コメディ・ライト小説(新)
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- 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
- 日時: 2025/06/22 21:01
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)
毎週日曜日更新。
※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。
*ご挨拶
初めまして、またはこんにちは。瑚雲と申します!
こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします!
*目次
一気読み >>1-
プロローグ >>1
■第1章「兄妹」
・第001次元~第003次元 >>2-4
〇「花の降る町」編 >>5-7
〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
・第023次元 >>26
〇「君を待つ木花」編 >>27-46
・第044次元~第051次元 >>47-56
〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
・第074次元~第075次元 >>83-84
〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
・第098次元~第100次元 >>107-111
〇「純眼の悪女」編 >>113-131
・第120次元〜第124次元 >>132-136
〇「時の止む都」編 >>137-175
・第158次元〜 >>176-
■第2章「 」
■最終章「 」
*お知らせ
2017.11.13 MON 執筆開始
2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞
──これは運命に抗う義兄妹の戦記
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.56 )
- 日時: 2018/12/24 11:28
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: hgnE84jl)
第051次元 会いたい人
「あのね、ティリ。きいてくれる?」
「……」
ルイルに話しかけられてもティリナサの面持ちは変わらなかった。普段からティリナサが何事に対しても反応が薄いことを知っているルイルは、とくに気にすることもなく続けた。
「ルイルはここにのこる。ろくちゃんたちといっしょにたたかうんだって、そうきめたの。だからくににはかえらない。……わかってくれる?」
「どうして。ルイルねえねが、じげんしだから?」
「それもだけど……いっしょにいたかったの。ろくちゃんや、みんなと」
冷たい寝台の上で抱えこんだ身体。姉のこと。扉を閉めて塞ぎこんだ。連れ出してくれたのはロクアンズで、傍にいてくれたのはガネストで、その道の先にあったのは、此花隊だった。姉の生存を信じてやまなかったルイルはようやくその姉、ライラとの再会を果たすも、ロクたちとともにあることを望んだ。そこにロクへの敬愛や信頼が大きく働いているのだとルイル自身が気づくのはもうすこし先の話で、ただ「一緒にいたい」という漠然とした感情に任せて、アルタナの地を離れたのだった。
ティリナサは幼いながらも、ルイルが纏っているそのきらきらした雰囲気に勘づいていた。2つの白いもやがティリナサの周りをくるくると回る。
「じゃあ、わたしも。わたしもいる。わたしもじげんしだって、おかあさんとおとうさんがいってた。だからいる」
「ティリ……」
「そいつぁダメだな」
メッセルは言いながらルイルの隣までやってくると、大股を開いて腰を下ろした。
「此花隊に入るんなら、メルギースの言葉が話せなけりゃダメだ。それにあの温厚なおやっさんのことだ。いまごろ死ぬほど心配してんぜ、おめぇのことをよ」
「……べつに。いい」
「いいこたあるかバカたれ。いいかよく聞け。おやっさんたちがおめぇを笑顔で送り出せるようになるまでは我慢しろ。そんでいつかそういう日がきたら、そんときは面倒見てやるからよ」
(……メッセル副班長、これ以上抱えるのはどうこうって言ってたのに)
子ども好きなのかなと、ガネストは小さく吹きだした。メルギース語が理解できないロクとフィラはさておき、口元を抑えて笑っているガネストに向かってメッセルは悪態をついた。
「おいなに笑ってんだおめぇ」
「すみません。メッセル副班長はお優しい方だなと思いまして」
「ああっ!?」
「え、メッセル副班なんて言ってたの?」
「それがですね」
「大したことじゃねぇよ! 親を心配させてるうちはガキだっつぅんだ! 自立できるようになってから来いってな。ったくよぉ」
「……」
ぶつぶつと文句をこぼすメッセルの傍ら、まだ納得がいっていない様子でティリナサは顔を逸らしていた。
ルイルが「ティリ」と声をかける。身体は正直で、ティリナサはびくっと反応を示した。
「あいにきてくれてありがとう、ティリ。いまはいっしょにいられないけど、でも、でもぜったい、またあおうね。こんどはルイルが、ティリにあいにいくよ」
「……」
ルイルがぎゅっとティリナサの手を握った。そうして、ティリナサはようやくその重たい頭を縦に振った。表情でいえばさきほどからなにも変わっていないが、ルイルだけはわかっていた。寂しそうだけれど、諦めてくれたんだな、と。
ルイルがほっと息をついたとき、2つの白いもやも満足したように、ぽふん、と姿を消した。
「それにしても驚きましたね」
「え? なにが?」
「ティリナサお嬢様が次元師だったということです。さっきまで見えていた白い煙のようなものがそうなんでしょうか。いつか一緒に戦うことにもなりそうですね、ロクさん」
「……」
その一瞬、ある考えがロクの脳裏を過ぎった。彼女は一歩、足を踏み出して、「ねえティリ」とティリナサに話を切り出した。
「ティリの次元の力は、幽霊を扱うことができるの?」
「……?」
「こっちの言葉は通じねぇって」
「あ」
「僕が訊いてみます」
