コメディ・ライト小説(新)
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- 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
- 日時: 2025/06/22 21:01
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)
毎週日曜日更新。
※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。
*ご挨拶
初めまして、またはこんにちは。瑚雲と申します!
こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします!
*目次
一気読み >>1-
プロローグ >>1
■第1章「兄妹」
・第001次元~第003次元 >>2-4
〇「花の降る町」編 >>5-7
〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
・第023次元 >>26
〇「君を待つ木花」編 >>27-46
・第044次元~第051次元 >>47-56
〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
・第074次元~第075次元 >>83-84
〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
・第098次元~第100次元 >>107-111
〇「純眼の悪女」編 >>113-131
・第120次元〜第124次元 >>132-136
〇「時の止む都」編 >>137-175
・第158次元〜 >>176-
■第2章「 」
■最終章「 」
*お知らせ
2017.11.13 MON 執筆開始
2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞
──これは運命に抗う義兄妹の戦記
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.28 )
- 日時: 2018/08/16 08:25
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: zjy96Vq7)
第025次元 君を待つ木花Ⅱ
目的地である『ローノ』という町は、エントリアよりも南に位置している。規模は国内最大都市のエントリアに遠く及ばず、ややこじんまりとした町ではあるが、周辺が村や集落で囲まれているため最南の地方では唯一の都会という扱いになっている。町中に漂う空気も長閑そのものだった。
エントリアを出発してから数刻が経過している。いまにも落ちそうな陽の残り火で、森は橙色に焼けていた。
ロクアンズとレトヴェールは二手に分かれ、元魔の捜索を開始した。
やる気満々な様子で山道を駆けていったロクとは裏腹に、レトは嫌々といった顔で草木を掻き分けていた。整備されていない獣道を歩き続けるには根気が必要だった。すこしつらくなってきたのか、レトは早々に息をついた。
そのとき。遠くのほうで、雷鳴が轟いた。
「! ロクか?」
轟音は止まなかった。夕焼けを散らす雷光が、レトのいる場所からよく見えた。レトは進行方向を変え、その光を目印に林の中を突き進んだ。
ロクがいるであろうその場所にレトが辿り着くと、すでに彼女の周囲には、炭のような黒い残骸が散らばっていた。
「──雷柱!!」
雷撃は円柱を象り、地面から一直線に伸びて空を横断する。ロクの目の前にいた元魔は、立ちこめる土埃の中から飛び出した。元魔は従来通り、黒や灰、茶が混じった泥色の肌をしていた。その体長はロクの体躯を悠に超え、相変わらずどの動物とも似つかない外観をしている。頭部は大きく腕はなかった。代わりに、奇怪に伸びた3本の足が宙を泳いだ。
「逃がすか!」
土を蹴り上げたロクが、樹木から伸びる太い枝に飛びつく。そのまま勢いに乗ってぐるりと全身を回し、華麗な動きで枝の上に着地した。
前方の木の葉にしがみついている元魔を、その目で捉える。
「──落ちろ! 雷撃!!」
伸ばした掌を起点に、雷が飛散した。反動ですこし仰け反る。雷光は横殴りの雨を思わせる鋭さで元魔の全身に突き刺さり、叫喚を促す。ふらりと身体を傾かせた元魔が、地面に向かって落下する。
ロクも飛び降りた。落ちていく黒い肢体に掌を向ける。
「五元解錠──!」
しかしそのとき。元魔の頭部が歪んだ。ぐちゅぐちゅと不快な音が響くと、刹那、顔らしき球体の一点から液体のようなものを細く噴き出した。
ロクは上半身を大きく反らした。が、着地の体勢になるには間に合わず、真っ向から地面と衝突するとその勢いで砂の上を転げ回った。頬に付着したどろりとしたなにかが砂を掬いとっていく。それの正体はおそらく、さきほど元魔が噴き出した体液かなにかだろう。
