コメディ・ライト小説(新)
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- 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
- 日時: 2025/06/22 21:01
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)
毎週日曜日更新。
※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。
*ご挨拶
初めまして、またはこんにちは。瑚雲と申します!
こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします!
*目次
一気読み >>1-
プロローグ >>1
■第1章「兄妹」
・第001次元~第003次元 >>2-4
〇「花の降る町」編 >>5-7
〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
・第023次元 >>26
〇「君を待つ木花」編 >>27-46
・第044次元~第051次元 >>47-56
〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
・第074次元~第075次元 >>83-84
〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
・第098次元~第100次元 >>107-111
〇「純眼の悪女」編 >>113-131
・第120次元〜第124次元 >>132-136
〇「時の止む都」編 >>137-175
・第158次元〜 >>176-
■第2章「 」
■最終章「 」
*お知らせ
2017.11.13 MON 執筆開始
2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞
──これは運命に抗う義兄妹の戦記
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.116 )
- 日時: 2023/03/24 18:27
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第104次元 純眼の悪女Ⅳ
もう起床していたのか、と見れば、上半身を起こし、手元を見下ろしながら硬直しているコルドがいた。レトヴェールも覚醒し、彼に訊ねた。
「なにかあったか」
「動くんだ」
「なにが」
「指だ。指先がかすかに動く」
視線をつられてコルドの指先を凝視する。かすかに指先が痙攣しているのを見て、驚愕した。これまでまったく動く兆しを見なかったのに、いったいなにが──と途方に暮れていれば、部屋の扉が開かれる音がした。扉の隙間から顔を出したキールアが、おずおずと室内に入ってきた。
「あの、おはようございます。お加減は……」
「おはよう。肩のほうは問題ない。君のおかげでだいぶ楽になった。それよりも、君に一つ聞きたいことがあるんだが」
「なんでしょうか」
「左肩から下にかけて指先まで、てこでも動かなかったんだ。神族の術の影響、といえば伝わるかな。それなのに、見てくれ、指先が動いていて。君はなにか、知ってるか……?」
キールアは何も知らない風ではなかった。さっと目を泳がせて、話しにくそうに押し黙る。コルドは前のめりになると彼女にこう畳みかけた。
「なにをしたか、だけでいい。教えてくれないだろうか。快復の手立てがわかれば、あとはこちらで何とでもする」
「おひとりではおそらく、治療できません」
「どういうことだ」
コルドが眉をひそめてそう訊ねると、キールアはいよいよ諦めたように、口を開いた。
「その皮膚の変色と硬化が、神族の術の影響なら、元魔に次元の力が匹敵するのとおなじく、私の力が敵うのではと思ったんです。それで昨日……」
「君の力?」
「──次元の力『癒楽』。これは、えと……他者を癒す、次元の力で……」
キールアはコルドの強い視線を避けながら、しどろもどろとしつつも答えた。元来、人付き合いが得意ではない彼女のことだから、話をしているうちに気が小さくなってしまったのだろう。
コルドは意を決したように身を乗り出して、彼女に頼みこんだ。
「君のその力で、もしかしたら俺の腕がまた動くようになるかもしれない。また戦線に復帰できる。遺憾なく動くようになるまでの間でいい、しばらく俺の腕を診てくれないだろうか」
キールアは想定していた。それに彼女は、可能であればコルドの腕を診たいと言い出すだろう。調薬が専門とはいっても彼女も医療に従事する人間の一人だ。それとは別に、コルドがレトの同胞であることも理解している。彼らにも使命や役目がある手前引き留めていいものか、考えあぐねる彼女の表情は、困ったようにも見えた。
レトはキールアの顔を見てから、コルドの腕を掴んだ。
「副班、セースダースに戻らないと。それか本部に一報寄こさなきゃこれは独断だ」