ロクの発言をそのままアルタナ語に訳し、ガネストはティリナサに訊ねた。すると、彼女は小さくこくりと頷いてみせた。
「ティリ、なんて?」
「『そう』だそうです。もしかしたらさっきの白い煙は、守護霊かなにかかもしれませんね」
「……」
「ロクさん?」
「ねえガネスト。お願いがあるの。ティリの次元の力で、あたし、会いたい人がいるんだ」
「……もしかしてロクさん」
「ティリ」
ティリナサの視界にロクの姿が入りこんでくる。新緑に輝く左瞳は、真剣そのものだった。
「死んだ人間の霊なら、だれでも呼んだりできる?」
ふたたびガネストが代弁を務める。おなじようにティリナサは小さく頷いた。「できるそうです」と、ガネストがその旨を伝えると、ロクは思い切ったように言った。
「エアリス・エポールって名前の、女の人を呼んでほしい」
ガネストの通訳を介したため、まちがいなくティリナサにはその言葉が伝わったはずだったが、今度は即答をしなかった。ティリナサが目を伏せ、これは時間を要することなのかもしれないと判断したガネストは立ち上がった。が、いつの間にか彼女がじっと見つめてきていて、彼は素早く傍耳を立てた。
「ティリナサお嬢様が、『その人を特定できる手がかりのような物がほしい』……と」
「手がかり?」
「なんでもいいそうです。……血縁者であれば、髪の毛などが望ましいとのことですが、遺品でも代用はできるそうです」
「遺品……」
下を向きつつ思考を巡らせていると、若草色の髪の毛が、視界の端にちらりと映りこんだ。
「おい。さっきおめぇが持ってった黒い布切れの持ち主、元はそのエアリスって奴なんじゃなかったのか?」
「え? あ……」
「そいつで代用すりゃいいだろうが」
慌ててコートのポケットに手を突っこみ、織物の感触を得ると、それを抜き出した。
「これ……これで、できる?」
「……」
ロクの手のひらにふわりと架けられた織物が、ティリナサの手に渡る。ティリナサはそれを丁寧に折りたたむと、小さな両手で優しく包みこみ、──詠唱した。
「"索砂"」
ティリナサの手や腕、全身から透明な糸のようなものが幾千幾万と芽吹く。それらは天井や壁を悠々とすり抜けていった。
空高く距離を伸ばす糸、地面の上を走っていく糸、森や建物の中を縫うように通り過ぎる糸。驚くことに、目には見えない糸の大軍が様々な場所まで辿り着くのには、数刻も要さなかった。
じつにその範囲は、メルギース国全土のうちの半分──西側の地域全体にまで行き渡っていた。そこには当然レイチェル村も含まれている。
「……どう? ティリ」
「……」
ティリナサは閉じていた目をぱちっと開いた。ガネストのほうへ顔を向けると、また彼にしゃがむように目で促す。ガネストがただこくこくと頷いているだけにしては、これまででもっとも時間がかかっていた。ガネストの耳元からティリナサが離れると、彼はロクに対して弱々しく首を振った。
「いないそうです。どこにも」
「……そ、っか。ありがとうティリ、ガネスト」
「じゃあもう行くぞ」と言って、メッセルはティリナサを玄関の外へ連れ出した。見送りのためにほか全員も外へ出る。建物からすこし歩いたところで、ティリナサだけがくるりと振り返った。するとルイルではなく、ロクのほうを見つめて呟くように言った。
「ありがとう」
ロクが目をぱちくりさせているうちに、ティリナサはさっさと背を向けて歩きだしていた。ティリナサが最後に口にした「ありがとう」は、まちがいなくメルギースの言葉だった。さきほどロクがティリナサに対して「ありがとう」と言ったのをその場で覚えたのだろう。ロクは深く感心していた。
「てぃ、ティリすごい……。さっき覚えたんだ。あれ、でもなんで『ありがとう』?」
「ルイルと会わせてくれたから、という意味だと思いますよ。ティリナサお嬢様ははっきり言っておられませんでしたが、お別れの際には、お顔は綻んでいらっしゃるようでした」
「そうなんだ」
「……ところでなんですが、ロクさん。ティリナサお嬢様からもう1つ、伝言を預かりました」
「なに?」
ガネストはロクに向き直り、ティリナサの言ったことを思い出しながら告げた。
「死んだ人間は思念体、つまり魂だけの存在となってしばらくこの世界に居続けますが、未練がなくなると魂が浄化されて、この世を去るのだそうです」
「未練がなくなる?」
「はい。どうしても憎い相手がいるとか、愛しい人を残してしまっただとか、そういう生きた人間に対する執着がなくなるってことです。もう思い残すことはなにもない、そういう意味だと思います」
「思い残すことは……なにもない。か」
「なにを訊きたかったんですか」
「え?」
「……あなたを拾ったエアリスさんが、もしもまだこの世界にいらっしゃっていたら、あなたはなにを訊きたかったんですか」
「それは……」
ロクはうまく舌が回らないみたいに口ごもり、なんとなく頬を掻いた。それから突然笑顔になっていつもの調子良さに戻る。
「べつに、なんでもないよ! ちょっと会いたくなっただけ。もう二度と会えないって思ってたのが、もしかしたら会えるかもしれないーなんてなったら、ふつう会いたいでしょ?」
「ロクさん、はぐらかさないでください」
「え?」
「あなたは笑ってごまかそうとするときがあります。他人に対しては事情もお構いなしにずけずけと入りこんでくるというのに、自分が踏みこまれるのは嫌だと言うおつもりですか」
「ガネストくん、言いすぎだわ」
慌てて止めに入ったフィラのことがガネストにはまるで見えていなかった。彼は一度もロクの顔から目を逸らさずに、声を低くして告げた。
「……ロクさん、覚えてますか。まだ僕たちがアルタナ王国にいたとき、あなたが僕とルイルに言ったこと」
「え?」
「『無敵の関係になれるとは思わないか』、と」
「──」
『でもそういう、いろんな壁を越えて笑い合えたらさ、だれにも邪魔できない、無敵の関係になれると思わない?』
「あれは、あなた自身がレトさんとの間で望んでいることでもあるんじゃないですか。あのときは僕も、自分たちのことで頭がいっぱいだったので、そうは思っていませんでしたが。でもいまならわかります」