元魔は、地面の上で寝そべるロクに対して、ふたたび不快な音を聞かせた。顔らしき部位がぐぐっと持ち上がる。蜘蛛が糸を吐くように、細い体液が放出された。
「ロク!」
レトが叫んだ、その瞬間。ロクは寝転んだ姿勢のまま拳を振り上げ、思いきり地面を叩きつけた。するとロクの身体に覆い被さるように雷が半円状の膜を張った。吐き出された体液は、その防壁と化した電気の膜に接触した途端、跡形もなく掻き消えた。
ロクは、ゆっくりと首だけを動かし、元魔を睨みつけた。
「──五元解錠! 雷撃ィ!!」
勢いよく放出された電光が、元魔の肢体に丸ごと喰らいついた。甲高い断末魔が辺り一帯に広がると、黒い頭の上部に埋めこまれていた赤い核も、砕け散った。
次第に、黒い皮膚だったものが風にさらわれていく。それを見る限り、化け物は絶命したとわかる。
「へへっ……どんなもんだい!」
「……」
ロクは、よっと言いながら跳ね起きた。灰色のコートにまとわりつく砂粒を払って落とす。
呆然と眺めていたレトだったが、ふいに、ロクとばっちり目が合った。
「あれっ、レト! いたの?」
「……ああ。まあ」
「もしかしていま来た? ざ~んねんでした! 元魔はぜーんぶ、あたしがやっつけちゃったよ! ……あれ、でもさっきレトの声がしたような……気のせいかな?」
「おまえ、1人でやったのか。これぜんぶ」
「そうだよ! えへへ~、すごいでしょ! これであたしももう、一人前の次元師になれたかなっ」
「……」
──おまえはすごいよ。そう言ってやりたかったが、喉はそうさせてくれなかった。なんとなく口を噤んで、ただ元魔の残骸のような黒い粒をじっと見つめている。
「あーあ。でも、はやく"六元の扉"とか、使えるようになりたいなあ……」
「六元の扉って……」
「だって、まだ"五元の扉"までしか開けないんだもん。もっと強い『次元技』を出せるようになるには、その階位を上げるのがいちばん早いんだけど……」
次元の力は、『次元技』と呼ばれる数多の"技"を秘めている。それはロクの持つ次元の力『雷皇』でいうところの、『雷撃』や『雷柱』といった"雷を利用する上での応用術"を意味する。
そこで大事なのが、『扉の階位』だ。
次元師は原則的に、『四元解錠』や『五元解錠』などといった──"次元技そのものの威力を決めるための詠唱"を、次元技を唱える前に置いておく。そうすることで、発動する次元技の威力を調節し、次元の力が暴走しないよう働きかけているのだ。特に、次元師としての活動を始めて間もない者はその前述を必ず行い、上手く調節できるようになるまでは継続しているらしい。
「うわさによるとさ、"十元の扉"まであるっていうでしょ? あたし、ぜんぶ使えるようになりたいんだ! レトもそうでしょ?」
「俺はべつに……それに高位の扉を開くのは、次元師の中でも限られた人間しか成功してない」
「だーかーら! その限られた一部の人間になるんだよ!」
「……どっからわいてくんだよ、その自信は」
「え?」
「なんでもない。元魔の気配はしないし、たぶんこの辺りにはもういないだろ。戻るぞ」
「あ、待ってよレトー!」
赤く燃えるようだった空は、鈍色の夜に覆われつつあった。ただでさえ成長しすぎた草木が鬱陶しいのに、あたりの暗がりに呑まれ、それは不確かな影となって視界にちらついた。
*
ローノ支部の施設も、町の規模に合わせて建立されたのか少々控えめな建物だった。2階建ての構造で、入り口の扉をくぐるとすぐ目の前に受付のテーブルが構えている。その奥はすべて談話スペース兼資料室となっている。1階にあるのはそれだけで、あとは端の階段からから2階へ行けるようになっている。2階は隊員たちの休憩室といったところだろう。
夜も深まらないうちに元魔討伐の報告へやってきたロクアンズとレトヴェールの2人に、支部の隊員たちは感嘆の声を浴びせた。
「いやあさすがです、次元師様!」
「この短時間でやっつけちまったのか。こりゃたまげたなあ!」
「あんたたち、ウワサになってた義兄妹だろ! アルタナ王国でどえらいことしたっていう!」
2人を囲んでいる複数人の男性隊員のうちの1人が言うと、ロクは驚いて目を見開いた。
「えっ!? 知ってるの!?」
「知ってるもなにも、いまじゃ国中に広まってるよ。此花隊の次元師が、よその国の歴史を動かしちまったってな!」
「しかもこんなガキだもんなあ~」
「ガキじゃないよっ。これでも一人前の次元師なんだから!」
「これは失礼しました~!」
1階の談話スペースが、どっという笑い声で満たされる。この支部に配置される隊員のほとんどが援助部班の班員だった。援助部班として訓練を受けているだけあって、だれもが屈強な体つきをしていた。
「おいロク、おまえケガはないのか?」
「え? ああ、そういえばさっき木の上から落ちたときに、擦りむいたっけ……。でも大丈夫だよ、このくらい!」
「だ、だめよっ」
