複雑・ファジー小説
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- あなたを失う理由。 完結
- 日時: 2013/03/09 15:09
- 名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)
- 参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/
どうも 朝倉疾風です。
性描写などが出てきます。
嫌悪感を覚える方はお控えになってください。
主要登場人物>>1
episode1 character>>4
episode2 character>>58
episode3 character>>100
episode4 character>>158
小説イメソン(仮) ☆⇒p
《episode1》
・まきちゃんぐ / 煙
htt☆://www.youtube.com/watch?v=kOdsPrqt1f4
《episode2》
・RURUTIA / 玲々テノヒラ
htt☆://www.youtube.com/watch?v=wpu9oJHg2tg
《episode3》
・kokia / 大事なものは目蓋の裏
htt☆://www.youtube.com/watch?v=LQrWe5_q6-A
《episode4》
・Lyu:Lyu / アノニマス
htt☆://www.youtube.com/watch?v=lSFYtyxojsI
執筆開始◎ 6月8日〜
- Re: あなたを失う理由。 ( No.182 )
- 日時: 2013/01/20 12:34
- 名前: 朝倉疾風 (ID: JiYsjDZB)
- 参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/
☆
×××が身ごもってから数ヶ月が経った秋の頃。
窓の外で移り変わる葉の色を眺めながら、意味もなく手首をカッターで切る。切るといっても多少の切り傷を残すくらいの浅い行為。手首を避けているのは無意識なのかもしれない。
時折、なにかの手遊びのように自傷行為を繰り返すのは、×××の自身に対する無自覚の嫌悪感からだろう。
お腹を大切そうに撫でながら、しかしその手はいつも血で染まっている。
白いシーツが赤で染められるのをぼんやりと見、子どものように笑ってはまた浅い傷をつくる。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も────
「おはよう、明日羽」
ある日、目を開けると見知らぬ男がいた。
ベッドの傍らに腰掛け、穏やかな、けれど悲しそうな顔で×××を見つめている。
「だぁれ?」
舌っ足らずな声で×××は尋ねた。
その答えを予想していたのか、男は特に動じず、そっと×××の長い髪を撫でた。
大きな温かい手。
この手の心地よさを知っている気がして、目を細める。
どれだけ思い出そうとしても記憶に靄がかかったようになってピンとこない。
「俺はアンタの飼い犬だよ」
「ワンちゃん……?ふふっ、おっきいワンちゃん」
男は幼児化してしまった×××をそっと抱き寄せる。抵抗はされなかった。そのことにホッとする。
彼女に会うまでにこれほど時間がかかったのは無理もない。
あの日、約束の時間に×××は現れなかった。心配になって何度も何度も電話をかけたのに、連絡がきたのは翌日。しかも警察からだった。
「明日羽は俺を覚えていないのか」
「ワンちゃんがどうしてここにいるのかなぁ」
いま、目の前にいる彼女が彼女ではないことはわかっている。
いや彼女本人なのだが、事件のショックからかなり人格が歪んでいる。
その証拠に、×××はあれほど愛した男のことすら覚えていない。
「あんたを守りにきたんだよ」
嘘だ、と男は自身に言い聞かせる。
こんなもの口先だけだ。
自分は彼女を守れなかったのだから。
「ごめん明日羽……ごめんな」
「なんで泣いてるの。なぁにも悪いことしていないのに」
いっそのこと恨んでくれればよかった。顔も見たくないと蔑まれ、永遠に呪詛を聞かされるように呪いの言葉を吐いてくれればよかった。
けれど×××は男の顔を見て、笑ったのだ。
敵意も警戒も憎悪もない笑顔で。
