複雑・ファジー小説

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あなたを失う理由。 完結
日時: 2013/03/09 15:09
名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/

どうも 朝倉疾風です。





性描写などが出てきます。

嫌悪感を覚える方はお控えになってください。



主要登場人物>>1

episode1 character>>4


episode2 character>>58


episode3 character>>100


episode4 character>>158



小説イメソン(仮) ☆⇒p


《episode1》
・まきちゃんぐ / 煙
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=kOdsPrqt1f4


《episode2》
・RURUTIA / 玲々テノヒラ
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=wpu9oJHg2tg


《episode3》
・kokia / 大事なものは目蓋の裏
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=LQrWe5_q6-A


《episode4》
・Lyu:Lyu / アノニマス
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=lSFYtyxojsI


執筆開始◎ 6月8日〜



Re: あなたを失う理由。 ( No.177 )
日時: 2013/01/12 23:51
名前: 朝倉疾風 (ID: JiYsjDZB)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/






 わたしは母さんから不要だと言われたことも、必要だと言われたこともない。ただ気づけばそこにいたという感じで認識されてるんじゃないかと思う。わたしも「母さん」とは呼ぶけれど、いまいちあの人を母親だと思えない部分がある。
 それでも、母さんから「いらない」と言われれば複雑な心境になるだろう。
 兄さんが死んだのに泣かないくせに、母さんから捨てられるのは怖いのはどうしてだろうかと深く考えようとしたけれど、やっぱり家族のなかでそこまで苦手じゃないのは母さんだから。あくまで家族のなかで、だから人としてみれば充分母さんのことも苦手な対象に入るんだろうけど。

「弥生さんはお母さんからイラナイと言われて、悲しくはないんですか」

 答えが決まりきっている質問をする。そんなの、悲しくない人間なんていない。一部の例外を除けば。
 普通の人間というものは血を分けた家族にしろ、血が繋がっていない家族にしろ、親からの拒絶には耐えられないはずなんだけど。

「なんちゅーか弥生は嫌われて当然っちゅーか……んーなんて言えばいいのかわかんないけどぉ、弥生のことをマミーは絶対に好きにならないよ」
「それはどうして」
「レイプでできた子どもなんて、イラナイっしょ」

 レイプ?レイプってあのレイプ?
 どういうことだ。
 大瀬良明日羽はレイプ被害者で、その加害者とのあいだにできた子どもが弥生さんってことか?
 襲われてできた子どもを育てるなんて考えられない。普通の人間の神経じゃないだろう。
 ありえない。
 もしそうなら大瀬良明日羽という人物は歪んでいるどころではない。壊れて再築されている。

「それじゃあ大瀬良くんはっ」
「この子と弥生は父親が違うんだよねぇ。だから異父兄弟ってわけなんだけどさぁ」

 眠っている大瀬良くんの髪の毛を撫でる。その手つきはまるで母親のようだった。穏やかな目。こうして見ると子どもが高校生をあやしているという不思議な光景に見える。

「そんなの……っ、なら、明日羽さんが大瀬良くんを虐待してたっていうのはっ」
「それはねぇ、弥生へのあてつけでしかないの」
「あてつけ?あてつけなんかで大瀬良くんはあんなことされてたのっ?」
「大きな声を出さないでくださいよぅ。寝ているときだけユウくんは何も考えてないんだからさぁ」
「アンタは何してたの?大瀬良くんが実の母親にっ、そういうことされていたのにっ、黙って見てたっていうの?」

 馬鹿か、わたしは。
 弥生さんだって怖かったはずだ。まだ子どもの彼女ができることなんて何もない。自分を守ることで精一杯なのに、弟の面倒なんて見れるわけがない。
 わかってる。そんなことは。
 けれど弥生さんを責めずにいられないのは、事が起こってからこうして事実を聞いている自分に苛立っているから。八つ当たりだ、こんなのは。

「だって、マミーがユウくんを苛めれば苛めたぶんだけ、ユウくんは弥生を必要だって言ってくれるから」
「…………っ」

 大瀬良くんが自分を求めてくれるから、だから放置していた?大瀬良くんが泣いて縋って求めて叫んで怖くて辛くて逃げ出したくて、記憶まで放棄してしまったのに。忘れることでしか救いがなかったのに。
 けれどその行いがレイプされたことでの疾患のせいだとしたら、わたしは誰も責めることができない。明日羽が悪いわけでも弥生さんが悪いわけでもないんだから。

