白雪姫はりんご嫌い はるた ◆On3a/2Di9o /作

【81】大嫌いな好きな人
スニーカーで地面を蹴ると、乾いた音が響いた。眩しいので、目を細めて上を向くとまるで濃い絵の具で塗りたくったような青い空が広がっている。ジリジリと照りつける太陽の日差しが熱過ぎて痛い。コンクリートも熱を持って、道を見渡すと陽炎がゆらゆらとしていた。
“五十点以下の点数を取った物は夏休みの補習に強制参加!”と銘打たれた数学の授業中行われた小テストで、あたしは四十九点という限りなく惜しすぎる点数を取ってしまったため、こうして嫌々朝八時に起きて学校に来なければいけなくなってしまったのだ。
「もう最悪……」
独り言を呟きながら学校の正門前に立つ。確か二週間ぶりの学校だ。懐かしさとかがわくより、面倒臭いなあと溜息をついた。
昇降口は掃除をしていなからだろうか、砂埃が少したまっていてジャリジャリと音をたてる。それを掃いながら上履きに履き替え、階段をあがる。途中の踊り場に貼ってある、人権標語のポスターは剥がれかかっていて、今にも落ちそうだった。
補習の行われる三年四組の教室には、もう十人程の生徒が着ていた。仲の良い子を探すけど、一人もいなくてあたしは一人で席に着いた。バックからノートと筆箱を出し、頬杖をついてぼーっとする。多分、今のあたしの顔はさぞかしつまらない! と宣言しているのだろう。実際早く帰りたくてたまらない。数学なんて、一番嫌いな教科なのだ。それなのに、補習に出なくちゃいけないなんて……と溜息がまた出た。
そのとき、ガラガラと教室の戸が音をたてて開いた。あたしはハッとしてそちらに目を向ける。……入ってきたのは、前原明良だった。明良とは小学校低学年のときに遊んだ記憶があるけど、きっと向こうは覚えていないだろう。幼馴染っていうのだろうか、こういうのを。仮に幼馴染だとしても、よく漫画や小説に出てくるような仲の良い幼馴染ではなかった。
廊下ですれ違う度、厭味の言い合い。あいつは女子のあたしにも手加減しないし、あたしだって勿論手加減しない。それに何の間違いかしらないけど同じテニス部に入ってしまい、どっちが上手いかをはっきりさせるため、試合をしたことだってあった。結局あたしが負けて(女子なのだから当たり前だ)、明良は意地悪な笑顔をあたしに見せつけてくれたりしたけど。
「げっ……掛川桜……」
明良はあたしと目が合うなり、そう呟いた。
「朝っぱらからあんたと会うなんて、朝ごはんにカレー食べてる気分よ」
そう言ってやると、明良は「今日俺、朝ごはんカレーだったけど」とか見当違いのことを言って、あたしを呆れさせた。そして明良は何でだかしらないけれど空いていたあたしの隣の席に座ったのだ。
「何でここに座るのよ、あっち行ってよ」
「うるせーな! この席が一番、クーラーが当たるんだよ!」
そうなのだ。この教室には、後方中央にクーラーが設置されていて、あたしも風が一番あたる席を選んで座ったのだ。……考えていること一緒だったのか、と泣きたくなった。
***
しばらくすると先生が「おおーもう集まってるみたいだね!」とか言いながら教室に入ってきて、ミニタオルで顔の汗を拭いていた。数学の先生は少し太り気味の男の先生で、歳のせいもあるのだろう、最近頭が薄くなってきていることを気にしているらしい。
補習に来た生徒は十五人で、五十点以下を取った人はそれだけしかいなかったのか……と少し落ち込んだ。ちなみにあたしの学年の人数は百七十人である。
そして先生が数式のびっちりと書かれたプリントを配り、あたしはそれに目を通す。どうやら一学期の復習で、因数分解と素因数分解の問題がかなり多い。まあ、今年は中学三年生で受験も控えているということもあり、苦手をなくしておこうというのが先生の考えだろう。
「あー全然分からんー」
明良はそう言ってシャーペンを指でくるくると回す。
「馬鹿なことしてないで問題に手をつけてみたらどう?」
そう言うと明良は眉を吊り上げて「うるせえ馬鹿っお前もわかんないくせに!」と言い返してきた。
「何!? 一生懸命問題を解こうともしていない人間にそんなこと言われたくないんだけど! あたしはもう五問といてるんだよねっ」
だから嫌だったのだこいつの隣は。元々嫌いな数学を、嫌いな奴の隣で解いたらそれはそれはつまらないことこの上ない。あたしは明良の存在を無かったことにして、シャーペンを走らせた……つもりだったけど、分からない問題が多すぎてシャーペンを動かす手が止まり気味だ。
クーラーの効いた教室はとても快適で、凄く涼しい。ふと窓の外を見ると、青い空が広がっている。外で見るのと室内で見るのとじゃ全然違うなーと思わずぼーっとしてしまう。
「なあ掛川」
明良が不意にあたしの名前を呼ぶ。
「何?」
「勝負しようぜ、勝負! どっちが先にこのプリントを解けるか! 負けたほう、帰りにジュース奢りな! じゃあ、よーいスタート!」
