと同じ、感情の含まれてない声。そしてミチルは言葉を続ける。
「あたしのお父さんとお母さんって“りこん”するんだって。それで、あたしはお母さんと一緒に暮らすから、お父さん系列のこの町の従兄弟の家に来ることは二度とないんだって。だから翼と遊べるのは今日が最後」
 頭の悪い俺にはいまいち分からなかったけど、もうミチルと遊ぶことは出来ないんだなと思うとやっぱり少し寂しかった。
「でもあたし、会いに来るから」
 意思の強そうなミチルの声。俺はそれに
「いつでも来いよ、待ってるから」
 と答えたのだ。そしてミチルは少し笑い、スカートの裾を翻しながら俺に背を向け、歩き始める。その背中に何か言葉をかけようとしたけど、言葉が見つからない。ミチルの麦藁帽子と髪がゆらゆら揺れる。俺はそれが見えなくなるまで見送った。

 *

 ジージー、蝉が煩い。今年の夏休みは高校受験というものを控えているため、つまらない。
この時期になるといつも思い出す。ミチルと過ごした、一日。大した思い出は無い。ただ蝉を捕まえて、それを誉めただけ。だけど俺にとってはかなり印象に残る夏だった。

「あっついな……」
 独り言を洩らしながらミチルと蝉取りしたあの公園のあのベンチに俺は座っている。別に思い出に浸りにきたわけじゃない。クラスの友達が『図書館で勉強って何か頭良さげで良くない? しようぜ!』とか言い出したので、それの待ち合わせのためだ。だけど待ち合わせの十分前にその公園についてしまったので、やることも無くただ暇をつぶす。
 
 と、そのときだった。
「暑いね、今日は」
 細い女の声が背後から聞こえた。慌てて後ろを振り返ると、
「あ……?」
 色素の薄い髪、人形みたいに整った綺麗な顔、細くて白い体。
「暑いね、翼。ラムネでもどう? あたし二本持ってるの」
 そう言ってラムネ瓶を二本見せる。カラカラ、中のビー玉の揺れる音。
「今年も蝉がうるさいんだねぇ……」
 懐かしそうにその人は言うから、
「あの夏も煩かったけどね」
 と答えた。するとその人は
「そうね、そんな煩いものをあたしは捕まえたのね」
 とクスクス笑う。

 ラムネ瓶が太陽光を反射して、キラキラ光る。俺はベンチの背後にいる彼女から目が離せなくなった。


(ラムネ瓶の中の世界)