複雑・ファジー小説

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あなたを失う理由。 完結
日時: 2013/03/09 15:09
名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/

どうも 朝倉疾風です。





性描写などが出てきます。

嫌悪感を覚える方はお控えになってください。



主要登場人物>>1

episode1 character>>4


episode2 character>>58


episode3 character>>100


episode4 character>>158



小説イメソン(仮) ☆⇒p


《episode1》
・まきちゃんぐ / 煙
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=kOdsPrqt1f4


《episode2》
・RURUTIA / 玲々テノヒラ
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=wpu9oJHg2tg


《episode3》
・kokia / 大事なものは目蓋の裏
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=LQrWe5_q6-A


《episode4》
・Lyu:Lyu / アノニマス
   htt☆://www.youtube.com/watch?v=lSFYtyxojsI


執筆開始◎ 6月8日〜



Re: あなたを失う理由。 ( No.187 )
日時: 2013/02/03 13:54
名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/




 これは、わたしの一時間ほど前の記憶を回想したものだから、合っているかどうかはよくわからない。もしかしたら状況に少なからず動揺していて間違っているのかもしれないし、逆に冷静でいたのかもしれない。
 とにかく、わたしの前に殺人狂が現れたのは確かだ。
 殺人犯というのではなく、敢えて殺人狂というのはこちらの受けた印象からであって、べつに彼が何人も殺して快感を得ているなんてことはない。……たぶん。
 それに確かだと言ったけれど、本人が「殺した」と言っただけで、それが本当なのかわからない。
 でもそこを深く考えることはできなかった。唐突すぎて、その真実を聞き出せるほど余裕がなかったから。
 その男は、わたしが撫咲くんとわかれて、学校から出て、その近くにある古本屋の通りでわたしを待ち伏せしていた。

「話をしようか、片割れさん」

 そう、男はきりだしてきた。
 顔は覚えているんだけれど、名前がどうしても思い出せなかった。月に数回行くか行かないかの古本屋の店長の名前なんて、そう覚えてもいないだろう。

「おい、おいおいおい。俺のこと覚えてねえのかよ。この前会ったばっかだろ」
「えっと……古本屋の店長さんで、わたしの母さんを一方的に知り尽くしている人」
「ストーカーみてえに言うなよ。まあ実際にストーカーっぽいんだけどな」
「すいません。どうしても名前が思い出せません。誰でしたっけ」
「安西虎春だ」

 そこでやっと思い出した。
 名前が女の子っぽいってのは頭にあったんだけどなぁ。本当に外見と名前が一致しないな。いやいや名前可愛すぎるでしょ。

「安西さん、今日はお店、おやすみにしてるんですね」
「いや。今日は早めに閉めてるだけだ。オマエに話があったから」
「わたしに?なんですか。できるだけ短くお願いしますよ」
「オマエの兄貴を殺したのは俺だ」

 そう言われた。
 ハッキリと。
 聞き間違いでも幻聴でもない。
 堂々と、安西虎春はそう言ったのだ。

「───はぁっ?」

 いや、もうそれしか言えなかった。
 人を殺してここまで堂々としている人も珍しいんだろうけれど、どうしてわざわざそれをわたしに告白したのかがわからなかった。
 黙っていれば誰もこの男が犯人なんだと知らないで済むのに。無能な警察は未だに兄さんの死因でしかわかっていないし。しかも母さんが犯人なんじゃないか、とも言っていたな。
 まあ、それはおいておくとして。

「オマエの兄は流鏑馬瑠依だろ。瑠依、なんて男とも女ともとれる微妙で曖昧な名前だが、俺みてえにコハル、ではないだけマシだろ。なんで俺コハルなんだろ。まあ、漢字は格好いいんだからなんとも言えねえんだけどな」
「なんで……兄さんを殺したんですか」
「やけに冷静だなぁ、バカップルの片割れ。その妙に冷静なところがアイツにそっくりで胸糞悪いわ」
「答えてください」

 やけに時間が遅く流れている気がしていた。
 安西さんは特になんでもないというふうに、夕ごはんを何にしようかなとか、そういう日常的なことを友達と話すみたいに、

「復讐だからだ、笑日」

呼んだ。
 わたしの名前を呼んだ。
 一度も教えていないはずなのに。
 母さんに聞いたのかと考えたけれど、そもそも一方的に母さんを知っているだけの安西さんが母さんと話すことはない。
 目の前にいる男が自分とどういう接点を持つのか全然わからなくて、背筋が凍った。

「なんでこうなっちゃうんだろうなぁ。いつもいつもいつも、俺がどんなに頑張ったって、アイツは幸せにはなんねえんだよなぁ。なあ、笑日。オマエは何も知らねえんだろ?いや、違うな。オマエたち家族は何も知らねえで、のこのこ生きてたんだろ。
 いつ夢が覚めるのかわからない恐怖のなか眠れない毎日を過ごすことも、世の中の理不尽さを思い知ることも、反吐が出るほど鬱陶しい周囲からの同情も、感じたことがないんだろう。
 あああああああああああ、あっははははははははははは!ムカつくわ。すっげえムカつく。ムカつきすぎてお前の兄貴、殺しちゃったわ!」

