ゆめたがい物語
作者/紫 ◆2hCQ1EL5cc

第五話 大捕り物とムイ教徒-1
かのスーパーマーケット人質事件から、一週間が経った。夏休みも終わりに近づき、また一つ秋に近づいたような気がする。
もっとも、暑さ自体は大して変わらず、風物詩、とも言うべき迷惑な台風も、よくこの島国を襲うのであるが。
この日、国立秋込高校では、夏休みの弛んだ心持に克を入れると称して、デスマッチと呼ばれる補習が行われていた。もともと、補習は毎日のようにあり、ただの補習なら、今更いくつ入ったところで誰も何も思わない。
だが、この“デスマッチ”だけは全生徒の恐怖の対象であった。
デスマッチ。それは三日間続く、恐怖の補習授業のことである。持ち物は各自で考えること。授業時間は各教師の気力が続く限り。
そう、制限時間のない補習なのだ。かつての最高記録は十八時間。一日のほとんどが大和史に費やされたという、伝説の授業である。
さらに悪いことに、教師はたくさんいるのだ。例え一人が限界になっても、次から次へと現れる。三日間、睡眠時間として最低限保証されている十二時間以外は、ずっと授業。食事は各自授業中かそのわずかな合間に取るしかない。
そんな、地獄の強行軍。それゆえに、誰が呼んだか、人呼んで“デスマッチ”。
単調な世界史の二クラス合同授業中、一年生トップクラスの才女、安倍ほたるは、斜め前の空いた席を見て、何度目か分からないため息をついた。
その席は、これまた学年トップクラスと名高い東郷三笠の席である。一週間前の一件から、彼とほたるは仲良くなった。と言っても、休み時間に世間話をする程度であるが。それでも、三笠にしては唯一と言って良い。
――今日は大捕り物があるから休む。
そうとだけ書かれたメールが、早朝ほたるの携帯電話に入っていた。
デスマッチ初日。わざとだろうか、とも思いたくなる。国としても手放しがたい逸材であるため、三笠は国防軍の仕事があるときは、合法的に授業を抜け出せるのだ。
念のため彼の担任に連絡を入れたが、悔しそうに顔をゆがめさせながら、知っていると答えた。それよりも、ほたるが三笠との連絡手段を持っていることに驚いたようだった。
そうして、「最大限の嫌味を返しておくように」という指示を受け、ほたるは職員室を後にした。無論、三笠に恩のある彼女が送ったメールの内容が、「気をつけてね」といったものであったことは、言うまでもない。
三笠の強さは知っている。しかし、心配であった。国防軍では毎年多くの殉職者が出ている。
ほたるは三笠に何故働くのかと聞いたことがあった。すると、彼はこういうのだ。
「親が……遠くに、いてな」
それ以外は、何も言わなかった。言いたくないのだと、ほたるは思った。ただの勘だったが、間違ってはないだろう。
その時は、幸か不幸か、五限目が始まるチャイムによって、二人とも教室に戻らざるを得なくなった。
ほたるは、世界史のノートを取るのをやめて、シャーペンをくるりと回した。視線の先には空いている三笠の席。しかし、心に浮かぶのは、今もどこかで仕事をしているであろう、三笠の陰を落とした表情。
「小六の時から、ずっと国防軍には世話になってる」
そういえば、そんなことを言っていたこともあった。目を合わせずに、窓の外の飛んでいるすずめを見つめながら。
それにしても、仕事は他にも、もっと安全なところがあるはずだ。何もずっと国防軍で働かなくてもよかったのではないか。そんなことを、空の三笠の席を見つめながら、ほたるは思う。今の三笠の頭脳なら、他にも探せば働く先はたくさんあっただろう。
逆に、お前は将来何がしたいのか、と訊かれたこともあった。迷いなく答えた。
「私は、医者になりたい。もうかなり前に亡くなったけど、おばあちゃんみたいな、立派な医者に」
夢を語ったとき、三笠は何故か少し寂しそうな顔をしていた。
その日は朝から雨が降っていた日で、廊下の窓からそんな景色を目に映しながら話していたのを覚えている。
ほたるは、講義室の窓をふと見る。晴れている。この空の下、三笠はどこかで戦っているのだろうか。
この時、彼女は知らない。その空の続きにある町で、すでに戦闘は始まっていた。

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