複雑・ファジー小説

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あなたを失う理由。 完結
日時: 2013/03/09 15:09
名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/

どうも 朝倉疾風です。





性描写などが出てきます。

嫌悪感を覚える方はお控えになってください。



主要登場人物>>1

episode1 character>>4


episode2 character>>58


episode3 character>>100


episode4 character>>158



小説イメソン(仮) ☆⇒p


《episode1》
・まきちゃんぐ / 煙
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=kOdsPrqt1f4


《episode2》
・RURUTIA / 玲々テノヒラ
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=wpu9oJHg2tg


《episode3》
・kokia / 大事なものは目蓋の裏
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=LQrWe5_q6-A


《episode4》
・Lyu:Lyu / アノニマス
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=lSFYtyxojsI


執筆開始◎ 6月8日〜



Re: あなたを失う理由。 ( No.122 )
日時: 2012/10/13 15:18
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/



 目の前にいる「未知」を理解できなかった。
 そいつは初対面のときに着ていたフード付きパーカーをしっかり被って、髪の毛の一本も服の外へこぼれないようにしている。微かに生えている眉毛も白く、色のせいで目立つ前髪は眉上まで切られている。生まれつきなのか色素の薄い眼球をこちらに向けた。目が合う。緊張で吐きそうになった。
 机の上に座って、手元にはなにか、肉の塊を握っていた。もぞもぞと蠢くその体毛を見るに、小動物かなにかだろう。
 短いスカートからのぞく細い太ももにはその血が付着していた。
 目線を好奈から外さず、どうやってそいつと対話していいかわからず戸惑う。対話……できるのか。相手は絶対に正常な頭を持っていないだろうし。
 それよりも、大瀬良くんからこいつを遠ざけなきゃ。
 どうしたらこいつを、「ああああ ああ  あああああああああああああああああああああああああ あああ ああ ッ、 あああ  ああああああ  あ  あああ  ああ   あ  、ッ!!」

 近くで何かが爆発したのかと思った。
 目の前にいた大瀬良くんが暴れ、振り上げられた腕がわたしの頭部を直撃する。いきなりのことだったから庇いきれず、その衝撃で後ろに尻餅をつきそうになった。なんとか堪えて、痛む頭を抑えて、崩れていく大瀬良くんを眺める。
 火で焼かれるムカデのようにジタバタと、意味不明に無茶苦茶に暴れまわる大瀬良くんを、好奈は微笑を浮かべて見つめていた。

「ユウマ、なんでいつもそうなっちゃうのさー。オレ、ユウマのこと大好きなのに、ッ」

 気づけば。
 持っていた看板を思いきり好奈の頭に振り下ろしていた。側面ではなく、角の方を向けて。
 守らなきゃ。
 大瀬良くんを。
 すごく苦しんでいる。
 守らなきゃ、守らなきゃ、守らなきゃ、守らなきゃ。
 だから、殺さなきゃ。

「あんた、なんなの。大瀬良くんの、なんなんだ」

 フードがとれて、真っ白な長い髪が宙をかく。
 血の飛沫が頬に飛び散ったけど気にしない。机から床へ細い体が落ち着。
 看板、もう一回振り下ろしておこうか。動きを止めないと。
 後ろで大瀬良くんが吐いている音が聞こえてる。早く抱きしめて大丈夫だよって安心させたいのにそれができないから辛い。
 待ってて、大瀬良くん。わたし、ちゃんとあなたを守るから。
 今度は頭を割るくらいの勢いで叩かないと。
 振り上げる。
 殺人者になったら刑務所に入って大瀬良くんに会えなくなるかもと、一瞬だけそんな考えが頭を掠めたけど、そんなのもういいや。
 大瀬良くんを守れなかったら会う資格なんて無いし。

「たんまーたんまー」

 場の雰囲気に似合わないのんきな声がわたしの動きを制する。
 床で横たわる好奈は上半身だけを起こして、額から流れる血を気にもせず笑顔を絶やしていない。

「なんでオレを殴るわけー。オンナノコが暴力とかマイナスだと思うよぉ。……ん?んんんー?」

 目を丸くさせて好奈がわたしに近寄ってくる。
 なんだこいつ。
 腕を掴まれ、顔を見下ろされる。

「きみ、前に会った子だね。視力悪いからよく見えなかったー」
「離せ白髪。わたしから離れろ」
「なぁに怒ってんの……?それにオレはオンナじゃないよ」
「ならよけい離せ」

