コメディ・ライト小説(新)

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最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
日時: 2025/06/22 21:01
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 毎週日曜日更新。
 ※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。

*ご挨拶

 初めまして、またはこんにちは。瑚雲こぐもと申します!

 こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
 ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
 しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
 よろしくお願いします!



*目次

 一気読み >>1-
 プロローグ >>1

■第1章「兄妹」

 ・第001次元~第003次元 >>2-4 
 〇「花の降る町」編 >>5-7
 〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
 ・第023次元 >>26
 〇「君を待つ木花」編 >>27-46
 ・第044次元~第051次元 >>47-56
 〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
 ・第074次元~第075次元 >>83-84
 〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
 ・第098次元~第100次元 >>107-111
 〇「純眼の悪女」編 >>113-131
 ・第120次元〜第124次元 >>132-136
 〇「時の止む都」編 >>137-175
 ・第158次元〜 >>176-


■第2章「  」


■最終章「  」



*お知らせ

 2017.11.13 MON 執筆開始
 2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
 2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
 2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
 2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞

 
 ──これは運命に抗う義兄妹の戦記
 

 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.73 )
日時: 2020/04/16 14:55
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第068次元 日に融けて影差すは月ⅩⅦ


 『おいおい、なんだぁ? この子』

 自宅の扉から勢いよく飛びだしてすぐに、彼女の大きなお腹とぶつかった。彼女の顔を仰ぎ見たとき、なんて鮮やかで綺麗な紫色だろう、とその瞳に目を奪われた。心を強く惹きつけられたせいで、周りの景色が見えなくなったほどだ。

 眼が地面の上にころりと転がっている。だれのものかはわからなかった。カウリアか、イスリーグか、それともイズリアか──。
 3人のうち、だれかのものであるのは確実なのに、ロクアンズは現実から目を逸らしたかった。しかしその魅惑の彩りがロクの視線を捕らえて離さない。

 「それ…………」

 頭上から、ぽつりとか細い声が降ってきて、ロクはすかさず首を捻った。キールアがロクの足元に転がっているものを注視していたのだ。いつ我に返ったのか、虚ろだったキールアの瞳が大きく見開かれて、動揺の色に染まっている。

 「き、キール、あ、これ」

 ロクは必死に手を泳がせてそれを隠そうとした。しかし、遅すぎた。血の気の引いた真っ青な顔でキールアは叫び声をあげ、走りだした。

 「お母さん! お父さんっ! ──イズリア!!」
 「待って、待って、キールア!」

 ロクが絞りだした声も虚しく、キールアは真っ黒に焼き目のついた家宅の中へ飛びこんでいった。ロクは追いかけることができなかった。がくがくと膝が震えて、胸のあたりからぐんと涙が突きあげてきて、ロクはその場に崩れ落ちた。

 「お母さん!!」

 家の戸口を押し開けると、がらんと大きな音を立ててその黒い板が倒れた。部屋の中は真っ暗だった。真っ黒だった。
 キールアは入ってすぐに、口元を両手で抑えた。

 「──っ、……!」

 黒焦げに焼けたなにかが、床の上で折り重なっていた。太い棒のようなそれらは長い。黒一色になった2本の身体はぴくりとも動かない。なにかを守るみたいに覆い被さっている。

 「……っぁ、や……、ぁ……」

 キールアは、ゆっくりとそれらに近づいた。見たことのない姿をしていたそれらは、実の母と父にまちがいなかった。快活な母の笑顔。温厚な父の背中。なにもかも黒に塗り潰されている。
 ぼとり、と大きな粒が頬から流れ落ちた。ぼとり、ぼとりと。すでにキールアの顔はぐしゃぐしゃになっていた。

 「お父、さん……おか、あさ……」

 折り重なる父と母の前で、キールアは膝をついた。そのとき。彼女は2人の身体の下に、もうひとつ黒いものがあることを発見した。小さな手が床の上に伸びていたのだ。真っ黒だった。
 ぷつん。
 と、彼女の頭の中で張っていた理性の糸が切れた。
 キールアは絶叫した。

 「ああああああああああ──ッ!」

 喉が張り裂けんばかりの大きな声を聞きつけて、ロクがシーホリー宅に駆けこんできた。居間の中央で1人の少女が蹲り泣き声を散らしている。

 「キールア!」

 ロクはキールアの両肩を力強く掴んだ。ほんのすこしでも落ち着かせたかった。しかしキールアは、凍えているくらい全身を震わせて喚き続けている。

 「やだ、やだ、やだ! やだよ、やだよ、やだ、やだぁ……っ!」
 「キールア、ここを離れよう! ここから、はやく!」
 「……やだ……っ、うそ、うそって言ってよ、こんな、こんなの、ねえロク」
 「……」
 「やだよおかあさん……おとうさん……イズ……──死んじゃ、やだあっ!」

