複雑・ファジー小説

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あなたを失う理由。 完結
日時: 2013/03/09 15:09
名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/

どうも 朝倉疾風です。





性描写などが出てきます。

嫌悪感を覚える方はお控えになってください。



主要登場人物>>1

episode1 character>>4


episode2 character>>58


episode3 character>>100


episode4 character>>158



小説イメソン(仮) ☆⇒p


《episode1》
・まきちゃんぐ / 煙
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=kOdsPrqt1f4


《episode2》
・RURUTIA / 玲々テノヒラ
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=wpu9oJHg2tg


《episode3》
・kokia / 大事なものは目蓋の裏
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=LQrWe5_q6-A


《episode4》
・Lyu:Lyu / アノニマス
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=lSFYtyxojsI


執筆開始◎ 6月8日〜



Re: あなたを失う理由。 ( No.152 )
日時: 2012/11/23 22:31
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/




 木内佑からカミサマの話を聞いてからは、自分でもわかるほど安納ヒカリに対して同情するようになっていった。
 俺を不幸だと言いながら、お前のほうがよっぽど不幸じゃねえか。
 馬鹿じゃねえのかとか、さっさとそんな家から逃げ出せよとか、思うところはいろいろあるけれど、当の本人はいっこうに嫌な顔もせずにカミサマとしての自分の在り方に疑問のひとつも持っていない。

「もうすぐで雪が降るね」

 中学のときよりずっと伸びた髪の毛は相変わらず色素が薄い。控えめに伏せられているまつ毛は長くて、瞳の色は赤みがかかっていた。
 冷え切った窓は室内の暖房がきいているせいで水滴が多くついている。その窓に細い指を触れさせて、ヒカリは落書きをしていた。
 俺の部屋でふたりきりになってからまだそんなに経っていない。
 母親と木内佑は今日もどこかへ出かけている。あの男が母親を連れ出すようになってからは、母親はよく笑うようになった。暴れることもなくなって、容態は表だけ見れば良い方向へ向かっている。
 よかったと安心する反面、そのままふたりともいなくなってくれとも思う。
 母親のことは好きじゃないし、木内佑はいまいち信用ができない。母親のことを考えれば感謝するべきなんだろうけど、あいつはイカれた教団の司教だ。

「泰邦?」

 俺は教団に縋っているわけじゃない。
 安納ヒカリに縋っている。
 こいつのことは大嫌いだけど、それでも俺がこいつを拒めないのは。

「ヒカリ、しようか」

 十五歳のあの日、ヒカリに襲われてから、何かが狂った。それよりももっと前から、それこそ母親があんなふうになるくらいから何かは歪んでたんだ。
 その歪みはどんどん隙間をつくって、ついにはその隙間を埋めるものが快楽になってしまった。

「それは……洗礼を受けるということ?泰邦はいつもあれをやるとすごく苦しそうな顔をする。わたしが、泰邦の悪いことを全部洗ってあげているのに。やっぱり、わたしはいらないかな」

 ヒカリの弱々しい声がひどく耳に障る。黙れと怒鳴ってその細い手足をバラバラにしたくなる。
 けれどそんなことをしてもこいつは、それが自分の役目だからと納得しちゃうんだろうな。

「可哀想だな、お前」

 俺が言えたことじゃないけど。
 それでもこいつは俺よりも、ずっと、

「不幸なのはお前だよ」

 俺もだけど。
 表情が強ばる。ヒカリが今にも泣きそうな顔をしていた。顔を真っ赤にさせて、俺を睨みつける。
 なんで泣きそうなんだよ。
 カミサマなんだろ、お前。じゃあ泣くなよ。

「俺はお前が大嫌いで」

     「わたしは泰邦が好きだよ」

「縋っているのは、ただ、ヤりたいからで」

     「わたしは泰邦が大好きだよ」

「でもそれしか俺は現実を忘れられなくて」

     「わたしは泰邦を愛してるよ」

「じゃあ、お前はなんでここにいるんだろうな」

     「………………………………」


 愛されるためじゃないんだよ。お互いに。
 ヒカリを抱きしめる。細い体は震えていた。室内は暖かいはずなのに。

「悪いけど俺はすっげえ極悪人だから。お前のこと利用しているだけだから」
「それでもいいよ」

 傷と傷を舐め合っているだけの虚しい夜でもいい。
 優しい時間じゃなくても、胸がふるえるような愛しさも、心が温まるような触れ合いも。
 そんなもの、俺は望んでない。

「ヒカリ、」

 大嫌いだけど、なくちゃいけない。
 これは愛じゃなくて、ただの依存だ。









 高校の期末考査なんて出るところはだいたい決まっている。いくら県内で有名な進学校でも、勉強の内容さえわかっとけばだいたいの点数は取れる。
 昔から一度聞いたらそれを頭で理解するのが早い。
 まさか俺は天才なのかとも思ったけど、それはたぶん無い。天才は自分を「もしかして天才かも」とか思わないから。

