複雑・ファジー小説

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あなたを失う理由。 完結
日時: 2013/03/09 15:09
名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/

どうも 朝倉疾風です。





性描写などが出てきます。

嫌悪感を覚える方はお控えになってください。



主要登場人物>>1

episode1 character>>4


episode2 character>>58


episode3 character>>100


episode4 character>>158



小説イメソン(仮) ☆⇒p


《episode1》
・まきちゃんぐ / 煙
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=kOdsPrqt1f4


《episode2》
・RURUTIA / 玲々テノヒラ
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=wpu9oJHg2tg


《episode3》
・kokia / 大事なものは目蓋の裏
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=LQrWe5_q6-A


《episode4》
・Lyu:Lyu / アノニマス
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=lSFYtyxojsI


執筆開始◎ 6月8日〜



Re: あなたを失う理由。 ( No.117 )
日時: 2012/09/24 18:16
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/




 絵を描く画材を取りに放課後美術室に寄ると、撫咲くんが踊っていた。いや、描いていた。
 呼吸を止める音と、白いキャンバスに足されていく絵の具の匂い。筆を水でさっと洗うまでの無駄のない動きと、鮮やかに緑を塗っていくしなやかな手の動き。
 扉を開けたのにも気づいていないようで、集中していることが分かる。
 キャンバスに描かれているのは一見ただの木だった。細く伸びているえだから緑の淡い葉を広げている木の絵。けれど普通の木と明らかに違うのは、その木の根が根でなく、一つの球体になっているところ。黒のなかに白と黄の混合された色があって、そこから太い幹が生えている。球体といってもそれは完全なる丸の形をしておらず、ところどころかすかな窪みがあったり、表面上には薄いシワも表されている。
 まるで木がこの球体からエネルギーを吸い取っているようだった。

「テーマは生命なんですよ」

 いきなりそう言われて驚く。
 わたしが美術室に入ってきたことに気づいていたのか。

「生命っていうテーマが一番無難で難しいと俺は思うんです。生まれてくるのはどれもひどく難しいのに、死ぬのは簡単で。生きるのにあんなに必死になっていたのに、死ぬときはひどく脆い。そんなものをどうやって表すのかが分からなくて、モヤモヤして……。そういう時間がすごく好きだから、今もこうやって描いているけど、本当はわからない。完成しても、俺はきっとわからないままなんですよね」

 こちらを振り返りもせずに、淡々と語る撫咲くん。相手がわたしだと分かっているのかどうかも怪しい。
 もしかすると、この話を聞かせるのは誰でもいいのかもしれない。
 撫咲くんは最後に深く息を吐いて筆を水入れに置いた。
 そこでようやく振り返って、

「先輩もここで絵を描いていくんですか?」
「いや……画材を取りに来ただけなんだけど」
「ああ、そうでしたか。水彩絵の具ならそこにありますよ」

 今さっきのはひとり言なのかな。
 確かめたいけど撫咲くんは普通にしているからスルーしておく。そこまで興味を惹かれるわけじゃないし。

「撫咲くんって家で作業やらないんだね」
「男二人きりの生活なので、部屋が汚いんですよ。画材とか置く場所が無くて。ここならあまり部員も来ないので、ゆっくり描けるし。毎日来ていた三好先輩も……辞めちゃったから」

 さらりと。
 わたしの心が痛みで撫でられる。
 三好先輩は元美術部の部長で、訳あって今は学校を辞めている。わたしより1つ年上で、部活に来いとしつこく幽霊部員のわたしを誘ってきた先輩。

「先輩、三好先輩の絵を見たことありますか」
「ないかな。あの人、絵を描かない人だったから」

 なんで部長になったのかは未だに謎だけど。

「俺は中学のときも美術部だったんですけど……コンクールで賞を取って、その絵が展覧されているところに行ったんです。そこには、俺の絵もあって自分で言うのもアレなんですが、とても満足できるものだったんです。だけど……」

 ふわりと笑う彼の表情にはかすかな陶酔感があった。

「最優秀賞の三好先輩の絵……言葉で表せないほど凄かったんです。当時15歳の人が描いたとは思えなくて」
「そんなに感動したの?」
「感動とかいう綺麗なものじゃないです。なんだかこう、叩きつけられるような、訴えかけてくるような、そんな絵でした」

 三好先輩のその絵はきっと彼の心理そのものなんだろう。千隼くんに別れを告げられて、ひどく傷ついた幼なじみを支えることに必死だったろうから。捻じ曲がった愛憎が作り出した作品なんて見たくもない。

「撫咲くんって七瀬旱泥とか好きそうだよね」
「あ、その人。三好先輩もその人が好きだと言っていました。絵のモデルとして双子の女の子を実際に嬲っていたんですよね。絵に対しての執着もそこまでいくと病気ですけど」

 乾いた笑い。
 でも確かにそこまでするのなら異常だろう。双子の女の子、どうなったっけ。成長したどちらかが人を殺したとかで一時ニュースがそのことばかり報道していた。もう8年も前だし、県外のことだから記憶にない。