「しかしこの機会を逃すわけにいかない。頼む。勝手なのも承知だ」
「……」
冷や汗がたらりとコルドの頬を流れた。彼は早口に、さらに念を押した。焦っているのであろうことは、彼の表情を見ていればわかる。なにせ、キールアという次元師の少女に出会うまで対処法も、治療法も、まるで手掛かりがなかったのだ。神族から受けた呪術が解けるかもしれない──藁にもすがる思いとはこのことだ。
レトの返答を待たずして、キールアはぎこちなく首肯した。
「わかりました」
レトが軽く息をついたように見えたが、それよりもコルドが表情を柔らかくして心から嬉しそうに「ありがとう」と告げてきたので、キールアはなにも言えなくなった。
それからというものの、キールアは日中は島民の看病に走りながら、手が空く夜更けにコルドの病室にやってきて、腕の治療に努めている。
「──四元解錠、"仇解"」
そう口ずさめば、コルドの左肩の周りにふっと薄い膜が張る。さながら水泡のようなそれの内側で、黒ずみがまるで生きた物のように蠢き、わずかに収縮するのだ。キールアいわく、一度の術で消失させるには彼女自身の力量が足りないらしく、また元力の消耗も激しいことから、日をかけて徐々に薄めていく方針をとった。
やがて日が経つにつれ、だんだんとキールアの顔色が悪くなっていくのを、レトはただ見守りながらしかし口を挟めなかった。
キールアが倒れたのは、6日後の暮れ方のことだった。
病にかかっていた島民たちのほとんどが快復し、彼女の手を借りることもない状態にまで達していた。街も、病が流行る前と遜色ない機能を取り戻していたのが、不幸中の幸いだった。
コルドの部屋の前で倒れていたキールアを、ヤヤハル島駐在の医療部班が診れば、明らかな睡眠不足と元力の消耗による体調不良だと言い渡された。単なる体調不良であれば口も利けるだろうが彼女の場合は違っていた。昏倒したまま半日以上目を覚まさないのだ。班員によれば、しばらく目を覚ます見込みはないという。
彼女を連れて本部へ一度帰還しよう、と提案したのはコルドだった。ここでは十分な療養体制が整っていないのもそうだが、セブンに一報もなく任務外の土地で滞在してしまったのだ。事の経緯を漏れなく報告し、一般市民を巻き込んでしまったと打ち明けなければならない。ようやく頭が冷えてきたのか、彼はじつに申し訳なさそうに身支度も手早く済ませて、帰りの船を手配するとともに第三班に別れを告げた。
港に降り立ったあとは、セースダースに位置している駐屯所の荷馬車を発進させ、なるべく平坦な道を選ぶように指示しながら本部へと帰還した。その間、キールアの容態に変化はなかったが、相変わらず昏倒状態が続いた。
本部の門をくぐり抜けて、班長室へと足を運んだコルドはまず謝罪の意を述べた。事前に文を出していたので大体の事情を察していたセブンは驚きこそしなかったものの、表情はいつもより固かった。
「ヤヤハル島で翼竜型の元魔が発現し、第三班のみでは討伐は困難と判断。応援要請を受けて島に向かった……までは問題ない。第三班の人員構成にはまだ不安が残っているし、我々が第一に考えるべきは島民の安全だ。その点でいえば、君がキールアという少女に無理をいって我欲のために腕の治療を頼み込んだ、この行動は褒められたものではないね。わざわざ言わずとも理解しているんだろう」
「はい。仰る通りです」
「わかった。では今回の処遇は後日言い渡すとしよう。彼女は現在医務室で休ませているね?」
「はい」
「彼女の様子を見てあげなさい。目を覚ますまではここで面倒を見るよ。君から文が届いたあとに上には伝えてある。彼女に非はないからね」
コルドが頭を下げてから、班長室を出ていく。ちらりとレトがセブンの顔を見やれば、彼は致し方ないとでもいうように肩を竦めていた。
二人はその足で医務室へと向かった。キールアの寝台の傍まで歩み寄れば、彼女の顔色には明るみが戻っていた。もうしばらく休めばじきに目を覚ますだろうと、医療部班の班員が告げると、コルドは安心したようにほっと息をついた。
「あとは、医療部班に任せて退室しよう。また夜に見に来る」
「……」
レトは一度、キールアの寝台へと振り返った。寝息を立てて静かに眠る彼女の顔色を見て、コルドのほうへ向き直ると、小さく頷いた。
「わかった」
医務室をあとにして2人は集会所へと移動した。
明日には本部を発ってセースダースに戻らなければならなかった。巡回が済めばそのあとはフィリチアに引き返す。
フィリチア行きは、さきほどついでにとセブンから命が下った。彼が手にしていた仰々しい依頼書には、畑荒らしの調査を依頼する内容が記載されていた。ここまで聞けば此花隊の管轄ではないのだが、どうも痕跡が害獣のそれではないのだと、ひいては町の近隣に元魔が潜んでいる可能性があるとして、政会から此花隊に流れてきた案件だ。彼は淡々とそれを読み上げて、第一班の派遣を決定した。
集会所でそんな打ち合わせを行っていると、なにやら廊下のほうが騒がしくなってきた。口を止めてコルドが扉のほうを振り返る。
「なんだ……?」
集会所を出て、コルドが外へ出る。レトもそれに続いて出ると、2人組の男隊員が、声をひそめながらコルドたちの目の前を通りすぎようとするところだった。コルドは、片方の男の肩を掴んで、問いかけた。
