コメディ・ライト小説(新)

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最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
日時: 2025/11/29 21:34
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 毎週日曜日更新。
 ※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。

*ご挨拶

 初めまして、またはこんにちは。瑚雲こぐもと申します!

 こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
 ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
 しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
 よろしくお願いします!



*目次

 一気読み >>1-
 プロローグ >>1

■第1章「兄妹」

 ・第001次元~第003次元 >>2-4 
 〇「花の降る町」編 >>5-7
 〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
 ・第023次元 >>26
 〇「君を待つ木花」編 >>27-46
 ・第044次元~第051次元 >>47-56
 〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
 ・第074次元~第075次元 >>83-84
 〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
 ・第098次元~第100次元 >>107-111
 〇「純眼の悪女」編 >>113-131
 ・第120次元〜第124次元 >>132-136
 〇「時の止む都」編 >>137-175
 ・第158次元〜第175次元 >>176-193

■第2章「片鱗」

 ・第176次元~第178次元 >>194-196
 〇「或る記録の番人」編 >>197-


■最終章「  」



*お知らせ

 2017.11.13 MON 執筆開始
 2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
 2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
 2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
 2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞

 
 ──これは運命に抗う義兄妹の戦記
 

 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.29 )
日時: 2020/03/18 21:32
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第026次元 君を待つ木花Ⅲ
 
 ロクアンズは、此花隊の本部内でその白い隊服を見かけたことがあった。というのも、本部の中央棟は主に"医療部班"の仕事場となっていて、医療部班の班員とすれ違うことも珍しくないためである。

 此花隊の隊服は、部班によって基調としている色や作り、デザインが異なっている。戦闘部班と援助部班は灰色、研究部班と医療部班は白を基調とした隊服だ。各部班の班長と副班長に任命されている者は、所属の班に関係なく、全員が黒を基調とした隊服を着用している。
 フィラと名乗った女性が着ている隊服は上下がひとつなぎになっていて、膝のあたりで裾がひらひらとしていた。全体的な色は真白。ところどころ紅色のラインが入っているのがわかる。汚れのないまっさらな白色が視界に飛びこんできて、ロクはびっくりした。

 「地面の上で転んだのね……大きな擦り傷だわ。ちょっと染みるけど、我慢してね」
 「いっ!」
 「よく効く薬だから、すぐよくなるわ。包帯も巻いてあげる」
 「ありがとう、フィラさん」
 「あら。も、もう覚えてくれたの? 嬉しいわ」

 笑顔の似合う女性だった。濃い臙脂色の髪も艶やかだ。手入れを怠っていないのだろう。ロクは思わず見とれていた。

 「ケガっていやあ、この前森に入ったときさあ、ケガしてぶっ倒れてるやつを見かけたんだよ」
 「ああ、元魔を見つけて急いでここに帰ってきたときだろ? たしかお前、ちょっと遅れて帰ってきたよな?」
 「その倒れてたやつがさあ、死んでたんだよ。そのままにしとくのも、なんか嫌だし……だから近くに埋葬してたんだ」
 「なるほどな。……あ! それってあれじゃないか? ベルク村の」

 ぴくりと、包帯を巻くフィラの手が一瞬だけ震えた。

 「あ~! 言われてみればたしかに」
 「村から逃げてきたんだろうけど、あそこの山道は人間が歩けるようなとこじゃないからな。ほとんど急斜面だし、下ろうなんて考えるもんじゃないよ。いくら命があったって足りやしねえ」
 「村の場所も、いまいちよくわかんねえんだよなあ。ほんとにあるのか?」
 「あるだろうよ。そいや、村の向こう側は整備してあるんじゃなかったか? そっちから降りたらすぐ海岸に着く。そこで貿易商どもと、どうやら酒の取引をしてるらしい。これがまた絶品なんだと」
 「本当か!? くぅ~! 姑息だねえ、ベルクの領主も」
 「ねえ、その森で倒れてたっていう男の人、ベルク村から逃げてきたんじゃないかって言ってたよね?」

 包帯を巻き終えたらしいロクは、体の向きを変えて話に加わった。

 「ああ」
 「それって、ベルク村でお酒を造るのがいやになったってこと? その領主さんが、村の人たちに重労働をさせてるとかじゃ……」
 「あ~。その線が濃いだろうな」
 「それなら調べたほうがいいよ! このままほっとくなんて、村の人たちがかわいそうだよ」
 「冗談言っちゃいけねえ。さっきも言ったけど、ベルク村への道は険しいなんてもんじゃないんだ。いくら鍛えてたって、あの山道を登る勇気は湧いてこないさ」
 「それに、ベルク村は小さい村だし、旨い酒を造ってるっつったってこの国のライフラインにはならねえよ。なくなったって困りゃしねえし、いずれあの村は自然消滅するだろうよ。人口の減少でな」
 「……」
 「ならあたしが行く!」

 決して良質とはいえない長い腰掛から立ち上がって、ロクが言った。

 「その村に行って、ほんとに領主さんがひどいことしてたら、おじさんたちが政府に報告してくれる?」
 「ちょっ、おいおい嬢ちゃん! 冗談だろ? さっきの話聞いてなかったのかい」
 「聞いてたよ。村の人たちが苦しんでるかもしれないのに、おじさんたちが見て見ぬふりしてるってことくらい……!」

