コメディ・ライト小説(新)

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最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
日時: 2025/06/22 21:01
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 毎週日曜日更新。
 ※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。

*ご挨拶

 初めまして、またはこんにちは。瑚雲こぐもと申します!

 こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
 ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
 しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
 よろしくお願いします!



*目次

 一気読み >>1-
 プロローグ >>1

■第1章「兄妹」

 ・第001次元~第003次元 >>2-4 
 〇「花の降る町」編 >>5-7
 〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
 ・第023次元 >>26
 〇「君を待つ木花」編 >>27-46
 ・第044次元~第051次元 >>47-56
 〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
 ・第074次元~第075次元 >>83-84
 〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
 ・第098次元~第100次元 >>107-111
 〇「純眼の悪女」編 >>113-131
 ・第120次元〜第124次元 >>132-136
 〇「時の止む都」編 >>137-175
 ・第158次元〜 >>176-


■第2章「  」


■最終章「  」



*お知らせ

 2017.11.13 MON 執筆開始
 2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
 2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
 2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
 2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞

 
 ──これは運命に抗う義兄妹の戦記
 

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.96 )
日時: 2020/06/21 12:26
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第087次元 眠れる至才への最高解ⅩⅡ

 喉もはち切れんばかりの痛々しい叫びが、ロクアンズの鼓膜に突き刺さる。彼女は血相を変えて入り口の扉の把手に掴みかかった。
 部屋から飛び出していこうとする──が、しかし扉には鍵がかかっていて、開けることは叶わなかった。

「うそ……! なんで!?」

 入室するとき、扉に鍵穴がないことは確認した。なればさほど重要なものは置いていないのだろう、とすこしも疑わなかった自分の詰めの甘さを思い知る。内側に鍵穴があったのだ。だれでも部屋に入れる代わりに、鍵を持った人間しか出ることができない。関係者以外の人間がもし侵入した場合に、この部屋に閉じこめておける仕組みになっている。
 無理やり壊すほかはない。扉の表面に蹴りかかろうとしたそのとき、レトヴェールの意思が声となって耳元でがなった。

『ロク!』
「レト!? レト、なにがあったの! こっちの部屋、鍵かかってて、でもすぐ行……」
『え、いまの、おまえじゃないのかロク。おまえの部屋のほうから声がしたから、てっきり……』
「……え? あたしは、レトのほうから声が……」

 ロクは扉ではなく、声がした方向の壁へと視線を移した。レトが向かったであろう左の扉と、彼女が開けた右の扉にはだいぶ間隔があった。2つの部屋が繋がっていないとすれば、距離が置いてあるのはなんのためだというのか。

『ロク、そっちの壁になにかないか』
「なにかって……あ!」

 視界一面の石の壁に一か所だけ小さな硝子窓がついていた。ロクが食い入るように覗くと、なにかが蠢いているのが視認できた。外見ははっきりとしないが、いまもまだ叫び続けるその声の主にちがいない。

「あった! ちっちゃいけど、硝子の窓、奥にだれかいる!」
『よし。その窓を起点に壁を壊せ。くれぐれも力加減には注意しろ。できるな』
「当然! ──次元の扉発動、『雷皇』!」

 主の声に応え、辺り一帯に電気の糸が散る。ロクは硝子の小窓から顔を離した。右の人差し指を伸ばし、右半身に、腕の中を這う血流、指の先、爪の一点。電熱が波のように押し寄せる。

「三元解錠──」

 硝子の小窓を睨みつける。視界の先にいる人物を傷つけず、壁も必要以上に破壊しない。力の限り次元技を放つのではなく、目の前の弊害を切り崩すためだけの力と、なれ。
 ロクの意思が呪文に換わる。

「──雷砲!!」

 放たれた細い雷光が、小窓もろとも壁を撃ち抜く。壁の向こうに広がっていた空間が顕となり、室内を一直線に駆け抜けた電気の糸は奥側の壁を撫ぜ、霧散した。
 がらり、と石の破片が崩れ落ちる。穴は予定よりもずっと小さく収まった。ロクは空いた穴を潜り抜け、壁の向こうに広がっていた空間に出た。
 硝子越しに見た人物が、部屋の端でうずくまっていた。急いで駆け寄り身体を起こしたが、気を失っているらしい。寝顔のあどけなさも背格好も、自分とさして変わらない。

「この子が、ナトニ……」

 濃い紫色の髪が元気よく、悪く言えば粗放に跳ねている。薄汚れた衣服の裾から、どこかに打ちつけたような痕が見え隠れしている。

(これが第二検証の傷……!? ……いや、待って、この子……)

 シアンという被検体が第二検証を行った結果、彼は『吐き戻し』『吐血』『皮膚の過剰痙攣』といったような症状に苛まれていた。しかしこの部屋にナトニが嘔吐したような跡もなければ、皮膚が痙攣している様子もない。どうもシアンとは症状が異なる。もしかすると第二検証はすでに終わっていて、いまは第三検証の最中だったのかもしれない。
 加えて、ナトニの身体はひどく熱を持っていた。シアンの検証結果にはなかった発熱を起こしているようだ。

 ロクの居場所の確認をとると、彼女たちが近くにいないであろう場所の壁を切り崩して、レトも入室した。見慣れない少年が彼女の腕の中で気を失っていた。レトは、青く濁った痕のあるその細い腕を持ちあげ、すぐに眉を顰めた。

「……っ、つ。なんだこいつ、熱があるのか? 皮膚も痣だらけだ」
「レト、たぶんこれが、次元師増加実験っていうやつだよ」
「……そっちの部屋になにがあった」

 ロクは先刻までいた部屋から実験の経過記録書を持ちだした。手渡された記録書にレトも目を通す。だんだんと顔色を曇らせていった彼だったが、仕舞いには感嘆の息をもらした。

「セブン班長が言ってたこと、本当だったんだな。次元師を増やす実験をしてるかもしれないって」
「うん……あたしもびっくりした。この地下室がきっとその実験場なんだ」
「それで、いま進行してる実験の被検体がこいつってわけか……」
 
 身体中痣だらけのナトニを一瞥し、レトは記録書に視線を戻した。
 ロクは、膝元で大人しくしているナトニの寝顔を眺めていた。応急処置をしようと腰元のポーチを漁り始めたそのとき、彼が身じろぎをした。ぎゅっと瞑った目がうっすらと開く。ロクの左目と目が合うと、彼は素早く起きあがった。

「わっ! な、なに? 起きた?」
「……」

 ナトニは起き抜けにいきなり走りだして、床の上に転がっていた1つの小瓶に飛びついた。中に残っていた少量の赤い液体を彼は一気に煽ろうとする。しかしすんでのところでロクに組みつかれ、小瓶を取り上げられた。

「なにすんだっ! 離せ!」
「だめだよナトニ! これ、元力なんでしょ!? それ以上飲んだら身体が壊れて本当に死んじゃうよ!」

 液体の赤さからいって、元力が含まれている液体だということはすぐに目星がつく。第二検証である『元力の投与』を経てシアン・クルールがどのような目に遭ったのかを考えると、ナトニの手を止めなければならない。
 
「うるせえ、離せっ、離せよ! 指図すんな!」
「いーやーだ!」
「次元師が作れるかもしんねー実験なんだよ、これは! 成功させて、父さん帰ってきたら、ぜったい喜んでくれんだ。だから余計なことすんな!」
「……」

