コメディ・ライト小説(新)
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- 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
- 日時: 2025/06/22 21:01
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)
毎週日曜日更新。
※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。
*ご挨拶
初めまして、またはこんにちは。瑚雲と申します!
こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします!
*目次
一気読み >>1-
プロローグ >>1
■第1章「兄妹」
・第001次元~第003次元 >>2-4
〇「花の降る町」編 >>5-7
〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
・第023次元 >>26
〇「君を待つ木花」編 >>27-46
・第044次元~第051次元 >>47-56
〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
・第074次元~第075次元 >>83-84
〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
・第098次元~第100次元 >>107-111
〇「純眼の悪女」編 >>113-131
・第120次元〜第124次元 >>132-136
〇「時の止む都」編 >>137-175
・第158次元〜 >>176-
■第2章「 」
■最終章「 」
*お知らせ
2017.11.13 MON 執筆開始
2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞
──これは運命に抗う義兄妹の戦記
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.68 )
- 日時: 2020/04/16 14:54
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第063次元 日に融けて影差すは月ⅩⅡ
ロクアンズとレトヴェールは目を瞠った。とくにカウリア自身に変わった様子はない。彼女は立て続けに詠唱する。
「"診架"」
途端、ロクアンズの全身が薄い光に包まれた。彼女はおろおろしながら腕の表面、手首、脚などに視線を這わせてみたが、どこにも異常はなかった。ただふわふわした感触だけが肌を撫でた。かと思えば、柔らかい光はふっと絶えた。
「……?」
「内を診た感じも異常なし、か。いやー、さすが若い子は治りが早いね〜」
「よかった。ありがとう、カラ」
「どうってことないさ。こんなの、シーホリーの人間ならだれでも使えるんだから。アディダスのせいでね」
「おかげで、でしょう」
2人の会話をぼんやりと聞いていたロクアンズは、思い切って口火を切った。
「あの! かうりあ……さん。いまのって、なあに?」
「いまの? あー、次元の力のこと?」
「じげん……って?」
「200年ほど前、この世に突如神々が降り立ち、その災いに見舞われた人間たちが突然手に入れた異質の力。それをこの世の中では、次元の力と云う」
カウリアは、いかにもこれからお伽話をしますといった風に仰々しく語りだした。しかし、ぽかんとするロクアンズを前にしてすぐにいつもの調子に戻る。
「でも、この力ってのはたった100しかない。だから次元師は100人しかいない……と言いたいところだけど例外もあってね。シーホリーの血を継ぐ人間だけは、なぜか全員『癒楽』の扉を開けられるのさ。どうやらあたしたちの先祖のアディダス・シーホリーがなんかしたらしくて。ま、それはいいとして。この次元の力を持ってる人間たちにはね、共通点がないの。つまり、ランダムで選ばれてるってこと。だからあんたも……偶然選ばれちゃったってことだよ、ロクアンズ」
「え?」
エアリスは目を丸くしてカウリアを見た。カウリアはというとそんなエアリスに笑みだけを返して、「それじゃあお大事に」と、部屋を出ていった。
「選ばれちゃった、って……なにに?」
「……」
「ロクアンズ?」
「……あのね、おばさん、あたし……手から、手からでんきがでたの」
ロクアンズは自分の両手を見下ろしながらぽつりとそうこぼした。
「くろいかいぶつをね、やっつけなきゃって、みんなをまもらなきゃって……そうおもったら、てとか、あしとかがびりってして、それで……」
思い返せばあのとき、ロクアンズはいままでになく必死だった。ころされる。漠然とした恐怖に抗うように願った。「たすけたい」、「たすかりたい」と、神に祈るような気持ちだった。
手先が痺れるような錯覚がして、ロクアンズは両手をぎゅっと固く握りしめた。
「あたし、こわくて……手もしびれて、いたくて……っ」
「すごいじゃない、ロクアンズ」
言いながらエアリスが、ロクアンズの両手を自分の両手で優しく包みこんだ。
「すご……い?」
「だってそれは……だれもが持てるものじゃないのよ。何億何十億って人がこの世界にいて、そのたった100人の中に選ばれたの。きっと偶然じゃないんだわ。この世界に偶然はないもの。あなたはこれからたくさんの怖いものと戦わなくちゃいけないかもしれない。でも怖がらないで。あなたとおなじような力を持った99人の次元師たちが、きっとあなたを支えてくれる」
「……どうしたらいいの?」
「ロクアンズ、それはね、大事な人を守れる力なのよ」
強ばるロクアンズの頬を撫でながら、エアリスは続けた。
「この世界の怖いものたちをやっつけられる力があなたにはある。そうしたら、力を持ってなくておびえてる人たちを笑顔にできるわ。もちろんわたしも、レトヴェールも、みんな。みんなを助けられる。あなたはとても強い子だから、それができるって私は信じているわ」
『たすけて』と泣き叫ぶテマクの姿を見たとき、使命感のようなものが身体中を駆け抜けた。まえに彼にいじめられただとか、そんな小さなことはもはやどうでもよかった。泣いている人を放っておきたくない。かつて自分がエアリスに助けてもらった日とおなじように、テマクの手を引いてやりたかった。