 援助部班の男たちは黙りこんだ。この支部での指揮を任されているらしい黒い隊服を着た副班長位の男が、ふたたび口を挟んだ。

 「あのなあ、ちがうんだ。あそこの村は行ったってどうせ──」

 そのときだった。
 建物の入り口の扉が勢いよく放たれ、1人の男が慌てた様子で談話スペースに駆けこんできた。

 「副班長! いま、森のほうから子どもを抱えた女性が現れて、そのまま倒れて……!」
 「なに!? すぐに運んでこい! フィラ、治療の準備を」
 「はい!」

 部屋から、数人の男が出ていく。フィラはまた袖をまくると、テーブルの上に置いてあった陶器類をどかし、代わりに大きな銀のケースをそこへ乗せた。ケースを開くと、医療器具らしきものがごちゃりと入っているのが見えた。薬品の詰まった小瓶もある。
 間もなくして、1人の女が室内に運ばれてきた。女は担架に乗せられ、2人がかりでそれを運ぶ隊員の男とそれ以外もぞろぞろと戻ってくる。
 その中には、腕に布のようなものを抱える姿もあった。

 「細い切り傷が多く、脚や肘のあたりには打撲痕もあります」
 「……ひどい怪我……。出血が多いわ」

 担架から下ろした女を、長い腰掛に寝かせた。フィラは膝立ちになって女の顔を覗きこむ。テーブルの上に並べた薬瓶と女の身体とを交互に見ていたが、ふと、女の呼吸が浅くなっていることに気づく。

 「……」
 「フィラ、どうなんだ? 助かりそうか?」

 それだけではなかった。手足は折れそうなほど細く、肌がカサカサに乾いてしまっている。太陽の光を浴び続けた結果だろう。ということは、女はまともに水分を取っていない。食事を摂っていたのかも怪しい。フィラに限らず、ここの隊員には見慣れている姿だった。あの酷い山道を下ってきたのだとしたら、いま息をしているのも奇跡だと称賛に値するほどだ。フィラの喉に息が詰まる。

 「……ぁ……」

 か細い声が、フィラの耳に届いた。フィラは耳にかかった髪の毛を掻き上げ、そっと顔を近づける。

 「……こ……こど……もは……」
 「お子さんですか?」
 「……あの子、だけは……」

 女は、うっすらと目を開けた。その濁った赤色と目が合う。
 フィラが彼女の右手を取ったそのとき。握り返してきた女の手が、ゆっくりと力を失い、細い指先がフィラの手から離れていく。閉じた瞳から一筋、涙が流れ落ちた。
 
 フィラは、後ろで立っている副班長の男に向かってふるふると首を振った。
 この女がベルク村から出てきたのであろうことは、この場にいるほとんどの人間が推測したことだった。皆、これが日常茶飯事であるといったような諦めの表情を浮かべている。
 そのとき。1人の男が抱えていた布の塊から、耳に障るような泣き声が湧いた。赤子の声だ。母の死ではなく、空腹を嘆いているのだろう。

 「あたし、行ってくる」

 泣き止まないその声に紛れて、ロクが言った。

 「行くって……。嬢ちゃんも見ただろう。この女性はいま、」
 「『行ったってどうせ』……そう言ってたよね、さっき」
 「……」
 「あたしは行くよ。ぜったい辿り着いてみせる。──苦しんでる人を、あたしはぜったいにほっとかない!」
 「待ってっ!」

 ロクは、フィラの叫び声を無視して、部屋から外へ出ていった。
 レトヴェールはというと、そんなロクのあとをすぐに追うことはせず、自身のポーチから小さな紙を束ねただけのメモ帳とペンを取り出した。
 テーブルを借りて、紙面にペンを走らせると、すぐに書き終えレトは立ち上がった。そのとき。

 「……?」

 腰掛に横たわったまま動かなくなった女が、左手になにかを握っていた。
 周囲に気づかれないようにそっとその紙を引き抜く。くしゃくしゃになったその紙を開くことはせずに、レトはさきほど自分が書いたメモとその紙とを、おなじ便箋に入れた。

 「悪いけど、ここにコルド・ヘイナーっていう名前の戦闘部班の副班長が来たら、この手紙を渡してくれないか」
 「え? ええ……」

 手紙を差し出されたフィラは、落ち着かない様子でその便箋を受け取った。
 入り口の扉に向かおうとしたレトがロクについていくつもりなのだと直感したフィラは、そんなレトの背中を、切羽詰まったような声で呼び止める。

 「ま、待って! お願い、あの子を止めて……! 大人でも登れないほど険しい山なの。体力のない子どもが、そんなの……絶対に無理よ。それにまともに水も食料も確保できないのよ!? どう考えたって無謀だわ!」
 「あいつはなに言っても聞かないから」
 「あなたは、あの子の知り合いなんでしょう!」
 「……やるって言ったらほんとにやるよ。そういう義妹いもうとなんだ」

 レトはそう言い捨てて、建物から外へ飛び出していった。どうせすぐに音を上げて帰ってくるだろう、とだれもが肩を竦める。そんな中、フィラの真紅の瞳だけが、たしかに揺れていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.30 )
日時: 2020/05/08 12:45
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YnzV67hS)

