ゆめたがい物語
作者/紫 ◆2hCQ1EL5cc

第二話 帰宅部エースと国防軍エース-1
鐘が鳴る。
ここから、彼女の戦いは始まると言っても過言ではない。
夏休み補習。六限目の授業終了を告げる鐘。その後、終活はなく、掃除も友人に代わってもらった。今度たこ焼きを奢る破目になってしまったが。
そんなことは些細なことでしかない。隣のクラスは授業が長引いているようで、廊下を走るのはためらわれる。だが、そんな心遣いをする余裕はどこにもなかった。
上のほうできちんと束ねた茶髪は無造作に揺れ、短いスカートは走るたびに、危なげに揺れる。気にすら留めない。
さらに少女は、階段八段上から勢いをつけて飛び降りた。近くで掃除をしていた事務の若い男性職員が、赤くなって思わず目を背ける。もちろん眼中にない。そして、中学時代に陸上で鍛えた脚力を生かして、何事もなかったかのように着地して走っていった。
玄関を出ると、バスはもう停留所にいた。走る。三時過ぎだというのに、夏の暑さは容赦なく降り注ぐ。こげ茶色の上着は汗で湿っていた。
だが、その程度の妨害は、妨害のうちに入らない。かつては部長まで勤め上げた自慢のスピード。まだバスが出るまで一分ある。それだけあれば十分だ。少女はラストスパートをかけ、まるで歓迎するかのように開かれた、涼しいバスの入り口に飛び乗った。
「ふ、これぞ必殺三分クッキング」
少女はバスの一番前の席に腰掛けると、緩んだ髪留めを留め直しながら、一人誇らしげにつぶやいた。そう、授業終了の鐘から三分後に出発してしまうバス。しかも一年生は三階。それなのに、彼女は授業が長引かない限り、このバスに乗れなかったことは一度たりともない。
これぞ、帰宅部の鏡。帰ることに全ての情熱と技術を費やす姿。一年生ながら、次の部長は彼女と三年生からは目されていた。
ただし、彼女が帰宅部として今日のような働きをするのは、実は火曜日だけである。他の日は真面目に掃除をし――それでも、バスを逃すまいと疾走するが――階段から飛び降りたりはせず“お淑やかに”帰るのだ。
今日だけ。そう、この火曜日だけ。この日だけは、どうしても譲れない用事があるのだ。
バスはしばらくすると、ショッピングセンターの前に止まる。少女は立ち上がった。緑のネクタイを整え、気合を入れて腕まくりをする。そして、運転手に響き渡る声で礼を言うと、大きな足取りでショッピングセンター、いや、戦場へと、その足を進めていった。
このショッピングセンターは、海の区と呼ばれるこの辺りでは、一番の規模と集客数を誇る施設である。食料品売り場はもちろんのこと、家電製品、本、家具、果ては学校の制服専門店まで、ここに来れば何でも揃うと言った、近辺住人にとってなくてはならない場所だ。
そんなショッピングセンター。ここはその品揃えだけでなく、毎週火曜日に徹底的な値下げをすることでも有名なのだ。特に四時半からのタイムセール。うまくいけば、通常価格の半額以下の商品まで手に入る。
かの帰宅部の少女は、これを目掛けてやってきたのだ。
「さぁて、今日は何があるのかな」
プラスチック製の籠を取ると、少女はまず野菜売り場をざっと見渡した。その瞬間からもうすでに足はにんじんのほうへと動いている。残り十袋弱。並み居る敵兵たちを押しのけ、白い腕が人垣の中から伸びる。そして、何とか一袋、無事取ることに成功した。ファーストミッションクリア。
少女はその後も次々と格安商品を籠に投げ込んでいく。牛乳コーナーで商品を手にすると、一人の老婦人が上品に微笑みかけた。――その内にはメラメラと燃え盛る熱い炎を上げて。
「成長しましたね、ほたるさん。亡きおばあ様が知られたら、さぞ、お喜びのことでしょう」
「ありがとうございます、師匠」
「でも、まだ道は長いわ。御覧なさい、あの若者を」
婦人は少し離れた肉売り場にいる少年を指差した。少女、ほたるは絶句する。彼は、ほたるがやっとの思いで手に入れたにんじんはもちろんのこと、すでに売り切れていた大根やジャガイモ、アジの開きなど、この日の目玉商品すべてを籠に入れていたのだった。しかも、痛んでいるものはひとつとてない。鮮やか。敵ながら天晴れ。
しかも、よく見るとその猛者は、同じ学校の制服を着ていた。ネクタイはほたると同じ緑色で、一年生であることを示している。
ただし、こげ茶色の上着はなく、シャツは何をしたのか、たくし上げて目立たなくしているものの、焦げた跡が見えた。
「では、わたくしはこれで」
「え? まだ向こうにいろいろありますよ」
「いいえ、今日はあなたと、あの若者を見られたのが一番の収穫です。またいつかお会いしましょう」
婦人はそう言うと、ゆったりとした足取りでレジのほうへ向かっていった。少しの間、その後姿を眺めているが、ふとほたるは我に帰る。あろうことか、戦場で気を抜いてしまっていたのだ。
こうしてはいれない。完全に後れを取ってしまった。まだ間に合うだろうか。ほたるは再び最前線へと戻っていった。

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