 小麦色の髪が、ロクの胸に飛びこんでくる。ぎゅうと強く、強くロクの身体に抱きついて、キールアは崩れ落ちた。それからずっとキールアは泣き叫んでいた。
 失ったのはたった一瞬のように思った。
 村に着くまでは。森に入るまでは。扉に手をかけ、振り返って、「いってきます」と言うまでは。
 生きていたのだ、と思い知らされる。世界の仕掛けみたいに当たり前に繰り返す毎日は決して当たり前ではないことを、このときキールア・シーホリーは知ったのだった。



 キールアを除くシーホリー一家3名が死亡したことをエアリスが知ったのは翌日のことだった。ロクは明け方、雨の降る森の中をキールアを連れて歩いた。エポール宅に帰り着いたのはお昼時を過ぎてからだった。
 家族がいなくなったショックによってキールアは深い眠りに落ちてしまった。エアリスは、事のあらましをロクから聞かされた。

 「……カラ……」

 エアリスは寝台に腰をかけた状態で、ロクが差し出した紫色の眼球をそっと手に取った。そして苦しそうに表情を歪ませて、一言、

 「……やっぱり、こうなってしまったのね」

 と、なぜだかこうなることを予測していたかのような口ぶりで告げた。ロクは、なぜキールアの家族が殺されてしまったのか、その理由をエアリスが知っているような気がして訊ねてみた。エアリスは重い口を開き、シーホリーの一族が政府の人間たちに命を脅かされていることをロクに教えた。

 「シーホリーの祖先にあたる人が、遠い昔、とある寄生虫に寄生されてしまったんですって。その寄生虫は人間の脳や筋線維に影響を及ぼす種類のものだったらしいの。シーホリーの人間はその寄生虫に肉体を支配されてしまい、挙句の果てには思考能力や記憶、脳が司るすべての機能を奪われる。野生の獣のようになって、強靭な身体をもって人間を襲ってしまうんですって。でもそういう状態になるにはなにかの条件があるみたいなの。そうでなければカラや、イスリーグさんや、イズリアくんはとうの昔に理性を失って、人間ではなくなっているはずだもの」
 「キールアは? 動物みたいにならない?」
 「……。さあ、私にもわからないわ。でもキールアちゃんの瞳の色が、普通のシーホリーの人たちとちがうのがちょっと気になるわね。たしかにあの子はカラとイスリーグさんの子のはずなのに」

 手の平に乗った紫色の眼球を見つめながら、エアリスが呟いた。キールアの瞳は、髪の毛の小麦色に寄った琥珀色をしている。しかしキールアはその髪色もさることながら顔立ちも母親そっくりで、むしろ血が繋がっていないと断定するほうが困難だ。

 「それも寄生虫による、なんらかの影響なのかしら……」
 「その……虫って、殺せないの?」
 「いまのところは、なんとも……。私は医師ではないから。シーホリーの一族はね、血が繋がっていればその寄生虫が身体に宿るのよ。寄生虫が、女性のお腹の中で卵を産んでしまうの」
 「そうなの?」
 「ええ。だから政府の人たちは、シーホリーの一族……つまりこの紫色の眼球を持つすべての人間の命を奪おうとしてる」
 「……だから、カウリアさんたちが、殺されちゃったの?」
 「……」

 エアリスは頷けなかった。いまだ友人と、その友人の家族の死を受け入れられていないのだ。ロクは急に不安になってきて、思わずエアリスにこう訊ねた。

 「おばさん……キールアは? キールアも……あの人たちに、殺されちゃうの?」
 「そんなことはさせないわ。私たちで守りましょう、ロクアンズ。キールアちゃんを」
 「うん。守りたい。あたし、ぜったいキールアを守る」
 「ありがとう、ロクアンズ。……あ、そうだわ。いまの話、レトヴェールにもしてあげたいんだけど、どこにいるか知ってる?」
 「ああ、それなんだけど……レト、ずっとあたしの部屋の前にいるの」
 「あなたのお部屋の前に?」