 とにかく冷たい手の平から逃げたくて振り払った。
 その際に看板を落としてしまう。拾うわけにはいかない。一瞬の隙を見せたら、こいつがいつ大瀬良くんに触れるかわからない。

「お前は大瀬良くんのなんなんだ。お前はなんでここにいるんだ。答えて」
「オオゼラ……。前も思ったんだけど、それってユウマのことー?オレはオオゼラとか聞いたことないんだけどさー」
「はやく答えて!」

 昔の大瀬良くんと関係のある奴か。どうして大瀬良くんがこんな反応を見せるのか。大瀬良くんになにか悪いことをした奴なのか。
 聞きたいことは色々あるのに、ヘラヘラと薄気味悪く笑っているこいつの態度に腹が立つ。

「オレはユウマのなんなんだろー。んーとー、そうだなー。一言で言っちゃうと……トモダチ、かな」

 友だち?大瀬良くんの?……こいつの言うことを信じていいのか。そもそもこいつの言う「友だち」が世間一般の常識と同じ考え方に基づく人間関係であるはずがない。
 「友だち」を見て嘔吐する人間なんていないんだから。

「あー!」

 いきなり大声を出して、好奈がわたしを指差す。

「お嬢ちゃんの名前を思い出したよ!笑日!私……じゃなくて、オレが名前を覚えてるなんてビックリだ。たぶん長い付き合いになるね」
「それは遠慮しておく」

 視界に、さっきの小動物の死骸が入る。大きさ的に猫。内蔵がザクロの実のように散らばっていて、遠目から見ればなかなか鮮やかで綺麗かもしれない。ただ、嫌いな人は見ただけでしばらくは肉が食べれなくなるだろう。
 脳裏に過去の兄さんの姿が浮かんでは、消えた。それを振り払い、わたしは慣れない嘘をつく。

「あの猫、わたしの家のなんだよね」
「ふぇ?そーなん、ッだ!」

 一瞬だけ。視線がわたしから猫に逸れたのを見逃さず、床に落ちていた看板を拾って思いきり好奈に振り下ろした。振り下ろすまでの時間が空いて、好奈が左腕で看板を止める。止めるといっても、腕には見事に看板が激突し、皮膚が裂けて多少の血が出る。
 よろめく好奈は尻餅をつかずに足で踏みとどまった。

「なんで叩くの」

 ひどく困惑した表情。
 先ほどまでの笑みは無い。

「きみも何か悪いことしちゃったのかな。だから俺を叩くの?」
「…………は?なに言ってんのアンタ」
「きみは何も悪くないんだよ。オレがきみの罪をぜーんぶ洗い流してあげるから」

 ──あ?なんだ?この、違和感。
 腕が伸びてきて前から抱きしめられる。そこまでの動きはゆっくりでスローモーションのようなのに、拒めなかった。
 白か青に近い瞳の色がわたしの目をじっと見つめる。額から流れる血が、好奈の白い前髪を赤く染めていた。

「オレはカミサマだから、きみの痛みを和らげることだってできるんだよ」
「えっ?」

 その言葉は覚えがあった。
 千隼くんが言っていた悪趣味な宗教団体のこと。集団で行われた児童への性的虐待。二人の信者の撲殺死体。そして大瀬良くんの母親と宗教団体との関連性。
 ヒカリの教えの復興の影。

「ユウマの罪は、オレには洗い流せなかったんだけどね」

 大瀬良くんの罪……?
 わけがわからない。何を言ってるんだこいつ。
 カミサマだかなんだか知らないけど、大瀬良くんに罪なんて無いし、仮にあったとしてもそれを洗い流すなんてことは好奈にはできない。カミサマじゃない、ただの人間なんだから。
 ただの人間…………。確かに外見は人間というよりはカミサマに近いのかもしれない。
 けれど、こいつはただ建築作業の途中に横槍を入れられただけの、どうしようもなく歪んで育ったただの人間だ。
 そうだ、「未知」なんかじゃない。
 カミサマなんかでもない。

「大瀬良くんに近づかないで」

 カミサマよりも人間のほうがよっぽど怖い。

「それはできないなぁ。どうしてもユウマがいるの。オレにはユウマが必要なの」
「なら、わたしが大瀬良くんの代わりになる」

 わたしを抱きしめる力が少し弱まった。
 不思議なものを見るような目で好奈がわたしを見下ろしてくる。
 そして、血でべっとりとした顔で笑った。

「それ、いいね」


Re: あなたを失う理由。 ( No.123 )
日時: 2012/10/13 15:15
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/




