ゆめたがい物語

作者/紫 ◆2hCQ1EL5cc

第八話 夢見る少年と夏祭り-3


 ――たかだか小学生に、足にやけどを負わされた。
 痛む足を気遣い、また自身のチカラの助けを借りながら、爆弾魔は何とか海岸沿いの坂を上りきった。ぼさぼさだった頭はさらに悪化し、汗が止めどなく首筋を伝っては落ちていく。
 その先。反対側の坂を少し降りたところには寺と広大な墓場が広がり、隠れる場所は豊富にある。その上、この日は深夜からの花火大会に伴う諸々の法事のため、寺には大勢の人が訪れていて、帰り際にまぎれ、逃げることもできる。
 男は、上りきった坂から目下に広がる楽園の明かりを目に移し、再び乾いた唇を裂いて笑みを浮かべた。

「あのガキ、ただじゃあ済まさん」

 先ほどの倉庫の方に目を向け、男は流れる血をなめながら忌々しげにつぶやく。祭り囃子だろうか。笛の音が流れてくる。ふいに、先ほどの長い茶髪をした青年の、憎らしいほど整った顔も浮かんだ。

「一人で祭り囃子も、乙なもんだ。分かんないかなぁ、若造」

 笛の音を聞きながら、一人つぶやく男。心なしか、高く透き通った笛の音が大きくなる。
 いや、違う。
 男は、気づいた。大きくなっているのではない。近づいているのだ。
 そして、はっきりと気づく。爆破した倉庫より遠くの祭り囃子が、こんなところで耳に響くように聞こえるはずがないことに。

 ――笛の音高く、響いたら。

 いつか爆破した孤児院で聞いたわらべ歌が、首筋を流れる冷たい汗とともに、体中で鳴り響く。
 震えが止まらない。何とか体を動かし、そっと後ろを向く。笛の音が、さらに大きく、また高く響き渡る。

 ――すぐそこちょうど、その後ろ。

 その後ろには、白い狩衣を海風に揺らし、不気味な狐の面を着けた死神が、横笛を吹きながら佇んでいた。


「よう、キツネ君。また横取りか、相変わらずだな」

 坂を上りきった竹丸が見たのは、胸から血を流して絶命している爆弾魔と、その横で返り血を浴びることなく、真っ赤な刀を懐紙で拭うキツネ面をした一人の暗殺者。黒髪は長く一本結びにしていて、不気味に微笑む面を着けたその表情を読み取ることはできない。

「そこの指名手配中の爆弾魔、それからお前さんが祭りにいるのを見て、狙いまでは分かったんだがな。どうも、詰めが甘いんだなぁ、俺」

 福井中佐は頭をかきながらそんなことをぼやく。キツネ面が答えることはない。刀を鞘に納めると、真っ白な狩衣の赤い帯に差して、明るい寺の方の坂へと歩いていった。
 波の打ち付ける音が、横笛の代わりに聞こえてくる。竹丸は、去っていくキツネ面のしゃんとした背中を見た。

「今日は花火大会だ、キツネ君。死者への鎮魂、明日への希望。なぁ。お前さんも見て、そのしけた面何とかしろよ」
「……人を殺す爆発が、本当に鎮魂になるとすれば皮肉ですね、中佐殿」

 初めて、キツネ面が声を発した。籠って聞き取りづらいものだったが、冷たさだけは伝わってきた。星がよく見える。崩れた浴衣を直しつつ、竹丸は微笑んだ。

「だから見ろってんだ。人を笑顔に、幸せにする爆発も、要は使い方次第。あるってもんだ」

 そんな時に、嵐がやっと坂を上りきってきた。そこは惨殺現場。彼はただの、どこにでもいる小学生である。
 うまいこと嵐から爆弾魔の死体が見えないように、死角となる位置に立つ福井中佐。そのまま“チカラ”を使って嵐を遠ざけようとしたが、その必要はなかった。その頃にはキツネ面が死体を海に落としてしまっていた。
 嵐の目にはっきりとその暗殺者が映る。揺れる狩衣、不気味に月明かりで照らされるキツネの面。
 次の瞬間には、その視界から消えてしまっていた。

「中佐……今の」
「キツネ面。先越されちまった。あの爆弾魔、捕まえられれば、もう少し長生きさせてやれたのにな」
「じゃあ、さっきの、死んだ、の?」

 大きな茶色の目をふるわせ、恐る恐る尋ねる少年。崖の淵には星に照らされた赤い染み。
 福井中佐は悔しそうに「ああ」とだけつぶやくと、海の方を向いてため息をついた。

「ま、職場体験終了。人の生き死にが、そのまま目の前に現れる職場だ。家に連絡しとけ、少年。花火まで見ていくぞ。やってらんねぇや」

 きびすを返し、元来た道を戻る竹丸。近くの波の音、遠くの祭り囃子。鎮魂と希望の花火開始まではまだまだ時間があり、ましてや本当の朝日までは更なる時を待たねばならない。
 月と星のほのかな明かりだけが、慰めるように黒い海を照らしていた。