 現在、キールアはロクの部屋の寝台を借りて眠っている。そんなロクの部屋の前にレトヴェールが張りついているのだった。

 「……」
 
 部屋の内側からは物音ひとつ聴こえてこない。眠り続けているキールアは、夢を見たりしているだろうか。
 扉を開ける勇気はなかった。
 レトはただ、この部屋の前から離れることができないだけだ。目を覚ましたときになんて言葉をかけるのがもっとも自然で、もっとも彼女を傷つけずに済むのかを延々と、延々と考えていた。


 一方、キールアは、深い眠りの中で夢を見ていた──。


 『なあキールア』
 『ん? なあに、お母さん』
 『キールアはどんな大人になりたい?』
 『どんな大人? うーん……』
 『どんなでもいいよ。あたしとかあいつみたいな調薬士だっていい』

 膝の上で寝息を立てている弟の髪を撫でながら、母がこんなことを訊いてきた。これはたった数日前に母と交わした会話だった。
 母に言われた通りに、摘んできた薬草の葉と茎をちぎって分けて、網籠に入れていくうちに自然と湧き起こったことを口にした。

 『……お母さんみたいな、強くてかっこいい女の人になりたい、な』
 『お。そいつは嬉しいねえ。キールアならなれるさ』
 『ほんとに? お母さん』
 『ああ。あんたならなれるよ。うちの家族で一番、強く生きていけるさ』
 『……?』

 作業していた手を止めて母の顔を仰いだ。すると母はいままでで一番くらいに母親の顔をして、こう告げた。
 
 『いいかいキールア。強く生きるんだよ。この先何回泣いてもいい。何回立ち止まったっていいよ。でも自分の、ほんとの気持ちだけは忘れちゃだめだ。──好きなように生きな。母さんとの約束だ』

 それが母と最期に交わした約束だった。
 この先、どんなことが待ち受けているのかなんて予想だにしていなかった。だから、満面の笑みで「うん」と頷いた。思えば、それだけが救いだったのかもしれない。母はいつもみたいにからりと、気持ちいいくらいの笑みを返してくれた。





 そのまた翌日。レイチェル村の空はいまだ灰色の厚い雲に覆われていた。エポール宅では、ようやくキールアが目を覚ました。
 病床に臥すエアリスも、そのときだけは自室を出てロクの部屋に駆けつけた。
 
 「おはよう、キールアちゃん。目が覚めたみたいでよかったわ。……気分は、どう?」

 キールアは、ぼうっとしたような目つきで、室内を見渡した。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.74 )
日時: 2020/04/16 14:55
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第069次元 日に融けて影差すは月ⅩⅧ

 室内にはロクアンズとレトヴェールもいた。ロクは心配そうにキールアを見つめている。レトはというと、ちらちらとキールアの顔を見やってはいるものの彼女と目が合うのを避けていた。
 一夜明けたところで、巨大に膨らんだ不の感情が消えてなくなることはない。まだ彼女の意識は昨日の、炎に包まれて真っ黒に焼けた家の中にあった。重なり合った黒い死体が視界に張りついている。刺すような強い花の香りが鼻腔に纏わりついている。
 エアリスの澄んだ声が聴こえてきた。なにか返事をしなくちゃ、と咄嗟に思った。キールアは掠れた声で応えた。

 「大丈夫……です」

 大丈夫なはずがない。エアリスもロクもレトも、それが強がりだとすぐにわかった。キールアはくっと目尻に力をこめて、毛布の端を両手で握りしめた。

 「キールアちゃん、お腹空いているでしょう。お昼ご飯作ったから、食べたいときに食べてね」
 「……いえ、平気です。わたし……」

 ぐるる、と彼女の胃袋だけは正直に応える。キールアはお腹のあたりをぎゅっと隠して俯いた。

 「お願い。食べて、キールアちゃん」
 「……」
 「私は平気じゃないわ」

 独り言のようにエアリスは言った。キールアがそれに反応して顔を上げると、エアリスは金色の瞳を潤ませ、まっすぐキールアのことを見つめていた。

 「大好きな人たちが亡くなって、大好きだった親友が、もう会えないところへ行ってしまった。寝床が浸るほど涙を流したの。とても悲しくて、とてもとても悔しかった」

 幼い頃はともに野山を駆け回った。足が速くて体力もあったカウリアの後ろをへとへとになりながら追いかけた。朝から昼を過ぎて晩を越えて、翌朝までいっしょにいた日も数えきれないほどある。飽きるほど喧嘩を繰り返して、その度に仲直りをした。
 アノヴァフが村に現れたとき、小心者の自分の背中を叩き続けてくれたのはほかでもない、カウリアだった。勇気をだして手紙に想いを綴ってみたら、飛びあがるほど嬉しい返事がかえってきた。その報せを聞いたときのカウリアの姿をよく覚えている。彼女は本当に飛び跳ねて喜んでくれたのだった。彼女は昔から、裏表のないまっすぐな性格だった。そんな彼女だからこそイスリーグと出会い、幸せな家庭を築くことができたのだとエアリスは信じている。イスリーグはカウリアとおなじでシーホリー一族の血を持つ男だ。穏やかで心優しく、なによりカウリアにとって一番の理解者であった。最良の相手だと、カウリアが酒を片手に語っていたのを思い出す。

