コメディ・ライト小説(新)

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最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
日時: 2025/06/22 21:01
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 毎週日曜日更新。
 ※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。

*ご挨拶

 初めまして、またはこんにちは。瑚雲こぐもと申します!

 こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
 ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
 しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
 よろしくお願いします!



*目次

 一気読み >>1-
 プロローグ >>1

■第1章「兄妹」

 ・第001次元~第003次元 >>2-4 
 〇「花の降る町」編 >>5-7
 〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
 ・第023次元 >>26
 〇「君を待つ木花」編 >>27-46
 ・第044次元~第051次元 >>47-56
 〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
 ・第074次元~第075次元 >>83-84
 〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
 ・第098次元~第100次元 >>107-111
 〇「純眼の悪女」編 >>113-131
 ・第120次元〜第124次元 >>132-136
 〇「時の止む都」編 >>137-175
 ・第158次元〜 >>176-


■第2章「  」


■最終章「  」



*お知らせ

 2017.11.13 MON 執筆開始
 2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
 2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
 2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
 2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞

 
 ──これは運命に抗う義兄妹の戦記
 

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.172 )
日時: 2025/06/01 18:14
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第154次元 時の止む都30

 これまでに感じたことのない痛みだった。
 ロクアンズの頭の中では断続的に、鈍痛が響いている。心臓は激しく脈打ち、元力の枯渇した血液がすさまじい速さで体内の隅々まで巡っている。重心を支えていなければ、地面の下に沈んでしまうのではないかと不安に駆られるほど、身体全体が重たくなった。

(なにが、起こっ……)

 サオーリオにいたときからどうも、ずっと、調子がおかしい。知らない頭痛がしている。まるで胃から逆流したものをすかさず喉から下へ押し戻すように、静かに寄せては返す暗い海の波のように、頭の中心にとどまり続けている不安感が、緩やかにロクを締めつけている。
 思い当たる節はないはずだった。

『さようならね』

 ふいに、だれかの声が頭の中で響く。

『あなたと私は、もう二度と会うことはないでしょう。幸せだったわ。私のもとへ来てくれて、ありがとう』

 だれかが目の前にいて、自分に声をかけている、そんな光景だった。頭のてっぺんから、足の爪先まで、しっとりと雨水に濡れていくような寒気が肌を撫でた。

『あなたの幸せを願っています、』
 
 ──"ロクアンズ"。声の主が、そう言ったように聞こえた。

 雷鳴。

 エントリアを覆う暗雲に一筋の雷光が迸り、広い街路の上を、その光の大塊が穿った。落雷だ。落ちたのは、クレッタの立っている位置から近く、無防備にしていたクレッタは咄嗟に飛びのいた。
 半円状の大きな穴が地面に空いて、黒い煙が逆立った。

 ぽつりと、空から落ちてきた雨粒が、ロクの頬を濡らす。途端に、篠突くような雨が降りだした。
 ロクは左目をいっぱいに見開き、驚愕と困惑の色をその目に浮かべていた。

(あれ、いまの、あたしの力じゃ、)

 ない。鼓動が逸る。
 元力はもうわずかにしか残っていなかったはずだ。だって術は発動できなかった。なのに、ロクの心臓はどくどくとうるさくて、血が巡って、なにかを強く主張しているみたいだった。

(──だれの力……?)

 ロクの瞳が揺らぐ。
 クレッタのため息が聞こえてきて、ロクははっと我に返った。

「驚かせンなよ」

 クレッタは口を尖らせて、そう言いながら、レトヴェールの首根っこを掴む。彼はされるがまま、ぶらりと頭を垂れた。また彼に暴力を振るわれるかと恐怖したロクの喉はぐっと締まったが、彼女は反射的に口を開いていた。

「待って!」

 ロクが、目尻をきつく釣りあげて叫んだそのときだった。彼女の全身から猛烈な電気が飛散し、地上をすばやく滑走してクレッタの脚元を焼き払った。クレッタはまたしても反応が遅れた。ついレトの首を離し、跳びあがったあとに、大きく舌打ちを鳴らした。

 身体中に電気の糸を纏わせる。四肢に鞭打って、ロクは立ちあがった。
 どこから湧いているのか、ロクにはまったくわからなかった。しかし間違いなく元力だった。拳を握り締めれば、雷光が飛散するのを、彼女はぼうっとした目で見下ろした。

 長い耳に小指を突っこんで、クレッタはけだるげに言った。

「もう用はない。そいつを殺したら帰──」

 頬が裂け、黒い血潮が跳んだ。緩慢に首をねじったクレッタは、ロクが距離を詰めてきていて、電気を纏った腕で殴りかかってきたのだとわかった。
 クレッタはすかさずロクの腕を強い力で掴んだ。しかし空いたほうの腕でロクは今度こそ、クレッタの頬を殴りつけた。すると、電気の力で勢いづいたのか、クレッタの身体がねじれて飛んだ。横転したクレッタだったが、指先がぴくりと跳ねた。一瞬にして爪が長く伸びて、クレッタは前動作もなしに、筋力だけで跳びあがった。そしてまるで獣の鉤爪のような鋭利な光を放つそれを振りかぶり、ロクに襲いかかった。
 ロクは、肉薄したクレッタの爪の矛先をすんでのところで躱し、手首を掴んだ。なにも口にしなかった。彼女の手からは、烈火のごとく、雷撃が噴出した。

「ヴアアア」

 クレッタは顎を天に突きあげ、絶叫する。顔の輪郭がぶれ、首が左右にがくがくと揺れて、クレッタは絶えず鳴き喚いた。

「オマエ! オマエ゛! なンだ!!」

 鼻の先がつくほどの至近距離で、クレッタはロクに怒号を浴びせる。すると、クレッタの両肩がぼこりと音を立てていかった。ぼこり、ぼこりと、骨が膨らんで、ずらして、徐々に身体の形を変えていく。クレッタは熊のような太い胴と手足、牛の角を頭に据え、そして背中にはたくましい竜翼を広げた。荒息を吐き、眼下のロクに向かって腕を振り下ろす! ロクが飛び退くと、拳が地面に叩き込まれて陥没した。
 矢継ぎ早に、強烈な殴打が目にも止まらぬ速さで降り注ぐ。電気の糸が、残光を引く。踊るように躱す。いなす。喰らう。けれど倒れず、鋭い眼光でクレッタを睨みつけると、燦燦とした雷光が放たれた。
 クレッタと格闘を繰り広げるロクの動きは、電気で筋肉を刺激しているのか、目で捉えられない瞬間があるくらいに俊敏だった。
 地面に伏しているコルドは、起きあがろうとしていたが、ロクの姿に釘づけになっていた。正確には、まるで彼女らしくない動きを目の当たりにして、驚いていた。

(ロク、なのか……?)

 妙に、視界が広い。左目だけのロクの視界は常に、右側が不明瞭だったのに、長年付き合ってきた不利な景色を忘れてしまいそうなほどに、徐々に鮮明になる。
 けれど、頭の痛みは増すばかりで、一向に引く気配がないのだ。それどころか、痛みは収束して、塊みたいになって、頭の中心に寄り集まってくる。ずっとずっと、そこでなにかが響いていた。

 目の前の人間の目の色が変わったことには、クレッタは気づいていた。そしてなぜだか、この人間に喰われそうだ、という野生の勘が働いていた。にじり寄ってくる本能的なそれは恐怖とは違っていた。まるで、得体の知れない生き物と遭遇したときに湧いてくるような警戒心だ。
 判然としない。気味が悪い。むしゃくしゃする。クレッタは底知れない心地悪さに、無意識のうちに低く唸っていた。
 そして、ぷつりと目尻の血管を切らし、白目を剥くと、クレッタは腹の底にためていた渾身の力を振るった。

「アア──! ヴアア゛ッ!」

 太い腕が存分に振るわれる。ついにロクは、反応ができなかった。咄嗟に、腕で顔を覆ったものの、襲いかかってきた猛威に身体が弾けた。ロクは高く飛びあがり、弧を描いて空を舞うと、地面の上にぐしゃりと落下した。
 クレッタは鼻の穴も、口も広げて、呼吸を荒くしていた。
 