 
 第027次元 君を待つ木花Ⅳ
 
 『ロク、聞こえるか?』
 「あ、レト!」

 通信具が使用できる範囲には限りがあり、その範囲は極めて狭い。もしかしたら交信の届かない、どこか遠くの場所まで行ってしまったのではないかと不安を覚えたレトヴェールだったが、ロクアンズからの返答を受けると安堵の息をついた。

 此花隊で製造されているこの通信具というのは、『元力』と呼ばれるものを利用している。それは、次元師である人間だけが体内に保持している"次元の力の源"だ。体内にあるうちはただの小さな粒子でしかないが、本人の意思に呼応して活性化し、次元の扉を開く力へと変貌を遂げる。
 その、"本人の意思に呼応する"という特性を生かし、開発されたのが、現在戦闘部班が使用している通信具だ。次元師の持つ元力がもととなっているため、コルド、ロク、レトの3人以外の人間とは連絡を取ることができない。そのうえお互いの居場所が遠く離れすぎている場合でも、元力の感知能力が薄れて交信を不可能とする。

 『おまえ、いまどこにいる?』
 「えっとね~……あ、レト見っけ!」

 高い樹木の枝に留まっていたロクが先にレトの姿を見つけ、そこから飛び降りた。きょろきょろしているレトの背中に声をかける。

 「ねえレト! ベルク村ってどこにあるか知ってる?」
 「……あのな、これからどんどん夜が更けてくってのに、飛び出していくやつがあるか」
 「あ……」

 ロクは、しまったという顔で空を見上げる。夜空に浮かぶ星の輝きを頼りにと思ったが、無慈悲にも高い樹木の影に塗り潰され、あたりは真っ暗闇に包まれている。

 「ごめんレト……。どうしよう?」

 レトは自分の腰元のポーチをまさぐるとすぐに、硝子で作られた筒のような器具を2本取り出した。
 「ん」
 「な、なにこれ?」
 「携帯用ランプ。油もある。何日かかるかはわからないけど、限りがあるから一晩中は使えない」
 「……すごいレト! こんなもの持ち歩いてるの!? 天才だよー!」
 「おまえがどこ行くかわからないからな」
 「すごいすごい! やっぱり、レトは頼りになるねっ!」

 レトは一瞬だけ目を丸くした。小さなランプ1つではしゃぎ回るロクを見ると、今朝コルドとロクのやり取りで感じたことが気のせいだったのかもしれないと思えてくる。

 「……地図でしか確認したことないけど、方角的にはローノから見て北東だ。だから、こっち」
 「なるほど! よーし!」

 レトが指先で示した方角に、ロクはくるりと顔を向けた。ランプを片手に、2人は深い森の中へ踏みこんでいく。



 木の葉を集めて作った簡易な寝床から、むくりとロクは起き上がった。灰色のコートにくっついた葉が落ちる。強い陽の光が、森に明るさを取り戻していく。
 ロクにゆさゆさと身体を揺らされ、レトも起床した。2人は、任務の際には常に持ち歩くようにしている固形の携帯食料で朝食を済ませ、まだ日が昇りきらないうちに行動を開始した。
 森の中はどこも人が通れるようには整備されていないため、道らしい道はない。ロクは器用に草木を掻き分け山道をどんどん進んでいくが、レトはすこし足をとられながら、ロクの背中についていく。
 そんな状態が小一時間続いたが、前を歩いていたロクが急に速度を落としたので、レトも足を止めた。

 「どうした、ロク」
 「ねえレト、見て。これ、崖かな?」
 「崖?」

 ロクが顔を上げていたので、レトも空を仰いだ。樹木の葉と葉が重なり合って視界のほとんどが遮られていたが、目の前にはたしかに、断崖絶壁と呼ぶに相応しい土の壁が聳え立っていた。首を左右のどちらに振ってもその端が見えないほど、その壁は際限なく広がっていた。
 
 「すごい崖だな……高さもかなりある。遠回りしすぎると道がわからなくなるからな。これを登りたいところだけど……岩肌に凹凸がない。これじゃ無理だな」
 「北東ってこの先だよね。ねえレト、足場があればいいんだよね?」
 「は? だから、足場は……」
 「レト、ちょっとこっち来て!」

 ロクはレトの腕を掴んで、崖とは反対方向に走りだした。崖との距離が遠くなる。すこし離れたところで、ロクは足を止めた。
 レトが息を整える間もなく、ロクの手元から、火花のような雷が散った。

 「おいロク、なにを……」
 「いいから、ちょっと見てて! 足場がないなら作るまでだよ!」
 「……は? どうやって、」
 「──届け! 五元解錠、雷撃ィ!」

 突き出した右の掌から、雷光が飛び出した。崖に向かって放たれた雷は空中を縫い、崖の天辺に襲いかかる。
 しかし放った雷撃はさほど距離が伸びず、電気の端のほうが崖上に引っかかり、土くれがぼろっと崩れただけに終わった。

 「ありゃ、失敗した……。もっと近づいてみようかな。万が一降ってきたときはすぐに避ければいいし……よしっ、もっかい!」
 「待てロク! いまのおまえの力だと、もっと近づかないとだめだ。だけどそれだとあまりにも危険すぎる。ほかに道がないか探したほうがいい」
 「大丈夫、次はやってみせるからっ。あたしに任せて、レト!」
 「だけど」
 「1回失敗したくらい、どうってことないよ。何回でもぶつかっていかなきゃ。じゃないときっと、ずっと負けっぱなしで終わっちゃう!」