そのとき。華やかな声音がした。男たちの波を掻き分け、ロクとレトの前に現れた女は、心配そうに言った。女性にしてはやや身長が高く、体型もすらりとしている。美人の部類に入るだろう。男だらけでむさくるしい中では一際その存在が目立った。彼女は肩のあたりで綺麗に切り揃えられた臙脂色の髪をすくって、耳にかける。
「小さな傷口からでも、ばい菌は入ってしまうの。だからきちんと消毒しましょう」
「あなたは……」
「あ、ごめんなさい。挨拶をしていなかったわね。私は、医療部班所属のフィラ・クリストンよ。さあ、腕を出してもらってもいい?」
フィラと名乗った女は、灰色ではなく、白い隊服の袖をまくりながら言った。
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.29 )
- 日時: 2020/03/18 21:32
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第026次元 君を待つ木花Ⅲ
ロクアンズは、此花隊の本部内でその白い隊服を見かけたことがあった。というのも、本部の中央棟は主に"医療部班"の仕事場となっていて、医療部班の班員とすれ違うことも珍しくないためである。
此花隊の隊服は、部班によって基調としている色や作り、デザインが異なっている。戦闘部班と援助部班は灰色、研究部班と医療部班は白を基調とした隊服だ。各部班の班長と副班長に任命されている者は、所属の班に関係なく、全員が黒を基調とした隊服を着用している。
フィラと名乗った女性が着ている隊服は上下がひとつなぎになっていて、膝のあたりで裾がひらひらとしていた。全体的な色は真白。ところどころ紅色のラインが入っているのがわかる。汚れのないまっさらな白色が視界に飛びこんできて、ロクはびっくりした。
「地面の上で転んだのね……大きな擦り傷だわ。ちょっと染みるけど、我慢してね」
「いっ!」
「よく効く薬だから、すぐよくなるわ。包帯も巻いてあげる」
「ありがとう、フィラさん」
「あら。も、もう覚えてくれたの? 嬉しいわ」
笑顔の似合う女性だった。濃い臙脂色の髪も艶やかだ。手入れを怠っていないのだろう。ロクは思わず見とれていた。
「ケガっていやあ、この前森に入ったときさあ、ケガしてぶっ倒れてるやつを見かけたんだよ」
「ああ、元魔を見つけて急いでここに帰ってきたときだろ? たしかお前、ちょっと遅れて帰ってきたよな?」
「その倒れてたやつがさあ、死んでたんだよ。そのままにしとくのも、なんか嫌だし……だから近くに埋葬してたんだ」
「なるほどな。……あ! それってあれじゃないか? ベルク村の」
ぴくりと、包帯を巻くフィラの手が一瞬だけ震えた。
「あ~! 言われてみればたしかに」
「村から逃げてきたんだろうけど、あそこの山道は人間が歩けるようなとこじゃないからな。ほとんど急斜面だし、下ろうなんて考えるもんじゃないよ。いくら命があったって足りやしねえ」
「村の場所も、いまいちよくわかんねえんだよなあ。ほんとにあるのか?」
「あるだろうよ。そいや、村の向こう側は整備してあるんじゃなかったか? そっちから降りたらすぐ海岸に着く。そこで貿易商どもと、どうやら酒の取引をしてるらしい。これがまた絶品なんだと」
「本当か!? くぅ~! 姑息だねえ、ベルクの領主も」
「ねえ、その森で倒れてたっていう男の人、ベルク村から逃げてきたんじゃないかって言ってたよね?」
包帯を巻き終えたらしいロクは、体の向きを変えて話に加わった。
「ああ」
「それって、ベルク村でお酒を造るのがいやになったってこと? その領主さんが、村の人たちに重労働をさせてるとかじゃ……」
「あ~。その線が濃いだろうな」
「それなら調べたほうがいいよ! このままほっとくなんて、村の人たちがかわいそうだよ」
「冗談言っちゃいけねえ。さっきも言ったけど、ベルク村への道は険しいなんてもんじゃないんだ。いくら鍛えてたって、あの山道を登る勇気は湧いてこないさ」
「それに、ベルク村は小さい村だし、旨い酒を造ってるっつったってこの国のライフラインにはならねえよ。なくなったって困りゃしねえし、いずれあの村は自然消滅するだろうよ。人口の減少でな」
「……」
「ならあたしが行く!」
決して良質とはいえない長い腰掛から立ち上がって、ロクが言った。
「その村に行って、ほんとに領主さんがひどいことしてたら、おじさんたちが政府に報告してくれる?」
「ちょっ、おいおい嬢ちゃん! 冗談だろ? さっきの話聞いてなかったのかい」
「聞いてたよ。村の人たちが苦しんでるかもしれないのに、おじさんたちが見て見ぬふりしてるってことくらい……!」
援助部班の男たちは黙りこんだ。この支部での指揮を任されているらしい黒い隊服を着た副班長位の男が、ふたたび口を挟んだ。
「あのなあ、ちがうんだ。あそこの村は行ったってどうせ──」
そのときだった。
建物の入り口の扉が勢いよく放たれ、1人の男が慌てた様子で談話スペースに駆けこんできた。
「副班長! いま、森のほうから子どもを抱えた女性が現れて、そのまま倒れて……!」
