コメディ・ライト小説(新)

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最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
日時: 2025/06/22 21:01
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 毎週日曜日更新。
 ※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。

*ご挨拶

 初めまして、またはこんにちは。瑚雲こぐもと申します!

 こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
 ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
 しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
 よろしくお願いします!



*目次

 一気読み >>1-
 プロローグ >>1

■第1章「兄妹」

 ・第001次元~第003次元 >>2-4 
 〇「花の降る町」編 >>5-7
 〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
 ・第023次元 >>26
 〇「君を待つ木花」編 >>27-46
 ・第044次元~第051次元 >>47-56
 〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
 ・第074次元~第075次元 >>83-84
 〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
 ・第098次元~第100次元 >>107-111
 〇「純眼の悪女」編 >>113-131
 ・第120次元〜第124次元 >>132-136
 〇「時の止む都」編 >>137-175
 ・第158次元〜 >>176-


■第2章「  」


■最終章「  」



*お知らせ

 2017.11.13 MON 執筆開始
 2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
 2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
 2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
 2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞

 
 ──これは運命に抗う義兄妹の戦記
 

 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.38 )
日時: 2020/01/31 12:25
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: FFsMNg05)

 
 第035次元 君を待つ木花ⅩⅡ

 脱兎のごとく、ロクアンズが草木の茂みから飛び出した。身体中から微弱な電気を発しながら、リリアンとリリエンに向かって猛突進する。
 ようやく出てきたかといわんばかりに、双子の片割れであるリリアンが口角を吊りあげた。肩までの青碧色の髪を耳にかけ、横長の笛を唇に近づける。色気を孕んだその口元から、まるで品のない叫びが飛んだ。

 「何回来ても同じだっつぅの! ──五元解錠、思穿ッ!」

 甲高い悲鳴のような音が伝播する。狙うは、馬鹿正直に向かってくるロクと、その後ろに続いているレトヴェールの2人。繰り出した音波は凄まじい速さで2人の身体を呑み込もうとする。
 しかし。

 「五元解錠──雷撃ィ!」

 ロクはその場で急停止すると同時に、両手を突き出した。掌から雷撃が放出される。従来通りであれば雷は四方に拡散しているところだ。しかし、それがまるで壁となるように姿を変えていて、ロクとレトの2人を守り──音波と衝突した。
 ロクの思惑通りだ。"思穿"による強烈な音は、電気の壁とぶつかることによってその進路を絶った。雷鳴と旋律との対峙によって生まれた爆音が直接鼓膜に襲いかかってはくるが、耐えがたいほどの刺激ではない。驚いたリリアンの唇が、吹口からすこしだけ外れる。

 「な……ッ!」
 「女の子のほうが雷を使って、お前の音にぶつけてるんだ。イイ対策だ」
 「キィ~ッ! ナマイキねっ!」
 
 ロクは動きだした。半球状の壁から漏れ出している微弱な電気が、音の波を掻き分け直進する。重たい力が働いているために、思ったように前へ進めずにいるが、彼女はそれでも一歩ずつ確実に土を踏みしめていく。
 ふっと音の波が弱まった。汚いものを見る目で、リリアンがロクのことを睨みつける。
 
 「大人しく……苦しんでなさいよッ!」

 耳を劈くような音波が再来した。ロクはまたしても雷の膜を張り巡らせ、強烈な音に正面から迎え撃つ。
 が、その場で踏ん張るロクの足元が、わずかに後ろへ下がった。

 「っ! 威力を上げた……!?」

 圧し負けないようにと固めた姿勢のまま、どんどん後方へと押し返されていく。気は緩めていないはずなのに、とロクが顔をしかめた。
 ──そっちがその気なら。ロクの全身から勢いよく電気が飛び散ると、若草色の長い髪がぶわりと巻き上がった。

 「こっちだって!」

 火力が、電熱が、急上昇する。力と力の衝突が生んだ暴風がロクの長い髪を嬲った。足元はぴたと止まる。押し返されはしないが、前進できるほどの余裕もない。力は拮抗している。
 いままで動きを見せなかったリリエンが、隣で立つリリアンに耳打ちする。

 「リリアン、いまだ。技を解け」

 リリアンが眉と目だけで笑みを返すと、次の瞬間。
 ──驚くほど唐突に、すべての音が消え去った。

 「え?」

 バチッ、と、電気が空を縫って溶ける音。それだけだった。夜に酒場から、だれもいない湖畔へと瞬間移動したかのような想像に陥る。恐ろしいほどの静寂の中、ロクの身体が、反動によって前へ大きく傾いた。

 「五元解錠──"進伸しんしん"!」

 1本の縄が、ロクの身体をめがけて物凄い速さで向かってくる。

 「ロク!」

 ロクの肩を乱暴に掴み、レトは即座に前へ躍り出た。次元の力『双斬』はすでに発動している。レトはその手に握っていた双剣で素早く空を薙ぎ、迫る来る縄の先端を斬り払った。
 
 「うっわマジで? そんじゃ」

 縄は、まるで意思を持っているかのようにひとりでに動いた。そして体勢を持ち直すとすぐに、レトの身体に飛びかかった。

 「レト!」

 ロクの叫びは虚空へと吸いこまれる。捕らえられたレトの身体が宙に浮いた。すると、彼は瞬く間に地上を離れ、どんどんと空高く、高く、浮上していくのを嫌でも実感した。胃液が逆流しそうだった。ひどい吐き気と眩暈が同時に襲いかかってくる。
 気がつけば、地上とは絶縁した、遥かな空の上にいた。
 そこからの景色には、広大な平地とその周囲を取り囲んでいる森、そして小さな点が3つ並んでいた。レトの身体は固く縛りつけられて、身動きは一切とれなかった。
 おなじようにロクにとってレトが小さな点となると、彼女は真っ青な顔で空に向かい、大声を張った。

 「レトーっ! レト!」
 「ありゃりゃ~。残念だったねぇ、お嬢ちゃん。あの男の子、こーんなに小さくなっちゃって」

 リリエンは右手の人差し指と親指の先を近づけ、わずかにできた隙間によっていまのレトの姿を再現した。もう片方の左手で握っている"縄"は、空の上にいるレトの身体と繋がっている。
 リリエンがその手に掴んでいる縄は『尺縄じゃくじょう』と呼ばれている、まぎれもない次元の力だ。
 『尺縄』は一見ただの縄だが、次元技によってはその縄を自分の手足であるかのように自在に操ることもできる。さきほど、縄が生き物のようにレトの身体に飛びついたのもその能力に由来する。
 まるで子どもが玩具で遊ぶように、リリエンは縄をゆらゆらと揺らした。

 「いますぐレトを離して!」
 「べつにいーけど、ほんとに離しちゃっていいワケ?」
 「え?」
 「あの高さから落ちたら……どうなるんだろうねーぇ?」

 体内中の血液が急速に沸騰するような、そんな感覚を覚えた。ロクは打って響くように怒鳴り声をあげる。

 「ふざけたこと言わないで! 人の命をなんだと思ってんだッ!」
 「アンタそれ、人のこと言えんの? なりふり構わず雷ビリビリさせちゃってさぁ。それで万が一、人が死んじゃったらどーすんのよ」
 「あたしはぜったいにそんなことしない!」
 「あっそ。つかべつにいーじゃん。人を殺しちゃいけないルールもないのにさぁ。他国とドンパチやってるこの時代に、命の尊さとか言われてもねぇ。まあオレとしては? べつにあの男が死のうが生きようがどっちでもいーんだけど……」