「ハア、ハア」 
 
 ロクはすかさず、雷を焚いて、四肢を叱咤する。立て。起きあがれ、と。命令は一瞬にして全身を巡り、頭に、腕に、胸に、脚に、意思を点火する。彼女はふたたび立ちあがろうとしていた。
 しかしぴたりと動きが止まってしまう。ロクは飛びこんできた光景に瞠目した。
 見ればクレッタが、倒れているレトを目がけて、怒涛の勢いで地の上を走っていた。

「オマエがいるから、この国のヤツらは、喚き立つ。また殺してやるよ! ヒトリ残さず! 跡形もなく! 殴って引き裂いてちぎってブザマに、殺してやるんだ!!」

 心臓が跳ねる。見開いた左の目は、瞬きができず、逸らせず、義兄の潰れてでこぼこになった顔を直視した。
 口だけが動いた。

「だめだ」

 電気の糸が舞う。 

「──、レトっ!!」

 力で無理やりに動かした棒のような手足よりも、ずっと痛いままの頭よりも、高鳴る心臓を真っ先に連れて、ロクは走った。

 そのとき。
 目の前で雷光が爆ぜた。
 光に包まれたロクは、この一瞬。
 白い世界の中で一人だった。


 痛かったのは頭ではなく右の目だったのだと、ようやく気がついた。


 眩い光が天上から一直線に落ちて地を穿つ。残光が空を真っ二つに裂いた。一本の光の大槍は、クレッタの脳天を突くとただちに爆発するように膨張した。天から下された巨雷の鉄槌がクレッタを殴打する。人間より遥かに大きな身体を持つクレッタがまるで豆粒かのように圧倒的な質量で、雷撃は神の身を塵芥にせんと燃え盛る。

 若草色の前髪が、風に弄ばれて揺れた。
 雷を呼んだ少女は瞳孔をかっ開き、硬直していた。
 
 視界が、広い。
 星を数えられるほどに鮮明で、本当の景色を映し出していて、けれど彼女の意識は内側にあった。


「────」


 このとき、ロクアンズは失っていたすべての記憶を思い出した。


「………………──え……?」


 巨雷の渦の中、クレッタは、全身の輪郭が消し飛ばされるかと錯覚するほどの激痛に耐えていた。猛火のごとく盛る電撃が、皮を焼き、肉を焦がし、骨を溶かすのだ。雷の勢力はとどまるところを知らず、拍車をかけて激しくなっていく。

「、ォ、ォ、ォ゛!」

 しかしロクは、クレッタには目もくれず、立ち尽くしたまま、俯いていた。
 片手は右目を覆っていて、その腕ごと小刻みに震えていた。頭も脚もがたがたと揺れだしていた。それは、雨粒と冷や汗の混ざったものが肌を濡らしたせいではなかった。

「……あ、ああ。あ……っ」

 彼女の口元が、はく、はくと、開閉する。衣服をぐしゃりと掴んで胸を抑える。なにか吐き出したがっていた。けれど出てきたのは、言葉にならない声ばかりだった。どこにも焦点が合っていない左の瞳も曇っている。呆然としているのか、動揺しているのかもわからないような彼女の表情には、ただ暗い影が落ちていた。

「うそ。わたし、私は」

 そう呟く声が雨の音にかき消された。
 
 すると突如、彼女の足元が陥没して地面の下から十数本もの木の根の群れが飛び出した。
 彼女は、咄嗟を利かせて高く跳びあがり、回避した。その拍子に巨雷の柱がふっと収束し、細い電気の糸を残して、瞬く間に立ち消えた。雷の渦中からようやく解放されるや否や、クレッタはけたたましく喚き散らした。それから歯茎まで剥き出しにして、脱兎のごとく地上を疾走し、猛烈な速度をもって彼女に迫った。

 しかし、視界の先ではすでに、雷を生み出すあの手のひらが待ち構えていた。

「オイ、その目」

 クレッタの口から想像もできないほどの静かな声が、ふいにこぼれ落ちた。
 金色の光が彼女の顔を照らしだす。轟く雷鳴が耳に差す。横殴りの雨風が、ごうと吹き荒れる、まさにそのときだった。

「オマエ、いたのかよ」
 
 若草色の前髪がめくれあがってそれが見えた。

 
裏切者うらぎりもんの……──【心情神(ハルエール)】ッ!」


 開かれた右の瞳は、血に濡れたような鮮やかな赤色だった。

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.173 )
日時: 2025/06/01 18:22
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第155次元 時の止む都31

 赤い瞳が光る。
 その艶やかで、いたく鋭い眼光は、いくら雨足が強くなっていこうとも、月明りが曇ってしまっても、なおも煌々と輝いて、迫りくる生命の神を真っ向から射抜いた。
 激しい雨が地面を叩く。暗雲の間をやみくもに駆けた雷光が、街中のいたる場所に次から次へと降り落ちる。
 高く跳びあがって八重歯を見せつけてきたクレッタを仰ぎ見て、ロクアンズは片手を掲げた。
 
「八元解錠」

 彼女は扉を開く。

「──"雷撃らいげき"!」

 巨大に膨張した雷電の塊が解き放たれ、光を浴びたクレッタが燃え盛った。クレッタは口を縦一杯に開けて絶叫する。その質量の余力をいったいどこに隠し持っていたのだろうか。彼女だけではない。天候さえ豹変し、嵐のように強い雨風が吹き荒れている。
 一瞬のうちに、クレッタの外皮は真っ黒焦げになる。灰塵も同然の肉体は、ただの黒い塊に変えられて、ぼろ雑巾のように落っこちた。直後だった。黒い塊がうごうごと身動ぎをしだす。そして何度も地面の上を跳ね、焦げた皮膚を剥がす。ぼこぼこと音を立てながら伸び縮みしていると、やがて頭が膨らみ、手足も伸びてくる。
 しかし赤い眼差しは看過しなかった。
 眩い一閃。力を圧縮させた細い雷の砲撃がまっすぐに飛んで、いびつな黒い塊のままのクレッタに突き刺さった。そのまま、地面と並行に、クレッタは中空を横っ飛びする。その速さは凄まじかった。あっという間に、クレッタは東門の城壁と衝突した。

 左右で長さの違う手で、積み上がった瓦礫の山肌を掴むクレッタが、のっそりと這い出てくる。
 かろうじて二足歩行の生物の外形をとっていた。が、すぐに背骨が柔らかく曲がって、身体と脚の長さが変形する。より速く、より遠くまで走れる肉体に替える。しかし走り出せなかった。ぴりっとした鋭い気配を感じ取り、耳が立つ。視界を動かすと、その奥から、目に痛いような光を纏った人影が、人間には出せない速度で地面を蹴って迫ってきた。雷光だ。雷を纏ったロクが、地面を踏みこんで、跳躍する。残光が斜線を描いて空を裂き、その脚を張って彼女はクレッタを蹴り飛ばした。

 ごうと低く唸る雷鳴が、一向に止まずにあたりに轟いていて、チェシアは失いかけていた意識を明らかにした。
 瓦礫の山の中から下半身を引き抜いて、彼女はようやく地に足をつけたのだが、その目に映ったのはロクがクレッタらしき生物と差し向かいになって、そして攻撃の手を緩めず果敢に戦っている様だった。状況を読み取るのに困難したチェシアは、唖然としてしまった。
 北門から視線を捧げるラッドウールも、巨大な鹿の姿をしていたクレッタが街を横断して疾走しているのを目にしてから合流を目指していたが、その道中で、天気がおかしくなったことに気がついていた。
 
「……ロク──……?」

 落雷が、すぐ近くの地点を強打して、キールアは高い声をあげて身体を逸らした。この場を離れてようとしても意味はないのだろう。まるで突然嵐が訪れたかのような、横殴りの豪雨と降りしきる落雷が、街中を襲っているのだ。
 キールアは遠くの空に、幾度となく瞬く雷光を、不安げな瞳で見つめていた。


 ──危険信号はとっくに鳴りだしていた。


 神が、外皮を焦がされ、骨を痺れさせ、胴を貫かれ、頭を殴られ、再生も変形も許されず一方的な暴力を許容しているなどと、天地がひっくり返っても認められるはずがなかった。クレッタは、はらわたが煮えくりかえるほどの憎しみを育てていたが、それを吐き出す隙さえなく電撃は降った。
 赤い視線がかち合う。

