コメディ・ライト小説(新)
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- 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
- 日時: 2025/11/29 21:34
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)
毎週日曜日更新。
※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。
*ご挨拶
初めまして、またはこんにちは。瑚雲と申します!
こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします!
*目次
一気読み >>1-
プロローグ >>1
■第1章「兄妹」
・第001次元~第003次元 >>2-4
〇「花の降る町」編 >>5-7
〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
・第023次元 >>26
〇「君を待つ木花」編 >>27-46
・第044次元~第051次元 >>47-56
〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
・第074次元~第075次元 >>83-84
〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
・第098次元~第100次元 >>107-111
〇「純眼の悪女」編 >>113-131
・第120次元〜第124次元 >>132-136
〇「時の止む都」編 >>137-175
・第158次元〜第175次元 >>176-193
■第2章「片鱗」
・第176次元~第178次元 >>194-196
〇「或る記録の番人」編 >>197-
■最終章「 」
*お知らせ
2017.11.13 MON 執筆開始
2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞
──これは運命に抗う義兄妹の戦記
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.190 )
- 日時: 2025/09/28 21:07
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第172次元 その神の名は
「私は、記憶を思い出した」
かちりと、置時計が部屋の隅で針を鳴らす。
落ち着いた声色でロクアンズはそのように口火を切った。彼女は続けた。
「それは生まれてから五年ほどの記憶だけじゃない。いまから話をするのは、私が神族として自覚をしたことで、この肉体にふたたび蘇った……"二百年前の戦いの歴史"」
傍らに控えるコルドが目を丸くしてロクの顔を見た。
「でも、ここですべてを語ることは……できない。……歴史をそのまま語ろうとすると、視点や事象が複雑化して、きっとうまく伝えられないんだ。だから、文字におこした」
ロクが、コルドに視線を投げると、驚いて固まっていた彼は我に返った。コルドは手元に握っていた紙束をはっと思い出したように持ちあげて、室内の視線を集める。
自身を取り囲むようにして立つ、戦闘部班の班員らの視線に向き直って、ロクは「それと」と続けた。
「文書にした理由はほかにもあるんだ。二百年前の出来事を知るか、どうかは、あなたたちに委ねたい。そして……本題はここからだ。どうしても、私の口から語らなくてはいけないことがある」
「それは」
厳しい視線をロクに向けて、セブンが切りこむ。さらに重くなった空気の中、班員たちは、息を呑んで、ひたすらにロクの言葉を待った。
ロクの左の瞳は、いまから大切なことを語るのだという、緊張感を宿した色をしていた。そしてじっくりとセブンに視線を返したあとで、ついにそれを告げた。
「"幸厄"を司る神族であり、すべての神族の頂点に立つ統治者。────【BELEVE】(ベルイヴ)がもうじき復活する」
時計の針が、また一つ、進む。
まばたきも、吐く息もなく、あったのは沈黙、のみだった。
ただ名前を耳にしただけで、本能的に、唇の隙間が締まる。キールアは、こめかみにじんわりと汗が噴き出していて、それがようやく滑りだしたときに、まばたきができて、口を開けた。
「ベ……ベルイヴ?」
「そう。ベルイヴは、二百年前の人と神との争いで、最たる中心人物となった神の名前だよ。……戦いの末に、封印されたんだ。ほかの神族たちと同様にね。でも、いま続々と神族が目を覚ましているでしょう? それは、神たちにかけられた封印が、二百年という時間が経過したことによって、解かれてしまっているんだ。デスニー、ノーラ、アイム、クレッタの四柱はすでに目を覚まして……そして、近いうちに必ず、ベルイヴという、五体めの神も目を覚ます」
前のめりになりかけたロクの手元から鎖の擦れ合う音が鳴った。彼女が口にした、二百年前の人と神の争い──メルギース国において最大にして最悪の歴史であるにも関わらず、"その真相を知る者はだれひとりいない"とされている。多くの謎と秘密を孕んだその歴史のはじまりは、神族からメルギース国民への宣戦布告であった。
『罪を知れ。覚えぬ者は大罪と知れ。人である者たちよ、永劫の時を以て償え』
キールアは、此花隊に入隊して間もなく、次元の力についての勉強を始めると、レトヴェールから神族について話を聞かされた。神族が放ったとされる、その有名な言葉を頭の中で反芻していた。
そのとき、「うぅん」と濁った声で唸ったあとメッセルがいきなり、目をかっぴらいて、大声を出した。
「ああ、ベルイヴって! そういや、ガネストのヤツが、言ってたなあ!」
「ガネストくんが? 彼、なんて言っていたんですか?」
「なんでも、時間の神アイムが、一瞬正気に戻ったときによお。ベルイヴって名前を口にしたってんだ。なんつったかなあ……。ああそうだ! 『人間様』『どうか』『【信仰】』『ベルイヴ様を』……とか、なんとかって、言ってたんだとよ」
メッセルが首を上下に振って、うんうんと頷いていると、残りの班員たちにも実感が湧いてきたのか、互いに目を見合わせていた。メッセルは、ロクと目線の高さが合うようにすこし屈んで、彼女に返した。
「そいつで合ってるかあ? 嬢ちゃん」
「……うん。ガネストが知っていたとは、驚いたけど、間違いないよ」
「じゃあ、神族は、その……ロクちゃんも含めて、全部で六体なの?」
「そうだよ。ヘデンエーラは、神族を生んだ神様だから、厳密には、神族とは異なる存在になる。だから、彼女が造った"神族"とされる存在は、すべてで六体で合ってる」
ロクは頷いた。そのとき、ロクが動いていないのに、手枷から伸びる鎖が、しゃり、と音を立てた。鎖を掴んでいる手を口元にあてて、コルドが思い出したように呟く。
「そういえば……。ノーラと相対して、レトヴェールがデスニーの居場所を訊こうとしたとき、奴は言っていた。『【運命】の居所は知らない』、『二百年という時が過ぎた』……と。奴が言っていたのは、そういう意味だったのか。二百年間、身動きがとれなかったことで、ほかの神族の所在を知らなかった」
「それなら、ノーラが言っていた、【信仰】は……? その、幸厄を司る神族を指していたのでしょうか?」
「おそらくは」
言いながら、次はコルドが、ロクに視線をやった。ロクはまたこくりと頷いて返した。室内にはいまだ緊張の糸が張り巡らされているが、副班長たちは思い思いの見解を口にし、徐々に空気は和らいでいくものと思われた。
しかし、執務机の上に肘をつき、静かに話を聞いていたセブンが鋭い声を発したので、雑音ごとさあっと消え去った。
「話は理解した。要は、ベルイヴという神族の復活が迫っており、対処しなければならないと君は思っているということだろう。一応訊こう。復活する前に斃す術は」
「それは……できないと思う。そもそも、封印されている場所まで、行けないんだ。場所がどこかは……説明がしづらくて。とにかく簡単に足を踏み入れられるところじゃない」
「そうか」
「……信じてくれるの?」
若草色の瞳だけで、ロクはセブンを見つめた。セブンは、それによって表情を一片も変えることはなかったが、机の上で置き去りにされていた甘みのない紅茶にようやく手をつけた。
