コメディ・ライト小説(新)
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- 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
- 日時: 2025/11/29 21:34
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)
毎週日曜日更新。
※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。
*ご挨拶
初めまして、またはこんにちは。瑚雲と申します!
こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします!
*目次
一気読み >>1-
プロローグ >>1
■第1章「兄妹」
・第001次元~第003次元 >>2-4
〇「花の降る町」編 >>5-7
〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
・第023次元 >>26
〇「君を待つ木花」編 >>27-46
・第044次元~第051次元 >>47-56
〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
・第074次元~第075次元 >>83-84
〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
・第098次元~第100次元 >>107-111
〇「純眼の悪女」編 >>113-131
・第120次元〜第124次元 >>132-136
〇「時の止む都」編 >>137-175
・第158次元〜第175次元 >>176-193
■第2章「片鱗」
・第176次元~第178次元 >>194-196
〇「或る記録の番人」編 >>197-
■最終章「 」
*お知らせ
2017.11.13 MON 執筆開始
2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞
──これは運命に抗う義兄妹の戦記
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.207 )
- 日時: 2026/01/31 01:58
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第189次元 或る記録の番人ⅩⅠ
エントリア領の領主イルバーナ家は、領内の最北にあるキナンの町の別荘に避難していた。レトヴェールは早々に出発して、数日をかけてキナンの町を訪れた。町の様相はほとんどエントリア街と変わらず、まるで小さなエントリアだ。ここを中継してラジオスタンやウーヴァンニーフに北上する若い商人や旅行者が多く、小さな町でありながら人の出入りが活発で、いつ訪れても賑わっている。
町をきっちり東西で分断するように拓かれた大きな街道、市場街道を抜けた先にイルバーナ家の別荘があると茶屋の店主から聞いたレトは、市場街道の人混みの流れに身を任せ、その端で人混みの中から吐き出された。市場街道を外れれば、意外なほどに閑静な町並みが続く。一階が花屋になっている二階建ての家屋の脇に石階段を見つけたら、あとはそこを長らく登っていくだけだ。茶屋の店主に教えてもらった通り、階段を登りきるとすぐに、立派な屋敷と庭園が見えた。この高さからだと、市場街道の賑わいがよく見渡せた。
現当主はチェシアの長子、チャルマール・イルバーナだ。現在は政会に招集をかけられていて家を空けている。
つまりいまは、家のことは夫人が仕切っており、レトは夫人と会話せざるを得なかった。
(あの一家に会いに行くのはべつにいいけど……あのおばさんとあんまり話したくないんだよな)
イルバーナ侯爵夫人の人柄を思い出し、レトは嘆息した。
七つのとき、母に小奇麗な服を着せられ、イルバーナの家に参上した。挨拶ができればそれでいい、と母から言われていたので素直にそれだけを口にした記憶があるが、あれはエポール家とイルバーナ家の正式な顔合わせだったらしいとあとで知った。ともかく、顔合わせをしに行っただけなのに、当時再婚したばかりでチャルマールの後妻となった若い夫人が、エアリスとレトの顔を値踏みにするようにじろじろと見た挙句に鼻を鳴らしたので、レトは一瞬で嫌な気分になったのを覚えている。しかもエアリスが挨拶をすれば最初は無視をしていたし、二人が帰るまでずっととげのある態度をとっていた。二人と懇意にする気がないのが、年端もいかないレトでもよくわかった。
とはいえ、なにも彼女だけエポール家を嫌煙しているのではない。イルバーナ家はかつての王領をエポール王家から預けられた特別な一族だ。王領を所有しているという自負ごと代々継承している。たとえ相手が王家の末裔だったとしても、権力を持たない家にへりくだるほど腰が低くないのだ。
だからレトは、イルバーナの家に足を踏み入れればどんな言葉を吐かれるのか、容易に想像できていた。
「申し訳ないのだけれどもね。いまさらエポールの名を使われても困るわ。あなたの要求を呑んで我々が土地を貸し出せば、まるであなたたちエポールの一家が、いまも旧王家の力を持っていると、周囲に知らせてしまうのと同義。それではあなたも困りましょう? レトヴェール様」
言葉使いは取り繕えても、まともにこちらの顔も見ずに指の爪をいじっている夫人は相変わらずだった。
革張りの高級な腰掛けに背中から腰まで預けて紅茶を口に運んでいる夫人の正面に座って、レトは口を閉じていた。彼女の口ぶりからでもなんとなく察せられる。イルバーナ家は、エポール家がふたたび力を持つことを恐れ、わずかでも彼らが表立とうとするのを阻止したいのだ。それにいまは大事なときだ。神との戦争で確実に司令部を置くためには、レトに余計な動きをとらせたくないのだろう。
しかしそれとこれとは別の話である。レトは主張をはっきり伝える心づもりでここへ参上したのだ。