 笑いながら、泣きながら、怒りながら、安西虎春は吐露してもしきれない恨みをぶつけ、わたしに近づいてきた。
 そして、わたしの肩に顔を埋めたのだ。
 抵抗はしなかった。
 その仕草が、表情が、どうしてかかぶってしまったから。

「俺はオマエも殺す。夜子も殺す。みんな殺して、俺はアイツを守る。散々泣いてきたんだ。少しは笑ってもいいだろ」

 言いながら、安西虎春はわたしの首に触れる。冷たい手だった。大人の男の力なら、わたしなんて呆気なく殺されるだろう。
 なのにそうしなかったのは、まだ夕方で辺りが明るかったからか、それとも、今はまだ「その時」じゃないのか。

「明日羽を、幸せにしてやりてえよ」



 以上、回想は終わり。
 そのあと、安西さんはゆっくりとわたしから離れて、髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き毟りながら、ふらりと立ち去ってしまった。店の裏に行ったからどうやら裏口があるらしい。
 お兄さん殺しちゃいましたって告白されたけれど、それでもわたしは警察に行かない。母さんにも言わない。
 こうしていつもどおり、大瀬良くんの寝顔を見ながら髪を撫でている。なんら変わりない。
 安西さんは明日羽を守ると言った。そのためなら、自分がどうなっても構わないと。
 覚悟があるんだ。
 背負う覚悟が。
 正直、安西さんがうちの母さんとどういう関係なのか、どうして明日羽さんが出てきたのかわからない。
 でもわたしを殺すと安西さんは言った。
 わたしが殺されたら大瀬良くんが守れない。一人になっちゃう。そんなのはダメだ。
 わたしが死ぬのなら、大瀬良くんにも死んでもらう。
 大瀬良くんが死ぬのなら、わたしはそれを全力で止める。

 それだけの話。

「バイオレンス女子高校生っていう映画とかありそうだなぁ」

 ほんとうに。
 どんだけ過激的な日常なんだ。自分を褒めてあげたい。ケーキとか買っちゃおうかな。

Re: あなたを失う理由。 ( No.188 )
日時: 2013/02/05 15:21
名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/



              ☆



 夢から覚めるのに、きっかけは無かった。


 ある朝、目が覚めると×××の隣で幼い少女が眠っていた。まだ一歳半にも満たないその少女を見た瞬間、×××の頭に疑問符が浮かぶ。
 そっと触れてみるときちんと温かい、生きた人間だった。
 ピンク色の服を着て、安心しきったように眠っている。
 ベッドの傍らには哺乳瓶やぬいぐるみが置いてあって、写真立てには三人の人間が映っている。
 一人は、×××の隣で眠る少女。その少女を抱きしめている男。そして、

「アタシ………?」

声が震える。
 ×××は写真を凝視し、そして次に少女を見た。
 頭が追いつかなかった。
 理解できなかった。
 腰まで伸びている自分の髪の毛に一瞬驚き、「いやっ」手首に無数にある傷跡に恐れる。次々と思い浮かぶ、病室の色、大人たちの声、気怠い昼の日差し、点滴の痛み、そして──

「起きたのか、明日羽」

そこで一端、×××の思考が止まる。
 振り返ると、扉の前に写真に映っている男がコップを持って立っていた。
 知らない、わけがない。
 この男を知らないはずがないのだ。

「コ、ハル………?」

 音をたてて、コップが割れる。
 男は──安西虎春は自分の耳を疑った。長年、呼ばれなかった自分の名前が呼ばれたのだ。
 けれど、それは。
 それが意味するものは──

「明日羽……“起きた”んだな」

 明日羽が目を見開く。鼓膜が破れそうなほど耳鳴りがする。記憶にこびりついた黒い靄がどんどん形になっていく。
 違う。
 違う、と明日羽は言う。

「こんなもの……嘘っぱちだ」

 隣で寝息をたてる少女を指差し、明日羽は顔を青ざめた。同時にひどく襲って来る吐き気に耐える。耐えたものの、それは一瞬のことで、胃が暴れまわるような嘔吐感が我慢できるはずもなく、そのまま一気に吐き出した。
 中身がドロドロとシーツの上にぶちまけられる。最終的には水のような胃液だけが吐き出された。
 浅い呼吸を繰り返しながら、×××は──大瀬良明日羽は顔を上げる。
 涙でぼやける視界で虎春を捉えて、両手を伸ばす。
 虎春がそれに応じるように近寄った瞬間、明日羽は彼の手を引っ張って吐瀉物のうえに彼を押し倒した。
 起き上がろうとする彼の上に乗り、首を締める。
 表情が、今にも泣き出しそうな子どもの顔から豹変していた。