「いま、私はおそらく君に感情操作をされていない」
「……」
「君の発言の一つ一つに思考を巡らせているところだ。どう判断したものか、と。が、此度の件に関しては、ただ君を信用できないの一言で突き離してしまえないと判断した。真実であっても虚偽であっても、我々は脅威の可能性を捨ててはならない。事実、神族は近年になって初めて我々の目の前に姿を現し、そして幾度と襲撃を受けてきた。まだ未知の脅威がどこかで隠れ潜んでいると仮定して動きをかけておけば、不測の事態に見舞われたときに被害を最小限に抑えられる」
紅茶の入った陶器を、そっと受け皿の上に帰してやって、セブンは言った。彼の立場からいっても、神族の情報をより多く集めることが急務となっている。もしも神族の目覚めを予測できていたのなら、いくらでも対策の取りようがあったし、エントリアが壊滅する事態に陥ることはまずなかっただろう。不自然なほどに、現代を生きるメルギース人たちは、神族について無知なのだ。セブンはそれを大きな懸念とし、弱点だと自覚していた。
だからたとえその情報源が神族の口からとなっても、一度は喉元を通し、呑みこむ。エントリアのような悲劇を繰り返さないためにも。
セブンはふたたび顔の前で指を組むと、続けてロクに質問を投げかける。
「いくつか質問をする。"幸厄"とはどのような意味を持つ? 幸厄が、ベルイヴの能力にも直結しているのか?」
「"幸厄"というのは、人の身に降りかかる幸福と厄災を指すんだ。ベルイヴはこれらを人間に与え、生きる幸せを覚えさせ、乗り越えるべき試練をもって人の成長を促す存在とされるのだけど……ベルイヴの能力はそれとは異なり、【信仰】と定義づけられている。その力の実態には、おそらく無限の可能性があって……。言えるのは、ベルイヴは"信仰心を強制的に向けさせる力を持っている"、ということだけ。みんなも、それについては、目の当たりにしたことがあると思う」
ロクに指摘されると、副班長たちの目元が揃って、あることに思い至ったようにはっきりした。これまでの神族との戦いの最中に、幾度となく、神族が突然に変容する様を彼らは見てきた。神族らは変容する直前、共通して、「信仰しろ」──と口にする。まるで呪いの言葉のようだった。それを発すれば、たちまちに神族らは狂暴化し、さらに手のつけられない存在へと進化する。その実態はベルイヴの能力【信仰】によって強制的に力を発揮させられたものだったのだと、腑に落ちたのだった。
「強制性を持った求心力、か……。事実であれば、じつに厄介だな。それについて、対抗手段はあるか? 君はどのように考える」
ロクは、記憶を取り戻してからずっと、ベルイヴについて考えていた。牢の中で焚き続けていた、繰り返し想像した──それをようやく、吐露する。
「来る日に備えて力を蓄えることだ。できるだけ多くの次元師を一か所に集め、結託し、意志を通わせ、力をつけるんだ。神族に対抗できるものは、次元の力しかない。そして信仰に立ち向かえるのは、強い意思だけだ。ベルイブは、必ず復活する。不屈の意思と高い戦闘力を持った次元師を一人でも多く育てあげること、これがこの先、神族にこの大地を、尊い命を、未来を蹂躙されないために私たちがしなければならないことだ……!」
背中に隠れている手が、ぐっと強く握りこめられる。かすかに鎖の擦れ合う音が立ったのを、コルドは聞いていた。
眉間をきつく寄せ、厳しい顔つきをしているロクを、セブンは見つめた。見つめたセブンもまた、目元に一層の険しさを宿しており、一段と低くなった声でまた一つ問う。
「では、ハルエール。いまだからこそ、訊こうか。そうした先に、ベルイヴを斃すことができると……そう考えるのなら、いや、君自身が神族なのであればわかっているだろう。神を斃す方法。心臓を与えそれを破壊する以外の、決定的な術を」
心臓を与える以外に、神を斃す方法があるのなら。
此花隊の次元師たちは、たった二回の戦いの中で、数えきれないほどそれを願っていた。心臓など持っていないと、クレッタから聞かされたときの絶望感がまだ舌の上を転がっている。それがわかるのなら、喉から手を出したって掴みたかった。
ロクは一呼吸分、考えたあと、告白した。
「ある。神族にしか使えない、確実な方法が一つだけ。私はそれでアイムを斃したんだ」
「……!」
「神族が、各々持っている能力とは別の特殊な力……"呪記"。そう、呪いの力だ。これの"零条"……ヘデンエーラが、六体の神族全員に与えた、同士討ちの権利。だけどもとは、同士討ちをさせないようにしようという、ヘデンエーラの計らいがあった。この呪いの力を神族全員が握っていることで、神族は互いの命を脅かし合える。神同士の争いが起きないように、あえてヘデンエーラが与えた力だけど……結果的に、そうも言っていられなくなった。心臓を持たない神族を斃すには、この呪いを行使するしかない」
次元師の班員たちは、口にこそしなかったが、愕然とした。次元の力だけでは、神族を完全に葬ることはできないのだと、突きつけられてしまったからだ。それを察したか、ロクが続けて言った。
「それを使うにしても、呪いを唱えただけで斃せるなら、二百年前に戦争は終わっている。重要なのは、神族と戦いを続け、消耗させることなんだ。彼らは桁違いの力を持っているけれど、力は使えば消耗する。だから、彼らと相対し続けられるほどの実力が必要不可欠だ」
「……つまり、やはり君にしか、君以外の神族を斃すことは不可能であり、かつ我々人間側に協力を望むわけだな」
ロクは、口を噤んだ。その口から確実な方法を聞かされたわけだが、どうにも、セブンの顔色は晴れたようにならなかった。彼女の発言の是非は、慎重に判断しなければならない──。
一度話題の隅に置いておくとして、セブンは一つ瞬きをすると、いよいよ真に迫った表情に変わった。
ぴり、と、電気をまとっているわけでもないのに、肌が粟立つ。彼の視線ひとつに、ロクは息を呑んだ。
「最後の質問だ。ベルイヴの復活の時期を、想定できるか」
「……──おそらく、年を越して、三月ほど」
ロクが言いにくそうに、ゆっくりと答えると、間髪入れずに、メッセルが口にくわえていた飴玉の棒を掴んで、むせた。息を呑むと同時に飴を吸いこんで、喉奥に閊えてしまったのだ。動揺したのはメッセルだけではなく、ロク以外の班員たちは揃って目を丸くしていた。
「はア!? お前さんそれ……ほとんど半年しかねぇってことか……!? その神族が復活するまでによお」
「う、嘘……そんな……」
フィラはつい手元に視線を落とし、指折って、月日を数えた。しかし何度数えても、ほとんど年の半分ほどの日数にしかならなかった。
ただ一人、セブンは厳しい目でロクを睨んで、机を叩く勢いとともに椅子から立ち上がった。それかららしくもなく語気を荒げる。
「なぜもっと早く言わなかった」
「……」
「いや、違う。愚問だ。私が君を信用していないからだ。このままでは埒が明かないと思い、告白に踏み切った。そうなのだろう」
がっくりと首をもたげて、セブンは自己だけで話を終わらせてしまうと、すぐに座り直した。そして机の上を、とんとん、としきりに指先で叩きながら、仕切り直す。
「数えで約半年。来年の三月だな。わかった。早急に動きを取る」
「は……はっ。班員一同、心して備えます」
「ハルエール。ほかに、我々に伝えることは」
「もう、大丈夫」
セブンはそれを聞くと、前のめりになっていたのを正して、椅子の背にもたれかかる。それからロクと、コルドを順番に見やって告げた。
「では下がりたまえ。コルド副班長、ハルエールが書いたというその文書は私が預かる。彼女を地下へ」
「は。……レトヴェールにも、いまの話を」
「私から話をする。この件に関しては、班長の私の口から伝えなければならないだろう。話は以上だ。各自、持ち場へ戻るように」
四人は、隊礼をして執務室から退出した。扉の締まる音がしてから、セブンは手元でとっていた調書をじっくり見下ろし、筆の先で、また何度か紙面を突く。
筆を調書の傍らに置くと、コルドから受け取った文書を手に取った。紙束は随分と分厚かった。
二百年前の神と人との戦の原点、その背景はいったいなんだったのか──セブンは当然のように知りたがった。だのに、一向に、表紙をめくる気持ちになれなかった。読むかどうかの判断は委ねる、と言ったロクの顔が、このときふっと脳裏に蘇った。
(──なぜ、彼女は、まだ完全に信用されていないとわかっていて、これを書いた?)
