コメディ・ライト小説(新)
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- 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
- 日時: 2025/06/22 21:01
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)
毎週日曜日更新。
※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。
*ご挨拶
初めまして、またはこんにちは。瑚雲と申します!
こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします!
*目次
一気読み >>1-
プロローグ >>1
■第1章「兄妹」
・第001次元~第003次元 >>2-4
〇「花の降る町」編 >>5-7
〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
・第023次元 >>26
〇「君を待つ木花」編 >>27-46
・第044次元~第051次元 >>47-56
〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
・第074次元~第075次元 >>83-84
〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
・第098次元~第100次元 >>107-111
〇「純眼の悪女」編 >>113-131
・第120次元〜第124次元 >>132-136
〇「時の止む都」編 >>137-175
・第158次元〜 >>176-
■第2章「 」
■最終章「 」
*お知らせ
2017.11.13 MON 執筆開始
2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞
──これは運命に抗う義兄妹の戦記
- Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.81 )
- 日時: 2023/11/26 11:54
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第072次元 日に融けて影差すは月21
吹き荒れる雨雪。森の奥深く、道すがら倒れ伏せている母。母の身体には一本のナイフが深く突き刺さっている。そのナイフの柄に片足だけを乗せて、ゆらゆらと細い体躯を揺らしている──少年、しかしながら極めて中性的な顔立ちの、知らないだれか。
その人物は気味の悪い灰色の肌をしていた。血のように鮮やかな赤で塗り潰された眼球とその血だまりの上に浮かぶ白い虹彩が生物としての異質さを訴えてくる。髪は深い漆黒の剛毛で、吹雪に弄ばれているせいもあってか自由な毛先だ。どこをとっても、日常出会う人間の雰囲気とはかけ離れていた。
少年のようなだれかは云った。名は【DESNY】
"神族"である──と。
「あれ、もしかして知らないのかな? まあいっか。ボクらってあんまりヒトの前に現れたりしないからさ、驚いちゃうよね。キミは運がイイよ~、少年クン。せっかくだから拝んでいきなよ、ボクはね」
「……ねえよ」
「え?」
「だれとか知らねえよ。そこどけ」
吐き捨てるように言うと、レトヴェールは膝を浮かせた。腰を伸ばし、顔をあげた彼の金色の瞳は怒りで鋭くなっている。デスニーと名乗るその神族を睨みつける。
デスニーが黙っていると、いよいよレトは我慢ができず、
「どけっつってんだろ!」
叫びながら、怒り心頭に猛進した。飢えた子獣のようになりふり構わずに向かってくるのに対して、デスニーの赤い瞳は無感情だった。
「よ」
ナイフの柄から、たんっと翔び立ったデスニーはまるで胡蝶のように宙を舞い、レトの突進を悠々と躱した。行き場を失ったレトの身体は、厚く積もった雪に受け止められる。
「っ!」
「抱きつく相手をまちがえてるよ。ほら、大好きなお母さんはあっちだ」
デスニーはレトの頭を鷲掴みにし、乱暴に放り投げた。柔らかい雪はレトを受け入れた途端、冷徹な刃となって彼の体温を奪おうとしてくる。レトが目をうっすらと開けると、すぐ傍にはエアリスの寝顔があった。閉じたままの瞳と、雪とおなじくらい透き通った白い肌がレトに不安を与える。
レトは上体を起こし、エアリスの背中に乗っている雪を取り払おうとした。
しかし、
「……」
エアリスはうつ伏せではなく、仰向けの状態で寝ていることに気がついた。
「ザンネンだね、少年クン。お母さん死んじゃって」
「──っ、おまえ! おまえが、おまえが母さんを!」
「そんな怒んないでよ~。この女はべつにボクが殺したワケじゃない」
「…………は?」
レトは瞳をさらに大きくする。突然湧いて達した反感と嫌悪感とが、どす黒く汚い音となって口の端からこぼれた。
「死んだきっかけはたしかにボクだよ。でも選んだのは」
「ふざけんな! おまえが、おまえが殺したんだろ! じゃなかったらなんで顔が上向いてんだよ。母さんは病気だった、ただ倒れただけならうつ伏せになんだろ、おまえが病気の母さんをむりやり連れ出してこの、このナイフで殺したんだ! そうだろ!」
「落ち着いて。だからボクはなにも」
「なんだよ"神族"って。神がなんで俺たちの前に出てきたりすんだよ。200年前のことがなんだってんだ。関係ねえだろ俺たちは、──母さんは! なにも、なんもしてない、のに……なんで!」
一枚の大きな布で全身を包んだような格好をしたデスニーの首元をぐっと掴んで寄せる。レトは両手に力を入れ、溢れんばかりの怒号を浴びせた。その瞳には涙が溜まっていた。
「なんで、母さんを殺したんだ!!」
放り投げられたデスニーは太い樹木の幹と衝突した。その拍子に木の葉が揺れ、積もった雪がぼとぼとと彼の頭上に降り落ちた。
雪の欠片が控えめに降ってくる。デスニーは閉口していた。人形のように生気のない目や眉、口はただそこにあるだけでなんの役割もない。そんな彼の喉元に、
一本の刃が伸びた。
「……」
「ころしてやる」
それは一瞬前まで、姿かたちもなかった、短剣だった。もう一本の短剣がレトの左手に握られている。デスニーは、その二本の短剣が次元の力であることを、予め知っていた。
次元の扉を開く"鍵"──。選ばれた者にしか与えられないそれは、レトがこの世に生を受けた日からずっと彼の中に存在していた。鍵を見つけた者だけが開けることを許された次元の扉は、一度開けば瞬く間に、鍵の主を次元師とする。以後、次元師となった人間はその身に異質の力を宿す。
真っ赤な眼球に浮かぶ光彩は正常な白さを保ったまま、淡々と応えた。
「ムリだよ。いくら人間がそんなモノ持ってたって。ボクらはヒトを恐ろしく思ったことはないよ」
「だまれ!」
「ヒトって小さくてうじゃうじゃいるからさ、騒ぐのが好きだよね。そしてボクらに祈るんだ。神様どうか助けてくださいって。ばかだよね。なんの代償もなしに救いが降りてくると思っているんだよ。キミだって願っちゃったんじゃない? ウソであってくれ。夢であってくれ。それってだれにかけたのかな? 神様以外にいるなら教えてよ」
「……」
「ヒトはすぐに神を頼るくせに、悪いことが起きると神様の悪戯なんて言い始める。本当に鬱陶しいよね。……ああ、ごめんごめん。キミに愚痴を言ってもしょうがないよね。忘れてよ。あ、そうそう少年クン、彼女がなにもしてないかと訊かれるとちょっとちがくて……」
──そのとき。
独特の重低音が空気を劈き、デスニーの寄りかかっていた樹木を破壊した。それが雷の砲撃だと理解するまでに時間はかからなかった。デスニーは驚いたように目を見開いたが、ざくざくと雪を踏んでやってくる足音の主を認めると、口角を上げた。
