複雑・ファジー小説

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あなたを失う理由。 完結
日時: 2013/03/09 15:09
名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/

どうも 朝倉疾風です。





性描写などが出てきます。

嫌悪感を覚える方はお控えになってください。



主要登場人物>>1

episode1 character>>4


episode2 character>>58


episode3 character>>100


episode4 character>>158



小説イメソン(仮) ☆⇒p


《episode1》
・まきちゃんぐ / 煙
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=kOdsPrqt1f4


《episode2》
・RURUTIA / 玲々テノヒラ
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=wpu9oJHg2tg


《episode3》
・kokia / 大事なものは目蓋の裏
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=LQrWe5_q6-A


《episode4》
・Lyu:Lyu / アノニマス
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=lSFYtyxojsI


執筆開始◎ 6月8日〜



Re: あなたを失う理由。 ( No.142 )
日時: 2012/11/10 00:13
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/




 猫はきれいに片付けた。
 小さくなってしまったそれをビニール袋にいれる兄さんを、わたしは空っぽの目で眺めていた。
 白い壁についた血はかわいてしまって、ぞうきんで拭いてもなかなかとれなかったらしく、兄さんが洗剤をもってきてゴシゴシやっていた。
 そういえば母さんは部屋にいたから兄さんの行動をひととおり見ていたんじゃないかな。もしそうだとして兄さんを止めなかったのなら、あの人もそこまで猫に感情移入していたわけじゃないかもしれない。拾ってきたのも、ほんとうに気まぐれで。
 母さんの部屋にいくと腕に包帯を巻いているとちゅうだった。
 目があって一瞬部屋に入るのをためらってしまう。なんというか、部屋のなかと母さんの雰囲気がみごとにミスマッチ。

「んー、なに」
「えっと子猫いたじゃん。それ、捨てたから」

 日本語はまちがっていないはずだ。というか使い方てきにも捨てたと言うのが正しいだろう。
 どう言われるのかビクついているわたしとはちがって、母さんはいつもの調子で、

「ああ、そう」

 とだけ言って、また不器用に包帯を巻き始めた。
 それだけ。
 それだけ?
 んーそれだけか。
 わかっていたとはいえあっさりとした返事にはすこし納得がいかない。

「猫、拾ってきたの母さんだよね。寂しくないの」
「あれはアタシのものじゃないからね」
「じゃあどうして拾ったの」
「さあ。猫、ふつうに好きだし。その日の気分なんて覚えてないから忘れちゃった」
「母さんってなんだか母さんじゃないみたいだね」
「そりゃあ、母親になろうとしてないもんね」

 娘のまえでそんなこと言うなー。

「アンタも瑠依も、アタシの子どもになろうとなんかしてないでしょ」

 んんんんー。そう言われるとそうかも。こんな親の子どもに生まれてこなくなかったって、わりと本気で思っているし。それは兄さんも同じだろうな。
 でも、こう正面から言われるとチリリと痛い。これは傷ついているってことなのかな。いまいち自分の感情に鈍い。

「じゃあわたしなんかいらないね」

 べつに自殺したいとか思っているわけじゃないけど。あえて母さんの気をひきたかっただけかもしれない。
 わたしを必要としてほしいと。
 そう思ってくれていたら。

「アンタはもっと、アンタが相手を必要としなよ」

 よくわからないといった顔をしたら、母さんが久しぶりにわらった。

「ひとりでいることに慣れて、アンタは自分だけでも生きていけると思ってる。それってすごく怖いことだよ。自分の痛みに鈍感なぶん、与えられている優しさや好意に気づかない。だからみーんなアンタから離れていくだろうね。
 そしてなによりアンタは、それが当たり前だと思ってる。だから、余計に人と壁を作っちゃう。アンタってアタシに似てるんかいね」

 ……今日はよく喋るな。
 あまり内容を聞いていなかったけど、たぶんわたしが母親似だねって話。ぶっちゃけそれしか頭に入ってこなかった。

「つまり、どういうこと」
「アンタはもうちょい他人に興味持ちな。物事に対する目を他人に向ければいい」

 理不尽なことを受け止めるんじゃなくて、反発すればいい。
 すんなりと心のなじませるんじゃなくて、拒否すればいい。

「あまりじっとしてたら、アタシみたいなダメ女になって、あんな鬼畜下衆野郎にひっかかっちゃうからさ」

 優しい手つきで髪をなでられる。
 あたたかい。

 ほんのすこしだけ、母さんの子どもでよかったと思った。





 
 テーブルに置かれている茶碗には白いご飯が湯気をたてている。筑前煮にはわたしの苦手な人参がすべて取り除かれていて、お味噌汁の具はさつまいもが入っていた。
 初めて作ったにしてはわりとよくできている。