ガネストの脳裏には、此花隊本部の談話室でのことが浮かんでいた。ロクとレトの言い争いを目にしたガネストは2人が義兄妹となった経緯をすこしだけ知っている。そしてロクが「家族にしてもらったんだ」と告げていたことから、彼女がレトや義母に対して引け目のようなものを感じているのではないかと疑ってもいる。それはまるで、お互い踏みこみ合わず、距離をとっていた頃のガネストとルイルの関係に酷似していた。
「あなたは、あなたたちは、ちがうんですか」
ロクは黙ったまま下を向いていた。それからすこしだけ顔をあげて、重い口を開いた。
「さっきね、メッセル副班が言ってたのを聞いて、ちょっと思ったんだ。心配をかけているうちは子どもだって。おばさんは……どう思ってるかな。あたし、レトとケンカしちゃって、どうしたらいいかわかんなくって。あたしはレトと、まだ一緒にいたいけど、おばさんには……いまのあたしたちが、どう見えてるのかな──って」
義兄妹となった2人を抱きかかえていた腕は、もうない。残された2人は、ただおなじ女性からもらった愛だけを知っていて、ただおなじ次元師だったというだけで現在まで道をおなじくしている。ロクは悩んでいた。エアリスという"母"を失った義兄妹の、これからの関係の在り方を探している。普段身に着けることのないエアリスからもらった織物を持ち出したのも、レトヴェールとの唯一の繋がりがそれだったからだ。
「ねえ、ろくちゃん。ろくちゃん、れとちゃんとなかなおりしたい?」
「う……うん。仲直りしたい」
「ろくちゃん、まえにいってたよね。さいしょはいもうとだってみとめてくれなかったけど、って。じゃあどうして、なかよくなったの?」
「え……」
「僕もまだそこまでは聞いてません。もしかしたら昔のことがヒントになるかもしれませんよ」
「こんどはるいる、ろくちゃんのためにおはなし、ききたい」
ロクは、ルイルとガネスト、そしてフィラの顔を見渡した。それぞれ事情はちがうけれど、自分が勝手に心の奥まで踏みこんで、そして心を開いてくれた人たちだ。
廃屋の正面玄関の傍には白い長椅子が置かれていて、ひしゃげたパラソルがすぐ隣で立っている。ロクはその白い長椅子に腰をかけた。傘に空いた穴から木漏れ日がちらほらと降り注ぐ。
──現在から遡って、5年前のことをロクは話し始めた。
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.57 )
- 日時: 2020/04/16 14:50
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
- 参照: 特別更新*
第052次元 日に融けて影差すは月Ⅰ
凍えるような寒さの中──「うちにおいで」と言って差し伸べられた手を握りしめながら、若草色の髪をした少女は雪の降り積もった道の上を歩いていた。ざく、ざくと心地いい音を鳴らす足は、1人だけのものじゃない。
隣を歩いているのは女性だ。美しい金色の髪をひとつに結って、それが歩を進めるたびに腰のあたりで揺れて、綺麗だった。「寒くない?」とか、「もうすこしだからね」とか、いろいろ気にかけてくれたが、少女は首を振るばかりで、一言も発しなかった。
倒れていた場所には街灯が立っていたような覚えがあるが、気がついたときには林道へ入っていた。ぼんやりとしていたら道の終わりが見えて、どうやら村らしいところへ着いた。
ここは『レイチェル村』というのだという。豊かな緑が広がり、木造の家がぽつりぽつりと、間隔をあけて建っていた。道という道はない。新緑に彩られた世界だ。
形が整えられていない適当な岩を積んでつくった石段が小高い丘の上に続いている。どの家のものかわからない畑が所狭しと並んでいて、その横を順々に過ぎていく。すこし歩いたところで、女性がようやく足を止めた。
少女が顔をあげると、目の前には可愛らしい印象のこじんまりとした家が建っていた。近くにほかの家はない。この家のすぐ裏側には、細い小川が流れていた。
「さ、はやく入ってあったまりましょう」
「……」
女性が家にあがろうとすると、握られた手にぐっと力が入った。若草色の髪をした少女は難しい顔をして俯いていた。
強引に連れてきたといっても過言ではない。警戒されるのも当然のことだった。
「あなたをどうこうしようとは思っていないわ。本当よ」
「……」
「うーん……困ったわ」
そのとき。家の扉がガチャリと開いた。2人が扉に視線を向けると、女性とおなじ金の髪をした少年が中から顔を覗かせた。
「レトヴェール」
女性が名前を呼ぶ。少年はなにも応えない代わりにじっと少女の顔を睨んで──
「えっ」
バタン! ──と物凄い音を立てて扉を閉めた。女性は「あらら」と、呆気にとられる。
「ご、ごめんなさいね。たぶんびっくりしちゃったのよ。知らない子が来たから」
女性は慌てて取り繕ってみせたが、少女は閉じていないほうの左目を丸くして、石のように固まっていた。
無事に家の中へ案内された少女は、扉をくぐるなりさきほどの少年とばっちり目が合ってしまった。居間のテーブルについていた少年はまるで女の子みたいに可愛らしい顔をしていた。が、不愛想にもすぐにぷいっと目を逸らし、椅子から飛び降りてどこかへ行ってしまった。
女性に促され、少女は暖炉の傍に座って冷えた身体を温めた。しばらくして、少女はあたたかいスープとつけ合わせのパンを馳走になった。ちょうどこの時間がこの家での夕餉の食卓なのだろう。
レトヴェールと呼ばれた少年もテーブルについていた。時折、幼い子どもとは思えない怪訝な顔つきで少女の顔を睨んでは、黙々と食事を口に運んでいた。野菜がごろごろしていてよく煮こまれたスープやバターの風味が香るパンをおいしいと味わっていた少女は、途中から胃にものを詰めこむようにして手を動かした。
翌日。気持ちのいい朝を迎えた少女は、女性に──「うちの子にならない?」と言い渡された。少女は驚いて、困惑して、そして小さく泣いた。嬉しい、と素直に感じたのだった。もしかしたらこの女性は悪い人で、いつか自分を傷つける日がくるかもしれないなんてことも考えた。けれども少女は、それでもいいと思った。
若草色の髪をしたその少女はロクアンズと名づけられた。
「さあロクアンズ、この子が私の息子のレトヴェールよ。これからあなたのお義兄ちゃんになるの。仲良くしてね」
「れ、ヴェ……る」