「お前ってなんちゅーか、あんま変わんねえよな」
「お褒めに預かり光栄です」

 テスト期間中なのにも関わらず、俺は卒業して以来疎遠だった安塚と再会した。といっても偶然だけど。ぶらぶらとこのなんの変てつもない辺鄙な町を歩いていたら、前から見覚えのあるチャリに乗っているやつを見つけて、それが安塚だったっていう本物の偶然。チャリが印象に残っていた理由は、こいつのチャリかごに某青いにゃんにゃんロボットを持つキャラクターのぬいぐるみが紐で吊るされているから。まだつけてんのかよ。
 よう、と挨拶してそのままふたりでファミレスに直行という形になった。
 ここから少し遠い私立校に行った安塚は今でもバスケ部のレギュラーとして暑苦しく部活に切磋琢磨しているらしい。

「あーなんか生意気さが倍になったきがするな」
「るせえよ。なんか身長伸びてねえか、お前」
「ふ、ついに念願の175越えよ。ここまで来ると見える世界も違うもんだなぁ」
「それは俺に対しての嫌味かよ」
「ごめんごめん。久しぶりに会ったからさ、浮かれてるかも、俺」

 相変わらず優しいやつだ。こんな俺と一緒にいても楽しいって顔をする。本当に楽しそうだから、こっちも気を使わないですむ。

「俺んところはテストもう終わったんだけど、樽谷んところはテスト期間だろ。こんなところで油売っていいのかよ」
「明桜は敵じゃねえからな」
「うっわーお前すげぇな。あんな頭良いところでやっていけてんのか。トップはお前か、きっと安納だろうな」

 不意打ちで出てきた名前に思わず反応してしまう。
 ああ、そうか。
 こいつは何も知らないんだ。

「安納ヒカリは…………高校、行ってねえよ」
「はぁ?え、あいつって明桜受けたんじゃねぇのか?」
「どこも受けてねえよ」

 そのことは本人から聞いた。俺もヒカリは明桜か、そこじゃなくても絶対にどこか有名な高校に行くと思っていたから。

「あいつ超頭よかったのになぁ。やっぱ集団行動とか苦手だったんかね」
「さあな、知るか。あいつのことや知らん」
「樽谷、仲良かったじゃん」
「良くねえよ。どこをどう見てそんな結論になるんだよ。あいつが俺に絡んできただけだろ」
「でも、今でも付き合い続いているんだろ」

 心臓が、痛い。傷む。

「違うのか?なんか安納のこと詳しいから」
「ちげぇよ。べつに、会ってねえよ」

 全部を知ったらこいつはどんな顔をするんだろう。俺のことぶん殴りそう。紳士だからな、安塚は。
 苦しいこと忘れるためにヒカリとヤッて一時の快楽でギリギリ押しつぶされそうになるのを堪えてる、なんて。
 たぶん軽蔑される。それは嫌だな。安塚は、ひとりの友達だし。

「樽谷、なんかあったか」

 ほら、すぐに気づく。
 率直で誠実で俺の目を見て逸らさない。真剣に相手と向き合って、心の内を吐露させようとする。怖いよ、お前。俺の汚いところまで見てるんじゃねえかって警戒してしまう。

「俺で良かったら話くらいは聞くぞ」
「なんもねえよ。安塚は心配しすぎ」
「でも、お前なんか…………いまにも…………」

 いまにも、なんだよ。
 いまにも自殺しそう、か?

「いまにも、いなくなりそうなんだ」

 ははっ。
 なーんだそれ。

「安塚のジョーク、面白くねえよ」
「ジョークだといいんだけどな」

 こいつは俺の全てを知っても、まだ俺を友人として見てくれてるだろうか。
 安納ヒカリの全てを知っても、まだ彼女を純粋な目で見られるだろうか。
 汚い部分を隠している俺にとっては、安塚に抱え込んでいるものを吐き出すには死ぬよりも勇気がいる。
 嫌われたくないというよりは、失いたくない。

「また、会ってくれるか」

 せめて声が震えているのがバレないように。
 泣きそうになっているのが伝わらないように。
 視線を伏せて聞いた。

「当たり前だろ。友達なんだし」

 反吐が出そうなほど良心の塊だな、こいつは。
 そんなお前を俺はきっと友達とは思えないんだろうな。


Re: あなたを失う理由。 ( No.153 )
日時: 2012/11/24 12:48
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/