いくら大層な歴史が綴られていようとも、媒体はただの紙にすぎない。
セブンの一言があれば、簡単に燃えてなくなってしまうような代物を使って情報を差し出してきた意味を、彼は探ろうとした。
(もしもこの文書の存在自体に……別の意図があるのなら。まだ、そのときではないのだろう)
セブンは胸の内袋から小さな鍵を取り出すと、錠のついた引き出しに差しこむ。そして引き出しを開けて、そこへ文書をしまいこんだ。
二日後の朝、セブンは整えた調書を携えて、レトがいる部屋へと向かった。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.191 )
- 日時: 2025/10/11 15:03
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第173次元 復帰
変わり映えのしない狭い部屋の中で、神族ベルイヴの復活の話を粛々と伝えられたレトヴェールは、最後まで静かに耳を傾けていた。復活の時期はもう目前に迫っており、話を聞いたばかりのレトにも、事態の緊急性を飲みこめた。セブンは息をついてから、脚を組んだ。
「私の提案に応じるまで、君をこの部屋から出さないつもりだったが……状況が変わった。今日から処分を解くよ。だがしばらく監視はつけるし、行動も制限する。悪く思わないでくれたまえ」
ただでさえ人手は足りていないし、近頃では、クレッタの影響か、カナラ近辺でたびたび元魔の目撃もされている。次元師が二人も席を空けてしまったうえに、さらにレトをこの部屋に縛り続けておくのは得策ではない。
すぐに頷くかと思われたレトが、視線を床のほうにやって、黙ったままなので、セブンはまた口を開かざるを得なかった。
「信用していないのかい? まだここにいたいというのなら構わない、と言いたいところだけれど……いまは一人でも多く、次元師の手が借りたいところだ。指示に従ってもらうよ、レトヴェール。君はカナラの、北側の警備を担当すること。あと、先日街中に元魔が出現してね。被害を受けた区域で復元作業が行われているから、現地の援助部班員に声をかけて加わってくれ。手が空いたら、エントリアからの避難民が滞在している施設を回るように。まだまともに動けない避難民も大勢いるんだ。現地の医師や、医療部班員たちは夜通し看病をしていると聞く。すこしでも負担を吸い上げてくれ」
レトはまだ、セブンと焦点が合わずにいた。しかし、わざと返事をしないでいるというよりは、長らく考えごとをしていたのだった。セブンが肩を竦めかけたところへ、レトは顔を上げて、言った。
「そうじゃない。あんたの言う条件で、提案に応じようかと考えてた」
セブンは瞬きをした。エポール一族が所有している屋敷一帯──ひいては、レイチェル村の土地の一部を此花隊に貸与する代わりに、レトの身柄を解放する。これが、セブンが最初に差し出した提案だった。望み薄だろうとなかば諦めていただけに、もう引き出しにでもしまいこんでしまったそれをレト自身によって取り上げられると、やや拍子抜けをした。
「こちらとしては、願ってもいないが。いいのかい、私からの提案には、ハルエールの解放は含まれていないよ」
「ああ、いい。それなら、俺に監視も行動の制限もないんだろ」
「いいだろう。交渉成立だ」
満足げに笑って頷いたセブンの顔を、レトは訝しむように見つめた。監視も制限もなしにレトを解放すれば、ロクアンズと接触する危険性は高まるのに、その点についてはセブンはさほど懸念していなさそうだ。ロクの監視役をしているコルドを信用しているのか、はたまた、危険性と天秤にかけてでも拠点の確保は急務だったのだろう。考えてみれば、先にセブンが告げたように、エントリアの避難民の中でも身動きのとれない者はまだ多くいて、場所が足りていないのだ。イルバーナ侯爵家から借り入れているこの屋敷も近いうちには返還したいのだろう。
寝台に腰かけるレトの目の前で、足を組んで椅子に座っていたセブンが「さて」と息をついて、足を正した。
「隊服はね、一階の、裏口に近い部屋で預かってもらっているよ。君の血と土の汚れもそうだし、損壊がひどくてね、援助部班の清掃班が直してくれたはずだから、回収してくれ。ほかに質問がなければお暇するよ」
「じゃあ、一つ。ロクはほかになにか言ってたか」
訊ねられると、セブンは、先日コルドから手渡された報告書の文面を思い出すように、視線を宙にやった。
「……元魔について、すこし奇妙な報告を受けたよ。先日エントリアに元魔が出現し、飛竜の元魔が二体、共食いを始めたそうだ。これまでに前例がないことだね。そして完全な共食いは阻止できたものの、体色が、黒から灰色へ変容していく様子を観測した。これについては、その場に居合わせた警備班の班員たちからも話を聞いたけれど、間違いなさそうだ」
「元魔も変色をしたのか?」
「ああ、まるで。神族みたいだね。もう一度エントリアを見て回りたいというから、今日はフィラと二人で向かってもらっているよ」
レトの指先がぴくりと跳ねた。
部屋の時計を見やったセブンが、もうレトの口からも質問が出てこないことを悟ると、椅子から腰をあげて、言った。
「長居してしまったね。私はこれで失礼するよ。指示は話した通りだ、準備を整えたら持ち場につくように。あとは、村の件を頼んだよ」
「ああ」
セブンが部屋をあとにして、扉が閉まると、レトは立ち上がった。隊服は一階の裏口近くの部屋に預けてあると言っていたから、準備を終えたら向かい、その場で着替えてしまって、外に出るのが早いだろう。
このあとの動きを頭の中で整えていると、そのうちにも、病衣を軽装に取り替え、黒の髪紐で結った結び目に、隠すように鍵を差した。
(……おそらく、今夜だ)
部屋の扉を開いて、外へ出て行くレトの顔つきは、鋭く引き締まっていた。
さきほどまで着ていた病衣を片手に抱えて、レトは応接室へと向かった。いまは次元師専用の医務室だから、キールアが常駐しているはずだ。向かえば、室内にいたのはキールアの一人だけだった。しばらく休養していたメッセルも、動けるようになると任務につき始めたので、キールアは応接室の清掃に取り掛かっていた。いまだ別室で溢れ返っている負傷隊員たちに部屋を明け渡すためだ。彼女は窓硝子を拭いていて、部屋に入ってきたレトと目が合うと、驚いていた。
「レトくん。一人、なの?」
「ああ。処分は解かれた。このあと出るから、声かけに。ついでに、着てたもんは、お前に預けていいのか?」
キールアは窓際に布巾を置いておくと、レトの目の前まで歩み寄った。そして前掛けで手元を拭うと、彼に向かって両手を差し出す。
「うん。預かるよ。洗濯をするから」
「ん」
病衣を手渡すと、レトはぐるりと肩を回した。その様子を見て、キールアは訊ねる。
「調子はどう? もう平気?」
「平気。つうか、俺があの部屋にいた間も、お前が診てたんだから、わかるだろ」
「そうだけど。痛みはもうないのかなって」
「ないよ。動きづらいだけ」
「え? でも、傷は……」
おおむね、傷の処置は終えたつもりだったけれど、まだ皮膚が張るような傷跡が残っていただろうかと、キールアがレトの頭のてっぺんから足の爪先まで視線を滑らせていると、頭上からレトの声が降った。