「なに!? すぐに運んでこい! フィラ、治療の準備を」
「はい!」
部屋から、数人の男が出ていく。フィラはまた袖をまくると、テーブルの上に置いてあった陶器類をどかし、代わりに大きな銀のケースをそこへ乗せた。ケースを開くと、医療器具らしきものがごちゃりと入っているのが見えた。薬品の詰まった小瓶もある。
間もなくして、1人の女が室内に運ばれてきた。女は担架に乗せられ、2人がかりでそれを運ぶ隊員の男とそれ以外もぞろぞろと戻ってくる。
その中には、腕に布のようなものを抱える姿もあった。
「細い切り傷が多く、脚や肘のあたりには打撲痕もあります」
「……ひどい怪我……。出血が多いわ」
担架から下ろした女を、長い腰掛に寝かせた。フィラは膝立ちになって女の顔を覗きこむ。テーブルの上に並べた薬瓶と女の身体とを交互に見ていたが、ふと、女の呼吸が浅くなっていることに気づく。
「……」
「フィラ、どうなんだ? 助かりそうか?」
それだけではなかった。手足は折れそうなほど細く、肌がカサカサに乾いてしまっている。太陽の光を浴び続けた結果だろう。ということは、女はまともに水分を取っていない。食事を摂っていたのかも怪しい。フィラに限らず、ここの隊員には見慣れている姿だった。あの酷い山道を下ってきたのだとしたら、いま息をしているのも奇跡だと称賛に値するほどだ。フィラの喉に息が詰まる。
「……ぁ……」
か細い声が、フィラの耳に届いた。フィラは耳にかかった髪の毛を掻き上げ、そっと顔を近づける。
「……こ……こど……もは……」
「お子さんですか?」
「……あの子、だけは……」
女は、うっすらと目を開けた。その濁った赤色と目が合う。
フィラが彼女の右手を取ったそのとき。握り返してきた女の手が、ゆっくりと力を失い、細い指先がフィラの手から離れていく。閉じた瞳から一筋、涙が流れ落ちた。
フィラは、後ろで立っている副班長の男に向かってふるふると首を振った。
この女がベルク村から出てきたのであろうことは、この場にいるほとんどの人間が推測したことだった。皆、これが日常茶飯事であるといったような諦めの表情を浮かべている。
そのとき。1人の男が抱えていた布の塊から、耳に障るような泣き声が湧いた。赤子の声だ。母の死ではなく、空腹を嘆いているのだろう。
「あたし、行ってくる」
泣き止まないその声に紛れて、ロクが言った。
「行くって……。嬢ちゃんも見ただろう。この女性はいま、」
「『行ったってどうせ』……そう言ってたよね、さっき」
「……」
「あたしは行くよ。ぜったい辿り着いてみせる。──苦しんでる人を、あたしはぜったいにほっとかない!」
「待ってっ!」
ロクは、フィラの叫び声を無視して、部屋から外へ出ていった。
レトヴェールはというと、そんなロクのあとをすぐに追うことはせず、自身のポーチから小さな紙を束ねただけのメモ帳とペンを取り出した。
テーブルを借りて、紙面にペンを走らせると、すぐに書き終えレトは立ち上がった。そのとき。
「……?」
腰掛に横たわったまま動かなくなった女が、左手になにかを握っていた。
周囲に気づかれないようにそっとその紙を引き抜く。くしゃくしゃになったその紙を開くことはせずに、レトはさきほど自分が書いたメモとその紙とを、おなじ便箋に入れた。
「悪いけど、ここにコルド・ヘイナーっていう名前の戦闘部班の副班長が来たら、この手紙を渡してくれないか」
「え? ええ……」
手紙を差し出されたフィラは、落ち着かない様子でその便箋を受け取った。
入り口の扉に向かおうとしたレトがロクについていくつもりなのだと直感したフィラは、そんなレトの背中を、切羽詰まったような声で呼び止める。
「ま、待って! お願い、あの子を止めて……! 大人でも登れないほど険しい山なの。体力のない子どもが、そんなの……絶対に無理よ。それにまともに水も食料も確保できないのよ!? どう考えたって無謀だわ!」
「あいつはなに言っても聞かないから」
「あなたは、あの子の知り合いなんでしょう!」
「……やるって言ったらほんとにやるよ。そういう義妹なんだ」
レトはそう言い捨てて、建物から外へ飛び出していった。どうせすぐに音を上げて帰ってくるだろう、とだれもが肩を竦める。そんな中、フィラの真紅の瞳だけが、たしかに揺れていた。
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.30 )
- 日時: 2020/05/08 12:45
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YnzV67hS)
第027次元 君を待つ木花Ⅳ
『ロク、聞こえるか?』
「あ、レト!」
通信具が使用できる範囲には限りがあり、その範囲は極めて狭い。もしかしたら交信の届かない、どこか遠くの場所まで行ってしまったのではないかと不安を覚えたレトヴェールだったが、ロクアンズからの返答を受けると安堵の息をついた。