「でも俺は死体とか描いてる人ってあまり好きになれないんですよね。死って死体だけで表せるものじゃないと思うし。死で死体を連想させる人が多いと思うんですけど、俺は生きることで死を表現したい」
「哲学的だねえ、撫咲くん」

 まるで病的なまでに。
 最後のは付け足さないでおいた。
 軽く微笑んだあと筆を取って、パレット上に絵の具を足す。そこまでの一連の動作が滑らかすぎて、スローモーションに見えた。この人っていちいち動きがゆったりしすぎている。鈍い。

「それ、生命をテーマにしてるって言ってたけど、その球体から木が生えてるの?」
「逆です。木が球体に吸い込まれているんです」
「ほほーう。視点を変えることが必要なのですな」
「そうですね。俺は母が死んでから、あまり良いものの見方ができなくなりましたから」

 ……なんだろう。不確かな違和感がそこにある。それが何か分からなくてイライラしてくる。
 葉の部分を塗っているのか、他の絵の具と違って緑色の消費が著しい。既にチューブはヘコヘコになっている。

「綺麗なものしか映らないってのも、なんかイヤだと思うけど」
「悪い部分しか見えないのも嫌ですよ」
「確かにね。でもわたしはいまエンジョイしてるから。勉強もに恋愛にも部活にも青春を感じてるから。人生輝かしいから」
「最後の部活に青春感じるってのは嘘でしょ。……ていうか恋愛もやっぱりしてたんですね。先輩の好きな人って大瀬良さんですか」

 顔の筋肉がひきつりそうになった。右頬が変な形で硬直してしまい、痛みを感じる。攣ったかもしれない。冗談だけど。
 というか、元来わたしは分かりやすいとよく言われるけど、後輩にまで好きな人がバレるほど表に出てるのか。それとも撫咲くんが鋭いだけなのか。

「えっと、いや、違う」
「先輩、ものすごく分かりやすいですよ」

 前者だった。
 どうやら本当にわたしは嘘が下手らしい。顔の筋肉どれだけ柔らかいんだ。

「でも大瀬良さんって不思議というか。よく男の人と一緒にいるんですけど、んー……あまり良い噂聞かないですよ」

 男の人っていうのは泰邦さんだろうか。それくらいしか、あの狭すぎる大瀬良くんの人間関係のなかで心当たりがいない。

「あと白い人もたまに見かけますね」
「白い人?」

 ざらりと体中の血液が砂になったような感じがした。
 心臓が皮膚を突き破るのではないかと思うほど鼓動を激しく高める。

「はい。フードを破ってるんで顔は見えなかったんですけど、髪の毛が白かったような気がします。あれって染めてるんだろうなぁ」
「いつ、見た?」

 自分の声が震えているのがわかった。

「えっと最近はあまり見てないですけど、夏休みに2回見ました。暑いのになんで長袖だったんだろう」

 異質で不質なものが大瀬良くんに近寄っている。
 頭に過るのは、好奈。“未知”なあいつのこと。
 好奈が大瀬良くんの家に来ていたってことは、接触もしたと考えていたほうがいい。好奈は大瀬良くんに会うと彼が吐くと言っていたし。

「……流鏑馬先輩?」
「それは確かに変な人だよね」
「え?は、はい、まあそうですよね。変な人だと思います」

 好奈と大瀬良くんがどんな関係なのかは分からないけど、彼にとっては害のある存在だと言うことは分かる。
 なら、誰かが排除しないと。
 守らないと。

「大瀬良くん、だいじょうぶかな」


Re: あなたを失う理由。 ( No.118 )
日時: 2012/09/28 21:06
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/




              02



 わたしのエプロンを大瀬良くんに着せるから、どれが似合うか実際に大瀬良くんに着せて試してみたい。
 我ながら図々しいし、二人きりになる口実としては些か微妙な言い訳だったけれど、大瀬良くんは快くオッケーしてくれた。というのは自分に良く取りすぎているだけで、実際には本人の承諾を得るのに二日かかった。二人きりになるのが嫌なのではなく、エプロンを着せられて似合うかどうかを見定められるのが我慢ならないらしく、ようやく首を縦に振ってくれた時には、既に教室内の装飾がかなり進んでいる時点だった。

「文化祭まであと二日なんだから、ちゃんと協力してよねー大瀬良くん」

 大瀬良くんと自転車を押して彼のアパートに着いた頃、辺りは夕焼けでオレンジ色に染まっていた。わたしより頭1個半ほど大きい大瀬良の横顔を見ると、ひどく綺麗で思わず息を飲んでしまった。いや本当に。茶色に染めている髪の毛がキラキラしていて眩しい。

「エプロンぐらいなんでもいいだろ」
「良くない。わたしにとっては全然良くない。ちゃんと全部着てもらうからね」

 事前に持ってきたエプロンは全部で5着ある。家中探し回ってかき集めたんだけど、どれもうちの母さんの手作りらしい。本人から聞いたんだけど嘘かもしれない。
 心底面倒くさそうな大瀬良くんの腕をひいて、覚えてしまっている彼の部屋に行く。

