コメディ・ライト小説(新)
■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
- 日時: 2025/06/22 21:01
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)
毎週日曜日更新。
※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。
*ご挨拶
初めまして、またはこんにちは。瑚雲と申します!
こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします!
*目次
一気読み >>1-
プロローグ >>1
■第1章「兄妹」
・第001次元~第003次元 >>2-4
〇「花の降る町」編 >>5-7
〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
・第023次元 >>26
〇「君を待つ木花」編 >>27-46
・第044次元~第051次元 >>47-56
〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
・第074次元~第075次元 >>83-84
〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
・第098次元~第100次元 >>107-111
〇「純眼の悪女」編 >>113-131
・第120次元〜第124次元 >>132-136
〇「時の止む都」編 >>137-175
・第158次元〜 >>176-
■第2章「 」
■最終章「 」
*お知らせ
2017.11.13 MON 執筆開始
2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞
──これは運命に抗う義兄妹の戦記
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.173 )
- 日時: 2025/06/01 18:22
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第155次元 時の止む都31
赤い瞳が光る。
その艶やかで、いたく鋭い眼光は、いくら雨足が強くなっていこうとも、月明りが曇ってしまっても、なおも煌々と輝いて、迫りくる生命の神を真っ向から射抜いた。
激しい雨が地面を叩く。暗雲の間をやみくもに駆けた雷光が、街中のいたる場所に次から次へと降り落ちる。
高く跳びあがって八重歯を見せつけてきたクレッタを仰ぎ見て、ロクアンズは片手を掲げた。
「八元解錠」
彼女は扉を開く。
「──"雷撃"!」
巨大に膨張した雷電の塊が解き放たれ、光を浴びたクレッタが燃え盛った。クレッタは口を縦一杯に開けて絶叫する。その質量の余力をいったいどこに隠し持っていたのだろうか。彼女だけではない。天候さえ豹変し、嵐のように強い雨風が吹き荒れている。
一瞬のうちに、クレッタの外皮は真っ黒焦げになる。灰塵も同然の肉体は、ただの黒い塊に変えられて、ぼろ雑巾のように落っこちた。直後だった。黒い塊がうごうごと身動ぎをしだす。そして何度も地面の上を跳ね、焦げた皮膚を剥がす。ぼこぼこと音を立てながら伸び縮みしていると、やがて頭が膨らみ、手足も伸びてくる。
しかし赤い眼差しは看過しなかった。
眩い一閃。力を圧縮させた細い雷の砲撃がまっすぐに飛んで、いびつな黒い塊のままのクレッタに突き刺さった。そのまま、地面と並行に、クレッタは中空を横っ飛びする。その速さは凄まじかった。あっという間に、クレッタは東門の城壁と衝突した。
左右で長さの違う手で、積み上がった瓦礫の山肌を掴むクレッタが、のっそりと這い出てくる。
かろうじて二足歩行の生物の外形をとっていた。が、すぐに背骨が柔らかく曲がって、身体と脚の長さが変形する。より速く、より遠くまで走れる肉体に替える。しかし走り出せなかった。ぴりっとした鋭い気配を感じ取り、耳が立つ。視界を動かすと、その奥から、目に痛いような光を纏った人影が、人間には出せない速度で地面を蹴って迫ってきた。雷光だ。雷を纏ったロクが、地面を踏みこんで、跳躍する。残光が斜線を描いて空を裂き、その脚を張って彼女はクレッタを蹴り飛ばした。
ごうと低く唸る雷鳴が、一向に止まずにあたりに轟いていて、チェシアは失いかけていた意識を明らかにした。
瓦礫の山の中から下半身を引き抜いて、彼女はようやく地に足をつけたのだが、その目に映ったのはロクがクレッタらしき生物と差し向かいになって、そして攻撃の手を緩めず果敢に戦っている様だった。状況を読み取るのに困難したチェシアは、唖然としてしまった。
北門から視線を捧げるラッドウールも、巨大な鹿の姿をしていたクレッタが街を横断して疾走しているのを目にしてから合流を目指していたが、その道中で、天気がおかしくなったことに気がついていた。
「……ロク──……?」
落雷が、すぐ近くの地点を強打して、キールアは高い声をあげて身体を逸らした。この場を離れてようとしても意味はないのだろう。まるで突然嵐が訪れたかのような、横殴りの豪雨と降りしきる落雷が、街中を襲っているのだ。
キールアは遠くの空に、幾度となく瞬く雷光を、不安げな瞳で見つめていた。
──危険信号はとっくに鳴りだしていた。
神が、外皮を焦がされ、骨を痺れさせ、胴を貫かれ、頭を殴られ、再生も変形も許されず一方的な暴力を許容しているなどと、天地がひっくり返っても認められるはずがなかった。クレッタは、はらわたが煮えくりかえるほどの憎しみを育てていたが、それを吐き出す隙さえなく電撃は降った。
赤い視線がかち合う。
このままでは、"殺される"。クレッタの憎しみとは裏腹に、全細胞が危険を知らせるように沸き立っていた。
クレッタはすばやく思考を巡らせた。走ろうとすれば脚を焼かれて、叫ぼうと口を開けば喉を焼かれる。無論、植物を操ろうとするものならば、火を灯したような熱い切っ先をした電撃で斬り捨てられるだろう。
高い空を見つめ、クレッタは逃走の手を決めた。雷撃を受ける、それが捨て身になってでも、クレッタは背中に小さな翼をたくわえた。そして彼女の一挙手一投足を眼と耳で観察する。彼女が片腕を突き出したそのとき、もう片腕が後ろへ振り切るのを目で見て、身体の重心がもっとも地面に負荷をかけた瞬間を足のつま先で感じ取って、両目で瞬きをする音を聞き分けた。野生の勘が"ここだ"と告げる。すかさず、クレッタは翼を大きく広げて、飛び立った。
身体の形は飛行しながら操作するしかなく、クレッタは急いで鳥本来の体格へと変形した。そして暗雲に紛れてしまえるまで高く、疾く、ぐんぐんと高度を上げて飛翔した。
しかし。ロクの赤い目に映る景色は恐ろしく鮮明だった。彼女は空に手を翳す。豆粒大にまで小さくなったクレッタの目頭に眩い光が降る。雷鳴。激しい爆音を伴った落雷が飛ぶ鳥を叩き落とした。
黒い煙をあげる消し炭のような小さな塊が、真っ逆さまに落下する。
ロクは赤い目をぎらつかせて、ゆっくり足を動かした。一歩、また一歩と、しっかりとした足どりで向かった先はクレッタの落下地点だ。
しかしロクは、道中でぴたと足を止めた。そしてまだ空中にいるクレッタを視界の真ん中に捉えてから、自身の腕を見下ろした。
纏っていた電気がふいに立ち消える。
彼女が小さな口でわずかに息を吸う。すると、右目の赤色はより濃密に、より色鮮やかに光を放った。
落下するクレッタに焦点を合わせ、詠唱する。
「────"呪記ノ零条"」
黒い消し炭と化したクレッタは"それ"の気配を感じ取って我が身をがたがたと震わせた。
"それ"がどのような呪いであるかを知っているのだ。
鳴り続けている危険信号が一層激しくがなる。クレッタは、ふたたび鳥の姿に戻ってゆきながら、空の上からロクを睨みつけて号哭した。
「クソクソクソクソッ、オマエェ──ッ!!」
突然、クレッタの落下地点から、無数の木の根、あらゆる植物が地面を割って噴き出した。怒涛の勢いで急成長し、それらは東門の方角に向かって幹や茎を伸ばす。そして気絶しているアイムを乱暴に捕まえると、ばねのように反動を利かせて、巨体のアイムを投げ飛ばした。
旋回しながら宙を飛んだアイムはついに、クレッタの落下地点──ロクの視界の中央に到達した。
次の瞬間。
──異様な紋様が、アイムの白い皮膚の上に刻みこまれる。紋様は崩した文字の羅列のようだったが、現代語ではなかった。紋様は徐々に、不安を誘うような赤黒い色合いに変色して、まるでアイムを侵食するかのように幾重にも折り重なって滲んでいく。
最後に、赤い目が覆い隠されて、やがて完全に赤黒色の薄膜にアイムが包みこまれると──
四散。
衝撃的な光景だった。アイムの身体が酷く凄惨に、しかし花開くようにも大きく弾け飛んで、散る。撒かれた肉体はもはや雨粒と相違ないほどに細切れだった。十尺はあった胴体も、九本の触手も、おかしく並んだ目鼻立ちも、なにもかもばらばらになって飛び散った。
降る雨粒に、黒い血潮が覆い被さった。
ばたばと降る雨音だけが、街中を包みこむ。あとに残った黒い液体の水溜りはすぐに、雨水に流されて、消えてしまった。しかしぼんやりと地面を見つめていれば、その液体は雨水とは混ざらずに、ひとりでに蒸発したようにも見えた。
気がつくと、クレッタの姿はもうどこにもなかった。おそらく暗雲の向こうに消えていったのだろう、目で追える距離にはもういなくて、街の中へと視線を戻した。
ロクは踵を返し、ゆっくりと歩きだした。
足どりは覚束ない、だから小石に躓いただけで、簡単に膝を崩した。息も絶え絶えで、指の一本も動かせそうにないほど疲れた横顔をしているのに、身体を起こして、荒れ果てた街の中を、一心不乱に歩き続けた。
しかし、やがてぷつりと糸が切れたみたいに、彼女は道の途中で倒れた。
さあさあと、耳のすぐ傍で雨音が響いている。そうしてようやく、彼女は瞼を閉じた。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.174 )
- 日時: 2025/06/08 23:03
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第156次元 時の止む都32
瞼を持ちあげる。目に飛びこんできたのは、知らない色をした天井だった。
起きあがろうとすると身体の節々が痛んだ。よく見れば、痣だらけで、顔も腫れているようでまだ熱を持っている。
戦いはどうなっただろう。エントリアの街の様子は。クレッタとアイムはどこに──?