 このままでは、"殺される"。クレッタの憎しみとは裏腹に、全細胞が危険を知らせるように沸き立っていた。

 クレッタはすばやく思考を巡らせた。走ろうとすれば脚を焼かれて、叫ぼうと口を開けば喉を焼かれる。無論、植物を操ろうとするものならば、火を灯したような熱い切っ先をした電撃で斬り捨てられるだろう。
 高い空を見つめ、クレッタは逃走の手を決めた。雷撃を受ける、それが捨て身になってでも、クレッタは背中に小さな翼をたくわえた。そして彼女の一挙手一投足を眼と耳で観察する。彼女が片腕を突き出したそのとき、もう片腕が後ろへ振り切るのを目で見て、身体の重心がもっとも地面に負荷をかけた瞬間を足のつま先で感じ取って、両目で瞬きをする音を聞き分けた。野生の勘が"ここだ"と告げる。すかさず、クレッタは翼を大きく広げて、飛び立った。

 身体の形は飛行しながら操作するしかなく、クレッタは急いで鳥本来の体格へと変形した。そして暗雲に紛れてしまえるまで高く、疾く、ぐんぐんと高度を上げて飛翔した。
 しかし。ロクの赤い目に映る景色は恐ろしく鮮明だった。彼女は空に手を翳す。豆粒大にまで小さくなったクレッタの目頭に眩い光が降る。雷鳴。激しい爆音を伴った落雷が飛ぶ鳥を叩き落とした。

 黒い煙をあげる消し炭のような小さな塊が、真っ逆さまに落下する。

 ロクは赤い目をぎらつかせて、ゆっくり足を動かした。一歩、また一歩と、しっかりとした足どりで向かった先はクレッタの落下地点だ。
 しかしロクは、道中でぴたと足を止めた。そしてまだ空中にいるクレッタを視界の真ん中に捉えてから、自身の腕を見下ろした。
 纏っていた電気がふいに立ち消える。
 彼女が小さな口でわずかに息を吸う。すると、右目の赤色はより濃密に、より色鮮やかに光を放った。

 落下するクレッタに焦点を合わせ、詠唱する。


「────"呪記じゅき零条れいじょう"」


 黒い消し炭と化したクレッタは"それ"の気配を感じ取って我が身をがたがたと震わせた。
 "それ"がどのような呪いであるかを知っているのだ。
 鳴り続けている危険信号が一層激しくがなる。クレッタは、ふたたび鳥の姿に戻ってゆきながら、空の上からロクを睨みつけて号哭した。

「クソクソクソクソッ、オマエェ──ッ!!」

 突然、クレッタの落下地点から、無数の木の根、あらゆる植物が地面を割って噴き出した。怒涛の勢いで急成長し、それらは東門の方角に向かって幹や茎を伸ばす。そして気絶しているアイムを乱暴に捕まえると、ばねのように反動を利かせて、巨体のアイムを投げ飛ばした。
 旋回しながら宙を飛んだアイムはついに、クレッタの落下地点──ロクの視界の中央に到達した。
 
 次の瞬間。
 ──異様な紋様が、アイムの白い皮膚の上に刻みこまれる。紋様は崩した文字の羅列のようだったが、現代語ではなかった。紋様は徐々に、不安を誘うような赤黒い色合いに変色して、まるでアイムを侵食するかのように幾重にも折り重なって滲んでいく。
 最後に、赤い目が覆い隠されて、やがて完全に赤黒色の薄膜にアイムが包みこまれると──
 
 四散。

 衝撃的な光景だった。アイムの身体が酷く凄惨に、しかし花開くようにも大きく弾け飛んで、散る。撒かれた肉体はもはや雨粒と相違ないほどに細切れだった。十尺はあった胴体も、九本の触手も、おかしく並んだ目鼻立ちも、なにもかもばらばらになって飛び散った。
 降る雨粒に、黒い血潮が覆い被さった。

 ばたばと降る雨音だけが、街中を包みこむ。あとに残った黒い液体の水溜りはすぐに、雨水に流されて、消えてしまった。しかしぼんやりと地面を見つめていれば、その液体は雨水とは混ざらずに、ひとりでに蒸発したようにも見えた。
 気がつくと、クレッタの姿はもうどこにもなかった。おそらく暗雲の向こうに消えていったのだろう、目で追える距離にはもういなくて、街の中へと視線を戻した。

 ロクは踵を返し、ゆっくりと歩きだした。
 足どりは覚束ない、だから小石に躓いただけで、簡単に膝を崩した。息も絶え絶えで、指の一本も動かせそうにないほど疲れた横顔をしているのに、身体を起こして、荒れ果てた街の中を、一心不乱に歩き続けた。

 しかし、やがてぷつりと糸が切れたみたいに、彼女は道の途中で倒れた。

 さあさあと、耳のすぐ傍で雨音が響いている。そうしてようやく、彼女は瞼を閉じた。


Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.174 )
日時: 2025/06/08 23:03
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第156次元 時の止む都32

 瞼を持ちあげる。目に飛びこんできたのは、知らない色をした天井だった。
 起きあがろうとすると身体の節々が痛んだ。よく見れば、痣だらけで、顔も腫れているようでまだ熱を持っている。

 戦いはどうなっただろう。エントリアの街の様子は。クレッタとアイムはどこに──?
 レトヴェールが、次々と頭に浮かんでくる不安や疑問と格闘していると、藪から棒に声がかかった。

「レトヴェールさん、起きたんですね。よかった。具合はいかがですか?」

 レトははっとして、意識を引っ張られた。見知らぬ部屋の中に、見知った医療部班の班員が立っていて、こちらの顔色を窺っている。部屋の壁や時計、机なんかの調度品は見慣れないが、室内にいる人物や、薬品の匂い、道具の類はごくごく慣れ親しんだもので、此花隊本部の医務室を想起させる。
 しかし、医務室でもなければ、本部の一室でもなさそうだった。内装は、まるで貴族が住まう屋敷の客室のような様相を呈している。
 しばらく部屋の中を見渡してから、レトは班員の女の質問に答えた。

「……悪くない。まだ、傷は痛むけど」
「そうですか。食べられそうなものをお持ちしますね。すこしお待ちください」
「待て。戦いはどうなった? 収束したのか? エントリアの街は? 神族たちはどこに行った。ここは」

 レトは、矢継ぎ早に訊ねた。女は、急にたくさん問いかけられて、思わず手に持っている布巾をくしゃりと潰してしまったが、やがて手の緊張を解いた。
 彼女は次のようにレトに伝えた。

 神族【CRETE】と神族【IME】のエントリアへの襲撃事件は、つい数日前に幕を閉じた。エントリアは、街中に生存者がいないことを入念に確認されたあとですべての門を封鎖した。街の住民たちは、隣町のカナラと最西の港町トンターバにそれぞれ身柄を置いている。国でもっとも栄えた都市に住む住民の数だ。カナラだけでは、エントリアからの避難民を賄いきれず、此花隊隊長ラッドウールが西部の領主であるバスランド・ツォーケンに協力を要請した。ラッドウールが直近までウーヴァンニーフを気にかけていた経緯もあり、バスランドは快く避難民の受け入れを承諾した。
 カナラはエントリア領の一部であるから、領主のイルバーナ家にチェシアが都合を利かせて、避難民の受け入れ体制を整え、また彼らがの所有する別邸を借りられるよう話を通した。別邸は使用人以外の出入りがなくほとんど使われていなかったが、十分な広さがあり、手入れも行き届いていて清潔な状態だった。
 この邸宅が現在、此花隊本部の仮の拠点となっている。
 此花隊隊員たちは、かつてないほど多忙の日々を送っている。エントリアからの避難民の支援にはじまって、怪我人の治療、神族の再出現への厳戒警備、死亡者の確認とエントリア街内の巡回、やることは多岐にわたり、あげればきりがなかった。

 一通り答えたあと、彼女は「あとは」とレトの質問を順番に思い出していって、ふいに眉を下げた。

「……すみません、現場にいなかったもので、これは医療部班の班長から伝え聞いたお話になるのですが……神族は、エントリアの街から消えた、と」
「消えた?」
「はい」

 女は頷いた。
 レトは戦いの途中で意識を失い、ことの顛末を知らない。消えた、と一口に告げられても、どうにも頭の中では整理がつかない。戦闘部班の班員に訊ねたほうが話が早いだろう。