 ロクの全身に雷が絡みつく。レトはそれ以上口を挟むことを諦めた。彼女の意識はもう崖の上にある。

 「五元解錠──雷撃ィ!!」

 両手をぐんと前に突き出す。と、電熱が腕に絡みつくように、手先から肩へと駆け上がった。放出された雷電はふたたび、崖の上を目掛けて空を切る。
 反動で仰け反りそうになるのをロクは両足で踏ん張りながら必死に堪えた。すると、電撃は見事に崖の上に直撃し、そこから崩れた岩の断片がごろごろと大きな音を立てながら、崖下に向かって転げ落ちていく。
 一瞬、その光景に気を取られていたロクの腕を、レトがすかさず引き寄せ、飛散した岩の欠片からロクを遠ざける。
 岩雪崩の勢いがどうやら収まったらしいということがわかると、ロクとレトは走って崖下に近づいていった。すると、まっ平だったはずの崖の上のほうの岩肌が削がれ、その岩の断片が真下の地面に積み上がっていた。

 「やった! もうちょっと、もうちょっと崩せばできるよ、足場!」
 「……」

 嬉々とするロクは、間髪を入れずに全身に雷を纏った。さきほどよりかは弱い威力で雷撃を繰り出し、どんどん崖を崩していく。
 レトは言葉を失い、ただ目の前で起こっている光景を眺めていた。彼女が言った『大丈夫』が、意図せず頭の中で反芻する。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.31 )
日時: 2018/08/21 23:14
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: xJUVU4Zw)

 
 第028次元 君を待つ木花Ⅴ

 コルドがローノ支部へ到着したのは、ロクアンズとレトヴェールが本部を出発してから2日目の午前のことだった。
 先に行っておいてくれ、と2人には伝えていたため、任務が終わっても支部で待機しているだろうとコルドは踏んでいた。が、思わぬ事実を支部の隊員たちの口から聞き、彼は驚愕した。

 「べ……ベルク村に向かった!?」
 「え、ええ……危険だと思って、お止めしたんですけど……」

 フィラは、コルドに便箋を差し出して言った。彼は衝撃のあまり声が出せず、無言でその便箋を受け取った。封を解き、中から1枚の紙を取り出す。
 内容は、フィラが伝えた報告と同一だった。2人でベルク村へ向かったと記載されている。

 「……まったく、なにを考えてるんだあいつら……!」

 コルドは片方の手で、くしゃりと便箋を握りしめた。そのとき、便箋の口からべつの紙がはみ出ているのを彼は視認した。
 その紙を引き抜くと、それはまったく異なる質の紙だった。見る限り羊皮紙らしいとわかる。コルドが握ったときとはちがう折り目がついていて、まさしくぐしゃぐしゃと呼ぶに相応しかった。
 コルドはその紙を開いた。文字らしいものが書かれている。

 「……」

 しばらくの間、コルドは黙ってその紙面を眺めていたが、すべてを読み終えると、支部の隊員たちに目をやった。突然視線を向けられた隊員たちは、緊張の面持ちでコルドと向かい合った。

 「本部に届くローノからの報告書に、いつもベルク村の記載がありませんが、それはどうしてですか?」
 「そ、それは……」
 「ベルク村の所在が、辺境の地だということもわかっています。ですが、みなさんは援助部班の班員です。入隊時から厳しい訓練の期間を経てきたみなさんであれば、あの村に辿り着くことも不可能ではないはずです」
 「あのなあ……! あの山道は、険しいってもんじゃない! 登るのは無謀なんだ! あんたたち本部の人間にゃ、そいつはわからねえだろうよ」
 「わからないからこそ、各部署に報告という義務を課しているんです。……こういった声が、こちら側には届かないから」

 コルドは、羊皮紙を広げて見せた。隊員たちはぎょっとした。
 そこには、『たすけて』『たべものがない』『だれかおねがい』──などといった文言が、脈絡のない文字列で綴られていた。

 「これは立派な職務怠慢です。上に報告させていただきます」
 「……! じ、次元師だか、なんだか知らねえけど、あんたたちと俺たちじゃちがうんだよ! それくらいわかるだろ!」
 「……そうですか。なら、あの山道に入っていったロクアンズとレトヴェールが、無事にここへ帰還したら、職務怠慢を認めてくれますね?」
 「……は?」
 「あの子たちはたしかに次元師ですが、大の男ほど体力はない子どもです。フェアだと思うのですが、どうでしょうか」
 「……。いいだろう。本当にあの子らが戻ってこられたらな」

 責任者の男が、顔を顰めながら言った。コルドは腰元のポーチに便箋を収めると、入り口に向かった。おそらくロクとレトの2人を追いかけていったのだろうが、それを止める者は1人もいなかった。
 そのとき。じっと黙りこんでいたフィラが、急に立ち上がった。

 「フィラ? ……お、おい! どこへ行くんだ、フィラ!」

 銀のケースではなく、部屋の隅に置いてあった一回り小さめのバッグをフィラは引き掴んだ。その肩紐をすばやく両腕に通すと、彼女は有無を言わさず支部の外へ飛び出していった。
 
 
 