女性の名前はエアリス・エポールといった。彼女には息子が1人だけいて、それがレトヴェールという名前の幼い少年だった。少年、といったが彼はすこしだけ伸びた金色の後ろ髪を紐で小さく結っていて、目も大きいので一見すると本当に少女のようだった。美しい金の髪と瞳、そして整った目鼻立ちがエアリスによく似ている。
が、その精巧な人形のような表情は昨晩からなんら変わりなく、子どもらしさの一切を切り離したように冷めきっている。良く言えばきりっとしていて賢そう、であるが、悪く言えば不愛想極まりない態度だ。
「……」
「あの、えと、なかよく……なかよくしてね、レ……レと」
「おまえのあになんかなるかよ」
レトヴェールはふてくされたようにそう言い捨てた。鋭い目で睨まれ、ロクアンズは萎縮する。そんな彼女の両肩に手を置くと、エアリスは柔らかく諭した。
「レトヴェール」
「おまえなんか、いもうとじゃない! どっかいけ!」
なかば怒鳴るようにそう突き返して、レトヴェールは走り去っていった。ふとエアリスのほうを向き、彼女が顔を曇らせていることに気づいたロクアンズは、慌てて笑みをつくった。しかし取り繕われただけのその笑顔はとても下手くそだった。
「だ、だいじょうぶですっ。あの、べつに、きょうだいとか……ならなくても」
「……。あなたはなにも気にしなくていいのよ。私が娘にするって決めたんだもの。ちょっとだけ、時間はかかっちゃうかもしれないけれど……きっと仲良くなれるわ。そう思ってる」
「……」
それからの生活は、ロクアンズにとっては苦労の連続だった。エアリスは本当の娘のように可愛がってくれたが、その光景を見たレトヴェールが嫌な眼差しを向けてくるたびに、ロクアンズは胸になにかが閊えるような思いだった
中でも一番困ったのは、レトヴェールとの会話がまったく成り立たなかったことだ。
「あの」
「……」
「あ、のぅ……」
ロクアンズからレトヴェールに投げかけた言葉は、十中八九返ってこない。ほとんどを無視されるのだ。本格的に嫌われている、と彼女は自覚しつつも、いつもめげずに話しかけていた。
「えと……お兄ちゃ」
「だから、あにじゃねえって。なんかいいえばわかるんだよ」
「じ、じゃあなんていえばいい? れ……れとびえぇる?」
「ちげえし、つかなまえもよぶな!」
ロクアンズに話しかけられるだけでも嫌な顔をするレトヴェールは、名前の発音までまちがえられるとさらに怒りを沸き立たせた。刃物のような目つきを向け、またロクアンズから離れてしまう。ただレトヴェールと仲良くなりたいだけなのに──ロクアンズは、逆に彼の怒りを買うことになってしまい、ひどく落ちこんだ。
「きらわれてるのかな……」
「どうしたの?」
腕に大きな竹籠を抱えたエアリスが、ロクアンズの小さな背中に声を落とした。彼女は取りこんだ洗濯物で溢れている竹籠をひっくり返した。絨毯の上に洗濯物の山ができる。
「おに……れと、びぇ、び……」
「ふふ。レトヴェールがどうかした? ……またなにか言われたの?」
「う、ううん。わるいのあたしだから」
「なにを言ってるの。あなたはなにもわるくないわ。とってもいい子よ」
エアリスは洗濯物の山の中から衣類を取り出しては、丁寧にたたんで、積んでいく。
「あの子はちょっと恥ずかしがり屋さんなだけなの。ロクアンズのこと、ほんとはすごく気になってるんじゃないのかしら」
「う……うそ」
「うそじゃないわ」
「でも……」
「あの子ね、あんまり村の子どもたちと遊ぼうとしなくって。『おかあさんだけでいい』なんて言っちゃって……。遊ぶのだって、いっつもおうちの中でね」
「さびしくないの?」
「……すこしまえにね、お外で遊んできなさいって言ったことがあるんだけれど、そのときあの子なんて言ったと思う?」
「うーん……わかんない。なんてゆったの?」
「『ほかのみんなが楽しそうにしてるのが見えて、いやだ』って、そう言ったのよ」
エアリスは、袖と丈の小さな服を取って広げた。いつも汚れひとつないから洗いやすいのだけど、と眺めながらそう零す。
「あの子は踏みこみ方がわからないの。あなたはレトヴェールと仲良くなりたいって思って、たくさんあの子に話しかけにいくでしょう? でもあの子にはそれができないみたいで。だからお願い、ロクアンズ」
「……?」
「あの子のこと、どうか諦めないであげて。ほんとうはすごく優しくて、家族思いで、とってもいい子だから」
ロクアンズは、絨毯の上に残ったレトヴェールの衣服をつかむと、ばさばさと広げて、畳みだした。
「うん。あたし、れとぶぇーると、なかよくなりたい。それで、いっしょにあそんだりしたいっ」
エアリスは安心したように顔を綻ばせた。そしてロクアンズの頭に手を伸ばすと、若草色の髪を優しく撫でた。その手から伝わってくる温かさがとても心地よくて、ロクアンズは子犬のように嬉々とした。
「……」
そんな2人のやりとりを偶然目にしてしまったレトヴェールは、壁に隠れたままじっとしていた。
* * *
本日は主人公ロクアンズの誕生日のため、特別更新です!
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.58 )
- 日時: 2020/04/16 14:50
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
- 参照: ※内容加筆修正のため再掲
第053次元 日に融けて影差すは月Ⅱ
快晴に恵まれたある冬の朝。エポールの家から北の方角にいくと、家宅がいくつか立ち並んでいる場所へ出る。そのうちの一軒はこじんまりとした茶屋で、常に小さな旗を構えている。ここは朝早くに門を叩くと焼きたてのパンを売ってくれるのだ。おつかい係に任命されたロクアンズは今日一日で消費する分のパンを詰めこんだ袋を抱え、行きとおなじ道を辿って家に戻ってくる。そして大きな声をあげながら玄関をくぐった。
「ただいまーっ! かってきたよーおばさんっ!」
「あら、この元気な声はロクアンズね。おかえりなさい」
ちょうど洗濯をし終えて小川から戻ってきたらしいエアリスが、裏の庭に竹籠を置いて家にあがる。愛用している前かけで手元を拭いながらロクアンズのもとに歩み寄った。
「ありがとう、ロクアンズ。あなたが早起きで助かっちゃうわ」
「えへへ」
「これで朝食を作るから……あ、ごめんなさい、もう一仕事だけ引き受けてくれる?」
「もう、ひとしごと?」
