リストカット中毒

作者/ 黒紅葉 ◆uB8b1./DVc

伝えたい,短い話

長々と


 私に期待して,きっとこの子なら自分の期待に応えてくれるだろうと思って来てくれて,けれど私はそれに応えられずに失望させてしまう。私は「私なんかに期待するのがそもそもの間違いなのよ」と言うけれど,心の奥底では泣いて泣いて泣いてぐちゃぐちゃの不細工面で謝る。謝る。謝る。謝る。
 応えられなくてごめんなさい。余計な期待をさせてしまって,余計な失望をさせてしまってごめんなさい。何も出来ないくせに何でもできるような雰囲気出しててごめんなさい。卑屈でごめんなさい。人が欲しい言葉を紡げないのに私が欲しい言葉を紡いでくれないと悲しくなってしまってごめんなさい。全て我儘な私が悪いんです。あなたが戸惑うことはないんです。ただ嘲りを含んだ笑みで,どこかへ消えて,あなたの期待に正しく応えられる子を見つければ,それだけでいいんです。それだけでいいんです。それだけで許された気になってしまうんです。
 母が私の姉を陰で罵ってるのを私は知ってる。姉が母に自分を理解してもらおうと思って頑張ってるのに,それが空回ってどうにもこうにも上手くいかないことに憤りといら立ちを覚えてるのを私は知ってる。彼女等を見て,兄が何をやってるんだかと思ってるのを私は知ってる。父は仕事であまり家に居なくて,それらを良くわかってないようで微妙に察しているのを私は知ってる。私は知ってるのを,皆は知ってる。
 崩壊しかけてるかもしれないこの家で,私は何もできない。ストップひとつかけられない。「だって私,すぐ上のおねえちゃんとも六つ離れてるんだよ?」そんなのただの言い訳よ,言い訳。でも私がせめてと思って紡いだ言葉達はすべてがただの言い訳にしか成り得なかった。もう一人,生まれたかもしれない兄が居たら,少しは変わってたのかな。少しは,私も子供らしく過ごせたのかな。あれ,私が言う子供らしさってなんだろう。子供らしさ? 子供らしさ……我儘に振舞うことなのであれば,私は文句なしじゃないか。笑えない状況でさえ,「わらって」と言う私は,願う私は,どんな絵本に登場するお姫様も敵わないくらいの我儘娘だ。
 居場所はある。あるよ,例えばそれは部活。時折どうしようもなく苛立つことがあるけれど。苛立つ私に私は苛立って,それを見たみんなを見てもっと苛立って,癇癪を起してしまうけれど。
 居場所はある。あるよ,例えばそれは家の中。時折どうしようもなく苛立つことがあるけれど。姉に,母に,兄に,父に,愛猫に。そんな私に気付いた私は,自己嫌悪に陥って,やがては息をとめて。
 居場所はある。あるよ,例えばそれは闇の中。少しの光の中だけで,生きていけることはないけれど,そこにいるとそうしようもなく落ち着いて,やさしくて鋭い闇の中で切り裂かれながら包まれるような感覚に溺れる。
 居場所はある。あるよ。この,私が紡いだたくさんの言葉と,来てくれたみなさまの言葉が一緒に踊るこことか。
 私が親友だと思ってる子の隣とか。
 居場所はある。ある。あるよ。ある。あるんだよ。あるんだ。ある。作ってくれるひとだって,いる。いるはず。いるから。しんじてもいいん,だから。しんじてるから。たぶん。しんゆうだって,わたしを,みすててしまうかもしれないけど,たぶん,わたしがすきなえがおで,わらってみせてくれる,だろう,から。
 そのどれもが,いつか誰かに壊され奪われてしまうような気がしてならないけど,そんなのは私の思い過ごし。被害妄想。それがあった時,酷い癇癪を起さない為のイメージトレーニングなんて,しない。しない。そんな悲しいもの,しない。

 夏休みが,ずっと続けば良いのに。
 そしたら私はきっと,あの子たちに会えなくて悲しくて,何かを書きなぐるようにして日々を過ごすんだろうなあ。けれど,学校で私に期待を寄せる先生たちからかけられるプレッシャーも感じずに済んで,私を慕ってくれるあの子たちとも会わずに済むから,寂しさの中に安心を見つけて,そこに引き籠るんだろう。
 連れ出してよ,なんて言わないで,ずっとそこに居て,リアリティー皆無の小説を描き続ける。誰も読んでくれやしない,つまらないだけの小説をね!




少女は、語りました。


 私が画面越しに好きになった人は,みんな私よりずっと大人で,自分の考えを持っていて,自分が辛くても糞生意気な私をやさしく見守ってくれる,とてもとてもやさしい人でした。
 私を画面越しに好きになってくれた人は,みんな私よりずっとずっとやさしい,うつくしい海のような人でした。

 私が現実で好きになった人は,活発で,色々な人に「おばかさん」と思われていました。実際そうでしたが,それがいとおしく思える少年で,とても魅力的です。もしかしたら,私は,保育園から彼に惹かれていたのかもしれません。彼が事故に遭った,と聞いたときには心臓が張り裂けるかと思いました。
 私が現実で好きになった人は,明るくて,テンションが高いことが多く,それでいてやさしい人でした。かわいらしい,けれど時にひどく大人びて見えることのある少女でした。どんなにつらい時でも,彼女に笑いかけてもらえば,そんなつらさ気にもなりませんでした。彼女に名を呼ばれる度に,私は何よりもの幸福を感じたのです。
 私が現実で好きになった人は,とてもとてもやさしくて,何事にも一生懸命な頑張り屋さんでした。私は彼女のことを親友だと思っていますが,彼女がどうなのかはわかりません。けれど,もし彼女が私のことを嫌いだとしても,それを笑顔で受け入れることが出来るくらいには,彼女のことを愛しています。
 私が現実で好きになった人は,自殺志願者でありながら「生きること」に執着している人でした。その少女とは中学校で初めて出会いましたが,その少女と一緒にいれば,どんな孤独を抱えていたとしても,きっと孤独すらも愛せると思えました。

 私が現実で好きになった人は,みんなやさしい人でした。
 自分に責任を持てる,物事について深く考えられる,素敵な人達でした。

 今もそうです。
 今もそうです。
 今も私は,その人達が大好きです。

 けれど,時に恐ろしく不安になるのです。
 もし,私が大好きな人達みんながみんな,私のことを憎んだり,嫌いになったりしたら? と。
 私は友達が少ないです。
 故に,「好き」が少し,重たいです。

 その「好き」が,寄りかかる,「好き」を向けるものを失ってしまえば,私はきっと壊れてしまうんではないかと,どうしようもなく怖くなるのです。
 励ましてほしいわけではありません。慰めてほしいわけではありません。言葉がほしいわけではありません。

 ただ,戯言にすら聞こえる私のそれに,そっと耳を傾けてほしいだけなのです。