レトヴェールが、次々と頭に浮かんでくる不安や疑問と格闘していると、藪から棒に声がかかった。
「レトヴェールさん、起きたんですね。よかった。具合はいかがですか?」
レトははっとして、意識を引っ張られた。見知らぬ部屋の中に、見知った医療部班の班員が立っていて、こちらの顔色を窺っている。部屋の壁や時計、机なんかの調度品は見慣れないが、室内にいる人物や、薬品の匂い、道具の類はごくごく慣れ親しんだもので、此花隊本部の医務室を想起させる。
しかし、医務室でもなければ、本部の一室でもなさそうだった。内装は、まるで貴族が住まう屋敷の客室のような様相を呈している。
しばらく部屋の中を見渡してから、レトは班員の女の質問に答えた。
「……悪くない。まだ、傷は痛むけど」
「そうですか。食べられそうなものをお持ちしますね。すこしお待ちください」
「待て。戦いはどうなった? 収束したのか? エントリアの街は? 神族たちはどこに行った。ここは」
レトは、矢継ぎ早に訊ねた。女は、急にたくさん問いかけられて、思わず手に持っている布巾をくしゃりと潰してしまったが、やがて手の緊張を解いた。
彼女は次のようにレトに伝えた。
神族【CRETE】と神族【IME】のエントリアへの襲撃事件は、つい数日前に幕を閉じた。エントリアは、街中に生存者がいないことを入念に確認されたあとですべての門を封鎖した。街の住民たちは、隣町のカナラと最西の港町トンターバにそれぞれ身柄を置いている。国でもっとも栄えた都市に住む住民の数だ。カナラだけでは、エントリアからの避難民を賄いきれず、此花隊隊長ラッドウールが西部の領主であるバスランド・ツォーケンに協力を要請した。ラッドウールが直近までウーヴァンニーフを気にかけていた経緯もあり、バスランドは快く避難民の受け入れを承諾した。
カナラはエントリア領の一部であるから、領主のイルバーナ家にチェシアが都合を利かせて、避難民の受け入れ体制を整え、また彼らがの所有する別邸を借りられるよう話を通した。別邸は使用人以外の出入りがなくほとんど使われていなかったが、十分な広さがあり、手入れも行き届いていて清潔な状態だった。
この邸宅が現在、此花隊本部の仮の拠点となっている。
此花隊隊員たちは、かつてないほど多忙の日々を送っている。エントリアからの避難民の支援にはじまって、怪我人の治療、神族の再出現への厳戒警備、死亡者の確認とエントリア街内の巡回、やることは多岐にわたり、あげればきりがなかった。
一通り答えたあと、彼女は「あとは」とレトの質問を順番に思い出していって、ふいに眉を下げた。
「……すみません、現場にいなかったもので、これは医療部班の班長から伝え聞いたお話になるのですが……神族は、エントリアの街から消えた、と」
「消えた?」
「はい」
女は頷いた。
レトは戦いの途中で意識を失い、ことの顛末を知らない。消えた、と一口に告げられても、どうにも頭の中では整理がつかない。戦闘部班の班員に訊ねたほうが話が早いだろう。
「……わかった。たくさん聞いて悪い。あと、班長たちはいまどうしてる?」
「ええと、それが……」
彼女はそれを聞くと、今度は歯切れが悪そうに、口元を結んだ。レトが不思議に思っていると、彼女はすこし小声になって答えた。
「……今日は、副班長以上の方が全員で、なにやら会議をしているみたいで……それが、どうにもただならない雰囲気というか。隊のこれからのお話についてかとも思ったんですが、なんだか違うようなんです……。朝から、皆さん、ぴりついていました。まだ、私たち一端の班員には降りてきていないお話みたいです」
女の頬には汗が滲んでいた。邸内のどこかですれ違った上層部の人間たちの緊張を宿した目を見て、萎縮したのかもしれない。
レトにはぴんときていなかったが、次に彼女が口にした言葉を聞いて、目の色を変えた。
「ああ、でも。戦闘部班の方々は、なぜだか班員も出席されているみたいですよ。レトヴェールさんはお怪我がまだひどいので、このまま欠席されたほうがいいかと……」
戦闘部班の班員だけは出席を許可されているのなら、議題は、組織のこれからでもなければエントリアに関わる話でもないのだろう。
次元師もしくは神族にまつわる重大な議題が掲げられている可能性がある。
レトはなんだか嫌な予感がして、毛布を剥がして寝台を降りた。
「会議はどこでやってる」
「え? ええと、二階で……」
「わかった」
「待ってください! まだ、安静に」
女の制止する声も聞かずに、レトは扉に向けて歩き出した。歩くたびに筋肉の軋む音がして、眉をひそめたが、痛い素振りを見せれば強く止められる。だからレトは堂々と歩いてやって、部屋を出た。扉を閉めてすぐに、頭のてっぺんから足の爪先まで、そこかしこが痛んでどっと汗が噴き出した。
壁に手をついてでも、廊下を歩き進めた。やはり、訪れた覚えのない施設だったが、階さえわかれば辿り着くのに時間はかからないだろう。できるだけ人目につかないよう注意を払いながら、レトは会議室を探して回った。
「神族ならば、殺してしまえ!」
木目調の机を叩き、顔を真っ赤にして男が叫ぶ。胴も手足も丸太のように太いその浅黒の男、ニダンタフ・ジーセンは、金の肩章を提げる援助部班の班長である。机を叩いた腕には血管が浮き出ていて震えている。
会議が執り行われているのは、もとは書斎だったようで、壁沿いに本棚が立ち並んでいる。壁紙も絨毯も落ち着いたくすんだ赤色で揃えられていて、調度品は一流の品ばかりだった。隅々まで控えめな煌びやかさを放ち、閑静だったはずの室内はいま人で溢れ、もうずっと騒然としている。鋭い声をあげたのはニダンタフだけではなかった。研究部班、医療部班が腰かけている席の周辺からも、不安の声は相次いで放たれている。黙りこんでいるのはラッドウール、チェシアと並んで、戦闘部班の班員だけであるほどに、ざわめきは嵩んでいく一方だった。
「たかが処分に時間をかけすぎではないか、セブン・ルーカー班長。情報を引き摺り出すならさっさとしろ。お前のことだ、吐かせるのは得意なはず。いったい、収束して何日経ったと思っているんだ? この事実が、万が一外部に漏れたらどうする。そうなれば隊の沽券に関わる事態。『我々が神族を飼っていた』と国中から反感を買う前に、処分しなければならないのは自明の理! これは断じて、譲ってはならない!」
「ニダンタフ班長。言いたいことは理解できますが、冷静に話をさせていただきたい。皆、貴方の大きな声に感化され、興奮してしまっています。これでは話が進まない」
「その娘の目が毒々しいほどに赤いことをしかと目に焼きつけ、神族だとわかっていながら、なぜさっさと殺さないのかと訊いているのだ!」
室内はさらに、ざわめきの声に満ちていく。
その娘、と指をさされたロクアンズが、部屋の中央でまるで見せ物みたいに立たされていた。顔の半分は、右目を覆い隠すように白い布が巻かれている。首から下は鎖で縛られていて、身動きひとつとらせないつもりだ。鎖は、コルドの次元の力によって生み出したもので、彼がロクの隣に控えている。
コルドは、自身の横に立つ、ロクの横顔を見やった。だが、前髪から落ちる影の暗さが深くて、表情が読み取れなかった。そんなコルドもまた、いつにも増して深刻な顔をして、困惑を隠しきれていなかった。
──ロクアンズ・エポールが神族である。
先の戦いで、その事実を目のあたりにしたのはコルドとチェシアの二名だった。彼らは、ロクの右目がほかの神族とおなじように真っ赤であるのを目視し、そして神族が所有する特別な力、"呪記"を行使する瞬間を目撃した。さらにエントリアの街中を襲った雷雨が彼女の力によるものだとわかると、隊員たちはなおのこと納得せざるを得なかった。
二人の証言によって、戦いのあとしばらく昏倒していたロクは目を覚ますや否や、厳重な拘束と監視を受けた。そして、全班の副班長以上の隊員と、戦闘部班の班員の目の前で、つい先刻に、右の瞳の色を明らかにされた。即刻、協議にかけられる運びとなり、現在に至る。
ロクはもうすでに、数多くの尋問と忌避の視線を浴びている。
けれども口を閉ざしていた。
目の端を鋭く尖らせたセブンが、語調を固くして、言い返した。
「まず、神族に関する情報の連携をいたしました。神族は心臓を持たず、肉体の損壊だけで討伐することは不可能。神族に心臓を与える方法もあるようですが、即時の実行は現実的ではありません」
「それも神族【NAURE】の虚言という可能性は?」
白い隊服に身を包み、セブンやニダンタフとおなじく肩章に金の飾りをつけた一人の女が、片手をあげていた。医療部班の班長を務めるミツナイ・マランは、しっかりと結いまとめて崩れそうにない団子状の髪を左右に揺らして、淡々と意見した。