「兄さんって自炊できたんだね」
「俺、高校で家出る気でいるから」
「お金とかどうすんのよ。ぜったいに出してくれないでしょ」
「じいさんに言ったら出してくれるって約束してくれたしな」

 口のうまい兄さんのことだから、ボケたじいさんを上手く言いくるめたんだろうな。
 得意げに笑いながら、兄さんがテーブルにつく。自分のつくった筑前煮がよっぽど気に入ったのか嬉しそうに箸でこんにゃくをはさんだ。

「兄さんが卒業するまであと数ヶ月か」
「もう高校は受かって寮の準備もしてるからな。大学はこっちの大学じゃねえし」

 中学生なのに大学のことまで考えて忙しそうだ。
 味噌汁をすする。うーん、薄味。わたしの舌はどうやら辛口が好みだったらしい。

「この家にいもーとを残していくけど、お前、大丈夫かよ」
「んーなにが」
「なにがって。俺がいないとあの糞ぜってぇストレスのはけ口お前に行くじゃん。それかあの女か」

 心配してくれているのか。
 なんか兄さんが兄さんじゃないみたい。

「ちょっと意外。兄さんは自分が逃げるので精一杯だと思ってたから」
「余裕が出てきたんだよ。あと数ヶ月だしな」
「じゃあ、一緒にご飯食べるのもあと少しだね」

 さみしくなるなー。嘘だけど。
 たぶん嘘は見抜かれている。わたしはすぐに顔に出るらしいから。
 ご飯を口にかきこんで、筑前煮を頬張る。こっちはすごく美味しい。

「もし殺されそうになったら俺に電話しろよな。寮だからそんなには無理だけど。あと、携帯買ったら俺にアド教えろ。光の速さで返信してやるから」
「あーそうですかー」

 光の速さで、ねえ。
 それは頼もしい。

「それまでに瑠依くんのいもーとは少しずつ変わっていくよ」
「ん、なにそれ…………」

 兄さんが驚いた顔をしている。
 はじめてわたしは兄さんを名前で呼んでみた。なんか照れくさいんだか新鮮すぎるんだかでごちゃごちゃな気分。
 わたしを名前で呼ばない兄さんの気持ちがわかったかもしれない。

「いもーとも成長するってことだよ、兄さん」








                                ♪

Re: あなたを失う理由。 ( No.143 )
日時: 2012/11/10 11:24
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/




 これは、俺と俺が嫌いだった女の話。……でいいのか?
 まあ、いいか。





 episode3.5 『 蝶が羽化するための 』





 思春期の曖昧な時期。
 受験やら恋愛やら部活やらで溜まりに溜まったストレスのはけ口は自分で処理できるようなものでもなく、否応なしに他人に矛先が向けられる。集団でいるやつはいつ自分が除け者になってもおかしくない状況のなか、ビビりながらへらへらと他人の顔色伺ってるし。担任はクラスの異変に気づかないふりをしながら必死で均衡を保とうとしてるし。
 あっほらし。
 でもまあ俺みたいな傍観者が一番卑怯っちゃあ卑怯なんだろうな。見て見ぬふり、とまではいかないけどさあ。

「樽谷って頭いいよね。どこの高校受けるのー」
「ん、ああ。どこにしようかねぇ」
「明桜くらいはいけるんじゃない?だってこの前も中間考査、学年で上位だったし」
「ねー!すっごいよねー!」

 鬱陶しい。
 粘ちっこい声を出すな。
 昔から浮気性の母親といっしょに暮らしていたせいか、女に対して妙に偏見というか、距離をとる癖がついた。
 クラスの女子がわらわらと群がってくるけど、お前らちょっとばかし声のボリューム落とせねえのかよ。うっせえし。こんな近くにいるんだから聞こえてるっつうの。

