ゆめたがい物語

作者/紫 ◆2hCQ1EL5cc

第一話 守銭奴国防軍人と夢見る少年


「よう、少年。また来たか」

 世界の極東に位置する大和国。
 その首都にある官庁街から少し離れたところ。そこには防衛の要とも言うべき国防軍本部がある。周りは広い国道が敷かれ、家はなく、道沿いでは正午前の日差しに照らされた木々がずらりと整列している。内部の広大な敷地は高い塀と重厚な門によって厳重に守られていて、何をする気がなくても思わずその場を離れたくなる威圧感だ。

「夏休みの自由研究の、将来の職場見学です、福井中佐」

 そんな門の前には武器を持った門番と、幾分か位の高そうな軍服姿の男。それから、この場所にはあまりにも不似合いな、まだあどけない顔立ちの、小学生ほどの少年。門番はただ正面を見据え、面倒ごとには関わらないようにしているようだ。それに対して、“福井中佐”と呼ばれた男は、面白いものを見るかのように、微笑を浮かべながら小学生の相手をしていた。

「そんなに魅力を感じるか? この無愛想な建物に」

 福井中佐はわざとらしくため息をついた。その顔はまだ若々しさを保っている。二十代、どんなに上でも、三十路に達するかどうかと言うところだろう。その若さで中佐の地位についているなら、エリート街道を突き進んでいる国防軍人に違いない。

「建物はどうでもいいんだ。俺はただこの仕事に」
「ふーん、秋山博士の息子なら、研究者にでもなったほうがよっぽど将来は安泰だろうけどな、秋山嵐」

 その言葉に、嵐はむっと口を尖らせた。あまり、父親を引き合いに出されるのは好きでないのだ。
 福井中佐は再び大きく息を吐き出した。それは先程とは違って、本心からのため息であった。

「元は国を守るだけだから、戦いで動員されることは、この平和な時代にほとんどなかった。だがな、“チカラ”の存在が明らかになり、それを使った犯罪が増えると共に、国防軍の仕事は徐々に変わっていった。その辺は親父さんが詳しいだろ」

 そう言いながら、福井中佐はポケットに手を突っ込んで、ライターを出した。だが、目の前にいるのが小学生であることを思い出したのか、タバコ箱は取り出さないで、ライターもポケットに戻す。
 そして、一本結びの茶髪をまとめ直しながら、再び口を開いた。

「今じゃ、仕事のほとんどが“チカラ”を使った凶悪犯罪やその疑いがある事件だ。毎年殉職者がたくさん出ている」

 福井中佐は嵐の目を見て、諭すように言った。門番も口は挟まないものの、何度か感慨深げに頷く。二人とも、仲間の死は何度も乗り越えてきた。だが、いつになっても言いようのない虚しさは付き纏う。また、国防軍に在籍している以上、常に“明日はわが身”であり、身に沁みてその恐怖を感じていた。
 そんな時だった。

「邪魔なら邪魔と、言えばいいじゃないですか、竹丸先輩」

 門の中から、一人の少年が出てきた。格好はこげ茶色のブレザー。この辺りでは一番の進学校と名高い国立高校の制服である。茶色の鋭い目には輝きがなく、身なりをあまり気にしないのだろう、前髪は眉より高いところで無造作に切られていた。
 冷めた雰囲気の中、彼を見た嵐の目はそれと対照的に大きく見開かれた。大きな黒い瞳は、昼の日差しと合わさってキラキラと輝く。

「いつかの国防軍人! 久しぶりです!」
「は?」

 嵐の言葉に、その高校生は眉をひそめた。全く見覚えがないようだ。機嫌の悪そうな彼を恐れて、門番は再び我関せずといった態度を取る。そんな中、福井中佐は再び面白いものを見るような、静かな微笑を湛えていた。

「一年前の春の、秋込小学校占領事件で助けてもらった、秋山嵐、現在十一歳、小学六年生です」
「……ああ」
 
 うれしそうに名乗る嵐とは対照的に、ブレザーの少年は興味なさ気にそっけなく答えた。福井中佐は福井中佐で、「あー、この占領事件のスペシャリストを完全に無視して、勝手に手柄横取りされた事件か」としみじみとした口調でつぶやく。
 だが、それは二人とも全く気に留めていないようだった。

「見えない願いはいつの日か色づき、悪夢を違える力となるって、俺、それ聞いて大人になったら国防軍人になろうって思ったんだ。俺もそうやって人を助けるんだって」

 憧れてきた存在が目の前にいる。嵐は一人勝手に将来の抱負を力強く述べた。それを聞いていた福井中佐は、何故か言われた当の本人である後輩を見て、気まずそうに笑いかける。
 だが、その願いは虚しく、国防軍少尉東郷三笠は、ある意味で無情にも口を開いてしまった。

「俺は、人助けのためにこんなところにいるんじゃない」
「は?」

 今度は、嵐が眉をひそめる番だった。福井中佐はもう一度、後輩に嗜めるような厳しい視線を送る。
 しかし、三笠は無視して続けた。

「ここは学校に通いながら一番金が稼げる職場だからな。危険手当も豊富に出るし。じゃなかったら、誰が命の危険を犯してまで、こんなところに入るか」

 その言葉に、嵐は唖然として、言葉が続かなくなってしまった。何か、大切なものが壊れたような気がした。しかし、言葉で表すことはできない。壊されたものがあまりにも大きかったのだ。
 三笠はそんな少年に構うことなく、歩いていこうとした。だが、それは彼の横を通り過ぎたときに、突然止められる。去ろうとする三笠の腕を、嵐が震える手で捕まえていたのだ。

「お金のため? それだけの、たったそれっぽっちのために……?」
「それっぽっち、ね。……で、それがどうした。誰であれ、働くのは金のため。信念なんて二の次以下だ」

 嵐は、三笠の言葉に一言も言い返せなかった。だが、その悔しげにゆがめられた目、そして強く掴んだ三笠の腕だけは、決して放さない。
 変化はわずかなものだった。ただでさえ熱い夏の日差し。その中で、少しだけ、気温が上がったように感じられた。
 それと同時に、三笠は掴まれた腕を無理やり振り払う。その衝撃で嵐は地面に投げ飛ばされた。さすがに見かねた福井中佐が、眉を吊り上げながら三笠を押さえようと、その腕を掴む。そこで、中佐の目は開かれた。
 ちょうど嵐に掴まれていた三笠の腕。元々はこげ茶色の上着を着ていたため、肌は見えなかったはずである。だが今は、布の一部が文字通り焼けて、大きな穴から筋肉質の腕がしっかりと見えた。

「……もういい。俺が、俺が誰よりも立派な国防軍人になる! “守銭奴”、いつかお前より上の役職に就いて、リストラしてやる!」

 立ち上がった嵐の周りで炎が発生する。比喩表現ではない。本当に辺りの雑草を巻き込んで燃え上がっているのである。一部始終を見ていた門番は急いでバケツを持って近くの水場に走っていく。炎はそんなことお構いなしにさらに強く燃え上がった。

「……まさか、こんな悔しさから“チカラ”を発現しちまう奴がいるとはね」

 福井中佐は腕を組んで苦笑いする。嵐は自身の変化に気付いているのだろうか。だんだんと炎は弱くなっていく。そして三笠に思いっきり舌を出すと、大きな足取りで帰っていった。