 きっと、子を産むことにはひどく悩んだことだろう。
 しかし彼らは家族を望んだ。凄惨な現実が待ち受けるその未来が変わってほしかった。どうか、シーホリー一族の命が守られますようにと。明日も生きられますようにと。願わない夜がはたしてあったのだろうか。彼女たちが抱えていた苦しみを考えると、エアリスは胸が張り裂けそうだった。

 『エリ!』──何事にも奥手で、上手に自信を持つこともできない自分の腕をぐいぐいと引っ張ってくれた逞しい姿が、まだしっかりと瞼の裏に焼きついている。

 「どうして強がるの。まだ泣いてたっていいじゃない」

 エアリスはキールアのことを抱き寄せた。少女のその身体は、氷のように固く冷たくなっていた。
 琥珀色の大きな瞳から、ぽろり、と大粒の涙がこぼれた。
 キールアは必死に喉の奥に押し返していた言葉をようやく吐きだした。

 「だって、お母さんが、強く生きなさいって、いったから」

 ──「泣いてもいいよ」とも母は言っていた。けれどもキールアは、「強く生きる」と「泣いてもいい」を上手くくっつけることができなかった。明朗快活な母のようになりたいと心の中でひっそりと願う彼女が、母の泣き顔を見たことは一度もない。彼女は母親に倣おうとしただけだった。

 「だから泣かないようにしよう……って、がんば、って」

 ひっく、と時折喉がひっくり返っても、キールアは懸命に告げた。震えているこの肩はまだ幼くて小さい。母の言いつけを守ろう守ろうと必死になっている彼女の心情がエアリスにはわかっていた。そしてカウリアの言いたかったことも。エアリスは、キールアを困らせないように丁寧にこう告げた。

 「……キールアちゃん、私はね、強い人ってたくさん泣いたことのある人だと思うわ」

 背中をとん、とんと優しく叩く。キールアはわずかに目を瞠った。幼子に絵本を読み聞かせるみたいに優しい声でエアリスは続けた。

 「苦しいことがあったとしましょう。その度に思いつめて、その度に口惜しんで、いつも枯れるほど涙を流す。……でもそうやって苦しむときいつも、最後には必ず笑う人」
 「……わら……う?」
 「そう。たとえば100回、1000回泣いたとしても……101回、1001回笑えたらそれは、自分に勝ったことになるのよ。だって泣いた数より笑った数のほうが多いんですもの。カラは……あなたに、そんな女性になってほしいんじゃないかしら。泣いたままではなくて、心から笑って、『もう大丈夫』が言える人に」

 『何回泣いたっていいよ』

 「…………わ、たし、なれ……ますか」
 「もちろんよ。だってあなたはカラの子だもの。小さいときからずっと私の憧れで、尊敬していて……大好きだった。あなたは、カウリア・シーホリーがこの世に残した、最高の財産なのよ」


 カウリア・シーホリーと、イスリーグ・シーホリーが命を賭して守り抜いた命。
 ──キールア・シーホリーは、赤子のように大きな声をあげて泣いた。「お母さん」「お父さん」「イズリア」と、何度も何度も家族の名前を呼んでいた。平気なわけがなかった。


 カウリアとイスリーグは、カナラ街、そしてレイチェル村に政府陣の制服が現れ始めた頃から薄々勘づいていた。近いうちに命を脅かされるだろう。死が、より明確なものになって彼女たちの脳裏を埋め尽くしていた。
 森の奥へ居住を移したのは、政府の人間たちの目から逃れるためだけではない。
 キールアが、自分たちの傍から離れる時間を、できるだけ多く作るためだった。

 シーホリー夫妻は自分たちにどんな結末が待ち受けていようと、キールアの命だけは守ろうと固く心に決めていた。それは11年前。つまりキールアがこの世に生を受けて間もなくのことだ。