「洗濯物を裏庭に干してほしいの。その間におばさん、おいしい朝ごはんを作って待ってるから」
「わーい! おいしいあさごはんっ! あたしやる!」
「ありがとう」
ロクアンズはバタバタと走って裏庭へ出る。水浸しの衣類が山のように積まれた竹籠を両腕で抱え、よたよたと危なげに歩きだした。案の定、彼女は物干し竿の前にやってくるや否や吹っ切れたように両腕を離した。竹籠の底が、どすんと草木を踏む。
ぜーはー、とロクアンズは息を吸ったり吐いたりする。心拍が落ち着いてきたところで、彼女は服の袖を捲った。
「よしっ! もうひとしごとだ!」
「あさからげんきだな」
そこへ、寝間着姿のレトヴェールが上着を羽織りながら近づいてきた。ロクアンズは左目をまんまるにして、声のしたほうへ振り返る。
「れ……。あっねえ、てつだって? そしたらはやく、おいしいあさごはんたべれるよ」
「やだよ。めんどくさい」
「……。おばさんいってたよ。れとぶぇーる、おきるのおそいんだって。あたしがパンをもらいにいったんだよ」
「おまえはとうぜんだろ。いそーろーなんだから」
「い、いそ、なに?」
「よそものってことだよ」
ロクアンズの手に握られた衣服から、ぽたぽたと水が滴り落ちる。ぎゅっと力を入れると、さらに大きな雫が落ちて、水溜まりが跳ねた。
「……やさしくなんか、ない」
「あ?」
「ねえ、なんでいっつも、いじわるいうの? あたしなにも、なんにもしてないっ」
「してんだろ」
「なにを!」
「かあさんのほんとの子どもでもねえくせに」
レトヴェールの金色の瞳と、ロクアンズの緑色の片瞳が、真正面からぶつかり合った。
「かあさんをとんなよ!」
「とったとかとらないとか、おばさんはものじゃないし、とってないもん!」
「じゃあちかくにいんな!」
「やだ!」
「んだと──このっ!」
レトヴェールはかっとなって、ロクアンズの襟元を乱暴に掴みあげた。すると彼女の軽い身体は簡単に地面に落ちた。強く背中を打ちつけ、「うっ」と小さい呻き声をもらす。同時に洗濯物の入った竹籠も派手にひっくり返った。
ロクアンズは細い手足をばたつかせて必死に抵抗した。
「やーだあ! はなして!」
「おまえがいなくなったら、はなしてやるよ!」
「やだっ! はな、はなれるのは、ゃだ……!」
「んでだよッ!」
「また……っあたし、ひとり、なの……ぃやだぁ……!」
そのときだった。突然、ロクアンズの首元の苦しさが和らいだ。ぱっと左目を開くと、レトヴェールが目を丸くして自分を見下ろしていた。
彼の目には、新緑の瞳に滲んだ涙が映りこんでいた。
「……」
「……?」
ロクアンズが動揺の色を浮かべた、そのとき。
「なにをしてるのっ、2人とも!」
大きな声がして、ロクアンズとレトヴェールの2人は我に返った。
庭に出てきたエアリスは、揺れる草花の上で無造作に散らばっている衣服をすべて拾い上げて、籠の中に戻した。ふたたび山となった竹籠を2人の前に突きだし、彼女は言い放った。
「2人で洗ってきなさい。いい? 2人でよ。わかったら行きなさい」
エアリスは険しい顔つきになっていた。いつもは穏やかな眉がきつく吊り上がり、顔も真っ赤だ。これほどあからさまに怒りを露にしているエアリスを見たのは2人とも初めてだった。返す言葉が見つけられず、黙って竹籠を受け取った。
小川は家の裏庭からすこし行ったところで流れている。そこまでの道のりは遠くないので、すぐに川のせせらぎが聴こえてきた。
ロクアンズとレトヴェールはお互いの顔を見ないようにして歩いていた。先に竹籠を抱えていたロクアンズが、ちらりとレトヴェールのほうを向いて言う。
「ねえ、あなたももって? あたしつかれた」
「……」
「ねえってば」
「おまえのせいでこうなったんだろ。だからおまえが持てよ」
「……れとぶぇーるがさきにやったのに」
「だからなんだよそのよびかた。ちげえし」
「じゃあなんてゆえばいいの!」
「しらね」
レトヴェールはつんとしていて、反省をする気はまるでないようだ。自分ばかり竹籠を運んでいるのがばからしく思えてならない。なにを言っても聞いてくれそうにないレトヴェールの頭に竹籠をぶつけてやりたいが、ロクアンズはそれほど重たい物を持ちあげられない。代わりに小石を蹴飛ばしていた。
小川に辿り着くと、ロクアンズは汚れた衣類を草花の上にぼとぼとと落とした。それから川べりに座りこむ。
流れゆく川の水に衣服をさらして、引き上げて、吸いこんだ水をよく絞ってから、カラになった竹籠に戻す。黙々とそんな作業を続けるロクアンズを、レトヴェールは立ったまま見下ろしていた。
「……」
あなたもいっしょにやって、だとかそういった文句を言わないのかとレトヴェールは訝しんだ。ロクアンズは彼に目もくれず、言いつけられた仕事にだけ向き合っている。これだけは完遂させないとという執念の色さえ見えた。
「おい、あれ、ウワサの緑髪じゃねえか!?」
聞き覚えのない声がして、ロクアンズはその声につられて横を向いた。すると背格好のよく似た3人くらいの子どもたちが、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「ほんとだ! すっげえ! ほんとにいた!」
「おいやっぱあれだよ、右の目! 閉じてやんの。すっげきっもちわりぃ」
「──」
ロクアンズは咄嗟に、自分の右目を手で覆った。直後、その様子を見ていた少年たちがどっと笑った。
「おい、もっとみせろよ」
3人のうちで一番大きな身体をしている茶髪の少年が歩み寄ってくる。ロクアンズは後ろに下がろうとした。が、踵が浮くような嫌な感覚がして、身震いした。すぐ真後ろには小川が流れている。
茶髪の少年はロクアンズの右手首を豪快に掴んだ。
「手どけろよ」
「ぃ、やだ!」
「いいじゃんかよ。みせろよ。みてえんだよ」
「やだってば!」
少年がロクアンズの右手首を引っ張ろうとし、彼女はその強い力に負けないようにと抗っていた。
が、子どもといえど男と女には力の差がある。いまにでも右手首をはがされそうで、ロクアンズの目尻にはまたじわりと涙が浮かんだ。
「……」
ただただ、レトヴェールはその光景を見過ごしていた。
そのままなにもしないかと思われた彼だったが──
「は?」
その場でしゃがんで、落ちていた小枝を拾うと、ロクアンズの手首に纏わりついていた少年の手の甲に思い切り突き刺した。