「……わかった。たくさん聞いて悪い。あと、班長たちはいまどうしてる?」
「ええと、それが……」

 彼女はそれを聞くと、今度は歯切れが悪そうに、口元を結んだ。レトが不思議に思っていると、彼女はすこし小声になって答えた。

「……今日は、副班長以上の方が全員で、なにやら会議をしているみたいで……それが、どうにもただならない雰囲気というか。隊のこれからのお話についてかとも思ったんですが、なんだか違うようなんです……。朝から、皆さん、ぴりついていました。まだ、私たち一端の班員には降りてきていないお話みたいです」

 女の頬には汗が滲んでいた。邸内のどこかですれ違った上層部の人間たちの緊張を宿した目を見て、萎縮したのかもしれない。
 レトにはぴんときていなかったが、次に彼女が口にした言葉を聞いて、目の色を変えた。

「ああ、でも。戦闘部班の方々は、なぜだか班員も出席されているみたいですよ。レトヴェールさんはお怪我がまだひどいので、このまま欠席されたほうがいいかと……」

 戦闘部班の班員だけは出席を許可されているのなら、議題は、組織のこれからでもなければエントリアに関わる話でもないのだろう。
 次元師もしくは神族にまつわる重大な議題が掲げられている可能性がある。
 レトはなんだか嫌な予感がして、毛布を剥がして寝台を降りた。
 
「会議はどこでやってる」
「え? ええと、二階で……」
「わかった」
「待ってください! まだ、安静に」

 女の制止する声も聞かずに、レトは扉に向けて歩き出した。歩くたびに筋肉の軋む音がして、眉をひそめたが、痛い素振りを見せれば強く止められる。だからレトは堂々と歩いてやって、部屋を出た。扉を閉めてすぐに、頭のてっぺんから足の爪先まで、そこかしこが痛んでどっと汗が噴き出した。
 壁に手をついてでも、廊下を歩き進めた。やはり、訪れた覚えのない施設だったが、階さえわかれば辿り着くのに時間はかからないだろう。できるだけ人目につかないよう注意を払いながら、レトは会議室を探して回った。




「神族ならば、殺してしまえ!」

 木目調の机を叩き、顔を真っ赤にして男が叫ぶ。胴も手足も丸太のように太いその浅黒の男、ニダンタフ・ジーセンは、金の肩章を提げる援助部班の班長である。机を叩いた腕には血管が浮き出ていて震えている。
 会議が執り行われているのは、もとは書斎だったようで、壁沿いに本棚が立ち並んでいる。壁紙も絨毯も落ち着いたくすんだ赤色で揃えられていて、調度品は一流の品ばかりだった。隅々まで控えめな煌びやかさを放ち、閑静だったはずの室内はいま人で溢れ、もうずっと騒然としている。鋭い声をあげたのはニダンタフだけではなかった。研究部班、医療部班が腰かけている席の周辺からも、不安の声は相次いで放たれている。黙りこんでいるのはラッドウール、チェシアと並んで、戦闘部班の班員だけであるほどに、ざわめきは嵩んでいく一方だった。

「たかが処分に時間をかけすぎではないか、セブン・ルーカー班長。情報を引き摺り出すならさっさとしろ。お前のことだ、吐かせるのは得意なはず。いったい、収束して何日経ったと思っているんだ? この事実が、万が一外部に漏れたらどうする。そうなれば隊の沽券に関わる事態。『我々が神族を飼っていた』と国中から反感を買う前に、処分しなければならないのは自明の理! これは断じて、譲ってはならない!」 
「ニダンタフ班長。言いたいことは理解できますが、冷静に話をさせていただきたい。皆、貴方の大きな声に感化され、興奮してしまっています。これでは話が進まない」
「その娘の目が毒々しいほどに赤いことをしかと目に焼きつけ、神族だとわかっていながら、なぜさっさと殺さないのかと訊いているのだ!」

 室内はさらに、ざわめきの声に満ちていく。
 その娘、と指をさされたロクアンズが、部屋の中央でまるで見せ物みたいに立たされていた。顔の半分は、右目を覆い隠すように白い布が巻かれている。首から下は鎖で縛られていて、身動きひとつとらせないつもりだ。鎖は、コルドの次元の力によって生み出したもので、彼がロクの隣に控えている。
 コルドは、自身の横に立つ、ロクの横顔を見やった。だが、前髪から落ちる影の暗さが深くて、表情が読み取れなかった。そんなコルドもまた、いつにも増して深刻な顔をして、困惑を隠しきれていなかった。

 ──ロクアンズ・エポールが神族である。

 先の戦いで、その事実を目のあたりにしたのはコルドとチェシアの二名だった。彼らは、ロクの右目がほかの神族とおなじように真っ赤であるのを目視し、そして神族が所有する特別な力、"呪記"を行使する瞬間を目撃した。さらにエントリアの街中を襲った雷雨が彼女の力によるものだとわかると、隊員たちはなおのこと納得せざるを得なかった。
 二人の証言によって、戦いのあとしばらく昏倒していたロクは目を覚ますや否や、厳重な拘束と監視を受けた。そして、全班の副班長以上の隊員と、戦闘部班の班員の目の前で、つい先刻に、右の瞳の色を明らかにされた。即刻、協議にかけられる運びとなり、現在に至る。
 ロクはもうすでに、数多くの尋問と忌避の視線を浴びている。
 けれども口を閉ざしていた。

 目の端を鋭く尖らせたセブンが、語調を固くして、言い返した。

「まず、神族に関する情報の連携をいたしました。神族は心臓を持たず、肉体の損壊だけで討伐することは不可能。神族に心臓を与える方法もあるようですが、即時の実行は現実的ではありません」
「それも神族【NAURE】の虚言という可能性は?」

 白い隊服に身を包み、セブンやニダンタフとおなじく肩章に金の飾りをつけた一人の女が、片手をあげていた。医療部班の班長を務めるミツナイ・マランは、しっかりと結いまとめて崩れそうにない団子状の髪を左右に揺らして、淡々と意見した。

「ノーラの討伐時、ノーラはある機を境に正気を失ったような状態になり、その直後、神族の心臓について発言をし、消滅に至ったと聞きました。正気でなかったのなら、発言の信憑性は低いように感じますが。なににせよ、一度ロクアンズ・エポールの肉体を解体し、検証するのも手だと思います」
「ああ、そうだ、ロクアンズ・エポールをひき潰せば、すぐにわかること」

 加勢の声に調子をあげたニダンタフが、セブンがなにかを答える前に、睨みをきかせた。
 頬杖をついていたチェシアが、ニダンタフの態度になかば苛立っているような声色で、すかさず切りこんだ。

「神族が心臓を持たないのは、真実でしょう。神族【CRETE】、神族【IME】ともに、我が隊の戦闘部班が総員でかかりましたが、いくら肉体に損傷を加えようとも討伐は叶いませんでした。神族【NAURE】との戦いのあと、報告があがった"歪な結晶のような赤い心臓"を持っていなかった、そうですね?」

 チェシアは、コルドに視線を投げた。
 戦闘部班の班員は、メッセルとレトを除いて頭を揃えていた。中でもフィラの顔色はひどく、考えこむようにずっと眉根を寄せており、俯いている。
 視線のいどころに迷う者が多い中、しきりに瞬きをしながらでも、キールアだけがロクの顔を見つめて、手元を握っていた。
 
 緊張した面持ちで頷いて、コルドがチェシアの発言を肯定する。

「はい。左様でございます、副隊長」
「ひとえに攻撃の手が緩かったのでは? それに子どもばかりが戦線に立っていたのですから」

 ついに、チェシアは沸点に達して、右の拳で机を強く叩いた。そして目に角を立て、矢継ぎ早に言い募る。

「口を慎みなさい。先の戦いで、我が隊の次元師がどれほど危険な戦況に立ち、前線を張っていたと知っておいでですか。サオーリオではメッセル・トーニオ副班長が、エントリアではレトヴェール・エポールが善戦し、現在も意識不明です。二人だけではありません。次元師総員、肉体と精神を捧げ戦いに臨みました。それを、我々の軟弱さが招いた結果と? その子どもたちがいなければ、戦況は酷烈を極めていたと断言します」
「であれば! その犠牲を払って得た、ロクアンズ・エポールという大きな餌を前にして悠長に構えていないで、一刻も早く情報を引き摺り出し、心臓を持たせ、抹消する。これ以外のいったいなにが最善だと!? この国の宿敵が目の前にいて、それが豹変するかもしれぬ可能性を秘めているだなんて、我々は巨大な雷雲の真下にいるのと変わらないのですよ!」