「明日羽、明日羽、明日羽、あすは、あすは、あすは、あすは──」
「わたしの名前をそんなに呼んでどうしちゃったのー。ワンちゃんのお名前は?」
答えようとして喉が震えるのがわかった。
でも、もしかしたら、
そんな期待を持ってしまった。彼女が幸せになる日などもう二度と無いというのに。
抱きしめる力が強くなる。
×××は逃げずにじっと男の目を見つめた。黒くて深い闇のような色。ずっと覗いていたら吸い込まれそうな気すらしてくる。
「俺の名前は──」
☆
筆を降ろし、撫咲くんの胸ぐらを離す。
後ろにいた大瀬良くんがわたしの肩を叩いて、
「なに喧嘩してんだよ。また説教喰らうだろうが」
「あ、ごめん。ついカッとなっちゃって」
確かに、生徒指導室行きになったら色々と面倒くさい。
大瀬良くんと二人で怒られることが多いせいか、顔を覚えられているらしく、たまに廊下ですれ違うとじろりと睨まれることがある。
なんだかおかしい話だ。
今までバカップル二人組と言われていたのに、今じゃ怒られコンビとか噂がたっていそうで。
「撫咲くん、部活って今日あったっけ」
「──第三木曜だから、ありますけど」
「そう。わたしも久々だから顔出しにこようかなぁ。なんだかんだまだ一年生の顔見てないし」
「あー……わかりました。じゃあお待ちしてます」
察しが良くてよろしい。
軽く手を振ってから美術室を出る。あれ以上あそこにいても大瀬良くんがいる以上は何も聞けないし。
「サボんねえの?」
「気が変わったから教室に戻るの!」
「あんなくっせえところ、よく入れるよな」
「文句言わないのー!」
- Re: あなたを失う理由。 ( No.183 )
- 日時: 2013/01/26 21:45
- 名前: 朝倉疾風 (ID: JiYsjDZB)
- 参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/
フルスピードで授業が終わっていった。
実際にはきちんと六時間、きっちり五十分の授業があったんだけど、わたしにはかなり短く感じた。
頭の隅には美術室でのことがずっとあって、少し反省もしたりした。
自制心とやらが効かなくなるのだ。大瀬良くんのこととなると。
撫咲くんには悪かったかなと表面上では心配してみるけれど、実際にはまったく彼のことを気にかけていなかったりする。そのたびに自分は薄情なやつだと思い知らされるけれど、べつに文句はない。かといって自分は偉大だと胸を張るつもりも毛頭ないけれど。
一途といえば聞こえだけはいいだろうなぁ。
──異常だぜ、嬢ちゃん。
泰邦さんに言われた言葉を思い出す。
うるさいなぁ。
そんなのわかってるって。自分がどこかおかしいってことくらい。大瀬良くんはわたしのこと「おかしい」とか思ってるのかな。
うわー少し落ち込むわぁ。
今までけっこう変なことしてきたし、でもなんだかんだ受け入れてくれてるのかなとか自惚れていたから余計に落ち込む。
「さっきはごめんねー」
「そんな感情こもってない謝罪なんて俺は受け付けてません」
「頭がすり減るくらい土下座する準備はできている!」
「プライドのプの字も無いんですか、先輩は」
「薄っぺらいプライドなんてわたしには必要ないの。愛さえあればなんでもできるって昼ドラの主人公が恥ずかしげもなく言ってたんだから」
「先輩て昼ドラ見るんですね。そりゃあ学校に来てませんしね」
「人を長年引きこもっている不登校系女子だと思わないでよっ!現にいま学校にいるし!サボり気味なのは認めるけども!」
「最近、〜系女子とか流行ってんですか」
「っぽいね」
放課後。
宣言通り美術室に顔を出すと撫咲くんしかいなかった。
一年生部員は来ていないらしい。サボリを決め込んでいるのか。まさか一人も入部者がいないなんてことはないと思うけれど。
「大瀬良さんは?いつもセットな感じがしてたんで、連れてくると思ったんですけど。……いや、付いてくる、かな」
「部活があるからって言って、帰ってもらったの」
念入りに、他の人を家に入れないように言いつけておいた。
また帰ってきたら弥生さんがくつろいでいた、なんてことがあったらたまったもんじゃない。
「ワンコみたいですね。飼い主の言うことをよく聞くじゃないですか」
「その飼い主っていうのはわたしのこと?」