 けっきょくあのまま安塚とファミレスで数時間過ごしたあと、ふらりと古本屋へ立ち寄って安塚のおすすめの漫画とか、俺がいま読んでる小説とかをお互いに見せあったりして、辺りが真っ暗になる頃に安塚とまたなと言って別れた。
 安塚は本当に変わらない。
 夜の道を歩きながら思う。
 あいつはなんの汚れも知らないところにいる、絶対に俺なんかが一緒にいちゃいけない存在なんだ。きっと安塚は彼女とそういうことをするとき、ものすごく大切にするんだろうな。大事に、大事に、なんかこう、自分よりも相手をすごく思いやっていそう。…………あれ、そういやあいつ彼女とかいるっけ。それ聞いてなかったな。自分から言い出さないってことはいないってことか。いや、自分から惚気るようなやつでもないし。
 古本屋から俺のアパートまで徒歩で数十分はかかった。
 明日も学校なわけで、俺はいま着ている制服にもう一度袖を通して明日も着る。授業を受けて、試験だからってピリピリしている同級生たちと過ごして、明日はバイトがあるからそのまま直行して、帰って、寝る。
 退屈だな、本当に。
 なんの面白みもない。くだらない。ただの肉の塊だ。
 家に帰ればどこかになにかを捨ててきた母親がいて、その傍らには神の一族だとか言ってる電波野郎がいるし。
 俺は俺で快楽で現実を忘れようとしているし。
 どうしようもないな。
 十五歳のときの衝撃が強いんだと言ってしまえば楽だ。あのとき初めて見たヒカリの体の生々しい傷跡。目を逸らしたくなるほどで、でも脳裏に焼きついている。離れない。セックス依存症か、俺は。




 ドアノブを回す前に、どうせいつもみたいに玄関先であの男が俺を待ち構えているんだろうなと思うと憂鬱になった。なんで俺の帰る時間がわかるんだよ、超能力者か。
 おかえり、ただいまを言われ慣れていない俺からしてみれば、かなり胃を抉られるほどの不愉快さが増す。まるで無理やり家族になりきろうとしているような。そう思うのは俺が捻くれているからか、それとも普通の反抗期だからか。
 …………前者だろうな。俺に反抗期なんかくるわけないだろ。反抗する親もいないにのに。
 考えを振り払いながらドアノブを回して中に入る。

「……………………は、」

 中は真っ暗だった。
 それどころか人の気配すらない。
 不審に思って寝室に行ってみる。誰もいない。
 帰ってきていないのかとも思ったけど、靴はちゃんとある。ただし、母親のだけ。木内佑の靴が無い。
 どういうことだ、どういうことだ、どういうことだ?
 頭に疑問符がいっぱい並ぶ。寝室にいないとしたら、風呂か、トイレか、俺の部屋なわけはないか。とりあえず部屋中を探してみたけど見つからない。
 もしかしたらリビングか。足早に捜索していた俺の部屋から出て、リビングの扉を開ける。
 母親は、いた。
 意外と簡単にそれは見つかった。だって、ドアノブが重たかったから。

「はっ?」

 首を吊っていた。
 縄はきつくきつく母親の首に絡みついていて、その先は俺がいま回したドアノブの向こう側に巻きついている。部屋には入らず顔だけ扉から出して、俺はその様子を伺った。床には真っ白い粒が落ちている。薬、だろうか。母親は首をだらりと下げていて、表情は見えなかったけどたぶん死んでる。
 ああ、死んでる。

「…………死んでるんだよな」

 とりあえず中に入って真正面からその遺体を見てみる。地面にぺたりと座っている母親は寒いのに裸足で、着ている服もパジャマだった。薬の瓶が見つかって、それが睡眠薬であることを確認する。
 次にテーブルの上も見てみる。どこにでもある白いメモ帳に、「せかいのおわりをみてみたい」と書かれていた。全部平仮名でミミズが這った跡のような字から見ても、母親が書いたものだろう。
 なんだよ世界の終わりって。
 ふざけんな。
 好き勝手してきて、また自己満足で死んでいくのか。

「ふざけんなよ」

 ふざけんなよ。
 ふざけんなよ。
 ふざけんなよ。
 俺は、俺は、俺は、こんな奴のために。ずっと昔から我慢してきて、家に帰っても男とヤってるから小学生なりに気を使ってずっと学校の飼育小屋で飼育委員だからって鶏の面倒みるふりして時間気にして今帰ったらきっとまだヤってんだろうなって思ってこれから肉になる鶏とかずっと見てて早く自分の母親が死ねばいいとか思ってたけどそれでも男が帰ると俺にいつも優しくてそのくせに男に裏切られるとゴミ箱投げるし俺に生理見せつけてくるしきったねーなおいおいとか思って嫌な顔をしたらお前は父親にそっくりだねとか言ってまた殴られるし殺してやろうかと思って包丁とかじっと見ているんだけどそんな勇気さらさらなくてお腹はすいているのに冷蔵庫はからっぽででも泣いても絶対にあの人は相手にもしてくれないから寂しくて寂しくて寂しくて寂しくて寂しくて運動会とか来なけりゃいいのにとかずっと思ってて胃が痛くてずっと吐いてこんな現実捨ててやりたいと思って屋上から下を見下ろすこともあったけどやっぱり自分が死ぬのも全然怖くて、ああ俺泣き虫じゃん、全然ダメだ、もう無理だ、苛立ちとか押さえ込んで押さえ込んで押さえ込んできたのにもう無理だよ我慢できない勝手に歪んで勝手に終わりにしたくせに俺を連れていけとは言わないけど、それでも俺に殺されるくらいはしろよ、お前さあ、お前さあ、お前さあ、本当になんで俺の母親なんだよくっせぇなぁ世界の終わりなんて無いんだよ俺はまだ続いているんだよきいているか、きこえているか、きこえてねえんだろ、死んでるもんな、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、、あ           あああああああ