「でも、それでもさ」

 大瀬良くんを苦しめている時点で、もうだめなんだよ。アウト。
 やっぱり彼を明日羽さんの元へ返すなんて絶対にやっちゃあいけない。

「わたしにも大瀬良くんが必要なの。だから弥生さんにはあげない」
「……なら、殺しちゃうかもよ」
「それはこっちも同じです」

 空気が張り詰める。殺気は感じられないけれど真面目な顔つき。そういう表情をしていると幼さが消える。ざらりとした感覚が胸をなぞって、不思議な感覚になる。
 けれどすぐに弥生さんは堅い表情を崩した。
 へらりと笑い、ゲーム機を持って立ち上がる。

「まあいいや。今はユウくんが幸せそうだから、それはそれで。でも、たぶん最後にはユウくんは弥生のところへ帰って来てくれるからさぁ」

 自信満々にそう言い、居間の扉を開ける。帰るらしい。勝手に入ってきたのは弥生さんだけど、一応お客さんだから見送る。廊下に出ると今まで眠っていたのか、パジャマ姿の母さんが突っ立っていた。寝ぼけた目で不思議そうに弥生さんを見ている。母さんに一礼して、弥生さんは靴を履き、

「弥生のユウくんをよろしくおねがいねぇ」

 そう言って出て行った。
 なにが弥生のユウくん、だ。ふざけるな。お前のじゃねーよ、と声に出さずに言う。

「いまの子、ヤヨイっていうのね」

 小さい声で母さんが話しかけてきた。
 兄さんの殺害現場を見てから一層塞ぎ込んでいたけれど、最近はなんとかご飯を食べてくれるようになった。今まで付き合っていた男の人の家にずっといたけれど、兄さんが殺されてからは外出すらしていない。

「ヤヨイ、ねえ。なんだかデジャヴ」
「どうしたの」
「んー昔を思い出しただけ」

 笑っているように見えたから、驚いた。
 瞬きを数回して母さんの横顔を見たけれど、やっぱり無表情だった。気のせいか。





                ☆




その日、×××は自分自身がひどく汚れてしまったことを知った。
 耳鳴りが半日以上続いて神経に障る。鼓膜を破ってやりたい衝動を必死で堪え、×××は一ヶ月弱をベッドの上で過ごした。
 目を閉じれば思い出すのは忌々しい記憶だけ。
 嘔吐しながら体をたわしで洗う。流れる水が血で赤く染まるほどだった。ひどく目眩もする。震えが止まらなくなる。
 こんな気が狂いそうな思いをこれからしなければならないのかと思うと、体中の血管に蛆虫が泳いでいるような感覚がした。

「ああああ、死にたい」

 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 死、

「死にたい」

 ×××は二度と生きようとは思わなかった。
 死ぬことばかりを考えて、死ぬことばかりを求めていた。
 毎日が闇に覆われていて、外に出ればドブの腐敗した匂いがした。風呂に入るたびに自分の体を見るのがたまらなく嫌で、素手で鏡を割った。流れる血ですらおぞましかった。
 穢れている。
 震えと吐き気と痙攣が止まらない。夜中に奇声をあげては、医者たちに押さえつけられる日々が続いた。
 どうして生きているのかわからなかった。自分がどうやって死ぬかそれしか考えてこなかった。

 けれど。

「妊娠しています」

 それは地獄の始まりだった。
 なにが嬉しくて強姦魔との子どもを身篭らなければならないのか。あんな男の子どもを。
 普通なら中絶を希望するだろう。そして絶望するだろう。心が修復不可能なほど壊れて、もう日のあたる道を歩けないかもしれない。
 だが、×××は違った。
 自分の子宮のなかに、赤子がいると知って、

「アタシ、ママになったのね」

 微笑んでそう言った。
 気味が悪いと、周囲は×××から遠のいた。家族ですら多額の金を病院に叩きつけて、×××を捨てた。
 堕胎を勧めた医師は××に殺されそうになった。