「明桜高校って樽谷以外に受けられる人いるの?」
「えーいなくね?めちゃくちゃ頭良くなくちゃあダメでしょ」
「あ、でもあいつ頭良いよね。安納ヒカリ!」

 その名前が出てきた瞬間、俺の肩が少し揺れる。
 安納ヒカリは有名人だ。そしてそれは主に悪いほうの意味で。

「でもあいつ学校来ねえしさ、無理でしょ」
「それに対人恐怖症かなんかじゃねえの。すっげえ暴れてるのこの前見たよ」
「え、マジで?あいつんところ変なお寺みたいな家じゃん。なんか呪詛とか唱えてそう」

 ああもううるせえ。なんでそんなしょうもないことでゲラゲラ笑えるんだ。意味わからん。
 これ以上こいつらといたら脳みそにカビが生えて繁殖していきそうだ。
 席を立って教室から出ていく。昼休みだから通常の休み時間より長い。このあとは掃除だから、先に体育館に行っておくか。
 梅雨明けのこのジメジメとした感じが嫌だ。天パがいつもよりくるくるする。体育館の裏はそれなりに木も植えてあって、露やらで落ち葉が湿っていているだけで気持ち悪い。
 さっさと行って掃除して掃除時間が始まる前にはサボるか。
 集団行動が苦手な俺は一人を好む一匹狼として知られている。嘘じゃない、けっこうガチで。
 もともと顔が良いせいか小学校の低学年では彼女らしき者もいたし。マセてたガキだったな、俺も。

「うっわ、風で落ち葉飛んでんじゃねえか」

 体育館脇の倉庫を開けて箒を取り出す。蜘蛛の巣が柄に引っかかったけど気にしない。
 みんなが昼休みで運動場やらそこらでキャッキャしているのを尻目に、黙々と掃除。傍から見ればいじめられっ子かめちゃくちゃ掃除大好きな人に間違えられるんだろうけど、そのどっちでもない。
 ああ、なんか中学生やってるのもしんどいなぁ。不登校になってやろうか。あーでもそれだと家にいなきゃいけねえのか。うわー早く高校生になってバイトでもなんでもしてえなぁ。

「手をね、動かさないといけないの」

 あ……?なんだ…………。

「そうしないと、落ち葉は飛んでいってしまうから」
「…………安納?」

 安納ヒカリがそこにいた。そこ、というと掃除用具の倉庫の裏。今まで全然気づかなかった。
 なぜか体操服で、校則フル無視の腰まで伸びた髪は今日も一段と明るい。こいつの髪って染めてんのか。ハーフかなんかって聞いたけど、自毛なのか。いつ見てもお綺麗なツラしてんなーと思ってるけど、間近で見ると本当に人形みてえ。
 あー人形っつうと、俺の遠縁の親戚一家も妙に綺麗な奴らばかりで、生物というか形成されたような表情をしてたな。まあ、それはいまどっちでもよくて。

「なんで体操服……。2組って体育はもう終わったんじゃねえの」
「制服を隠されてしまったから。しょうがないよ」
「あ、そーなんだ。なら、仕方ねえわな」

 いじめられてんのか。まあ、そりゃそうだわな。
 なんか派手だし目立つしそのうえ頭は良いわ顔は良いわで同性からの好意はまずあまり集めることはできないだろう。ついでに奇妙な性格とか、泣くとすぐに暴れることで異性もドン引きというわけ。彼女の人気は底辺にまで落ちている。たまに変わった物好きな男子がこいつに告白するんだとかなんだとかで盛り上がってたけど、たぶんまだやってないんだろうな。

「今日はなんだよ」

 で、俺はこの安納ヒカリからよく話しかけられる。
 彼女なりの譲歩のつもりなのか、たいてい俺がひとりでいるときに。
 そのせいか、俺は他の奴らよりこの女のことを知っているし、この女も俺の本性というか、いい顔ばかりじゃない俺のことを知っている。

「落ち葉、集めないの」
「やるよ、やろうとしてるだろ」
「泰邦って本当に子どもっぽいよね」
「お前に言われたくねえんだよ。ていうかどっか行け、面倒くさい」

 言いすぎたか、と思ったけど全然なんとも思っていないような顔でヒカリが俺をじっと見る。
 俺はあまりこいつの目が好きじゃない。
 なんでも受け止めるような目。自分を卑下するものも侮辱する言葉もあざ笑う声も、拒絶することなく受け入れる。反論も否定も無く、こいつは全部を飲み込む。
 いまだって、そうだ。俺にはそれがどうしようもなく歯がゆい。