「そりゃそうでしょうよ」
いつも他人からは大瀬良くんを守る「番犬」みたいなイメージを持たれるんだけど、飼い主ってのはなかなか無いから、なんだか新鮮だな。
……飼い主、かぁ。
べつに飼ってるつもりはないし、そんなこと言ったら大瀬良くんもそれなりに男としてのプライドが潰れるだろうなぁ。ワンコって……。どっちかっていうと猫っぽいけれど。
「ていうか、先輩って大瀬良さんといる時とキャラ違いすぎやしませんか」
「え、どんなふうに」
「幼いです。大瀬良さんがいない時は」
幼い……。
うーん、そうかな。
でも他人がそう言うのならそうかもしれない。
もともとが好奇心旺盛だから子どもっぽいのはわかるけれど。
「大瀬良くんといる時は気ぃ張ってるからなぁ」
「あの人、いつもああなんですか」
「どういう意味?」
「いやほら……よく吐いてるの見かけてたから」
「…………」
片付けはちゃんとしてたのかな。前のアパートのことだろうから、泰邦さんか仁美さんが世話を焼いていそうだ。
よし、大瀬良くんのほうに話題がいった。
そろそろ本題に移ろうか。
「大瀬良くんの母親が教団に入った理由ってなに?」
撫咲くんがニヤリと笑う。
「やっと切り出しましたね。前振りが長いですよ、流鏑馬先輩」
「待たせてごめんね。ちゃっちゃと答えて」
「俺の知ってるかぎり、ですよ。対して信憑性も無いんですけど、まあそれでもいいって言うのなら教えます」
「はやく」
焦らされるのは好きじゃない。
はぐらかされるのも、曖昧にされるのも。
「たぶん騙されたんでしょうね、樽谷泰邦に。こうすれば救われるとか、全てを忘れるとか。都合の良い戯言に夢でも見たんでしょうね」
「どうして騙されたの。普通に生きていれば、そんな怪しい宗教なんかに入らないでしょう」
「ですね。そこらへんはよくわからないんですけれど、樽谷泰邦はすごく大瀬良さんのお母さんを嫌っていましたよ。信仰者には向いていないって言ってました。遠縁の親戚だってことも、その時に聞いたんです。けっこう驚きましたねぇ。存外、世間てものは狭いですね」
「泰邦さんはなんて言ってた?大瀬良くんの母親について……大瀬良明日羽についてなんて言ってた?」
彼女の名前を出したとたんに撫咲くんがひどく驚いた顔をした。
あすは。
小さくそう呟く。
「そうだ……そういう名前でしたね。大瀬良明日羽。すっかり忘れていましたよ。俺は直接会ったこと無いですし、声も聞いたことがなければ知り合いでもない、一方的に知っているだけなんですけどね。
樽谷泰邦が言っていました。彼女はこの世で一番苦しんでいる人間だろうって。何を根拠に、と思ったんですよ。人間ってそれぞれが何かに苦しんでいるじゃないですか。高校生がテスト期間に憂鬱になったり、戦争に巻き込まれた異国の人だったり、目の前で母親が首を吊っていた俺だったり……。
不幸の価値は違っても、絶対に人間は何かに対して苦しんで、それを他人がわかろうとしてもできないことなんですよ。理解できやしない。少なくとも心から全てを理解するなんてことはできない。それでもあの男は言い切った。大瀬良明日羽が一番苦しんでいる人間だって。どうしてだと思いますか」
性犯罪の被害者だから、というのが普通の答えなんだろう。心の殺人と言われるくらいだ。実際に心の傷は深く、完全修復なんて絶対にできやしない。被害者は一生苦しむことになる。
けれど泰邦さんはそんなことで「一番」とは言わないだろう。
あくまで彼は、そういう男だ。
木内好奈がそうだったように、泰邦さんは不幸を不幸だと思わない。全部、カミサマが綺麗に洗い流してくれると考えているから。
「わからないわ」
だろうね、と撫咲くんは言った。
「答えを聞いた俺にもわからなかった。だから先輩もわからないと思います。あの男は、俺にこう言ったんです」
そこまで言って、撫咲くんは椅子から立ち上がる。
憂鬱そうだった顔の表情が、気だるい表情に変わる。
そして、
「『良い夢から覚めたんだよ、あいつはな。悪夢を見ると恐ろしくなって目を覚ますが、現実が怖くてずっと良い夢を見ていたいと思うやつもいる。あいつはさ、覚めちまったんだよ。可哀想だよなあ、ずっと背けていりゃいい現実を、受け入れる覚悟も無い現実を、あいつは見ちまった。カミサマの救いようも無いってことだな。不幸な女だ』」
似てるっ!!!