 抵抗を続けたせいか、意外にもすんなりと手が離れた。急に解放されて、ナトニはたたらを踏んだ。

「じゃあ、これいらないの?」

 懐からバラバラになっているペンダントの部品を取り出し、ロクはそれをナトニの目の前に突きつけた。一つだった石は割れ、紐もほどけているが、紛れもなく父の形見のペンダントだ。彼は激しく動揺した。

「なっ、アンタ、なんで、それ……! 返せっ!」

 奪い返すつもりで素早く手を伸ばした。が、ロクに難なく躱されてしまう。足に力が入らず、傾いた体勢から立て直すことができなかったナトニは床の上に倒れこんだ。傷ついている膝をさらに擦り、苦悶する彼の顔を、ロクはキッと睨んだ。

「ナトニがまだ無茶するつもりなら、あたしだって黙ってらんない」
「なんだよそれ、アンタに関係ねーだろ!」
「そんな傷だらけの身体見せられて、ほっとくと思ったら大まちがいだっつってんの!」
「ほっとけよ! 部外者だろ!」
「あたしはそういう性分です無理!」
「ムリってなんだっ!」

 ナトニはロクに噛みつくように、一心不乱にペンダントを取り返そうとする。ほとんど背丈が変わらないにも拘わらず、ロクの柔軟な動きにまったくついていけないどころかまるで遊ばれているようだ。いよいよ頭にきて、飛びかかる勢いで猛攻を繰り出したがあっさり避けられ、彼は顔面で床を殴打した。
 微動だにしなくなった背中を、ロクがつんつんとつつく。

「……」
「ナ……ナトニ?」
「……が、かっ……がえぜよぉ……っ! なん、なんだよっ、がえぜっていってんじゃんかあ……っ!」

 ロクは絶句した。敵意むき出しで攻撃してきたかと思えば今度は情けなくわんわんと泣きだしたのだ。両目から溢れでている涙が、みるみるうちに床に水たまりを作っていく。彼女は冷や汗を飛ばしながらナトニの周りをうろついた。

「えっ……ごっご、ごごごめん!? あたし!? あたしが悪かったから!」
「あーあ。泣かせた」
「レト~~!」

 小さな嗚咽と、鼻を啜るのを繰り返すナトニに、ロクは問いかける。

「ね、ねえナトニ、なんでそこまで……」

 ナトニは両手を胸のあたりまで寄せ、痣だらけの腕で上体を起こそうとした。しかし発熱を患っているせいもあってか力が思うように入らず、上半身が震えている。彼は顔もあげずに、懸命に言葉を紡いだ。

「父さんの……それが、唯一父さんのものなんだよ。母さん死んじゃったから、ずっとオレ、父さんに会いたくて。ここには父さんの元力石しか残ってない、それしかないんだよ。オレは父さんのためにがんばってんだ。帰ってきたとき、父さんの次元の力を、オレが使えるようになってたら、父さん……絶対喜んでくれるって……だからぁ……っ!」
 
 ロクはだんだん申し訳なくなってきて、ナトニにペンダントを返そうと手を差し出した。が、レトが鋭い声でそれを制する。

「ロク、ちょっとそれ貸せ」
「え? で、でも……」
「いっとき借りるだけだ。あとおまえの通信具も」
「つ、通信具も? ……え、なにするの、レト?」
「いいから」

 ロクは言われた通りに、ナトニのペンダントと通信具をレトに手渡した。力を振り絞って起きあがったナトニが、膝立ちのままレトの脚に縋りついた。

「か、返せっつうの!」
「あとで返す。その代わり、ちょっと調べたいことがある。協力してくれ」
「……へ? だっ、だれがアンタなんかに──、っ!」

 そのとき。両手から急に力が抜け落ちて、倒れる。と思われたが、レトは持っていた記録書を手離し、間一髪のところでナトニの腕を引き寄せた。本は床に落ちるとばさりと音を立てた。
 怪我人を立たせるのも悪いと思ったレトは、ナトニとともにその場で座りこんだ。床の上にある記録書を拾いあげ、見せつけると、レトは言った。

「おまえ、通信具の実験やってないんだな?」

 金色の前髪がわずかにかかるその耳に、白い器具のようなものが装着されている。ナトニは困惑の色を示していた。確信を得たレトは、自分の通信具をも取り外した。

「いまからやるぞ。第一検証」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.97 )
日時: 2022/08/29 13:08
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第088次元 眠れる至才への最高解ⅩⅢ

 『いまからやるぞ。第一検証』──そうレトヴェールが言い出したときに動揺を隠せなかったのはナトニだけではない。ロクアンズもまた頭が真っ白になった。レトはナトニの傷の手当を先に済ませると、持ち運び用の工具を取り出し、あろうことか通信具を解体し始めた。
 恐ろしいほどの手際が良さで事を進めていく。が、見とれている場合ではない。ロクはすでに念頭にあった疑問をそのまま口にする。

「ま、まま待ってレト! 第一検証って……え、なんで? てかどうやってやるの!?」
「ナダマンの元力石を使う。ちょうど2つに割れてるし、俺たちの通信具に片方ずつ組み込んでナトニに使わせる」
「……ナダマン? って、なに?」
「おまえ読んだんじゃなかったのか、実験の経過記録書。こいつの頁に書いてあった父親の名前だ。ナダマン・マリーン。行方不明になったっていう調査班の次元師だ。そんでこいつの頁に第一検証の経過が載ってなかったから、やるってだけ」
「……たしかに、やってねーっちゃ、やってねーけど……でも、なんでアンタが」
「興味本位」

 会話の片手間に躊躇なく支給品を改造していくその姿は一周回って清々しかったが、称賛の言葉を送るよりも先になぜ通信具の改造ができるのかが気になって仕方なかった。黙々と作業を続ける彼におそるおそる訊いてみると、「支給された日に1回解体した」と彼は事も無げに答えた。ロクは心の中で、レトは編入する部班を間違えたのでは、とひそかに呟いたのだった。

 レトとナトニが第一検証を行っている間、手持ち無沙汰になってしまったロクはとりあえず、ナトニが実験をしていた大部屋と廊下とを隔てている壁に穴を空けた。ロクとレトが最初に入った部屋はどちらも内側から鍵がかかってしまい、出られなくなったからだ。
 空けた穴の先は廊下で、自分たちが下りてきた階段が上に伸びている。穴をくぐり、仁王立ちしながらなんとなく階段を見上げていると、やがて実験室の中から2人の話し声が聴こえてきた。どうやら検証が終わったらしい。
 ようやく終わったかとロクが実験室を振り返った、直後。

「──っ!」

 銃声、と金弾がロクの左耳を掠め去った。
 ロクは素早く耳を抑えた。奥で立ち尽くしている2人に向かって力一杯叫ぶ。

「伏せてッ!」

 続けてもう一発放たれる。今度の弾はロクの左足を切った。彼女は膝から崩れ落ちるも、身体を捻って階段のほうを向いた。細い手足に稲妻が奔る。レトも実験室に面している壁に肩を押しつけ、息を潜めた。2人は臨戦態勢をとった。
 不気味なほどの静けさが蔓延する。階段のほうからはまるで足音も聞こえてこない。耳から、脚から、止めどなく流れる血に目もくれず、階段を鋭く睨みつける。緊張がついに、頂点に達した矢先。
 からん、からん、となにかが弾みをつけて階段から落ちてきた。

(……! た、球……?)