「お言葉ですが、スウラン夫人。エントリア領内でも、レイチェル庭園だけはエポール一族の私有地です。あなたがたに黙っているのでは、不義理なので、報告に参った次第です。表向きはイルバーナ家の領地ですから。他家の目にどう映るかご心配であれば、貴家のチェシア・イルバーナ様へのお力添えとしていただければ問題はないかと思いますが」
「お義母様の名前を出しても無駄ですわ。彼女はもう我が一族の当主ではないし、なんの権利も持たないの。戦士として生きる道だけが残されているだけ。こたびの戦争では、きっとご活躍なさいますわね」
話の逸らし方が鋭角なのも健在である。いくらイルバーナ家の人間がエポール家をよく思っていなくとも、彼女はかなり露骨なほうだろう。レトは仕方なく、ため息を飲みこんで、続けた。
「貴家が最高司令部を立てれば国の英雄になれる。それまでに、エポールには余計な動きをさせたくない。あなたのお考えはおそらく侯爵様と一致していて、今頃ラジオスタンで責任の引っ張り合いが行われている頃なのでしょう」
「は?」
スウランは、わざと音を立てて茶器を机の上に置いた。余裕だった表情がまんまと崩れて、彼女は口の端を歪ませた。
「なんて面の皮が厚いの? もしかして、まだ自分が王族だとでも? 笑わせないで。もうあなたの血は一銭も稼げず、たいした力もないの。お帰りいただいてよろしくて? 主人の頼みでなければ、あなたのような下賤な庶民と口を利くこともないのよ」
「エントリア領の領主、イルバーナ侯爵夫人が、そのような態度を庶民に見せてもよいのでしょうか? いまなおエントリアの民は苦しんでいる。十分に休息できる場所が確保できず、適切な環境で治療を受けられていない。だから早く、カナラにあるあなたがたの屋敷を空けて、新しい避難所としたい。そう書状にも書きましたが……。あなたは、神族の襲撃後、一度でもカナラやトンターバに足を運ばれましたか? ああ、見てないからわからないのか」
「……」
「ウーヴァンニーフ領のツォーケン伯爵はエントリアの避難民を快く受け入れてくれた。なのにあんたらときたら自分の家と財産にしか興味がなく、まとまな会話もできやしない」
ついにスウランは腹が立ったか、ばん、と強く机を叩いて、革張りの腰掛けから立ち上がった。そしてきんきんと響く声で言い募る。
「貸してやった屋敷だけでなんとかしなさいよ! これ以上、私たちの資産を食い荒らそうとして……いったい何様のつもりなの!? いいこと? 私たちイルバーナの一族は、あなたのことなんか、微塵も認めてないの! いつまでも古臭い血に追いすがって、みっともない。見ていられないわ。帰って頂戴。だれか、この薄汚いガキをはやくつまみ出して!」
「お、奥様」
傍で控えていた使用人が、焦ったように口を挟んだ。ものすごい形相で叫びながら振り返ったスウランは、その目にとある人物の姿を捉えて、途端に竦み上がった。
「大きな声を出さないでと、何度注意をさせるつもりですか。品がありませんよ、スウランさん」
広間の奥の扉が開く。入ってきたのは、此花隊の副隊長チェシアだった。いつもの隊服ではなくゆったりとした作りの、淡い色の私服を身に纏っており、幾分か雰囲気が和らいで見えた。しかしそう見えただけで、家の中だろうと変わらずに毅然としている彼女の一声で、室内に冷気が奔った。
石みたいに固まっているスウランの顔を見て、チェシアは深いため息をついた。
「息子が不在で書類の整理もままならないというので手伝いに顔を出してみれば……。あら、レトヴェール・エポール。ああ、今日が、いらっしゃる日でしたか。これは、わざわざキナンまで呼びつけてしまって申し訳ありませんでしたね」
「いいえ。問題ありません」
「スウランさん」
チェシアは、すっかり黙りこくっているスウランの傍まで歩み寄ってくる。察しの良いスウランの肩が、なにかを言われるより先にびくりと震えた。チェシアは、そんな彼女を見下ろしながら、薄い唇を開いた。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.208 )
- 日時: 2026/02/01 21:13
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第190次元 或る記録の番人ⅩⅡ
「あなた、レトヴェール・エポールから送られた書状に、隅まで目を通しましたか。サガシム様の名があったでしょう」
スウラン夫人は、数日前に破いて棄ててしまった書状がどんなだったかを思い出そうとした。しかし夫から受け取って、ろくに目を通さなかったので、思い至る節がなく素直にこぼしてしまった。
「は……? それが、なにか。だ、だれです? サガシムというのは」
チェシアは呆れたようにまた浅く息を吐きだすと、黙って広間の食卓まで足を運んだ。食卓の隅に用意されている硝子の茶器をひっくり返し、水差しを傾けて、とぷとぷと水を注ぎながら告げた。
「彼はレイチェル庭園の最高管理者で、名はサガシム・イルバーナ。我々の親族です。我が一族に嫁いでいらした以上、ご存じないはずはないですが、大事なことですのでもう一度お伝えします。サガシム様の血族こそイルバーナ一族の本家であり、我々の一族は、正式には分家となります。なぜ、ただの商家だった我々イルバーナ家が、百五十年前に王領を預かることになったのか、歴史はお勉強されましたか?」
「……」
訊ねたが、スウランの目にはあきらかな落胆の色が浮かんでいるだけだった。レイチェル村の村長サガシムの正体を知らなかったのだろう。サガシムの一家は、大事な用事のない限り、村の外には足を伸ばさず、用があれば遣いを出していた。徹底して、身分を隠していたのだ。イルバーナ侯爵家の本流でありながら、爵位は分家に託し、旧王家を守る影武者であり続けた。そうした姿勢はエポール旧王家に倣っているのだろう。
チェシアは白磁の茶器に口をつけ、喉を潤すと、口を開いた。