「お前ってさМなわけ?だからこうやって言われても、なんとも思わねえの?」
「ああー。わたしってほら、カミサマだから」

 こいつ頭大丈夫か。できるのって勉強だけなのか。
 本気で心配になってきた。

「あのさ、お前って自分のこと神様だと思ってんの?どこの小説の設定だよ。ていうか今時そんな設定どの小説にもねえよ」
「わたしはね、人間の罪を洗い流すための道具なんだよ」
「はぁあああ?」

 ますます意味がわからん。
 目の前にいるこいつが急に得体の知れない宇宙人かなにかに見えた。本気でそう思ってるのだとしたら、なんというか、イタい。

「あの子たちがわたしをいじめるのは、あの子たちが苦しいから。自分のなかの苦痛を和らげるために、わたしを苦しめるの。そうすることでしか、あの子たちは救われないもの」

 こいつは、なんなんだ。
 自分をまるで道具みたいに。他人に良いように使われてもいいっていうのか。使い捨てカイロより安いな、こいつ。

「わたしの名前は皆に希望を与える光なの。だから、わたしはね、高校になんか行かない。ずっとあの家で、わたしは人間たちに悟すしかないの」
「お前の家ってなんか宗教じみてることしてんの。呪詛とか唱えちゃったり?」

 さっき教室で女子たちが言っていたことを思い出す。
 マジで変な宗教でじゃらじゃらやってんじゃねえのか、こいつ。

「泰邦、違うよ。わたしは呪詛なんて唱えないよ」

 ヒカリの顔に笑顔が生まれる。俺は今までこんなに喜びを表している笑顔は見たことがない。チラリと見える八重歯が光って、こりゃ男子はイチコロだろうなと確信する。
 ヒカリは笑いながら落ち葉のなかを舞って、急にその横顔を大人びたものに変える。ふたりのヒカリがいるような錯覚。

「呪うことなんて、できないもの」

 そう言うヒカリの声はどこか不安定で、震えているような気がした。


Re: あなたを失う理由。 ( No.144 )
日時: 2012/11/12 22:40
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/



 安納ヒカリと初めて会ったのは、うちの母親が何人目かの男にフラれてひどく荒れてて、家にいるのが億劫になっていた頃。あの時は家中が酒臭くて鼻がひん曲がるかと思うほどで、たまらなくなって家を出た。
 まだ暑い夏の夜。
 ボロいアパートの、ギシミシと軋む階段を駆け降りて、将来の不安とかボロボロになっていく母親を見てこれからどうすればいいんだとか、そんなことで胸がいっぱいになって。
 遠い昔に離婚した父親の顔も思い出せないまま、ひとりでドブに嘔吐した。
 インスタントラーメンが腹から全部出て行った気がして、明日の給食まで空腹は持つかと一瞬そんなことで頭がよぎる。

「糞がッ!!」

 その罵倒は母親の対してなのか、それとも無力な自分に対してなのかはわからなかったけれど。
 ぶつけることのできない怒りや情けなさはそのままドブに流れていって、俺の感情なんてどこにもないんだなとか。子どもながらに絶望していたり。
 そんな時だった。
 ヒカリが、現れた。

「樽谷くん、そんなところで吐いちゃあ、掃除が大変だよ」

 急にそんなことを言われたせいで噎せ返る。激しく咳き込んでいると、背中にヒヤリと冷たさを感じた。驚いて振り返ると、すぐそこに安納ヒカリがいた。
 心配しているという風には見えないけれど、その手は俺の背中をさすっている。冷たいその体温が心地よくて、体中の力が抜ける感覚がした。

「あんのう……?」
「あれれ。わたしのことを知っていたのね。ちょっとびっくり」

 学校でお前のことを知らないやつのほうが珍しい。
 ド派手な頭の色だし、ツラも頭も良い。だけど行動は奇妙で、ヒステリーになってすぐに叫ぶ。
 クラスは違うけれど、その噂はよく耳にした。
 こんな間近で顔を見たのも、会話をしたのも初めてだった。

「いや、お前……俺のこと、なんで……」
「不幸そうな目をしていたもの。だから名前を覚えていたの」

 不幸そう?
 目つきが悪いからか?
 まさか俺の心情を読み取ったわけでもないだろう。なんだ、こいつ。少し気味が悪い。

「わたしはね不幸な人間に好かれるんだって。最初はすごく嫌だって思ったんだけど、だんだんそうかもねって思うようになっちゃって」
「つまり俺に好かれてると思ってんの?すっげえ自意識過剰」