 その球状のものは最後の一段からも滑り落ちた。そして廊下の床面とぶつかるや否やカチッと音を立て、まるで風船から空気が抜けるような音を発しながら辺り一面に白いもやを撒き散らす。

「ごほっごほっ! な、なに……これ!?」
「煙幕だ──、ッうぁ!」
「レト!」

 レトの呻き声がしたかと思えば、ロクも後ろからだれかに首根っこを掴まれた。壁の内側に隠れていた2人が階段から見える位置に放り出される。と、
 かちゃりと耳元で装填音がした。
 身体が硬直する。煙幕が目に染みてすぐにでも拭いたい。が、一切の動作を本能が辞めたのは、こめかみに銃口を突きつけられていることを瞬時に理解したからだ。
 白いもやがだんだんと晴れていく。視界が開けてくるとともに、ロクは左目の端で、自分に銃口を向けている人物を認識した。

「ほ……ホム副班──」

 制作班の副班長、ホムが石粒のような小さな目でロクを見下ろしていた。

「じっとしててくだされば、我々はなにもいたしませんです、はい」
「……」
「すいませんね、次元師様。これも目的のためなんすよ」

 レトと肉薄しているのはタンバットだった。彼もまた引き金に指をかけ、レトを脅かしている。目の前で繰り広げられる悪夢のような光景に怯えきったナトニは後ずさりし、その場で尻もちをついた。

「ご苦労」

 階段の上から聴こえてきた声が、薄暗い地下室内を静かに制圧する。
 ロクは声の主の容姿を認めると彼女の名前を口にした。

「ケイシィ副班」

 彼女は右手で銃を一丁提げ、もう片方の手で靴をつまんでいた。階段から足音がしなかったのは靴を脱いで下りたためだろう。彼女は左手に提げた靴を適当に抛り捨て、銃も懐にしまいこんだ。

「随分と迷子になっていたようだね、諸君。まあ無理もない。この研究棟には本日初めて来訪されたのだからな」
「……」
「そう、初めてな。初めて訪れ、そしてこの場所を嗅ぎつけた。君たちは余程鍛え抜かれた間者らしい」

 数段上から義兄妹を見下ろし、乾いた笑みを浮かべてケイシィは言う。

「ケイシィ副班、どうして……どうしてこんなことしてるの? 次元師を増やす実験って」
「余計な穿鑿はお勧めしない。いまだれが君の命を握っていると?」
「……」
「ほう。噂に聞いていたよりも随分と利口じゃないか、ロクアンズ殿。次元師といえどもその力が使えなければ常人とさして変わらないな。今度論文の題材にでもしよう」
「……。ナトニは、」

 ロクが小さく口を開く。ケイシィは黙ったまま、俯く彼女の次の言葉を待った。

「ナトニの身体は、もう限界だよ。まともに立ちあがれないくらい怪我をしてる。でもお父さんのためにって、その一心で、まだできあがってない身体を、意地を張ってるんだ。ナトニは生まれたときからここにいるんでしょ。そんなナトニに対して、情のひとつも湧かないっていうの」

 ケイシィの口から放たれた返答には、情けなど一欠片も含まれていなかった。

「これは至って清廉潔白な取引だ、次元師殿」

 腕組みをし、一段と落ち着き払った声で彼女は続ける。

「彼は父上の偉大な力を受け継ぎ、我々は次元師の増加に成功した研究者として絶対的な栄誉を手に入れる。双方納得した上でこの取引は成立している。にも拘わらず、立場も弁えず早計にも口を挟むとは些か滑稽な行為だとお思いになれないか?」
「あんなことを続けてたらナトニの身体は取り返しのつかないことになる。シアン・クルールって人だってそうだ。身体が使いものにならなくなってから実験中止だなんて、そんなのあまりにも非情すぎる」
「そんな被検体もいたな。あれはよくもった」

 幼子の戯言だと切り捨てんばかりの冷めきった目をしてケイシィは一蹴した。
 ロクは口を閉じた。反論しないかと思われた彼女だったが、その細い両肩は打ち震えていた。

「……るか」
「は?」
「納得がなんだ。ナダマンさんがどこかで元気にしてればいいだって? 帰ってきたら困るからあんなこと言ってたんだろ! ナトニに、父親が喜ぶからとすりこんだのだってあなたのはずだ。そんな人の気持ちを利用して得られる栄誉なんかに──価値があるかって言ってんだッ!」

 ついに怒りが沸点に達し、ロクの手足から鋭い稲妻が迸ると、間もなく。
 彼女の腿に一発の銃弾が撃ちこまれた。
 
「うあっ! ……っ」

 血飛沫が鮮やかに飛散する。ロクはふたたび項垂れ、急速に熱を帯びた腿を押さえつけた。かちゃり、とホムが手持ちの銃を装填させる。
 ケイシィは強い語調で警告する。

「よくお聞きになることだ、次元師殿。ここで見聞きしたすべての事象を口外しないと誓え。逆らえば次こそその矮小な脳天に風穴を空け、元魔の餌に換えよう」

 若草色の頭を床にこすりつけ、浅く息をするロクを見下ろしながら、ケイシィは呟いた。

「下等な種が。我々研究者に物を言うなど高慢も甚だしい」

 まるで苦虫を噛み潰すようにケイシィが表情を歪めた。
 次の瞬間。

 ──タンバットの背後から伸びてきた鎖が、彼の身体に影を落とした。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.98 )
日時: 2020/07/05 20:30
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第089次元 眠れる至才への最高解ⅩⅣ
 
「っ、な──!」

 構えていた銃が彼の手から滑り落ちる。瞬きひとつする間にも、タンバットの身体は鎖によって強く締めつけられた。両目を剥いてケイシィは傍観していた。

「うわああ!?」

 続いてホムが悲鳴をあげる。彼の身体に纏わりついていたのは紅色の鱗をした蛇だった。蛇の肢体が食いこんだところから豊満な肉がはみ出している。
 蛇に触れたくない一心で両手を挙げた拍子に、持っていた銃をはたき落とされる。赤い蛇はホムの耳元で大口を拡げ、彼を威嚇した。

「ひいいっ!」
「……」
「副班長殿が揃いも揃って幼子いじめですか」

 暗闇の奥から歩いてきたのは、黒髪を短く切り揃えた長身の男だった。身に纏う隊服さえ黒く、景色によく溶けこんだコルドは、タンバットの背後で足を揃えた。ホムは傍らで立ち止まった臙脂色の髪をした女、フィラを見上げると、丸い体躯をさらに縮こませた。

「こっ、コルド副班、フィラ副班……! なんでここに……!?」

 ロクは傷の痛みも忘れて、驚きのあまり大きく左目を見開いた。
 コルドはタンバットが落とした銃を蹴り飛ばし、廊下の端まで滑らせた。それからロクの疑問に答える。

「俺たちも怪しい場所がないか探した。レトが言っていたように、普段は人が立ち寄らない場所をな。そしたらフィラ副班長が、元魔の管理室もそうじゃないか、って」
「え! じゃあ、あそこから……!?」
「そうよ。行って調べてみたら、本当に隠し扉みたいな仕掛けがあって、そこから入ってきたの」
「成程」

 ぱちぱちと、乾いた拍手が地下室に響き渡る。ケイシィは作り物めいた笑みを浮かべて、コルドとフィラを称賛した。

「これは、コルド副班長殿にフィラ副班長殿。助太刀さながらのご登場とはお見事。もう一つの入口を見つけられたのも流石と言わざるを得ない」
「あまりこのような場所に長居をしていると、ほかの班員が不審に思われますよ」
「なに。貴殿の仰る通り、ここにいるのは全員、各班の副班長だ。会議をしていたとでも言えば疑う者は出るまい。それに研究部班の人間はあまり他人に興味を示さない。世に蔓延る未解明の現象事象のほうがよほど魅惑的なのだ。研究者とは元来そういう生き物でね。よってご心配には及ばない」
「次元師を増やす実験などというものにご執心なのもそういった理由からでしょうか」
「……。私は、証明や裏付けのない事象提唱を最も嫌う」
「それは失礼いたしました。では」