「すみません。なにか、あったんですか」
「ああ。戦闘部班の、コルド副班長。それが……ついさっきのことなんですが、どうやら政会の連中が、来てるらしいんです」
「政会が……?」
「調査の一環で至急門を開けろと、なにやら揉めているとか。下ではちょっとした騒ぎになっていましたよ」
コルドは眉をひそめ、男隊員を解放すると、レトに目配せをした。
政会の人間が直接此花隊本部を訪ねてくるだなんて、何事だというのか。2人は集会所を離れて階下に降りていった。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.117 )
- 日時: 2025/04/06 15:18
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)
第105次元 純眼の悪女Ⅴ
正門まで降りてくれば、門前での騒ぎが目についた。紺を基調とした布地にところどころ金細工があしらわれている華美な制服と、1人の男の後ろで控えている付人ちの足並みの揃ったところを見ると、政会の人間と見てまず間違いない。
政会は、メルギース国が王政を廃止してから後の政を担っている政治団体だ。元は爵位を持った一族による一商会だったと噂には聞くが、いかようにしてこの国の政治を一手に担うほどにまで上り詰めたかは、コルドもレトヴェールも知るところではない。政治団体でありながら軍を整備しているのも、当時、メルギース王国軍を引き受けた流れによる。控えの付人たちは腰から剣を提げていた。
「至急の調査なのだ。門を通してくれ」
「し、しかし……。書状はお出しいただいておりますでしょうか? どなたへの会見で」
「至急だと言っているだろう。時は一刻を争う。ここを通したまえ」
介入すべきか、しかし自分たちが出て行ったところで騒ぎが収まるとも限らない──とコルドもレトも足踏みをしていると、2人の横をすうと横切る小さな影があった。
灰色の髪がお団子状に美しくまとめあげられ、赤い隊服を外気に靡かせた後ろ姿が、まっすぐ正門へ向かう。
「何事ですか」
たった一声かかると、正門の周りにいた警備班員たちがぴしりと背筋を立たせる。凛とした女性の声が辺り一帯に響いたのだ。ざわめき立っていた周囲を、一喝で諫めてしまった老齢の女性の名を知らぬ者はこの隊には存在しない。チェシア・イルバーナ。メルギース国随一である商家、イルバーナ侯爵家の当主であった彼女はその席を後継の息子に譲り、現在は此花隊の副隊長として赤い隊服を身に纏っている。
杖もつかずにしゃんと背を立たせて門まで歩み寄ると、彼女は続いて口を開いた。
「訪問があるとは聞いていません。一体何用で参られた次第ですか」
「これは、副隊長殿。何用で、などと、副隊長殿はお分かりではありませぬか?」
「……何と?」
「隠し事はいただけませんなあ」
細く切って揃えた無精ひげの先をわざとくるくると弄んで、先頭に立って弁をたれる男はそう答えた。
イルバーナ家の当主の座から降りた途端に、なめた口を利く輩は増えた。彼女とて引退した老いぼれがあつかましく過去の名誉を引き合いに出すべきではないと自負しているが、それを加味しても、目の前の男のニヤついた笑顔に腹が立たないほどお人好しでもなかった。
「話を聞いていないと申し上げているのです。それとも我が国の政を担われる政会の重役様方は、相手先に一報のお入れもなく突然ご訪問なさるのが礼儀でございましょうか。そうではないでしょう。出直しなさい、会員風情が」
チェシアは瞳をきつく細めて、男に鋭い視線をくれた。男は、うっ、とばつの悪そうな顔をして、後ずさった。政会の構成員の位は、制服の意匠を見れば一目瞭然だ。襟元の金の刺繍が一本であれば会員でも下っ端の部類に値する。一端の騎士団員や諜報員らより一つ上の位といったところだろう。そのうえ金のバッヂを胸に飾ってはいるが飾緒が垂れていない。将来の見込みの有無が伺えるが、チェシアはあえてそこまで突っ込まなかった。
「そ、そのような態度をとられるとは。こちらではすでに情報を掴んでおりますぞ! あなた方此花隊が、この本部内で、シーホリーの娘を匿っているなどということは!」
思いがけない方向から名前を聞けば、チェシアは眉をひそめて跳ね返した。
「何を仰います。シーホリーの一族など。匿う理由などこちらにはありません」
「小麦色の髪の、14、15ほどの少女ですぞ。たしかに、少女を乗せた荷馬車が此花隊の正門をくぐったと諜報の者が……」
男は慌てて口を噤んだ。すると、チェシアはしばらく考えこんで、もしや、とあることを思い返す。数日前、セブン・ルーカーが上げてきた報告書の中に、一般市民の少女を巻き込んでしまった、暫く医療部班に預けさせてくれといった報告が紛れていたのだ。
「少女……。14、15ほどの子どもでお間違いありませんね。たしかに1人、そのような娘を保護しております」
「ええ、ええ! きっとおそらくそうでございましょう、副隊長殿。その少女こそが、150年前、かのアディダス・シーホリーが遺した"悪魔"の子らの1人なのです。レトヴェールという名の少年と通じているのだとか。少年に聞けば明かされましょう!」