「ねえ、悪い冗談はやめてちょうだいな。あなた、これはどうなのかしら。“あれから”何年経っているの?見たところ、少しばかりあなたは成長しているようなのだけれど、アタシもそうなのかしら。ねえ、聞いてる?このお耳はアタシの声をちゃんと認識している?」
「……してる」
「あら、そう。良かったわ。ちゃんとアタシの声を覚えていてくれて。──それで?アタシはあれからどうなったの?」
「どうって……なにが」
「とぼけないでちょうだい。アタシは……アイツに犯されて、どうなったの?」

 彼女らしい。
 泣きそうになるのを堪える。
 虎春は静かに、自分の首を締めている明日羽の手首をさすった。ビクリと明日羽が震える。怯えているのだとわかった。

「お前はずっと眠ってたんだよ。眠っていて、別のお前が今までずっとお前を守ってたんだよ」

 嘘はついていない。
 今までの幼児化していた明日羽は、彼女が過去を思い出さないように保身に走った結果だったのだから。昔のことを思い出さずにこうしていられたのは、そのおかげといってもいい。多少の後遺症は残っていたようだけど。
 当然、彼女がこんな説明で納得するはずがない。

「じゃあ答えてよ。……この子どもはなんなの?」

 声が震えていた。
 この子を産むと言ったのは明日羽だ。明日羽ではない、幼児化していた明日羽。母親になるのだと無邪気にそう言いつつ、心のどこかでは否定し、拒絶していた。

「お前と俺の子どもだよ」
「嘘だ、嘘、嘘よ!そんな嘘はいらないから!ちゃんと……わかってるのよ!わかってる!アタシがアタシじゃなくて、他の誰かがアタシだったとき、アタシが“正常ではなかった”とき、この子を産むと言ったのはアタシだから!」
「なんだ……ちゃんと覚えてるじゃん」

 頬を遠慮なく殴られた。
 こんな痛み、痛みのうちにも入らない。
 赤く腫れた頬を何度も何度も殴られる。女性の力だ。幼いころから暴力のなかで生きてきた虎春にとって、殴られることも慣れている。
 ただ、こんなものじゃ拭えない明日羽の傷みが、痛みが、悼みが、苦しく心に突き刺さってきて、死んでしまいたくなるほど絶望した。
 長い時間、殴られたあと、虎春の額に雫が降ってきた。
 明日羽が泣いていた。
 体中が震えていて、髪を掻き毟っていて、心が壊れそうなほど泣いていた。

「やだ……やだやだやだやだ、やだ……。アタシ、怖い……怖いよ、コハル……こは、コハル、あ、あっ、ああああ、はっ、〜〜〜〜〜〜っっ!」

 途端に息ができなくなり、明日羽が倒れる。手足が痙攣し、釣られて船の上に乗せられた魚のように暴れまわった。
 急いで起き上り、虎春がビニール袋を持って彼女の口元に押しやる。背中を摩りながら、「大丈夫だよ」と、なんの根拠もない言葉を唱えるように囁いた。

「大丈夫、明日羽。もう明日羽を悲しませたりなんかしねえから」
「っ、〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ、はぁっ、はーっ、んがっ、あ、ああああああ、はぁっ、」
「一生背負う覚悟はできてるんだよ、お前のこと」

 抱きしめる。
 苦しがって離れようとする彼女を、強く、強く。
 逃げ出したかったのを堪える。虎春だって怖かった。このまま明日羽が壊れていくのを見ていられなかった。
 明日羽が暴れた時に起きたのか、弥生の泣く声が聴こえる。
 それさえ雑音にしか思えないほど、虎春は明日羽のことしか頭になかった。彼女のことしか考えられなかった。

「愛してるよ、明日羽」






 過呼吸がおさまったあと、明日羽は虎春に性行為を迫ってきた。
 乳児が母親の乳を吸うように、明日羽は虎春の首筋をきつく吸い上げる。チリリとした痛みとわずかな快感が背筋にかけあがり、眉をしかめた。

「怖くねえの?」

 事件からは二年経っているが、それでも明日羽にとっては昨日のことのように覚えているだろう。多少の記憶のズレはあっても、傷がなくなるわけじゃない。
 その質問に答えず、明日羽は要求だけを伝えた。

「中に出して」
「───だめ」
「いいから、出して。ゴムもつけないで。全部、出して。お願い」
「何がしてえの」

 聞かなくてもわかっているくせに、と明日羽は笑う。
 吸い込まれそうな黒い瞳。痩せた体には事件のときの傷がまだ残っていた。あとは自傷のあと。
 目を背けたくなるほど痛々しい。
 けれど、それも含めて明日羽は綺麗だった。