 あっちへこっちへ視線を遊ばせていたリリエンが、ふいにロクと目を合わせた。

 「さ、どーするお嬢ちゃん? この村のことはすっぱり諦めてウチに帰るか?」
 「あたしは、この村の人たちを助けたくてここまで来たんだ! このまま帰るわけないでしょ!」
 「へー。んじゃ、そっちを選ぶってことで……あの金髪くんは、どうなってもいいっつーことだな?」
 「そんなわけあるか! そんな、どっちか片方なんて」
 「選べよ。どっちか、片方。人生だっておなじだろ? 選んでんだよ、知らず知らずのうちにな」
 「──ッ!」

 小さな点が、3つ。レトにわかっているのは、その点の1つが自分の味方で、もう2つが敵ということ。そしていま、こちら側が確実に劣勢であるということだけだ。

 (……悪い予感がする。もし俺の予想が正しければ、いま、ロクは……俺のせいで動けなくなってるはずだ)

 レトは地上で起こっているであろう事態を懸念していた。皮肉なことに、彼の優秀な考察力によって打ち出されたその悪い予感は、的を得ていたのだ。
 レトを離してほしければ。落とされたくなければ。目の前で殺されたくなければ──。
 そんなような文言を、ロクに吐いているに違いない。レトはいまほど自分の状況を呪ったことはなかった。悔しさのあまり噛んだ唇から、小さな血の雫が滴り落ちる。

 (……くそッ、なんで!)

 よりにもよって自分が、最悪の状況を招いてしまった。心のどこかで、いつの間にか頼りにするようになってしまっていた。だれからも愛されてだれからも期待される、そんな小さな英雄のようにも思える義妹の、──荷物でしかないいまの自分が、恥ずかしくて、嫌でたまらなかった。

 どうせ追いつけやしないのに。
 それならせめてと、足枷にだけはならないように、
 ずっとそう思ってきたのに。

 (俺は、)

 レトは右手に持った短剣を、痛いほど強く握りしめた。

 身体中をきつく縛られてはいるが、幸いなことに手首の自由だけは許されていた。
 地上に向かってまっすぐに伸びる縄。手首の動作を確認する。軽く振っただけだったが、剣の刃が、きちんと縄に触れた。

 レトは息を吸いこんだ。
 通信具が、ざざっ、とノイズを立てる。

 『ロク、聞こえるか』
 「レト! レトだよね!? 待っててね、レト! いますぐ助けるから!」
 『……。ロク、おまえあの女の笛を狙えるか? ただ狙うだけじゃなくて、雷の膜を張ってからだ。その膜から一点だけでいい。糸みたいに伸ばして笛を狙ってほしい。俺のことは気にしなくていいから』
 「え……? で、でもそんなことしたら」
 『俺にも策があんだよ。おまえは、おまえのことだけやればいい』

 機器の向こう側にいるレトは、至って落ち着いた口調だった。相当自信のある策なのかもしれない。レトの腕を信じて疑わないロクは、間を置かずに頷いた。

 「わかった。あたし信じるよ、レトのこと」

 ロクは決意をこめてそう返す。いつもの短い返事がなかったが、それほどレトも切迫しているということなのだろう。そう思ったロクは、くるりとリリアンのほうに向き直った。

 「なぁにぃ? もしかして、あの子の命はどうでもよくなっちゃったのぉ? アンタけっこう薄情なヤツだったのねぇ~?」
 「ちがうよ。信じてるんだ。──レトのこと、信じてるから、あたしは戦えるんだ!」

 ぐんと右手を突き出す。と、雷電が掌から腕にかけて這い上がった。

 「五元解錠──雷撃ィ!!」

 眩い光とともに放たれた雷撃は、金色の壁となってロクの周りを丸く囲った。ロクは突き出した右手に、おなじように左手を添えた。
 一点を、糸のように。
 レトからの指示を、頭の中で反芻する。イメージする。ロクは一度閉じた左目を、力強く開いた。

 「いっけェ──!」

 半球状の雷の壁から、一本の糸が伸びる。それは電気の糸だった。空を焼き切りながら直進する雷の閃光は、リリアンの持つ長笛にまっすぐ向かっていく。
 動揺したリリアンは、咄嗟に吹口を噛んだ。

 「こっ、こないでよ! ──き、"響波きょうは"!!」

 甲高い音色が響き渡る。空気が大きく波打ち、次いで突風が巻き起こった。脳を刺激するような音ではなかった。が、荒く波立った風には、電気の糸の軌道をねじ曲げるくらい造作もなかった。

 「しまっ──!」

 そのとき。

 「あれ?」

 リリエンが、手元に違和感を感じたときには、遅かった。
 彼はふと空を仰いだ。

 「……は?」

 黒くて細長い一本線。大空を横断しているそれが、自身の次元の力である『尺縄』だということはすぐに理解できた。だが、それとはべつの黒い点のようななにかが、なにかの輪郭が、徐々に大きくなっていくのも見えた。
 リリエンは目を剥いたまま完全に硬直する。形が明らかになるより先に、全身から血の気が引いていくのを感じ取った。

 「う……ウソだろ! あいつ、あの高さから飛び降りやがったッ!」

 ──え、と。ロクは小さく声をもらして、反射的に空を見上げた。
 その左目に映ったのは、まぎれもなく、レトヴェールその人が空から落ちてくる様だった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.39 )
日時: 2018/10/04 10:53
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: HyYTG4xk)

 
 第036次元 君を待つ木花ⅩⅢ

 リリエンの次元の力『尺縄』によって空の上へ連れていかれたレトヴェールは、驚くべき行動に出た。ロクアンズが空を見上げたときすでに彼は、大空に波打つ風の中へ飛びこんでいたのだ。金の髪を振り乱しながら、彼は地上へ向かって急降下している。

 驚愕のあまり声も出せなかったのは、フィラもおなじだった。

 (い、いったい、なにが起こって……──っ!?)

