コメディ・ライト小説(新)
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- 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
- 日時: 2025/10/26 21:10
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)
毎週日曜日更新。
※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。
*ご挨拶
初めまして、またはこんにちは。瑚雲と申します!
こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします!
*目次
一気読み >>1-
プロローグ >>1
■第1章「兄妹」
・第001次元~第003次元 >>2-4
〇「花の降る町」編 >>5-7
〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
・第023次元 >>26
〇「君を待つ木花」編 >>27-46
・第044次元~第051次元 >>47-56
〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
・第074次元~第075次元 >>83-84
〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
・第098次元~第100次元 >>107-111
〇「純眼の悪女」編 >>113-131
・第120次元〜第124次元 >>132-136
〇「時の止む都」編 >>137-175
・第158次元〜第175次元 >>176-193
■第2章「片鱗」
・第176次元~ >>194
■最終章「 」
*お知らせ
2017.11.13 MON 執筆開始
2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞
──これは運命に抗う義兄妹の戦記
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.122 )
- 日時: 2023/01/08 12:00
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第110次元 純眼の悪女Ⅹ
分厚い鋼の一刃が、レトヴェールの細い体を割らんと容赦なく振り回される。彼はその刃先から逃れ、何振りかに一度双剣を充てがい、そしてつかの間に呼吸をするのでやっとだった。
火傷痕の男が弱視であることは、男の右側にもぐりこむたび、彼の的が外れるので確認できた。しかし武人たる男は弱点を突かれたところで動きを鈍らせるような素振りはてんで見せなかった。
が、レトの見つけた弱点は、次第に功を為した。
しばらく剣と剣とで打ち合いを繰り広げる間に、レトは何度か隙をついて男の右側に切り込んだ。見切っている男は回避をする。この攻防が時折あると、レトの中に、ある周期が生み出されるのだ。
技とは繰り返し、繰り返し型をとることで身にしみついてくる。剣技の型など習った覚えもないレトにとってただの打ち合いは体力を奪われるだけの、遊戯と遜色ない。しかし彼は、男の右側の守りが一定の型で築かれているので、そこをあえて攻めるとした。したらどうだろうか。レトの振るう剣は同じ動作を繰り返す。動きに身体が慣れてくると、各段に呼吸がしやすくなる。止まらずとも動いていられる。だんだんと手足が最小限の動きを会得していく。
奇妙な感覚だった。弄ばれるだけだった形勢から一変して、あたりの木々や草花で翳った視界は澄み渡り、剣を握る手指の感覚は研ぎ澄まされていくようだった。
とはいえ、相も変わらず次元技を発動させる暇はない。息はしやすくなったものの、悠長に詠っていられる隙を作るにはまだ壁が厚い。男の剣術はなかなかに易しくなかった。
男の大剣がごうんと低く唸った。横凪ぎの一刀が、残光を引きながらレトの首元にかかったのだ。銀色の切っ先が柔らかい首肌を引っ掻いた、その瞬間だった。
脱兎のごとく森林から飛び出してきた巨大な影を目にする。影の実態は白く巨大なもので、情けなく眉間を皺を寄せた『戌旺』だった。『戌旺』は主人の姿も忘れたのか、火傷痕の男に向かって突進し、ついには男に覆い被さった。過剰に鼻をひくひくと痙攣させながらぐったりと伸びている。
レトがびっくりして目を見開いていると、『戌旺』が飛び出してきた茂みから、声が飛んできた。
「──レトヴェールくん! こっち!」
状況が飲み込めなかったが、迷っている余裕はなかった。素早く双剣を鞘に納めると、レトは茂みに向かって駆け出し、キールアの手を取ってそのまま走り出した。生い茂る木々の陰の下にできた、深い暗闇に紛れていく。
目指す先はまず、カナラ街の方角だが、カナラに留まらせる気はなかった。さらに北西を往けばウーヴァンニーフとトンターバの境界、山脈地帯の麓に入る。幾晩かかけて麓を抜け、トンターバに辿り着きさえすれば、ルーゲンブルムへと渡る船を捕まえられるだろう。
ルーゲンブルムは先刻までアルタナ王国との関係不和があり、国内も荒れていたが、両国の王家同士が先月婚姻の儀を執り行っている。両国の水面下の争いは減りつつある頃だろうとレトは見ている。まだ反対派の活動は鎮火しきっていないだろうが、じきにそれも収拾がつく。逆に身を隠しやすい時期かもしれない、と睨んでいた。
