リストカット中毒

作者/ 黒紅葉 ◆uB8b1./DVc

伝えたい,短い話

何も知らない馬鹿が言う


 私は否定するのが苦手だ。疲れるからだ。
 酷く体力を消耗し,同時に精神も削られる感覚に襲われる。
 嫌い,きらい,キライ。でも,**は**だから,それは認める。
 愛すことは出来ないかもしれない。でも,否定するのも出来ない。
 中途半端な私は,曖昧なものを嫌う人達には忌み嫌われる存在なのだろう。


 私は愛されるよりも愛したい。何故なら自分以外のぬくもりを自分の手で確かめるには,愛した方が良いからだ。
 愛されてしまえば,無意識のうちに甘え縋ってしまう。失った時の衝撃を,怖がってるばかなよわむし。
 愛せば,最期も失った後も忘れず愛せると思うから。涙もきっと,その存在の為に流すものとなるだろうから。


 別に,嫌われたって疎まれたって笑われたって構いやしないのだ。
 だって,私と同じくらいの年頃でそうする人は,中々更生しようとはしないでしょう?
 私は,「変わりたい」「助けて」という人には手を差し伸べる。けれど,自らを病的に愛して,変わろうとしない,現状に甘えてる砂糖並のあまったれには一瞥もくれてやるものか。
 そんなあまったれた人間は,大嫌いだもの。
 私は酷い人間なのだ。


 自分のストレス解消とか,ムカついたとか,そんな理由で発生した虐めは大嫌い。自分のために自殺する人も,しようとする人も好きでない。
 前者は,本気で馬鹿だと思う。年上だろうが年下だろうが同い年だろうが言える,「お前は救いようのない馬鹿だ」と。「自分のことしか考えられない,自分に心酔した馬鹿だ」と。「ナルキッソスのように,自分に溺れてしんでしまえ」,と。
 後者は,結局逃げでしかない。逃げたって良い。しかしそれは生きてるうちに限る。やりたいことあるんじゃないの,何もないの,全て奪われたの? 他人のものを全て奪い取れる人間なんて存在しないのに。自らを傷つけても良いから出来るだけ生きようとしてほしい!
 生きようとして生きようとして,もう耐えられなくなって,戦って負けてしまって,自殺……というのなら,愛せるけれども。だって,その行為は自らを,人を救う行為であるもの。

 他人も愛せるのに愛そうとしないのは勿体ないと心から思う。
 独りぼっちの世界に,自分を縛りつけ,悲しみの涙を流すのはつまらん茶番劇だと思う。
 私は悲劇を好まない。
 人の人生に口を出す気もない。何故ならその人も,私の人生の物語の登場人物のひとりに過ぎないからだ。

 否定するのは疲れるし,面倒で,精神を削られるが,どうしようもなく許せず,どうしても愛せないものははっきりと否定する。拒絶する。
 それが嫌だと,拒絶されるのが嫌だと,目で語る人は,愛せる。


 馬鹿は私だ。




副委員長になりました


 体よく副委員長を押しつけられた。拒否権がないとはどういうことか。
 小学で張られたレッテルを剥がそうとしなかった,結果的に,非常に面倒なことになってしまった。

 学級委員,副委員長。同じ小学校出身のクラスメイトたち曰く,「このクラスまとめられる女子って**しかいないだろう」。違う小学校出身のクラスメイトたち曰く,「絶対向いてる」。
 はて,私はいつの間に幻術使いになったのだろう? さっぱりわからないわ!

 目立たず,ひそやかに個性を主張し,地味に目立たず気配を殺して楽しむつもりだったのに! 予定は狂いっぱなしね。
 風の強い時,鼻で笑った。


「わー二組の委員長になったんだあ! 頑張れ!」
「頑張るー,**ちゃんも副委員長頑張って!」


 それでも,クラスの離れた親友とのつながりが断たれていないのなら,副委員長も良いかもしれない。
 ……仕切るつもりは,全くないけれど。