「泰邦!」「っ、ひあ、」

 鼻水と汗と涙でべたべたの顔を、触らないでほしい。
 あ、なんか赤い。手が、赤い。うわこれ俺の血か、俺の血か?え、違う、俺のじゃなくて、

「なにしてるの、泰邦!」

 母さんの、だ。
 俺の拳にねっとりとついているそれは母さんのちっちゃなちっちゃな穴から流れている血だった。殴ってたのか。あー、殴ってたのか。それはすまないなぁ、死人なのに。死んでるのに。痛がらないもんな。抵抗しねえもんな。苦しい思いをせずにお前は死人になったんだよな。

「泰邦、わたしが誰かわかる?」
「ヒカリ」
「そうだよ、わたしはヒカリ。ねえ、何があったの。佑おじさんが急にわたしの家にやってきて、きみの母さんが死んだから行ってやれって言ってきて……っ、わたし、走ってきたんだけど……っ、これ、これ、泰邦がやったんじゃないよね」

 俺がやりたかったよ。

「泰邦、わたしねカミサマ止めるから。ずっと泰邦の傍にいるから。だから、ひとりじゃないんだよ、泰邦はひとりじゃない。わたしは泰邦が大好きだから、安心していいんだよ!こんなの母さんじゃないでしょ、泰邦のこと放ったらかしにしてたから、母親じゃないよ!」

 お前も元からカミサマじゃねえよ。

「ヒカリ、俺さ、木内佑を殺す」
「え…………?」

 そんな困ったような顔をするなよ。
 もう後戻りできないだろ、お互いに。

「な、なんで…………どうして佑おじさんを殺すの」
「俺ね決めたの。もう、我慢しないって」

 強ばったヒカリの表情があまりにも可愛くて殺したくなった。
 あ、今のは安塚レベルの笑えるジョークです。



Re: あなたを失う理由。 ( No.154 )
日時: 2012/11/29 15:36
名前: 朝倉疾風 (ID: jrUc.fpf)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/



               **


 この世界はひどく腐っている。
 幼い頃から脳髄に染み渡るほどそう教え込まれて、俺にとっては世界ってものはそれほど重要なものじゃなくなった。
 俺は父親の代から始まったヒカリの教えだけで、それ以外は省かれるべきものだと信じている。生きてきて三十何年間、俺の家では常に誰かがやってきて、この世界にいることが辛いのだと嘆く。
 誰にも優しくない、一歩踏み外せばすぐに落下してしまう世界で綱渡りをするような感覚がたまらないのだと泣き、他人から与えられる優しさでさえも歪に見えて、朝日を見るたび発狂しそうになるのだと喚く。
 そんな彼らはいつも、カミサマによって慰められていた。
 ドロドロとした彼らの黒い感情の塊をぶつけられ、カミサマはいつも傷だらけだった。何故かそんな姿でさえ美しいと思ってしまう自分は異常なのだろうか。
 異常。
 自分の遺伝子が神の域に達している自覚はある。
 生まれつき、白いのだ。
 俺の親類のものは皆、生まれつき髪の毛が白い。
 白いというと語弊があるかもしれない。皆が皆真っ白いわけではない。俺の色は残念なことに、白というよりは激しく脱色した金髪のようだった。くすんでいるというか、ガラの悪いヤンキーみたいで全然好きじゃない。黒染めしても芯の強い俺の髪の毛はちょっとやそっとじゃ染まってくれない。いつも黒いカツラを装着するたびに、ハゲたおっさんと同じ心境になっている自分がいて微妙な気分になる。
 話を戻して、なおかつ簡単に言うと、俺の姉が第一のカミサマだった。
 もう名前も覚えていないけど、姉は確か俺より数歳年上で、一度だけちらりと後ろ姿を見たんだけど、異様に白かった気がする。
 俺には無い、白さだった。
 だからカミサマに選ばれた姉は、十七歳で死んだ。
 たぶん自殺だったんだと思う。
 親父やおふくろは姉が死んだというよりはカミサマがなくなったということがショックだったらしく、わんわん泣いていた。なんでか俺も泣いていたきがする。理由は忘れたけど。
 それで、次にカミサマになったのが安納んところのヒカリという娘だった。
 木内の遠縁の親戚の安納の血筋も、木内までとはいかないけれど白い遺伝子を受け継いでいる家系で、ヒカリは他の家族と比べてもよりカミサマの理想像に近かったらしい。
 うちに連れてこられたヒカリを見たとき、姉よりも遥かに劣ると思った。
 色もそうだったけど、まだ幼い。体の成熟を満たしていない女児が、人間の罪を流せるわけがない。
 それに木内家の直系でもないヒカリがカミサマであるはずがないと俺は憤慨していた。親戚といえどよそ者の血が木内家に混ざれば、カミサマの力はなくなってしまう。
 ヒカリの初潮がおとずれて儀式を行えるようになると、俺の焦りは限界を越えていた。
 このままではいけないと、俺は無理やり従妹と体を繋いで子どもを産ませた。
 堕胎しようと泣き叫ぶ彼女を押さえ付けて、嘘と建前だけの言葉を饒舌に吐いて、無事に生まれてきたのは紛れもなく、カミサマだった。
 白い体毛に、透けるような肌、薄い色の瞳。その姿を見て俺と周囲の親族は非常に驚き、そして歓喜した。この子こそがカミサマだと確信した。
 学校など行かせない、外になど出さない、人間になどさせない。