 だから早く殺してしまわなければならない。ニダンタフの発言の強さに、周囲の雰囲気が徐々に呑まれていく。此花隊に所属する隊員の多くは、神族や元魔に怨恨を抱く。それにメルギース国の民としての矜持もある。二百年も国の敵とされている神族を目の前にして、興奮しやすいのは火を見るよりも明らかだった。だから一つ大きな旗を掲げてしまえば簡単に引き寄せられる。

「ともかく、神族ロクアンズに厳重な処分を」
「彼女はこの次元研究所を壊滅させる目的で紛れこんだに違いない」
「ノーラやクレッタのように豹変してしまう前に、早く!」
「まったく、すこし静かになさい。室外に話が漏れてしまいます。情報の取り扱いに注意を」

 チェシアは、室内にこもっていく熱を鎮めようとしたが、とても治まりきらなかった。ニダンタフの激昂を皮切りにして隊員たちが好き好きに発言を放ち、声が飛び交う。どうしたものかと収束にあえいでいると、部屋の奥の窓際にあるもっとも豪奢な長机からたん、と大きな音が立った。
 その席に腰をかけたラッドウールが、片手に持った扇子を机に突き立てていた。大きな音の正体は、扇子の親骨の先端が、机をついて出たものだった。

「静かにしろ。まだ、ロクアンズ・エポールがなにも発言していない」

 騒然としていたのが嘘のように、室内は、しんと静まり返った。
 そして、立ち尽くしているロクに部屋中の視線が集中したときだった。

 部屋の扉が開かれる。病衣に身を包んだレトが、室内に足を踏み入れた。

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.175 )
日時: 2025/06/15 19:11
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

  
 
 何年も一緒にいたのに、君の瞳は、知らない色をしていた。

 
 第157次元 時の止む都33(最終)
 
 いっとう豪奢な扉の向こうから、飛び交う人の声と、それを鎮めた大きな物音が聞こえてきて、レトヴェールは足を止めた。そして部屋に入るならいましかないと踏み切ったのだった。
 案の定、室内にはラッドウールをはじめとした上層部の面々と、戦闘部班の班員たちの顔が揃っていた。 
 突然扉を開けて部屋に入ってきたのがレトだとわかると、コルドは驚いて、真っ先に声をかけた。
 
「レト、起きたのか。動いて平気なのか?」

 頷き返そうとしたが、しかしレトは、部屋の中央に立たされ、鎖で拘束されているロクアンズと目が合った。
 それからゆっくりと室内の様子を見渡して、隊員たちのほとんどが、怪訝な目つきで彼女を見ていたのだとわかると、眉間に皺を寄せた。

「どういう状況だ」

 レトが低い声で呟くように言うや否や、しばらく閉口していたセブンが、仕切り直した。

「隊長が仰せになられた通り、ロクアンズ・エポールからは、まだなんの証言も得られていません。レトヴェールも来てくれたことですし、彼女も多少は、話がしやすくなったかもしれない。まずは必要なことを訊きましょう。レトヴェール、そこから動かなくてもいい、大変だろう。だれか彼に椅子を」

 セブンが言うと、扉の付近に座っていた男の隊員が、壁に立てかけていた椅子をレトに薦めた。レトは、淡々と話を進めようとするセブンを訝しげに見たが、ひとまずは、素直に着席した。レトが腰を下ろしたのを確認してから、セブンはロクの顔を見つめ直した。

 「君に、我々と会話をする意思はあるか。なければ、黙ったままでいい」

 どこか他人行儀で、尋問でもされているかのような声色でそう尋ねられたロクは、新緑色の左目でセブンを見つめ返し、こわごわと口を開いた。

「……ある。話は、できる」

 ようやくロクが声を発したので、それだけで周囲がまたすこし、ざわめきだした。セブンが片手をあげてすぐに制する。

「わかった。まず、君は入隊当初、「五歳以前の記憶を失っている」と我々に申し出た。その記憶を思い出した、それで間違いないだろうか?」
「……」

 そう問われると、ロクはまた黙りこんでしまった。わざと黙っているというよりは、しごく言いにくそうに、眉根を寄せているのだ。セブンはそれをしかし、回答の拒否にとらえて、冷たく嘆息した。

「話す意思があるとはいっても、答えられないことも多いようだ。では、切り口を変えさせてもらう」

 セブンの視線が動くのに合わせて、室内にいる人間の視線も動く。セブンと目が合ったレトは、確信した。セブンはこれまでに見たことのない、正しく言えば、他者を寄せつける気のない冷徹な面持ちをしていたのだ。
 真意の読み取れない視線をレトに投げかけ、セブンは指を組んで前かがみになった。

「レトヴェール、君はエントリアでのことを、どこまで記憶している? コルド副班長から聞いた話では、戦闘中に意識を失ったとのことだが」

 目を覚ましてからあまり時間が経っていなかったが、頭はすっきりと冴えていた。レトは丁寧に記憶を辿り、答えた。

「……俺が最後に見たクレッタは、巨大な鹿の姿だった。クレッタが、エントリアの西門に向かって走りだしたあと、コルド副班、ロクとともにそれを追いかけて街の中へ入った。コルド副班がクレッタの進行を止めようとしたけど、クレッタが暴れだして、副班に襲いかかった。そのとき突然、クレッタが俺のことを見つめてきて……。標的は俺に移った。躱せなくて、一方的に攻撃を受けた。気を失ったのはおそらくそのときだ」

 セブンが満足したように軽く頷く。それから、背中をまっすぐに正し、深刻な声で彼は告げた。

「君にいまから残酷な事実を告げなければならない」

 セブンは、視線を滑らせて、ロクを一瞥した。
 なにを言われるのか、ロクはすぐに察しがついたが、口を開く頃にはすでに遅かった。

「君の義妹いもうとのロクアンズ・エポールは、神族だ」

 ──レトが目を見開いて、硬直する。瞬きひとつせずに、できずに、彼は呆然とセブンの顔を見つめ返した。
 それからロクに視線を移した。
 ロクとレトは言葉を交わさなかった。
 室内は、急に重苦しい空気に包まれて、わずかな物音も響きそうなくらいに静まり返った。
 レトが言葉を失っていると、セブンは沈黙を破って、 続けた。

「先日の戦いにおいて、その証明となる二つの事象を、チェシア副隊長とコルド副班長が目撃した。ひとつは、彼女の右目がほかの神族と同様に真っ赤な色であること。これは両者から証言があったあと、この場にいる全員が確認をとった。そしてもうひとつが、神族が使うとされる呪いの力の行使だ。彼女の呪いの力によって、神族【IME】が消滅をしたとのことだが、直後に神族【CRETE】も追跡不可能となり、彼女が使用した呪いの力の詳細はまだ不明だ。しかし、ここまでの情報は得られても、まだ彼女の本当の名前すら、我々は知らない。義兄あにである君から訊けば、彼女は答えるかもしれない。いま君は混乱しているだろうが、君の口から……」
「待って。私、ちゃんと、言う」

 ロクがたえかねたように口を挟んだ。
 室内にいる一人ひとりの隊員と目を合わせ、最後にレトの顔をまっすぐに見つめると、ロクはぎゅっと目を閉じた。
 瞼をゆっくりと開いて、彼女は名乗った。
 
「私は……私の名前は、【HAREAR(ハルエール)】──"心情"を司る神族」

 張り詰めた空気に、その響きが、静かに染みわたる。部屋にいるだれもが、いまこの瞬間に、彼女の名前を脳に深く刻みこんだ。
 神族【HAREAR】。またひとつ神族の名が明らかとなって、興奮しているとか、おなじ旗の下で戦ってきた仲間が神族だったことが現実味を帯びてしまい、困惑しているとか、さまざまな思惑が入り混じっているはずなのに、だれも彼も口を閉ざしてしまい、依然として室内は静かなままだった。
 しばし目をしばたき、間を置いたのちに、ようやくセブンが口を開いた。
 
「……心情を司る? 心情とは、心を指すのか」

 ロクは頷いた。

「つまり、ロクア……いや、ハルエールは、人の心を操ることができるのか?」

 ふいにだれかが口をついて、ロクは、はっとして口を噤んだ。
 それを皮切りに、またしてもざわめきの声がふつふつと湧き立ち、徐々に膨れあがっていった。
 セブンが、眉間の皺をより一層深くして、慎重になってロクに問い質した。