此花隊で製造されているこの通信具というのは、『元力』と呼ばれるものを利用している。それは、次元師である人間だけが体内に保持している"次元の力の源"だ。体内にあるうちはただの小さな粒子でしかないが、本人の意思に呼応して活性化し、次元の扉を開く力へと変貌を遂げる。
その、"本人の意思に呼応する"という特性を生かし、開発されたのが、現在戦闘部班が使用している通信具だ。次元師の持つ元力がもととなっているため、コルド、ロク、レトの3人以外の人間とは連絡を取ることができない。そのうえお互いの居場所が遠く離れすぎている場合でも、元力の感知能力が薄れて交信を不可能とする。
『おまえ、いまどこにいる?』
「えっとね~……あ、レト見っけ!」
高い樹木の枝に留まっていたロクが先にレトの姿を見つけ、そこから飛び降りた。きょろきょろしているレトの背中に声をかける。
「ねえレト! ベルク村ってどこにあるか知ってる?」
「……あのな、これからどんどん夜が更けてくってのに、飛び出していくやつがあるか」
「あ……」
ロクは、しまったという顔で空を見上げる。夜空に浮かぶ星の輝きを頼りにと思ったが、無慈悲にも高い樹木の影に塗り潰され、あたりは真っ暗闇に包まれている。
「ごめんレト……。どうしよう?」
レトは自分の腰元のポーチをまさぐるとすぐに、硝子で作られた筒のような器具を2本取り出した。
「ん」
「な、なにこれ?」
「携帯用ランプ。油もある。何日かかるかはわからないけど、限りがあるから一晩中は使えない」
「……すごいレト! こんなもの持ち歩いてるの!? 天才だよー!」
「おまえがどこ行くかわからないからな」
「すごいすごい! やっぱり、レトは頼りになるねっ!」
レトは一瞬だけ目を丸くした。小さなランプ1つではしゃぎ回るロクを見ると、今朝コルドとロクのやり取りで感じたことが気のせいだったのかもしれないと思えてくる。
「……地図でしか確認したことないけど、方角的にはローノから見て北東だ。だから、こっち」
「なるほど! よーし!」
レトが指先で示した方角に、ロクはくるりと顔を向けた。ランプを片手に、2人は深い森の中へ踏みこんでいく。
木の葉を集めて作った簡易な寝床から、むくりとロクは起き上がった。灰色のコートにくっついた葉が落ちる。強い陽の光が、森に明るさを取り戻していく。
ロクにゆさゆさと身体を揺らされ、レトも起床した。2人は、任務の際には常に持ち歩くようにしている固形の携帯食料で朝食を済ませ、まだ日が昇りきらないうちに行動を開始した。
森の中はどこも人が通れるようには整備されていないため、道らしい道はない。ロクは器用に草木を掻き分け山道をどんどん進んでいくが、レトはすこし足をとられながら、ロクの背中についていく。
そんな状態が小一時間続いたが、前を歩いていたロクが急に速度を落としたので、レトも足を止めた。
「どうした、ロク」
「ねえレト、見て。これ、崖かな?」
「崖?」
ロクが顔を上げていたので、レトも空を仰いだ。樹木の葉と葉が重なり合って視界のほとんどが遮られていたが、目の前にはたしかに、断崖絶壁と呼ぶに相応しい土の壁が聳え立っていた。首を左右のどちらに振ってもその端が見えないほど、その壁は際限なく広がっていた。
「すごい崖だな……高さもかなりある。遠回りしすぎると道がわからなくなるからな。これを登りたいところだけど……岩肌に凹凸がない。これじゃ無理だな」
「北東ってこの先だよね。ねえレト、足場があればいいんだよね?」
「は? だから、足場は……」
「レト、ちょっとこっち来て!」
ロクはレトの腕を掴んで、崖とは反対方向に走りだした。崖との距離が遠くなる。すこし離れたところで、ロクは足を止めた。
レトが息を整える間もなく、ロクの手元から、火花のような雷が散った。
「おいロク、なにを……」
「いいから、ちょっと見てて! 足場がないなら作るまでだよ!」
「……は? どうやって、」
「──届け! 五元解錠、雷撃ィ!」
突き出した右の掌から、雷光が飛び出した。崖に向かって放たれた雷は空中を縫い、崖の天辺に襲いかかる。
しかし放った雷撃はさほど距離が伸びず、電気の端のほうが崖上に引っかかり、土くれがぼろっと崩れただけに終わった。
「ありゃ、失敗した……。もっと近づいてみようかな。万が一降ってきたときはすぐに避ければいいし……よしっ、もっかい!」
「待てロク! いまのおまえの力だと、もっと近づかないとだめだ。だけどそれだとあまりにも危険すぎる。ほかに道がないか探したほうがいい」
「大丈夫、次はやってみせるからっ。あたしに任せて、レト!」
「だけど」
「1回失敗したくらい、どうってことないよ。何回でもぶつかっていかなきゃ。じゃないときっと、ずっと負けっぱなしで終わっちゃう!」
ロクの全身に雷が絡みつく。レトはそれ以上口を挟むことを諦めた。彼女の意識はもう崖の上にある。
「五元解錠──雷撃ィ!!」
両手をぐんと前に突き出す。と、電熱が腕に絡みつくように、手先から肩へと駆け上がった。放出された雷電はふたたび、崖の上を目掛けて空を切る。