「班長から話を聞いた。ベルイヴって神族が、半年もしないうちに、復活するとかって」
「……うん。そうなんだってね。驚いたよ」
「ロクから直接聞いたんだろ。あいつの様子はどうだった」
「ロク? 何度か、元魔を討伐しに出てたり、襲われたりしてたみたいだけど、その日は元気そうだったよ」
「そっちじゃなくて……」
「あ。ああ、ごめんね、そうだよね」
ロクに怪我や体調がないか、いつも気にかけていたからか、つい「元気そうだった」なんて返事をしてしまったが、レトはベルイブの話を聞かせにやってきたときのロクの様子を知りたいのだろう。すぐに気がついたキールアは、気恥ずかしそうにすこし笑って、作業台の脇に置かれた竹籠の中に、病衣を入れた。
「やっぱり、大事なお話をしていたからかな。顔つきはすごく真剣で、どこか大人っぽく見えて……でも、なんだか……」
「……」
「……なんていったらいいのかな。ふっきれたような、そんな顔してた」
キールアは作業台の上に手をついて、頭をもたげていた。耳の下で結んだ二束の髪が、物寂し気に垂れ下がっている。彼女は作業台の上にぽつりと置かれた封筒に触れて、指先で撫でていた。
「それは?」
「ひゃあっ」
キールアの肩越しに顔を覗かせたレトが、そう彼女の顔の傍で囁くと、キールアは髪先を跳ねさせてびっくりした。その拍子に、封筒の端を思わず握ってしまい、くしゃりと紙のひしゃげる音が立つ。キールアは慌てたように、封筒について説明した。
「あ、こ、これはね、本当は、ロクに渡したかったの。でも、コルド副班長に受け取ってもらえなかったんだ。会えないなら、せめて、お手紙で気持ちを伝えられたらと思ったんだけど……。上手くいかないね。どうせ渡せないのに、捨てることもできなくて、このまま」
「俺が捨てといてやろうか」
そう言うと、レトはキールアの手元から封筒を取り上げる。キールアは封筒の行方を目で追って、ぽかんと口を開けたものの、言葉を詰まらせた。
「え? で、でも」
「嫌なら返すけど。捨てられないんだろ」
「……ごめんね、なんだか、いつも変な頼みごとをしてるみたいになっちゃって」
「言われてみればそうだな。次はもうちょっと、ましな頼みごとにしてくれ。どうせまともに寝てないんだろうしな」
レトは、キールアの顔に片手を伸ばすと、指の背で彼女の前髪をよけながら、目元の隈をなぞった。触れたのか、触れなかったのか、一瞬だったのでキールアはわからなかった。呆然としていると、レトは手紙を片手に、扉に向かって歩き出していた。
「も、もう行くの?」
「ああ。仕事の邪魔して悪いな。また来る」
こともなげにレトはそう言って、作業台の前で棒立ちしているキールアを残し、応接室をあとにした。
隊服と『双斬』専用の空の鞘とを、裏口付近の部屋──物置部屋を清掃し、解放した場所──で回収して身支度を整えていると、随分と長いこと、任務から離れていたのだと思い知らされた。敵にも味方にも会えない、孤独な部屋の中では、考えごとばかりしていた。いまもしている。
(まずは街の北側。あらかた見て回って、状況が把握できたら、街の作業現場に。日が暮れるより二刻ほど前に出発をして、レイチェル村の村長に話をつけにいく。そう遅くはならないはずだ)
それから。腰に装着する鞄に、短刀や薬、清潔な布、携帯食料、手紙を詰める。最後に靴を履いて、つま先をとんとんと鳴らしてから、きつく紐を結んだ。部屋にぽつんと置かれた丸椅子から立ち上がると、部屋を出て、さらに裏口の扉から外へ出る。
何十日ぶりに対面した太陽は、雲ひとつない青い空の真ん中で燦燦と輝いていた。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.192 )
- 日時: 2025/10/12 20:57
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第174次元 帰郷
カナラ街の北側を回っていると、レトヴェールは、どこを歩いていても厭な視線をやられた。そのほとんどは、街中で往来している此花隊隊員だった。副班長以上の隊員しかいなかったはずの緊急会議のときに貼りつけられた「神族ロクアンズに心酔している最たる狂信者」なんていうくだらない肩書きは、いまや、隊全体に広まってしまったらしい。どうせ、会議に参加した隊員のだれかが吹聴したのだろう。
だから巡回を終えた正午過ぎに、復旧現場に向かうと、作業人の警備班班員たちからもやっかまれた。現場を取り仕切っているひときわ大きな身体をした男が、にやにやした顔つきで、小柄なレトを見下ろして言ったのだ。
「ああ、あんた、エポールの。部屋で神にお祈りを捧げて、そのまま出てこないもんだと思ったな」
「悪いがここで布教活動でもされちゃあ、困るんだよ。それに、そんなひょろっこくて、まともに仕事ができるかよ」
男たちは、どっとはしたなく笑った。作業の手を止めてまで他人に文句を言いたいくらいには鬱憤がたまっているのか、とでも切り返してやりたかったが、レトは浅く息をつくだけでなにも言い返さなかった。
重労働は任せてもらえず、仕方なくレトは、男たちとの会話もほどほどに必要物資の調達に回った。現場を観察し、足りないものを把握して、さらに余計な反感を買わないように注意して動くのは、ふつうに働くよりもずっと疲れてしまった。
この日に使う分の、十分な資材を集めておくと、レトは次の仕事があると男たちに告げて、さっさと現場を立ち去った。彼らは厄介者がいなくなるとわかってせいせいした顔をしていたが、作業は今日この日に終わるわけじゃない。明日もまた来る予定だが、レトは意地が悪いので、あえて言わなかった。
カナラを出発して、久方ぶりになる故郷への道を歩いた。といっても、カナラとレイチェル村の距離はほど近い。村人が街へ買い出しに行くとなったら、真っ先に向かうのがカナラだ。幼い頃は、レトもよく母から買い物を頼まれて、カナラへ足を運んだものだ。
舗装された林道を抜けると、開けた空間に出た。澄んだ風の匂いが、レトの鼻腔をくすぐった。視界いっぱいに、懐かしい田園風景が飛びこんできて、レトは腕をぐっと伸ばした。
小高い丘を下っていって、川沿いの道につくと、足がぬかるんだ地面を踏みしめる。
夕焼けの色と、すいすい泳ぐ小魚の鱗できらきらと輝く川面を眺めていると、なにがきっかけだったか──ロクアンズと喧嘩をして、それで洗濯物が汚れてしまって、母のエアリスから一緒に洗濯をしてきなさいと怒られた日のことをふと思い出す。しぶしぶ二人で川辺に足を運んで、そこでまた口喧嘩に発展したが、家に帰ってきたときにはなんとなく和解していた。いいや、記憶の引き出しをあれこれ引っ張ってみる。一緒に洗濯をしたから仲直りしたんじゃなかった。村の悪ガキたちがやってきて、ロクが一方的に悪口を言われたのに腹が立って、柄にもなく対抗したのだ。そしたら悪ガキたちの矛先は自分に向かって、また悪口や暴力のやられっぱなしが続いた。
ロクはあのとき、赤い実の果汁を頭から被ったかと思うくらいに顔を真っ赤にして、言ったのだ。
『あたしの、おにいちゃんだから、わらったりしたら、ゆるさないから!』
よくもまあ、冷たくあしらってくる義兄を庇えるものだと、そのときは半分呆れたが──お互い様だった。