できるだけ舗装されていない──簡単に足がつかなさそうな──道を選び、レトは先を急いだ。レイチェルと隣接しているとはいえ熟知しているほどではない。多少の右往左往はあった。キールアといえば、黙って手を引かれているから、彼の選ぶ道を信頼しているらしい。幸い、キールアの足はほかの年頃の少女よりも森中や山道に慣れているし、そうそう根を上げなかった。
森中には、北西の山脈から南にかけて流れているテンハイトン川から枝分かれした小川が、いくつか流れている。そのうちのひとつに行き着いた2人は、あたりに人の気配があるかを探ってから、しばしの休息をとるとした。
軽く喉を潤したレトは、たまたま通りかかった野兎を狩って、下処理をしていた。動植物が豊富な環境下でわざわざ携帯食料を消費するまでもない。それに動物の開き方は、まだレイチェル村に住んでいた頃、祭りで村の男から習った覚えがあった。
下処理を済ませると、レトはあたりを見回して、キールアを探した。彼女は川の傍らに腰を下ろして、水を掬っては口をつけていた。
キールアが、レトのいる場所まで戻ってくれば、彼は早速、兎の肉に串を通して火にかけていた。
どこで見つけてきたのだとか、長居はしていられないだとか、二言三言交わし合ってそれから、沈黙が生まれる。
ぱちぱちと火花の音が立つ。ゆらり、曲線を描いて昇る火の糸をぼんやりと眺めながら、外気にさらされた両腕をさすっているキールアの肩に、レトは隊服の上衣をかけてやった。
肩に暖かくて重たいものがのしかかって、キールアがはっとレトのほうを見た。
「なんで戻ってきた」
見れば、彼の横顔は静かにそう告げていた。
それにどうやって。レトの目に疑問の色が滲んでいるのを察したキールアは、長くは見ていられないのか、すぐに目を逸らして話しだした。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.123 )
- 日時: 2023/01/22 12:00
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第111次元 純眼の悪女ⅩⅠ
次元の力『戌旺』に追跡されていると勘づいた。追いつかれるのも時間の問題だ。策を講じなければ捕らえられるか、最悪その場で噛み殺されてしまうだろう。
だから、とキールアがもったいぶって次に口にしたのは、意外にも植物の名前だった。
「マナカンサスを探したの。レイチェル村で住んでたときに、ここの森でも育つのかなって、なにも考えずに植えたことがあったから……。あとでお母さんに話したら、ここの森の環境じゃ上手く育たないよって、叱られたけど」
「たしか、火で炙ると、独特な強い薫りが立つっていう」
キールアは無言で頷いた。2年前、まだ薬草について知識の浅かったキールアが、この森の中にいたずらに種を植えたマナカンサスがあった。運よく進路の近くにあるのを彼女は思い出したのだ。巨大な体を持つ『戌旺』が入りこめないような、狭くて複雑な獣道をわざと選びながら、わずかな希望に賭けてマナカンサスを目指した。植えただけの数は育たなかったようだが、子どもが迷いそうな茂みの中にそれは鮮やかに咲いていた。マナカンサスが育つ本来の環境とは異なるため、花弁も葉も小さいし、茎も短かかったが、キールアを満足させるには十分だった。
進路を限定すれば、『戌旺』の目を撹乱し、さらに遠回りさせられる。次に狙うのは嗅覚だった。ただ奪う、狂わせるだけでは意味がない。
『戌旺』が次元の力であれば、『戌旺』が活動できるのはすなわち、術者も動ける状態にあるのだ。だとしたら、レトヴェールと術者──あの火傷痕の男との戦闘が続いている証拠だ。
キールアはまず上衣を脱ぎ、マナカンサスから一枚だけ葉をちぎっておいて、あとの花弁や葉、茎を上衣に包んだ。布の表面に、手持ちの薬用の馬油を軽く塗りこんでから水辺近くの茂みに仕込む。次に茂みからかなり距離をとって、軽く火を焚く。ちぎっておいた葉を炙って煙を浴びた。十分に浴びたら、適当な石をくくりつけた枝先に点火する。最後に、火元を足でもみ消した。
ここが正念場だ──決意を固めたキールアは大木の根元に身を隠し、やがてやってきた『戌旺』を視界の先に捉えた。『戌旺』は黒ずんだ鼻先をすんすんと地面にこすりつけながら、近くまで歩み寄ってくる。見上げるほどの巨躯に、肩が震えて固まる。恐ろしい見た目に変わりはない。しかし、恐れている場合ではないのだ。
『戌旺』は、上衣を隠した茂みに寄っていく。なにせキールア本体は炙ったマナカンサスの煙を浴びている。キールアの目論見通り、彼女の衣類に引き寄せられた『戌旺』が、茂みの中へ顔をうずめた、瞬間。彼女はいまだ、と、着火している枝つきの石を茂みに向かって投擲した。空中でくるりくるりと旋回した枝先が、やがて茂みに着地すると、瞬く間に茂みを包むように火が立った。マナカンサスは火に炙ればたちまち強烈な薫りが立つ植物だ。煙を被っただけでも薫りを発生させるそれが、嗅覚の優れた犬型の生物に無効なはずはない。
マナカンサスの激臭を吸い込んだ鼻が天高く突き上げられ、頭を大きく振り、じたばたと『戌旺』は暴れ始めた。固唾を飲んで見守っていれば、『戌旺』は足元を踏み荒らしたあと、巨体を翻して一心不乱にどこかへと駆け出してしまった。
おそるおそる大木の裏から顔を出したキールアは、はっとした。
(術者のもとに帰るんだ!)