「……」
政会の役員たちは、"悪魔の子"と総称されるアディダス・シーホリーの血を継ぐ一族の残党を躍起になって探している。なにがそこまで彼らを掻き立てるのか、驚くほどに此花隊には詳細な情報が流れてきていないのだ。研究部班の一部の班員がアディダスの『癒楽』継承説について調査しているが、政会に情報を求めても反応が鈍いとまで聞く。
単に非常に暴力的な、危険因子を身に宿しているためなのか。
チェシアは黙ったのち、緩慢な動きで半身振り返った。
「レトヴェール・エポール。こちらに」
来て、話を──とレトに声をかけようとして、チェシアの動きがはたと止まる。廊下に突っ立っていたはずの彼の姿が、見当たらないのだ。
「コルド・ヘイナー副班長。彼はどこへ」
「はい! ……え、あれ。え!?」
名指しをされて勢いのまま返答をするコルドだったが、横を見やれば、たしかにレトの姿が忽然と消えていた。
「あ、あいつ、どこへ……?」
──なぜキールアの素性が知れている。ともかく、あの男が阿呆にも大きな声で名を告げてくれたので、レトはすぐさま医務室まで向かうことができた。
何事かと思えばキールアが目的だったのだ。早く伝えなければと心の逸るまま、レトが勢いよく医務室の扉を開けば、扉の傍で立っていた女性班員が「きゃあ!」と声をあげた。
キールアの寝台は窓の傍だ。つかつかと歩み寄れば、寝台の上のシーツは丸く膨らんでいた。
レトは呼吸も整わないうちにシーツを引きはがした。
「なにを……!」
慌てて走り寄ってきていた女性班員が、そのとき目を丸くした。
膨らんだシーツの下にはなにもいなかった。枕を適当な布地で固めてぐるぐるに巻きつけているものが、無造作に寝台の上で転がされている。
キールアの仕業だ、と思い至るのに時間はかからなかった。
「な、なんてことなの? さきほどまで、ここに、あの、女の子が……」
「どうして気づかなかった」
レトは、なかば睨むようにして女性班員を一瞥した。彼女が息を呑むのもよそに、彼はすかさず窓に目をやった。
窓は開け放たれていた。風が吹き込んできており、はためくカーテンを指先で押し返しながら、窓から身を乗り出せば、近くに高い樹木が聳え立っているのが見て取れた。
「まさか、ここから飛び下りた、なんて……。ここは2階よ」
「できる」
女性の言葉を遮るように、レトは窓の向こうを眺めながら、そう言い切った。
「あいつなら、ここから地上に飛び下りるなんて、朝飯前だ」
窓の淵から手を離して、踵を返せば、そのうちにレトは医務室の扉から廊下へと飛び出していった。女性は窓の向こうと、彼の後ろ姿とを、交互に見送っては唖然としたのだった。
キールア・シーホリーが建物の2階から地上へ飛び下りるなど、造作もない。誇張表現でもなければ比喩でもなかった。事実、医務室に近い樹木のふもとには、彼女の足跡らしき痕跡が残っていた。
幼少の時分に、彼女が山と村とを頻繁に往復していたのを記憶している。華奢で大人しい見た目からは想像しにくいが、彼女には存外体力があった。長らく顔を突き合わせる機会がなかったとはいえ、医務室から姿を消したことを考えれば、足腰の強さは健在のようだ。
問題は、どこへ消えたか、だ。本部の裏口から街へと繰り出したレトは、街角で一度立ち止まって、思案するように街並みを見渡すと、それからまた地面を蹴って走りだした。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.118 )
- 日時: 2022/08/29 22:40
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第106次元 純眼の悪女Ⅵ
意識を取り戻したキールアは、廊下から聞こえてきた会話を耳に入れて、驚愕した。手の先で触れた覚えのないシーツや、自分を囲う白壁がどうでもよくなった。政会がこの施設の門前にまでやってきているというのだというのだから。
即座にキールアは覚醒した。政会は自分を捕らえにやってきたのだ。
室内で雑務をしていた看護服の女性の目を盗み、キールアは窓から飛び降りた。2階とはいえ樹木を捕まえて降りればとりわけて大きな怪我もせずに済んだ。
エントリアの街並みには馴染みがある。まだカナラ街の薬屋で手伝いに明け暮れていた頃、隣町のここへは遣いで足を運んだものだ。近道を抜け、カナラとの間を隔てる森の中をひたすらに走っていた。
森の奥へ、奥へと駆け進み、いよいよ足が千切れそうにまでなったとき、キールアは石に躓いて、這うように地面の上に転がった。
「っ! ……う、うぅ」
立ち上がろうとした手で土の表面を掻く。爪の先が黒く染まろうとも構ってはいられない。ただ、膝からじんわりと痛みが伝ってくれば、目の端から涙がこぼれそうにもなった。
かぶりを振って、膝を伸ばし、走りだそうと身をかがめたときだった。後ろからぐん、と腕を引かれてキールアは咄嗟に身を強ばらせた。
「いやっ!」
「見つけた」