「あれ、またまた次元師サマのお出ましだね? キミ、すっごく目がイイんだね。えっと、お名前は?」
「あなたはだれ? なんでここにいるの? おばさんに、なにしたのっ!」
ロクアンズの片目は既に状況を捉えているようだった。視力のいい彼女は遠目から、レトが少年に飛びついて投げ飛ばされたその一部始終を追っていた。
「はあ。チョット待ってよ。キミたちなにかカンチガイして……」
「──答えて!!」
若草色の髪が逆立ち、ロクの全身から雷光が飛び散った。次の瞬間、雷鳴が轟くのとほぼ同時に発散した眩い光がデスニーに襲いかかった。
「二元解錠──"雷撃"ィ!!」
真正面から電撃を浴びせられ、デスニーは「うわ!」と声をあげながら吹き飛んだ。ナイフの上からつま先が離れる。
雷の力の扱いが格段に上達している。いつの間に腕を磨いたのかと、しばしの間、レトは面食らった。
「レトっ! おばさんは!? おばさんは大丈夫!?」
「……」
「レ……なんで……ねえレト、生きてるよね、おばさん、まだ生きて」
レトは俯いたまま応答しなかった。ロクの片目がだんだんと見開いていく。細い喉が小刻みに震える。
「うそ。そんな。まだ、大丈夫だよ、レト、急いで帰ろ。おばさん、このままじゃ、死ん……」
ロクはエアリスの顔を覗いた。整った顔は淡雪みたいに透き通っていた。頬に手を伸ばすと、とても冷たくなっていた。
こんな寒空の下で、瞼ひとつ、動く気配がしない。
「うそ……だよ……うそだよ、おばさん……起きて! 起きておばさん! うそだよ、ねえ、ねえレトぉ……!」
「ウソじゃないよ」
肩に被った雪を振り払いながら、代わりにデスニーが答えた。彼はざくざくと雪を踏み、歩み寄ってくる。
「やあ、こんにちは。改めまして、ボクは【DESNY】。キミは神族って知ってるかな?」
「……しん……ぞく」
「ボクは、"運命"を司る神様なんだよ。だからキミたち一人ひとりにまつわる運命がぜんぶわかっちゃうんだ。もちろんそれはこれまで辿ってきた運命と、これから先に起こる運命のどちらも。ああでも、カンチガイはしないでほしいな。ボクには細かい道筋は視えない。運命っていうのはただの点でしかなくて、未来という漠然としていて広大な時間の中で小さく瞬く、いわば星みたいなモノ。ね、すごくロマンチックでしょ?」
神族。神様。黒い怪物。次元師。──運命。真っ黒に塗り潰された情報がまるで洪水のように脳裏に流れこんでくる。澄み渡らせたのはほかでもない。目の前で血まみれになって倒れている、エアリスの姿だった。
「しん、ぞく……──がっ! なんで、おばさんを!」
血で染色したような深紅の瞳にぎろりと睨み返され、ロクはぞっとした。足の爪先から脳天へと電気が走り抜ける。外気の寒さとは関係のないところで、身体が震えていた。
「そんなことよりキミさ、」
「……」
「もしかして」
デスニーはそう低い声で呟いてから、雪道をゆっくりと踏みしめて歩いた。そしてロクの目の前で立ち止まる。至近距離にまで迫ってきた彼に恐怖を覚えたロクはすぐさま、距離をとろうと一歩退いた。
だが、そんなロクの頭を強く掴んでデスニーは持ちあげた。幼い両足は地面と離れ、ばたばたと宙を掻く。
「うああっ! ああ!」
「──やっぱりそうだ、キミの運命が、視えない」
「……え?」
「ねえキミ、どこから来たの? なんでボクの"能力"が……運命が視えないのかな? ねえ? ねえ? ねえ?」
「っ、わか、んない……家族、も、記、憶も、なんにもない」
「そうなんだ。じゃあ名前は? ボク、キミの名前が知りたいな」
「ロ、ロク……アンズ」
「……ロクアンズ……」
デスニーが小さな声で口ずさむ。灰色の五本指を立てると、ロクが「うあ」と呻き声をあげた。少年らしい見た目に似つかわしくない重い力が彼女の頭蓋骨を痛めつける。彼女は、頭の中にあるその骨が砕け散ってしまうんじゃないかとひどく怯えた。
「ロクアンズ。どうやらキミにはトクベツななにかがあるみたい。ボクらはキミを決して見逃さない。だからキミも目を逸らすな」
ゴミを抛るように乱暴にロクの頭は投げ出された。打ちどころが悪いわけでもないのにまだ頭の内側がガンガンと響いている。早く痛みから逃れたい一心でいたロクは、レトの呻き声を聞いてから我に返った。
「レト!」
「エアリス・エポール。彼女は大罪を犯した。けど、まだ罪を払いきらないうちに死んだ。だから彼に代償を支払ってもらうんだよ。よく見ておいてよ、ロクアンズ」
地面に頭を抑えつけられ、デスニーの手から逃れようと必死に藻掻くレトの姿があった。しかし完全に組み敷かれてしまっている。彼の抵抗も虚しく、デスニーは余裕の笑みを浮かべながらじつに緩慢とした動きで、空いている右手をレトの背中の上に翳した。
「やめて! レトに……レトになにもしないで! おねがいッ!」
「──"呪記ノ二条"」
見たことも聞いたこともない奇怪な呪文。
のちにそれが、"神の呪い"と呼ばれるものだということを知るのだった──。
詠唱が結ばれるとレトの背中が、突然、かっと猛熱を帯びた。背にあたる布地が一瞬のうちに焼け落ち、彼は間髪入れずに絶叫した。
「レト!!」
肉を貫通し骨の髄に殴りかかってくる猛烈な熱さ。痛みを越えた圧倒的な息苦しさ。それらが拍車をかけて幼い身体をいたぶろうとしてくる。デスニーが手のひらを翳している背肌には、みるみるうちに黒い文様が刻まれていった。
「5年。5年のうちにこの呪記……"神の呪い"を解くことができなければ彼は死に至る。これはエアリス・エポールにかけたものとほぼ同様だよ。時が経つにつれ衰弱していく。呪いを解く方法は1つだけ。このボク、【DESNY】を殺すこと」
「……」
「ひとつイイことを教えてあげる。ボクはたしかにエアリスをこの呪いで殺そうとした。だけど……呪いは"果たせなかった"。失敗した」
ロクは瞠目した。デスニーはロクのほうに振り返ると、人形のように生気のない瞳を細めて、
「彼女は自害したんだよ」
と言った。
「抗えよ、少年少女。神にじゃない。運命にだ」
静かに告げてから、運命の神は忽然と姿を消した。森の中にはまだ轟々と吹雪が降り注いでいて、現実に帰ってこられそうもない膨大な虚無と悲壮感が立ちこめていた。
レトはこのときすでに意識を失っていた。母、エアリスが目覚める様子もない。ただひとり、世界に取り残されたロクは2人の姿を見つめた。それから震えている自分の両手を見下ろした。「う」と呻いて、それから、涙がぼろぼろ落ちた。
雪なんかじゃない、あれは非常に冷たく鋭利な剣であり、槍であり、矢だった。
突然空から降り注いできたそれは、残酷にも義母の胸を貫き、義兄の背に深い傷を残した。
ロクは堪らなく悔しかった。情けない声でわめいた。
『この世界の怖いものたちをやっつけられる力があなたにはある』
降ってくる雪を掴もうと手をいくら伸ばしても決して掴めないように、
『そうしたら、力を持ってなくておびえてる人たちを笑顔にできるわ。もちろんわたしも、レトヴェールも、みんな。みんなを助けられる』
広げて受け止めても必ず溶けてしまうように、
無情で非情で不条理で理不尽で凄惨で残酷な、現実には
『あなたはとても強い子だから、それができるって私は信じているわ」
敵わなかった。敗北した。無力だった。
「あ……あたし……おばさん、みたいに……こまったひと、たす、け…………たかった……っ!」
──あたしがこの力でやっつけてやるんだ、なんて。
なんて子どもじみた願いなんだ。途方もなく幼稚で力のない自分が大嫌いになった。
- Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.82 )
- 日時: 2020/04/16 14:57
