ゆめたがい物語
作者/紫 ◆2hCQ1EL5cc

第六話 ムイ教徒と異国の病院-1
大和国、首都である東城。その水の区と呼ばれる場所は、『大都会に隣接していながら緑と水を楽しめるオアシス』という謳い文句の下、ベッドタウンとして着実に発展を遂げている地域だ。
特に、ここ五年間の人口の増え方は際立っている。大型ショッピングモールもでき、また全国的にも上位に位置する進学校、国立秋込高校移転先の誘致にも数年前に成功した。
それゆえか、首都東城以外の地方からも転居希望者が殺到している。
「次は、海岸病院、海岸病院でございます、お降りの方は、お近くの――」
そんな水の区、強い夏の日差しにきらめく海の横を走る空いた路線バスに、この辺りでは見かけないような少年が乗っていた。
渋い茶色のかばんを肩から掛け、服装はこの暑い中、学生服でもないのに長袖長ズボン。優先席に座っている老婦人たちは、まるで動物園のパンダを見るかのように、好奇の視線を向けている。
年のころは、十代前半といったところだろうか。大和国で言うと、中学生くらいだ。
そう、大和国で言うと。
真っ青な目に、黄緑色の短髪。そして、高い鼻に、真っ白な肌。少年は、どこから見ても大和人ではなかった。
しかも、老婦人達の知る限り、ずっと立っているのだ。乗客は十人に満たない。席はどうぞ座ってくださいとばかりに空いている。それなのに、青い目の少年は、背筋をしゃんと伸ばして、バスの前方にあるつり革につかまっていた。
「それでは、トメさん、カメさん、あたしはここで」
老婦人は自分より何歳か若い友人達に声をかけると、バスがまだ止まっていないのはお構いなしに、近くの金属の手すりにつかまりながら、よろよろと立ち上がった。しかも、その手には大きなかばん。
その時、バスが信号に差し掛かり、急ブレーキをかけた。立った老婦人はその衝撃に耐え切れず、かばんは手から離れ、自分は前のめりに倒れこむ。
周りの友人達が何もできずに声を上げる中、彼女を救ったのは、先程の少年だった。
急ブレーキにも拘らず、つり革を放して体勢を低くし、老婦人の倒れこむ場所に先回りすると、そのまま彼女を片手で抱きとめた。ついでに飛んできたかばんも、もう片方の手で難なくキャッチ。相当の運動能力がないとできない技だ。
老婦人が顔を上げると、少年は青い目を細めてにっこりと笑った。先程まではものめずらしくて、誰もまともに彼の顔を見ていなかったが、よくよく眺めると将来が楽しみな端正な顔立ちをしている。
「ありがとうね、お若い人」
老婦人は手すりにつかまりなおすと、少年にそういって頭を下げた。彼もまた、つり革につかまる。だが、今度はバスの前方ではなく、優先席の前のつり革だ。
大きなかばんは、まだ少年が持ったままだった。
「パジャールスタ」
少年は老婦人の言葉に、少し考えるような顔つきになってから、再び微笑むと、聞きなれない外国語を口にした。おそらく、大和語で言うと“どういたしまして”の意味なのだろう。
バスが再び止まった。今度は信号ではなく、停留所だ。海岸病院。そう電光板には映し出されている。少年はポケットからメモ用紙を取り出し、もう一度電光板の“海岸病院”という文字を確認した。
老婦人は少年にお辞儀をすると、かばんを彼から受け取ろうとする。だが、少年は顔の前で手を横に振り、出口を指差した。どうやら、バスを降りるまで持ってくれるらしい。
「ありがとうね」
「パジャールスタ」
今度は、何も考えることなく、少年は笑顔で言った。
バスから降りるときも、まず彼が先行し、老婦人に手を貸しながら、停留所の黒く光るアスファルトを踏んだ。どこまでも紳士的。外見だけではなく、内面的にも数年後にはどんな好青年に成長するかと、万人に思わせてしまう魅力を持った少年であった。
停留所は、大きな総合病院の目の前に位置する。老婦人はこの施設に用があったのだ。そのほかには、徒歩五分圏内に商店街や、植物園、海浜公園などがあり、病院を中心として開発が進んでいる地域であった。
少年も、きっと植物園などを見に来たのだろう。病院に用事があるとも思えない。そんな風に老婦人は思っていたが、意外な展開、彼がしきりに見直しているメモ用紙をのぞくと、そこにははっきりと漢字で“海岸病院”の文字が確認できた。
「あんた、海岸病院に行くのかい?」
老婦人は驚いて、思わず大和語でそう聞いてしまった。少年は大和語を解さないようだが、一生懸命に今言われたことの意味を考えている。
そこで、老婦人は病院とメモ用紙を順番に指差した。すると、何とか意味が通じたようで、「ダー」と少年は微笑みながら答えた。この言葉の意味は彼女も知っている。シベル語で“はい”という意味だ。
「あたしもだよ、奇遇だね」
自分を指差しながら、老婦人はカッカッカと笑った。次はすぐに意味が通じたようで、少年は本当にうれしそうな顔をすると、彼女の荷物を持ったまま病院へと歩き出した。

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