「他の男の精液なんて飲みたくなかったんだけれどね」
「あんま言うな。また発作が起きるぞ。強がんなくていいから」
「べつに強がってなんかないわよ。……ねえ、酷くして。痛いのじゃなくて、もっとヨくして。お願い、お願いよコハル」
「弥生が起きる」
「アレにも見せつけてやればいいじゃない」
「おい」
「冗談よ」

 腰を動かすたびにいつも後悔する。
 自分が明日羽に好意を抱かなければ、アイツとの接点もなくなっていたのに。
 アイツから目を離さなければ、こんなことにはならなかったはずなのに。
 自分はどうして明日羽を抱いているのか。
 どうして弥生という少女がここにいるのか。
 全然、わからなくなってきて。
 最後には快楽に逃げていた。




 明日羽と虎春がヒカリの教えに入団したのは、悠真を身ごもって数ヵ月経った頃だった。

Re: あなたを失う理由。 ( No.189 )
日時: 2013/02/06 15:04
名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)




 兄さんを殺したと告白されたわけだけれど、相変わらずわたしは警察にも話さず今まで過ごしてきた。その間、べつに特別変わったことはなかった。
 大瀬良くんと学校に行って、帰って、母さんと大瀬良くんと食卓を囲んだ。
 兄さんを殺した犯人について何度か警察も家に来た。兄さんは母さんが家にいるときに殺されたのだから、当然母さんに疑いの目は向くんだけれど、それは無い。
 ああ見えて兄さんは男だし。こう言うとどれだけ兄さんが女顔なのかと思われるかもしれないが、髪が長くて細身なため後ろ姿だと時々、背の高い女性に間違えられることがあった。いつあの髪を切るんだろうと思ったけれど、そうか、もう兄さんは死んでいるのか。

「死ぬってどういうことだろうねえ」
「無になるってことじゃろ」

 今日は第三土曜日。
 買い物をするために大瀬良くんとスーパーに行った帰り。
 道の途中で行き倒れている栞菜さんを発見した。いや、語弊は無い。本当に行き倒れていた。何日もなにも食べていなかったのか、前に会った時より少しばかり痩せている。わたしの家の風呂を貸して綺麗になったはずの髪は元通り薄汚れており、着ているジャージもなんともいえない匂いを放っていた。

「本当に浮浪者ですね」
「わっちに食を与えてくれる坊主がおらんようになったけんの。仕方ない」
「へえ」

 もしかして撫咲くんじゃないよな。
 栞菜さんはあのアパート付近をテリトリーにしていたし。
 ……まさかね。
 とにかく知っている顔だけにほうっておくこともできず、近くのファミレスに連れて行った。
 店員は栞菜さんを見て明らかに不快そうな顔をしたけれど、本人はまったく気にしていないらしい。
 ドリンクバーふたつとスパゲティを注文して、好きにジュースを選んできてもいいと言うと、栞菜さんがコップにソーダを注ぎに行く。

「アイツ、捨てられてんのか」
「たぶん自分から飼い主を捨てたんだよ」
「変なやつだな」

 栞菜さんに対しての感想をポツリと言い、大瀬良くんもあとに続いてジュースを選ぶ。
 戻ってきた栞菜さんはソーダを美味しそうに飲みながら、楽しそうにメニューを元の場所に戻した。

「今までどうやって生活してきたんですか」
「自分の通帳を持って今まで暮らしてきたんじゃが、どうにも金というものは底が尽きるのが早いものよのう。不死であるわっちでも空腹には耐えられんかった」

 相変わらず電波だな。不老不死っていう設定は捨てきれていないらしい。
 ……あとで消臭スプレー買い渡すか。かなり臭う。

「これからどうするんですか。一文無しってことでしょう?」
「わっちは不死じゃ。死にゃあせんよ」

 数ヵ月後にもこの人の死体が道路に転がっていそうだ。その時は知らんぷりしよう。
 大瀬良くんがわたしの隣に座り、じっと栞菜さんを凝視する。その視線に気づいたのか、栞菜さんも同じように大瀬良くんを見た。傍から見たら睨み合っているようだけれど、実際はどうなんだろう。なにかテレパシーみたいなものを送っているんだろうか。
 最初に視線を逸らしたのは栞菜さんだった。
 気まずそうに、ソーダを飲む。

「ううむ……なんともデリシャスなこの味……喉がチリチリとするのう」
「炭酸だからだろ」
「う、まあそうなんじゃが……。ううむ……」
「ていうかアンタ、氷そんなにいれたら炭酸が薄まるだろ。炭酸の意味ないじゃん」
「ま、まあそうじゃの。そのとおりじゃ」

 無言で二人の会話を見守ってみる。
 平然としている大瀬良くんとは対照的に、栞菜さんは緊張しているのか、なかなか大瀬良くんのほうを見ようとしない。しどろもどろに話をしつつ、ソーダを全部飲み干す。