 フィラは息を整える間もなく唖然とした。彼女はたったいま到着したばかりだった。木の幹に添えた手が震えている。
 ロクがヴィースの家に向かったということはわかっていた。だが、まさか彼の付き人である双子の次元師と相見あいまみえていたとは夢にも思わなかった。

 「……そんな……」

 カタカタと震えた両手で口元を覆い隠すように驚くことしか、フィラにはできなかった。

 地上では風が吹き荒れている。『爛笛』の次元技の1つ、"響波"が引き起こしたものだ。ロクは強風によってその左目を瞑るほかなかった。が、すぐに瞼を起こそうと奮起する。
 理由はほかでもない。義兄のレトが空から降ってくるのだ。気にしなくていいとはたしかに告げていたが、これほど無鉄砲な策だったとはまったく予想していなかった。できなかった。頭の中は正直にできていて、ロクは混乱していた。
 風で濁った視界に、レトの姿が飛びこんでくる。
 彼は顔の前で両腕を交差させていた。身体を丸めて、リリアンが繰り出した強風の中に突っこんでくる。
 激しい潮の流れに身を任せるように、強風の中へ投じられた肢体は容赦なくその力に嬲られ真横へ吹き飛んだ。

 「レト!!」

 ロクは、レトの姿を目で追った。風に弄ばれ、地面に身体を打ちつけたかと思ったらすこしだけ浮いてまた地面と衝突し、平地の上をもの凄い勢いで転がっていく。
 ふと、風の力が弱まった。ロクはすかさず、人形のように倒れているレトのもとへ駆け寄るとその背中に飛びついた。

 「レト! ねえレト! レトってばっ!」

 顔を覗きこむも、金色の前髪がちらついていて具合の善し悪しはわからなかった。ロクは必死にレトの上体を揺らし何度も声をかける。間もなくして、レトの唇がわずかに動いた。

 「……るせ。心配、すんなって、言っただろ」
 「レトっ! ……よかった、レト……よかったぁ」

 ロクはいまにも泣きだしそうな顔で、へにゃりと笑みをこぼす。情けない顔だなと思いながらレトはすこしだけ俯き、とにかく立ち上がろうと試みるが、すぐに、全身に力が入らないことを悟った。それだけではない。腕や足をすこしでも動かそうものなら途端に激痛が走り、体勢を正すことすら憚られた。顔には出さないが、もうこれ以上動けないだろうとレトは察した。

 「……うっわぁ~……あいつ、リリアンの風を利用しやがったな。あそこまでやられちゃうとちょっと、さすがに引くわぁ」

 遠くのほうでやりとりをしているロクとレトを眺めながら、リリエンが頬を掻いた。
 隣で、リリアンが小さく呟く。

 「……なにあれ」

 彼女の口から聞いたことのない低音がこぼれて、リリエンはぎょっとした。

 「アタシちゃん、ああゆうの、ホンっトに無理!!」

 リリアンは激昂しながら長笛に噛みついた。

 「六元解錠──思穿!!」

 ロクは咄嗟に振り返った。しかし、すでに眼前にまで迫っていた音波が、猛烈な勢いで2人の脳内に喰らいついた。

 「うああッ!」

 これまでの比ではない。両手を離せばすぐにでも頭部が砕け散ってしまうのではないか。そんな想像が脳裏を駆け抜けていった。意識を保てているのが奇跡といえるほど、その痛覚は想像を絶するものだった。

 (こ……これが──六元、解錠!?)

 考えてから、ロクははっとした。気を抜けばすぐにでもどこかへ持っていかれそうな意識を懸命に呼び止めて、義兄であるレトのほうを向いた。彼は地面に突っ伏し、苦しそうにうずくまっていた。

 「……っ、ら、雷撃ィ!」

 頭を強く抑えながらロクは絶叫した。手の甲から、雷が火花のように発散する。空中を彷徨う電気はロクとレトを包みこむように球体を象り、防壁と化した。
 なおも抵抗しようとするその姿勢は、リリアンの加虐心を余計に煽った。

 「そんなモロい壁で、防げたつもりぃッ!?」

 笛から発せられた音波が、広い平地の風を切る。どしん、と一帯に負荷がかかった。かろうじて両足で立てているだけでロクの膝はひどく震えていた。ロクが苦しげに表情を歪ませているのを、リリアンは持ち前の甘ったるい声音で笑い飛ばす。
 
 「キャッハハハハハ! イイ気味ぃ~! どっかの国でなんかうまいことやってぇ? いまじゃ有名人なんかになっちゃってチヤホヤされてるみたいだケド……ブ・ザ・マね~ぇ! さっすが、おこちゃまってトコかしらぁ!?」

 カチン、と。ロクの脳裏を怒りの感情が掠めた。彼女は『子ども』を示唆する言葉にいい色を示さない。一層きつく眉をしかめ、快活な笑い声を遮って言った。

 「か……関係、ない!」
 「はぁ?」
 「──次元の、力に、子どもも大人も関係ない!!」

 項垂れていたフィラが、視線を上げた。

 ロクの身体が強く発光した。独特の轟音が音の波を割き、リリアンの鼓膜を突き抜ける。一瞬、気をとられたリリアンが、しまったという顔つきに一変する。そんな彼女の意を汲んだかのように、暴君と化していた音波の力が弱まった。

 「チッ……! なによぉ、まだそんな力が残ってたの?」
 「あたしは、そういう言い方が大ッ嫌い! 大人だから偉いの? 大人だから強いの? 歳だけとってて、子どもが子どもがって文句ばっか言って……そんなの、やってることは子ども以下だ!」
 「ハァッ!? ガキがなに粋がってンのよ! オトナに理想でも抱いてンの!? バァーカ! アンタが思うほど、オトナはキレイじゃないっつぅーの!」
 「しかたないって、これが世の中なんだって、そうやってあきらめさせて、汚いことを押しつけて、なにが大人だよ! お金欲しさに子どもからぜんぶ取り上げることが──フィラさんからウメを奪うことが、あなたたちの正義だったっていうのかッ!」
 「うっせぇンだよブス黙りなッ! これだからガキは嫌いなのよ! ……いーい? あんた子ども子どもって言ってるケド、あの蛇たちを金に換えるの、村中の人間が認めたのよ? だぁれも反論しなかった。人形みたいにお利口だったの! わかるでしょ。村の大人たちも子どもたちも、みんなよ、みぃんな。そのフィラってやつが1人騒いでただぁけ。聞き分けのなってないガキだったの! 賢い子どもがたくさんいたのにね? あんたもそーよ。頭の悪いガキなのよ!」
 「フィラさんは、村のだれもがあの人を恐れてできなかったことをやったんだ。あれほど大事にしてた白蛇様たちを奪われて……悔しくて悔しくてたまらない村の人たちのために、勇気を持って立ち向かったんだッ! そんなフィラさんのことをバカにすんな!!」

 フィラは、喉の奥から急速に熱が込み上げてくるのを感じた。胸のあたりが苦しくなる。咄嗟に衣服を掴むが、ちがう熱と熱とを孕んだその痛みは複雑に絡み合って、いまにも喉元が焼き切れそうだった。

 「ホンっトに、気に食わない……! キライキライ大ッキライ!!」

 苦虫を嚙み潰すかのように、リリアンは吹口に歯を突き立て絶叫した。

 「うわあああ!」

 突風が吹き荒れる。ロクの肢体がしなやかに跳びあがった。受け身もとれず彼女は地面と衝突し、車輪のごとく勢いのまま転がっていく。ついにロクまでも膝をついた。
 すぐに起き上がろうと両肘を伸ばすが、まるで小枝のように簡単に関節が折り畳まれ、額から砂地に落っこちる。ぐしゃりと乱れている若草色の髪が、何度も起き上がろうとして、ふらふらと揺れていた。

 「キャッハハハハハぁ! バッカみたぁい! そんなにがんばっちゃっても、なぁんにもならないのに!」

 不愉快な笑い声が、フィラの耳に届く。ボロ雑巾のように伏せっているロクとレトの姿をこれ以上見ることができなかった。彼女は膝から崩れ落ち、木の幹に触れていただけの左手を、固く握り締めた。

 「そんな……っ」

 (どうしよう、どうしよう……! 私の、また、私のせいで……)

 ベルク村の話をしなければよかったと、そう思った。祖母とロクの会話を無理やりにでも止めるべきだった。自分が話したくなってしまうほど、ロクに、気を許さなければよかったのだ。
 フィラを取り巻く後悔の渦が、どんどん深くなっていく。

 次元師に太刀打ちできるのは、次元師しかいない。
 それはフィラ自身も痛いほど理解していた。

 (助けたい……これ以上あの子たちに傷ついてほしくない。私のせいで傷つく姿を、見ていられない……! それなのに)

 フィラは次元師だ。いまこの場で、ロクとレトの2人を助け出せるのは彼女しかいない。人間を遥かに凌駕する次元の力。フィラはそれを胸に秘めているのだ。
 しかし、フィラにはどうしても、その名を叫ぶことができなかった。

 (あの子たちを助けたい、のに……私……。私はまた、──ウメを傷つける……っ! 私はあの子を、もう傷つけるわけには……!)