 それ、いいね。


 この言葉をどんな意味で言ったのかわからないし知りたくもないけど、ちょっとでも大瀬良くんへの興味をこいつが無くしてくれるのならなんでも良い。
 今まで見ていられないほど苦しんでいた大瀬良くんは、奇声をあげるのを止めて吐瀉物のなかに顔をうずめて静かにしている。壊れた人形のようだった。綺麗な顔が汚れているんだけど、そんなことを気にしている場合じゃないな。

「昔ね、オレにもトモダチがいたんだよねー」

 突然そいつはそんなことを言い始めた。
 わたしの両肩に手を置いたまま、その目はわたしでも大瀬良くんでもない何かを見ていた。

「変なやつでさぁ、オレにずっと話しかけてくるんだ。最後までオレはその子のこと、トモダチだと思っていたのかどうかわかんねーんだけどー」

 自分の過去を語る割にはあまりにも淡々としていてひどく粘つきのある口調。だけど気味が悪いほど心地よく心に染み渡ってくる。語る好奈の声が聞きやすい低音のせいかもしれない。

「そのトモダチが言ったの。ユウマをあげるーって。だからユウマはオレのもんなの。だけど…………笑日もユウマが好きみたいだねー」
「愛してるよ。友だちなんかじゃない。恋愛対象として見てるよ」
「そっかぁ。でも残念だけどユウマはやっぱりあげられないかなぁ」
「アンタは大瀬良くんに何がしたいの?大瀬良くんをどうするつもりなの」

 好奈の手がするりとわたしの肩を撫でて、額で固まっている血をパーカーの袖で拭った。

「どうって……べつに、どーもしないけどぉ。強いて言うならそうだなぁ」

 拭った手の拳が握り締められる。好奈が人を殴る構えになっていることに気づけなかった。
 迂闊だ。
 あれほど警戒心を絶やしてはいけないと言い聞かせていたのに。
 殴られる、と思ったときには既に、拳は目の前に迫っていた。

「一日中ユウマの穴にハメていたいかなッ!!」「ッ、あ」

 女性の力とは思えない強さで頬を殴られる。
 殴られるのは久しぶりだ。昔はよくあった。あの頭の螺子が足りていない男に似ている。人を殴っておいてもなんとも思わない、ストレスのはけ口にしか子どもを使わない、血が繋がっていると思いたくないあの男。

「が……はああああああああああああああああっ」

 見事にわたしの体はよろめいて、近くにあった机に激突する。
 頬がじんじんする。痛いというよりは熱いかもしれない。涙が自然に出てくる。視界が歪んでくらくらする。ここで気を失ったらダメだ、耐えろ、わたし。
 起こそうとした上半身の上に何かが乗る。
 好奈だった。
 わたしの腹部の上に躊躇なく腰を下ろし、両腕を拘束される。
 振りほどこうともがいたら、また頬を殴られた。唇が切れて口のなかに血の味がする。

「さっき笑日は自分がユウマの代わりになるって言ったよねぇ。代わりになれるのならなってみれば?ぜーったいに無理だから!無理無理無理無理無理無理無理!不可能!オレはユウマじゃないとダメなんだよ。ユウマがいいの。だってユウマは俺と同じだーかーらーねー!俺と同じカミサマだもんねー!」
「わかった……わかったから、好奈、重い……」

 見下ろされる狂気に満ちた目に耐え切れず、承知したふりをした。
 途端に、血走っていた瞳が和らぎ、口元も柔らかく微笑む。
 優しくわたしの頬を撫でるその指先が冷たくて、背筋に寒気が走った。

「ねえ、笑日。ユウマってね抱きしめるとすっごく震えるんだよ。小動物みたいに……。オレはそんなユウマがすごく可愛くて、傷つけたくなるよ」

 頭に、さっきの猫の死骸が浮かぶ。抑えられていた欲求は無力な小動物に向けられているってわけか。悪趣味にもほどがある。
 だけどなによりも大瀬良くんがこんな狂ったイカレ野郎に犯されたという事実がショックだった。体を売っていることは知っていたけど、まさかこいつともそういう関係でいたのか。

「大瀬良くんとお金を引換にそういうことしたの?」
「オカネ……?なに言ってんのー。オレはユウマにお金なんか求めないよ。オレはね、ユウマの罪を洗い流すためにあの子を抱いたの」

 やっぱりだ……。間違いない。
 こいつはヒカリの教えの信仰者だ。
 神は人の罪を洗い流すとヒカリの教えは説いていたはず。だとすれば好奈はヒカリの教えの「カミサマ」だったのだろう。
 その幻想的な白い外見は確かに歪な神に依存しておかしな考えをしている奴らからして見れば、神聖なものとして崇め称えられてもおかしくない。
 大瀬良くんの母親がヒカリの教えの使徒だったらしいけれど、そこを通じて彼と出会ったのか…?