「いッ!」
「!」
少年の手が彼女の手首から離れた。彼女はじんじんと痛む手首にもう片方の手を添えながら、ぱっと顔をあげた。
3人の少年たちはロクアンズではなく、小枝をぽいと抛るレトヴェールに視線を集めた。
* * *
2018年はお世話になりました。
来年も本作をよろしくお願いしますー!(*'▽')
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.59 )
- 日時: 2020/04/16 14:51
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第054次元 日に融けて影差すは月Ⅲ
「んだよおまえ! じゃますんなよ!」
「そうだぞ!」
「……」
レトヴェールは口をきこうとはせず、つんとよそ見なんかをしていた。ようやく少年の手から解放されたロクアンズは彼の後ろでまだすこし痛む手首を擦る。
「こいつさぁ、たまにみるやつだよな」
「おれらんことウラヤマシソーにみててさ、きもちわりぃんだよ」
「みてねえよ」
「みてんじゃんかよ!」
「あと、うらやましいとかそういうの、かってにきめんな」
「んだと!」
少年たちの興味の矛先が、ロクアンズの右目からレトヴェールへと遷移しつつあった。彼女はとっくに顔から手を離しているのに、その傷のついた右目に少年たちは見向きもしない。
「……」
投げられる数々の暴言はすべてレトヴェールに当てられている。いつの間にやら蚊帳の外に立たされていて、その場から見えるものといったら彼の背中だけだ。
小さく結われた金色の髪が、さらりと揺れて──綺麗だ、なんて。ふとそんなことを考える。
「かっこつけてんのかよ? おんなのまえだからって」
「おんなみてぇなかおしてるくせによ」
「あ?」
「かあちゃんが『かかわんな』って言ってたぞ」
「……」
「えぽーるはのろわれてんだ。かみさまにきらわれてんだってな!」
強い語尾とともにレトヴェールが肩を突き飛ばされると、次の瞬間。
一、二歩だけ後ずさった彼は──ドボンっ! と真っ逆さまに川底へ落ちた。高く水しぶきが打ち上がり、驚いたロクアンズがすぐに川べりに飛びついた。
「っ! れ──」
「きっもちわり。あーせいせいした!」
「おまえやりすぎだろこれは!」
「あはは!」
げらげらという汚い笑い声にまぎれて、レトヴェールが川面を割って顔を出した。前髪がべたりと張りついていてその表情ははっきりしない。
「れ……」
「……」
ロクアンズは、驚きと疑問で胸がざわついていた。ついさきほど少年の1人に腕を掴まれたときに、横槍を入れなければ彼はまちがいなく無事でいられた。やいやいと悪口を言われることも、凍えるような冬の川に身を投じることもなかった。
「もういこうぜ。あきたし」
「そうだな」
彼は相変わらず目を合わせようとはしない。川底に尻をついたまま、ただ時間が過ぎるのを待っているようにも見える。
少年たちがくるりと背を向けた。
そのとき。
ロクアンズは竹籠を掴み、躊躇いなくひっくり返した。そして籠の中身をすべて地面の上に落とすと、それで川の水を汲み、少年たちの背中に水を投げた。
「ッ!」
「っうわあ!」
「つめて!」
ばしゃあっ! ──と。少年たちは冷たい水を背中に被った。3人は不格好にもよろめいて膝をついたり転んだりする。
レトヴェールは水の冷たさも忘れて、間抜けにもぽかーんとしていた。
「お、おい! なな、なにすんだよっ!」
「……らわないで」
「はあ?」
「レトのこと、わらわないでよ! たしかにおんなのこみたいだし、ぜんぜんやさしくないけど、でもあたしの……あたしの、おにいちゃんだから、わらったりしたら、ゆるさないから!」
目尻にじわりと滲んだ涙を落とさないように、ロクアンズはきつく唇を結んだ。怯んだというよりは、得体の知れない怒りをぶつけられて少年たちは呆れ返っていた。
「な……なんだよ。ほんとになんなの、こいつ」
「ぎりのきょうだいってんだろ、こいつらみたいなの」
「ああ。ぜんぜんにてねえし」
「いっしょうやってろ、ぎりのきょうだい!」
少年たちは、あかんべーなどをしながら水浸しの背中を向けて行ってしまった。
レトヴェールは川底に座りこんだまま、ロクアンズの後ろ姿を見上げた。しばし静寂が流れた。
「……」
「……」
「……んだよ、れと、って」
ロクアンズはぎくりとした。やや目を泳がせながら、もっともらしいことを口にする。
「な、ながいから。よぶときじかんかかるし、みじかいほうがかわいいし」
「うそつけ。いえないんだろ、ヴェールって」
「……それも、はんぶんくらいある」
「ぜんぶだろ」
「はんぶんだもんっ」
「いいやぜんぶだ」
また言い返すと永遠に終わらないな、とロクアンズは反論を諦めて、川の中で座りこんでいるレトヴェールの顔の前に手を差し出した。
「かぜひいちゃったら……おばさん、しんぱいするよ。だからはやくあがろ?」
「……」
「レト?」
「おまえ、へんだよな。なぐろうとしたやつかばったりして」
「それは……レトもいっしょでしょ。さっきたすけてくれた」
「べつにたすけてねえよ」
レトヴェールは差し出された手をぷいっと無視して、起き上がろうとした。が、川底のぬめりけに足を滑らせ、そのまま大量の水しぶきをあげて彼はすっ転んだ。
唖然としてその一部始終を見ていたロクアンズは、耐え切れず、大声をあげて笑った。
「ぶっ……ははは! レト、レトおっかしーっ!」
「笑うな!」
高らかな笑い声が、澄んだ川面に浮かぶ木の葉をかすかに揺らす。笑われて頭にきたらしいレトヴェールは、ぐんっとロクアンズの腕を引いた。すると彼女は成す術もなく川面に直撃した。彼女の奇声が川の中から聴こえてくるも、彼はざまあみろと言わんばかりにフンと鼻を鳴らした。
美しい小川の底では、2匹の小さな魚が寄り添い合っていた。
レトヴェールとロクアンズの2人に小川での洗濯を言い渡したのには、いくつか理由があってのことだ。一つは言うまでもなく、2人の言い争いが原因でせっかく綺麗に洗った洗濯物が土まみれになってしまったからだ。喧嘩をすると面倒なことになりかねないと身体に教えこませることも目的のうちである。