「エントリア領でもっとも事業が栄え、国の繁栄に貢献した我々の祖先は女王より爵位を授かりました。そして、王政が廃止された百五十年前、エポール王家は、王族の解体とともに、我々に王領の管理を任せてくださったのです。エントリア領の事情にもっとも精通し、そして我々の家は財力も十分にありましたから。王領は二つに分けられました。エポール王家と、イルバーナ侯爵家がそれぞれ所有するために。ひとつは、王族を神の危険から遠ざけるため、その住まいを構えたレイチェル庭園。旧王家は、表向きは領土を手放さなければなりませんでしたから、当時のイルバーナ家当主が庭園に住まいを拵えて、あたかも庭園を含めたエントリア領全域がイルバーナ家の領地であるかのように振る舞う必要がありました。そしてもうひとつは旧王都エントリアです。こちらは説明をするまでもありませんね。当時のイルバーナ家当主の弟が、エントリアの屋敷に残りました。その弟こそが、我々の祖先にあたります。初めに申し上げましたが、イルバーナ家は、王領を与えられたのではありません。正式な書面をもって、旧王家より預からせていただいているのです。その意味がおわかりですか?」
貴族の子息令嬢に指南をつけるようによく砕いて語られたそれはしかし、旧王家と侯爵家の間で取り交わされた重大な約束事であった。
神の怒りを買った理由も明らかにならないまま襲撃を良しとしてしまったメルギース王国では次々に王族が倒れる事態となった。神の呪いだと恐れをなした最後の女王、エオトーナ・エポールは王族の血が絶えるのを回避するために王政の廃止を宣言し、そうして百五十年前に王室は解体された。しかし王室の解体は国の本意とするところではなかった。王族の権威を残すため、王領エントリアの一部はいまもなおエポール家の領地であるし、イルバーナ侯爵家への領地の譲渡も表向きの体裁だ。実際には、譲渡ではない。一時的な委任であった。
チェシアは、問いかけた答えを返してこないスウランに改めて釘を刺した。
「我々の祖先が、エポール王家に信頼いただいていたからにすぎません。にも関わらず、まるで王族であるかのように振る舞い、面の皮が厚いのはあなたのほうですよ。恥を知りなさい。あなたの目の前に御座しますは、エントリア領を任せてくださっているエポール家の御仁です。いずれ時が満ちれば我々の領地をすべてお返しすることが約束されています。この契約は決して覆りません」
「す、すべて……?」
開いた口が塞がらないスウランの耳に、衣擦れの音が届く。ようやくレトヴェールが前のめりになって、たたみかけた。
「あらためてご報告を。此花隊本部は、レイチェル庭園に移動いたします。来る神との再戦に備えて準備を進めさせていただきたく。どうかご協力を」
スウランは、奥の歯で苦虫を潰すような顔をして立ち上がった。そしてふんと鼻先を逸らすと、つかつかと靴の音を立てて、広間を去った。
去り際までも背中は堂々としていて、さすが侯爵夫人だとレトは感心してしまった。呆れを通り越した尊敬の眼差しで彼女を見送っていると、レトの正面までやってきたチェシアが、腰を下ろしながら謝罪の言葉をかけてきた。
「申し訳ございません。レトヴェール・エポール。彼女は、成り上がりの貴族の出身で、口の利き方もなっていない世間知らずの娘です。見合いの時点で、すでに私は反対していました。初めの結婚相手との間に子が設けられず、離縁したあと、すぐに彼女を迎えたいと言い出したのでしぶしぶ許可を出しましたが……御覧の通り、手を焼いております」
「なるほど……」
正直口を挟む間も必要もなかった。発言力の強さを垣間見たレトは、彼女が此花隊副隊長の位に留まり続けている理由に納得してしまった。
レトは軽く肩を回した。畏まった衣服をほぐしてから、嘆息する。
「助かりました、副隊長」
「いまは隊服を着用しておりませんので、そう畏まらなくとも結構です。それにあなた、私がここにいると知っていて、利用したでしょう」
口をつけていなかった紅茶にようやく手を伸ばしかけたところへ鋭い指摘が飛んできて、レトの指先がぴくりと固まる。
チェシアは背もたれに細い肩を預け、わかっていたような口ぶりで続けた。
「カナラの警備を外れても問題ないとセブン・ルーカーより報告があったのが、つい最近のこと。ちょうど、家の者たちがみな急いでこの別荘に移ってきて間もなく、まだ整理が行き届いておりませんでした。息子もおらず家中が片付いていないと使用人たちが泣いていたので、致し方なく帰省をしました。私の動向などすこし調べればわかること。あの嫁の口を閉ざすのなら、姑の私を使うのがもっとも話が早く、効果的です。よく気がつきましたね」
「……」
「わざとらしく逆上を誘い、私を呼びつけた。柔軟で、賢いこと。エアリス様によく似ておいでです」
チェシアは骨ばった指を茶器に伸ばして、静かに水を口にした。どんな言い訳を並べても彼女の前では無意味だろうと諦めたレトは、正直に白状した。
「……利用するような真似をして、申し訳ありませんでした」
「構いません。私は義母として……そしてイルバーナ家の前当主として、あなたに礼を欠いてはならないことを示したまで」
「副隊長。俺は」
「失礼を承知で申し上げますが、勘違いをなさいませんよう。もしあなたが、彼女のように厚顔無恥で、だれかれ構わず名を振りかざそうとする人間でしたなら、さきほど私は口を挟んでいなかったでしょう。我々五大家は、あなたの一挙手一投足を観察し、あなたという人間の本質を見定めています。しかし、私が確認をした限りでは、あなたがその名をお使いになられたのは、二度だけでした。アルタナ王国でジースグラン王の暴挙を止めたときと、今回の此花隊本部の移設の件です」
五大家とは、メルギース国でもっとも影響力を持つ領家を指す。イルバーナ侯爵家、ギルクス侯爵家、ツォーケン伯爵家、ビスネオニ伯爵家、そしてルーカー子爵家がそれに当てはまり、各家の当主は定例的に、政会の会長と此花隊の代表を含んだ"代表会議"に呼ばれ、国の内政に関与する。五大家はかつて王政の時代にエポール王家の臣下だった名残からか、エポール一族への関心が高い。最たるはギルクス侯爵家だが、王領を預かっているイルバーナ侯爵家も関心があるという点では同様だ。