テマクだけではない。この世界にはまだ、彼とおなじように泣き叫んでいる人がいる。「次元師様」と祈る声で溢れているのだ。
「おばさん、あたし……。このでんき、もっとつかえるようになりたい。まだ、こわいけど……」
「そう。ロクアンズはえらいわね」
「おばさんがいるからだよ」
「私?」
「あたし……おばさんみたいになりたい。おばさんみたいに、こまったひとを、たすけられるようになりたい」
言うと、ロクアンズは恥ずかしそうに頬を赤らめた。固く結んでいた手もほどかれている。エアリスは何度か目をしばたいた。赤らんだ瞳をやわらかく細め、一度唇をきつく結ぶと、微笑んで言った。
「きっとできるわ。あなたなら」
*
まだ厳しい寒さの残る中、カウリアが自宅にて第二子を出産した。十月という時間をかけてお腹の中で育んできた命である。イズリアと名づけられた赤子は男児だった。
親友の子が無事産まれたことをお祝いするためにとエアリス、レトヴェール、ロクアンズの3人は昼下がりにシーホリー宅に訪れていた。
「あらあ~」
「ちっちゃぁい! かわいい!」
「でっしょ~? 名前はイズリアってんの。男の子だったから、旦那の最初の文字をとった」
「イズリア……ふふ」
「なに? なんかおかしい?」
「ううん。ただ……古語でね」
「……ああ。あんた好きだねえ。んで、なんで笑ってたのさ。イズリアって言葉が古語にあるわけ?」
「いいえ。"イズ"、ってね、娘って意味なのよ」
「げ。ほんとに? えー、どうしよ。なよなよした男になったら」
「あら。あなたのことだから、イイ男に育てるんじゃないの?」
「はは。そらそうだ。うんとイイ男に鍛えて、お姉ちゃんを守ってもらわなきゃね。あんたもぐずぐずすんじゃないよ~、坊主」
「べつにしょうぶしねえし」
けたけたとカウリアが快活に笑う。しょうぶ、という言葉を聞きつけたロクアンズがすかさず片手を突きあげた。
「いいなあ~! はいはい! あたしもしょうぶしたい!」
「おまえ女じゃん」
「いーの! あたしもキールアまもりたい! レトのほうがおんなのこっぽいし」
「ロクおまえおぼえてろよ」
「え?」
は、っとレトヴェールが息を呑む音がした。つい口から出てしまった言葉ごと吸いこみたかったができなかった。ロクアンズの片瞳がだんだんと輝きを得る。
「ロ、クって……え、なになに!?」
「まちがえた」
「うそ!」
「……あ。でも、あの、レトヴェールくん、あのかいぶつがきたとき……ロクアンズちゃんを、そうよんでた……」
「よ……、んでねえ」
「えー!? ほんとキールア!? しらなかった! ゆってよ! よんでよ"ロク"って、ねえっ、レト!」
「うっせえな! だいたい、長いんだよ、ロクアンズって!」
3人の小競り合いをただ眺めていたエアリスとカウリアが同時にどっと笑いだす。ロクアンズがレトヴェールのことを『レト』と呼び始めた出来事を鮮明に覚えているエアリスにとっては、ただ微笑ましいだけではない。2人の距離が確実に縮まってきているのがひしひしと伝わってきて嬉しかった。
「あはは。そうだわカラ、台所を借りてもいい?」
「え? べつにそれは構わないけど……」
「キールアちゃんやイスリーグさんのお昼がまだでしょう。わたしたちの分といっしょに作って、イスリーグさんには直接持っていくわ。薬草の調達に行かれたんだったわね」
「あー、悪いねエリ。助かるよ」
「いつも助けてもらっているもの」
エアリスが腰を持ちあげて炊事場に向かって歩きだした。
そのときだった。
がたん、という物音がして、カウリアとロクアンズとレトヴェールの3人が同時に音のしたほうを向いた。見ると、エアリスが膝をついて蹲っていた。顔のあたりに手を持っていっているようにも伺える。ロクアンズとレトヴェールがあわててエアリスのもとに駆け寄った。
「だいじょうぶ!? おばさん!」
「エリ、どうかした? 具合でも悪いの?」
「……。いいえ、なんでもないわ。だいじょう」
ぶ、と言いかけてエアリスが身体を左右に揺らした。途端、その場に倒れこむ。ロクアンズもレトヴェールも目を大きく見開き、エアリスの身体に飛びついた。床にべったりと張りついた腰のあたりをロクアンズがゆさゆさと揺り動かす。
「おばさんっ! おばさんっ!」
「ちが……」
「え?」
倒れ伏したエアリスの横顔を呑みこむようにして、鮮やかな赤の液体が、木張りの床を侵食した。
窓の外では雪が降りはじめていた。
しんしんと。
雪は静かに、すこしずつ、そしてたしかな冷たさとなって降り積る。
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.69 )
- 日時: 2020/04/16 14:54
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第064次元 日に融けて影差すは月ⅩⅢ
青々と生い茂る木々に囲まれたレイチェル村の空は高い。草原の中を軽快に駆け抜けて目指すのは、村の北東にあるシーホリー一家の住まう家だ。からりと乾いた風に煽られて青い葉が舞っている。彼女の髪色はそんな爽やかな景色によく溶けこんでいた。
木の扉のすぐ横にぶら提がった鈴つきの紐を揺らすと、からんからんと心地よい音が鳴る。次いで彼女は、大きな声で扉の向こうに呼びかけた。
「カウリアさーん!」
しばらくして家の中から出てきたのは、小麦色の髪を高い位置で一つに縛った女性だった。カウリアは片手に小袋を携えていた。
「おう、ロクアンズ。そろそろ来るんじゃないかと思ってたよ。はい、頼まれたもん」
「ありがとう! ねえ、キールアは?」
「ああ、朝に薬草を採りに行かせたんだよ。もう戻ってもいい頃……あ」
「ロク?」
背中に呼びかけられ、ロクアンズは振り返った。二つに結い分けられた小麦色の髪は高い位置で結ばれている。きっと母であるカウリアの好みなのだろう。キールアがロクのそばに駆け寄ろうと足を速めると、彼女の手から提がっているバスケットが揺れた。
「来てたんだ」
「ちょうどいまね。カウリアさんから薬もらいに」
「そっか」
「ねえちゃー!」
どたばたと足音をうるさくして玄関から飛び出してきたのは、キールアよりもうんと背の低い少年だった。彼女とおなじ色の髪をした彼は、紫色の両目を輝かせていた。姉の帰りを待っていたらしい。
