小説カイコ

作者/ryuka ◆wtjNtxaTX2

◇第三話 ふりだし編◇-25


ふと気が付けば、俺は元の世界のあの暗い神社の本殿に座っていた。隣では土我さんが何の曲だかわからないが、明るい鼻歌を歌っていた。

「そろそろ目が覚めたかな、任史君。僕たちちゃんと元の世界に帰れたよ。」
「……ええ。毎度毎度本当にすいません。俺、迷惑かけてばっかで。」今まであったこと、あの弘化二年の世界で感じたこと、太一たちのこと、それが全て嘘のような夢のような気さえした。今、自分がここに居る事さえ嘘の夢の続きみたいに思えてくる。「俺、多分カイコに会いました。太一って名前だった。」

「そっか。」土我さんはよいしょ、と言いながら俺の隣に座った。「どうだった?けっこう可愛いかったでしょ。」
「思ったより幼かったです。その割にはとてもしっかりしてて。でも、」そこでふと、気にかかっていたことを口にした。「でも、なんで太一もハツも蚕になっちゃってるんですか?昔、カイコが俺にそれは契約だとか言ってたんですけど……許してもらうまでの契約だって。でも、あの二人がそんなに悪いことしたようには思えないんです。確かに村の蚕を勝手に持ち出したとか言っていましたけど。それってそんなに悪いことなんですか?虫の姿に変えられてれて、無駄に長生きさせられるほど悪いことなんですか?」

すると土我さんはああ、と溜息に似た深い憂悶を含んだ声を出した。
「……あんまり人の過去を言うのは好みじゃあないんだけどね。うん、確かにそんなちっぽけな罪が今カイコたちの背負ってる罰と釣り合うとは思わないよ。そっか、じゃあ任史君はまだ事の全てを見ていないんだね。カイコはね、」土我さんは小さく息を吐いた。「人を、殺してしまったんだ。」

「え……?」発せられた言葉が、信じられなかった。「殺した?人を?」
「うん。間接的ではあるけれど。それに一人じゃない。沢山だ。」それから土我さんは一気に口調を速めた。「あの二人は蚕を盗んだ。僕、あんまり詳しくないんだけど蚕ってかなりデリケートな虫らしくてね、蚕を飼う蚕籠の中は常に清潔にしておかなきゃいけないんだって。正直な働き者に過ぎないあの二人は毎日野山や田畑でへとへとになるまで仕事していたから、当然ながら手が綺麗であるわけがない。そのおかげで、瓜谷村の蚕は籠まるまる一つ分全滅しちゃったらしいんだ。
 そして。あの時、町では疫が流行っていた。より町寄りの神蟲村ではもう感染者も多数出ていたしね。太一たちは町まで薬を買いに行っただろ、その翌日にさっそくハツの方が具合を悪くしてしまってね。数日と持たずに死んでしまった。
 あとは分かるよね、一人疫になれば十人疫になる。十人疫になれば百人疫になる。そして最初に疫にかかっていったのはハツの仕事仲間、すなわち蚕の世話女たちだった。世話人が居なくなれば蚕も育たないし、最悪死んでしまう。蚕で生計を立てていた瓜谷村はあっという間に貧乏村になってしまう。お金が無ければ薬も買えないし医者も呼べない。病人は死ぬより他に無かった。」

「……それで、瓜谷の人たちは死んじゃったんですか、カイコのせいで?」
「そういうことに、なるね。」なんだか背筋が寒かった。「病気が流行ったら昔の人は何をするか。……ちょっと嫌な話が続くよ?そうだね、昔の人は神様が怒ったと思って人柱を立てる。すなわち生贄だね。誰が生贄になるか、そりゃ死んでもいいと思われている人に決まってるよね。どんな人が死んでもいいと思われるかっていうと、そう、村をめちゃくちゃにした人だよね。太一は人柱にされた。それも自分から進んでね。多分罪の意識に耐えられなくなった太一の、彼なりの償い方だったんじゃないかな。
 罪の大きさはね、客観的な事実で決まるものじゃない。あくまで罪人彼自身の後悔の深さと、自己否定から成る果てしない懺悔の大きさで決まるものなんだ。ほら、同じ犯罪をしても刑罰は同じだけど、その罪の意識の大きさは個人個人で違うでしょ?うーん、例えば、万引きしてもけろっとしている人も居れば、なんでこんなことしてしまったんだろうって自分を責め続ける人もいるようにね。」

カイコにそんな過去があったなんて思ってもみなかった。あの、ただただ友達思いで無邪気な普通の子にすぎない太一とハツが、そんな惨い死に方をしたなんて。未だにそんな不幸な運命を背負っているなんて。

「しかし人柱の甲斐もなく、疫は村人を蝕んでいく。それに続いてその年はうだるような日照りが続いてね、稲も育たなかったんだ。食べる物も無い、金になる蚕も無い。太一たちが村の禁を破ったから神様が本気で怒った。……そう考えた村人たちは村を捨て、町に奉公に出かけた。今まで信念深く神様を信じて、神を拝んでいた村人たちは一人も居なくなってしまった。信仰者を持たない神はもはや神として存在できない。もともと、神様なんて居ないのだから。
 少し話がズレるけど、神様っていうのは人間がその存在を信じるから存在できるものなんだ。そう、神様なんてあくまで形而上の存在でしかない。僕たちが神様だと思っているものの本当の正体はね、人間の完璧なものを求める心や、理解できない自然現象の擬人化として人が形而上に創造したものにすぎないんだよ。……でも、信念の根源である人間は生きているから、その信念で成り立っている神様も生きている。
 あはは、随分脱線しちゃったなぁ。それで、僕が言いたかったのは信仰者がいなくなった瓜谷村の神様、すなわち蟲神様は弘化二年に死んでしまったってこと。太一が殺したんだ。
 村を守っていた神様が死んだらその村は当然だけど悪鬼や餓鬼にはすごく住み心地のいい場所になる。……話は戻るけど、実を言うとあの変な青服のおっさんは僕の昔からの知り合いでね、人喰い鬼なんだ。蟲神の生きていた頃は蟲神の結界を破れなくて村境の川に住んでいたらしいけど。
 まぁだから自慢じゃないけど僕も人外だから、神様の居ない土地はすごく住み心地がいい。今月は神無月だからね、一年で少しだけの安息月、ってところ(笑)
 うん、こんなんで説明は十分かな。まだ分からないところある?」

「えっと……」俺のあまり出来の良くない脳ミソは考えることを完全に止めてしまったようだ。「分からないところが、分からないです…。」
「ああ、うん。いきなり意味不明な話だったもんね。まぁしょうがないよ。」そう言った土我さんの表情は、笑っていたけれどどこか寂しげだった。