しかし、忠誠心が強いギルクス侯爵家とは似て非なる角度からエポール家を評価している。イルバーナ侯爵家は、いずれ領地を返還することが約束されてはいるが、同時に、エポールの人間がその器に相応しいかを見極めなくてはならなかった。もしも適う器でなければ政会に申し立てて、協力体制を組み、エポールの人間を教育しながらエントリア領を管理していく必要があるからだ。
レトは、アノヴァフに言われた言葉を思い出していた。『この道の先には、味方にも敵にもなる人間と真実がいて、いずれお前から自由を取り上げる』──。脅しではなかっただろう。父という人間と交わしたやりとりは両手で足りるほどだが、彼は悪意のある話し方をしない人だ。きっと、警告だったのだ。
ロクアンズの名前の意味を知り、歴史の真相を知り、神との戦いの中枢に臨んでいくのなら、──数多の人間の注意を引く。"エポール旧王家"に関心を持つ五大家も、そうでない人間も、等しく監視の目を注ぐ舞台の上にいま片足をかけようとしているのだと、レトはなんとなく気がついた。
(けど、止まることはできない)
茶器の中で冷えていく紅茶はしかしまだ透きとおっていて、それを覗きこむレトの顔を映し出していた。一口含むと、チェシアは付け足すように続けた。
「それから、もうひとつ」
「?」
「私が神族クレッタに噛みつかれて吐き出されたとき、振り返ったのは、ロクアンズ・エポールだけでした。あなたとコルド・ヘイナーは、クレッタの動向を見て追いかける姿勢に入った。咎めているのではございません。むしろ、あなたは一度掲げた目的を違えず肉体を動かせる人間なのだと、ひとつ感心いたしました」
「……」
「ですから、ひとまず私の持つ天秤は、信頼に傾いております。ただしこの先、器にそぐわないと判断すれば、すぐにでも盤面は変わりましょう。お忘れなきよう、レトヴェール・エポール」
厳しく諫めるようでありながら、芯の通った彼女の声は、不思議とすんなり、レトの腹の底に落ちた。レトには祖母と呼べる存在がいなかったが、もしエアリスの母が存命だったなら、似たような感覚を覚えたかもしれないと空想をした。
チェシアはすっくと立ち上がると、恭しく頭を下げ、礼をした。
「たいしたもてなしもできず、本当に申し訳ございません。また、折を見て、愚息からもご挨拶をさせてくださいませ。それに、任務中でいらしたのに、長々と引き留めてしまいましたね。セブン・ルーカーよりお伺いしました。ハルシオ・カーデンの次元の研究に協力されていると」
「ああ、それで副隊長に訊きたいことが」
「何でございましょう」
「この家に……『わたしの子エリーナ』の原文の複写はありますか?」
イルバーナの家にやってきた理由は、此花隊本部の移設の件と、もう一つあった。いまは『わたしの子エリーナ』の原文探しの旅の途中だ。市井に出回っていないとすれば、貴族らが骨董品として所有している可能性がもっとも高い。名家のイルバーナ家ならばもしかすると、と淡い期待があった。
しかし、チェシアの表情には変化がなく、彼女は申し訳なさそうに口を開いた。
「原文の複写……ですか。残念ながら、我が家は所有しておりません。すでにこの世にはないものかと。度重なる戦争があり、大図書館も一度は半焼し、大量に資料が失われたと聞き及んでいます。あの場所になければ、ないものと思ってよいでしょう。ですが、『わたしの子エリーナ』について調べているのであれば、歌劇団の演目をご覧になったらいかがでしょうか」
「歌劇団?」
「ええ。彼らはときどき、『わたしの子エリーナ』を舞台で演じるのです。そのように創作の物語を舞台で演じながら、幕間に歌を歌います。歌は、メルギース語ではないようですが」
「歌……」
レトは逡巡するように目を伏せたあと、顔を上げて訊ねた。
「その劇は、どこで観られる?」
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.209 )
- 日時: 2026/02/14 19:46
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第191次元 或る記録の番人ⅩⅢ
見送りは断りたかったが、それが顔に出ていたみたいだ。チェシアが使用人たちに声をかければ、表門にはイルバーナ侯爵家の使用人たちによる見事な整列が展開されていた。
カナラまで馬車に乗せるだのという申し出にはさすがにお断りをした。レトヴェールはまだろくに市場街道を見物していなかったので、ついでにふらっと寄っていくつもりもあった。
表門には、当然のようにスウランは出てこなかった。代わりにチェシアが家人らの先頭に立ち、彼女が礼をすれば、使用人たちもそれに倣う。
「それでは、レトヴェール・エポール。私は、用を済ませましたら速やかにカナラへ帰還いたしますので。拠点の移動には力をお借りいたします」
「こちらこそ」
顔を上げたチェシアの青い瞳にじっと見られて、自然と背筋が伸びたレトは、彼女の言葉を待った。しかしチェシアは、静かに礼をしただけで、なにかを告げることはなかった。
イルバーナの邸宅をあとにしたレトは、市場街道に下り、人の波にもみくちゃにされながらもなんとか旅の支度を整えた。市場街道では、食料や衣料がずいぶんと安価で手に入ったが、似たような店が所狭しと立ち並んでいて商品の吟味に時間がかかるし、人波のせいで進みも悪い。その大変さも相まって、まだ昼前だというのにレトはすでにどっと疲れていた。
いっそ一泊していきたい衝動に駆られるも、一日動きが遅れれば、歌劇団を捕まえられない恐れがあるので踏みとどまった。歌劇団は国中を転々と移動して興行するのだ。現在はセースダースに立ち寄っているとチェシアから情報を仕入れたレトは、買い物もほどほどにキナンを発った。
歌劇団「ラバ・ラアーン」は、屋根が半分以上崩れ落ちた屋外舞台の上に降り立っていた。セースダースは、サオーリオからエントリアまでの神族の進路にぶつかってしまったために、二都市に次ぐ被害地となった。明朝から夜更けまで互いに声をかけあって、壊れた街の一片を踏み越えてはあちこちへ行き交う住民たちに憩いと励ましを届けるための興行で、歌劇団は一銭も取らずに昼夜歌い踊り、音楽を奏でた。