「ねえね、おかえり」
「ただいまイズ。お姉ちゃんを待っててくれたの?」
「うんっ」
「そっか。じゃあお姉ちゃん、イズと遊ぼうかな」
「ほんと? やったやった!」
自分も自分もと言いだしたかったが、早くこの薬を自宅に持って帰らねばならない。姉弟が家の中に戻るその背中に後ろ髪を引かれつつ、ロクはシーホリー宅をあとにした。
「ただいまーっ!」
玄関を扉をくぐりながら家中に聴こえるように言う。返事はない。居間にはだれもいないようだった。ロクは真っ先にエアリスの部屋へ向かった。
エアリスの部屋の扉を開けると、彼女は寝台の上で上半身だけを起こし、顔を窓の外へ向けていた。扉の音に気がつき、彼女は振り返る。
「やっぱりロクアンズだったのね。おかえりなさい」
穏やか声が室内にふわりと広がる。迷える子羊を導く聖母のような微笑みでロクを部屋に招き入れた。しかしその頬は、病に倒れる前と比べると確実に痩せこけていた。
エアリスがこうして病床に臥せるようになったのは3年前からだ。当時はまだ「大丈夫」と余裕の色を見せる日が多かったものだが、最近では10日に2、3日活動できる日があれば調子がいい方だ。当然、調薬士であるシーホリー夫妻には3年前から定期的に診てもらっている。しかし彼らの技量をもってしても、快復には至らなかった。それどころか病状は年々、悪化している。"原因不明"の病だった。
ロクは寝台まで近づくと、エアリスに小さな布袋を差し出した。
「はい、これ。カウリアさんからもらってきたよ、薬。あとで水も汲んでくるね」
「ありがとう」
「あと……」
もう片方の手に持っていたものをロクは差し出した。それは羊皮紙で拵えられた薄い便箋で、宛名と送り主の名前を綴っている文字はメルギース語に似ても似つかない。しかしロクはその送り主がだれかを知っていた。
「これ、届いてたって。たぶん、おじさんから……」
「あの人から?」
シーホリー宅へ向かう前、ロクは街に出かけていた。林道を抜けたところにあるカナラ街だ。街中にある役場で、エアリス・エポール宛てのものはないかと訊いてみたところ一通の便箋が届いていると言われた。ロクはエアリスから預かってきた身分証を見せ、本人確認が済むと便箋を受け取った。手のひらに乗るくらいの小ぶりな木板で拵えられたその身分証には役場の判子がされている。もちろん発行元も同所だ。
カナラ街などの繁華街に出たときに、買い物がてらに役場に寄って帰るという人は少なくない。というのも、遠いところにいる人間との連絡手段として文通が発展し始めてからのことだ。運び屋、という職人も徐々に母数を増やしつつある。メルギースの交通技術はいま、荷馬車での移動が主なため、荷車や馬を持たない者たちにとって運び屋は嬉しい存在だった。
運び屋たちの手から手へと渡ってきた便箋をロクから受け取ったエアリスは、その裏側を見た。細い黒筆で書かれた名前を視認すると、彼女は自然と口を緩ませた。
「あの人だわ。まったく、最後にお手紙を送ったの、いったい何月前だと思っているのかしら。しかたのない人ね」
くすくすとエアリスが子供っぽく笑う。あまり陽を浴びなくなったせいか、もとより色白である肌が余計に透き通るようになった。嬉しそうに封を切るエアリスの顔を見ながらロクは静かにしていた。
じっくり時間をかけて手紙を読み進めるエアリスを見ているうちに、だんだん自分もその文面に興味が湧いてきて、ロクは寝台に身を乗り出した。
「あらロクアンズ、お手紙に興味があるの?」
「うんっ。……でも」
ロクはまじまじと文面を見つめる。すこし黄ばんだような、ざらざらしたその紙の表面にびっしりと並べられた文字たちはまるで異国の呪文のようで、何度首をひねってみてもロクには読めなかった。封筒に書かれた宛名、それと送り主の名前を綴っているらしい文字とおなじような形をしていることだけはわかった。
「ねえ、この文字、おばさんに習った文字とちがうよね? ぜんぜん読めない」
「これはね、ぜんぶ古語なの。遠い昔に使われていた文字。言葉もどんどん発展してきているから、いまじゃ、もうどの古文書を開いてもそれを読める人はすくないでしょうね」
「おばさんは? これ、読めるの?」
「ええ」
「どうして?」
エアリスは、美しい金で彩られた瞳で手紙を見つめた。それから、紙の表面に綴られた古文字を指先で撫でた。
「……この文字が使われてる本が、昔の家にたくさんあったから。この家にもすこしはあるのよ。それに私、古語の読み方はお母さんに教えてもらったの。お母さんも、祖母に教えてもらって……。あなたも読めるようになりたい? それならおばさん、喜んでロクアンズにも教えてあげるわ」
「ほんと!? あたし、古語読めるようになりたいっ!」
「それじゃあ、毎日お勉強の時間を設けなきゃね」
「やったあ! ねえ、レトは? もう知ってるの?」
「ええ。あの子にも簡単な文法を教えたことがあるの。でもね、そうしたらあの子、いつの間にか古語で書かれた本を読むようになっていたのよ。私びっくりしちゃった。いまでもよく見かけるわ」
「うっわあ……熱心どころじゃないよ。なんかもう、こわっ」
「こらこら。怖がらない」
エアリスの笑った顔を見ていると、彼女が病気であることをつい忘れてしまう。子どものように無邪気な顔になるせいだろう。ついつい、彼女につられて頬が緩んでしまうのもしかたがなかった。
ふいにロクは、ずっと疑問に思っていたことがふわりと脳裏に浮かんでくるのを感じた。上目遣いでエアリスの顔色を窺うと、もごもごとしていた口元に白状させた。
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.70 )
- 日時: 2020/04/16 14:54
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第065次元 日に融けて影差すは月ⅩⅣ
「ねえ、おばさん……アノヴァフおじさんって……」
その先の言葉は紡げなかった。「どうして帰ってこないの?」「どこでなにしてるの?」「どんな人?」──いろいろと候補はあったけれど、どれも不適切な気がした。それに気がついたのは、エアリスの夫であるその人物の名前を口にしてからだった。同時に後悔した。
エアリスはそんなロクの心情を察してか、ゆるゆると首を振った。