 コルドは懐から2つの小瓶を取り出した。開発班の研究室に保管されていた、元力石の入った小瓶だ。

「勝手ながら、開発班の研究室にあったこちらの小瓶を拝借いたしました。中に入っているのは元力石です。あなたの管轄ですから当然ご存知かとは思いますが」
「ふむ。それがどうかしたか」
「元力石の入った小瓶にはそれぞれ、名前の書いてある小さな紙を貼りつけていらっしゃいますね。研究室にあったものにはどれも、現在戦闘部班に所属している者たちの名前が書かれていました。こちらの小瓶も同様で、私、コルド・ヘイナーの名前が明記されています。……しかしこの小瓶には、非常に不可解な点がございまして」
「……」
「勝手ながら、こちらの記録を閲覧させていただきました」

 発言がフィラに代わって、ケイシィは彼女に視線を向けた。フィラが片手に掲げていた紙束を認めたそのとき、ケイシィの眉がわずかに動いた。

「元力石が置いてあった机の、すぐ近くの棚に収納されていたものです。これは、すべての元力石の形を描きとどめた一覧表だとお見受けいたしました」

 フィラはコルドとともにもう一度開発班の研究室を訪ねていた。その際に、もしも元力石を誤って混同してしまった場合に見分けはつくのだろうかと、ふと彼女は疑問に思った。
 室内にいた班員たちに訊ねてみると、どの元力石がだれの物なのかわかるように石の形を描いて記録していることがわかった。当然、記録の管理者はケイシィ・テクトカータだという。
 ふたたびコルドが口を開く。

「私とフィラ副班は協力して、研究室にあった元力石と、ここに描かれている絵をすべて見比べました。しかし……私の名前が書かれたこちらの小瓶に混じっている2つの元力石だけが、どうも形が合いません。これらは一体、どなたとどなたの元力石なのでしょうか」

 小瓶の中で、数粒の元力石がからりと音を立てる。
 デーボンとオッカーの元力石を地下室ではなく開発班の研究室に保管していたのは、被検体が誤って飲用するのを防ぐためだ。開発班の人間以外は元力石の形に見慣れていないため、その危険性が伴う。
 紛失、誤飲を確実に避けられれば、デーボンとオッカーが釈放されたときに、実験を再開させられる可能性がある。が、その前に元力石を紛失してしまえば元も子もない。そのうえ、すでに亡くなっているファウンダとカインからふたたび元力を抽出することは不可能だ。
 木を隠すなら森の中。もっとも安全かつ日々目の届く場所として、ケイシィは自分の城である開発班の研究室を選んだ。

「なるほど、素晴らしい解答だった。数少ない情報からよくぞ導きだされた。あなた方は我々の首に縄をかけることに見事成功したわけだが、ついでに我々がとるべき今後の行動についてご享受願いたい。妥当な判断でいえば、本部に連行し、我々の行動を告発するといったところだろうか」

 ケイシィは肩を竦め、おどけた風につらつらと述べた。まるで初めましてと挨拶をするような砕けた笑みまで添えて。追い詰められているにしては余裕な態度を見せる彼女に、コルドはすこしだけ黙ると、紳士然とした穏やかな笑みで言った。

「察しが早くて大変助かります。そうですね、ではひとつ、答え合わせに付き合っていただいても?」
「答え合わせ?」

 予想外の返答を投げられ、ケイシィは、訝しむようにコルドの顔を見据えた。

「あなたはご覧の通り大変聡明でいらっしゃいます。しかしあなたは、我々隊内にいる次元師ではなく、デーボンら闇商人と取引をしました。……なぜ頑なに、研究部班に関わりのある人間以外と手を組まなかったのか、その理由がわかったのです」
「ほう。では聞こうか」
「いや、逆ですね。戦闘部班の班員とはよほど関わりたくなかったのでは」

 ケイシィは否定するでも肯定するでもなく閉口した。この実験に関わっていた人間を挙げると、元研究部班の班員で親類の中に次元師がいた者、元研究部班で殉職した次元師と血縁関係にあった者、現研究部班の班員だが行方不明になってしまった次元師と親子関係にある研修員。いずれの場合も、研究部班内の関係者に限られている。
 此花隊に所属している班員の中で次元師は現在、戦闘部班にしかいない。コルドはその点を改めて検討したにすぎなかった。

「私たちのうちのだれかと取引をするということは、戦闘部班の班長であり元隊長補佐のセブン・ルーカーに勘づかれる危険性を伴うということです。そして総隊長ラッドウール・ボキシスの実の孫娘、フィラ・クリストンが在籍しているのも見過ごせないでしょう。さらに申し上げるなら、班員のロクアンズとレトヴェールは、各地で問題が起こるとすぐに首を突っ込み、解決にまで導いてしまう恐ろしい行動力を持った子どもたちです。きっとその奇行の噂はあなた方の耳にも届いていることと思います。そんな危険分子で溢れ返った戦闘部班に取引を持ちかけるなど、見方によっては、悪徳商人と手を組むよりも愚かな選択です。まさにいまのように内情を嗅ぎつけられれば、辞職に追い込まれかねません」
「ではその愚かな選択を避けてなお貴方がたの手に落ちてしまった我々は道化だとでも?」
「いつ愚かな選択を避けましたか? 我が部班の班長が研究物の流出を見過ごしたとして不名誉を授かりましたのでそのお礼をさせていただいたにほかありませんが」
「……」
「研究部班班長、ハルシオ・カーデン」

 その名前を耳にした途端、頑として平静を装っていたケイシィの表情が一瞬のうちに崩れた。

「あなたは彼からその座を奪うためにこの実験を急いだ。違いますか、ケイシィ・テクトカータ副班長殿」
 
 確信を抱いている口振りでコルドが言及する。ハルシオの名前が持ち出され、タンバットとホムも動揺を露にしたのを彼は見逃さなかった。
 ケイシィは細く息を吐くと、肯定の意を示した。

「当たらずも遠からず、といったところだ。私はハルシオ・カーデンという男が心底憎くてて堪らない」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.99 )
日時: 2020/07/12 13:33
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第090次元 眠れる至才への最高解ⅩⅤ

 コルドは以前、セブンの口からケイシィとハルシオの確執について聞かされた。元警備班の班員で支部を転々としていたコルドがほかの部班の内情に詳しいはずはない。班長の座を奪うためなどと、妄言だと蹴り返されればそこまでだがどうやら的は大きく外れていなかったようだ。
 本人が口にした"憎しみ"からか、ケイシィは苦痛に歪んだ口元で矢継ぎ早に言った。

「あなた方程度の理解力で足る問題ではない。奴は……ハルシオ・カーデンは化け物だ。ただの人の子が化け物に対抗するべく術をお考えになったことは? ないだろうな。では教えて差しあげよう。それはこちらも人間の皮を剥がすことだ。感情を捨て、理性を捨て、成果に執着する。さもなければ我々は化け物と足並み揃えて舞台に立つそれすらも叶わない。わかるか。今生では敵わないと脳がひとりでに受信する恐怖を。だから私は邪魔な感情をなげうちこの実験に執着した。これが私の打ち出した、奴の上をいける最高の解式だった!」
 