「ノーラの討伐時、ノーラはある機を境に正気を失ったような状態になり、その直後、神族の心臓について発言をし、消滅に至ったと聞きました。正気でなかったのなら、発言の信憑性は低いように感じますが。なににせよ、一度ロクアンズ・エポールの肉体を解体し、検証するのも手だと思います」
「ああ、そうだ、ロクアンズ・エポールをひき潰せば、すぐにわかること」
加勢の声に調子をあげたニダンタフが、セブンがなにかを答える前に、睨みをきかせた。
頬杖をついていたチェシアが、ニダンタフの態度になかば苛立っているような声色で、すかさず切りこんだ。
「神族が心臓を持たないのは、真実でしょう。神族【CRETE】、神族【IME】ともに、我が隊の戦闘部班が総員でかかりましたが、いくら肉体に損傷を加えようとも討伐は叶いませんでした。神族【NAURE】との戦いのあと、報告があがった"歪な結晶のような赤い心臓"を持っていなかった、そうですね?」
チェシアは、コルドに視線を投げた。
戦闘部班の班員は、メッセルとレトを除いて頭を揃えていた。中でもフィラの顔色はひどく、考えこむようにずっと眉根を寄せており、俯いている。
視線のいどころに迷う者が多い中、しきりに瞬きをしながらでも、キールアだけがロクの顔を見つめて、手元を握っていた。
緊張した面持ちで頷いて、コルドがチェシアの発言を肯定する。
「はい。左様でございます、副隊長」
「ひとえに攻撃の手が緩かったのでは? それに子どもばかりが戦線に立っていたのですから」
ついに、チェシアは沸点に達して、右の拳で机を強く叩いた。そして目に角を立て、矢継ぎ早に言い募る。
「口を慎みなさい。先の戦いで、我が隊の次元師がどれほど危険な戦況に立ち、前線を張っていたと知っておいでですか。サオーリオではメッセル・トーニオ副班長が、エントリアではレトヴェール・エポールが善戦し、現在も意識不明です。二人だけではありません。次元師総員、肉体と精神を捧げ戦いに臨みました。それを、我々の軟弱さが招いた結果と? その子どもたちがいなければ、戦況は酷烈を極めていたと断言します」
「であれば! その犠牲を払って得た、ロクアンズ・エポールという大きな餌を前にして悠長に構えていないで、一刻も早く情報を引き摺り出し、心臓を持たせ、抹消する。これ以外のいったいなにが最善だと!? この国の宿敵が目の前にいて、それが豹変するかもしれぬ可能性を秘めているだなんて、我々は巨大な雷雲の真下にいるのと変わらないのですよ!」
だから早く殺してしまわなければならない。ニダンタフの発言の強さに、周囲の雰囲気が徐々に呑まれていく。此花隊に所属する隊員の多くは、神族や元魔に怨恨を抱く。それにメルギース国の民としての矜持もある。二百年も国の敵とされている神族を目の前にして、興奮しやすいのは火を見るよりも明らかだった。だから一つ大きな旗を掲げてしまえば簡単に引き寄せられる。
「ともかく、神族ロクアンズに厳重な処分を」
「彼女はこの次元研究所を壊滅させる目的で紛れこんだに違いない」
「ノーラやクレッタのように豹変してしまう前に、早く!」
「まったく、すこし静かになさい。室外に話が漏れてしまいます。情報の取り扱いに注意を」
チェシアは、室内にこもっていく熱を鎮めようとしたが、とても治まりきらなかった。ニダンタフの激昂を皮切りにして隊員たちが好き好きに発言を放ち、声が飛び交う。どうしたものかと収束にあえいでいると、部屋の奥の窓際にあるもっとも豪奢な長机からたん、と大きな音が立った。
その席に腰をかけたラッドウールが、片手に持った扇子を机に突き立てていた。大きな音の正体は、扇子の親骨の先端が、机をついて出たものだった。
「静かにしろ。まだ、ロクアンズ・エポールがなにも発言していない」
騒然としていたのが嘘のように、室内は、しんと静まり返った。
そして、立ち尽くしているロクに部屋中の視線が集中したときだった。
部屋の扉が開かれる。病衣に身を包んだレトが、室内に足を踏み入れた。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.175 )
- 日時: 2025/06/15 19:11
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
何年も一緒にいたのに、君の瞳は、知らない色をしていた。
第157次元 時の止む都33(最終)
いっとう豪奢な扉の向こうから、飛び交う人の声と、それを鎮めた大きな物音が聞こえてきて、レトヴェールは足を止めた。そして部屋に入るならいましかないと踏み切ったのだった。
案の定、室内にはラッドウールをはじめとした上層部の面々と、戦闘部班の班員たちの顔が揃っていた。
突然扉を開けて部屋に入ってきたのがレトだとわかると、コルドは驚いて、真っ先に声をかけた。
「レト、起きたのか。動いて平気なのか?」
頷き返そうとしたが、しかしレトは、部屋の中央に立たされ、鎖で拘束されているロクアンズと目が合った。
それからゆっくりと室内の様子を見渡して、隊員たちのほとんどが、怪訝な目つきで彼女を見ていたのだとわかると、眉間に皺を寄せた。
「どういう状況だ」
レトが低い声で呟くように言うや否や、しばらく閉口していたセブンが、仕切り直した。
「隊長が仰せになられた通り、ロクアンズ・エポールからは、まだなんの証言も得られていません。レトヴェールも来てくれたことですし、彼女も多少は、話がしやすくなったかもしれない。まずは必要なことを訊きましょう。レトヴェール、そこから動かなくてもいい、大変だろう。だれか彼に椅子を」
セブンが言うと、扉の付近に座っていた男の隊員が、壁に立てかけていた椅子をレトに薦めた。レトは、淡々と話を進めようとするセブンを訝しげに見たが、ひとまずは、素直に着席した。レトが腰を下ろしたのを確認してから、セブンはロクの顔を見つめ直した。
「君に、我々と会話をする意思はあるか。なければ、黙ったままでいい」
どこか他人行儀で、尋問でもされているかのような声色でそう尋ねられたロクは、新緑色の左目でセブンを見つめ返し、こわごわと口を開いた。
「……ある。話は、できる」
ようやくロクが声を発したので、それだけで周囲がまたすこし、ざわめきだした。セブンが片手をあげてすぐに制する。
「わかった。まず、君は入隊当初、「五歳以前の記憶を失っている」と我々に申し出た。その記憶を思い出した、それで間違いないだろうか?」
「……」
そう問われると、ロクはまた黙りこんでしまった。わざと黙っているというよりは、しごく言いにくそうに、眉根を寄せているのだ。セブンはそれをしかし、回答の拒否にとらえて、冷たく嘆息した。
「話す意思があるとはいっても、答えられないことも多いようだ。では、切り口を変えさせてもらう」
セブンの視線が動くのに合わせて、室内にいる人間の視線も動く。セブンと目が合ったレトは、確信した。セブンはこれまでに見たことのない、正しく言えば、他者を寄せつける気のない冷徹な面持ちをしていたのだ。
真意の読み取れない視線をレトに投げかけ、セブンは指を組んで前かがみになった。
「レトヴェール、君はエントリアでのことを、どこまで記憶している? コルド副班長から聞いた話では、戦闘中に意識を失ったとのことだが」
目を覚ましてからあまり時間が経っていなかったが、頭はすっきりと冴えていた。レトは丁寧に記憶を辿り、答えた。
「……俺が最後に見たクレッタは、巨大な鹿の姿だった。クレッタが、エントリアの西門に向かって走りだしたあと、コルド副班、ロクとともにそれを追いかけて街の中へ入った。コルド副班がクレッタの進行を止めようとしたけど、クレッタが暴れだして、副班に襲いかかった。そのとき突然、クレッタが俺のことを見つめてきて……。標的は俺に移った。躱せなくて、一方的に攻撃を受けた。気を失ったのはおそらくそのときだ」
セブンが満足したように軽く頷く。それから、背中をまっすぐに正し、深刻な声で彼は告げた。
「君にいまから残酷な事実を告げなければならない」
セブンは、視線を滑らせて、ロクを一瞥した。
なにを言われるのか、ロクはすぐに察しがついたが、口を開く頃にはすでに遅かった。
「君の義妹のロクアンズ・エポールは、神族だ」
──レトが目を見開いて、硬直する。瞬きひとつせずに、できずに、彼は呆然とセブンの顔を見つめ返した。
それからロクに視線を移した。
ロクとレトは言葉を交わさなかった。
室内は、急に重苦しい空気に包まれて、わずかな物音も響きそうなくらいに静まり返った。
レトが言葉を失っていると、セブンは沈黙を破って、 続けた。