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第073次元 日に融けて影差すは月22(終)
くすんだ濃灰の肌。
血で染めたように真っ赤な眼球。
宵闇に溶けていた黒い剛毛。
──それとおなじくらい、立ち振る舞いも喋り方もどこかゆらゆらしていて、掴みどころがまるでなかった。雷を司る次元の力で威嚇をしても、傷つけようとしても、神族【DESNY】の表情は一寸も崩れなかった。愉快そうに笑う顔が脳裏に焼きついている。
レトヴェールがデスニーに抑えつけられたとき、ロクアンズは咄嗟に「やめて」と懇願した。
どうしてあのとき、たとえ無謀だと、敵わないと、心の底から感じていたとしても次元の力を使って対抗しなかったのかと、ロクは翌日目を覚ましてから延々と自問自答を繰り返していた。
が、答えは案外早く浮上してきた。戦いを挑んで勝利することよりも、恐怖ひとつに全神経を支配されていたからだ。
一足早い暖かな風が吹くと、ロクの長い髪がふわりと浮いた。昨日の悪天候が嘘みたいで、照りつける太陽はじわじわと雪を溶かしつつある。随分と歩きやすくなった雪の道をさくさくと進むレトとロクの間にはしかし、まだ凍てついた空気が流れている。
ロクは昨日、レトの身体を引きずって命からがら帰宅したのだが、彼女自身あまりよく覚えてはいなかった。翌日の朝には日の出を待っていた太陽がやってきて、悪夢のようだった夜は吹雪とともにどこかへ去っていった。
エアリスの埋葬に出よう、とレトが言った。
先に足を止めたレトに追いつく形で、ロクが彼の隣に並ぶ。レトが見下ろしていたのは仰向けになって倒れているエアリスだった。動きだす気配がないのを再認識させられる。雪解けが始まっていたせいで、胸元に刺さったナイフが妙に生々しかった。
レトはエアリスの胸元からナイフを引き抜いた。引き抜く前に、う、と小さく呻いたのをロクは聞き逃さなかった。
「……レ……」
ロクはレトに手を伸ばしかけたが、ぴたと動きを止めた。目尻にたまった涙を落とすまいと眉をきつく寄せ、唇を強く結び、決して泣き声をあげようとしないレトを見て、なにもできなくなった。
ロクの頬にも涙が流れた。2人は鼻を啜るばかりで一言も会話を交わすことなく、一生懸命に母の遺体を埋葬した。
木の枝を組んで作ったちんけな墓標を土の表面に挿した。枝の断面には"エアリス・エポール"と文字も入れてある。
その場から動けない呪いにでもかけられているのだろうか。
しばらくの間、2人の足は地面に張りついたまま、かすかにも動かせなかった。しかし、
「……おばさん」
ロクがエアリスのことを呼んだ。次の瞬間、ロクは抑えることができずに大粒の涙をこぼした。
「おばさん、ごめんなさい。まも、れなくて、ごめんなさい。おばさんは……まもってくれたのに。たすけてくれたのに。あたし……あたし、おばさんみたいになれなかった。ごめん。ごめんなさい」
「……」
「だいすきだった、のに……──っ」
吠えるようにロクは泣き声をあげた。勝手に溢れてきて、勝手に頬を伝ってこぼれ落ちていく。枯れてしまうんじゃないかと思うほど彼女は泣いた。ずっと泣いていた。「ごめんなさい」と何度も謝った。「大好きだった」と何度も伝えた。返事はかえってこない。どんどん口から言葉が溢れ出るのに、行き場はなくて、溶けかけた雪の上に滴り落ちた。
レトはそんなロクの隣で口を閉じていた。唇を噛みしめていた。そしてぼろぼろと涙をこぼしていた。おなじだった。2人は母を喪った。
(……あいつも、こんな気持ちだったのかな)
ふとレトの脳裏を掠めたのは、数か月前に村から姿を消したキールアのことだった。レトは今日にでも腹を切って母の後を追いたいほどの失意にあるのに、彼女は母ばかりではなく父や弟までも同時に失っている。いまだったら、あのときの彼女の泣き顔に寄り添える。それなのに、彼女ももういない。
もし次に会えたらなんと言葉をかけようか。この日からレトは、キールアのことをふと思い出したときに考えるようになった。
弔いからの帰り道はすでに日が傾いていて、森林の葉が、泥と交じった雪が、橙色に染まっていた。レトのすこし後ろを歩いているロクは、すんすんと鼻を啜りながらこれから先のことを憂いていた。
(これから……どうしよう)
もともとはエアリスという人物に拾われただけの身なのである。エアリスを失ったいまとなっては、レトやあの家との繋がりはもはや皆無といっても過言ではない。
レトと別々の道を歩むとなれば、ロクには行く宛てなどない。
足元に視線を落としながら、このままレトについていってもよいのだろうかとロクは不安に思った。申し訳なさからか、だんだん歩き方もぎこちなくなっていく。
そんなとき、急にレトが道の途中で立ち止まった。ロクも慌てて足を止める。滑りやすくなっている雪道で転びそうになるのを堪えてから、ロクは顔をあげた。
「レト?」
「此花隊に入らないか」
唐突に持ち出された言葉には馴染みがなく、ロクは最初、レトがなにを言っているのかまったく理解できなかった。動揺と驚きが混じったような曖昧な声で、「このはなたい?」とロクは訊き返した。
「次元の力のことを扱ってる専門の組織らしい。おまえとか……俺、みたいな次元師もいる」
「! え、レト……」
くるりと振り返ると、レトは静かに瞼を閉じた。胸のあたりに意識を集中させ、ふと、頭に浮上してきた呪文を彼は口にした。
「次元の扉、発動──"双斬"」
短い詠唱がなにもない空間から"双剣"を出現させる。ロクは大きな目でぱちぱちと瞬きをした。
彼の両手に握られた二本の短剣を交互に見つめる。幻覚などではなく、本物の剣だった。
「うそ……」
「……昨日、なんでか俺にも次元の力っていうのが使えるようになった。たぶんこれがそう」
「じゃあ」
「戦える。【DESNY】とかいうふざけたヤツも、ほかの神族も全員。俺たちの手で殺せる」
此花隊という組織は神族に関する情報も集めているらしい、とレトは加えて説明した。断る理由のないロクは大きく頷き、その提案を受け入れた。
「うん。……強くなりたい、あたし。あきらめたりもしない。この力がある限り、全力で全部を守る!」
──あなたならきっとできる。エアリスがくれた大切な言葉が、胸の内側から響いた。
神族たちとの因果。次元師としての宿命。戦い。この扉の先には恐ろしく長い道が続いていて、一度踏みこめば後戻りはできない。自分はその暗澹たる巨大な穴の中へ身を投じようとしている。強がりも多少はある。だけど強がってでもいないとすぐに足が竦んでしまう。あの家の中で小さく縮こまっているしかできなくなってしまう。
叶えたい目標。願望。未来。それらを大きな声で叫ぶには、両足で立ち、前を向かなくちゃいけない。
「ああ」
レトはまっすぐ前を見ながら言った。エアリスが遺していった金の瞳は一雫の涙で陽を照り返し、一片の淀みもなかった。美しくて眩しい。背中に傷を負っていても彼はしゃんと立っている。
冬の冷たい風が木の葉を揺らし、雪を撫で、2人の間を吹き抜ける。
運命に抗うべくして、血の繋がっていない義兄妹は手を取り合った。
家に帰り着いた2人は、薄暗い家の中を明かりを灯してまわった。「おかえりなさい」の声が聴こえてこないだけで、別の誰かの家に帰ってきたわけでもないのにそんな心地悪さがつきまとった。
(そういえば……)
『彼女は自害したんだよ』
デスニーが去り際に残した台詞が、ロクは妙に引っかかっていた。もちろんエアリスが自ら命を投げ出すなどとは露ほども信じていない。なぜデスニーがあんな突拍子もない発言をしたのかが疑問だった。
(あたしたちのことをおもしろがるため? うーん……なんかちがうような気がする。それに、おばさんに呪いをかけてたってことは、おばさんはデスニーに会ったことがあるのかな?)