「アタシの赤ちゃん。アタシ、赤ちゃんができたの」

 どんどん膨れてくる腹を抱えて×××は語りかける。皮肉なことに妊娠が発覚してから×××の精神は落ち着いていった。穏やかな顔をするようになり、それがまた気味悪いと周囲の溝を広げていった。
 まだ、なんの覚悟もできていないのに。
 なんの自覚もできなかったくせに。

Re: あなたを失う理由。 ( No.178 )
日時: 2013/01/13 20:15
名前: 黒田奏 ◆vcRbhehpKE (ID: u83gKCXU)

こんにちは。黒田奏です。
たぶん私のことは『日暮鯨』もしくは『ぐれんさん』で分かって頂けると思います。

複雑・ファジー板であるということも起因するのでしょうか、物語と文章の鮮烈さが以前よりも研ぎ澄まされたように思います。
目を背けたくなるような人の暗黒面に、読者を惹き込ませる書き方は相変わらず見事です。

全てのキャラに深みがあり、どのキャラも好感が持てました。
だからこそ、もしこのキャラが幸せであったならと考えてしまいます。
猫ちゃんも含めて。
キャラに、幸せで居て欲しかったと思わせるのは決して易いことではないと思います。

最終章が近いのでしょうか。
これからも無理をしない程度に頑張ってください。楽しみにしています。

Re: あなたを失う理由。 ( No.179 )
日時: 2013/01/17 20:32
名前: 朝倉疾風 (ID: JiYsjDZB)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/



黒田奏さん


  お久しぶりです、朝倉です。

  書いているときに、ふと自分の昔を思い出しては軽く落ち込むんですが、それでも書くのは、朝倉が登場人物たちを好きだからかな、とぼんやり考えます。
  だから好感を持てたと言ってくれて嬉しいです。彼らが全員幸せになることなんてできないし、お話がハッピーエンドで終わるという保証はないけれど、それでもゆっくり書いていきまーす。

  寒い日が続いていますが、朝倉はまだ雪を見てないです。
  そちらはきっと雪がふさふさですね、ふさふさ。

Re: あなたを失う理由。 ( No.180 )
日時: 2013/01/17 21:34
名前: 朝倉疾風 (ID: JiYsjDZB)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/



「……と、いうわけでさ。調べて欲しいの。二十数年前にこのあたりでレイプ事件があったかどうか」
「流鏑馬、俺が便利屋かなにかだと勘違いしてない?」

 まさか。
 明後日の方向を見る。雲ひとつない晴れた空だ。
 ちなみにわたしと千隼くんがいるのは学校の屋上。立ち入り禁止なんだけど、どうしてか千隼くんはスペアキーを持っている。
 宝月先生が渡してたのかな。
 聞こうと思ったけど聞いても意味のないことだし、べつに興味も無いからやめておいた。
 先ほど購買で買ったパンを齧る。

「便利屋というか……た、頼りにしてますヨ」
「なんで最後がカタコトなんだよ。おい、こっち見ろ。俺の目を見て話してみなよ」

 なんでエラそうなんだ、この人。
 目を見るというより、まつ毛を見ながらわたしは続ける。

「あのーだからさ、協力してくんないかなぁ。いま色々とごちゃついててさ」
「大瀬良との関係に?」
「それは良好」
「つーか大瀬良はいま何してんの。一人にしないほうがいいんじゃねえの」
「昼休みはいつも寝てるの。睡眠時間、足りてないのかな」

 ちゃんと夜の11時には寝ている小学生体質なのに。
 どうして眠くなるんだろうと思ったけど、ある意味あれはあれでひとつの逃避なのかもしれない。ほら、現実とか、色々なこととか。

「大瀬良とそのレイプ事件は関係あるのか」

 いや、どちらかというと……。

「関係無いよ。ただ少し気になることがあって。千隼くんなら調べることじたいは簡単でしょう。お父さんのパソコンから見れば」
「簡単に言ってくれるねえ。まあ実際、簡単なんだけどな」
「千隼くんってこういうときだけ良い人に見えるよね」
「俺はいつだって良い人だよ」

 眼鏡の奥の目を細める。
 確かに好青年ふうな印象を与えるけど、それが演じている表の顔だと知っているから、つい裏を覗いてしまう。
 根は良い人、とはよく言うけれど、千隼くんの場合は根が腐ってる。だから根本的に腐敗してるんだけど、本人はそんな自分を恥じずに堂々と生きている。ある意味、尊敬する。