 崖を超えたロクアンズとレトヴェールは、新しい山道を辿っていた。確実に減っていく固形の携帯食料を、小さくちぎっては喉の奥に流しこみ、2人は空腹を凌いでいた。フィラが言った通り、食べられそうな果実や茸の類はほとんどなかった。あったとしても腹の虫を抑えるには不十分なほど小さな実であったり、極度に酸っぱいか苦いか、美味とはほど遠い味かのどれかだった。
 最大の問題は、水だった。山道に入ってから川や滝などといった水源を見かけることができずにいる2人は、自身らの水筒の中身を測りながら水分を摂っているおかげで、かろうじて喉の潤いを保てているのだ。

 ただしそれにも限界がある。現に、レトの水筒の水は底を尽きようとしていた。にも拘わらず、目的地のベルク村に辿り着けそうな気配はない。彼は、水筒の底のほうで小さく揺らめく水と、ただじっと睨み合いをしていた。

 「……」
 「レト、この先けっこう崖が続いてるみたいだよ。これを登りきったら、もしかしたら村に辿り着けるかも。ねえレト……レト?」

 レトははっとした。ロクが、不安そうな顔でレトの顔色を伺っていた。しばらくぼうっとしていたらしいとそこで初めて気づいた。
 喉の渇き。身体の疲労。そして目的を達成できるのかという、底知れぬ不安。そういったものに、思考が完全に支配されてしまっていた。しかしレトは、渇いた喉に唾を流しこみ、返事をした。

 「……ああ。悪い。行こう」
 「……」
 「ロク?」

 レトの顔を、じっと見つめていたロクが、腰元のポーチから水筒を取り出した。そしてすぐに、それをレトに差し出した。

 「はいっ、レト。飲んでいいよ。喉渇いてるでしょ?」
 「……は? い、いや……」
 「いいっていいって! 気にしないでよ、レトっ」

 へらっと、ロクは笑った。そんな彼女の顔から視線を落とす。水筒が差し出されていた。
 レトは当然のように迷った。これはロク自身が飲むためのものであり、自分はただ体力がないから水を消費しやすいだけだ。鍛錬をしていなかった自分が悪い。それなのに、どうぞと差し出されたそれから目を離せなかった。
 レトは、ようやく二の句を告いだ。

 「……でも、お前の分が……」
 「あたしは大丈夫! 秘策があるんだっ」
 「秘策?」

 見てて、とロクが言った。彼女はもう一度ポーチの口を開くと、中から小型のナイフを取り出した。
 すると彼女は、迷うことなく自分の腕に刃を向け、そのまま撫でるように肌を切った。ロクは一瞬だけ、ぴくっと眉をしかめた。

 「! ば、バカおまえっ! なにして……!」
 「喉を潤すくらいだったら、こうして血をなめることもできるなあって、思って」

 肌に伸びた細い傷跡から、鮮やかな赤色がつう、と滑り落ちる。ロクはそれをすかさず舌で舐めとり、こくんと小さく飲みこんだ。
 レトは言葉を失った。ロクは、なんてことのない顔で、レトに微笑みかけた。

 「こんなの、痛くもなんともないよレト。ベルク村の人たちはきっともっと苦しい思いをしてる。だからぜったい辿り着いて、直接会って、あたしがこの手で救いたいんだ。……レトがいなかったらあたし、たぶんここまで来れなかった。だからレトはこれ飲んでっ。あたしは大丈夫だから!」

 強気な緑色の瞳には、絶望も、疲労も、不安も──諦めの色も、浮かんではいなかった。彼女は、まっすぐ前だけを見つめていたのだった。

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.32 )
日時: 2018/09/12 13:50
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: f/YDIc1r)

 
 第029次元 君を待つ木花VI

 乾いた手のひらで岩の壁に食らいつく。不安定な足場に爪先をかける。息つく間もなく、ただ体力を奪っていくだけの動作の繰り返しに、身体はとうに疲弊しきり、限界を迎えていた。しかし2人は、そんな四肢を無理やり動かしてでも目的を達成しようとしている。
 そして、2人はようやく崖の縁に指先をひっかけた。余力を絞り出し、上半身を浮かせる。と、待ち望んだ平たい大地が、景色のすべてに広がった。
 土を引っ掻きながらよじ登ると、ロクアンズとレトヴェールの2人は、なりふり構わず地面の上に倒れこんだ。起き上がるよりも先にごろんと仰向けになる。抜けるような青空はとても近く、鮮やかで、眩しかった。

 「はあ、はあ……。やったねえ、レトっ。すごいよ、のぼったよーっ」
 「……ああ。でもまだ到着できたわけじゃ」
 「わかってるよ~……。あー……お腹空いちゃったね、レト」
 「……だな」

 腹の虫が低く鳴いた。空の青さに安心したのか、数日間に亘る食料の調達難を嘆いているのか、明確な自覚はないがたしかに2人は、深い呼吸ができていた。
 空に流れる雲を、ロクはぼんやりと眺めていた。が、そのとき。

 「死んでんか?」

 ひょっこりと、子どもの顔のようなものがロクの視界に飛びこんできた。

 「おぅい、おい」
 「……え。う、うわあ!?」

 ロクはがばっと飛び起きた。彼女の顔を覗きこんでいたその人物も、かわすように頭を起こした。

 「いきてた」
 「び、びっくりしたあ……。君は?」
 「おれはベルクのもんだけど」
 「え?」

 擦り切れた布で髪を乱雑に上げているせいか、その布の隙間から暗い赤色の髪がぴょこぴょこはみ出ている。見る限るロクやレトよりも歳は幼く、男や女かわかりづらいような見た目をしているが、「おれ」と発言していたので少年らしいと判断した。