顔なじみの旅館の館主から街の状況を聞き出して、レトは復興作業の手伝いをさせてもらえないかと頼んだ。ここ数ヶ月は力仕事漬けだったし、吹雪の中で山を超えたのも経験になったはずなのに、呪いによる体力の低下が並走しているせいかやはり息が上がるのは早かった。
休憩の号令がかかったのは深夜だった。けれど、どこにいても忙しなく人の声が聞こえていた。作業場の男たちが歌劇を観に行くというので、それについていけば、ひときわ明るい場所に辿り着いた。瓦礫が多くて物々しい景色だが、街の広場だった。欠けたところの多い石畳の上にじかに置かれた灯篭が、闇夜の中で点々と輝き、崩れかかった舞台の上を照らす。舞台の上では、ラバ・ラアーンの役者が小道具の剣を手にして、見事に舞い踊っていた。
演目は、『わたしの子エリーナ』ではなかった。
『キャンドラ家の真実』という、王政の時代に生まれ広まった民間小説をもとにした脚本だ。ある村の正義感の強い若い青年が、キャンドラという家の生まれの意地悪な領主に立ち向かい、村に自由と安寧をもたらす物語だった。作業の合間に調べた限りでは、歌劇団の創始者は言語学者であり、また音楽家でもあった。
創始者が残した歌曲は数十にも及んだ。そのうえ、すべての曲の詩が古語で書かれており、劇中で歌われたのもまた例にもれず、古語であった。
「"GAS NIC RAUKA"!("真実を白日のもとに!")」
歌詞は丁寧に、紙に手書きされて、観劇者の手元に配られる。レトは、もう片方の手に握っているエインドラの侍女の小箱を静かに見下ろし──確信していた。
盛り上がりを迎える物語の終盤、主役の青年と村の仲間たちが高らかに歌い、舞い踊る姿を見ずに俯いていた観客は、きっとレト一人だっただろう。
"RAUKA"の文字が刻まれた小箱の一面を、舞台上から降り注ぐ光が照らす。
それが意味するのは"真実"──ならば、小箱に隠されていた原文に記されたあの短い文字列は──。
(そういうことか)
レトの中で、一つの答えが導き出された。
音楽が最高潮に転調し、重なった歌声が天を抜けていけば、わあっと拍手喝采が湧く。舞台装置が故障しているのか幕が下りてこなかったが、役者たちが勢ぞろいで出てきて、きっちり美しく並んで長めの礼をする。そうすれば、幕引きだとわかった観客席から、また大きな拍手を呼んだ。
観客席に向かってまんべんなく手を振り、役者たちは笑顔で袖にはけていく。数多の楽器の音が重なって共鳴し、街の隅々にまで明るい音を届けていく。音は止まらず、しだいに緩やかな曲調へと変化した。まるで子守歌のようで眠気を誘う音楽だ。観客席や、作業場の近く、道端でも毛布に包まって、そのまま眠ってしまったらしい住民がいた。
レトも、音楽に身を委ねて身体を休めたかったが、頭のほうが冴えてしまって、寝つけなかった。なので旅館に戻ってからログアース村で土産にもらったピーニを絞り、飲み水に加えてそれを飲んだ。なるほどたしかに体温はすぐに上がって、眠気はすぐにやってきた。
明朝。眠りがどれだけ浅くても、冬が近くて風が冷たくても、日が昇ってくれば街人たちは冷水を浴びてまで目を覚まし、しゃんと動きだす。カナラにいるエントリアの住民たちもそうしていた。なんとなく思いを馳せていれば支度が済んでいて、レトは、まだ白んでいる空の下に出た。
そうしてしばらくセースダースに滞在したが、ある日ラジオスタンから大量の物資が届けられた。此花隊の援助部班の異動もあったらしく、街中で見かける人の数が増えてきたので、レトはカナラへと帰還することにした。
カナラに着いたら、まっさきに父を尋ねなければならない。父から出された問いかけに答えが出たからだ。いよいよだというのに、レトの胸中は不思議なほど落ち着いていた。仕事をしていても、食事をとっていても、湯に浸かっていても、常に考え事をしていたから、かえって頭の中が整理されたのかもしれない。
しかし、馬の蹄がカナラへの道の上を駆けて、遠くに街並みが見えてくれば、大人しくしていた心臓の音が聞こえだした。
拠点の移動の話が正式に上から降りてくると、援助部班は拍車をかけて忙しくなった。レイチェル庭園に運び出す物資の調整を終えたばかりなのに、人の出入りがさらに激しくなったものだから入館の記録待ちで並んでいる隊員たちの列を見て、モッカは儚げにため息をついた。次から次へと人を捌き、ついにだれを受け入れたかだれを送り出したか意識しなくなってきた頃、帳簿に目を落としたまま受付をしていれば見知った人物が並んでいることにも気がつかなかった。
「はい、次の人ー。所属は?」
「モッカさん。俺だけど」
帳簿に注いでいた視線をあげれば、列の先頭にはレトが立っていた。モッカは目をぱちぱちとさせたあとで、ぱっと表情を明るくした。
「アラ! おかえりなさい、レトくん~。ごめんネ、バタバタしてて。仕事はひと段落ついたのかしら?」
「いや。これから」
「これから?」
「ハルシオ・カーデン班長は屋敷の中にいるか? どこかに出てる?」
「研究部班の班長さん? 今日は記録をつけていないワ。だから、いるとしたら、研究部班が使っている一階の奥の遊戯場かしら」
わかった、と短く返事をして、レトは受付を終えると遊戯場に向かって歩きだした。
研究部班が遊戯場をあてがわれたのは、部屋の広さが十分にあるからだ。遊戯場にあった卓台や小道具は隅に追いやられ、研究部班がウーヴァンニーフから持ちこんだ荷物の山が広大な部屋を埋め尽くしている。もはや遊戯場の面影はまるでなく、ウーヴァンニーフの研究棟の調査班の部屋が、ちょうどこんな感じで、棚や書類で溢れ返っていたのをレトは思い出した。
部屋に入ると、研究部班の班員たちがみな振り返って、物珍しそうにレトを見ていたが、彼はその視線を振り切って、奥へ向かっていく。
やがて、背の高い棚と積まれた荷物の隙間からアノヴァフの横顔が見えると、彼もレトに気がついて、顔を上げた。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.210 )
- 日時: 2026/02/18 12:48
- 名前: 瑚雲 (ID: ylrcZdVw)
第192次元 或る記録の番人ⅩⅣ