「そういえば、大瀬良くんの隣って人が住んでたんだね。一昨日初めて知ったよ。その子、わたしの後輩なんだけど、面識ってあるの?」
「さあ」

 向こうは大瀬良くんのことを知っていたけれど、こっちはてんで興味がないって感じだな。そこがいいんだけど。他人に興味のある大瀬良くんなんて、そんなの絶対に嫌だし。

「大瀬良くんって友達いるの」
「そんなのいなくていい」
「じゃあ恋人は?」
「アンタさあ、本気で鬱陶しいな。そんなのいたってどうだっていいだろ。俺は興味無いんだし」
「鬱陶しいと思ってくれてるんだ」

 それは光栄だ。
 今までどんな他人にもなんとも思わなかった大瀬良くんが、わたしに対して鬱陶しいという感情を抱いてくれているなら、わたしは他人のなかに埋もれたりしない。
 鬱陶しいと言われて喜ぶわたしを、大瀬良くんは若干ひいたような目で見てから、自分の部屋の扉を開ける。鍵、してないのか。物騒だな。

「じゃあさっそく着てみようか!」
「なんでそんなノリノリなんだよ。きめぇ」
「そりゃあ気分ものるよ!だって大瀬良くんのエプロン姿とか可愛いじゃない!もう見ているだけで幸せ気分だよ」

 頭のなかでエプロン姿で恥じらう大瀬良くんの姿が浮かぶ……いや、浮かびそうになって消えた。恥じらっている大瀬良くんなんて想像がつかない。希少価値すぎる。プレミアものすぎる。絶対に変な趣味したオヤジが近づいてくる。
 とりあえず紙袋から水色のエプロンを出して大瀬良くんに渡した。

「着てみて!」










 全部着せてみた。
 顔が綺麗なせいかやっぱりエプロン姿の組み合わせはギャップもあって可愛かったんだけど、今までそれほど気にしていなかった首や顔の痣がひどく目立つ。
 エプロンを着ているせいか、一見、子どもから好かれそうな印象を持たせるのに、痣が彼の柔らかな雰囲気をどこか憂鬱そうなものに変えていた。まあ柔らかなとは言っても、エプロン効果で大瀬良くんの不安定さをカバーしているだけなんだけど。

「大瀬良くんってなんでいつも怪我してるの」
「転んだ」
「嘘つけ」

 小さい子どもを相手にしている気分。

「誰かに殴られてるとかー?」
「んー……。いや、たぶん違う。それはない」

 視線が泳ぐ。眼球が乾きそうなほど瞬きをしていないけど、そういや兄さんもあまり瞬きが多い人じゃなかったな。
 曖昧な返事に不信感を抱きつつも、残りの4着を紙袋にしまいながら、質問を重ねてみる。地雷を踏まないように、慎重に。

「曖昧だけど大瀬良くんってあまり記憶無いよね。覚えてること、少ない」
「覚えておく必要が無いからだろ」
「違うよ。覚えていたら苦しくなっちゃうからでしょ」

 わたしが風邪をひいたとき、大瀬良くんが自分からわたしを心配してくれた。泰邦さんまで呼んでわたしを気遣ってくれた。それさえ覚えておく必要が無かったと、無意識に判断されてしまっていたとしたら、悲しい。
 あのとき地雷を踏んだのはわたしだった。
 大瀬良くんの発言に腹を立てて、わざと彼が傷つく言葉を言った。
 自業自得、なんだろうな。

「痣だって大瀬良くんが覚えていないどこかで、誰かにつけられたのかもしれないよ。不安にならない?朝に目が覚めて、自分が昨日なにをしたかもわからないのに」

 吸い込まれそうな黒い瞳が縮小と膨張を繰り返す。
 微かに唇が震えているような気がした。
 けれど。
 すぐに大瀬良くんは、またいつもの大瀬良くんになる。逃げ場を無くしてしまっている答えは頭のなかで都合の良いものに変えられて、彼はまた現実を見失う。

「不安になるわけねえじゃん」

 それは彼の精一杯の強がりだった。

「俺、自分にキョーミとか、無いから」



Re: あなたを失う理由。 ( No.119 )
日時: 2012/10/03 18:24
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/





 関心が無いことに対しては、いくら知識を叩き込んだってすぐに忘れる。
 テレビの中でカメラのフラッシュを全身に浴びる大女優の名前や、知らない学校の知らない生徒が妊娠したとか、一昨日の晩に何を食べたかとか。そんなスカスカの情報は脳に留まらず、一日を終える頃にはすっかり忘れてしまう。
 特にわたしは好奇心の塊みたいな奴だから、関心の無いものにはいくら興味を持とうとしても無駄に終わる。逆に、ひどく惹かれるものに対しては自分でも驚くほど足を突っ込んでしまう。例えば、春に起こった女子高生殺人事件とか、夏に起こった連続婦女暴行事件とか、大瀬良くんのこととか。