燃え立つ茂みの火の手がこれ以上回らないうちに、キールアは水辺に足首まで浸からせ、ばしゃばしゃと水をひっくり返して消火した。『戌旺』の巨大な足跡を追って辿り着いた先では、やはり、レトと火傷痕の男が相対していた。
レトは一部始終の説明を受け終えた。感心する反面、危険を顧みない彼女の行動に、少々の不安と苛立ちとがくつくつと腹の底から煮え立ってくるのを感じた。眉をひそめ、苦々しい顔で彼は言った。
「向こうは普通の飼い犬じゃない。次元の力だ。下手すれば食い殺される。たしかにどの道、策は考えるべきだけど、お前のしたように道を選びながら森を抜ければそれだけで十分だった」
「でもだってレトヴェールくん、危なかったじゃない!」
キールアが、めずらしく間髪入れずに、はっきりとした声で反論してきたのでレトは目を丸くして彼女の顔を見た。
『戌旺』がなかなか扉を閉じないうえ、術者のもとにも帰らないので、キールアは心配でたまらなかった。『戌旺』のあとを追って道を引き返した先で、レトの首に剣の切っ先が差しかかっているのを目撃したら、いてもたってもいられず、声をかけていた。
返す言葉が見つからず、レトはしようがなく黙った。「心配するな」「余計なお世話だ」「あとから追う算段はできていた」──堂々と虚勢を張るには十分な文句があったのに、できなかった。図星をつかれていたのだ。
「……悪い」
息を詰め、言葉を探し、ようやく唇からこぼれ落ちたのは、そんな情けない声だった。キールアは、思いがけない彼の弱音にどう返したらいいか迷った挙句、「ううん」と小さくかぶりを振った。
レトがふいに仰いだ空はまだ青かったが、彼はきつく眉根を寄せた。すばやく火元を消して、荷物をまとめ始める。
森林では、日が傾き始めてから暗くなるまでが早いし、日が落ちればあたりは深い闇に包まれてしまう。身動きが取れなくなってしまえば不安が募り、緊張状態が引き延ばしになるだけだ。
「日が落ち始める前に動くぞ。とりあえず、お前をカナラに送り届けたらあとは指示をする。俺は引き返して、隊と政会連中に上手いこと話を通す」
「……」
キールアは頷くとも、返事をするともなく、その幼い顔に暗い影を落としていた。頼み事はなかったことにされたのだろうか。跡形も残さずに殺してほしい、などと背負わせようとしたのが、愚かな考えだったのか。彼女の瞳にはほとんど生気が宿っていなかった。
日没までに森を抜けなければと気負いすぎたのだろう、レトは途中の分かれ道で、行き先を誤った。大地が緩やかに盛り上がっていくのを訝しんではいたが、しかし引き返している余裕がなかった。しまった、と後悔したのは、進路を断つように切り立った絶壁の崖の上に立たされてからだった。
崖下を覗けば、遥か下方ではテンハイトン川が立派に幅をもたせてごうごうと流れていた。
「……こっちじゃなかったな。悪い、途中の分かれ道で道を誤った」
「大丈夫。じゃあ、戻ろっか」
向こう岸で青々と茂っている林道はまだ、日に照らされて白く光っている。2人が踵を返した途端だった。来た道の方向からひやりとした殺気が飛んできたのだ。外気とはちがう寒気が足元から背にかけて肌を逆撫でした。
「その娘を引き渡せ」
火傷痕の男は林の陰から現れると、威圧的な低い声で、レトに言った。
無駄な争いはしないよう体裁を整えるため、あえて剣を抜いていないのだろうが、そのじつ男には隙がなかった。側に控えさせている『戌旺』も身体の大きさは元に戻っているものの、歯を剥き出しにして低く唸っている。くれてやったマナカンサスの激臭はすっかり抜け落ちたのだろう。足がつかぬような道を選んできたのに、短い時間で距離を縮めてこられたのはそのせいだ。
男を睨みながらレトは、頭を回さなければならなかった。背後には崖。すでに足が竦んでしまっているキールアを抱えて男の脇をすり抜けるのは厳しすぎる。身体をひとつでも揺らせば男は鞘に手をかけそうな剣幕である。
ぐちゃぐちゃと絡まってほどけそうにない思考の奥に、ふと、レイチェル村の田園風景が広がった。
レイチェル村に突然襲来した、翼竜型の元魔。たくましい翼をたたえた化け物の出現はまだ幼いレト、ロク、キールアに恐怖を与えた。元魔が襲いかかってくると、レトは咄嗟にキールアを背後に隠したのだった。何を考える余裕もなかったのにそうした。田園風景は、霧が晴れるように白々と開けて、するとキールアの母──カウリアの顔が浮かんできた。
頼んだよ、とカウリアはただひとつそれだけをレトに託したのだ。
「キールア。殺される覚悟があるんだったな」
名前を呼ばれて、キールアは気の抜けたような声で、え、と口からこぼした。
「跡形もなく殺してやるよ。お前の望みの通り」
言われるやいなや、キールアの肩をレトが抱いて引き寄せた。男の指先が鞘に伸びる。同時に足が浮く。それよりも早く。速く。レトの足は地面を蹴って跳び上がっていた。
身体が宙に浮いて、緩やかに頭が傾きかけたときに、キールアは川の香りを吸い込んではじめて、崖から落下しているのだと理解したのだ。