 ──あの日見た"あか色"が、ずっと、瞳の中に閉じ込められたままだ。
 
 臙脂色を滲ませた涙が、ぽたぽたと溢れて落ちていく。リリアンの言う通りだ。子どもだったのだ。ただウメのことが可哀想で、助けてあげたくて、なにも考えずに逃がした。結果的に、ウメの命の奪ってしまったのはそんな愚かな自分だった。
 あんな悲劇は二度と繰り返さない。
 初めて自分の次元の力を、紅色の大蛇を目の当たりしたそのときに、フィラはそう心に誓った。
 誓ったはずだった。

 「……わた、し、どうしたらいいの……? わからない、わからないよ……──ウメっ!」

 ──ざあっ、と。長閑な風が鳴いた。

 《フィラ》

 聞いたことのない、懐かしい気持ちだけが、フィラの胸に吹き抜けた。

 「え……」

 《フィラ》

 聞き間違いではなかった。だれかが自分の名前を呼んでいる。咄嗟に振り返るが、人の姿はなかった。
 フィラは、その名前を呼んでいた。

 「ウメ……?」

 返事はなかった。フィラはゆらりと立ち上がる。だれもいない山道を見渡して、もう一度名前を叫んだ。

 「ウメ! どこ、近くにいるの、ウメ! ウメっ!」

 フィラは走りだした。ウメ、ウメ、どこにいるの──と、しきりに名前を呼ぶが、返事はないままだった。
 なにかに導かれるように、ただひたすらに森の中を駆け回る。乾いた地面を、無造作に伸びた草木を、でこぼこの山道を踏み抜ける。
 ──そうして、フィラはある場所に辿り着いた。
 すこしだけ開けた草原。さわさわと揺れている木漏れ日。見覚えのある風景だった。ゆっくりと速度を落とし、辺りを見渡す。

 フィラは、立ち止まった。

 「……ウメ……」

 目の前には小さな墓標が立っていた。
 それはかつて、炎に焼かれていなくなったウメを想い、唯一その場に遺っていた炭を必死にかき集め、埋めた場所だった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.40 )
日時: 2018/11/19 20:46
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: OWyP99te)

 
 第037次元 君を待つ木花ⅩⅣ
 
 ウメの大好物だった果実も添えたはずだったが、13年も経ったいまとなってはもう跡形もない。その赤紫色の果実がなる木の枝だけが、しゃんとまっすぐ立っている。

 「ウメ……」

 フィラは墓標に近づいていった。墓標を目の前に据えると、その場でしゃがみこむ。

 「……ねえ、ウメ。私どうしたらいい? あの子たちを助けたい気持ちはあるのに私、それ以上にあなたを傷つけたくないの。……最低よね。心のどこかで、まだ、あなたのこと……」

 弱々しく吐いた言葉が、ただの土の表面にぽつりぽつりと落ちていく。

 「……ばかね、私。答えてくれるわけなんてないのに。……本当はね、わかってるの。もうあなたがこの世界のどこにもいないことくらい。次元の力が、『巳梅』が、あなたじゃないってことくらい……わかってるのよ」

 『次元の力と、ふつうの生き物はちがうよ、フィラさん!』──ロクアンズの言葉を思い返しながら、フィラはそう呟いた。
 心のどこかで、『巳梅』がウメであることを肯定したかったのだと思った。ウメはまだ自分の中でちゃんと生きているのだと、そんな夢を見たかっただけなのかもしれない。フィラは薄く笑みを浮かべた。

 「まだ子どものままだったのね。体ばっかり大きくなっても、心はあの日のまま……なにも変わってない。あの子が言うほど私……勇気なんか、ないわ」

 フィラはすっくと立ち上がり、墓標に背を向けた。

 「村の人たちに知らせなくちゃ。……どうにかしてくれるかもしれない」















 《フィラ》


 凛、と。一輪の鳴き声。
 浮かせた足がぴたと静止する。
 もう一度フィラは、墓標と見つめ合った。

 そのとき。
 背後。

 ドシン──と地表が激しく震動した。
 フィラはよろけて転びそうになる。大きななにかが影を落とした。
 頭上から、雨のように、砂粒が降ってくる。

 「──え……」

 ぱらぱらと落ちてくる大地の欠片を浴びながら、フィラはゆっくり顔を上げた。
 13年の月日を経て、ふたたびその目にした真紅の鱗は、息を呑むほどに鮮やかだった。

 「……あ、あなたは……」

 心音が跳ね上がる。紅色の鱗を持った大蛇は、真一文字に結ばれた口から、ちろりと舌を出した。
 真ん丸の両眼。それを縦に割くような細長い瞳孔が、じっとフィラを見つめていた。

 《フィラ》

 どこからともなく声が聞こえた。
 フィラは、はっとして墓標のほうに向き直った。

 「……もしかして」

 フィラはあることに思い至った。いままでフィラを呼んでいた声の主は、もしかしたらウメではなかったのではないかと。
 彼女の視界の中でたしかに息をしている、『巳梅』の声だったのではないかと。

 『巳梅』は依然としてフィラのことを見下ろしていたが、大きな頭部をわずかに動かしたかと思うと、ぐっと彼女に顔を近づけた。肩を強張らせ、彼女は思わず目を瞑った。
 しかし、頬に生温い感触を覚えると、フィラはすぐに目を開けた。

 「……」

 『巳梅』の顔をはっきりと見たのは、これが初めてのことだった。『巳梅』はじっとしている。噛みつくでも、鳴くでもなく、ただずっとフィラの目を見つめ返している。
 ずっと。
 深い赤色のに、光が差す。

 「なんだ」

 呟いた声がすこしだけ震えた。

 指先を宙に泳がせて、そっと、鱗に触れた。丸い眼は琥珀の色。硬質な頬を、指の腹で優しく掻いた。そこには真白の花を押したような斑点はなかった。
 真っ紅で、美しい鱗を、何度も撫でた。

 瞼が熱を帯びる。

 「よく見たら、あなた……ウメに、ぜんぜん似てないのね」

 フィラは笑みを浮かべた。その頬に一筋、涙が伝った。

 「ごめんなさい。あなたはウメじゃないのに、勝手にウメと重ねて、ウメだと思いこみたくて……あなたをずっと閉じこめてた。怒ってるわよね。……13年も、ほったらかしにするなんて、主失格だわ……っ」

 フィラの泣き声がして、『巳梅』はすこしだけ頭を落とした。真一文字に結んだ口をフィラの額にそっと押しつける。

 「こんなにも長い間、待たせて、本当にごめんなさい」

 でも、おねがい。フィラは熱のこもった声音でそう続けた。

 「今度こそ私……あなたといっしょに戦いたいの」

 ──私と、戦ってくれる?