「まさかその力を利用して、我々の感情を」
「ち、違う! そんなことはしていないし、できない!」
「どのように証明する? 君に抱いていた好意、期待、信頼、あらゆる肯定的な感情を、自らが我々に植えつけたうえで、いつ本性を露わそうかと機を伺っていたのか?」

 ロクは切羽詰まったように、首を横に振り、否定の意思を絞り出した。しかし隊員たちのほとんどはすっかり疑心暗鬼になってしまい、ロクへの不信感を募らせた。
 セブンの厳しい視線がロクに突き刺さる。

「ちがう、そうじゃないんだ。心情は……」

 掠れたようなロクの声が、周囲の雑音に掻き消される。
 ──心を操る力を持つのなら、隊員たちの感情をいいように操作し、組織に溶けこむなど造作もないだろう。
 ──彼女への心象は紛いものだったのだ。
 ──騙されていた。

 隊員たちが口々にこぼす。募る。そうやって収集もつけられないほどに飛び交い、昂り、溢れていく声を、ばん! という一発の激しい音が堰き止めた。
 レトが、背後の壁に拳を叩きつけていた。
 不審と動揺の色に染まった視線が彼に集中すると、彼はたまらずに口火を切った。

「いい加減にしろ! ロクが否定してるだろ! ただの憶測で好き勝手に言うな!」

 レトの口から勢い任せの怒号が飛ぶ。しかし、すかさずにセブンが、わざと椅子の音を立てて立ち上がった。そして、顔を真っ赤にし、目元をいからせているレトを諭した。

「君とて騙されていた可能性が高く、影響力でいえば私たち以上かもしれない。……いや、もしかして君は、この期に及んでまだ、彼女が神族だと認めていないのか? だれでもいい、レトヴェールにも見せてやりなさい、彼女の目を暴き、その瞳の色を」

 ロクの傍にいるコルドが躊躇している間に、ほかの隊員が動きだそうとしたが、レトが彼らを鋭く睨みつけた。睨まれた隊員たちは思わず、びくりとして動きを止める。レトは、間髪入れずに、セブンに突き返した。

「必要ない。騙されてなんかねえよ」
「なにを根拠に」
「俺は最初からロクが神族だと知ってる」

 衝撃的な一言が放たれて、セブンも、ほかの隊員たちも言葉を失った。

「……え?」

 ロクだけが小さく、意表をつかれたような声をもらした。
 
 セブンは片手で側頭部を抑えた。頭が痛くなるような告白だ。机の上を、しきりに指先でとんとん叩きながら、彼は真っ先に指摘する。
 "ロクアンズが神族だととっくに知っていた"、──などと。妄言だ。

「……苦し紛れに彼女を庇おうとしても無駄だ。そんなことはありえない」
「真実だ。俺は、ロクが神族だってことを、ずっと前から知ってる。だから疑ってもなけりゃ、騙されてもねえよ」
「ではそれが仮に真実だとして、どのように証明する。いい加減な発言は、時間の無駄だ」

 レトは、扉の近くにいたがおもむろに歩きだして、部屋の中央までやってくると、ロクとコルドと肩を並べた。そしてもうとっくに啖呵を切っている彼は、セブンと視線をかち合わせたまま、矢継ぎ早になって続けた。

「証明する方法ならある。ロクの右目の光彩だ。神族は、個々によって、瞳の虹彩の形が異なる。これはもう此花隊の隊員たちには周知されてる。そしてロクも例外じゃない。俺がいまから、ロクの右目の虹彩の形を言い当ててやる。俺は先日の戦いで、ロクが右目を開ける前に気絶し、そのときには目を見ていない。だからそれ以前に確認していなけりゃ、知る由もないはずだ」

 神族の瞳の虹彩は、特殊な形をしていて、個体によってもその形はばらばらだ。
 デスニーなら頂点の尖った菱形を、ノーラなら十字を、アイムなら円形を、クレッタなら三角形をそれぞれ模していた。
 戦闘部班の班員たちから報告が上がっているので、当然ながら熟知しているセブンは、一瞬だけ間を置いて、レトとの睨み合いは断ち切らずに、コルドに話だけを振った。

「コルド副班長。彼は本当に、さきほど彼が告げたように、クレッタが鹿の形態であるときに気絶したのか」
「……は、はい。それは、相違ありません。私が、この目で確認しています」
「では、教えてもらおうか。ハルエールの右目の虹彩が、どのような形であるかを」

 室内に緊張の糸が張る。レトは小さく息を吸って、答えた。

「五芒星だ。ロクの右目の光彩は、五つの点をもった星の形をしてる」

 真っ先に声をもらしたのはロクだった。

「嘘だ」

 そして動揺が隠しきれず、濡れた瞳を揺らして、呟くように言ったのだった。

「なんで……知ってるの」

 顔に巻かれた包帯に触れる。すると、包帯ははらりと解かれて、床に落ちた。ロクの右目が顕になる。雷が走ったよう切り傷がある瞼の下、その赤い瞳の中では、"五芒星"が輝いていた。
 ロクは興奮のあまり、身を乗り出そうとして、コルドが慌ててそれを差し止めた。ロクは、拘束されていることも忘れて不格好にもがきながら、声を張りあげた。

「どうして、レト、──あなたが知ってるはず、ないのに……!」

 まっすぐにレトの横顔を見ていた、しかし彼は振り返る素振りもなく、つかつかとセブンの目の前まで歩いていった。

「神族だからってなんだ。根拠のない憶測を掲げて、寄ってたかって責め立てて、そっちこそなんのつもりだ」

 そしてセブンの襟元を乱暴に掴んで引っ張り、額がつきそうな至近距離まで寄こすと、憤怒を抑えきれない剣幕で口早に言った。

「"心を操ってない"ってロクは言ってるだろ。第一、いま俺たちが対立してるのが、心を操ってないなによりの証拠だ! 俺がロクの立場で、もしも人間が憎いなら、まず心情の神だと明かさない。思い出した記憶は一部だけと嘘をついて、ひそかに全員の心を「自分への好意」にすり替え、操りやすくするほうがよほど賢明だ。ここで隊の人間同士を対立させることに利はない! そんなくだらねえことに時間を使ってねえで、もっとほかにやるべきことがあるだろ!」

 セブンは、自身の襟元を捕まえているレトの手首を一瞥し、それから強く圧迫し返して、乱暴に引き剥がした。すぐに、悠長に襟元を整えて、なかば呆れたような息を吐いたのちに、冷たく言い放った。

「そうか。君はすでに洗脳されているようだな。心の神に」

 それを聞くや否や、レトの目頭はさらにかっと熱くなった。そして前のめりになって、セブンに近づこうとしたとき、彼の剣幕が一層鋭くなったのを見たニダンタフが、レトが次元の力を発動させる気ではないかと恐れて、周囲に言い渡した。

「だれでもいい! 彼を止めろ! 危険だ!」

 懸念は伝播し、援助部班の男隊員たちが颯爽と動きだした。レトの腕や胴を捕まえて、必死に抑え込む。しかしレトは止まらなかった。捕まえてきた隊員たちを引き剥がそうともがき、そして荒々しく殴りつけ、肘を打ちこみ、暴れ、ついにはより強い力で押さえつけられてしまった。彼は、病み上がりで、すでに身体中が汗でびっしょりと濡れていた。けれど、なにもかもを押しのけてでもセブンに掴みかかろうと必死だった。セブンだけではない。手あたり次第に、視界に入る人間すべてに、言ってやりたいことが山ほどもあった。
 
「なんでロクのことを信じてやらない! この中のだれかを傷つけたことがいままであったか? 突然降って湧いた薄っぺらい事実だけを見て、裏目ばかり気にして、なんでロク自身を、あいつがいままでしてきたことをだれも見ないんだよ。ちゃんと見ろよ! ロクはちゃんとあんたたちに向き合おうとしてるだろ! 話をする気がねえのはあんたたちだ!」

 こうなってはもはや、事態の収拾はつけられそうもなかった。動揺と困惑、不安などの感情が、声にもれずとも部屋に充満している。ふたたびの仕切り直しも利かないだろうと、セブンは早々に判断していた。
 セブンは、区切りをつけるために、レトを取り押さえている男たちに向かって言い渡した。