「千隼くんってコンプレックスとかないの?」
「ないよ。人ってコンプレックスなんてものを抱えていても、所詮それは自分自身なんだから諦めて割り切るしかないだろ」

 ふーん、ほーお、ほへー。
 納得してしまった。
 千隼くんに、説き伏せられてしまった。

「そんなコンプレックスを気にする自分がコンプレックスなんだよ。──でもどうしてそんなこと聞くんだよ、流鏑馬。お前にはコンプレックスなんて無いと思ってたんだけど」
「わたしはけっこう深く考えるタイプだから、コンプレックスくらいあるっちゅーの」

 割とある。下っ腹とか。本当に引っ込んで欲しい。

「大瀬良ってコンプレックスの塊みたいなもんだよな。贅沢なやつ」

 まあ、わからんでもない。
 少なくとも外見のコンプレックスは無いかもしれない。

「でも大瀬良くんは自分の精液で発狂するよ」
「な…………っ、はぁ?」

 精液がコンプレックスっていうのもどうかと思うけど、実際そうなんだから仕方がない。
 千隼くんが口をぽかんと開けてわたしを見る。
 パンを齧る。
 飲み込んでから、どう説明しようか考えた。
 発狂する、というと大げさかもしれない。どう言えばだろう。そもそも大瀬良くんは精液に怯えていたというか、わたしがそれに触れることを拒絶していたというか。

「妊娠する、って言ってたの。わたしがそれに触ろうとしたら、すごく怯えてた。怖がってた」
「ちょい待ち。お前たちはそこまで進んでたのか?」
「ううん。シてない」

 する気もない。
 大瀬良くんが求めてきたら応えようとは思うけど、あいにくその予定は今のところ無いし。だから、一生無い。
 なぜか千隼くんが安心したように胸を撫で下ろしている。

「流鏑馬があんなことするとか、俺は考えられねえからさ」
「どうせお子様だよ、わたしは」
「怒るなよ。でもお前の口から“せーえき”とか……生々しいな、おい」
「知らないよそんなの。でさ、男子って自分のにコンプレックスとか持つもんなの?」

 もうこの際、羞恥心をゼロにして聞いてやる。
 わたしのド直球の質問に千隼くんが若干引いた顔をする。

「あのさ、それって俺、絶対に答えなきゃだめっすか」
「同級生と下ネタで盛り上がってるって思えばいいじゃない」
「流鏑馬って馬鹿になったよな」

 失敬なやつだな。
 些か自分でも変な話題を持ちかけているとは自覚しているけど。

「大瀬良のことだから大瀬良にしかわかんないだろうけど。なんか、変なふうに性知識叩き込まれてたんじゃねえの?ほら、あいつの母親ってヒカリの教えの一員だったしさ」

 やっぱりかー。そうだよなー。
 残りのパンを咀嚼しつつ、視線を足先に落とす。
 性的虐待の名残でああなったとしか思えないんだよなぁ。

「虐待か」

 兄さんの歪なわたしへの愛情も虐待の傷跡が原因だったのかな。
 殺されちゃったけど。
 十八公潮音は自分を捨てて新しい別の誰かを作って。
 もうどこにもいないけど。

「ああ、もうすぐで昼休み終わる。見つかるとやばいから、そろそろ出るぞ」
「あーうん。そういえば千隼くん」
「なに」
「宝月先生とは、連絡とかとってるの」

 興味は無かったけど、一応聞いてみた。
 千隼くんは驚くほど動じておらず、校内へ続く扉を開ける。

「誰だよそれ」

 嘘をついたんだろうけど。
 知らないふりをしたんだろうけど。
 たぶん本心からなんとも思ってないんだと思うと、千隼くんもわたしと似ているなと、少し安心してしまう。

Re: あなたを失う理由。 ( No.181 )
日時: 2013/01/19 15:54
名前: 朝倉疾風 (ID: JiYsjDZB)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/