 『巳梅』がちろりと舌を出す。鳴きも頷きもしないが、フィラにはわかっていた。13年という月日の間、ずっと棲み続けた心の中に、その声が流れこんでくるようだった。

 「いこう、巳梅」

 胸の中に咲いた、熱色の花を携えて、1人と1匹はともに駆けだした。



 頭蓋骨が砕け散ってしまいそうだった。意識を保つことに全神経を費やしているロクアンズは、声も出せず、立ってもいられず、ぐっと堪えるように這いつくばっていた。

 (どうしたら……っ!)

 バチッ、と手の甲から弱々しく電気が伸びる。使える元力の量もそろそろ限界に近い。じりじりと、苦境へ追い詰められているのを実感する。
 次元師が体内に有している元力には限りがある。もちろんそれは個人差があるため一概には言えないが、年齢による差というものがあるのは確実だった。
 元力の量に個人差があるのは、各個人の思考能力、身体能力、そのほか個人を形成するためのあらゆるステータスがもとになっているためである。簡単に言ってしまえば、体力があればあるほど、頭の回転が速ければ速いほど元力の量が伸びていくのだ。どの能力も抜かりなく高められている者がハイスペックであると言われる、その点においては、普通の人間も次元師も変わらないだろう。
 当然、子どもと大人とでは体力や筋肉量、知識の数などで大きく差が出るため、どちらが劣っているかなどは歴然だ。おそらく、リリアンとリリエンの2人に元力量では敵わない。わかっているからこそ、ロクの表情にただならぬ悔しさが滲み出ていた。
 リリアンは、腹の底からこみ上げてくる優越感を堪えきれずに、ぶはっと吹きだした。

 「キャッハハハ! イイ顔するじゃなぁ~いっ! だぁから言ったでしょぉ? ガキは大人しく、おうちに帰りなさいってねぇッ!」

 悦楽に満ちた表情。高らかな笑い声。甲高い音波が空気を揺るがし──

 「ガキでごめんなさいね」

 花のような一声。
 次の瞬間──大地が激しく躍動した。一瞬、浮遊感に襲われたリリアンの足元に亀裂が奔った。彼女は反射的に数歩退き、
 声を裏返らせた。

 「は?」

 ──紅色の大蛇が、地表を穿つとともに、けたたましい咆哮をあげて君臨した。

 人間では発し得ない凄まじい叫喚が空間一帯を殴打する。ひび割れた大地は剥がれて吹き飛び、リリアンもリリエンも、家宅の傍らで様子を伺っていたヴィースも、無防備な姿で宙に投げ出される。
 ロクは大きく目を瞠った。

 「も、もしかして……っ──これが『巳梅みうめ』!?」

 話を聞いたときに想像したものとは桁違いだ。本物であるという迫力、風貌に身の毛がよだつ。その全長は一目見ただけではとても計り知れない。太くて長い肢体を持つその大蛇はちろりと細長い舌を出し、2つの琥珀色の珠を妖しく光らせた。
 ロクの耳に、ザッ、と靴底で砂を蹴るような音が届いた。

 「フィラさん!」

 木陰から、臙脂色の横髪を耳にかけながらフィラが歩み寄ってくる。

 「遅くなってごめんなさい」
 「フィラさん……あの、あれって」
 「ええ。でももう、大丈夫よ」

 平地であったことが嘘のように地面がひっくり返っている。盛り上がった大地の一片に捕まるリリアン、岩塊に挟まれ身動きをとれずにいるリリエン。そして、腰を抜かし愕然としている領主ヴィース。
 3人の姿を一瞥したフィラが、ここからは、と続けた。

 「私が力を貸すわ。あいつらをぶん殴るんだって、そう言っていたわよね?」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.41 )
日時: 2018/10/17 22:36
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: SyVzJn9Z)

 
 第038次元 君を待つ木花ⅩⅤ

 ベルク村の領主ヴィースの家宅は広大な平地の中に建っている。その地面の一部が、地下深くからごっそりと抉られ隆起や陥没などを起こし、もとの平坦で整然とした景色を完全に過去のものとしていた。この事態を招いた元凶は何食わぬ顔でその黄色い眼をギョロリと剥いている。
 フィラの次元の力、『巳梅みうめ
 鮮やかな紅色の鱗を持った大蛇は、ベルクの地に再臨した。
 
 「そうだフィラさん、レトが……!」
 「ええ、わかっているわ。私に任せて」

 フィラはレトヴェールのもとに近づくとその場でしゃがんだ。倒れているレトの顔を覗きこむ。

 (気を失ってる……。でもよかった。頭だけはしっかり守っているみたいだわ。頭部の外傷がほとんどない。その代わり、腕や脚に打撲痕が多いけど……。しばらく、立つことはできなさそうね)

 レトの身体をじっくりと診ていたフィラの背中に、怒気を含んだ甲高い声が投げつけられた。

 「なによなによなによぉ! 3対2なんて、ヒキョウなんじゃなぁい!」
 「卑怯ですって? あなたたちがそんな言葉を知っていたなんてね」
 「は、ハァッ!? なによアンタ! いきなり出てきて何様のつもりぃ!?」
 「私はフィラ・クリストン。この村の、ベルクの民よ」

 フィラの臙脂色の瞳に熱が灯る。リリアンは一拍置いたのち、ハッと小さく嘲笑した。

 「やっだ傑作ぅ! アンタがフィラねぇ!? いまさら現れるなんて、どーゆう神経してんのよっ! キャッハハハぁっ! オモシロいじゃなぁい。アンタとアタシちゃんたちの次元の力……どっちが強いか勝負したげるわ! ──思穿ッ!!」

 リリアンが笛に口元をあてると、ロクは青ざめた表情ですばやくフィラのほうを向いた。

 「フィラさん! 下がっ──」
 「大丈夫よ」

 フィラはロクよりも前へ出た。落ち着き払った声音で、紅色の大蛇『巳梅』へと呼びかける。

 「巳梅ッ!」

 主の声に反応した大蛇が、その太い首元をねじってリリアンのほうへ顔を向けた。すると大蛇は大きく口を開けて、絶叫した。

 「キャアアアアッ!!」

 大地が震撼する。空が上下に振れた。──ような錯覚がした。強烈な音波と大蛇の咆哮とが正面からぶつかり合うと、刹那、爆風が巻き起こった。
 相殺したのだ。それも拮抗する予兆も見せず。両者の繰り出した力は完全に塵埃と化し、風に乗って吹き抜ける。