「だからユウマは“何も覚えていない”でしょう?」

 その言葉が妙に引っかかる。
 何も、覚えていない。
 大瀬良くんを見る限り、心理性の記憶障害があるのは確かだと思う。わたしが迫ったときも、風邪をひいたわたしを自宅に招いたことすら覚えていなかったし。

「オレが洗い流せば洗い流すだけ、あの子はぜーんぶ忘れちゃう。それでいいんだよ。“痛み”はオレが背負うから」

 もし今までわたしが知らないところで、好奈が大瀬良くんと接触していて、それを大瀬良くんが忘れているのだとしたら。
 大瀬良くんを守れていないわたしは、一体、なんだったんだ。









                ☆





 僕とトモダチになりたがったその子は、僕の目の前で儀式をされて、その日から来なくなった。
 べつに悲しくはなかったし、かといってまさか嬉しいと思うわけでもない。
 ただ、あの子がくれた飴はおいしかったから、また食べたいと感じるだけで。

「お前は自分の境遇が不幸だと感じたことはあるか」

 かわりに、そのときから少しずつ話しかけてくる男がいた。
 信者のなかではすごく偉い人で、どうやら僕のことが好きらしい。
 いまもひどく汚れた僕の体をていねいにタオルで拭きながら、世間話のようにむずかしいことを聞いてきた。

「いやぁー思わないかなぁ」

 だってここでしか僕は生きていけないみたいだから。
 みんなが嘆く「不幸」がどれほどつらいのかなんて、僕にはわからないことだし。
 男は笑って僕の頭を撫でてくれた。その手はするりと首元までおりてきて、僕の胸に触れる。

「心臓、あるんだな」

 やさしい声だった。
 だけど僕だってそこまでバカじゃない。
 心臓が無いと生きていけないのは知っているし、それが動かなくなればずっと眠ってしまうことも知っていた。

「アンタは僕に洗礼を求めてこないんだねー」
「洗い流す罪も無ぇからな」
「ふうん。なら、アンタに僕は必要ないね」

 必要がないのならこの男に触れることもできない。それが少しだけつまらないと思った。
 オトコでもオンナでも僕に触れたり触れられたりする奴らはみんな、死ぬほど嬉しそうにするのに。

「いや。そうでもねえよ。お前が大きくなったら嫁にもらいにくるかも」
「きっししししししし。僕、オトコだよー」
「ばーろー。ちゃんと“私”って言え。綺麗なツラしてんだから」

 しょうじき、自分がどちらの存在なのかわからない。
 オトコだとかオンナだとか、体の仕組みを誰も教えてくれないから。

「お前は、綺麗だよ」
「くっさいにおいをしてても?」
「ああ」
「でもおしっことか舐めるときあるよー」
「綺麗だよ」


 そう言って抱きしめる男の腕は暖かかった。

 少しだけ、
 自分の異様な白い髪が好きになれた気がした。
 この男がいるのなら、痛いことばかりされる儀式も、人間と絡み合う洗礼も、そしてあの子のことを思い出す時間も、ぜんぶ忘れられると思った。
 僕にとってのカミサマは、この男だった。







 ヒカリの教えが壊されたのは、それから百四十日後のこと。


Re: あなたを失う理由。 ( No.124 )
日時: 2012/10/16 14:39
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/



              03



 ひどく頭痛がする。
 気を失っていたわけじゃない。ちゃんと起きていた。
 ヨシナが軽い足取りで教室から出て行くのも、今日の文化祭の終わりを告げる放送が流れたことも、両目から何年かぶりに涙が流れたのも、すべて覚えている。
 濁った視界は涙で洗われて、瞬きをすると鮮明に世界が見えてくる。
 わたしの世界。
 そこにいるのはいつだって一人しかいない。

「泣いてんのかよ」

 ああ、本当だ。泣いているのかもしれない。
 手の甲で拭ったけど次から次から溢れてくる。

「なんで泣いてんの」

 大瀬良くんがわたしの頭に触れる。
 顔をあげるといつもの大瀬良くんがいた。視線を床に移すと、確かにそこには彼が苦しんだ痕が残っている。

「大瀬良くん……大丈夫だった?」
「なにがだよ」
「なにも……覚えてないの?」

 なのに彼の記憶は抹消されている。自分の地雷を踏むすべてのものが、彼自身を苦しめるすべてのものが、都合良くできた偽物ばかりの世界を作り上げる。
 不思議そうに首を傾げる大瀬良くんは、きっとさっき会ったヨシナのことも覚えていないだろう。
 あれほど吐いてエプロンも汚れているのにいっさいそこに触れない。自分の恐怖の対象となるものには目もくれず、自分に優しさを与えてくるわたしを心配する。