「あんまり自分がこの先どうなるのかとか、自分が何をしていたのかとか、どうでもいい」

 着ているエプロンを脱いで、手渡される。
 淡い水色で、アヒルのワッペンが縫い付けられている。こういう可愛いの買うくせに、あの人は一度もわたしの前できなかった。たぶん兄さんも母さんのエプロン姿を見たことがないだろう。……あの人も。
 少しだけチリリと痛んだ。
 べつにわたしを好きになってくれなどと、高望みしているわけじゃない。彼氏になってくれだとか、母親になってくれだとか、わたしは一度も彼らに頼んだことはないし。
 だけど、関心を無くされるっていうのは、少し寂しい。

「わたしには……」

 嫌悪感でもなんでもいい。せめて、関心を持って欲しい。

「興味、ないのかな」

 数日前はキョーミが無いとあっさり否定された。
 それがわたしを歪ませたきっかけでもあるけど、また同じことを言われたら、今度は大瀬良くんを土に埋めてしまうかもしれない。

「アンタは変な奴だよ」

 その口調がどこか笑っているように聞こえた。
 でもそれは幻聴だったらしい。
 顔は無表情のままだった。

「へ、変?」
「俺を好きって言うのも変だし、構ってくる理由もわからない」
「それを言うなら泰邦さんだってそうじゃない」
「泰邦は……たぶん、俺の親戚だから。それだけ」

 なんで親戚だから、なのかは分からないけど、とりあえずわたしを「変な奴」という目で見ていることはわかった。
 大瀬良くんが疑問に思っていること全てが「あなたを好きだから」で片付けられるんだけど、根本的な疑問である好きな理由がわからないから、本人も不思議なのだろう。これに関してはわたしも同意する。なんで大瀬良くんを好きなのかわからないほど、自然に好きになっていたんだから。

「大瀬良くん、わたし大瀬良くんのこと好きだよ」

 伝えることはもう躊躇わない。
 言わないとこの人はわからないから。
 殻を必死で割って、わたしだけ中に入れてくれればそれだけで。

「だから大瀬良くんを守ってあげたいよ」








「うぇーい、なんだよー、こんなおっせえ時間帯によぅ」
「こんばんは。まだ夜の8時ですけどね」
「俺にとっちゃあ深夜も同然だ。仁美起こさないといけねえし。……で?なんだよ」
「大瀬良くんにエプロンを着せてたんですよ。ものすごく可愛いんですから。文化祭が二日後にあるんですけど、うちのクラス、お菓子売るんですよね。その販売帯として大瀬良くんとわたしが力を合わせて宣伝するんです」
「そりゃあ……面白そうだな」

 管理人室のパイプ椅子に座って居眠りしている泰邦さんをたたき起こし、大瀬良くんについてのあれやこれを語ってみる。他人に大瀬良くんのことを話すことってあまりないから、ちょっと新鮮。
 ボサボサの髪で眠たそうにあくびをする泰邦さんは、普段のイケメン的な顔(絶対に泰邦さんをイケメンとは認めたくない。絶対に)が台無しになっている。

「文化祭かぁ〜。わっかいねぇ。俺も仁美と行こうかな」
「仁美さんと結婚しないんですか」
「待て待て待て。なんだよ、いきなりだな。話題の矛先をちゃんと一つに絞ってだなー」
「興味のあることに対しては、けっこう食いつくんです」

 わたしとしては、一癖も二癖もある仁美さんと泰邦さんがどうやって知り合ったのかも聞いてみたいけれど。できれば大瀬良くんの幼少期のことも聞いてみたいけれど!
 泰邦さんはほへぇと気のない返事をして、長くて器用そうな手でみかんの皮を剥き始めた。管理人室は暖かそうだ。わたしは寒い。もう秋の季節になって夕方になれば日が落ちるのは早いし、肌寒くなる。

「白い人、見たことありませんでしたか」

 泰邦さんが顔をあげる。
 みかんの皮を剥いていた手は止まった。

「白い……?」
「白というかなんというか、んー……未知というか、未確認生物というか」
「なんだそりゃ」
「言葉で表せないんですね。なんかこう……人間じゃないみたいな」

 自分でも何を言っているのかわからない。ゆとり世代のせいか語彙力が不足しがちだ。頑張れわたし。

「とにかく、変な人です」
「……お前、大丈夫か?」
「いやだから表しづらいんですってば。あー、髪の毛が白くて長い人です」
「なんだその婆さん」
「いやお年寄りじゃないんですよ。わたしと同じか少し年上くらいです」
「知らねえな」

 知らないのか。そうか。別にいいけど。嘘をつくのなら、それでも。

「わたし、白い人が女って言ってないんですけどね」
「はぁ?」
「泰邦さんは婆さんって言ったでしょ。なんでその白い人が女だってわかったんですか」

 不意をつく。先手を打たないと真実が埋もれてしまう。
 なんとしてでもそれは避けたいし。
 泰邦さんは細い目をまん丸にさせて、だけどすぐにそれは元に戻って、口の端をニッとあげた。

