小説カイコ
作者/ryuka ◆wtjNtxaTX2

◇第三話 ふりだし編◇-31
それから数時間後、親戚の法事で出かけていた由紀子さんの母親である美雪さんが家に帰ってきた。俺を見つけるなり、「あらぁー随分大きくなったのねぇ。彼女はできた?」と面白半分にからかってきた。一体、この一家はそれしか頭に無いのだろうか……。
しばらくすると柚木さんはじゃあこれで、と居なくなってしまった。どうやら柚木家の方に帰ったらしい。由紀子さんが鼻でふん、と笑いながら、「お寿司だけ食べに来たのよ。ムカつく。」とボソリと小声で愚痴っていた。
そんなこんなであっという間に夜は更けていき、衣田夫妻は十時には寝てしまった。俺と由紀子さんは一緒にテレビなんか見ていたりしたが、大して面白い番組もやっていなく、飽きた由紀子さんは「もう寝るわー」と言ってこれまた自室へと消えてしまった。
俺もやる事も無いし寝てしまえばよいのだが、何故か全く眠くならなかった。普段ならいつでも眠いのに。
「そうだ…、カイコどこに行っちゃったんだろ。」
今までだってカイコがちょくちょく消えていることはあった。今回もどうせすぐに帰ってくるだろうとあまり気にしていなかったが、果たしてどうだろうか。もしかしたら、俺みたいに壁部屋から過去に飛ばされて、未だに現在に帰って来れてないなんてことは……
大丈夫だろうと思いつつも、焦る気持ちが先走る。なんだかとても落ち着いていられなくて、我慢できなくなったので思い切って土我さんにメールをしてみた。
送信ボタンを押してから、十数秒後。“受信しました”の表示が出た。
「すご。さすが土我さん、随分速いな。」
土我さんの相変わらずの返信の速さに安心したのも束の間、受信フォルダを開くと、入っていたメールは土我さんの返信でもなんでもなくて、エラーメッセージだった。
“このメールアドレスは現在使用されておりません。”
「えっ……。」
どうしてだろう。アドレスを変えたのだろうか。でもなんでこんなにいきなり?
電話はどうだろうか。非常識だとも知りながら、電話もかけてみたがやはり繋がらない。無機質な女性のアナウンスの声がやけに冷たく聞こえた。
カイコは見つからない。土我さんとは連絡がつかない。柚木さんは何も知らなかった。
どうしよう。
改めて自分の無力さを知らされる。結局は人の力を借りないと俺は何もできないのだ。
さっきまで呑気にテレビを見ていたことなんて到底信じられないくらいに、頭の中がごった返していた。焦りすぎていることぐらい自分でも分かっているはずなのに冷や汗が止まらない。
なにか、なにか、カイコの無事を知る手段は無いのか。その時、ふと思いついたのが神社にもう一度行ってみることだった。もしかしたら、カイコはあの建物のどこかにいるのかもしれない。
上の階で寝ているみんなを起こさないように、そっと玄関の扉を開け、真っ暗な家の外へと出た。想像していたよりも、あたりの闇は深まっていた。頬を差すような冷気に思わず全身が泡立つ。一応の懐中電灯は一本拝借したものの、頼りない細い光はすぐに暗闇の中で拡散し、黒い空気へと吸い込まれていってしまう。それでも、今晩は満月で、空には雲は一つも出ていなかったからまだマシな方なのだろう。神社へと続く、苔の生えた丸石の小道を、つまづかないように足元を照らしながら進んでいった。
時々、風が周囲の木々を揺らして、大きな音を出す。
暗闇の中で浮き立つ、更に濃い暗色の森のカタチが風に揺られてざわめき立つ様子は、まるで童話に出てきそうな不気味な生物が踊っているみたいだった。
気のせいだと信じたいが、数分に一回くらいの頻度で木の影や、路傍に置いてある何かの神様の石像の影なんかに黒い人影が見えた気がした。頼むから気のせいであってほしい。
やっとの思いで神社の本殿に辿り着くと、風はぴたりと止んでいて、とても静かだった。
明るかった。月明かりに照らされて。
思わず息を飲んでしまうほど、綺麗な白い光に包まれている。
木々の開けた境内は、周囲の真っ暗な森とは対照的に月明かりで明るく照らされていた。地面に敷かれた砂利が、月の白さにキラキラと光っている。
何とも言葉にしにくいが、綺麗すぎるというか、神秘的というか、とにかくそういう言葉が似合うような不思議な風景だった。
まるでおとぎ話みたいだな、と思った。
靴を脱いで、本殿へ上がるとだんだんと気分が落ち着いた。さっきまでのカイコの行方の分からない焦燥感や、暗い小道の中での恐怖心は信じられないくらいにあっさりと消え去っていて、今はなんだか少し、浮かれたような気分でさえもあった。きっと、この月の白さのせいだろうと思った。
「綺麗だな。」
勝手に口をついて独り言が漏れた。
「ええ、特に今夜は美しい夜ですね。」
ふいに、背後から囁くような優しい声がした。少しびっくりして、けれども全く怖いとは思わずに、後ろを振り向くと、真っ赤な緋袴に、上には純白の千早と襦袢を着た、若い女の人が立っていた。優しそうな顔つきで、大きな瞳は透き通った明るい緑色をしていた。とても人間とは思えないくらいに綺麗な人だった。
「あなたは……幽霊?」
思わず、そう聞いた、自分の声が震えていた。するとただ、優しく微笑むとゆっくりと首を横に振った。長い髪がそっと揺れる。どうしてか、とても安心させられる仕草だった。
「いいえ。幽霊ではありませんよ。」
そう言うと、一歩ずつこちらに近づき、目の前までやって来ると歩みを止めて、しげしげと俺の目を覗き込んだ。人間離れした、綺麗な若草色の目で見られると、一瞬頭の中が真っ白になった。真っ白になって――――――― どうしてか、頭のどこかで小さな鈴の鳴る音がした気がした。
鈴の音と一緒に、目に見えたものは優しい夕焼け空。
いつか、思い出せないくらい昔、こんな風景を誰かと共に過ごしたのだっけ。
「お帰りなさい。カイ。」
そう、その人は懐かしむように静かに言った。

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