「先日の戦いにおいて、その証明となる二つの事象を、チェシア副隊長とコルド副班長が目撃した。ひとつは、彼女の右目がほかの神族と同様に真っ赤な色であること。これは両者から証言があったあと、この場にいる全員が確認をとった。そしてもうひとつが、神族が使うとされる呪いの力の行使だ。彼女の呪いの力によって、神族【IME】が消滅をしたとのことだが、直後に神族【CRETE】も追跡不可能となり、彼女が使用した呪いの力の詳細はまだ不明だ。しかし、ここまでの情報は得られても、まだ彼女の本当の名前すら、我々は知らない。義兄である君から訊けば、彼女は答えるかもしれない。いま君は混乱しているだろうが、君の口から……」
「待って。私、ちゃんと、言う」
ロクがたえかねたように口を挟んだ。
室内にいる一人ひとりの隊員と目を合わせ、最後にレトの顔をまっすぐに見つめると、ロクはぎゅっと目を閉じた。
瞼をゆっくりと開いて、彼女は名乗った。
「私は……私の名前は、【HAREAR(ハルエール)】──"心情"を司る神族」
張り詰めた空気に、その響きが、静かに染みわたる。部屋にいるだれもが、いまこの瞬間に、彼女の名前を脳に深く刻みこんだ。
神族【HAREAR】。またひとつ神族の名が明らかとなって、興奮しているとか、おなじ旗の下で戦ってきた仲間が神族だったことが現実味を帯びてしまい、困惑しているとか、さまざまな思惑が入り混じっているはずなのに、だれも彼も口を閉ざしてしまい、依然として室内は静かなままだった。
しばし目をしばたき、間を置いたのちに、ようやくセブンが口を開いた。
「……心情を司る? 心情とは、心を指すのか」
ロクは頷いた。
「つまり、ロクア……いや、ハルエールは、人の心を操ることができるのか?」
ふいにだれかが口をついて、ロクは、はっとして口を噤んだ。
それを皮切りに、またしてもざわめきの声がふつふつと湧き立ち、徐々に膨れあがっていった。
セブンが、眉間の皺をより一層深くして、慎重になってロクに問い質した。
「まさかその力を利用して、我々の感情を」
「ち、違う! そんなことはしていないし、できない!」
「どのように証明する? 君に抱いていた好意、期待、信頼、あらゆる肯定的な感情を、自らが我々に植えつけたうえで、いつ本性を露わそうかと機を伺っていたのか?」
ロクは切羽詰まったように、首を横に振り、否定の意思を絞り出した。しかし隊員たちのほとんどはすっかり疑心暗鬼になってしまい、ロクへの不信感を募らせた。
セブンの厳しい視線がロクに突き刺さる。
「ちがう、そうじゃないんだ。心情は……」
掠れたようなロクの声が、周囲の雑音に掻き消される。
──心を操る力を持つのなら、隊員たちの感情をいいように操作し、組織に溶けこむなど造作もないだろう。
──彼女への心象は紛いものだったのだ。
──騙されていた。
隊員たちが口々にこぼす。募る。そうやって収集もつけられないほどに飛び交い、昂り、溢れていく声を、ばん! という一発の激しい音が堰き止めた。
レトが、背後の壁に拳を叩きつけていた。
不審と動揺の色に染まった視線が彼に集中すると、彼はたまらずに口火を切った。
「いい加減にしろ! ロクが否定してるだろ! ただの憶測で好き勝手に言うな!」
レトの口から勢い任せの怒号が飛ぶ。しかし、すかさずにセブンが、わざと椅子の音を立てて立ち上がった。そして、顔を真っ赤にし、目元をいからせているレトを諭した。
「君とて騙されていた可能性が高く、影響力でいえば私たち以上かもしれない。……いや、もしかして君は、この期に及んでまだ、彼女が神族だと認めていないのか? だれでもいい、レトヴェールにも見せてやりなさい、彼女の目を暴き、その瞳の色を」
ロクの傍にいるコルドが躊躇している間に、ほかの隊員が動きだそうとしたが、レトが彼らを鋭く睨みつけた。睨まれた隊員たちは思わず、びくりとして動きを止める。レトは、間髪入れずに、セブンに突き返した。
「必要ない。騙されてなんかねえよ」
「なにを根拠に」
「俺は最初からロクが神族だと知ってる」
衝撃的な一言が放たれて、セブンも、ほかの隊員たちも言葉を失った。
「……え?」
ロクだけが小さく、意表をつかれたような声をもらした。
セブンは片手で側頭部を抑えた。頭が痛くなるような告白だ。机の上を、しきりに指先でとんとん叩きながら、彼は真っ先に指摘する。
"ロクアンズが神族だととっくに知っていた"、──などと。妄言だ。
「……苦し紛れに彼女を庇おうとしても無駄だ。そんなことはありえない」
「真実だ。俺は、ロクが神族だってことを、ずっと前から知ってる。だから疑ってもなけりゃ、騙されてもねえよ」
「ではそれが仮に真実だとして、どのように証明する。いい加減な発言は、時間の無駄だ」
レトは、扉の近くにいたがおもむろに歩きだして、部屋の中央までやってくると、ロクとコルドと肩を並べた。そしてもうとっくに啖呵を切っている彼は、セブンと視線をかち合わせたまま、矢継ぎ早になって続けた。
「証明する方法ならある。ロクの右目の光彩だ。神族は、個々によって、瞳の虹彩の形が異なる。これはもう此花隊の隊員たちには周知されてる。そしてロクも例外じゃない。俺がいまから、ロクの右目の虹彩の形を言い当ててやる。俺は先日の戦いで、ロクが右目を開ける前に気絶し、そのときには目を見ていない。だからそれ以前に確認していなけりゃ、知る由もないはずだ」
神族の瞳の虹彩は、特殊な形をしていて、個体によってもその形はばらばらだ。
デスニーなら頂点の尖った菱形を、ノーラなら十字を、アイムなら円形を、クレッタなら三角形をそれぞれ模していた。
戦闘部班の班員たちから報告が上がっているので、当然ながら熟知しているセブンは、一瞬だけ間を置いて、レトとの睨み合いは断ち切らずに、コルドに話だけを振った。
「コルド副班長。彼は本当に、さきほど彼が告げたように、クレッタが鹿の形態であるときに気絶したのか」
「……は、はい。それは、相違ありません。私が、この目で確認しています」
「では、教えてもらおうか。ハルエールの右目の虹彩が、どのような形であるかを」
室内に緊張の糸が張る。レトは小さく息を吸って、答えた。
「五芒星だ。ロクの右目の光彩は、五つの点をもった星の形をしてる」
真っ先に声をもらしたのはロクだった。
「嘘だ」
そして動揺が隠しきれず、濡れた瞳を揺らして、呟くように言ったのだった。
「なんで……知ってるの」
顔に巻かれた包帯に触れる。すると、包帯ははらりと解かれて、床に落ちた。ロクの右目が顕になる。雷が走ったよう切り傷がある瞼の下、その赤い瞳の中では、"五芒星"が輝いていた。
ロクは興奮のあまり、身を乗り出そうとして、コルドが慌ててそれを差し止めた。ロクは、拘束されていることも忘れて不格好にもがきながら、声を張りあげた。
「どうして、レト、──あなたが知ってるはず、ないのに……!」
まっすぐにレトの横顔を見ていた、しかし彼は振り返る素振りもなく、つかつかとセブンの目の前まで歩いていった。
「神族だからってなんだ。根拠のない憶測を掲げて、寄ってたかって責め立てて、そっちこそなんのつもりだ」
そしてセブンの襟元を乱暴に掴んで引っ張り、額がつきそうな至近距離まで寄こすと、憤怒を抑えきれない剣幕で口早に言った。
「"心を操ってない"ってロクは言ってるだろ。第一、いま俺たちが対立してるのが、心を操ってないなによりの証拠だ! 俺がロクの立場で、もしも人間が憎いなら、まず心情の神だと明かさない。思い出した記憶は一部だけと嘘をついて、ひそかに全員の心を「自分への好意」にすり替え、操りやすくするほうがよほど賢明だ。ここで隊の人間同士を対立させることに利はない! そんなくだらねえことに時間を使ってねえで、もっとほかにやるべきことがあるだろ!」
セブンは、自身の襟元を捕まえているレトの手首を一瞥し、それから強く圧迫し返して、乱暴に引き剥がした。すぐに、悠長に襟元を整えて、なかば呆れたような息を吐いたのちに、冷たく言い放った。
「そうか。君はすでに洗脳されているようだな。心の神に」
それを聞くや否や、レトの目頭はさらにかっと熱くなった。そして前のめりになって、セブンに近づこうとしたとき、彼の剣幕が一層鋭くなったのを見たニダンタフが、レトが次元の力を発動させる気ではないかと恐れて、周囲に言い渡した。
「だれでもいい! 彼を止めろ! 危険だ!」
懸念は伝播し、援助部班の男隊員たちが颯爽と動きだした。レトの腕や胴を捕まえて、必死に抑え込む。しかしレトは止まらなかった。捕まえてきた隊員たちを引き剥がそうともがき、そして荒々しく殴りつけ、肘を打ちこみ、暴れ、ついにはより強い力で押さえつけられてしまった。彼は、病み上がりで、すでに身体中が汗でびっしょりと濡れていた。けれど、なにもかもを押しのけてでもセブンに掴みかかろうと必死だった。セブンだけではない。手あたり次第に、視界に入る人間すべてに、言ってやりたいことが山ほどもあった。