 「す、っご……」

 ロクの口から思わず感嘆の声がもれた。打って変わってリリアンは、金切るような声で喚き散らした。

 「はあァッ!? なによいまのぉ! キィィー! どいつもこいつも、大ッキラぁイ!!」

 地団駄を踏みあからさまに怒りを露わにしているリリアンを尻目に、フィラは冷静に庭全体を見渡した。

 (あの笛の音は巳梅の咆哮でなんとか対応ができる。幸い、縄を使う男の子のほうは岩に挟まってて身動きがとれない。これ以上この場が長引くのはよくないわ。あの子たちの体力もとっくに限界を迎えているはずだもの。はやく終わらせるためにも、私にできることは……──)

 「……ィラ、さん」
 「レトくん? 気がついたのね、よかったわ」
 「ロクを、高く飛ばせ」

 え、とフィラは小さく声をもらした。レトの掠れた声はロクにまで届かなかった。驚くフィラをよそに、レトは呼吸を乱しながら言葉を紡ぐ。

 「飛ばして、そんな高くない、とこまで……」
 「え、なに? なにをどうすればいいの?」
 「水路を……」

 そこまで言って、レトはまた気を失った。少女とまちがえそうな可憐な顔で小さく寝息を立てている。フィラはぽかんとしてその寝顔を眺めていた。

 「フィラさん、レトどうかしたの!?」
 「え、いや、それがいま、水路がどうのって……」
 「水路……? ──っ! フィラさん下がって!」

 ロクが叫んだそのとき。ロクとフィラのもとに音波が奇襲した。即座に対応に躍り出たロクは両手を突き出し、雷電を解き放った。

 「アンタ、そろそろ元力も限界なんじゃなぁい? ムリしないでくたばってなさいよぉ、ドブス!」
 「そっちこそ……! 大人なんだから、ムリすると体壊しちゃうかもよっ!」
 「はああッ!? 調子こいてんじゃないわよ、ガキがッ!」

 小さな背中で立ちふさがるロクをフィラは慌てて制した。

 「無理はしないで、ロクアンズちゃん! ここは私と巳梅で、」
 「ムリなんかじゃないよフィラさん」
 「え?」
 「やってみせる。守ってみせる。そのための力なんだ!」

 ロクとレトの身体が、疲労が、元力が限界を迎えている。
 だからなんとかして早くこの戦いを終わらせなくてはいけない。これ以上2人に無理をさせたくない。という一心で共闘を願い出たフィラだったが、どうやらそれは勝手な思い込みだったようだと彼女は身震いした。

 「……そう。そうよね。でもお願い、ここは任せてロクアンズちゃん」
 「フィラさん」
 「私たちの力で、なんとかしてみせるわ」

 ロクがこくりと頷いた。フィラは『巳梅』に向かって叫んだ。

 「巳梅! もう1度、力強く鳴くのよ!」

 『巳梅』が顎を下ろしていく。人ひとり丸呑みできそうなほど広がった喉の奥が、震動したそのときだった。横から飛んできた縄がその頭部に絡みつき、ガチンと鋭牙をかち合わせた。

 「そうカンタンには、させねーよ……!」

 盛り上がった土の大塊に身体を押し潰されながらも、リリエンは懸命に手を掲げていた。その腕には縄が巻きついている。腕から伸びる縄は、『巳梅』の頭部を捕らえてピンと張っている。言わずもがな彼による奇襲だった。

 「さっすがねリリエン! あの鳴き声さえなけりゃ……こっちのモノよっ!」

 リリアンは絶好のチャンスだと言わんばかりに狂喜した。笛を持ち上げ、口元に添えようとする。

 (ま、まずいわ、どうしたら……! 巳梅はいま口を塞がれててあの音を相殺できない。あの音を直接喰らうわけにはいかないし、なんとかしないと……なんとか、)

 『ロクを、高く飛ばせ』

 フィラは、すこし前にレトが言っていたことを思い出した。彼がなにを思ってこう発言したのか、その真意までは探れなかったが、彼は苦し紛れにそう告げたのだ。落ちるか落ちないかというところで意識を保ちながら、"ロクアンズを空へ飛ばせ"と、それだけはしかとフィラに伝えた。
 信じるしかない。迷っている時間はない。
 フィラは意を決した。

 「巳梅!!」

 その名を叫ぶ。主の声がまっすぐ大蛇のもとへ届く。
 『巳梅』は、がんじがらめに縛られた頭でわずかに後方を振り返り──

 自身の"尾"を地中で泳がせ、ロクの足元から出現させた。

 「──ぅえっ!?」
 
 瞬間。ロクの足が宙に浮いた。それもほんの一瞬だった。彼女は、空へ向けて打ち上げられていた。

 「……は? ちょ、ちょっとちょっと待ちなさいよッ! ……あっ、あんな高いとこまで行っちゃったら……──音なんて、届かないじゃないのよぉっ!」

 上昇。急上昇。ぐんぐんと引っ張られていく。心地の悪い浮遊感が風とともに纏わりついて──
 ロクは、身体を回転させながら、大空の中を泳いでいた。

 (う、うそ……! なんで……っ!?)
 
 空の上からは、広大な庭と、それを取り囲む森が見える。『巳梅』によって荒らされた庭の一部は文字通りの惨状だった。ヴィースの家宅から向かい側のほとんどがその有様だということが、空の上からだと十分に理解できた。
 しかし。
 家宅の、裏庭側。そちらは戦場になっていないため平坦な土地が広がっている。

 (……あれ? もしかして)

 ふいにロクはあることを思い出した。

 『これを仮に家とする。そんで、水源は……』

 「水源……」

 『それがいま、水路がどうのって……』

 「水、路……」

 枝先で砂を引っ掻いて描いた、ただの記号みたいな家の絵が、
 ぱっと頭に浮かび上がってきた。

 『家からちょっとずれたとこの、ずっと真下』

 ──頭の中にある回路が、かちっと音を立てて、繋がった。

 『巳梅』によって荒らされた場所からは水が湧き出てこなかった。もしも本当にヴィースの家宅の近くに大きな水源があるのだと仮定するならば、『巳梅』が荒らしていない領域の地下深くにその水路が流れているということになる。
 つまりは、裏庭。
 ロクはヴィースの家宅の裏庭のほうを睨んだ。平地が広がっている。なにかを耕しているのか、土地の色が一部異なっているのがかろうじてわかった。
 標的とは、これまでとは比にならないほど距離があった。
 ロクは、自身が発する電気がどれほど距離を出せるのか、その限界を痛感したばかりだ。それはおよそ十数メートル。いまロクがいる空中から地上への距離を考えると、絶望的な数値だった。
 ──それでも、と。
 固く握った拳から雷が飛散した。

 「──ぜったいに、届かせてみせる!!」

 体内に蔓延っている小さな元力の粒子。それらひとつひとつが、主の声に呼応する。
 繰り寄せろ、練り上げろ、──極限まで。最大限で最高値の元力が右の拳に集っていく。雷が唸る。右半身だけが体温を急上昇させる。
 電熱が、空気を焦がすとそれが、

 新しい扉を開くための鍵となった。

 「"六元"──解錠!!」

 詠唱が、天を衝く。

 「────"雷砲らいほう"ッ!!」

 突き出した拳。放した指先から、
 一閃。
 ──"雷の光線"が、気流を裂き、撃ち放たれた。

 まさに怒涛の勢い。熱線が地上を目がけてけ抜ける。大気を焼き切りながら、空と大地とを裁断したそれは、次の瞬間。
 地上に堕ちた。
 一触即発。鉛のような爆発音が轟いた。次いで灰煙が辺り一帯に蔓延した。土塊が跳ねて離脱し、熱風爆風突風が連鎖し、視界が一瞬、暗闇に還る。
 そのとき。