明良はそう言い放ち、くるくると回していたシャーペンをしっかりと持ち直し、数式を解いていく。
「あっいきなりはずるい!」
そう反論しても明良は聞こえないとでも言うように、あたしの声を無視する。あたしだって負けていられないから間違ってるだろうけど、とりあえず問題を解いていく。カツカツとシャーペンの先がプリントにあたる音が教室中に響き渡る。うるさかったのはあたしと明良だけだったのか。
「終わった!」
そう先に声をあげたのは明良で、あたしはちょうど最後の問題を解いているときだった。
「おお、前原君、終わったの?」
先生がそう言って明良の方に歩み寄り、プリントを手に取る。
「じゃあ答え渡すから帰っていいよ」
先生は笑顔でそう言い、それが感染したように明良も笑顔であたしを見る。
「ジュース、奢りな!」
いつもみたいな、意地悪い笑顔。あー心底腹立たしい。あたしは一問差で負けて(あのテニスの時のようだ)、こいつのためにジュースを買わなければいけないのだ。
「もう最悪……」
そう呟いて溜息をついた。
***
帰りも行きと同じように暑く、馬鹿みたいに太陽が照り付けている。もっと最悪なのは馬鹿みたいな賭けのせいでこいつと一緒に帰らなくてはならなくなったことだ。……そういえば家の方向一緒なんだっけ、幼馴染なんだからそうだよね……まあ向こうは忘れてるだろうけど……と心の中でぶつぶつと呟く。
「俺サイダーが飲みたい」
明良はそう言ってあたしの顔を見る。何かむかついたので大袈裟なくらいに顔を逸らした。……というか顔だけは良い、こいつがむかつく。顔は良いのに性格が駄目なこいつが嫌いで嫌いで仕方が無かった。
自動販売機は住宅街の一角にたっていた。マンションや家がたちならび、昼時ということもあるだろう、子供の甲高い話し声がたまに聞こえてくる。
「何だっけ? サイダー? 感謝しなさいよねったく……」
そう言って明良のことを睨むと「とっとと買えよ」と言い返された。何か無性に腹が立つ。
とりあえず千円札を財布から出して自動販売機にいれ、サイダーとあたしが飲む用にオレンジジュースのボタンを押す。ピッという機械音の後に、ガコンッという音がして取り出し口にジュースが落ちてきた。それを取り、明良にサイダーを差し出すと「サンキュー」と、またあの意地悪な笑顔を見せる。
「あれ? 明良ー?」
不意に背後から少し聞き覚えのある女の声がした。振り向くと……確か隣のクラスの佐伯さん、だったと思う。自転車に乗った佐伯さんは、何と言うかとてもギャルっぽい……派手な服に身を包んでいた。
「おお! 里香じゃん!」
何でかしらないけどえっ? って思った。明良が女の子を下の名前で呼んでる。どうしてだろう。あたしは何故かその光景を見たくなくて、顔を背けて手に持ったジュースをじーっと見ていた。
「何? 明良ー彼女? ごめんねアタシ邪魔しちゃったみたいだねっー!」
ケラケラ笑う佐伯さんはそう言って「ばいばい明良!」と言って自転車をこいで去っていった。カラカラ、チェーンとペダルの音が聞こえる。
「……仲、良いんだね今の子と」
ふと、訊ねてみると明良は不思議そうな顔になり、
「誰とでもあんな感じだけど」
と“何でこんなこと聞かれてるんだろう”というような表情で首を傾げた。ざわざわざわ、胸の中がうるさい。暑いというのに、何でか体全体の温度が下がったような気さえした。
「……誰とでもあんな感じなのに……」
あたしとは“あんな感じ”で話してくれないんだね。そう言いたかったのに言葉が詰まる。大嫌いな明良を目の前にして、あたしはかなり動揺してるみたいだ。
「別にお前に関係ねーだろ! もう良いから帰ろうぜ!」
明良はいつもの調子でそう言う。……というか、一緒に帰るのは決定事項なのか。あたしも「別にあんたと関係なんて持ちたくないわよ!」と言い返したかったけど、この胸のざわざわとした正体を知ってしまったから、もう明良のことを今までみたいに見れなくなっていた。
――ねえ、知ってる? 人って簡単に恋に落ちるのよ。
誰だっけ、誰かがそう言っていたのを不意に思い出した。当時のあたしは「嘘つけ、簡単に恋に落ちるんだったら毎日好きな人が変わって大変だろ」なんて思っていたが、今思うとそのとおりだと思う。
「どうした? 掛川、何かさっきから変。きもいのが更にきもい」
明良はそう言ってニヤニヤとあの意地悪い笑顔を見せるから、思わずあたしも笑った。きっとあたしの心は、あたしがこの想いに気付くのをずっと待っていたのだ。
蝉がうるさい、青い空の夏の日。
大嫌いな人が、好きな人に変わった……気がする。
(大嫌いな好きな人)
お題提供:peachさん「ずっと待ってた」「他の女の子といるなんて」

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