なんというか……演技派だった。すごい。関心した。超似てる。
声のトーンといい、喋り方といい、表情といい、かなり泰邦さんに似てる。やばい、このクオリティは想像していなかった。表情を変えた頃から泰邦さんのモノマネでもするのかなぁと予想はしていたけれど、ここまでの完成度でこられると感激してしまう。
「すごいね、撫咲くん。めちゃくちゃ似てる!」
「でしょうね。あの人は真似しやすいですから」
「うわあ……ごめん、話の内容聞いてなかった!もっかいやって!」
「はいはい」
- Re: あなたを失う理由。 ( No.184 )
- 日時: 2013/01/27 10:18
- 名前: 朝倉疾風 (ID: JiYsjDZB)
- 参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/
何回かモノマネをしてもらって数分が経った。
今のところ千隼くんのモノマネがダントツで上手い。撫咲くんと千隼くんってどこか接点あったかなぁと思ったけれど、そういや委員会が同じだった気がする。
千隼くんの、あのなんともいえない笑顔の裏に抱えている一物まで再現されていて、すごくこう……モヤッとした。
撫咲くんは千隼くんの裏の顔に気づいているのかもしれない。
まあ、そうだとしても興味はないけれど。
「すっごい似てるね。なんか感激した」
「趣味が人間観察……っていえば聞こえは良くなるかもしれないけれど、実際は人の顔色うかがっているだけだから」
「んーまあ聞こえはそんなに良くないよね、人間観察が趣味って」
話が大幅に脱線してしまった。
えーと、泰邦さんの言葉についての意図だったか。
「んで、話も戻させてもらうけれど。夢から覚めたってのはどういう意味なの」
「俺にもわかんないんですけれど、たぶん、嫌な現実が大瀬良明日羽にはあって、そこから目を背けていたんだけど、なんかのきっかけで現実と向き合わざるを得なくなった……。そんなところですかね」
「あー引きこもっている人たちが、親から『いつ学校に行くの!』って催促されるアレか」
「たぶん、だいたいあってます」
きっかけなんて、どこに潜んでいるかわからない。偶然、とでも言うべきか。
一瞬で現実に引き戻されるとはよく言ったものだけれど、実際にその現実が苦しいもので逃避したくなるほどに悲しいものだったら、確かにそれはキツいのかもしれない。
多過ぎるテストの範囲然り、戦争が起こって犠牲になっていく人然り、目の前で首を吊っていた母親然り、そういう現実に引き戻されたら、やっぱり苦しいものは苦しいんだろう。
夢は見るものじゃなく、覚めるものだ。冷めるものなんだ。
「──で、泰邦さんは明日羽さんを信仰者向きじゃないと言ったんでしょう。それはどうして」
「夢から覚めたからじゃないですか」
「どういう意味よ」
「さあ。だから俺もずっと考えてました。母さんが自殺したのも、もしかしたらその夢から覚めたからかもしれないって」
「撫咲くんのお母さんには、酷い現実なんて無かったんでしょう」
「ああ、言ってなかったですかね。俺が生まれてすぐの頃、軽い欝になってたらしいんです。俺は知らなかったんですけれどね。俺が小学生の時母方の祖父が亡くなって少しふさぎ込んでいたから……それじゃあないですかね」
夢、ねえ。
この夢が何を差すのかはわからないけれど、たぶん現実逃避に近いニュアンスを含んでるんだろう。
辛い現実から目を背けるのは容易いようで実は難しい。
頭の隅にこびりついている、いつまでも消えない痕。
「──撫咲くん、こうも言ってたよね。大瀬良くんがああなった原因を知っているって」
「知ってますよ。虐待のせいでしょ」
本当に知っていた。
「泰邦さんから聞いたの?」
「そうですよ。あの人はなぜか俺にペラペラと喋ってきましたね。対して口、堅くないのに」
「明日羽さんが教団に縋った理由はけっきょく知らないってわけ?」