 家族の中で、キールアの瞳の色だけが紫ではなく、琥珀だった。

 その謎は夫妻にも解明できなかった。前例がなかったのだ。あったとしても、カウリアたちが知るところではなかった。しかしそんなことはどうだって構わない。キールアだけは、シーホリーの一族なのだと政府の人間たちに気づかれずに生きていくことができるのではないかと、夫妻は希望を抱いた。
 森の中では生活上の不便さがつきまとう。わざわざレイチェル村に降りさせ、薬を届けさせ、隣街まで薬の売りに行かせる。川に水を汲みに向かわせたりもした。口実などいくらでも作れた。
 最悪なのは、カウリアたちが襲われる際に、近くにキールアがいるという状況だ。瞳の色が違うだけでは逃してもらえる可能性は格段に低い。苦肉の策として、「その娘は本当の娘ではない」と言い張ることも視野には入れていた。その場合、虚言とはいえキールアを困惑させ、失望させてしまうだろう。しかしそれも致し方なかった。
 結果としては、シーホリー夫妻が狙った通りの結末となった。

 (……だけど、カラ。あなたたちだって……生きたかったに決まっているのにね)

 シーホリーの血脈に棲みつき、主の身体を恐ろしい獣に変えてしまう寄生虫。エアリスは今日ほど、その生物に対して腸が煮えくり返るほどの怒りを覚えた日はなかった。それさえいなければ──と、何度も繰り返し沸騰させては、吹きこぼれたその憎しみが涙となって頬をすべり落ちた。
 ──どうかこの少女だけは、彼女の血を巣食う生物に喰われませんように。
 エアリスはそう強く祈った。





 ぼんやりと、目を覚ました。しんと静かで暗い室内にはまだ陽の光が届いていない。
 エアリスが自分の手を握ってくれていたようだが、彼女はそのまま床の上で座って寝ていた。キールアが使っている寝台に体重を預けて突っ伏してはいるものの、彼女は身体が衰弱している身なのだ。そんな状態でも自分に付き添ってくれていたのだと思うと、キールアは申し訳ない気持ちになった。
 扉の近くに転がって寝ているのはロクアンズだった。本来は彼女のものであるはずの寝台を自分が占領していた。またふつふつと罪悪感が募ってきて、キールアはやんわりとエアリスの手から逃れた。そして寝台から降りると、まずは毛布をエアリスの肩にかけた。
 室内をぐるりと見回して、隅のほうにもう一枚毛布を発見した。キールアはロクの身体にもかけてあげた。ひたひたと床の上を歩き、音を立てないよう慎重に部屋の扉を開ける。
 廊下に出て、そっと扉を閉めたときだった。レトヴェールがすぐ横の壁に寄りかかって寝ていたのだった。

 「……」

 エアリスも、ロクも、そしてレトも、この部屋に身を寄せてくれていたのだ。床の上が固くて冷たいなど構わずにおなじ場所で夜を過ごしてくれた。キールアはまた泣きそうになって、服の袖で目元をごしごしと擦った。
 居間の隅に無造作に丸めて置いてあった毛布を抱えて、ふたたびキールアは部屋の前に戻ってきた。起こさないように気を張りながら、それをレトの身体にもかける。幸い彼が起きる様子はなかった。
 レトの寝顔をしっかりと見たのはこれが初めてだった。物珍しいものを見る目で、彼の顔を覗きこむ。

 「……レト、ヴェールくん」

 結局、彼とは上手く馴染むことができなかった。ロクと接するときには自然体でいられるのに、レトを前にすると心も体も強張ってしまう。慣れと親しみはちがうのだと、2人と接してきたキールアはそれらを感覚として記憶した。

 (……なかよく、なれなかったな)

 「ごめんね」

 だれにも聴こえないような小さな声で呟くと、キールアは踵を返した。
 間もなくして、彼女は玄関の扉からまだ冷たい空の下に出た。彼女がカナラ街でレトヴェールと再会を果たすのは、それから約2年後のことだ。

 エポール一家の3人が目覚めたとき、すでにキールアは家のどこにもいなかった。


Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.75 )
日時: 2019/10/10 15:11
名前: (朱雀*@).゜. ◆Z7bFAH4/cw (ID: 3t44M6Cd)

 瑚雲さん、はじめまして!