そしてもう一つ。2人には共同で作業をしてほしかったのだ。つい最近出会ったばかりで、互いのことをよく知らない状態では、会話やコミュニケーションがなかなか成り立たないのも無理はない。そこでエアリスはなかば強制的ではあるが、2人に共同作業をさせることで仲間意識や友情のようなものがすこしでも芽生えるのではないかと考えたのだった。しかし。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ2人とも! そんなにびしょぬれになって……いったいなにがあったの?」
裏庭から帰ってきたロクアンズとレトヴェールの姿を見るなり、エアリスは卒倒しそうになった。
頭の上から盥の水でも被ったのかと疑うほど、2人は頭のてっぺんから足の爪先までしっかりと濡れていた。エアリスがしごく心配そうに顔を覗きこんできたので、ロクアンズは先に口を開いた。
「ね、ねえね、おばさんきいて! あのね、レトがぜんっぜんてつだってくれなかったんだよ。だからあたし、たくさんあらってて、それでとちゅうで川におっこちちゃったの」
「え?」
エアリスは目をぱちくりさせた。ロクアンズの言ったことはほとんど嘘だ。が、このまま押し切ればエアリスを騙せると踏んで、ロクアンズは調子をあげた。
「でねでね、レトったらひどいんだよ。川におちたあたしのことすっごくわらったの!」
「ええっ? ほんとうレトヴェール?」
「ちげえよ。かあさん、こいつがいってんのウソだから。おれはこいつをたすけようとおもって手のばしてやったのに、こいつおれのうでつかんで、おれまでかわにおとした」
「ええっ!」
「それはレトでしょ! レトのばか! うそつき!」
「おまえのほうこそおれを笑っただろ。でかい声で」
「それは! それはほんとだけど……」
「おい」
レトヴェールはロクアンズの頬を両手でつまんで、「このやろう」とぐいぐい頬の肉を引っ張った。「いひゃっ」と悲鳴をあげながらも、彼女も負けじと彼の頬をつまみ返して対抗する。エアリスはそんな2人を交互に見やって、唖然とした。
「ふ、2人とも……。ケガは、ケガはなかったの?」
2人ははたと手を離し、じとーっとお互いの顔を見合ってから、同時に告げた。
「ない」
「ないよっ」
泥まみれで、水浸しなのに、清々しい顔をして2人が言うものだから、エアリスもつられて顔を綻ばせた。
「そう。2人とも、風邪を引いてしまうといけないわ。私がすぐに湯船の準備をしてくるから、そのまえに服を着替えていらっしゃい。いいわね」
「ん」
「はーいっ」
「そうだわ、ねえロクアンズ」
「なあに?」
「その……"レト"っていうのは、もしかしてレトヴェールのことかしら?」
ロクアンズはこくんと大きく頷いた。
「うんっ。だってレトのなまえながいし、こっちのほうがなんかかわいいかなって」
「ヴェールっていえないだけだろ」
「しーっ! なんでゆっちゃうのっ」
「じじつだろ」
「じじつでもだーめー!」
言葉の売り買いが勃発し、ふたたびエアリスの胸に不安の芽が出るかと思われたが、違った。彼らが纏っている雰囲気はこれまでのような冷たく張りつめたものではなかったのだ。
エアリスは、ぷっと小さく吹きだした。それから、こみ上げてくる笑いを抑えることができなかった。
「……な、にかあさん」
「おばさん?」
「いいえ、なんでもないわ」
目尻を拭い、エアリスは「それじゃあお風呂の準備してくるわ」とその場をあとにした。残された2人はエアリスに聞こえないように、小さく安堵の息をもらした。
「ばれなかったあ」
「ああ」
「おばさんに、しんぱいしてほしくないもんね」
「……ん」
エアリスに心配をしてほしくない。悲しい顔をさせたくない。──2人の意見が一致したのはこれが初めてのことだった。
ぶるるっ、とロクアンズは寒さで身が震えあがるのを感じた。両腕を擦って暖をとりつつ、自室に戻る。
そのとき。レトヴェールはなにかに吊られるかのように鼻をひくつかせたかと思うと、頭を豪快に振り下ろした。
「くしゅっ。……うぇ」
ぐずり、と彼は痛いくらいに鼻を啜った。
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.60 )
- 日時: 2020/04/16 14:51
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第055次元 日に融けて影差すは月Ⅳ
鼻水が止まらない、なんとなく身体がだるいという症状を彼が訴えだしたのはあれから間もなくのことだった。
ロクアンズはよく彼の部屋の扉を開けたり閉めたりしていたのだが、「うるせぇな」と一蹴されてからは大人しくするようにした。とはいっても頻繁に扉の前に訪れては、その辺りをうろうろしている。
「あらロクアンズ。またここにいるのね」
「おばさん!」
台所のほうから、エアリスが木の板に食事を乗せて現れた。
「レト、だいじょうぶかな?」
「大丈夫よ。ちょっと風邪を引いただけなんだから。あの子、あんまり体力ないから」
「うぅん……」
「さ、入りましょう」
ロクアンズは踵を浮かせて、扉の取っ手を両手で掴んで引いた。「あら、ありがとう」とお礼を言ってからエアリスは部屋に入る。ロクアンズもあとに続いた。
木の板には、麦の入った温かいスープと木製の大きな匙が乗せられていた。エアリスが寝台の近くにある棚の上にその板を置く。椅子に腰をかけて、寝ているレトヴェールの前髪を指先ですくった。
「この子が川に落ちて風邪を引くなんて、らしくないわね」
くすくすと小さく笑うエアリスの顔はどことなく嬉しそうだった。自分で言ったことだが、この母子は顔立ちもなにもそっくりだ。ふいに、ロクアンズは視線を落とした。
「あら? ロクアンズ、その手はどうしたの?」
「え?」
「右のほうの手首よ。すこし赤くないかしら」
「あ……」
「見せてみて」
なんとなく躊躇をするような仕草を見せたロクアンズに構うことなく、エアリスは彼女の右腕をやんわりと掴んだ。思った通り、右の手首には赤みが差していた。
「どこでケガをしたの?」
「……あ、え、と」
「……。もしかして、レトヴェールとケンカしたとき?」
「え」
本当は違うのだけれど、と心の中で呟きながらもロクアンズは口を結んだ。村にいるほかの子どもたちと喧嘩をしてしまったなんてことがエアリスに知られてしまったら、彼女は心を痛めるにちがいないのだ。
「起きたら、今度こそちゃんと言わないとね」