「レトヴェール・エポールを部屋の外へ。彼は心情の神ハルエールによって気が狂わされている可能性が高く、正常な会話は不可能と判断する。上官命令により彼を自室にて軟禁処分とする。ニダンタフ班長、少々班員をお借りします」
「構わない。ハルエールは地下だ」
「はい」
 
 強引に部屋から締め出されたレトが、その去り際までも、まだ言い足りないような不満な顔つきをして、セブンを睨んでいた。
 続いて、コルドの先導のもとロクが退室したのだが、ロクは、義兄とは反対に大人しくなっていた。でもそれは、ただ呆然としていただけにすぎなかったかもしれない。

 義兄妹が二人とも部屋から退室すると、室内にはまた、しんとした静寂が帰ってきた。だれも口を割らないうちは、空気の重さが嵩んでいくような心地だった。
 窓の外からは、しとしとという雨の音が聞こえてきていた。数日が経っても、エントリア近隣の空には暗雲がたちこめていた。
 
「雷雲が去ってもまだ、雨は降り続いているな」

 セブンは長机に腰かけていたのだが、ラッドウールと目が合うと、合図を受けた。彼の目つきは解散の意を告げている。セブンが頷いて、浅く息をつくと、研究部班の班員が着ている白い制服が視界の端に映った。セブンもラッドウールもそちらに顔を向ける。
 
「あのう、今日はもう、解散、でしょうか……」

 おずおずとやってきたのは、髪が短く天然で縮れていて、鼻の先から頬までそばかすを散らした、長身の女だった。背が高いわりに腰の低い彼女は、会議中もまったく発言をしておらず、置き物のように座っていただけだった。見慣れた顔ではないが、セブンは彼女のことを知っていた。
 先の次元師増加実験の事件で、各班の副班長が全員席を明けたので、新しい副班長が選任された。此花隊が次元研究所と呼ばれていた時代から組織の顔となってきた花形の部門、開発班の副班長となったのが、彼女だった。
 
「ああ、そうだね。また後日、招集をかけると思うけれど。今日は解散だ。くれぐれも、会議の内容は他言しないように。改めて隊長の口から周知をされるだろう。ご苦労様、開発班のユーリ・ファンオット副班長。ときに、ハルシオ・カーデン班長殿は、こんな大事なときにも不在にして、いったいどこにいるんだい。なにか聞いている?」
「す、すす、すみません。班長はいま、南東部の、離島に足を運んでいると聞き及んでいます。手紙を送ってみたところ、近々本部に帰還すると返事がありました。あと数日もすれば、帰ってくると、思うのですが……」
「へえ。さすがの彼も、事態の深刻さは受け止めてくれるようだ。隊の内情には一切興味がなくとも、神族の話には食いついてくれるといいのだけどね」

 セブンはそう言ってから、片手をあげた。ユーリはぺこぺこと、余計なくらいに礼をしてから、及び腰で、すこしずつ扉のほうへと向かった。ほかの隊員たちもお互いに目を合わせて、ぞろぞろと部屋を出て行く。
 
「隊長、すこしよろしいですか」

 セブンがラッドウールを引き留めているのを横目にしながら、チェシアも退室した。
 やがて、室内から人がはけると、セブンは口を開いた。彼は、会議中に見せた厳しい口調に戻っていた。

「引き続き、ロクアンズ……。いいえ、神族【HAREAR】の監視と、情報収集を急ぎます。これまで彼女は一切口を開きませんでしたが、今日の様子から、会話は可能と判断します。ただし、彼女への心象操作が行われている懸念を拭う手段はありませんので、彼女から得られた情報の正否の判断は慎重に行うつもりです」
「今日のお前はらしくもなく、直情的だったな」

 指摘を受け、セブンは言葉に詰まった。そして強張っていた肩の力をいくらか抜くと、静かに息をついた。

「……。自分で思っている以上に、ハルエールという存在に、動揺したのかもしれません。しかし、班の長の動揺は、班員にも影響しかねない。戦闘部班の面々が、もっとも困惑しているはず。私がしっかりと監督し、隊の内部が荒れて取り返しがつかなくなるような事態とならないよう、細心の注意を払っていきます。……隊長は、彼女に対して、どのようにお考えで」

 ラッドウールは、思い返せば、まともに顔を合わせたのも入隊時の挨拶が最初で最後だった。しかし外では、よく義兄妹の噂を耳にした。お転婆で自由奔放、行く先々で問題を起こす、世話のかかる二人の次元師がいるらしい、と。とくにロクの行動は突拍子もなく、海を渡った隣国アルタナでまさか国王の面前で啖呵を切ってきたと報告を受けたときには、さすがのラッドウールも関心を覚えた。そんな彼女の表情が、今日は、記憶していたよりもずっと変わっていたが、ラッドウールは、彼女の顔が別人のようだとは思えていなかった。

「彼女が、なにかを言いたそうであったのは、間違いない。機会を見計らい、対話をしろ」
「……は」
「ここも長くは滞在しない。一時、イルバーナ侯爵の好意に甘んじているのみ。すぐにでも撤退しなければならない。考えはあるか」

 本部を構えていた旧王都エントリアは、都としての機能を完全に失い、時を止めたように沈黙してしまった。
 もちろん本部も、元魔の襲撃や、周辺の建物の倒壊に巻きこまれ、いまや見る影もない。その本部と遜色のない規模で、長期にわたって滞在が許される新たな拠点を探そうとしているが、なかなかすぐには見つからなかった。そのうえ、エントリアの復興作業や、街からの避難民の支援を引き続き行なっていくとなると、そう遠くへは移動できない。新たな拠点の調査は長期戦が見込まれている。
 セブンは顎に手を当て、考えこむような仕草をした。
 
「一応……あるにはありますが、少々手強い相手と、交渉が必要です」

 セブンはそう言って、肩を竦めた。ラッドウールは一言、「任せる」とだけ言い渡すと、部屋をあとにした。新たな拠点の調査ははたして戦闘部班班長の仕事だろうかと一度文句を言うべきか考えたが、やめた。セブンは幼少の時分から、故郷のベルク村で散々ラッドウールの小間使いをしてきた経験が根強いうえに、隊長補佐として飛び回っていた感覚も抜け切っていない。よって、言いつけられればたいていの命令には反射的に頷いてしまうのだった。

 一人になると、つい先刻までの喧騒がまるで嘘みたいに、窓を叩く雨の音が鮮明だった。
 並べられた長机の一端に腰をかけて、セブンは独り言ちた。

「あの二人は近いうちに、僕どころか、国中を驚かせる」
 

 メルギース歴531年6月。神族および元魔の襲来により、旧王都エントリアの街の時計台の針が止まった。重軽症者は二千を超え、死亡者は数百人にのぼる。しかし人々は、足を止めてはいられなかった。その街で生きた、死に果てた、多くの人々の命を背負っている。たとえまだ雨が降り続いていても、晴れ間を目指して歩くよりほかに涙を乾かす方法もないのだから。
 まだそれも教わっていない、小さな赤子だけが、母親を求めて泣いていた。

 
 歯車の動き出す音が、どこからともなく聞こえていた。
 
 
 *「時の止む都」編 終
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.176 )
日時: 2025/06/22 21:00
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

  
 第158次元 来客

 イルバーナ侯爵家の別邸は、調度品の類が最低限の用意であるだけで、ほとんど不自由はなかった。過剰なくらいに生活感がなく、人も物もはけているのは、意図的に取り払われたからにほかならない。現当主の祖父──チェシアの実父にあたる──が金と酒と女に溺れ、エントリアの街一番の踊り子や楽団を招き、頻繁に宴会を催していたのがこの場所だ。父もこの別邸も疎んでいたチェシアが一度もここを訪れなかったので、一族の人間の足は自然と遠のいていった。
 
 いっとう華やかな灯りと甘美な香り、そして娯楽に興じる人々の声で満たされていたのが嘘のように、現在では、玄関も広間も客室も、どこをとってもなんとも慎ましやかな様相に様変わりしている。
 そんな、生活感のしない客室のひとつに居所を縛られ、レトヴェールは暇を持て余していた。セブンから軟禁を言い渡された昨日から、彼は狭い室内で、新鮮な不満を募らせていた。
 本の一冊もないせいで無為に時間を貪っていると、部屋の扉の向こうから話し声が聞こえてきた。内容までは聞き取れなかったが、レトの監視役を務めているコルドが、だれかと話をしているようだ。ややあって、扉が開いた。
 部屋に入ってきたのは、冷や水の入った桶を両手に抱えた、キールアだった。