眉一つ動かさなかった男が、細い目を大きく開いて、初動作を完全に止めてしまったのに、レトたちはそれを見るまでもなく崖下に消えた。
レトは腰元の鞘から一本、すでに抜刀していた。テンハイトンの水流は勢いづいており、岩壁から白いしぶきが跳ね返っている。しかし崖の上から覗いたときに余計な岩やほかの遮蔽物はほとんど見えなかった。無事に着水してしまえばあとは水の流れに身を任せられる。目下の問題はただ一つ。着水するまでの距離がもうない。一秒、二秒が生死を分けるだろう。
「できるだけ息を吸え!」
レトは大きな声で言って、天高く、剣を振り上げた。右腕の中で抱きこまれているキールアは言われるがまま胸と腹に息をためた。
川面が、すぐそこまで迫る。
前唱を唱えている時間はない。レトは覚悟に満ちた目をしていた。
「真斬──!!」
脳裏に描くは、五等級の厚い扉。血管内の元力が脳から左手指まで、一直線上に沸き立った。縦一線。銀の刀身が振り下ろされれば、白い真空波が唸りをあげて川面を叩き割った。瞬間、水面から太い首が伸びて、大きな弧を描く。すかさずレトは息を吸いこんで、抱きかかえたキールアとともに、透明な水柱に身を投げ入れた。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.124 )
- 日時: 2023/02/05 12:30
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第112次元 純眼の悪女ⅩⅡ
眼下では、テンハイトンの川水がごうごうと激しい音を立てながら流れていた。あの激流へ投身した少年と、キールア・シーホリーはまず助からないだろうとルドルフ・オークスは冷静になった。
ウーヴァンニーフ領の地理にさえあまり興味も湧いておらず、細部まで記憶していないルドルフはしかし、エントリア領の名もない森を横切るテンハイトン川の流れを把握しつつあった。追跡をするうちに、風の流れが、動物の動きが、水の匂いが、彼の身体にしみついてきたのである。男は生粋の武人で、身一つとそれにまといつく感覚で物事を覚えていくのに非常に長けていた。
ルドルフはフルカンドラの実の息子ではない。少年期、ただの荒くれ者だった自分が拾われ、オークスの名を頂戴し、戦場に置いてくれたフルカンドラには返しきれない恩があるのだ。政の補佐は義兄らに任せ、養父の──政会会長の命のもと、軍人として身を捧げるのが、ルドルフにとって唯一絶対の喜びであった。
この川の流れる先では、滝が降っていたのではなかったか。頭の中で地形のパズルを引き合わせ、確信を抱くと、さっそく踵を返し、エントリアの此花隊本部へ足を向けた。外交官を父に持つ末官の男がなにやら肩幅をいからせて本部に参じたと聞く。その男に報告し、人を遣わす手配を整えてもらわねばならない。少年らを拾うとしたら最南の港、ミゼになるだろう。
*
崖から転落すればたしかに命の補償はない。殺してほしいとは頼んだが、しかし、まさかレトヴェール自身も命を擲つような行動に出るとは予想外だった。
川面に衝突するわずか数秒前。彼が次元技を放ち、水柱を生んで、強く抱き寄せられたときの感覚だけが妙に、身体に残っているような──。
肩に熱を感じて意識を浮上させればそこは、見慣れない木造りの室内だった。一間だけの狭い空間には物らしい物もなく、ただむんとした男特有の匂いが立ち込めている。キールアはさらに、老年の男性がまとうような匂いだと気がついた。
頭を軽く回せば、視界に白いものがちらついた。頭をゆるく締めつけていた包帯の端が、はらりとほどけて顔にかかったのだ。
(留め具、されてない。でも包帯巻いてるってことは、誰かに手当されてる……)
雑な処置だ、とめずらしくキールアは──心の中でだけだが──苦言を唱えた。
キールアの意識は存外はっきりとしていて、夢か現かはすぐに判断がついた。
生きている。
感激をするよりもまず、レトの安否が気になったキールアが、あらためて室内を見渡しかけたとき、近くで足音がして彼女は音のしたほうに顔を向けた。
「……!」
「おや。起きたか。嬢ちゃん」
入口にかかっている掛け布を避けて室内に入ってきた老年の男は、杖もつかずに、つかつかとキールアの寝床まで歩み寄ってきた。キールアのすぐ傍で腰を下ろし、ぎょろりと大きな丸い目を開いて、彼女の顔を覗き込む。
「あの……」
「ふむ。起きたならいい。悪いがわしは人の手当なんぞまるで知らん。生きておるだけでも感謝するのだな」
「……はい。助けていただいたようで、ありがとうございます。……あの、一緒に少年はおりませんでしたか? わたしと変わらない年ほどの、男の子が……いませんでしたでしょうか」
キールアは床に手をついて深々と礼をしてから、ふと顔を上げて、老人に詰め寄った。
老人は髪や眉なんかはすっかり白いし、髭も不揃いで、まぶたも落っこちそうなほど重ために目にかぶさっているが、見た目のわりには若々しそうに見える。無精髭を手で握ったりすいたりして、ふむ、とひとつ唸ると答えた。
「知らんな。見かけておらん」
「……」
