小説カイコ

作者/ryuka ◆wtjNtxaTX2

◇第三話 ふりだし編◇-38


それから一人、京王高尾線とかいう、聞きなれない電車に乗り換えて西八王子駅で降りた。天気がよく、青空が清々しかった。鳥の声が、響いていた。
東京といえど、さすがにここまで郊外になると親しみの沸く風景が見れるようになってくる。やっぱり緑が多いことはいいことだ。

“ちょっと寄るところ。” そう二人に言ったのは、何となく遠回しに言った方が良いような気がしたからだ。気を使いすぎていると笑われるかもしれないが、楽しい雰囲気に、水を差すようなことは言いたくなかった。


単刀直入に言うと、これからお墓参りなのだ。拓哉の。

今日でちょうど三ヶ月目だった。色々と心の整理もできたし、そろそろ行くべき時期だと思った。今、行かないと、多分一生行けないような気がした。

駅から降りて、携帯で地図を見ながら目的地を目指した。小さなお寺で、聞いたところ拓哉のお母さんの実家がその寺の檀家だという。
途中、ちょうど良く花屋があったので入った。やっぱり、お墓参りといったら花ぐらい用意しないと悪い気がする。

今まで花屋なんて一度も入ったことなんて無かったが、なかなか洒落た店だと思う。煉瓦づくりを装った感じで、上品なチョコレート色を基調としている。なんとなく恥ずかしさを感じながら店内に一歩踏み入れると、頭上でチリンチリン、と小さな鈴が鳴る音がした。
店員にとりあえず会釈し、どの花にしようかと、どの花にすればいいのかと永遠と考えた。色んな種類の花があったが、その中でも淡い桃色と白の混ざったコスモスが一番綺麗だと思った。でも墓前は普通、菊の花だよなぁ……でも菊の花じゃ爺臭いかな。けど、あの拓哉に菊の花っていうのも……

「プレゼントですか?」
女性の店員に声を掛けられた。ニコニコと笑っていて、感じのいい人だった。たぶん、これから俺が彼女かなんかに花束でもプレゼントすると思っているのだろう。

「あ……いえ。ちょっと見ていただけです。お邪魔しました。」
恥ずかしくなって、そのまま何も買わずに店を出てしまった。もういいのだ。あの拓哉にお花なんて可愛らしいもの、絶対に似合わない。

けれど手ぶらというのも申し訳ない気がしたので、近くにあったコンビニで、よく拓哉が飲んでいたファンタのオレンジ味の缶ジュースを買った。缶ジュースくらいならお寺の人に怒られないだろうし。第一、花なんかよりも拓哉は喜ぶだろう。


それから十分ほど歩くと、すぐにそのお寺に着いた。
お寺の人に場所を聞いて、拓哉の場所へと向かう。


「……?」
教えられたところに、誰か居た。ちょうど後ろ姿で見えないが、女の人だ。髪型は暗い茶色のショーットカットで、手に持った柄杓で墓石に水を掛けている。その墓石は、「切崎家代々之墓」と掘られていた。じゃあ、拓哉の親戚の誰かだろうか。

ふと、その人が振り向いた。俺と目が合うと、すぐに目を逸らした。俺と同じくらいの年の女の子だった。
そして下を俯いたまま、口を開いた。「拓哉君の……親族の方ですか。」
「あ、いえ。友人です。」
「へぇ。友達か。」その人はそれで安心したのか、急に表情を明るくした。「あたし、拓哉の元カノ。悠って呼んで。あんたは?」
「高橋。えっと、拓哉と小学校と中学校が同じだったんだ。まぁ、中学はアイツほぼ居なかったけど(笑)」
「あたし、あんたの事知ってるよ。」悠さんは、柄杓を桶に戻しながら言った。「タカシ、って奴だろ。よく拓哉が話してた。」
「……よく?そんなにアイツ、俺のこと喋ってたんだ。」
「あー、ミスった。今のナシナシ。あれだな、昔の話する時さ、アイツあんたの話しかしなかったんだよ。地元どこ?って聞いてもアンタとのエピソードばっかだったし。まぁ友達居なかったんだろうから当たり前っちゃ当たり前だけどさ。」
「ああ、なるほどね。」

それなのだ。それで、けっこう拓哉には申し訳ないことしたなぁと長らく思っていたのだ。
どんなに過去を美化しようとしても、俺にとっての拓哉は、大勢いる友達の中の一人に過ぎなかったのだ。俺はきっと、拓哉がこんなことにならなければ、高校でできた新しい友人との楽しい時間に追われて、拓哉のことを思い出しさえもしなかっただろう。
けれど、拓哉にとっての俺は、地元でたった一人の、友人だったのだ。昔っからの、たった一人の友人。