「ううむ、やっぱり明日羽の子どもというか……。ちょっち緊張するのは何故じゃろうなぁ」
「大瀬良くんって綺麗だから」
「あー……まあ、人形みたいな顔はしちょるな。なんというか、表情があまり変わらんというか」
「これでも最初の頃よりはなついてくれてるんですよ」

 少し優越感。
 学校の人たちはわたしたちを遠巻きに見ているから、あまり人前で惚気ることができない。少しだけ人に大瀬良くんのことを自慢したいという気持ちもあったから、なんだか嬉しい。
 こういうところは普通の女子高校生っぽいな、わたし。

「俺、トイレ行ってくる」

 短く言って大瀬良くんが席を立った。
 彼の姿が見えなくなったところで、栞菜さんが口を開く。

「あの坊主に明日羽のことは禁句じゃったかな」
「そうですね。なるべく触れないようにしています」
「わっちは明日羽がどこにいるかだけでも聞いておきたいんじゃが」
「知らないと思いますよ。自分の母親が誰だったのかもわからないんですから」

 じゃあどうして弥生さんが姉だということは覚えていたんだろう。

「それより、栞菜さん。安西コハルという男性を知っていますか」

 男性、というところを強く言う。名前だけ聞くと女性だと思われても仕方がない。
 名前を聞いた瞬間、栞菜さんは驚いたように目を丸く見開いた。ついでに口もポカンと開いている。前歯が若干欠けていた。

「そいつは……また懐かしい名前じゃのう。覚えちょるぞ、その坊主の名を」

 坊主って、あちらのほうが明らかに年上でしょうが。

「明日羽と恋仲じゃった男だろう?なんちゅうか、ひどく近寄りがたい印象じゃった覚えがある」
「よく覚えていますね」
「名が小娘のようじゃったからな。まあ、今の今まで名を聞くまで忘れておった。顔は思い出せん。そんな人間がいたということだけ知っておる」
「明日羽さんの子どもってその人との間にできたんですか」

 直球だったかもしれないと少し後悔した。
 怪訝そうに栞菜さんがわたしを見る。

「それは……さっきの坊主のことけ?」

 この反応だと、栞菜さんも弥生さんの存在は知らないのか……?

「いえ。べつに大瀬良くんじゃなくてもいいですけれど」
「曖昧じゃのう。まるで坊主の他にガキがおるみたいな言い方じゃ」
「いたかもしれませんよ?わたしたちが知らないだけで」
「──わっちは何も知らん。ただ、明日羽が入団した時にはすでにガキがおったということしか」
「その時の明日羽の年齢とか覚えていませんか」
「記憶しちょる。尊い人間の命はあまりにも儚いからのう。記憶に留めてやろうと慈悲をかけてやった。まあわっちの方が数年ほど遅く入団したんじゃが……明日羽の話からすると、そういう時間の遅い早いは関係が無い」

 誇らしげに微笑みながら、栞菜さんが足を組みかえる。長いボサボサの髪を耳にかけ、薄い色の瞳を光らせた。

「明日羽が入団した日は、二十年前の、六月二日じゃ」

 二十年前。
 簡単に計算すれば、栞菜さんが入団したのは中学生の頃だから……ってまったく『数年』のブランクじゃないじゃん!
 十四年も栞菜さんのほうが後輩じゃん!
 なにが慈悲だ!仙人になりきるとこういうところが大雑把になるものなのか?

「頭の中でいろいろとツッコミを入れてしまいましたよ」

 苦笑する。
 いやもうつっこむのは止めよう。
 この人にいろいろとつっこむのは負けなのだ。無駄に体力だけ使ってしまうんだから。
 ──栞菜さんの話を整理すると。

 大瀬良明日羽が入団したときには既に子どもはいた。二十年前ということは産まれている子どもというのは弥生さんのことだろう。
 そして入団して安西コハルという男と恋仲になって──

 なって、?

「あ……」
「おい、はやくそこどいて。俺が座れねえじゃん」

 大瀬良くんがいた。
 慌てて背筋をピンと伸ばして、大瀬良くんが座るスペースを用意する。そこに腰掛け、大瀬良くんがコキコキと首を鳴らした。

「あれ、まだスパゲティきてねえの?おっそ」
「本当だね。店員さんに言おうか」

──明日羽を、幸せにしてやりてえよ。

 頭の中で先日の安西コハルの言葉が反響する。
 明日羽の幸せとはなんだ?
 幸せ……

「お待たせいたしました。たらこスパゲティのお客様ー」
「小娘、スパゲティはもうきたぞ。店員を呼ぶ必要はない」

 

Re: あなたを失う理由。 ( No.190 )
日時: 2013/02/09 18:35
名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)