「なんでロクのことを信じてやらない! この中のだれかを傷つけたことがいままであったか? 突然降って湧いた薄っぺらい事実だけを見て、裏目ばかり気にして、なんでロク自身を、あいつがいままでしてきたことをだれも見ないんだよ。ちゃんと見ろよ! ロクはちゃんとあんたたちに向き合おうとしてるだろ! 話をする気がねえのはあんたたちだ!」
こうなってはもはや、事態の収拾はつけられそうもなかった。動揺と困惑、不安などの感情が、声にもれずとも部屋に充満している。ふたたびの仕切り直しも利かないだろうと、セブンは早々に判断していた。
セブンは、区切りをつけるために、レトを取り押さえている男たちに向かって言い渡した。
「レトヴェール・エポールを部屋の外へ。彼は心情の神ハルエールによって気が狂わされている可能性が高く、正常な会話は不可能と判断する。上官命令により彼を自室にて軟禁処分とする。ニダンタフ班長、少々班員をお借りします」
「構わない。ハルエールは地下だ」
「はい」
強引に部屋から締め出されたレトが、その去り際までも、まだ言い足りないような不満な顔つきをして、セブンを睨んでいた。
続いて、コルドの先導のもとロクが退室したのだが、ロクは、義兄とは反対に大人しくなっていた。でもそれは、ただ呆然としていただけにすぎなかったかもしれない。
義兄妹が二人とも部屋から退室すると、室内にはまた、しんとした静寂が帰ってきた。だれも口を割らないうちは、空気の重さが嵩んでいくような心地だった。
窓の外からは、しとしとという雨の音が聞こえてきていた。数日が経っても、エントリア近隣の空には暗雲がたちこめていた。
「雷雲が去ってもまだ、雨は降り続いているな」
セブンは長机に腰かけていたのだが、ラッドウールと目が合うと、合図を受けた。彼の目つきは解散の意を告げている。セブンが頷いて、浅く息をつくと、研究部班の班員が着ている白い制服が視界の端に映った。セブンもラッドウールもそちらに顔を向ける。
「あのう、今日はもう、解散、でしょうか……」
おずおずとやってきたのは、髪が短く天然で縮れていて、鼻の先から頬までそばかすを散らした、長身の女だった。背が高いわりに腰の低い彼女は、会議中もまったく発言をしておらず、置き物のように座っていただけだった。見慣れた顔ではないが、セブンは彼女のことを知っていた。
先の次元師増加実験の事件で、各班の副班長が全員席を明けたので、新しい副班長が選任された。此花隊が次元研究所と呼ばれていた時代から組織の顔となってきた花形の部門、開発班の副班長となったのが、彼女だった。
「ああ、そうだね。また後日、招集をかけると思うけれど。今日は解散だ。くれぐれも、会議の内容は他言しないように。改めて隊長の口から周知をされるだろう。ご苦労様、開発班のユーリ・ファンオット副班長。ときに、ハルシオ・カーデン班長殿は、こんな大事なときにも不在にして、いったいどこにいるんだい。なにか聞いている?」
「す、すす、すみません。班長はいま、南東部の、離島に足を運んでいると聞き及んでいます。手紙を送ってみたところ、近々本部に帰還すると返事がありました。あと数日もすれば、帰ってくると、思うのですが……」
「へえ。さすがの彼も、事態の深刻さは受け止めてくれるようだ。隊の内情には一切興味がなくとも、神族の話には食いついてくれるといいのだけどね」
セブンはそう言ってから、片手をあげた。ユーリはぺこぺこと、余計なくらいに礼をしてから、及び腰で、すこしずつ扉のほうへと向かった。ほかの隊員たちもお互いに目を合わせて、ぞろぞろと部屋を出て行く。
「隊長、すこしよろしいですか」
セブンがラッドウールを引き留めているのを横目にしながら、チェシアも退室した。
やがて、室内から人がはけると、セブンは口を開いた。彼は、会議中に見せた厳しい口調に戻っていた。
「引き続き、ロクアンズ……。いいえ、神族【HAREAR】の監視と、情報収集を急ぎます。これまで彼女は一切口を開きませんでしたが、今日の様子から、会話は可能と判断します。ただし、彼女への心象操作が行われている懸念を拭う手段はありませんので、彼女から得られた情報の正否の判断は慎重に行うつもりです」
「今日のお前はらしくもなく、直情的だったな」
指摘を受け、セブンは言葉に詰まった。そして強張っていた肩の力をいくらか抜くと、静かに息をついた。
「……。自分で思っている以上に、ハルエールという存在に、動揺したのかもしれません。しかし、班の長の動揺は、班員にも影響しかねない。戦闘部班の面々が、もっとも困惑しているはず。私がしっかりと監督し、隊の内部が荒れて取り返しがつかなくなるような事態とならないよう、細心の注意を払っていきます。……隊長は、彼女に対して、どのようにお考えで」
ラッドウールは、思い返せば、まともに顔を合わせたのも入隊時の挨拶が最初で最後だった。しかし外では、よく義兄妹の噂を耳にした。お転婆で自由奔放、行く先々で問題を起こす、世話のかかる二人の次元師がいるらしい、と。とくにロクの行動は突拍子もなく、海を渡った隣国アルタナでまさか国王の面前で啖呵を切ってきたと報告を受けたときには、さすがのラッドウールも関心を覚えた。そんな彼女の表情が、今日は、記憶していたよりもずっと変わっていたが、ラッドウールは、彼女の顔が別人のようだとは思えていなかった。
「彼女が、なにかを言いたそうであったのは、間違いない。機会を見計らい、対話をしろ」
「……は」
「ここも長くは滞在しない。一時、イルバーナ侯爵の好意に甘んじているのみ。すぐにでも撤退しなければならない。考えはあるか」
本部を構えていた旧王都エントリアは、都としての機能を完全に失い、時を止めたように沈黙してしまった。
もちろん本部も、元魔の襲撃や、周辺の建物の倒壊に巻きこまれ、いまや見る影もない。その本部と遜色のない規模で、長期にわたって滞在が許される新たな拠点を探そうとしているが、なかなかすぐには見つからなかった。そのうえ、エントリアの復興作業や、街からの避難民の支援を引き続き行なっていくとなると、そう遠くへは移動できない。新たな拠点の調査は長期戦が見込まれている。
セブンは顎に手を当て、考えこむような仕草をした。
「一応……あるにはありますが、少々手強い相手と、交渉が必要です」
セブンはそう言って、肩を竦めた。ラッドウールは一言、「任せる」とだけ言い渡すと、部屋をあとにした。新たな拠点の調査ははたして戦闘部班班長の仕事だろうかと一度文句を言うべきか考えたが、やめた。セブンは幼少の時分から、故郷のベルク村で散々ラッドウールの小間使いをしてきた経験が根強いうえに、隊長補佐として飛び回っていた感覚も抜け切っていない。よって、言いつけられればたいていの命令には反射的に頷いてしまうのだった。
一人になると、つい先刻までの喧騒がまるで嘘みたいに、窓を叩く雨の音が鮮明だった。
並べられた長机の一端に腰をかけて、セブンは独り言ちた。
「あの二人は近いうちに、僕どころか、国中を驚かせる」
メルギース歴531年6月。神族および元魔の襲来により、旧王都エントリアの街の時計台の針が止まった。重軽症者は二千を超え、死亡者は数百人にのぼる。しかし人々は、足を止めてはいられなかった。その街で生きた、死に果てた、多くの人々の命を背負っている。たとえまだ雨が降り続いていても、晴れ間を目指して歩くよりほかに涙を乾かす方法もないのだから。
まだそれも教わっていない、小さな赤子だけが、母親を求めて泣いていた。
歯車の動き出す音が、どこからともなく聞こえていた。
*「時の止む都」編 終
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.176 )
- 日時: 2025/06/22 21:00
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第158次元 来客
イルバーナ侯爵家の別邸は、調度品の類が最低限の用意であるだけで、ほとんど不自由はなかった。過剰なくらいに生活感がなく、人も物もはけているのは、意図的に取り払われたからにほかならない。現当主の祖父──チェシアの実父にあたる──が金と酒と女に溺れ、エントリアの街一番の踊り子や楽団を招き、頻繁に宴会を催していたのがこの場所だ。父もこの別邸も疎んでいたチェシアが一度もここを訪れなかったので、一族の人間の足は自然と遠のいていった。
いっとう華やかな灯りと甘美な香り、そして娯楽に興じる人々の声で満たされていたのが嘘のように、現在では、玄関も広間も客室も、どこをとってもなんとも慎ましやかな様相に様変わりしている。