キールアは息を呑んだ。ただでさえ、落下した地点の川の流れは、荒れていた。水脈が枝分かれでもしていたのだろうか。どうか無事でいてほしいと、切なる望みだけがこんこんと胸のうちに湧きだして、キールアは老人にろくな返事もできずに黙りこんだ。
「……」
「女子ならもう1人おったが」
「はい?」
思いがけず頓狂な声がもれでて、キールアは慌てて、口元を手で覆った。目だけをぱちくりと瞬かせて、唇からゆっくり手を離すと、あらためて老人に訊ねた。
「もしかして……金色の髪、ではありませんか。瞳も、綺麗な金色です」
「まなこの色では知らんが。目を開けとらんからなあ。しかし、金じゃな。髪のほうは」
それを聞くとキールアは、胸のつかえがとれたように、深い安堵の息を吐いた。どうやらレトのことも拾ってもらえていたらしい。そうだ初見では、彼の容姿が少女に見間違えられてしまうのを、すっかり忘れていた。
しかし室内を見渡してみても、彼らしい姿はない。キールアは不思議に思って、首を傾げた。
「彼はどこへ? 目を開けていないと仰っていましたが……」
「ああ、傷だらけじゃったからな、薬草つんでもどってくるのが面倒でな、引きずって連れてっとった」
「引きずって!?」
「ああ、違うな。背負ったわい」
「はあ……」
いまどこにいるのかを訊ねてみれば、山菜やら薬草やらが成っている木のふもとに転がしておいているのだと老人は答えた。レトを放置して家に戻ってきたのも、喉が渇いたせいじゃと、水筒を探す素振りを見せていた。キールアは頭を抱えたのだが、命の恩人である手前、このやろうとまでは罵れなかった。
採集場まで同行させてほしいと頼めば、老人はとくに断らなかった。
自分たちを拾った経緯についても訊ねてみれば、老人は道すがら教えてくれた。
そもそもまだ、エントリアとカナラとを繋ぐ森の中にいるらしいことがわかった。とはいってもかなり南に下りてきており、地図上ではレイチェル村のほうが先に着いてしまいそうな地点だ。
レトとキールアは滝壺の水辺で気を失った状態で老人に発見された。滝の上から垂直落下したのち、奇跡的に意識を保っていたレトがキールアを抱えたまま水辺に行き着いたところで、気を失ったのだろう、と老人は述べていた。
キールアは経緯の一部始終を耳に入れながらもずっと胸が痛んでいた。
老人に案内されてついていけば、たしかに、適当な草むらの上にレトは寝転がされていた。顔色は悪くなく、まるで彼自身も植物と成り果ててしまったかのように日光浴させられている。安否を確認すれば、キールアは一安心していた。
老人はというと、腰を曲げながらあっちに行ったりこっちに行ったりとうろついている。当初の目的では、この近辺に薬草が成っており、摘みにきたのだった。
「たしかこっちに……」
「こちらですね」
うろうろとしていた老人が腰を伸ばして、感嘆の声を上げながらキールアに近づいた。彼女は茂みの近くでしゃがんでいて、白くつつましい花弁を咲かせている草花を根本から引き抜いていた。
「ほう」
「ユガが成っています。種子は塾すと有毒になるので気をつけなければいけませんが、それ以外の部分は栄養価が高いんです」
「ほう! 詳しいのか」
細く青い葉をつけたユガを数本、地面から引き抜きながら、言われるとキールアは照れたようにすこしだけ笑みをこぼした。
「見習いですが、調薬師をやっています。どうかその少年……レトヴェールくんのことは、わたしに看させていただけませんか」
キールアの頼みを断るはずもなく、老人は「手間が省けたわい」と高々に笑った。聞けば、半日ほど診てもらっており、あたりはすでに真っ暗な夜を迎えていたのだった。ついでに山菜にも詳しいキールアは、老人宅までの帰り道にいくつか採集すると、今晩のご飯の話もした。老人は気のいい性格で、ぜひ振舞ってくれと目尻に皺を寄せていた。
この夜、キールアは、自身でも休みつつではあったが、レトの看病についた。
しかし、深く昏倒してしまっているせいか、レトはなかなか目を覚さなかった。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.125 )
- 日時: 2023/02/19 12:45
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第113次元 純眼の悪女ⅩⅢ
レトヴェールが目を覚ましたのは翌日の、もう日が落ちかけて、山々に橙の光が差していたときであった。寝床を離れていたキールアは、木桶を抱えて掛け布の下をくぐってすぐに立ち止まった。上体を起こしているレトと目が合ったからだ。
「……! レトヴェールくん、大丈夫? 目覚ましたんだね」
「……ああ」
まだ意識がぼんやりとしているのか生返事を返して、レトは、寝床まで小走りで寄ってきたキールアの顔を見た。彼女は緊張の糸がほぐれたような、安心しきった笑みを薄く浮かべていた。
水の入った木桶を枕元に置くと、キールアはレトの額に手を伸ばした。冷や水に漬けてきたような、ひんやりとした手の感覚が、レトの額に触れる。