反動で仰け反りそうになるのをロクは両足で踏ん張りながら必死に堪えた。すると、電撃は見事に崖の上に直撃し、そこから崩れた岩の断片がごろごろと大きな音を立てながら、崖下に向かって転げ落ちていく。
一瞬、その光景に気を取られていたロクの腕を、レトがすかさず引き寄せ、飛散した岩の欠片からロクを遠ざける。
岩雪崩の勢いがどうやら収まったらしいということがわかると、ロクとレトは走って崖下に近づいていった。すると、まっ平だったはずの崖の上のほうの岩肌が削がれ、その岩の断片が真下の地面に積み上がっていた。
「やった! もうちょっと、もうちょっと崩せばできるよ、足場!」
「……」
嬉々とするロクは、間髪を入れずに全身に雷を纏った。さきほどよりかは弱い威力で雷撃を繰り出し、どんどん崖を崩していく。
レトは言葉を失い、ただ目の前で起こっている光景を眺めていた。彼女が言った『大丈夫』が、意図せず頭の中で反芻する。
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.31 )
- 日時: 2018/08/21 23:14
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: xJUVU4Zw)
第028次元 君を待つ木花Ⅴ
コルドがローノ支部へ到着したのは、ロクアンズとレトヴェールが本部を出発してから2日目の午前のことだった。
先に行っておいてくれ、と2人には伝えていたため、任務が終わっても支部で待機しているだろうとコルドは踏んでいた。が、思わぬ事実を支部の隊員たちの口から聞き、彼は驚愕した。
「べ……ベルク村に向かった!?」
「え、ええ……危険だと思って、お止めしたんですけど……」
フィラは、コルドに便箋を差し出して言った。彼は衝撃のあまり声が出せず、無言でその便箋を受け取った。封を解き、中から1枚の紙を取り出す。
内容は、フィラが伝えた報告と同一だった。2人でベルク村へ向かったと記載されている。
「……まったく、なにを考えてるんだあいつら……!」
コルドは片方の手で、くしゃりと便箋を握りしめた。そのとき、便箋の口からべつの紙がはみ出ているのを彼は視認した。
その紙を引き抜くと、それはまったく異なる質の紙だった。見る限り羊皮紙らしいとわかる。コルドが握ったときとはちがう折り目がついていて、まさしくぐしゃぐしゃと呼ぶに相応しかった。
コルドはその紙を開いた。文字らしいものが書かれている。
「……」
しばらくの間、コルドは黙ってその紙面を眺めていたが、すべてを読み終えると、支部の隊員たちに目をやった。突然視線を向けられた隊員たちは、緊張の面持ちでコルドと向かい合った。
「本部に届くローノからの報告書に、いつもベルク村の記載がありませんが、それはどうしてですか?」
「そ、それは……」
「ベルク村の所在が、辺境の地だということもわかっています。ですが、みなさんは援助部班の班員です。入隊時から厳しい訓練の期間を経てきたみなさんであれば、あの村に辿り着くことも不可能ではないはずです」
「あのなあ……! あの山道は、険しいってもんじゃない! 登るのは無謀なんだ! あんたたち本部の人間にゃ、そいつはわからねえだろうよ」
「わからないからこそ、各部署に報告という義務を課しているんです。……こういった声が、こちら側には届かないから」
コルドは、羊皮紙を広げて見せた。隊員たちはぎょっとした。
そこには、『たすけて』『たべものがない』『だれかおねがい』──などといった文言が、脈絡のない文字列で綴られていた。
「これは立派な職務怠慢です。上に報告させていただきます」
「……! じ、次元師だか、なんだか知らねえけど、あんたたちと俺たちじゃちがうんだよ! それくらいわかるだろ!」
「……そうですか。なら、あの山道に入っていったロクアンズとレトヴェールが、無事にここへ帰還したら、職務怠慢を認めてくれますね?」
「……は?」
「あの子たちはたしかに次元師ですが、大の男ほど体力はない子どもです。フェアだと思うのですが、どうでしょうか」
「……。いいだろう。本当にあの子らが戻ってこられたらな」
責任者の男が、顔を顰めながら言った。コルドは腰元のポーチに便箋を収めると、入り口に向かった。おそらくロクとレトの2人を追いかけていったのだろうが、それを止める者は1人もいなかった。
そのとき。じっと黙りこんでいたフィラが、急に立ち上がった。
「フィラ? ……お、おい! どこへ行くんだ、フィラ!」
銀のケースではなく、部屋の隅に置いてあった一回り小さめのバッグをフィラは引き掴んだ。その肩紐をすばやく両腕に通すと、彼女は有無を言わさず支部の外へ飛び出していった。
崖を超えたロクアンズとレトヴェールは、新しい山道を辿っていた。確実に減っていく固形の携帯食料を、小さくちぎっては喉の奥に流しこみ、2人は空腹を凌いでいた。フィラが言った通り、食べられそうな果実や茸の類はほとんどなかった。あったとしても腹の虫を抑えるには不十分なほど小さな実であったり、極度に酸っぱいか苦いか、美味とはほど遠い味かのどれかだった。