エアリスは、右手首の赤らんだところを指の腹で撫でながら呟いた。何の話だかわからないといった風にロクアンズが小首を傾げると、彼女は笑み交じりに答えた。
「いつもレトヴェールには言っているのよ? 女の子を泣かせてはだめよって」
「──」
エアリスは寝台で眠っているレトヴェールに目を向けた。
「男の子はね、女の子を守るものなの。もちろんそれは国の決まりではないし、男の子と女の子を差別したいわけでもないわ。でも……レトヴェールには、大切な女の子を守れるような、そんな男の子になってほしいのよ」
「……」
「あとで塗り薬を塗ってあげるわ。こんなに赤くして……痛かったでしょう」
「……う、ううん。ぜんぜん、いたくないよ」
ロクアンズはどぎまぎしながらも、しっかりと首を横に振った。
ふと、エアリスが棚の上の食事に視線を戻す。すると彼女はぱっちりと目を見開いて、「あら」と驚くとともに立ち上がった。
「いけない。せっかく薬湯を作ったのに、台所に忘れてきたみたい。ごめんなさいロクアンズ、私、取りに戻るから、それまでレトヴェールの様子を見ていてくれる?」
「うん。いいよっ」
「ありがとう。ついでに塗り薬も持ってくるわ。待っていてね」
部屋から出ていくエアリスの背中を見送りつつ、ロクアンズは振り返った。
「……」
眠っているレトヴェールは普段とは打って変わって、存外穏やかな顔をしていた。寝顔ともなると持ち前の少女らしさが余計に際立つようだ。性別が男だとはとても信じられない。
ロクアンズは椅子に腰をかけた。
「…………あたしが、ないたから?」
問いかけたというよりは、つい声がこぼれたというほうが正しかった。
ロクアンズの前では常につんとした態度をとり、それでいて他人が嫌がることを平気で口にする。かと思えば、まるでロクアンズを庇うような一面も見せた。正直彼女にはレトヴェールの気持ちや行動がさっぱり理解できなかった。
けれど、さきほどのエアリスの話を聞いてわずかに心境が変わった。
レトヴェールと取っ組み合いの喧嘩になったときのことだ。なにをされるのかと怖かったのと、喉元を掴まれて苦しかったのと、また一人になれと言われたのが、自分の中でごちゃ混ぜになって、気がついたら目から勝手に涙が溢れていた。
彼が驚いたように目を丸くして、手をひっこめたのはまさにそのときだった。
きっとエアリスに言われたことを思い出したのだ。村の子どもたちに「右目を見せろ」と怒鳴られたときも同様だった。自分の右目には切り傷のような痕がついていて、目そのものも開かない。初めは驚きこそしたが深く考えたことはなかった。けれど、このような傷はほかのだれも持っていないし、見ていて気持ちのいいものではないことはなんとなく理解していた。ただ、それを「気持ち悪い」とはっきり音にされたのは初めてだった。エアリスにもレトヴェールにも言われたことがなかった。言われて初めて、「やっぱり気持ちの悪いものなんだ」と改めて理解させられたし、傷つきもした。またいろいろなものが混ざり合って、瞼がかあっと熱を帯びた。
あのとき、レトヴェールはたしかに助けてくれたのだ。泣いたつもりはなかったけれど、彼にそう見えたのであったら、きっと自分は泣いていたんだ。そんな気がしてくる。
「へんなの、レト。……わかんないよ。まだよく……わかんない」
レトヴェールの前髪をつんつんとつつく。起きそうな気配はなく、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。
部屋の扉がガチャリと開く。ロクアンズが音につられて振り向くと、扉の傍で立っているエアリスがばつが悪そうに告げた。
「ごめんなさい、ロクアンズ。塗り薬を探したのだけど……まえに使ったとき、なくなってしまったのをすっかり忘れていて。いまうちにないの」
「いいよそんなの、ぜんぜん! すぐなおるよこれくらい」
「いけないわ。綺麗な肌ですもの。女の子は肌を大事にしなくっちゃ。……でも困ったわ。じつはもう薬草もなくって……。あれはカラが特別にくれたものだったのに」
「から? って、なあに?」
「私の親友よ。でもあまり村にはいなくってね。すこしお高いけれど、カナラに行くしかないかしら」
「おつかいならあたしいくよ、おばさん」
「ダメよそれは。手をケガしているのに、物は持たせられないわ」
「でも、レトがおきたとき、おばさんいないとふあんになっちゃうよ。だからあたしいく! もう片いっぽの手でもてば、ぜんぜんへいき!」
「……で、でも、ロクアンズ」
「だいじょうぶ! あたしにまかせて!」
ロクアンズの溌溂さに気圧され、エアリスはしぶしぶ引き下がった。薬代を受け取ったロクアンズは身支度を整えると、早くも玄関に駆けこんだ。
「無理だけはしないでね、ロクアンズ」
「うん! じゃいってきます、おばさん!」
とんとんと足のつま先を鳴らし、ロクアンズは玄関の扉から外へ出た。家の戸が閉まって、くるりと前を向いた、その瞬間。
「ぶッ!」
「!? うわっ!」
向かい側から歩いてきた人物と、真っ向から衝突した。幸い、硬いものとぶつかった感触ではなくぽよんと跳ね返されただけに終わる。ただ予想外の出来事だったために、ロクアンズは咄嗟に両手で顔を抑えた。わずかに足元も躍る。
ロクアンズは戸惑いつつも、視界を開けた。指の隙間から見えたのは、やや膨らみのあるお腹だった。
「おいおい、なんだぁ? この子。見たことない子だ。それにあんたいま、エリの家から出てこなかったかい?」
「……え? え、り?」
「──カラ?」
戸の隙間から、エアリスが顔を覗かせた。ゆっくりと戸を開け広げていくにつれて、彼女はだんだんと顔色を明るくしていく。ついには満面の笑みとなって、彼女はこちらに手を振ってきた。
「カラ! 久しぶりね」
「よぅっ、エリ! 元気そうでよかった!」
手を振り返すその人物を、ロクアンズは下から仰ぎ見た。目鼻立ちがはっきりしていてエアリスとは異なる部類の美人だ。ロクアンズが子どもという観点を差し引いても背は高いほうだろう。明るめの小麦色の髪を一つに束ねて、高い位置で結って止めている。
──そしてなにより、どこか魅惑的な光を放つ紫色の両瞳に、一瞬で目を奪われた。
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