 水がひとすじ、大地の隙間から手を伸ばした。

 割れた大地の底から大量の水が噴き出した。空に向かって、透明の花が咲く。あこがれた地中の外へ幼虫たちが顔を覗かせるように、待ちこがれた青空に水しぶきが架かった。
 噴き出た水は、抉られた地盤の底へとまっさかさまに落ちた。みるみるうちに水が溜まっていく。同時に、ヴィースの家宅が大きく傾き、その溜まり場に向かってひっくり返った。

 「そ……そん……な」

 ドボン、と横広の家屋が水の溜まり場に落ちて大きく水しぶきをあげた。否、それはもはや池などではなかった。
 ──"湖"
 目を瞠るほど巨大な湖が、その美しい水面に射す太陽の光を、キラキラと照り返している。

 「ウソ……ウソよ、ありえない、ありえない。こんな、」

 そのとき。ガタガタと肩を震わせていたリリアンの上体を、なにかがきつく絞めあげた。全身が真紅色に染まっている太い体躯を見下ろしリリアンは顔をしかめた。

 (し、しまったッ!)

 『巳梅』は、頭部に縄を巻きつけたままの状態にも拘わらず、その長い肢体でリリアンを完全に捕縛した。リリエンは岩塊に挟まれていてもとより身動きがとれない状態だ。
 小さく安堵の息を吐いたフィラは、

 瞬間、思い出した。

 「──そうだわ! ロクちゃんが、まだ!」

 焦った様子で空を見上げる。と、上空に飛ばしたロクアンズが大声を張り上げながら地上へと戻ってくるのが見えた。

 「ああああああああ──ッ!?」

 地面が迫ってくる。近づいてくる。物凄い速さで自分が落ちているのが嫌でも理解できた。雷の力はもう使えない。切迫した脳内は、ついに、まっしろに返った。
 が。

 紅いなにかが、視界に飛びこんできた。

 「ぉ、わあっ!?」
 
 ロクは、その紅くて細いなにかに飛びついた。ロクにはそれが『巳梅』の尾の先端であることがすぐにわかった。が、彼女はその尾と衝突すると1度だけ大きく宙返りし、そこから坂道のように延々と続いている鱗肌の上をごろごろと転がり落ちた。
 そうしてどんどん降下していくと、その長い坂道の終着点が見えてきた。『巳梅』の肢体が地面と接触している部分だ。リリアンを捕らえているためにぐにゃりと曲がっている『巳梅』の上体からずっと下の部分では、まるで芋虫が歩くように一部だけ盛り上がっている。
 ゆえに、ロクの進路の障害とも言えるその突起部分に、彼女は為す術もなく真正面からぶつかった。
 
 「ぶっ!」

 ロクの身体はそこでようやく静止した。ずるり、と頭が落ちる。ロクは後頭部を押さえながら顔を起こした。

 「……ったたぁ……。へへ、助かっちゃった。ありがとねっ、巳梅!」

 『巳梅』は頭だけで振り返って、キュルル、と鳴いた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.42 )
日時: 2020/05/16 21:43
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第039次元 君を待つ木花ⅩⅥ 
 
 青く澄み渡っていた空は、いつの間にやらじんわりと朱く滲みつつあった。落ちていく陽の光は、大きな湖の水面に温かく降り注いでいる。

 ロクアンズは、『巳梅』によって捕らえられていたリリアンと岩塊に挟まれていたリリエンの2人を拘束した。腰から提げているポシェットには、簡単な治療具のほかに麻縄などの拘束具も備えてあった。常にそれらを持ち歩くようにしているのだとロクに告げられたフィラは深く関心した。
 しっかりと拘束を施された2人は地面の上に座りこみ、怪訝そうな顔をしていた。

 「さてっと。こんなもんかな」
 「……。アタシちゃんたちを、殺さないんだ」
 「あたしは人を殺したりはしないよ。それに悪いのは領主さんで、あなたたちじゃないでしょ?」
 「いっしょよ。アタシちゃんたちだってやってたもん。蛇狩り」
 「へ?」

 フィラは聞き間違えでもしたかと、すぐに2人の会話に割って入った。

 「まっ、待ってちょうだい。あれは13年前に起きたことよ? それじゃあ、あなたたち……」
 「アタシちゃんたち、20だけど? 今年で。7のときに拾われたの。ヴィースさんに」
 「拾……われた?」

 ロクが小さく聞き返した。リリアンはぶすっとした表情のまま続けた。

 「そーよ。アワれんだりしないでよね。べつに悲しくもなんともないから。14年前に、第二次メルドルギース戦争とかゆーのが停戦になったのはとーぜん知ってるでしょ?」
 「うん。それは知ってるけど……」
 「アタシちゃんたち、ドルギースと取引してた、あの奴隷商人のとこにいたのよ。そんでドルギースに売られて……次元師として戦って。なんか生き残っちゃったってワケ」

 第二次メルドルギース戦争が停戦になったのは、両国の前線に駆り出されていた次元師たちによる戦闘の火花が、大きくなりすぎたためだった。だが、たった6、7歳の幼い子どもまで戦場に立たされていたという実情までは、今日まで知らなかった。

 「じゃあ、あなたたちはあの戦争で前線にいたの?」
 「だからそうって言ってんでしょ。一瞬だけね。そんで政会のやつらに保護されてからはしばらく施設? みたいなとこにいたケド、停戦になったからすぐ出てって、てきとーにフラフラしてたら……ヴィースさんに会って拾われて。村までいっしょに連れてってもらってそこで世話んなりながら、あんたたちの大事な大事な蛇どもを殺してたってワーケ。だから同罪。わかった?」
 「そう……だったんだ」
 「アワれむなっつったでしょ。だぁからガキは嫌いなんだっつの。あんたからしたら、アタシちゃんたちだって子どもだったんじゃんって言いたいだろうケド、あんたたちとアタシちゃんたちは違う。なんでも与えてもらって、あたりまえみたいにヘラヘラしてさ、キレイゴトばっかでホントムカつく。あんたが思うほど大人はキレイじゃないし、子どもだってあんたが思うほど……キレイなもんばっか見てないっつぅの」

 リリアンは視線を逸らした。ロクは閉口したままなにも返さなかった。すると、じっと黙っていたリリエンが小さく口を開いた。

 「アンタさ、さっきどっちも選んだよな」
 「え?」
 「金髪の男か、この村か。どっちか片方っつったのに。アンタはどっちも選んで、どっちも手にした。……なんでそんなことができんの? 命は惜しくないってか。アンタにはやりたいこととか野望とかもないってワケか」
 「あるよ。あたし、神族を全員やっつけたいんだ」
 「は?」
 「そのためにはもっと強くなんなきゃいけない。あたしには大事なものと大事なものを比べて、どっちか片方しか、なんてできない。だからどっちも救える道を自分でつくるんだ」
 「なにソレ。バッカじゃない? 神様倒したいとか」