突然現れたへんてこな生き物に母を奪われたようで、だから嫌いで、つっけんどんな態度が得意だったのに、このときからもうどんな文句を言っても、ロクはけたけたと楽しそうに笑うばかりになった。
川底で寄り添い合っていた二匹の小魚たちの、一匹が、ふいに早泳ぎになって下っていく。
村の端に構える、古い木造建ての家を訪ねると、その老齢の男は、目尻にしわをたたえて笑顔で出迎えてくれた。村を出立してから二年ほどしか経っていないのに、立派になったなどと言われてもぴんとこなかった。出されたお茶に手をつけず、さっそく此花隊への土地の貸与の話を願い出ると、村長は恭しく頭を垂れた。
「かしこまりました。イルバーナ侯爵様へご連絡の折には、私サガシムの名を連ねおきください」
「助かる。あなたの口添えがないと、たぶん動きが悪いだろうからな。最悪無視される可能性もある。そうさせてもらう」
「私どもは、大切な土地をお守りさせていただいているだけにございますから。貴方様のお決めになられたことに、全霊をもってお応えするのみです」
「そうか」
話がまとまると、レトは丸い湯呑みに手を伸ばした。口元に近づけていけば、湯気とともに立ち昇る香りでなんの茶であるかを察して、あやうく渋い表情になるところだった。この苦い果樹の葉を煎じたお茶は、風邪をひくと食前に出されたものだ。すぐにかっと身体が温まる利点がある反面、とにかく香りと苦みが強いので、レトは少々苦手な口だった。
「申し訳ありません、そちらのお茶しかお出しできず。苦手でいらっしゃいましたよね」
「……顔に出てたか?」
「ああ、いいえ。昔、こちらに遊びにいらっしゃったときに、ご兄妹揃って、おなじ顔をなされたのを思い出したのです」
サガシムは朗らかに笑った。母に連れられて、ロクとともにこの家に遊びに来た日の記憶がほんのりと蘇る。彼の妻に出されたこの茶があんまり苦かったので、その記憶が強烈すぎて、ほかになにをして遊んだだとか、どんな話をしたかとかは正直覚えていなかった。
湯呑に浮かぶ細やかな茶葉を眺めてみると、そのときのロクの表情が鮮明に思い出される。まるで目元をばってんにするみたいに顔をくしゃっと縮めて、淹れてくれた人がいる手前なのに大声で、ニガイニガイと騒ぎ立てたのだ。声を発さなかっただけで、レトだって思い切り顔に出ていただろう。
「本日は、妹様とご一緒ではないのですね」
「悪いな。連れてこられたらよかったけど」
「いいえ。またあの元気なお声が聞きたかっただけにございますから」
サガシムはそう言ったが、寂しそうに目尻を下げていた。レトは、黙って湯呑に口をつけた。
だんだんと日が傾いてきて、夕餉の支度の音が聞こえだすと、レトは湯呑に残った茶を最後の一口にして、ぐっと煽った。椅子から立ち上がって礼を告げたレトに、サガシムは言った。
「つい先日、お家のお掃除をさせていただいたばかりでございます。お忙しくなければ、立ち寄っていかれてください。きっと、エアリス様もお喜びになられるでしょう」
「……ああ、そうする」
サガシムは、玄関の外でレトを送り出して、影も見えなくなるまで低く頭を下げていた。
外はもう、すっかりと、夜を迎える準備を始めていた。
庭の雑草の丈は大人しく、家を出たあとも、サガシムや彼の奥さんによって手入れされていたのだろう。玄関の扉に向かって点々と敷かれている、石の敷板には土の汚れのひとつもなくて、石と石の間の距離を跨いでいきやすそうだったが、さすがにもうしない。石の敷板は高さがないし、そもそも石から足が外れたって底なしの沼に落ちるのでもなく、土を踏むだけだ。わざわざ跨ぐ必要はもうなくなったので、気にせずに玄関まで歩いた。
家の中も、薄暗いが、埃は舞っていなくて、綺麗に片づけられていた。巣立った日とおなじ木の匂いが鼻先に降る。女物の靴と、二回りほども小さな靴が二人分、玄関にある。居間の広い食卓の上に、主人のない花瓶が立っている。四人分の椅子が整列する。奥の調理場に、底の焦げた鍋と、空っぽの小瓶が並んでいる。
物はすこし減っていた。自分たちが出て行くときに、もたないものは捨てたのだから、当然だ。
食卓の机にはなにも並べられていない。けれども手が伸びて、意味もなく、指先で触れてみた。
ふいに夜風が、背中を冷たく押した。
「玄関を開けたままにするなよ」
声にはっとして、振り返る。玄関の扉の奥から、月の光が漏れ出していた。
「そんなに日は経ってないはずだけど、随分と長いこと、会ってないような気がするな」
「……」
彼は手提げの角灯に火を点してから、玄関の扉を閉めた。窓硝子をすり抜ける光も差しこんでくるので、明かりは十分だった。彼の顔ははっきり見えた。
食卓の机まで近づいてきて、角灯を置き据える。彼はいつもと変わらない仏頂面を向けた。
「久しぶりだな。ロク」
静かな声が、エポールの家の中に落ちた。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.193 )
- 日時: 2025/10/19 22:01
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第175次元 太陽と月
ロクアンズは、若草色の左目を大きく見開いた。まるで、こともなげに吹きこんできた風みたいに現れた義兄のレトヴェールの頬を、角灯の明かりがほんのりと照らす。
彼の均整の取れた横顔と、ほのかな暗がりが、いっそうの物静けさを形作る。だからなのか、彼が腰から提げた小鞄の中をまさぐる物音がやけに響いた。
「どうして……」
食卓の端に置かれた角灯の火がゆらめく。
つい、そう口から出たときに、レトは、探していたものが見つかったらしかった。鞄の隅から引き抜いて、彼はロクの目の前にそれを差し出す。
「これを渡しに来た。キールアからお前に」
ロクの視線が吸い寄せられる。キールアがロクに宛てて書いた手紙だった。封の端に歪んだ跡があるが、皺は丁寧に伸ばされていた。ロクは呆然とそれを見下ろした。
「そういうことじゃない」
「知りたいなら教えてやる。お前がこいつを受け取ったらな」
ロクは、しばらく微動だにしなかったが、やがて手を伸ばして、封筒の端を掴んだ。彼女が受け取ったのを確認してから手を下ろしたレトが、机の端面に腰を預けると口を開いた。
「簡単なことだ」
玄関の扉の脇には、物入れ棚が据えられていて、その上には二人が作った編み物人形の力作やら、川辺で拾った綺麗な石やらが並べられている。棚の真上に視線を滑らせれば窓がついていて、外の景色がよく見えた。レトは窓の向こうを眺めて、いつもの、突き放すみたいな、それでいて諭すみたいでもある、冷たく聞こえる言い方で続ける。
「お前が、いまになってベルイヴの話をしだしたのは、切羽詰まったからじゃない。逆だ。最初から、話をしたら出て行くつもりだった。さっさと話をしなかったのは……それを班長たちが信用するに値する条件が揃わなかったから。そんなところだろ」
「……」
「お前の考えてることくらいわかる。いまから、どっか行こうとしてるってことも」
窓の外にはただ広い草原と、どこまでも深い夜の静けさがこんこんと広がっていて、吹いた風が吸いこまれていく。