 「ベルクって……」
 「ばあ様に言わなきゃ! ばあ様ー! 人がいたあー!」
 「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
 
 ロクの呼び声も空しく、その少年は土まみれの細い両脚で、ごつごつした地面の上を走っていった。それほど速く走って痛みはないのだろうかと呆気に取られているうちに、どんどん少年の後ろ姿が遠ざかっていく。

 「レト、行こう! あの子、さっきベルクって……──、っ! わわっ」

 追いかけようと踏み出した足に思ったほど力が入らず、ロクは数歩よろめいた。

 「どうした、ロク」
 「……。ううん、なんでもない! 急ご!」
 「ああ」

 ふたたび山道へと駆けこんだロクとレトは、少年の後ろ姿を追い続けた。この山道はいままでとはちがって整備されている。村の人間が使用しているのだろうか。そんな風に推測した。
 一本道を駆け抜けていく。しばらくして、2人は開けた場所へ出た。
 
 「……はあ、はっ……。こ、ここが……」
 「……ベルク村……」

 周囲は鬱蒼と生い茂る木々で囲まれている。よく目を凝らせば、木の麓などに花が咲いているらしいとわかった。藁を組んだだけのような稚拙な家宅が、ぽつりぽつりと並んでいる。
 その辺りをうろついているのは村人だろうか。だれもが、生気のない目をしている。籠を運ぶ男がいたり、木の実の殻を剥いている幼い子どもがいたり、薪にするのであろう細長い枝を集めている少女の姿もある。

 ロクは太い樹木の幹に手をつき、静かに村の様子を眺めていた。が、その呼吸は荒く、浅かった。

 「やっと……やっと、着い──」

 そのとき。ロクの全身から、途端に力が失われた。視界が落ちる。カラになった胃と意識とが浮遊する感覚を覚えてすぐに、彼女はその場で倒れこんだ。
 すぐ近くで、どさっという鈍い音を耳にしたレトは、驚愕した。

 「ロク! おい、ロク!」

 必死に呼びかけるレトだったが、ロクは地面の上でうつ伏せになったまま動かなかった。そしてレトもまた、視界がぐらりと傾き、急激な眠気に襲われると、足元から崩れ落ちた。



 「……ん……。あれ、ここ……」

 ロクは、ゆっくりと瞼を開いた。その隙間はぼんやりとしていて、知らない匂いがして、自分がどういう場所にいるのか判断がつかなかった。ぼうっとする頭を起こし、ごしごしと目元をこする。
 そのとき。

 「こ……子どもだ! しらない子どもがいる!」
 
 見慣れない男が、声を張り上げながらロクに飛びついてきた。
 
 「うぇっ!?」
 「見たことない! きれいな服着た、子どもがいる!」
 「え、ちょ、まっ、うわわ!」

 男はいきなりロクの両腕を掴むと、その小さな身体を乱暴に揺すった。目を回しそうになるのを必死に耐えるロクだったが、そうしているうちに、男の叫び声につられたのか次々と人が集まってきた。間もなく、ロクは完全に包囲された。
 物珍しいものを見るかのような、好奇に満ちた視線が、一斉にロクに降り注ぐ。
 
 「どこから来たんだ」
 「え、えっと、エントリアから……」
 「えんとり……なんだ?」
 「ばかだな。大きな町だよ。国でいちばんの」
 「ああ。えんとりあ」

 ごちゃ、とざわめきが湧いた。突然のことに驚きこそしたが、ロクはそのおかげもあって完全に目を覚ました。
 そこは室内だった。決して広くはなく、鼻につくような独特の匂いがする。壁はすべて黄土に近い色をしていた。おそらく村へ入ってきたときに見かけた藁の家の1つだろう。
 大きな石を削って造ったような机と、薪の束と、木の実や芋などをぶら下げた枝の骨組みなんかが無造作に置かれている。
 ロクは複数の目と視線を合わせた。

 「あの、あたしちょっと、あなたたちに聞きたいことがあっ──」
 「めぐみか?」
 「え?」
 「あれをよんだのか?」
 「……あれ、って……?」
 「めぐみをあたえてくれるのか!」
 「くれ!」
 「ああ、たのむ!」
 「めぐみを!」
 「たべものを!」

 ロクよりもずっと高いところにあった視線の数々が、波打つように伏せっていく。ぽかんとするロクをよそに、村人たちは藁の床にぴったりと額をくっつけ、「めぐみを!」「めぐみを!」とひっきりなしに叫んでいる。
 突然のことに、またしてもロクが困惑を隠しきれずにいた、そのとき。

 「しずまりなさい。こまっておられるでしょう」
 「……! ば、ばあ様!」

 伏せっていた村人たちは次々と顔を起こし、立ち上がった。"ばあ様"と呼ばれたその人物は、異様に背丈の低い老婆だった。彼女の後ろに、見覚えのある赤毛の少年が立っていた。人だかりが、黙って道を開けていく。
 ロクの胸あたりまでしかない小さな背をさらに丸め、地面の上に片膝をつくと、老婆は口を開いた。