「髪が長いっつーと、女と思うだろうが。変なカマかけすんなよ、嬢ちゃん」
「まあ、そうですよね」

 たいていの人はそうだ。
 長い髪の人といえば女を想像する。
 そうやって自分から視野を狭めてしまう。あらかじめ長い髪の人が女ということを知っている証拠にはならない。

「それじゃあ帰ります」
「おう。暗いから気ぃつけろよ」

 泰邦さんが好奈を知っている証拠には何もならない。
 羽を震わせて遠慮もせずに鳴く虫の声を聴きながら、自転車を押す手を止める。
 そうだ。
 大瀬良くんはもう家にいるんだから、わざわざ彼のペースに合わせる必要はない。
 短いスカートが風でめくれないように自転車にまたがり、こぐ。自動的にライトがついて、真っ暗な道の先を照らした。

「寒くなってきた」

 誰も答えないのは分かっているけど、ひとり言を呟いてみる。自転車をこぐペースを速める。帰ったら、教室の装飾用の花を作らないと。ああ、あと美術部の展示用の絵も仕上げないと。
 テーマは生命だっけか。あと二日しか無いけれど間に合うかな。

「間に合わなかったら……どうしようかな」

 怒ってぶつくさ文句を言う三好先輩の顔が浮かぶ。あ、でもあの人、学校にいないじゃん。
 普段から自分に構ってくる人がいないと、少しだけ寂しい。
 大瀬良くんもわたしが消えたらそう思ってくれるだろうか。思わないのかな。




Re: あなたを失う理由。 ( No.120 )
日時: 2012/10/04 19:59
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/



 百々峰高校の文化祭は非公開日が一日、一般公開日が二日の、全部で三日間行われる。文化祭委員と生徒会が企画、予算などを決めて、各学年各クラスがそれぞれ教室内展示やバザー、模擬店などの出し物を一つ決めて、青春してますって顔でイキイキと、興味の無いこちらからしてみれば暑苦しいほどの熱気を伴って接客してくる。
 天気は曇りでさほど暑くないのに、野外ステージで盛り上がっている上級生を見ているとこちらまで暑さが伝達してくる。
 普段はあまり活動の無い文化部も展示やら演奏やらでひどく忙しそうだ。

「えーお菓子売ってマース。美味しいお菓子いかがデスカー」
「…………………」
「大瀬良くんも何か言ってよ。いくら今日が非公開って言ったって、公開日の予行演習みたいなもんなんだから。いまできないと、絶対に本番もできないよー」

 わたしの選んだ水色のエプロンを着た大瀬良くんは退屈そうに、ド派手に装飾された看板を持ったわたしのあとを着いて回る。
 客引きという名の、サボリだったりもする。
 クラスの女子たちはエプロン姿の大瀬良くんを見て黄色い歓声をあげていたけど、大瀬良くんの人を寄せ付けない雰囲気に圧倒されてか、自分から「似合ってるね!」と声をかける者はいなかった。まあ…………似合ってるっちゃあ似合ってるんだけど、やっぱり無表情さが気になる。
 だけどここで大瀬良くんが笑ったら絶対に人気が出るからそれは嫌だ。グルグルする自分のジレンマさに呆れつつ、適当に廊下を歩く。
 お化け屋敷からは女子生徒の悲鳴が聞こえてくる。大瀬良くんって怖いもの平気だったっけ。わたしは大丈夫な人なんだけど、ホラーとかで驚く大瀬良くんって想像がつかない。

「あとでお化け屋敷入らない?」
「…………女って本当にこういうの好きだよな」
「好きだよー。好きな人と入るんだもん」

 女子ぶってみた。割と気持ち悪い。
 すれ違う生徒みんながわたしたちを見てヒソヒソ話をしているけど、それってわたしたちみたいな美男微女カップルが珍しいってことかな。うっはー照れるー。

「あ、はーいそこの人。ちょっと止まってけーい」
「え、あ……はあ」

 諦めたようなため息をつかれる。
 数人の男子グループと回っていた撫咲くんと偶然にも遭遇してしまった。
 撫咲くんはわたしと大瀬良くんを交互に見て、不思議そうに首を傾げる。他の男子は…………表情が固まっている。

「なんですか流鏑馬センパイ。大瀬良さんまで」
「もうそろそろお昼だし小腹も空いただろうからお菓子とか欲しくないかなぁーって。どう、どう?」
「押し売りよりタチ悪いですよ」

 先輩の命令を断れないのが後輩のサガだ。そこを上手く利用してお菓子を大量に売ろうとするわたしの策略がバレているというのか。マジでか。けっこう良い案だと思ったんだけど。