レトは、ベルイヴという新たな神族の存在と脅威とを伝え聞いたときに、勘づいていた。いよいよロクは、重要な予言を渡すだけ渡して、すぐにでも行方をくらまそうとしているかもしれない、と。だからレトは、どうしても、今日この日に自由にならなければいけなかった。ただの直感だ。けれどロクは、いた。彼女はエントリアの調査を口実に外へ出て──エポールの家にやってきた。
とっくに瞳の奥を探られていた。もう隠しようもないのに、ロクはレトと目を合わせられなかった。
そして、ずっと訊きたかったことを吐いて出した。
「……いつから……私が神族だと、知っていたの?」
レトは、隠さずに語りはじめた。訊かれなくとも、自分から話すつもりでいた。それはキールアにも聞かせた、ロクが初めて次元の扉を開いた日に目にした、右目の赤さと恐ろしさの記憶だ。
このとき唐突に、ロクの脳裏に、レトと過ごした日々の一瞬一瞬の景色が、色濃く蘇る。
母を亡くした日の空の色を、神族デスニーを斃すという誓いを胸にはじめて隊服に袖を通した感覚を、ともに肩を並べて戦い作った傷の痛みを、旅先で目に焼きつけた景色と吸いこんだ匂いを、譲れなかった口喧嘩を、隊の鍛錬場で向けられた切っ先が恐れるに足らなかったことを、本物以上の兄妹になれると言ってくれたときも、レトはロクが神族だと知っていた。
知っていて言わなかった。
ロクは、だんだんと眉をきつく寄せていって、やがてレトの話がひと段落つくとともに、立て続けに問いかけた。
「ずっと黙っていたのはどうして」
「言っても言わなくても、どっちでもよかった。けど、きっと母さんは知っていて、わざとお前に言ってないんだと思ったから、俺も言わなかったし、どの道必要なかっただろ」
机の端を指先で撫でて、レトは家の中を振り返った。幻覚が目に浮かぶ。小さな二人の影が、あちこちと家の中を駆け回っていると、台所からまた一人の影が伸びて、柔らかく微笑むのだ。三人の幻影は、レトが小さく息を吐けば煙のように霧散して、すぐに深い静寂が帰ってくる。
「血が繋がってなくても、次元師でも、神族でも、この先もう何者になってもたいして変わんねえよ。お前は何年経っても母さんの娘で、俺の義妹だ」
ロクは表情を歪めると、数歩後ろに下がって、手紙を持っていないほうの手で胸を抑えて言った。
「違う。もう、違う。現実を見てよ、レト。私のことがわかっていたなら、目を逸らさないでいて。あなたと私はもう違う生き物なんだ。人間と、神族とじゃ、息の仕方も、血の色も、身体の形も、愛するものも、ひとつひとつ違っていく。その違いが、離れていくことはあっても、戻って合わさることはない」
ぶら下がった手元から、ぐしゃりと音が立つ。ロクは手紙を握り締めていることを自覚していなかった。そんなロクの手元を見やって、レトは怪訝な顔つきになると、ふたたび彼女の目元へと視線を返した。
「……つまんねえしゃべり方をするようになったな、お前」
レトは低い声で言って、さらに目の端を尖らせた。もうずっと、癪に障っていた。明朗快活な口調でもなければ声色も落ち着いて、ロクは話し方さえもまるで別人みたいに変わってしまったようだった。そうしてわざと周囲の人間を拒絶しているようにレトには聞こえていて、だから、思わず声を荒らげて畳みかけた。
「たかが目開いて、自覚したくらいで、突然神様気取りか? 違う違うって……ならなんでここに来た! とっくに踏ん切りつけたみてえな言い方しておいて、まだぐちゃぐちゃ引きずってるから、ここへ来たんだろ。捨てきれてないんだろ、お前は!」
静寂に包まれていた家の中に、レトの怒声が波紋のように響き渡る。ずかずかと、床を蹴りながらレトが歩きだせば、足元から軋む音がした。
ロクは、まだ俯いていた。
下を向いていれば、床板にいくつも小さく欠けたところがあるのが、見えた。
額がくっつくほどの距離になってもまだロクが目を逸らしているので、レトは、勢いを止められなかった。
「中途半端なことするくらいなら逃げるんじゃねえよ。ここで苦しんで、戦っていろ。お前は不必要に自分を責めて、大層な言い草で逃げ道を作って、それで楽なほうへ自分だけでけりつけようとしてるだけだ。お前が目を逸らすなよ、ロクアンズ!」
ロクの手首を捕まえて、引っ張ると、ロクは無理やり顔をあげさせられた。
二人の目が合う。
レトだってこんなことを言ってやりたくはなかった。ロクには、過度に己を責めるきらいがあるが、人の話を聞かない人間じゃない。大層な言い草をしているのは見ていればわかるが、丹念に逃げ道を作ることはしない。けりをつけようとはするけれど、楽な道も選ばない。頭ではわかっているのに、レトには、まるでここで初めて会った人物と会話をしているみたいな手ごたえのなさがずっとあった。義兄の自分にさえ壁を作ろうとする彼女の態度がもどかしくてたまらないのだ。だから、言う予定のなかった厳しい言葉が次から次へと口をついて出た。
ロクは唇を噛み締めていた。下瞼にぐっと皺を寄せた目つきで、突き返す。
「離して」
「じゃあ振りほどけよ」
「あなたは私には敵わないよ」
呟くように言ったロクの手首が、さらに強く掴まれる。レトは凄んだ声で、言い返した。
「ああ、やってみろ。受けて立ってやる。言っておくけど、行かせる気はない」
ばちり、と。緑の目と、金の目との間に、電気の糸が奔る。
──黄金の雷光が瞬く。掴まれたロクの手から猛烈に湧きあがった雷撃の余波が、二人の髪の毛を嬲って乱す。翻った前髪の下からは、右目に巻かれた包帯が解けて、赤い瞳が現れた。
電糸が飛散する。食卓の上の角灯、続いて花瓶が、ぱりん! と音を立てて割れた。棚の上の人形が、石が、弾け飛ぶ。扉には雷の爪痕が奔った。天井も床も壁もあらゆる家中の物が、がたがたとわなないて、悲鳴をあげるようだった。そうなってもレトは、決してロクの手を離さなかった。
やがて、飛散する雷光の強さは徐々に収まっていき、もとの暗がりが戻ってくる。
ロクの前髪がゆっくりと下りて、赤い瞳はその下に隠れた。
「……」
「なんだよ、生ぬるい覚悟だな。その程度なら引き返せ、ロク」
しばらくの沈黙だった。諦めたのだろうかと、レトはロクの顔を覗きこもうとした。しかし、その前に、ロクの口からふと、弱弱しい声がこぼれ落ちた。
「ごめん、ちがう、んだ。レト」
固く拳を握りしめていた。しかし、覇気のない声をもらすとともに、彼女は手のひらを開いた。思わず力を緩めたレトの手を、今度はロクのほうから掴んだ。
彼の手に縋るみたいに、握る。
顔をあげないまま、喉のずっとずっと奥から絞り出した声は震えていた。
「レトが……これ以上みんなに責められるところを見るのが、もう耐えられないんだよ……! どうしても、あたしの存在があなたの枷になる。この先何度も! 何度も何度も何度も、何度も、あなたが悪いって言われる! みんな、レトのこと、なんにも知らないくせに……っ!」
両目のどちらもひどく揺らして、ロクは堰を切ったように言った。
床の欠けたところも、食卓の椅子も、レトの足元も、ぼやけて、もうその色もわからなかった。
レトは、口を閉ざしていた。