エアリスは、デスニーを殺せば呪いが解けることを知っていたのだろうか。もし知っていたとしたらなぜ、次元師に助けを求めなかったのか。ロクでは頼りないとしても、大人の次元師にかけあうことだって可能だったはずだ。それこそ此花隊という次元師や神族の研究をしている機関が存在しているにも拘わらず、だ。
ロクはこっそりとエアリスの部屋に入った。室内は整理整頓されていて、寝台も整えられている。外へ出る前に直していったのだろう。律儀な彼女のことだから頷けはするが、そもそも衰弱した身体で外出するというのもおかしな点のひとつだ。
彼女はなにかを隠していたのだろうか。
ロクは室内に踏み入るとすぐに、寝台横の小棚に目をやった。引き出しのひとつになにかの切れ端のようなものが挟まっていたからである。下から二番目の引き出しを引くと、挟まっていたのは平たい包み紙の端だった。調合薬だ。
「あ、これ……カウリアさんの」
エアリスの病気がまさか呪いによるものだとも知らずに、カウリアは彼女のためにと調薬に勤しんでいた。それをエアリスはいつも嬉しそうに受け取っていた。呪いのことはつまり、カウリアにも伏せていたのだ。
ロクは薬の入った包み紙をそっと引き出しに戻して閉めた。すると、
「……?」
一番下の引き出しにだけ、鍵穴があった。
引き出しを引こうとしても当然のように固く、開くことができない。鍵穴がついているのはこの引き出しだけだ。ロクの心拍数が急にあがった。
(まさか……ここになにか)
ロクはきょろきょろと辺りを見渡した。鍵穴が小さいため、おそらく解錠する鍵そのものも小さいのだろう。見つけるのは困難を極める。加えて、もしエアリス本人が昨日、いっしょに外へ持ち出していたらもはや地面の下だ。鍵のために墓を荒らすなど到底できない。
残る方法はひとつ。鍵穴を壊すしかない。
「……」
「次元の扉、発動」──とロクは小さな声で詠唱した。ロクの内側にある扉は簡単に解錠を許し、雷の力を彼女に与える。
ロクは深く息を吸って、吐いた。彼女は手のひらを鍵穴へ向けた。
「一元解錠、雷撃!」
ばちっ、と電撃が散る。最小の力で放たれたそれは鍵穴へ命中し、棚ががたんと上下に揺れた。一番下の引き出しは心なしか歪んだ。が、どうやら解錠には成功しているようだ。
ロクはそっと引き出しを開けた。中に入っていたのは、巾着袋一つと、小型の秤だった。彼女は一つひとつ手に取った。
「なにこれ……こっちは秤? なんで……」
巾着袋のほうは両手に乗せられるくらいの大きさだ。秤のほうは金属製で古めかしい。ところどころメッキも剥がれている。
ロクは巾着袋を凝視した。秤を一旦元の場所に戻そうとしたそのとき、彼女は手を滑らせて秤を落としてしまった。
「しまっ!」
がっしゃん、と大きな音が響き渡った。金属で造られているせいもあって音はかなり大きく、下の階にいたレトの耳にも入ったようだった。
大きな金属音を聞きつけたレトはすぐさま、ロクのいるエアリスの部屋に駆けこんできた。
「おまえ……! こんなところでなにしてんだよ、ったく」
「え、あ、こ、これはその……! ごご、ごめん! べつにおばさんのこと信じてないとかじゃ、なくって……!」
「は? ……おいロク、おまえその左手に持ってるの、なんだ」
「へ? ああ、これはその……おばさんの棚から出てきて……見覚えないし、カウリアさんからの薬ともちがうし、なにかなって……」
「母さんの棚から?」
「うん……。この一番下の引き出しだけ、鍵がかかってて、それで」
「勝手に開けたな」
「うっ。ご、ごめん……」
「……。貸せ、俺も見たい」
レトはロクの左手にあった巾着袋をひょいと取りあげた。怒っているわけではないようだった。デスニーは彼と対峙した際、「ボクが殺したわけじゃない」「彼女が選んだ」「罪を払いきらないうちに死んだ」などの発言をしていた。嘘だ、と一言で片づけてしまうこともできる。デスニーの言ったことが本当か嘘かなど、エアリスが死んだいまとなっては知る由もない。
せめて彼女の遺したものがデスニーや神族を倒す手がかりになれば。レトはそんな風に考えていた。それにエアリスが自分たちに隠しごとをしていたとあれば、知りたいと思うのは彼女の子として当然の摂理だ。
レトは巾着袋の紐を緩めた。その様子を、ロクが固唾を飲んで見守る。
巾着袋の中には長い葉が幾重にもなって敷かれていた。そして、
濃厚な黒が視界に飛びこんでくる。粉末らしいそれはぎっしりと詰まっていた。
「な……んだ、これ」
「……」
色で判断をするには早すぎる。もしかしたら砂鉄のようなものかもしれない。しかし2人の心臓は正直で、どくどくどく、と速く脈打った。
なにかの粉だ。
この粉の正体。彼女がこれを飲用していたのか否か。鍵穴をつけた理由。「自害」の一言──。すべてにおいて不明だった。得られたのは、砂利を噛んだような後味の悪さ、それだけだった。
- Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.83 )
- 日時: 2020/05/31 11:58
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第074次元 それぞれの
話し終えてからロクアンズは反省した。もとはレトヴェールと出会ったときにどのような目に遭ってどのように仲を深めたのか、のみに焦点を絞って語るつもりでいたのだ。エアリスの話まで持ち出したりして、重い気分にさせたにちがいない。幸いにも、神族【DESNY】と遭遇したと聞いてガネスト、ルイル、フィラの3人は目の色を変えた。神族への接触に成功した人間が限りなく少ないからだろう。
脳裏を掠めはしたが、キールアの存在については一切触れなかった。シーホリーの一族が生き残っているのをむやみやたらと言いふらすわけにはいかないからだ。フィラたちを信用していないのではない。そうでなくとも口にするのは憚られた。
そしてもう一つ、レトが背中に受けた【DESNY】の呪いの傷についてもロクは言及しなかった。
ロクはわざとらしく声を張りながら若草色の頭を掻いた。
「あはは。いろいろと脱線しちゃったけど、ようするにレトとは……どうやって仲直りしたかって訊かれると難しくって。ちょっとずつ歩み寄ったっていうかなんていうか」
「ろくちゃんとれとちゃんは、つらいこといっぱい、ふたりでのりこえてきたんだね……」
「え? ……そう、だね」
「いまのお話から考えると、レトさんはいまも昔も相当気難しい性格をしていらっしゃるわけですね」
「レトは優しいよ」
ロクは長椅子の上で膝を抱き寄せた。
「おばさんが亡くなって、そしたらあたしとレトはもうなにも関係ないのに、いっしょに此花隊に入ろうって……レトが言ってくれたんだよ。まだいっしょにいていいんだって、あたし、それがすごくすごく嬉しかったんだ……」
行き場を失った自分の手をとって導いてくれたのはレトだ。同情や慰めが湧いたからか、それとも2人で神族を討ちたいだけでそれ以外に余計な感情はなかったのか。レトは直接的な言い方をほとんどしない。常に本心が見えにくいからこそ余計に、談話室で突きつけられた一言が胸の奥深くを刺した。
「でも今日、レトに、『母さんの本当の子どもじゃないくせに』って言われて……あたし、勘違いしてただけなのかもしれないって思った。レトはあたしのことずっとそんな風に見てたのに、言わずにいてくれてただけだって」
抱えた膝をさらに引き寄せて、ロクは頭をうずめた。
フィラが重たい口を開いた。
「じゃあ、どうしてレトくんはあなたといっしょにここへ来たのかしらね」
「え……。……さ、さあ……それは……わかんない」
「私はね、あなたのまっすぐなところが好きなの。かけてほしい言葉をくれる。大人になると言い訳が上手になっていってね、本当はどうしたいのかを、考えたくなくなっていっちゃう。だからその蓋を開けよう、開けようって何度も叫んでくれるのが、ロクちゃんの素敵なところだなあって」
「……」
「もしあなたに対して同情心があったり、悪い風に思ってたら、いっしょに神族を討とうなんて言わないんじゃないかしら? まあそれもレトくんに訊いてみなくちゃわからないけど」
「レトに?」
「でもちょっと勇気がいるわよね。さ、そろそろ帰りましょうか。任務も済んだことだしね」
フィラが呼びかけると、ガネストとルイルは帰り支度を始めた。結局、屋敷から聞こえてくるという呻き声の正体はティリナサの操っていた幽霊たちの仕業だったので、元魔かもしれないと意気ごんでやってきたものの杞憂に終わった。
屋敷を出る間際に、ロクはガネストに声をかけた。
「ガネスト、さっきはその、ごめんね」
「なんのことですか?」
「あたし、気にしたことなかったんだ。ほかの人の事情にずけずけ踏みこんだりして、ガネストやルイルのときも嫌な思いさせてたのかなって……」
「……」
ロクは下のほうに視線を這わせて、申し訳なさそうに眉を下げた。ガネストは目をしばたいた。
「……しおらしくしてると別人みたいですね、ロクさんって」
「え!」