「俺はなんでアンタが泣いてんのかがわかんねーよ」
「本当になにも覚えてない?なにも?」
「うるせーな。アンタ、頭ちょっとおかしいんじゃねえの」

 覚えてない。
 好奈のことも、ぜんぶ覚えてない。 いま、彼が捉えているのはわたしだけ。
 彼が覚えていないのなら、わざわざ辛い過去を思い出させる必要もない。あんな苦しい思いはもうさせない。
 今度こそ。
 わたしは大瀬良くんを護る。
 ヒカリの教えから、あのヨシナから、大瀬良くんに触れようとするすべての「本物」から。

「そうだね。たぶんわたしは大瀬良くんにイカれちゃったんだよ」
「はぁ?」

 立ち上がる。
 もう、ただの恋愛感情じゃない。
 わたしにとっての絶対は大瀬良くんだから。それを奪おうとする奴らは全員敵だから。
 溢れてくる感情を制御できずに、思いきり大瀬良くんを抱きしめる。吐瀉物が服に付着するけれど気にしなかった。
 わたしより大きいその背中に手を回して、泣きじゃくりながら、わたしは大瀬良くんのすべてを包みたいと思った。

「わたしは大瀬良くんを愛してるよ」

 どうしようもなく弱いこの人を、優しく包めるだけの強さがわたしにあったならよかったのに。
















「ま、こういうわけがあったからさ。ちょっとヒカリの教えについて千隼くんに聞いておきたかったってわけ。以上でわたしの話は終わり」


 この時期になると六時を過ぎると外は真っ暗になる。
 街灯の下で千隼くんを呼び出して立ち話しているけど、街灯が無ければ相手の顔さえわからないかもしれない。それまでの会話は一度中断されて、無言の時間が流れていた。
 肌寒いから自販機でコーヒーを買い、それを飲み干した頃、千隼くんは深く長いため息をついた。

「大瀬良のためなら本当になんでもしちゃうのな」
「あたりまえじゃない」

 呆れられているかもしれない。愛を信じていない千隼くんにとって、わたしほど滑稽な人間はいないだろうから。
 想像通り、千隼くんは心底バカらしそうに笑い、わたしを指差した。

「流鏑馬、お前はバカだよなぁ。俺よりバカだ」
「恋は盲目ってことよ。バカなのは自覚してる。わたしは大瀬良くんのことになると本当にバカになる」

 自分が死んでも構わないと思っているあたり、医者でも治せないのかも。
 本音を冗談風に言うと千隼くんはまた笑った。
 眼鏡の奥の目を細めてわたしを見る。

「やっぱりおもしろいね、お前は。俺は流鏑馬が嫌いじゃないよ」
「わたしは千隼くんが大嫌いだけどね」
「そうやって嫌悪感をぶつけてくるところとか、特に」

 ああ、精神的マゾだったっけ。そういやそうだったな。
 飲み干したコーヒーの缶をゴミ箱に投げ入れる。上手く入ってくれた。

「おお、ラッキー」
「そういう小さなラッキーはもしもの時までにとっとけよ」

 笑っていた千隼くんの顔が急に真面目になる。
 ここからシリアス展開なのだろうか。空気を読まないと怒られる場面だといけないから、わたしも気を引き締める。

「俺はお前に死んでほしくねえな。だから大瀬良にも関わってほしくないし、あいつのこともそっとしてやってほしいんだけど。お前はあいつといる限り、あいつを護ろうと必死になって、その結果自分が死んでもいいと思っているみたいだしな」

 それほど大事な存在だからね。

「大瀬良の母親がヒカリの教えと関わっていたのは確かだ。いまヒカリの教えが復活しようとしているのも確か……あー、それはあんま断定できねえな。まあお前の言うヨシナって奴がホラさえ吹いてなけりゃ」

 タチの悪い冗談だったらよかったのに。

「もしいまヒカリの教えが俺らの知らないところで復活していて、信者を募ろうとしていたら」
「カミサマは大瀬良くんを逃がさないだろうね」

 どちらにせよ、カミサマが──ヨシナが大瀬良くんに執着しているのはわかった。
 二人の間に何があったかなんて知らないし、記憶の無い大瀬良くんを質問攻めしたところでまた苦しめてしまうだけ。わたしにできることは直接ヨシナと対峙すること。