「熱はもうなさそう。今朝まではね、すこし熱があったの。でも引いたみたい。お腹空いてる? なにか口にできそうかな」
「すこしなら」
「わかった。ちょっと早いけど、お夕飯の支度をするから。安静にして待っててね」
「……。ところでここ、どこだ」
訝しげにレトが訊ねれば、あ、とキールアは声をもらして、慌てて現状の説明をした。
謎の老人が住んでいる家だと聞いて、さらに眉間の皺を深くしたレトだったが、その老人とやらがひょっこりと顔を出してきたので挨拶を済ませた。中央に囲炉裏が切られているから家と呼ばれれば納得はしたが、物らしい物は最小限でがらんとしているし、一日のうちのほとんどの時間は外出しているようだ。実際、老人は家を空けている時間が長かった。
キールアが煮て作った山菜の味噌汁をゆっくりと喉の奥に流しこめば、新鮮な菜の匂いが鼻腔をくすぐった。冷え切った川水に揉まれていた記憶が新しいものだから、暖かい飲み物は身体の芯に染みた。
「滝壺の水辺で、倒れてるところを見つけてもらったらしいの。レトヴェールくんがそこまで、運んでくれたの?」
「あんまり覚えてないけど、たぶんそう。力尽きたんだろうな」
「そう……」
手指を絡め、意図もなく指先をいじっていたキールアは、なにか言いたげな目を伏せた。
しばらくして老人が帰宅すれば、3人で囲炉裏の火を囲んだ。老人は、話好きではないのか、食事をとっている間は静かに箸を動かしていた。
ただ、
「寝床をとって悪いな、爺さん」
「なんの。構わんよ。休みなさい」
小屋に人が増えて、窮屈になったとて悪い顔はされず、レトはほっとした。ずけずけと素性を聞いてきたりもしなかったので、レトとキールアは余計な気回しをする必要もなく、穏やかに夕餉の時を過ごした。
まだ夜も深いうちに、キールアは不意に目を覚ました。すっかり看病癖が板についてしまって、レトの寝床の傍らで寝こけてしまっていたらしい。軽くみじろぎをしたときに、はっ、と息を詰めた。寝ていたはずのレトが忽然と消えてしまっているのだ。
「レトヴェールくん……?」
室内では、老人が1人、部屋の隅で背中を丸めているだけだ。いったいどこへ行ってしまったんだろうと、外に出て、近場を歩いているとふと、自然ではない物音をとらえた。音は不規則に、なにかで空を切っていて、引き寄せられてみれば音の正体がわかった。
木々の葉の隙間から、とぎれとぎれにこぼれ落ちた月光が、きらきらと二双の刀身を照らしている。レトは、滝壺を背に、舞うように双剣を薙いでは、美しい金の髪を靡かせていた。
キールアが息を呑んで彼の姿を見守っていたときだった。レトは唐突にびくりと肩を震わせて、剣を取り落とした。甲高い金属音がして、はっと我に帰り、キールアは慌ててレトの背中に声をかけた。
「……! 安静にしてないと、だめだよ。どうしてこんな時間に……」
「目が覚めた。ついでに体がどれくらい動くか確認してる」
滑り落とした剣を拾いながら、レトはぶっきらぼうに答えた。
火傷痕の男に抉られた肩がまだ鋭く痛んでいる。けれど、剣を交えたあの数瞬に掴みかけた動きを忘れたくなかった。筋肉の動きはどうだったろう。重心は。息つぎはいつしていた。鳥の声。草木の匂い。土の柔らかさ──何度も何度も脳裏に思い起こして、切り取った数分間を、レトは正確に再現しようとしていたのだった。
刀身を見つめてだんまりとしてしまったレトに、キールアはなおも食い下がった。
「完治してからじゃだめなの? レトヴェールくん、頭も打っていたし、傷も治りきってないでしょう。……心配で。あんまり無理……しないで」
尻すぼみになりながらも、キールアはそう言った。レトは、俯いたキールアの顔をじっと見て、それから、ふと視線を外す。周囲の気配を探った。しばらく気を張っていたが、やがて彼は短く嘆息して、双剣を鞘に収めた。
「現状は、変わってない。このへんに人気は感じないから、いますぐに襲われるなんてことはないだろうけど」
レトは言いながら水辺に腰を下ろし、足を崩した。また人ひとり分の間隔を空けて、キールアも隣に並んだ。
爽やかな初夏の風が、さらり、と吹き抜けていく。滝壺の水面がたおやかに揺れた。水面に浮かんでいる葉はのんきにゆらり、ゆらりと遊泳していて、キールアは膝を抱えながら、ぼんやりそれを眺めていた。
此花隊の医務室から脱走し、森の中でレトに追いつかれてから、彼とは何度か会話をする機会があった。しかし常に気が気でなかったし、レトと2人きりになると途端に、どうしたらいいかわからなくなるのだ。だから煮え切らないような返答ばかりしてしまっていた気がする。
悪い癖だ。幼いとき、キールアは、レトに対しての恐れを隠していなかった。物言いは冷たいし、ぶっきらぼうだし、綺麗な目鼻立ちだがそれが余計に、周囲を寄せつけない要素の一つになっていた。彼を前にすると反射的にびくついてしまって、まともに会話を交わせた試しがなかった。
だけど、彼がもう冷たいばかりの少年ではないことくらい、キールアは知っていた。
沈黙が続くと、キールアは決意したように口を開いた。
「あのね、レトヴェールくん」
「なに」
「…………ありがとう」