 顔をあげたリリアンが、ハッと嘲笑した。

 「神様なんてどーでもイイじゃん。あいつらのせいでこんなヘンな力持たされてるワケでしょ? 次元の力がどうやって生まれたなんて知らないケドさ、そのせいでこっちは戦争の道具にされて、神様に恨みがあるわけでもないのに「やっつけてくれ」なんて一方的に義務感押しつけられて、イイ迷惑だっつぅの。敵は神様なんかじゃなくて、人間よ。腐りきってて手に負えない、バケモノみたいな人間のほうなのよ」

 神様に恨みがあるわけでもないのに。語調こそ荒っぽいが、リリアンの見解は真に的を得ていた。
 元魔に肉親の命を奪われた。大切な人を危険に晒された。生まれ育った町を侵食された。
 こういった直接的な恨みや憎しみなどが神族に対して向かない限り、次元師として選ばれた人間たちは「なんのために戦っているのか」という疑問を常に抱えることになる。もとより正義感の強い人間ならばそのような悩みを持つこともなく「これが使命だから」と区別ができるのだろうが、ほとんどの次元師は前者のように、神族に対しての己の感情を見失ってしまうのだ。

 「……あたしは」

 ロクは小さく呟いた。空から降ってくる雪の結晶をつかまえるみたいに、手のひらを優しく握りしめた。

 「目の前に助けられるものがあって、差し伸べる手がここにあるなら、ぜんぶ救いたいって、思うんだ」
 「……。悪いケド、ぜんぜんわかんない。いつか自滅しそうアンタ。つぅかしちゃえ、ばぁか」
 「……」

 ロクはなにも答えなかった。リリアンとリリエンもそれ以上ロクに突っかかることはなかった。
 そのとき。ロクはなにかを思い出したように、あ、と声をあげた。

 「そういえば! 領主さんどこいった!?」

 フィラも、ロクの大きな声につられて辺りを見渡す。が、ヴィースの姿はどこにもなかった。
 隙を見て逃亡したか。だが意外ではなかった。相変わらず賢い判断するなと思った、その矢先。

 「こいつのことか?」
 「えっ?」

 ロクは思わず自分の耳を疑った。
 しっかりとしていて、青年を思わせるような爽やかな声音だった。数日前に本部で聞いたきりになっていた懐かしい口調に気が緩む。
 コルドが、全身を鎖で縛られたヴィースと思しき人物とともに草陰から現れた。

 「こっ、コルド副班!?」
 「ようロク。合流できてよかった。こいつなんだが、いきなり草陰に飛び出してきたもんで一応拘束しといたんだ。話を聞いてみたら、どうやらこいつがくだんのヴィースっていう男で、ベルク村の領主らしいことがわかってな」
 「なんちゃら隊とかいう政会の使いっ走りが!」
 「此花隊だ。その政会までいっしょに行くんだ。よく覚えておけ」
 
 ヴィースを適当にあしらうコルドに、ロクは不思議そうな面持ちで訊ねた。
 
 「でもコルド副班、なんでここに?」
 「先に行っといてくれって言ったのは俺だぞ。……まあ、お前たちを追ってローノに向かって、『ベルク村に行きました』なんて言われたときには気絶しかけたけどな」
 「ご、ごめんなさい……勝手なことして」
 「体は無事か?」
 「え、う、うん」
 「ならいい」

 コルドは大きな手でロクの頭をくしゃりと撫でた。ロクはすこし苦笑ぎみに、へらっと頬を緩ませてみせた。
 2人のやりとりをぼんやりと眺めていたフィラに向かって、ヴィースが声をかけた。

 「おい。オレをぶん殴るんじゃなかったのかぁお前さん。絶好のチャンスだろうが、あァ?」
 「言われなくったってあんたなんか! ねえフィラさ……。フィラさん?」
 「いいえ。もういいわ。あなたの家、湖に沈ませてしまったもの。それにそのおかげで、村の人たちがこれから水に困ることはなくなった。だからもう十分よ」
 「ンだそれ。あの紅い蛇を焼いて殺しちまったってのを忘れたのかァ? 哀れだなァ、あの蛇も」
 「あんたねえ!」

 身を乗り出すロクを静かに制して、フィラはヴィースと向かい合った。

 「それでも、よ。ウメだってきっと喜んでくれるわ」
 「……あァ?」
 「村の人たちが、これからもちゃんと生きていけるように、大事なものを手に入れることができたの。ウメも、白蛇様たちもみんな……村の人たちのことが大好きだったから。私たちがあの子たちを、大好きだったみたいに。だから忘れなんかしないわ。この先なにがあっても、ぜったいによ」
 
 会話はそこで途切れた。ただ、ヴィースが小さく舌を打つ音だけがした。

 「よく見たらお前、ボロボロじゃないかロク。レトは大丈夫なのか?」
 「それが、レトのほうがひどいの。すぐ手当しなきゃ」
 「お前もな。持ってきた治療薬、足りるといいけど……」
 「私が2人を看ますよ。ローノから持ってきているので。……でも、その前にすこし……」

 フィラはちらっと後ろを振り返った。その視線の先に気づいたロクが、くっとコルドの隊服の裾を引っぱる。

 「先に行こう、コルド副班! あの人たちも連れて」
 「え? でもあの女の人にすぐ看てもらったほうがいいんじゃ……」
 「あとでいいんだよ! ほらっ、行こ!」


 ロクはコルドとほか4人を率いて森の中へと消えていった。その姿が見えなくなる頃には、庭に1人と1匹だけが取り残されていた。
 彼女たちは向かい合った。

 「……巳梅、ありがとう。あなたのおかげでいろいろと助かったわ。感謝してもしきれないくらい」

 夕焼けがあかく燃えている。橙に灼けた湖が、この世のものとは思えないほどに美しかった。長閑な風がその水面を軽やかに撫ぜている。
 『巳梅』は鳴きも頷きもしなかったが、その琥珀色の眼でまっすぐフィラを見つめていた。

 「私はウメを忘れないわ」

 フィラが高いところへ手を泳がせると、『巳梅』は頭を下ろした。紅い鱗を受け止めながらフィラは柔らかく笑みをこぼし、
 「そして」と言った。

 「それ以上に、あなたがずっとそばにいてくれたことを忘れないわ。……ねえ巳梅。これからも、私と、いっしょにいてくれる……?」

 なにかひんやりとしたものが首筋に触れた。それは、『巳梅』の硬い頬だった。フィラの肩にその大きな頭部が乗りかかると、わずかに、すり寄ってきているのがわかった。
 フィラの言葉に応えるように、『巳梅』はキュルルと喉を鳴らした。

 「ありがとう巳梅。本当に、ありがとう」

 あかい、夕日が落ちていく。木も草も風も、湖も、空も。燃えるような紅に染まっていた。
 それもたったの一瞬だ。すぐに夜は闇色を連れてやってきて、光を呑みこむのだろう。しかしそんなことは彼女たちにとって恐れでもなんでもなかった。

 1人と1匹は心の中に、夕焼けにも似た熱を抱いている。

 「あなたのそばにいるわ。これからもずっと……ずっとよ」

 それは色褪せることのない梅色の花。
 ──「約束よ」と、フィラは目を真っ赤にしてそう言った。
 
 
 


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