最大の問題は、水だった。山道に入ってから川や滝などといった水源を見かけることができずにいる2人は、自身らの水筒の中身を測りながら水分を摂っているおかげで、かろうじて喉の潤いを保てているのだ。
ただしそれにも限界がある。現に、レトの水筒の水は底を尽きようとしていた。にも拘わらず、目的地のベルク村に辿り着けそうな気配はない。彼は、水筒の底のほうで小さく揺らめく水と、ただじっと睨み合いをしていた。
「……」
「レト、この先けっこう崖が続いてるみたいだよ。これを登りきったら、もしかしたら村に辿り着けるかも。ねえレト……レト?」
レトははっとした。ロクが、不安そうな顔でレトの顔色を伺っていた。しばらくぼうっとしていたらしいとそこで初めて気づいた。
喉の渇き。身体の疲労。そして目的を達成できるのかという、底知れぬ不安。そういったものに、思考が完全に支配されてしまっていた。しかしレトは、渇いた喉に唾を流しこみ、返事をした。
「……ああ。悪い。行こう」
「……」
「ロク?」
レトの顔を、じっと見つめていたロクが、腰元のポーチから水筒を取り出した。そしてすぐに、それをレトに差し出した。
「はいっ、レト。飲んでいいよ。喉渇いてるでしょ?」
「……は? い、いや……」
「いいっていいって! 気にしないでよ、レトっ」
へらっと、ロクは笑った。そんな彼女の顔から視線を落とす。水筒が差し出されていた。
レトは当然のように迷った。これはロク自身が飲むためのものであり、自分はただ体力がないから水を消費しやすいだけだ。鍛錬をしていなかった自分が悪い。それなのに、どうぞと差し出されたそれから目を離せなかった。
レトは、ようやく二の句を告いだ。
「……でも、お前の分が……」
「あたしは大丈夫! 秘策があるんだっ」
「秘策?」
見てて、とロクが言った。彼女はもう一度ポーチの口を開くと、中から小型のナイフを取り出した。
すると彼女は、迷うことなく自分の腕に刃を向け、そのまま撫でるように肌を切った。ロクは一瞬だけ、ぴくっと眉をしかめた。
「! ば、バカおまえっ! なにして……!」
「喉を潤すくらいだったら、こうして血をなめることもできるなあって、思って」
肌に伸びた細い傷跡から、鮮やかな赤色がつう、と滑り落ちる。ロクはそれをすかさず舌で舐めとり、こくんと小さく飲みこんだ。
レトは言葉を失った。ロクは、なんてことのない顔で、レトに微笑みかけた。
「こんなの、痛くもなんともないよレト。ベルク村の人たちはきっともっと苦しい思いをしてる。だからぜったい辿り着いて、直接会って、あたしがこの手で救いたいんだ。……レトがいなかったらあたし、たぶんここまで来れなかった。だからレトはこれ飲んでっ。あたしは大丈夫だから!」
強気な緑色の瞳には、絶望も、疲労も、不安も──諦めの色も、浮かんではいなかった。彼女は、まっすぐ前だけを見つめていたのだった。
- Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.32 )
- 日時: 2018/09/12 13:50
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: f/YDIc1r)
第029次元 君を待つ木花VI
乾いた手のひらで岩の壁に食らいつく。不安定な足場に爪先をかける。息つく間もなく、ただ体力を奪っていくだけの動作の繰り返しに、身体はとうに疲弊しきり、限界を迎えていた。しかし2人は、そんな四肢を無理やり動かしてでも目的を達成しようとしている。
そして、2人はようやく崖の縁に指先をひっかけた。余力を絞り出し、上半身を浮かせる。と、待ち望んだ平たい大地が、景色のすべてに広がった。
土を引っ掻きながらよじ登ると、ロクアンズとレトヴェールの2人は、なりふり構わず地面の上に倒れこんだ。起き上がるよりも先にごろんと仰向けになる。抜けるような青空はとても近く、鮮やかで、眩しかった。
「はあ、はあ……。やったねえ、レトっ。すごいよ、のぼったよーっ」
「……ああ。でもまだ到着できたわけじゃ」
「わかってるよ~……。あー……お腹空いちゃったね、レト」
「……だな」
腹の虫が低く鳴いた。空の青さに安心したのか、数日間に亘る食料の調達難を嘆いているのか、明確な自覚はないがたしかに2人は、深い呼吸ができていた。
空に流れる雲を、ロクはぼんやりと眺めていた。が、そのとき。
「死んでんか?」
ひょっこりと、子どもの顔のようなものがロクの視界に飛びこんできた。
「おぅい、おい」
「……え。う、うわあ!?」
ロクはがばっと飛び起きた。彼女の顔を覗きこんでいたその人物も、かわすように頭を起こした。
「いきてた」
「び、びっくりしたあ……。君は?」
「おれはベルクのもんだけど」
「え?」