 栞菜さんがスパゲティを完食するまでのあいだ、特に盛り上がる話題も無く、数十分後にファミレスを出た。
 これで三日は空腹に耐えられる。
 そう言い残した栞菜さんとわかれたあと、大瀬良くんと二人で人通りの少ない道を歩いて帰る。スーパーで買ったものはすべて大瀬良くんに持ってもらっていた。
 最近、通行手段が徒歩の場合が多い。大瀬良くんの自転車をこぐスピードが速くてついていけないのだ。それに歩いたほうが色々と都合がいい。

「大瀬良くん、あいているほうの手で、手をつなごう!…と、わたしは提案してみたりします!」
「え?ああ、いいけど。なんだよその喋り方。照れ隠し?」
「ふっふっふ。実はちょっとだけ緊張しております」

 カップルつなぎって……けっこう恥ずかしいな。
 人通りが少なくて良かったかもしれない。変な汗とかかいていないだろうか。
 そんな初々しいことを頭の中で考えながら、大瀬良くんとおててつないで家まで帰る。
 そのはずだった。

「妬けちゃうなぁ。ファミレスでデートだと思ったら、今度はおててつないでルンルン気分?弥生もそういう恋愛とかしてみたいなぁ」

 立ち止まる。
 べつにわたしが立ち止まったわけじゃない。通り過ぎる前から視界にチラチラとこいつがいることには気づいていたし、だからこそ大瀬良くんとカップルつなぎしたんだから。
 でも大瀬良くんはわたしより素直だったから、案の定、彼女に気づいて立ち止まってしまった。

「なんでこんなところに……いや、それはいいや。どうしてわたしたちがファミレスに行ったこと、知ってるんですか」
「見張ってたからぁ」
「ストーカーじゃないですか」
「愛はいつだって純粋なものなんですよぅ。それを歪ませるのはいつだって第三者のお邪魔虫どもなんですぅ」

 それってわたしのことか。
 わたしからしてみれば、このブラコンストーカー大瀬良弥生のほうが難易度の高い障害そのものだ。ただでさえ兄さんを殺した殺人犯に命を奪いますよ宣言されたっていうのに。一体いつになったら大瀬良くんとのんびり隠居生活並みの穏やかな毎日を送れるんだか。

「ヤヨは俺に用事があるのか?流鏑馬に用事があるのか?」
「ユウくんにだよ!弥生はユウくんに、ユウくんだけに用事があるの!あのね、ユウくん。ちゃっちゃとおうちに帰ってきてよぅ。じゃないといろいろと大変なことになっちゃうんだからぁ」
「大変なこと?」
「もう一人死んじゃったんでしょぉ?今度はいつ誰が死んじゃうか、わっかんないんだってばぁ」

 背筋を悪寒とは違う何かが走る。
 いま、弥生さんはなんて言ったんだ。
 一人、死んだ?

「それって……兄さんのことを言ってるの?」
「弥生は悪くないんだよ。悪いのはぜーんぶぜんぶ、“彼”のせい。“彼”はずっとマミーの中から消えないんだよねぇ。ユウくんを使って弥生にずっと嫌がらせしてきて、すっごい迷惑なんだよ」
「彼、ってだ、っ」

 後ろでゴンッと鈍い音がした。
 なんだろうと振り返る前に、視界がグラリと揺れる。ぼやける。あ、殴られたんだって気づいて、必死で受身をとろうとしたんだけれど、続いて手をやられる。

「ああああ、ああああああああああああばばばばばばばッ!」

 なんだこれ。バット?意味がわからん。ていうか、手、手!手がなんか変な音したんだけれど!これってなんなの?痛いんだけど!

「悪く思うなよ、バカップルの片割れ。オマエには関係のないことなんだろうが、血的には関係あることだからよ。そのまま眠っててくれや」
「は……っ、?」

 必死で目を開く。
 乾いた声。獲物を捕らえた獣の目。口角はニヤリと上がっており、見下ろされる視線は刃のようだった。
 あ、殺される。
 そう思っていろいろ覚悟はしたけれど、ふと、大瀬良くんのことが気になった。頑張って首をあげて辺りを見渡す。

「お、ぜ……ら……」

 大瀬良くんはいなかった。
 約束を守ってくれたのか。それならよかった。
 あの日、安西コハルから告白されたあと、大瀬良くんと約束していたのだ。
 わたしがもし殺されるようなことがあったら、どんなことをしてでもいいから、逃げて欲しいと。
 最初は不思議がっていた。殺される、なんて物騒なことがどうして起きるのか不安げに質問されたけれど、けっきょく大瀬良くんには何も話していない。
 怪訝そうに、納得できずに、けれど「わかった」と短く答えてくれた。
 その約束を、覚えていてくれたのか。