 五時間目が体育で、ちょうど月一でくる腰痛がひどくて大半の女子が嘆く生理でもあったから、なんだか気分がちっとものらなくて、面倒くさくなって、しかも体操服も忘れたから。
 まあ、結論、サボった。
 大瀬良くんと二人で。ちなみに彼は生理なんてものはない。ただのサボリだ。というか大瀬良くんが体育に参加しているのをあまり見たことがない。
 無断の授業のサボリは常習犯だったから、誰にも言わずに二人で美術室に行った。
 教室にいてもよかったんだけど、妙に弁当の匂いが臭くて嫌だったから。
 大瀬良くんとおててを繋いで渡り廊下を歩き、向かいの校舎の三階にある美術室へ向かう。
 誰もいないだろうと思ったら、先客がいた。

「あ、先輩……と大瀬良さんじゃないですか」

 撫咲柳之助。
 現在高校二年生になる、わたしの後輩。同じ美術部で彼の描く絵は綺麗で歪で残酷で一般受けしがたい。
 周りからは「不思議」な絵としか捉えられないけれど、そこには「真実」がある。そうわたしは思っているから、彼の絵は好きな方だ。何年か前に事件を起こした旱泥とかいう男の絵はあまり好きにはなれなかったけど。
 撫咲くんは大瀬良くんが視界に入ると明らかに気まずそうな顔をして顔を背ける。
 彼の目の前には白いままのキャンパスが立てかけられていて、傍には絵の具も筆もあるのに、それらが使われた形跡はない。

「撫咲くんも授業サボリ?」
「そうですねぇ。俺はあまり勉強とか興味ないので。学年首位の先輩もサボリですか。もっと真面目な人かと思ってたのに」
「わたしはすこぶる真面目なのであーる」
「大瀬良さん連れて授業サボってんのに」

 鼻で笑われた気がする。
 この野郎、後輩のくせに。
 でもそれを言っちゃうとわたしの三好先輩に対しての態度もなかなかだったと思う。もうあれただの馬鹿の会話だもんなぁ。

「撫咲くんは絵を描いてたんだね。まあ、手は止まってるみたいだけど」
「あー……描けなくなっちゃったんですよねぇ」
「どうして」

 スランプかなにかか。
 けれど撫咲くんの答えは違った。

「憎悪みたいなもんが消えちゃったんですよね」
「どういうこと?」

 ひどく寂しそうな横顔だった。
 まるでこの世界に一人だけとり残されたような、ひどく遠くを見るような目。

「樽谷泰邦を殺せなかったから」

 ──はっ?
 大瀬良くんを見る。彼は眠たそうに普段と変わらずわたしの隣に立っている。良かった。記憶は混沌としているままらしい。
 それにしても、どうして撫咲くんがそんなことを言い出すんだ。
 彼は百々峰ハイツに住んでいたから大家の名前くらいは知っているだろう。ヒカリの教えのことも泰邦さんが六年前の司教だったこともニュースで公表されている。
 彼の名前や犯した罪も知られているが、撫咲くんが彼を殺そうとする意味がわからない。
 撫咲くんが、今まで視線を逸らしていた撫咲くんが、今度は大瀬良くんを凝視していた。大瀬良くんの目は真っ黒で、深い闇を映しているみたいだけど、撫咲くんはそれを見ていて怖くないのかな。

「俺の家は父子家庭なんですけど、母親は俺が小学生のときに自殺してるんです。学校から帰ってきたら首吊ってて、すっげえ変な匂いがしてた。なんだか現実味がわかなくて、俺は父親が仕事から帰ってくるまでそこにいたんすよね。何時間も何時間も。あーこれ本当のことなのかって」

 淡々と自身のことを語っているとは思えないほど彼は冷静だった。
 いや、それはただ単にわたしが彼を表面からしか見ていないからそう思うのかもしれない。心の内側では覗くことさえ躊躇われるほどの感情が暴れまわっているかもしれない。

「なんで自殺したと思いますか。親父との仲は悪くなかった。借金もなかったし、近所付き合いも良いほうだった。趣味の映画鑑賞は俺も連れて行ってくれたし、どこにも死ぬ原因がなかった。
 それなのに、どうして。どうして自殺したと思いますか。あの人、なんて遺書を残して逝ったと思いますか」

 そんなの、知るわけが無い。
 なんの歪みも無い家庭が壊れる理由なんて、わたしには考えつかない。もともと考える余地もないのだから。
 わたしの家庭は、そういう家庭だったから。

「最初から、歪んでいたんですよ。どこにも普通なんてものはなかった」
「…………」
「俺の母親はヒカリの教えの信者だったんです」

 大瀬良くんと繋いでいる手の力が強くなった……か?
 気のせいかもしれない。
 それはおいといて撫咲くんだ。
 彼の母親がヒカリの教えの信者……うわあ、なんかここまで関係者がいるのなら六年前の警察の摘発ってけっこうポカが多かったんじゃないか?

