リストカット中毒

作者/ 黒紅葉 ◆uB8b1./DVc

伝えたい,短い話

こぼれる


 言わなくても伝わるだろうとか,私が言ったことが相手に伝わらないのはありえないだとか,そういう振舞いをしてでかい爆弾抱えて気を使われてるのに気を使わないでほしいだなんて馬鹿過ぎるんじゃないかしら。しかもそれを数年,言われるまで……いや,言われても尚気付かないそして自覚がないだなんて愚の骨頂だわ。愚か。愚か。愚か。我が姉ながら,馬鹿だと思う。それを幼い頃からずっと見てきた私は人よりも大人びて見えるらしいけれど,きっと誰より子供だ。そう,子供。甘えることは知らずとも癇癪を起こすことに関しては誰よりも上手。きっとそう。癇癪持ちの大人よりも癇癪持ちの子供の方が,まだ,可愛げがあるでしょう。私が私を子供というのをあの子は許してくれないけれど,あの子の中の私の大人びているというイメージを壊すのはとても楽しい。「あれ,おかしいな」あの曲のワンフレーズが頭に浮かぶはずだ。私はあの曲が好きだから,たぶん,もう既にあの子にも紹介している筈。してなかったしておこう。あの友達もあの曲が大好きだから。一緒に,サビを,歌って。私は歌が下手でも上手でもない,筈。歌えとせがまれる程度。みんなの耳を,鼓膜を,脳を私の歌声で腐らせ不快な想いをさせるのは面白いんじゃないかな。面白い。おこられてしまうだろうけど,とっても面白いはずだ。あの子たちのことは大好きだけれど,好きなものを自らの手で壊して汚してしまいたいと思うのは人として当然でしょう? あの子は喜んでくれるかしら。きっと喜んでくれるわ。なんたってあの子は私のことが大好き。私もあの子が大好き。あの子は死にたがり屋さん。精々生き伸びるが良いわなんて言わないけれど,でもあの子がもし自殺をしようとしたときに私が傍にいて,私があの子を手にかけて,自殺じゃなく他殺になってあの子は自分を殺した罪人でなく友達に殺された哀れな被害者になって,私は友達を失った可哀想な少女ではなく友達を殺した罪深き少女になったとしたら。それはそれで,きっととっても面白いんだろう。新聞の隅あるいはニュースのほんの少しの部分でひっそりこっそり紹介されて,同い年くらいの子を「まあ! なんて狂気でしょう!」だなんて驚かせられたら,まあなんて面白く素敵なことでしょうと私は笑ってしまうでしょうね!




大震災


 画面越しの世界は,自分が想っているよりもうんと広く大きいことを,震災で理解した。
 今私が立ってる場所が誰かから見た画面越しだとしたら,それは少しだけ可笑しなことだわと笑った。


 忘れない。
 大きな揺れと,みんなの悲鳴と泣き顔と,倒れ錯乱した荷物や本を。
 置いてきてしまった大切なものを取り戻しに行けない,悔しさと悲しさを。
 見送るときの不安を。失うかもしれない恐怖を。身近な人の恐怖を全身で感じる緊張感を。親しくない後輩の悲しげな表情を。真っ直ぐに立っていられない校庭を。

 教室は,私達が笑っていた場所。悲鳴を上げ泣く子らは,私を笑顔にしてくれた,明るい声を響かせた子ら。荷物や本は私達が大切にしていたもの。
 取り戻しに行けないのか。潤んだ瞳は知らんぷり。
 「死なないよ,大丈夫だよ」私に縋る子らよりも,自分自身に言い聞かせるようにそう言い続けた。

 だってほら,私の兄が海っぺリで働いてたし。津波大丈夫かしらなんて考えたら私真っ先に崩れるし。
 豆腐メンタルの本気。私もみんなもすごくがんばって,笑顔を取り戻して,それぞれに帰って行って。
 抱きしめた彼女達の身体の震えは,もしかしたら私の震えかもしれない。



 忘れないんだ。
 あの時の服装も,あの日感じた心も,見た笑顔も話したことも卒業式の練習の内容も気温も後輩の話声も授業も覚えた事も考えた事も帰った後にやったことも眠りに就いたことも。
 そのときに見たかもしれない,やさしい夢もその終わりも。