──自分が神族だとわかって、忌避の目を向けられるのはまだよかった。心を読まれそうだと噂されてもよかった。でも、「レトヴェールを騙している」「洗脳している」「狂わされている」だなんて、嘘だ。そんなわけはない。ロクは、本当は、そんなことを言ってくる人間たちを一人ひとり捕まえて、言ってやりたかった。
「騙してなんかない」
「レトヴェールがロクアンズに優しいのは洗脳なんかじゃない」
でも、いくら言って回ったとしても、与えられるのは真実じゃないだろう。神族という敵の虚言を火種にして、さらに批判の声を盛りあげるだけだ。すでにロクを神族だと認識し、彼女が周囲を騙しているのではないかと疑いかかっている人たちには、かえって火に油を注ぐようなもの。それならば是も否も飲みこみ、沈黙を貫いて、間違っても火が燃え盛らないようにするしか、ロクには思いつかなかった。
「レトは、あたしにただ、優しいだけなのに。ずっと、優しいだけなのに。その声がどんどん大きくなる。それが、あたしはどうしようもなく嫌だ」
ロクは、声がつっかえていて、ときどき鼻をすすりあげて、涙声なのに、決して涙を落とさないようにしていた。いや、レトの手の甲を、震える指の腹でしきりに撫でていると、平静でいられた。
レトは、ロクの気持ちをはやく頭の中で処理しなくちゃいけなかったのに、追いつけなかった。だから微動だにできなくて、縋ってくる仕草にもうまく応えてやれなかった。できたのは、苦しそうにぐしゃぐしゃに歪めた彼女の表情を目に焼きつけながら、喉の奥の熱を放つことだけだった。
「お前はなにもしてないだろ」
「そうだよ。なにもしてない! あたしたちはなにもしてないんだよ」
「じゃあお前がいなくなって、俺がお前を逃がしたって報告したらどうする? お前がいようが、いなくなろうが、どっちにしたって神を擁護してるって言われる。変わんねえなら、行く必要はないだろ」
「レトは、あたしが苦しむことをするの?」
レトはついに、完全に口を閉じて、返す言葉を失ってしまった。たったいま選んで向けたものが、かえって自分を追い詰める刃物だったと、あとになって後悔するのだった。
ロクの呼吸の音だけがする。彼女はだんだんと落ち着いてきたのか、肩が震えなくなっていた。ようやく顔をあげて、まだ引き留める手段を探そうとするレトの目を見て、静かな声で続ける。
レトの視界に映った赤い瞳は、もう恐ろしい色をしていなくて、事実だけを訴えてくる。
「どれだけ本当のことを周りの人たちに言っても、あたしは神族で、あなたは人間だ。いまこの国じゃ、もう、そうとしか映らない。このままじゃ悪い方向にいくばっかりだ」
だから。ロクはそう挟んで、一度だけ瞬きをすると、ふたたび視線を下げた。手元を見れば、火傷を負った彼の手のひらが、力を失って、花弁のように閉じかけていた。そんな彼の片手に、そっと、もう片方の手を重ねて言った。
「だから、お願い。お別れをしよう。お義兄ちゃん」
冷たい川の水を頭からかぶったような、心地だった。
ロクは、月の光を宿した両目を揃えて、陰る彼の双眸を見つめ返し、そうして彼の手を離した。
「……私は、この道の先に行く。そして、あなたも辿り着いたときには……会って、話がしたい」
ロクはそう言って、呆然と立ち尽くすレトの脇をすり抜けていくとき、ゆっくりとした歩みで床を踏みしめた。
なにごとかを耳打ちする。
それが聞こえて、レトははっと我を取り戻し、急いで振り返った。しかしもう、ロクはいなかった。玄関の扉は閉ざされていた。まるで、いままで幻を見ていたかのように、彼女の気配さえもまっさらに立ち消えてしまう。
「ロク──」
閉ざされた扉の前にはただ、暗い影の中で、きらきらとするちりや埃の欠片が、白くたゆたうばかりだった。
玄関の扉を乱暴に開け放つと、レトは外へ飛び出した。
「おい、ロク! ロクアンズ……! 違うんだ、言いたかったのは、そんなことじゃ……! 行くな──お前は……!」
慟哭は、虚しくも夜空の深さに吸いこまれて、消える。のどかな田園風景と、宵闇との隙間を縫う地平線が、当たり前の顔をして二つを分かつ。
一夜では欠けても満ちない。
帰りを待っても「ただいま」の声はない。
レトヴェールは一人冷たい夜風にさらされて、萌える草原のさなかに突っ立って、そこでいつの間にか思考も、意識も、手放していた。
そうしていると深かった夜空は白み、薄色の朝が、やってくる。
日は昇ってきたが、他人事みたいな顔をしていた。
川底に取り残された一匹の小魚の鱗を、真新しい日の光が照らした。
──第一章 「兄妹」 完
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.194 )
- 日時: 2025/12/14 01:56
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第二章 「片鱗」
第176次元 波立つあと
青い海に浮かぶ大きな船体が、へつほつとして波に漂う。エントリアの最西にある港町、トンターバから出港して半月もすれば、海霧をかぶった大陸が顔を出す。
甲板で潮風を顔に浴びながら、ガネストは小さな自国を遠望した。
国花のキッキカの香りが、いよいよ潮に乗って運ばれてくると、二人を乗せた船は港に停泊した。停泊場の兵士に身分を明かすとすぐに、ちょうど港に滞在していた領主の息子に連絡が渡り、ややもすれば大仰に豪華な馬車が手配された。ガネストとルイルは、馬車に揺られながら王都を目指した。
第二王女ルイル・ショーストリアが城に帰還すると、待ちかねたように騎士や使用人たちが一堂に会し、城門からずらりと立ち並んでいた。そんな花道を抜けた先では、騎士団長が恭しく首を垂れており、早速と言わんばかりに二人を案内する。ガネストは、場内の動きに細かく注目してみたが、どこを切り取っても拍子抜けするほどに、一年前と変化がない。とうてい、陛下が倒れたようには思えなかった。訝しみながらも、ライラ第一王女の私室を訪ねれば、彼女は柔和に微笑んで、二人を招き入れた。
「お入りなさい。ちょうど公務を終えたばかりで、暇ができたから、お茶の時間にしようと思っていたところよ」
赤の鮮やかな茶に刻んだキッキカの花弁を浮かべた茶器が、屋外の露台へと運ばれてくる。円形の白い茶卓にそれと焼き菓子が並べられると、ライラは、侍女に下がるよう命じた。
侍女が室内に戻っていくのを見送るライラの横顔に向かって、ガネストは恭しく挨拶をした。
「あらためてご挨拶申し上げます。ライラ子帝殿下、貴方様の命の下、ルイル第二王女とともに帰還いたしました」
「無事の帰還、心より喜ばしいわ。道中、ルイルを守ってくれてありがとう、ガネスト」
顔を上げたガネストの姿を見て、ライラは彼が怪我を負っていることに気がついた。衣服の裾から垣間見える傷跡や手当の形跡はしかし、医師の腕がいいのか、適切な処置がされている。続けてルイルへと視線を流せば、彼女は"次元師"というものの使命のために危険な場所へ飛びこんでいったにしては、不思議なくらいに傷ひとつ負っていなかった。
此花隊の戦闘部班には身分が周知されているだろうから、きっと──ガネストや、現地にいるほかの次元師から優先的に守られただろう。ライラは紅茶に口をつけて、ことり、と茶器を受け皿に戻すと言った。
「あなたは優秀な側近ね」
「……恐れながら、ライラ子帝殿下、此度の帰国の命は……」