「うだうだ言ってないではやく元通りになってください。こちらも気まずいので」
「意外と言うよね、ガネスト」
「あなたらしくないっていう意味です。だれだってぶつかれる力を持っているわけじゃありません。でもあなたにはある。僕はそれが羨ましい」
ガネストは口角をあげて言った。「ほら行きますよ」と先を歩く。
ルイルの荷物をさりげなく持ってあげているのが目に入る。主従であるとか、忠誠だとか、堅苦しい国の決まりは文字通り海の向こうに置いてきたのだ。軽い足取りの2人はすぐにフィラの後ろについた。
ロクも慌ててあとを追った。
一方、カナラ街にある小さな薬屋で治療を受けていたレトは、上半身に巻いた包帯に不備がないことを確かめると隊服を着直した。
寝台から立ちあがって身支度を整えていたとき、キールアが部屋に入ってきた。
「あ……もう、行くの? 身体は大丈夫?」
「ああ」
「そっか……」
キールアは手元に持っていた包帯を後ろに隠しながら「じゃあこれ必要なかったね」と苦笑いをした。
身支度を終えたレトは扉に向かってまっすぐ歩いた。俯いていたキールアは、自分の目の前でレトが立ち止まったことに気づくのが遅れた。
「……あのさ」
「……?」
「その」
レトが頬に汗を滲ませながら言い淀んでいると、キールアは息を吸った。だれにも聴こえないくらいのきわめて小さな声で呟く。
「レトヴェールくん、は、知ってたの」
「え?」
「私が……ううん。私と、私の家族が……変な虫に、取りつかれてるっていう話」
「──」
まさかキールアが知っていたとは露知らず、レトは言葉を失った。キールアの家族が亡くなって初めてエアリスからシーホリー一族の奇病について聞かされた折には、『キールアはこの事実を知らないから言わないでくれ』と彼女から切に頼まれていたのだ。
キールアは手に持っている包帯に視線を落としながら、ぽつりぽつりと語りだした。
「ここでお世話になり始めて、そしたらいろんな病気のことが情報として入ってくるようになったの。中には遺伝性のある病気もあるって……。店主のコナッカさんが、ほかの患者さんと話してるのを偶然聞いちゃった。シーホリーの名を持つ一族たちの身体には古代の寄生虫が棲みついていて、ある日突然、獰猛な獣みたいに人を襲うようになるって……。だから政会の人たちも血眼になって探してるんだよね。……なんだかね、だめだってわかってるけど、やっと腑に落ちたの。なんの理由もないのに殺されるわけないってずっと思ってたから……」
「……」
「わざと、言わないでいてくれたの? あのとき」
レトは顔を逸らした。両親と弟が山奥にあった家ごと焼き払われた日のことを指しているのだろう。
「……ここにいるのは、危険じゃないのか」
「うん。コナッカさんは、私がシーホリーの人間だって知らない。それにこの店に薬を届けにきてた頃からお世話になってるから」
「そうか」
「うん」
「あらあらぁ! あなたたち、若いわねぇ~。お似合いだこと」
いつの間にやら扉から顔を覗かせていたコナッカが、ふくよかな頬に意地の悪い笑みを浮かべていた。
キールアはさっと顔色を青くして、強い否定を示した。
「えっ、ち、ちがいます。昔住んでた村がいっしょで……」
「私にもいるんだけどねぇ幼なじみ。でもぜんぜん、金髪の坊やほど冴えなかったのよねぇ~……。憎いねぇっ、キールア」
「……幼なじみ、っていうか……はい、まあ」
キールアは煮え切らない返事をして、「あはは」とお茶を濁した。レトは、ふっと視線を逸らした。
店の入り口の前まで見送りについてきたキールアは、塗り薬の入った小瓶と宛て布をレトに手渡した。
「これ、傷口に塗ってね」
「ん」
「……あの、よかったらロクに伝えてくれると、嬉しいです。私は元気だって。それじゃあ……元気で」
キールアが笑った。その拍子に、高い位置で二つに結びあげられた小麦色の髪が揺れる。寂しそうに眉を寄せているのがレトにはわかった。
「わかった」
淡泊にそうとだけ告げて、踵を返した。
が、背中を向けただけでレトは、そこから一歩も動かなかった。キールアが不思議に思っていると、彼はふたたびキールアのほうを振り返って言った。
「危なくなったら、言えよ。……またな」
琥珀色の瞳が大きく見開く。キールアは呆然としたまま、町の喧騒の中に消えていくレトの背中を見送った。
(『またな』……って……。レトヴェールくんにそう言われたの、初めて)
まだ村にいた頃のレトとはちがうような。どこか冷たい物言いだったり、返事の声が短いのは2年前のままだけれど、目が鋭くなかった。この2年の間になにか、彼の中で心境の変化があったのだろうか。おなじ時間を共有してこなかったキールアには皆目見当もつかなかった。困惑ばかりが胸の内に広がった。
「……上手くいかねえ」
レトはというと、キールアと別れてすぐに髪をくしゃりと掻き乱していた。
本部に帰還したロクは、真っ先にレトの姿を探し回った。このままでは嫌だ。訊きたいことも山ほどある。が、決意が鈍らないうちにと意気ごむあまり、焦って何度もおなじ場所を訪ねるなどしてしまった。
レトの自室、談話室、班長室、資料室、裏庭、風呂場──。
思いつく限りの彼が出没しそうな場所へと、片っ端から足を運んでみたロクだったが、レトとはいまだに出会えていない。
(むしろあとどこに行ってないんだ……? レトが行きそうなとこ、もう思いつかない)
廊下で、うろうろと行ったり戻ったりしながら、うーんとロクは唸った。
「……あ」
はた、とロクは突然足を止めた。しばらく考えたのちに、爪先の向きをくるりと変えて、歩き始めた。
もしかしてあの部屋にいるだろうか。
確信は薄い。どちらかというと半信半疑だったが、ロクはまっすぐその場所に向かった。心臓が逸るのに合わせて、歩く速度があがる。
目的の部屋の扉の前までやってくると、ロクはポケットから黒くて細長い布織物を取り出した。エアリスが亡くなる前夜に彼女から貰ったものだ。布織物を首にかけると、彼女は若草色の長い髪をまとめあげた。細い髪紐を取り出してくるくると巻きつける。崩れないようにしっかりと縛った。そして、髪紐の上から布織物を結んだ。
ロクは胸に手をあてて、深呼吸をした。
ぎぃ、と重たい扉の押し広げて、ロクは室内に足を踏み入れた。
「……──」
ロクの思った通りだった。鍛錬場の中央で立っていたレトは、扉の音に気がついて振り返った。
頬を流れていた汗が床に滴り落ちた。
2人の視線が交わったのは、朝に別れて以来だ。
「レト……」
「……」
- Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.84 )
- 日時: 2020/02/23 18:08
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: mUcohwxZ)
第075次元 つながり
襟元をぐいと引きあげて、レトヴェールは額から吹きだしている大粒の汗を拭いとる。金色の細い毛先からも一粒落ちた。彼は軽装だった。どのくらいの時間ここにいたのかはロクアンズには計り知れないが、彼は相当疲れているように見受けられた。
ロクはレトのもとまで歩み寄ると、意を決して口を開いた。
「レト、あの」
「ちょっと相手してくれねえか」
両手にはすでに『双斬』が握られていた。改めて柄に力を入れ直すと、レトはゆっくりロクとの距離を縮めていく。
ロクは突然のことで返答に困り、え、と曖昧な声をもらした。
「ちょ、ちょっと、レト」
「ぼさっとしてると、本気で斬るぞ!」
「──っ」
真一文字に一太刀、薙ぐ。ロクは驚くと同時に屈んで、逃げるようにしてレトの背後に回った。
太刀筋に躊躇がなかった。どうやら冗談ではないらしいことを悟ると、ロクも腹を決めた。
「次元の扉、発動──」
握った拳から電気が飛散する。
「──『雷皇』!!」
鋭い明るさが空気を焼き、床を這う。ロクが戦闘態勢に入ると、レトは間髪入れずに彼女の懐に踏みこんだ。
「っ、わ!」
今度は床から天井にかけて片方の短剣を振りあげた。軌跡が、縦一閃を描く。前髪の先端がほんのすこしだけ切り落とされて、ロクは顔をしかめた。速い。ロクは後方に退く。
「先手必勝、ってこと? そっちがその気なら──っ、三元解錠! 雷撃!」
ロクは片手を振りかぶって、"雷撃"を床に叩きつけた。電気が足の爪先をめがけて猛スピードでやってくる。レトはロクからかなり距離をとった。
「もう近づけないよ?」
「……」
ロクが口角をあげてにやりと笑った。
近接武器はこういうときに不利だ。『双斬』は基本的に、相手の身体に直接損傷を与える技が多い。対してロクの有する『雷皇』は遠距離からの攻撃および奇襲を可能とし、敵を近づけさせない壁をも築ける。隙があるとすれば、ロクが技を繰り出す動作に集中する、一瞬の間のほかにはない。
(試してみるか)
「四元解錠──、交波斬りッ!」
双剣が重なると甲高い金属音が鳴った。刹那。『双斬』は左右に薙ぎ払われ、突風が巻き起こった。遠距離からやってくる向かい風にロクは左目を瞑り、すぐに詠唱した。
(この次元技、初めて見る……──っ!)