 こういう言い方しかできないのは、俺がまだまだ子どもなせいだ。そうわかっているんだけど、どうにも「不幸」というのが気にかかる。
 いつもならキレているところだけど、ヒカリの瞳には哀れみも同情もまったく感じられなかった。

「違うの?」
「ちげえよ。ていうかお前さ、すっげえキチ×イだって学校中から言われてるぞ。13歳にもなって幼稚だよな」
「初めて話す人からそんなことを言われるなんて、思ってもみなかった。もっと樽谷くんは優しい人っていうイメージがあったから」
「ごめんな。こういう性格なんだよ。クラスでは猫かぶりだからな俺は」

 いつも適当にあしらってる。
 部活勧誘にくる先輩とか、好きな女子とかを聞いてくるうざい奴、成績の良さだけを求めてくる担任、くだらないことを言ってくる同級生。
 どうでもいい。話しかけてくんな。うるせえ。
 そう思ってはいても、言ったら言ったで面倒くさいことになるんだろうな。
 なんか、諦めてる。
 いろいろなことを、いろいろ考えもせず。

「樽谷くん、いや、泰邦くん」
「おい、おい。なんでいま言い直した。きやすく名前で呼ぶな」
「ううん、呼ぶ。なぜってわたしは泰邦くんを気に入ったから」
「はぁ?」

 意味がわからなかった。
 これほど嫌悪感を全面的に押し出しているのに、どうして俺に好意なんか持つんだ。頭おかしいのか、こいつ。

「言ったでしょう。わたしは不幸な人間に好かれるのよ」
「だから、俺はべつに不幸でもねえし、お前を好きでもねえよ。ていうかむしろ嫌いだ」
「でも、きみはわたしにきみの本心を吐いた。自分は、他人が思っているような優しい人間ではない、と。きみは誰にも話していない心の内をわたしに漏らしたの。それってつまり、きみは誰かに聞いてもらいたかったのよ。自分の思いを。だから──」

 ヒカリは俺の背中をさすっていた手を広げ、そのまま俺を抱きしめた。
 突然で驚きすぎて声が出なかった。
 久しぶりに人の腕に抱かれて、その生暖かい体温に鳥肌がたつ。
 でも、突き放すことはできなかった。
 ヒカリがものすごく力強く抱きしめてくるから。

「だから、わたしはきみの全てを受け入れて、全てを洗い流してあげる」















 昔のことを思い出していた。
 いや、まあうん。
 家に帰ると毎日のように思い出すことだから、今さらなんだけど。
 玄関を開けて、アパートのなかに入る。靴を脱いで一番奥の扉を開けた。六畳ほどの部屋は台所とつながっていて、デカいちゃぶ台と出しっぱなしの洗濯物のせいで動きづらい。母親が暴れて散らかした雑誌やらゴミ箱の中身やらがまだある。昨日、俺が片付けたよな。

「よう、泰邦」
「あーどうも」

 俺と母親だけのこの家に、もうひとり。
 数ヶ月ほど前に居候しだした男がいる。母親のいまの恋人らしく、身なりのいい中年だ。
 今まで母親が連れてきたどの男よりも外見が良くて、親しみやすい。
 女の子どもなんて面倒くさいと思ってもおかしくないのに、よく夕飯をつくって俺の帰りを待っていてくれる。仕事、なにしてんだこの人。

「えっと、あの人はどこですか」
「ココロなら仕事。今日は夜遅いから、俺とお前だけだ。あ、夕飯作ってるから。お腹すいたろ。食べるか?」
「あーじゃあいただきます」

 いい人、だと思う。
 うちの母親にはもったいない。まだ三十代前半だって聞いたけど、本当にあの人にうつつを抜かしていいのか。
 そう思う一方で、いまこの人に出て行かれたらと思うと、たまらなく怖い。母親はまた荒れるだろうし、俺の夕飯はインスタントラーメンに逆戻りだ。そうはなりたくねえなぁ。