声を聞いて、キールアははっとする。振り返れば、そこには息を切らしたレトヴェールの姿があったのだ。
彼はキールアの手首を掴んだまま、肩で呼吸を整えた。ふと下を向けば彼の靴は土で汚れていた。
なぜ彼がここまで。自分を追ってきたのだろうか。いったいどこから。疑問が次から次へと湧き上がってきて、キールアは上手に言葉を見つけられずに、つい漠然と訊ねてしまった。
「……ど、どうして、……?」
「忘れもん」
ぱっとキールアの腕を離すと、レトは彼女に向かって小袋を差し出した。
キールアは差し出されたそれを目に入れるや否や、血相を変えてそれに飛びついた。
「……!」
「大事な物だろ。俺の家から出ていくときにも、持って出てた。……医務室の外の木の根元に、落ちてた。飛び降りたときにでも落としたんだろ」
受け取った小袋を胸に抱くと、キールアは安心したようにほっと息をついていた。彼女は逃げも隠れもせず棒のように突っ立っている。レトはあたりを見渡して不審な人影がないのを確認すると、キールアに問いかけた。
「カナラに戻るのか。もともと、いたんだろ。薬屋に」
キールアはゆっくりかぶりを振ると、「戻らない」と弱弱しい声でそう答えた。
「え?」
「……。あの、お店の店主がね、政会の……諜報員だったの」
「……」
「まえに、レトヴェールくんが、お店に来たでしょ。そのときにわたしたちの話を……聞いていたみたい。それでわたしがシーホリーの血族なんだろうって、だれかに店の前で話しているのを偶然見ちゃって……。だから、あの店もやめて……。行く当てが、なくて。本土を離れて……あの島に」
──成程合点がいった。薬屋から突然姿を消したと聞いたときに、おかしい、とは感じていた。キールアの真面目な性格からして理由も告げずに突然店を出ていくなど考えにくかったからだ。だが、店主が政会側の人間だったとなれば話は別だ。それで本土を離れ、辺境の島に渡っていたのだと彼女は語る。
「じゃあこれから、どこに行くつもりだったんだ」
「……どこにも。どこにも、向かって、なかった。どこへ行っても、どこで暮らしていても、政会の役人さんたちが、近くに潜んでいて、血眼になってわたしたちを探してる」
震える肩を抱きながらそう言うと、キールアはその場にしゃがみこんだ。膝に顔を埋めてしまった彼女に、手を伸ばそうか、どうか。一瞬の迷いののちに、くぐもったような声が聞こえて、レトは手を引っ込めた。
「……。殺すんだよ。知ってるでしょ? わたしの家族が、山奥の家の中で焼かれて、そのまま放置されていたの。それも……──目を。やつらはシーホリーの目を奪っていくの」
「……目を?」
どうして、とレトが問おうしたそのときだった。彼の通信具から聞き慣れた、精悍な声がした。咄嗟にレトは顔を逸らして、耳元の器具に指をあてる。
『レト、どこにいる?』
コルドからの通信だ。彼に訳も告げずに本部を飛び出してきてしまったのだから、小言の二言や三言落とされるのは容易に想像できた。怒気と焦りを含んだような彼の声色に、レトはばつが悪そうに答えた。
「……エントリアを外れたとこの森にいる」
『森だと? ともかく本部へ戻れ。チェシア副隊長殿がお前を探しているぞ』
「は? まあ、すぐに──」
言いかけて、ふとキールアを見やれば、彼女の姿が忽然と消えていた。レトはすかさず前方に目を凝らした。束ねていない小麦色を無造作にゆらゆらと揺らしながら、森の奥に消えていく彼女の後ろ姿を捉えたのだった。
「あいつ……! 悪い副班、あとで説明する!」
「あ、おい、レトっ!」
戻れ、というコルドの鋭い声が何度も耳の奥でした。しかし、本部から離れていくたびに、だんだんと彼の声は掠れて、しまいには完全に聞こえなくなった。
舗装された道から外れ、レトは獣道を突き進んだ。ぬかるんだ地面と険しい岩肌とが続くその道の先には、広けた空間があった。陽が落ちる間際の、夕焼けを水面に溶かした大きな湖が広がっていた。
息を整えながら、レトはゆっくりと、湖畔へと歩みを進めた。
「……やっぱりここか」
湖畔には、小麦色の髪を胸の下まで伸ばした少女が1人、座りこんでいるのみだった。声を聞けばはっと少女が振り返って、琥珀色の両目で、近づいてくるレトの顔を見上げた。
少女、キールアは驚いたように、小さな口をはくはくと開閉した。
「ど、どうして……わかったの」
「水。お前どうせ、医務室で目覚ましてから一滴も飲んでなかったんだろ。いくら体力あるからって、そんなひょろっこい身体じゃ限界がある」
レトはキールアの横をすり抜けると、身を屈ませて、透き通った湖面に指先を浸からせた。それからゆっくりと手のひらで湖水を掬いあげ、口元に運んだ。
「なんでもわかっちゃうんだね。……あなたは」
「予想が当たっただけだ」
レトも喉を潤すと、踵を返し、キールアの近くでぴたりと歩を止めた。足を崩せばようやく深い息を吐きだした。彼女との間には、人ひとり分の幅が空いていた。
「……。わたしをどうするの」
キールアはさらに膝を抱えると、絞り出すような声でそうレトに問いかけた。
「わたしを探して、ここまで追いかけてきて。なにかするの……?」
「……」