「会えることは、しばらくないでしょうね……。お仕事がすごく忙しいみたいなの。だから、こうしてお手紙をくれるだけで本当に嬉しいのよ。普段は物静かで口数も少なくてね、あんまり表情も変わらない人だから、なにを考えているのか最初はぜんぜんわからなくて……でも、その独特な雰囲気に惹かれる女性は多かったわ。彼がこの村に来たとき、みんな目の色を変えたものよ。もちろん私も。いまではそんな彼の考えてること、顔を見なくてもわかるようになった」
「顔を見なくても? わかるの?」
「ええ。そうよ」
ロクは「ふぅん」と曖昧に返事をした。遠く離れた場所にいる人間の気持ちがわかるだなんて、どうにもロクには理解しがたかった。しかしエアリスの表情は至って真面目だ。きっと、そのアノヴァフという男と彼女との間には他人には侵せない絆があるのだ。夫婦とはそういうものなのだろうか、とも思った。
ロクはアノヴァフに一度も会ったことがない。だからこそ、エアリスの夫でありレトヴェールの父であるその男の正体が気になっていた。手紙が届くたびに、送り主の名前を綴ったへんてこりんな文字を見るたびに、その興味は募っていった。しかしエアリスから、しばらく会えないと告げられた以上、詮索することは躊躇われた。それならと、べつの話題をロクは持ちかけた。
「じゃあどうして古語を使って手紙書いてるの?」
「それはね……昔からそうしているの。夫婦になる前からあの人とはよくお手紙の交換をしたわ。最初に使い始めたのは私。読めるはずないだろうって思って、文章の中に混ぜた。そしたらあの人、おなじように古語を使ってお返事をくれたの」
「おばさんはなんて書いたの?」
「あなたのことをお慕いしています。って、そう書いたのよ」
直接文字に興す勇気がなかったから、ずるをしちゃった。エアリスははにかみながら言った。いつもの母親らしさはなく、少女の頃に還ったかのようにあどけない。頬もすこし赤らんでいた。顔が熱くなったことを本人も自覚したのか、思いついたように咳払いをした。
「この話は、ここでおしまい」
「ええ~?」
「きっと会ったらわかるわ。私の言ったこと」
「うぅん……。でもなんか、レトみたいだね。無口で、あんまり表情変わんないなんて」
「そうね。あの2人はそっくりだわ」
「顔はおばさんそっくりなのにね、レト」
ロクがそう言ったのには深い意味はなかった。性格は父と似ていて、容姿は母に似ている──。たったそれだけのことを微笑ましく言ったつもりだった。
しかし、エアリスはじっとロクの瞳を見つめ返していて、すぐには返答をしなかった。やや間があってから、彼女は告げる。
「あなたが3年前に言ってくれたこと、私、ちゃんと覚えてるわ」
「3年前?」
「『おばさんみたいになりたい』……って。すごく嬉しかった。私は、自分の生き方に自信があるわけではないけれど、義母として誇りに思ったの。あなたになにかしてあげられたのかな、それなら、よかったなって」
嘘や、慰めの意がその目にはいっさい含まれていなかった。雪の降る中「うちにおいで」と手を引いてくれた日とまったくおなじだ。レトヴェールと自分とで、決して色を変えたりしない彼女のその金色の瞳がロクは好きだった。
エアリスは、安心したように笑って言った。
「この先も、ずっと忘れないでしょう。死んだって忘れたりしない」
小さな針でちくりと胸を刺されたような、そんな感覚を覚えた。が、それもたったの一瞬だった。大好きなエアリスの笑顔を前にしていると、胸中で荒立った小さな波などすぐに穏やかになる。
「薬を飲むから、お水持ってきてくれる?」
「うん。あとで洗濯物も見てくるね! なにかあったら、すぐに呼んで。すっ飛んでくるからっ」
「あら嬉しい。ありがとう、ロクアンズ」
ロクは部屋をあとにした。毎日欠かさず薬を飲み、元気なときには動き、けたけたと笑いもする。見えない敵と戦い続けるエアリスのために、ロクはできる限りのことをしたいと心に決めていた。
*
裏庭の整備で手が離せないというロクアンズに代わって、今日はレトヴェールがカナラ街まで足を運ぶことになった。肩から提げた布製の鞄には、1枚の紙といくらか銭を入れた小袋、そしてまだ読み途中の本が1冊入っている。紙が示す通りに、まずはカナラ街にある役場に寄らなければならなかった。
役場の出入り口は開放的な造りになっている。順番待ちの列の最後尾の人たちが入り口付近に溜まっていた。レトは室内にいる人の多さに圧倒された。勝手がわからない彼はとりあえず窓口に向かって一直線に人が並んでいる列の最後尾に立ち、人々がはけていくのを待った。待つだけの時間にも飽きてきて、自分たちの列以外のところはどうだろうか、と顔を横に振ったときだった。
ずらりと人が立ち並んでいるほかの列の、ずっと後方。視界の端でなにかを捉え、思わずそちらを見た。
(……?)
室内の隅に、人物の頭がひとつ抜けて立っていた。ほかの町村民とは明らかに立ち振る舞いが異なっている。その人物は、屋敷の柵の前で警護を仰せつかっている番人のようにじっとしている。周りにいる人間が大人ばかりなので肩から上しか見えないのが残念だった。
「次の方どうぞ」という声で我に返ったレトは、いざ自分の順番が訪れると緊張を催した。いかにも不慣れな様子で、エアリス宛ての手紙の有無について問いかける。
「ああ、きてるぜ。差出人……はたしかいつもとおなじだ。身分証はあるか?」
「え? あ」
しまった、とこのときレトは数十分前の自分を恨んだ。身分証を呈示しなければ手紙を受け取ることができないということが、頭からすっかり抜け落ちてしまっていたのだ。いつも役場での用事をロクに委ねていたのが悔やまれる。身分証にまで頭が回らなかったのはそのためだろう。
引き返すしかないか……とレトが沈んだ表情をしていると、窓口に立っていた男がこんなことを言ってきた。
「なあおめえさん、エアリス・エポールさんとこの子だろう? 今回は見逃してやるから、次からは気をつけな」
男はなんの後腐れもなく便箋を差し出してきた。役場に訪れることすらも珍しいレトの顔をこの男が覚えているという事実がどうも信じがたい。たとえ以前、この男が偶然にもエアリスを担当したときにたまたま自分が傍にいたとしても、毎日大勢の人たちと顔を付き合わせる仕事なのだ。来場者の顔などいちいち覚えていられないだろう。
レトが訝しむような視線を向けてきたので、男は代わりに大げさな笑みを返した。