「安納ヒカリはもう帰ってこないよ」
「あら…………。どうして」
「あの子は人間になってしまった。バカみたいに恋だのなんだの言ってるからだ」
「青春でいいじゃない。アタシが若いときなんか、訳も分からずアンタにレイプされた思い出しかないわ」

 木内邸の地下室は今でも儀式に使われている。
 儀式後はひどい匂いが漂っていて正気を失いたくなる。換気扇とかつけらんねぇのか。
 ぶつぶつと文句を言いながら雑巾で寝台を吹きつつ、もう一つの寝台でぐったりとなっているカミサマを見つめる。

「結果、カミサマができたんだからオーライだろ」
「バカ言わないでよ。今でさえアンタを見ると鳥肌たつんだから」
「こうして会話できるだけ回復したじゃねえか」
「────ていうか、アンタって年上の女をここに連れてきたじゃない。あれって今の女なの?どっちでもいいけど」

 あー?
 あ、ココロのことか。

「あの人は自殺したよ」
「はぁっ?え、嘘でしょ」
「いやマジで。俺が帰ってきたらドアノブで首吊ってた」
「ドアノブって…………首締まるもんなのね」
「睡眠薬飲んでたっぽいし。んで、放置してここに来た」
「アンタ、バカじゃないの?警察にも言わずに何しにきてんのよ。あの女って息子がいるんでしょ?ガキがアンタのこと警察に話したら、色々面倒くさいじゃない」

 確かに俺はあまり公に自分の存在を明かさない主義だ。世界に自身を晒すなんて吐き気がするし、なにぶん警察にはヒカリの教えの存在が知られないほうが都合がいい。いろいろと自覚はある。自分たちがやっていることが、下衆な人間どもにとっては異常なものに映っているってことも。

「もしかしたら乗り込んでくるかもな」
「ちょっと冗談やめ」

 ガタリと、地下室の扉が開いた。光が差し込んできて散っている埃が見える。
 それと同時に、何かが降ってくる音がした。受身を取っていないのか派手に床にぶつかる。人だった。髪の短い、体格からして男だということはわかる。
 誰だかわからなかったのは一瞬で、すぐにそれが彼だと気づく。
 笑えないジョークだ。ちゃっかり包丁まで持ってんだから。

「あ、あ、うわ、ひっ……」

 包丁を持っているのが見えたのか、従妹がカタカタと震える。
 彼はすぐに立ち上がり、そのまま従妹のほうへ向かっていく。
 あー刺すんかなと思ったら、案の定ぶっすりと刺さった。包丁の刃先がぐっさりと腹部に突き立つ。口からだらりと血を垂らして、俺に襲われたときみたいに白目をむきながら倒れる。
 痛い、んだろうな。
 俺は刺されたことねえからわからんが。

「次は俺かな」

 彼は俺など見ていなかった。まっすぐ見ることに慣れていないのもあるかもしれないが、俺という存在が未知すぎて自分でもわかっていないのだろう。
 母親が自殺したことに怒っているのか、一人ぼっちにされた自分自身が情けないのか。俺が母親を殺したと誤解するほどバカじゃないはずだが。

「なんで俺を殺す。ココロを殺したのは俺じゃないぞ」
「救われると言っただろ。アンタ、救われるって」

 生気のない顔。生きる亡霊だ。カミサマではない、死神。

「ヒカリの教えは俺たちを救ってくれなかった」
「はっ。バカ言え。救ってやっただろう、お前もココロも」
「首吊って死んでたのにか」
「そうやって自殺しようと自分から決心したんだ。あいつは生きるか死ぬかの選択をして、死ぬことを選んだ。幸せだよ」

 ヒカリの教えが望むものは、苦痛からの開放だ。
 それを効率よく介抱できるのは三つある。食欲、睡眠欲、性欲。人間の三大欲求は欠けることがあってはならない重要な要素であり、どれかが欠けたら人間は脆くなってしまう。
 けれどこれはあくまで介抱であり、本当の開放は、この世界からいなくなること。つまり、死。

「それで…………泰邦は俺を殺しにきたんだろ。その理由はなんだ。死ぬ前にぜひ聞きたいな」
「そんなの簡単だよ」

 まさか、憂さ晴らしに殺されるとか。
 まっさかなー。

「俺の世界を守るためだよ」




Re: あなたを失う理由。 ( No.155 )
日時: 2012/11/30 22:06
名前: 朝倉疾風 (ID: jrUc.fpf)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/