レトは難しい顔をしているが、黙りこんだままだった。彼は、自分の意見を主張することを躊躇わない少年のはずだ。キールアはそう記憶している。後ろめたさがあって答えにくそうにしているわけでもなさそうだった。
だからこそ、カナラ街で再会してから、彼の態度や口ぶりの歯切れの悪さに違和感を覚えていた。彼はこんなにも物言わぬ少年だっただろうか。
キールアは、湖を眺めるレトの横顔を見ながら、ぐっと拳に力を入れた。
「俺は……」
「ねえ、レトヴェールくん」
意を決して口を開いたときには、レトがなにか言いかけたことにすら気が回らなかった。静かな湖畔に、鈴を転がすようなキールアの声が響く。
「捕まえにきたのなら。わたしを殺してほしい」
水鳥が湖面に降り立つ。はためく翼が、湖面を叩く音がして、しかしレトは、聞き間違いではないと悟った。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.119 )
- 日時: 2022/10/09 17:26
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: UKb2Vg8d)
第107次元 純眼の悪女Ⅶ
キールア・シーホリーといえば、子どもにはらしくない大人しさで、常に周りの様子を気にして俯いているような少女であった。ロクアンズと上手く付き合っていられたのは、ロクがだれにでも分け隔てない明るさを持ち、引っ張り回していたからにほかならない。キールアはロク以外に友人を持っていなかった。
無論、冗談でも、自分を殺してほしいなどと口にできる気概を持ち合わせていなかったはずだ。──すくなくともレトヴェールの目には、「殺してほしい」どころか「遊んでほしい」とも言えぬほどに臆病で、消極的な少女に映っていたのだ。
「……は?」
驚きのあまりレトは硬直して、物一つ言えなかった。キールアはさらに、彼に迫った。堰を切ったように彼女は言い募る。
「この湖から落とすでも、もっと先の崖でもいい。あるいは……次元の力でなんとかしたって、いい。ほかの次元の力は、『癒楽』とは違って常人以上の力を発することができるって、聞いたの。レトヴェールくんも次元師なんでしょ? だったら、わたしの身体を塵一つも残さないで、この世界から、なくすことができる──?」
矢継ぎ早に、そして淡々と零していくキールアの、真に迫ったような表情をレトはしばらく信じられなかった。
目を伏せ、肩を震わせ、吹き出した汗も拭わず彼女の手は地面の上でぎゅうと固く握りこまれている。
ずっと胸のうちにため込んでいた。
殺害された家族の住む家に足を踏み入れた日の光景を、まだ瞼の裏は覚えていて、目を閉じれば赤一色に焼きつく。寝つけない日も珍しくなかった。まるで昨日のことのように思い起こせるが、ひとつ忘れてしまったのは、笑い方だ。
あの日どうして自分もともに逝けなかっただろう。
愛する家族とともに命を終えられたなら、残された途方もない時間の中で、跡形もなくなりたい、などと絶望する暇もなかったのに。
だれにも吐けず、体の真ん中で煮えていたままだった赤黒い感情が、ようやく声になって聞かせた相手はしごく戸惑っていた。
「お前……なに言って」
「おねがい。もうあなたにしかこんなこと、言えない」
「できるわけねえだろ」
「どうして!?」
声を荒らげたキールアに気圧されて、レトは息を飲んだ。見ればキールアは、その琥珀色の瞳からぼろぼろと涙を落としていた。
「……どうして……? だって、レトヴェールくん……わたしのこと、きらいでしょ……?」
キールアは顔を上げた。
夕焼けにあてられた明るい瞳が、涙を滲ませて、水面のように揺らいだ。
レトは口を噤むよりほかに、為す術がなかった。
「──」
「言ったじゃない。『おまえなんて友だちじゃない』って。そう言ったよね」
小袋を、まるで宝物を扱うように胸元に抱きながら、キールアはかたかたと震えていた。せっかく整えた息が乱れても彼女は構わず続けた。
「だからわたしを、この身体もぜんぶ、跡形もなくしてほしい。そのあとに、この袋に入ってる目も、潰して、どこかへやって。あいつらの手に渡したくない。おねがい、おねがい……っ」
「──……落ち着け、俺は、」
そのときだった。
森の奥からこちらに向かって駆けてくる獣の気配がした。野生よりも鋭く、異様な殺気を放っていた。レトはなかば手で押しのけるようにキールアを庇い、立ち上がった。
キールアが一人驚いていると、叢を掻き分けてそれは突進してきた。
警戒していたレトの腕に向けて一直線に跳びかかり、がぶりと勢いよく噛みついてきたそれは灰色がかった毛並みをしていた。
「──っ!」
犬だ。剥き出しになった犬歯が深く、レトの左腕に突き刺さる。ぐっと顔を顰めた彼は右腕を振るってその犬の頬を叩こうとした、が、すんでのところで犬は飛び退いて、地面に着地した。
「次元の扉発動、『双斬』!!」
レトが叫べば、呼応するように空中が振動した。どこからともなく出現した双剣が彼の手に収まると、刹那。
真っ向から新たな殺気が飛来した。反射的に両刃を構えて迎え撃つ。飛んできた刀身は、双剣とかち合うとぎらりと鋭い光を放った。
眼前に迫った長身の男が、低い声で告げた。