「なんでだって顔してんな? そらわかるさ。おめえさんもエアリスさんもべっぴんさんだからな。さすが、王家の血を引いてる人間たちってのは顔立ちも普通じゃねえ。おっと、いまは廃王家っつうんだったか?」
「……。や、なんでもいいです。ありがとうございます。……あの」
「ん? なんだ?」
「ひとつだけ質問いいですか」
「ああ。後ろにもまだ並んでっから手短にな」
手短に、と言うがこの男のほうこそ王家だなんだと無駄話をしたのではないか。レトは少々腹を立てたものの、しかし単なる興味本位で時間を消費するなんて、ほかの来訪客に迷惑をかけかねない行為なのは事実だ。訊こうか、やめておこうか。しかし最終的には好奇心のほうが勝ってしまい、彼は思い切って言った。
「後ろのほうに、へんな雰囲気の人が、立ってたんですけど……あれは」
「ああ。政会から派遣されてきたんだとよ」
「政会?」
「なんつったかなー……なんとかっていう一族の生き残りがこのへんに潜んでるらしいとかで、探しに来ただかなんだか言ってたなあ。政会のやつらはもうずうっと昔から、血眼になってその一族を追ってんだとよ。しっかしなあ、いっこの血を完全に絶やさせるってのは正気の沙汰じゃねえよ。それもひとつのでっけえ組織が世界中を探し回ってるときた。いったいどんなやつらなんだ? ……ああ、安心しろよ。おまえさんとこじゃあねえ」
レトは礼を言って男から便箋を受け取り、列の先頭から外れた。そして出入口に差し掛かる数歩手前になって、室内の端のあたりを視線だけで凝視した。まだそこでは長身の人物が山の如くどっしりと構えていた。それも1人だけではなかった。反対側の壁際にもおなじような出で立ちの男が立っていたのだ。レトは最初に発見した人物のほうに注目し、今度は頭のてっぺんから爪先までしっかりと確認した。男だとわかったのはすぐのことだ。
濃紺に金の刺繍が誂えられた長めのコート。堅実そうな強ばった顔のパーツの中で、特に際立っていたのは真一文字に結ばれた口と──獲物を狩らんばかりにギラついた目だった。それは反対側にいるべつの男も同様だった。
このときレトの脳裏に、その濃紺の制服が深く刻みこまれた。
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.71 )
- 日時: 2020/04/16 14:55
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第066次元 日に融けて影差すは月ⅩⅤ
生き残りの一族──。そう聞いてレトヴェールが真っ先に思い浮かべるのは、自分とエアリスのことだ。
エポール一族の血筋であることは理解しているものの、自分の身体に王族の血が流れているという実感は薄い。
いまから200年ほど昔。エポールの姓を持つ者たちが王族として国を背負っていた。が、"なにかの事件"をきっかけに、エポール一族は急速に衰退していったと伝えられているのだ。ある者は病に陥り、ある者は自らの首を括り、またある者は『これは呪いだ。この血を継いではいけない』と周囲に吹聴した。
そうして徐々に王家の血脈は勢いを失くし、事件後、50年あまりで王制に幕が下ろされた。現在ではまるで風前の灯火のように絶えかけている。役場の男が悪びれもなく口にしていた「廃王家」というのは、彼の創作言葉ではない。細々と生き残っているエポール一族の子孫に対して使われている造語だ。いつ発祥したものかはだれも知らないし、だれが言い始めたのかも不明瞭だった。それも当然といえば当然だ。
王制が廃止されてから150年という時間が経過している。レトは、自分とエアリス以外にエポール一族の血を持つ者はこの世にいないのではないか、とこの頃からすでにそう推測していた。
カナラ街の林道を抜けてレイチェル村に戻ってきたレトは次に、シーホリー宅をめざした。エアリスの薬を買い取る仕事が残っている。
見慣れた煉瓦造りの家屋に到着すると、玄関の扉のすぐ横の外壁からぶら下がっている紐を揺らした。上部に取りつけられた二つの鈴がからんからんと乾いた音を鳴らす。
カウリアのことを苦手としているレトは道中からすでに身構えていたのだが、扉の奥から現れたのがキールアだったため、少々面食らった。
「あ……レトヴェールくん」
キールアは驚きこそすれ怯えることはなく、「おはよう」と柔らかい口調で続けた。3年という時間を、いっしょに遊んだり食卓を囲んだりして共有してきた結果だ。とはいえ、2人ともロクアンズのように積極的な性格の持ち主ではない。仲が進展したかと問われれば、否であった。
「母さんの薬買い取りにきた」
「ああ。うん、ちょっと待っててね」
「ん」
レトがいつもの調子で冷たい話し方をしてもキールアは幼少期ほど動じなくなった。怒っていてもいなくても、声のトーンがさほど変化しないという彼の特徴を無意識のうちに掴んだのだろう。
キールアが後ろを振り返り、小走りになりかけたそのとき。居間の奥の廊下から前掛けを身につけたカウリアと、彼女と手を繋いでいるイズリアが現れた。不在だと思っていただけに、レトは急に緊張する羽目になった。
「おー、坊主。珍しいねえ。今日はあんたがおつかいに来たのかい? エライエライ」
「……どうも」
褒められたというより小馬鹿にされたような印象を受け、レトはむすっとして声を低くした。その反応さえも楽しむかのようにカウリアはけたけたと高笑いする。
イズリアがじぃっとレトの顔を見上げていた。レトは幼い子どもの相手をするのが大の苦手だった。
そのうえ、独特な妖しい光を放つその紫色の眼をまじまじと見つめてしまうと、たちまち目が離せなくなってしまうことをレトは知っていた。シーホリー一家の瞳はそれほど魅力的だ。
「せっかく来たんだ。ちょっと茶でも飲んできな」
「え? べつに俺は……」
「いーから。どうせ家帰ったって、本読むしかしないんだろ。薬を渡すついでさ、ついで。キールア、お茶を淹れておくれ」
「うん」
カウリアが前掛けの紐を解きながら歩きだしたので、レトは彼女の後ろについていくように家の中へ入った。従来通りならば家中に蔓延している薬類の匂いにやられて顔をしかめるところだが、彼はそちらにはまったく意識をとられなかった。それもそのはず、広い居間のあたり一帯に、風呂敷の包みやら大小さまざまな箱やらが散乱していたのだ。代わりに、どの棚もほとんどなにも収納されていなかった。数冊の本やいくつかの空き瓶が置かれているにすぎない。