「商売なんてずる賢いほうが繁盛するんだよ。場所は3階だから。ちゃっちゃと買いに行ってね」
「わかりました。そういえば先輩、けっきょく絵は描けましたか」
「あー……明日までなら」
「一般公開なんですから、ちゃんとしてくださいよ」

 撫咲くんのほうが先輩っぽいのは気のせいじゃないな。わたしはどうにも人の上に立つのが苦手らしい。

「わかったわかった。んじゃあ、ちゃんとお菓子買っていってね。友だちと一緒にさ」
「了解です」

 わたしとの会話が終わる。それと同時に男子たちが安堵したように顔を見合わせた。
 わたしではなく、大瀬良くんの存在に固まっていたのだろう。彼は悪い意味で目立っているから。
 撫咲くんたちと分かれたあと、適当に校内をうろつきながら野外ステージで演奏している吹奏楽部の演奏を聞いていた。大瀬良くんは音楽は好きみたいで、たまに窓の外をちらりと見る。

「演奏、聞いていく?」
「あー…………いい」

 素っ気ない返事。顔をこちらに向けるときに伸びた髪が揺れる。

「なに」

 あ、見すぎた。
 黒い瞳に吸い込まれそうな感覚。逸らしたいけどできない。
 綺麗な顔だ。目や鼻や口をとってもどれも美形のパーツばかりが揃っている。美形だといえば美形なんだけど、造られた人形のようで触れれば壊れるほど儚い印象があった。
 初めて会ったときもこの雰囲気に惹かれたっけ。
 クラス替えで一人だけ浮いていた。
 人を寄せ付けず、自己紹介のときも何も言わず、誰も彼に近づかない。かといってそれが当然だというふうに自分自身が認めてしまっている。きっと特殊な高嶺の花なのだろう。

「いやーなんでもない」

 大瀬良くんの手をとる。振りほどかれると思ったけどされなかった。相変わらず何を考えているのか分からない無表情っぷり。
 本当に人形みたいだな。
 なかよしこよしで廊下を歩く。肌に穴が開くほどの生徒からの視線も今となっては心地いい。マゾにでもなったのかな、わたし。性的な悪癖は無いとこの十七年間信じてきたんだけど。

「あと数時間で非公開終わるねー。明日からは一般公開だけど、他校の女子からナンパとかされたら、わたし遠慮なくそいつら蹴るから」
「勝手にしてろよ」






               ☆





 雨の日はいつもその子がくる。
 ねっちゃあと笑っているけど、ほんとうはけっこう、苦しいんだって話していた。
 お祈り以外はぜったいに喋っちゃいけない僕となかよくしてくれる。
 べつに頼んだおぼえとかないんだけど。なんとなく、この子は好きになれるような予感がしていたから。

「ねぇ、カミサマ。なんでカミサマはカミサマなの」

 その日もその子はやってきて、大人たちが会議している時間をみはからって、僕のところへやってきた。
 そしてとうとつに、僕の存在を問うた。僕にもわからない、僕のいる意味。

「わかんない」

 しょうじきに答えてみた。
 その子は目を丸くして、犬用のゲージのあいだから指を差し入れる。舐めてみた。すっぱい味がした。

「きれいな髪の毛なのにね」

 舌を指でなぞられる。
 腰まで伸びた僕の髪の毛は白くて、ほかのみんなとは違う。気にはしていない。僕はカミサマだから、あたりまえのことだから。

「ねえ、ヨシナ」

 なまえが呼ばれる。
 指をくわえたまま顔をあげると、その子が笑っていた。あいかわらずねちっこい笑顔だった。

「アタシ、ヨシナのことね」

 明かりが、僕らを照らす。いままで暗かった部屋が光でいっぱいになる。
 野太い声。男たちが怒声をあげながら入ってくる。
 その子はひどく泣いていた。男たちがなにか言いながらその子をなぐったり、けったり、服をぬがしたりしていた。悲鳴をあげているその子はちゃんと胸があった。

「汚らわしいだろう、カミサマ」

 それは僕になげかけられた言葉だった。
 近くに立っていた男がゲージの外から僕を見る。

「お前はな、あいつが話しかけていい奴じゃないんだよ。不幸なガキだ。だからあれほどカミサマに会うなと言ったのに」
「僕に会ったからああなってるの」

 ひどくいたそうに叫ぶ。
 僕としたときは、あんなに可愛く泣いていたのに。



 しばらくして。



 さっきの男が、引きづられながら部屋から出て行ったその子の内股から流れ出た血を拭き取る。

「ねえ、おにーさん」

 僕はひさしぶりに儀式以外で声をだした。

「さっきの子、僕の前に連れてきてよ。そうしたらあの子の苦しみ、ぜーんぶ、僕が背負うから」
「それは無理だなカミサマ」

 あっさりと否定される。
 僕にしかできないことのはずなのに。それができなかったら僕はいったいなんのためにここにいるんだろう。

「あのガキはもう終わりだ。ヒカリの教えはカミサマへの汚れを許さないだろうからな」

 僕がその汚れを落とすのに。
 そう言ったら男は肩をふるわせて笑った。なんだかのぺーっとした声で。
 カミサマなんてべつにいなくてもいいんじゃないかな。
 もういちど声をだしてみる。
 僕なんてカミサマじゃなくて、ただのニンゲンじゃないのかな。
 男はすこしだけ答えにまよったようで固まっていたけど、すぐにまた悪だくみをしているように笑う。笑うのが多い人だ。