 「此花の使者様ですね……。ようこそ、ベルクの村へ」


Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.33 )
日時: 2020/01/31 11:59
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: FFsMNg05)

 
 第030次元 君を待つ木花Ⅶ

 ばあ様、と呼ばれた老婆が人払いをしたおかげで、家の中には人っ子ひとりいなくなった。そのとき初めて気づいたことだが、ロクアンズのすぐ隣ではレトヴェールが静かに寝息を立てていた。寝顔は可愛いんだよな、なんてことを思っていたとき、ふいに声がした。

 「どうぞ、めしあがってください。次元師様」

 ロクの近くまでやってきた老婆は、しわがれた両手で木の板を掴んでいた。そこには汁物が入ったお椀と果実を乗せた小皿が置かれていて、彼女はそれらを零さないようにゆっくり腰を下ろした。
 
 「えっ? そ、そんな、いいよ! だってそれは、この村の大事な」

 必死に手を振りながら断ろうとしたロクだったが、彼女の下腹部は、ぐるるると正直に鳴いた。

 「……あっ、や、これは……」
 「ふふ。おきになさらないで」

 開いているのか閉じているのかわからない細い目で微笑む老婆は、木の板をロクの寝床のそばに置いた。

 「とおいところ、わざわざおいでくださいますとは、まさか、ゆめにもおもっておりませんでした。おみぐるしいものをおみせしてしまい、もうしわけありません。ごらんのとおり、この村はめぐまれておりませんで、つぎのはいきゅうの日もちかいので、いまおだしできそうなものは、このくらいがせいいっぱいで……」
 「ううん、そんな! むしろごめんなさい……。村の大事な食べ物なのに」
 「とんでもありません。めしあがってください」
 「……ねえ、もしかしてあなたが、ここの村長さん?」
 「はい。わたしが、村長のツヅでございます」

 ツヅは、正座を崩し左膝を立てた。両肘を曲げ、床と水平になるように持ちあげると、膝にくっつくかつかないかの位置で右手の甲に左の手のひらを重ねた。この村での挨拶なのだろう。

 「ねえツヅさん、あたしたち、この村でなにが起こってるのか知りたくてここまで来たんだ。だから村のことを教えてもらえないかな?」
 「それは……おえらいかたが、そのようにと?」
 「え?」

 一瞬、蒼い海のさざめきがロクの鼓膜をよぎった。指示されてここへ来たのかと問われているのだ。ロクは、迷わず首を振った。

 「ちがうよ。自分の意思で来たんだ。あたし、困ってる人をほっとけないんだ」
 「……。そうでございましたか。次元師様、すこしだけ、むかしばなしをしても?」
 「昔話……? うん、いいよ」
 「では、おはなしします。……いまからたった13年まえのことです。このむらには──『白蛇しらへび様』とよばれる、むらのまもりがみがおりました」
 「……しらへび様……?」

 ツヅは語りだした。

 ベルク村にはかつて、村の人間から『白蛇様』と崇められている白い蛇が棲みついていた。それは1匹ではなく何十という数にも及ぶ、白くて美しい小さな蛇だった。真白の鱗に紅色の花を押したような斑点があり、村の人間たちはその蛇とともに暮らしていたという。

 「白蛇様は、われわれにきがいをくわえるようなことは、なさりませんでした。それにそのかじつをとてもこのんでおられたのです」
 「これのこと?」
 「はい」

 ロクは、小皿に乗った果実をひと粒つまんで持ちあげた。赤紫色でやや楕円の形になっている果実だ。

 「むらのだれもが、白蛇様と、しあわせにくらしていたのです……。あの日までは」

 13年前──第二次メルドルギース戦争が停戦となった翌年のことだ。村の領主だった者が急逝し、国から新しい領主が寄越された。しかしその領主の男は「財政難」だと言って、ある日突然──村中に棲みついていた白蛇を狩り始めたのだ。

 「なんで、そんなひどいこと!」
 「白蛇様のかわは、たいへんうつくしく、おかねになるのだと……。それだけではございません。白蛇様のかわを、ずっとうっていくために、むりやりはんしょくをさせはじめたのです……」
 「……」
 「ああ。いいおくれましたが、白蛇様は、すべておすなのです」
 「え? でも、いま繁殖って……」
 「たったいっぴきだけ……。たったいっぴきだけいたのです。しろい白蛇様とは、"まぎゃくのうろこ"の……──べにいろのうろこをもった、女王蛇が」
 「女王蛇……」
 「その女王蛇は、この村では、ウメとよばれておりました。とおくのくにに、うめという名の木があって、あのべにいろによくにているとか。……わたしの夫が、あの子にそうおしえたと」
 「あの子?」
 「フィラといいます。わたしのまごですが、いまはこのむらにおりませんで……」

 聞き覚えのある名前だった。瞬時にロクは、ローノの支部にいた医療部班の女の顔を思い出した。
 そして、フィラがツヅの孫であるという事実は、意外にもすんなりと呑みこむことができた。
 ツヅは老婆さながらの白髪であるが、フィラの名前を口にしたときその細い目がすこしだけ開いた。フィラとおなじ、臙脂色をしていたのだ。それだけではない。この村へ訪れる前、崖の上で出会った少年の髪の色もたしかに赤黒かった。
 この村の人間は、身体のどこか一部の色素が臙脂色になっているのだ。ロクは口を開いた。