アノヴァフの執務机は、四方八方をうず高い書物の山に囲まれていた。片づけが不得意なセブンの執務室と良い勝負かもしれない。それらに目をやっていれば、アノヴァフのほうがレトヴェールに声をかけた。
「帰ってきたか」
「ああ。場所を変えてくれ」
アノヴァフは、仕事道具を持ち歩くようにしているのか、数冊の書籍を抱えて執務机から立ち上がった。机の脇に聳える本の山の中腹からは雪崩れが起きているのに、アノヴァフも気にしない性分なのだろうか。床に散らばった本を片付けるのではなく避けながら、彼はまっすぐ、遊技場の出入口に向かった。
ゆっくりめに歩く彼の後ろについていき、螺旋状の階段昇って二階に上がれば、覚えのある廊下が見えてくる。突き当たりに豪華な花瓶台があり、左右に別れた廊下にはそれぞれ客室が並んでいる。
空き部屋の扉を開けて中に入ったアノヴァフに続いて、レトも入室する。しばらく謹慎処分で世話になった部屋とは違う部屋だが、広さも匂いも調度品もほとんどおなじだった。
レトは、扉を閉めると口を開いた。
「古い文献を集めてるそうだな」
「前置きは必要ない。答えを告げにきたのだろう」
「そのせいで大変だったって言ってんだよ」
レトがため息交じりに返す。鋭い切り口で先を促すアノヴァフに、こちらも思わず嫌味をこめて切り返してしまったが、やりづらさを感じないのは、言葉の端々の冷たさがどこか自分と似ているせいだろう。
もちろん、世間話をしにきたわけではないレトは、彼の顔に視線を定めて、切り出した。
「ウーヴァンニーフの大図書館に、『わたしの子エリーナ』の原文の複写はあったか」
大図書館から多くの古い文献が貸し出されていた。それも貸し出した先が此花隊の研究部班となれば、アノヴァフの指示だろうとレトは予想していた。予想通り、アノヴァフの執務机の周りにはそれらしき書物が山積みになっていた。アノヴァフも心当たりがあるらしい目をしていたが、やがて小さく首を横に振った。
「いいや。ない。おそらく十四年前の戦争で焼失した」
「……そうか。ないなら、いいや」
すでにこの世にないこともレトは覚悟できていた。だから、すぐに取り出せるようにしていた。レトは、上着の内袋から真新しい封筒を取り出す。さらに封筒の中から古い紙を丁寧に引き抜いて、それをアノヴァフに差し出した。
アノヴァフが無言で受け取り、寝台に腰を下ろすと、レトは続けた。
「ログアース、という北西の山奥にある村を訪ねた。そこで、エインドラ女王の侍女が村に残した王家の遺物を預かった。それは遺物に隠されていたものだ。遺物は六面体の小箱で、六つの面には古語が刻まれ、そのうちの一つ、"真実"と刻まれた面に仕掛けがあったから解いた。そうすると中からはたった一枚だけ……その古めかしい紙が出てきた。おそらく……『わたしの子エリーナ』の原文の一部だ。文章は物語調ではなくどちらかといえば語り口調だけど、間違ってないだろう。それはその冒頭の部分。証拠に、文章がつらつら書かれていないほうの裏面には、表題らしい短い文字が書かれてる」
レトが、指を立てて、紙をひっくり返せと言わんばかりに指し示すと、アノヴァフは従った。彼の視線が紙の下のほうへ滑っていくのをたしかめてから、レトは言った。
「端に書かれた短い文字は、一部掠れているが……──"RAUKA E IS"(ラウカエイズ)。現代語で発音しやすくするなら……"ロクアンズ"。つまり、"ロクアンズ"とは、童話の表題からつけた名前だ」
「……」
「それにこれは、ただの文字列じゃない。文章として成立した言葉だ」
「"RAUGEIS"(ログアース)だとは思わなかったのか」
「最初はそう思ったけど、一文字入れるだけにしては空白が空きすぎてるし、よく見れば"E"と"IS"の間にも、若干の隙間がある。あんたがその指摘をするってことは、逆にログアースじゃないんだろ。それに、成り立った文章の意味を考えれば、"RAUKA E IS"以外にはありえない」
「では、文章の意味は」
アノヴァフが顔を上げた。そして彼は口元を結ぶ。レトが答えを告げるのを、待っていた。
セースダースで歌劇団による古語の歌を聞いたレトの脳裏にはあのとき、遠い過去の記憶が唐突に呼び起こされていた。キールアの母、カウリアが、生まれた息子にイズリアと名づけたのに対して、"IS"「イズ」とは娘という意味を持つのだとエアリスが返していた。単語の意味だけなら知っていたレトは、"IS"と書けば「イズ」と発音するのだと同時に知った。そして、自分を指す"E"は「エ」もしくは「エィ」と発音する。それは最近、ルノスも手紙の上で鼻高々に語っていた。
最後に、"RAUKA"は──歌劇『キャンドラ家の真実』の主人公が、声高に「ラウカ」と歌っていた。そのときのレトにとっては、まるで、すべての真実さえ物語った歌であるかのようにも聴こえていた。
レトは意を決して、告げた。
「"RAUKA E IS"の直訳は、『真実、私の娘である』。つまり、────"私の本当の娘"、という意味だ」
固く手を握りこめば、火傷のあとに皺が寄って、痛みが走る。しかしいざそれを告げた胸中のほうがよほど、怖いくらいにばくばくと脈打った。
旅の帰路で整理をつけたはずの感情が、ふたたび熱を帯びて、レトの喉奥をじりじりと焦がす。レトは、この答えに辿り着いてからほかの可能性も探ってみようとした。しかしいくら考えても浮かんでこなかった。はまり合った情報の欠片の中から納得のいかない欠片を取り除いても、空いた穴の形にはそれしかはまらない。そのうえさらなる疑問が次から次へと湧き出してきた。レトは、胸に抱えていた思いの丈を、喉の奥の熱とともに吐露する。
「本当の娘って……どういうことだ? 母さんとロクは、血が繋がってるのか? 母さんが、あいつをカナラで拾ったって言って、家に連れてきたのは十二月二十五日だった。母さんがデスニーから呪いをかけられて、死んだのも、ちょうどその前後だった。それも偶然じゃなかったんじゃないか?」
アノヴァフのすぐ目の前までレトは距離を詰めた。そして人形のように顔色を変えない彼の胸ぐらを掴みあげ、真に迫った瞳で問い詰める。
「俺の考えが間違ってないなら、答えろよ。知ってること全部! 父さん!」