中学の受験勉強真っ只中の時。
塾の帰り、夜遅くに駅に着くと、かなりの高確率で偶然、拓哉と遭遇した。
任史は大変だなあ、ガリ勉は大変だなぁ、と毎回可笑しそうにからかってきた。正直、中卒前提で、気楽に生きてる拓哉が羨ましかった事も多々だ。
大抵は拓哉が一方的に喋りまくる感じで、俺が聞き手だった。そして拓哉は駅から俺の家まで毎回ダラダラとついてきた。けれど、それはとても楽しかった。夜の、拓哉とのお喋りタイムは、受験期のささやかな楽しみでもあったのだ。

でも、今思い返してみると、拓哉とあんなに駅で遭遇できたのは、偶然でも何でもなかったのかもしれない。ただ単に、拓哉が俺に時間を合わせてくれていたのかもしれない。



「ねぇ、あんたのことなんて呼べばいい?」回想に耽っていた俺の意識が、悠さんの声で呼び戻された。
「えっと……悠さんの呼びたい風でいいよ。」
「やだぁ、悠サンだなんてやめてよ。悠でいいよ。そうだな、じゃあ拓哉がタカシって呼んでたから、タカシね。」
「わかった。悠って呼ぶよ。」

それから悠はしばらく俺に時間をくれた。取りあえず買ってきたファンタを墓前に置き、持参の線香に火を付けた。線香の煙は、よく晴れた空に高々と昇って行った。

「……もう終わったの?」悠が後ろから声を掛けてきた。
「うん。もう帰ろうかな。悠はどこから来たの?」
「うーん、あっちの方。」悠は適当に東の方を指差した。「あ、でもタカシ駅から来たんだよな。じゃあ駅までは一緒に帰ろうぜ。んでさ、拓哉の話聞かせてよ。あいつがまだ可愛かった頃のさ。」


それから、俺たちは随分長い事話し込んだ。俺は悠の知らない拓哉を、悠は俺の知らない拓哉のことを話した。駅へ帰る途中、ちょうどよく公園があった。ベンチと砂場だけのシンプルな公園だったが、もっと話していたくなった俺たちは、二人でそのベンチに座って喋り続けた。

この俺の隣に座る悠は、拓哉と恋仲だったのだ。
ふりだしのない、巡り巡る思いは、聞いていて切なかった。
何故かふと、弘化二年の夏に生きた、太一とカイが心に浮かんだ。

「あのさ、許してくれる?」悠の短い髪を、夕風が揺らした。「拓哉がさ、死んじゃったの……あたしのせいなんだ。」
「へぇ。」
「タカシは、なにも責めないんだね。」どこかで、同じセリフを聞いたなぁ、と思った。
「うん。俺にそれを責める権利なんて無いし。それに拓哉だって責めて欲しいと思ってなんかないと思うから。」
「あはは、何も言ってないのに分かったような事言ってくれるじゃない。」悠が哀しげに笑った。「拓哉がさ、タカシの事、好きだった理由、何となく分かるよ。うん、わかった気がする。」

「……そっか。」

気が付けば、澄み渡るような青色だった空は、いつの間にか真っ赤に染まっていた。目を見張るような夕焼けに、どうして今まで気が付かなかったのだろう?

「そろそろ帰ろうか。」

そう言って、悠が立ち上がった。俺を振り向いた悠の横顔が、赤い斜陽に照らされている。砂場も、鮮やかな色に染まっていた。
それからは二人とも無言で駅を目指して歩いた。鮮やかな朱の世界に、二人分の長い影がゆらゆらと伸びている。少し季節外れの蝉が、どこか寂しげな恋しさのある声で鳴いていた。

「あ、コンビニ寄っていい?さっきタカシが持ってきたファンタ見たらさ、飲みたくなっちゃった。あれさ、よく拓哉がうまそうに飲んでたんだよ。」
「いいよ、寄ろう。俺も飲みたい。」
なんだかよく分からないが、二人で顔を見合わせて笑ってしまった。
それからファンタを二人分、買い終わって、ちびちび飲みながら歩いた。すぐ駅に着いてしまった。

「じゃあ、ここでお別れだね。」
何となく、名残惜しかった。たぶん、もう二度と出会うことも無いのだろう。
すると、悠は無言で笑顔を作った。そして、右手に持ったファンタの缶を、俺に押し付けてきた。

「最後にお願い。駅のごみ箱に捨てといて。どうだよ、エコだろ?」
「エコって……使い方違うと思うけど。いいよ、捨てとく。」


拓哉に少し似た、強引さに思わず笑ってしまった。
すると悠は じゃあな!と手を振り、燃えるような夕焼けに染まった道を一人、歩いて行った。





赤い世界での、永遠の、お別れ。










~ふりだし編、完結~