意外な言葉をかけられて、レトは目を丸くする。見ればキールアは膝を抱えた両腕に、顔を半分うずめていた。視線は滝壺にやっていたがむしろ、レトとの間につくった──人ひとり分の間隔に意識が向いていた。
「崖から一緒に落ちてくれたこと。庇ってくれようとしたんだよね……? 滝壺から引き上げてくれたのも……。あなたがいなかったら、ここでこうして、生きていないのだと思う」
かぼそい声でぽつり、ぽつりとこぼしていくキールアの口元には、まだ暗い影が落ちていた。
レトは黙って聞いていたのだが、やがて試すような口ぶりで言った。
「殺してほしいんじゃなかったのか」
「……」
「そうだとしたら、命を奪いきれなかった。俺の失態だ」
夜の暗がりが邪魔をして、レトの表情は伺えなかった。正直、はっきり見えてしまうのも怖かった。けれどもきっと、本心から言っているのではないのだ。何度も言い聞かせていれば、次第に胸の奥から込み上げてくるものがあった。
キールアは、顔をうずめたまま、ゆるゆると首を振った。
「……。ちがう、そんなこと……。ごめんなさい。わたし、殺してほしいなんて、うそだった」
くぐもった声で告げたキールアは肩を震わせていた。寒さのせいではない。顔を上げられずに彼女は、自分の腕の中で泣いていたのだ。
「あなたが目を覚ましたときに、わたし、すごく安心した。自分でもびっくりするくらい、安心したの。生きててよかったって。そんなわたし自身も……生きて、ご飯を食べられて、あなたとこうして話ができることに、心の底からほっとしているの。……だから、ありがとう。助けてくれて」
両腕を掴む手に力をこめてキールアはもう一度、ありがとう、と告げた。ひとしきりしゃくってから、まちがってた、とも最後に付け加えた。
レトはただ静かに耳を傾けていた。相変わらず、目線が交わることはないのだが、ややもすればキールアの背中は震えなくなっていった。
ひとひらの若い葉が、船をこぎながら、滝壺の水面に降り立つ。波紋がじんわりと広がって、水面はまた穏やかに揺れる。
「……大したことは、してない。あいつらのいいようにされたくない……だけ」
返答に迷ったのか、レトはぎこちなくそう返した。でもなぜだかキールアは悪い心地にならなかった。彼女がゆっくりと顔を上げ、すん、と鼻をすする小さな音だけがした。
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.126 )
- 日時: 2023/03/05 12:00
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第114次元 純眼の悪女ⅩⅣ
静かに夜は深まっていく。もうすっかり虫のさざめく声と、風の吹き抜ける音ばかりになったというのに、レトヴェールもキールアも、滝壺の水辺から立ち上がろうとはしなかった。
やがて、キールアの方向から鼻をすする音が聞こえなくなると、レトは落ち着いた声で訊ねた。
「"跡形もなく"、殺してくれって、どういう意味だ」
キールアの言い方がずっと引っかかっていた。政会の人間に連れられて処分されるくらいなら、その前に命を絶ちたい──と考えるのは納得がいくが、キールアは自害を選択しなかった。そもそも生きたかったのだから自害をしなかったという思惑は差し置くとして、追い詰められていたのなら、自傷痕の一つや二つあっても不思議ではない。
そのうえ彼女は「跡形もなく殺してくれ」と頼んできた。跡形もなく、というのが自身の身体そのものを指しているのだろうが、遺体が残っていてはまずい理由が、レトには皆目見当もつかなかった。
キールアはなかなか口を割ろうとしなかったのだが、しばらく逡巡したのちに目を伏せると、レトに問い返した。
「……政会が、シーホリーの一族を捕捉したあと、どうするか知ってる?」
「どうするって。処分するとは聞いてる」
処分、に命を奪う意味も含まれていることを強調しながら、レトは言った。返答を聞くとキールアはふたたび静かになった。
ややもすれば、彼女は重々しい口を開き、真意を語りだした。
「そう。シーホリー一族の身体を処分するの。……ある部位を除いて」
「ある部位?」
レトは顔をしかめた。するとキールアは、懐から小さな巾着を取り出した。彼女が後生大事に持ち歩いているものだ。レトは、あの荒波にもまれて中身は無事なのだろうかと危惧したが、杞憂に終わった。彼女は紐を引いて袋の口を開くと、中から塗装された小箱を取り出したのだ。
キールアが小箱の蓋を開けると、顔を出したのは、美しい紫色をした宝石だった。
「眼」
一見、"そう"だと勘違いしてしまったのだ。それは切り整えられていない、鉱石から削りだされたばかりの原石。まごうことなき石の形をしていた。しかしキールアはそれが人体の一部だとはっきりと告げて、水面に写った月の光に反射させた。
「政会はシーホリーの一族の体に棲まう寄生虫を処分するとともに、それを口実として、眼を抉り取る。これは……この眼は、家族が殺されたときに、家の近くに落ちてたものなの。誰のかはわからないけど」