「それは俺が許さねーよ。カミサマ」




Re: あなたを失う理由。 ( No.121 )
日時: 2012/10/06 19:53
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/






 文化祭の非公開日が終わって、長々と教師の話を聞き終えたあと、一気に祭りを終えた達成感と開放感が生徒たちを満たして、やれ打ち上げだのなんだのと周りが五月蝿い。打ち上げもなにも、まだ文化祭は始まったばかりで一般公開はまるまる二日も残っている。
 今から完全燃焼してたら残りはただ灰になるだけだぞ。ちゃんと燃費よくいかないと。
 うちのクラスのお菓子販売はあまり良くなく、これもわたしと大瀬良くんの消極的な客引きのおかげといえる。
 明日の打ち合わせやら今日の反省会を教室でしたあと、一足先に教室から出て行く大瀬良くんの後を慌てて追った。今日も大瀬良くんの家に行けるのなら行きたいんだけど、まだ完成していない美術部展示用の絵を描かないといけない。撫咲くんをあれ以上失望させて、先輩としての威厳を欠くことは避けたいし。まあとっくにそんなもの無いんだろうけど。

「大瀬良くん、途中までだけどいっしょに帰るよ。いいでしょう」

 大瀬良くんは黙ったまま歩くペースを少しだけ落とす。
 返事が無いということは勝手にすればということだと勝手に解釈しているけど、あながち間違いじゃないと信じたい。こうして歩幅を合わせてくれる気遣いが大瀬良くんにも芽生えてきたってことは、たいした進歩だ。
 ふたりで一緒に下校するのもこれで何回目だろう。噂好きのクラスメイトがあることないことペラペラ喋ったせいか、校内では既にわたしたちが付き合っているという噂も流れているらしい。
 まったく噂を流すほうも信じるほうも勝手だけど、わたしたちに聞こえないように話してほしい。面と向かって言われなきゃこちらだって否定もできないのだから。
 駐輪場で大瀬良くんと分かれる際、あまり期待せずに「ばいばい」と言ってみた。
 やっぱり返事は無かったけれど、大瀬良くんの唇が僅かに開いたのが見えて、聞こえなかっただけで実はちゃんと返事をしてくれていたのかもしれないと、少し幸せな気持ちになった。

「もーう、大瀬良くん好きすぎだよ……」

 彼の背中にぶつけた告白はきっと届いていない。
 だけど、振り返ってわたしを抱きしめてくれそうな気がして、しばらくはそこから動けないでいた。
 どんなに待っても、彼はそんなことしないと頭ではわかっているけれど。











 文化祭一般公開は思った以上に人が多かった。
 もともと生徒数も多いが、家族やOBや他校生がぞろぞろと派手に装飾された校門をくぐる。
 アニメやゲームのキャラクターのハリボテが体育館前に並んでおり、設置された野外ステージでは漫才研究会のお笑いコンサートが始まっている。体育館内ではコスプレショーが行われ、熱狂的に燃え上がっている団体もいた。
 昨日より断然燃える気でいる生徒たちのやる気は見ているだけで本当に暑苦しい。いま、9月の終わりだぞ。
 昨日はあまり人が来なかったうちのクラスにも子供連れのお客さんがごったがえして、なかなか忙しそうだ。このままだと販売係に回されそうだったので、慌てて廊下に出る。

「大瀬良くん、そろそろエプロン着替えて。ちゃっちゃと客引き行くよ」
「めんどくせえよ」

 この人の多さにやる気を喪失しているのか、教室の外でぼんやりと立っている大瀬良くんが迷惑そうに眉をしかめた。
 面倒くさいもなにもサボるための客引きなんだから早く行こうと言うと、しぶしぶ納得してくれた。
 大瀬良くんがエプロンを着ているあいだ、派手に飾り付けられた看板を持つ。お菓子売り場の宣伝なんだろうけど、さすがにこうもごってごてだと重い。

「よし……行くかな」
「お、嬢ちゃんじゃねえか。重たそうなもん持ってるなぁ」

 聞き覚えのある声がして、振り返らずともそれが誰だかわかる。
 まさか本当にくるとは思わなかった。

「しかし悠真のエプロン姿、マジで似合ってねえな。期待してたとおりだわ」
「確かに。なかなか面白いものだ。それより自分はこのお菓子が食べたいのである。泰邦、財布を出してほしい」
「おー買え買え。ん?あーでもバザー券じゃねえと交換できねえんじゃなかったっけか。どうだった、嬢ちゃん」