「五元解錠──!」
電気の糸と糸とが絡み合い、ロクの周囲を囲うように雷の球体が編みあげられていく。"雷撃"から派生した新次元技、"雷籠"だ。ローノ支部に出現した元魔や、ベルク村でリリエンら兄妹と相まみえたときに活躍していた。
雷の壁が完全な球体を築く、その直前。
「隙だらけだぜ、ロク」
背中越しにレトの声がした。いつの間にかロクより後ろに回っていた彼は、すでに、双剣を振りかぶっていた。
しまった、とロクは直感した。
"雷籠"が完成したところで簡単に打ち破られる。それに新しい壁を作ろうものならその隙に斬撃を打ちこまれるだろう。形状が散漫とする"雷撃"もだめだ。難なく斬り抜かれてしまう。
ロクは咄嗟に、右の指先に電熱を這わせた。
「六元解錠」
猛熱をこめた細い指先を、レトの身体に向けてまっすぐ伸ばす。
「──雷砲!!」
強い光を帯びた熱線がロクの指先から飛び出し、空気を焼き切るとともにレトの左肩を撃ち抜いた。手離した双剣が遠くまで飛んでいくと、からんからん、と音を立てて床に落ちた。
はっ、と気づいたときには遅かった。壁際まで弾き飛ばされたレトが、肩を抑えながら項垂れている。レトの後ろの壁も大きく抉れていた。
「ご、ごご、ごめんレト……っ! あたしつい、そんなつもりじゃ」
ロクはさっと青ざめて、レトの傍まで駆け寄った。肩から大量に出血しているのをどうにかしなきゃとおろおろしていると、レトは深く嘆息した。
「あー、くそ。やっぱ強いな」
空いているほうの手でがしがしと頭を掻き、レトは悔しそうに眉を顰める。ロクは呆然とした。
「どういう感じ、五元とか、六元解錠って」
「え……」
「四元とかとやっぱちがう?」
ロクは戸惑いながら答えた。
「……う、うん。五元とか六元って、だんだんと扉が重たくなってるっていうのかな。だから重たい扉を開けるときみたいに……呼吸を整えるのと、一気に全身に力を入れるイメージ、っていうか……」
「ふーん……。そうか」
「……」
「……」
「レト、ごめ」
「謝んな」
レトは壁を頼りに立ちあがって、扉のあるほうに向けて歩きだした。まだ彼の語気は荒い。遠ざかっていく背中を呼び止めるように、ロクは声を絞り出した。
「で、でも」
「謝るのは、俺のほうだ。だからおまえは謝らなくていい」
扉のすぐ近くに、小ぶりのポーチと手拭いが無造作に置かれていた。レトはポーチから消毒液と包帯、当て布を取り出すと、上に着ていた練習着を脱いだ。患部にぐっと当て布を押しつけ、止血をする。
彼は背中越しに告げた。
「おまえがものすごい早さで強くなってくのが……嫌、だった」
怒っているわけでも毅然としているわけでもない。レトの声はか細かった。頭の中で整理ができていないうちに喋っているのが伝わってきて、ロクは目を丸くした。
「もちろんそんなの、自業自得だ。……おまえみたいに成長するには、どうしたらいいかわかんなくて、わかんないまま時間が過ぎた。いまの俺に母さんの仇は討てない。でもおまえならわからない。……それがすげえ悔しいのに、どうしても次元の力が俺には重い。おまえが言った通りだ。おまえみたいに努力してこなかった、その報いだ」
レトは、遠くのほうの床の上に落ちている『双斬』にちらと目をやった。戦闘中、満足に剣を振るえない瞬間がある。筋力がないせいだ。体力が足りないせいだ。まだ自分の武器になっていないのだと、彼は十二分に自覚していた。
「……俺は母さんの子どもなのに、って。おまえとの差に勝手に絶望して、勝手に嫉妬してたんだ。……ごめん」
「……」
「だからおまえはなにも気にするな。悪いのは俺だ」
普段より一回りも二回りも小さく見える背中に消毒液を垂らし、それから不慣れな手つきで包帯を巻き始めた。キールアに治療してもらったばかりなのにと申し訳ない気持ちになりながら、レトは練習着をふたたび被った。
ポーチを腰に装着し片手で手拭いを拾いあげると、レトは壁伝いに鍛錬場の大扉に向かった。
──なにか言わなきゃ、とロクは口を開いた。けれど声が出なかった。
『でもちょっと勇気がいるわよね』
ぎゅっと下唇を噛みしめる。遠のいていく背中にどうしても聞いてほしくて、大きな声を出した。
「──っ、ちがう!」
「え?」
レトは後ろから投げられたその声に反応して、すぐに振り返った。すると、ロクが左目に大粒の涙を浮かべていた。
驚くとともに、レトは動揺した。縋るような目をしたロクが、まっすぐ彼の顔を見つめながら、繰り返した。
「ちがうよ、レト」
「ち……。ちがわねえよ、俺はおまえに」
「あたしもレトにひどいことたくさん言った……。考えなしとか、弱いって思ってるとか……。……あたしは……レトに助けてもらったのに、なにも言わないでそばにいてくれたのに、なのになんでレトが謝るの? レトだけが謝らないで、あたしが悪くないみたいに言わないで!」
「……。お、おいロク落ちつ」
「どうしたらレトの妹になれる」
ぽろ、っと。薄く開いた唇から、勝手にそうこぼれた。
レトは口を閉じた。服の袖を強く握りしめているロクは、そうしていないと立っていられなかった。項垂れたまま、床に吐き捨てるように吐露する。
「──血が繋がってないとか、いまさらそんなのわかってるよ。2人の優しさにずっと甘えて、縋って……。なのにあたしは、2人のためにしてきたことがなにもない」
「……」
「本当の兄妹だったら……なにもなくてもいっしょにいられるのになって……ばかみたいにいっつも考えてる。ずっといっしょにいてもいい理由を探してる。だってじゃないと、あたしとレトは……なんの繋がりもないから。だから怖くてしょうがないの。いますぐにでも離れていっちゃうんじゃないかって、そればっかり……っ。ねえ、どうしたらあたし、レトと──ほんとの兄妹に、なれるのかな」
拾われた自分。拾ってくれた女性の本当の子ども。
レトと自分とを隔てる扉は途方もなく重くて厚い。片方が頑張って押し開けようとしたって、もう片方がいるところへは行けない。片方の力だけでは狭い隙間しかできない。だからその先へ踏み入ることができない。「あけて」と泣いて頼むことしか、ロクにはできなかった。
レトは、極めて落ち着いた低い声を絞り出し、端的に答えた。
「本物の兄妹にはなれねえよ」
重い響きが、ロクの心臓の真ん中のあたりを突く。現実だ。また幼子のように喚いてしまった。"血の繋がり"と冠された扉は、ロク一人の力ではとても開けられなくて、手を離してしまいそうになる。
「けど、本物以上にはなれる」
レトはそう言い切ってから、数歩、石のように動かなくなっているロクの近くまで歩いた。
「血をどうこうすることができないんだったら、べつのなにかで勝るしかない。……って、世の中の実の兄妹たちになにを張り合ってんだって感じだけど」
「……べつの、なにかって……」
「血の繋がり、以外に、勝れるもんがあるとしたら、絆くらいじゃねえの」
レトは手に持っていた手拭いを腰元の隙間に引っかけると、ズボンの内懐から黒い布織物を取り出した。ロクはそれを見て、はっとする。エアリスはロクにこの黒い髪紐を渡すとき、二つに切り分けたのだと教えてくれた。片方はレトに渡した、とも。
髪の結び目に合わせて、レトはその髪紐を結んだ。深い黒色の髪紐は、きらきらと美しく輝く金色の髪によく映えた。
「俺たちの母さんは……おなじだ」
「……」
「本物とか本物じゃないとか、ほんとは関係ない。おなじくらい大事に想ってて、想われてた。それはまちがいないんだ。ほかのだれかが変えることはできない。だから……」