「千隼くん、分かってると思うけどこのことは誰にも内緒ね。お父さんにも言っちゃあダメだよ」
「言わねえよ。俺はあくまで傍観してるだけだから」
「ありがとう」

 素直に礼を言うとものすごく驚いた顔をされた。そんなに意外なことを言っただろうか。
 見開かれていた目は柔らかく細められ、初期の優しくてあたたかい印象を持つ千隼くんに雰囲気が戻った。

「ま、せいぜい頑張んなよ。失恋して泣いても慰めてやんねぇし」
「そんなの誰も望んでない。さっさと帰った帰った」
「呼び出しといてそりゃないだろー流鏑馬」
「あーはいはい」

 うだうだ言う千隼くんをほっといて暗い道を歩く。
 大瀬良くんはいま何をしているんだろうと、やっぱり考えるのは彼のこと。


Re: あなたを失う理由。 ( No.125 )
日時: 2012/10/17 13:14
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/



 学校を無断欠席するのはこれが初めてじゃない。
 小学校のときは体の痣や傷を見られるのが嫌で嫌でたまらなくて、よく日曜日の晩には翌日から始まる五日間の集団生活のことを考えては、胃液を便器に吐き出していた。特に夏の体育、プールの授業がある日は最悪で、その日は決まって学校を休んでいた。とはいっても家にいてもどうせ怪我が増えるだけなのだから、学校に行くふりをして、学校とは逆の方向へ走ってサボることが多々あった。
 現状は昔とまったく違う状況だけど、それでも無断欠席するときは嫌でも過去の蓋がガタガタとこじ開けられる。
 文化祭は今日で終わりで、色々と校内の片付けとかあるんだけど、それはクラスのみんなに任せよう。
 大瀬良くんは、学校に行っただろうか。
 もし今日もあいつが来ていたら……大瀬良くんはどうなるんだ。ああああああ、考えるな考えるな。それを食い止めるために、いまわたしは早朝から寒さにも負けずにこうして歩いて大瀬良くんのアパートに向かっているんだから。

「しっかしやっぱり遠いな…………」

 自転車で行けば十五分ほどなんだけどやっぱり歩くとけっこうかかる。
 早朝だから外はまだ薄暗い。
 携帯電話を開いて時間を確認する。家を出て既に十分は経っている。
 大瀬良くんはだいたいショートホームルームが始まるまでに学校には着いていない。せいぜい一時間目が始まるぎりぎり前だ。逆算すれば大瀬良くんがアパートを出る時間は……って本当にストーカーみたいだな。まあいまに始まったわけじゃないけど。

「ん、んーんーんー」

 ゴミ捨て場を漁っている人を見つけた。確か今日は燃えるゴミだったはず。
 明るい青色のジャージを着て、美容院なんて生まれてから数回しか行ってないわ、というくらい腰まで伸びた髪は量が多くて重たそうだ。
 だけど横顔を見るかぎり、美人さんなんじゃないかなーと想像させられる。女の人だろうか。性別が分からない人(白いあいつとか)に会って、見た目だけで判断するのはやめようと思った。
 とりあえずあまりジロジロ見ないように素通りした。
 そういや前もよくわからない人(白いあいつとか)に声をかけられたけど、わたしってそんなにお人好しオーラー出てるのか。普通、通りすがりの人に話しかけないだろう。

「そこのもん」

 だからなんでだよ。
 なんで声をかけられるんだよ、わたし。
 振り返る。
 ゴミ捨て場の青いネットを持ち上げながら、その女がひょいひょいと手を降ってくる。来いってことかな。
 でも知らない人に着いていっちゃだめだとせんせーとかマミーやパピーに言われ続けてきたし。…………あれ、言われた記憶ないな。
 とりあえず無視した。

「なんで無視するとー?」

 後ろからぽーんと声が聞こえてくる。
 べつに聞いていて不快にはならない声だけど、間伸びする語尾が鬱陶しい。
 仕方なく、本当に仕方なく、もう一度振り返ってその女を見た。

「なんですか」
「ちょっち手伝ってくれんけ。わっちの飯を探しちょるんだが、なかなか見つかりゃせんけ」
「えーと、日本語でオッケー?」

 要は、ご飯を探してほしいらしい。そのゴミ袋の中から。食べられるものなんて無いだろう。ゴミなんだから。なんで探そうとするんだ。ホームレスだからか。
 へ、ホームレスなのか、この人。