 コメライの新版に見知ったタイトルを見かけたので、最近読んでいます^^
 【海の向こうの王女と執事】の途中まで進みました。
 結論から言うと、とっても面白いです! 完全版と言うことで完成度がとても高くて……1話からあっという間に物語の世界に入り込んじゃいました。描写も丁寧で、文章がそのまま映像化されて頭の中にすっと入ってきます、すごい……。私は特に最初の、女の子を助けるお話がとても好きです、というかああいう導入にとても惹かれましたv 
 あと天真爛漫なロクちゃんが可愛いです。しかも雷を操ってばりばり戦っちゃうんですよね……かっこいい。

 本当はもう少し先まで読んでから感想送りたかったのですが、如何せん忙しくて読むスピードがめちゃめちゃ遅いので……。
 今後も合間を見つけて読み進めたいなと思います。またお邪魔します!

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.76 )
日時: 2019/10/11 09:02
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: My8p4XqK)

 
 >>075 朱雀さん

 !! 朱雀さん、初めまして!!
 ずっと何年もお名前だけはお見かけしていて、でもずっとコンタクトをとったことがなかったので、この度コメントしていただけてすごく嬉しいです……!!

 読んでいただきありがとうございます!*
 じつは導入部分にはとても悩んで、すごい長い年月をかけて書いたものなので感慨深いです……。そう言っていただけてひとつ安心した気持ちです(;▽;)
 ロクはそうですね、いつもパワフルで、わたしも羨ましいなーこんな人間になれたらなーという気持ちでいつも書いています笑
 雷使いなのは完全に私の趣味ですね!

 好きになっていただけたらとても嬉しいです(* '▽')

 そそ、そうだったのですか;;
 お忙しい中、当作を読んでくださり感謝しかありません……。ほんとうにありがとうございます(>人<;)

 ぜぜぜひー!! お時間に余裕のあるときにぜひまた読んでいただけたら幸いです!
 この度はコメントありがとうございました!*
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.77 )
日時: 2020/04/16 14:56
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第070次元 日に融けて影差すは月ⅩⅨ
 
 「おばさんっ、キールアが! キールアがいない!」

 家の中の隅々にまで響き渡るようなロクアンズの叫び声で、エアリスは目を覚ました。寝ぼけ眼で寝台を見やるとたしかにそこにはキールアの姿がなかった。握っていたはずの手も解かれている。
 ロクはエアリスのいる部屋に急いで戻ってきた。顔からは血の気が引いていて真っ青だった。

 「ロクアンズ」
 「いないんだよ、おばさん。あたし、起きて、それでキールアがいないことに気がついて、探し回ったけどどこにも……っ!」
 「落ち着いて、ロクアンズ。キールアちゃんならきっと……」
 「あたし探してくる! まだ近くにいるかもしんない!」
 「! だめ、ロクアンズ! いかないで!」

 駆けだそうとしたロクをエアリスは鋭く制した。ぴた、と動きを止めてロクは振り返る。いますぐにでも部屋を飛び出していきたいロクは思わず声を荒げた。

 「どうして!? 殺されちゃうかもしれないんだよ、キールア! そんなのダメだって昨日、おばさんだって……!」
 「キールアちゃんは知らないの。なぜ両親と弟が亡くなってしまったのか、その理由をキールアちゃんは知らないのよ」
 「どういうこと……?」

 怪訝そうな目つきでロクが訊き返す。エアリスはロクの傍までやってくるとその場でしゃがみ、ロクと視線の高さをおなじにした。

 「カウリアやイスリーグさんが告げていないの。そんなことを知ってしまったら、いつか家族が殺されてしまうのだとわかってしまうでしょう? あの幼さではとても受け入れられないわ。それにね、ロクアンズ。いま彼女を追いかけて、うちに連れ戻そうとしているところを政会の人たちに見られてしまったら、彼らに怪しまれる可能性があるの。彼らは、まだこの村に生き残りがいるんじゃないかと探しているはずよ」
 「……でも……じゃあ……キールアは……」
 「……キールアちゃんの瞳の色は、紫じゃない。から、一目見ただけでは、シーホリーの一族だとわからない。彼らだって、確証がないまま人殺しはできないわ。立場があるもの。……こうなってしまった以上、いま一番いいのは……キールアちゃんを無理に探そうとしないこと。政会の人たちの目から隠そうとしないことよ」
 「で、でも……でも……っ」
 「あなたの気持ちは痛いほどわかるわ。けど、いまは我慢をしてほしいの、ロクアンズ。そしてもし……もしもこの先、どこかでキールアちゃんに会えたなら、そのときは絶対に味方になってあげて。絶対によ」
 「…………うん」