「おりこう……さん、で 」

 ああ、だめだな。
 眠くなってくる。
 手が全然動かない。


 あー、こりゃだめだわ。








                 ☆



「弥生なんて大嫌い、大嫌い、大嫌い、大嫌い、大嫌い、大嫌い!死んじゃえばいい!死んじゃえ!死ね!死ね!死ね!死ね!」

 悠真が生まれてから、今まで嘘で固められて安定していた明日羽の精神がまた壊れだした。
 強姦のときにできた弥生に、愛する人とのあいだにできた悠真と同じように接することができなくなり、そのたびに幼い弥生に八つ当たりをしていた。
 あるときは髪を引っ張ったり、あるときは服をビリビリに破いたり、あるときは花瓶を割り、あるときはその存在をなかったものにしようとした。

「どうして弥生を産んだのかまったくわからないの。悠真はかあいいわ。とってもかあいい。なのに弥生はぜんぜんダメなの。かあいくないの。大嫌い」
「そんなことを弥生の前で言うなよ」
「どうして?どうしてあの子を庇うようなことを言うの?よりにもよってあなたが」

 責めるような視線。それに言い淀み、虎春は口をつぐんだ。

「ねえ、あなたはあの子をかあいいと思っているの?あの子、イラナイ子なんでしょう。なのにどうしてあの子を傍に置いているの。あなたこそ、あの子に遠まわしにあたってるじゃない」

 すべて図星だ。
 幼なじみと、明日羽の子ども。普通なら一緒に住めるはずがない。それでも弥生を傍に置くのは、弥生を“彼”と重ねているからだろう。
 母親にこんなにいびられて、泣いている弥生を抱きしめるとどうしようもない優越感が溢れる。
 流鏑馬凛太郎を感服させているような錯覚。

「悠真はとてもかあいい。あなたの子どもだもの。あの子を抱きしめるとすごくかあいいのよ。あなたにそっくり」
「子どもとキスするのか、お前は」
「──離れていくかもしれないから。悠真までアタシを置いてけぼりにしちゃったら、すごく悲しいもの」

 だったら快楽で繋ぎとめるしかないでしょう?

 そう言う彼女はあまりにも歪んでいて。
 見ているだけで痛々しく、泣き叫んで逃避したくなるほど、壊れていた。
 それでも、彼は傍にいた。
 どれだけ彼女が間違ったほうへ進んでも、決して止めることはしなかった。それで彼女が満たされるのなら、解放されるのなら、充分だと思った。


 ヒカリの教えが警察に摘発され、壊滅し、悠真が樽谷泰邦のところへ入り浸るようになってから、彼女の行動はエスカレートしていった。




 
  

Re: あなたを失う理由。 ( No.191 )
日時: 2013/02/10 12:00
名前: 朝倉疾風 (ID: kWFjr3rQ)



               ☆


「悠真が、最近、帰ってこないの」

 いつのまにか外はどしゃぶりの雨だった。
 窓の外を眺めながらポツリと明日羽が呟く。
 三十路とは思えないほど、彼女は幼い顔をしていた。病的に白い肌、憂いげな表情。綺麗と言えば聞こえは良いが、その生気のない顔からは生きている感じがしないという印象を周りに与える。
 そんな母親を見つめながら、弥生はどう答えるべきか迷っていた。
 二つ年下の弟が母親から離れたがる理由は、この母親にあるのだから。

「アタシ、嫌われちゃったかしら」
「そんなことないですよぅ」

 そう言いながら、心の中では猛烈に反発していた。
 当たり前じゃないか、と。

「ユウくんは貴方を見捨てたりしませんよぅ」
「そうよね。あんなに気持ちいいことしてあげているんだから」

 ヒカリの教えに入団してから、レイプ被害で狂っていた明日羽の性行為への見方がもっと歪なものへと変わった。
 神様は人の罪を洗い流してくれる、とは良く言ったもので、実際にはカミサマに選ばれた幼い子どもに性的虐待をしている、悪趣味な集団だ。
 この世界の理不尽さを、苦悩を、快楽で忘れようとしている。
 だから、明日羽は悠真を毎晩のように誘うのだろう。

「泰邦の所にいるみたいなのよ。向かいのアパート、もともとアイツの管理下だったし。……泰邦は嫌いだわ。アタシから悠真を奪おうとするもの」

 遠くを睨みつける。
 明日羽の悠真に対する性的虐待はもうずっと前から、それこそ悠真が高学年のころから始まっていた。
 それにずっと気づかずに、中学二年になった今年の、数ヶ月前。
 弥生が部屋に行くと、なぜか弥生の部屋で彼らが裸で重なり合っていた。
 あの時、弥生は悲鳴もあげられず、ただただ涙を流してその場に座り込んだのだが、逃げられなかったのは、弥生に気づいて発狂した悠真への恐怖心があったからかもしれない。
 何度も吐きながら、自分の体をタワシで血が滲むほど擦りつける。痛々しくて見ていられず、震える手でそれを止めようとすると、また叫ばれる。自分に触るな、と。

