ゆめたがい物語
作者/紫 ◆2hCQ1EL5cc

第一部 序
朝から灰色の雲が、春の空を隠している日だった。
小学校の体育館の隅。体操着姿の少年とそのクラスメート達は座り込んでいた。両手は縄で自由を奪われ、横では大きな銃を持った女が二人仁王立ちしている。さらに扉と言う扉の前には覆面をつけた屈強そうな男達。そして、体育館の真ん中では、一人だけ白いスーツを着た初老の男が何やら無線機で話をしていた。
一言でまとめると、小学校で立てこもり事件が起こったのだ。
外部との交渉が難航しているのは、少年にも分かった。リーダーと思しき初老の男が、持っていた無線を地面に叩きつける。そしてすぐにそれを足で踏み潰すと、少年たちのほうへ歩いてきた。
「“チカラ”の世界的権威、秋山博士の息子、秋山嵐。神が限られた人間にお与えになる素晴らしき能力を、あろうことか解析しようとする、不届き者の息子」
男は確認でもするかのようにそうつぶやくと、少年――秋山嵐の腕を掴んで強引に立たせた。彼も、他の人質達も、恐怖で叫ぶことすらできない。そのうちに、男は嵐の頭に拳銃を突きつけた。
「せめてお前を撃てば、神はこの私めにも“チカラ”をお与えになるだろう」
男は黄ばんだ歯を出しながら、ニィと笑う。瞬きすら忘れた少年の黒い目が、これ以上ないほど見開かれる。そして溜まった涙がこぼれだした、その時、乾いた銃声が響いた。
倒れているのは嵐ではなかった。男は地に伏し、白いスーツは徐々に赤く染まる。
嵐の前に、学ラン姿の少年が、まるで軽い段差を飛んだかのように、ふわりと天井から落ちてきた。左手は手のひらを正面に向け、右手には黒く光る一丁の拳銃。銃口は下を向いている。その嵐より幾らか年上の少年は、正面を見据えたまま、何故か戦う気だけでなく、そこから動く気配すら微塵も見せなかった。
一方、突然リーダーを倒された立てこもり犯たちは、その乱入者へと一斉に銃を構えた。それでも、学ランの少年は一歩も動かない。
人質に当たっても構わないと判断したのだろう。少年に向けられた銃口全てが、次々と火を噴いた。嵐たち人質は恐怖のあまり、目を瞑る。最後に見た学ランの少年は、それでも微動だにしなかった。
銃声が止んだ。嵐はふと我に帰った。生きている。驚いたことに、体のどこにも痛みはなかった。身長に辺りを見ると、隣の友人達も無傷。さらには、目の前に立っている少年も、先程と何一つ変わらず突っ立っていた。
「……ありえない」
近くに立っている仁王立ちの女の一人が、思わずつぶやいた。その声に、少年は初めて首を動かし、そして体ごと横を向く。全体的にまだ幼さが残る風貌であった。眉の上辺りでパッツリと切られた黒い前髪に、無表情ゆえの威圧感をかもし出す茶色の瞳。そして胸には緑色のネームプレート。そこには白く“東郷三笠”と彫られていた。
「……ありえない、ね」
少年――三笠は静かにつぶやいた。いつ動いたのか、三笠は女の真横にいる。そして相手に何もさせないうちに、みぞおちに拳を入れた。低くくぐもった声と共に、女は床に崩れ落ちる。その頃には、三笠はもう一人の女の横。同じように意識を奪っていた。
三笠は次に、残った扉の前の男達を一人ひとり確認するように見回した。その間にも、彼に向けて銃弾が飛んでくる。だが、辿り着く前に、全て何かに阻まれたかの如く落ちていく。
五人の男達は銃が効かないとなると、やけになったのか、次は刃物を持って一斉に走ってきた。その中で、三笠は再び単調な口調で言葉を紡ぐ。
「見えない願いはいつの日か色づき」
男達には聞こえていなかっただろう。だが、嵐の耳にはしっかりと入っていた。
次の瞬間、三笠は持っていた銃を遠くに放り投げた。走ってきた男達に動揺が走る。
しかし、その一瞬の隙。その間に、三笠は一番近くの男のナイフを叩き落し、そして両手に手錠をかけていた。
「悪夢を違える力となる」

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