 土曜日だというのにビシッとスーツで決めている泰邦さんと、思いきり部屋着用のジャージを着ている仁美さんがいた。
 このふたりは私服を持っていないのだろうか。しかも、校内では禁煙だというのに堂々と泰邦さんは煙草を吸ってるし。

「えっと……隣の教室でバザー券が買えるので、そっちに行ってください」
「泰邦、なんで来たんだよ」

 軽く目眩さえしながら答えた。
 大瀬良くんは二人が来ることを予想していなかったらしい。鋭い視線で泰邦さんを睨みつける。
 ……泰邦さんにはこうして表情を変えるのか、とくだらない嫉妬をしてしまった。抑えろ、わたし。

「嬢ちゃんからエプロン着てる悠真が見れるって聞いてな。ほんの遊び心で」
「着たくて着てるわけじゃねえよ」
「わかってるって。ほら、嬢ちゃんとどっか行くんじゃねえのか?」
「そうだよ大瀬良くん。さっさと客引き行くよ!」

 こんなところで立ち止まって話してたら色々な意味で怪しまれる。また噂に厚塗りがされていくのは喜ばしいことじゃない。
 ニヤニヤと笑い手を降る泰邦さんたちとひとまず分かれ、わたしたちは野外ステージのある中庭に行った。







 野外ステージの周りは人が多すぎて人酔いすると大瀬良くんが嫌がったので、わたしたちは人気のない旧校舎付近を歩いていた。

「ここ、取り壊せばいいのにねぇ。古いし」

 遠くから落し物のアナウンスを聴きながら呟く。
 旧校舎は三階の一棟建てで、いまはもう使われていない。さすがに文化祭のような盛況なお祭りにこんなところまで来る人はいないだろう。

「ここらにいれば人に見られないし」
「じゃあなんのためのエプロンなんだよ」
「わたしの観賞用に決まってるじゃない」
「…………………脱ぐ」
「だあああああああ!だめだから!冗談ですから!いやそれも八割くらいあるんだけど、でも違うから!客引きのためだからっ!」

 本気で脱ごうとしている大瀬良くんの腕を掴み、必死で説得する。
 わかった、というよりは呆れたといったほうがいいかもしれない。微小に眉をしかめ、口からため息を零される。その唇から微かに聞こえた息の音が、わたしの頬をほんのりと赤くさせた。

「耳がキンキンする。うるせえ」
「あ、ごめん」

 慌てて離れる。おおう、なんだこのドキドキ少女漫画的展開は。恋をしているからこそ味わえる青春の甘酸っぱい記憶というやつか。大瀬良くんにそんなもの期待しちゃダメなのに。

「ていうか歩き疲れたから、俺寝るわ」
「ああそう。そうだね……って、は?」

 旧校舎に勝手に入る大瀬良くんの背中を追いかける。無断で立ち入っちゃダメだと、今日の朝礼で言われたのに。
 見つかって面倒くさいことにでもなったら、有意義な大瀬良くんとの時間を先生とのお説教で潰されるかもしれない。
 寝ている大瀬良くんも間近で見たいけれども!

「ていうか、鍵がなんで開いてんのよ……。あれだけ注意してたんなら、先生もちゃんとカギくらいかけろっつーの!」
「いや……鍵っちゅーか、ガラスが割られててそこから誰かが手をつっこんで鍵を変えたっぽい」
「はっ?」

 振り返る。
 確かに扉の窓は割られている。あれだったら拳は余裕で入るだろう。廊下のほうにガラスの破片が落ちているところを見ると、誰かが外から割ったのだろう。

「いやいや……それって危ないじゃん。誰かがいるってことじゃん」

 誰がなんのために扉の窓を割って侵入したのかは知らないけど、どちらにせよ、あまり良い人物がこの先にいるとは思えない。
 それでも大瀬良くんは自分の睡眠欲に逆らえないのか、ずいずい歩いていく。
 廊下を歩いて、一番奥の教室を開けた。

「ここじゃすぐ見つかるか」
「大瀬良くん、ねえ、聞いてる?」

 無視。そのまま彼の足は階段に向かう。
 なんだろう。なんだか嫌な予感しかしない。杞憂であってくれれば嬉しいんだけど。
 無言で最上階である三階まで登っていく大瀬良くん。頑固な彼は自分の考えを曲げることは無いらしい。仕方なくついていく。
 三階にたどり着き、廊下を渡り、たぶん適当に選んだ教室の扉を開ける。

「…………………」
「…………………」
「…………………」

 わたし、いま、何か持ってたっけ。
 ナイフとか、石とか、尖った鉛筆とか。
 ああダメだ。
 持っているのはギラギラに飾られた看板しかない。装備も防御も低レベルだ。こんなんでラスボスに挑んじゃあ負けるの確実じゃん。

「ユウマ」

 そいつが、軽々しく、大瀬良くんの名前を呼ぶ。
 いちばん危険で、いちばん恐れていて、いちばん嫌いな、そいつが。
 好奈がそこにいた。


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