 入隊規律の最年少ともなる12歳で此花隊の門をくぐり、持ち前の頭脳と底知れぬ探求心でほかの班員を圧倒し、ついには21歳という異例の若さで開発班の副班長に就任した。当時、研究部班の班長は高齢の男で、彼の退隊が決定した際には当然ケイシィ・テクトカータがその席を譲り受けるのだろうとだれもが確信していた。
 しかし、ある日のことだった。調査班の班員であったハルシオ・カーデンが元力の固体化に成功し、あろうことか通信器具を自主開発したという報せが届き、部班内全域に衝撃が走った。前班長は才能に溢れるハルシオを次の班長に推薦し、隊長のラッドウールもそれを承認した。
 次の班長の座は自分のものだ。本人さえそれを信じて疑わなかった。しかし彼女は争いに敗れた。顔も名前も認知されていなかったような一端の班員が明日から班長の座に腰を据え、右肩部に班長のみ許される金章を飾り、自分を下に見るなどと、どうしたら認められようか。急速に湧きあがった感情は、嫉妬などという生易しい域には収まり切らなかった。常軌を逸した敗北感。彼女の脳に憑りついたそれは、いま現在までずっと彼女の思考の真ん中にある。
 ロクはふらつく身体を支えながら立ちあがり、憤りに侵されたケイシィの顔を見上げた。

「じゃああなたは、いま戦ってる次元師のためだとか、神族を倒すためだとか、そういう気持ちじゃなくて……班長さんに負けたままなのが悔しいから、次元師を増せば勝てるからって、そう思ったの」
「稚拙な言語で語るな。汚れる。動機などは結果に反映されない。私が彼より優れていたという名目が後から自ずとついてくる。それだけだ」
「そんなものがほしいってだけで、だれの身体が、気持ちが、どれくらい傷つこうがいいっていうのか!」

 ケイシィに近づくと、ロクは彼女の隊服をぐっと掴んで引き寄せた。片目だけが彼女の顔を強く睨みつける。すぐにでも電撃を浴びせかねない剣幕に、コルドが引き止めるように叫んだ。

「ロク!」
「ほう。私に手を挙げるか? 次元師とはつくづく便利な生き物だな。その力の前では力を持たないほかの種族など等しく虫けらだ。我々はそんな偉大な次元師を生み出すべく行動していたのだぞ。これは世界中の民の悲願である神族掃討への、大きな橋掛かりとなる世紀の実験だ。おまえたち次元師に感謝こそされど貶される謂れはない! さあ、傷つけられるものなら傷つけてみろ。殺せるものなら殺してみせよ。私と一体なにが異なる! おまえたちこそ本物の……人間の皮を被った化け物だろう!」

 ロクは思い切り拳を引いた。彼女の右腕を電気が這いあがり、ふたたびコルドが彼女を制する声を発したそのとき、握った拳から電気の糸は消え失せた。瞬間、何の変哲もないただの拳と成り下がった一撃がケイシィの頬に叩きこまれた。
 階段の上に、黒い隊服がぐしゃりと倒れこむ。ケイシィを見下ろす新緑の眼差しはまっすぐ彼女の身に突き刺さった。

「この力を持ってたから、故郷の人たちや大切なものを傷つけたんだって泣いた人がいる。この力が自分には重いって、それでも前に進もうって決めた人だっている。この力しかないからって自分を卑下しても、だれかのために戦い続ける人もいる。そんな次元師たちの思いも知らないくせに、なにが世紀の実験だ! 次元師を侮辱するのも大概にしろッ!」

 フィラ、レト、そしてコルドが、力強くそう叫ぶロクの姿から目を逸らせなかった。

「あなたみたいなクズ野郎には拳だけで十分だっての!」

 次元師は、だれしもが神族を打ち倒そうと正義を掲げているわけではない。その力を以てほかの人間を見下し、残虐な行為に及ぶ者もいる。しかし次元師とて人間だ。正義か悪のどちらかで分類できるほど単純な存在ではない。人目に触れない地下室に籠り、地上に出たところで他者とは最低限の交流だけを営み、特定の人間に対する負の感情だけをしたためた実験記録書に「成功」の文字が記されることはない。
 上体を起こし、ケイシィは殴られた頬に触れた。内側に溜まった血をぷっと吐き捨てる。

「……クズ野郎、か」

 そう呟くや否や、ケイシィは懐から素早く銃を抜き、ロクの額に銃口を押しつけた。

「──!」
「君はナトニの実験の経過記録を盗み見たのでは? であれば殊更、我々の邪魔をする理由はないはずだ」

 獣のように鋭い目つきでロクを睨みながら、ケイシィは至って冷然と述べた。

「え……?」
「ナトニは以前の被検体とは反応が異なっている。身体が拒否反応を起こした過程はなく、さらには投与した元力を一度たりとも吐き戻していない。そのうえナトニは、元力液を嚥下したのち、すぐに発熱を起こす。この発熱とは、君たち次元師が次元の力を行使する際に引き起こすのものと同様の症状だ」
「!? じ、じゃあ……!」
「ここまでの結果を顧みるに、ナトニは元力の体内への蓄積に成功し──かつ、元力に強い反応を示している」

 ロクは息を呑んだ。たしかに、最初に実験室内を見回したときに、ナトニが嘔吐したような跡がないのを彼女はその目で確認した。発熱はただの副作用のようなものだろうと勘違いしていたが、ケイシィの指摘によって考え方ががらりと変わる。いまの段階ではただ発熱を起こしているにすぎないが、取りこんだ元力が身体に馴染めば、いずれ正確に意思を通せるようになる。なんとしても勝利の盃を傾けてみせるという気概が、ケイシィの血走った瞳、額と接触する銃口から、犇々ひしひしと伝わってくる。

「理論的に考えてそんなこともわからないようであれば口を挟むな! いずれこの実験は完成し、ナトニは『癒楽』以外の次元の力の継承に成功したこの世で初めての次元師となる。証跡の伴わない正義論を振り翳し大口を叩くだけの君に我々の邪魔をする資格などない。──いまここでその目出度い頭をぶち抜かれたくなければ、誓え! 誰がなんと言おうとも、私は決してこの実験を中止には」

 ケイシィが言い切るまさに寸前だった。銃の先端部分を目がけ、剣筋が一太刀、真上から落ちた。かしゃんっ、と音を立て銃頭が離脱する。間もなく、地下室内に静寂が満ちた。
 剣の持ち主はレトだった。眼前で銃口が斬り落とされ、わなわなと怯えるロクの頭上から、冷静を窮めた一声が降ってくる。

「じゃあ、理論的な方面での話でもするか」

 ロクとケイシィに向けられていた関心が一気にレトへと焦点を変える。彼は『双斬』の片割れを鞘に納めながら言った。

「あいにくだけどナトニは次元の力を継承できねえよ」

 ケイシィは両目を一層鋭く細めた。それからすでに使い物にならなくなった銃を下げもせずに抗言を繰り出す。
 
「なんだと……!? ふざけたことを」
「ナトニだけやってなかっただろ、第一検証。やってなかったというか、やれなかったんだろうけど。いまこの施設内には次元師がいねえからな。肝心の通信相手がいなくちゃ第一検証は成り立たない。それに父親と息子っていう関係性でいったらデーボンとファウンダもそうだ。デーボンが父親の元力石で通信具を使えたってことはナトニも同様の結果を得られると見て、第一検証を通さず第二検証を施行したんだろ」
「まどろっこしい、なにが言いたい!」
「さっき俺が代わりにナトニの相手役をやった。結論から言うと、ナトニには通信具が使えなかった」

