ゆめたがい物語
作者/紫 ◆2hCQ1EL5cc

第二話 帰宅部エースと国防軍エース-3
次の日、ほたるにしては珍しく、掃除が終わってもバス停に走らなかった。クラスメート達はしきりに「これから台風が来る」と噂しあう。
そんな声に耳を傾けることなく、ほたるは教室を行ったり来たりしていた。頻繁に隣のクラスを覗く。まだ終わらない。昨日に引き続き、ご愁傷様といったところだ。
ほたるは本日何度目か分からないため息をつく。その時、椅子が一斉に引かれる音が聞こえた。一気に心臓音が大きくなる。のどもカラカラだ。ほたるはそっと教室を覗き、すぐに首を引っ込める。ここまで緊張したのは、初めて店番をした以来だろう。
うかうかしていたら、帰ってしまうかもしれない。ほたるはそう自分に言い聞かせると、意を決して隣の教室のドアに手をかけた。
「東郷君、いますか?」
ドアを開けると、クラス中の視線を集めた。さらに、先に続くのは男子生徒の名前。ほたる自身は真っ赤な顔。自然と、集められた視線は、彼女から窓際の席で黙々と帰る支度をしていた生徒へと移る。
ほたるはその姿を確認すると、机の間を縫いながら早足で歩いていった。当の本人、東郷三笠は、彼にしては珍しく驚いた表情をしている。
「あの、隣のクラスの、安倍ほたるです、えっと……」
なかなか言葉が紡げない。三笠は、そんなほたるの目をじっと見る。意外だった。その表情からは、優しさがにじみ出ている。ほたるはほんの少しだけ背中を押された気がした。そして、押されたままに口を開いた。
「昨日はありがとう!」
それを聞いた三笠は、またもや彼にしては珍しく柔らかい笑みを浮かべた。
「気にすんなよ、俺はこれでも国防軍人の端くれだから」
「ありがとう、東郷君。あのね、お礼、したいんだけど……」
ほたるはそう言うと、ポケットから何回も折りたたまれた紙を取り出した。三笠は視線だけ動かしてそれを見る。だが、それだけだった。折られた状態では、それが何だか分からなかったようだ。
少しばかり、折りすぎたかもしれない。ほたるは、苦労してそれを開く。そこには“たこ焼き安倍屋、永久無料券”と達筆な字で書かれていて、下のほうには店長の名前と印鑑が押してあった。
「父ちゃんがね、昨日の話したら、すごく感謝して、これを渡せって。よかったらいつでも店に来て。お金は父ちゃんの名において一銭も取らないから」
こんなものでよかったのだろうかと、ほたるは不安に思いながらぽつぽつと話す。
一方で、三笠は突然椅子から立ち上がった。“たこ焼き永久タダ券”を目の前に持ち上げ、もう一度、一字一句間違えまいと、目を皿のようにして読む。そして、この世の春といわんばかりに顔を輝かせた。
「いいのか! タダ? いつでも、ずっとタダ!? 行く、行くさ、今から行く、連れてってくれ」
いつもと違う、ではとても表せないほどの豹変ぶり。少なくとも教室内では、誰とも挨拶を交わすことなく、いつも無表情で、見方によってはイライラしているように見える、そんな少年であった。クラスメートは唖然として、誰一人とて口から何も出てこない。
そんな周りの空気は完全に無視して、三笠は机の上のかばんを肩に掛けた。「あー、たこ焼きなんて何年ぶりだろ」と、そんな弾んだ声。昨日の超人的な力を見た後である。ほたるは可笑しくなってくすくす笑い出した。
そこで、自分のかばんがまだ教室にあることに気付く。ほたるは「ちょっと待っててね」と言うと、軽い足取りで自分の教室へと戻っていった。
ほたるが荷物を持って教室に戻ってくると、三笠はバイブル音の出ている携帯電話を取り出していた。誰かから電話がかかってきたらしい。仕事だろうか。ほたるは少し心配になる。もしそうなら、これから店に案内できなくなってしまうのだ。
三笠は電話に出ると、大和語――つまりいつもほたるたち大和人が使っている言語――ではない言語で話し出した。学校の外国語の授業で習っている言語でもない。その言葉の響きから、ほたるはここ大和国から北に行ったところにある、極寒の立憲君主国、シベルの言語だろうと推測した。
聞いていると、かなり流暢に三笠はその言語を話している。ほたる自身、この一番の進学校と名高い高校にあって、成績は上位をキープしている。だが、彼のように習ってもいない言語を綺麗に話すことはできない。
そう言えば。ほたるは思い出した。三笠は国の奨学金で高校に通っていると、噂で聞いたことがある。奨学金試験に通るのは毎年五人ほど。国防軍少尉東郷三笠。底が見えない人間である。
どこか冷めた口調の三笠。対する電話相手は何を言われたのか、ほたるにまで声が聞こえるほど大きな声で返してきた。三笠は容赦なく会話の途中で通話を切る。そして携帯電話のボタンを何箇所か押すと、ほたるのほうを向いた。
「えっと、仕事か、何か?」
「いや、シベルの、んー、何というかな、古い友人からだ。気にしないでくれ。着信拒否にしといたから、何も問題ない」
旧友に対して着信拒否とは、逆に問題があるのではないか、とほたるは突っ込みたくなるが、そこは我慢した。きっとそんな扱いをしても大丈夫なほど仲のよい人物なのだろう。
さて、と三笠はつぶやくと、携帯電話をポケットに入れて、ドアのほうへと歩き出した。ほたるもそれについて行く。一度振り返った三笠は日差しに照らされて、不思議と温かみを帯びて輝いていた。

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