「……?」
「ふぅー。ずっと作業してたから、疲れちまった」
「お疲れ、お母さん」
カウリアが木の椅子の背凭れに前掛けを引っかけたそのとき、床に座りこんで1人で遊んでいたイズリアがおもむろに立ち上がった。
「ねえおかあさん、おそといってもいい? ぼくおそとであそびたい」
「今日はだめ。うちで遊びな」
「きょうも、だよ。ねえねもあそんでたって……」
「イズ。だめと言ったらだめ。わかった?」
「……」
「大丈夫。数日のうちにはね、お外で遊べるようになるから」
「ほんとっ? うそじゃない?」
「ほんとさ」
「やった! ねえおかあさん、やくそくだよ」
「よかったね、イズ」
「うんっ」
イズリア、キールア、そしてカウリアの3人が団子になって笑い合う。その光景は微笑ましいものだった。が、レトは、一層目を鋭くさせていた。3人の小麦色の髪だけを凝視していたのである。
彼女たちの身体にはおなじ血が流れている。ここにイスリーグ・シーホリーが加わってもおなじことだ。キールアの瞳の色だけが異なっているという点を除けば、4人の容姿も纏っている雰囲気もじつに家族らしい。
健康な母。
家族の傍にいてくれる父。
血の繋がった姉弟──。
海底に向かって沈んでいくように考えごとをしていたレトは、カウリアに呼びかけられたことによって、現実に引き揚げられた。
「あんた、まだ突っ立ってたのかい? あたしを待たずに、座っててよかったのに」
「……」
ついさっきまでは持っていなかったはずの風呂敷の包みを2つ、手元から提げてカウリアは小首を傾げた。彼女が席に着いたので、レトも椅子を引いて彼女の正面に座る。キールアが横から「はい」と紅茶の入ったカップを差し出してくる。カウリアが「キールア、向こうでイズと遊んでやって」と促すと、キールアはイズリアの手を引いて奥へ引っ込んだ。
カウリアがテーブルの上に子どもの頭くらいありそうな大きさの包みを2つともどんと置いた。これまでよりもずっしりと重たそうで、中に入っているであろう薬の量も多いと伺えた。レトは素直に疑問を口にした。
「いつもより、多くないすか」
「ああ。ちょっとね、じつは、この家空けるんだ。もうすこししたら」
「え?」
「だから数十日分、渡しておく。なくなる頃になったらキールアに届けさせるから心配はいらないよ」
「あ、空けるって……どこに」
「森の奥のほう。十分往復できる距離さ」
「……」
「あんたさ……うちの一家について、どのくらい知ってる?」
カウリアは声を張らずに、ぼそりと零すように言った。突然のことで動揺したレトはすぐには返答できなかった。
「え、と」
「いいから。なんでも」
涼しい顔をしてカップに口をつけるカウリアの質問の意図がわからなかった。しかし彼女は依然としてレトの言葉を待っているようだった。
レトは、シーホリー一家について思いつく限りのことを述べた。
「……家族構成は、4人で、調薬師のカウリア・シーホリーとイスリーグ・シーホリーの間に、2人の子どもがいる。11年前に生まれたキールアと、3年前に生まれたイズリア。カウリアさんはうちの母エアリス・エポールとは幼い頃からの親友で、周囲の男児とよくケンカをして泣かせていたほどの乱暴な人で、この村でイスリーグさんと出会って、村を出た。それで何年かに1回は村に帰ってきてて、また出てってを繰り返して……3年前、出産のために戻っきてきてからはずっといて……。カウリアさん?」
しどろもどろになりながら言葉を捻り出していたレトがふとカウリアのほうを見ると、彼女は後ろを向いて椅子の背凭れを掴み、わなわなと震えていた。どうやら笑いを堪えているらしかった。ついに我慢できなくなった彼女は堰を切ったようにどっと大声をあげた。
「あっははは! なるほど、なるほどね。いやー、正解だよ。すっごく正解」
「……なんか、間違ってました?」
「いーや、なんも。そっかそっか。……なら、いいや。うん。それだけで十分だよ」
目尻に浮かんだ涙を拭いながらカウリアははにかんだ。レトが釈然としない調子でいると、そのとき、廊下の奥からキールアが現れた。
「おう、どうしたキールア」
「イズがここに忘れ物したって……。それよりもどうしたの? お母さんの笑い声、こっちまで聞こえてたよ」
「あー、なんでもないよ。気にしないどくれ」
「あの、俺、そろそろ戻ります」
「そうかい? そんじゃあキールア、ついでだからあんたもエリんとこ行っといで。坊主1人じゃ重いだろうし、帰りに小麦とミルクを買ってきてほしいんだ」
「わかった」
「頼んだよ」
カウリアがキールアの頭を撫でる。キールアは嬉しそうに頬を染めて、満面の笑みで「うん」と返事をした。廊下の奥からのっそりと出てきたイズリアが、「ねえね、はやくかえってきてね」ともじもじしながらねだってきたので、キールアは大きな包みの1つを両手で抱えてみせた。
「うんっ。お姉ちゃん、すぐ帰ってくるよ」
「……」
このときレトは、なんとなくキールアの笑顔を見ていることができなくて視線を逸らした。机の上に代金を置き、すばやく自分も大きな包みを抱えると、ずっしりとした重たさが両腕にのしかかってきた。これがすべてエアリス1人で服用する薬の量なのだと実感してしまう。そこから一歩も動けなくなりそうな重さだなと錯覚したのは、ほんのわずか一瞬のことで、正気を取り戻すのは早かった。
歩けないほどの重さではないのに、歩けないと思いたかったのだろうか。
レトが一歩、踏み出したところで、カウリアが「坊主」と声をかけてきた。
「キールアのこと、頼んだよ」
レトは、完全には振り返らず中途半端に頭を下げた。キールアが「いってきます」とカウリアにかけながら玄関の扉を開け、外に出る。その横をレトが静かに水が流れていくようにするりと抜けた。挨拶はしなかった。扉をゆっくり閉め終えると、すでにレトの背中は遠のいていて、彼女は急いで彼の隣まで駆け寄った。
「歩くのはやいんだね、レトヴェールくん」
「……」
「重たくない? ごめんね、急なことで……。でも、これからもちゃんと届けに行くから」
「……」
「……あ、の……」
まるで知り合って間もない頃に時間が遡ってしまったかのようだった。返事が返ってこない。こちらを向かない。時間をかけたおかげで多少なりとも会話が成り立つようになったと勘違いしていたのだろうか。急に不安がこみあげてきて、キールアからはなにも発言できなくなった。