そんな、生活感のしない客室のひとつに居所を縛られ、レトヴェールは暇を持て余していた。セブンから軟禁を言い渡された昨日から、彼は狭い室内で、新鮮な不満を募らせていた。
本の一冊もないせいで無為に時間を貪っていると、部屋の扉の向こうから話し声が聞こえてきた。内容までは聞き取れなかったが、レトの監視役を務めているコルドが、だれかと話をしているようだ。ややあって、扉が開いた。
部屋に入ってきたのは、冷や水の入った桶を両手に抱えた、キールアだった。
「まだ、治ってない傷があるよね。わたしも、元力が戻ってきたから、次元師のみんなの治療に取りかかれるようになったの」
キールアは、朝に目を覚ましたときからずっと用意していた言葉を、いかにも自然な体を装って、レトに投げかけた。しかしいざ二人の視線が重なると、微妙な沈黙が生まれた。
つい、扉の前で立ち止まってしまって、 キールアはすぐに後悔した。
ふいにレトが、自身が腰かけている寝台の毛布に軽く触れて、口を開いた。
「ロクを神族だと知ったのは、あいつが次元の力に目覚めた日の、次の日。覚えてるだろ」
びくり、と手元が震えて、キールアは思わず、桶にためた水をこぼしそうになった。
すぐにでも訊きたいのが顔に出ていたのだろうか。隠すつもりでやってきたのに、見抜かれてしまったようだった。
キールアは、桶の中で揺らめく水面と、それに半身を浸からせた布を見下ろした。そして、桶の水をこぼさないように、ゆっくりと歩きだし、レトのもとへと近寄っていった。
「うん」
ロクアンズが次元の力『雷皇』に目覚めた日といえば、レイチェル村にやってきた元魔に村の少年が捕まってしまい、彼女が次元の力をもってそれを撃退したのだ。レトとキールアもその場に居合わせていた。大きな怪物の目がぎょろぎょろ動くたびに怖かったのを、キールアはよく覚えている。
床の上にそっと桶を置いて、自身もレトの隣に腰かけると、あらためて傷跡を診た。レトは、キールアに委ねて、じっとしていた。
「あいつは丸一日くらい寝てたんだっけな。寝ている間、何度か苦しそうな顔をしてた。それで俺が看病をするために、あいつの部屋を訪れたとき、偶然だった。……ロクの右目が、突然、開いたんだ」
「!」
「左目の色とは違って、真っ赤だったのが、そのときは恐ろしかった。ただ、両目の色が違う人種はいるし、あいつもそうかもしれないと思った程度で、そのときは深く気にしてなかった。……でも、【DESNY】と遭遇して、あいつも神族だとわかったんだ」
なぜ、突然に、しかもあとにも先にもそのときだけ右目が開いたのか、レトにはわからなかった。推測するとしたら、初めて次元の力を使ったのが大きく影響しているのかもしれない。
デスニーと相まみえたレトは、「おまえも神族なのか」と腹を決めてロクに問うべきかを迷ったが、やめた。ロクが、義母であるエアリスの墓前で枯れるまで泣いているのを横目にして、どうでもよくなってしまった。だから、たびたびレトは、ロクが神族だと忘れそうになった。無理にロクと張り合おうとしなかったのは、彼女が人間ではなく、もっと大きな存在だと気づいていたせいもあった。
キールアは、相槌を打ちこそすれ、余計な言葉を挟まなかった。ただ、持ち前の『癒楽』の力で、大きな傷から一つひとつ、もとの正常な状態へと戻していく。力を施すと余計に、患部が熱を持ってしまうので、その都度冷や水に浸けた布を押し当てて、腫れを引かせるようにした。
ふとレトが口を閉ざして、二人の間に沈黙が訪れると、キールアはそっと口を開いた。
「ありがとう、教えてくれて。……あのね、レトくん。わたしも……どうしても、思えないの。ロクが、心を操っているとか、わたしたちを騙しているだなんて」
「……」
「わたしが、ロクのこと、まだ大好きで、この先もずっと大好きでいたいこの気持ちは……正真正銘、わたしのものなんだって思う」
頬にくっくりと残っている、青い大きな痣に、キールアは薬を染みこませた布を当てるとともに、優しく触れた。これ以上傷つけないように。傷つかないように。昨日の会議では、きっと彼が人一倍傷ついたはずだった。なのに昨日、なぜレトの傍についてやらなかったのだろうとキールアは一晩悔やんでいた。ロクのことで動揺をして、頭がついていかなくて、周囲の大きな声に萎縮して、つい立ち竦んでしまったのが、友人として情けなかった。
キールアは、どうしても言いたかったことだけを伝えると、あとは治療に専念した。そしてあらかたの処置を終えて、最後に包帯を新しいものに取り換えると、一息をついた。
「あとは、経過を見させてね。もう行かなくちゃいけないから、わたしはここで」
「いいや、むしろ、悪かったな。俺の世話までさせて」
「診てくれって、言ってくれたでしょ? だから……悪いこと、ないよ」
「……」
「目を覚ましてよかった」
はっとした顔で、レトがキールアのほうを向くと、彼女は恥ずかしそうにはにかんでいた。そして手持ちの片付けをさっさと済ませ、また来るね、とそう声をかけてから彼女は部屋をあとにした。
悪かった──のは、治療で面倒をかけたのと、ロクについて黙っていたことの、二つあった。ずいぶん驚かせたに違いないのに、キールアは多くを訊いてもこなければ、大げさに動揺してもいなかった。無自覚のうちに、レトは、そんな彼女の態度に救われていた。
ぼんやりしていると、あまり間を置かないうちに、扉が叩かれた。
「客人が多いな」
扉を開けて中に入ってきた人物をみとめてすぐに、レトはきつく眉をしかめた。
穏やかだが、貼りつけたような笑みを向けてきたセブンが、静かに扉を閉める。そして颯爽とした足取りでレトの目の前まで歩いてきた。
レトは不機嫌を隠すつもりがなく、目に警戒の色を宿していた。
「なんの用だ。洗脳されている人間とまともな会話は成立しないはずだ」
「随分と、棘のあることを言うね。昨日の仕返しかな。安心したまえ。ハルエールの話をしに来たわけじゃないよ」
肩を竦めたセブンは、昨日よりかは幾分か和らいだ声色になっていた。
それから彼は、狭い室内をわざとらしくゆったりと見渡して、言った。
「一日はもったようだけど、早く出たいんじゃないかと思ってね」
「閉じこめた張本人のくせに、よく言えるな」
「それは悪いね。私にも立場がある」
まったく悪びれがなさそうにさらりと返したセブンの顔を、レトは真正面から見られなかった。どちらかというと、見たくもなかった。昨日、ロクを指さして好き勝手に憶測を並べた口や、疑いの目、きつく寄せられた眉も、なにもかも、いまは視界に入れたくない。
あきらかな拒絶を受け、セブンが短い息を吐いたとき、レトが応えた。
「当然、早く出してもらいたい。あいつになんの説明もしてないんだ。俺が知ってたことも驚かせた。ロクと話をさせてくれ」
セブンはそれを訊くと、口元に弧を描いて、指を一本立てた。
「では、条件を出そう。飲んでくれたら君を解放する」
「なんだ」
「我々は、この拠点もいずれ移動する。長居はできないからね。だから、長期的に滞在できる新しい拠点を探しているんだ。……そこで、君に協力してほしいことがある。単刀直入に言うと、かつてエポール王家が所有していた何邸かの屋敷への滞在許可がほしいんだ」
セブンの探るような目を一瞥だけして、ふいに寝台から立ち上がると、レトは壁にかかった小さな額縁の絵画を見つめた。エントリア領内には自然が多く、いったいどこからの景色を切り取ったのか、青々と茂る丘の絵は、淡い絵の具で描かれていた。
「申し出る相手を間違えてる。そもそも、ここ一帯は、王城も含めてエントリア領だ。点在している旧王族たちの私邸も、ほかにいくつあるか知らん屋敷も、イルバーナ侯爵家の使用人が手入れをしてるそうだな。副隊長にでもまたかけ合ったらいい」
「おや」
セブンは顎を撫で、大げさに感嘆の声をもらした。それから、レトの背中に向かってこう続けた。
「では、噂だったのかな。エントリア領で唯一……レイチェル村だけが現在もエポール一族の私有地であるのは」
「──」
「ああ、間違えた。村ではなく、"レイチェル庭園"──だったかな」
振り返ったレトの目の色が変わっていた。
セブンはまた口元に怪しげな笑みをたたえて、相手の顔色を伺うように首を傾げた。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.177 )
- 日時: 2025/06/29 17:55
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第159次元 思惑
「やっと真剣に話を聞いてくれる気になったかい。レトヴェール・エポールくん」
