茶飯事的な日常は奴らを乗せて回ってく

作者/ハネウマ ◆N.J./4eRbo

第十一話「それは特定の相手に対して情報を伝達するための文書のことである」


 一時限目。数学。僕の苦手な教科、更に教えるのは苦手な教師。こいつは滑舌悪いし声低いしで聞き取りにくく、そのせいもあって授業中いつも眠たくなる。ついたあだ名は催眠術師ミスターK。

 その催眠術師がこちらに背を向け黒板にチョークで黒板を叩くように白い文字を記しているタイミングを見計らって、前の席の外さんが手紙を渡してきた。小さく折り畳まれたそれに引かれた罫線がノートの切れ端を使っていることを示している。

 ニシオカにパスしてくれ。中身は見るな。そう小さく呟いた外さんはすぐに前を向き、ノートを取る素振りを……するわけがない。そのまま机に突っ伏した。

 僕は外さんの不真面目さに呆れつつも、結局は共犯者になる道を選んだ。

 後ろを向かず、すぐ後ろの席のニシオカに無言で手紙を渡す。手から手紙が離れるのを確認した後、僕の意識は再び黒板に羅列された記号に向けられた。

 それも束の間。

「忠弘ォ! なめてんのかウンコ野郎!」

 “ニシオカ”はあだ名だ。本名を“西尾かれん”という。今背後から聞こえてきたドスの利いたセリフは男っぽいが、れっきとした女だ。だがたまに男よりも男らしい。思春期だろうというのに男にも女にも分け隔てなく同じ態度で接する、さばさばした奴だ。

 で、何で今僕の首は絞められてるんだろうね?

「こらニシオカ座れ、騒ぐな。いや、西尾か」「先生、どっちも『にしおか』です。言い直せてません」「言い直したんだよ! 漢字にしてみればわかる!」

 僕は後ろの襟を掴まれて恐るべき力で上に引っ張り上げられている。絞まってる絞まってる! ギブギブ! ギブアップ! ギブアンドテイク! 意味分かんねぇ!

「忠弘お前、俺を侮辱しやがって! 何が『女性ホルモン枯れ枯れかれんさんその胸膨らむどころかへこんでますよw 忠弘より』だァ! 俺はへこんでねぇし乳首があれば十分なんだよ!」

 外さんが机に突っ伏したまま肩を震わせて笑っているのがわかる。滅びろ。

 見上げるとニシオカは長い髪を垂らし切れ長の目をつりあがらせてこちらを睨んでいる。丸く生えた眉毛、俗に言う麿眉が特徴的なその顔は怒りに歪んでいた。

「ぢょっど待っだ……誤解だ……死ぬがらやめでぐれェ……」必死で声を絞り出しなんとか初のテレビ出演の理由が殺人事件に巻き込まれたからになることは免れた。

 少し落ち着いた後、僕が恨んだのはニシオカではなく外さんだった。外さんにも僕の受けた苦しみを味わわせてやろう。

 背後のニシオカの方を向く。

「なぁ聞いてくれニシオカ」「なんだウンコ」「……その手紙には『忠弘より』と書いてあったんだな?」「そうだよウンコ」

 仮にも女の子なんだからウンコ連呼するのはやめなさい。

 僕はいつものことだがニシオカの類い稀な麿眉毛に感心しながらこっそり話す。「あのな、この手紙は外さんが書いたものであって」

「何ィ!!!」ニシオカがガタンと音をたてて立ち上がる。皆の視線が再びニシオカに集中する……と思ったらあんまり集中してなかった。皆寝てた。流石催眠術師。

「待った、制裁は休み時間にしてくれ僕たち目立っちゃってるから」と言ったところ、ニシオカは逡巡の仕草を見せた後、おとなしく席に座った。

 その後も催眠術師の催眠術……じゃなく、授業は続く。顔を洗って眠気を覚ましたい衝動に駆られたのはこれで何度目だろう? と思っていると、右肩に手が乗った。ニシオカの手だ。

 その手がつまんだ手紙に気づき、僕はその小さな畳まれた手紙を受け取る。“外さんへ”と書いてある。外さんへの恨みの言葉が綴られているのだろう。僕は黙って外さんにその手紙を届けた。ったく、僕は郵便集配人じゃないんだけどな。

 さぁて勉強に戻るかぶべらっちょす!

 いつものように授業を受けようとした僕の頬に外さんのバックブローがヒットして思わず謎の悲鳴を上げてしまった。

「忠弘お前ふざけんなよ!?」外さんが叫ぶ。いつもふざけてるお前に言われたくない。

「こら外山……あぁ外山に何を言っても無駄か、えーこのxは……」ふざける生徒をスルーする! 催眠術師必殺! 職務放棄!

「痛いよ外さん」「俺は心がいてぇよ! 何だよ『お前のアホ毛ってお前のアホっぽさを象徴しててお似合いだよなwそのうちアホ毛増殖して頭ん中手遅れになるんじゃねwwwバロスwww 忠弘より』って!」

 背後で押し殺そうとしたが見事にそれに失敗している笑い声が聞こえる。滅びろ。

「待て待て、おかしい! 何で僕がそれを書いたことに」「忠弘ォ!!!」

 誰の叫びかと思ったら窓際の席のケンタウロスだった。「何だこの手紙は! 『その顎鬚だせぇから僕が顎ごと剃り落としてやろうかwww 忠弘より』とは何だ!」

「忠弘! 『必殺シュートとかガキかよwwwあ、精神年齢的に小学生でしたねサーセンwww 忠弘より』って手紙が来たんだが後で蹴らせろよ!」なっ、ワンダー!?

「忠弘。『お前みたいな生徒会役員がいるからこの学校の偏差値は微妙なんだよwwwさっさと辞めたらどうですかデクノボーさんwww 忠弘より』という手紙を送ってくるとはいい度胸じゃないか、休み時間、覚悟しとけよ」ちょっ、ミスドまで!?

「忠弘くん! この『糞ビッチ女さっさと退学しろよwww 忠弘より』って何!?」「佐藤忠弘、『ずっとあなたのことが好きでした。結婚してください。忠弘より』って手紙が来たんだが俺は男だぞ?」「佐藤、『小学生の女の子ハァハァ』って手紙が来たが俺の妹はお前にやらんぞ!」「佐藤くん最低!」「忠弘ふざけんな!」「忠弘いい加減にしろ!」次々と立ち上がるクラスメートたち。

 どうしてこうなった。