「……」
「……」
──様子がおかしい、とは勘づいていた。けれどキールアはレトに「様子がおかしいよ」と告げる勇気がなかった。どうせ返事が返ってこないのであれば最初から投げかけないほうがずっといい、とさえ思った。
キールアの足が緩やかに速度を落とし、ぴたりと動きを止めた。しかしレトはずんずんと先へ足を進ませる。彼女を置いて先へ行く。彼女は駆けだし、彼のすこし後ろについた。
道中、「もう俺が2つとも持つから」とレトが言いだすまでの間に、2人の距離は大きく開いていた。
彼らはそこで別れた。
レトが家に帰り着くと、室内はしんと静まり返っていた。ロクアンズは裏庭の川まで洗濯に出ているのだろうか。
大きな包みの1つを居間のテーブルの上に置いて、もう1つをエアリスの部屋まで運ぶ。彼女の部屋に入ろうとノックをしかけた、まさにそのとき。
「……ごほっ、ごほ」
扉の奥から、ひどく咳きこむような声が聴こえてきた。扉の表面を叩くことができず、レトはしばらくの間、扉のすぐ前で立ち尽くしていた。風呂敷の結び目を掴んだ右手が痛くてしかたがなかった。
咳の声がまだ止まないうちに、レトは扉を背もたれにしてその場に座りこんだ。
薬の包みを床に置く。ぎゅっと膝を抱えて、いつまでもそうしていた。
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.72 )
- 日時: 2022/12/30 23:05
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第067次元 日に融けて影差すは月ⅩⅥ
シーホリー一家がレイチェル村を離れてから、二月ほど経過した。心地よく晴れた日の朝、エポール宅では、ロクアンズがせっせと居間の掃除に勤しんでいた。水を含んだ布の切れ端を固く絞り、床の上にぼとりと落とすと、彼女は勢いよく床の上を駆けずり回った。光が反射するくらいまでピカピカに磨きあげることに成功したので彼女は満足だった。
そこへ、玄関の扉がトントンと響いた。ひと月ぶりにキールアがエポール宅へやってきたのだ。彼女は肩から麻で拵えたような布袋をかけていた。
「キールア! 久しぶりだね!」
「久しぶり、ロク。これ、おばさんに」
と言って、キールアは布袋から風呂敷の包みを取り出すと、ロクに手渡した。
「わあ! いつもありがとう、遠いのに。でも大変だったらすぐ言ってね? ここまでくるのにけっこうかかるって聞いたし、あたし、ぜんぜんキールアの家に取りに行くよ」
「ううん。大丈夫だよ。それにロクはエアリスおばさんのそばにいてあげなきゃ」
「うん……。でも、それじゃあいまごろ、イズリアが寂しがってるね。遊び相手がいなくなっちゃうんだもん」
「……」
ロクは言ってからはっとして「あがる?」と気を利かせた。だけどもキールアが扉の近くで立ち止まったままなので、小首を傾げた。キールアはすこしだけ寂しそうに笑った。
「そんなこと。イズには、お母さんもお父さんもいるよ。わたしもイズもまだ子どもだから、山の中でいっしょに遊んだりしちゃだめだって。だからお母さんがイズに言葉とか文字とかを教えてて、わたしは近くでいつも薬草摘みしてるの」
「そうだったんだ。じゃあ、キールアはあんまり遊べないんだね」
「うん……あ、でも、薬草摘みもすごく楽しいよ? はやくお母さんやお父さんみたいにいろんな薬草を覚えて、もっとたくさん薬を作れるようになりたいから」
キールアは笑顔を浮かべていたが、どこか無理をしているのではないかとロクは心配になった。そこでロクは、沈むキールアの手をつかんで言った。
「ねえキールア、久しぶりに会えたし、これからいっしょに遊ぼうよ!」
「……え、これから? 本当に?」
「うん! お昼食べ終わったら山ん中探検しよーって、レトと約束してるんだっ。だからキールアもいっしょに!」
「……」
山暮らしのため、普段はなかなかロクと会う機会がないキールアにとっては願ってもいない誘いだった。が、彼女は突然、表情を一変させた。
キールアは俯いたままで、ぎこちなく首を横に振った。
「わたしは、いいよ。これから行かなきゃいけないところもあって。……ごめんね、ロク。せっかく言ってくれたのに」
「え、それはいいけど……。もしかしてまた薬売りに?」
「うん。今日はカナラまで。お母さんから頼まれてるから。いまは薬を売るのが唯一の稼ぎだし」
「そっかあ……。じゃあ、しょうがないね。また遊ぼうねっ、キールア」
「……。うん、また」
キールアは軽くなった麻袋の紐をぎゅっと掴み、玄関の扉から外へ出て行った。
ロクはしぼらく扉を見つめていたが、やがて目を離した。そのとき、どこから現れたのかレトヴェールの顔が近くにあったので、ロクは飛び退いた。
「おぅわっ!? び、びっくりしたあー……。いたんならそう言ってよっ、レト。せっかくキールアがきてたんだよ? ちょっとでも会ったらよかったのに」
「べつにいい。あいつだって、家族のために忙しいんだろ」
「え? まあ、そうだろうけど……」
小難しそうな分厚い本を脇に抱えて自室に戻っていくレトの背中を、ロクは見えなくなるまでなんとなく目で追っていた。
「……?」
いつの頃からだったか、レトとキールアが揃っているところをまったく見かけなくなった。最後に2人が会話しているのを見たのは、まだシーホリー一家が村に住んでいたときのように思う。
彼らが揃って居る場には常に自分も一緒にいた。ロクはふと、自分が不在のときには2人はいったいどんな話をするのだろう、と考えた。大人しい彼らのことだから、きっと隣には座るものの、互いに本を黙読したりするだけの緩やかな時間の過ごし方をしているにちがいない。想像してみるとおかしくて、ロクはこのときあまり深く考えることをしなかった。
「……あ! そうだっ、あたしもカナラの役場に行かなきゃなんだった!」
家で療養しているエアリスの代わりに役場に手紙を出しに行くのもロクの仕事の一つだ。磨いたテーブルの上に、エアリスがアノヴァフ宛てに書いた手紙が置きっぱなしになっている。ロクはそれを掴んで、慌てて家をあとにした。
「おーい! キールア!」
「!」
遠くに小さく見えるキールアの背中を捕まえるようにしてロクが叫ぶと、キールアがそれに気がついて立ち止まる。振り向くと、ロクがぜえはあと息を荒くしながら歩み寄ってきていた。