「なにが言いたい」
「ずっと言っているだろう。いまや君に所有権があるレイチェル庭園、その広大な敷地内に建てられている何棟もの屋敷、それらへの滞在許可を君からもらいたいとね」
「噂だ」
じっと探るような目で見られている、と気がついたセブンは、壁際に立っているレトヴェールに近づくように、緩慢に一歩を踏み出した。そして声を潜めて言った。
「"鍵"を、君が持っているんだろう。母君から受け取っているはずだよ」
「……」
レトは黙りこんだ。
そして、するりとセブンの横をすり抜けると、寝台に腰を下ろす。
諦めと、すこしの動揺を含んだため息をつき、レトは観念して独り言ちた。
「……そこまで知ってるとは思わなかったな」
笑みを崩さないままセブンも壁にもたれかかって、すぐに補足した。
「最近になるまで知らなかったよ。コルドくんから聞いた話がほとんどだ。彼の実家は根っからの、王政復刻派だからね。王政の廃止宣言が公布された当時はとくに、王家の動きに注目していたんだろう。随分と詳しいことを知っていたよ」
「あの家、エポールの家に相当関心があるな」
コルドの兄、シェイド・ギルクスいわく、ギルクス侯爵家の人間は幼い時分から王制時代のエポール王家の肖像画を目に焼きつけるのだという。シェイドの顔つきを見れば、たとえ王座から退いて二百年という月日が経とうとも、忠誠心を失わず時代を繋いできたのがわかる。彼らの徹底した教育には脱帽せざるを得ない。
レトは思い出すような目をして語った。
「あんたの言う通り、母さんから鍵を受け取った。亡くなるすこし前に。レイチェル村……いや、あのあたり一帯のレイチェル庭園に限り、領主はエポール家とされていることも教わった。ただ母さんも、たぶんいままでも、エポール家は表立った行動はしてない。表向きはイルバーナ侯爵家のもののように映り、村を取り仕切るのは村長の役目だからな」
村としての形を成したのは、メルドルギース王国最後の国王、エオトーナ女王がその座を退いたあと、ひっそりと暮らすようになってからだった。王城付きの使用人をはじめ、女王を支援していた主要な後見人たちが彼女を守るために庭園に家を拵え、いつしかそこは"レイチェル庭園"から"レイチェル村"へと名前を変えた。
レイチェルとは、メルドルギース王国を建国した初代国王、レイヴィエルフ・エポールの最初の息子の名前だという話も有名である。誕生した後継者に、祝いとして広大な庭園を与えたのだ。
レトは、母を失ってすぐにレイチェル村の村長のもとへ話をつけにいった。此花隊に入隊すると決めていた彼は、村を不在にする旨と、今後の村の管理をすべて委任すると伝えた。もともとエアリスも村の情勢にはほとんど手を出していなかったので、さして影響はない。村長は寂しそうな目をしていたが、深く礼をし、送り出してくれたのだった。
ぼんやりと思い出していると、レトははっとして、ふたたびセブンを睨んだ。
「ていうか、鍵のことを知ってるってことは……」
「ああ、うん、知っているよ。その鍵というのが、"レイヴィエルフ城"の謁見の間に続く扉の鍵なんだろう。その鍵を持っているということはすなわち……王城も、君らエポール家の人間に所有権があるとね」
「城まで貸せと言うんじゃないだろうな」
「まさか。そんな畏れ多いことは言わないよ。さすがにね」
セブンは、今度の発言は本音のようで、しっかりと否定した。
旧王都、エントリア領の一部であるレイチェル村およびレイヴィエルフ城は、いまもまだエポール家が所有している。エポール家の人間が代々受け継がれてきたものは、土地のほかにも古語の学習や乗馬術、王や妃が纏っていた衣服の類と数多くあるが、そのうちの一つに鍵があった。それは無人の王城、レイヴィエルフ城の謁見の間に続く扉の鍵であり、王城の所有権がエポール家に帰属していることを指す。王城がレイヴィエルフ城と呼ばれているのは、あえて言うまでもないのだが、初代国王の名を冠せられている。
だいたいの話が読めてきたレトは、本筋に戻した。
「それで、俺を解放する代わりにいくつかエポール家が持っている屋敷を貸せと」
「そうだ」
「吞んでもいい。ただし、それならロクのことも解放しろ。そしたら関係者に話を通す」
セブンの切れ長の瞳が、さらにすっと細められる。
空気がぴりついたのを感じ取って、レトが身構えると、セブンはいっとう低い声で返答した。
「それは譲歩できない」
壁から背を離し、セブンは寝台に座りこんでいるレトの目の前までやってきながら、続けた。
「彼女への不信は、今後も募る一方だろう。そのうえ彼女が、これまでの神族らでもあったように突然豹変する可能性も秘めている以上、厳重な監視をつけなければならない。君もわかっているはずだ。こちらの立場に立って考えてみれば、彼女の解放がいかに危険な行為であるかを」
セブンの目には強い警戒の色が宿っていた。援助部班班長のニダンタフの指示のもと、すぐにロクアンズへの厳戒態勢が敷かれた。彼女は地下室に追いやられ、監視役をつけられている。静かにしているが、周囲の目は一向に和らぐ気配がなく、昨日からずっと厳しい視線を受けている。彼女が神族であり、さらに心情を司る神であり、そこへ突然豹変して襲いかかってくるのではないかという懸念も乗りかかった。彼女を取り巻く不安要素が何重にもなっていながら、セブンらが"解放"を受け入れられるはずもなかった。
眉をきつく寄せながら、しばらく黙りこんだあと、レトはふっと視線を外した。
「交渉決裂だ」
拒絶を含んだ声色が、静かに、床に落ちる。
セブンは、たいして大きな反応を示さず、踵を返した。そして部屋を去ろうと扉に手をかけたところでふと立ち止まり、レトに問いかけた。
「我々の敵が何者であるかを理解しているのか」
「俺の敵は神族だ。けどロクは味方だ。この先何度でも言う」
レトは顔を上げていて、きっぱりとした口調で告げた。しかし、やはりセブンは冷めたような「そうか」を返して、退室した。
しばらく寝台に座ったまま、じっとしていたレトは、ややあって立ち上がった。そして手荷物の中から、絹糸で織られた髪紐を丁寧に取り出した。それは、エアリスが長い髪をまとめるのによく使っていた、王政時代から縁のある髪紐で、もともと一つだったのを二つに切り分けて、義兄妹にそれぞれ渡したものだった。
レトがもらい受けた髪紐の先端には、ずっしりとした重さの細長い鍵が括りつけられていた。これが王城の謁見の間に続く扉の鍵だった。彼はこの髪紐を使って髪をまとめることはあまりないのだが、肌身離さず持ち歩くために髪紐と鍵を結ぶようにした。もしも髪紐で髪をまとめる日があれば、髪の結び目にかんざしを挿すように鍵を通し、決して失くすことのないように細心の注意を払う。
義妹の分と切り分けられた髪紐の端は丁寧に織り返されていて、切り目などないみたいに美しい縫合がなされている。
手のひらに架けたそれを、レトはしばらくの間、見つめていた。
寝台はいくつか確保し早々に運びこむことができたが、清潔な布地はもちろん、水、薬草、酒精などの十分な用意は、貴族の屋敷の応接室にはない。一刻も早く場を整える必要があった。施術を行う者と、外部へ調達に向かう者とで人員が分けられた中へ、特例としてキールアが頭数に加わっていた。彼女の所属は戦闘部班だが、次元師の治療を専門にするため、医療部班のミツナイ班長から応接室への配置を義務づけられたのだった。
開放されている戸口をくぐって、コルドが応接室に入ってくると、キールアがぴたりと手元を止めた。机の上で薬草を漉していた彼女は椅子から立ち上がり、コルドに近づいていった。
「お待ちしていました、コルド副班長。しばらくお休みになれそうですか……?」
「いいえ。すみませんが、治療を終えたら、持ち場に戻る予定です。急ぎお願いできますか」
「……そうですか。わかりました。メッセル副班長のお薬を作りましたら、すぐに」
キールアは、コルドの顔を見上げて心配そうに眉を下げていたが、こくりと頷いた。
コルドが室内に足を踏み入れると、すぐに、藪から棒に声がかかった。
「持ち場というのは、地下ですか」
視線を向ければ、メッセルの寝台の傍らに、治療を終えたらしいガネストとルイルが付き添っていた。丸椅子に腰をかけてメッセルの顔色をはらはらと見守っているルイルの横で、ガネストが青い目を振り向かせた。
コルドは答えた。
「……ああ、そうだ。班長から、ロクの監視役を命じられた。彼女の傍につく者は、次元師でなければならないと。班長の指示はもっともだ、と俺も思う……」
「様子は、聞いても」
「……。なにも。ロクはずっと、ぼうっとしている。声をかければ返事はくれる、が……いや、俺も悪い。言葉を選ぼうとして、結局、まだきちんと向き合えていない」