「大瀬良明日羽が教団に入った理由は知りませんが、縋った理由は知ってますよ」
どう違うんだ。
撫咲くんの言うことは少し難しすぎる。難しすぎる、と言うのだから、少し、と言うのは間違っているかもしれないんだけれど。
「大瀬良明日羽は性犯罪の被害者で、精神科で入院していたらしいです。幼児退行を起こしていて、記憶障害も持っていたらしいんですけれどね。それが、何があったか知らないけれど、一年後には出産して精神科も退院してるんですよ。あんな、異常者を」
出産……。
頭に弥生さんの姿が思い浮かぶ。弥生さんが、もし、明日羽さんが襲われたときに身ごもった子どもだったのなら、その弥生さんを産んだ明日羽さんの精神力ってどうなるの。
強いとかそんなんじゃない。
壊れすぎだ。
「その話だと、暴行で身ごもった子どもを産んだってことになるんだけれど」
「その解釈でオッケーですよ。いやあ、ドン引きでしたよ。まさかそんな理由で大瀬良さんが産まれたなんて、俺も全然予想とかしてませんでしたから」
……あれ?
撫咲くんは弥生さんの存在は知らないのか?
だから暴行の末に明日羽さんが身ごもった子どもを、大瀬良くんだと誤解している……?
わたしが聞いた話だと、その子どもは弥生さんってことになるんだけど。弥生さん本人もそう言っていたし。
「あー、そうだね」
適当に話を合わせておいた。
弥生さんの存在はなるべく公にしたくない。
「まあそれで自分の子どもに手ぇ出すとか、最低っちゃあ最低なんでしょうけれどね。同情なんて生まれやしない」
「大瀬良明日羽を襲った男のことはなにも聞いていない?」
「──相当の不良だったらしいってこと以外は何も。そのとき未成年だったらしいですから、いまは四十代前半ってところですかね」
それが弥生さんの父親ってことになるのか。
じゃあ、大瀬良くんの父親は誰になるんだろう。
大瀬良くんと弥生さんの年の差を考えると、明日羽さんは退院した直後に大瀬良くんを身ごもったことになるけれど。それが本当だとしたら、明日羽さんはどういう心境だったんだ。理解できない。したくもない。
「顔色悪いですけど、大丈夫ですか。ああ、でもこんな話を聞いたら誰でもそうなりますよね」
「大丈夫よ。少しだけ気持ちが悪くなっただけ」
好奇心旺盛なわたしでも明日羽さんの心情にまで興味は持てなかった。
そのまま美術室から去ろうとすると、腕を掴まれる。
撫咲くんはニコリとも笑わずに、わたしを見ていた。
「そういえば流鏑馬先輩も引越ししたんですよね。お兄さんが、亡くなったそうですが、大丈夫ですか」
「気遣いはありがたいけれど、わたしは豆腐メンタルではないから、まったくその件に関しては全然なんとも思ってないわ」
犯人は見つかっていないけれど。
「そうですか。なら、いいんです」
先輩らしい、そう撫咲くんは付け足した。
手が離される。
わたしは振り返らずに美術室を後にした。
- Re: あなたを失う理由。 ( No.185 )
- 日時: 2013/01/29 21:30
- 名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)
- 参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/
☆
季節は半年以上も過ぎていた。
帝王切開ではあったけれど、無事に腹の中から産まれた我が子を、×××は抱きしめることができなかった。
今さら自分の子どもだということを拒否したわけではない。
ただ、抱くための腕がギプスで固められていただけであって。
「俺がずっと一緒にいます。彼女の力になりたいです」
「……本気で言ってるんですか?」
彼女の遠縁だと名乗る人物が不安げに、あるいはどこか安心しきった顔で彼を見た。
樽谷と名乗るその五十代ほどの老夫婦は顔を見合わせ、そしてベッドの上で眠る×××を見て、深くため息をつく。