「でもこのままでもいられない、てか」
「なんか言ったか?」
「いいえなにも」

 男ふたりで食卓を囲む。
 なんか目の前のこの人が赤の他人っていうことがあまり信じられない。すげえ馴染んでるし。父親というか、年がすっげえ離れた兄貴みたいだ。

「今日は学校でなんかあったかー」
「ええっと、んー普通。なんか最近、変なやつに話しかけられるってだけで」
「ほほー。モテるんだな。さすがココロの息子」
「茶化さないでください。けっこう迷惑してるんですよ」

 ちらつくのは白に似た色の髪。
 跳ねるような声。
 冷たい体温。

「どんな子だよ」
「どんなって…………まず普通じゃあないです。髪の毛も、染めてるのかわかんねえけど白っぽいし。いじめられてるくせに、それは当たり前だからーとか言ってるし。変なやつ」
「それは本当に変わってるな」

 味噌汁をすする。この人の味噌汁は本当に美味い。

「しかも自分が神様だーとか言ってるようなやつなんですよ」
「………………ん、んー」

 ずるずるずるずるずるずる、ずずずずずず。
 ごくり。うん、本当にヤバい。美味しすぎる。

「泰邦、お前はその子が好きなのか」
「大嫌いですよ」

 嘘はついていない。本当に嫌いだ。
 嫌悪感よりは恐怖心のほうが勝っているかもしれない。俺に近づく理由も未だによくわかってないし、ていうか存在自体が謎。
 男はふうんと気のない返事をして、箸の先を舌で舐め取りながら、首をコキリと鳴らした。

「お前はほんとうにココロに似てるな」
「なんですか、いきなり。やめてくださいよ」
「だから、きっとたぶん、溺れるんだろうな」

 溺れる? 
 妙なことを言い出すな、今日は。

「水泳は得意なほうだけど」
「そっちじゃねーよ、バカ」


Re: あなたを失う理由。 ( No.145 )
日時: 2012/11/13 19:58
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/

 秋も過ぎて色鮮やかな落ち葉が散って寒そうな木がゆらゆらと風で揺られている。折れるんじゃねえかってくらい。実際、細い木の枝が何本も落ちて、掃除が面倒くさい。
 受験の年だから教師は教えるのに熱が入って、授業中に居眠りをしていようもんなら容赦なく教科書で頭を叩かれる。
 当然、プレッシャーや自由な時間が少なくなっただとかで生徒たちのストレスはピークに達していて、行き場のない憤りを他者にぶつけることしかなくなっていた。
 実際、いじめはあるし。
 外見も最低ランクで気の弱い女子の教科書が今日もなくなった。
 教師は忘れ物をしたやつは立っていろと怒鳴りつける。その女子は震えながら立ち上がり、せめて人前で涙は見せまいと唇を噛み締めた。拳がきつく握り締められるのを見ながら、俺は笑うこともなければ偽善者づらしていじめがあると声を張り上げるわけでもない。ただ単に傍観していた。

「樽谷、お前って明桜高校受けるのか」

 休み時間にそう話しかけてきた安塚は、たぶんこのクラスで一番まともな奴だと思う。
 言いたいことはハッキリ言う奴で、曲がったことが嫌いで、相手の目を見て話のできる奴。
 安塚みたいな人間がいたら、この世の中ちょっとはマシになるんかね。

「ああ。一応第一希望だけど。お前は?」
「俺は松翁かなぁ。バスケ、高校になってもしていたいし。松翁はバスケ強いって聞いたから」

 ああ、そういやこいつ、バスケ部のキャプテンだったな。

「安塚だったらぜったいに高校になっても活躍するって」
「サンキュ」

 本当に素直というか、人に不快感を与えない笑顔をする。
 安塚が笑うと胸につっかえていたものが流される。それと同時に、自分には決して無いものがそこにあるから、ひどく嫉妬もする。
 憧れることは小さいころからずっとやってきた。
 父親のいる家庭、母親が食事を作ってくれる家庭、ひとりでいることのない家庭。
 そんな、テレビのなかでしか見たことのない暖かさをずっと求めていた。まあ小さい頃だけど。今となっては諦めがついている。自分にはそういう暖かさは一生分からないままなんだろう。
 心が冷えた。
 少しして、どこかの窓ガラスが割れる音がした。一歩遅れて女子たちの悲鳴。