「……兄妹、みたいに……なれてるってこと?」
ロクは弱々しい声でそう訊ねた。新緑の瞳が涙で濡れると、室内の灯かりと反射して煌めいた。レトは答えづらそうに目を逸らしたが、やがて呟くように言った。
「……まあ、そうだと思う、俺は」
「……うそじゃない……?」
「うそじゃねえよ」
「じゃあ、そばにいてもいい?」
「いなきゃデスニーを倒せねえ」
「いっしょに戦ってもいいの……?」
「ああ」
「ほ……ほんと?」
「……。あのなあ、そんな訊くなよ。もう答え」
「あたし、レトの」
「……」
「……」
口を閉ざしたロクの左側の頬には、涙の跡が残っていた。目尻からもう一滴落ちそうになった、そのとき。
レトが、服の袖でぐいっと彼女の涙を拭いとった。その拍子にロクは顔をあげた。
「破天荒で、なにかと手出したがりで、一人で突っ走って。いちいち危なっかしいのに、いつも一人だけへらへら笑ってやがる。でも……目の前にあるものを見捨てたことはただの一度だってない。もしもが起きないようにいつも全力で戦う。俺の義妹だ」
「……レ、」
「そうだろ、ロクアンズ・エポール」
柔らかく笑いかけるとともに、レトが言った。
すると、ロクはまた、ぽろぽろと涙をこぼした。レトはぎょっとして、すぐさま彼女の顔に腕を伸ばす。ごしごしと目尻を拭ってやりながら、ため息交じりに彼は言った。
「だいたい、なんでおまえのほうが落ちこんでんだよ……。いや、まあ、俺が言いすぎたせいだろうけどさ……」
レトは「だから、その」と口ごもった。素直に口にするのが苦手なくせに、何度も謝ろうとしてくれているのが伝わってくる。
ロクは嬉しくなって、思わず口元を緩ませた。
「へへ」
「な、なんだよ。急に笑って」
「だってうれしいんだもん。よかった。レトが優しくて」
「は? 優しくはねえだろ」
「優しいよ。レトはいつも、まちがったって思ったら、まちがったってちゃんと言う」
「……言うか?」
「……ちゃんとは、あんまり言わないか。でもなんかそういうの、見えるんだよ。だから大好きなんだっ」
ロクは満面の笑みをたたえてそう言った。レトは一瞬言葉に詰まって、腰元から手拭いを引き抜くと首にかけた。
「もう余計なこと、考えるなよ」
「うん。わかった」
「それより今日のは本当に俺が悪いから。おまえはなにも気にすんな」
「わかったってば。もー、マジメだなあ」
ロクが返すと、突然レトがくるりとロクのほうを振り返った。そして、ぽすっ、と若草色の頭の上に手の重みが乗りかかる。ロクはそのままぐしゃぐしゃと頭を撫で回された。
「本当にわかってんだろうな」
「うわっ、わ、わかってるよ! わかってます!」
「今回おまえは?」
「わ……わるくない!」
「……」
ふっ、とレトがわずかに笑った。
「ん。わかればよろしい」
最後にぽんぽんと頭を撫でられると、レトの手が離れた。
ロクはふと、お兄ちゃんみたいだなと、そんな風に感じた。きっと兄とはこういうもので、妹とは兄に頭を撫でられるものなのだ、なんて。幼すぎる発想だろうか。
2人は鍛錬場から外の長廊下へと出た。ひんやりとした冷たい空気が肌を撫でる。
「ねえレト」
「なんだよ」
「レト、どうしてあたしまで此花隊に誘ってくれたの?」
ロクはレトと並んで廊下を歩きがてら訊ねた。レトは言い渋る様子もなく率直に答えた。
「……母さんを埋葬したとき」
「え?」
「あのとき、おまえ……俺とおなじくらいずっと泣いてただろ。なんていうか、世界で一番自分が不幸だって、そういう顔してた。だから俺たちはいっしょなんだって思ったんだ。母さんを想う気持ちがさ。あのときにちゃんと、おまえが……妹になった、っていうか」
エアリスが亡くなったと聞きつけて、悼んでくれる村の住人は少なからずいた。「可哀想に」と、「お気の毒に」と、嫌というほど聞かされた当時は、正直なところうんざりしていた。いま思い返せば、子ども心に余裕のなかったせいだったのだろうが、それでも墓標の前で「ごめんなさい」と謝り続けた、血の繋がらない義妹の涙が色濃く目に焼きついたのだった。
「でもなんでいまさら」
「あ、えっと……じつはね、ずっと気になってたんだ。でもなんか訊くに訊けなくて……」
「なんだよそれ。変なやつ」
「あはは」
「おまえと別々になるって発想もなかったしな」
──本当に聞きたかったことが聞けてよかったと、ロクはしみじみとそう思った。勇気を出すのは簡単なことではなかった。もしかしたら自分が傷つくような答えが明確な音ととなって返ってくるかもしれない、そう思うと声が出なくなった。
けれど、相手の気持ちをただ知るだけではだめなのだ。自分の心の声を聞いてもらわなければ、心が通い合うことはない。嬉しい言葉が返ってくることもなかった。ロクはいつもの調子で、「へへ」と無邪気に笑った。
「じゃあ、いまからでもやっぱ戻してもらう? 班分け!」
「それはいい」
「えー! なんでなんで!? 別々になっちゃうよ!」
「おまえなあ。だいたいおまえが別々でもいいって言ったんだろ」
「ええ~うそだよ~。ねえレト、すねないでいっしょにいようよぅ~」
「すねてねえよ」
がっしりと腕を掴み、泣きついてくるロクの手をレトは無理やり引き剥がした。廊下を歩く間中ずっと「ねえねえ」「いっしょにいようよ」と縋りつかれたが、レトは頑として首を縦に振らなかった。
途中、資料室の前で立ち話をしていたセブンとフィラが、廊下を並んで歩く2人の姿を見かけた。声をかけようかとも思ったが、2人がおなじ髪紐を頭に結っていたので、彼らは黙って義兄妹の後ろ姿を見送った。セブンとフィラは互いに笑い合った。
- Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.85 )
- 日時: 2020/05/12 23:07
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第076次元 眠れる至才への最高解Ⅰ
「あらぁ、いらっしゃい、レトくん。朝早くから珍しいわネ」
「ども」
集会所の番を担当しているモッカが、カウンターから身を乗り出してひらひらと手を振った。その袖の色は灰色でレトヴェールたち戦闘部班のものとおなじであるが、彼女は戦闘部班の班員ではない。援助部班特有の紅色の腕章が、二の腕のあたりに留められている。
モッカはカウンター横に貼られているコルクの掲示板に顔を向けた。その拍子に、栗色の巻き髪と赤い耳飾りが揺れる。
「依頼をお探しかしら?」
「ああ、いや。今日はちがうんだ」
「あらそーなの。じゃ、飲み物でも淹れよっか。ちょ~っと待っててネ」
レトは適当なテーブルについて、脇に抱えていた資料を広げた。しばらくすると、カウンターのほうからコーヒーの香りがふわりと漂ってきた。
「……すいません、仕事でもないのに来て」
「いーのよぅ、べつにっ。ところでどーかしたの? それ……なにか調べモノ?」
「研究部班の、昨年分の報告書。資料室からとってきた」
「ふふ。バレたらまた怒られるわよ~? それで、なんで研究部班?」
「研究部班って次元の力とか、神族に関する研究をしてるところだろ。そういえばどんな研究してるか、具体的に知らないなって思って。にしても大した報告がないけど」
「言うわねぇ~」
しばらくすると、モッカがコーヒーを木製のトレイに乗せて運んできた。
「はぁい、ドーゾっ」
「……どうも」
「うわぁ、この紙の束、持ってくるのしんどくなかった? 資料室で読んじゃえばよかったのに」