「明日羽ちゃんとは中学校のときに会ってそれから全然会ってもなかったんだけれど……明日羽ちゃんのご両親が、ほら、かなりキていらっしゃるじゃないですか。だからこう、支えてあげないとと思ってきたんですけれどね」
「でもきみ、きみもまだ未成年だ。仕事をしているといっても型枠工やらなんだろう?そのうえ明日羽はあんな状態だ。しかもあろうことか、子どもを産んだだろう」
「やっぱりおかしくなっちゃったのねぇ……。普通は中絶するんだけれど、腕を折ってまで抵抗したんでしょう?ちょっと……わたしたちもそれほどとは思ってなくてね……胸が痛むわ、本当に」
よく喋るやつらだ、と彼は心の中で悪態をつく。
怒りが湧き上がるのを抑えて、なんとか平常を保ちつつ、彼は無表情で言った。
「大瀬良さんのご両親が『手切れ金』を送ってくださったので、なんとかなるかと思います。子どもも俺が面倒を見ます。大瀬良さんがあんな状態なので、しばらくは通院という形になるでしょうが、それも俺がやります」
背負う覚悟はできている。
ただ助けたいと思うだけじゃだめなことを嫌というほど思い知らされた。
今度こそ間違わないように。自分は、犬なのだから。
そう言い切る彼に、『異常』だと言わんばかりにジロジロと視線が絡みついてくる。異常なのかもしれない。あんなふうになってしまった恋人を、まだ見限らないなんて。
「わたしも赤ちゃん抱っこしたいー!抱っこ抱っこ抱っこ抱っこ抱っこ抱っこするのー!」
気がついてからそればかりしか言っていない。
陣痛が始まったとき、それが医者による毒か何かの仕業だと誤解した×××は錯乱し、その際に抵抗として自分の腕を折った。簡単に言えばものすごい力で押さえ込む看護婦や医師たちに激昂して、彼らに押さえつけられていた腕を逆方向に捻った。
もともと細く衰弱していた小さな腕は簡単に折れ、そのまま近くの大学病院に運ばれた。そこで出産も腕の処置も行われた。
母子ともに健康。精神以外は安定。
「明日羽、ダメだ。大人しくしてなって」
「赤ちゃん抱っこしないといーやーだー!ぜったいにやだー!」
「腕が治ってからじゃないと抱かせられない。赤ちゃんも危ないし」
「ぬぅううううううう。折らなきゃよかった」
ふと十代の彼女の顔に戻る時があって彼を不安にさせる。
もし、×××が戻ってしまったら。
精神が普通に戻ったら。
「名前とか、決めたのか」
「なまえ……?」
「そうだよ。名前がいるだろ」
当然と言えば当然だけれど、それ故にいちいち理由がいる。その理由を探せば探すほど混乱していく。
自分はどうして、子どもを産んだのか。
どうして、子どもができたのか。
その答えに触れそうになると、迷わず記憶に蓋をしてしまう。自己防衛の一種で、保身のため。
「んーミケとかでいいんじゃないのー?」
「猫じゃないんだから」
「なら、ハルハルが決めてよー。ハルハルちゃっちゃと適当に!」
子どもの名前をつける親の姿勢ではない。
けれど。
彼と×××が出会った日の名前がいいと思った。あの子どもは自分と×××の子どもではないけれど、愛情を注ぐと誓ったから。だから、×××と出会ったあの雨の降る季節を名前にしよう。
「弥生ってどうかな」
弥生。
×××と彼が出会った、あの雨の降る日。
「じゃあそれで」
×××はその名前の意味に興味がなさそうだった。
簡単に、簡潔に、簡易に決まってしまった名前を、ころころと口の中で転がす。
ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、
ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、
ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、
「なあ、流鏑馬。お前だろ。明日羽をレイプしたのって、お前だろう」