 ケイシィの思考が一時、停止した。緩慢に首を回し、ナトニの怯えた顔、その耳元に着目する。彼は白い器具を身につけていた。通信具だ。器具を一瞥した彼女の口から、間の抜けた声が出る。

「……は……?」
「第二検証の結果、ナトニの身体に起こった変化は2点。発熱と全身の打撲痕だ。あんたも言ったように次元師は力を発動させるときに身体が発熱するような感覚を覚える。そしてナトニは飲んだ元力液を吐き戻さなかった。以上のことを踏まえて普通に考えれば、取り入れた元力は体内に蓄積できていて、そしてその元力に身体が反応したから発熱が起こったと判断できる。……だけどナトニは、シアンもデーボンもオッカーも、いままでの被検体全員が使えた通信具が使えなかった。ナダマンの元力石はナトニの意思には一切反応しないっていう、最大の証拠だ」

 体外から取り込んだ元力は確実にナトニの身体の中で留まり、発熱まで起こしたはずだったが、彼はその体内にあるものとまったくおなじ元力石に意思を通すことが叶わなかった。これが本当であれば発熱の正体が途端に曖昧なものとなる。ケイシィが意識半ばに銃を下ろし、物凄い早さで思考を巡らしているうちにもレトは親指を立て、後方にいるナトニを振り返らずに指し示した。

「次にあの打撲痕だけど、あれはどこかに手足をぶつけてできた傷跡じゃないらしいな。ナトニがそう言ってた。つまりあれは……外からの衝撃じゃなくて、血管内部に問題が起こってできた、鬱血うっけつだ」
「血管の……内部…………。──、っ! まさか」
「さすがに頭の回転が速いな」

 レトは顔色ひとつ変えずに断言した。

「最初からナトニの体内にあった元力が、外部から侵入してきたほかの元力を追い出そうと過剰に反応したため発熱が起こり、その過程で鬱血を併発させた。それだけだ」

 口を挟める者も、野次を飛ばせる者もいなかった。自信に溢れた彼の答弁はこの場にいた全員を理解の域へと連れていく。
 開いた口が塞がらず、ロクはそのまま、震えた声でレトに訊ねた。

「さ……最初からって、レト、それ……」
「俺の仮説が正しければ、ナトニは本物の次元師だ」
「……。そんな……ありえない……」

 反論したさが先走って、口にするつもりのない弱音がこぼれた。しかし残酷なことに、レトの解答が一理抱えているのを聡明な頭脳が否定しない。ケイシィの理性はついに決壊し、取り繕いのない純粋な疑問がただ漏れていく。

「ナトニが、本物の次元師……?」
「……」
「この世界には、幾百、幾千万いやもしかしたらそれ以上の人間がいるのだぞ……ナダマンも、ナトニも次元師である可能性など、そんなの、極めて低……」
「どこかの下等な種の言葉を借りてこの実験の失敗理由を述べるなら」

 このとき、レトの顔を仰ぎ見たケイシィは、屈辱、恐れ、驚きなど、複雑に入り組んだ感情を覚えながらも、唯一はっきりと、羨望を記憶した。
 そして脳裏には9年前の班長の任命式にてハルシオが前班長を前に傅き、班長のみ着用を許される金の肩飾りを授かったあの一場面が、鮮烈に蘇っていた。

「ひとつだって可能性は捨てるな」

 静かな声音を奏でる唇。整った目鼻立ち。纏う雰囲気。すべてに至るまでまるで毒だ。心身を蝕む毒。あの日味わったそれが、ふたたび口の中に広がった。

 ナトニに第一検証をさせようと思い立ったのには動機があった。レト自身、この実験については失敗するほうに意見が傾いていたからである。そのため、ナトニが次元師特有の発熱を起こし、取り入れた元力液を吐き戻していないという好触感の記録を目にしたとき、当然のように疑念を抱いた。
 失敗の見解を打ち出した理由としては単純だ。次元師と血の繋がっている人間の体内に、その次元師の元力を取り込ませるだけで継承が成り立つならば、とうの昔にハルシオ・カーデンが成功させてしまうだろう。ケイシィを凌ぐ頭脳の持ち主であり、元力の物質化を成功させた張本人でもある彼が取り組まなかったのだ。次元師ではない一般の人間の身体に元力という異物を投与すれば拒否反応が起こるのも容易に想像がつく。もし成功の目途が立っていたとしても、シアンやナトニのような被害者を生み出してしまうのは必然だ。実験に犠牲はつきものだというが、ハルシオはその偉大な発展よりも、数人、もしかすると数十人分に及んだかもしれない人命を優先した。それだけのことだ。
 レトはくるりと身体を向きを変えて、ナトニの左耳に取りつけてある通信具を見ながらこうも言った。

「ま、ナトニが持ってたナダマンの元力石っていうのが、本当はナダマンのじゃないってなったらいまの俺の考えはぜんぶ白紙に戻るけど」
「いや、相違ない。心配なら右の部屋の棚にある元力石の記録書を確認するといい。そこにはナダマンやほかの参照元となった次元師たちの元力石の形を描きとめてある」
「なるほどな。さすが、元力石の混同を防ぐことには余年がなかったわけだ」
「……」

 口答えさえ諦めたケイシィをはじめ、タンバットとホムも加えた3名を拘束した。この黒い隊服に身を包んだ実験関係者たちは本部まで連行し、証拠物とともに上層部の御前に突き出す予定だ。
 コルドはケイシィらを階段付近に固めると、立ち話をしているロクとレトの間に割りこみ、2人を見下ろしながら質問した。

「そういえば、本はあったのか? この地下室に」
「ああっ! 忘れてた!」
「……。まあ、仕方ないか。おまえたちもいろいろ危ない目に遭ってたもんな」
「あたし、ちょっと部屋見てくる!」
「あ。そういえばあったな、それらしいやつなら。俺が入った部屋に」
「…………え?」

 レトは何食わぬ顔でそう言うと、一番最初に入室した部屋にすたすたと戻っていった。コルドは、レトがくぐった壁の穴を眺めながら一息吐いた。

「へえ。あの部屋か。俺とフィラ副班はあの部屋の奥の扉から入ってきたんだぞ」
「扉? あっちの部屋、奥に扉なんてあったんだ。あたしの入った部屋にはなかったのに」
「そうだったのか。扉の奥は長い通路になってて、階段のあるところまで繋がってるんだ。階段も随分な長さで大変だったな」
「あ、やっぱりそっちの階段も長かったんだ~! でもなんでだろ?」
「うーん、そうだな……。もし仮に被験者が次元の力を使えるようになって、制御できずにいきなり爆発音とかが響いたら、研究棟にまで音が届く恐れがあるからじゃないか? そうなったらほかの班員たちに気づかれる」
「あー! たしかにっ。コルド副班あったまいい~!」

 ずっと不思議だったんだよね、とロクが指先で左頬を掻いた。頬には弾丸を掠めたような鋭い傷跡が走っている。幸い深い傷ではないようで布などは当てられていない。が、コルドは自分が痛みを負ったように苦い表情を浮かべてから、優しくロクに問いかけた。