              









 残ったのは俺と、なんか白い奴だけだった。
 木内佑と知らない女の死体はゴロリとそこにただあって、当然だけどぴくりとも動かない。こうも立て続けに死体を見ると、いくらそれが自分で製造したものだとしてもそんなに焦りがないことを知る。
 …………いや、これは強がりだ。
 実際、焦りとか恐怖とかそんなもんを通り越して、心臓を直に鷲掴みにされているような感覚がする。とりあえず痛い。
 どうすっかなぁと辺りを見て、一際目立つ白い奴に目をやる。
 白い奴は目の前で人が殺されたっていうのに平然な顔をしていた。動揺もしていないらしく、俺をじっと見据えてくる。純真な子どもの目じゃないけど。
 それにしても白い。ヒカリも髪の毛が白っぽいけど、このガキはどこもかしこも真っ白だった。
 この暗い地下室のなかで大人たちからいたぶられ陵辱され監禁されているとは思えないほど、美しかった。寝台の上にペタリと座り、凝視する瞳の色は薄い。

「お前がホンモノなのか」

 年齢はまだ十にも満たない、ただのガキ。
 いや、ただのじゃない。
 どうしようもなく歪んで堕ちていった壊れた人間だ。

「ホンモノ……ホンモノ、ボクのこと」

 安納ヒカリが“用済み”と判断されてから、こいつは外を見ることもなくここで人間の慰み者として生きてきたのか。
 ああ、違うな。
 こいつはカミサマとして生まれてきて、カミサマとして死んでいく。抗うことも覚えず、自分と同じ年齢の子どもが普通に生活しているのも知らない。こいつにとっての世界はこんな狭くて暗い地下なんだから。

「お前はこいつらが殺されてもなんとも思わねえのか」
「ボクは……なんとも思わないな、あはははー。へ、へんなのかな」
「いやあ、いんじゃねえの」

 適当に答える。
 こういう奴に長く関わっているとこっちまで神経がねじ曲がっていきそうで怖い。
 そこらで会話をきりあげ、俺は地下室の階段を登って隠し扉を開けた。顔を出すと、俺を待っていたヒカリと目が合う。
 俺の顔を見てヒカリが一瞬驚いた。たぶん返り血がついていたんだろう。ヒカリは持っていたビニール袋を手渡してくる。手が震えていた。
 ありがとうと礼を言ってそれを受け取り、また地下室へ戻る。
 血の匂いが濃い。
 とりあえずバラバラにしとこうと思った。小分けにすれば捨てるときに都合がいい。

「いまから、なにをするの」
「んー、バラバラにすんの。包丁だとさすがにできねぇから、ノコギリも持ってきたんだけど……」

 そういやカミサマの前で人を捌いたりなんかしていいわけがないな。
 一応断りを入れとく方がいいのか。

「お前の前で殺しをするけど、これって許されるのか」
「キミの罪はみーんなボクが流してあげるよ」
「……安納ヒカリは偽物のカミサマだったけど、お前が本物のカミサマだっていう証拠はあんのかよ」

 自分でも言っていることがめちゃくちゃだ。未だにヒカリの教えに縋り付いている自分にものすごく嫌悪感を覚える。もう無くてはならないものになってしまっていたのだ。俺の目には、もう、本物のカミサマを求めることしか見えていない。
 あれ、そんなだっけ。
 俺ってなんでこんなことしてんだっけ。
 なんかもう、わけわかんねぇな。

「なにをいってるのかわかんないけど……おにーさんはだれと喋ってるの」
「え、え、あ…………?」

 寝台から飛び降りて、ごぼうのように細い足でひょろひょろと近づてくる。なんか、アルプスには住んでいるわけじゃない某車椅子の少女が立ったシーンを思い出した。感動もくそもない。よろける体を抱きかかえようとして、思いきりその白い奴が上に乗っかかってくる。
 決して重くはないけれど、その真っ白い長い髪に血がついてはいけないと思って受け止めなかったから、そのまま尻餅を付いた。

「ボクはカミサマなのに、糞みたいなニンゲンがボクにどうして質問ばかりするの。キミは、何様なの」

 目が真剣だった。無邪気では決して無い瞳の色は赤く、僕を見下ろすその視線はぞっとするほど美しかった。背筋をなにかが駆ける。目の前に在るこのカミサマに逆らってはいけないような気がした。

「俺は……泰邦、で」
「ヤスクニ……。なんだかとてもへんな名前。ボクはさ、ヨシナっていうらしいんだけど、あまりよばれてないんだ」

 なんかダブる。初めてヒカリと体を交わらせたのもこの地下室だった。あの時のトラウマや衝撃が未だにまとわりついてきて、吐き気どころじゃすまされないような過去への透視を余儀なくされる。
 ヨシナ。
 ヨシナ。
 ヨシナ。
 きみにそんなニンゲンじみた名前は似合わない。