『だったらどうだっての』
「俺さ、引っ越すことにしたんだわ。実はもう向こうで仕事も見つけてるし、あとはもう、お別れを言うだけなんだよ」
『──俺から逃げられると思ってんのかよ、トラ』
「いい加減にしてくれよ。こちとらお前を殺すのを我慢してんだよ」
『なんで我慢なんかするんだよ。しなくていい、俺も殺りにこいよ、トラァ。お前の女をヤッた男だぜ?憎くねえのかよ!俺が!なあ!』
「関わりたくねえよ。お前とはガキの頃からずっと一緒だったけど……縁、切らせてもらうぜ。じゃあな、糞ったれ。二度とそのツラ見せんな」
『トラ、ッ』
これで終わりだと、思っていた。
- Re: あなたを失う理由。 ( No.186 )
- 日時: 2013/02/02 12:21
- 名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)
- 参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/
03
家に帰った。
どっと疲れた。
足は異常に重たいし、頭はズキズキするし、そのせいでなんだか吐きそうだし。
部屋にいくと、なぜかわたしのベッドで大瀬良くんと母さんが一緒に眠っていた。……なんだこれ。浮気か?
動揺したけれど、でも二人とも服は着ているし、なんだか母さんの胸に顔をうずめて眠っている大瀬良くんが乳児のようで、力が抜けた。
起こすのもなんだか悪いので、とりあえず電気を消すか。
「帰ったの」
伸ばした手を止める。
母さんがわたしを見ていた。起こしたのか、起きていたのかはわからない。
ただいま、と言ったつもりが言えなかった。声が喉に絡みついて、掠れて、そのまま息だけしかできなかった。
「大瀬良くんと寝てたんだ」
「この子が寝てたから、いっしょにベッドに入ったの。アタシ、瑠依とはこういうことしたことなかったから、ちょっと新鮮」
兄さんが殺されてから、初めて兄さんのことを口にした。
もともと子どもに対して放任主義もいいところだったから、今さらなんだけれど。
黒い爪で大瀬良くんの耳を軽く引っ掻く。
脱色して傷みすぎている髪の毛は伸ばしっぱなしで、少しは整えろと小言を言いたくなるほどだ。わたしみたいに短くすればいいのに。
「母さんって兄さんを好きだった?」
「んー……。ニガテ。なに考えてるのかわっかんなかったし。むこうもアタシのこと嫌ってたでしょ。アンタばかりになついてたしね」
「わたしのこと好きだったんだって。妹とか、そういうんじゃなくて」
「ふうん。アンタ、顔はあの人に似てキレイというか、少し中性っぽいからモテるんでしょ」
あの人、とは。
わたしの父親のことである。
三年前に交通事故であっけなく死んだ、わたしと兄さんの父親。
かなり身長が高い人で、がっしりしていて、髪の毛は母さんよりかはマシな金髪だった時があった……くらいしか覚えていない。三年前まで一緒にいたのに、なぜか顔だけは思い出せない。
ぎゃくに兄さんは目を閉じてもあの人の顔が浮かんできて、すごく魘されていた。よく蹴られたり叩かれたりしていたから。高校を卒業する前から、一人暮らしをしたいとよく言っていたし。
「なんか考えてるような顔してる」
「うん。なんで母さんはあの人と結婚したのかなって」
少し緊張しながら聞いてみた。
両親の馴れ初めを聞くことに抵抗があったとか、そういうわけじゃなくて。ただ、母さんにとってあの人のことが辛い記憶でしかないのなら、地雷なのかなと気を使っただけ。
だけれど、そんなことはなかったらしい。
しばらく考えてから、母さんは簡単に答えた。
「ノリで」
「……ノリ?」
「そうよ、ノリよ。その場のテンションで。アタシも凛太郎もそのとき若かったから。んーというか、凛太郎とのあいだに瑠依がデキちゃって、それで……まあ、籍はいれとくかーみたいな」
軽っ!