「お、お?隣のクラスからだ」
「受験のストレスが爆発したんじゃねえのー?」

 やじうまの生徒たちがわらわらと廊下に出ていく。
 安塚を見たけれど、特に興味が無い様子で俺の隣の席に座った。

「安塚ってやじうまの一部にならねえんだな」
「え?ああ、だってわざわざ見に行くのって気分悪いし」

 本当に良心の塊だな。何食ったらこういう人間ができあがるんだ。
 しばらくして、教師たち数人が廊下を走っていくのが見えた。焦った表情。受験間近のこの時期に問題を起こされたらたまったもんじゃないだろうな。







 窓ガラスを割ったのはヒカリだった。
 ヒステリーになると奇声をあげて暴れまわったりするのは前から知っていたけれど、まさか物にあたって破壊するほどだとは知らなかった。
 原因は分からないらしい。
 突然なにかを呟いてひどく混乱したように頭を抱え込み、いきなり椅子から立ち上がって窓に突進していった……らしい。
 人づてに聞いたから多少は話を盛っているんだろうけど、それにしても奇行が目立つ。どこか病院に入れてやったほうがいいんじゃないのか。ああ、怪我とか病気で通う病院じゃあない方の。

「なんか安納の家って妙な宗教やってんじゃん」
「宗教?ああーなんかクラスの女子が言ってたな。呪詛唱えてるとか」

 放課後、日誌を書いていた俺と、塾の時間まで暇を潰していた安塚は二人しかいない教室で今日の事件のことを話していた。事件ってほどでもないのかもしれないんだろうけど。
 安塚はへらりと笑って、

「呪詛は言い過ぎだろ、呪詛は。まあでも、あんま良い噂はきかねえな」
「悪い噂があるのか」
「んーうちの家、安納の家と近いんだけど。なんかすっげえデカいんだよな。古い家で。んで、たまに近所の人が叫び声が聞こえるって言ってる」
「叫び声…………」

 確かに良い噂じゃない。少しばかり嫌なほうに考えがいくのも事実だ。
 ほら、よくあるじゃん。虐待とか。

「なんか“ヒカリの教え”っていう宗教があるんだってよ。勧誘の手紙がポストに入ってた」
「それ、あいつの名前じゃねえか」
「最近できたらしいけどな。詳しいことは知らねえ。でも、俺もたまにぞろぞろと大人たちが安納の家に入っていくのは見たことがある」
「お前はどう思ったわけ」

 安塚は鈍い奴じゃない。ぜったいにそこまで知っているなら、俺がさっき考えたことと同じことを考えているはずだ。

「どうって、なにが」
「安納ヒカリのこと」

 安塚の目が俺から逸れる。
 こいつが目を逸らすのって初めてだよな。

「虐待されてんのかなーとも思う。それか、親がかまってやってねえのかなって。でもそう思っても俺にはなにもできることねえだろ。あいつ、見かけによらずタフそうだし」

 タフなんじゃなくて受け入れすぎちゃってるだけなんだけどな。
 たぶん理不尽なことに対しても目をつむっちゃうんだろう。違うと思っても違うと思う自分が間違っていると思い込んでしまう。都合の良い頭。
 日誌が書き終わって、これ以上ここにいる意味が無いから帰る支度を始める。
 安塚も時計を見て、時間なのか椅子から立ち上がった。

「でも、なんか意外だな」

 教室から出ようとしたとき、安塚がそう口を開いた。
 立ち止まって振り返る。

「なにがだよ」
「お前って安納のこと…………いや、他人のことどうでもいいって顔してんのに、けっこう気にしてんのな」

 気にしている?俺が?
 あんなわけのわからない女のことを?
 冗談だろ。
 ひとかけらの興味もねえよ。
 ただ一つだけ。気にかかるのはあいつが二年前に言った「不幸」という言葉。あの時のあいつは俺を不幸だと言い、そして自分は不幸な人間に好かれるのだと言った。
 今でも話しかけてくるのは、あいつから見て俺は不幸で可哀想な奴だからか。
 ふざけんな。
 お前のほうがよっぽど不幸だろうが。
 変な髪の色だし学校中からは避けられてるし自分のこと神様だとか言ってるし意味不明なことばっかほざくし。
 俺のほうがまともに人間やってる。


「悪いけど俺、あいつのこと世界でいちばん大嫌いだから」

Re: あなたを失う理由。 ( No.146 )
日時: 2012/11/17 14:49
名前: 朝倉疾風 (ID: Sc1bIduz)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/

