ゆめたがい物語
作者/紫 ◆2hCQ1EL5cc

第六話 ムイ教徒と異国の病院-3
かの国防軍下士官の青年、その斜め前に、三笠のベッドがある。横には木製の机があり、膨らんだビニール袋が無造作に置いてあった。
また、そこは窓際であるため、広々とした海がよく見える。遠くのほうには小さな貨物船が確認でき、それと同じくらいの大きさに見えるかもめが、真っ白な翼で真夏の青空を切りながら、窓の前を横切っていった。
ベッドの上で胡坐をかくと、三笠は微笑を浮かべながら、小さな丸椅子に座る黄緑色の髪をした少年を見た。
「よく来たな、ボリス。一人でか?」
「はい。兄さんも竹丸さんも、えーっと、その、忙しくて」
ボリスは何故か目を泳がせながら、しどろもどろのシベル語で答えた。これでは、母国語でない三笠のほうが、ネイティヴのシベル語を話しているようだ。
三笠は親友の弟の表情をじっと観察する。雲の陰りで窓からの日差しが弱くなった。
「二日酔いだな、うん、大丈夫、お前のせいじゃない」
「ごめんなさい、僕、兄さんがちゃんとした生活をして、竹丸さんや三笠さんに迷惑かけないように、シベルから来たのに。僕が寝てる隙を突いて……どうしよう、竹丸さんにも迷惑かけちゃった」
「……うーん、むしろ、竹丸先輩は、楽しんでると思うけどな」
どこまでも鬱々とした、真面目な少年の懺悔。三笠の小さな突っ込みは、窓の外を飛ぶかもめの声でかき消されたのか、まるで耳に入っていないようだった。
ボリスは、不意に懐から女神の彫られた木の玉を取り出す。先日、彼の兄であるイヴァンが、戦死したムイ教徒たちに捧げた葬送の礼で使ったものとよく似ている。
何やら、複雑な印を結んだり、ぶつぶつと呪術の如くつぶやき始めたり、信心深い少年は完全に別の世界にいた。他の患者達は、見てはいけないものを見るかのように、先程の老婦人も含めて、一斉に目を逸らした。
このままでは、盛大な儀式を始めかねない。危機感を持った三笠は、横にある机の上に乗っかっていたビニール袋を引っ掴んだ。
「ボリス、“たこ焼き”食うか?」
三笠は、異様な雰囲気をかもし出している少年に、極力笑顔を維持できるように、神経を研ぎ澄ませて口を開いた。
彼が来る少し前に、隣のクラスの友人、安倍ほたるが見舞いがてら持って来てくれたのだ。どうやらかの地獄の補習、デスマッチが終わったその足で来たらしく、その顔には女子高生には不似合いなほどの疲労の色がくっきりと出ていた。
プラスチックの容器を開けると、冷めていてもすぐにそれと分かるソースの匂いが、病室中に広がった。各ベッドからは、「安倍屋だ」という飢えた声が飛んでくる。――この病室は、国防軍人が占拠しているのだ。さすが、国防軍御用達のたこ焼き屋。
懺悔に忙しかったボリスも、やはり成長期の少年である。食欲に勝つことはできず、玉を懐にしまって、プラスチックの容器を覗いた。
「何ですか? それ」
「“たこ焼き”だよ、“たこ焼き”。えっと、ど忘れしたな、シベル語で“たこ”ってなんていうんだったかな」
三笠は少し考えると、机の引き出しに手を伸ばした。そして、中から適当にメモ用紙と鉛筆を取り出す。言葉が分からないときは、万国共通である絵で伝えよう。コミュニケーションの基本であった。
「こういう、ほら、海にいる、八本足で……」
不必要なほどリアルタッチなたこの絵。細部まで細かく、どこの図鑑をコピーしたのかと疑いたくなるほどの上手さだ。国防軍少尉東郷三笠、美術の成績は実のところ、小学生時代から常に学年トップ。
だが、その無駄なこだわりは、ただ気色悪さをプラスしただけであった。
「ぼ、僕、遠慮します!」
椅子から突然立ち上がって窓際の壁まで逃げたシベル人の少年。体の底から震え、いつの間にか先ほどの女神の彫られた木製の玉を取り出している。……悪魔祓いの儀式でもするつもりだろうか。
三笠はそんな彼を横目に、爪楊枝をビニール袋から出すと、たこ焼きを一つ口に放り込んだ。
「美味いぞ」
その言葉に、ボリスはさらに拒絶反応を大きくし、青ざめた顔でたこ焼きを指差した。
「こんな悪魔みたいなの、僕絶対食べれません! てか、シベル人は食べませんよ」
「んー、イヴァンの奴はうまいって言ってたけどな」
「兄さんみたいな変人と一緒にしないでください! 僕は女神に仕える身、悪魔なんて食べれません!」

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