アノヴァフは、黙っていたが、レトの手を払いのけることもしなかった。しんと静まり返れば、よりいっそう部屋の空気を冷たく感じた。しばらく二人は視線だけを交わし合った。やがて、アノヴァフが小さく口を開いた。
「正解だ。ロクアンズの名前は、お前の言うように、『わたしの子エリーナ』の原文、ラウカエイズからつけられた。名前を考えたのはエアリスさんだ。彼女は古語の表現を好んでいて、ラウカエイズは特別に好きな言葉だと言っていた」
赤くなりだしたレトの手を、ようやく、優しい力ではがした。そして脇に寝かせていた二冊の本の間からなにか薄い紙束を引き抜いた。引き抜かれたそれは端々がぼろぼろで、ひどく劣化している。
「さきほどお前に嘘をついたことを詫びる。これが、現存する『わたしの子エリーナ』の原文の写しだ。しかしこれも半分以上が焼け落ちている。状態はよくはない」
紙束の表紙には"RAUKA E IS"という大きな文字が飾られており、レトは、アノヴァフの手元にあるそれに視線が釘付けになった。アノヴァフは続けた。
「彼女は俺に、俺がお前に訊ねたことと、まったくおなじ問いかけをした。ロクアンズという名前の意味がわかるかと。そして、空白の歴史を知る覚悟をともにしてくれるか、と」
「……は?」
「約束通り、お前の訊きたいことにすべて答えよう。まずは彼女……エアリス・エポールとロクアンズという神族の、本当の出会いについて」
アノヴァフが、紙束を下げて、毛布の上に寝かせる。
このときようやくレトは父と目が合った気がして、そして、無彩色な瞳の奥がほんのわずかに淡く色づいたようにも見えた。
彼は小さく口を開き、語りだした。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.211 )
- 日時: 2026/02/23 13:20
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第193次元 或る記録の番人ⅩⅤ
「二人目は難しいかもしれないね」
昨年、北のドルギースとの間で一時休戦の宣誓が交わされたものの、その余波はまだ北東を中心に全国を蝕んでいた。サオーリオから仕入れていた純水を治療に用していたカウリアは、それがなかなか手に入らなくなったので、しかたなく手間をかけて精製している。そんな世間話を、エアリスの家にやってくるなり茶を飲みながらぐちぐちとこぼしていたカウリアだったが、それもほどほどにして、検診の結果を切り出した。
まだ首の座っていない赤子が、エアリスの腕の中でふにゃりと顔をゆがませる。泣き出しそうだったが、赤子は、ふいに大人しくなった。代わりにエアリスがしばらくの間放心していた。
「そう……」
「近頃じゃ珍しくないよ。戦が終わったって、精神的な負荷は残る。母親の不安が胎内の子に移ったりもするだろう。身体の方が変わっちまうのさ。どうしてもほしいのか? エリ」
「私、兄弟がいないの。母は早くに亡くしてしまったし、父は出稼ぎに行っていたから……。小さい頃に相手をしてくれたのはカラ、あなただけだった。大変なときも、兄弟がいたら支え合えるものでしょう。この子には……私とおなじ思いをさせたくないの。それに、ものすごく大切な宝物ができたみたいだわ、子どもって」
エアリスが、腕の中でうとうととする赤子の顔を見つめる。まだ産まれたばかりのレトヴェールを優しく揺らしていれば、笑みがこぼれた。
そんな二人を見て、カウリアが息をついた。
「宝物ね……。あんの学者野郎は、二言目には仕事仕事でほとんど顔見せやしないもんな。あんたの父といい勝負だ」
「もう。アノヴァフさんは優しい人よ。忙しいのに、いまは月に何度も帰ってきてくれるし……」
「はいはい。あんたの目には、ずいぶんいい男に見えてるんだったな。でも、気持ちはわかる気がするよ」
「イスリーグさんもいい人だものね」
「そっちじゃなくて。宝物。子どもを持つってことの気持ちがね」
頬杖をついて、じっとしているレトを見つめ、カウリアも口元を緩ませた。今日は、夫のイスリーグにキールアの世話を任せてきている。レトよりも半年ほど早く生まれたキールアはいまごろ、夫手製のおもちゃにべたべたお手つきをしている頃だろうか。
表情が柔らかくなっていることにカウリア本人は気がついていなさそうだ。彼女がまた、茶器に口をつける。キールアを授かるまでは真昼から夜更けまで酒瓶を煽っていた彼女が、きっぱりとそんな習慣をやめた。エアリスは、それがなんだか嬉しかった。
「寂しい思いをさせたくないってのはわかるけど、こればかりは、授かりもんだ。一応薬は出しておくけどさ、大丈夫だよ。うちのキールアも同じ歳だし、あたしらみたいに、遊ばせたらいい。勝手に仲良くするだろう」
「ええ。そうね。ありがとう、カラ」
「どうってことないよ。あたしが親友でよかっただろう」
からからとカウリアが笑う。それからは、もっぱら子育ての話で盛り上がった。二人で話していると、子どもの頃に戻ったみたいに時間を忘れた。夕刻には、半泣きのキールアを背負ったイスリーグが、おなじように顔をくしゃくしゃにしながらエポールの家の玄関を叩いたので、二人で顔を見合せて笑ってしまった。
運命のような"その日"は、三月が経ったある冬の夜に、突然訪れた。
二月前に、アノヴァフが仕事に戻ってしまって、家の中には、自分と赤子の二人きりになった。お金のことは夫の収入に頼っていたので、エアリスは一日中、レトと一緒だった。
その日の夜は、特別に寒い風が吹いていた。もう一枚毛布を被せてレトを寝かしつけてから──といってもレトはどこでもすぐ寝る赤子で、夜泣きもほとんどしなかった──寝台に入り、エアリスは、自身も眠りついた。無意識のうちに夢の中へと沈みこみ、こんこんと、意識の深いところに落ちていく。
《エアリス》
──は、と目を覚ます。
頭の奥で不気味な声がして、エアリスは飛び起きた。毛布を強く掴む手にどくどくと血が流れる。心臓は激しく脈打ち、腹の底からは、妙な痛みがせりあがってきていた。
額に浮いた大粒の汗を拭い、エアリスはきょろきょろとあたりを見渡した。
(だれか、私を呼んだ?)