「よかったーっ、追いついた!」
「ど、どうかしたの? ロク」
「じつはあたしもカナラに行く用事があってさ。遊べなくても、せめていっしょに行きたいなと思って」
「ロク……。うんっ、わたしもいっしょに行きたい」
「やった!」
「でも、ロクはなんの用事?」
「えっとね、おばさんのお手紙出しに、役場まで!」
「へえ。そうなんだ」
2人が肩を並べて歩き始めてから、すぐのことだった。鍬を肩に担いだ男が2人の横を通り過ぎたそのとき、
「なんだ? この匂い」
男が、道端でおもむろに立ち止まった。彼の一言によってロクアンズとキールアも足を止め、振り返る。そこへちょうど、花束を抱えた長身の女が通りかかった。村の人間はみなお互いに顔見知りであるため、彼女はなにとなく男の傍まで寄り、小首を傾げる。
「なに、どうかしたの?」
「なんか変な匂いがしないか? 鼻をつんと刺すような」
「ええ? ……あら、ほんとだわ」
そのとき。キールアが途端に顔つきを変えた。彼女はぴくりと眉を寄せて黙りこむ。そのうちに、押し殺したような声で言った。
「……マナカンサス……」
「え?」
キールアがぽつりと放ったマナカンサスという言葉に、近くにいた長身の女が「あら」と反応した。彼女はこの村で花や蜜を取り扱っている店の主人だ。
「マナカンサスの花はこんな香り、しないはずよ? 匂いがなくて見た目も華やかだから、お部屋を飾ったりするのによく買われるお花なの。こんなに強い香りがしていたら、とてもお部屋になんか置けないわ」
「そうなんだ。へえ」
キールアは納得がいっていない様子で固く口を噤んでいる。ロクは、珍しく難しい表情をするキールアの顔を覗きこんだ。女性は続けて付け加えた。
「それにマナカンサスはとても栽培が難しいのよ。この近くでは、自然に生えているところはなかったはずだけど……」
「だって、キールア」
「……燃やすの」
「え?」
「あの花は……火に、くべると、一輪でもとても強い刺激臭がする。薬にするのに、火で燃やすの。お母さんに教えてもらったし、わたしも作ったことある、から、匂いもちゃんと覚えてる。それに……」
「それに?」
「……」
「キールア……?」
キールアは、蚊の鳴くような小さな声を震わせて、言った。
「……わたしの、家の周りにいま、たくさん植えてるの。──でも薬にするのは、一月も先で……っ」
「煙あがってないか、あれ」
男が、鍬を持っていない方の腕をあげて、森の広がっている方向を指差した。
「森の向こうだよ、ほら、おっきな煙が」
「あら、ほんと。だれかが狼煙をあげているのかしら」
「狼煙にしては煙の範囲が大きくないか?」
「たしかに、そうね……」
「──」
キールアは、男が指差した方向へ顔を向けた。それは自分の家がある方向でまちがいなかった。
風に乗って運ばれてきたマナカンサスの香り。
空へ延々と立ち昇る濃灰の柱。
──突然、キールアは胸にどしんと重石を落とされたかのような焦りを覚えた。直後、彼女はわき目も振らずに駆けだした。
「えっ! ちょ、ちょっと待ってキールア、どういうこと!? ねえ、待ってってば!」
カナラへと向かっていた足先をくるりと真逆に揃え、2人は森を目指して走りだした。
マナカンサスの花の香りがだんだんと濃厚になっていくにつれて、キールアの不安も膨張していく。2人は独特なその香りに導かれるまま森の奥地へと足を急がせる。
上り坂になっている小道を簡単に走り抜けていくキールアの背中に、ロクは感服した。だてに自宅と村とを往復していない。可愛いらしく大人しい顔立ちの彼女の両脚は一度も動きを止めることなく働き続けた。
森に入ってから、二刻ほどが経過した。マナカンサスの香りはすでに、鼻がひしゃげるほど強さを増していた。
キールアが完全に立ち止まった。どうやら自宅に辿り着いたらしいことがわかったロクは、彼女のもととまで最後の力を振り絞って駆け寄った。
が、
「──ッ!」
焼け焦げた花弁の強い香りと、火の粉と、煤とが、辺り一帯に蔓延している。
家宅は全焼し傾き、なにかを耕していたであろう周囲の畑が黒い土壌と化している。ひどい悪臭が鼻腔を突き刺してくる。ロクはすぐさま鼻を指でつまんだが、からからに乾いた喉で息を吸うのも痛かった。小さな火の粒が左目に染みる。
けれども、隣に立つキールアはその小麦色の瞳で、瞬きひとつしていなかった。
「……。き、キール……」
「……」
──そのとき。焼けて黒く染まった家宅の中から、人影が出てきた。
2人は息を呑んでその場に立ち尽くした。
徐々に明らかになっていくその人物は、紺の布地に黒と金の刺繍を誂えた軍服のようなものを羽織った、1人の男だった。
「……」
身体はやや細めであり、白髪を短く刈りあげている。獲物を眼前に据えた獣のような鋭い目だ。それに反して表皮は青白い肌であった。目つきと肌の色のちぐはぐさに、ロクは身が凍りつきそうな恐怖を覚えた。
右手に小袋を掴んでいる以外にはなにも身に着けておらず、軽装だ。袋の布はところどころ丸く膨れあがっているため、中に入っているのは球状のなにかなのであろう。
この男だ。この男の仕業にまちがいない。ロクは瞬時にそう確信した。沸き起こった怒りをぶつけようと息を吸った。唇を広げた。
だが、
「……」
「……」
キールアとその男が、無言で、お互いの顔を見合わせている。ロクはなぜか一言も、一息も発せなかった。「おまえの仕業か」とも、「どうしてこんなことを」とも、なにも。男の顔を見上げるキールアの横顔が、なにか尋常ではないものになっていたからだ。ロクはわずかに開いた口を、結んだ。
男は2人の真横を通りすぎていった。
ロクは息を殺して振り返り、男の背中が見えなくなるまで、ずっと森の奥を凝視していた。男が完全にいなくなる。ロクはおそるおそる、キールアの横顔を見やった。キールアは壊れた人形のようにまったく動かない。彼女の代わりに一歩、ロクは踏みだした。
視界の先に、なにかが光った。
「……?」
地面の上になにか落ちている。ロクは訝しみながらそのなにかに近づいた。
それがなにかを理解したとき、ロクは、言われようのない悲しみに心を喰い潰された。
「………………え」
それは紫色をしていた。
鮮やかな紫の、眼球だったのだ。
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