「退け」
怒りでも憎しみでもない、底知れない悪意を孕んだ眼光がレトの視線を突き返す。青にも近い白肌の頬には一切の情がなく、また、その顔の半分は酷く焼け爛れていた。
濃紺の生地に金の刺繍を誂えた外套。国花と、オークスの家紋を象徴する西海を掛け合わせた胸章が、政会の名を主張していた。また、外套の作りは階級や所属によって異なるとは聞くが、いかった肩幅と金飾りの極端に少ないところを見ると軍服だろう。腰元に提げられた鞘が、目の前の男が軍部の人間であることを語る。
鬩ぎ合う両刃から嫌な音が立った。剣が傾き峰がこちらに迫った。
(まずい──)
「逃げろっ!」
相手の刀身の上を滑るように角度を変えて、レトは飛び退いた。日頃から剣で打ち合う習慣がない彼でも悟った。相手の男は体格のみならず、非常に剣技に優れた軍人だ。元魔を相手するばかりのレトにとって打ち合いは分が悪い。
次元技でケリをつけるしかない、と柄を握りこんだ、が──キールアが逃げ出す気配がしない。焦って背後を振り向けば、彼女は琥珀色の瞳を瞠目したまま、固まっていた。
「──」
その視線は政会の男に注がれており、釘付けとなっていた。一度たりとも瞬きをせず石のようにそこで動かなくなっている。
まさか、とレトは察して、固唾を飲んだ。
「覚えていたか。目の色が異なっていたために、あの家宅の前ですれ違ったときには手を下さなかった」
「……」
「運の悪い」
シーホリー一族の家宅に火を放ち、命と瞳とを奪い去っていった男。見間違えるはずもない。あのときはろくに会話をする余裕もなければ、目が合うほど背丈もなかったが、キールアは正しく記憶していた。
異なる点を挙げるのであれば、たしか、顔にあれほど大きな火傷の痕はなかった。すれ違ったのは彼が家を出てすぐだった。だとしたらキールアらから離れたあとに負った傷なのだろうが、いまの彼女にそれ知る術もなければ興味もないような些末事だ。
「現政会会長フルカンドラ・オークスの命によって、貴殿を連行する。キールア・シーホリー」
男は一歩、キールアに近づいて宣告した。
瞬間。垂れ下がった手元に強い衝撃を覚えて男は仰け反った。長剣が、柄を握る手元ごと空へ向けて打ち上げられていたのだ。大きく脇を開いた男は目を見開き、たん、と足で地面を鳴らす音を耳にする。姿勢を低くしてこちらの懐まで踏み込んでいた少年が、間を置かずに、詠唱した。
「四次元解錠──交輪斬り!!」
重ねた両刃を八の字に薙いで空を掻き切れば、一陣の風が巻き起こった。男に直撃したのを視認すると、レトはなかば乱暴にキールアの手首を引き掴んだ。動かなかった彼女を無理やり立ち上がらせると、森の奥へと一目散に駆け出していく。
「走れ!」
力強い声とともに細い腕を引かれていく。泥に浸かったようだった足元は走っているようで、しかし感覚がなく、彼の声と腕に走らされているのと同義だった。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.120 )
- 日時: 2022/12/30 21:31
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第108次元 純眼の悪女Ⅷ
遠くへ飛んだ意識が手元に戻る。キールアは掴まれた左手と、レトヴェールの背中とを順番に視界に入れた。手首がじんじんと痛みだせば、ようやく、彼に連れられてあの男から逃げているのだと理解した。
足元から焦りがせり上がってきて、気を抜けば、遮蔽物に躓いて転倒してしまいそうだ。いくら逃げ隠れしようとも無駄な抵抗のように思えてならず、キールアは前を向いて走れなかった。
レトの背筋に、鋭いものが迸る。背後。猛進してくる獣の気配を察知して、彼は後ろを振り返るのと同時にキールアの身体を腕の中に抱きこんだ。
彼女が驚いて声を上げるよりも先に、突進してきた大型犬が、歯を荒々しく剥いて、レトの腕に喰らいついた。
「──っ」
「! レトヴェールくん!」
レトはぐっ、と眉を顰めた。噛まれた腕で掴んでいる双剣がびくとも動かない。腕を濡らしていく生暖かい血がぼたぼたと音を立てて地面に落ちた。
「走ってここから離れろ」
キールアの耳元で短く囁いて、レトは彼女の身体を緩く解放した。
腰元に指を伸ばし、瞬間、キールアを後ろへ引き下がらせた。一呼吸もなく片方の剣を振り抜いて、大型犬の顔面を真上から叩き斬った。
きゃうと甲高く鳴いて、犬が距離をとる。毛を立たせ、低く唸りながら威嚇してくるそれをレトも睨み返す。
「れ、レトヴェールくん……! でも」
「いいから早くしろっ!」
鋭く尖った刃物のような彼の一喝に、背筋がたちまち粟立った。制されればキールアは唇を引き結んで、零しかけた声を喉奥へ押し戻す。幼子のように簡単に萎縮してしまった身体で、ぎこちなく背を立たせると、足早にこの場を走り去っていった。
「退け」
「……」
「聞こえないのか。邪魔をするな。これ以上は、反逆と見做す」
硬質な声色と、重々しい軍人の足音が近づいてくる。一太刀浴びせたはずだったのは思い違いだったか、傷一つない巨躯──六、七尺は悠にある──が、平然とした面持ちで、大型の犬の隣に立ち並んだ。
