ゆめたがい物語

作者/紫 ◆2hCQ1EL5cc

第六話 ムイ教徒と異国の病院-2


 結局、少年は老婦人のかばんを持ったまま、彼女の用事がある病室までついてきた。
 白い壁に、白いシーツ。部屋では何人かの患者が一緒に入院していた。左右に二つずつ並んだベッド。その右出口側で寝転がっている短髪の青年は、老婦人が入ってくるのを見ると、静かににこりと微笑んだ。

「ばあちゃん、よく来たな。腰まだ痛いだろ」
「あんたが、国防軍の任務で怪我して入院したって聞いたからね。腰の痛みなんてどっかいっちゃったさ」

 老婦人はそう言いながら孫のベッドの横に腰掛けた。やや腰を気遣い、ゆっくりと。
 荷物持ちをしていたかの青い目の少年は、ベッドの上の青年に頭を下げると、老婦人にかばんを手渡した。二人とも、また先程と同じような、「ありがとう」と「パジャールスタ」という温かな異言語を交わしあう。
 一方で、ベッドの上の青年はそんな様子を不思議そうに見つめ、手すりにつかまって体を起こした。

「ばあちゃん、誰だい? この子」
「さっきバスで転びそうになったところを助けてくれてね、それからこうしてここまで荷物まで持ってくれたのさ。いまどき珍しい良い子だよ」

 青年は祖母の話を聞くと、まじまじと珍しい黄緑色の髪をした少年を見つめた。黙って、少し考え込む表情になる。もう一度、少年の青い目を覗き込むと、「ボルフスキー大尉? 違うか、いや、でも似てるよな」などとぶつぶつとつぶやいた。

「ボルフスキー?」

 少年は、その入院患者のつぶやきに目を丸くして反応した。青年は「何でもない」と身振り手振りを交えて伝えようとする。だが、外国人の少年は、伝わらなかったかのように難しい顔をしていた。
 その時、病室の戸が再び開いた。点滴を吊り下げておくガードルを引きずる音が聞こえる。しかし、その音もすぐにしなくなった。戸が、音を立てて閉まる。老婦人も、青年も、また少年も一斉に出入り口のほうを向く。
 そこには、青年と同じようなパジャマ姿の、十代の若者が口を開けて突っ立っていた。

「ボリス!?」

 パジャマの若者がそう叫ぶや否や、青い目の少年は満面の笑みを浮かべる。そして、次の瞬間には白い床を蹴って、出入り口のほうへ走っていた。その間に、うれしそうに何事か口にする。言葉の中に、“三笠”という大和人の名前が入っていたことだけは、シベル語を解さない青年と老婦人にも分かった。

「あの、東郷少尉殿の、お知り合いですか?」

 どうにかして状況を把握したい青年は、二人の挨拶らしき会話がひと段落したところを見計らって、遠慮がちに問いかけた。

「イヴァンの……ボルフスキー大尉の弟ですよ。ボリス=ボルフスキー、シベル軍の見習い士官で、今は中学一年生、だと思います」
「あ、やっぱりそうですか。どうも似てると思いました」

 青年はもう一度しげしげとボリスの顔を眺めると、ベッドから降りようとした。足を下ろそうとしただけで、治りきっていない腹の傷が痛んで顔をしかめる。
 青年の祖母はそんな無茶をする孫を心配し、肩を押さえて無理に寝かせようとした。だが、彼は応じず、半ば強引に立ち上がった。先程とは比べ物にならない激痛が襲い、思わず唸り声を上げる。それでも、ベッドの手すりにつかまって、意地で青年は背筋を伸ばして、ボリスをまっすぐに見た。

「正直、この前の任務で腹を撃たれた時は、死んだと思いました」

 青年は、痛みで顔を歪めながら、ゆっくりと口を開いた。
 先日の大捕り物。国防軍の下士官である彼は、腹に銃弾を受け、誰が見ても諦めるような、ひどい傷を負っていた。本人もまた、死神の足音を聞いただろう。
 だが、朦朧とした意識の中で近づいてきたのは、神にも等しい一人の軍医だった。

「でも、ボルフスキー大尉殿の、あなたのお兄さんのおかげで、こうして生きて、ばあちゃんと話せます。伝えておいていただけますか、大尉殿に。ありがとうございました」

 青年は、ボリスに、というより、その背後に感じる彼の兄に、深々と頭を下げた。
 黙って聞いていた三笠は、その言葉を忠実に訳して、少年に伝える。ボリスは微笑んで兄に助けられたという青年に頷いた。
 うれしそうで、また誇らしげな表情は、白い病室でさらにまばゆさを増していた。