「“カミサマが消えちゃったから”って、そう遺書にあったんです。ただそれだけ。俺や親父のことなんて何も書かれていなかった。酷いもんでしょ、家族より意味のわからんカミサマなんてもののほうが大切だったんですよ」
「人が何を一番大切にしているかなんて、例えそれが家族であっても口出しできないと思うけど」
「確かにできない。だから俺は、母親のことはそこで諦めた。憎んでなんかいない。ただ──樽谷泰邦だけは別です。アイツだけは殺してやりたい、ただ殺すだけじゃなくてもっとこう、死ぬのも生きるのも嫌っていうくらいにしてやりたかった」

 最後、消えそうなくらいに声が小さくなった。
 肩が震えている。
 彼が絵に表していたのはどうしようもないくらいの、人間の黒々しさだったんだろう。
 泰邦さんを憎んで、憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んでその衝動で描いていた。
 その彼が、いない。
 わたしが撫咲くんの憎しみの対象を消してしまった。

「先輩が余計なことしたから、憎む人がいないじゃないですか」
「清らかな心で絵は描けないかぁ」
「茶化さないでくださいよ。本当にスランプです」
「落ち込んでいるところ悪いんだけど、泰邦さんはきみに何をしたの。きみは百々峰ハイツから転居したそうだけど、あそこに住んでいたのはどうして」
「樽谷泰邦が何をしたか……?何もしてないですよ。あいつは母親が死んで二人きりになった俺と親父の前に現れて、家賃を安くするからアパートに住めと言ったんです。もし見つかったら、信者の関係者として俺らもややこしいことになるからって……母さんをそっち側に引きずり込んだくせに白々しい……ッ」

 だから。
 だから殺す機会をうかがっていた。
 絵を描きながら、どうやって殺そうか考えていた。

「なのに、なんで先輩は変なところに首つっこんじゃうかなぁ」
「わたしはただ、大瀬良くんを守りたかっただけよ」

 小さく、え?という声が隣から聞こえる。
 一連の記憶が無い大瀬良くんは不思議がってもしょうがない。
 木内好奈とのことも、泰邦さんのことも、みんな覚えていない。色んな意味で無防備だ。守るすべが記憶の改ざんしかないのは、ひどく不安定で恐ろしい。

「大瀬良さんはあいつの遠縁ですよね」
「誰だよ、そいつ。俺は知らねえよ」
「はぁ?そんなわけないでしょ。あんなに懐いてたくせに……ッ、あんたの母親も信者だったくせに」

 え?
 撫咲くん、どうしてそれを知ってるんだ。

「知ってるんですよ、俺は。あんたの母親がヒカリの教えに縋った理由も!全部聞いてるんですから!あんたがどうしてそんな変になっちゃったのかも、知ってるんですから、あ、ああっ、」

 言わせない。
 大瀬良くんの前で、あの女のことなんて。
 絶対に他人の口から言わせない。
 気づけばわたしは撫咲くんに飛びかかっていた。椅子が倒れる。一本の筆を手に取って、毛ではない方を撫咲くんの目玉に突き刺そうとして、

「ッ、!」

やめた。
 あと僅かに手が震えれば眼球に筆が刺さるだろう。
 息を止めていたのか、撫咲くんが深く深く息をつく。顔は強ばっていて青白い。
 それくらい恐怖を感じてくれないと困る。
 いまやめたのは、気分が乗らなかっただけなのだから。

「二度とそんなこと大瀬良くんの前で言わないで」

 大瀬良くんが見ている前で人の目玉を潰すなんて真似、やりたくないし。好きな人の前では女の子らしくいたいし。まあ、ここまでやっといて女の子らしいも糞もないんだけど。
 あーお腹痛いんだけど。もう生理やだ。


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