「おにいさん、すごくきれいなお顔してるねぇ。ボク、おにいさんのこと気に入っちゃったなぁ」
「う、うあ…………うあ、あ」
「ねえ、なんでそんなにふるえてるの。怖い?ボクが怖いのかなー。きれいだーとかはよく言われるんだけどなぁ」
「あああああ」

 ガタリと。
 地下室の扉が開く音がした。

「泰邦、なんか木内さんたちが帰って来て、それで…………」

 本物と偽物が。
 ヒカリとヨシナが。
 顔を見合わせる。
 カミサマとニンゲンが。

「ヒカリ、もうお前には用がないよ」

 血だらけの死体のなかで俺はそっとカミサマを抱きしめる。
 冷たい肌を撫でる。その触れ方はヒカリを抱いたときのように激しいものじゃない。
 触れれば消えてしまう泡のようで、もう二度と離さないと誓った。
 だから俺の傍で吠えるように泣きじゃくるヒカリの声よりも、俺たちに気づいて上からやってくる木内家の人間の雑音よりも、小さく震えるカミサマの心臓の鼓動のほうが大きく聴こえた。

Re: あなたを失う理由。 ( No.156 )
日時: 2012/12/02 17:41
名前: 朝倉疾風 (ID: jrUc.fpf)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/





 あれから。
 十四年が経った。





 白い病室のなかは無駄に明るくて、薬の匂い一つしない無臭のなかに長時間いるとここは天国かなーとかありえんことを思ってしまう。
 糞するときでさえ監視の目が行き届くこの空間は、非常にストレスが溜まる。目の下のクマも濃くなったかもしれない。
 鏡で見ようとして、そういえばこのまえ鏡を割って、その破片で手首を切って鏡が撤収されたことを思い出す。まあ自分の意思でだけど。
 自殺未遂をしたのは初めてだった。
 思いきり割ったあと、その破片で何度も何度も手首を刺したわけだけど、やっぱり痛いし血も出る。カミサマは痛みを感じないはずなのに。

「樽谷さん、面会のお時間ですよ」

 面会?あぁ、面会か。
 そういや昼過ぎに誰か来るって言ってたな。…………誰だっけ。
 まさか仁美じゃないよな。あいつ、確か大学辞めて引越ししたとか手紙が届いたけど、今頃何してんのかねぇ。まさか実家に戻ったってことはないだろう。あいつは親のことそんな好きじゃねえし。
 じゃあ…………嬢ちゃんか、悠真か。
 いや、あいつらは無いな。特に嬢ちゃんは。
 嬢ちゃんは悠真さえいれば別に誰がどうなろうが知ったこっちゃないだろうし。なんだかんだあいつの考えてることが一番わからん。悠真がそんなにいいのか。ツラだけだぜ、あいつ。
 恋は盲目っていうのか。
 恐ろしい病気だ。

 そういえば、悠真は俺が病院送りになっても、一人で生活できてんのか。
 それか嬢ちゃんと一緒にいるのか。あるいは野垂れ死んでるのか。
 …………まあ、俺がこうしていくら悠真を気にかけても、あいつは演舞忘れてるんだろうな。都合のいい頭してるから。












 色々と、予想の範囲から逸脱した面会希望者だった。
 病院の面会室に連れて行かれて中に入ると、そいつはゲーム機を持って素早く指を動かしていた。コマンドを押す音が激しい。
 しばらく様子を見ていると、ようやく俺の存在に気づいたらしく、ゲーム機から顔をあげて俺の顔を見て、そいつはぞっとするほど綺麗に笑った。
 相変わらず気持ちの悪い笑顔をつくるのが上手い。
 数年ぶりに再会したわけだけど、なにも変わっちゃいない。この女と目を合わせるのは躊躇われる。

「そんなに人の顔を見て楽しいですかぁ」
「いやぁ…………見てねえから」

 本当に自意識過剰な女だ。鼻の穴に指突っ込んで引きずり倒したくなる。そんなことしたら、またカルテに心の病気云々とか書き足されるんだろうな。
 そうならないためにも、用はぱっぱと終わらせておくほうがいい。
 億劫だが、こいつと会話ってものをしてみようか。

「俺になんの用だ、弥生。まさかお前が来るとは俺も驚いたわ。とりあえず久しぶり。今は何歳だ」
「弥生はただいまピチピチの二十歳となっておりますぅ。そして久しぶり、泰邦おじさん」

 気怠い、やる気のない態度でそいつが答える。
 二十歳か…………。
 見えねえな。
 どう見ても中学生くらいにしか見えない。童顔ってこともあるんだろうが、言葉遣いや仕草が妙に子供じみている。
 成長を放棄したのか。ピーターパンシンドロームか。

「お前、それ、何してんだ」
「んーレベル上げですよぅ。ちゃっちゃかレベル上げないと、ラスボスまで行けないしさぁ」
「ゲーマーとしての成長はしてんのな」
「んー。あのさあ、泰邦おじさん。ユウくんの居場所、知ってますかぁ?」