 ロクは、小さく頷いた。そして下を向いたままかすかに鼻をすすり、泣いていた。エアリスはロクの腕を優しく引き寄せ、ああ、ロクにとってキールアは初めての友だちだったのだと、心の中で噛みしめた。大事な存在をロクから奪ってしまったような罪悪感がした。すると、エアリスの喉元になにかがこみあげてきて、彼女は間もなく咳き払いをした。

 「……っ、ごほっ、ごほ」
 「おばさんっ、大丈夫?」
 「ええ、大丈夫よ。……ごめんね」

 すっくと立ちあがり、エアリスはロクの頭を一度撫でてから、部屋を出ていった。廊下からしばらくエアリスの咳きこむ声が響いていたがロクは上の空で一歩も動かなかった。
 がたんっ、と大きな音がしてロクははっとした。急いで廊下に出ると、エアリスが壁に寄りかかりながらうずくまっていた。

 「おばさんっ! おばさん大丈夫!?」
 「……ちょっと、目眩がして。ごめんなさい。でももう平気みたい」
 「あたし、部屋までいっしょに行くよ」
 「ううん、1人で行けるわ。心配してくれてありがとう」
 「……」

 エアリスはロクの手を借りることなく立ち上がり、1人で自分の部屋に帰っていった。そんな彼女の後ろ姿を見て、ロクはふいに、あれほど小さな背中だっただろうかと不安を覚えた。もとより痩身な女性ではあったが、現在の彼女にはもはや元の面影もない。火を見るよりも明らかな、衰弱であった。


 「大丈夫」と、エアリスは明るく笑う。病気を発症する以前といまとでなにひとつ変わらない。太陽みたいな笑顔だとロクはいつも思っていた。
 しかし時の流れは、冬の空に舞う雪のように、ひどく冷たい刃となって義兄妹に降り注ぐ。
 
 
 
 キールアが失踪してから半年ほど経過した。レイチェル村に冬季が訪れる。
 12月。
 
 
 エアリスはすっかり寝こむようになってしまった。一日中部屋から出てこない日が何日も続いた。レトやロクが様子を見に行くと、苦しそうに胸を抑えて咳払いを繰り返す彼女の姿があった。2人に気がつくとエアリスはいつも、「大丈夫」と笑っていた。その唇から零れる血の濃さも日に日に危険なものになっているのだと、2人は勘づいていた。だからいつも笑みを返せなかった。悔しくて、唇を噛むばかりだった。
 自分の誕生日が明後日に迫っていることなどすっかり頭から抜け落ちてしまっていたロクは、エアリスが珍しく上体を起こして寝台に腰をかけているその日に、彼女からそのことを告げられて目を丸くした。

 「ああ、そっか。そうだったっけ。すっかり忘れてた」
 「そうだろうと思ったのよ。だからおばさん、明後日のために明日、森へ出ようと思ってるの。この頃は元気だし。あなた、カフの実好きでしょう? だからその果実を煮詰めてジャムを作るわ。そしてケーキも焼くの。レトヴェールに頼んで材料揃えてもらわなくちゃね」
 「そんなっ、いいよおばさん、ムリしないで! それでまた体調悪くなっちゃったらいやだよ……っ。あたし、誕生日なんてどうでもいいから。おねがいおばさん……」
 「……どうでもいい、なんて言わないで、ロクアンズ。私にとってはあなたと出会うことのできた、特別な日よ。あなたはこんなにも他人思いのいい子に育ってくれて………。私はとっても嬉しいの。だから祝わせて? お願いよ」
 「……」

 ロクはまだ頬を膨らませて黙っていた。エアリスは困ったように眉を下げて、それから、寝台横の木の箪笥からなにかを取り出した。それは見たところ細長い黒の髪紐であった。刺繍が細かく、単純なデザインであるものの目を惹く繊細さの代物だ。
 エアリスが「手を出して」と言うので、水をすくうようにロクは手のひらを広げた。黒い髪紐が手の中に収まる。

 「おばさん……これ……」
 「そう。私の髪紐。もうすこし長かったのだけど、二つに切り分けて片方はレトヴェールに渡したの。だからこれはあなたの分」
 「ど、どうして? おばさん、この紐大事にしてたよね?」
 「あなたたちにあげたいと思ったのよ。レトヴェールにも渡してしまったから、なんだか特別な感じはしないかもしれないけれど……お誕生日だもの。私、やっぱりあなたになにかしてあげたいの。それとも、これでは嫌だった?」
 「そんな……うれしいよ、すごくうれしい。あたし、これがいい」
 「そう、よかったわ。それは、お金に困ったら売ってもいいわ。すこしだけなら助けになるでしょう。好きに使いなさい」
 「売ったりなんか、しないよ! ぜったい、ずっと、ずーっと大切に持ってるっ、約束する!」
 「ふふ。ありがとう、ロクアンズ」