「ロク、怪我はどうだ? まだ痛むか」
「ううん! 即行でフィラ副班に手当てしてもらったからもう大丈夫!」
「そうか。怖い思いをさせたな」
「……まだまだだった、あたし。コルド副班とフィラ副班が来てくれたとき、すっごく嬉しくて、心の底からほっとしちゃった。せっかくセブン班長が、あたしたちは別々でも大丈夫って言ってくれたのに……まだぜんぜん一人前なんかじゃないや。へへ」

 認めてもらいたい。早く一人前になりたい。まだ幼いからこそ抱く焦りやもどかしさを理解できるからか、コルドは、焦らなくてもいいぞとは言えなかった。
 かつての自分も父親に認めてもらいたくて一杯一杯だった。元魔に街を襲われたときに突然次元の力に目覚め、真っ先に「これだ」と舞いあがった。自分には選ばれた力があるのだ。だからこの力でギルクス家に貢献してみせる。立派な理由を並べてみせたのに、父は怒りに怒って、ついには家からつまみ出された。渡されたものといえば母親の姓と、「どこかの組織にでも入って性根を叩き直してこい」の一言だけだった。あのとき父が抱いた正確な心情など知り得ないが、もしかすると、一回頭を冷やして次元の力と向き合い直せと伝えたかったのかもしれない。
 コルドはわずかに笑みだけをこぼして、ロクの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 脇に本を抱えて、レトが部屋から戻ってくる。彼は、コルドとロクの目の前にその赤い表紙の本を差し出した。

「これ。書物館にいたあの使用人の人が教えてくれた本の特徴には似てる。けど……ツォーケン家の家印ってやつがないんだよな」
「家印がない? 200年前のものだから、薄れたのかもしれないな」
「いや……そもそもこれ、200年前のものか……?」
「え、ちがうのか? でも俺には書かれてる文字がさっぱり読めんが」
「これは古語じゃない。若干似てるけど、べつの土地の言葉だと思う」
「えっ!」

 驚きの声をあげたロクが、ふと視線を感じて首を回すと、フィラから手当てを受けている最中のナトニがこちらを向いてわなわなと震えていた。
 ロクはきょとんとして、ナトニに声をかける。

「ナトニ?」
「……ご、ごご、ごめん! それ、盗んだの、オ……オレなんだ!」

 ナトニはフィラの手を振りきり立ちあがると、そう告白して目線を落とした。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.100 )
日時: 2020/07/19 13:09
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 7Q5WEjlr)

 
 第091次元 眠れる至才への最高解ⅩⅥ

「は?」

 レトヴェールは素っ頓狂な声をあげた。大書物館から盗み出された本がこの地下室にあったために、やはり犯人は実験関係者なのだと睨んでいたが、思わぬ方向から自白の声があがってきた。ナトニはおろおろしながら、ぽかんと立ち尽くすロクアンズたちのもとに駆け寄った。そのあとをフィラも追う。
 ロクはレトが持っている本を指し示しながらナトニに訊ねた。

「な、なんでナトニが大書物館の本を? そんなに読みたかったの? これ」
「……いや、じつは、ちがくて……。その本を盗みたくて、大書物館に行ったんじゃねーんだ」
「ほえ? じゃあ……」

 疑問が疑問を呼ぶ中、ナトニは静かに口を開いた。

「……調査班の研究室で、偶然見たんだ、オレ。二月前、オレがこの実験場に入るほんの直前に。行方不明になったっていう父さんの、最後の遠征予定記録。大書物館に向かってから東の町に行くって書いてあった。オレ、すごい気になって気になって、がまんできなくなって、二十日くらい前に1回だけこの実験場から抜けだしたんだ。そんで大書物館と東の町に行って、『14年前、戦後に白い隊服を着た次元師が来なかったか』っていろんな人つかまえてきいたんだけど……町の人は、灰色の人はいたけど白を着た人を見た覚えはないって。でも、大書物館のほうには、来た、って言われたんだ」

 肌身離さず持ち歩いていた父の形見のペンダントは、脱走に際して落としたものだった。落ちていたのが裏庭だったのもナトニが表門を通るのを避けたためだろう。 

 ウーヴァンニーフ領より東の方面といえばメルドルギース戦争で被害を受けた土地の一部だ。見かけたという灰色の隊服は、復興作業で派遣された此花隊の援助部班とみてまちがいない。此花隊の隊員が訪れたのを町の住民たちも喜んだはずだ。その隊章が印された衣装を着ていた人間のことならば覚えていそうなものだが、否とあれば、ナダマンはおそらく本当に東の町へは訪れていなかったことになる。


「だから父さんがいなくなった理由が、大書物館にあるんじゃないかってオレ思って、館内をめちゃくちゃ探し回った。そしたら見覚えのある文字で書いてあった本が……それがあったから、持って帰ってきたんだ」
「見覚えのある文字ってどういう意味だ」
「いまオレが宿泊棟で使ってる部屋、もとは父さんの部屋なんだよ。オレ、父さんのこと知りたくて、書棚とかぜんぶ見た。けど父さんの部屋にあった書類ぜんぶ、ぜんぜん読めない言葉で、走り書きしてあった。それがその……あんたがいま持ってる赤い本の文字だ。書体だって父さんのだ。見りゃわかる」
「じゃあナダマン氏はその本を持って大書物館に向かったあと、東の町へ行くまでに行方不明になったということか」

 コルドの見解を耳に入れながら、レトは本を開き、適当な頁に視線を落とした。そして逡巡しながら口を開いた。

「……そうだな。わかるのは、ナダマンが大書物館で、この本になにか記録していたらしいってことだけだ」
「き、記録?」

 ロクが小首を傾げる。ぱらぱらと、いくつか頁をめくりながらレトは続けた。

「この本の中身、よく見たら図とか数字とかもちらほら出てくる。もしかしてナダマンは、なにか記録するとき最初にこの文字を使って殴り書きして、それから書類にまとめるときにはメルギース語に直してたんじゃないか?」
「! ああ、そうだよ。よくわかったなアンタ! 調査班の研究室に残ってた父さんの調査記録書、探して読んだけど、ぜんぶちゃんとメルギース語だったし、字もキレイだった」
「……とにかく、一度届けてみないことには始まらねえな。これが大書物館にあったのは間違いないし、ナダマンのこともすこしはわかるかもしれない」
「じゃあオレも連れてけよ! たのむ!」
「それはダメよ、ナトニくん」

 フィラが諭すように釘を差した。びくりと肩を震わせたナトニは、包帯の巻いてある両腕を背中に隠した。彼の状態を見た彼女が許すはずもなかった。

「あなたの身体、応急手当をしたとはいえまだひどい状態よ。すぐにでもちゃんとした治療をしないと」
「でも……!」
「だーめ。そんな状態のナトニくんを、もしいまナダマンさんが見たら……きっとすごく悲しむわ。……大丈夫。元医療部班の私が責任をもって、あなたの傷を治します」
「……わかったよ。おい、えっと……ロ……ロ、レ? ……緑のと黄色いの!」

 ロクとレトは同時に、目をぱちくりと瞬かせた。通信具の検証中に名乗ったはずだったし、何度かお互いに"ロク"、"レト"と呼び合っていたのだがまさか略称まで覚えられていなかったとは。呆れたようにレトが息を吐いた。

「どんな記憶力してんだ」
「なんかわかったら教えろよな。ゼッタイだぞっ」
「あはは。もっちろん!」
「わあってるよ」
「あ、ねえっ、じゃあその代わりにさ~……名前で呼んでよ!」
「はっはあ!? だだだれが、あ、アンタらなんか……!」
「あたしはロク、ロクアンズ! そんでこっちの黄色いのが」
「レトヴェール」
「そう、レトね! ほらナトニ、ほらっ」
「……」

