小説カイコ
作者/ryuka ◆wtjNtxaTX2

◇第二話 左廻り走路編◇-8
翌朝。
目が覚めると朝の六時だった。昨日の疲れが出たのか、いつもより三十分遅く起きてしまった。あーあ、こりゃ朝練出れないな。
「なっ!」
危ない。うっかり潰すところだった。
なぜか枕の上にカイコがいた。いつもは繭の中に入って寝ているくせに、今日は繭なしである。
「おい、カイコ!危なかったじゃないか。もうちょっとで潰すところ……」
「高橋、ちょっと話しかけないでくれる?」
カイコの声がいつもよりだいぶ低い。
どうしたんだろう。カイコに何があったのか。
しばらく俺もカイコも黙ったままだった。外は雨が濁流の如く降っているようで、ガラス戸越しにザアザアと雨粒が砕ける音が響いてくる。
朝から雨、か。どうしよう、今日はジャージで登校してしまおうか。
とりとめもなくそんなことを考えていると、ふいにカイコが話しかけてきた。
「ふぅー、やばかった」
「やばかったって何が?」
するとカイコの体が一瞬、金色に光った。
「今、僕ね、うっかり蛾になりそうだったんだ。」
「えっ、ガって蛾?」 そういや蚕は蛾の一種だった。
「うん。まあ僕は蛾になっちゃいけないっていう契約なんだけどね。たまに僕、蛾になりそうになっちゃうの。」
「へぇ。契約って?」
「えっとね、確か弘化四年、丁未の年に契約したやつ。約束は守らなきゃだからね。」
「弘化って……明治よりは昔だよね?そういやカイコさ、この前実は百六十四歳とか言ってたけど、あれ冗談じゃなの?マジなの?」
するとカイコはふぅ、とため息をついた。
「もう六時だけど。学校は大丈夫なの?遅刻はやだよ。」
「ああ、雨降ってるし、朝練出ないから大丈夫。」
「そっか。」
ザアザアと雨戸を叩く雨の音はだんだん強くなってきているようだった。隣の部屋から、弟の目覚まし時計が鳴る音が聞こえてきた。しかし、すぐに目覚ましの音は止まり、弟は再び眠りについたようだった。どうやら、あいつも朝練を休むつもりらしい。
「高橋の弟さん、また寝たの?」カイコが伺うように聞いた。
「そうみたい。あいつ滅多な事じゃ起きないから。普通に喋っても平気だよ。」
カイコはよいしょっと座りなおした。深呼吸を一回するような仕草を見せて、ゆっくりと喋り始めた。
「えっとね、僕が百歳越えっていうのは本当。で、僕と土我が知り合ったのは犬養首相暗殺の年だったかな。学校で習ったでしょ?」
……ハンパねぇな。
「じゃじゃあ、土我さんって、本当はいくつなの?見た目二十代前半だけど。」
「うーん。僕もちゃんと聞いたことないから分からないけど、土我は確か平安以前の人間だよ。まあ、千歳以上はいってると思うけど。」
「千歳以上!? 俺はそんな人にあんな慣れ慣れしい口を聞いてしまっていたのか。あわわわ……」
「高橋は飲み込みが早いね。もうちょっと驚きまくるかと思ったよ。」
……そりゃもう、時木の件で慣れましたから。
「で、契約っていうのは?」
すると、カイコはしばらくうーん、と唸った。
「ああー、ごめんね。これは喋れないんだ。さもないと僕、人間に戻っちゃうから。多分すごいおじいちゃんなんだろうなぁ。」
「へぇ……っていうかカイコって元は人間だったの!?」
「当たり前でしょ。ただの虫が喋ってたら気持ち悪いよ。あーあ、どうせだったら虫は虫でも、アゲハ蝶とか綺麗な虫が良かったよ。」
そういえば、なんでカイコは蚕なんだろう。蚕って養蚕に使われるぐらいだよなぁ。
「もう質問は終わり? ほら、早くしないと本当に学校に遅れちゃうよ?」
カイコはそう言うと、空中から突然現れた繭の中に入っていった。

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