家に帰って扉を開けた瞬間、目の前を火花が散った。
 あー痛いと思う前にはその場に座り込んでしまっていて、状況を把握する前に女の人の笑い声がすぐそこで聞こえた。あと、妙にぬるい体温も感じる。
 ああ、抱きつかれてんのか。火花が散ったのは頭と頭がぶつかったからで。ていうかなんでこの人笑ってんのに泣いてんだよ。ついに頭がイカれたのか。

「おい、どけよ」
「泰邦だぁ、泰邦、泰邦もお祈りするでしょう?行くよねぇ」
「意味わかんねえこと言ってんな。とりあえずどけ」

 何日かぶりに見る母親の顔はやせ衰えているのに、どこか妙に目は輝いていた。
 浮気性で男に騙されてはフられている母親は数年前に病んでしまって、ひとりで夜の町を徘徊するようになってしまった。
 病院に連れて行こうにも本人は嫌がるし、けれど幼児退行が始まっていて俺を息子として認識しているのかどうかも怪しい。

「ごめんな、泰邦。ちょい興奮してるだけだから」

 部屋の奥から男が現れる。このだめな母親の面倒を見てくれているから気苦労とかは絶えないはずなんだけど、この人はいつも余裕そうだ。

「どこかに出かけてたんですか」

 普段は部屋着の母親が外出用の服を着ている。さっき帰ってきたらしく、手袋もまだ脱いでいない。

「俺の知り合いの家。ああ、それでちょっと話したいことあるから、着替えてリビングに来てくれ」
「わかりました…………」

 あまり良いものじゃない。
 いくらこの人が良い人であったとしても、赤の他人だし。同棲ってだけで再婚とか考えてないだろうし。
 そんな男の知り合いの家に母親が行くのは、息子の立場からしてみると…………ちょっと複雑だ。
 でもこうして俺がいろいろ考えても、母親の容態が改善するわけじゃないし。
 他人に委ねて安心している部分もあるから、余計に。






「いやあ、やっと寝てくれたよアイツ。寝かしつけるの大変だった」

 数十分後、ため息をつきながら男がどっかりとソファに座る。
 話があると言われたから俺もいるけれど、正直この人と何かを話すのってあまり慣れない。微妙に気を使ってしまうから。
 当の本人はまったく気にしていないようで、離れたところでつっ立っている俺に手を振った。
 近づく。
 真剣な顔だった。一体何を言われるんだろうと気を引き締める。
 しばらく何かを考えていたふうな男は、俺と目が合うと意を決したのか、口を開いた。

「突然だけど、ココロを教団に通わせようと思っている。実はさっき、泰邦が学校に行っているあいだに行ってきたんだ」
「教団…………ってなに」

 教会じゃなくて、教団?なんかいかにも胡散臭いな。怪しい宗教勧誘とかなにかか。この人に限ってそんなことはないんだろうけど。

「ココロには支えがいるだろ。その支えはお前じゃ無理だ。まだガキだし、あんなやつを背負うにはちとばかし荷が重いだろうしな」
「だから、教団ってなに」
「救いを求めている者が集ってるところだ。教団っていってもそんなに大きくはない。まだ有名じゃないからな」
「アンタもそこのひとりってわけだ」
「俺は現に救われているひとりだ。神が俺を助けてくれた。だからきっとココロも助けられる」

 男の目には核心があった。
 妙な説得力に押される。
 これまで何度も何度もあの人が普通の母親であってくれたらと思っていたし、なにより今のままだと俺自身もいっぱいいっぱいだった。
 暴れまわるわ手はかかるわ買い物もろくにいけない。
 そんなあの人が少しでも良いふうに変われるなら、神だろうがなんだろうがどうだっていい。

「本当に…………あの人は普通に戻れるんですか」

 いるはずのないものに縋る。
 それは言い換えれば、裏切られることは無いってことだ。
 このままいてもあの人はきっと元には戻らない。なら、賭けてもいいんじゃないか。どうせこの先真っ暗なんだ。
 俺だって、縋りたい。泣きたい。喚きたい。
 
「きっと元に戻る。神様が助けてくれるから」

 この不条理で思い通りにならない現実なんか、いらない。
 男の手が伸びて俺の頬を撫でた。いま自分が泣いているだ、と気づく。ガラにもなく安心して泣いている。俺自身も何かに縋りたかったんだ。
 あー格好悪い。
 けれど心配されて少し嬉しい。
 この人が父親だったらってそう思った。








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