 ナトニは眉根を寄せると、ぷいっとそっぽを向いた。それから口を尖らせて答える。

「オレにウソついたら承知しねーからなっ、…………ロク、レト」
「はーい!」
「素直じゃねえな」
「いい勝負だよレト」

 ナトニが盗んだ赤い本と、実験の経過記録書、元力石の図本を持って、一同は地下室をあとにした。ロクとレトが下りてきた方の階段を昇って、調査班の研究室へと戻ってくる。
 研究室から廊下に出ても、道行く班員たちの目に留まることはなかった。ケイシィたっての希望で、研究室にあがる手前で拘束具をすべて外していたのだ。おかげで大きな騒ぎにはならなかったが、ケイシィはもっとも信頼を置く部下の男を捕まえて、「しばらく研究棟を空けるが、仕事だけは決して滞らせるな」と、開発班における指揮を彼に託した。調査班と制作班の班員たちも似たような指示を副班長から受け、当然だが、眉をしかめていた。
 後日、研究部班の副班長3名の懲戒処分の報せが届くことになろうとは、このときはまだだれも知る由のないことだった。

 門の前で一同は足を止めた。荷馬車の手配で厩舎から戻ってきたコルドに、フィラが声をかける。

「コルド副班長、今後の動きはどうしますか? これから大書物館に行かれるのでしたよね?」
「そうですね……。フィラ副班、ロクとともに先にウーヴァンニーフを出発してください。俺とレトは大書物館で用事を済ませたら、2人のあとを追いかけます。ここから一番最初に着くのは、たしかキナンでしたよね? キナンの町で落ち合いましょう。着いたらこちらから連絡します」
「わかりました。そうしていただけると助かります。ナトニくんの怪我の様子もゆっくり見たいので」
「……」
「ナトニくん?」
「あ、お、おう」
「ちぇー、じゃあ大書物館はまた今度かあ」

 ロクがそうぼやきながら足元の小石を蹴る。国の名所とされる大書物館に行けなかったのが残念なのだろう。そんなロクを見かねてか、フィラが明るい表情をして提案した。

「ロクちゃん、せっかくだからコルド副班長たちといっしょに行ってくる?」
「えっ、いいの? でもそれじゃあフィラ副班、1人になっちゃうよ」
「そうです、フィラ副班長。いくらなんでも危険すぎます」
「大丈夫ですよ。明日の夕方頃には落ち合えるんですし、それに私には、巳梅っていう立派な護衛もついてますから」

 フィラは肩に乗っている巳梅の顎のあたりを指先でくすぐった。コルドは渋々、頭を縦に振った。

「……わかりました。それではフィラ副班長、この方々のことを頼みます」
「はい。必ず」

 フィラは右手を丸めて、左腕のあたりをとんと一度叩いた。左の二の腕のあたりには、此花隊の隊章が刻まれている。此花隊内で用いられている敬礼だ。
 ロクは、とととっとナトニの傍まで行くと、ぼーっと俯いている彼の顔を下から覗きこんだ。

「ナートニっ!」
「うわあ!? な、なんだよっ」
「じゃあまた明日、キナンで会おうね!」
「……。……あ、あの、さっレト!」

 ナトニはなにか言いたそうに顔を歪めてから、ふっとロクから視線を外し、レトの名前を呼んだ。レトは立ったまま赤い本を読んでいたが、呼ばれたことに気がつくと本を閉じ、すたすたと歩み寄ってきた。

「へえ、今度はちゃんと覚えてんじゃん。で、なに」
「なあ、さっき言ってたことホント……なのか。オレがその……じ、次元師だって」
「……あくまで予想、だけど。たぶん外れてない」
「じゃあ……オレも……アンタたちみたいな……」

 消え入りそうな声で言って、ナトニは猫のような目を伏せた。検証用に改造した通信具も解体し、二月前の元の姿に直った元力石のペンダントをぎゅっと握りしめ、彼は吐露する。

「……父さん、みたいに……立派な次元師に……なれるかな。14年前の戦争で、父さん、次元師として前線で戦ったって……強くて、その強さで生き残って、かっこよかったってみんな言ってたんだ……」

 強制的に前線へと送られていたほとんどの次元師は奴隷という身分で、彼らはのちに政会陣によって保護されていたわけだが、その当時、此花隊にも少なからず次元師はいた。隊に属していた次元師も一兵として戦場に駆り出されていたのだ。戦場で散った次元師は数多く、ほとんどが命を落とした中で、ナダマンは生きて隊に帰還した。終戦後、その功績を大いに称えられた彼だったが、まもなくして行方不明になってしまったのは不幸以外の何物でもなかった。
 ナトニは、そんな父親の次元の力が受け継げるのだと心の底から信じていた。しかし結局叶わなかった。正直身体だって限界だったし、そもそも、もしかしたら本物の次元師かもしれないと言われて非常に混乱している。加えて今日、本物の次元師たちの力を目の当たりにして、わかった。ずっと欲しかった力が手に入る可能性があるのに、実感が恐怖を連れて次から次へと溢れてくるのだ。次元師の戦死者が続出した戦場で、父ナダマンが生き残ったのは偶然でもなんでもない。実力者だったからだ。自分も槍の降る戦場に足を踏み出さなければならないなんて、死と隣り合わせの日常に駆け入るだなんて、そんな覚悟を急に押しつけられても怖いだけだ。
 雨さえ降っているわけでもないのに、手足ががたがたと震えてやまなかった。

「でもオレの中にあるのは、そんな父さんの次元の力じゃない……。得体のしれない力だ。それに、オレすげえ泣くし、急に怖くて、たまんなくて……だから」
「なれるよぜったいっ!」

 ペンダントが壊れてしまうほど固く握っていたその手をやんわりと包み、ロクは言った。晴れた空みたいに、突き抜けた明るい笑顔だった。ペンダントからひとつずつ、指が離れていく。首元できらきらと光るニつの珠玉は、強い輝きを放った。

「たしかに次元師だったら、これからたくさん、怖い思いすると思う。でも怖がる必要はまったくないよ。だってナトニの中に眠ってるそれは、すごい才能なんだよ!」
「……才、能……」
「強くてかっこいいナダマンさんの力は、ちゃんとナトニの中にも流れてるよ。ナトニはそんなお父さんから託されたものと、世界から託されたもの、どっちも持ってる。そう考えたら無敵! って気がしてこないっ? それに……きっと実験は失敗してた。どんなにがんばっても、ナダマンさんの力は受け継げなかったと思う。だけどナトニは次元師だよ。今度こそ本当の意味で、お父さんとおんなじ次元師になれるんだよっ、ナトニ!」
「……父さん……と、おなじ──」

 ロクもレトも、自分と歳はあまり変わらない。なのに銃弾にも臆さず、拳を振りかぶり剣を抜く。戦場を、屍の上を駆け抜けた父にもそんな強さがあったのだろうか。一秒先の未来に決して屈しない、次元師たちの強さが。だれかに唆されて簡単に信じきって縋りついて、残ったのは傷痕だった。だけどこんな不甲斐ない足ででも、自分で選んだ道を歩こうとするなら、父は喜んでくれるだろうか。
 父に憧れて、日々流した痛みよりもずっと澄んだ色をした涙が、いくつもナトニの頬を滑り落ちた。

「オレ、今度は自分の力で、次元師になる」

 これがいま、彼がその身ひとつで打ち出せる最高の解答だった。
 
 
 


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