わたしが思っていた以上に軽かった。そんなんで籍いれたのかこの人たち。
案外わたしがこの世界にいるってことも本気で奇跡なんじゃないか?この人たちなら、子どもが不要になったら簡単に捨てそうだ。……不要というか、今でも必要にされたことないのはさておき。
「じゃあ、あの人のことは好きだったの?」
「凛太郎……?んー……わかんね」
「わからんのかい」
「付き合ってたけれど、あの人はアタシなんかより、幼なじみのほうが好きっぽかったし。まあソイツ、男なんだけど」
オトコ?まさかのオトコ?え、うちの父親ってそっち系だったの?べつに偏見はないけれど、自分の身内がそうだとなるとかなり衝撃的だ。幼なじみの男の子とそういう仲になるってこと、あるのかな。
「勘違いしてるようだけど、恋愛とかじゃなくて……。うーん、恋人というか、家族というか、親友というか……わかんないんだけどね。アタシ、会ったことなくていつも凛太郎から聞いていたくらいだけど」
……ああ、やっぱりね。
うん、そういうことだと思ってたよ。だって、ねえ。
撫咲くんとわかれて、一人で家に帰る途中で、まあなんというか、たぶん偶然なんかじゃないんだろうけれど、待ち伏せされていたんだろうけれど。
会ってしまったのだ。
その、幼なじみさんというやつに。
「ねえ、母さん。あの人って母さんの他にも付き合っていた人はいた?」
「いるでしょ。付き合った、とかではないんだろうけど」
「他に子どもとかいた?」
「アタシは知らない」
母さんは知らない、のか。
知ったとしても何も思わないんだろうな。
「そろそろベッドからどいてちょうだい。他意が無いにせよ、わたしはイライラするんだから」
「うん。りょうかい」
ベッドからのそのそと出てくる。大瀬良くんはそれでも目を覚まさない。よっぽど深く眠っているんだろうな。なんの夢みてるんだろう。
寝顔からは良い夢なのか悪い夢なのかもわからない。
「大瀬良くん、ねえ、大瀬良くん」
母さんが部屋から出て行ったのを確認してから、大瀬良くんに呼びかける。
当然だけど起きない。
規則正しい寝息。上下する肩。綺麗な人形みたいな顔。
「わたしねさっき、会っちゃったんだよねぇ」
もしかしたら大瀬良くんを苦しめることになるかもしれない。
この先、わたしがしようとしていることは、そういうことだ。
大瀬良くんを守るために、彼の嫌な記憶をほぜり返して、全部忘れさせようとしている。サイテーな守り方。
覚悟はしてる。
巻き込むことも自覚している。
「大瀬良くん、わたしはきみを悪いことから守るけれど、そのためならきみにものすごく酷いこともしちゃうよ。ごめんね、馬鹿で」
全部とまではいかない。まだ肝心なところはわかっていないけれど、それでも、自分のやらないといけないことはわかった。
大瀬良くんの髪を撫でる。指先が震えていた。
怖い。
大瀬良くんに触れることが怖いと感じるようになった。
「このままじゃわたしは殺されるんだろうなぁ」
他の誰かの手によって。
兄さんと同じように、酷い殺され方をされて。
一時間前、わたしは兄さんを殺した男と会った。
ずいぶんと苦しそうな殺人狂だった。
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