 さっそくロクは髪紐を口に咥え、自分の髪をまとめあげた。片手で髪の束を掴みながら、もう片方の手で髪紐を結わえようとするがなかなか上手くいかない。ロクが苦戦しているのを見て、エアリスは片手を差し出しながら「向こうを向いていてごらん」と言った。エアリスはロクの代わりに、彼女の若草色の長い髪をまとめあげた。
 
 「ねえロクアンズ」
 「なあに? おばさん」
 「ロクアンズは神様のことをどう思う?」

 神様──それを聞いて、真っ先にロクの脳裏を掠めたのはあの黒い怪物の形貌だった。ロクはあの日の出来事を思い返し、眉をしかめた。

 「あの黒い怪物をつくってるのが、神様なんでしょ? だからあたしにはあいつらをやっつけれる力があるんだっておばさん言ってたよね。……あたしはきらいっ。へーきで弱い人たちをいじめるやつらなんか、あたしがこの力でやっつけてやるんだ!」
 「……そうね。ロクアンズの言うとおり、神様は悪い人たちなのかもしれないわね」
 「でしょっ!」
 「だけどね、ロクアンズ。善悪を決めるのは人間だけよ」
 「え?」
 「……。いつか、神様と人間が手を取り合えたら、どんなに素敵な世界になるでしょう」

 ロクがぼうっとしているうちに髪は結い終えたようだった。「できた」とエアリスの明るい声がしてロクははっと我に返る。高く結いあげられた髪がするりと腰まで伸びて、頭をゆすると同時に髪の束もゆらゆらと左右に揺れた。それが楽しくて、ロクは部屋中をくるくると駆け回った。

 「わあっ! すごいすごい! ありがとうおばさんっ!」
 「素敵よロクアンズ」
 「レトにもあげたんでしょ? レトとおそろいにしてこよっかなっ」
 「あら、いいわね」
 「さっそくいってこよー!」

 ロクが駆け足で部屋を出ていこうとした、そのときだった。

 「ロクアンズ」

 鈴を転がすような綺麗な声音で、エアリスがロクのことを呼び止める。ロクは当然のようにすぐ振り向いた。

 「なあに? おばさん」
 「……」

 しかし、エアリスはなかなか口を開こうとしなかった。苦笑いにも似た、寂しそうな表情をした。すこしだけ彼女は下を向いて、それからすぐにまた顔をあげた。今度は笑顔だった。

 「なんでもない。呼びたかっただけ」
 「えーっ? なにそれ!」

 ロクは大きな口でけたけたと笑い声をあげた。"ロクアンズ"と、そうエアリスに呼ばれるのがロクは好きだった。名前を与えてくれた本人だからだろうか。
 
 「んじゃ、レトんとこいってくるね! あとでまたくるからー!」
 「ええ。いってらっしゃい」

 一つにまとめあげられた若草色の髪を、ゆらゆらと忙しなく揺らしながらロクは部屋を飛び出ていった。彼女の足音が完全に聞こえなくなる。エアリスはゆっくりと寝台から起き上がった。そして、部屋の戸を閉めた途端、彼女はそれまで喉の奥底に押し戻していたものを口の外へ吐き出した。

 「……っ、ごほっ、ごほ!」
 
 咳は深い音をしていて止まらなかった。エアリスは戸に寄りかかりながら床に崩れ落ちる。口を覆っている手の指の隙間から、血がしたたり落ちた。止まらなかった。丸めた背中が、突然水を浴びたように冷たくなった。どくどくと心臓は熱く鼓動を繰り返しているのに、その心臓を外側から締めつけるみたいに、色濃い悪寒が身体中を駆け巡った。

 (まだ……まだだめ)

 悪寒に身体を食い潰されそうだ。意識を失ってしまえば、そのまま凍死してしまうのではないかと怖かった。はっ、はっ、と浅くて小さな呼吸を繰り返し、エアリスは辛うじて意識を保っていた。心臓に血と熱を回し続ける。


 (明日、までは)
 
 
 まるで雪の降りしきる中、小さく灯った火が決して絶えないよう両の手のひらで囲うように、彼女は祈った。
 


 翌日。レイチェル村は早朝から大荒れの吹雪に見舞われた。
 
 
 


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