 「知ってるよ、あたし! 山の麓の町で、フィラって名前の、暗い赤色の髪をした女の人に会ったんだ!」
 「そ、それはほんとうですか……?」
 「うん」
 「……ま、まさかあの子が、こんなにちかくにいたなんて……」
 「でもどうして、フィラさんは村にいないの?」
 「……」
 「村でなにかあったの? もしかしてさっき言ってた、繁殖と関係が……?」
 「……はい。そうでございます。フィラは、ウメ様といちばんなかがよかったのです。しかしたくさんの白蛇様がさくのなかにおいやられ、ウメ様もうばわれ、フィラはとてもかなしみました」

 白蛇を繁殖させるように命じた領主は、その管理を村の人間に押しつけた。しかし白蛇の皮を含む村の作物の管理はすべて領主が行うこととなった。村人たちは自責の念に駆られ不運を嘆いてでも、生きるために、白蛇の繁殖を始めた。
 村の作物も、守り神も誇りも、なにもかもを差し出し絶望に打ちひしがれた村人たちだったが、たった1人、
 フィラだけはその深い憤りを隠せなかった。

 「そして、ある夜フィラは──」
 「連れ出したのよ。……柵の中にいたウメを、ね」

 凛とした声が響いた。
 声のしたほうへ2人が振り向くと、藁の家に入り口に、フィラが立っていた。

 「ふぃ、フィラ……っ!」
 「お久しぶりです……おばあ様」
 「お、おまえ……なんだって、ここに」
 「この子たちを追って、町を出てきたんです。……お元気そうでなによりです、おばあ様」
 「なにをいうんだい。おまえが……おまえさえ、いきていれば……」

 フィラのもとへ歩み寄ろうとしたツヅだったが、その短い足から力が抜け、身体が傾いた。足元を崩したツヅのもとへフィラが駆け寄ると、ツヅはそっとフィラの背中に手を回した。フィラも、やわらかくツヅを包みこむように抱き返した。

 「ごめんなさい、おばあ様……。私、どうしても……村に帰ってこられなかった。みんなを傷つけたのは、私だから……」
 「なにをいうんだい、ばかもの。ほんとにおまえは……ばかだね。なにもかわっていないよ」

 フィラは、震えそうな唇を固く結んで、咽び泣く祖母の背中を撫でた。ふいに顔を上げたフィラの臙脂色の瞳と、ロクは目が合った。

 「ここから先は私が話すわ」
 「いいの?」
 「……まさか、本当にこの村に辿りつけるとは夢にも思ってなかったの。だからかはわからないけど、なぜだか、話したくなったのよ。あなたたちに。……聞いてくれる?」

 ロクは黙って頷いた。

 「さっきの話の続きよ。私は、どうしてもウメやほかの白蛇様たちがかわいそうで……ウメを連れ出したの。そうしたら繁殖させられることはないと思った。なにより……私はウメのことが大好きだったから。ウメを傷つける領主たちの言いなりになるのが嫌だった。でも隠せるような場所が思いつかなかったら結局ウメを家に連れて帰って、そのとき家の中におばあ様と、村で仲が良かったハジって男の子と、もう1人セブンっていうちょっと年上の男の子がいたから、その3人には『このことはヒミツにして』って頼みこんだの」
 「え?」

 ロクは耳を疑った。危うく聞き流しそうになったその名前が、ある人物の顔を思い起こさせる。

 「どうかしたの?」
 「……」

 しかしロクは、その名前を口にはせず飲みこんだ。ロクの知っているセブンという男は、髪の色も目の色も臙脂色ではない。同じ名前であるというだけの別人だろう。そう思ったロクは、「なんでもない」と首を振った。
 フィラはふたたび話し始めた。

 白蛇の管理は村人たちの役割だった。領主の使いでやってきた人間に、村人たち自らが蛇を差し出すことになっていた。つまり、領主側の人間が、白蛇とウメがどのようにして柵の中で過ごしているかなどの事情を知ることはないのだ。
 まさかたった1匹しかいない雌蛇がいなくなり、どんどん白蛇が数を減らしているとも知らずに搾取を続けた領主側の人間は、当然のことながら驚愕した。気づいたときには、白蛇という種が、完全に絶ってしまったあとだった。

 「それで領主さんはどうしたの?」
 「……当然、すごく怒ったわ。怖かったけど、やってやった、っていう気持ちのほうがそのときは大きかった。……でも、甘かったのよ。私はヴィースのことを……領主っていう人間の怖さをなにもわかっていなかった」

 その日を境に、領主ヴィースは付き人を従えて村に訪れては、村人たちに暴力をふるうようになった。性別も歳も見境なく、1人捕まえるたびに呪いのように唱えていたそうだ。──「なぜだ」「なぜだ」と。
 そしてある日、怒り冷めやらぬヴィースによって身体中を痛めつけられたハジが、ついにフィラのことを話してしまったのだ。
 じゃあ、とロクが相槌を打つと、フィラは苦しそうに表情を歪め、俯いて言った。

 「……ヴィースに、見つかって、ウメも……家から引きずりだされて……私の、目の前で、」

 喉と、手脚とを震わせながら、フィラは必死に言葉を紡いだ。

 「ウメが、火に焼かれて、もがきながら、死んでしまったの」

 ロクは、自分の胸に息が閊えるのを感じた。
 
 
 


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