「では、あなたは少なからず、彼女を肯定しているのですね」
ガネストにそう指摘されたコルドは、下唇を噛み締めて、言った。
「ロクのことを……ただ、なにも考えず、信じていいものか、正直迷っている。こんな、中途半端な面持ちでいながら、あの子と向き合いたいなんて言ってしまえる自分が……もっとも不甲斐ない」
歯切れの悪い言い方をしたコルドも、戸惑っているようで、つい部屋の真ん中で、手持ち無沙汰に突っ立ってしまった。キールアに腕を叩かれて、はっとしたコルドは、空いている寝台のふちに腰を下ろした。
ふと訪れた沈黙が、場の空気をより重苦しくして、口を開くのも憚られた。
開け放った窓から、澄んだ風がふわりと舞いこんできて、ガネストはくんと鼻先を仰いだ。窓の外を見れば、空の色は乾いていた。代わりに、吹く風は雨と土の匂いを含んでいた。
「僕も、動揺しています。自分で思っているよりも、ずっと……。まだ、気持ちの整理が追いついていないのかと」
ルイルが、メッセルの額に汗が滲むたびに、それを丁寧に拭き取っていた。ガネストはルイルの手元に、清潔な布を差し出して、取り替えるように促した。
「神族が、この国にとって敵であることを教えていただきました。そして、それらと戦うために僕らは来た。でも、その敵の一柱が、海を飛び越えた理由であったとわかって……いったいなにと戦うべきなのかを、見失ってしまった」
ぽんぽん、とメッセルのこめかみにそっと触れていたルイルも、取り替えてもらった布をぎゅっと握りこんで言った。
「あの、ルイルは、よくわからないけど……。ロクちゃん、悪者なの? 一人ぼっちで、さみしくないのかな」
自分だけがいて、ほかにだれもいない部屋の中で、寂しさを募らせるのが、どれほど心細かったかをルイルは知っている。だから会いに行きたいのだと、話がしたいのだと、何の気もなしに進言してみたのだが、大人たちはみんな首を横に振った。
ロクは会いに来てくれたのに。毎日、毎日、話をしにきてくれたのに、ルイルは大人たちにたった一言諌められると、引き下がってしまった。
薬湯を木板に乗せて、近づいてきたキールアが、二人に会釈をしてからメッセルの傍についた。小さな匙で薬湯の上澄みを掬って、メッセルの口元まで持っていく。はじめは口の周りを湿らせて、徐々に、隙間からゆっくり流しこむ。
「キールアさん、ですよね。以前、ロクさんの口から、あなたが幼馴染で友人だとお聞きしました。あなたは……どのようにお考えですか?」
声をかけられると、キールアは手元を下ろして、ゆっくりと振り向いた。ロクが語った昔話に登場した、小麦色の髪の友人とは、彼女のことだ。ガネストとルイルが所属する第三班はしばらく遠征していたため、本部に常駐していたキールアと顔を合わせたのはごく最近で、このたびの騒動が収まってからようやくだった。
キールアは、ガネストに向かって、ただ微笑み返した。そしてなにも言わずにメッセルに向き直った。メッセルがひと匙ずつでも、嚥下するのを確認すると、口元を拭き取ってから立ち上がった。
そのとき、もう一人、戸口をくぐって入ってきた人物がいた。両手に、治療に使う用具を抱えていた。
「キールアちゃん、戻ったわ。カナラの施療院から、包帯と薬草を分けてもらったの。ここでは十分なくらい」
「フィラ副班長、おかえりなさい。ありがとうございます」
キールアは、フィラから荷物を受け取ると、作業机まで運んだ。
軽く部屋を見渡したフィラは、ぱちりと、コルドと目が合った。
彼女は軽傷ではないものの、傷はほとんど治っているようで、身動きをとるのに不都合がなさそうだった。しばらくぶりにフィラの姿を見かけたコルドは、彼女が元気そうでほっとしたが、同時にある疑問が頭を掠めていた。
「フィラ副班長、ご無事でなによりです」
「……え、ええ。はい。コルド副班長も……」
「あの、巳梅は……」
訊かれるだろうと予想していたフィラは、激しく動揺しなかった。彼女が返事をするより先に、肩口から『巳梅』が顔を出した。ちろりと舌を出した『巳梅』は、しなやかな肢体に細い包帯を巻いていた。
フィラは俯いていたが、作業机の上で準備をしているキールアの近くまでやってくると、彼女の手元からそっと、酒精と布を取った。そして目配せをしてから、コルドの寝台まで自らが足を運んだ。
コルドはフィラを目で追っていた。彼女が近くまでやってくると、上着を脱ぐ。幾日と経たないうちにぼろぼろになってしまった包帯を解いていくフィラが、先に口を開いた。
「せっかくロクちゃんが送り出してくれたのに、私……最低なんです」
「なにがあったんですか? フィラ副班長。巳梅が、エントリアにやってきましたが、俺たちに気がつきませんでした。あなたを置いてひとりでに行動するなんて……」
フィラは下を向いたまま、ゆるりと首を横に振った。
サオーリオから神族らが移動して、あとを追いかけたフィラだったが、彼女はセースダースを包みこんだ戦火を目の当たりにして、足を留めたのだった。
神族らとはセースダースでふたたび相見えた。そして、進行を止めようとしたが、やはり『巳梅』はフィラの意思に従わなかった。街を通り過ぎようとする神族らを追いかけたかったけれど、フィラの意思はすでに希望を失っていた。だから、現地であえぐ人々の声に耳を傾け、戦い方を切り替えたのだ。クレッタが残していった置き土産──大量の元魔が街に跋扈しており、次元師も不在の中、絶望の淵に立たされた住民たちだったが、ある日を境に元魔の数が激減した。同時に、街中に雷鳴が轟き、フィラは理解した。あとから追いかける、と言ったロクが街に到着したのだ、と。しかし、元魔を一掃するとすぐに出ていってしまったらしく、ついにサオーリオで別れたきりになってしまった。
『巳梅』がフィラの意思に従わなくなった、と聞いて、コルドは絶句していた。とても信じがたいが、だれかれ構わず目に入った人間に牙を向く『巳梅』を目の当たりにしているコルドは、認めせざるを得なかった。いまはなんともないようだが、フィラの肩口で、そっと彼女の首元に寄り添っている『巳梅』の顔は、どこか申し訳なさそうにしているようにも見えた。
まだ痛々しい傷口を残しているコルドの肌に、酒精を染みこませた布をあてがうフィラは、手元こそしっかりとしていたが、言葉尻はずっと不安定に揺れていた。
「巳梅は、私ではなく、クレッタの命に従ってしまいました。私の弱さが招いたことです」
「……」
「悔しくて、悔しくて、たまりません。全部。なにもかも、上手くいかなくて。……ロクちゃんが何度も背中を押してくれたのに。ベルク村にいたときだって、ずっとほしかった言葉をくれた。だからいままであの子が私にくれたものが、全部計算のうえで、私たちを陥れるための策略だったなんて、私は思いたくありません。ぜったいに、そんなことないもの」
ぼろりと、フィラの目元から大粒の涙がこぼれて、彼女の腕の上に落ちた。それから嗚咽とともに、ひっきりなしに涙を流して、眦を真っ赤に染めた。次元師なのに神族を目の前にして、無力を叩きつけられた。背中を押してくれたのに報いるどころか諦めた。すでに自分を嫌いになりそうでたまらないのに、そこへロクの存在を責め立てる声が重なって、フィラは自分への怒りと、ロクを認めない声への怒りとで、とても整理が追いついていなかった。だから泣くつもりはなくても、説明のつけられない感情をこぼすために涙が溢れたのだった。コルドは、手拭いなど持っていなかったから、失礼だとわかっていながらも、腕の袖口をフィラの目元にあてがった。
そのときだった。なにやら廊下が騒がしくなってきて、キールアは作業台から離れた。
廊下に出ると、真剣な面持ちをした警備班の班員がちょうど、部屋に入ってくるところだったので、お互いにばっちりと目が合った。
「どうかされたんですか?」
「街の中に元魔が発生したと報告が入ったんです。動ける次元師様は……」
応接室内に緊張の糸が走った。キールアが室内を振り返ると、ガネストとコルドがこちらを向いていた。
「残党がいたのですか?」
「新たにクレッタが生み出したのかもしれない」
「私が出ます」
がたり、と丸椅子の足が滑る音がする。前のめりになっていた二人よりも先にフィラが立ち上がって、コルドは思わず、彼女の背中に声をかけた。
「フィラ副班長」
「皆は、休んでいてください」
フィラは扉近くに拵えられている長尺の上衣かけから、隊服の上着を取って、すぐに部屋を出ていった。もう涙声ではなくなっていたので、心配は無用かと思われたが、コルドはまだしっとりと濡れている袖口が気にかかっていた。
Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36