しかし、近くには、赤子用の寝台で眠るレトが、すうすう寝息を立てているだけだ。
そうしているうちにも頭の奥からはじりじりと痛みがにじり寄ってきて、エアリスは、額に手を当てて項垂れる。ぼうっとする視界に、ふいに映像が浮かんでくると、エアリスは意識もなかばに呟いていた。
「泉……」
向かわなくては。"そこ"へ──なぜだか、そんな衝動が身体中を支配して、エアリスは寝台から降りていた。そしてなにかに突き動かされるように、赤子のレトを一人部屋に置いて、上着と明かりだけを持って家を出た。
ふらふらした足取りで、エアリスは村の外れの林道に入っていく。野鳥の群れが、ばさばさと翼をはためかせて夜空に飛び立つ。虫の声と月の光が林道に降り注ぐ。それらに導かれ、エアリスは人気のない道を歩き進んだ。
彼女が辿った道は、林の奥深くにある無人の聖域──"エインドラの泉"に繋がっていた。
水面はまんまるい月の光を抱きこんで、きらきらと眩しく輝き、静かに凪いでいる。ここには、風の鳴き声と、広大な泉と、不思議と心地の良い静けさだけがある。エポールの人間だけが立ち入ることを許された王域であった。女王エインドラに縁があり、"エインドラの泉"と呼ばれているが──その仔細を知る者はいない。
エアリスは、泉のふちに立って、ゆらめく水面と夜の静けさとを隔てる水平線を、ぼんやりと見つめた。
そのときだった。泉の水面が、とくん、とくんと、小さく波打ちはじめる。波はやがて水柱を噴く。ちょうど中央を囲むように水柱が林立し、目を見開いたエアリスの頭の上から、こまかな水しぶきが降り注いだ。
泉の中央に、水が湧く。
ぶくぶくと湧き出で、なにかが隆起する。湧いては沈み、沈んでは湧いて──を繰り返した水は、徐々に形をなしていく。隆起したなにかは、ひだのような水の薄膜を頭部らしきところに被って、そしてゆっくりと水面を滑ってエアリスのすぐ目の前まで躍り出た。
《エアリス・エポール》
エアリスは声が出せなかった。自分が見ている光景は、夢なのだろうか。静かだった泉の水面が突然に変異して、従者のごとく立ち並んだ水柱たちが開けた道を、得体の知れないなにかが悠々と歩いてくる。それは、まるで人間の女性のように細い身体をして、この世のものとは思えない美しい声音でエアリスに語りかけてきた。
《貴方の腹に私の子を宿します。産み育て、いずれ時満ちれば人の剣となり盾となりましょう》
水の女性の声は、それきりだった。エアリスは頭の中がぐらぐらしていて、かろうじて小さな声を絞り出したのに、そのときざあっと強く吹いた風の音にかき消されてしまった。冷たい風がエアリスの肌に突き刺さる。薄く瞼を開けたとき──泉の水面はもう、静かに凪いでいた。
はっと息を吸いこんだ。見慣れた木目の天井が、視界に入ってくる。窓の外からは朝日が注がれていて、毛布の上に淡い光を降らしていた。
「……あ、朝……」
エアリスはゆっくりと上体を起こした。上着は着ていない。足先までしっかりと毛布で覆っていた。
「! レトヴェール……!」
我に返った彼女は慌てて起き上がって、レトの寝ている寝台を覗いた。昨晩、たしかに、彼を置いて家を出た。どうしてまだ幼い赤子を置き去りにできただろう──罪悪感が急に沸騰して、エアリスは心臓が握り潰されるような心地になったが、幸いレトは大人しく眠っていた。寝かしつけたときのままだ。
エアリスは深く息をついて、へたりこんだ。
(夢……だったんだわ)
だんだんと、そんな気がしてきて、エアリスの心が軽くなった。力が抜けてしまって動けなかったが、しばらくすれば調子を取り戻して朝の支度をはじめた。
奇妙な夢を見たことは、すぐに忘れてしまった。朝食の準備をして、なかなか起きないレトをそっと起こして、二人で食事をとって、彼を背中にくくって水仕事や掃除に勤しむ。母親の朝はめまぐるしくて、なにもかもあっという間に片づけていれば、ささいなことには気も留まらない。
玄関の壁にかかっている角灯の中に、短い芯の残った蝋燭が立っていた。
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