「眼……? いや、眼球には見えないな。どこから見ても、ふつうに宝石にしか」
「だから眼を奪っているんだよ。シーホリー一族の眼球は、ふつうの人間のそれとは違って、血液が通わなくなると──眼球全体が結晶化しはじめる。寄生虫が、人体に問題が起こったと判断して、守る手段をとろうとするからじゃないかなとは思う……」
血液の通わなくなった眼球──つまり本人が死亡するか、眼窩から取り外されるかした眼球にのみ、その変化は訪れる。
眼球を構成しているほとんどの水分が、眼球の腐敗を止めるように、結晶化し始める。もともとシーホリー一族の瞳は妖しく艶めきだった、世にも美しい紫色をしている。虹彩を起点にして結晶化が進むので、全体的に紫色がかった石のような物体になってしまうのだという。
よくよく見せてもらえれば、本来、瞳孔にあたる部分がうっすらと宝石の中央に滲んでいるのが見てとれた。
「これを奴らは、"悪女の瞳"と呼ぶ。それから金に替える。ごく一部の貴族の間でだけ、この瞳の真実と金が回っているの」
レトは真剣みを帯びた表情をして、ただきつく眉を寄せた。
シーホリーの一族を捕らえ、瞳だけを抉り取って、処分する──そこで終わるとは、レトは思えなかった。捕らえたシーホリー一族に、適当な異性をあてがい、無理やり子を孕ませるという手段も用いているのかもしれない。政会がそこまで非道な行いに手を染めるかは定かでないが、目的が金であれば、話は変わってくるだろう。王政が廃止された当初といえば神族からの襲撃が相次いで、国内各地が混乱に陥っていた。各地の立て直しのため、財政に喘いでいた時期であろうから、その当時からシーホリー一族に目をつけていたのであれば、まったく可能性のない話ではない。
おそらくキールアも頭のどこかでは、そうではないかと疑っているだろう。でなければ、「跡形もなく殺してほしい」──などとは言わない。あえて言葉にする内容ではないから、お互いに口にしなかった。レトはその"眼"を見ながら嘆息した。
「悪女の瞳……。とんだ侮蔑だな」
「……。シーホリーの始祖が、女性だから、そうつけられたんだと思う……でも、悪女だなんて呼んでおいて、好き勝手に捕らえて、殺して、目だけくり抜いて利用して……わたし、悔しくて悔しくて、たまらないの」
キールアの声は怒りに打ち震えていて、柔和な性格からは想像もできないほど低い声だった。
「お前、どうやってこの内情を知った? 政会と、ごく一部の貴族の間でだけ出回ってる話なら、お前の耳にまで届くはずはないだろ」
指摘されるとキールアは顔を上げて、情けなさそうに視線を落とした。
「わたし……シーホリーの一族にまつわる話、ぜんぜん聞かせられなかったの。両親から。たぶん、そのしがらみに取り憑かれないようにしてくれたんだと思う。……でも、どうしても知りたくて。なんで殺されたのか、知りたくて。自分なりに考えて、いろいろ調べてた。それでもやっぱり限界があったから、政会の諜報員をやっている人のもとに転がりこんだ。そうすれば、もっと詳しい情報が掴めると思ったから」
「は? ……待て、お前、知ってたのか、あの薬屋の店主が、政会の人間だって。知らなかったから、それが割れて、あの店を出たんだってお前、言ってただろ」
キールアは、はっとすると、ばつの悪い顔をして、わかりやすくレトから視線を逸らした。
どうやら嘘を言っていたらしい。レトは呆れて物も言えなかった。無茶をしないでと他人には指摘していたが、敵の懐に潜り込むような真似をするのは無茶に値しないのだろうか。レトが言葉を失っている間も、言い訳はせず、キールアは黙って視線を逃れていた。
さらに問い詰めれば、身の上がバレたから逃げたのではなく、これ以上はレトに被害が及ぶと判断したから、薬屋から出ていったのだと真意を語った。
「お前な」
「ごめんなさい、嘘ついて。だって……本当のことを言ったら、呆れられると、思ったから」
「……」
呆れないと言えば嘘になるのだが、まだキールアがこわごわと身構えているので、レトは閉口した。
だがそれ以上にレトは驚いていた。部屋の隅で縮こまっているような少女だったキールアが、親姉弟の仇である政会の人間と接触を図ろうとした事実に。大胆かつ危険な行動に出てまで彼女は、真相が知りたかったのだ。
愛する家族が血のためだけに理不尽に殺害されれば、人格のひとつやふたつ変化するだろう。レトはすこし考え込んだだけで、これ以上キールアに言及したりしなかった。
いっとう冷たい夜風が吹いて、キールアが身を震わせた。初夏とはいっても薄着で夜に出歩くものではない。だのにずいぶんと軽装で話しこんでしまった。
「悪い、話しこんだな。そろそろ戻るぞ」
「そうだね」
キールアはこくりと頷いて、先に立ち上がったレトに続いた。
静かな夜道では靴底の音がやけに響いていた。2人は小屋まで続いている緩やかな坂を登っていく。とくに会話もなく黙々と帰路についていたのだが、途中でふと、レトが足を止めた。
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