反逆。此花隊が政会から支援を受けているのは事実としても、男の言い方には含みがあるように思えた。政会側の目線では、此花隊は所有物の一つとして数えられているのだろう。当然、此花隊にその意識は毛ほどもない。政会から支援を受ける見返りには、次元の力の研究成果報告、そして政会の手の回らない街町村の視察および警備までこちらの機関が請け負っている。ただの研究機関の組員が警備や視察に就くなど本来であれば考えられない事態だが、此花隊は従っている。しかし従順に見せるためではない。
さらに戦闘部班の立ち上げ後、神族や元魔を屠るために次元師を育成し、つい先日には神族の一柱を崩した。この事実を政会がどう受け止めたのか、此花隊の本部内で休息をとっていたコルドの元に、政会の会長から一通の文が届いていた。政会本部まで赴くように命じた厭味な文面だとセブンが語っていた。それからセブンは、コルドが政会へ赴けない理由を淡泊に並べて早々に文を返送していた。
反逆と見做す、とそう告げる目の前の男の瞳には芯が宿っていなかった。楯突かれれば、いまの文句を返すようにでも訓練されているのだろうか。そう疑いたくもなる。
「これより先、我々政会の仕事を邪魔するようであれば。お前一人の行動を組織の行動と判断し、こちらも動く」
しかしながら政会と此花隊が協力体制にあるのは事実であり、両組織に思惑はあれど、均衡は保たれている。いまここで彼らの政策に反するような姿勢を見せれば、此花隊という組織そのものが、政会から厳しい目を向けられることになるのは容易に想像がつく。
レトは黙りこんだ。返答にせずにいれば隙をついて斬りかかってきそうな気迫がしていて、肌がひりひりと痺れだした。彼は一つ丁寧に息を吐いてから、口を開いた。
「シーホリーの血族の根絶、か」
脳裏に蘇るのは、母エアリスの死に際であった。神族と呼ばれる得体のしれない集団の一柱に齎された理不尽な死であった。しかしそれと、キールアの家族を火の海に沈めた目の前の男との区別がどうしてもつかなかった。
神も人も、変わらない。国を、正義を、世界を盾にすればどこまでも非道を往けてしまうのだ。
「それがこの国の政策だったとしても。俺は、理解のできない思想に従う気はない」
レトははっきりと口答えをすると、双剣を構え直し、姿勢を低くして臨戦態勢をとった。
真一文字に結ばれた口を、男はゆっくりと開く。──返答する代わりに、彼は、静かに"詠唱"を口ずさんだ。
「『戌旺』──、強加」
途端。
男に寄り添っていた大型の犬が、肉体を震わせ、めきめきと膨れ上がっていった。膨張は留まるところを知らず、周囲の木々がその肉体と接触すればたちまち、太い幹が音を立てて婉曲した。耐え切れず、木々たちの幹は口を開けるようにぱっくりと割れて、ついには地面の上に倒れこんだ。
生物の像をとった、次元の力──同胞のフィラ・クリストンが有する『巳梅』とは別種の、“生物型”の一種、『戌旺』だ。
(──こいつ、次元師か!)
「戌旺、あの娘を追え」
「!」
『戌旺』は緩慢な動きで地面に鼻を寄せると、くんくん、と鼻先を鳴らした。ほどなくして、『戌旺』は軽やかに空中へと跳ね上がり、レトの頭上に巨大な影を落とした。
レトはその影を逃すまいと、爪先で地面を踏みしめた。すかさず剣を振るう構えをとり、腰を落とす。
「行かすか──!」
「お前の相手は俺だ」
殺気が肉薄する。ぞっ、と背筋に鋭い感覚が走ってレトは身を翻した。真後ろに立たれているかと思えば男は数歩先で、刃渡りの立派な大剣を振り上げていた。
一刻前に背肌で受けた殺気はあの距離から飛ばされていたのか。危機を察しては、なりふりなど構っていられない。男の大剣は次元の力ではなく人の手によって生み出された代物だが、この期に及んで異次元の産物で相対するのを躊躇う余裕がレトにはなかった。
「四次元解じ──」
しかし。一呼吸として間はなかった。一歩。たった一歩で、男は長い脚で跳ぶように懐へ踏み込んできたのだ。
(──速い!)
下から、切っ先で円を描くようにして男は剣を突き上げた。仰け反らせるのが遅れていたら、顔面が真っ二つに切り分けられていただろう。
「……っ、!」
ぐっと片目を瞑りながらレトは飛び退いた。斬られた頬の傷口から血が流れ落ちる。構える間がなかった。いや、息を吸えなかった。かろうじて体を操れたからよいものの、呼吸を許されない間合いで斬りかかられたら長くはもたない。一太刀、浴びせられただけで、肌が理解させられた。
「遅い。そのような甘い姿勢では一太刀も受けないだろう」
武人。完成された肉体。それから叩きだされる圧倒的な速度。体躯に見合った大振りの剣を軽々と掲げた男は、次の瞬間、身を屈めた。
「剣とはこのように振るう」
弾丸の如く鈍い音が轟き、地面が蹴飛ばされる。一秒未満の間。眼前、現れた男の顔面をようやくはっきりと視認したレトは大木を背に縫いつけられていた。肩口に深く、深く、突き刺さる剣の刃。鈍色の光が、血しぶきの鮮やかな赤を照り返した。
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