 この女は、本当に。

「知らん」

 なるべく声が震えないように答えた。
 たった一言。
 それだけでこの女はすべてを見透かす。

「ふうん、知らないんですかぁ。それは残念だなぁ。せっかくここまで来たんですけどねぇ」
「逆に俺がなんでこの病院にいるってわかったんだよ」
「栞菜ちゃんから聞いたんですぅ。雲隠れできると思いやがりましたか、ばぁーか」

 赤い舌を出して挑発してくる。軽くぶっ飛ばしたい衝動を抑えながら、相手はあの弥生だと思いとどまった。
 しっかし、あれだな。まさかこいつが食いついてくるとは思わなかった。これなら仁美に延々と泣きつかれたほうがマシだ。

「悠真を探してるのか。それはやめといたほうがいいぞ。あいつには今、おっかねぇ番犬がついてっから」
「それは困りましたぁ、動物はキライです。なんとかしてユウくんを連れ戻したいんですよねぇ。せっかくあの人も死んだことだし」

 ゲーム機から化物かなにかの叫ぶ声がする。画面を少し覗くと、皮膚が腐って垂れているゾンビが斧でめった刺しにされている。とても小さなお子様向けのものとは思えん。まあ、こいつは大人なんだが。

「なあ、お前もこの病院来るか?」
「はっはっはー。遠慮しておきますよぅ、こんな雑菌ばかりのところ。弥生には苦痛すぎて苦痛すぎて、体の皮を剥がしたくなりますぅ」
「マジ顔でそんなこと言うな」

 マジだよ。
 口元がそう動いた気がした。はい、スルースルー。

「弥生、ユウくんに会いたいので、こんなところで入院するわけにはいかないのです」
「あっそう。ならとっとと悠真を探しに行けばいいじゃねえか」
「ユウくん、そのワンコのところにいるんですかねぇ」

 もしかしたらそうかもしれない。
 あの嬢ちゃんなら悠真を自宅に連れて帰って監禁くらいはしそうだ。今まで教団の奴らとか、俺自身とか、色々歪んでるなとは思っていたけど、あの嬢ちゃんほど粉々に崩れている奴は見たことがない。
 異常。
 嬢ちゃんが普通の日常に溶け込んでいるのが異常すぎる。周囲が特殊なのか、嬢ちゃん自身が異常なのか。それともあの子には、環境さえもどす黒い渦のなかに巻き込んでしまう何かがあるのか。

「いないんじゃねえの」

 あ、やべぇ。
 自分が思っていることと逆のことを言っちまった。
 弥生の視線が鋭くなる。

「嘘はいけませんよぅ」
「あー…………いや、俺はマジで知らねえんだって」
「ほんとうに?」
「まじまじ、大マジ」

 頼むからそんなに俺の顔をガン見しないでくれ。別にガキじゃねえんだから、俺だって女に見つめられても初々しく照れはしない。
 だけどこいつの場合、見るんじゃなくて観察するなんだよな。些細な眉の動きにすら疑問と警戒を持つ。嘘をついているかもしれない、と。
 洞察力がいいとは良く言ったものだが、俺から言わせれば単に気味の悪い女ってだけだ。

「嘘はついていないようですねぇ。んーまあいいや。弥生はもう帰りますし、もう来ることもないと思うので、これで会うのは最初で最後ですねぇ」

 椅子から立ち上がり、首をコキリッと鳴らしてゲーム機を閉じる。
 ようやく帰ってくれる気になったか。
 心のどこかでほっと安堵する。クマだけじゃなく肩こりまで酷くなった気がする。あーたぶん気のせいじゃないな。

「泰邦おじさん」

 呼ばれる。
 彼女に向けた俺の顔は、さぞ疲れきったものだろう。

「今までユウくんがお世話になってました」
「……………………」

 扉が、閉められる。
 あーなんつうかーもう、疲れる、この姉弟。
 なんで俺の親戚はこんなに通常からかけ離れた奴らが多いんだ。どうなってんだよ、なあ。


 どうなってんだよ。








               **




 精神病院から出てきた少女の足取りは軽いものではなかった。
 寒い冬の空は灰色で、ちらほらと雪が降っている。
 持っていた小型のゲーム機を濡れないように手で覆い、少女は白い息を吐く。
 ずいぶんと目鼻立ちの整った少女だった。二重まぶたの目は眠たいのか、それとも生まれつきそうなのか半開きで、全体的に気怠そうな印象を与える。実年齢を無視して外見だけで判断すると一見中学生にも見える。
 少女は空を見上げながら、何かを呟いていた。
 冷たい雪が頬を濡らすのもかまわず、何かを、夢中で呟く。

「どこ、どこ、どこ、どこ、どこ、ユウくん、どこ、どこ、どこ、ユウくん、どこ、どこ、どこ、どこ」

 彼女が求めているのもまた、単純すぎて手に入らないものだった。
 つぅと目尻から涙が溢れる。何が悲しいのかさえ、少女にはわからなかった。

 ただ、少女は────

 大瀬良弥生は、たったひとりの弟を想いながら、空虚な空に向かって問いかける。



「ユウくん、どこ」



 その問いに答える者など、どこにもいないのに。



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