擦り切れた布で髪を乱雑に上げているせいか、その布の隙間から暗い赤色の髪がぴょこぴょこはみ出ている。見る限るロクやレトよりも歳は幼く、男や女かわかりづらいような見た目をしているが、「おれ」と発言していたので少年らしいと判断した。
「ベルクって……」
「ばあ様に言わなきゃ! ばあ様ー! 人がいたあー!」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
ロクの呼び声も空しく、その少年は土まみれの細い両脚で、ごつごつした地面の上を走っていった。それほど速く走って痛みはないのだろうかと呆気に取られているうちに、どんどん少年の後ろ姿が遠ざかっていく。
「レト、行こう! あの子、さっきベルクって……──、っ! わわっ」
追いかけようと踏み出した足に思ったほど力が入らず、ロクは数歩よろめいた。
「どうした、ロク」
「……。ううん、なんでもない! 急ご!」
「ああ」
ふたたび山道へと駆けこんだロクとレトは、少年の後ろ姿を追い続けた。この山道はいままでとはちがって整備されている。村の人間が使用しているのだろうか。そんな風に推測した。
一本道を駆け抜けていく。しばらくして、2人は開けた場所へ出た。
「……はあ、はっ……。こ、ここが……」
「……ベルク村……」
周囲は鬱蒼と生い茂る木々で囲まれている。よく目を凝らせば、木の麓などに花が咲いているらしいとわかった。藁を組んだだけのような稚拙な家宅が、ぽつりぽつりと並んでいる。
その辺りをうろついているのは村人だろうか。だれもが、生気のない目をしている。籠を運ぶ男がいたり、木の実の殻を剥いている幼い子どもがいたり、薪にするのであろう細長い枝を集めている少女の姿もある。
ロクは太い樹木の幹に手をつき、静かに村の様子を眺めていた。が、その呼吸は荒く、浅かった。
「やっと……やっと、着い──」
そのとき。ロクの全身から、途端に力が失われた。視界が落ちる。カラになった胃と意識とが浮遊する感覚を覚えてすぐに、彼女はその場で倒れこんだ。
すぐ近くで、どさっという鈍い音を耳にしたレトは、驚愕した。
「ロク! おい、ロク!」
必死に呼びかけるレトだったが、ロクは地面の上でうつ伏せになったまま動かなかった。そしてレトもまた、視界がぐらりと傾き、急激な眠気に襲われると、足元から崩れ落ちた。
「……ん……。あれ、ここ……」
ロクは、ゆっくりと瞼を開いた。その隙間はぼんやりとしていて、知らない匂いがして、自分がどういう場所にいるのか判断がつかなかった。ぼうっとする頭を起こし、ごしごしと目元をこする。
そのとき。
「こ……子どもだ! しらない子どもがいる!」
見慣れない男が、声を張り上げながらロクに飛びついてきた。
「うぇっ!?」
「見たことない! きれいな服着た、子どもがいる!」
「え、ちょ、まっ、うわわ!」
男はいきなりロクの両腕を掴むと、その小さな身体を乱暴に揺すった。目を回しそうになるのを必死に耐えるロクだったが、そうしているうちに、男の叫び声につられたのか次々と人が集まってきた。間もなく、ロクは完全に包囲された。
物珍しいものを見るかのような、好奇に満ちた視線が、一斉にロクに降り注ぐ。
「どこから来たんだ」
「え、えっと、エントリアから……」
「えんとり……なんだ?」
「ばかだな。大きな町だよ。国でいちばんの」
「ああ。えんとりあ」
ごちゃ、とざわめきが湧いた。突然のことに驚きこそしたが、ロクはそのおかげもあって完全に目を覚ました。
そこは室内だった。決して広くはなく、鼻につくような独特の匂いがする。壁はすべて黄土に近い色をしていた。おそらく村へ入ってきたときに見かけた藁の家の1つだろう。
大きな石を削って造ったような机と、薪の束と、木の実や芋などをぶら下げた枝の骨組みなんかが無造作に置かれている。
ロクは複数の目と視線を合わせた。
「あの、あたしちょっと、あなたたちに聞きたいことがあっ──」
「めぐみか?」
「え?」
「あれをよんだのか?」
「……あれ、って……?」
「めぐみをあたえてくれるのか!」
「くれ!」
「ああ、たのむ!」
「めぐみを!」
「たべものを!」
ロクよりもずっと高いところにあった視線の数々が、波打つように伏せっていく。ぽかんとするロクをよそに、村人たちは藁の床にぴったりと額をくっつけ、「めぐみを!」「めぐみを!」とひっきりなしに叫んでいる。
突然のことに、またしてもロクが困惑を隠しきれずにいた、そのとき。
「しずまりなさい。こまっておられるでしょう」
「……! ば、ばあ様!」
伏せっていた村人たちは次々と顔を起こし、立ち上がった。"ばあ様"と呼ばれたその人物は、異様に背丈の低い老婆だった。彼女の後ろに、見覚えのある赤毛の少年が立っていた。人だかりが、黙って道を開けていく。
ロクの胸あたりまでしかない小さな背をさらに丸め、地面の上に片膝をつくと、老婆は口を開いた。
「此花の使者様ですね……。ようこそ、ベルクの村へ」
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