「ここ、なんか居心地がいいっていうか。茶屋みたいで落ち着くから」
「あらそーお? もともとやってたのよぅ、お茶屋さん」
「そうなんすか」
レトは資料に向けていた視線をあげた。モッカは向かいの椅子に腰をかけながら答えた。
「家族でネ。地元でこじんまりやってたんだケド、毎日来てくれるお客さんとかいて。あの頃は楽しかったわぁ~」
「なんで、やめて此花隊に?」
「姉がここの援助部班の班員だったの。でもトツゼン、次元の力に目覚めちゃって、14年前の戦争で殉職した。アタシそのとき、お姉ちゃんの傍にいてあげたかったなぁってずっと後悔しててね。だから入隊したの。アナタたち次元師の支えになりたくって」
「……」
「ごめんネ。でもめずらしいコトじゃないわ。だからいまは、頑張って戦い続けてるアナタたちに全力で尽くすの」
実際に、援助部班への編入を志願する者というのは、親しい人間を元魔に殺害されたなどの過去を持つ者が多い。しかしながら次元師ではない人間が大多数であるのも事実である。喉から手が出るほど、その超人的で希望に満ち溢れた力を欲している者もいるだろう。力を持たない自分たちには元魔や神族に対抗する術がない。だからこそ援助部班の班員たちは、世界の希望ともいえる次元師たちを日々サポートしながら、募る想いを密やかに託しているのだ。
「でもアタシ、ホントは手配班ってとこの配属なんだケド、まさかここの受付に配置されるとは~ってカンジなの。レトくんたち、最近は元魔の出現連絡が入ったらすぐ出ちゃうからもうここ寄ってないじゃない? 1人で長いことここにいるって意外とさみしいのよぅ~」
「はあ」
レトが曖昧に返事をしたそのときだった。耳元に装着していた通信具が振動した。元力を通して伝わってきた意思の持ち主は、コルドだった。
『レト、いまどこにいる?』
「集会所だけど」
『至急、班長室前に集合だ』
「ん。わかった」
通信具から手を離すと、モッカが感嘆の息をもらした。
「それ、便利よネぇ。離れたところにいる人と会話できちゃうんでしょ?」
「距離に制限があるけどな。それに次元師しか使えない」
「じゃ、この先アタシみたいなふつうの人でも、使えるようになったりするのかしらっ」
「さあな……研究部班の腕次第だと思うけど」
レトは報告書の束をまとめて脇に抱えた。モッカに別れを告げ、彼は集会所をあとにする。
勝手に持ち出した報告書を元あった場所に戻すため、レトは資料室に寄ってから、まっすぐ班長室を目指した。
上着の内袋に両手をつっこみながら歩いていくと、班長室の前にはすでにコルドと、そしてフィラ、ロクの2人も到着していた。
「おはよう、レトくん」
「おっそいよ~! レト!」
「……なんで第二班の2人まで」
つい先日班の再編成が行われたはずだ。戦闘部班が立ちあがって以来の初の試みとはいえ、班が別々となったいまになって、ロクとおなじタイミングで招集がかかるなんておかしい。
レトが不思議そうに眉をひそめると、事情を把握しているらしいコルドがさらっと答えた。
「詳しい話は中に入ってからだ」
班長室の扉をこんこんと二度ほど叩き、コルドは入室した。彼に続いてフィラ、ロク、レトが室内に敷かれた赤い絨毯を順に踏む。
頭を抱えながら得意ではない雑務に投身していたセブンが、ぱっと顔をあげる。彼は黄土を薄めたような色の瞳を細めると、見慣れた顔ぶれを鷹揚に出迎えた。
「やあ。よく来てくれたね」
「セブン班長、連れてまいりました」
「ありがとうコルドくん。さっそくで悪いんだけど……君たち、此花隊の第一支部、研究棟へ見学に行かないかい?」
机の上で指を組みながらセブンが言う。聞き慣れない言葉に、ロクはこてんと首をひねった。
「研究棟?」
「そう。ここ、本部には研究部班の班員がいないだろう? じつは彼らは専門の施設で研究をしていてね。北方のウーヴァンニーフという街に門を構えている、第一支部というところなんだ」
セブンは木製の長いテーブルから立ちあがって、本棚にかかっている大きな地図の一部分に指先をあてた。
「君たちは普段、研究部班の人間と接する機会がないし、それに彼らは次元の力の研究をしているからね。いろいろと勉強にもなるだろう」
「わあっ、行きたい行きたい!」
「ロクくんならそう言ってくれると思ってたよ」
「それは構わないんですが……セブン班長、なぜこの4人なのでしょうか? いまとなっては班も別々ですし、片方ずつとかでも……」
「あ~……特に意味はないよ」
「は、はい?」
フィラが素っ頓狂な声をあげると、その反応を楽しむかのようにセブンが「はは」と高らかに笑った。
「冗談だよ、冗談。フィラ副班はこちらに異動してきて、団体行動の経験があまりないだろう? それに、レトくんとロクくんの2人を研究棟に行かせたことないな~と、ふと思ってね」
「……本当、昔から変わってないですね、そういう適当なところ……。班分けすることになって、この2人がどれほど」
「まあまあフィラ。今回は特例ということで、ね。特例」
飄々と躱そうとするセブンとは昔からの間柄であるフィラは、これ以上なにを言っても無駄だと早々に判断して口を結んだ。
そのとき、黙って立っていたコルドがごほん、と咳をした。
「はは。さて。雑談はこの辺にしておこうか」
セブンの声色が急に低くなる。空気が一変したのを察した一同は、彼の次の言葉を待った。
「見学、というのはあくまで建前上の理由。今回君たちを研究棟に向かわせる、その本当の目的は──"ある実験"の調査だ」
「ある実験の調査……?」
すでに卓上に並べていた2枚の資料を、セブンは指先でとんとんと示した。4人は長机に近づくと、紙面に注目した。
ロクは資料の左上に描かれた人物画を見て、左目を細めた。そのいかにも悪そうな人相には見覚えがあった。
「あれっ、この人たち……」
「そう。じつはあの事件があって以来、コルド副班の協力のもと、秘密裏に調査を進めていたんだ。右の資料は、デーボン・ストンハック。バンサ島で人身や贋作などの売買を働いていた商人だ。そして左がオッカー・ドネル。同事件でデーボンの助手を務めていた。覚えているかな」
「もちろんだよ! この悪人面、いま見てもイライラする~……!」
「あはは」
「たしかこの2人って……研究部班が開発した、次元師しか扱えない通信具をなぜか使用していた者たちだって、仰っていましたよね?」
セブンが首を縦に振ると、代わりにコルドが口を開いた。
「その件に関して進展があったんです。この2人の身元を調査しているうちに……ある事実に辿り着きました」
「ある事実?」
「では、こちらも見てもらおうか」
「……これは……」
セブンは机の引き出しから、新たに2枚の紙を取り出した。それぞれ、デーボンの資料とオッカーの資料の上に重ねて置く。その2枚の紙の左上に描かれている人物画に見覚えはなかったが、どちらも、白色の隊服のようなものを羽織っていた。
「ファウンダ・ストンハック。そしてこっちが、カイン・ドネル。見てくれればわかると思うが、この2人は此花隊の隊員で、研究部班に所属していた経歴がある。そしてどちらも……14年前のメルドルギース戦争で殉職した──次元師」
セブンが静かに告げると、コルド以外の3人は驚いて息を呑んだ。
「……この、殉職された2人の次元師隊員と、デーボンら2人が……血縁関係者だったということですか」
おそるおそる訊ねてきたフィラに対し、セブンは首肯した。
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