「ええ、賢いあなたにならば、隠し立てをしても仕方がないでしょう。陛下の体調がお悪いというのは、嘘ではないのだけれど、重症には至っていないわ。そのように王医からも伝え聞いている。利用するような真似をして、陛下に不敬なのは重々承知の上で、あなたたちには帰国してもらわなければなりませんでした。理由は、わかってくれるでしょう?」
「どうしても……メルギースの此花隊と距離を置かせたかったのでは」
ガネストは、なんとなく理由を察していたが、慎重に言葉を選択した。自らの口から、"神族"ともらすことが、此花隊への裏切りに思えたからだ。かまをかけるようで心苦しかったが、ガネストの心は自国とメルギースとの間で揺れていて、いまはどちらかといえば後者に傾いていた。
ライラはそれを察してか、一段と凄みを帯びた第一王女の目をして、はっきりと告げた。
「ええ。そうです。メルギース国には、二百年ほど前から神族という恐ろしい存在があるのだそうですね。そして、かつて我が国に訪れた次元師の少女、ロクアンズがその存在に当てはまると知ったの。危険を齎すかもしれない存在が、アルタナ王国の第二王女の傍にあってはなりません。たとえ彼女が、我が国とルーゲンブルムとの確執を解くのに一役買ってくれた人物だとしてもよ」
「……」
「なぜ、私がロクアンズについて知っているのか、疑問に思うでしょう。それは、此花隊にもう一人、使者を送ってあるからです。あなたたちには教えていません」
ガネストはわずかに眉を動かした。ライラとガネストの横顔を交互に見上げるのにルイルは忙しくて、二人の間に静かな火花が散っていることには気づかなかった。
自分さえ知らない使者がだれだったのか、ガネストは此花隊の隊員たちの顔を思い出そうとしてみたが、すぐに諦めた。膨大な数に上ってしまうし、そもそもどの班の所属なのかも絞れない。おそらく、融通の利く援助部班だろうが、あそこは人の入れ替わりも激しい。
そして顔が知れたところで、第一王女の言葉の前では、なんの意味もなさない。
「どうか許して。あなたを信用していなかったのではないの。ただ、あなたが第一に姫を守護する使命を違えないよう、信用のおける監視役をつけさせてもらったの。悪く思わないで」
「理解しました。その者から、ロクさんに関する情報の提供があったというわけですね」
「ええ」
ライラは頷くと、一呼吸を置いてから、釘を刺すように言った。
「此度の帰国の令は、一時的なものではありません。今後あなたたちには、メルギースおよびドルギースへの渡国を禁じます」
「……」
「後日、此花隊には正式に書状を送りますから、まずは陛下にご挨拶を。それから各所に顔を出すように」
「はい。承知致しました。ライラ子帝殿下」
ガネストが首を垂れて、それを見つめてからライラは立ち上がろうとした。そのとき、ずっと利口に座っていたルイルが、声を張った。
「ライラおねえちゃん、あの」
「ルイル、いまは子帝殿下と呼びなさい」
咎めるような声色ではなく、あくまでも当たり前のことを教え諭すようにライラは返した。ルイルは、はっとしてから、もじもじと手元をいじりながら言う。
「し……子帝でん、か。ロクちゃんは、悪い神様じゃ……」
「ルイル。よくお聞きなさい。あなたはこの国の王家の血筋であり、将来重要な器となることが、約束されている。あなたを守るためには、足元の小石ほどの小さな危険でも、遠ざけなくてはならないの。メルギース国でも、そうして周りの人々に守っていただいたでしょう。いまはわからなくとも、いずれ私の言った意味がわかる日がくる。だから我慢をしてほしいの。できるわね? ルイル」
「……う、うん」
甘く優しく、くるむようにライラが言い聞かせれば、ルイルの中の妹の部分が、それに身を委ねてしまう。
姉の言うことやすることはいつだって正しい。彼女が「おいで」と呼ぶほうへついていけば、正しい「王女様」になれる。
そのはずなのに、ルイルの中の「妹ではないほかの部分」はまだ、あの海の向こうの騒がしい組織の中に取り残されていた。
失踪したロクアンズ・エポールの行方を追って、何十人もの捜索員が派遣されたが、いまだにわずかな足取りも掴めず捜索は難航を極めていた。
まるで彼女の存在は風のようで、姿も見えなければ行く先にも宛がないような手ごたえのなさが捜索員らを苦しめ、セブンはそろそろ捜索から手を引くべきかと考えはじめていた。
報告書を眺めていれば、書斎の扉が開かれ、フィラが部屋に入ってくる。
「失礼します。班長、ご報告をします。警備班の捜索員とともにエントリア周辺を警備、巡回しましたが……依然として、ロクちゃんの姿は、見かけられませんでした。引き続き、捜索を続けます」
「いいや、君たちはいいよ。そろそろ、引き上げようかと思っていたんだ」
「え? ロクちゃんの捜索を……ですか?」
「ああ。彼女は本格的に我々とは意志を違えて、脱隊をしたかったのだろうからね」
セブンは報告書を机の上に置いて、冷めはじめた紅茶を口に含んだ。
フィラは、狼狽えた様子で、申し訳なさそうに切り出した。
「……すみません、あの日、私が目を離さなければ……」
「謝る必要はないよ。いずれにせよ、彼女と我々の関係は、瓦解し始めていた。交わることは難しい。無論、完全に捜査を打ち切るわけにはいかないから、人員は割くよ。見つかる可能性はかなり低いだろうけどね」
言いながら、セブンは飲み終えて空になった茶器に、それとはべつの陶器からおかわりを注ぐと、独り言のように続けた。
「念のためにレトくんにも確認したのだけれどね。彼は私の言いつけ通り、カナラへ向かい、それからレイチェル村に行ってくれただけだった」
とぷとぷと、透き通った紅茶が注がれて、湯気が立つ。セブンは、レイチェル村でレトとロクと落ち合っていた可能性も疑ってみたが、証明できる材料がなかった。
それにもっと重要な問題が、いまもなお報告書の山の下で下敷きになっているので、セブンはしぶしぶそれを引き抜いた。
机の引き出しから出してはしまい、出しては机の上に置き去りにしていたそれを、どう扱っていいものか、判断に困っていたのだ。
「……それよりも、これを、どうしたものかな」
「それって……」
フィラが目で追ったそれ──ロクが手がけた歴史の書の表紙を、セブンが指の腹で撫でる。
彼はまだ表紙だけを見つめていて、中身を読んでいなかった。ロクが失踪してしまってセブンはことさらにこの書物の信憑性を疑っているが、まだ、開く気になれていなかった。
信じていないのなら、ざっと目を通して、こんなものかと捨ててしまってもよいはずなのに、まだできなかった。
書物と睨み合っているセブンの横顔に、フィラがなにかを思い出したように声をかけた。
「そういえば、班長。先日、ここへ戻る道中、研究部班開発班のユーリ副班長と街中で会ったのですが、班長宛にある報告を受けて……」
「私に?」
開発班のユーリといえば、研究部班の班長ハルシオに代わって班をまとめているという班長代理の女研究員だ。緊急会議にも出席しており、声をかけたので顔もよく覚えている。
目をしばたいたセブンに、フィラはユーリから預かった言伝を告げた。
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