「お前は」

 途端に現実にかえった。
 吸い込まれそうな真っ黒な瞳が自分を見つめている。悠真と、似ている。
 それだけで緊張しながら、弥生は明日羽の次の言葉を待った。

「お前は、悠真を抱かないの?」
「抱かないですよぅ。だって弟ですもん」
「おとーと……。何を言っているのかわからないのだけれど。お前と悠真を一緒にしないで。あれはアタシと虎春の子どもで、お前と同じではないのよ」

 はっきりと溝を強調される。
 昔からずっと言われ続けてきたことだから、今さら落ち込みはしない。

「知ってますよぅ。マミーは弥生が憎いんでしょぉ?」
「憎いのかしらね。どうしてお前を産んだのか未だにわからないの。一晩中陵辱されて、犯されて、暴力をふるった男の子どもなのに」

 間違っても娘にする話ではないが、明日羽の歪みは修復できないほどまでになってしまっていた。
 弥生は耐える。

「虎春さんが産ませたとかじゃないんですかぁ」
「あの人はアタシのすることに絶対に口を出さないの。命令もしないの。犬だから。アタシが飼っている犬だから」

 未だに籍も入れていない安西虎春のことは、恋人でもなく「犬」という認識らしい。自分のことを否定しない、拒絶しない、利口で言いなりな犬。

「悠真、早く帰ってこないかなぁ。アタシ、すごく待ち遠しい」

 うっとりと言う母親とこれ以上はいっしょにいたくなくて、そっと部屋から出る。
 無駄に広い屋敷。
 弥生が十歳になるまで虎春の用意した県外のアパートでひっそりと暮らしていたが、明日羽の両親が死んだあと、転がるようにして引っ越してきた。
 大瀬良という家はもともと裕福だったらしい。代々、古書が好きだったようで、家には何百冊という古書があった。
 もう死んだ今となってはそれも不要なものなので、虎春が勤めている古本屋で扱っているが。

「あっ」「ん?」

 台所へ行くと、ちょうど煙草を吸っていた虎春がいた。
 一瞬だけ気まずい雰囲気になる。

「どした」
「えっと……お腹がすいてるんですよねぇ」
「ああ。そこらにカップラーメンあるけど」
「どうも」

 明日羽の犬。
 そういうイメージが定着しているせいか、こうして気安く話していいものかと戸惑う。
 けれど少なくともこの男に嫌悪感は抱いていなかった。
 自分の奥さんをレイプした男の子どもと一緒に住むなんて、どういう神経をしているんだと思うけれど。特に暴力も振るわないし、かといって明日羽にサンドバック代わりにされている弥生を助けようともしない。

「お前、何歳だっけ」
「えっと……十六歳、ですかねぇ」

 小さい頃からなるべく外に出るなと言われてきた。県外の小学校に通ってはいたけれど、ほとんど休みがちだったし、こっちにきてから中学校もろくに通っていない。
 それに比べると悠真は遅刻しながらも行っているみたいだった。

「バイトとかしねえのか」
「家から出るなって言ったのはどっちですかぁ。弥生としては世間を見てみたいですぅ」
「──お前は、明日羽が嫌いだよな」

 突然、虎春がそう言った。
 意図が見えず、弥生は首を傾ける。
 嫌い、という目では見ていなかった。憎悪や嫌悪は確かにあるはずなのに、殺意は無い。かといって愛情なんてものはあるはずもなく、「殺してやりたい」ではなくて「消えてしまえばいいのに」というふうに見ていた。

「悠真を、樽谷の所で世話してもらおうかと思うんだ」
「どういうことですかぁ」
「そのまんまの意味だ。あいつ、いま樽谷のアパートにけっこう入り浸っているだろう。樽谷なら悠真をうまく隠せると思うんだ」
「なにから?」

 答えなくてもわかっている。
 虎春は少しだけ悲しそうに笑った。

「俺は明日羽の幸せを願ってる。けれどどうしても、悠真を明日羽から離したいって気持ちもあるんだよ」
「──でも、あの人はユウくんがいなくなると何をするかわかりませんよぉ」
「わかってる。だから、“もう一度アイツをバラバラに壊す”」

 虎春の言っている意味がわからない。
 ただ、彼の考えていることがどす黒い闇の塊のような気がして、弥生の背中に悪寒が走った。

「もう一度、夢を見させるんだよ。こんな辛い現実じゃなくて、酷い幻想だけで固められた夢」

 守るために壊す。
 優しすぎる虎春にとっては、耐え難い方法なのだろう。
 弥生は静かに頷き、虎春の頭を撫でた。

「わかったから。弥生がマミーのお世話をしたげるよぅ。きみがマミーのこと、すごくすごく大切なのはわかったからさぁ」

 撫でる仕草が、まるで飼い犬を可愛がる飼い主のようだった。
 そういうところは明日羽に似ている、と。
 静かに虎春は微笑んだ。



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