「まだ、治ってない傷があるよね。わたしも、元力が戻ってきたから、次元師のみんなの治療に取りかかれるようになったの」

 キールアは、朝に目を覚ましたときからずっと用意していた言葉を、いかにも自然な体を装って、レトに投げかけた。しかしいざ二人の視線が重なると、微妙な沈黙が生まれた。
 つい、扉の前で立ち止まってしまって、 キールアはすぐに後悔した。
 ふいにレトが、自身が腰かけている寝台の毛布に軽く触れて、口を開いた。

「ロクを神族だと知ったのは、あいつが次元の力に目覚めた日の、次の日。覚えてるだろ」

 びくり、と手元が震えて、キールアは思わず、桶にためた水をこぼしそうになった。
 すぐにでも訊きたいのが顔に出ていたのだろうか。隠すつもりでやってきたのに、見抜かれてしまったようだった。
 キールアは、桶の中で揺らめく水面と、それに半身を浸からせた布を見下ろした。そして、桶の水をこぼさないように、ゆっくりと歩きだし、レトのもとへと近寄っていった。

「うん」

 ロクアンズが次元の力『雷皇』に目覚めた日といえば、レイチェル村にやってきた元魔に村の少年が捕まってしまい、彼女が次元の力をもってそれを撃退したのだ。レトとキールアもその場に居合わせていた。大きな怪物の目がぎょろぎょろ動くたびに怖かったのを、キールアはよく覚えている。
 床の上にそっと桶を置いて、自身もレトの隣に腰かけると、あらためて傷跡を診た。レトは、キールアに委ねて、じっとしていた。

「あいつは丸一日くらい寝てたんだっけな。寝ている間、何度か苦しそうな顔をしてた。それで俺が看病をするために、あいつの部屋を訪れたとき、偶然だった。……ロクの右目が、突然、開いたんだ」
「!」
「左目の色とは違って、真っ赤だったのが、そのときは恐ろしかった。ただ、両目の色が違う人種はいるし、あいつもそうかもしれないと思った程度で、そのときは深く気にしてなかった。……でも、【DESNY】と遭遇して、あいつも神族だとわかったんだ」

 なぜ、突然に、しかもあとにも先にもそのときだけ右目が開いたのか、レトにはわからなかった。推測するとしたら、初めて次元の力を使ったのが大きく影響しているのかもしれない。
 デスニーと相まみえたレトは、「おまえも神族なのか」と腹を決めてロクに問うべきかを迷ったが、やめた。ロクが、義母であるエアリスの墓前で枯れるまで泣いているのを横目にして、どうでもよくなってしまった。だから、たびたびレトは、ロクが神族だと忘れそうになった。無理にロクと張り合おうとしなかったのは、彼女が人間ではなく、もっと大きな存在だと気づいていたせいもあった。
 
 キールアは、相槌を打ちこそすれ、余計な言葉を挟まなかった。ただ、持ち前の『癒楽』の力で、大きな傷から一つひとつ、もとの正常な状態へと戻していく。力を施すと余計に、患部が熱を持ってしまうので、その都度冷や水に浸けた布を押し当てて、腫れを引かせるようにした。
 ふとレトが口を閉ざして、二人の間に沈黙が訪れると、キールアはそっと口を開いた。

「ありがとう、教えてくれて。……あのね、レトくん。わたしも……どうしても、思えないの。ロクが、心を操っているとか、わたしたちを騙しているだなんて」
「……」
「わたしが、ロクのこと、まだ大好きで、この先もずっと大好きでいたいこの気持ちは……正真正銘、わたしのものなんだって思う」

 頬にくっくりと残っている、青い大きな痣に、キールアは薬を染みこませた布を当てるとともに、優しく触れた。これ以上傷つけないように。傷つかないように。昨日の会議では、きっと彼が人一倍傷ついたはずだった。なのに昨日、なぜレトの傍についてやらなかったのだろうとキールアは一晩悔やんでいた。ロクのことで動揺をして、頭がついていかなくて、周囲の大きな声に萎縮して、つい立ち竦んでしまったのが、友人として情けなかった。
 キールアは、どうしても言いたかったことだけを伝えると、あとは治療に専念した。そしてあらかたの処置を終えて、最後に包帯を新しいものに取り換えると、一息をついた。
 
「あとは、経過を見させてね。もう行かなくちゃいけないから、わたしはここで」
「いいや、むしろ、悪かったな。俺の世話までさせて」
「診てくれって、言ってくれたでしょ? だから……悪いこと、ないよ」
「……」
「目を覚ましてよかった」

 はっとした顔で、レトがキールアのほうを向くと、彼女は恥ずかしそうにはにかんでいた。そして手持ちの片付けをさっさと済ませ、また来るね、とそう声をかけてから彼女は部屋をあとにした。
 悪かった──のは、治療で面倒をかけたのと、ロクについて黙っていたことの、二つあった。ずいぶん驚かせたに違いないのに、キールアは多くを訊いてもこなければ、大げさに動揺してもいなかった。無自覚のうちに、レトは、そんな彼女の態度に救われていた。
 ぼんやりしていると、あまり間を置かないうちに、扉が叩かれた。

「客人が多いな」

 扉を開けて中に入ってきた人物をみとめてすぐに、レトはきつく眉をしかめた。
 穏やかだが、貼りつけたような笑みを向けてきたセブンが、静かに扉を閉める。そして颯爽とした足取りでレトの目の前まで歩いてきた。
 レトは不機嫌を隠すつもりがなく、目に警戒の色を宿していた。

「なんの用だ。洗脳されている人間とまともな会話は成立しないはずだ」
「随分と、棘のあることを言うね。昨日の仕返しかな。安心したまえ。ハルエールの話をしに来たわけじゃないよ」

 肩を竦めたセブンは、昨日よりかは幾分か和らいだ声色になっていた。
 それから彼は、狭い室内をわざとらしくゆったりと見渡して、言った。

「一日はもったようだけど、早く出たいんじゃないかと思ってね」
「閉じこめた張本人のくせに、よく言えるな」
「それは悪いね。私にも立場がある」

 まったく悪びれがなさそうにさらりと返したセブンの顔を、レトは真正面から見られなかった。どちらかというと、見たくもなかった。昨日、ロクを指さして好き勝手に憶測を並べた口や、疑いの目、きつく寄せられた眉も、なにもかも、いまは視界に入れたくない。
 あきらかな拒絶を受け、セブンが短い息を吐いたとき、レトが応えた。

「当然、早く出してもらいたい。あいつになんの説明もしてないんだ。俺が知ってたことも驚かせた。ロクと話をさせてくれ」

 セブンはそれを訊くと、口元に弧を描いて、指を一本立てた。
 
「では、条件を出そう。飲んでくれたら君を解放する」
「なんだ」
「我々は、この拠点もいずれ移動する。長居はできないからね。だから、長期的に滞在できる新しい拠点を探しているんだ。……そこで、君に協力してほしいことがある。単刀直入に言うと、かつてエポール王家が所有していた何邸かの屋敷への滞在許可がほしいんだ」

 セブンの探るような目を一瞥だけして、ふいに寝台から立ち上がると、レトは壁にかかった小さな額縁の絵画を見つめた。エントリア領内には自然が多く、いったいどこからの景色を切り取ったのか、青々と茂る丘の絵は、淡い絵の具で描かれていた。
 
「申し出る相手を間違えてる。そもそも、ここ一帯は、王城も含めてエントリア領だ。点在している旧王族たちの私邸も、ほかにいくつあるか知らん屋敷も、イルバーナ侯爵家の使用人が手入れをしてるそうだな。副隊長にでもまたかけ合ったらいい」
「おや」

 セブンは顎を撫で、大げさに感嘆の声をもらした。それから、レトの背中に向かってこう続けた。

「では、噂だったのかな。エントリア領で唯一……レイチェル村だけが現在もエポール一族の私有地であるのは」
「──」
「ああ、間違えた。村ではなく、"レイチェル庭園"──だったかな」

 振り返ったレトの目の色が変わっていた。
 セブンはまた口元に怪しげな笑みをたたえて、相手の顔色を伺うように首を傾げた。


 


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