「ホームレスですか」
「わっちは家なき子じゃき。腹ペコリンチョ」

 ホームレスだったよ、この人。
 初めて見た。
 この肌寒いときに靴下も履かずにサンダルだし。

「えっとお金とか持ってないんですか」
「そんなん無くても坊主が飯を持ってきよったんじゃけど、今日は持ってこんかったん」
「え、その人は一緒に住んでいる方ですか」
「いんやー知らぬ坊主」
「その喋り方なんとかなりませんか」
「うるさいな。こうした方が不老不死っぽいじゃない」
「……………………」

 聞かなかったことにした。

「わたしは今から大切な用事があるんですが、そこにいる知り合いになにか頼んでみましょうか」
「おおおおおおおおおおおー!」

 すごく感心された。嫌な気分はしない。
 なんだかんだ仁美さんは優しいから、見ず知らずのこの人にもご飯を与えてくれるだろう。仁美さんは早くから起きているらしいから、今の時間でも眠ってはいないはずだ。

「はい、決まり。じゃあ名前を教えてください」
「月笙栞菜。これがわっちの名前じゃき」









 思惑通り仁美さんは起きていた。
 わたしと栞菜さんを交互に見比べて、

「自分はしょーねんが女になったと考える」
「違う。この人は月笙栞菜さん。ホームレスです。栞菜さん、この人は宇留賀仁美さん。大学生です。はい、なかよしこよし」
「あ、どうも」
「よろしゅう」

 二人に仲良しの条約を強制的に結ばせて、栞菜さんに適当に何か食べさせてほしいと伝えると、仁美さんは目を大きく見開いた。
 図々しいとは思ったけど、だってこういう不思議ちゃんは不思議ちゃんに任せた方が良いに決まってるし。わたしじゃ色々と手に負えないし。
 とりあえずわたしは一人で大瀬良くんの元へ向かう。
 いま思うとこのアパートって個性的な人がたくさん住んでるな。あ、撫咲くんはちがうか。

「適当に描いたの怒ってなかったなー」

 美術部員に強制的に描かされる文化祭用の展示の絵は、なんともクオリティの低いものに仕上がってしまった。そりゃそうだ。林檎の絵を描いただけなんだから。
 撫咲くんの絵は対照的にすごく綺麗で、見れば見るほど絵に込められている意味が深いと認めざるを得ない。
 他の部員もそれなりに上手な絵を描いていたけど、撫咲くんのはどこか不安定で未完成で激しかった。
 大瀬良くんの部屋の隣に住んでるって言ったけど、やっぱりそこは人が住んでいるといった気配が無い。真っ暗でカーテンは締め切っているし、ポストには何日分かの新聞が詰まっている。

「撫咲って表札あるけどなー」

 ぼんやりと考えながら大瀬良くんのインターホンを押す。まだ起きてないだろうな。勝手に入っていいだろうか。
 試しにドアノブを回してみる。やっぱり鍵はかけられていなかった。

「勝手にお邪魔しまーす」

 無防備だなー。
 心もだけど、その他いろいろと。



Re: あなたを失う理由。 ( No.126 )
日時: 2012/10/20 00:06
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/



 大瀬良悠真の第一印象は「綺麗で聡明な人」だった。
 高校二年のときのクラス替えで同じクラスになる前から大瀬良くんの名前は知っていたし、顔もそれなりに何度か見かけたことはあった。だけどなにぶん教室の後ろで一人で寝ているか窓の外を見ているかだったから、後ろ姿や横顔を見るくらいだった。
 それでもため息がでるほど綺麗だった。
 当然ながら一年のときは喋るどころか対面することもなく、クラス替え初日で初めて彼の声を聞き、彼の目を見て、わかった。
 真っ黒で吸い込まれるような感覚。
 腹の奥が痺れて熱くなる。彼の視界にわたしが存在している。
 他人を拒絶する目がわたしを捉えていることは、不思議な感じがした。
 いま、彼の目に自分はどう映っているのだろうと、考えるだけで心拍数が上がる。
 同じクラスになって、最初の印象とかけ離れていたことがわかった。
 綺麗だけど、決して聡明なんかじゃない。何を考えているのかもわからないし、それを説明されたところでわたしはきっとわからないだろう。
 人と関わるのを極端に避けているし、いつも痣や傷などの小さな怪我が絶えない。
 雰囲気もどこか鬱々としていて、なんというか、自殺しそうな人みたいな。
 普通はそういう人間と関わるのは遠慮したいと思うところだろうけど、なぜかわたしは進んで彼を知りたいと思った。
 クラスメイトが大瀬良くんに対して謙遜していようが、彼に興味を持つわたしを変わり者だねと笑っていようが、関係ない。
 これが恋だと気づいたときには、もう、視界に大瀬良くんがいるだけで胸がドキドキした。
 五月あたままで上手く話せなかったのは、単にわたしが小心者だったからかもしれない。

『初めて精通したのは、母親の口の中でした』

 いま思えば、あれが最初だった。
 自己紹介のとき以来、彼の声を聞いたのは。











「あの話も衝撃的だったんだけど、これも衝撃というか驚いたというか」

 大瀬良くんは色々とわたしの想像する範囲を越えてしまっている。
 開いた口がふさがらないとはよく言うけど、本当にふさがらない。
 おうふ、唾液が。
 鍵がかかっていなかったから、本人の許可なく勝手にあがらせてもらったけど、まあそれはいつものことで。
 なにが目に入ったかというと、大瀬良くんが廊下に倒れているという、なんとも珍しい光景。

「えーと…………なにしてんの」

 さすがに意味不明だったから尋ねる。

「痛い」

 うつぶせの状態。
 痛覚を訴える、くぐもった声が聞こえた。

「どこが痛いの。というかなんで倒れてるの」
「覚えてない」

 覚えてない、か。…………ほーぉ。
 普段は寝ている時間だからまさか寝ぼけて、はないか。

「とりあえず立てる?」

 男子の割には細い腕を軽く引っ張る。
 のそりと起き上がった大瀬良くんの頬には、猫に引っ掻かれたような目立つ傷跡があった。昨日の時点ではなかった傷。

「はーいちょっと爪見せてねー」

 幼児をあやすように、大きな手を握る。
 爪を見れば大瀬良くんに噛みぐせがあるのは分かる。
 だけど右手の中指の爪は噛んだという割には折れたというほうが正しいような、綺麗な形状をしていた。
 頬の傷の他にも首や手首などにも引っ掻いたような傷がある。
 …………自分でやったのかな。

「覚えてないんだ」

 覚えてないのは、つまり、そういうことか。

「忘れてるわけじゃないんだね」
「なに言ってんだよ、アンタ」
「んー大瀬良くん、一つ提案があるのですが。一緒に住みませんか」

 前置きをして間をあけずに同棲もとい、同居の提案をしてみた。
 もとから表情の豊かさなんか皆無だったんだけど、最近は微量に他人にも分かりやすいような変化は出てきた。わたしの提案を聞いたあと、大瀬良くんは解けない問題に直面したような顔をしてこちらを見てきた。
 いや、そんな驚かんでも。

「うち母さんあんまり帰ってこないから、ほぼ一人暮らしだし。家賃とかもいらないからちょうどいいじゃんって」

 ただ兄さんが帰ってくる長期休暇のときが問題だけど、それはおいおい。
 母さんへの説明は彼氏の二文字だけで済むと思うし。よし、完璧。
 一人で自己完結したけど、大瀬良くんは話についていけれてないのか、それとも現実味が無いのか、さっきから視線を宙に泳がせている。

「アンタ、うるさそうだし。イビキとか」
「乙女になんちゅーこと言うんじゃい」

 パニックになっているらしい。
 こういう時の大瀬良くんは普通の高校生らしい。

「べつにいま決めなくてもいいから、考えてて。答えはなるべく早い方がいいんだけど」
「なんでだよ。そんな急に、うちにまで来てする話か」

 危機感を持っていないどころか自覚すらしていない大瀬良くんだから、そりゃわたしの行動は不思議に見えるよなぁ。
 どう説明すべきか。
 まさかイカれた宗教団体の頭オカシイ奴が大瀬良くんを付け狙っているんだよーとは言えない。言ったとしても理解できずに頭の容量オーバーで壊れるだろう。

「わたしが一秒でも長く大瀬良くんといたいから」

 言ってから、顔がめちゃくちゃに火照る。
 告白はもう何度もしたけれど、単純な好きよりもこういうクサい台詞のほうが何十倍も恥ずかしい。
 果たして少女漫画によくありそうな台詞で大瀬良くんが納得してくれるかどうか。

「アンタ、恥ずかしくねえの?」

 うおー的をつかれた。
 その通りです恥ずかしすぎて死にます。真顔で聞かれるとさらに恥ずかしい。

「大瀬良くんの前では羞恥心すら壁になるからね。とりあえず今日の文化祭はおうちでまったりしておこうか」
「文化祭、行かねえのか」
「大瀬良くんのその傷の手当もしたいし」

 念には念を入れよっていうし。




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